【鎌倉】北条氏を語るスレPart2【執権】

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1日本@名無史さん
やっぱ北条氏といえば小田原じゃなくて鎌倉でしょう。
鎌倉幕府執権として一時代を築いた北条執権16代について語りましょう。
Part1
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1069485899/
2日本@名無史さん:04/02/29 02:14
執権って侍所と政所を兼務した人のこと?
それとも漠然と宰相みたいな職をさすの?
3日本@名無史さん:04/02/29 05:26
漏れの名字は三浦だ! 北条は嫌い!以上
4日本@名無史さん:04/02/29 11:22
>>3
三浦家は名門だったのにね。
同情するよ。
5日本@名無史さん:04/02/29 11:33
小学生のころ
漠然と「南条」氏というのがいて
それで南北朝時代というのがあるんだと思っていたよ。
6日本@名無史さん:04/02/29 11:34
和田さんも北条は嫌いらしいよ。
7日本@名無史さん:04/02/29 12:07
比企さん、畠山さん、梶原さん、上総さんも、み〜んな北条はキ・ラ・イ。
8日本@名無史さん:04/02/29 12:09
いまひとつパッとしないスレですね
9日本@名無史さん:04/02/29 12:20
上総介は北条にやられたのではない。
10日本@名無史さん:04/02/29 12:51
和田さんは三浦さんの方が嫌いになったような。
11日本@名無史さん:04/02/29 16:43
なぜ「三つ鱗」なんて生臭いものを家紋にしてしまったんだ?
12日本@名無史さん:04/02/29 19:42
生臭いって?
13我が家も三つ鱗:04/02/29 19:49
>>11
ほっとけ!
14日本@名無史さん:04/03/01 21:29
恐れ入りました。
15日蓮:04/03/02 13:18
   / ̄ ̄ ̄ ̄ \
  /          |
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  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  < 北条時頼タソ、ハァハァ・・・
/|         /\   \__________
16日本@名無史さん:04/03/02 18:09

俺は清和源氏の流れを組む新田氏の子孫。
北条は俺の一族が滅ぼした。
すまん。
鎌倉の北条氏滅亡の地「腹切りやぐら」に行った時には、霊や怨念を信じない俺でも気味が悪かった。

まぁその後、うちの一族も尊氏にやられちまったがな・・・。

隠岐の国に流刑にされた後醍醐天皇と一緒に落ちた血筋もいるのかな?
17日本@名無史さん:04/03/02 18:15
>>16
時行がいるから実際に北条を滅ぼしたのは新田じゃないな
てか最後の一行は意味不明。なに言ってんだ?
後醍醐が隠岐に流された後、新田は鎌倉幕府に叛旗を翻したんだぞ
新田義貞が死んだときも後醍醐は吉野でまだ生きとる
18日本@名無史さん:04/03/02 18:30


>>17
すげぇ。
その後、新田一族はどうなったの?
俺の一族は新田を名乗ることと武家として生きることをその後禁じられたみたいだ。
戦国時代には、大友家に仕えててその後は、秀吉に左遷された黒田家に世話になってた。
他の生き残りはどうなったのか気になる。

19日本@名無史さん:04/03/02 19:04
>>18
山名なんかは新田の家系だったりする。他にも新田の流れをくむ家系は多いはず
義貞の直系となると義貞の三人の子供(義顕、義興、義宗)は全員戦死してるが
義宗には子供がいて最後はどーなるかは知らんが存続してると思う
ちなみに義貞には脇屋義助って弟もいて、これにも義治って子供がいる
関東で義宗らと一緒に戦ったりして最後は死ぬんだが、こっちに子孫はいるんかな
20日本@名無史さん:04/03/02 20:52

名前に「義」を使いまくるのは辞めて欲しい。
爺さんの記憶でたどれる5・6代前までの名前を見ても、大半が「義」が付いてる。
もうネタが尽きて、同じ名前まで何度もつかってるし・・・。
>>19
しかし君は凄いね。
自分のことなのに君ほどは分からないのが悲しい。
俺の家系のように「新田」の名と武士の地位を取り上げられることって珍しくはないのかな?
でも大友家・黒だけにはよくしてもらったらしく「拝礼刀?」とか言われる感謝状つきの刀とかある。
あと、商人なのに手裏剣とかある。(怪しげ。)
脈絡のない物が自分のルーツを怪しげにしていると自分で思う。
21日本@名無史さん:04/03/03 02:45
>>20
妄想はもうたくさん
22日本@名無史さん:04/03/03 03:02
妄想はもうそう
23日本@名無史さん:04/03/04 00:33
和田さんは北条が好きらしいよ、これって名誉なことなんだぜ。
24日本@名無史さん:04/03/04 01:26
   / ̄ ̄ ̄ ̄ \
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  |      /__/ /  < 立正安国論。アレって時頼タソ宛の恋文だったぽ♥
/|         /\   \__________
25日本@名無史さん:04/03/04 21:11
いい結末だった。

994 :日本@名無史さん :04/03/04 14:02
994回目のぱっとしないレス。

995 :日本@名無史さん :04/03/04 20:03
995回目のぱっとしないレス。

996 :日本@名無史さん :04/03/04 20:23
996回目のぱっとするレス

997 :日本@名無史さん :04/03/04 20:43
997

998 :日本@名無史さん :04/03/04 20:52
ぱっ

999 :日本@名無史さん :04/03/04 21:01


1000 :日本@名無史さん :04/03/04 21:01
さいでりあ
26日本@名無史さん:04/03/04 22:06
新興産業が倒産さえしていなけりゃな。
27日本@名無史さん:04/03/05 01:30
>>25は全板荒らし。アク禁にしろ。
28日本@名無史さん:04/03/05 12:15
日本語さえ理解できていればな。
29日本@名無史さん:04/03/07 10:06

鎌倉時代に栄えた北条と
小田原の北条のつながりは?

まったくつながりがないってことはないよね。
エライひと教えて。
30日本@名無史さん:04/03/07 10:20
≫29
つながりは無いと思います。
北条早雲と呼ばれていますが、生前北条を名乗ったという記述は無い筈です。
31日本@名無史さん:04/03/07 11:36
>>29
貴方の言いたいつながりとは何ぞや?
血縁のことか?
32北条時頼:04/03/07 15:16
日蓮タソ、ハァハァ。
33日本@名無史さん:04/03/07 17:26
てゆーか北条時行までは分かるんだけど、
その後の彼らの子孫達は一体どんな感じで暮らしてたんでせうか?
あれほど権勢を誇った一門のその後がさっぱり分からん。
別に根絶やしにされたわけじゃ無いんでしょ?
少なくともぱっとしなかったのは確実なんだが、
農民に転落したのか、一武士に戻ったのか、出家させられたのか・・・・
34日本@名無史さん:04/03/07 18:05
≫33
時行の直系は・・・伝説の中にしか居ないとおもいます。
北条氏は大勢いました。地方に在住して既に鎌倉の御家人で無かった家は続いていきました。
兵庫県地方の淡河氏は北条時盛の子孫です。他に北条重時の子孫で塩田氏というのも居たと思う。

35日本@名無史さん:04/03/07 18:30
>>4
ロス疑惑の中の人も三浦さんなわけだが・・・・
36日本@名無史さん:04/03/07 19:27
>>35
だから何?
37日本@名無史さん:04/03/07 19:39
>>36
三浦もイメージが悪い人がいるという事。
レスの1つ2つで噛み付くとは余裕が無い人だね。
38日本@名無史さん:04/03/07 20:37
しかし、スイカはおいしい。
また、夏はギャルでいっぱいだ。
江ノ島よりは水がきれいでいい。
39日本@名無史さん:04/03/07 20:49
大体「和田さん」なんて言われたら
スーパーフリーしか思い浮かばんぞ
40日本@名無史さん:04/03/07 20:57
>>37
噛み付いているように見えたかな?
ただ疑問に思っただけなんだけど。
41日本@名無史さん:04/03/07 21:38
http://www.shizushin.com/kaonotabi/kao20000730.html
三浦按針は子孫あるいは養子を後世に残さなかったのかね。
一代限りの幕臣?

42日本@名無史さん:04/03/07 21:42
ちなみに常識かもしれんが、家康は三浦按針に数学、天文学、地理学を学んでいるわけで
免許皆伝をもっている事も考慮するとまさにパーフェクト超人。
漂着したのが関が原直後の事だからまさに驚異的だな。
43日本@名無史さん:04/03/07 22:10
>>41
ttp://island.qqq.or.jp/hp/matsura/ADAMUS.HTM
ここには「妻子」と書いてある。
これ以上は徳川スレに行きましょう。
44山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/07 22:59
>>42
『吾妻鏡』や『拾芥抄』を始めとした諸々の書を読んでいた学問好き(まあ
学者レベルじゃありませんでしたが)でしたからね。
この点だけ見ても信長・秀吉とは同列に論じられないという人もいる。
45日本@名無史さん:04/03/08 01:14
所詮、三成や秀頼や淀の方では約不足。
上総介=信長でなくば家康は取れん。
46日本@名無史さん:04/03/08 18:38
≫45
約不足?字も使い方も違う!
47日本@名無史さん:04/03/09 00:43
>兵庫県地方の淡河氏は北条時盛の子孫です。他に北条重時の子孫で塩田氏というのも居たと思う。
こーゆうのはどの程度信頼できるんだろうか。
48日本@名無史さん:04/03/09 09:28
≫47
少なくとも時行の子孫を名乗る人は眉唾。それらよりは信頼出来る。
49日本@名無史さん:04/03/09 22:56
国時以降の塩田氏ってどうなったのさ?
50日本@名無史さん:04/03/10 00:38
幕末活躍した横井小楠も北条氏の子孫といってますね。
これが後世一番高名な北条末裔かな?
信憑性は知りませんが。
51日本@名無史さん:04/03/10 01:23
小南の家の本家の横井氏は北条氏後裔ですね。
52北条時頼:04/03/10 15:54
九条頼経を殺せ・・・
       九条頼嗣を殺せ・・・

               北条長時を殺せ・・・
                      北条時輔を殺せ・・・
 
53日本@名無史さん:04/03/10 22:08
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    l::||::::               |l
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    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ あげとけよ、バカ。
       ̄`ー―---oo-――'"
             ハ
54日本@名無史さん:04/03/10 22:22
まだ粘着が一匹残ってるな(w
55日本@名無史さん:04/03/12 14:53
九条頼経を殺せ・・・
       九条頼嗣を殺せ・・・

               北条長時を殺せ・・・
                      北条時輔を殺せ・・・
56日本@名無史さん:04/03/12 23:42

鎌倉時代の北条氏と戦国の北条氏は、血のつながりも家柄のつながりもないってことなの?
57日本@名無史さん:04/03/13 01:20
氏綱の北条氏への改姓は相模支配の正当性を主張するためといわれているが
もしそうなら全くつながりが無かったということでしょう
58日本@名無史さん:04/03/13 02:39
群馬県太田市にある大光院てのは徳川家康公が、始祖新田義重を弔うために
建立されたとあるがこれ本当なの?
59日本@名無史さん:04/03/13 09:24
≫56
血のつながりは無かったとおもいます。
ただし家柄のつながりは・・・ロマンを求める腐女子には、つながりがあって欲しい
北条氏も六波羅平家も桓武平氏で、六波羅平家の出身は伊勢。北条早雲も伊勢。
北条氏も早雲も海の一族であり、とお〜い御先祖様にチョットしたつながりがあったら嬉しいな。
60日本@名無史さん:04/03/14 00:38
>>59
早雲は備中だろ
61日本@名無史さん:04/03/18 23:33
義時は冷酷な人だったのでしょうか?
62日本@名無史さん:04/03/19 00:22
北条一族も同和暦400年。祝!!
63日本@名無史さん:04/03/19 11:20
義時は冷酷な人ではありません。ただの狸です。
冷酷な人と言われるのは妹達の嫁ぎ先を滅ぼしたからかな?
死んだ妻の実家を滅ぼしたから?
でも最後は5番目の妻に毒殺されるのね。可哀相な人。
64日本@名無史さん:04/03/19 23:04
毒殺ですか・・・
65日本@名無史さん:04/03/20 00:53
も〜りもりもり、まんまんまん♪
ホルスタイン盛子(正しくはモリ夫)と種馬政子(同、マン)。
66日本@名無史さん:04/03/28 15:31
age
67日本@名無史さん:04/03/28 16:07
>>59-60
早雲は伊勢氏の一族だが、本人の出身地は備中。
68日本@名無史さん:04/03/28 22:24
バカラ賭博で失敗して逃げちゃった市長は鎌倉北条氏の末裔だったよね。
石井三雄とか言ったかな??
69日本@名無史さん:04/03/28 22:45
北条政子の政治活動は日本の女性政治家ではベスト3に入る
くらいだとおもうがどうか?天皇や卑弥呼とかを除けばこれに
比肩するのは淀殿と日野冨子くらいだね。
息子二人も死なせちゃってるし実の親父もクーデターで失脚させちゃってるし。
7069:04/03/28 22:51
承久の乱のときなんかこの人一人でほとんど完全に朝廷を敵に回して
勝っちゃてるしな。
71日本@名無史さん:04/03/28 23:35
>>70
当時の朝廷は一枚岩ではないですよ。
親鎌倉的な公卿の存在が重要。
72日本@名無史さん:04/03/28 23:40
>>67
てゆうか、本当に桓武平氏に繋がるのかどうか疑問の余地がある鎌倉北条氏よりも、
明らかに桓武平氏の出身である早雲の後北条氏のほうが家柄は良い。
73日本@名無史さん:04/03/29 21:10
北条政子は確かに優れた政治家ですが、兄義時&弟時房が優秀で絆が固かった事と
大江広元等、側近に恵まれた事が幸運だったと思います。
淀殿も日野富子も身近に頼りになる人間がいなかった。チョット遠くには居たけど
気が付かなかったのね。
74日本@名無史さん:04/03/29 22:23
>>73
義時は政子の弟ですが・・・。
75日本@名無史さん:04/03/30 08:36
北条家の歴代得宗が早死になのは過労死という説がある
76日本@名無史さん:04/03/30 17:09
>>75

政子(姉)→義時(政子の弟だが時房にとっては兄)→時房(弟)の意味かと
77日本@名無史さん:04/03/30 17:12
>>75
職務にかかわる緊張度の激しさもあるが、時宗以降は、安達氏や北条氏内部での
あまりに過ぎた近親婚が短命の原因と考えられる。

泰時までは結構長生きですよ。
78日本@名無史さん:04/03/30 17:44
近親婚が早死を招くなんてデータあるのかい?
79日本@名無史さん:04/03/30 19:08
>>77
足利家と縁戚関係を結んでいるんでそうばっかではないと思うんだが
80日本@名無史さん:04/03/30 19:44
足利氏から北条に嫁いでいるケースは、
足利泰氏娘が、普音寺業時に、
吉良満氏娘が佐介時国に嫁いでるくらいじゃないか?

時頼以降の得宗家の室を見ていると

北条重時(義時子)娘:時頼室・時宗母
安達義景娘:時宗室・貞時母
大室泰宗(安達義景子大室景村子)娘:貞時室・高時・泰家母
安達時顕(安達義景子顕盛孫)娘:高時室

確かに安達氏から室を迎えているが、
貞時・高時二代だけが母を安達氏としてることが分かる。
これだけじゃ近親婚云々とは言えないんじゃないの?
81日本@名無史さん:04/03/30 21:24
時宗の祖母と妻が叔母と姪の関係。時宗の妻の祖父は北条時房。
だから貞時の父にとって母はいとこの子でもあり又いとこでもあるのかな?
近親というほどでは無いけど父方母方合わせると血が濃いような気がする。
82日本@名無史さん:04/03/30 21:50
俗な考えだが一服盛られてるケースもあるだろう。
有力御家人は「俺は将軍様の家来で北条の家来ではない」と思ってただろうから。
また、北条氏内部でも、名門でありながら常に反主流だった名越家を抱えていた。
83日本@名無史さん:04/03/30 22:24
>>82
大河ドラマの見すぎ。
色々な意味で。
84日本@名無史さん:04/03/31 23:27
23歳。
去年まで鎌倉殿だったけど、遊興と乱行で四年で幽閉された。
就任早々のみだけど、寵臣をつくれば政争(一人たい十一人くらい)を起せる。
起すだけ起して庇護せずに見捨てることもできるし、
ケツの青い側近を作って市井を乱すこともできる。
家臣の妻妾に思い切って手を出せば100パーセント恨みを買うけど
恨まれたら兵を起こせばいいだけ。暇つぶしになるけど母親には叱られた。
蹴鞠とか蹴鞠とか、とにかく蹴鞠三昧。幽閉されるので一度やってみなよ。
85日本@名無史さん:04/04/01 23:09
>>84
なぜに頼家
86日本@名無史さん:04/04/07 23:36
昨日、鎌倉に上ったんです。鎌倉。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで歩けないんです。
で、よく聞くとなんか陸奥入道と平左衛門尉が一触即発で、首一つで1町歩、とか言ってんです 。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、相も変わらず、1町歩如きでわざわざ鎌倉に来てんじゃねーよ、ボケが 。
1町歩だよ、1町歩。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で抗争参加か。おめでてーな。
よーしパパ泰盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、俺の所領から1町歩譲ってやるからその通空けろと。
87日本@名無史さん:04/04/07 23:45
>泰盛頼んじゃうぞー
ワラタ
88日本@名無史さん:04/04/14 11:31
大河ドラマ「義経」では北条政子(財前直見)はどうも悪役らしい。鬱だ・・・
89日本@名無史さん:04/04/14 15:09
岩下志麻ほど北条政子役が似合う女優はいないでしょう!
90日本@名無史さん:04/04/14 15:11
政子は悪い人じゃないのにね・・・
91金魚:04/04/14 19:11
 初期の北条氏って、人材豊富だよね。おそらく、時政本人か、妻か、使用人か
誰かに、日本史上最高の教育者がいたんだろうな。
92日本@名無史さん:04/04/14 19:29
>>90
そんなの分からないよ?
93日本@名無史さん:04/04/15 09:31
政子さんは悪い人じゃありません。絶対!
優秀な政治家だと思います。
永井路子さんに書かせると、どんな人も平凡な人になってしまうのが哀しい。
94日本@名無史さん:04/04/15 19:12
政子ほど、人によって評価の異なる人も珍しいね。
研究者には極悪人のように書く人もいるからね。
結果的には源氏を潰す手助けをしてしまい、
実の父親も鎌倉から追放したわけだけど…。
95日本@名無史さん:04/04/15 19:58
実子2人も見殺しだしね。
日本人にはウケが悪い人間の典型ではないかな。
96日本@名無史さん:04/04/16 23:35
見殺し?人聞きの悪い。頼家を誅したのは北条時政。政子は息子を助ける為に
出家させたんだと思う。実朝暗殺は政子には一切関係の無い事。三浦の陰謀だ!
大姫の死は義高を想うあまりに鬱になったせい。三幡は京都から派遣された
医師に毒殺された。
97日本@名無史さん:04/04/16 23:43
大陸の血が濃いですから。
98日本@名無史さん:04/04/17 10:32
すれ違いなのは承知の上でどなたか教えてください。
江戸時代の鎌倉はどうなっていたのですか。
天然の要害なのに放置されてたのでしょうか。
参勤交代の途中で外様大藩が鎌倉に立て籠もったりしたら一大事だったと
思うのですが。
99日本@名無史さん:04/04/17 13:41
北条政子は日本の女性政治家ではおそらく最も優秀な一人に入ると思う。
承久の乱の対応は見事の一言。
100日本@名無史さん:04/04/17 13:58
桓武平氏の名門ですから。
101山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/17 15:28
しかし直接演説していないというのは意外と知られていない。
102日本@名無史さん:04/04/17 22:29
>>98
金沢八景、江ノ島などと同様、文人墨客にとっての観光地。
103日本@名無史さん:04/04/18 09:19
庶民も大山まいりの後は鎌倉を見物。江ノ島は女性に人気がありました。
男達は精進落としと称して女遊び。
104日本@名無史さん:04/04/18 10:46
>>98
江戸時代の鎌倉といえば、あの黄門様も観光に訪れていたっけ

>>101
景盛を通して、ってことか
105日本@名無史さん:04/04/24 23:41
>>44
>信長・秀吉とは同列に論じられないという人もいる。
家康が吾妻鑑を読み始めるのって関東移封後じゃないの?北条家本は黒田から献上されたんでしょ。
だとすれば信長の没年より上の年齢で読み始めたわけだから、一概に比べられないと思うんだけど。
(ココttp://homepage3.nifty.com/daikichibunko/aduma01.htmで北条本の来歴みると、このレスが誤りだと分かる)

>>56
女系も含めれば無いってことはない。
北条氏政の母親⇒今川氏
これだけでも鎌倉北条の血は確実に入ってる。
106日本@名無史さん:04/04/26 23:45
平禅門の乱は笑えた!
死者1人ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー10人突破!よーし次は100人突破しろーって)
でも結局は93人しか死んでねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。
平禅門の乱は笑えた。まじで
閻魔に聞いて、手を叩いてわらったなぁ。
おまえらが誅伐にあってる間、地獄でみかん食ってた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざ経師谷に化けて出て記念に題目唱えようかと思ったよ。
でも平禅門の乱のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
たしか嫡男が得宗邸に逃げ込んでいたけどさ、
あそこらへんって出自が如何わしいからそのまま全滅させたかったんだよね。
今でも庶流が内管領になってるらしいけど、
せこいんだよ!やつら法華最大の敵なんだよね。むかつく。
ところで被誅の際中はあいつらって厠どうしてたの?
もしかして垂れ流し?汚ねぇなぁー。
どちらにしろ燃え盛る金吾禅門邸は、どこも堕在泥梨、爽快だった!
気持ちの良い夕刻でした
107日本@名無史さん:04/04/27 00:26
>>106
おもろいから他にもつくってくれ。
幕府滅亡のとか。
108日本@名無史さん:04/04/27 00:48
>>106
氏ねカスが
109日本@名無史さん:04/04/27 01:01
>>108
平頼綱ファソは氏ね!
110108:04/04/27 22:25
>>109
逆賊足利は市ね
111日本@名無史さん:04/04/29 00:00
頼朝の脳裏にある光景が蘇る。思い出したくない記憶。封印したい風景。
不惑の夏。セミの鳴く御所の裏で頼朝はうきうきと何かを待ち続けていた。
手にはハートマークの付いた便箋。それが汗で多少しわくちゃになっている。
しかしその汗の原因は恐らく暑さだけではなかっただろう。
初めて貰った艶書。興奮するなと言う方が無理と言うものである。
だが。
「遅いな…」
頼朝の期待とは裏腹にいつのまにか辺りには誰の姿も見えなくなっていた。
頼朝は待った。夕刻になっても待った。真新しい月が頭上で光り続けても待ち続けた。
しかし…、その場所に訪れる者は誰もいなかった…。
そして、全てのからくりは翌日の朝、明らかになる事になる。
待ち続ける頼朝の姿。目にうっすらと涙を浮かべながら、それでも待ち続ける頼朝の姿。
その光景を画いた絵詞が辻々に張られていた。
鎌倉中で笑いの渦が巻き起こっていた。広元も注意しながらも口の端を歪めていた。
頼朝は今、鎌倉で最高の笑いを取れる芸人と化していた。
当然、頼朝の意志とは無関係に。
突然、世界がぐにゃりと曲がった感覚を覚える。
「ひひ…」
そう。あの時もそうだった。捻れた空間をさまよいながら光るモノを探していた。
自分に光明をもたらす希望の光を。その銀色に輝く鋭い刃を。
そして頼朝は手首を取る。あの時と同じように。あの時は皆に邪魔されたが今度こそしくじりはしない。
だって誰もいないのだから。この鎌倉に観客はいないのだから。
「笑いの取れない芸人に何の価値があるのだろうか?」
はっきり言おう。
「そんなモノに何の価値もないのだ」
そして頼朝は安らかな眠りに入る。
月が輝く池辺にうちふせながら…。
112日本@名無史さん:04/04/29 02:16
ゆゑあればこそ
ここにかきおくなれ
しするにあたり
われよりのちのこにたくす
われにかはりててんかをとり
ゑんそのゐたくをなしとげよ
われせいうんをおもふやたねん
しかれどもわれにとくなく
ゆめむなしくやぶれ
わづかにかめいをまもらむがため
いちめいをなげうつのみ
われよりのちのこにたくす
わがいをつげよかし
われにかはりててんかをとれ
113日本@名無史さん:04/05/05 14:52
今、実朝が死んだ。
これほどの歌を詠む才能がありながら、実朝は死んでしまった。
分かっているのか?殺したのはお前達だ。
こんなに才気溢れる、将来性豊かな、ゆくゆくは日本が誇る世界の巨匠に
なったであろう実朝を、お前達はつまらん謀事や争いで殺したのだ。
恥じるがいい。悔いるがいい。悲しむがいい。嘆くがいい。
お前達を俺は恨む。実朝を殺したという理由から、この鎌倉の住人を、
吾妻人を、義時を、武士を、人類全てを。
実朝よ。あなたのことは忘れない。
あなたを殺した奴等にはいずれ俺がきっちり復讐してやる。
安らかに眠るがいい、実朝よ。
あなたの詠んだ歌は勅撰集に載るそうだ。
実朝を殺した者共よ。俺が怖ければ、実朝の死を踏み越える覚悟で実朝を
超える歌を詠んでみろ。それが素晴らしい物であったら素直に賞賛
してやろう。暖かく合点もつけてやろう。曲げも晒しも俺はするまい。
だが、この実朝を殺した罰によって俺はお前を倒す。それに変わりはない。
無闇に長高しい歌や下手な本歌取りをした夜は、お前の背後に俺が出る。
114日本@名無史さん:04/05/07 23:11
我々はひとりの英雄を失った!しかし、これは敗北を意味するのか!?
否!始まりなのだ!宮方に比べ我が鎌倉の国力は30分の1である
にもかかわらず、今日まで戦い抜いてこられたのはなぜか?諸君!
我が鎌倉の戦争目的が正義だからだ!これは諸君らが一番知っている。
我々は都を追われ、地方開拓者にさせられた!そしてひと握りの貴族が
渡島にまで膨れ上がった日本を支配して500余年!
東国に住む我々が自由を要求して何度、朝廷に踏みにじられたか!
鎌倉に掲げる御家人ひとりびとりの自由のための戦いを故幕下将軍が見捨てるわけはない!
私の息子 諸君らが愛してくれた右大臣・実朝は死んだ!!なぜだ!?

新しい時代の覇権を我ら選ばれた兵が得るは歴史の必然である。
ならば、我らは襟を正しこの戦局を打開しなければならぬ。
我々は過酷な関東東北を生活の場としながらも共に苦悩し
錬磨して今日の文化を築き上げてきた・・・
かつて新皇・将門は人類の革新は板東の民たる我々から
始まるといった。しかしながら朝廷のモグラどもは
自分たちが人類の支配権を有すると増長し我々に抗戦をする。
諸君の父も、子も、その朝廷の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!

この悲しみも、怒りも忘れてはならない!
それを…実朝は…死をもって我々に示してくれた!
我々は 今、この怒りを結集し、宮軍にたたきつけて、
はじめて真の勝利を得ることができる!
この勝利こそ、戦死者すべてへの最大のなぐさめとなる!国民よ!
悲しみを怒りに変えて立てよ、国民よ!
我ら鎌倉御家人こそ選ばれた民であることを忘れないで欲しいのだ!
優良児たる我らこそ日本を救い得るのである!
ジーク・鎌倉!!
115日本@名無史さん:04/05/09 00:30
>>113 >>114
北条も南朝もすでに滅んでいるが。
116日本@名無史さん:04/05/09 01:14
>>113-114
あのー何かのパロディなんですか、これ?
全然面白くないんですが。
117日本@名無史さん:04/05/09 13:58
今朝TVKでやってた永井晋さんが出てた番組っていつんだろ
118日本@名無史さん:04/05/09 20:21
エヌ井先生は見識が広くて北条実時てかんじだね〜
119日本@名無史さん:04/05/09 23:43
三つ鱗age
120日本@名無史さん:04/05/10 22:54
>>116
下はジオンて書いてあったからたぶんガンダム、上は1いじりのコピペ。
「今、1が死んだ。
これほどのスレを立てる才能がありながら、1は死んでしまった。・・・」と続く。
上は自分でもつまらんと思ったけど、承久の乱に持ってくために実朝に死んでもらおうと思い、貼った。一応設定は藤原定家。
121115:04/05/11 01:09
>>116 >>120

文の最後に
>ジーク・鎌倉!!
ってあるから、間違いなくもとネタはガンダムだな。
ガンダムオタクはうざいから歴史板に来るなよ。
122日本@名無史さん:04/05/11 23:40
>>115
北朝の子孫は現在の皇室だが。
まあ、伏見宮系を後光厳以降の北朝とは別系だと考えれば、確かに北朝も断絶しているが。
123115:04/05/12 21:48
>>122
いや、『ほうじょう』と南朝が滅亡していると言ったんですけど・・・

でも、面白い見解ですな。
124日本@名無史さん:04/05/12 23:02
韮山の北条って情報なさ杉。
江間を名乗ってたのは得宗だったっけ?
125日本@名無史さん:04/05/12 23:35
おれガンオタじゃねーし、なんで「北条も南朝もすでに滅んでいるが」になるのかわからんよ。
126日本@名無史さん:04/05/12 23:53
義時(徳崇)は江間小四郎。
127日本@名無史さん:04/05/13 00:02
そういえば、流人時代の頼朝の子を産んだ伊東祐親女って
江馬小四郎に嫁がせられたんじゃなかったっけ?
これって義時と同一人物なのか?
128日本@名無史さん:04/05/13 02:07
泰時じつは源氏伝説のもとのひとつですね。
政子、時房の母も伊東氏娘だったっけ?
129日本@名無史さん:04/05/13 03:09
政子、時房は、義時の子なのですか?
130日本@名無史さん:04/05/13 09:38
政子、義時の母は蘇我兄弟の叔母さん。時房は政子達と同母かも知れないけど
異母弟だとしたら母は足立遠元娘。時房と稲毛夫人は同母。
政子、義時の母と頼朝の子を産んだ伊東家姫は別人。
泰時の母は阿波局という人。多分御所に仕えた女房。頼朝の御手付きの可能性
はある。
131日本@名無史さん:04/05/13 20:30
>>128
それは初めて聞きました
興味深いですね
ただ、生年からいくと合わないでしょうけど

そういえば、本堂氏の祖は頼朝と祐親女の間に生まれた、という伝承がありますな
http://www.tanutanu.net/roots/database/h/hondou1.htm

>>130
遠元女を時房母とするのは時房妻の誤伝ではないでしょうか
132115:04/05/13 21:52

>今、実朝が死んだ。
>これほどの歌を詠む才能がありながら、実朝は死んでしまった。
>分かっているのか?殺したのはお前達だ。
中略
>お前達を俺は恨む。実朝を殺したという理由から、この鎌倉の住人を、
>吾妻人を、義時を、武士を、人類全てを。
>実朝よ。あなたのことは忘れない。
>あなたを殺した奴等にはいずれ俺がきっちり復讐してやる。

これって、北条に復習するってことでしょう?
その復習する北条はもうすでに滅亡してる。

>かつて新皇・将門は人類の革新は板東の民たる我々から
>始まるといった。しかしながら朝廷のモグラどもは
>自分たちが人類の支配権を有すると増長し我々に抗戦をする。
>諸君の父も、子も、その朝廷の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!

鎌倉時代に朝廷側で倒幕の兵をあげたのは、後鳥羽と後醍醐だけです。
後鳥羽は幕府が返り討ちにしてるから、復習する相手は後醍醐でしょう?
でも、その後醍醐も尊氏に反旗を翻されて失脚し、失意の内に死亡。もはや復習の
対象ではないでしょう。

だから北条も南朝もすでに滅んでいるから、復習は不要と言ったのです。

>ジーク・鎌倉!!
このような発言、ガンダム御宅以外のなにものであろうか。
それとも、ナチス御宅だとでもいうのだろうか?
どちらも痛すぎるけどね。
133日本@名無史さん:04/05/13 22:35
≫131
時房妻が足立遠元娘という説もあります。しかし母も妻も遠元の娘というのは・・・
いくら叔母と甥の結婚を許された時代でも、あんまり在り得ないと思う。
お公家さんが娘を入内させる場合なんかは在り得たかも知れないが。
という事はどちらかが間違い。遠元が登場した年を考えると時房の母の可能性が
強いと思う。時房の妻では、随分歳を取ってからの・・・でも、それも在り得るか。
134日本@名無史さん:04/05/14 00:20
>>133
遠元は、1164年生まれの畠山重忠を婿にしています
1138年生まれの時政と、1175年生まれの時房なら時房の方が可能性高いのかもしれません

あと、武家年代記によれば遠元の子・遠光の娘が時房の子・朝直に嫁いでいます

遠元−−遠光−− 女
    |        ‖
     − 女     ‖
       ‖     ‖
       ‖ −−朝直
       ‖
      時房

こんな感じになるんじゃないでしょうか
135日本@名無史さん:04/05/14 09:24
≫133
しかし遠元と遠光が同一人物という説もあります。元と光・・・写した時に
間違えそうな字でしょ?
136日本@名無史さん:04/05/14 10:01
ええっ?朝直って比企の姫と泰時の姫を妻にしていたのに足立の姫も娶ってたの?
137日本@名無史さん:04/05/14 18:35
                         , -'TT >、__ノ!
                        /ミ、,ィ‐'‐、;;;;;;;;;;;;;;;|
                        /三,l _, -=---<_
                        l三,ノ´;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`'' 、
                        |=/;;;;;;;;;;;/`'''ー- 、,ィ'゙ヽ',
                        |ヲ;;;;;;;;;;;/   °   °',!
                        〉;;;;;;;;;;;;;`フ __,, 、  , ,.._, 〉
                       /;;;;;;, -、;;/ `ャッ'フ ) 〈{ノ/〈
                       l;;;;;//ヽ, l! 、  ̄/   lヽ' ノ
                       ',;;;;', 、rノ  `゙"  r、_,j 'l  
                       _ゝ;;ヽ、_/  〃~~___, ~'!l    ワシの婆ちゃんも北条じゃ!
                   __  7ラ‐ゝ l  l!   -  l l
                  /\: : : ̄/ヾ、  `''ー|、   /! _,l''
              _, -‐'/  `- 、/:::::::\   ! j`ー';;`フ!: `ヽ_
         _, -‐''´   / \    ` 、::::::::\、  ノl;;;;;;;;;;,;l!:l: :./! ` ー-、_
       、/ヽ      |    \    `ー 、:\、  ヽ;;;;;;;;;|゙:::l / l     ``i、
      / ヽ: : ヽ     l     `'-、    ` -、_ヽ  〉i!/::/ /       l: iヽ
    /   ヽ : ヽ           `ー-、_    ` ー' 、,/ /        l: :lヽ
138日本@名無史さん:04/05/14 23:34
オレが調子に乗りすぎたのが発端だから流したほうがいいんだろうけど、上のコピペの時代設定は1219年だから北条滅んでないですよ。下のは承久の乱での政子の演説ネタなんです。
「ジーク・鎌倉」は元ネタのコピペの部分を生かしただけ。115さんはどうも、オレが一から考えた文章だと勘違いしているようですが、全部元ネタは以前からあるコピペです。

どこからとったメモかわからないけど、時房室は遠元女(資時・時直母)じゃないですか。
ただ、時房の息子は時盛以外全員、遠光女を母とする、といような系図もあるようなんで、正直わからんです。
139日本@名無史さん:04/05/16 12:20
>>136
比企の娘についてはわかりませんが
朝直の妻については、泰時女・安達義景女・足立遠光女が知られています
泰時女は後に名越光時に再嫁しているようですね
140日本@名無史さん:04/05/16 12:41
武家年代記      宣時「母足立右衛門遠光女」
桓武平氏諸流系図 時村「母足立左衛門遠光女」、資時・朝直・時直・時定・房快「母同上」
関東評定伝      資時・朝直「母足立左衛門尉遠元女」
系図纂要       資時・朝直「母足立左衛門尉遠元女」
足立系図       遠元女「修理権大夫平時房朝臣(妻也脱カ)遠江守時直等母也」

時房母を遠元女とするのは足立系図だが、上のとおり妻也が抜けているだけのように思う
そして時房室・時村等母とするのは桓武平氏諸流系図だが、これは遠元女の誤記・誤伝という説が有力

そうなれば>>134のとおり、時房室が遠元女で朝直室が遠光女ということになるのだが
141日本@名無史さん:04/05/16 22:36
>>132
ところで、なぜここに後醍醐が?
142日本@名無史さん:04/05/21 23:29
大仏age
143日本@名無史さん:04/05/24 19:03
佐介あげ
144日本@名無史さん:04/05/25 06:08
塩田age
145日本@名無史さん:04/05/26 04:46
普恩寺あげ
146日本@名無史さん:04/05/30 15:38
常葉あげ
147日本@名無史さん:04/05/30 16:26
名越sage
148日本@名無史さん:04/05/30 17:18
赤橋hage
149日本@名無史さん:04/05/30 22:59
極楽寺mage
150日本@名無史さん:04/05/30 23:17
金沢kage
151日本@名無史さん:04/05/31 00:21
江間age
152日本@名無史さん:04/05/31 06:35
金沢age?
153日本@名無史さん:04/05/31 09:48
いやいやsageで。
154日本@名無史さん:04/05/31 12:37
細川重男sugee
155日本@名無史さん:04/05/31 18:13
奥富敬之sage
156日本@名無史さん:04/05/31 23:24
酷いな。ネタ書きたくなってくる。
157日本@名無史さん:04/06/03 06:42
両手の人差し指で自分の口を広げ、「金沢文庫」って言ってみな!
うんこって聞こえるよ
158日本@名無史さん:04/06/03 22:14
  ↑
ほんとだあ
159日本@名無史さん:04/06/04 06:49
金沢文庫は鎌倉時代のなかごろ、北条氏の一族(金沢北条氏)の
北条実時が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(現、横浜市金沢区)
の邸宅内に造った武家の文庫です。

160日本@名無史さん:04/06/04 13:27
後北条は?
161日本@名無史さん:04/06/06 09:52
ゆゑあればこそ
ここにかきおくなれ
しするにあたり
われよりのちのこにたくす
われにかはりててんかをとり
ゑんそのゐたくをなしとげよ
われせいうんをおもふやたねん
しかれどもわれにとくなく
ゆめむなしくやぶれ
わづかにかめいをまもらむがため
いちめいをなげうつのみ
われよりのちのこにたくす
わがいをつげよかし
われにかはりててんかをとれ
162日本@名無史さん:04/06/06 12:21
>>161
どこを縦読み?
163あぼーん:あぼーん
あぼーん
164日本@名無史さん:04/06/10 07:52
>>163
秦野市千村は「ちむら」じゃないの?
165日本@名無史さん:04/06/13 09:08
あげ
166日本@名無史さん:04/06/14 23:55
このスレはテーマは面白いけれど、「あげ」だとか「さげ」だとか糞塗れのスレが多すぎる。
つまらん。
167日本@名無史さん:04/06/15 18:50
赤橋守時、北条家積年のご恩に報いん!
逝くぞーーーーーー!
168日本@名無史さん:04/06/15 19:18
尊氏"おい、おまいら!!幕府ができますた。室町に集合しる!
後村上"詳細キボンヌ
義満"1392は南北朝合一ですが、何か?
後小松"南北朝合一キターーーーーーーーー
後亀山"キターーーーーーーーーー
後醍醐"南北朝合一程度で騒ぐ厨は逝ってヨシ
尊氏"オマエモナー
義持"--------勘合貿易終了-------
義教"--------勘合貿易再開-------
富子"再開すなDQNが!それより息子うpキボンヌ
赤松"嘉吉の乱うp
義教"↑誤爆?
義昭"将軍age
義政"ほらよ息子うp>富子
↑の弟"息子?降臨!!
義昭"将軍age
義輝"15第将軍ageんな!sageろ
義昭"将軍age
義輝"将軍age厨uzeeeeeeeeeeee!!
朝倉"ageっていれればあがると思ってる香具師はDQN!
松永"弱い将軍がいるのはこの幕府ですか?
義晴"氏ね
義栄"むしろ生きさせて
義昭"将軍age
義輝"義昭必死だな(w
169日本@名無史さん:04/06/15 19:57
ずいぶん寂れちまったな・・・
とりあえず他氏排斥の事件でも語っていこうぜ

まずは梶原景時失脚事件あたりか
170日本@名無史さん:04/06/15 21:50
>>169
>他氏排斥の事件でも語っていこうぜ

そんなものはなかった。以上。
171日本@名無史さん:04/06/15 23:00
若手の研究者までもがなぜいまだに牧の方・京出身説を支持するのか?
頼朝の貴種性などというものが本当にあったのか?
172日本@名無史さん:04/06/15 23:43
>>171
貴種性それ自体というよりも、貴種性があることによって否応なく発生してしまう権威というものが重要なんだよ。
執権北条氏が摂家将軍・宮将軍を20歳前後で京都へ追い返さなければならない理由も、戦国時代になっても各地の大名が足利将軍家の偏諱を欲しがる理由もここにある。
さらにいえば、天皇家が現在まで存続できた理由も、8割くらいは貴種性に基づく権威に帰着すると思う。
173日本@名無史さん:04/06/15 23:58
でも頼朝のもっていた貴種性なんて精々
そこらの在庁以上、政子腹の男子以下ってとこでは?
権威といってもたかが知れてるような。
174日本@名無史さん:04/06/16 00:29
権威=主従制的支配権
権力=統治権的支配権

この2つが分離して衝突した観応の擾乱では、最終的には前者(=尊氏)が後者(=直義)に勝った。
権威って結構重要よ。
175日本@名無しさん:04/06/16 00:33
「反権威」と「反権力」。
負けたときどちらがより憂き目をみるだろうか…
176日本@名無史さん:04/06/16 00:45
反権力の立場で負けたり死んだりしても、時間の流れが名誉を回復してくれることが多い。
しかし、反権威の場合は後々まで逆賊扱い・・・。(例、足利尊氏)
177日本@名無しさん:04/06/16 00:52
そういうことだ罠。
反権力の場合は潜在的な味方(=同情者)が少なからずいるから。
でも反権威の場合は(略)
178日本@名無史さん:04/06/17 04:07
まあ、後醍醐天皇の場合は、天皇自ら反権威的なことをやっているというのがせめてもの救いかな?
179日本@名無史さん:04/06/17 07:48
後鳥羽にいたっては悪者あつかいされてたりする。
やっぱり名目では隠居だからか?
それとも、一時的にせよ後醍醐は政権を奪取したからか?
180日本@名無史さん:04/06/18 02:28
崇徳は?
181日本@名無史さん:04/06/18 19:45
徳崇は?
182日本@名無史さん:04/06/29 21:29
執権北條氏が相模守と武蔵守を独占したことは大きい。
183日本@名無史さん:04/06/29 21:48
何で、奥富ヲタは「鎌倉北條氏」って拘るの?
普通に「北条」でいいじゃん。
184日本@名無史さん:04/06/29 22:04
>>183
後北条氏と区別するためだろ。
185日本@名無史さん:04/06/29 22:11
なんで伊豆北条氏じゃないんやろ
186日本@名無史さん:04/06/29 22:18
いや、そこだけじゃなく「北條」の「條」。
187日本@名無史さん:04/06/29 23:07
>>186
それは「條」のほうが本来正字体だからじゃない?
後北条氏の子孫の北条子爵家だって、子孫の家では現在でも正しくは「北條」のはず。
188日本@名無史さん:04/06/29 23:23
奥富が使ってるからだろ?
189日本@名無史さん:04/06/30 00:20
北條は北條だろう。戸籍では北條だからだ。
190日本@名無史さん:04/07/02 02:06
近衛家も戸籍上では「近衞」
191日本@名無史さん:04/07/02 02:23
筆頭逆臣しかも陪臣
192日本@名無史さん:04/07/02 02:51
>>187
大河「北条時宗」で、クレジットやテロップの役名が「北條」ではなく「北条」
になってたのは構わないけど、首桶の文字まで「北条時章之首」「北条教時之首」
になってたのは、ちょっとどうかと思った。
193日本@名無史さん:04/07/02 04:39
>192
俺は「北條」はともかく、「殿」くらい付けろよと思うね。謀反人とはいえ一族だろ?
まあ、執権からして賎女にまで「ときむね〜っ」なんて呼び捨てにされて平気でいるくらいだから
しょうがないけどな。
194日本@名無史さん:04/07/02 12:45
「むかし、北条時政が江の島弁財天の祠に二十一日間参籠して、子孫の繁栄を祈っていると
その満願の夜の明け方に、緋の袴をはいた気高い女房が現われて、「汝は前世に六十六部
の法華経を書写し、六十六ケ国に奉納した。その功徳によって汝の子孫は日本を支配し
栄華を誇ることになろう。しかし、もし非道なことがあれば、たちまち家は滅亡じゃ。
よくよく身を慎まねばならぬぞ」と告げて、たちまち二十丈もある大蛇となり、海中に
姿を消した。そのあとに残った三枚の鱗を時政は持ち帰って家の紋にしたという。
すなわち、北条氏の鱗は「竜の鱗」なのである。」
195日本@名無史さん:04/07/02 19:39
当時の史料で「条」を使ってるものなんか
幾らでもありますが何か。
196日本@名無史さん:04/07/02 20:04
例示しなければ説得力は無いよ。195。
197日本@名無史さん:04/07/02 21:31
>>192
「北条○○守」とかじゃないんだ。
198日本@名無史さん:04/07/03 00:28
北条政子タソ、(; ´Д`)ハァハァ…
199195ではないが:04/07/03 00:39
>>196
史料編纂所とかへ行って、鎌倉時代の文書の原本を見てみれば、「條」を「条」と書いている例が普通にあるのは、わかると思うよ。
てゆうか、日本史をやっているなら、文書の自筆原本とか古写本とか見る機会あるでしょ。普通。
「條」(「条」)の字は、特に法令文書なんかでよく見かけるから、そのへんのものを重点的にめくってみれば、すぐに実例の1つや2つ見つかるよ。
ついでにいえば、「條」に限らず中世文書は、異体字だらけなのが普通なのだが。
まあ、こういう異体字のなかで、特に使用頻度の高いものが、現代の常用漢字になっているわけでもあるのだが。
200日本@名無史さん:04/07/03 00:46
>>197
時章って尾張守だっけ?
てか、出家しているはずだから「尾張入道」とかのが良いのか?

>>192
むしろ、苗字の「北條」を書いてあること自体が変だと思う。
あの時代に、宛所が北条一族の文書で、「北条○○殿」というふうに「北条」を明記してあること自体、滅多にない気がする。
201日本@名無史さん:04/07/03 01:09
「北條」の読みは「ほうでう」です。
202日本@名無史さん:04/07/04 14:19
>>199
但し、異体字は異体字。
本来的には正字が正しいってことかな。
とはいっても、正字と異体字(例えば「條」と「条」)って、基本的に同じ字という認識だよね。
だから、どっちで書いても通じるし、受取人の側も、異体字で書かれていたからといって怒ったりしないわけで。

現代のように、正字(旧字体)と異体字(常用漢字)を別々の字のように認識している社会のほうが、歴史的には異常だと思う。
203日本@名無史さん:04/07/04 17:29
>>202
必死だな(p
204日本@名無史さん:04/07/04 17:49
>>200
謀反人として誅殺されちゃったわけだから
やっぱ諱で呼び捨てかも。「時章之首」という感じで。
205日本@名無史さん:04/07/05 18:56
このスレ、結構レベル高いけど、>>196のレスだけは完全に的外れだな。
たぶん、>>196は原史料なんて見たこともない素人だろう。

>>204
ところで、時章って最終的に謀反人っていう扱いになったんだっけ?
206日本@名無史さん:04/07/05 19:27
時章は冤罪とわかり、討手が処刑されている
207日本@名無史さん:04/07/05 19:36
>>206
ということは泰盛処刑?ww
208日本@名無史さん:04/07/05 20:03
泰盛は討手じゃないアルよ
209日本@名無史さん:04/07/05 20:33
>208
お前は何者じゃ?異国より来たスパイか?
名も名乗らぬから怪しい徒よ。うぬが名乗らぬ
から余も伏す。
210日本@名無史さん:04/07/05 23:24
>>208
ドラマでは討手だったって意味では?
211日本@名無史さん:04/07/06 00:12
ドラマでは長時は頼綱に殺された。激藁
212日本@名無史さん:04/07/07 15:48
赤橋系は代々短命だよね。
213日本@名無史さん:04/07/07 16:19
重時 64歳
長時 35歳
義宗 25歳
久時 36歳
守時 39歳

だね。
214日本@名無史さん:04/07/07 18:45
得宗家も途中から短命なのは周知ではある。
215日本@名無史さん:04/07/07 22:25
鎌倉の中頃までは、得宗家が将軍の偏諱を受けているのに、末期の頃は得宗家は偏諱を受けていなくて、代わりに赤橋流(久時・守時)が偏諱を受けているのは何故ですか?
216日本@名無史さん:04/07/08 21:37
得宗家にも邦時がいたよ。
217日本@名無史さん:04/07/08 21:59
>>216
ああ邦時ね。
そうすると、貞時・高時が将軍の偏諱ではないのは何故なのだろう?
218日本@名無史さん:04/07/08 22:34
守邦親王は、「守」を守時に「邦」を邦時へ?
219日本@名無史さん:04/07/08 22:46
>>215
時頼←藤原頼経
時宗←宗尊親王
貞時
高時
邦時←守邦親王

中期〜末期の得宗家で偏諱を受けていないのは2人だけじゃん。
220日本@名無史さん:04/07/09 06:57
偏諱=烏帽子親でつか?
221日本@名無史さん:04/07/09 08:27
>>219
だからその2人が受けていないのは何故なのかが気になるのです。

ついでに時頼以前の得宗。
泰時(初名:頼時)←源頼朝
経時←九条頼経

得宗家一族
宗政←宗尊親王
宗頼←宗尊親王

名越流
朝時←源頼朝

赤橋流
義宗←宗尊親王
久時←久明親王
守時←守邦親王

金沢流
実泰←源実朝

大仏流
朝直←源頼朝
宗宣←宗尊親王
宗泰←宗尊親王
222日本@名無史さん:04/07/09 19:26
>朝時←源頼朝
>朝直←源頼朝

223日本@名無史さん:04/07/09 20:43
「極楽寺」というのは、重時(義時三男?)一代で終わりですか?
息子たちが赤橋・常葉・塩田に分かれたから?
あと北条政村(義時四男?)の系統には、「赤橋」や「金沢」のような家号(?)は無かったのですか?
224日本@名無史さん:04/07/09 20:44
あげ
225日本@名無史さん:04/07/09 21:19
鎌倉時代にはまだ世襲の名字が完全には定着していなかったのでは?
人物叢書の「金沢貞顕」には貞顕は生前「赤橋殿」と呼ばれ「金沢」の名字では呼ばれなかったと書いてあったぞ。
226日本@名無史さん:04/07/09 23:24
>>222
もしかして頼朝じゃなくて実朝?
227大河の見過ぎ:04/07/10 00:09
>>220
確かに貞時の烏帽子親は7代将軍・惟康親王。
本来なら名前の一文字をいただくところですが、
通例に背いて、将軍の一字を頂かない元服名であった。
これは、時宗の政治的な配慮(安盛vs頼綱)であった。
烏帽子親といっても当時将軍は14歳、貞時は7歳。

得宗家嫡男の烏帽子親がある有力御家人とはいかないだろう。
嫡男以外では足利家が烏帽子親になった例もあるがな。
228日本@名無史さん:04/07/10 00:46
北条(赤橋)長時の烏帽子親って、足利(吉良)長氏?
229日本@名無史さん:04/07/10 07:34
泰時の子、孫も将軍家から偏諱もらったのではないかもしれないですね

北条時氏(1203-1230)←?(足利氏?)
北条時実(1212-12227)←源実朝?(1219死去)

北条経時(1224-1246)←九条頼経
北条時頼(1227-1263)←九条頼経(or頼嗣?(1442将軍就任))
北条時定(?-1290)←?

ふつうもらった偏諱って上につけることが多いですよね。
(家の通字が○時だし)

時宗は得宗家の家督だし、将軍家にたいする優位の象徴として
下に付けたのは判るような気がしますが嫡男ではない時頼はなんでだろう?
(泰時・経時の意志が入ってるはずですよね)

嫡男が時頼、次男が経の字もらって経時のほうが自然な気がします。
ちょうど頼朝からもらった、頼時(泰時)・朝時兄弟みたいに。

230日本@名無史さん:04/07/10 12:27
>>229
偏諱を上に付ける習慣が確立するのは室町期です。
鎌倉時代には、偏諱は単に烏帽子親と烏帽子子の関係を表すに過ぎず、偏諱はどちらに付けても問題なかったはず。
足利義満の時代に偏諱を上に付けることが徹底されたため、それ以降は偏諱は基本的に上。
偏諱を下に付けた最後の例はおそらく足利氏満(第2代鎌倉公方)でしょう。
231日本@名無史さん:04/07/10 13:40
>>230
偏諱をどっちにつけるかは家の通字をどっちにつけるかできまるとおもっていました。
宇都宮氏なら○綱とか 梶原氏の景○とか。 

父や兄(総領)から貰った一字と烏帽子親からつけて貰った一字を名乗る。
(源頼信 > 頼義 > 義家 > (義親) > 為義 > 義朝 > 頼朝)

烏帽子親から貰った一字を子孫には継承させないから自然と家にのってよく使う字が
決まってくる。
(清和源氏なら頼または義とか、名前を与える総領の一字とか名誉ある先祖の一字という理由で)

他の一族・氏族との絡みでやばいなーという通字はあまり使わなくなるので、さらに通字が固定されていく。
(足利だと鎌倉期にはだんだん義を使わなくなり、変わりに氏を使うようになるみたいに。)

少なくともどちらかに偏ることが多いですよね。(それが当人の趣味なのか、嫡庶の区別なのか)
伊勢平氏でいえば正盛以降は○盛が多くなりますね。
庶子っぽい立場の人物だと忠正・忠度・清房など○盛でない人もいますが、重衡なんかはどうなんだろ 

232名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 14:20
そもそも家の通字というものが成立するのが平安末。
足利氏の場合、本家の通字が「氏」に変わっても、分家一族のなかには「義」を用いている例もある。
あと、義家流の清和源氏は、「頼」「義」「家」「氏」が四大通字。
233名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 16:14

やっぱり神奈川は朝鮮だった。
  ↓↓↓

http://www.infogogo.com/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C.html
神奈川県(かながわけん)は、関東地方の県。この地方(県域)には、
朝鮮系の住民が流域に多く住んでいた「韓川」(からかわ)という名の
川があった。この川の名前が変化して、神奈川となった。

234名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 17:08
>>233
いつ頃朝鮮系の住民がやってきたの?古代の近畿地方なら分かるが。
韓川ってどこにあるの?今の何川?

県庁のHP
http://www.pref.kanagawa.jp/syoukai/pref.htm#yurai
235名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 17:30
>>234
なぜ近畿地方?

半島からの亡命者の多くは関東へ配置してますよ
236日本@名無史さん:04/07/11 18:29
>>231
なんで足利が義を使うとやばいの?
237日本@名無史さん:04/07/11 21:41
>>236
過去のスレにも既出だと思うが、
源氏の将軍が途絶えたのに、源氏の通字「頼」「義」とか使うと
足利が源氏の嫡流だと宣伝しているのと同じこと。
へたに北条得宗に目をつけられないようにしていたと思われる。

もちろん室町時代は問題なし
238日本@名無史さん:04/07/11 22:49
>>237
じゃあ、足利高義や、足利義継、
吉良貞義、渋川貞頼・義季は何?
239日本@名無史さん:04/07/12 07:32
足利高義←貞氏長男、北条高時が烏帽子親? 問題なし
足利義継←泰氏の4男?(いろいろ説ある)、嫡男ではないので問題なし
吉良、渋川←問題なし

そもそも名前にいちゃもんつけられた例あるの?
240日本@名無史さん:04/07/12 09:30
>>239
平安時代ですが、前9年の役の前のとき、
陸奥に赴任した源頼義に対して、安部頼良(よりよし)が
読み名が同じだから恐れ多いという理由で安部頼時と改名した
話がありますね。

いちゃもんつけられる前に手を打ったという例ですが。
(他の件でいちゃもんつけられて安部氏は滅ぼされるんですが)

足利当主が「義」字を鎌倉期に使わなくなっていったのも
北条側からの明確な圧力って訳ではなくて、
いちゃもんつけられないための方便としての意味じゃないですか?

変わりに足利氏だと「家」「氏」使うことが多いけどけど。
だから足利家でも分家とか、源氏でも足利ほど勢力の大きくない家
(佐竹や土岐)はその辺りこだわってないのでは。
241日本@名無史さん:04/07/12 12:14
>>240
いちゃもんつけられないための方便っていうのも、あんまり説得力ないぞ。
さほど勢力の大きくない佐竹や土岐が拘っていないのはいいとしても、佐竹や土岐よりさらに勢力は小さそうな新田が、足利と同様に通字を「義」から「氏」に変えている。
これは、いちゃもん云々というより、義家流の清和源氏全体の問題だと思う。
242日本@名無史さん:04/07/12 19:49
>>241
新田の場合は足利氏の影響が大きかったからでないの?
政義の室は足利義氏の娘だし。
新田朝氏が朝兼と改名し、
息子に義貞という名をつけたのも、
足利氏の影響下からの脱却を望んだから、
という説を読んだことがある。
243日本@名無史さん:04/07/12 21:18
>>241
「義」は清和源氏全般
「頼」は頼光系が特に多いってイメージがあるけど他はどうかな?

「家」は斯波系が目立つかなー。
「氏」も清和源氏では足利系が目立つくらいじゃないです?
これは足利義氏以降付け出したんだと思う。
宗家が北条家から一字貰って義○とか○義にしなくて、○氏にしたから
分家筋が氏を貰って付けてるのでは?

宇多源氏の佐々木氏も「氏」「経」「信」「秀「」は多いけど。
244日本@名無史さん:04/07/12 22:16
貴族でも西園寺実氏とか、
氏がつくのはいくらでもいるよね。
245日本@名無史さん:04/07/12 22:55
そろそろ北条氏に話題を変えない?
246日本@名無史さん:04/07/12 23:01
北条時氏
247日本@名無史さん:04/07/12 23:24
248日本@名無史さん:04/07/12 23:28
249日本@名無史さん:04/07/13 03:41
>>242
尊氏(母:上杉清子)には高義(母:金沢顕時の娘)という早世した兄がいた。
つまり、足利惣領家の通字も、この段階で「氏」から「義」へ戻ったと認識されていた可能性も指摘されている。
その説に従えば、尊氏自身は次男だったため、従来の通字である「氏」を使ったという。

そう考えると、新田の通字が「氏」から「義」へ戻ったのも、足利の影響下での可能性がある。
また、新田朝兼の「兼」の字についてだが、これについても、足利一族にも使用例があるので、足利の影響下からの脱却が目的の改名にしては中途半端。
足利側には使用例のほとんどない字(例えば新田義重の「重」とか)を使うのなら、まだ話は分かるが。

>>243
「義」は清和源氏全般とは言い難い。
清和源氏で「義」が好んで使われるのは、基本的に源頼義以降に別れた一族。
それ以前に別れた一族(例えば貴方があげた頼光流)なんかでは、ほとんど見かけない。
頼光流の通字では、「頼」が一番多く、次いで「光」の使用頻度が高いというイメージです。
また、頼義以降に別れた一族でも、甲斐源氏(佐竹流を除く)などでは「義」の使用頻度はかなり低い。
250日本@名無史さん:04/07/13 07:03
北條義時
251日本@名無史さん:04/07/13 21:59
甲斐源氏で武田を称した信義以降は「信」が通字だね。

信玄の子、義信と義久の2人は「義」使っているね。どうでもいいが
252日本@名無史さん:04/07/13 22:02
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1089684800/l50
やっぱり神奈川は朝鮮だった。
  ↓↓↓

http://www.infogogo.com/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C.html
神奈川県(かながわけん)は、関東地方の県。この地方(県域)には、
朝鮮系の住民が流域に多く住んでいた「韓川」(からかわ)という名の
川があった。この川の名前が変化して、神奈川となった。

■注■
現在の横浜市に当たる武蔵国橘樹郡・都筑郡・久良郡には758年以降 「新羅郡」がありました。

つまり地名がどうのこうのという問題ではなく、横浜は朝鮮人の居住地たったのです。
253日本@名無史さん:04/07/13 22:04
>>251
武田義信の「義」は足利家からの偏諱拝領だろ。
ところで義久って誰?
254日本@名無史さん:04/07/14 00:24
>>253
そのとおり。
元々「義」が通字だった佐竹氏などを除けば、室町期(特に室町後半期)の大名の「義」の字は、ほぼ間違いなく足利将軍家の偏諱。
255日本@名無史さん:04/07/15 23:54
話を烏帽子親に戻しますが、例えば源頼朝の烏帽子親って誰なんでしょう?
摂関家のだれか?

頼朝から朝の字もらったらしい武将はいっぱいいますが
(和田朝盛 三浦朝村 宇都宮朝綱 小山朝政 結城朝光などなど)
為義・義朝あたりからもらったらしい人はいますかね?
ちょっと心当たりがありません。
配下に一字与えるのはひょっとして頼朝が考えたことなのですかね?

ところで烏帽子親・烏帽子子の関係(権利というか義務というか)はどうなんでしょう?
普通の主従関係や同僚関係とはやはり違ってたののでしょうか。
有名なのは蒙古襲来の竹崎季長が鎌倉に裁判に行く途中で長門にいた
烏帽子親の三井氏に援助してもらっている話くらいですか。

256日本@名無史さん:04/07/16 01:05
>>255
烏帽子親子関係は、擬制的親子関係。
頼朝の「朝」を貰っている例は、他に伊達朝宗など。
257日蓮:04/07/16 12:30
北条時頼タソ、(; ´Д`)ハァハァ…
258平頼綱:04/07/16 17:10
太守タマ、(; ´Д`)ハァハァ…
259日本@名無史さん:04/07/16 18:48
木の芽時に至らば狂心なる輩出没し
世を騒がせ候由、往古より巷間看取
せしが、炎々続き候日々なれば、同
前の如き257及び258なる輩現
出候者也 曲事たるべし。宜しく蓑
傘踊りの罪科に処すべし者
260日本@名無史さん:04/07/16 22:05
>>256
いや、似たような主従関係として、

(1)猶子となる。(例:佐々木源氏の秀義が源為義の猶子になっている)
(2)烏帽子親になってもらう
(3)名簿(みょうぶ?って字あってますか?)を出して配下(家人)になる。

というのがあると思うのですが、どのような違いがあったのかなと。
地位からしたら1>2>3なんでしょうが、それに伴う職務上の違いとかは
なかったのかなと。
261日本@名無史さん:04/07/17 12:10
烏帽子親は職務ではないし、主従関係でもない。
たんなる後見程度の意味合い。
勿論その内容には幅があるけど。
262日蓮:04/07/17 12:15
木の芽時に至らば狂心なる輩出没し
世を騒がせ候由、往古より巷間看取
せしが、炎々続き候日々なれば、同
前の如き259なる輩現出候者也 
曲事たるべし。宜しく蓑傘踊りの
罪科に処すべし者

I LOVE 最明寺入道(北条時頼)殿♥
263日本@名無史さん:04/07/17 16:01
木の芽時に至らば狂心なる輩出没し
世を騒がせ候由、往古より巷間看取
せしが、炎々続き候日々なれば、同
前の如き262なる輩現出候者也 
曲事たるべし。宜しく蓑傘踊りの
罪科に処すべし者

264日蓮:04/07/17 17:41
時政殿に弓引く北条時宗の馬鹿は氏ね!!

>>194 :日本@名無史さん :04/07/02 12:45
「むかし、北条時政が江の島弁財天の祠に二十一日間参籠して、子孫の繁栄を祈っていると
その満願の夜の明け方に、緋の袴をはいた気高い女房が現われて、「汝は前世に六十六部
の法華経を書写し、六十六ケ国に奉納した。その功徳によって汝の子孫は日本を支配し
栄華を誇ることになろう。しかし、もし非道なことがあれば、たちまち家は滅亡じゃ。
よくよく身を慎まねばならぬぞ」と告げて、たちまち二十丈もある大蛇となり、海中に
姿を消した。そのあとに残った三枚の鱗を時政は持ち帰って家の紋にしたという。
すなわち、北条氏の鱗は「竜の鱗」なのである。」
265日本@名無史さん:04/07/17 18:26
>>255
源氏の名乗りの「頼」は藤原摂関家の犬時代の名残だよ。頼朝の場合は藤原信頼からもらったものです。
266日本@名無史さん:04/07/18 12:46
>>265
頼光流の「頼」って全部そうなの?
でも、摂関家で「頼」を使っている人物って、「実頼」「頼通」「頼長」くらいしか思いつかないよ。
あと、信頼は摂関家ではないよね。
267日本@名無史さん:04/07/18 16:58
頼光が頼通からもらった「頼」がそのまま残ったもの、って意味でしょ。
ちなみに頼長の「頼」も頼通にちなんだものだな(「長」は道長から)。
268日本@名無史さん:04/07/18 17:58
>>267
頼光の「頼」が頼通から貰ったわけないでしょ。祖父と孫くらい世代が違いますよ
実頼から3兄弟まとめて貰った可能性はあるかもしれない。
(安和の変のときはもう元服してたかな。)
269日本@名無史さん:04/07/18 21:31
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1089684800/l50
やっぱり神奈川は朝鮮だった。
  ↓↓↓

http://www.infogogo.com/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C.html
神奈川県(かながわけん)は、関東地方の県。この地方(県域)には、
朝鮮系の住民が流域に多く住んでいた「韓川」(からかわ)という名の
川があった。この川の名前が変化して、神奈川となった。

■注■
現在の横浜市に当たる武蔵国橘樹郡・都筑郡・久良郡には758年以降 「新羅郡」がありました。

つまり地名がどうのこうのという問題ではなく、横浜は朝鮮人の居住地たったのです。

270日本@名無史さん:04/07/20 06:48
>>268
三兄弟っていうか、四男の頼平以降も大半が「頼○」だよ。
271日本@名無史さん:04/07/21 02:50
むしろ、頼信系が義家から「義」に通字が変わったというべきか。
272日本@名無史さん:04/07/25 04:25


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       (〔y    -ー'_ | ''ー |     おまいら漏れが通りがかったら盆栽を売ってでも接待しろよ
        ヽ,,,,    /(,、_,.)ヽ .|    いざ鎌倉というときには恩賞として民主党の支部長職を宛行ってやるぞ 
         ヾ.|   ヽ-----ノ /
          \   ̄二´ /
           人   ....,,,,./ヽ、
       ,...-'"■|:|彡''" /'■ ヽ、
    ,...-'"  ■ |.|'"  /' ■   ヽ、
.   /     ■  |.! /'  ■     ヽ、
   /     ■  |,レ'   ■       ヽ、
273日本@名無史さん:04/07/30 23:52
北条の忍者、風魔小太郎と風魔忍群について、ご存知の方教えてください。
忍者と言えば、伊賀と甲賀、柳生、をよく聞きますが、風魔は全く聞きません。
でも、風魔という呼び名は、最も忍者らしくてかっこ良いと思うのですが。
北条スレで情報が無ければ、もうどうにもなりません。
よろしくお願い致します。
274日本@名無史さん:04/07/31 00:06
>>174-177
そんなに権威が重要なら、頼朝の子息が誅されまくったのはなんで?
275桓武天皇:04/07/31 08:24
アンニョン!
276日本@名無史さん:04/07/31 12:23
>>273
「風魔」って苗字検索したら0件。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp/index40.html
277竹崎季長:04/07/31 23:18
          ((´;;(:;::  ;;:∵;: ノ
           <──≪ 三             ((::;;  ;::;; ノノ
                                    __
               〜¶)                 ゝ __ノ
               Λ⌒Λ   |.\
              彡-@∀@ミ ||\\                      三 ≫──>
 <──≪ 三     (⌒⊃y  二二つ) )
               〉 __ 〈  ||//                  /| (0ノ         彡
        〜¶)    く く \ \ |./                   /.//ミ=ミヽ ,.,.-''""`'ヽ彡
≡≡     Λ⌒Λ   〈__フ 〈__フ    三 ≫──>     ミ∧ | | (゚Д゚ ;)´-→     )
≡    彡丶`∀´ミ                         /・  ''⊂= ヽ丑ヾ  :    ノ
   ━━(∩━━∩━━━>                   (ノ〉/~ヾ.   ヽ=ヽ丑ヾ ,..;ヽ\ \
≡    / __  〈                            :     Y -→ (**) ´   ヽ \ \
≡   / / / /   〜¶)                       ;    // / : (土)      ヽ_》 _》
   〈__フ 〈__フ   Λ⌒Λ  /\                     //::/    ;
             彡 `ハ´ / /\\                   ヽヽ_》   ;
            (⌒二二つ≫────>                    ‐ニ三ニ‐
            〈    〈 ヽヽ__//
             \ \ \ \./    <──≪ 三
              〈__フ_フ




278日本@名無史さん:04/08/05 12:32
「北条時宗」で安達泰盛ら有力御家人が執権である時宗にタメ口口調で話している
場面があったけどあんなことは実際あったのかな?だって執権って一応彼らからしたら
事実上の主君だろ?
279日本@名無史さん:04/08/05 12:39
>>278
実際はどうだっかはわからないけど(なにしろ当時の文献は文語体だし)、
安達氏を含む御家人の主君はあくまで鎌倉殿。
執権ではない。
執権は御家人の中の最高格にしかすぎない。
280日本@名無史さん:04/08/05 21:08
>>277
ワロタ。特に季長の必死な表情が。
281日本@名無史さん:04/08/06 01:19
>>278
執権は御家人の主君ではない。
御家人から見れば、同輩中の首席とでもいうべき存在。
282日本@名無史さん:04/08/06 01:23
>>274
知人で、日本中世における権威について研究している研究者を知っているけど、鎌倉初期だと、権威の源泉が頼朝個人に由来しているという面が強いらしい。
もう少し時代が下ると、将軍個人だけでなく、将軍家という家系そのものが権威の源泉になっていくのだとか。
283日本@名無史さん:04/08/19 00:02
>>282
そうすると頼朝の持っていた貴種性や権威とはなんなんでしょうか。
頼朝の庶子に及ばないということは、源氏の血筋ではないわけですよね。
284日本@名無史さん:04/08/19 21:50
>>283
源氏の血という貴種性も必要だが、それだけではない武家の棟梁としてのプラスアルファが必要だったってことでは?
足利将軍家のように、将軍の地位が世襲のものとして確立してしまったあとなら、幕府がガタガタになっても、将軍だけはしぶとく残っているような状態になるけど。
285日本@名無史さん:04/08/20 23:59
>>284
となると頼朝が御輿足り得た最大の要因は、頼朝個人の資質、に行き着くんでしょうか。
286日本@名無史さん:04/09/07 20:35
北条氏って、平家・源氏・足利氏・小田・豊臣・徳川とかと比べても、
数段が官位が低いように思うんですけど何ででしょう?
ほかの有力御家人に遠慮して、官位も質素にしておいたのでしょうか
287日本@名無史さん:04/09/08 10:06
>>286
朝廷への遠慮と、介入への対策だとする意見もあります。
288日本@名無史さん:04/09/09 20:06
>>286
室町幕府の管領や江戸幕府の老中と比べたらどんなもの?
289日本@名無史さん:04/09/09 21:30
執権・管領・老中とも、四位どまりだね。
290日本@名無史さん:04/09/10 22:01:36
ここを教えてもらってきました
北条時宗と時政は一族ですか?赤の他人ですか?
教えてください
291日本@名無史さん:04/09/10 22:02:21
あと、どっちが年上ですか?(赤の他人だったとき)
292日本@名無史さん:04/09/10 22:43:21
時宗は時政の五世孫

時政 1138-1215
時宗 1251-1284
293日本@名無史さん:04/09/10 23:57:03
>>292さん
そうだったんですか
ありがとうございました
294日本@名無史さん:04/09/16 19:21:27
名字が北條で家紋はミツウロコです(平たい方の)
死んだ父の口癖は「家は鎌倉北條の末裔だ」でしたが、
信じていいんでしょうか?
明治時代にどこぞの農民が勝手に名乗った可能性も
ありますよね?
一応、父の生家は禅寺なのですが・・・
295日本@名無史さん:04/09/16 19:23:46
間違えました。
平たくない方のミツウロコです。
296日本@名無史さん:04/09/17 21:11:44
連署北條相模守時房が従三位の叙位を希望したら
大膳大夫大江広元だと思ったんだが、止められた
という話を聞いたことがある。
297日本@名無史さん:04/09/25 01:27:02
ときむねの開祖はいっぺんである、ってどういうことですか?
意味が分かりません。
いっぺんは実はときむねの父親だったのでしょうか?
298日本@名無史さん:04/09/25 03:10:36
               .|   |  | |   |    |  | |   |   |   || | |
               .|   |  | レ  |    |  | |   |  J   || | |
    ∩___∩    |   |  |     J    |  | |  し     || | |
    | ノ\   ,_ ヽ  .|   レ |      |  レ|       || J |
   /  ●゛  ● |   .J      し         |     |       ||   J
   | ∪  ( _●_) ミ             .|    し         J|
  彡、   |∪|   |              .J                レ
 /     ∩ノ ⊃  ヽ
 (  \ / _ノ |  |   !?.......................>>297
  \  "  /  | |
   \ / ̄ ̄ ̄ /
      ̄ ̄ ̄ ̄
299日本@名無史さん:04/09/25 06:57:48
>>297
ボケー! おまえのは時宗(じしゅう)って読むのじゃ

      ∧_∧   | |
    ∩(,, ・∀・)   人 ブワシッ
   ヽ    ヽ   <  >_∧∩
    て ⌒)U    V`Д´)/
  彡 し二⊃几彡      /
      //|ヽ彡
    /ノ / |ヽ\彡
    V ヽ/V V V V
300日蓮:04/09/25 13:49:55
300
301日本@名無史さん:04/09/25 14:01:42
北条守時の子「益時」の情報キボンヌ!
302日本@名無史さん:04/09/25 22:07:04
>>301
足利義詮のいとこ
303日本@名無史さん:04/09/25 22:08:22
鎌倉北条氏とは綱成一族のことか
304日本@名無史さん:04/09/26 07:31:03
>>303
294の話ね。
305日本@名無史さん:04/10/02 07:55:59
けっこう、途中から北条を名乗ってる人が多いんだな
306日本@名無史さん:04/10/18 02:07:19
 ▲
▲ ▲
307日本@名無史さん:04/10/29 06:02:26
鎌倉が神奈川県にあるなんて知らなかったよ。
てっきり京都か奈良にあるものだとばかり。

orz...
308日本@名無史さん:04/10/29 21:04:48
>>307
そ、それはちょっとはづかしいかも
309297:04/10/30 18:18:25
>>299
ツッコミありがd
310日本@名無史さん:04/11/01 22:39:15
建武新政以降にさ、
奥州とか越中とかで、旧北条氏がかなり暴れてるよね。
名越とか。
でも調べても、あんまし情報がない・・・
311日本@名無史さん:04/11/07 00:11:39
北条重時の官歴と任官日時を教えて下さい。
312日本@名無史さん:04/11/07 00:55:40
>>311
細川重男『鎌倉政権得宗専制論』読め。
313日本@名無史さん:04/11/07 06:16:57
>>311
>北条重時の官歴と任官日時を教えて下さい。
日時まで知る必要あるの?、年月日までなら分かるが?
314日本@名無史さん:04/11/07 23:44:46
>>313
すいません日時じゃなくて年月日です。
315日本@名無史さん:04/11/09 21:07:16
>>311
 ここの内容で大体わかるのではないでしょうか。
    ttp://csx.jp/~nanbokutyo/
  執権北条氏史”の中に北条氏個人別の履歴が載っています。
  重時のもありました。  
316日本@名無史さん:04/11/09 23:45:39
>>315
ありがとうございます。
317日本@名無史さん:04/11/11 22:41:07
北条氏スレも一年経ったか・・・
318日本@名無史さん:04/11/12 08:30:09
執権じゃない北条氏(評定衆)とかが知りたい
319日本@名無史さん:04/11/12 19:34:12
北条氏系譜人名辞典でも買ったら?
320日本@名無史さん:04/11/12 22:17:51
>>318
細川重男『鎌倉政権得宗専制論』読め。
321日本@名無史さん:04/11/15 23:34:53
YOUたち北条氏について語っちゃいなよ
322日本@名無史さん:04/11/16 00:25:30
伊豆age
323日本@名無史さん:04/11/16 00:30:41
逆臣
324日本@名無史さん:04/11/17 13:55:16
伊豆国在庁官人age
325日本@名無史さん:04/11/20 12:23:36
本家は北条介時定でいいの?
326北条政子:04/11/20 16:12:08
               _ ,,.--==r--y-==、、
           _,,.. - '';;;;;;;;;;;;:= '' " ̄ ̄`""'''' =、、
         ヾ;;;;;;;;;;;;;/      ,.-=ニヽ,r=-`ヽ、
           >;;;;;/l      /! ((⌒`ヾir彡=、ヽ ヽ
         ,,.-'';;;;/ll|    //l、lr=ニ     )) l! li,
     _,,.-'';;;;;;;;;;/  l| i   /// {{i´   政子 `''=シ、彡'、
    ヾ;;;;;;;;;;;;:-''{   ヽ`ニ=彡/  `''ー    (´  iヽ  ヽ
       ヾ/   '、_,,ノ ,,..ニシ--、,,_        _,-i ヽ }!
      /    /   / ((彡, ミ=r=≧;;-   /≦=ヤト、 )ツ
     {!   /    >、ミ= 、ヽゝヾ;;シ``   l"k;;シチ ))´ノ!
     lヽ、 ,'    (   ̄`ヾ.) ^^^`    i ´^^`/'´ ハ    
     >、ヽ|    ヾミ=‐イ          '、  (__彡'  ',       おい。おめーら、チンチン見せろや。
    /,.- ヾミ、    {`=彡r,.       /  (´_彡'i、  !   
    .l/=-'´ ̄ヽ、   `{´ { {{{i、_ノ  ー-`ニ-   ∧ !  ヾ!,ノ         
   /´/ ,,. ‐={ヽ、   ``ヽ ̄ヽ、 `''ー'  ,.イリノ' ヽ  |l!
  ./ ,,.=l/ ,,.=={ヽ、` = _  、ヽ  ` 、   ,.イ ,,.ノ  l ノ==、
  l/ ,r=f//´ ̄ト、 `= __ ヾ、ヽ ',    `´ !/  _,,,.ノヽ==、ヽ
 /〃/ f/ - ― ->ミ=、___`ヽ ヽ リ      ! /⌒ヾヽヽ}`ヽヽ}
 !{{l {'、 //´ _,,,..{/´_, ==`ヾ, }} !     |l/ ,.==、ヽヽ}⌒ヽリ
327日本@名無史さん:04/11/20 17:38:09
         _ _
        /::. ソ . :;;ヽ
        /::.     ..:::;;;ヽ
        /::.      ..::;;;;ヽ
      /::.        ..::::;;;;i
      (::.        ..::;;;丿
       >::...___..::::;;;イ
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       ( \  l. |  ..:;;;;;;|
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       |::: ( (  ゙ ..:;;;;;|
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     .彡.|:::   i l   :::;;;;;|ゞ巛ミ
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      巛从ミ彡ミ从巛ミ彡ミ》》
328北条政子:04/11/22 10:25:45
               _ ,,.--==r--y-==、、
           _,,.. - '';;;;;;;;;;;;:= '' " ̄ ̄`""'''' =、、
         ヾ;;;;;;;;;;;;;/      ,.-=ニヽ,r=-`ヽ、
           >;;;;;/l      /! ((⌒`ヾir彡=、ヽ ヽ
         ,,.-'';;;;/ll|    //l、lr=ニ     )) l! li,
     _,,.-'';;;;;;;;;;/  l| i   /// {{i´   政子 `''=シ、彡'、
    ヾ;;;;;;;;;;;;:-''{   ヽ`ニ=彡/  `''ー    (´  iヽ  ヽ
       ヾ/   '、_,,ノ ,,..ニシ--、,,_        _,-i ヽ }!
      /    /   / ((彡, ミ=r=≧;;-   /≦=ヤト、 )ツ
     {!   /    >、ミ= 、ヽゝヾ;;シ``   l"k;;シチ ))´ノ!
     lヽ、 ,'    (   ̄`ヾ.) ^^^`    i ´^^`/'´ ハ    >>327 ダンナ(源頼朝)のチンチンより
     >、ヽ|    ヾミ=‐イ          '、  (__彡'  ',         ちーさいのをやたらと見せるんじゃないわよ! 
    /,.- ヾミ、    {`=彡r,.       /  (´_彡'i、  !   
    .l/=-'´ ̄ヽ、   `{´ { {{{i、_ノ  ー-`ニ-   ∧ !  ヾ!,ノ         
   /´/ ,,. ‐={ヽ、   ``ヽ ̄ヽ、 `''ー'  ,.イリノ' ヽ  |l!
  ./ ,,.=l/ ,,.=={ヽ、` = _  、ヽ  ` 、   ,.イ ,,.ノ  l ノ==、
  l/ ,r=f//´ ̄ト、 `= __ ヾ、ヽ ',    `´ !/  _,,,.ノヽ==、ヽ
 /〃/ f/ - ― ->ミ=、___`ヽ ヽ リ      ! /⌒ヾヽヽ}`ヽヽ}
 !{{l {'、 //´ _,,,..{/´_, ==`ヾ, }} !     |l/ ,.==、ヽヽ}⌒ヽリ
329日本@名無史さん:04/12/03 17:40:32
330日本@名無史さん:04/12/10 23:52:53
平頼綱は息子を将軍にできなかったけど、北村一輝は自分が内管領から将軍にまで出世したんだよなあ。
331日本@名無史さん:04/12/28 00:12:38
保守・・・する価値は
332日本@名無史さん:04/12/30 04:22:17

▲▲
うち家さ、名越の末裔なんだが・・・
333壁の緒 ◆ZQwFdMMZRs :04/12/30 06:25:26
公暁の生い立ちについて教えてください。
334日蓮:05/01/01 00:42:33
(カン、カン、カーン)南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
335日本@名無史さん:05/01/02 19:54:28
336日本@名無史さん:05/01/02 22:24:11
>>1
前々スレ
@●☆鎌倉北条氏について☆●@
http://mentai.peko.2ch.net/history/kako/1001/10017/1001783244.html
337日本@名無史さん:05/01/02 23:31:50
歴代得宗の早死には単純に過労死だと思われ。
338日蓮:05/01/02 23:34:42
(カン、カン、カーン)南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
339日本@名無史さん:05/01/15 22:31:50
七代執権をつとめた北条政村の系統は俗に政村流って呼ばれてるけど
この系統は違う名字は名乗ってなかったんですか?
340日本@名無史さん:05/01/17 08:46:49
名乗ってない。
つか他の北条庶流も別に自ら名乗ったわけではない。
341日本@名無史さん:05/01/18 07:40:13
佐殿は身内たるべき源家を粗忽されすぎたのや。なかんずく弟御への仕置によっての。

八田殿、佐竹殿、新田殿、武田殿、予州判官、参州殿・・・
342日本@名無史さん:05/01/18 08:29:07
一条殿、安田殿…
343日本@名無史さん:05/01/18 20:54:16
上総介殿はよく生きのこったな。
344日本@名無史さん:05/01/18 23:16:18
内管領って一時期、北条一門から出してるよな。
嘉元3年までは北条宗方が内管領を兼任していたようだが、
宗方の死後、また長崎氏に移ったと考えていいのか?

平頼綱→宗綱→・?・北条宗方・?・→長崎円喜→高資
345日本@名無史さん:05/01/18 23:40:49
>>344
「鎌倉政権得宗専制論」によれば得宗家執事(俗にいう内管領)は

平盛綱・沙弥右蓮・諏訪盛経・平頼綱・長崎光綱・工藤杲暁
平宗綱・尾藤時綱・北条宗方・長崎高綱・長崎高資

の11名だそうな

宗方滅亡が嘉元三年(1305)五月で、徳治三年(1308)八月には高綱の執事在職を確認できるそうな
三年の空白をどう考えるかだけど、ふつーに長崎氏に移ったんじゃね?
346日本@名無史さん:05/01/19 00:20:17
>>345 ありがと
宗方だけが特殊なケースだったようだね。
貞時の従兄弟だからって選んだわけでもないだろうし。
不思議な人選だな。

諏訪氏や尾藤氏も(一部を除いて)鎌倉幕府滅亡に殉じたんだろうな。
347日本@名無史さん:05/01/19 00:33:56
朝日新聞18日朝刊によると、菅直人のお遍路は
民主:自民の議席数3:30を切り崩すための遊行なんだと
北条時頼?
348日本@名無史さん:05/01/19 00:58:04
菅直人の踊り念仏が見たい
349日本@名無史さん:05/01/19 14:23:55
>>347 それは北条時頼に失礼w
>>348 それは一遍に失礼w
350日本@名無史さん:05/01/19 14:51:47
猿飛佐介
351日本@名無史さん:05/01/19 15:31:45
>>347
ますます北朝鮮っっぽくなってきたね、記事内容が。

「将軍様がご視察に参られた!」


「北」絡みって事で
352日本@名無史さん:05/01/19 19:50:23
>>346
得宗一族の勢力拡大を狙ったんじゃね?
353日本@名無史さん:05/01/19 21:30:31
>>346
内管領や御内人の地位向上のため、御内人勢力が
北条一門を飾りとして持ってきたというのは?

宗方が飾りに甘んじるつもりだったかは別にして。
354日本@名無史さん:05/01/19 21:51:03
>>352 >>353 どっちもありそうな。
この時代も大河なら陰謀また陰謀になるんだろうなーw

若い宗方なら貞時も御内人もコントロール出来ると思ったのだろうな。
宗方の内管領は妥協の産物だったかもしれん。
最後は暴走したっぽいが。
鎌倉も末期近くになると内情が複雑でわからんな。
355日本@名無史さん:05/01/20 02:29:13
奥富敬之『鎌倉北条一族』

北条泰時が一族支配を目的として得宗家に家令職を設置したとき、初代の家令に任じたのは
尾藤左近将監景綱であった。やがて得宗家公文所が創設されると、数人の者がその執事と
なり、家令がその長官を兼ねるようになると管領と称するようになった。さらに北条氏とその
家臣団が外様御家人に対して御内と呼ばれるようになると、これは内管領と呼ばれるようになった。
(中略)
平禅門ノ乱は弘安七年における佐介一族ノ乱の延長上のものではなかったかと考えられるのである。
佐介一族ノ乱は、内管領を中心とした御内人専制政権を倒して、その政権の首長の地位を形式的
にだけ持っていた得宗貞時の実権を回復し、あわせて北条一族の地位をも取り戻すことを意図した
と考えられる。こと志と違って、佐介一族ノ乱は失敗に帰したが、今度は得宗自身が一族を集めて
ことを謀ったため成功したのである。
(中略)
平禅門ノ乱が北条一門による御内人勢力排除というかたちをとり、しかも勝利を収めたいま、
得宗家内部を取り仕切る内管領の職も御内人の中から選ばれた従来とかわり、得宗一族から
選ばれるようになっていた。それが宗方であった。同時に彼は侍所別当をも兼ねて御家人統率の
権限をも握っており、貞時出家の直後に四番引付頭人にもなって幕政に関与していた。
356↑↑↑:05/01/20 11:01:29
珍人物往来社の駄本読んでる高卒ハケーン!(ゲラプップ
357:05/01/20 16:18:41
史学科卒の無職ハケーン!(ゲラプップ
358↑↑↑:05/01/20 17:54:01
図星突かれてファビョる高卒君(アヒャ
359:05/01/20 23:20:29
まー、お前みたいなキモヲタじゃあ、どこの学科を卒業しようが就職できないよね。
360日本@名無史さん:05/01/20 23:22:52
百姓どもに史学はひつようねーだろーがよw
361日本@名無史さん:05/01/20 23:46:55
>得宗一族から選ばれるようになっていた。

北条宗方ひとり、じゃないの?

これを「選ばれるようになっていた」と表現していいのかな・・・?
362日本@名無史さん:05/01/21 00:17:24
>355
宗方の内管領就任の背景はそのへんが妥当かな。
意外性はないが、なんでもかんでも裏があると思うのもどうかと思うし。

宗方もあと数年我慢すれば執権の座が回ってきたかもしれんのに。アホやな

奥富氏の本は読みやすくて頭にストンと落ちてくるのがいい。
ただ、それだと全部理解したつもりになって、内容批判まで踏み込むの
をやめてしまいそうになるのが怖い。>>361のような適度なツッコミが
出来るくらいにならんとな。しばらくひっこんで勉強しよ
363日本@名無史さん:05/01/21 00:50:58
昔の記述だと「北條」だったりするんですが
「北条」との違いはなんですか?
364日本@名無史さん:05/01/21 01:03:55
単なる旧字ですが。。。
365日本@名無史さん:05/01/21 01:16:45
>364
正字體と言へ、この低腦が!
366日本@名無史さん:05/01/21 01:22:50
桓武平氏北条氏族age
367日本@名無史さん:05/01/21 08:49:09
正字という言い方は好かん。康煕字典體くらいならいいが。
368日本@名無史さん:05/01/21 14:29:20
>367
このスレは珍人物往来斜の駄本を愛読する高卒多いから
そんなこと言っても分からないよ。
369日本@名無史さん:05/01/21 14:32:03
>>367
そこまでやると限がないから「いわゆる正字」で手を打ってやりなはれ。
370日本@名無史さん:05/01/21 14:38:55
このスレの高卒どもの為に「ふるいかんじ」でOK!
371日本@名無史さん:05/01/21 19:08:53
>>370
と、専門学校卒の奴がいっております。
372日本@名無史さん:05/01/21 19:18:51
低レベルの争いになってるな。

でも奥富さんの本だけを読んで
北条氏を知ったつもりになるのは
危険だよ。

>>355,362
嘉元の乱に関しては
細川重男さんが興味深い
考察をしているよ。
373日本@名無史さん:05/01/21 20:17:54
374日本@名無史さん:05/01/21 20:38:15
第十七代執権北條相模守貞將
375日本@名無史さん:05/01/21 21:11:04
ちんぼ
376日本@名無史さん:05/01/21 23:11:39
執権って今で言う総理大臣でよろしいか?
377日本@名無史さん:05/01/22 01:54:49
帝−院−鎌倉殿−執権−得宗−内管領の6重権力構造。
378日本@名無史さん:05/01/22 01:59:29
相模守age
379日本@名無史さん:05/01/22 09:05:20
>372
珍人物往来社や学研の轢死群像シリーズは、「吾妻鏡」や「梅松論」すらロクに読めな
い高卒者用の低レベルな読み物。
380日本@名無史さん:05/01/22 10:22:55
ここは新人物往来者や学研に入れてもらえなかった
三流私大卒ニートが恨みを述べるスレですか?
381日本@名無史さん:05/01/22 12:44:38
>>380 一応、旧帝か有名私立の院卒だけど就職先が見つからないんでしょ。

性格に問題がありすぎてw あと容姿も悪すぎてww
382日本@名無史さん:05/01/22 18:59:26
>>374
可能性として最有力は邦時じゃね?
383日本@名無史さん:05/01/22 20:20:00
北條相模守貞將は、第十六代執権北條相模守守時が後事を
北條武蔵守貞將に託し、官途の相模守を貞將に譲った
処から第十七代に比定するものである。
邦時はまだ幼少であるから、ゆくゆくは第十八代と
するつもりだったのであろう。
384日本@名無史さん:05/01/22 23:42:56
そういえば鎌倉北条の流れを汲む人っているのかね?
一時的とはいえ、あんなに栄えたんだから出てきてもいい気がするんだが…
足利治世下でも迫害されることとかなかったんでしょ?
高時の50回忌もやったと聞いた事があるが……
385日本@名無史さん:05/01/23 01:46:07
>>383
まともに相手するのも馬鹿らしいが、
それは『太平記』の話で、
しかも鎌倉滅亡の際に
恩賞として高時が
「相模守にして探題にする」
という話だっただろ。

>>384
足利氏の末裔は北条の血を引いてるでしょ。
386日本@名無史さん:05/01/23 01:49:56
血を引いてるのと家が続くのは意味が違うと思うが…
387日本@名無史さん:05/01/23 02:53:51
現在で名字が北条の人がそうじゃないの?
けっこういるよ。
388日本@名無史さん:05/01/23 08:01:16
>>384
幕末肥後の横井小楠とか北条子孫って称してますね。
これは家が続いてると思います。(先祖が偽称してなければ)

苗字が北条でなくても、家紋が三鱗で、
後北条氏に系譜が繋がらなければ、鎌倉北条氏の子孫である可能性は高いのでは。
鎌倉時代末期には日本全国に一族がいたわけだし。

>>387
苗字が北条だけじゃ、越後の北条(きたじょう)氏みたいに
違う可能性もあるのでは。
武士が領地を東西南北に分割した際に南条・北条とか称したのが
始まりだと思うから。
389日本@名無史さん:05/01/23 08:55:38
北条(きたじょう)は大江氏流。
390日本@名無史さん:05/01/23 09:11:40
あれだけ傍流支流の蕃衍があったのに、ほとんど族滅してしまったというのが
非常に不思議…
391日本@名無史さん:05/01/23 10:44:45
ああ、やっぱりこのスレはレベル低いや。
392日本@名無史さん:05/01/23 11:11:15
>>391
では、レベルの高い話題をどうぞ。
393日本@名無史さん:05/01/23 11:58:21
大佛次郎は?
394日本@名無史さん:05/01/23 14:09:08
>>388
うちの家紋は三鱗で、名字は北条だけど、
それだけで鎌倉北条氏の子孫と言える?
395日本@名無史さん:05/01/23 14:30:43
後北条の子孫じゃないのか?
396日本@名無史さん:05/01/23 14:33:36
>>394 言えないよね。

たとえ本物の子孫だとしても、後世になってから苗字も家紋も変えたかも
しれないし。
397日本@名無史さん:05/01/23 15:47:47
>>396
追加
家系図も捏造したかもしれないし。
398日本@名無史さん:05/01/23 15:48:54
>391
このスレは珍人物往来社を愛読する高卒者(平均偏差値50前半)の集まりだからしょうがないw
399日本@名無史さん:05/01/23 16:07:19
そうすると鎌倉北条の末裔がどこに存在するかは
誰にもわからない、と。
400日本@名無史さん:05/01/23 16:13:36
分からない
401日本@名無史さん:05/01/24 00:11:16
北条政子タソの墓が鎌倉市内に2つあるのは何故ですか?
402日本@名無史さん:05/01/24 00:14:55
政子が葬られたのは雪ノ下の勝長寿院だよ。
現存しないけど。
寿福寺と安養院のは、
少なくとも政子の頃に作られたものじゃない。
403401:05/01/24 00:29:03
サンクス!ですが、
経緯をもう少し教えてくださいませ。

実は、寿福寺に行った後、安養院をまわって、
「なんで2つ?なんじゃこりゃ???」と訳がわからんようになりました。
404日本@名無史さん:05/01/24 00:51:20
将門の首塚もいっぱいあるしね
405日本@名無史さん:05/01/24 00:59:48
鎌倉時代は分骨されて供養塔が作られたりするから
幾つも墓が作られていても不思議じゃないよ。

寿福寺の墓は鎌倉時代末期〜南北朝に
造られた物と推定されている。
政子や実朝とも縁の深い寺院だから
供養塔が作られていてもおかしくない。
406401:05/01/24 01:22:07
じゃあ、北条政子の骨はどこにあるの?雪ノ下の勝長寿院ってとこ?

で、北条政子の「お墓」と公的に言ってるのは、寿福寺でおk?

しつこく質問してスマソ。

迷惑かけてもなんなんで、もう終わりにしときます
407日本@名無史さん:05/01/26 21:38:19
政子と実朝が葬られた勝長寿院の住所は、
鎌倉市雪ノ下。
分かりやすく言えば鶴岡八幡宮の東で
頼朝墓の南、六浦道の大御堂橋の南になる。
ただ、今は住宅地になってしまっている。

政子と実朝の遺骨は、
高野山金剛三昧院の大日如来坐像にも
納められたことが古文書から分かるけど、
これが現存する五智如来像の中の
大日如来像に当るのかは知らない(w
408401:05/01/27 23:02:59
>>407

ありがとう。
結局は、はっきりと「これが政子と実朝の遺骨だ」というものが無いってことですね。

自分は理系の頭で、確定した証拠までないと気がすまない性格なので、
突き詰めすぎてしまいました。


あまり深追いしないようにします。
409日本@名無史さん:05/01/28 00:30:13
>>349>>351
記事によれば、菅が行くところに人が集まって
地元の県議?の会合に呼ばれたり結構な人気で
自民の議員からは自分の選挙区には入らないでくれって頼まれたぐらいなんだと
菅が時頼になれるかどうかは次の選挙次第。
410日本@名無史さん:05/01/28 14:57:43
>>409あほ(藁
411日本@名無史さん:05/01/28 16:47:12
>>409
在日もプロ市民も元社民・共産のプロ左翼も

「動員」に命かけてるからね。


スレ違い反省。
412日本@名無史さん:05/01/28 16:47:56
っていうか時頼はお遍路だったのか、と。

っていうか時頼の行く先々に人が集まったのか、と。
「お忍び」できてないじゃん。
413日本@名無史さん:05/01/28 22:04:10
プロ市民【ぷろしみん】[名]

 みずからの政治的な信念に基づいて行動したり発言したりする市民に対して、為政者の
言うなりに動く奴隷根性に満ちた人間たちが投げつける悪罵。この言葉は、たいてい奴隷
根性者どうしの閉鎖的なネットワークの中でだけ用いられるので、リアルワールドで耳に
することはない。

http://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?%A1%E3%A4%D5%A1%E4
414日本@名無史さん:05/01/28 22:51:29
なんで北条って「時」のついた
名前が多いの?
415日本@名無史さん:05/01/28 22:57:35
なんで足利って「氏」のついた
名前が多いの?
416日本@名無史さん:05/01/29 10:43:04
>>414
実際にはそれほど多くない。得宗家には確かに多いが。
一応、時政の3代前の時直から時家、時方と来ているがあまり信用できない。

>>415
足利義氏−泰氏以降、北条得宗家の嫁を取ったり、一字拝領が続いたため。
自動的にもう1字の「氏」が父子間で継承された。
417日本@名無史さん:05/01/29 19:36:00
>>416
「時」を使ってる人物は
得宗家以外にも普通に多いだろ?

足利だって自動かどうかは
分からんだろ。
家時とか高義の例もあることだし。
418日本@名無史さん:05/01/31 02:36:12
419せくはら探題北方:05/01/31 12:48:41
おっす、俺せくはら探題。
今先帝の手先共に攻撃されてえらい目にあってる。
でも大丈夫。
鎌倉から名越尾張守殿、足利治部大輔殿が援軍として駆けつけて
くれる。
だから俺は安心して京女と遊びまくるのさ。
わっはっは。
420日本@名無史さん:05/01/31 12:54:41
>>419
後ろ!後ろ!
421日本@名無史さん:05/02/01 15:58:18
執権と言うのは江戸幕府で言うなら老中首座か大老といったとこだろうか?
422日本@名無史さん:05/02/01 23:17:39
>>419
そんなこと言ってると後ろに赤マフラーが背後に現れるぞお〜。
423日本@名無史さん:05/02/02 00:40:45

激しく亀レスすまん。

>>285 さん。
>>284
となると頼朝が御輿足り得た最大の要因は、頼朝個人の資質、に行き着くんでしょうか。

 ですが、頼朝の境遇も大いに関係したかと思います。

流人であった。→領地が無い。→近隣の豪族と利害関係の対立が無い。
       →家来がいない。→豪族から見ればコントロールしやすそう。
       →べったりと張り付いている豪族がいない。→誰でも近づける。
       →北条氏しか味方なし。→でも北条氏は弱小なので無視できる。    

 たとえば、長兄義平には、三浦氏、新田氏が付き、秩父関連で武力衝突を起こしている。
すると、三浦氏と利害関係で対立する豪族は、義平を支持できにくくなるわけです。

 最後に、北条義時は、権力の天才だと思う。
権力者は、「頭が切れ、忠誠心の厚い」家来に自分の代わりに泥を被らせる。
しかし、義時が自分の代わりに泥を被らせたのは父親の時政、姉の政子だった。
あくまでも、自分は父、姉を支えその指示に服するものという立場を(公には)
貫いき、実質的に取り仕切った。
424せくはら探題北方:05/02/02 02:08:07
おっす、俺せくはら探題。
頼りにしてた名越殿があっけなくやられてしまった。
でも大丈夫。
南方のときます君もいるし、足利治部大輔殿もまだ健在。
まだまだ京女と遊ぶぞぉ!
でも足利殿、何で丹波のほうへ行ったんだろ?
変なの。
425日本@名無史さん:05/02/02 11:28:55
>>421
老中首座より権威はありそうだし大老といったとこじゃない。
426日本@名無史さん:05/02/02 14:44:21
>>424
上! 上!
427日本@名無史さん:05/02/02 23:10:50
せくはらご一行様、番場峠へようこそ!
428日本@名無史さん:05/02/06 00:42:43
>>412
時頼の「いざ鎌倉」のように、菅も「いざ投票所」となるかね?
てのが言いたかっただけなんだけど410・411には伝わらなかったようだ。
429日本@名無史さん:05/02/06 20:14:15
>>425
大老は常制じゃないから、老中首座あたりが妥当だろうな。
430日本@名無史さん:05/02/06 20:20:41
老中首座は執権ほどの権威も権力もない。
どちらかというと、大老の方が近いと思う。
431日本@名無史さん:05/02/08 08:15:45
大老は名誉職的な側面が強い。
むしろ老中首座の方が近い
432日本@名無史さん:05/02/08 16:45:06
>>431
井伊直弼って権力者じゃなかったの?
433日本@名無史さん:05/02/09 08:32:44
井伊直弼は珍しく大老が権力を握った例。
その兄の井伊直亮も大老だったが実際台閣を率いたのは水野忠邦。
直弼の後の大老酒井忠績もほぼお飾り。
歴代大老10数人のうち、実権握ったのは半分くらいかな
酒井忠勝・忠清、堀田正俊、柳沢吉保あたり
434日本@名無史さん:05/02/09 16:45:55
頭を下げる相手(公卿・四品・禁裏)がいて、
明白な上司(将軍家)がいるのに、

実際には土地・金・兵隊を有する決定的な有力者であり、
さらにはただの使用人筆頭があまねく恐怖政治を敷くような、
世襲の一家ってば、何よ。
435日本@名無史さん:05/02/09 17:59:20
436日本@名無史さん:05/02/09 18:42:10
鎌倉将軍、守邦親王はなぜ将軍を辞したんでしょうか?
大覚寺から出た将軍じゃなかったでしたっけ?
437日本@名無史さん:05/02/09 20:04:50
>>434 伊勢平氏と並ぶ桓武平氏の名門なのっ!!
438日本@名無史さん:05/02/09 21:25:47
>>436
守邦親王は伏見院の皇子久明親王の王子です。
持明院統の出身です。
鎌倉滅亡に衝撃を受けて出家したために自動的に辞職となりました。
439日本@名無史さん:05/02/09 22:09:08
その直後に死んでるのが怪しい。後醍醐に消されたのか?
440日本@名無史さん:05/02/10 18:37:32
>>438
持明院統の出だったんですか。
ありがとうございました?

よく考えてみたら、鎌倉は持明院統を擁立していましたしね…
441日本@名無史さん:05/02/11 21:36:23
というより、後醍醐が摂関・幕府の廃止を宣言した時点で自動的に解任だろう。
442日本@名無史さん:05/02/11 22:59:35
でも後醍醐は護良親王を征夷大将軍に任命しているぞ
443日本@名無史さん:05/02/12 10:31:48
べつに征夷大将軍=開幕、では無いからなぁ
444日本@名無史さん:05/02/12 17:52:05
一応、守邦がクビになってその空席護良が入ったからな>結果的に
445日本@名無史さん:05/02/12 17:53:39
総追撫使こそが開幕に必要な職
446日本@名無史さん:05/02/12 18:16:04
守邦の死に方は怪しい。ああタイミングよく死ぬか?
447日本@名無史さん:05/02/12 18:42:39
>>423
勉強不足ですね
448日本@名無史さん:05/02/12 20:57:30
>>446
わざわざ消すほどの重要人物じゃねえだろ、守邦は。
449日本@名無史さん:05/02/12 21:04:17
北条の残党に担がれる可能性はあるぞ。
450日本@名無史さん:05/02/12 23:07:11
それだったら後伏見院や光厳院のほうが狙われるだろ。
451日本@名無史さん:05/02/12 23:36:19
執権って公邸は執権館という屋敷だったらしいがそこから幕府に毎日勤めていたの?
それとも執権館で政務を執っていたの?
ご存知の方教えて下さい。
452日本@名無史さん:05/02/12 23:46:09
>451
時代によって違う。
時頼以降は得宗の私邸での寄合が幕府の最高機関となった。
453日本@名無史さん:05/02/13 00:24:13
いわゆる深秘の沙汰ですな
454日本@名無史さん:05/02/13 02:08:11
>>446
オカルト板でこんな書き込みを見かけた。↓

122 :113-3:04/08/22 00:17 ID:szpV7bFd
こちらは町誌から見つけた記事です。例の場所とは無関係かも知れませんが、
ちょっとひっかかる内容だったので概略を載せておきます。

●●に御所平という場所が有り、鎌倉北条執権時代の最後の将軍・守邦親王が
落ち延び隠遁した仮住居跡だと云う。
後に追っ手が掛かり、親王は能呂の地に逃れたが逃げ難きを覚りその地にて自刃。
首級は鉢塚に葬った。慶長年間に御所平を所有していた三枝某なる人が自宅改築
で宅地内より黄金の盃を掘出し、将軍の異物として家宝にした。
その後、三枝の家系の男子が早世・白痴などの禍いが絶えず、宝物の祟りとして
当代の伝右衛門が柏尾大善寺の執事に依頼し、自ら宝物を持って江戸へ行き、
三枝丹羽守に寄贈。その後も禍は絶えず、御所路に稲荷を祀るという。

この寄贈した受領書が現在残っているそうです。(御所平は文書では守国御所)
この御所平の場所が不明なので困ったのですが、もしかして例の場所と
何か関連性があるかも知れないと思い、参考までに記します。
455日本@名無史さん:05/02/13 14:08:52
明らかに打ちミスだとはわかるんだが、>>229みたいな小ネタで30分笑い転げたのは
俺だけだろうか?
456日本@名無史さん:05/02/13 14:45:35
>>229
30点
もう少し勉強しましょう
457北条時政:05/02/13 23:32:19
今日、大河ドラマに出ちゃった。いい男に映っていただろう?
458遷都麗空市:05/02/13 23:48:29
今度から関係書籍では、「蛭ヶ小島(伊豆の国市)」って書かれる
白雉全開フルスロットル(プ
伊豆国北条(伊豆の国市)(プギ
伊豆の国市(プルコギー
それにしても遷都麗空(セントレア)ってのもすげえw
459日本@名無史さん:05/02/14 09:58:48
北条氏って150年近く、一族を色んなところに派遣して増やした割りに
見事に族滅しているのはなぜ?
あるいは姓を変えて、小豪族として土着したんでしょうか?
460日本@名無史さん:05/02/14 13:31:27
細々と生きてますよ。
461日本@名無史さん:05/02/14 15:55:11
>>454
うぉー気になる!!
462日本@名無史さん:05/02/19 03:43:39
鎌倉北条氏の直系の子孫ていないの?

戦国時代はどうしていた?
463日本@名無史さん:05/02/19 04:04:12
ほぼ全員自決した。
464日本@名無史さん:05/02/19 22:01:09
>>462
 有名人で北条末裔ってのはいますよ。
 私も何回かカキコしたけど。ググルと結構出てきます。
 賤ヶ岳七本槍の平野長泰、後北条家臣の板部岡江雪斎、
 幕末の横井小楠など。


 
465日本@名無史さん:05/02/20 00:24:06
直系つーか、得宗家は泰家と中先代が死んで絶えたが
北条は分流が禿しいからのう…
466日本@名無史さん:05/02/20 15:29:35
>>464
平野は親父がなぜか公家から養子いりした人。
曽祖父は著名な公家学者の清原宣賢だったはず。
467日本@名無史さん:05/02/20 20:40:55
>>466
む?すると細川藤孝と血縁上は近いの?
以外と名門ですね。
468日本@名無史さん:05/02/21 00:34:47
「腐っても鯛」か・・・・。
469日本@名無史さん:05/02/21 04:47:47
板部岡氏は嫡流に近いね
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/itabeoka.html
470日本@名無史さん:05/02/21 23:58:31
しっかし時行も空気よめねーやつだよな
そんなに足利が嫌いだったのだろうか?
471日本@名無史さん:05/02/22 01:49:58
違うよ


  鎌倉が好きだったんだ…
472日本@名無史さん:05/02/22 21:05:38
>>470
そりゃ、鎌倉から京都への援軍の大将まかせられるくらい
信頼も厚く、血縁も近かった部将が自分達一族を裏切って政権を握り、
自分は身を隠すことになったわけだし。

最後は意地だけで抵抗しているような感じですね、時行。


473日本@名無史さん:05/02/22 21:15:51
しかし足利が寝返るようになったのは、南朝勢力からの勧誘があったことも
事実だが……
474日本@名無史さん:05/02/25 21:07:27
「北条泰時」で大河ドラマは作れないかな?
唯一、大河ドラマになっていない時代のような希ガス
475日本@名無史さん:05/02/25 21:24:05
>474
草燃える
476474:05/02/26 01:28:13
>>475
いや、「草萌える」は源平合戦〜実朝暗殺までじゃん
「北条泰時」は〜実朝暗殺から始まって、承久の変、六波羅探題、御成敗式目〜まで。
北条16代のうち、稀代の名宰相と言われた泰時の半生を描く〜ってどう?
北条の人気投票でも泰時はいつも一番だし、女性人気もある。
義経なんかよりこっちのほうが良かったなー
477日本@名無史さん:05/02/26 02:06:16
>>476
見たくないとまでは言わんが、後半、見せ場がなくて激しく
ダレそうだな。
478日本@名無史さん:05/02/26 07:26:47
>>474
原作はあるか?
479日本@名無史さん:05/02/26 11:09:02
>>476
関係ないが
一行目の「じゃん」に 違和感を覚える。
どこの人ですか?正直に。
480日本@名無史さん:05/02/26 13:19:04
北条泰時を大河にすると、後半は、嫁の実家、三浦氏との葛藤が中心になるんだろうな。
481日本@名無史さん:05/02/26 21:14:47
>>479
「じゃん」は一応横浜弁ということにはなっているが…。
482日本@名無史さん:05/02/26 21:20:33
>>476
「草燃える」は承久の乱から北条義時が死ぬまでやったよ。
主人公が北条政子だからな。
泰時の大河ドラマも見てみたい気がするが、ネタが少なすぎないか?
483日本@名無史さん:05/02/27 05:58:01
後半、承久の乱以降は合戦のシーンがなくなるのは辛いよね。北条泰時。
ただし、三浦氏や他の豪族との合議政治のなかでの駆け引き、泰時と異腹の兄弟たち(朝時、実泰、重時、政村)との微妙な関係など、描き方次第では面白いが、チャンバラ大好きなオッチャンには、不評だろうね。
484日本@名無史さん:05/02/27 07:54:46
三浦との合戦は、泰時死後のことだし、時宗でやっちゃってますからね。
義時死後、京都から帰って執権就任くらいまでで打ち切ったらいいのかも。
それなら、足利との友好関係や、朝時との対立も描けそうだし。
大河って絶対主人公の死までやるんですかね。
485日本@名無史さん:05/02/27 11:04:35
>>484
徳川慶喜は人生の半分で終わった。明治になってからが長いのに・・
486日本@名無史さん:05/02/27 11:33:00
>大河って絶対主人公の死までやるんですかね。
「春の波濤」でも貞奴の晩年は描いてないと思うが。

>徳川慶喜は人生の半分で終わった。
慶喜の政治生命はあそこで終わって、公人としては死んでるからな。
487日本@名無史さん:05/02/27 15:22:23
日本一州
上下万人一人もなく
謗法なれば、
大梵天王・帝桓並に
天照大神等、
隣国の聖人に
仰せつけられて
謗法をためさんとせらるるか。

例せば国民たりし
清盛入道
王法をかたぶけたてまつり、

結句は山王大仏殿を
やきはらいしかば、

天照大神・正八幡・山王等
よりき(与力)せさせ給て、

源の頼義が末の
頼朝に仰せ下して
平家をほろぼされて
国土安穏なりき。

今一国挙て仏神の敵となれり。

我が国に
此の国を領すべき人
なきかのゆへに
大蒙古国は
起るとみへたり。
488日本@名無史さん:05/02/27 15:27:52
夫れ此の国は神国なり。
神は非礼を稟けたまはず。
天神七代・地神五代の神神、
其の外
諸天善神等は一乗擁護の神明なり。
然も法華経を以て食と為し、
正直を以て力と為す。
法華経に云く
「諸仏救世者、大神通に住して衆生を
悦ばしめんが為の故に、無量の神力を現ず」と。
一乗棄捨の国に於ては豈善神怒を成さざらんや。
仁王経に云く「一切の聖人去る時七難必ず起る」と。
彼の呉王は伍子胥が詞を捨て吾が身を亡し、
桀紂は竜比を失て国位を喪ぼす。
489日本@名無史さん:05/02/27 15:28:34
>>488
今日本国既に蒙古国に奪はれんとす。
豈歎かざらんや、豈驚かざらんや。
日蓮が申す事御用ひ無くんば
定めて後悔之有るべし。日蓮は法華経の御使なり。
経に云く「則ち如来の使ひ、
如来の所遣として如来の事を行ず」と。
三世諸仏の事とは法華経なり。
此の由方方へ之を驚かし奉る。
一所に集めて御評議有て御報に予かるべく候。
所詮は万祈を抛て、諸宗を御前に召し合せ、
仏法の邪正を決し給へ。
澗底の長松未だ知らざるは良匠の誤り。
闇中の錦衣を未だ見ざるは愚人の失なり。
三国仏法の分別に於ては殿前に在り。
所謂阿闍世・陳・隋・桓武是なり。
敢て日蓮が私曲に非ず。
只偏に大忠を懐く故に、
身の為に之を申さず。
神の為、君の為、国の為、
一切衆生の為に言上せしむる所なり。
恐恐謹言。

文永五年〈戊辰〉十月十一日
                                     
日蓮花押
 
謹上 宿屋入道殿
490日本@名無史さん:05/02/28 18:59:41
>>486
別に大河は公人としてのドラマを描くわけではない。
慶喜の場合、明治時代の方がむしろドラマとしては面白いが
丸ごと削除したため、つまらん大河に成り下がった
491日本@名無史さん:05/03/02 19:02:43
ある調査で
「あなたの好きな歴史上の人物は誰ですか?」の結果で

1位 坂本龍馬
2位 源義経
3位 北条泰時

…だったことからも、泰時は大河でやっていいかもね
492日本@名無史さん:05/03/02 20:21:24
1194年に元服し将軍源頼朝が烏帽子親を務めている。
頼朝の一字を賜って、頼時と名乗る。1211年に修理亮に補任。
1213年の和田合戦では父・義時と共に和田義盛を滅ぼした。
1218年には父から侍所の別当に任じられ、また式部丞に遷任。
同年、従五位下に叙位。1219年には従五位上に昇叙。同年、武蔵守に転任。
1221年の承久の乱では、幕府軍の総大将を務めて倒幕軍を破って京都に入った。
そして戦後、朝廷を監視するために設置された六波羅探題北方として初めて就任した。
因みに同じく南方には叔父北条時房が就任する。
1224年、父・義時が急死したため、鎌倉に戻って家督を相続し、第3代執権となった。
翌年には伯母の北条政子や有力幕臣の大江広元が相次いで没したため、
幕府内で不穏な空気が流れたが、泰時は叔父の北条時房を執権を補佐する連署に任じて
その地位を磐石なものとした。さらに評定衆を設置して、有力御家人による合議制を確立する。
1232年には最初の武家の法典であることで有名な御成敗式目(貞永式目)を制定した。
鎌倉の都市整備も行う。同年、正五位下に昇叙。1236年には従四位下に昇叙。
同年、左京権大夫を兼任。1238年に従四位上に昇叙。
同年、武蔵守、続いて左京権大夫を夫々辞任。1239年には無官ながら正四位下に昇叙。
泰時は父・義時同様に朝廷に対しては厳しい態度で臨み、
1242年に四条天皇が崩御したため順徳天皇の皇子が新たな天皇として擁立されようとしていたが、
泰時は順徳天皇がかつて承久の乱を主導した首謀者の一人であることからこれに猛反対し、
後嵯峨天皇を新たな天皇として擁立しているのである。
そして同年、病のために没した。

評価
泰時は人格的にも優れ、武家や公家の双方からの人望が厚かったと言われている。
朝廷には厳しい態度をとったが、庶民などに対しては寛容な態度で臨み、
減税政策など様々な善政を行なっている。
このため泰時は、古代中国における聖人君子の再来とまで言われ、
今日においても歴代執権の中では特に高く評価されている。
493日本@名無史さん:05/03/02 21:59:12
、頼家、実朝、公暁
を暗殺し
源氏将軍家直系を滅亡させた
平氏の功労者
494日本@名無史さん:05/03/02 22:02:27
東国に復活した平氏政権=執権北条氏
495日本@名無史さん:05/03/02 23:24:12
しかし、他の平氏は滅ぼした=執権北条氏
496日本@名無史さん:05/03/02 23:33:41
実朝暗殺の時に義時の替わりにヌッ殺された源某て何源氏なの?
497日本@名無史さん:05/03/02 23:45:39
今年の大河の北条政子役財前直美は個人的にははまり役だ。
498日本@名無史さん:05/03/02 23:57:09
>>496
宇多源氏、源仲章。
499496:05/03/03 00:06:32
>>498、アリガト♥
500日本@名無史さん:05/03/03 01:24:31
幼名:金剛丸からスタートし頼朝挙兵からスタートできるな。
子供のときに見ていた頼朝に憧れを持つみたいな。
母ちゃんは実家の家名さえ不明で、異母弟たちとは身分的に劣る。
さらに幼年期に母を失うので、伯母である政子に擬似母性愛を感じ
つつ育つって設定で、義時との親子の葛藤、兄弟たちとアンバラン
スな交流など、苦労人的に描くと、いいかもね。「おしん」みたいに
501日本@名無史さん:05/03/03 05:10:26
しかし「義経」をやったあとでは
すぐには同時代の「北条泰時」は難しいね
戦国、幕末を挟んで最低3作目以降かな
502日本@名無史さん:05/03/03 09:55:52
北条泰時を放映すると、右翼組織から襲撃される恐れがあるので無理です
503日本@名無史さん:05/03/03 10:44:21
いっそのこと時頼までやっちゃうとか
2代続けて善政を行った歴史上でも異例の時代だよね
泰時・時頼は日本史上稀に見る大衆人気があった権力者
504日本@名無史さん:05/03/03 15:07:11
大河ドラマ「執権」。2007年放映予定

鎌倉三代執権泰時と五代執権時頼の半生を描く。
幕府体制の確立と、民衆の支持を得た2人の執権の素顔とは?
505日本@名無史さん:05/03/03 18:22:56
クライマックスは
源氏三代を滅ぼし、上皇軍まで破り
事実上、天下を我がものにしたとこかな。
506日本@名無史さん:05/03/03 18:25:48
源氏将軍を操り天下を得たあと
用なしとなった将軍家までも滅ぼし
ニンマリ。
507日本@名無史さん:05/03/03 18:27:57
創業者一族を追い出して会社を乗っ取る銀行みたいだなw
508日本@名無史さん:05/03/03 18:30:06
>507
フ○テレビの日○会長?
509日本@名無史さん:05/03/03 20:25:54
大河ドラマ「執権」
意外に現代を反映してるかもね
ナンバー2が天下を取るには何をすべきか?
510日本@名無史さん:05/03/03 21:11:49
ガンダムでいうところのジオン公国を乗っ取ったザビ家みたいなもん
511日本@名無史さん:05/03/03 22:57:51
つーか、権力者たちという題名にして
後醍醐天皇・北条高時・足利尊氏・新田義貞の葛藤を大河化して欲しいものだ。
主役が移転していく形で。

楠木正成は語り役的な存在で、湊川出陣前夜か何かの回想ストーリーということで。
512日本@名無史さん:05/03/03 23:01:25
>511
そんなもん観たがるのは藻前ら臭い歴オタだけです。
513日本@名無史さん:05/03/04 02:02:22
和田義盛が失脚しなっかたばあい別当の後任はだ〜れだ
三浦義村あたりがついで和田・三浦が代々任ぜられてくのが北条以外の理想?
514日本@名無史さん:05/03/04 08:07:54
安達・足利・畠山
515日本@名無史さん:05/03/04 15:37:52
すいません質問させて下さい

先日家族で義経を見ていて、終わってそのまま姉と鎌倉時代の話になりました
この後は北条時宗、次は太平記だねという話とか。
で、源氏にかわって北条氏が幕府の主導権を握っていく訳ですが、姉曰く
『なんで北条は一番上にならなかったんだろう』と。

何故北条幕府を開かなかったのかという意味ですが、僕は
そこまで力が無かったんじゃないかとか
ナンバー2で居る方がうまみがあったんじゃないか
ぐらいしか言えず話は終わりました。

この場合なんて説明したら良いでしょうか
お教え頂けるとありがたいです<m(_~_)m>
516日本@名無史さん:05/03/04 16:12:15
御家人への建前でしょ。
517日本@名無史さん:05/03/04 16:19:18
鎌倉幕府も連立だし、北条氏自体も連立政権だから。
518日本@名無史さん:05/03/04 19:46:44
>>515
その答が
大河ドラマ「執権」でつよ
519日本@名無史さん:05/03/04 19:48:19
自分達の気にいらない
将軍を伊豆に軟禁する東国武士団て・・

結局、源氏だろうが摂関家だろうが
皇族だろうが都の偉い血筋なら誰でもよかったんだろね。
520日本@名無史さん:05/03/04 19:52:15
>515
事実上、一番上になりましたよ。
ただ将軍位は平氏だからもらえなかったわけ、
521日本@名無史さん:05/03/04 19:57:16
てか征夷大将軍が源氏しかなれないって本当だったんだろうか?
522日本@名無史さん:05/03/04 20:37:54
>>521
嘘でしょ。
たまたま頼朝以降、源氏からしか将軍が生まれなかっただけで
以前は源氏以外からも選ばれていたわけだし。
523日本@名無史さん:05/03/04 20:40:26
>>520
じゃあ、摂家将軍と宮将軍は何?
524日本@名無史さん:05/03/04 20:47:11
大塔宮も征夷大将軍になってるしね。
525日本@名無史さん:05/03/04 21:28:46
頼朝以前の坂上田村麻呂は?
526日本@名無史さん:05/03/04 22:40:32
北条氏は出自のあやしい東国の田舎侍だったからよ。当時は家柄が重要だった。
最も徳川なんてもっと出自はあやしいようだが。
527日本@名無史さん:05/03/04 22:48:07
一応平直方の子孫という事になってますが?
528日本@名無史さん:05/03/04 22:49:39
確か東国では坂東八平氏の方が家格が上だったと思う。
529日本@名無史さん:05/03/04 22:56:11
必要に迫られてなかったからだけだろう。
でぼやぼやしてたら実権は御内人に移っちゃった

源氏は革新派(起業家)、平氏は保守派(官僚)ってことか…?
530日本@名無史さん:05/03/05 07:40:04
だからその辺の詳しい話を大河ドラマ「執権」で・・・
531日本@名無史さん:05/03/05 08:00:02
確かに源氏や足利や徳川が権力を確立する(=幕府を開く)話はあるのに
北条氏が権力を確立する話はないね。それは見たい。
532日本@名無史さん:05/03/05 08:39:54
北条貞時を主人公にした大河ドラマきぼんぬ
533日本@名無史さん:05/03/05 11:57:12
さすがにそんな小物を主役には…

もしまた中世やるとしたら義満でないの
あるいは『二ツ引三代』とか。

…orz
534日本@名無史さん:05/03/05 12:34:23
北条は100年で滅びた。鎌倉って儚い幕府だったね。
535日本@名無史さん:05/03/05 16:54:23
大河「執権」は以前も検討されたそうだけど
三谷大河で流れたらしいよ
536日本@名無史さん:05/03/05 18:39:20
鎌倉の北条義時vs.京の源通親
史実にはほとんどでてこない精神戦を魅力的に表現・・・ムリか...orz
537日本@名無史さん:05/03/05 19:31:13
>521
少なくとも臣籍では源氏限定でしょう。
538日本@名無史さん:05/03/05 19:31:52
北条家が得た最高の官位は何?
539日本@名無史さん:05/03/05 20:30:37
左右馬頭って権官しか貰ってないみたいだけど
やっぱ平氏だからですか?在京してなくてもいいんでしょ?
540日本@名無史さん:05/03/05 20:33:36
陸奥守じゃねぇの?
541日本@名無史さん:05/03/05 20:40:23
>>537
だから摂家将軍は?
藤原氏じゃねーのかよ。
542日本@名無史さん:05/03/05 20:53:35
>>538
政村の正四位下左京権大夫かな?
543日本@名無史さん:05/03/05 21:45:03
大仏維貞は従四位下だけど、
修理大夫になってるんだよな。
北畠親房も、北条義時の
正四位下右京権大夫は認めているのに、
維貞は「いかがと申しける」
と非難してるんだよな。
544日本@名無史さん:05/03/06 19:20:29
将軍家を滅ぼすとは
あっぱれ東国武士の鏡だな
545日本@名無史さん:05/03/06 21:02:04
大河「執権」キボンヌ
546日本@名無史さん:05/03/06 21:16:17
北条氏と平家ってなんで人気ないんだろー
547日本@名無史さん:05/03/07 16:06:59
執権って朝廷での地位はなかったんだっけ?
548日本@名無史さん:05/03/07 20:00:34
>>547
得宗家の当主は代々相模守じゃないの?
(相太守って呼ばれてるし)
549日本@名無史さん:05/03/07 20:06:16
つか相模と武蔵が得宗の知行国なだけでは?
550日本@名無史さん:05/03/07 22:56:59
>>549
得宗の知行国??(p
551日本@名無史さん:05/03/07 23:51:40
相武二国は関東御知行国じゃなかったっけ?
552日本@名無史さん:05/03/08 00:32:27
>>511
もう既に太平記でやったじゃん。

一応配役を書いておく(如何に地味な大河だったかこれでわかるだろう)
尊氏=真田広之、義貞=ショーケン(途中降板)→根津甚八、高時=片岡鶴太郎、
後醍醐天皇=片岡仁左衛門(当時片岡孝夫)、楠木正成=武田鉄矢、高師直=柄本明、
足利直義=高嶋政伸

新田義貞の鎌倉攻め辺りで糞つまらなかったから途中で見るのを止めた。
553日本@名無史さん:05/03/08 00:51:35

ご利用下さい。

学歴板 【草のみどり】中央大学総合すれ【タマでお昼寝】

http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/joke/1107019095/l50

554日本@名無史さん:05/03/08 00:59:00
>553
555日本@名無史さん:05/03/08 02:02:34
>>542
蛭子大蔵卿長成も正四位下
556日本@名無史さん:05/03/08 03:31:14
大河ドラマ「執権」

北条泰時・・・堺雅人
557日本@名無史さん:05/03/09 08:20:21
大河ドラマ「執権」

北条政村…大滝秀治
558日本@名無史さん:05/03/09 18:09:51
大河ドラマ「執権」

北条高時・・・堤真一
559日本@名無史さん:05/03/09 19:11:46
将門公ゆかりの関東は平氏のものだからな。
源将軍家を滅亡させた北条氏はヒーローだぜ。
560日本@名無史さん:05/03/09 19:13:43
草燃える
マツケンの北条義時は迫力あったな
マツケン26歳で見事だった。
友の眼を抉るとか今見ても怖いシーンもあった・・・
今の若いマツケンファンも見て欲しい
561日本@名無史さん:05/03/09 20:37:45
>>560
泰時は誰がやったん?
562日本@名無史さん:05/03/09 21:06:34
マツケンは勝新太郎の弟子だったから主演作品に恵まれているよな。
24歳の若さで暴れん坊将軍の主役なんだもん。
563日本@名無史さん:05/03/09 21:06:46
あのころの、いや、あのときのマツケンが一番いい。
吉宗以降どうも好きになれん。
564日本@名無史さん:05/03/09 23:10:29
>>563
吉宗のほうが義時より1年も早いんだが
565松平吉宗:05/03/09 23:14:16
私の悪口もそこまでだ!(エコー)
566日本@名無史さん:05/03/10 00:35:20
>>560
いいなあ俺も見てみたい(´・ω・`)
その時点で生きてないと観れないなんてずるい
てかDVDとかあっても高いし…_| ̄|○
567日本@名無史さん:05/03/10 00:58:52
江戸時代の天皇−将軍の二重権力でも驚きなのに鎌倉時代の天皇−将軍−執権の
三重権力構造には本当に驚かされるよな。
神聖ローマ帝国みたいに帝国と領邦が並存するような構造だったら理解出来るんだけど
当時の日本はそんなんじゃなかったんだろ?
568日本@名無史さん:05/03/10 01:06:38
草燃えるキャスティング
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/taigadorama/cast/kusamoeru.html

去年の夏、ビデオで一通り借りてDVDに焼いたまま全く見てなかったのを思い出した…orz
569日本@名無史さん:05/03/10 04:03:29
と言うか、上皇ないし院‐天皇‐摂政関白‐関東申次(精華・英雄)
〜六波羅〜各探題
将軍家‐執権・連著→得宗→執事・御内←→「悪党」「安東氏」「修験者」など

実権の所在が流転し、悪くいえばとことん無責任であいまいで、
かつ専制の要素を多分に含み、恐怖政治とさえ表現しうるような、
わけわからん多重構造。
570日本@名無史さん:05/03/10 08:28:22
関東申次とか探題・悪党はちょっと権力の所在とは違う希ガス。

院・内裏・摂関・鎌倉殿・執権・得宗・御内の7重権力構造くらいか
571日本@名無史さん:05/03/10 16:30:26
坂東八平氏ってどこなわけ?
北条、三浦、梶原は分かるがその他がわからん。
572日本@名無史さん:05/03/10 16:37:01
考えてみれば、鎌倉の北条氏って
日本の大半の荘園と権力を握っていたのに、
朝廷から貰う官位は
地方の在庁官人程度だったんでしょう?

573日本@名無史さん:05/03/10 16:44:41
>>572 だから何だよ?w
574日本@名無史さん:05/03/10 18:49:24
>>572
>朝廷から貰う官位は
>地方の在庁官人程度だったんでしょう?

第三代将軍実朝のように官打の憂き目に遭わないようにわざとそうしていたんでしょうね。
575日本@名無史さん:05/03/10 22:13:44
>>572
有力一門は国主クラスの官位は貰っているから
在庁官人よりは1ランク以上は高いと思いますが。

官位を持っている御家人自体の数が少ないから、あまり高い官位は
必要なかったのでは?
北条氏自身はあまり目立たないようにして実権を掌握しようとしている
イメージがありますね。
重要事項を公の会議でなく深夜の非公式会議(深秘の沙汰)で数名で決定したり。
576日本@名無史さん:05/03/10 22:36:33
>>571
一般的な坂東八平氏は千葉、上総、秩父、三浦、土肥、大庭、梶原、長尾で
北条は入っていませんね。坂東で平氏と言えるのは常陸大掾氏くらいで
あとは本当に平氏の流れなのか疑問です。
577日本@名無史さん:05/03/10 23:17:39
>>576
仮冒厨乙
578日本@名無史さん:05/03/10 23:47:11
時宗に到っては、平氏長者のくらいが授与されている
579日本@名無史さん:05/03/11 00:00:00
>>重要事項を公の会議でなく深夜の非公式会議(深秘の沙汰)で数名で決定したり。
得宗専制と言われたのは時頼の頃からですね。
泰時の時代はまだ合議制の部分が残ってましたよ。
580日本@名無史さん:05/03/11 08:25:19
平氏長者なんてあったのか?
581日本@名無史さん:05/03/11 12:13:06
結局、北条執権政治というのは
フジテレビをニッポン放送が支配してたようなもん?
582日本@名無史さん:05/03/11 12:46:21
この時代にひとりだけ北条姓じゃない人が執権職についているけどあの人は一体何者?
583日本@名無史さん:05/03/11 18:55:12
>>582
全員北条氏ですが何か。
何を言ってるのか分かりません。
584日本@名無史さん:05/03/11 21:37:55
>>583
金沢貞顕という執権がいたじゃないか!
585日本@名無史さん:05/03/11 21:43:47
586日本@名無史さん:05/03/11 22:00:58
源氏は北条によって滅びた。
587日本@名無史さん:05/03/11 22:02:16
>>584
馬鹿??
金沢貞顕は北条一族だぞ。
つーか、鎌倉時代に金沢北条氏が
金沢姓で呼ばれている史料はない。
588日本@名無史さん:05/03/11 22:02:55
>>582 >>584
マジレスしてもいいでつか?
589日本@名無史さん:05/03/11 23:06:08
>>582>>584
赤橋守時は無視?
590日本@名無史さん:05/03/11 23:07:54
>>584
E赤橋、F常盤、J大仏、K常盤、L普恩寺、N金沢、O赤橋
>>584さん”大仏”の読み方知ってますか?
591日本@名無史さん:05/03/11 23:18:16
>>590
「おさらぎ」か?
確かその苗字の作家がいたよな
592日本@名無史さん:05/03/11 23:26:44
>>587-590
ああ、なるほどわかったわかった。
その金沢とか赤橋とかいうのは藤原摂関家で例えるなら藤原家が
一条とか九条とかに分家したようなもんなんだな。
593日本@名無史さん:05/03/11 23:46:41
「北条時宗」の金沢実時は良かったな。貞顕は孫?曾孫?
594日本@名無史さん:05/03/12 00:33:24
金沢実時といえば、「金沢文庫」。
口に指を入れてを両脇に引っ張って、「金沢文庫」って連呼してみな。
「○んこ」って聞こえるよ。
595日本@名無史さん:05/03/12 00:41:23
>>594 糞スレにすんなよw
596日本@名無史さん:05/03/12 03:12:34
>>592
正確に言うとな、二条から今小路・富小路が派生したようなもの。
対応するのは藤原ー平  摂家ー北条  摂家分家ー金沢・赤橋
597日本@名無史さん:05/03/12 18:57:15
>>593
孫。
598日本@名無史さん:05/03/13 08:05:31
今小路家と言えば満済マンセー!
599日本@名無史さん:05/03/14 15:25:27
>>591
おさらぎじろう
600日本@名無史さん:05/03/14 21:26:04
>>596
富小路家が二条家の分家だというのは明白な偽系図だけどな。
601日本@名無史さん:05/03/16 04:26:56
北条泰時は、理想の政治家として朝廷からも賛辞されていたが、
息子の嫡子、時氏は病弱で、幼い経時や、時頼を残し、泰時より
前になくなった。また次男の時実は、家臣(御内人)の高橋某と
喧嘩になり刺し殺されている。弟たち(朝時、政村ら)との勢力
争いもくすぶった状態で、泰時は晩年を迎えたとおもわれる。

なお、泰時の正妻は三浦義村の娘。時氏を産んだ後、なぜか離縁。
その正妻は、三浦一族の佐原氏の後家として嫁いで子を産んでいる。(三浦宗家滅亡後の三浦介の祖)
その後、泰時は安保氏(御内人)の女性を後妻として娶っているが、
次男の時実がどちらの所生かは不明。
602日本@名無史さん:05/03/16 08:20:44
鎌倉幕府最後の将軍守邦親王って鎌倉陥落のとき鎌倉に居たの?
603日本@名無史さん:05/03/16 17:28:03
執権って側室はいたのですか?
いたとしたら大体何人くらい平均でいたのですか?
604日本@名無史さん:05/03/16 21:52:47
とりあえず時頼にはいたけど他は知らんのう
守邦親王は鎌倉にいて幕府消滅後京都に帰った
605日本@名無史さん:05/03/16 22:53:03
>>604
NHK大河ドラマを見ていたんだろう!
時頼には正室の涼子(あきらこ)と側室の讃岐の局がいた。

高時にも側室はいた。執権ってふつうに側室はいるだろう。

606日本@名無史さん:05/03/17 08:02:40
執権に限らず、権力者にとって跡継ぎを作るのは義務。
よって側室を増やして確率を上げるのが常道。
607日本@名無史さん:05/03/17 20:31:07
時宗に側室はいたんだろうか?
608日本@名無史さん:05/03/17 20:40:31
@北条義時(江間小四郎)の妻一覧
北条泰時の母→姓不詳泰時幼少時に死亡

A伊佐氏(伊達氏の祖)

B伊賀氏→北条政村の母
ほかに2、3人側室がいた模様。

この中で、一番身分が高いのは伊賀氏(秀郷流藤原氏)、しかし、正妻は誰なのかは、チト不明。
609日本@名無史さん:05/03/17 22:38:38
比企朝宗の娘は?
610日本@名無史さん:05/03/18 02:49:50
ちんこだよ。
611日本@名無史さん:05/03/18 08:00:08
狆子?
612日本@名無史さん:05/03/18 11:46:40
大河ドラマ化あげ
613日本@名無史さん:05/03/18 19:54:07
2008年度大河ドラマ「執権」
614日本@名無史さん:05/03/19 09:43:03
2012年度大河ドラマ「三浦一族」
615日本@名無史さん:05/03/19 13:57:56
>>614
んなもの、誰も見ねーよ。
616日本@名無史さん:05/03/19 14:48:34
だれ三浦って?
617日本@名無史さん:05/03/19 19:24:40
>>613
シンプルなタイトルだけどカッコいいね
618日本@名無史さん:05/03/19 19:36:20
>>608->>609
姫の前
619日本@名無史さん:05/03/19 19:38:32
頼朝の愛人で政子に家をつぶされた人はその後義時の庇護を受けていた。
で、生まれたのが泰時。頼朝はたいそう可愛がり、頼時と最初名乗らせたそう。。
得宗は頼朝の系統であるかも。彼らが鎌倉幕府の実権を握れたのも、それが理由かも。
620日本@名無史さん:05/03/19 19:51:22
>>619
ソースは何かの小説ですか?
伊東娘と阿波の局と亀の前が一緒になってませんか?
伊東娘(四女)は頼朝との間に子を設けましたが父祐親に子を殺され
江間小四郎に嫁がされました。北条義時も江間小四郎と言われてましたが
政子、義時の母は祐親の長女と言われてますから甥と結婚したことになり
不自然ですよね。
泰時の母は阿波の局と言われてますが伊東娘なのか詳細は不明です。
政子に家を壊されたのは亀の前で泰時の母ではありませんよ
ちなみに亀の前父親は伊東祐親ではなく韮山の良橋太郎と言う地侍です。
621日本@名無史さん:05/03/19 20:27:19
>>620

>江間小四郎に嫁がされました。北条義時も江間小四郎と言われてましたが
>政子、義時の母は祐親の長女と言われてますから甥と結婚したことになり
>不自然ですよね。

長女と四女の関係が薄い(母親が違うとか年齢が大きく違う)だと、それほど不思議な
結婚でもないような気はします。叔父叔母と甥姪の婚姻は。
北条氏とより関係を深めるメリットが伊東氏にあればありえる話かも。

でも政子と頼朝が結婚した場合、義時の立場が複雑になりますね。
義理の兄の前妻が妻なんて。
622日本@名無史さん:05/03/19 23:10:32
「北条泰時」出生から執権就任まで

1194年に元服し、将軍源頼朝が烏帽子親を務めている。頼朝の一字を賜って、頼時と名乗る。
1211年に修理亮に補任。
1213年の和田合戦では父・義時と共に和田義盛を滅ぼした。
1218年には父から侍所の別当に任じられ、また、式部丞に遷任。同年、従五位下に叙位。
1219年には従五位上に昇叙。同年、武蔵守に転任。
1221年の承久の乱では、幕府軍の総大将を務めて倒幕軍を破って京都に入った。
そして戦後、朝廷を監視するために設置された六波羅探題北方として初めて就任した。
因みに同じく南方には叔父北条時房が就任する。
623日本@名無史さん:05/03/20 00:05:16
>>622
頼時から泰時への改名の時期とか判りますか?
頼朝に貰った頼の字を捨てるというのは、なにか大変な事情でもあったのでしょうか。
ちなみに弟の名越朝時も頼朝が烏帽子親ですか?
624日本@名無史さん:05/03/20 01:19:20
前九年の役で、頼朝の先祖、頼義の敵になったのは、安倍頼時。
同名なのを、憚って改名したのでは?
625日本@名無史さん:05/03/20 01:37:41
>>624
>頼朝の先祖、頼義の敵になったのは、安倍頼時。
頼朝はそんなことにも気が付かない位
アフォだった訳だw
626日本@名無史さん:05/03/20 04:02:35
2008年度大河ドラマ「執権」

三代執権・泰時誕生から五代執権・時頼没までの執権二代(四代は急逝)を描く
627日本@名無史さん:05/03/20 04:04:26
↑「草燃える」と「北条時宗」の間のミッシングリンクみたいなもんです。
628日本@名無史さん:05/03/20 06:31:38
>>626
ところで原作は何?
629日本@名無史さん:05/03/20 06:59:47
大河ドラマ「執権」

第一話「時政失権」
630日本@名無史さん:05/03/20 08:00:21
2011年度大河ドラマ「後深草院二条」
631日本@名無史さん:05/03/20 12:30:53
大河ドラマ執権ネタはもういい。
632日本@名無史さん:05/03/20 13:12:36
泰時と実泰の泰の字は同じ人が付けたのかな?
633日本@名無史さん:05/03/20 16:23:08
大河ドラマ「執権」

第二話「頼朝寵愛」
634日本@名無史さん:05/03/20 16:42:36
>>625

そう、そこが最大の謎なんでつよ。なんで先祖の怨敵の名をつけたか。

改名は多分、義時、泰時の側から申し出たとおもわれる(頼朝の死後)
635日本@名無史さん:05/03/20 17:32:27
いや、頼朝は分かってたんじゃないかな
将来、北条が源氏にとってかわると・・・
表向きには泰時を寵愛していると見せかけ、実は周囲に警戒の信号を発していた
図らずもそれが自身の死後、3代で現実になった・・・
636日本@名無史さん:05/03/20 17:36:00
泰時=頼朝の息子説はどれだけ信憑性あるん?
ゼロとも言い切れないよね?
637日本@名無史さん:05/03/20 18:50:52
>>636
政子の頼朝の妾とか庶子(貞暁)に対する扱いから考えて、
泰時が頼朝の息子なら、北条家の家督は継がせないのでは?

良ければ出家、下手すれば追放とか死罪とかなりそうな気がします。
北条家の家督候補者(義時の息子)は他にも多数いるし。

638まさむら:05/03/20 19:01:25
俺のこと?
639日本@名無史さん:05/03/21 00:38:44
>>630
誰がやんのさ
頼綱役で北村が出るならとりあえず見るけどさ
640日本@名無史さん:05/03/21 01:12:27
m9(^Д^)プギャー
641日本@名無史さん:2005/03/21(月) 08:10:47
じゃあ、以后はいっさい大河ネタ禁止で
642日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:30:18
同意。架空の大河ではなくもっと実学的な執権の話をしよう。
643日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:22:08
いや、現実の話を元に大河「執権」を語るのはダメ?
全40話の簡単な筋を考えるとか…
644日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:29:42
大河の話でなく、史実に即した話として。

頼朝から頼の字を貰って元服した人物って北条頼時(泰時)以外に
いますか?
足利や武田のような清和源氏の有力者でも貰ってないですよね。
三浦や小山、千葉のような有力豪族でも貰っていないと思います。
645日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:34:32
>644
源頼家
646日本@名無史さん:2005/03/22(火) 07:07:13
>>644
結城(小山)朝光
頼朝から朝の字を貰って元服した
647日本@名無史さん:2005/03/22(火) 07:56:38
千葉頼胤
伊達頼宗(朝宗)
648日本@名無史さん:2005/03/22(火) 09:00:44
>>646
平賀朝雅
649644:2005/03/22(火) 10:33:05
私がお聞いているのは頼朝から”頼"字を貰った人なんですが、
(”朝”は結構貰ってる人いますよね。

千葉頼胤(1239年生まれ 時期が合わない)
伊達頼宗(朝宗または宗村となっている資料が多いですし、娘が頼朝庶子(貞暁)の母だから頼朝より年長では?)
650日本@名無史さん:2005/03/22(火) 19:13:47
>>644
宇都宮頼綱
651日本@名無史さん:2005/03/28(月) 00:07:09
バカウヨ日蓮が大河ではブサヨになってたが
あれはなんだったんだろーか。
652日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:36:34
なんで北条はこうもダークなイメージなのかorz
653北条高時:2005/03/28(月) 07:42:47
明るい北条氏をアピールします!
654644:2005/03/28(月) 20:43:06
宇都宮頼綱(1178-1259)は頼朝没時に21歳ですから
頼朝から頼の字を貰って元服した可能性は高いですね。

今のところ、彼と北条頼時だけかな。
他にいますかね?

655日本@名無史さん:2005/03/29(火) 08:32:36
吉見頼綱…は範頼の偏諱か。
千葉六郎胤頼、毛利三郎頼隆、村山七郎頼直、氏家太郎公頼あたりは?
一応側近衆。
656644:2005/03/29(火) 23:25:31
千葉六郎胤頼  上京して上西門院に仕えて、以仁王の宇治川の戦いの際は平家方で従軍しているみたい。
           経歴・年代的に多分頼朝からの拝領じゃないですね。
           蒙古襲来時の肥前千葉氏の当主が頼胤ってのは摂家将軍か時頼あたりからもらったのでしょう。

毛利三郎頼隆  平治の乱で義朝に味方した源義家の末子毛利義隆の遺児で千葉氏に養育されていた人物ですね。
           頼朝との初対面時(千葉氏が頼朝軍に合流したとき)は若者だったというから頼の字を貰った可能性がありますね。
           義隆は義朝を庇って戦死したみたいだから、頼隆にも特別眼を掛けたかも。

村山七郎頼直  武蔵七党の一つ村山党の出身ですね。村山氏は頼朝流人時代に懇ろだったということで
           本知行所安堵の記事が吾妻鏡治承五年(1181)五月の記事にあるそうです。
           (村山七郎頼直本知行所今更不可有相違之由被仰東鏡)
           ただ被対象者が金子六郎家範(息子家忠が保元の乱から源平合戦活躍している)で
           その弟が七郎頼直みたいなので頼朝よりかなり年長っぽいですね。

氏家太郎公頼  宇都宮氏出身で、頼朝初上洛時に随行したみたいです。
           宇都宮頼綱の兄弟みたいなので年齢的には一字拝領の可能性ありですね。

       
貰っている可能性が高いのは、北条(嫡男)・宇都宮氏(複数?)及び親族(清和源氏)ですかね、今のところ。
 



           
657日本@名無史さん:2005/03/30(水) 07:33:31
六郎胤頼ってこれか
ttp://members.jcom.home.ne.jp/bamen1/tou0.htm
658日本@名無史さん:2005/03/30(水) 21:17:49
大切なのは、一字拝領とか、
どの字を貰ったか、とかではなく、
頼朝が烏帽子親になったか、ならないかじゃないの?
頼朝期の北条氏って、そんなに特別な存在だったの?
659日本@名無史さん:2005/03/30(水) 21:38:43
>>658
例えば、頼朝が烏帽子親になった武士って?
660日本@名無史さん:2005/03/31(木) 18:46:02
頼朝の場合、烏帽子親ではなく、猶子として関係を強化することが多かったとおもう。
小山(結城)朝光や平賀朝雅など。
661日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:06:08
そのへんの話を下敷きにして大河「執権」(主人公:泰時、時頼)できないかな?
662日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 07:29:38
もう、その話題はいいって
663日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:52:28
鎌倉時代って暗い歴史だなー
664日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:23:22
北条氏の嫡流の子孫は今どこになるの?
665日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 08:01:08
滅びますた(´・ω・`)
666日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 11:08:12
鎌倉って京都と違ってなんか空気が重いんだよねー
風水悪いんじゃない?
667日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 11:24:39
>>666
まあ武家の都ですからなあ。華やかさはあまりないよな。
668日本@名無史さん:慶長410,2005/04/02(土) 15:05:05
>>666
水素(2)<窒素(28)<空気(28.8)<酸素(32)
669日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:02:20
アルゴンが異常に多いんだよ
670日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:50:04
もう通じ
671日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:45:03
>>666漏れはあの独特の陰鬱な感じが好きだ
672日本@名無史さん:2005/04/04(月) 07:42:07
平泉はもっと沈鬱。
673日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:07:44
鎌倉霊園ってすげーでけー墓地があるよねー
674日本@名無史さん:2005/04/05(火) 07:43:35
>>673
堤康次郎のだな
675日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:57:49
あの辺朝比奈の切り通しってあって寂しい雰囲気で夜の一人歩きは超恐いよねー
あと逗子と鎌倉を結ぶトンネルの幽霊スポットとかあってなんか鎌倉って明るく
ないんだよなー
676日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:45:00
>>675
そりゃ〜、昔、殺人現場だったからなあ
677日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:35:09
北条時行の嫡流の子孫が
北条氏の嫡流とみていいんですか?
678日本@名無史さん:2005/04/07(木) 07:11:49
いいえ
679日本@名無史さん:2005/04/08(金) 16:24:48
じゃどこよ?
680日本@名無史さん:2005/04/08(金) 16:38:27
681日本@名無史さん:2005/04/10(日) 08:35:45
682日本@名無史さん:2005/04/10(日) 22:00:21
仲時って、なんで女に人気があるんだ?
俺は知らなかったんだが・・・
683日本@名無史さん:2005/04/11(月) 20:52:35
>>682
「夢語り」シリーズという鎌倉期の少女漫画があってそれで人気があると思われる。
(北条時房も)
もっとも今は古本屋でしか見かけない(秋田書店)。
684日蓮:2005/04/12(火) 01:27:38
鎌倉北条氏族の末裔は首から上に罰が出る。目、歯、耳、鼻、脳、精神の病気に
気をつけなさい。あと不細工な顔の人も多いね。
685日本@名無史さん:2005/04/12(火) 15:41:21
板部岡と平野って時行の子孫じゃん。

で板部岡が北條氏の嫡流の子孫とみていい訳?
686日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:50:55
>>684
葬稼学会の信者には、目も当てられないブサイクが多いのも特徴。
目の離れた宇宙人女歌手、異常に背が高くニューハーフ疑惑のある
在日エセソウルシンガー。
爆発頭と不気味な歯並びの悪さと気味悪い、出目金目のダウン症かと
見間違うようなお笑いタレント(葬稼大学出身)
ハーフであるコンプレックスから入信した整形繰り返し色物シンガー。
とんがり頭がトレードマークの偽佐賀県人(埼玉出身)お笑い(ツマラン)
出っ歯が売りの下品な自称女優(葬稼プロデューサ−のおかげでニセ高感度
タレントに出来レース一位。相方のメガネおば犯キャラとセット。
醜くてごめんなさい。
687日本@名無史さん:2005/04/14(木) 02:21:14
>>652
今日、「その時、歴史は動いた」を見たけど
武田が滅んだのは北条が原因のように見えた・・・

これでまた北条のダークさがアップされたw
688日本@名無史さん:2005/04/14(木) 05:04:11
後北条はこのスレ無関係
689日本@名無史さん:2005/04/14(木) 22:53:19
>>688
戦国時代の上杉の家臣北条(きたじょう)氏モナ
690日本@名無史さん:2005/04/15(金) 08:22:53
北条で「ほくじょう」と読む姓は無いのかな
691日本@名無史さん:2005/04/15(金) 10:38:07
北条は政子が頼朝の妻となるまで、出自もはっきりしない小豪族だった。

平氏の出であるかどうかも怪しいらしいが実際どうなの?

692日本@名無史さん:2005/04/15(金) 15:42:56
伊勢平氏以外で貞盛系(と称していたの)って、北条と熊谷だけですか?
693日本@名無史さん:2005/04/15(金) 19:16:13
>>689
越後の北条氏は毛利家の嫡流家。
南北朝時代に傍系が毛利家のもう1つの領地である安芸吉田に移動した。
で、戦国時代には傍系のはずの毛利家が元就の登場で中国一の大名に。

北条高広がたびたび上杉謙信に謀反を起したのは、傍系が繁栄したことへの対抗心か?
694日本@名無史さん:2005/04/16(土) 08:30:07
>>691
信用もならんが否定するほどでもない。
何より朝廷から平氏と認められてるんだから系譜がどうだろうと平氏さ。

全然関係ないけど、大河で頼朝生存中から「政子」とか呼ばれてるのを見ると萎えるな。
695日本@名無史さん:2005/04/17(日) 15:35:52
>越後の北条氏は毛利家の嫡流家。

なんじゃそりゃ。毛利家の嫡流は毛利家だろw

っていうか毛利は大江広元の庶流の子孫の北条氏のさらに傍流というべきだね。
696日本@名無史さん:2005/04/17(日) 15:41:44
伊勢平氏は貞盛流の傍流で嫡流は維時の流れだと言われているが、

いつの間にか維時の嫡流が北條氏になっている。

血筋的には熊谷氏だと思うが
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kuma_k.html
697日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:41:01
熊谷氏はその後どうなったの?
698日本@名無史さん:2005/04/17(日) 16:46:39
嫡流は近江の熊谷氏か
699日本@名無史さん:2005/04/17(日) 17:19:37
>>691
当の平家宗家ですら問題なく、傘下として使っている訳だが…。
700日本@名無史さん:2005/04/17(日) 17:33:46
>>699

平家の家臣なら平氏とは初めて聞いた珍説だなw
701日本@名無史さん:2005/04/17(日) 18:40:25
氏長者による官職の推挙がまがりなりにあったこの時代に似非平氏が名乗れるわけないだろうw
702日本@名無史さん:2005/04/17(日) 22:13:42
平氏長者?
703日本@名無史さん:2005/04/17(日) 22:17:15
平氏に氏長者による推挙はねえだろ
704日本@名無史さん:2005/04/17(日) 22:35:21
そういえば、平氏にはないな。
まあ、まだ似非平氏が出るほど年代が下ってないのも事実だろうが…。
705日本@名無史さん:2005/04/18(月) 07:22:16
つーか氏長者システムがあったのって藤氏・源氏・橘氏くらいじゃないの?
706日本@名無史さん:2005/04/19(火) 14:05:57
どうせ「桓武平氏」なんてぇのは後世の人が捏造したんだろう。
707日本@名無史さん:2005/04/20(水) 01:42:38
>>696
熊谷は私市とか七党出自くさい。
708日本@名無史さん:2005/04/20(水) 03:09:21
執権殿に会わせてやると嘘をつき、はるか(公称17才)にフェラーリさせる北条義宗。
709日本@名無史さん:2005/04/20(水) 07:49:16
この間、大江戸線で時頼みたよ。
なんかとなりにいた実時と楽しそうにしゃべってた。
710日本@名無史さん:2005/04/25(月) 09:31:56
>>707

熊谷は北条よりはるかに信憑性がある。
711日本@名無史さん:2005/04/26(火) 20:45:58
平頼綱と平家の関わりは?
712日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:09:26
「平家」ってのは伊勢平氏清盛一門のこと?
713日本@名無史さん:2005/04/27(水) 11:23:16
>>711
長崎氏は小松内府・重盛の子、資盛の子孫を称していたらしいが
清盛の祖父、正盛の伯父(叔父?)維盛の流れと言う説が有力らしいよ
714日本@名無史さん:2005/04/27(水) 11:45:49
平朝臣高時の配下に長崎某っていうのがいたけど、重盛の子孫だというのは怪しいね。

これだけでなく清盛の子孫を称するのは全部疑わしい。
715日本@名無史さん:2005/04/27(水) 11:46:48
南北朝時代、室町時代と鎌倉北条氏はどうしてたの?
716日本@名無史さん:2005/04/27(水) 22:06:06
>>715
男はチンコいじってた。女はダンナや彼氏のチンコしゃぶってた。
717日本@名無史さん:2005/04/28(木) 07:27:51
つまり、北条家の歴史はチンコの歴史ってことでFA?
718日本@名無史さん:2005/04/29(金) 00:42:00
>>710
そうか?めっさうさんくせえけど。
719日本@名無史さん:2005/04/29(金) 18:42:28
>>712
一門だけじゃなくその郎党も含む。
720日本@名無史さん:2005/04/30(土) 13:02:41
鎌倉幕府執権の北条氏も、阿多美禅師聖範より前は疑問大であり、本来、別流で
相模の古族の裔(師長国造一族宗我部の流れで、平姓を称した曽我氏と同族か)で
あろう。北条得宗家の内管領長崎氏や同被官の南条、肥後(のち種子島)氏も
その北条一族の早い分岐か。

ttp://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/sizokugairan/KANMUG.HTM
721713:2005/04/30(土) 17:29:11
>>720
勉強になりまつ
このサイト、マジ凄い
722日本@名無史さん:2005/05/01(日) 00:32:16
国造の末裔age
723日本@名無史さん:2005/05/01(日) 10:52:18
>>720
『日本家系図学会』の宝賀寿男氏の配下のサイトだろ?
あそこはすぐに捏造にしたがるんだよな。
やれやれ。

確かに直方流という保証はないけど、
桓武平氏であることまで
証拠もなしに疑うことはないと思うけど。

>北条得宗家の内管領長崎氏や同被官の南条、肥後(のち種子島)氏も
その北条一族の早い分岐か。

すでに細川重男氏が言ってる。
724日本@名無史さん:2005/05/01(日) 13:50:39
戦国時代以降に登場する新興武士家の系図は怪しいが、平安〜南北朝期の武士の出自は
上の文章の作者のように、全部疑ってかかることは危ういだろうな。仮に自称しても、「朝臣」の称号もらうに
あたって、出自が問われるのと、仮称したばあい、周りの諸豪族からの横槍がはいった可能性がある。
725日本@名無史さん:2005/05/01(日) 13:53:19
北条氏に限らず、他の坂東八平氏でも
疑わしいのが多くあるんだな。
三浦氏とか...

あと、宇多源氏の佐々木氏とかも
本当は土着の豪族じゃね〜の?ってのが多々ある。
726721:2005/05/01(日) 15:41:21
(ややスレ違いかも…スマソ)
以下は漏れの想像、つか空想なんだけど
平高望の息子たちって関東各地で豪族化してるよね
これって、もともとその地方に筋目の良くない豪族がいて
高望に、娘に種付けしてもらって男の子が生まれたら、平朝臣を名乗らせ
一族のリーダーにならせたってことじゃなかろうかと。
国香、良兼、良将、良文…の生母の出自って、ちゃんと分かってるものなの?
おせーてエロイ人…
727日本@名無史さん:2005/05/03(火) 16:33:50
得宗の子孫らしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/讓ェ莠募ー乗・�
728日本@名無史さん:2005/05/03(火) 16:34:56
729日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:09:17
保守
730日本@名無史さん:2005/05/22(日) 01:41:19
>>723
>>北条得宗家の内管領長崎氏や同被官の南条、肥後(のち種子島)氏も
>その北条一族の早い分岐か。
>すでに細川重男氏が言ってる。
これってプライオリティー主張するほどのネタじゃねえよな
長崎・種子島の出自を信じていたやつがいるかそっちのが興味あろわ。

>>726
良文は千葉氏の系図に母が書かれている。信じてねーけど。
731日本@名無史さん:2005/05/23(月) 23:28:53
良文
利仁
経基
732日本@名無史さん:2005/05/26(木) 01:07:39
>>724
「赤信号、みんだで渡れば怖くない」ってやつではないですか?
733日本@名無史さん:2005/05/26(木) 01:07:49
>>724
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ってやつではないですか?
734日本@名無史さん:2005/05/26(木) 01:22:25
普恩寺を建立したのは基時なのに、何で業時のことも普恩寺と呼ぶのですか?
735日本@名無史さん:2005/05/27(金) 17:48:57
六波羅探題って朝廷の監視だけじゃなくて西国御家人の監視も兼ねてた?
736日本@名無史さん:2005/05/27(金) 18:06:00
>>735
高校の教科書でそう習ったけど。どうなんですかね。
737日本@名無史さん:2005/05/27(金) 19:37:31
>>735
地方裁判所的な役割。
監視と言えなくはないが、大事に至りそうな場合は
六波羅から鎌倉に連絡して鎌倉の指示を受けてた。
738日本@名無史さん:2005/05/28(土) 00:16:37
>>736
おまえ、中卒wwwww
739日本@名無史さん :2005/06/05(日) 00:46:46
北条と言われて最初に思いつくのは・・・

やっぱ、承久の乱で朝廷相手の戦に完勝したって事だな

あれは見事だった
740日本@名無史さん:2005/06/05(日) 17:30:16
見てきたような言い方だなw
741藤原秀康:2005/06/05(日) 22:39:15
漏れの立場は…
742日本@名無史さん:2005/06/09(木) 21:35:17
宮様が戦してもねぇ・・・
743後の鳥羽院:2005/06/10(金) 08:13:56
なんだと
744日本@名無史さん:2005/06/16(木) 02:03:18
>>743
顕徳院てよんどくれよ。
745日本@名無史さん:2005/06/24(金) 19:44:08
平頼綱は北条氏と同じく平氏に関わり近い存在だったから
内管領になれたのだろうか。
頼綱政権8年間の恐怖政治って言われているが
実際、どんな点で恐怖だったのか。

ロベス・ピエールみたいなことじゃないよな。
746日本@名無史さん:2005/06/25(土) 00:30:39
義時のお墓がみつかったそうですね。
747日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:24:19
age
748日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:54:43
保守
749日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:18:39
結局鎌倉北条氏は全滅したのか?
かなりの数がいたと思うんだが
750日本@名無史さん:2005/07/11(月) 20:01:50
内管領ってどういう意味なんだろうか。
何かの略称なのだろうか。
751日本@名無史さん:2005/07/13(水) 00:48:50
御内人を管領するから内管領。
何の疑問も無いと思うが…
752日本@名無史さん:2005/07/27(水) 15:10:51
age
753日本@名無史さん:2005/07/27(水) 20:39:03
>>726
本当に高望の種か怪しいもんだぜ。
754日本@名無史さん:2005/07/27(水) 21:33:39
内管領というのは室町時代になってからの造語なんだが。
755日本@名無史さん:2005/07/27(水) 23:03:33
草燃えるのビデオ見たんだが、小四郎義時ってマツケンだったのね
756日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:32:26
>723
宝賀とその配下のバカが、ここでも北条氏を冒涜しておりましたか?
本当に日本史学会の”がん”になりつつありますねぇ?
757日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:01:35
宝賀寿男って何者?
758:2005/08/01(月) 20:06:05
新田義貞最高!
759日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:09:40
>757
「宝賀寿男」で検索すればわかるよ。
名家の系図にイチャモンつけて、「口止め(宣伝止め)料」をせしめようという
意図のもとに「研究会」を主催しているヤツではないのかなぁ??・・・・・
760日本@名無史さん:2005/08/02(火) 05:50:55
なるほど、系図を利用した「ゆすり屋」か?
761日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:52:56
九条頼経→北条時頼
宗尊親王→北条時宗
守邦親王→北条邦時
これって北条家は将軍から偏諱を貰っていたってこと?
762日本@名無史さん:2005/08/07(日) 07:46:15
そうだよ。恒常的ではないが。
ただし、最後は守時ではないか?
763日本@名無史さん:2005/08/07(日) 09:07:14
偏諱なのに名前の下に置くということがあるのかね?
764日本@名無史さん:2005/08/07(日) 12:02:50
偏諱といっても戦国時代のような一字拝領とは違うからね
765日本@名無史さん:2005/08/07(日) 20:15:12
>>762
だと思ったけど守時は得宗家じゃないし、守時の方が年上だし
>>763
足利氏満
766日本@名無史さん:2005/08/08(月) 08:10:43
そもそも一字拝領で賜った偏諱を上に置くのが一般化したのは
相当後の時代なわけだが
767日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:05:48
あげ
768日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:08:43
なんだかよくわかりませんがとりあえず脱ぎたてのパンツをおいておきますね
        _____
        (\  ∞  ノ
        ヽ、ヽ    /
          `ヽ)__ノ
769730:2005/08/24(水) 00:51:39
宝賀が>>756-760を訴えて裁判でログ開示させたらプロだったという展開きぼんぬ。
770日本@名無史さん:2005/08/24(水) 11:38:24
>>769
プロってプロ市民?
771日本@名無史さん:2005/08/25(木) 00:24:59
種子島時堯って北条一族なの?
772日本@名無史さん:2005/08/25(木) 08:25:16
773日本@名無史さん:2005/08/25(木) 15:43:18
肥後氏っれ何者だ?ネットで検索したがぜんぜん出てこん
774日本@名無史さん:2005/09/02(金) 09:09:20
赤橋守時の弟は英時(鎮西探題)だけですか?
某マンガには、「四郎範時」という三男坊が出てきます。
でも家系図では守時、英時、登子の三人のみが久時の子供、となっています。
どなたか詳しい方、教えてください
775日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:55:27
桓武平氏北条氏族の末裔の男どもはヤバイのばっかり。
結婚できないんだよ。お家断絶の危機だ。
776日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:48:32
>>775
信者同士で結婚すればいいのに。(w
777日本@名無史さん:2005/09/07(水) 21:44:05
幕府は討幕派だった順徳の系統を退け、土御門の子の後嵯峨の即位に
つなげたが、それが両統迭立につながり、討幕を果たす後醍醐の登場と
なってしまうのだから皮肉なものだ。
778日本@名無史さん:2005/09/08(木) 07:13:25
時宗の弟の宗政の「宗」は将軍から?
兄と違って名前の先に使ってるのはなにか理由があるの?
779日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:11:52
貞時や高時の「貞」や「高」はどういう由来があるの?
誰かにもらった?
780日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:15:00
>>778
兄から一字もらったと思われ。
781日本@名無しさん:2005/09/16(金) 19:33:26
時政のお父さんは時方、それとも時家?
782日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:34:56
時政以前の系図はほとんど信用できないと言っていい。
時政の父祖の名前を知ることもあきらめたほうがいい。
783日本@名無史さん:2005/09/17(土) 15:25:54
>>780
誰かから貰った字を、別の誰かにあげていいもんなの?
784日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:15:37
>>783
鎌倉時代の偏諱に関する慣行は南北朝以降のそれとは大きく異なるらしいね。
そもそもあまり研究が進んでいないしね。
「時宗」の「宗」が「宗尊」の「宗」なら諱の下に使っているのもおかしいだろう。
北条泰時はもともと源頼朝の偏諱を受けて「頼時」と名乗っていたがあっさり改名してしまった。
後世なら考えられないことだ。
鎌倉時代については、偏諱に関する一般的な考え方を考え直したほうがよさそう。

785日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:49:05
>>779
貞時の烏帽子親は将軍惟康王。
烏帽子親の名を取らなかったと大河ではやっていました。
786日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:57:34
あの大河は参考にならん
787日本@名無史さん:2005/09/18(日) 09:40:11
>>784
一字拝領した偏諱を上につけるのが慣習になったのはもっと後
788日本@名無史さん:2005/09/19(月) 13:40:37
一字拝領と烏帽子親の名前を貰うこととは別に考えるべき
789日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:06:11
鶴岡八幡宮における
公暁による実朝暗殺は義時が仕組んだこと?
790日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:48:52
>>789
それは一昔前の通説だな。
現在有力なのは三浦義村犯人説だと思う。
791日本@名無史さん:2005/09/22(木) 23:46:08
源仲章が義時と間違えて殺されてるしな
792日本@名無史さん:2005/09/23(金) 00:55:16
可能性としては黒幕のいない公暁単独犯行説のほうが高そうだと思うけど・・・
客観的には、政子が健在なのに実朝だけ殺してもなんにもならんのだし。
義村はまわりから期待はされるがいざとなるとヘタレだしな。そんな大それたことはできまい。
793日本@名無史さん:2005/09/23(金) 06:48:38
義時と義村の共謀ということも考えられる。実朝は後鳥羽上皇に心酔していた
ようだし源仲章は上皇の腹心だったから、朝廷からの幕府の独立という目的の
ために排除されたんじゃないか。実朝の死後、御家人が義時に従って結束を
乱さなかったのも、実朝排除については御家人全てに暗黙の了解があったのでは?

794日本@名無史さん:2005/09/23(金) 15:28:16
>>790
三浦義村犯人説を最初に立てたのは永井路子。
魅力的な説ではあるが裏付けは何もないでしょ。
795日本@名無史さん:2005/09/23(金) 17:25:13
北条氏説
三浦氏説
公暁単独説
御家人共謀説
とあるわけですか?
どれがいちばん支持されてるの?
北条氏説はもう古そうだけど・・・自分も三浦氏説が有力なんだと思ってた。
今は違うの?
796日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:05:54
犯人はこの中にいる
797日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:45:24
真実は…ひとつ!
798日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:14:31
永井路子は裏付けの何もないことを平気で言うからなあ。
蘇我氏の血をひく女帝が藤原氏の血をひく聖武天皇の即位を妨害したとか、
一門に殉じて自殺しなかった建礼門院は無神経で鈍感だとか。
799日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:21:35
作家って概ねそういう傾向にあるんじゃね?
800日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:59:01
結局、北条氏単独黒幕説だけが古いってことなんだろか・・・
801日本@名無史さん:2005/09/24(土) 18:14:59
そもそも北条には実朝を殺してなんか得なことあるの?
802日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:11:18
なんもないだろうなあ>北条
803日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:48:54
三浦氏黒幕説は、実朝を殺した公暁が義村のところへ
逃げていったことが根拠のはずだから、何の裏付けも
ないということはないでしょ。
804日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:20:21
>>803
それだけじゃ三浦義村が黒幕だという根拠にはならんだろ。
公暁が「三浦ならおれを将軍に擁立してくれる」と(勝手に)思い込んでいたという根拠にはなるが。
805日本@名無史さん:2005/09/25(日) 11:52:23
北条氏黒幕説もまだまだ捨てたものではない。実朝の死後すぐに、阿野時元(全成の子)と
禅暁(頼家の子)が幕府によって殺されている。さらに、後継の将軍として親王を出すよう
朝廷に要求している。これらの事後処理を見ると、北条の狙いが源氏将軍家の抹殺にあるのは
明白だろう。源氏を生かしておくと、御家人が周囲に集まり反北条氏の核となるからな。
歴代鎌倉将軍は皆、追放されている。摂家将軍や親王将軍は京都に戻せばよかったが、
実朝の場合、追放する場所がなかったのであの世へ送るしかなかったんじゃないか?
806日本@名無史さん:2005/09/25(日) 12:47:06
貞暁(頼朝の子)は死因は何?
承久の乱後も生きてたよね?
政子腹じゃないし危険な感じがする。
807日本@名無史さん:2005/09/25(日) 12:49:58
>>805
頼家のように修禅寺送り、っていう手はなかったのかね
808日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:33:29
>>806
1231年に高野山で亡くなってる。ひっそりと暮らしていたようだね。
809日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:39:24
別に三浦黒幕説は永井だけじゃないだろ。
学者の中でも支持は多いと思うが
810日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:06:59
犯人を捜す場合、
まず「誰が一番得をするか」を考えないとね


実際、実朝暗殺によって一番得をした人間は誰だ・・・・・・・??
そう考えればおのずと犯人がわかる
811日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:15:06
でも義時を黒幕とすると
公暁が義時も共に殺そうとして未遂に終わったことに対して説明がつかなくなるなあ・・・・・
812日本@名無史さん:2005/09/27(火) 19:42:58
>>810
「客観的に誰が一番得をするか」あるいは「結果的に誰が一番得をしたか」だけでは犯人は捜せないよ。
主観的な思い込みに基づいて強行される犯罪もたくさんあるからね。
北条黒幕説も三浦黒幕説もその点説得力が弱い。
実朝を殺しても自分が権力を握れるという保証は何もないのだ。
813日本@名無しさん:2005/09/27(火) 20:22:58 0
そもそも、鎌倉幕府の将軍は御家人衆に対してどれほどの権力があったのだろうか。
814日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:05:21 ID:0
真犯人は政子

政子が黒幕だ
815日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:37:48
我が子を殺すのか?
頼家の場合は積極的ではなくともやむを得ないと思ってたかも
知れないが。だからこそ最後に残った自分の子、実朝は大事に
思ってたんじゃないか?
816日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:20:09
政子は実朝が死ねば逆に権力を失う可能性がある。あり得ないね。
817日本@名無史さん:2005/09/28(水) 07:34:17
しかしすでに実朝生前から、わざわざ上洛して次の将軍に皇族を要請してはいたが。
政子の権力の淵源は現公方実母というよりは初代鎌倉殿御台所という希ガス
818日本@名無しさん:2005/09/28(水) 11:04:23
>>815
同意。
京に近づき過ぎという理由だけなら、隠居させることをまず考えるだろう。
北条にとって、謀殺を考える程のことがあったのかなぁ。
頼家・一幡方との純粋な抗争の結果とみたほうが自然な気がする。
819日本@名無史さん:2005/09/28(水) 13:13:27
>>817
たしか実朝てなっかなか子どもが生まれなくって(けっこう長い間)
それで仕方なく都に交渉しにいったんじゃないんでしたっけ?

政子って積極的に政治なんてしてなくて、
ほんとに大ピンチ!って時にでてくるというイメージなんだけど。

あーほんとむずかしいね〜鎌倉ってw
820日本@名無史さん:2005/10/05(水) 20:32:17
義時が実権を握ったのは将軍の叔父だからではなく、政所と侍所の別当としての
実績を積んで、周囲からその有能ぶりを認められていたからじゃないかな。
実朝が死んでも義時の地位は揺らがなかったし、実朝の存在は北条氏にとって
必ずしも必要不可欠という感じはしない。
821日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:49:36
>>820
結局、承久の乱は将軍なしで乗り切ったわけだからな。
それなりに信望はあったんだろうな。
822日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:46:11
北条氏子孫は御健在?
823日本@名無史さん:2005/10/10(月) 09:32:37
政子は源氏に嫁いだのだから、源政子と呼ぶのが妥当だと思うが
歴史の本や人名辞典だと北条政子で載ってる

北条家のために源氏を利用したから北条政子と呼ぶのが相応しいのか
824日本@名無史さん:2005/10/10(月) 11:54:19
>>823
どうやらあまり歴史の本を読まれない方のようですね。
日野富子とか赤橋登子(尊氏妻)とか、天皇家に嫁いだ女子たちでさえも
実家の姓や苗字で載ってる歴史の本は多い。

・・・それにどう考えても頼朝が婿に来たんでは。

 
825日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:47:27
>>824
載っている歴史の本が多いって…
そんなの理由にならんだろ
826日本@名無史さん:2005/10/10(月) 13:01:59
政子がサザエさんで時政が波平さんなのは動かし難い事実。
「磯野家」こと北条家に住まわしてもらってる「フグ田」じゃなくて
「源」さんの肩身の狭さよw
827日本@名無しさん:2005/10/10(月) 13:46:12
源氏というのはブランドであって家ではないものな…
828日本@名無史さん:2005/10/10(月) 15:11:42
俺は政子みたいな嫁は嫌だな
自分の実家のことばかり考えてる女なんか嫁にしたくないわ

829日本@名無史さん:2005/10/10(月) 15:50:49
>828
北条政子に実家だけが栄えれば良いというエゴイズムが無かったとは言わないが、ただそ
れだけじゃなく、息子の命よりも坂東武士全体の利益を重んじていた。
830日本@名無史さん:2005/10/10(月) 16:05:53
>>823
明治6年に戸籍ができるまでは男も女も生涯父親(実父だったり養父だったりするが)の姓を名乗るのが原則です。
夫婦同姓なんてのは明治以降にできた新しい習慣でしかないんですよ。
831日本@名無史さん:2005/10/10(月) 17:14:22
>828
それが日本史の流れの中では当然じゃないか?

でも義経の正室川越氏は実家を捨てて結果家を潰したな

微妙にスレ違いになるけど
武田勝頼室の北条氏の生き方はすごいね
832日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:58:37
>>830
って事は夫婦同姓なんって実は日本じゃかなり新しいんだ
フェミの言ってる夫婦同姓は日本古来の従属の悪習って
やっぱり大嘘だったんだな
833日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:28:16
>夫婦同姓は日本古来の従属の悪習って
さすがにそれは聞いたこと無いぉ
言ってる集団を晒せ、凸してやるから
834日本@名無史さん:2005/10/11(火) 07:51:04
ついでに言うと、「政子」ってのは頼朝の死後
朝廷から官位を与えられる際に急遽作られた名前です
835日本@名無史さん:2005/10/11(火) 08:05:12
要は「本名」は不明ということ。前近代の女性には呼び名はあっても名前はない
もしくは呼ばれることがほとんど無いということが多かったわけですわ。彼女の場合
独身時代は「北条の大姫(長女)」結婚してからは「鎌倉御台所」などと呼ばれていた
はずで、そんな呼び名では官位を与えられないので父の時政から一字取って
「政子」と名付けられました。建保六年(1218)のことなので、生前の頼朝は「政子」
なんて名前は知りません。また、以上の経緯から正しくは「平政子」と言うべきで、
「北条政子」ってのは後世から呼んだ名前っつーわけ。
836日本@名無史さん:2005/10/11(火) 11:57:39
>>826
そうかな?頼朝に対する忠誠度では、北条より比企・梶原の方がおそらく上。
動員兵力では、北条より小山・千葉・三浦の方が圧倒的に上。挙兵当初なら
ともかく、鎌倉に入ってからは北条に気を遣う必要はないと思う。
837日本@名無史さん:2005/10/11(火) 18:53:41
・特別展「覚園寺」の列品解説と見学会のお知らせ

このたび、特別展「覚園寺」への理解を深めるため、
鎌倉国宝館内での列品解説と覚園寺開山塔・大燈塔(ともに重文)の
拝観を組み合わせた見学会を行います。ふるってご参加くださいませ。

・日時 平成17年10月30日(日)
     午前11時から鎌倉国宝館で列品解説
     午後1時30分から覚園寺拝観       
     ※どちらか一方のみの参加はできません
・講師 覚園寺副住職、鎌倉国宝館学芸員
・定員 40人(申し込み多数の場合は抽選)

※申し込み・・・往復はがき(1人1枚)に住所、氏名、年齢、職業、電話番号
(返信面には住所、氏名を書いて、10月15日(必着)までに鎌倉国宝館(〒248−0005 鎌倉市雪ノ下2-1-1)へ
838日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:43:39
>>836
気を使わなくなったから頼朝は北条に殺された
839日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:55:31
>フェミの言ってる夫婦同姓は日本古来の従属の悪習って
>やっぱり大嘘だったんだな

ウヨの言ってる夫婦同姓は日本古来の伝統というのも大嘘だけどな。
840日本@名無しさん:2005/10/11(火) 21:24:36
姓の制度は、明治時代に出された以下の法令により全ての日本国民に義務づけられた。

1870年 (明治3年) 平民苗字許容令
1875年 (明治8年) 苗字必称令

当初、明治政府は「夫婦別氏制」を検討していたが、当時の世論に押し切られる形で、
「夫婦同氏制」になったとされる。夫婦の氏を統一することは1898年の民法で定められた。

841日本@名無史さん:2005/10/12(水) 02:00:38
   ∩___∩     
   | ノ      ヽ/⌒) 
  /⌒) (゚)   (゚) | .|  
 / /   ( _●_)  ミ/
.(  ヽ  |∪|  /
 \    ヽノ /   
  /      /  
 |   _ニニニニニつ    
 |  /UJ\ \       
 | /     )  )       
 ∪     (  \    
        \_)
842日本@名無史さん:2005/10/12(水) 12:18:29
>当初、明治政府は「夫婦別氏制」を検討していたが、当時の世論に押し切られる形で、
>「夫婦同氏制」になったとされる。夫婦の氏を統一することは1898年の民法で定められた。
つー事は夫婦が同姓になるってのが常識になったのは
1900年代になってからって事じゃん
日本古来どころか精々100年くらいしか経ってないものだし
しかも当時の政府はむしろ別姓にしようとしたけど
国民が同姓の方が良いって言ってたんじゃなぁ
843日本@名無史さん:2005/10/12(水) 19:38:28
>>840の言う「当時の世論」というのは実際は保守派からの攻撃だよ。
旧民法は当初起草された西欧式の草案が保守派から攻撃されて古臭い儒教道徳を大きく盛り込んだものにさしかえられた経緯がある。
当時の反対派のキャッチフレーズは「民法栄えて国滅ぶ」。
もっとも旧民法が社会の実態に合わないものだったのは、戦後、現行民法への移行がきわめてスムーズに進んだことからもわかる。
844日本@名無史さん:2005/10/12(水) 23:33:14
>戦後、現行民法への移行がきわめてスムーズに

本気で言うてんの?
845日本@名無史さん:2005/10/13(木) 01:11:34
ここは何のスレ?
846日本@名無史さん:2005/10/14(金) 16:24:05
>>838
頼朝は部下の失敗は身内でも許さないからね。弟(範頼・義経)や源氏一門(佐竹・武田)
創業の功臣(上総介広常)でも一切例外なし。北条氏といえども、頼朝の意に反すれば
あっさりと失脚という可能性が大。頼家の周囲に比企氏を配置していたのを見ると頼朝は
実は北条氏を信頼していなかった希ガス。
847日本@名無史さん:2005/10/14(金) 22:13:36
そのとおりだと思う。
頼朝が生きている間は、北条一族は全員無位無官だった。
自分の一門として扱っていない。完全に家来扱い。
848日本@名無史さん:2005/10/15(土) 11:45:35
北条ごときに利用された頼朝ってアホちゃうか
梶原、比企らは何やっとんのや
849日本@名無史さん:2005/10/15(土) 12:07:35
>>847
北条家って小さかったらしいからえこひいきしようもんなら
周りの豪族から非難ごうごうってことかな?
850日本@名無史さん:2005/10/15(土) 20:54:15
頼朝には、何人息子がいた?
頼家
実朝
貞暁
851日本@名無史さん:2005/10/15(土) 20:56:48
大友と島津
852日本@名無史さん:2005/10/16(日) 11:54:13
安達
853 :2005/10/16(日) 13:00:11
>>850
政子との結婚前に、千鶴丸ってのがいたけど母親の父の伊東祐親に殺されますた・・・
>>851 >>852
有名な「ネタ」w
でも当時の人たちはその事を励みにして生きていたので
笑っちゃいけないといわれますた。

ってなわけで四男二女なんじゃないか?
政子が10代の頃に結婚or妻じゃなかったらもっといたかもね。
854日本@名無史さん:2005/10/16(日) 13:24:17
>>852
「泰盛が嫡男、秋田城介宗景と申けるが、おごりの極にや、曾祖父景盛入道は
右大将頼朝の子成ければとて、俄に源氏に成けり」(保暦間記)だね。 
855日本@名無史さん:2005/10/16(日) 15:23:02
>>853
千鶴丸は実は生きていて、本堂氏・和賀氏の始祖となった、つー話もあるね
これもアレだけど、始祖を千鶴丸に結びつけるところが渋いとおもた
856日本@名無史さん:2005/10/16(日) 15:34:31
頼家も頼朝と似て、不遇な息子が多いな。
857日本@名無史さん:2005/10/18(火) 23:56:16
>>855
でも今の感覚じゃ渋いのかもしれんけど、「曾我物語」なんかで昔はそれなりに有名だったと思う>千鶴丸
858日本@名無史さん:2005/10/19(水) 13:52:45
毛利親胤ってひとが北条一族かついで反乱起こしたことがあるらしいけど毛利氏って北条の家臣だったっけ?詳細知ってる方は教えてください
859日本@名無史さん:2005/10/19(水) 14:08:50
北条氏の本家っぽい、北条介の系統って結局どうなったのですか?
860日本@名無史さん:2005/10/19(水) 22:24:42
>>854
これで霜月騒動が起こるんですか・・・ひー

でもって頼家の子の禅暁って死因はなんでしょう?
861日本@名無史さん:2005/10/20(木) 01:58:30
>860
ビールの飲み過ぎ
862日本@名無史さん:2005/10/24(月) 00:28:34
>>858

毛利氏:政所執事大江広元を祖に持ち相模の国毛利庄を所領とする
宝治合戦で三浦に与力し本貫地は没収される
毛利親胤:観応の擾乱で北朝(尊氏派)に反抗

>>859
北条介 時兼ー時定ー女子(笠原親久妻) としか系図にないね
断絶かな?

>860
そして、公暁が将軍実朝殺害で誅された
建保七年(1219)の翌承久二年(1220)四月十一日
(「仁和寺日次記」では十五日)には、
禅暁は兄公暁に同意の嫌疑で京都東山辺りで北条氏の手により誅され

嫌疑だったのか藤原将軍を立てるために邪魔だったのかのどちらかで殺されたのは間違いないっぽ

863日蓮:2005/10/24(月) 18:30:45
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864日本@名無しさん:2005/10/24(月) 20:25:09
昔から疑問に思っていたのですが、実朝の猶氏となっていた
公暁はその後、なぜ出家させられていたのでしょうか?
865日本@名無史さん:2005/10/27(木) 20:49:04
出家させる最大の理由は子孫を残させないため

866日本@名無史さん:2005/10/27(木) 22:34:07
北条司はとうとうやりました  

空飛ぶおしり〜  好きでした
867日本@名無史さん :2005/10/29(土) 23:21:22
さしもの北条得宗家も最後まで足利氏を潰すことは出来なかった。
足利泰氏を出家だけで何で許してしまったんだろう。禍根を残した。
868日本@名無史さん:2005/10/29(土) 23:45:09
>>860
そうでしたか。実朝暗殺のあとだったわけですな。あろがと。
869日本@名無史さん:2005/10/30(日) 02:34:45
>>867
あの当時足利泰氏は足利家の当主じゃないもの。
当時の足利家の当主は泰氏の父義氏。
幕府の草創に参加し、北条泰時時代には執権・連署に次ぐ地位を誇った元老だよ。
簡単に手を出すわけには行かなかったのだろう。
泰氏が出家して完全に恭順している以上、もう北条氏から仕掛ける名目もないしな。
義氏死後は若年の当主が続いて家格も低落し、足利氏は北条氏にとって脅威ではなくなったが、
それは逆に三浦氏のように滅ぼす必要性を失わせる結果になったのだろう。
870日本@名無しさん:2005/10/30(日) 03:45:15
>>865
公暁は初め、実朝の猶子になっています。
これは即ち、実朝に嫡子ができないから公暁を猶子にしたという理屈あってでしょう。
しかし、その後公暁は出家させられている。実朝に嫡子ができたので出家させた
のならば理解はできますが、嫡子が生まれていたわけではない。なぜなのだろうと。
871日本@名無史さん:2005/10/30(日) 09:02:24
実朝は1204政子の姪にあたる足利氏を娶ることを断り
大納言信清の娘を迎えます

公暁
母加茂氏
1200-1219
1206元服・実朝の猶子に
1211出家

つまり1204に迎えられた実朝夫人が懐妊する気配が7年間無いので
公暁が繰り上がり(結果三浦氏に実験が移ることを恐れて)
出家させられたとの説を取りたいかな

他の公暁の男子
栄実
母昌寛法橋娘
1201-1214
1213謀反に担ぎ上げられたため強制出家
翌1214年これをきっかけに和田義盛の乱発生、
和田氏残党に担ぎ上げられそうになり斬られる

禅暁
母昌寛法橋娘
?-1220
出家年不明
(推測で兄と同時出家かな?)
兄公暁の変に際して殺される

昌寛法橋娘は三浦胤義に再稼
これからも頼家-三浦のパイプがうかがえる気がします
872日本@名無史さん:2005/10/30(日) 09:11:31
追加
母昌寛法橋娘 については承久記の創作との説も強くあるのは承知の上

×実験
○実権
873日本@名無しさん:2005/10/30(日) 12:21:03
>>871
ありがとう。
まるで六朝時代並みの姻族闘争ですね〜
874日本@名無史さん:2005/10/30(日) 20:31:26
北条家は頼朝の時代から
源家を分裂、操作して
従わない時は滅亡させる気であったんだ。
875日本@名無史さん:2005/10/30(日) 20:33:56
源家は担ぎ出されていいように利用され
利用価値がなくなったあとは消されたんだね。
876日本@名無史さん:2005/10/30(日) 20:35:07
んなわけねえだろ
877日本@名無史さん:2005/10/30(日) 20:43:29
結果論としてそうなったって感じかな

北条がそうしようと最初から画策してたってのは
陰謀史観の類っすよ
878日本@名無史さん :2005/10/30(日) 22:08:59
梶原景時への弾劾状の中に北条時政や義時・時房等の署名はないが。
結城朝光に景時があなたの事を讒言していると告げたのが北条時政の娘。
曾我十郎時致等を唆し、工藤祐経を討たせた黒幕はおそらく北条。
879日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:01:20
北条は最初から源氏を利用して天下を取ろうとは思ってなかったと思う
あの時代は隙あらば陥れられ家を滅ぼされる弱肉強食の時代だったから
源氏を滅ぼさなければいずれ北条が滅ぼされるのでは
という恐怖感から源氏を滅亡に追いやったのだと思う
880日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:05:40
頼家の死はともかく実朝の死に北条に責任はないと思うが
881日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:23:12
>>880
北条が一枚噛んでいると思うのが普通だと思うが
違うか?
882日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:51:59
・自ら暗殺計画を立案・実行した
・暗殺計画を知りながら自分だけ逃げた

義時にはどちらにしろ責任はあるな
883日本@名無しさん:2005/10/31(月) 13:21:14
実朝が(北条にとって)使える人間だったなら、こんなことにはならなかったろうにねぇ。
884日本@名無史さん:2005/10/31(月) 20:53:28
>つまり1204に迎えられた実朝夫人が懐妊する気配が7年間無いので
>公暁が繰り上がり(結果三浦氏に実験が移ることを恐れて)
>出家させられたとの説を取りたいかな

自己レス
よく考えたら公暁出家時実朝は21歳か
現実に29で殺されるまで実朝は正室、脇腹に子は作らなかったけど
北条は余程頼家流に将軍職継がせたくなかったんだろうな

実朝死後、ためらい無く頼朝の直系男子の最後の一人禅暁を殺したし
885日本@名無史さん:2005/10/31(月) 22:41:03
公暁が実朝を暗殺した後、三浦義村の館に向かおうとして討ち取られている。
黒幕はやはり三浦義村や駒若丸で、北条義時の暗殺に失敗したから、討ち取ったんじゃない。
北条氏は別に実朝政権においても実権を握っていて、畠山・和田の有力御家人を滅ぼしているし。
886日本@名無史さん:2005/10/31(月) 23:22:46
三浦黒幕説は永井路子がまきちらした電波
887日本@名無史さん:2005/11/01(火) 08:02:17
ところが最近はむしろ有力な罠
888日本@名無史さん :2005/11/01(火) 10:18:53
鎌倉幕府内で北条が実権を握っていたというのは『吾妻鏡』の誇張表現で
実朝・九条頼経・宗尊親王などの傀儡と言われる将軍や足利・三浦・千葉などの
御家人層にもそれなりの力があったんじゃない。
北条得宗家が幕府内の実権を完全に握るのは元寇以降、実朝暗殺の頃は一有力御家人
に過ぎず。実朝が操れなくなったんで北条義時が殺したというのは疑問。
まあ、三浦義村もなんだけど。というと、実朝暗殺は公暁単独のキチガイ行動だった。
889日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:00:59
>実朝暗殺は公暁単独のキチガイ行動だった。

これがいちばん真相に近いような気がする
890日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:48:44
>三浦黒幕説は永井路子がまきちらした電波

そう断言するのなら反論を証拠立てて言ってみるがよい
出せないから学者も有力説として認めているわけで
891日本@名無史さん:2005/11/01(火) 22:43:02
三浦黒幕説を有力説として認めている学者ってたとえば誰?
そんなひといるの?
892日本@名無史さん :2005/11/01(火) 22:57:46
>>891
79年の大河ドラマ「草燃える」では永井路子の説を十分に影響を受けて
黒幕は三浦義村・胤義兄弟・駒若丸(後の三浦光村)という事になっている。
義時は事前に察知し、源仲章に宝剣を持つ役目を譲っている。
893日本@名無史さん:2005/11/01(火) 23:21:13
>>892
「草燃える」は永井路子の小説が原作なんだから影響を受けるのは当たり前じゃアホ。
894日本@名無史さん:2005/11/01(火) 23:21:34
小説家ごときが偉そうに・・・
と言ってる連中はいるがまともな反論見たこと無いぞ
895日本@名無史さん:2005/11/01(火) 23:23:10
人をアホ呼ばわりするならsageぐらい覚えてからにしような
自分の無知を自慢することは無いと思うぞ、うん
896日本@名無史さん:2005/11/01(火) 23:27:24
sageなければいけないと誰か決めたのか?そんなローカルルールあったっけ?
897日本@名無史さん :2005/11/02(水) 00:45:36
『吾妻鏡』やその他の史書に名前がある御家人はほんの一部、
名も残らん御家人もたくさんいたのでは。実朝暗殺はわからん。
公暁とその名も無き取り巻き連中の共謀じゃない。
898日本@名無史さん:2005/11/02(水) 07:44:35
あのー。私、北条雅子の子孫?末裔なんですけど、源頼朝の嫁って事しかしらなくて‥おじさん世代の人に話したら、『おまえただもんじゃないな』って言われたんですけど、、何やった人ですか??悪い人‥?
親もめんどくさがって何も教えてくれないんです↓↓ちなみに家紋はちゃんと三つ鱗です。
899日本@名無史さん :2005/11/02(水) 08:51:04
>>898
雅子じゃなくて政子な。あと戦国時代の後北条氏もミツウロコなんだが。
900日本@名無史さん:2005/11/02(水) 08:53:54

「政子の子孫」は頼朝の子供以外ありえないのだけど・・・

なにこの在日。
901日本@名無史さん:2005/11/02(水) 09:29:50
政子の子孫って竹御所とその子(死産だっけ?)を最後に全滅だよな

頼経と竹御所の子が男の子で首尾よく成長していたら、
歴史は変わっていたのだろうか・・・
902日本@名無史さん:2005/11/02(水) 10:19:54
>>898
政子の子孫ってのはひ孫の代で全滅したので「絶対にいません」ので。
北条氏もいろいろ分れてるから。戦国時代の北条氏は血のつながりはないよ。
ジュニア向けの学習歴史漫画で十分わかるんでそれを嫁。
間違っても今やってる大河ドラマはやめとけ。嘘ばっかだから。

>>901
その子がキレ者なら変わってたのかなあ?
903日本@名無しさん:2005/11/02(水) 11:13:15
>>902
切れ者でなくても、成人していたら将軍にされていたでしょうねー
904日本@名無史さん:2005/11/02(水) 17:10:54
政子なんですか!!字まで間違えてすみません‥↓↓
そして子孫じゃないかも‥!!末裔?お墓にも三つ鱗と北条家って書いてあるんだけど、絶滅していないんだ‥↓↓
私なにものなんだろう‥。意味がわからないかもしれませんが、歴史詳しく知っている方いたら教えてください。
注意してくれた方、無知すぎてごめんなさい↓↓
905日本@名無史さん:2005/11/02(水) 17:17:55
北条政子の子孫は源氏だから、三つ鱗の家紋は使わないのではありませんか?
政子の兄弟の子孫というのなら分かります。
906日本@名無史さん:2005/11/02(水) 17:58:48
政子の兄弟の子孫も系図は全部途切れてるんじゃないか?
まだ戦国時代の北条氏関連の方が可能性ある気がするが
907日本@名無史さん:2005/11/02(水) 18:11:39
どうだろ?
あれだけ支流があって一人も生き残ってないというのは、逆に考えにくいね。
908日本@名無史さん:2005/11/02(水) 18:17:57
そうだねい。
909日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:12:01
>>904
というわけで政子ではなく戦国時代のほうの北条氏で調べてみたほうがいいんでないかい?
910日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:21:53
掘り返すみたいで悪いんだが、
三浦氏黒幕説は自分が15年ぐらい前に呼んだ小〜中学生向けの学研の歴史の本でさえ載ってたな・・・
で、今は御家人共謀説ってのが出てきてるってわけか。
「その時歴史が動いた」のコミック版ではそんな感じだったが、
この漫画、参考文献とか載ってないのがちょっと・・・
911日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:39:22
>>907
大半は鎌倉で仲良く心中
残った奴も南北朝の動乱で死んだんじゃないか?

女系で言うなら、有名どころだと足利将軍家自体が北条の血を享けてたりはするけど
912日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:54:06
北条氏が桓武平氏の流れを汲むというのも実は結構怪しい話だが、
話変わるが、北条氏は早死に多すぎ。北条時頼・時宗は過労死か。
鎌倉時代とはいえ、日々の食生活には不自由しない北条得宗家
の人々が何故こんなに早く死んでしまうのだろう。
913日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:59:16
時頼・時宗・貞時の3代は過労死しても不思議ではないな
914日本@名無史さん:2005/11/02(水) 23:07:33
まあ、北条氏の早死にした人々(殺害された人は除く)
北条時氏・経時・時頼・長時・時茂・義政・義宗
時宗・宗頼・宗政・貞時。
長く生きても40ぐらいだ、怨霊かそれとも近親結婚で体が弱くなった。
915日本@名無史さん:2005/11/02(水) 23:31:37
>近親結婚で体が弱くなった。
一時期の藤原家外孫状態の天皇家も
やたら寿命の短いのが結構続いたな
916日本@名無史さん:2005/11/03(木) 02:42:42
小田原の百姓に北条姓が結構多いのだが、これは名字帯刀許された
豪農が家系図を寺から写させてもらい北条氏の子孫だと言い張ったりしていた。
明治以後はその地域の百姓までもが北条姓を名乗りはじめる。
北条北条言ってる家の正体はこんなもの。
917日本@名無史さん:2005/11/03(木) 08:02:24
>近親結婚で体が弱くなった。

いまだにこんな迷信信じてる奴がいるのか
918日本@名無史さん:2005/11/03(木) 11:43:16
近親婚いうけどさぁ、北条家ってそんなに近親子してるか?
919日本@名無史さん:2005/11/03(木) 14:14:55
そうなんですか‥↓↓私は北条家ではないってことなのかな(・口・`!!)お墓は三重県にあります。関係ないかな↓↓
それにしても、みなさんすごく詳しいですね(∪_∪*)☆私も自分の事くらい調べておくべきですよね↓↓
あと、板が違ったみたいで話脱線させてしまってすみません。戦国時代の北条‥で聞いてみたほうが良いという事なので、いってきます☆色々教えて頂いてありがとうございました(´∀`*)/感謝です☆
920日本@名無史さん:2005/11/03(木) 15:29:20
>>919
まだ分からないよ。系図とか、お寺の記録とか、よく調べてみ。
921日本@名無しさん:2005/11/03(木) 18:29:12
>>919
鎌倉時代の北条氏は姿を消したが、北条早雲に始まる「後北条氏」は
秀吉に降伏したせいで、家名も子孫も残した。
嫡流は河内の狭山藩主に治まって、尚氏が今の主(先代創価学会会長・北条浩氏の実弟)
旗本の家もある。三重に墓があるなら伊勢氏からの転向組かも。
922日本@名無しさん:2005/11/03(木) 18:54:52
>>921
あと、「伊勢北条氏」について調べられるなら、調べたほうがいい。
県立図書館や三重の郷土資料館で本を見つけられると思う。
923日本@名無史さん:2005/11/03(木) 19:04:20
伊勢氏、室町幕府の文官の家系
長氏(早雲)の代で駿河へ下り
後に小田原北条氏を名乗る

北条政子が生まれた伊豆韮崎の地で親を毒殺しようとした女子高生が・・・

でも鎌倉北条家って血族の団結強いね
名越氏が何度か謀反企てたけど結局最後まで継続するし
政子が非情すぎるイメージあるけど
924日本@名無史さん:2005/11/03(木) 19:38:25
伊勢は時房〜しばらく不明〜顕時〜貞顕〜貞冬と北条家が国司を務めてるね
金沢氏の所領みたい、荘園もけっこうある
925日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:25:46
ん?
伊勢の国司にはなってないぞ。
926日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:47:08
国司じゃないよ。守護だよ。
927日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:48:48
わぁぁぁぁ
素で間違えた

国司×
守護○

素早い指摘サンクス
928日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:58:17
あの事件、伊豆の国市でも韮山だったんか?
迷惑な話だなーをイ
929日本@名無史さん :2005/11/03(木) 23:24:36
北条義時の死が毒殺などという説がありますが、根拠あるんですかね。
930日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:30:52
急死だったので当時そういう噂が立ったのは事実ですがあくまで噂です
931日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:59:26
伊賀局の変
義時の後妻の伊賀局が実兄の光宗と謀り、実子の政村を執権に、
娘婿の一条実雅を将軍に立てようとした事件ていたのである。
一条実雅の弟、二位法印尊長が承久の乱の首謀者の一人として捕縛され

6月14日 辛酉 晴
  六波羅の馳駅下着す。申して云く、去る七日辰の刻、鷹司油小路大炊の助入道後見肥
  後房の宅に於いて、管十郎左衛門の尉周則二位法印尊長を虜らんと欲するの処、忽ち
  自殺を企つ。

このときこう言ったとされます
「早く首を切れ。それとも、義時に一服もった伊賀の後妻の薬を飲ませろ」
932日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:18:54
鎌倉北条氏は日蓮に、小田原北条氏は創価に縁が深いのうw
933日本@名無史さん:2005/11/04(金) 06:32:17
県立図書館かお寺で調べられるんですね☆
私、専門用語が全くわからないので、理解するのに時間かかりそうですが、知りたすぎてウズウズするので近々行ってみます☆
本当ありがとうございます☆みなさん優しい人達ばかりでうれしいです(∪_∪*)☆
934日本@名無しさん:2005/11/04(金) 08:57:17
>>933
気にするな。
ワシらは北条氏で何か話をしたいんだ。話のネタを仕入れてきてくれたら嬉しい。
935日本@名無史さん:2005/11/04(金) 17:38:20
>>933
在日が通名を名乗るとき、滅びた名家・大名の苗字を名乗り、
勝手に子孫認定することはよくある話でして。

九州には大胆にも「豊臣」を名乗る在日さん(カミングアウト済)がいる。
936日本@名無史さん:2005/11/04(金) 19:39:30
鎌倉時代の平均寿命は24歳だったという研究が出たらしい。
だとすると得宗家の歴代はべつに若死にじゃないな。
937日本@名無史さん:2005/11/04(金) 22:24:52
>>936
どこの研究?
938日本@名無史さん:2005/11/04(金) 22:37:17
鵜呑みにするなよ
由比ガ浜の骨の平均年齢が24ぐらいだったってだけだろ
世の中平均ほど当てにならないものは無い・・・

若宮大路の側溝跡から赤子の骨が出るぐらいだぞ
939日本@名無史さん:2005/11/04(金) 23:40:37
>>=931
それで、よく政村は粛清されなかったな。そして最期には鎌倉幕府
第7代執権になれたんだから、人生は何が起きるかわからんという
好例。
940日本@名無史さん:2005/11/05(土) 01:29:32
時宗勝ったそうだね。
941日本@名無史さん:2005/11/05(土) 02:34:23
ぬるいチョップだったよ。
942日本@名無史さん:2005/11/05(土) 06:57:29
>>939
でも、息子の時村は殺されているし、やはり潜在的な反得宗勢力という希ガス。
943日本@名無史さん:2005/11/06(日) 17:57:24
北条氏ってみんな時がつくんでわからんな。時村も前後して二人いるし。
944日本@名無史さん:2005/11/07(月) 00:34:38
後北条氏の方も氏だらけでわかりにくいぞ
945日本@名無史さん:2005/11/07(月) 07:33:08
連署の北条時村殺害事件は、得宗家による政村流北条氏への弾圧という解釈で
いいのかな?それにしても、鎌倉幕府は真相のつかめない政治的事件が起こり杉。
946日本@名無史さん:2005/11/07(月) 17:14:31
一般的に北条時村殺害の時期は1305年は得宗専制政治が頂点に達した
時期で、潜在的反得宗の北条時村も宗方も邪魔だったんだろ。
二月騒動の時期の名越流北条時章みたいに確固たる謀反の証がなくとも
討伐されたんだろ。
947 ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/07(月) 23:38:24
嘉元の乱やね
得宗貞時の下で時村と宗方が争って相打ち
結果長崎氏が権力を得ていくと

時村は安達泰盛派なのに霜月騒動で失脚せず
平頼綱失脚で再度権勢を得るあたり世渡り上手っすね

もっと鎌倉後期の重要人物と評価されてもいいかも

948日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:52:27
じゃ評価してやるから詳細な業績書いてくれ
949 ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/08(火) 00:58:30
引付、評定衆、六波羅・長門探題、連署と歴任してるけど
最大はこれかな「六波羅探題の業務を明文化した」

あとこのエピソードが好き
春日、岩清水神宮相論事件
六波羅の軍勢が春日社の神木を奉じた宗徒と衝突
幕府は「現場の警固責任者を処罰せよ」と命じたが
時村「探題の命で動いた者たちに罪は無い」

部下しては理想の上司やね
ギバちゃんまんせ〜
950日本@名無史さん:2005/11/09(水) 01:06:59
最明寺入道時頼が諸国回国伝説があるが、真実かどうかは定かじゃないが、
うちの地方は「鉢の木」に関係のある地域で意外と時頼の知名度高い。
時頼なもっと知名度高くてもいいのにな中興の祖なのに。
951日本@名無史さん:2005/11/09(水) 07:03:28
>>950
俺の持ってる小学生用の歴史漫画には載ってるよ

>>947
安達や金沢も霜月騒動で勢力失ったけど、
禅門失脚後に権力を取り戻しているんじゃないか?

>>948
宗方に殺された事しか知らん。三浦義村の外孫らしい。
952日本@名無史さん:2005/11/14(月) 22:53:55
age
953日本@名無史さん:2005/11/14(月) 23:13:30
執権というのは室町時代の役職で言うと管領、江戸時代の役職では大老にあたるね。
954日本@名無史さん:2005/11/15(火) 00:50:49
小学生用漫画だと安達泰盛が北条時宗を「時宗様」などと主君の
ように呼んでいるが、あれは出鱈目かもしれんが、4年前の大河
ドラマで北条時宗が肥後の御家人竹崎季長や菊池武房にも「○○殿」
と呼んでいたが、執権北条氏はそこまで腰が低いものなのか?
あくまで御家人同士はフラットな関係なのか?
955日本@名無史さん:2005/11/15(火) 11:55:28
>>954
「将軍」とか「天下様」なんかが、
ものすごい絶大な権威を持つのは、江戸時代から。
(江戸幕府初期の政策以降)

ましてや、一応の構図として
「天皇→将軍→執権(得宗家総領、連署TOP=連署は同輩=一応、誰でもなれる)」
956日本@名無史さん:2005/11/15(火) 15:03:35
北条氏は権力あっても権威なし。
957日本@名無しさん:2005/11/15(火) 15:10:13
だからこそ、敵はブチコロスだけだったのだ。
958日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:36:21
最後は全御家人の総攻撃を受けて滅亡したな、北条氏は。
959日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:49:02
>>958
「全」ではないだろ。さすがに
二階堂やは幕府方だし、毛利は安芸で中立を保っていたんじゃ
安達はこの頃御内人化してるな
960日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:11:08
二階堂氏は形骸化した評定衆止まり。執権、連署、六波羅探題北方・南方
重要な地域の守護職はほとんど北条氏でしょ。
961扇谷上杉本拠地住人:2005/11/16(水) 00:22:22
御内人てどんな家があったのですか?鎌倉方についた御家人て誰がいたんですか?図書館にいってもわかんなくて。誰か知っている方がいたら教えてください
962日本@名無史さん:2005/11/16(水) 00:44:40
>>961
北条得宗家の御内人で有名なのは。
平頼綱・長崎円喜・諏訪盛重(蓮仏)・尾藤景綱かな。
尾藤景綱は北条泰時期の御内人の代表。時政・義時期の
御内人はよくわらん。
963 ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/16(水) 00:50:24
・身内人
有名どころでは関、尾藤、平、長崎
旧御家人系は海老名、工藤、山内、渋谷
よく名前を聞くのは甘粕、諏訪、隅田

・鎌倉方御家人
安達、千葉

関東の御家人の庶子は鎌倉に家を構え都市化するものも多く
滅亡時の北条氏の家臣団は彼らが多くを占めていました
もちろん北条家に殉じたもの、新田方に縁故を頼って寝返ったもの
様様ですね

詳しく調べたいなら「北条氏系譜人名辞典」の北条被官の項や
太平記の鎌倉滅亡のあたりを参考にされると良いでしょう

964日本@名無史さん:2005/11/17(木) 18:03:07
御内人って、北条氏被官の中でも得宗家被官のみを指すらしいね
965日本@名無史さん:2005/11/17(木) 18:36:23
北条氏嫡流(得宗)>御内人(内管領)>北条氏庶流(執権、連署)、一部御家人(評定衆)

得宗専制体制は、こんな感じだよね。守時なんか、執権なのに前線の一隊長扱い。
966扇谷上杉本拠地住人:2005/11/18(金) 00:35:48
ありがとうございます。日曜にでも図書館に行って調べてみます
967日本@名無史さん:2005/11/19(土) 03:00:00
「鉢の木」の話は小学生のとき、「巨人の星」で読んだ。
おまいらもだろ?
968日本@名無史さん:2005/11/19(土) 14:32:42
>>967
お、おいくつですか?
969日蓮:2005/11/20(日) 13:13:47
永遠の命だ
970日本@名無史さん:2005/11/22(火) 12:00:45
鎌倉幕府の末期って、徳川幕府みたいに「大政奉還」「無血開城」やろうとした奴いなかったの?
でも徳川幕府の場合は
・総大将の慶喜が簡単に恭順姿勢を示した
・慶喜が徳川傍流(水戸系)であり、水戸系は尊王思想の原点だった
・近代化を急ぐ必要があった為、内戦に時間をかけたくなかった
っていう条件があったなあ
971日本@名無しさん:2005/11/22(火) 12:42:23
>>970
いやあのな、鎌倉幕府とガチで戦ってたのは後醍醐天皇なんだが、
正中の変、元弘の変と二度にわたって計画が漏れ失敗したんだ。
何か手を打つにしても、精々、持明院統に皇位を譲る工作をするくらいだろ。
事実、後醍醐天皇は流罪にされ持明院統の光厳天皇に譲位させられている。
こんな立場の幕府が真面目に「大政奉還」など考えるわけない。
972日本@名無史さん:2005/11/22(火) 12:48:03
つまり、鎌倉幕府も光厳天皇を立てていたから、
大政奉還を考える必要が無かったと
973日本@名無史さん:2005/11/22(火) 20:11:37
そもそも大政奉還も何もないと思うのだが。
974日本@名無史さん:2005/11/23(水) 09:22:34
大政奉還は前提として大政委任論という国学上の説があったからなわけで。
そもそも鎌倉幕府は江戸幕府ほど全国組織でもなかったわけで。
975日本@名無史さん:2005/11/24(木) 17:47:53
た、大政奉還って‥‥。
あらゆる面で、あまりにも諸事情が違い過ぎるだろ。
それに「無血開城」って言ってもそれは結果的にそうなったわけで、
はなから平和だの無血だのを前提に交渉していたわけじゃない。
勝海舟にしても、交渉決裂の場合は江戸を焦土にしてでも戦うだけの準備や覚悟を十分整えた上で交渉に臨んでいた。
このように和戦両様の構えでないと交渉事は進まない、ってのは古来からの鉄則。
蛇足ながら、今の日本政府が外交下手と言われるのも軍事力を背景にしていない以上、きわめて当たり前のことだ罠。
976日本@名無史さん:2005/11/26(土) 01:16:46
執権殿逮捕w
977日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:22:36
落ちそうだから保守がてらソラで北条氏の系図を書いてみる。
時政
┣宗時
┣義時
┃┣泰時
┃┃┗時氏
┃┃ ┣経時
┃┃ ┃┗頼助・もう1人思い出せない
┃┃ ┣時頼
┃┃ ┃┣時輔
┃┃ ┃┣時宗
┃┃ ┃┃┗貞時
┃┃ ┃┃ ┣高時
┃┃ ┃┃ ┃┣邦時
┃┃ ┃┃ ┃┗時行
┃┃ ┃┃ ┗泰家
┃┃ ┃┣宗政
┃┃ ┃┃┗師時
┃┃ ┃┗宗頼
┃┃ ┗時定
┃┣朝時
┃┣重時
┃┣政村
┃┣実泰
┃┣時尚
┃┗有時
┃ ┗通時
┣政範
┗時房
978日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:29:31
朝時
┣光時
┣時章
┣教時
┗坊さん
重時
┣長時
┃┗義宗
┃ ┗久時
┃  ┗守時
┣時茂
┣義政
┗国時
 ┗基時?
979日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:35:19
政村
┗時村
 ┗煕時
実泰
┗実時
 ┣顕時
 ┃┗貞顕
 ┃ ┗貞将
 ┗実政
ぜんぜんわからん。時房流はもっとわからん
980日本@名無史さん:2005/12/08(木) 07:07:23
>>977
もう一人=隆政
981日本@名無史さん:2005/12/10(土) 03:38:50
>>980
誰だそれ・・・
982日本@名無史さん
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