【常識を】本能寺の真相を語る その2 【覆せ!】

このエントリーをはてなブックマークに追加
945日本@名無史さん:2005/11/19(土) 14:33:33
つまり、信長は二度死ぬ、と
946日本@名無史さん:2005/11/21(月) 10:25:58
○日本史2000年、最大の謎、本能寺の変の真実。

○それは皇統譜最大の戦い○

>>943転載などしていない。ここに書かれている論説は全て2ちゃんねるのこの掲示板のために私が書いたオリジナルだよ。
誰それの論だったら、「歴史家の○○○氏はこう書いているが」と書いてるだろう?

942の論を読めば解るだろう? 明らかに朝廷説との証拠がないと書けない論説だ。
これを読めば、この本能寺の変というクーデターが、明らかに織田信長個人に対してのものではなく「織田家」に対してのものだと言うことが解るはずだ。
つまり、光秀の行動は織田家という集団に対してのものであることがわかる。

京都で信長、信忠が死んだこと、さらに光秀が京都を戦場にしなかったのは、
それなりの理由あってのことなのだ。
実際、ただ主君を暗殺する、というだけなら、自分の城に呼んで、殺す、などという手もある。
戦国ではその方がかなり使われている。
足利将軍の中にもその手で殺されたのかいるし、
織田信長の弟もそれで殺されている。
947日本@名無史さん:2005/11/21(月) 10:32:16

○戦国史最大の謎、本能寺の変の真実○

○それは皇統譜最大の戦い。

○不明とされる明智光秀の前職。
それは神官、陰陽師の可能性が高い。

○安土城に秘められた巨大な謎○

あの地図上の位置に、あの山の上になぜ建てられたのか?

そこには、軍事上だけではない大きな理由があった。
信長は数ある候補地から、あえて、あの場所を選んだのだ!!

948日本@名無史さん:2005/11/21(月) 10:46:28

○中世日本史最大の謎、本能寺の変の真実○

すでに全ての真実は、一九九七年に前半に全て解明された!!

その答えは「朝廷説」、、、、

確固たる証拠品も出ている。

それゆえに、それから出た本能寺の変関係の本は、朝廷説、近衛前久関係。

これからも出る本は、朝廷説。三年たとうと、五年たとうと、十年経つても朝廷説。

あるいは十年後、二十年後、三十年後、五十年後、百年後も朝廷説なのだ。

なぜなら、あまりに的外れなことを書くと笑いものになるし、
証拠もでているので、もう無視は出来ないからだ。
そして、ここを見ている人も知っているはずだ。


「真実は偉大だ。真実に勝るものはない」ということを。
なぜなら、「それは次の時代に大きく影響するからだ」

さあ、日本全国広しと言えど、武士はいないのか?
ここに、絶対にそれは違うと言うものがあれば書くがいい、


恐れ多いことだが、あえて書かせてもらう。
「歴史を、書き直すべき真実、がもうとっくに出ているのだ」と。
歴史学問のために。
949おバカさんへ:2005/11/21(月) 18:52:08
這い這い。
950日本@名無史さん:2005/11/21(月) 19:26:19
爺スレになっちゃったね
951日本@名無史さん:2005/11/22(火) 10:56:02

「閑話休題」

奇妙な儀式を一五八一年、天正九年七月十五日にした織田信長。

宣教師ルイス・フロイスによれば、盂蘭盆会にあたるこの日、日本の家々では、先祖の霊を供養するために、家々では迎え火が焚かれるとのことである。
しかし、織田信長は、なぜかそれを、ここ安土では、一切禁じたのである。

その夜、全てが闇になると、安土城天守閣、織田信長が神体であるとする総見寺の三重塔にはさまざまな提灯が吊るされた。
それにより天守閣と三重塔が夜の空に神秘的に浮かび上がったのである。

さらに、安土城天守閣から、キリスト教教会堂までの一キロほどの坂道の両側には、
松明を持った人々がずらりと並べられたのである。
天守閣から、信長はそのタイマツの明かりの中をゆっくりと歩き、宣教師ヴァリャーニたちの待つ教会へと行った。

この盂蘭盆会に行われた巨大な灯りの演出が何を意味するものであったのか?
それはよく解っていない。

952日本@名無史さん:2005/11/22(火) 11:12:43
「閑話休題」

○宣教師は安土城を「バベルの塔」と重ね合わせた。

不思議なことに宣教師ルイス・フロイスは、ある時期から信長を批判し始める。
ルイス・フロイスはある時期まで織田信長をキリスト教に対する保護者として信頼を置いていた。
それが、安土城や総見寺の完成あたりから、「悪魔」あるいは「神をも恐れぬもの」と言い始めるのである。

フロイスは安土城の天守閣をネブカドネザルの塔と例えたという。
ネブカドネザルは紀元前のバビロニアの王で天への挑戦としてバベルの塔を建設しようとし、失敗した人物である。

何ゆえに、フロイスが信長を批判し始めたのか?
フロイスが安土城で何を知ったのか?

織田信長は、何かフロイスの気に食わないことを言ったのだろうか?
それは歴史の謎のひとつである。
953日本@名無史さん:2005/11/22(火) 11:23:00
「閑話休題」

○織田信長は天下統一後、次のごとくすると周囲に語っていたと宣教師ルイス・フロイスは書く。

「毛利を平定し、日本六十六か国を支配したら、一大艦隊を編成し、中国を武力で征服しにゆく。日本はわが子たちに分ける」

この言葉が、本当であるかどうかは解らない。
しかし、このあとを継いだ豊臣秀吉が本気で、朝鮮、明国制圧のために海外出兵をしたのを考えると、
あながち無視するわけにもいかない。

何か、簡単に朝鮮や明国に勝てる信長の秘策のようなものを
酒の席で聞いていた可能性もあるからである。
954日本@名無史さん:2005/11/22(火) 12:22:15
つーか、とっとと結論言えよ。
955日本@名無史さん:2005/11/22(火) 21:46:27
閑話休題=無駄話はここまで

って意味なんですけど逆に使ってるでしょ?
956日本@名無史さん:2005/11/22(火) 23:17:40
○全て無駄話
957日本史@名無しさん:2005/11/24(木) 10:40:26


本能寺の変の真実は、すでに一九九七年前半に解明されている。
その答えは「朝廷説」、


ただ、それを証明するには少し歴史の専門知識と、予備知識が必要。
そこが厄介と言えば厄介なのだね。

たとえば、この人が、こう言い、こういう行動をしていると述べても、
その人に対しての予備知識、どんなに重要な立場、関係にあるかの認識がないと、
それがどういう重要な行動かがわからない。

その伏線をどうここに書こうか、、、、

なぜなら、織田信長と明智光秀の「本能寺の変」は
全て解明されているのである。

恐れ多いことだが、あえて言わせていただく。
「真実は、ひとつしかなく、それは百年たってもひとつだからだ」
958日本史@名無しさん:2005/11/24(木) 10:55:49

私は無駄とは思わないな。
なぜなら、「真実は偉大であり、真実は次の時代を創る」からだ。

そしてヨーロッパの言葉にあるごとく
「真理は時の娘である」からだ。
それは時が経てば、いやでも出てくる。
そして、いつの間にか周囲は知り、自分だけが知らないことになる。

問題なのは、その真実をきちんと知ろうとしないことだな。

「偉大な真実を、偉大として受け止めず、茶化してしまうことだ。それは歴史に対する侮辱にもなるだろう」

959日本史@名無しさん:2005/11/24(木) 11:17:35

○日本史2000年最大の謎、本能寺の変の真実○

○それは皇統譜最大の戦い。

NHKの「そのとき歴史は動いた!」は、
本能寺の変を「永遠の謎」と表現した。

しかし、本能寺の変はとっくに解明されているのだ!!

その答えは「朝廷説」

もはや、永遠の謎でもなんでもないことを、

もはや、唯一無二の真実は出ていることを、
この掲示板、このスレッドを見ている人々は知っている。

○真実は必ず「時の娘」として、いつか出てくることを。
960日本@名無史さん:2005/11/24(木) 13:05:50
とっくに解明されてるよ。光秀単独・衝動的犯行。

他の諸々の説の「証拠」とされるものは全て後世の捏造。
961日本@名無史さん:2005/11/24(木) 23:55:45
なぜかみんな

やたら改行

してるのはなぜ
962日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:31:35
関ヶ原スレの改行厨だろ。
963日本史@名無しさん:2005/11/25(金) 10:39:36

「真実を人々はどう見るか?」

幾多の説が「後世の捏造」と言うことは、ない。

なぜなら、真実は、当然ながら同時代の人々の証言の中にあるからだ。
ちとえば、明智光秀やその配下の兵たちが逃げた場所には、寺や山があるはずだ。
そこの僧侶やら、関係者たちの証言はどうだ? 捏造と言えるだろうか?

彼らは、何の関係もないとしたら? 
兵や将が言っていたことを
捏造
して残すだろうか?
964日本史@名無しさん:2005/11/25(金) 10:55:22
「真実を人々はどう見るか?」

たとえば、ここにあなただけが知る歴史の真実があるとする。

ところが、それは新しい権力者のために、話すことが出来ない。
しかし、どうしても後世のために、残しておく価値があるものだ。
それだけの「真実」である。
だが、自分の一生の間には話すことが出来ないだろう、と新権力者の威勢の前に思う。
あなたならどうする??
レオナルド・ダビンチは頭のいい方法を考えたという。
国王にささげられるような「国宝級の絵」に隠してしまうことだ。何かの暗号として。
それが「ダ・ビンチ・コード」であるという。

国宝の絵、重要な文化遺産。誰が傷つけることが出来よう。
だが、暗号や文書の隠し場所としてなら、、、どうだ。
最高の場所かもしれない。

それが日本にもあるとしたら、、、?

有名な京都の寺にある仏像、巻物、神社の秘宝、
じっくりと見たことがあるか?
明智光秀や将が隠れたとしたら、、、
そんな場所ではなかったのか?

嘘や偽りではない!! 日本にも本物のダ・ビンチコードがある。
真実は、本当に「一枚の絵の中にある」「ひとつの階段の中にある」、といって良いくらいだ。
965日本史@名無しさん:2005/11/25(金) 11:08:51
「真実を人々はどう見るか」

戦国という地獄よりも地獄だった時代、
人々は次々と死んでいく人間の命のはかなさに何を考えたのか?
そして、何をこの時代に求めたのか?

そして、織田信長はどうだったのか?


それが「本能寺の変」の謎を解く鍵だ。
966日本@名無史さん:2005/11/25(金) 13:23:20
>>963
> そこの僧侶やら、関係者たちの証言はどうだ? 捏造と言えるだろうか?
どーでもいい様な仏具とか茶器とかに箔をつけるために、
「昔、○○軍の○○という武将がここに落ち延びてきた。匿ってあげたら
 お礼にと置いていってくれたのがこの○○である」
みたいな逸話をでっち上げるのは普通に行なわれている。

「明智軍の落ち武者の首を取ってきますた」と届け出てちょっとした小遣い稼ぎ
をするために関係ないゴロツキや浮人などを殺したりもしたらしいし。


日本全国に(自称)平家の落人部落があったり、平泉から落ち延びた義経の
立寄った土地・所縁の品々があったりするのだから、同様に「明智家所縁の」
捏造品が山の様に出てきても不思議はない。
967日本@名無史さん:2005/11/25(金) 14:08:18
967
968日本@名無史さん:2005/11/25(金) 20:42:48
「真実は〜に!」「カギはあーだこーだ!」
結論はなし

う        ん        ざ        り
969日本史@名無しさん:2005/11/26(土) 10:34:07
>>966

だから、そういう偽物を見抜くために同時代の資料や証人などがあるのです。
偽物は鑑定家によれば、「ずくに分かる」のだそうです。大将の持ち物、鎧とかは部下とは出来が違うそうだ。


こういう話がある。父の富豪が買って一生大事にしていた骨董品を、
息子の代になって、何々鑑定団という番組に出した。結果、偽物だった。
偽物を一生大事にしていたのだ。
本物を見抜けないものは偽物に子供が泣く。

「階段」−ほら、もう真実に気づくものが出ている。真実は、言われなくとも出てくる。


○本物を、真実を見抜け。真実を見抜けるものが、
次の歴史を造った「真実」に気づく。
970日本史@名無しさん:2005/11/26(土) 10:47:36
>>969
真実はもう出ているだろう。
本能寺の変の答えは「朝廷説」。それ以外の「真実」は歴史にない。
なぜなら、歴史の「真実」は「ひとつ」しかなく、
それ、「朝廷説」こそが唯一無二の答えだからだ。

その仮定で、今まで出ているいくつかの証拠、本能寺前後の事件を見てごらん。
いままで気づかなかった、幾多のことに気づくから、、、。


まさに歴史の真実への証明は古典的茶器の名品の鑑定に似ていると思うことがあるな。
これが数千万円のだれそれの使った歴史上の名品だよと目の前に出しているのに、
よく見えない、まさか、という感じだな。


しかし、頭のいい奴、悪知恵の働くものはもう見抜いているかも知れないな。
知らん振りして、十年後、十五年後、
自分が発見しましたと話題作、ベストセラーでも出して一儲けするつもりかもしれないな。

そういうのを見抜くのも君の鑑定眼の出来次第だね。



971日本史@名無しさん:2005/11/26(土) 10:55:57

○日本史2000年最大の謎、本能寺の変の真実○


真実の証拠は国宝級の絵、文献の中に隠されている。

なぜなら、戦国の権力者、覇者が手を出せない、気づかない唯一のものであり、
立場の弱い者たちにとっては、こっそりと証拠を残しやすい物だから、、、
972日本史@名無しさん:2005/11/26(土) 11:08:31

歴史の偉大な真実に気づいたものは、他のものは何も見えなくなる。
そして、他のものは皆、ばかばかしいと思えるようになる。

過去の歴史上の人々の、本当の偉大さも少し分かるようになる。

それが真実の偉大さだ。

これは、嘘偽りのない本当の話だ。
調べるんだ、、、、
973日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:41:26
化石乙
974日本@名無史さん:2005/11/26(土) 23:48:53
信長って日本人じゃないだろ。光秀も60近いおじいちゃんで、なにができるの?全部徳川の造り話です。
975日本@名無史さん:2005/11/27(日) 00:58:03
そうなんだよなー個人的には50半ばの中年おじさんが
何を思ったのか娘の事も家の事も何も考えずに
謀反をするとは中々思えないんだよな。

松永久秀にとりつかれてなきゃやらんよ。
976日本@名無史さん:2005/11/27(日) 01:17:09
まさかそこから常識を覆すのかよw
977日本@名無史さん:2005/11/27(日) 10:51:13
朝廷黒幕説なら、朝廷が何故”綸旨”などを発して
光秀を支援しなかったのかという疑問点があるんだけど。

光秀を教唆しただけなら黒幕とは言わないよね。
源頼朝の挙兵の黒幕は文覚上人とは言わないわな。

978日本@名無史さん:2005/11/27(日) 11:35:38
頼朝の黒幕は後白河院で、尊氏の黒幕は光厳院
とでも言うんだろうな
979日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:23:23
鎌倉幕府も室町幕府も徳川幕府も明治政府の作り話しでした。
980日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:57:19
ちなみに光秀(当時の55歳くらい)は、いつ死んでもおかしくない年齢。
実際に本能寺攻めを指揮したのは、斎藤利三と明智秀満。
この事実を抜きにしてはいけないと思う。
981日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:56:25
確か光秀ってあまり身体が丈夫ではなかったらしいよね。
982日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:04:20
最後に、生き残った家康(徳川家)が、すべての罪を光秀の仕業にでっちあげた。
   
983日本@名無史さん:2005/11/27(日) 22:54:25
いちばんつまらん推理だ
984日本史@名無しさん:2005/11/28(月) 10:28:07
>>977「綸旨」これはよく言われることだが、
○正解は信長の遺体、首が発見されず、また織田本軍、家臣団の大軍が健在だったから。
まだ信長が生きているかもと言うことで、形勢見に慎重にならざるを得なかった。
あるいは密勅は出ていたかもしれない。安土に吉田兼見が使者としていって何か渡している。しかし、光秀の配慮で発表を控えたようだ。
○この前に南北朝の長い騒乱の歴史があったこと。応仁の乱のときは南北朝の帝とか宮を持ち出して対決しているので、また南朝でも持ち出されてはと慎重になった。
○変後に吉田兼見を初めとして朝廷側の日記が書き直されたり、散逸していること。なぜ、そんなことになっているのかは調停の関係する何かの文書、儀式があったとしか思えない。
○現在の事件で「殺人教唆」って、殺人実行犯より上になることがあるよ。
光秀はあの時点で天下間近の信長に楯突く必要は全くなかった。疑いをかけられたら妻や子供全てを人質に出す。信長から養子をもらうなど、いろんな手がある。
ほとんど天下の決まった信長についている以上食うには困らない。
985日本史@名無しさん:2005/11/28(月) 10:39:43
984の続き○何故こんなことがいえるのかというと、もう「綸旨」以上の証拠が出ているからだ。
たとえば、光秀にとっては別にたいしたことではないが、朝廷には大変な恐怖的問題になる、なんて事物があるとしたら?
たてえば「ひとつの階段」とか、、、、
○「五十五歳」
光秀があの時点で本当に五十五歳だったかは解らない。
これは光秀辞世の漢詩が元になっているが、じつはあの漢詩は暗号であると言う説がある。
逆順無二門、
大道徹心源、
五十五年夢、
覚来帰一元。
これを縦にではなく横に読む。すると「逆と大きく五を覚えた」とも読めるわけだ。
では「五」は何を示すかというと、、、、、そこにひとつの答えが出てくるわけだ。
「一元」と関係あるような、、、、ね。
986日本史@名無しさん:2005/11/28(月) 10:56:16

戦国という地獄よりも地獄だった時代、、、
多くの人の命が、塵のようにはかなく消え去っていった時代、
人々は何を考えていたのか、、、

地獄だからこそ、より強大な鬼として生きねばならぬと考えた男と、、、
地獄だからこそ、より人間らしく生きようと考えた男と、、、、


そして、天正十年六月二日、京都本能寺、、、
織田信長と明智光秀の運命の時刻が来た、、、、。
987日本@名無史さん:2005/11/28(月) 10:59:06
だからその句は越後騒動での小栗美作の辞世の句の盗作でしょう。
988日本史@名無しさん:2005/11/28(月) 11:10:02

○日本史2000年最大の謎、本能寺の変の真実○

○それは皇統譜最大の戦い。


羽柴秀吉の軍、奇跡の中国からの大返し、

それは決して偶然ではなかった!!
989日本@名無史さん:2005/11/28(月) 12:20:51
>>971
> なぜなら、戦国の権力者、覇者が手を出せない、気づかない唯一のものであり、
延暦寺丸ごと焼き捨てる信長クラスなら楽勝で手を出せますが。

> 立場の弱い者たちにとっては、こっそりと証拠を残しやすい物だから、、、
「立場の弱い者が」容易に何かを書き残せる代物ならば、後の時代に誰かが
勝手に書き込んだ捏造記録の可能性が大いにあるな。

>>984
> ほとんど天下の決まった信長についている以上食うには困らない。
現に、三方ヶ原や長島一向一揆鎮圧などで大功ある佐久間信盛が本願寺攻めが
遅々として進まないというだけで追放されたり、執務官として長年織田家を
支えてきた林通勝を二十年以上前の信行擁立を理由に追放されたりしている。

「信長についている」者は、用済みになったらいつ追放され路頭に迷うかわからない。
990日本@名無史さん:2005/11/28(月) 18:46:38
おまえはひつようねといわれました。
991日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:19:17
光秀の謀反は、朝廷からの「脳内勅命」と「精神的疲労」の合わせ技と
考えて間違いないでしょう。所謂、憂国病です。

で、秀吉が光秀を討ち破った後に、やっと朝廷の存在が見え隠れ
してくるわけですが、これは「朝廷の暗躍」と言うより「秀吉の朝廷工作」です。
俗に言う「位攻め」ですね。

これら一連の動きを、ひとまとめにして「朝廷黒幕説」と言う人もいますが、
んーー。黒幕説と言うより要因説……のような気がする、初冬の夜かな。
992日本@名無史さん:2005/11/28(月) 23:23:15
最近の研究では本能寺の真相は光秀による黒人開放運動らしいよ。
弥助が鍵を握ってると俺は思うね。
993日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:02:07
warota
994日本@名無史さん
弥助かよ!
そういや信長の大河では弥助は生きていたが
秀吉の大河では見事殺されて棚。