欽明天皇と周辺環境

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295日本@名無史さん
安閑のときの大連は物部麁鹿火だが、
宜化のときの大連は物部押甲となっている。ちなみに押甲は麁鹿火の弟。

ところが、宜化の途中で物部内にクーデターがあり、
大連は物部荒山へ変更。ちなみに荒山は尾輿の父。
そして、欽明のときの大連は物部尾輿となるわけだ。

で、仁賢のときの大連である物部木蓮子や、
武烈のときの大連である物部麻佐良なども含めて、
物部麁鹿火や物部押甲まで、大連はすべて、物部布都久留の子孫であった。

しかし物部内のクーデターによって、
それ以降の大連はすべて、物部荒山の子孫となる。
ちなみに、物部守屋や石上麻呂などもすべて物部荒山の子孫である。