なぜ明治時代になるといきなりチビが増えたのか?

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1 
なんでだ?
江戸時代とか180cm越える武将がゴロゴロいたじゃん。
徳川吉宗やら宮本武蔵やら武田信玄もそうか?
とにかくでかいやつ多かったじゃん。
つーか確かにいたじゃん。
それなのになんで明治時代になると急に平均身長150cmとかになってんの?
江戸時代は平均160cmはあったのに。
どういうこと??
おかしくねえか?それと室町やら平安時代の平均身長ってどうだったの?
2日本@名無史さん:04/04/25 15:42
2
3日本@名無史さん:04/04/25 15:58
信玄の身長132cm
武蔵125cm
4日本@名無史さん:04/04/25 16:19
>>3
大嘘つくなボケ
5日本@名無史さん:04/04/25 18:03
なんでだあああああああああああああああああああああ
6日本@名無史さん:04/04/25 18:23
間引きで3000万に安定していた人口が、
明治以降の富国強兵政策で7000万以上へ増加していったからです。
7日本@名無史さん:04/04/25 18:33
>>1
は? 江戸時代の平均160cm?
そんなにないよ。
戦国時代でもせいぜい156〜159程度と推測されてて、
江戸時代が下るに従ってさらに平均身長は下がり幕末〜明治あたりが日本の一番身長が低かった時期とされてる。

室町とか平安でも日本人の平均身長は155〜160程度。
ちなみに現代人の身長が突出しているのは
優れた栄養状態と栄養学。椅子など西洋式の生活習慣からだ。
昔なんてのは肉食も今程なく乳製品の摂取に至ってはほとんどなし。
さらに米が万能の食品とされていて病人や離乳期の過ぎた乳幼児に水のように薄めたお粥ばかり飲ませてたなど
相当、問題のある事をしていたからね。
8日本@名無史さん:04/04/25 18:38
>>1
維新にもデカブツはゴロゴロいたし、
江戸時代にも綱吉とかチビはゴロゴロいたが。
9日本@名無史さん:04/04/25 18:56
>>7
穀物をたくさん食べるのは人間にとって自然だよ。
肉食は穀物が一定に採れない地域のいわば代用品。

10日本@名無史さん:04/04/25 19:07
>>9
7さんもそのような事を行っているのだと思うが?
江戸時代は寒冷期だったので人口当たりの収穫量が減ったとかもある。
11日本@名無史さん:04/04/25 19:23
>>3 ちっちゃ!!
12日本@名無史さん:04/04/25 19:25
>>11
彼らが子供の時の身長だよ。
13日本@名無史さん:04/04/25 21:39
>>7
江戸時代の平均は160cmだっつーのバカ!!!!!!!!!
ソースはテレビ東京のトホホ偉人伝だ!
だから間違いないの!!!!
ソースも示さずに勝手なこといってんじゃねえよボケ!!!!!!!!!
14日本@名無史さん:04/04/25 21:40
しかも>>7って江戸時代の平均否定してるだけで
>>1の質問まるで無視してるしw
アホかッつーのこのチンコ!
15日本@名無史さん:04/04/25 21:43
>>8
そんなことはわかってるよ
なんで平均が一気に10cmも下がったのか聞いてるんだろ。
>>12
そんな意味の無いことするなよ
16日本@名無史さん:04/04/25 22:02
天保、天明の大飢饉で日本人の栄養状態が
極端に悪くなった影響て聞いたことがある。
17日本@名無史さん:04/04/26 07:06
縮んだ頃、お相撲サンも縮んだの?
18日本@名無史さん:04/04/26 08:42
10cmも縮んでないよ。
幕末〜維新でも平均身長は156cm程度だ。
それで江戸時代の平均身長160cmというのが本当なら4cmしか縮んでない。
しかも一気に縮んだわけではなく、段階的に縮んだんだろう。
原因は当時の日本が寒冷期だったからだろうね。

あとテレビ番組の平均身長160cmなんてアバウトに言っただけなんじゃないかな。
19日本@名無史さん:04/04/26 12:03
>>18
( ´,_ゝ`)プッ
ソース一つも示さないてめえのほうがよっぽどアバウトだろw
20日本@名無史さん:04/04/26 12:55
江戸時代以前は食料に困った場合は強奪したほうが有利になる。
よって体の大きい者が勝ち残ったんじゃないか。
江戸時代になると平和だが食料は増えないし飢饉になる。
すると今度は強奪するわけに行かないので、体か小さい方が有利になり、
縮んだと考えられる。
一定量の食料を生産できる農民の場合、小さい人間を生んだほうが
頭数が増えるためにより繁殖できるし。
21日本@名無史さん:04/04/26 16:19
平均値がいきなり下がったのは、日韓併合以降だろ。
数百年間食うや食わずだったチョンが1300万人も勘定に加わったら、そりゃ突然縮むわな。
22日本@名無史さん:04/04/26 16:33
>>13
>>ソースはテレビ東京のトホホ偉人伝だ!

なさけないソースだな監修は誰なんだ。
23日本@名無史さん:04/04/26 17:01
鎌倉時代は164cmくらいあったでしょ。
それに明治の元勲はデカイ人多いよ。
24日本@名無史さん:04/04/26 17:11
>>23
例えば誰ですか。
25日本@名無史さん:04/04/26 17:24
西郷、大久保、竜馬はそれぞれ180センチくらいあったという
まあ、薩摩や土佐では動物性蛋白質を十分に取ってるからな。
26日本@名無史さん:04/04/26 18:35
>>22
おれもその番組みたけど豊臣秀吉150cmだって。
まあ歴史に関する番組だからきちんと調べてるだろ。
信用してもいいんじゃないか?
27日本@名無史さん:04/04/26 20:34
>>23
坂本竜馬 175cm
西郷隆盛 178cm
大隈重信 180cm
大久保利通 185cm
山本権兵衛 190cm
28日本@名無史さん:04/04/26 20:44
吉宗はあくまで例外的存在であれを江戸時代の人が長身だった例にされてもね。
いざと言うとき御徒士が将軍と同じ衣装で周りを囲んで、
本物が誰かわからないようにして逃げるんだけど、
吉宗は背が高すぎて無意味だったとか読んだことがありますけど。
29日本@名無史さん:04/04/26 21:57
30日本@名無史さん:04/04/26 22:04
>>29
ソースのソースが必要なサイトですな。
31日本@名無史さん:04/04/26 22:17
32日本@名無史さん:04/04/26 22:25
オランダ人の平均身長180cmって・・・
こんな化け物どもにスポーツや格闘技でかなわないわけだな。

もっとも近代戦では体が大きいと弾丸に当たりやすく不利なだけらしいが。
33日本@名無史さん:04/04/26 22:27
>>32
伏射体勢だと頭のでかい奴が当たりやすいとか(w
34日本@名無史さん:04/04/26 23:43
>>31
そのソースみると、近代になって日本人だけじゃなくて
欧米人も急激に伸びたんだなあ。

フランス人のフランス革命時の身長も150センチ台だったって
どっかでみた気がする。
35日本@名無史さん:04/04/26 23:48
余裕で兵役通る身長の奴等がコンスタントに死んだから。
36日本@名無史さん:04/04/27 00:00
日本史スレには身長コンプレックスの奴がいるようだけど。
ヨーロッパとか旅行いけばいいのに。
37日本@名無史さん:04/04/27 00:13
>>28
いや、トホホ偉人伝で見たけど江戸時代の武将は長身ばっかりだったらしい。
だから秀吉がチビなのは余計目立ったとか
38日本@名無史さん:04/04/27 00:16
>>37
江戸時代の武将って誰ですか?
39日本@名無史さん:04/04/27 00:19
>>1もそうだけど
戦国時代と江戸時代がごっちゃになってないか?
40日本@名無史さん:04/04/27 00:21
明治以前の歴史はすべて江戸時代だと思っている人がいるみたい。
小学生かなぁ?
41日本@名無史さん:04/04/27 00:24
ソースというか興味を持ったのが、トホホ偉人伝?なんじゃそりゃ。
42日本@名無史さん:04/04/27 01:30
トホホなスレだね
43日本@名無史さん:04/04/27 01:32
つーか、武田信玄はチビだったぞ。
それに徳川将軍家も吉宗以外はチビで
綱吉に至っては124cmの小人症男だったんだが。
44日本@名無史さん:04/04/27 01:36
武田信玄は152p。
45日本@名無史さん:04/04/27 01:42
>>44
なるほど
それで156cmの上杉謙信が
「大柄」と言われてたわけか。
46日本@名無史さん:04/04/27 01:47
ちなみに武田信玄配下の猛将、山県昌景は
わずか134cmしかなかったという。
山県から見れば信玄も大柄だろう。
47日本@名無史さん:04/04/27 02:00
戦国時代の平均身長ってどれくらい?
48日本@名無史さん:04/04/27 03:31
>>47
156〜159くらい。
49日本@名無史さん :04/04/27 04:23
明治になってチビが増えたわけじゃない
増えたのは、戦中戦後の近親婚が原因。
50日本@名無史さん:04/04/27 05:09
前田慶次って でかかったの?
51日本@名無史さん:04/04/27 06:21
>>50
残ってるヨロイからすると
せいぜい170cm程度。
それでも当時としてはかなり大柄だが。
5250:04/04/27 07:29
>>51
ありがとうございました。
53日本@名無史さん:04/04/27 07:51
江戸時代の武将が長身だから日本人が長身だったわけではない。
士族と庶民では10cm近く差があったらしい。
ちょうど英国の貴族のようなものだ。
江戸時代の諸侯の外見の特徴は、長身、面長、鼻が高く大きなくぼんだ目。
54日本@名無史さん:04/04/27 07:52
山下雄一って何センチくらいあったんですか?
55日本@名無史さん:04/04/27 18:17
>>53
江戸時代は農民の割合が95%だからね。
しかも富農はごくわずかだし、
残りの5%も武士の割合はそんなに高くあるまい。
商人や職人の当主とその家族は結構いい暮らしもしてたろうが
丁稚や使用人まではそんなに栄養状態も良くなかったと思う。
あと公家は貧しいうえに食生活が上品なので逆に小柄だったらしい。
武士に関してもどうだろう?
江戸時代中期以降は下層中層の武士の生活苦の話しはよく聞くがな。
56日本@名無史さん:04/04/27 19:44
スレ違いだけど、
農民=百姓というのは間違いで
百姓ってのは農民だけじゃなくて漁民やら山民やらも含んでいた。
よってその農民の割合95%とかってのは間違いだって
網野氏が主張してたと思ったんだけど、結局その説ってどうなったんだ?
57日本@名無史さん:04/04/27 21:31
>>43
武田はでけえよバカwwwwwwww
58日本@名無史さん:04/04/28 13:47
大体戦国時代なら155cmもあれば長身だよ(徳川家康や伊達政宗は159cmもある)。
だから体格という点でいけば藤堂高虎(6尺2寸)などはもう存在自体ネタだな。
5代将軍綱吉は124cm、皇女和宮は144cm、山県左衛門尉は134cmだが立派な成人だ。
ピグミーは133cmが平均だが、病的でもなんでもなく彼らにはこれが普通の体格。
第二次大戦後世界的に体格は良くなったが、日本人は特に大きくなった(顔立ちもかわった)。
だから現代の日本人はなかなか元来の日本人の体格を把握しにくいんだよ。
59日本@名無史さん:04/04/28 14:15
乃木希典 169cm
明治大帝 171cm
福沢諭吉 173cm
60日本@名無史さん:04/04/28 14:29
聖徳太子180cm、徳川家康・徳川秀忠・伊達正宗159cm、藤堂高虎188cm、
前田慶次郎・前田利家175cm、中村半次郎177cm、西郷隆盛178cm・110kg、
織田信長167cm、高杉晋作152cm、福沢諭吉173cm・67kg、大久保利通178cm、
土方歳三167cm、近藤勇164cm、金田一耕助163cm・52kg、神津恭介169cm・60kg、
山岡鉄舟190cm・90kg、源義経146cm、坂本竜馬176cm、東條英機163cm・57kg
61日本@名無史さん:04/04/28 18:15
>>57
そんなソースはないよ。
それと武田信玄の例の有名な肖像も実は別人(畠山義続)で
別のやや弱々しい姿の肖像の方が本物の信玄というのが正しいらしいよ。
62日本@名無史さん :04/04/28 19:35
>>60
>金田一耕助163cm・52kg、神津恭介169cm・60k
???
63日本@名無史さん:04/04/29 15:10
>>58
んなわけねーだろうがw
綱吉がどんだけ小人扱いされて馬鹿にされたとおもってんだよwwwww
大体、宮本武蔵はどうなるんだよ
普通に大男じゃねーか
64日本@名無史さん:04/04/29 16:24
徳川幕府の歴代将軍の位牌は身長と同じサイズで製作されている。
綱吉が異様にチビだというのも、位牌で分かった事実。
65日本@名無史さん:04/04/29 16:27
西郷隆盛142cm
66日本@名無史さん:04/04/29 16:36
>>43->>63
どこぞのネコ型ロボットより低いんですけど(w
67日本@名無史さん:04/04/29 17:20
>>65
適当なこというなハゲ
68日本@名無史さん:04/04/29 17:28
>>55
武士と町人合わせて5%しかいないってはじめて聞いたな。
ソースは?
69日本@名無史さん:04/04/29 19:53
ちなみに吉宗がデカブツであったという話しも疑われてる。
70日本@名無史さん:04/04/29 19:59
俺の聞いたとこでは
武士10%、農民80%、町人その他10%だ。
しかし武士の中では薩摩、土佐などには普段、農業に従事している者もいるし。
町人その他の中にも農民からの奉公者も多い。
あと漁民とか狩人(被差別民か)はどこに入るんだろう。
まあ実質90%くらいは第一次産業に属していたと思うが。
71日本@名無史さん:04/04/29 20:04
>>70
>>57の説が正しいなら
百姓に入るんじゃないか?
百姓80%くらいでそんなかに漁民とかが入ると。
72日本@名無史さん:04/04/29 20:39
>>60
それマジ!?;;聖徳太子180ってι
というか桂小五郎は何a?
73日本@名無史さん:04/04/29 20:43
>>72
桂は女装が出来るくらいの背丈
74日本@名無史さん:04/04/29 20:52
聖徳太子は伝説的人物でいろいろ胡散臭い聖人話しがいっぱいあるのであまり信用しない方がよろしいかと・・・
そもそも実在そのものが疑われてるんだし。
75日本@名無史さん:04/04/29 21:15
江戸になって小さくなったというのは
寒冷期というものの他に
それまで玄米食っていたのが栄養そぎ落とした白米に
変わったというのもあるんじゃないですか
76日本@名無史さん:04/04/29 21:33
≫1徳川吉宗とか武田信玄とかでかいのに何故明治なってから平均身長が小さく
なったのかって・・・おい、いいモンいっぱい食ってる武将とかとあんま食えなかった
庶民を一緒にするなよ!
77日本@名無史さん:04/04/29 21:34
あと時代が進むと
野蛮とされる肉食とかが少なくなったのかもね。
百姓も停滞し
武士も一汁一菜といった粗食が奨励された。
一部の商人は贅沢な遊びをしたようだが。
78日本@名無史さん:04/04/29 22:03
桂は142cmくらい。でも座高は高かった。
79日本@名無史さん:04/04/30 03:12
江戸時代の平均身長は130とかきいた

なんか江戸時代だけ低いらしい
平和だから?
80日本@名無史さん :04/04/30 03:31
でかい奴は、真っ先に徴兵され戦地に赴く
必然的に、でかい奴は死ぬ確率が高くなり平均身長は低くなる。
81日本@名無史さん:04/04/30 03:33
>>79
低すぎ・・・どんな資料だ?
>>29
の資料とかが一番信憑性高いだろ
82日本@名無史さん:04/04/30 15:47
>>78義経より小せぇ(w
83日本@名無史さん:04/04/30 18:53
>>79
それだったら綱吉すら「少し小柄」程度だろうが。

>>63
「んなわけない」って事もないだろ。
歴史上の人物って言っても総数はごまんといるんだから
小人症の人物のひとりやふたりくらい
いても不自然ではない。
84日本@名無史さん:04/04/30 19:00
巨人症とか
異常な長寿とかは
ごろごろいるが。
85日本@名無史さん:04/04/30 19:03
やはり長身名大韓の人への嫉妬のあまり明治以前はてきとーこいて
誤魔化してたがその後全国平均が明らかになるにつれその虚構が暴かれたのが原因に違いない
今のウヨクが大韓を差別しているのも強烈なコンプレックスのためなんだろうし
86日本@名無史さん:04/04/30 19:12
チョンが日本史板に何の用だ?
寝言しか書けないなら、口が臭いからチョン半島から出てくるな
87日本@名無史さん:04/04/30 19:17
http://www008.upp.so-net.ne.jp/edonokai/yorozu/yorozu-kemono1.htm
分かった江戸時代身長が低いのは肉食わなくなったせいだ。
88日本@名無史さん:04/05/02 09:06
age
89日本@名無史さん:04/05/03 20:15
h
90日本@名無史さん:04/05/03 20:43
丸山 権太左衛門 寛延2年 197cm
谷風 梶之助 寛政元年 189cm
大砲 万右衛門 明治34年 197cm
双羽黒 光司 昭和61年 199cm
男女ノ川 登三 昭和11年 197cm
91ツバキ:04/05/04 09:56
明治を造ったのは伊藤博文、勝海舟他みんな貧乏サムライの出身だった。子供の時
ろくなもの食っていなかった。そういうたぐいの人が新しい日本を造った。貧乏って
新しいものを生むんです。
92658:04/05/05 16:58
もうこのスレも終了か?
93日本@名無史さん:04/05/05 21:13
DNA的に波があるというのはどうだ?
94日本@名無史さん:04/05/06 20:03
昔の人は顔が薄いと思ってた。
最近明治時代の偉人の写真見て思ったことは
もしかして、顔が濃くない?薩摩だから?
津田梅子かわいくみえるよ。
でも背はちっさいよーー。

95日本@名無史さん:04/05/06 21:10

昔の人の顔が濃く見えるのは白黒写真のせいかもね。
しかも古くてぼんやりしてるから特に目鼻立ちがくっきりするし。
96日本@名無史さん:04/05/07 05:47
日露戦争の時。
両軍兵士の平均身長は?
97日本@名無史さん:04/05/07 05:52
>>94
修正された 写真も多かったみたい。

http://members.aol.com/tennenmario/photo.htm
画像ソフトで拡大してみよう!
98日本@名無史さん:04/05/07 06:56
日本人は昔から倭と呼ばれるように小さかった。
日本人の身長が伸び出したのは高度経済成長で育った世代から。
だから年配者ほど小さい人が多い。
韓国男性の若者の平均身長が174位あるというからやはり日本人の遺伝子は小さくなるように出来ている。
99日本@名無史さん:04/05/07 07:06
魚ばっかり食べえてるからだろ
成長ホルモンが注射された牛肉をもっとたくさん食べろ
100日本@名無史さん:04/05/07 21:11
>>99
アメポチ必死だなw
101日本@名無史さん:04/05/08 03:24
>>97
久し振りに見ちゃった…ヽ(`Д´)ノ
102日本@名無史さん:04/05/08 10:58
>>97
何それ?!;;
103日本@名無史さん:04/05/09 03:15
日本の土壌ってカルシウムが少ないと聞いたことはあるな。
雨が多くて流れ出しちゃったんだっけ?
104日本@名無史さん:04/06/18 00:07
105日本@名無史さん:04/06/18 00:22
>>98
2センチくらいしか変わらんのだけど
106日本@名無史さん:04/06/18 00:25
アジアの中ではトップクラスなんだけどな
107日本@名無史さん:04/07/25 01:48
108日本@名無史さん:04/07/26 19:37
俺180cmなんだけど、ほとんどの歴史上の人物より優秀な遺伝子を受け継いだ
ってことでよろしいよね。
109日本@名無史さん:04/09/02 23:41
110日本@名無史さん:04/09/03 00:01
ウチの家系は代が下るごとに小さくなってるけどね
111日本@名無史さん:04/09/03 00:38
鎌倉時代はでかかったらしいね。
室町・戦国・江戸と農民の生活がきつくなっていったのが原因では?
一揆や打ちこわしなんかも室町以降に多いよね。

現代人は身長も伸びたが顔のでかさはそのままだなぁ
アジアで一番と言われてもピンとこない。
バランス悪いよ日本人は
112日本@名無史さん:04/09/03 00:42
日本人は世界で三番目に醜い種族だと聞いたことがあるが…
113日本@名無史さん:04/09/03 00:45
1番と2番が気になるな
114アルフォンソ拳王 ◆BGzm7IVbE6 :04/09/13 19:58:40
http://www.google.co.jp/search?q=cache:NEKEZLhsgSQJ:www.edo-tokyo-museum.or.jp/about/shisetsu/library/reference/ans16.html+%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%80%E5%B0%86%E8%BB%8D%E3%80%8
0%E8%BA%AB%E9%95%B7&hl=ja

江戸時代の男女の平均身長は?(2004年7月)
江戸時代の人の身長は、墓地などから発掘された人骨(おもに大腿骨)
の長さから推定されています。推定身長を出すための計算式や、サンプ
ルの採り方などで若干の差はありますが、おおむね“男性155〜158cm”
“女性143〜146cm”の範囲内におさまるようです。

(1)『骨は語る 将軍・大名家の人々』(鈴木尚著,東京大学出版会,
4694/1/89)には“男性157.11cm”“女性145.62cm”とあります。(
*徳川将軍とその正室・側室や、江戸時代の大名の推定身長なども載
っています。)

(2)『日本人のからだ』(鈴木隆雄著,朝倉書店,4911/3/96)では
“男性155.09〜156.49cm,女性143.03〜144.77cm(江戸時代前期〜後期)”。

(3)「江戸時代の身長と棺の大きさ」(平本嘉助『江戸時代の墓と葬制
江戸遺跡研究会第9回大会発表要旨』江戸遺跡研究会,2102/115/9)で
は江戸庶民の平均が“男性155〜157cm,女性143〜145cm(江戸時代前期
〜後期)”“将軍・大名(男性)の平均が157cm”“正室・側室(女性)
が145cm”で階級による大きな身長差はなかった、と推察しています。

 現在の日本人の体型と比べるとだいぶ小柄だったといえますが、
すべての人が小柄だったわけではなく、身長2mを越す大男もいました。
文政期の看板力士“大空武左衛門”や天保期の看板力士“生月鯨太左
衛門”は身の丈7尺5寸(約227cm)もあったと言われています。(『古
今大相撲力士事典』(景山忠弘・小池謙一著,国書刊行会,7881/10/89)
参考)


改行がふしぜんで失礼^^;
115アルフォンソ拳王 ◆BGzm7IVbE6 :04/09/13 20:02:22
あと、今回は探せなかったが「江戸将軍家も、2代目秀忠までは
戦国武将的な体格・顔相を残していたが、中期以降になると細面
で華奢になっていく」というのを栄養関係かなにかのページで読
みました。。

これは江戸中期に向かって上級武士の生活や食事習慣が貴族的に
なったためだそうです。
116日本@名無史さん:04/09/13 20:24:24
本とか嘘か、出典も忘れたけど、江戸時代の鎖国が理由
というの読んだことある。

外国と自由に行き来できず、刺激もない。
気持ちがうちへうちへとこもり、ちいさくこじんまり、せこせこと。
117もんもん:04/09/14 00:01:56
日本人はチビになるべくしてなったのさ
こんな高温多湿な気候じゃ大きくなれない
118もんもん:04/09/14 00:40:55
江戸時代〜戦前までは極端にチビだった
なぜかというと仏教を強要してたから
獣肉はご法度だからね
良質な動物タンパクが不足するから大きな体躯は維持できない
明治になって表向き信教の自由を認めたが急に食生活は変わらないし
戦時体制になっていったので食糧難となった
変わりはじめたのは占領体制で西洋の食習慣がドッと入ってきた50年代
頃から
それでも現在が限界 なぜかというと日本のような高温多湿な気候では体躯
は大きくならない宿命にある(ベルクマンの法則・アレンの法則)
ベルクマンの法則は数百年では出現しませんぞ
ごめんm(_ _)m

なにももんもん殿は、短いスパンで平均身長が下がったことのお話ではして
らっしゃらないですね・・・

それに同じ土地においても確か、栄養状態や気候のせいでおおはばに住民の
体格が縮小したと言う話もあります、、、たとえばアイルランドなど。
121もんもん:04/09/14 20:28:10
>>120
そうそう 日本人がチビなのは数千年にわたってこの糞暑い海洋性気候
の島にへばり付いて生きてきたからだって言いたかったわけよ

で お題の明治時代なんだけど あるふぉんん拳王殿も指摘してる通り
江戸時代とそう変わらん
つまり 江戸時代〜戦前まではチビの中のチビ 極チビ時代だったわけ
それは仏教の影響だって言いたいわけ
それと耕地面積が小さいので島国の食料調達の難しさは人口増につれ深刻
になるよね

栄養状態といえば最近の北朝鮮の子供は韓国より小さいんだって
本来北に行くほど大柄になるはずなのによ
122日本@名無史さん:04/09/14 20:34:32
韓国が平均173で北はそれより10センチくらい低かったはず。
123日本@名無史さん:04/09/14 20:55:57
明治時代って貧しい時代だったらしいぞ。
だからたぶん栄養状態が悪いんだよ。
江戸時代は文化が華開いた時代だけど、これは豊かだから。
逆に明治は文化といえるようなものをほとんど生んでいない。これは貧しいから。
124日本@名無史さん:04/09/14 20:59:04
モンゴル人は大きいのか
肉や乳製品を多く摂取しているイメージがあるが
125日本@名無史さん:04/09/15 01:27:40
ここは
「昔の日本人って凄くチビだったんでしょ? 」
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1043404290/l50
で論破されたものが集うスレですか?
126日本@名無史さん:04/09/15 02:25:34
結論:
江戸期が特別に「(食糧事情由来の)短躯の時代」だったのであって
現在はその制限のない、「島国としての本来の身長の時代」だってこったね。

あと、>>1における「江戸期に特にでかいやつが多い」のは一部の者に限った事であって、
日本人全体についてこれを言ってるわけじゃないので誤解が含まれてると。
127もんもん:04/09/15 23:56:30
>>126
しょうゆーこと
中国でも香港や広東などの南部は日本人よりチビで 長江以北ではその逆
バスケのナショナルチームで活躍してる奴らの多くは上海以北の出身だ

台湾の18才男子平均身長が170cmだそうだから日本が1cm勝った!

台湾は近世以後に大陸からの移民が相当居るのでその分嵩上げされてると
見た方がよい
だからあと1000年もすれば大陸出身の末裔たちはベルクマンの法則により
亜熱帯の気候に適応して行き現在よりもっとチビになっていくことだろう
今はかろうじて日本といい勝負 ってゆーかドングリの背比べが出来るのも
大陸出身の外省人のおかげである

128もんもん:04/09/16 00:21:46
>>123
馬鹿言っちゃだめだ
樋口一葉は明日の食事にも窮する借金生活だったが立派な作品書いたぞ
文化水準の問題じゃないだろう
江戸時代が食料事情豊かなのは一部の人たちだけ そいつらだって仏教のせいで
獣肉は食えなかった
129月に吠える:04/09/16 01:34:47
>>128
> そいつらだって仏教のせいで獣肉は食えなかった

無知な「もんもん」に知識の光を投げかけてやろう。。。

(引用始め)
江戸で獣店(けものだな)、ももんじ屋などと呼ばれた獣肉店が
繁盛するようになった。
〈ももんじ〉は江戸時代にイノシシ、シカ、タヌキなどの野獣を
総称した語で、そうした野獣・野鳥の肉を売り、あるいは食べ
させた店を〈ももんじ屋〉といった。江戸には寛文(1661‐73)
ころから鵬町五丁目、のち同所に隣接する平河町にそうした店が
あり、イノシシ、シカはもとよりキツネ、ネコ、ヤマイヌ、
カラス、トビなどまで売っていた。牛馬などの家畜は食用に
すべきではないとする観念は強かったが、それらも当然売られて
いたと思われる。
薬食(くすりぐい)、つまり保健、治病をうたって、店主はその
薬効を説いたものらしく、〈けだもの屋藪医者程は口をきき〉
(《柳多留》第3編)という川柳がある。また、蕪村に
〈くすり喰人に語るな鹿ヶ谷〉の句があるので、京都にも同種の
店があったようである。5代将軍徳川綱吉の時代の江戸では
獣店の名を避けて、〈鵬町の鳥屋〉と通称されていたが、
儒医香川修徳(しゆうとく)(1683‐1755)のように、〈邦人ハ
獣肉ヲ食ハザル故ニ虚弱ナリ〉と栄養面から肉食の必要を
説いた人もあり、化政度(1804‐30)ころから寺門静軒のような
肉食愛好派はおおいにその効用をたたえた。
130月に吠える:04/09/16 01:38:00
しかし全体としては、国学者などを中心にあくまで肉食を不浄視
する保守派のほうが多く、幕末にいたるまで肉食の是非に
ついての論議が盛んに行われた。
その一人、天保期国学の大家とされる小山田与清(おやまだ
ともきよ)は《鯨肉調味方(げいにくちようみほう)》という
鯨料理一式の本の著者に擬せられてもいるが、大の肉食反対
論者で、〈文化文政年間より以来、江戸に獣肉を売(うる)家おほく、
高家近侍の士もこれを稼(くらう)者あり。猪肉を山鯨と称し、
鹿肉を紅葉と称す。……いづれも蘭学者流に起れる弊風也。
かくて江戸の家屋に不浄充満し、祝融の怒に灯(あう)事
あまたたび也〉と、肉食の悪風が流行するのは蘭学者連中の
始めたことだが、それが火の神祝融(しゆくゆう)の怒りに
ふれて江戸には火事がたえないのだと、とんでもない感情論を
ぶちまけている。
鯨が魚であった時代であるから、彼自身には矛盾はなかった
のだが、いまからみればまことにほほえましい。
(『世界大百科事典』平凡社による)

このように、「文化文政年間より以来、江戸に獣肉を売(うる)
家おほく、高家近侍の士もこれを稼(くらう)者あり」とある。
131日本@名無史さん:04/09/16 01:45:01
今、このスレ見つけて読んだけど

>>20を読んで北斗の拳を思い出したわw
132もんもん:04/09/16 22:22:14
月に吠えるよ 何が知識の光だ

>「文化文政年間より以来、江戸に獣肉を売(うる)
家おほく、高家近侍の士もこれを稼(くらう)者あり」とある。

日本人全体が平均してチビだって言ってるだろ
肉を売る店が何件あれば『多い』と言うのかね
さて 当時日本人で獣肉を日常的に食ってた奴は何%くらいだったかね?
「あったようである」とか「売られていたと思われる」じゃあ日本全体の
食習慣を語っちゃいないな

それより 何故江戸期や明治期がチビだったかを説得力ある説明してごらん



133月に吠える:04/09/16 23:52:36
「もんもん」は、こう書きました。
>>128
> 江戸時代が食料事情豊かなのは一部の人たちだけ 
> そいつらだって仏教のせいで獣肉は食えなかった

ほーう、「食料事情豊かな」「一部の人たち」「だって」
「獣肉は食えなかった」ですか?

食料事情豊かな一部の人たちは、獣肉を食べることも
ありました。ももんじ屋でね。タブーを気にしつつも。
「そいつらだって食えなかった」と書くと、間違い。

>>132
> 日本人全体が平均してチビだって言ってるだろ

おや、「食料事情豊かな」「一部の人たち」が、いつの間にか
「日本人全体」「平均」にすり替わってますね?!
わざとですか? それとも、天然ですか?(頭のユルイ人ですか?)

> 肉を売る店が何件あれば『多い』と言うのかね

天保期国学の大家とされる小山田与清に、聞いてくださいな。

> さて 当時日本人で獣肉を日常的に食ってた奴は何%くらい
> だったかね?

当時獣肉を食べていたのは、「食料事情豊かな」「一部の人たち
だけ」でしょう。誰かさんの書いた通り。
134もんもん:04/09/17 22:03:38
あっはっは ダメだね
それじゃ0点

>食料事情豊かな一部の人たちは、獣肉を食べることも
ありました。ももんじ屋でね。

食糧事情の豊かな連中もほとんどは獣肉なんか喰ってなかったよ
ごくごく例外だけを取り上げなさんな
ももんじやで喰ってた人口は日本全体の何%かね?
0.0001%くらいか?

>「食料事情豊かな」「一部の人たち」が、いつの間にか
「日本人全体」「平均」にすり替わってますね?!

文章読めてんのか? 「食料事情豊かな一部の人たち」も
「日本全体の平均」も獣肉なんか喰ってないって言ってるじゃろ
論点を一部のごく例外的なゲテモノ食い愛好者の話に矮小化して
るんだよ月吠えくんは
135もんもん:04/09/17 22:05:17
>>肉を売る店が何件あれば『多い』と言うのかね
>天保期国学の大家とされる小山田与清に、聞いてくださいな。

けっ 逃げやがんのか?
『多い』というのなら「江戸期に日本人は獣肉の習慣はなかった」
という定説を覆すだけの「多い」という根拠を出しなさい

>>さて 当時日本人で獣肉を日常的に食ってた奴は何%くらい
>>だったかね?
>当時獣肉を食べていたのは、「食料事情豊かな」「一部の人たち
>だけ」でしょう。誰かさんの書いた通り。

おいおい それじゃあ「食料事情の豊かな一部の人たち」の中で
獣肉を食べていたのは何%くらいかね?
70%くらい? 0.0001%くらい?(笑
136月に吠える:04/09/17 22:33:41
「もんもん」は恥の上塗りを重ねているが、私は「日本人全体」「平均」
についても、「もんもん」に知識の光を投げかけてやることにする。

米には、必須アミノ酸が全種類含まれる。小麦はそうではない。
この点、米は小麦より優れている。小麦(パン・パスタなど)を常食
する地域の人々が、肉や乳製品を欠かさないのは、そうしなければ
必須アミノ酸を全種類摂れないからでもある。
ただし、必要摂取量を米だけで満たそうとすれば、嫌と言うほど
食べなければならず、現実的ではない。現代の日本人が米から摂る
タンパク質は、必要摂取量の約5分の1である。

また、米にはビタミンA・C・Dが全くない。無機質も乏しく、
リンはあるが、カルシウムやナトリウムはほとんどない。
糠(ぬか)には脂質、ビタミンB1・B2・Eが含まれるが、通常は食べない。
糠味噌にして摂取しようとすれば、これも嫌と言うほど食べなければ
ならず、塩分の摂り過ぎの方が心配されよう。

玄米は不味く、精米が好まれる。玄米の方が精米より栄養があるの
だが、消化吸収率から見ると、玄米は90%、精米は98%なので、
どちらも栄養として利用される量はほぼ同じだという説もある。
137月に吠える:04/09/17 22:34:56
さて、江戸時代のある時期の日本人の体格は、縄文時代よりも
劣っていたくらいで、日本人史上最低だったとも言われる。
縄文時代は米を作っていなかったから、肉、木の実、草、虫(笑)
などをバランスよく食べていた。
江戸時代は、新田開発などにより、武士(下級武士を除く)、
町人(貧民を除く)が、米を常食できるようになった(江戸後期
には富裕な農民も常食)。
というより、米に執着しすぎで、栄養が偏っていたのである。

1960年代の高度経済成長期を経て、日本人の食生活は洋風化した。
それに伴い、日本人の体格も飛躍的に向上した。60年生まれの
集団と70年生まれの集団を比べると、別の種族のように見える。
高度経済成長期以前の伝統的な食生活は、日本人に貧弱な体格しか
約束しなかった。栄養が偏っているため、病気に対する抵抗力も弱く、
平均寿命は短かった。

もっとも、洋風化したらばしたで、今度は成人病が増えたのでも
あるが。日本人は、今なお乳製品の消費量が少なく、カルシウム
不足であり、まだ体位向上の余地があると言われている。
138もんもん:04/09/17 23:25:11
あらら また逃げちゃった
自分の方からいちゃもん付けてきたくせに
こちらの反論に何ら明確な論拠を示せないじゃないか

逃げずに答えろよ
ももんじやで喰ってた人口は日本全体の何%かね?

「江戸期に日本人は獣肉の習慣はなかった」という定説を覆すだけの
「獣肉を出す店が多かった」という根拠を出してくれ

「食料事情の豊かな一部の人たち」の中で獣肉を食べていたのはそれほど
多かったのかね?何%くらいだい?

139月に吠える:04/09/18 01:03:51
>>128
> 江戸時代が食料事情豊かなのは一部の人たちだけ 
> そいつらだって仏教のせいで獣肉は食えなかった

この書き込みの浅薄さを、私は>>129-130 >>133で指摘した。

次に、「一部の人たち」以外の人、すなわち獣肉を食べて
いなかった多数の人であるが、それらも含む日本人全体について、
>>136-137で書いた。

>>138
> こちらの反論

それが反論か?(笑) 恥隠しのために、「何%か?」を連発してる
だけじゃねえか。質問自体が意味をなしていない。
お前の脳内では、それで「反論」になってるらしいが。(笑)

質問し続ければ負けない。負けても負けてない。
ガンバレ、負け犬「もんもん」!

逃走しながら愚問を連発し、「逃げずに答えろ」と遠吠えする
「もんもん」。
面白い見世物ではある。
140こk ◆LesTtf5.Dg :04/09/18 01:37:07
日本人が小さくたって別にかまわん。

江戸期は獣肉を『全く食べない』ワケではないが、『ちょくちょく食べていた』
わけでもない。
たまに食べた。それだけ。
いわばハレの日だな。



141もんもん:04/09/18 23:59:07
あはは 
月に吠える よ
自分の書いたことの矛盾を指摘され
説明出来ないものだからおいらの詰問を「愚問の連発」だと言って
逃げ回る醜態 ホントみっともないよ

だって おいらは江戸期に日本人が極チビなのは気候(気温湿度)以外
の要素特に仏教強要による獣肉摂取不足を指摘した
その話の中で>128のように庶民はもとより「食料事情の豊かな一部の人たち」
も制度として獣肉食は御法度だったんだから体格に影響を与えるほど喰うわきゃ
ないだろ
上の人が指摘しているハレの日の食膳(魚・米・餅・酒・菓子などは出ていたが)
で江戸期に既に獣肉料理が出ていたことはおいらは知らない
もし一部の地域で獣肉料理を冠婚葬祭の食膳に出していたという文献があれば
教えてくれないか?(勿論マタギやアイヌ・山民を除く)

仮に(おいらは知らないが)ハレの日に肉が出ていたとしても1年に数回だろ
それで「動物性タンパク不足による低身長」説に影響を与える話とは言えんだ

142もんもん:04/09/19 00:00:43
>「何%か?」を連発してる
>だけじゃねえか。質問自体が意味をなしていない。

何%なんてもとよりきみが答えられるとは思ってない
しかし「肉を売る店が多かった」という引用を持ち出すくらいだから
きみがおいらの「動物性タンパク不足による低身長」説に疑問を持った
から>129>130を書いたんだろ?
しかしそれらの話は「極一部の愛好者の話」だというのがおいらの解釈で
きみはそうではないと言うんだろ?
だから「江戸期に肉食御法度の食習慣は俗説で 実は裕福な人達は獣肉
を日常的に喰っていた」という裏付けになるものがないと「動物性タンパク
不足による低身長説」の反論にはならないと言ってるの 
分かった?
だからせめて「各地で獣肉を食していた」とか「豊かな層は獣肉も積極的に
食べていた」とか書かれた文献を提示してくれ
143もんもん:04/09/19 00:20:59
>>137
>カルシウム不足であり、まだ体位向上の余地があると言われている。

体位向上の余地はないね
渡来人が渡って来て1000年以上になりもう大陸効果は無くなってきている
今からは徐々に低くなっていくばかりだよ
なぜならこの島の気候に体格が見合ってきているんだよ
ますますチビになっていくばかりさ
144こk ◆LesTtf5.Dg :04/09/19 10:43:41
君達、何を揉めているのか分からんが・・・
動物性タンパク質の過剰摂取は頑強な肉体をつくらない。
現代日本人はブヨブヨとでかいブロイラー肉体。病気に弱いし、すぐに怪我をする。
小柄でもシャモのような肉体を目指すべきだ。

江戸時代にも獣肉は食べていたけれど、1年に数回くらいだろうな。
俺の田舎ではイノシシがいるが、季節になると猟師が狩りをして皆で鍋にして食う。
そんなものでしょ。





145もんもん:04/09/20 08:51:28
>動物性タンパク質の過剰摂取は頑強な肉体をつくらない。

そりゃそうよ 食事で充分栄養摂取出来ていればプロテインやたら飲んでもチビが
デカになるわけじゃないからね でも近年の体格向上には昔無かった肉食の習慣が
大きいでしょ

>現代日本人はブヨブヨとでかいブロイラー肉体。病気に弱いし、すぐに怪我をする。

ああ それはあるね
相撲見てたら日本人力士はただブヨブヨしてるだけで足腰弱いね
鍛え方がなんとなく非科学的だし体重を生かした押し相撲が基本だからあんな体型に
意図的にしてきた面もあるんだろうけど
だいたいこんな高温多湿な気候帯では無理があるんだよ
朝青龍みたいに大陸の連中は冬期の酷寒のため直ぐ身体がでかくなる(筋肉が太くな
る)宿命にあるんだよ

>江戸時代にも獣肉は食べていたけれど、1年に数回くらいだろうな。

ハレの日に獣肉喰ってたかは知らないんだが 飢饉なんかで穀物が無くなり木の実や
野草も不足するといよいよ犬や馬果ては人肉まで喰ってたと天明の飢饉の記録にはあ
るね
146もんもん:04/09/20 09:00:23
>季節になると猟師が狩りをして皆で鍋にして食う。

江戸時代もそうだった?
山間部は平地と違って仏教の教えが緩かったのか それとも平地でも獣肉
を喰ってたのか 
147こk ◆LesTtf5.Dg :04/09/20 10:41:51
>>145
>>146
江戸期も猪、鹿、狸くらいは食っていたはず。寺の坊主が狸を食うなどという
昔話も普通にある。
ただ、重要なのは豚や牛ではなく、猪や狸だということ。常食するために
家畜を飼っていたわけではないということ。
季節によって猟ができる季節は限られるしね。あくまで農閑期のおまけだね。
捕まえられたことが一種の祭り。俺が言う『ハレの日』とはそういう意味での比喩。
一年に数度あるかないかくらいではなかったかと推測する。
一種のおまけだから、山岳地に近い地域は必然的にこの『山の恵み』を受けられるが
そうでない地域ではそんなには食べなかったでしょう。
しつこいけどあくまでおまけだから。
魚介類が保存方法を工夫されて比較的山岳地にまで流通しているのとは対照的です。
そういうわけで獣肉は日本人の体格云々にはあまり寄与しなかったと思う。

俺は日本人は無理矢理でかくなる必要はないと思う。
成長期の人間はともかく、それ以外は動物性蛋白質の過剰摂取には気をつけるべきだ。
俺も運動部だったが、体を無理に大きくしたがるのはスポーツの悪い面かもしれない。
速く美しいサラブレッドを目指す必要はなく、頑強なロバを目指すべき。
これは俺の勝手な意見だけど。



148日本@名無史さん:04/09/21 16:52:45
西欧では第一次大戦以降、日本では第二次大戦以降始まった、動物性タンパク質の過剰摂取という愚行はそろそろ止めないと神さんに叱られるぞ
149日本@名無史さん:04/09/21 17:05:12
東京両国のイノシシ料理専門店ももんじやは
創業享保三年(1718)です。

都内の発掘調査でも江戸時代に食べられた鹿やイノシシの獣骨がよく出ます。
150日本@名無史さん:04/09/21 22:21:40
>>145
お前が言っていることはただの与太話だな。
まともな高等教育を受けたものは相手にしないから
ほらの吹き放題だけど、あんまり鬱陶しいので
ひとつ考えて見ろ、

145>>だいたいこんな高温多湿な気候帯では無理が
あるんだよ
朝青龍みたいに大陸の連中は冬期の酷寒のため直ぐ
身体がでかくなる(筋肉が太くなる)宿命にあるんだよ

じゃーアメリカ大陸に住むイヌイット(エスキモー)は
身体がでかくなっているのか。

ポルトガルもマダカスカルもものすごく高温多湿だぞ。
地球上の温帯のどの国も海岸線付近はものすごく高温多湿
だぞ。アフリカの熱帯・亜熱帯は高温たしつだぞ。
彼らがチビか。

あとのすべてにいちいち反論反証出来るけど止めとく。
おまえ少しは論理とか論証とか科学とか持てよ。

151日本@名無史さん:04/09/22 19:41:58
江戸から明治になって平均身長が下がった理由。


















ちょんまげを切ったから。
152もんもん:04/09/23 09:47:53
>>147
ほんとに坊主が狸を食ってたのか?
山姥が子供を喰うという話と同じ類だろ
実際にあったかといえば近世の坊主の堕落ぶりから絶対にないとは言えない
がね
山民がたまに喰ってたらしいというのは知らないがあり得る話だと思う
そもそもキリシタン禁制を徹底させるために寺請制度にして国民総檀家に
したんだが制度を強制しても元々狩猟文化の強く残りしかも目の届きにく
い山間地では獣肉食法度の建前は緩くならざるを得なかったのかもしれな

まあ それでも日本人全体の食習慣は動物性タンパク不足ぎみでそれが低
身長の主な原因だったことは間違いない そうでなければ現代人との比較
で何故江戸期〜戦前までが低身長だった理由が説明できなくなる
153もんもん:04/09/23 10:01:05
>>147
>成長期の人間はともかく、それ以外は動物性蛋白質の過剰摂取には気をつけるべきだ。

おいらは165cmだけど肉も牛乳も好きだったけど大きくならなかった
クラスの女の中に170を超えるやつがいて肉はあまり好きじゃないとか
言ってた
要は適度に摂取出来ていればほぼ遺伝的可能限度まで成長できるという
こと 1950年代以前まではそれが出来ていなかったから日本人は極チビ
だった というのがおいらの主張
肉を食えば食うほどデカくなるわけではない
154もんもん:04/09/23 12:55:14
>>150
>じゃーアメリカ大陸に住むイヌイット(エスキモー)は
>身体がでかくなっているのか。

おいらは高温多湿環境では低身長になると言ったがだからと言って極低温
環境で高身長になるとは言ってないぞ
だいたいおまえの乏しい脳みそでも考えてみろ おいらはベルクマンの法
則によると言ってきただろ? 高温多湿環境では体温を効率的に逃がして
やらないといかんから体重あたりの体表面積を増やさねばならんので身長
を低くし手足が細く顔の彫りが立体的な(耳が前を向いていたり鼻穴が前
方に開いてたり)体格になる
しかし夏季の酷暑がなく冬季の気温が低い地域では体重あたりの体表面積
小さくしないといけないから体重を大きくするのが効果的 欧州ではそう
いう訳であんなにデカくなった
ところが低温乾燥が極限状態では身長を上に伸ばすのは寒風の影響を受け
易くなり生存には得策ではない 横に太くして体重を大きくし顔や体躯を
出来るだけ丸くし瞼も一重にし耳や鼻も極限まで小ぶりにして放熱を防ぐ 
モンゴル人もイヌイトも体重は身長に比しけっこうあるよ
155もんもん:04/09/23 12:57:16
>>150
>ポルトガルもマダカスカルもものすごく高温多湿だぞ。

ポルトガル人は何千年もイベリア半島にへばり付いていたわけではない
イベリア人にケルト系ゲルマン系が混血してポルトガル人になった
ケルト人もゲルマン人も元々内陸性でもっと北の民だ 先住のイベリア人
は小柄だったらしい
マダガスカルは知らんな マダガスカル人はデカイのか?
マダガスカル人の体格(平均身長平均体重)のこと書いた文献かサイトを
教えてくれ
156もんもん:04/09/23 12:59:39
>>150
>地球上の温帯のどの国も海岸線付近はものすごく高温多湿
>だぞ。アフリカの熱帯・亜熱帯は高温たしつだぞ。

いずれも間違いだ
地理をもう一度勉強し直した方がよい
海岸線付近が内陸部より多湿になるのは正解だ しかし日本のような「も
のすごく高温多湿」になるかと言えば否である
例えば地中海地域は夏の日中は高温になるが湿度は低く朝夜は過ごし易い
米国西海岸も夏日中は気温が高くなる日もあるが寒流の影響で過ごし易い
概して大陸辺縁帯は海側に暖流が流れていると夏季猛暑となる
また日本のように四方海で囲まれている所と違って大陸辺縁部温帯は冬の
寒さは厳しい だから東京より5度も南にある上海の冬の方が寒いのはそ
ういう理由
157もんもん:04/09/23 13:03:22
アフリカで熱帯雨林はカメルーンザイールマダガスカルなどごく一部だよ
コンゴ盆地を除いて海岸から数十キロ内側に入ればサバナか砂漠だよ
アフリカもここ数千年の間に民族移動は頻繁にあったはず
アフリカの生活環境の大部分は高温乾燥気候に適応して細い体格が形成され
たと見る
コンゴ盆地の熱帯雨林の先住民であるピグミーは非常に低身長である
158もんもん:04/09/23 13:07:18
>>150
>あとのすべてにいちいち反論反証出来るけど止めとく。

おいらの方こそすべてにいちいち反論反証出来るけど止めとくよ

>おまえ少しは論理とか論証とか科学とか持てよ。

おまえがな
159日本@名無史さん:04/09/23 15:47:45
日本人が獣肉の摂取が少ないことは事実だとして、その理由を仏教の戒律に求めるのは少々違う気がする。
間接摘に漠然とケガレ思想みたいなものはあったことは間違いない。
ただ獣肉を常食とするためには牧畜という生産方法が不可欠。食料に恵まれた日本では牧畜は定着しなかった。


あと日本人は宗教戒律を守るとは思えない・・
160日本@名無史さん:04/09/23 17:03:29
>>158
乏しい脳みそに反論する気にもなれん。
161もんもん:04/09/23 21:27:56
>>160
(×)乏しい脳みそに反論する気にもなれん。
(○)乏しい脳みそなので反論できません だろ
162日本@名無史さん:04/09/23 21:30:25
イスラエル政府は建国後十数年間、米国政府からの資金援助で、スファラディ系ユダヤ人児童10万人にX線照射実験をしていた
http://www.asyura2.com/0406/war59/msg/384.html

●8月下旬に表題のような情報を得ました。イスラエルで政府の腐敗を追及してきた
 バリー・チャミッシュというジャーナリストが、国内で放映されたばかりの画期的な
 内部告発番組の紹介記事(番組批評)を書いたものです。

●イスラエルは現在、原発周辺地域の核汚染問題が噴出しているわけですが、
 建国当初に続けられていた特定人種(スファラディ系ユダヤ人)の児童だけ
 を対象にした大規模な放射線照射事業と、それが生み出した現在の惨害を
 イスラエル国内だけでなく世界に知らしめたこの番組『10万人への放射線照射』
 と、チャミッシュ氏の紹介記事の意義はきわめて大きいと言えます。
163日本@名無史さん:04/09/23 21:42:09
あのねぇ、身分によって身長は変わるのよ。
平安時代の貴族
鎌倉、室町、桃山時代の武士
↑ここらへんはみなそれなりに身長は高かった。
墓などのから出た遺骨の身長を測ると170cm代がごろごろいたとか。
特に平安時代の鎧では180cmを越す人が優に着れる鎧がいくつか残っている。
それに比べて農民などはかなり低い。
ようはどれだけ栄養のあるものを絶えず取り続けてたかと言う事でしょ。
支配階級が背が高いのは当たり前。
因みに明治天皇の身長は170cmほどとか。
164日本@名無史さん:04/09/23 22:52:57
そういや中世イギリスの貴族と平民は20cmとか(うろ覚え)
ふざけたレベルの平均身長差があったとかどっかのスレで読んだような

実際20cmも平均身長差があったら物心ついた時点で
貴賎の差を納得しちゃうだろうな
165日本@名無史さん:04/09/24 06:45:10
日本の支配階級はブロイラー化が進む。
そして敗れる

それが日本史
166日本@名無史さん:04/09/24 07:09:51
>>165
???
破る側もまた支配階級なんだけど?
何言ってんの?
167日本@名無史さん:04/09/24 08:41:17
日本で階級史観は意味がない
168日本@名無史さん:04/09/24 10:33:10
武士より商人町人のほうが良いもん食っている。

戦の主役たる武士と農民は質素な食事。

169日本@名無史さん:04/09/24 16:03:04
>>164
イギリスは今でもそうだってよ。日本人が「イギリス人ってアングロサクソンの
くせに小さいな」という印象を持つのは日本に来るイギリス人は労働者階層率が
高いから。本国の中産階級は大陸の白人とサイズ変わらんし貴族に至っては
180cm切る大人の男は少数派。
170日本@名無史さん:04/09/24 18:33:12
ユダヤ系民族はひずめのある動物とウロコのない魚類は穢れた食品として
食さず、羊は一旦ラビから認可された職人?によって浄化した後に屠殺。

たぶん大陸から渡来したユダヤ系民族が「穢れ=ひずめのある動物肉」を
持ち込み、その後は後継移民が途絶えて浄化作業が出来ずに穢れ思想のみ
が神道として独り歩きしたのではないか?

無論、中世の仏教布教強化時代に遊牧系民族への浄化作戦にも至った
675年に天武天皇が肉食禁止令を発布
対象は牛・馬・犬・猿・鶏で鹿と猪は対象外。

江戸時代1643年に「料理物語」が発刊
鹿・狸・猪・ウサギ・カワウソ・熊・犬の料理法が記載されている。

無論、方便として牛肉=薬用食もあり。
171日本@名無史さん:04/09/24 19:38:22
仮にケガレ思想がなかったとしても、牧畜のない日本で獣肉を常食するのは至難のわざ
172日本@名無史さん:04/09/24 19:57:37
>>171
獣肉を常食はしてないにしても、獣の生息数は多かったんじゃないかな。
173日本@名無史さん:04/09/24 19:59:15
>>171
人口100万人ぐらいならOKじゃない?
174日本@名無史さん:04/09/24 20:18:31
>>168
それは安土桃山時代後期からだよ。
175日本@名無史さん:04/09/24 20:26:23
江戸時代の一般武士は貧乏ですから、
商人に接待されるような役職につかないと。
外食なんてできません。
176日本@名無史さん:04/09/24 21:54:31
ザビエルだかフロイスだかの記述によると、当時の武士や農民も獣肉をほとんど食さずたまに魚が供される程度であることが記されている。

にもかかわらず、怪我や病気に強いことや、戦での働きぶりに驚いている。


177日本@名無史さん:04/09/24 21:56:29
>>175
江戸時代はたしかにね・・・・・
戦も無くなり、何かしらの役職に就けなければ、食い詰める武士は多かっただろうね。
それこそ一部の上級武士にしか金が回らなくなっただろうね。
178日本@名無史さん:04/09/24 21:57:05
>>176
それは、どちらかというとこの時代の西洋人が歴史的に見て貧弱だからでもある。
その弱さはまさにスペランカー並みだとフロイス自身も認めている。
179日本@名無史さん:04/09/24 22:12:53
スペランカーとは!
180日本@名無史さん:04/09/24 22:26:44
間違えてはいけないのは、西洋などで肉食を多用(といっても現代よりはずっと少ない)するのは穀物などの食料が少ないからです。

ほおっておくと勝手に草が生えてくるような日本では、穀物や山菜に不自由がなく、肉食自体にそれほどの必要性がない。
たまには食うか、という程度の必要性しかない。
だからこそ牧畜も定着しなかった。
江戸期もそれ以前も肉食の需要は大同小異。

181日本@名無史さん:04/09/24 22:33:52
外国では肉食が基本だった訳でもない。
182日本@名無史さん:04/09/24 22:37:43
ヨーロッパではレンバスとかを食べてた。
183日本@名無史さん:04/09/24 22:38:58
181
んなこと誰も言っとらん
184日本@名無史さん:04/09/25 01:01:25
江戸時代に223cmの大関力士が居たよ。
当代無敵だったとか。
185日本@名無史さん:04/09/25 14:06:02
>>172
>>173
おまえら狩りをなめ過ぎ。
獣の数ではなくて、時間的余裕のほうが問題。
野生の獣を仕留めるのはなかなか時間がかかる。1日山を彷徨っても
獲物が得られないことが多いことは容易に想像がつく。
農民であれば農作業がひとまず落ち着き、猪が太り徘徊する秋〜冬が狩りにもってこいだが、
それでもいつも思うままに捕まえられるわけではない。
だからこそ、植物資源の乏しい地域では牧畜が定着した。




186日本@名無史さん:04/09/25 17:05:33
>>185
そうだね、山歩きしてて鹿とか見るけど、人間の足では追えないね。
187日本@名無史さん:04/09/26 13:53:50
でかけりゃなんでも許されるのか!
188日本@名無史さん:04/09/26 14:13:56
>>187
ペニスはデカスギルと挿入出来ないナリよ〜
189こk ◆LesTtf5.Dg :04/10/02 22:28:05
>>185
同意。

190日本@名無史さん:04/10/23 23:05:23
幕末の剣士
大石進212cm 山岡鉄舟188cm 榊原健吉185cm 千葉周作183cm 
島田魁182cm 原田佐之助 同岡田以蔵180cm 坂本龍馬 176cm 
桂小五郎174cm 永倉新八 同
191日本@名無史さん:04/10/23 23:30:06
結論
 DQN明治政府の失政により、国内だけで自己完結できた豊かだった日本は、毛唐から施しを受けなくては逝けない貧乏三流国に転落したのです。
192日本@名無史さん:04/10/24 02:24:05
>>190
やっぱり日本も身分がカッチリしてた頃はイギリスみたいに
身分によって身長に明らかな違いがあったりしたのかな?
193アルフォンソ拳王 ◆BGzm7IVbE6 :04/10/24 03:01:12
>>190
大石はちゃんと普通の寿命を送っているし、バネもあったので、
例外的存在(巨人病とか)って片付ける訳にいかないんですよねー。。。。
ずっとヘンには思っていたけど。。。
194日本@名無史さん:04/10/24 03:37:26
>>193
まあ努力家だね一応男谷除いて江戸の道場総なめだからね
で6尺の竹刀ふるえるのも毎日10時間の稽古だからね凄いよ
195こk ◆LesTtf5.Dg :04/10/24 21:13:51
>>192
恐らく、明確な身長差はないと思う。
支配層と被支配層では民族のルーツが異なる、というのは世界には珍しく
ないが、日本には当てはまらない。
また、表向きの血統はどうあれ、武士の正体は武装農民だから、決定的な
違いは生まれようがないと思う。
それと、より重要なのは、日本の身分は欧州インド等と異なり、多分の職能制の
性格を持つこと。江戸期でも多少の流動性がある。

もし身分により身長差があるとしたら、食い物の違いに拠る個人差だろうな。
大名・将軍や貴族はなぜか野趣を取り去ったようなものを食っているし。
196日本@名無史さん:04/11/17 22:55:13
197日本@名無史さん:04/12/02 21:10:37
>大名・将軍や貴族はなぜか野趣を取り去ったようなものを食っているし。

そうかなあ?
198日本@名無史さん:04/12/24 22:42:29
将軍とかは結構肉類食ってただろ
199日本@名無史さん:04/12/24 22:45:51
>>190
言いたい放題だな。禿げ藁
200日本@名無史さん:04/12/28 11:10:39
200
201昔、名無しありけり:04/12/28 20:44:50
すべて光栄が悪い
202日本@名無史さん:04/12/28 22:17:44
>>1
今更だが、その前提自体が間違い。
日本人の一番身長の低い時期は幕末〜明治で差はない。
>>190の例はいくら平均身長が低い時代でも大きな人はいたというだけの話し。
武士階級は栄養状態が良く割とでかく、
日本人の90%を占めていた農民はそんなに大きくなかった。
あと武士以上に裕福だった町民や農民の中でも名主とか庄屋クラスの富農もいたが、
やはり農民の多くはそんなには裕福でなかった。
203日本@名無史さん:04/12/29 17:27:11
150cmもない婆さんって今普通に見るよね
204日本@名無史さん:04/12/29 17:42:38
>>203
そんなに「デカイ」婆さんがいるのは現代特有。
昔だったら140cmもない婆さんがいっぱいた。
幕末〜明治は男子平均身長すら160cmを下回るほどだし。
205日本@名無史さん:04/12/29 18:09:21
まず冷静に考えてみよう。戦国武将や吉宗はサラブレッドにのっているから
身長は平均して170以上あるのはすぐわかる話だ!
206日本@名無史さん:04/12/29 18:14:48
>>205
アホ?
サラブレッドは明治維新以降の輸入品
というかサラブレッドの作出自体がアラブ馬からの改良で近年だよ。

明治以前は国産の小さい馬を使ってた。
現代人が乗るには小さい馬だが、
昔の平均身長の小さい人物たちがのるにはふさわしかった。
人も馬も小さいからバランスが取れてたわけ。
207日本@名無史さん:04/12/29 18:15:02
戦国時代までは玄米、肉食が普通だった
江戸時代になって白米、坊主のすすめで肉食禁止、魚を奨励
武装闘争も減ったが、そのころから、体格が落ちてきた
明治になってから肉食復活、だもんでハゲが増えた
江戸時代はハゲは少なかった
208日本@名無史さん:04/12/29 18:17:27
>>207
肉食はあったけど、
「普通」とまではいかなかった。
鷹狩りで取れた獲物(野生の鹿とか兎とか雉とか)を
食べる程度で現代人みたいに商業的に牛・豚が
生産されているわけではないから。
209日本@名無史さん:04/12/29 18:27:09
>>0206
前田けいじの松風は2mあったぞ。

しねよ厨房プププ
210日本@名無史さん:04/12/29 18:28:07
>>205
サラブレットがどうこう言ってるが、現在でも競馬の騎手はチビしか採用されないよ。
確か身長150〜160cm程度の人物しか騎手に採用されない規定。
タケユタカとか凄いチビだよね。
211日本@名無史さん:04/12/29 18:28:47
212日本@名無史さん:04/12/29 18:31:01
>>209
伝承上の馬をどうこう言われてもね。
ちなみに前田慶次の身長は残ってる鎧などから170cm程度と言われてる。
当時としては巨漢なのは事実みたいだね。
213日本@名無史さん:04/12/29 18:34:43
>>210
そりゃ競馬はきそうものだから馬に負荷がかからないように矮躯をもってしたほうが有利だからだろ。

で、合戦において矮躯な性質が戦場で有利なケースはほとんど無いだろう。

武田騎馬軍団を考えてみればわかる話だ。
214日本@名無史さん:04/12/29 18:37:11
>>197-198

これはなー197の方が正解。

家康や秀忠など初期の将軍の除いた徳川将軍家歴代の墓を発掘調査したところ、
顎骨などが退化していた。

原因としてやわらかいものを生涯口にしていた事が影響していたことがその後判明している。
215日本@名無史さん:04/12/29 18:45:03
上杉謙信 140cm台
武田信玄 140cm台
織田信長 140cm台
木下秀吉 130〜140cm台
徳川家康 140cm〜150cm台
前田利家 170cm台
毛利元就 180cm台
宇喜多秀家170cm台
大内義興 170cm台
島津義弘 150cm台


中国地方を中心にだんだん低身長になっているんだな。
最終的に天下統一した長州によって今があるってのも頷ける。
216日本@名無史さん:04/12/29 18:53:59
>>213
日本では騎馬隊の存在自体が疑問視されてるんだが、
日本には大陸のような騎馬兵だけで構成されている部隊などなかった。
ルイス・フロイスの日本史でも
「我が国の騎士は馬に乗ったまま戦うが、この国の騎士は馬から降りて戦う」と記述がある。

あと「小柄だと戦に不利な事はほとんどない」とか言ってるが、銃撃戦闘の現代戦では小柄な方が的が小さくて有利だし、
戦国時代においても近年では遠戦主体説の方が有力になっている。
戦国の合戦での死傷原因のトップが鉄砲によるものなんだけどね。
朝鮮の役でも加藤清正が「槍などいらぬ、鉄砲だけ送ってくれ」
と国元に言っている。

あんまり言いたくないが、君の知識程度では三戦板の方が向いてると思うよ。
今時「武田騎馬軍団」なんて言ってるようじゃねえ。
217日本@名無史さん:04/12/29 18:59:02
>>215
おいおい・・・・
そんな有名人の例だけあげられてもな。
統計的・数値的価値はないぞ。
そりゃたまたまだろ。

ちなみに織田勢と戦って強さに驚いた宇喜多直家の弁によると
「中国の兵は栄養状態も悪く小柄で武装のちゃちだが、中央(つまり織田軍)の兵は武装のしっかりしており体格にも優れている」
と言っている。
218日本@名無史さん:04/12/29 19:08:42
つーか、>>215の説がもし本当だとすると中国兵が弱兵とされ、九州兵が精強とされる理由に根拠がついてしまうが。
中国兵はデカかったから戦では不利だったのかな。
219日本@名無史さん:04/12/29 19:09:28
>>216
ルイス・フロイスって薩摩から織田ぐらいまではみたかしらんが、武田や上杉身単価よ?
220日本@名無史さん:04/12/29 19:11:26
銃撃戦闘の現代戦では小柄な方が的が小さくて有利だし、
戦国時代においても近年では遠戦主体説の方が有力になっている。

戦国時代であって現代戦じゃネーだろ。


戦国の合戦での死傷原因のトップが鉄砲によるものなんだけどね。

嘘つけ。ヤンマガの戦国で死傷の原因のトップは「弓矢」によるものと書いていたぞ。

そもそも、三段鉄砲が嘘なんだし
221日本@名無史さん:04/12/29 19:15:03
あと「小柄だと戦に不利な事はほとんどない」とか言ってるが、銃撃戦闘の現代戦では小柄な方が的が小さくて有利だし

これもつっこんどくが、昔のいくさ刀って「きるもの」じゃなくて
「ぶったたいて敵の骨をくだくもの」だよ。
嘘と思うなら戦国時代の刀剣を見て皆。実戦的な奴をな。

でなにがいいたいかというと、小柄な奴はぶったたいて刀をふりわますのは不利だ。

だから尾張は弱兵だった。

だから信長は美濃を意識しだした頃から長槍を使い出した。

ハンデをカバーできるからな。

それまでは体格に勝る他所の地方の方が圧倒していた。
222日本@名無史さん:04/12/29 19:17:07
で、さらに突っ込んでおくと、騎馬軍団がいないのならなぜ信長は武田を恐れたのか?

そもそも謙信と信玄の戦いなんて騎馬合戦じゃん。

223日本@名無史さん:04/12/29 20:41:24
>>220-222
うーん。君の知識は戦国ゲーム厨程度だねえ。
ここより三戦板で話してた方がいいよ。

>三段鉄砲は嘘 
これは正解。ただ火縄銃でもかなり早く打てる早合というシステムとか、
長篠での大きな勝因の一つである野戦築城があったけどね。

>弓矢がトップ
鉄砲が普及してなかった頃はそうであったろう。
しかし中期〜後期ともなると扱いが難しい弓矢に鉄砲がとってかわった。
どっちにしろ日本の合戦は我々が想像する以上に遠戦主体。

>>221
>小柄な兵は重い刀を振り回すに不利。
そりゃ小柄だと不利な事もあったろうけど、日本の合戦は遠戦主体であり、
しかもその傾向は後期ほど顕著。
そもそも重い刀を振り回して敵を倒すような戦をする武将は下手くそ。
長宗我部元親は「我が軍は鉄砲装備率が高いから、大概の戦は白兵戦になる前に勝負を決められる」
と自慢げに語っている。

>謙信と信玄の戦いなんて騎馬合戦じゃないか。
そんな話しは聞いた事ないな。川中島でも歩兵戦闘だけどね。

それに武田騎馬軍団はたとえ伝承のうえとはいえ有名だけど上杉の騎馬隊なんて光栄の創作したイメージでしかないよ。
実際、月刊宝島の記者が信長の野望で光栄にインタビューした時にこう聞いた。
「上杉謙信の得意兵科ってどうして騎馬なんですか、世間のイメージだと上杉軍っていうとむしろ槍隊でしょ?」
そしたら光栄の人が「足軽を上杉の得意兵科にすると上杉の強さを現せない可能性があったのでそうしました」と

最後に信長が上杉、武田を恐れたのはその世間に響きわたる武名から。
もっとも信長の戦略自体が「強きを避け弱きをくじく」という天下をとるための戦略だったから。
とにかく上杉、武田などとは卑屈なまでの態度を取り決戦を先延ばしにしてたからね。
224日本@名無史さん:04/12/29 20:46:02
だんだんスレ違いになってきたが、
日本の騎馬隊議論は何度もスレが立っているのでその辺も参照しといてね。
http://www.google.co.jp/search?q=%93%FA%96%7B%81%40%8B%52%94%6E%91%E0%81%40%82%51%82%83%82%88&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS
225日本@名無史さん:04/12/29 22:25:18
映画「天と地」では騎馬軍団同士の大合戦だったなー川中島の戦いって

時代考証を誰かがやっていると思うから騎馬合戦だったんじゃないの?

ついでにいうと刀はまじでブッタギル型が主流。

関が原の古戦場ちかくの博物館に遠足に行ったときに実物見た事あるし

おれらに随行した学芸員がマジでこういうのが当時の主流だと説明してい太。
226日本@名無史さん:04/12/29 22:35:30
そりゃ小柄だと不利な事もあったろうけど、日本の合戦は遠戦主体であり、
しかもその傾向は後期ほど顕著。
そもそも重い刀を振り回して敵を倒すような戦をする武将は下手くそ。
長宗我部元親は「我が軍は鉄砲装備率が高いから、大概の戦は白兵戦になる前に勝負を決められる」

あんたはわざと話題を摩り替えているゾ。
戦方法を云々しているのではなく、要は武器や馬から往時の日本人の体格を推量する材料の便にしようと
いう趣旨なのに話題をずらしている懸念アリ。

その上でいうが接近戦で「刀の重量とそれに伴う腕力で敵兵を戦闘不能に追い込む事と「遠戦主体」云々は
別の話題だろ? なぜに元親を引用するのか?
そもそも彼は鎧袖一触で上方軍=仙石氏、蜂須賀氏、羽柴秀長軍に蹴散らされているプ



227日本人@名無史さん:04/12/29 22:48:01
まあ、スレタイに則して書き込むが、

俺のチン長は18cmな訳だが、、、
228日本@名無史さん:04/12/29 23:23:18
>>225
おいおい映画なんてソースにするなよ。
歴史映画は史実ドキュメンタリーではなく
講談をもとにした娯楽作品だから。
あと刀なんて比率的にはたいして使われなかったよ。
主武器は鉄砲とあとはせいぜい槍が使われるくらい。
刀は組み伏せられた相手にとどめを刺す時くらい。

あと体格うんぬんがどうこう言うなら
別に高身長にこだわる必要はない。
背は低くてもガッシリしてたんだろ。
229日本@名無史さん:04/12/29 23:39:22
騎馬隊の有無についてはスレちがいだと思うよ。
過去に何度か日本史板でも議論スレは立ったけど今はみみずん検索が工事中で探せない。
何個か簡単なソースは探してきたんだが。

http://homepage1.nifty.com/SEISYO/uma.htm
http://hobby.2ch.net/warhis/kako/1030/10308/1030802354.html
230日本@名無史さん:04/12/30 01:43:28
背の高低や骨格の違いは歴史的に意味があうだろうけど。
体格と歴史は関係ないですから。
231日本@名無史さん:04/12/30 08:16:24
映画だとクレヨンしんちゃんがお勧め・・・
232日本@名無史さん:04/12/30 10:28:16
高卒就職者って就職先決まって祝福されるの?
親とかは心の奥底ではスゲー悲しんでるよ。

オレとかが行ってた大学進学率ほぼ100%の進学校だと、学年350人中2〜3人就職、1人専門がいたが
コソコソと冷たい視線や嘲笑い、暴言、哀れがられてたし、この高校を卒業しても気やすく名乗るなよ!って言われてたな。
教師の態度も変わるし卒業式にはとうていでられません。
ある教師が学校の名をけなすクズとか社会の敗者とか言ってたな。
逆に浪人も60人くらいいたが彼らの扱いは将来があるということで学校側がバックアップしてやるぞ!安心しろ!みたいなこと言ってて手厚かった。
この差はなんざんしょ?


とりあえず、こんな僕から言わせてもらうと高卒なんか直視できないほど恥ずかしいよ。
だって僕の育った環境からすればアリエナイし同じ人間ってか、高卒は人間ではないんだもん。


233日本@名無史さん:04/12/31 20:16:25
俺の婆ちゃん生きてればもう90歳だけど身長160cmちょっとあったよ
同世代ではうちの婆ちゃんより背高い婆さんは見た事無いな
234日本@名無史さん:05/01/28 17:01:03
高いね
235日本@名無史さん:05/02/24 21:07:26
236日本@名無史さん:05/03/06 11:36:47
>>225
戦車に随伴歩兵が付くように
騎馬には足軽が随伴するのが通常。
映画に出てくるような騎馬だけで編成された部隊など
戦国時代には武田にも存在していない。
237日本@名無史さん:2005/03/21(月) 21:15:02
秋山真之は身長130cmたらずだった

ttp://www.lib.ehime-u.ac.jp/KUHI/JAP/saneyuki.html
238日本@名無史さん:2005/03/21(月) 21:30:03
光格天皇は2mくらいあったんでしょ。
239日本@名無史さん:2005/04/15(金) 00:15:45
本当なのかね?
240日本@名無史さん:2005/04/15(金) 15:45:04
農民から年貢を搾取し腹いっぱい食べた侍の平均身長が165cmだっただけだろ?

その時代の大多数を占める農民はかなり低かったのは容易に推測できる。

北朝鮮の子供を見ればわかるだろ。将軍に搾取された農民がどんなものか。
241日本@名無史さん:2005/04/15(金) 17:31:26
ここで一句

ちょっと待て  
  遠戦志向は 
    眉唾だ

242日本@名無史さん:2005/04/15(金) 18:20:11
>>241
日本の合戦は古来から弓矢、投石が主武器だ。そして鉄砲が伝来してからは鉄砲が大きな役割を果たした。
あと白兵戦でも槍が主体で刀なんて首ハネ用か仲間に組み伏せられた武者を殺すための物。

>>240
165まではいかないだろうな。
そもそも幕末の偉人がデカイというのも確固たる証拠があるものが少ない。
確かに文書や証言としては記録は残ってはいるのだが物的証拠がある人物は少ない。
だいたいそういう見た目による記録なんてのは
例えば土方の身長が見る人によって「高かった」「低かった」とまちまちだったりして
人間の目とか感じ方なんて当てにはならないし。
243日本@名無史さん:2005/04/15(金) 18:30:35
なんかその理屈を聞いて男塾の大豪院邪鬼がそのあまりの闘気から途方もなく巨大に見えるなんて話しを思い出した・・・
244日本@名無史さん:2005/04/15(金) 18:44:22
のび太のママの身長が193cmなのは有名。
ドラえもんの身長129.3cmから簡単に割り出せる。
それにママはのび太のパパよりも頭一個分以上高いし、凄い長身だとわかる。
245日本@名無史さん:2005/04/15(金) 18:45:58
        /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;  \     ┌────────────
          /;;;;;;;;;;  ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;  ;;;;;;;;;;  ヽ    │
         / ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;  ;;;;;;;;  ;;;;;;;     丶   │
        / ;;;;;;:  ;;;;;:   ;;;;;    ;;;;;     │  │日本人なんだろう グズグズするなよ
        / ;;;;;;;;;;  ;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;; ;;;;; ;;;;; ;;;  ;;;;;;;; │  │
       │;;;;;;;;;;;;//|| ||||| || ||||| |||| || ゞ:::::::: :::::::│  │胸のエンジンに火を付けろ〜!
       │;;;;;;;;;/|| || | |||| |||| ||| ||| || |||| | |ゞ:::::::::::│ │
      ∩;;;;;;/丿,;::≡ミミ;;、、 ソ  __,,,,、、、.. ゞ::::: /  │ 俺はここだぜ一足お先
       |/|;;;;//   _" _''ヘノ ヾ彡=''_""`` ヾ:::/、 │
       ((|ソ  ,─≦◎≧ヾ - , ≦◎≧- 、 ヾ|/) │光の速さであの国を壊滅さぁ〜!
       ヾ|||    - ̄ '    ヽ  ̄ -     ||ノ  │
        ヽ!|        /   ヽ        |ノ  │過去の歴史ってなんだ? 振り向かないことさ
        ゝ: 、    ( _   _ )      ノノ  < 
        ` ヽ     /   _ヽ ノ  ヾ     ノ    │核武装ってなんだ? ためらわないことさ〜!
        __>、    ,, '::_`_' _:` 、`    ./     │
      /\ _/ ヽ   ( /----- ヽ) ,   ノ      │JAPAN あばよ涙
     /   \ , 、  、ヽ、'  ̄ `ノノ_ ,/       │
   /      \ ヽ  ヾ、. ̄ ̄ (   )'丶      │JAPAN よろしく勇気
  /  ' "'' 、   \ \ _,, ̄ ''ノ ` ゛/  \     │
/ , - 、 ,,  `ヽ   \/   ̄ヽ '  ヽ    ,ゝ--、  │オレの祖国〜!JAPAN〜!♪


246日本@名無史さん:2005/04/15(金) 19:19:14
>>244
そうなると「くれよん しんちゃん」で5歳児がひざの辺りのミサエは身長5mくらいになってしまうわけだが。
247日本@名無史さん:2005/04/15(金) 21:08:39
>>242
それって鈴木眞哉の説そのままじゃねえか。
彼一人しか主張していないものを100信じて良いのか?

スレ違いだな
248日本@名無史さん:2005/04/17(日) 00:25:33
17世紀のオランダ人男性の平均身長も160cmだったらしい。
249日本@名無史さん:2005/04/17(日) 15:27:09
しかし大河の「武蔵」は大男というイメージが無かったな。

小次郎でかすぎ
250日本@名無史さん:2005/05/05(木) 00:36:36
中康次の小次郎に比べれば
251日本@名無史さん:2005/05/26(木) 01:38:22
でかかったな
252日本@名無史さん:2005/05/26(木) 01:53:40
昔の錦絵なんかじゃ小次郎=大兵肥満、武蔵=中肉中背
武蔵=大男、小次郎=優男は戦後の映画から
253日本@名無史さん:2005/05/26(木) 03:24:50
>1
鎌倉武将の畠山重忠は、六尺男だったらしいよ。
(約180cm)
254日本@名無史さん:2005/05/26(木) 03:50:58
>250
当時、中さんは190cmだって聞いた。
255日本@名無史さん:2005/05/26(木) 12:15:29
>>253
あんま言いたくないけど、
昔の大男ってのは誇張があるからね。

現代人みたいに正確な身長測定のデータがあるわけじゃないし、
「六尺の大男」とかいう伝承も所詮は証拠のない風聞でしかないし。
256日本@名無史さん:2005/05/26(木) 13:04:15
歴史はほとんど伝承じゃん。
そんなこと言うてたら、ちっとも面白くなくなるよ。
257日本@名無史さん:2005/05/26(木) 13:17:12
>255
あんま言いたくないことなら、言わなくていいんじゃない?
258日本@名無史さん:2005/05/29(日) 03:27:41
>253
遺された甲冑は、180cmの人でも裕に填まる大きな物だと聞いたことがある。
まぁ、その甲冑も伝承の範疇だと言われれば、それまでだが。
259日本@名無史さん:2005/06/17(金) 18:48:00
どこで聞いたの?
260日本@名無史さん:2005/06/17(金) 22:30:31
なんか日本人=チビとしたい工作員がいますね
261日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:48:28
ウホ
262日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:57:55
>>1
薩摩人がチビだから
263日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:00:58
島国である日本人の遺伝子構成が1000年くらいで変わるわけ
ないんだよね。
結局栄養の良かった(豊かな)人々は昔から今と同じくらいの
体格をして、同じくらいの寿命があり、そうでなかった人が小さ
くて寿命が短かったということ。
264日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:47:16
いや、栄養の分配が著しく違った点でしょうね。
痩せても殿様はいいもの食ってた。雑兵なんか1日2食、干飯だけの
時もあったから。頭蓋骨の調査で、身分に応じて食文化が大きく異
なり、身長体重に影響していたのがわかっています。
硬い雑穀を食ってた庶民の顔は顎が発達してたのに、徳川将軍なん
かは、現代人のように顎が細くて柔らかい物ばかりを食って虫歯が
あるのもいる。
頭蓋骨1つみても、2種類の日本人がいたように錯覚するほど。
身分制は、それくらい浸透していたと思います。

また幕末までいた武士階級に変わり、維新には軍制の近代化で
農民等が軍人になっていきます。それまで最低の栄養しか取れ
なかった人々が歴史の舞台にではじめたので、よりチビ化が顕
在化したのでしょうね。
265日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:43:10
ウソ
266日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:28:59
江戸時代後期から明治初期が寒冷期だったからだろ。
これは世界的現象で、夏に雪が降ったとか、ロンドンの川が凍ったとか色々報告がある。
日本でも何度も飢饉が発生し、これが江戸幕府衰退の一因ともなっている。
西洋の場合、アメリカとかに流民したり、植民地から物をもってきたりしたけど鎖国の日本は
つらかっただろうね。
267日本@名無史さん:2005/08/25(木) 00:55:45
へえ
268日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:08:06
平安時代・江戸時代は寒冷期で身長が低い。
269日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:12:21
1ヶ月前のレスとかぶってるやん。。。
ちゃんとみないとだめだな。うん
270日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:49:57
身長が高いと言っても、率から言うとすごく稀だったように思うのだが
それと、勇猛果敢というのを表現する上での資料の改竄も多々あったし。
ちなみに、剣豪とかだと背が低い人が多いという資料が多いよ。

それと、日本の馬は小さく丈夫なものが多かった。
だから、伝承をサラブレットとか現代時代劇の大きさで見るととんでもない誤差が出るよ
271日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:30:40
>>260
日本人に限らず昔の人はどこの国もチビだよ。
中世の北欧の「天をつく大男」と言われた王の身長を計ってみると175cmで、
その「ちょっと小柄な女性」と評された妻の慎重が135cm程度だったとわかってたりする。
272日本@名無史さん:2005/09/10(土) 10:58:26
しかし統計見てみると日本人も結構大きいな。アジアじゃあトップクラスだろ
欧米人と比べてもラテン系の人間なんかとはほとんど変らないな。
まあゲルマン系の方が今でも大きいがこいつらは世界でもトップクラスの身長だからな

いまだにスポーツ雑誌で小柄な日本人は・・・みたいな記述があるのは納得いかないな
273日本@名無史さん:2005/09/10(土) 11:39:10
>>18-19
ワラタwwwww
274日本@名無史さん:2005/09/16(金) 18:10:30
平安貴族は平均身長が175センチ
275日本@名無史さん:2005/09/16(金) 18:19:46
>>274
違うよ155cmくらい。
平安時代は比較的身長の低い時代。
276日本@名無史さん:2005/09/16(金) 18:31:49
日本人の身長が高いのは近代〜現代なのは言うまでもないが、
低かったじきは江戸〜明治初期と平安時代と言われてる。
平安貴族なんてみんなクリクリと小さかったんだが。
277日本@名無史さん:2005/09/16(金) 18:59:23
>>263

随分、非科学的なことを言ってるな。
278日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:01:50
>>263
というか現代の日本人だけが異常に背が高いにもかかわらず、
現代を基準にしても意味がないと思うのだが。
279日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:11:10
>>272
「小柄な日本人は」とか言ってるがオリンピックにいくような奴は
皆、外人と並んでも遜色ないようなデカブツばかりのような気もするが。
強いて言えば谷亮子は小さいが、奴は最軽量級で勝ち抜いて出場したんだしさ。
280日本@名無史さん:2005/10/01(土) 15:35:04
江戸時代は人口増に食料生産が追いついてなかったはず
一人あたりの食べ物が減れば、体格が小さくなるのも当然
281日本@名無史さん:2005/10/01(土) 22:25:00
北鮮では金日成、金正日の政権が続いたせいでチビが増えたようだな。政権によって
体格までちぢこもるとはおそろしい。

282日本@名無史さん:2005/10/01(土) 23:05:36
鎌倉時代。
東北の人間は背が高かったそうだ。
ロシアの血が混じったのか?
283日本@名無史さん:2005/10/05(水) 03:44:08
284日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:42:09
そうだろうね。
285日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:06:58
>>282
ロシア人なんて当時はかげも形もない。
286日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:32:18
>>282はアホ
287日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:38:05
鎌倉時代の日本人が長身、長頭化したのは気候が暖かかったから。
食糧事情も改善されたのだろう。
288日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:44:25
天皇家は時代逆行しているね
289日本@名無史さん:2005/11/16(水) 00:19:40
身長が高いか低いかよりも、骨が太いか細いかで比べようぜ!!


ヒョロヒョロ背ばかり高いのが揃っても、どうしようもないからな
290日本@名無史さん:2005/11/16(水) 00:29:08
骨密度で比べろよ。
291日本@名無史さん:2005/11/16(水) 01:24:08
どうでもいいけど、もんもんきもいな
292日本@名無史さん:2005/11/16(水) 01:27:34
ジャンガジャンガジャカジャ〜ン♪
293日本@名無史さん:2005/12/02(金) 15:52:38
294日本@名無史さん:2005/12/02(金) 16:22:02
ヒント:海流
295ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 20:47:59 BE:135796493-##
     //
   _//
/ ||_ノ          __________________
\/// ̄\      /
 |> <_> \     | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。
 く\___|    <
 |∇     \   | 明日宮内庁を爆破する。
  \__/       \
    |≧||≦ ̄|       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜
天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので
あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景
には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差
が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、
天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。
さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう
ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民
はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消
し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。
世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的
意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー
そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
296日本@名無史さん:2005/12/14(水) 21:08:28
大樹寺にある徳川吉宗の位牌は高さ156cm
増上寺改葬に伴う発掘調査で、数代の将軍の身長が計測され
これが大樹寺の位牌の高さと良く合致したことから、
吉宗の身長もまた、156cm+αと推測される

・・・とは「徳川将軍家十五代のカルテ」
297日本@名無史さん:2005/12/14(水) 21:26:17
その位牌と遺体の身長は、それほど対応してないよ。
けっこう身長差のある人もいて、なんかこじつけっぽい。
298日本@名無史さん:2006/01/14(土) 13:31:16
極稀に女性の方が背丈のあるカップルを見掛ける事がありますが、どーしても女性に何か欠陥があるのではないかと女性を見てしまいます。
するとやはり微妙にズレてるというか、少し変わってる印象を受けます。
仮にその女性が一人で歩いていたとしたら全くの自然になりうると思うのですが、女性が自身より背丈の無い男性と二人でいる時ウィークポイントを際立たせてしまうのではないかと思います。
299日本@名無史さん:2006/01/31(火) 19:58:08
300日本@名無史さん:2006/03/12(日) 21:43:16
昔は、一時期を除き、外国と戦争する必要が無かった。
「やあやあ我こそは・・・」と言ってたら済んだ。
いわば井の中の蛙。

しかし、明治以降外国と戦争するためには
フットワークを身につける必要が生じた。
そして、より俊敏な動きをするために小柄になった。

進化したわけだよ。
301日本@名無史さん:2006/03/13(月) 07:16:05
戊辰戦争の時、東北地方で薩長軍が行った大虐殺の結果、背が高い東北人の人口が激減して小人である薩長人の人口比率が高くなり、平均身長が下がった。
302日本@名無史さん:2006/03/13(月) 09:52:01
内田写真館
303日本@名無史さん:2006/03/31(金) 17:40:20
  
304日本@名無史さん:2006/03/31(金) 17:47:07
>>301
ワロスw
305日本@名無史さん:2006/03/32(土) 08:26:02
>>301
ほほう、薩長陣は小人だったのか〜。
大虐殺は自分達が小人であったのが
悔かった為の腹癒せだったのか。
306日本人:2006/04/09(日) 21:04:32
マドリード、パリ、ローマの町歩いてると小柄。北欧は大きい。日本に来ている
留学生も大きいのも、小さいのもいる。日本の若者のほうが大きい。
307日本@名無史さん:2006/04/09(日) 21:47:14
>>301

東北諸藩の圧政のもと永らくその存在を無視され続けてきた
東北百姓たちが統計に加えられるようになったことにより、
日本人の平均身長が下がったのだ。
東北百姓が新政府により解放された時、
彼らは300年近くに渡る収奪により小人同然の体格であったという。
308日本@名無史さん:2006/04/09(日) 22:23:05
>>301
東北身長高いのか?

Sauceありなのか?
309日本@名無史さん:2006/04/09(日) 22:23:26
フランス人と日本人のハーフと思われるルパン3世が身長167センチなのは
どういうワケか??(ソースはルパン対クローン人間)
310日本@名無史さん:2006/04/09(日) 22:43:47
>>298から途端に低レベルになった
311日本@名無史さん:2006/05/20(土) 15:33:48
んなこたああない
312日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:22:28
西郷さんいいヒト・・・
313日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:28:56
薩摩、身長高いじゃないの?


西郷ほか数名180近くあるだろ!


身長も身体も生活環境や恵まれた食生活です。
314日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:36:24
当てにならんわ
315日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:46:40
大久保:190cm

西郷:180cm
316日本@名無史さん:2006/06/30(金) 15:51:25
そうか、なんか最近世の中が狭くなったような気がしてたのは
産業革命で人間が増えた上にでかくなったからか。
面積取りすぎ。
317日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:22:51
相撲取りは背が高い
318日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:36:11
>>1
江戸時代には人間として扱われずに
その存在を無視されて生きていた人々が、
明治になってきちんと戸籍に取り込まれるようになったからだよ。

こういった人たちは長らく虐げられ続け
粗悪な栄養状態のもとで育ってきたから、
その体格は極めて貧相。
成人でも現在の小学3年生くらいの体型。
319:2006/07/03(月) 22:53:59
日本人梅毒説、江戸末期以降白人からもたらされた梅毒が蔓延した
320日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:19:18
龍馬170CM。え〜、、、
321日本@名無史さん:2006/07/15(土) 03:45:49
江戸末期に大きい人が多いのは剣術が盛んになって、体を鍛えてる男が増えたからだろう。
剣道って体全部鍛えるからね。明治になったら廃刀だもの、平均身長おちたのも分からなくもない…
322日本@名無史さん:2006/07/15(土) 04:03:21
>>190 おお?全員ソースきぼん。暇なら。
323日本@名無史さん:2006/07/15(土) 04:04:03
とりあえず僕は寝る。
324日本@名無史さん:2006/07/15(土) 09:25:37
このスレは身長の話だろ?
子供のうちから鍛えすぎると背が伸びないという話はよく聞くが
体を鍛えて背が伸びたなんて聞いたことがない
325日本@名無史さん:2006/07/15(土) 10:15:29
いやいや、スレ違ったスマソ
ただ、もともと骨格があって背があったのが大きいだろうけれど、
剣道は足腰を鍛える分、子供のうちからやっていれば、骨を丈夫にしていくことになってはいたと思われ。
326日本@名無史さん:2006/07/17(月) 12:10:36
剣道と身長の伸びにはあんまり因果関係はないように思うが。
327日本@名無史さん:2006/07/17(月) 12:47:23
龍馬公式身長173cm 〜175cm
328日本@名無史さん:2006/07/19(水) 12:26:55
>>326
どんな運動をしていたのかっていうのは結構身長に関係がある
329日本@名無史さん:2006/07/20(木) 17:51:19
だれか俺の身長、1センチ100万円で買ってくれ、この身長。やるから。

身長178センチもある。体重は70キロ
かなり良い具合の長身マッチョだと思うんだ。
身長あればモテるわけじゃねーよ、それって現実見てない。
モテル時もあるよ。ブスで顔デカイ5頭身〜6頭身くらいのチビ女とかオタクっぽい女とかにね。

美人、かわいい子は背高くなくてもイケメンな奴に持っていかれる。身長はほとんど関係ない。
170センチくらいのチビでもいいからイケメンに生まれたかったな〜
結局顔の良い奴等がくっついて、俺みたいな身長だけが取りえのブサメンは顔面偏差値32〜45くらいの微妙なブスにしか相手にされないんだ
330日本@名無史さん:2006/07/20(木) 19:29:32
>>321
日本史好きな奴に結構多いんだが、
こういう精神論に汚染された馬鹿な知識を
いったいどこで身につけてくるのやら…。
331日本@名無史さん:2006/07/20(木) 21:07:32
日本人が経済成長とともに身長も伸びた結果、シナ人より大きくなったのだが、
シナ人は非常に驚いたらしいな。

 逆に日本人は北鮮人の身長が縮んだことに驚いた。政権によって身長まで伸縮
するものらしい。
332日本@名無史さん:2006/07/21(金) 19:59:00
>>330
どこに精神論が?????????
333日本@名無史さん:2006/07/21(金) 23:34:50
武蔵は180センチあったんだよねたしか。
334日本@名無史さん:2006/07/22(土) 12:50:56
明治になったら徴兵令があったから身長嘘ついたっていうのはだめか
335日本@名無史さん:2006/07/23(日) 09:01:13
畠山鈴香の娘の彩香の身長が140cmくらいと聞いて驚いた。
山県昌景や徳川綱吉は現在の9歳児よりも小さいのか!?
336日本@名無史さん:2006/07/23(日) 13:52:13
うちの親父が昭和24年生まれ165cmくらいだが、昭和15年生まれの叔父が170cm以上あった。
父の家は終戦後、貧しくなったらしいがやはりその影響か?
叔父の正確な身長わからないが、亡くなったときストレッチャーぴったし位あったから結構な身長だ。
まだ骨が仏壇の前においてあるから組み立て(ry
337日本@名無史さん:2006/08/21(月) 10:44:06
>>335
山県昌景もそんなに小さかったんだ?
338日本@名無史さん:2006/08/21(月) 13:39:10
>>330 俺の親戚、道場やってる。
子供のときから通ってる人たちは
確かに割合でいったら、体格良いのが多い。

身長じたいは関係ないかも、むしろ遺伝子だろ。
339日本@名無史さん:2006/10/21(土) 13:59:48
ほー
340日本@名無史さん:2006/10/21(土) 17:23:33
>>336
それはあんたの家系が割と大柄なだけ。
俺の呼んだ本だと対馬の凶悪殺人犯、古谷惣吉は
165cmで巨漢と島内で恐れられてたという記述がある。

>>337
割りと有名だよ。
しかも奴は兎口症(三ツ口)だし、
つまり鼻筋のとこが兎の口のように割れてる。
341日本@名無史さん:2006/10/21(土) 17:32:55
博物館や宝物館いくと歴代藩主の甲冑が飾ってあるけど、
現代の日本人であれ着られる人は結構小柄だと思う。

たまに戦国武将あがりの初代藩主のも残っているが、やっぱり小さいな。
342日本@名無史さん:2006/10/21(土) 17:52:50
朝鮮人子孫の薩長兵が純粋日本人を各地で大量虐殺してその汚れた血を大量強姦で各地を汚染したから
343日本@名無史さん:2006/10/30(月) 19:46:52
>>340
対馬は馬も人も小さいのか
344日本@名無史さん:2006/10/30(月) 19:52:35
>>342 はじまっちゃた朝鮮ネタかW


因果関係なし


身長低い140cm 秀吉・秀長 実兄弟

>>1宮本武蔵 武将じゃない剣豪
345日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:42:49
>>1雑種強勢に因り、高くなった筈だが…
346日本@名無史さん:2006/11/27(月) 23:53:49
この手のスレでよく思うんだけど背が高いって女からみて魅力的なもんなの?
俺178センチもあるけど背が高いからモテて付き合えたとか全然なくて、大抵俺が必死こいて付き合えたケースしかないんで全然そう思えない。

で、俺が思うにこの高身長=魅力っていう図式をたたき出したのは
小男の大男に対する僻みがねじれた結果、間違ったものが伝わっただけじゃないかと思うんだが。
実際、高身長ってだけでモテたら俺はとんでもなく嬉しいよ。
ちょっとした自信にもなる、でもそう思えるようなことが起きたことねぇwww
347日本@名無史さん:2006/11/28(火) 00:50:12
>>346

20〜30年前の日本では、背が高いだけでモテたと思う。
しかし、現代は情報が氾濫し目が越え、趣味や系統によって人をカテゴライズ
する社会になったから、背の高さよりも、ファッションや趣味、嗜好、ライフスタイル
の方が重要視されると思う。

高身長=魅力っていうのは、戦後、マッカーサーと並んだ天皇陛下の写真
が象徴しているように、欧米人に憧れてたから。
348日本@名無史さん:2006/12/10(日) 04:29:35
出自良く、栄養状態も良い高身長の権力者から
出自悪く、栄養状態も悪かった下級層が台頭したのが明治維新
チビが増えたのではなく、チビが目立っただけである
349日本@名無史さん:2006/12/10(日) 13:42:03
>それなのになんで明治時代になると急に平均身長150cmとかになってんの?

答えを言うとな、
明治になってから正確な身長を測り始めたから。
伝説的な人物は大きくみせたいとこだが
正確に身長を測るとごまかせない。
江戸時代の侍は、ちっちゃいちっちゃいのがほんと
350日本@名無史さん:2006/12/10(日) 19:43:03
身長は、成長期の栄養状態に左右される。それは、昔も今も変らない。
貴様等の周りを考えてもらいたい。必ず金持ちは高身長で、貧乏人は
低身長だ。低身長の金持ちがいたとしたら、それは出自の悪い成金だ。
351日本@名無史さん:2006/12/10(日) 20:36:21
>350
お言葉ですが
天皇家は貧乏でもないし出自が悪いとも言わないと思うんですが、
天皇様も皇太子様も高身長ですか?
352日本@名無史さん:2006/12/11(月) 15:21:03
>>351
あそこの家は運動が足りないのじゃないかな。
353日本@名無史さん:2006/12/12(火) 07:43:05
160〜164 低い
165〜168 低め
169〜173 普通
174〜177 高め
178〜184 高い
354日本@名無史さん:2006/12/12(火) 12:39:20
>>1
江戸時代には人間扱いされてなかった農民が、
明治には人間としてカウントされるようになったからだよ。
355日本@名無史さん:2006/12/12(火) 13:54:59
戦国時代は肉食が盛んだったため身長は伸びたが
江戸時代に入って、魚を進め、肉食は良くないという教えが
坊主を通じて広まった そのため 江戸時代も末期になるほど
身長が低くなっていった 明治から肉食が復活したため
再び身長が伸び始めた 江戸時代末期の女の平均身長は143センチほどだ
男は150センチくらいにまで低くなっていた
生理学的理由からも明治維新は必然だった
356日本@名無史さん:2006/12/12(火) 15:12:07
>>355
戦国時代は身長高かったというのは疑問だな。
博物館やら宝物館に飾ってある戦国武将の甲冑はあまり大きい人は着れない。
自分は175あるけど、戦国時代だったら巨漢と認識されると思う。
357日本@名無史さん:2006/12/12(火) 19:27:17
>355
ここまで説得力ない説も珍しいな。
だいたい>1が無茶苦茶なこと言ってる意味のないスレなんだが、
そりゃ戦国時代の武将は大きい方が絵になるし、そうであってほしいけど、
実際は>356の言うとおり。
資料館で見る様々な身につける道具のサイズは小さいな
358日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:56:42
実際、写真でもない限り身長ってわからないよね
359日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:30:17
>>350
オイオイ
360キーワード:2007/01/09(火) 01:43:27
西洋かぶれ 散切り頭 士族の商法総則 郵便箱(垂便箱) あぐら鍋
361日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:17:13
自己の文化を切り捨て、脱亜入欧で西洋にかぶれて
欧米の猿真似するようになると人間は退化して成長が止まる
362日本@名無史さん:2007/01/16(火) 17:46:22
>>190
昔剣道をやっていたけど、確かに180前後や190近い人が結構いたなあ
体を鍛えているとやっぱりその分身長が伸びるのかな
363日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:01:48
気温って何百年の周期で上がったり下がったりするじゃん。
それで、平均身長の高低がそれに左右されるって、昔何かの本で読んだ様な気がする。
正しいかどうか知らんよ。
364日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:49:35
過去1000年の広範囲にわたる二つのできごととして、気温が比較的温暖だった中世の温暖期と
寒冷だった小氷期と呼ばれる出来事があったが、人為的な要因はその時代では小さいと考えら
れるので、これらの変化は自然的な原因で起こったとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E5%80%99%E5%A4%89%E5%8B%95
365日本@名無史さん:2007/02/02(金) 21:50:21
過疎スレ揚げちゃいますよ!
366日本@名無史さん:2007/03/17(土) 21:15:56
ほほー
367日本@名無史さん:2007/04/14(土) 00:54:05
過疎
368日本@名無史さん:2007/04/14(土) 02:35:07
髷を落としたからじゃまいか?
369日本@名無史さん:2007/05/17(木) 17:30:26
古来から戦国時代まで、武将が乗っていた馬ってポニーのような小型馬だし、
(今ドラマでやってるのは明治以降の外来種)
戦国大名って、現代人に比べれば小さかったんだろうなあ〜
遺骨とか出てこんと分からんが。
370日本@名無史さん:2007/05/17(木) 18:51:54
それは中型馬と言います。
競走馬が特殊なのよ。
371日本@名無史さん:2007/05/20(日) 22:12:30
武士の家系の者です。私は中・高と美術部でしたが178cm。
兄は剣道部で27人抜きとか自慢していますが身長は172cmですよ。
372よしき:2007/06/13(水) 15:36:55
徳川将軍の小柄な人
綱吉124センチ 家継135センチ(成人できず) 家慶154センチ 家定149センチ
江戸時代も小さい人がそこそこいた。
373日本@名無史さん:2007/06/13(水) 15:40:03
綱吉は遺骨が残ってないから、墓標からの推察。確定ではない。
家継は数え8歳で死んだから、8歳にしては大柄なほうかも?
ということでこの2人は省くべき。
江戸時代は気温が低く、飢饉が続いて、
日本人は成長できなかったらしい。
女性では、和宮が148cm。
374よしき:2007/06/13(水) 15:48:34
家継を成人した将軍達と比べてしまって・・・。(汗
綱吉は位牌の高さにあわせました。
373さんのいうとおり、家定、家継ははずしましょう。
でも和宮は143ですよ。
375よしき:2007/06/13(水) 15:49:16
家定ではなく、綱吉でした。
376日本@名無史さん:2007/06/13(水) 16:13:28
化けるスレかも知れないな。

明治にも大柄な人はいただろうけどな。
確かに江戸期より明治期の方が平均が低かった
っていう確証があれば先に進みそうな。
377\<`Д´>/:2007/06/13(水) 19:07:35
日本人の身長は明治に入って増えたニダ。そんなの当たり前のことニダ。栄養状態がよくなったんだから当然ニダ。江戸時代は日本史上一番低い時代ニダ。現代以外で一番高いのは古墳時代ニダ。ウリの先祖が沢山移住したからニダ。マジレスニダー!
378日本@名無史さん:2007/06/14(木) 23:02:16
>>112確か残りはオーストラリアとオランダ??醜いと言うよりスタイルが悪いと言う話だったと思う。
>>270明治大正期の農耕馬は足が異常に太くかなり大きい
379日本@名無史さん:2007/06/18(月) 19:44:06
むしろ戦後伸びた理由がタブーなんだよ
380日本@名無史さん:2007/06/18(月) 19:57:41
戦後伸びた理由?
脱脂粉乳?
381日本@名無史さん:2007/06/18(月) 22:25:33
江戸時代を通じて人間としてカウントされず
弾圧・搾取の対象だったヒョロヒョロヘナヘナの百姓が
分母に加わったからだと何度も言ってるだろうが。
382日本@名無史さん:2007/08/12(日) 12:36:07
農民と武士だと武士のほうが体格がすぐれていたのか?
そうかなあ?
383日本@名無史さん:2007/09/23(日) 18:21:28
384日本@名無史さん:2007/10/15(月) 08:29:10
あげ
385日本@名無史さん:2007/10/23(火) 00:36:45
史記によると安氏様は6尺未満(138cm未満)だったそうです
386日本@名無史さん:2008/01/07(月) 16:19:29
二宮金二郎や雷電もでかいよ。雷電の手形なんてプロレスラーサイズだったもん。
387日本@名無史さん:2008/01/12(土) 15:40:05
大久保も西郷も大隈も背が高かったらしいね
388日本@名無史さん:2008/02/03(日) 14:57:37
力士はさすがに大きかったよね???
389日本@名無史さん:2008/02/27(水) 07:00:57
九州のやつは肉食ってやがったな
390日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:16:05
日本人の身長は江戸末期〜明治初頭が最も低いが、飢饉の影響。
明治時代を平均すると、江戸時代の平均よりも身長が高い。
江戸時代は低温期で飢饉が多かったため。
ちなみに、戦後を除くと、日本の歴史上一番身長が高かったのは古墳時代。

http://www.excite.co.jp/News/bit/00091185541629.html
http://milk.asm.ne.jp/jimu/hitori/hitori_13.htm
391日本@名無史さん
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。

日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!