「日露戦争は回避すべきだった」なんて言ってる奴は司馬鹿よりも救い様のない馬鹿
>>875 それは、全てあなたの思い込みです。
中国と日本が占領されなかったのは、その間に超大国である朝鮮が控えていたからだ。
別に日本や中国が努力したりしなかったりしたためではない。
908 :
日本@名無史さん:04/11/24 18:42:50
>>884 歴史には計算不可能なこともあるよ。ロシアが日本を侵略しないという
保証があれば日露戦争なんてしなくて済んだんだよ。
909 :
日本@名無史さん:04/11/24 19:29:35
>>904 まず、西太后が異常性格者という世評についてはほぼ具体的に否定されている。
バックハウスらの著書「西太后治下の中国」という本に景善という人物の日記の
引用として西太后が珍妃を井戸に投げ込ませたという記事があるが、実はこの
日記はバックハウスが噂話を景善という人物に仮託した偽書であることが判明
しているそうだ。この経緯はシーグレーブ著「ドラゴン・レディ」に詳述されている。
東太后の暗殺なども全く信頼に足るソースはない。
西太后が軍艦の建造費を庭園造営に流用したと言われる件については、
北洋水師を牽制するのが目的だったとする説がある。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/hirama/yh_ronbun_kenkan_c_1.html 日本に圧倒する軍事力があると当時は考えられていたため、西太后は日本
の脅威より内乱の発生を恐れていたというわけだ。漢人の太平天国の乱の鎮圧に
苦労したことがトラウマになっていたのかもしれない。
とっくにスレ違いになっているのに、司馬について語るより議論が高度になっていくのが笑えるw
911 :
日本@名無史さん:04/11/25 01:00:00
>>909 でも、そうなると西太后の悪名はなぜこんなにも定着しているんだろう?
912 :
日本@名無史さん:04/11/25 07:37:07
>>911 ・北清事変での列強の敵だから(昭和天皇やサダム・フセインに対するのと同様の中傷)
・漢民族にとっての敵だから清が倒れてからはひどい中傷が横行
さらに通俗儒教的観念から中国では必ず政治にかかわる女性は叩かれる。
則天武后、江青女史・・
つまり欧米からも中国自身からも構造的に叩かれる宿命なわけだね。
中国、中国っていうけど、中国という「国」はなかった。
中華民国? 中華人民共和国?
中国大陸? 漢民族の国? 漢民族とその周辺の民族の国々?
中国大陸で主権を唱えていた、歴代の国々の包括的な呼称?
>>912 >>中国では必ず政治にかかわる女性は叩かれる。
での、「中国」は大陸かな。
>>欧米からも中国自身からも構造的に叩かれる...
での、「中国」は、漢民族かな。
日本では、日本国と日本国民、日本の領土が大体一致するので、
日本というだけで通じるけど、よその国が日本と同じと思うのは
いろいろと間違う元。(沖縄では、本土とか、北海道では、内地
とかの識別のしかたもあるが)
914 :
日本@名無史さん:04/11/25 17:05:27
>>913 その通り。だからいっそシナという方が正しい。
話が古くなりすぎるけど、列強の攻勢に徹底防戦したといえば「元寇」があるよね。
元の2度の襲来を撃退した後も30年以上国防に徹しきって、
まぁ結果論から言えば元は2度と攻めてこなかったんだけど
その間、手弁当で辺境(九州の人、ごめん)防備に駆り出された人たちの怨嗟が物欲主義に暴走して、
それで鎌倉幕府は潰れたと思ってる。
鎌倉以前の国土防衛論は大抵防備一辺倒だけど、その後の歴史を見ると
たいがい内乱→民情不安→政権交代、という流れを辿ってるから、
とにもかくにも外征した日清日露戦争は、基本的には間違ってなかったと思う。
当時の国情や国益から考えても。
中国や朝鮮の人には悪いけど、日本にいる以上、そうするほかないんじゃないか?
戦争は外地でやる。これは兵法の鉄則です。
内乱状態になって収拾のつかないバルカン半島や西アジアやアフリカを見ても、
日清日露は、「国益上」間違ってない。あくまで「国益上」だけど。
いまどきの国内情勢を見ても、かつて農村に住んでいた人たちが続々と山や村から降りて
平野部に集まって都市を建設してるけど、都市に行き着いた人たちは具体的な生活基盤(山や川や田んぼ)が
ないから、周囲に極限まで遠慮しなければならない。
そういった過度の遠慮から逃れるために物欲や金銭欲やその他諸々の欲を満たすことで
基盤の無い自分を慰めてるって感じがする。
で、そのうち新興宗教が出てきて乗っかる奴も出て、それが一大奔流となって世の中を洗い流す、と。
大陸の人は土地を追われても次を探せばいいやと思うかもしれないけど、
日本は四方を絶海に囲まれてるから、そもそも逃げる場所なんてない。
いわば、毎日が背水の陣のような状態。
そんな状態の国に外征を禁じるのは、
それと引き換えに国内人口の定期的な間引きを容認しないと、
本来は釣り合わない事なんじゃないかと思うけどね。
いまはどっちも駄目な国情だから、んだったら、ひたすら我慢するしかない。
918 :
日本@名無史さん:04/11/25 18:10:41
警視庁四谷署は30日、朝日新聞東京本社地域報道部員脇本慎司容疑者(44)=東京都
渋谷区神宮前2丁目=を強制わいせつ容疑で逮捕した。
調べでは、脇本容疑者「賊」は同日午後11時50分ごろ、新宿区の路上で、帰宅途中の女性に
強姦目的で背後から抱きついて倒し、胸を触った疑い。女性にケガはなかった。通りかかった
男性が、脇本容疑者「賊」を取り押さえ、四谷署に引き渡した
http://www.asahicom.com/asahistory.htm
919 :
日本@名無史さん:04/11/25 20:23:33
おいおい、そんなことを言っていると近隣の国々から
イラクのような「予防的攻撃」の口実を与えることになるぞ。
920 :
日本@名無史さん:04/11/25 20:37:08
坂之上の雲が男女同権ドラマになるの?
あの小説には豆煎りの上手な秋山提督の嫁さんぐらいだったと思うが
女がちょっとだけ登場すたのは
男女の出演時間イーブンのNHKバージョンにしたがって
どんな女性キャラを捏造するのか楽しみ
921 :
日本@名無史さん:04/11/25 21:24:15
脚本家が死んだからなあ
>>919 それは私へのレスかい?
現状では経済行為で盛んに海外進出してるし不景気だ何だと言いつつ
外貨準備高も多いし、なんのかんので耐え凌いでると思うけど。
いずれにしても、国内でこじんまりまとまれば?みたいな暢気な事は言ってないつもりだけど。
「我慢」といっても攻撃的な我慢と守備的な我慢があるでしょ。
923 :
日本@名無史さん:04/11/26 00:02:58
全国100万の西太后ファンのために話を元に戻すと、列強は日清戦争で清が負けるまでは
本気で清を植民地にできるとは考えていなかった。清が負けて列強も本気で清の分割植民
地化に乗り出したのだが、北清事変で西太后が「勝敗の帰趨はあらかじめ計るところにあら
ず、手をこまねいて滅ぶよりは一戦して滅ぶほうがよい」という名言を残して列強と戦い、
列強は清に手出しすることの恐さを知って植民地化を諦めた。
数年前に公演されたスーパー歌舞伎?の「西太后」は国の重責を担う立派な女性として
描いていたそうだ。
>>909 まず、904を見てくれ。
俺は、西太后が異常性格者とか、訳の分からないことは全然書いてない。
おかしなレスしないでくれないか。
>西太后が軍艦の建造費を庭園造営に流用したと言われる件については、北洋水師を牽制するのが目的だったとする説がある。
ぶっちゃけ言えば、軍艦建造費を造園に流用した理由なんて、どうでもいい。
理由があるからと言って、それが正当化されるものでもあるまいに。
ところで頤和園、世界遺産になっているね。
「西太后が戦費を流用して修復」と未来永劫紹介されるわけで。
権力者というのは大変なことだ。
>>923 >列強と戦い、列強は清に手出しすることの恐さを知って植民地化を諦めた。
そうなんだ、923の言う北清事変の顛末は、俺の認識とだいぶ違うんで驚いた。
俺はこんなもんだと思っていたよ。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-4/ad1900a.htm >1900年 北清事変
>義和団は「扶清滅洋」をスローガンとし、保守排外的な傾向に傾いていた西太后の清朝政府はこの運動を支援し、官軍も行動をともにするようになった。
>清朝政府が列国に対して宣戦を布告
>西太后と光緒帝は、北京陥落の翌日未明に、農民の姿で古馬車に乗り西安へ向かったが、その途中で列国と和を結ぶことを決めた。
>首都北京とその周辺に外国軍が配置されるとともに莫大な賠償金が課せられ、中国は半植民地状態となった。ただし、中国が分割をまぬがれたことは、幸いであった。
義和団一時の勢いに乗じて宣戦布告というのを、評価するか?できないか?
その結果、半植民地化というのを、植民地化を諦めさせたと見るかどうか?
これ以上は見解の相違というものになってしまい、俺はこう思う思わない、という話になってしまうので、これでうち切る。
完全にスレ違いだしね。バハハイ。
926 :
日本@名無史さん:04/11/26 07:30:01
>>925 当初、清政府は列強の要請にこたえて義和団を厳重に取り締まった。
しかし民衆の怒りが本物だとわかると、西太后は義和団とともに列強と
戦う決心をしたという。その際の言葉が「勝敗の帰趨はあらかじめ計る
ところにあらず」だ。
http://www.tabiken.com/history/doc/F/F069L100.HTM しかし,一方で義和団運動に表された民衆のエネルギーは列強に中国分割の企図の非現実性を
悟らせることとなった。
という評価があるよ。
すでにスレ落ちになっているが、世界史板に西太后スレがあった。
そこでは北清事変で西太后が実は西安には行かず、紫禁城に残って
米兵に強姦されていたという秘話が紹介されている。まだグーグル
のキャッシュに残っているから探してみてくれ。
927 :
日本@名無史さん:04/11/26 07:49:06
>>926 いまGOOGLEで「西太后 強姦」で検索したら2番目に出てきた。
西太后について・・・というスレだ。
>>924 ごめん、世間一般に西太后への誤解が酷いので紹介しただけだ。
後知恵だが北洋軍を強化していれば清は勝てる可能性は高かっただろうね。
>>926-927 それこそ、根も葉もない噂話じゃないのかな。
909のセリフではないが、信用に足るソースとはとても思えない。
ググルで紹介した所、自分で読んだのかな?こう書いてあるんだけど。
>厳重な侍衛に守られ深宮に住む太后がいかに非常の危難とは言え、
>米兵に踏み込まれたばかりか身を汚されるなどということは有り得ない。
>太后が皇帝と共に西安に蒙塵したことは隠れもない事実である。
929 :
日本@名無史さん:04/11/26 21:19:23
930 :
日本@名無史さん:04/11/26 21:40:28
西太后ファンさんは、上でこう書いていた人だろう?
>日記はバックハウスが噂話を景善という人物に仮託した偽書であることが判明しているそうだ。
>東太后の暗殺なども全く信頼に足るソースはない。
でも、一研究者が月刊誌に寄稿した内容は信用する、と。
これほど明け透けなダブスタもないもんだ。
931 :
日本@名無史さん:04/11/26 21:48:43
世界遺産 目出度き事も日清の 恨み思えば そうは祝えん(頤和園)
932 :
日本@名無史さん:04/11/26 21:56:57
どこが司馬なんだと
933 :
日本@名無史さん:04/11/26 21:58:41
茜さす紫野ゆきしめのゆきのもりは見ずや君が袖振る
934 :
日本@名無史さん:04/11/26 22:07:07
濡れ場があるのがいいよね
935 :
日本@名無史さん:04/11/26 22:20:44
>>930 ついでだから書いちゃうけど、実は前からなんでアメリカが清からの戦時賠償金で
清に大学を作ったのか不思議に思っていた。
http://www.tabiken.com/history/doc/K/K024C100.HTM 清華大学
アメリカが義和団賠償金の残余額を中国人学生の留米準備教育にあてる方針をとり,
1909年(宣統1)北京に留米学務処を設立。それが北京西郊の清華園に移り,1911年
(宣統3)清華学堂として発足した。
増井先生の話がホントなら、清華大学の設立はアメリカ兵の功績だな。
俺も別に増井さんの話が絶対事実と思ってるわけじゃないが、
明らかに偽書がソースとわかってる話と、ウソを付く理由が
見あたらない学者の話とでは真実味が違うよ。素性のはっきり
した当事者からの伝聞だしね。
ちなみに増井さんは1995年に亡くなっているので問いつめられ
ないのが残念ではある。
936 :
日本@名無史さん:04/11/26 22:21:14
それはあなたの思い込みです
937 :
日本@名無史さん:04/11/26 22:41:59
では強引にスレタイに戻そう。
北清事変で清はロシアと対立しロシアは大軍を派兵し東北
地方を占領。これを日本は日本への脅威だと考えたため日露
戦争の原因となる・・
って自分で書いててもやはり無理があるな。ロシアは清に
進出し清のイギリス権益を侵しそうになっていたのは明らかだが
日本本土方向に進出するってのはほとんどありそうもない。
日本とロシアの2国だけ見てるとダメだね。
イギリスが日本にけしかけてロシアと戦争させたというのが
それほど間違いでもないと思える。
938 :
日本@名無史さん:04/11/26 23:44:34
満州、朝鮮を確保しても、結局は日本列島が邪魔になるでしょ。
太平洋に出るコースが、三海峡(対馬、津軽、宗谷?)で扼されるからだ。
バルチック艦隊が海峡で迎撃され、ウラジオに到達出来なかったのを見れば、この海峡を自由に通れる保証が、どれほど大切なことか分かる。
いつだったか、対馬に強引に砲台を造ろうとした実績もあったね。
939 :
日本@名無史さん:04/11/27 00:06:05
>>938 だからこそ、ロシアも日本と協商を結ぶ動機があったわけだ。
実際日露戦争後は日露は親密になる。
940 :
日本@名無史さん:04/11/27 00:40:44
他国の領土に、強引に軍事施設を作ろうとした国と、協商ねえ? 冗談でしょ?
一旦戦ったからこそ、戦後は日露が親密になったとも言えるでしょ。
西太后ファンが上で言ってたことだが、負ける可能性の高い戦争も辞さない、
という態度を示すことが大事だったわけだ。
西太后の例と日本の例で違うのは、国内暴徒の悪ノリに乗じて宣戦布告しちゃう
ような軽さでやったわけじゃないってところかな。
941 :
日本@名無史さん:04/11/27 10:33:03
>復権後の李鴻章はロシアに接近し、日本に対抗しようとした。
>そのためにロシアとの間に密約を結び、事実上満州をロシアに明け渡した結果になった。
向こうはやる気だったわけか。
日本が1904年の段階で譲歩したからといって、どうなるものでもなかったろう。
何年かあとに、朝鮮半島を主戦場にして日露戦争が起こったかも知れない。
もしかしたら、そこでも譲歩したかな?
そしたらその何年かあとに、対馬、九州を主戦場にして(略
943 :
日本@名無史さん:04/11/27 11:00:36
>>942 おいおい、露清秘密条約の後に北清事変があって清と露を含む列強
は戦争するわけだが。
944 :
日本@名無史さん:04/11/27 11:05:33
>>943 ん?いや、ロシアはその頃から極東進出を図っていたんだな、という事だが?
945 :
日本@名無史さん:04/11/27 15:24:06
たとえて言えば、清ねえちゃんがロシアにいちゃんにボディーガード
を頼んだが、ロシアにいちゃんの仲間の不良があんまり悪さするもの
だから清ねえちゃんが怒ってそいつらをひっぱたいたらそのままロシア
にいちゃんは清ねえちゃんのところに居座ったわけだ。
ロシアにいちゃんはこのまま清ねえちゃんを手込めにしてやろうかと
思っていたら、なぜかいきなり斜向かいの日本くんにぶん殴られたって
ことだな。
腹痛ェ
947 :
日本@名無史さん:04/11/27 16:55:48
司馬遼まんせーー
>>907 まともな議論の間にとんでもないレスが混じってたw
ネタなのかマジなのか分からんが。
949 :
日本@名無史さん:04/11/28 00:00:36
さあ終盤だ。
司馬遼太郎は、日露戦争に関する多様な解釈のうち、非常に少数派の
見解を含めて独断で選択し「坂の上の雲」に書いた、という結論で
いいですか?
坂の上の雲まで、明治は暗黒時代じゃなかったのかい?
>>949 いいんじゃないかな。
司馬の小説はヒーローが活躍するハリウッド映画みたいなもんだから、そういう筋立てにするために
それに合った資料や見解を使ってると思う。
同じ歴史小説でも藤沢周平は庶民の生活をまったり描くフランス映画かな。
>>951 うまいことを言う。池波はなに? 池宮とか、津本も頼む。
953 :
日本@名無史さん:04/11/28 11:18:26
ベルトリッチの「ラスト・エンペラー」も史実を知っていると
吹き出すような歪曲が多々あったなあ。
知らんとあれが史実だと思うんだろうが。
954 :
日本@名無史さん:04/11/28 20:24:03
司馬史観なんて要するに好き嫌史観だろう。芝が持て囃されていた時はよく碌に
本など読まない実業家が芝の駄本を日経新聞やプレジデントなどのアンケートで
愛読書に挙げていた。今改めて読み返せばただの講談本の類なのに。今改めて
芝の本を愛読書に挙げるにはずいぶん勇気がいるだろう。
プレジデント、ダイヤモンド
おぞましい雑誌だな