熱く語ってくれ!
3 :
日本@名無史さん:04/02/17 22:27
近代史上の重要な話題であることは認めるが
問題はどれくらい書き込みがされるかということだ。
鉄道板では微妙にやりにくいテーマであることもわかるが
鉄道板に歴史スレを立てたほうが書き込みは遥かに多いだろう
4 :
日本@名無史さん:04/02/17 22:41
川村カコトの事を知るモノは少ない
5 :
日本@名無史さん:04/02/17 22:46
,r'.::::::: ヽ ヽ
/.::::::: l ! ',
{:::::::: i リiヽ、ヽ l lヽ l
!:::::: / /〃 !-‐ヽ、‐-ヽ、 l l ! とか言いつつレス数を伸ばしてしまう
| ! l 」l-,// ヽ,.-=-、ifヽ7lヽ. |
{{ { イ´.ィ=、 `辷リ l ) }ノ | ここの住人が好きです
}ヽl::::ヽイゞー;〉 l レ/川 |
,'::::`Tヽミ ´ ,' l//リ l }
〃:::: i | |ヽ、 ` __ ノ /ヘ刈イノ
ll 川川l 乂ゝヽ 、.._ _ ,..ィ '´ ' >、
ヽ乂弋ヽ,-ゝ、__ソ,.-z、 .//`> 、
// //〃l∧. / _,. - \
/ ,' ソ//l |i レヽ/ / i
/ ! しi !| 'ノ / / |
/ ト / || || i/_,.-ニ ,'
/ ! / |!,.!┴ /
/  ̄ ヾ /| i_,.. =ニ __ /〉
鉄ちゃんは、軍用資源秘密保護法違反で逮捕。
7 :
日本@名無史さん:04/02/18 12:24
良スレage
8 :
日本@名無史さん:04/02/18 13:20
原敬は選挙対策として地方での鉄道建設を推進した。
我田引鉄と揶揄される。
同様に田中角栄は新幹線網を全国に広げようとした。
政党政治の発展と、鉄道網普及(赤字路線でも)に大いに関係がある。
9 :
日本@名無史さん:04/02/18 13:48
最初の狭軌の採用以来、日本の鉄道は狭軌が主流だが、
輸送力の需要拡大と共に幾度となく標準軌への改軌計画が持ち上がっていた。
どちらかというと、藩閥政治家が標準軌派で、
原敬等の政党政治家は改軌よりも地方建設を重視する立場から狭軌派であった。
結局、狭軌のまま、輸送力は技術革新で対処ということで決着する。
標準軌派は諦めなかった。
日本でできなかったことを満州で実現しようとしたのだ。
時速160キロ、豪華な客車、ロシア系美少女を乗務員に採用、・・・
満鉄アジア号の登場である。
さらに海底トンネルで朝鮮・日本をつなげ、東京・北京間の弾丸列車計画が立案される。
弾丸列車は夢と終わったが、関門トンネル、標準軌用の鉄道用地が残った。
そして標準軌用の鉄道用地が東海道新幹線に生まれ変わったのだ。
10 :
日本@名無史さん:04/02/18 14:06
昭和17年開通の関門トンネルは世界初の海底トンネル?
11 :
日本@名無史さん:04/02/18 14:14
満鉄、って、最初はロシア仕様の広軌で、日露戦争で日本の鉄道車両が使えるようにと狭軌になり、その後、標準軌に作り変えられるという、世界でも例を見ない鉄道なんだ。
12 :
日本@名無史さん:04/02/18 14:26
満鉄調査部。
満州、モンゴル、中国、ソ連の政治、経済、文化、習慣を調査する機関。
人員二千人を超える。
日本軍の侵略に多大の貢献。
意外なことに、当時の左翼青年たちが数多く満鉄調査部に所属していた。
恐らく彼らは純粋にアジア諸国の繁栄を願い、調査活動に携わっていたのだろう。
ところでよくトンネル掘削の時に朝鮮人を酷使して大勢死なせたとか
よく言われるが真相はどうなの?!
14 :
日本@名無史さん:04/02/18 14:36
1942年のシンガポール占領時には、
東京−シンガポール間の弾丸列車計画が立てられたとか。
鼻息が荒かった。このころの日本は。
15 :
日本@名無史さん:04/02/18 14:39
>>13 関門トンネルの場合は20人死者が出てるが、
朝鮮人かどうか知らない。
16 :
日本@名無史さん:04/02/18 14:49
山県有朋らは、国防を考えて、中山道に鉄道を敷設しようとし、
建設を始めたが、難工事で中断。東海道線建設に切り替えたそうな。
横須賀線は海軍大臣の要望でついでに建設。
鉄道と軍事は切り離せないですな。
17 :
日本@名無史さん:04/02/18 14:56
現在の今日一日で、世界で鉄道を利用した人の半分は日本人。
日本は旅客鉄道大国なのれす。
鉄道貨物は駄目ですが・・・。
━─━─━─━─━─━─━─━─(^^)JR山崎駅(^^)━─━─━─━─━─━─━─━─
19 :
日本@名無史さん:04/02/18 15:14
中曽根内閣のときの国鉄分割民営化は、
鉄道再生の模範として世界的に有名だ。
一方、英国の民営化は惨憺たる結果となっているらしい。
事故多発を招いて、大変だとか。
20 :
日本@名無史さん:04/02/18 15:24
当初、東海道新幹線は夜間に貨物列車を走らせるつもりだった。
新幹線用の貨物車両の見本まで作成していた。
結局、夜間は保線のために運行することなく、
貨物新幹線は幻となった。
真相は不明だが、
世界銀行の融資を受けやすくするために、
新幹線での貨物輸送計画をでっち上げたが、
最初から貨物を運ぶつもりがなかったとも・・・・
鹿島建設のサイトに
> 世界初の海底トンネル
> 関門鉄道トンネル(1942年)
と書いてあるからそうだろう
22 :
日本@名無史さん:04/02/18 17:39
たった20人なんて北海道に比べれば少ない少ない
いま検索で調べてみたら
> 1949(昭和24)年に国鉄発足
と書いてありました。
それ以前は「官鉄」という組織だったようですが,
何がどう変わったのですか。
24 :
日本@名無史さん:04/02/18 17:45
旧国鉄債務清算問題や平行在来線問題などで将来へつけ回ししたことを思えば
大失敗とは言わないまでももうちょっとやりようがあった
中曽根にしてみれば国労潰しありきで中身はどうでも良かったのだろう
小泉が郵政民営化で二の舞をやらかす予感
鉄板にリンク貼ろうと思ったが
どのスレに貼るのがいいか わからんかった
26 :
日本@名無史さん:04/02/18 18:03
>>23 もしかして、鉄道省ってのがあったのをご存じない?
うん。
その時代は全然疎いので全然知らない。
小林一三氏は大臣にまで上り詰めてますな。
29 :
日本@名無史さん:04/02/18 22:11
1975年のスト権ストで国鉄が8日間止まったことで、
国労、動労への国民の支持が離れた。
分割民営化への追い風となったわけだ。
しかし、国鉄経営陣にとっても衝撃だったのは、
8日間も国鉄が止まっていたのに、
日本経済にさしたる影響を与えなかったことだった。
もはや国鉄は必要がなくなってしまったのか?
この衝撃も分割民営化へ推進させるものとなった。
30 :
日本@名無史さん:04/02/18 22:22
スト権ストで、
東海道線や京浜東北線のレールが真っ赤に
さび付いていたのを思い出す。
NHKテレビで労働者側の代表(国労か動労かは忘れた)と
自民党若手代議士の海部俊樹が激論を戦わせていた。
この結果、冷静沈着に話す海部に国民の人気が高まった。
一方、労働者側は視聴者にあきれられ、嫌われることになる。
分割民営化の成功と、
後の海部俊樹内閣誕生へつながる、
歴史的討論だった。
31 :
日本@名無史さん:04/02/18 22:29
民営化で駅のトイレがきれいになった。
32 :
日本@名無史さん:04/02/18 22:31
33 :
日本@名無史さん:04/02/18 22:43
国鉄発足時の1949年に怪事件が3件起きている。
7月5日に国鉄初代総裁が常磐線線路で轢死体で発見された下山事件。
7月15日に三鷹駅で無人電車が暴走し民家へ突入、死者6人の三鷹事件。
8月17日に東北本線松川駅近くのレールの釘が抜かれ、列車転覆、乗員3名死亡の松川事件。
労使対立を背景にした血生臭い事件であった。
>19
>一方、英国の民営化は惨憺たる結果となっているらしい。
>事故多発を招いて、大変だとか。
英国は上下分離でやってるからな。
「下」は保守費を安くしようとするから、事故が多くなる。
>20
新幹線貨物は今でもやってるが。
>29
>分割民営化への追い風となったわけだ。
75年当時は分割民営化なんて話は全くなかった。
 ̄ ¨ フ
____ ___ ∠ ____ 駅でもよおしたら
'´ __, `丶、_..-‐ 7゙, --、ヾー, -、 /
ィ´ ``ヽ. `ー ' l \ l´ヾく ̄ ̄``ヽ. どーすんだーーっ!!
ヽ ,. ,.-‐ ヽゝ 、ヽ─‐ 、 \
、 | U | ・ ・__l_ `、 \ ヽ/ ̄``ヽ、
、` ー‐′,,.. `ー一 ''/, 、,゙.ぃ ヽ | / ̄ ヽ
`. ,. -─- 、 l└'└’ぃ /⌒ヽ / ̄ ヽ
─ -、丶._ ノ /ー'`ーヽ._ ヽ. `ー'^ー1 `. _」ヽ、P | ,ィ‐‐ }
-─‐-ヽ_ !::::::::::::::::::::ヽ、_`ーrー‐ '′ ヒ7´ ` ,`¨^Y ,._ / ,
-─ァ'´ _ヾヽ l,.-- 、_::::::::::::: ̄/ / ′ ヽ、..゙二.ノ/,
| r Y_j l)、 ヽ `「ヽ:: / / / |/ /
, ─‐f‐ヘ 、 ヽ`ー、__ ノ´ }/ _ ..i´ / / /|
─‐f::|、 l`ーヽ.ヽ. ___ ..' /l |::| | / / / l
`7ーァ‐/:/ \ `ー----‐''´ / l::l l ィ ,ー '´ // l
_∠ r' /::/ ヽ. ____ / ,!::l |′ / ′
./:::/ '' "" /::/ ,!__... '´
36 :
日本@名無史さん:04/02/18 22:57
初代国鉄総裁は轢死体となり、
第二代国鉄総裁は桜木町駅での電車火災事件(焼死者106人)で辞任、
第三代国鉄総裁は青函連絡船転覆(死者不明1155人)と
瀬戸内海連絡船の事故(就学旅行中の生徒168人水死)で辞任。
国鉄は発足当初から呪われ続けていた。
>36
十河は国鉄黄金期を10年やった。
鉄道会社のトップは、重大事故起せば責任取るのは仕方ない。
本人の持って生まれた運だろ。
38 :
113 ◆LjZgviCI4Y :04/02/18 23:02
てす
39 :
日本@名無史さん:04/02/18 23:14
運だけじゃないよ。第四代国鉄総裁十河信二の成功は。
十河は後藤新平が初代鉄道院(鉄道省の前身)総裁だったときに
鉄道院入りし、後に満鉄理事を務めたことのある、
就任時71歳の鉄道の歴史の証人だった。
朝日新聞の天声人語で「古機関車」だとこき下ろされた。
十河はローカル新線の建設を拒否、
新線建設に燃える政治家たちの怒りを買う。
技術陣トップに島秀雄を採用、
新幹線建設へ進むわけだ。
40 :
日本@名無史さん:04/02/18 23:26
東海道新幹線建設も最初は多くの反対があった。
既に自動車、飛行機の発達が加速し、
鉄道の地位は下がるのみというのが一般の考えで、
読売新聞、朝日新聞は社説でこぞって否定的な論調を掲げた。
国鉄内部でも論争があった。
輸送需要の大きさから新幹線の必要性を訴え続けて、
やっとGOとなったわけだ。
41 :
日本@名無史さん:04/02/18 23:32
十河にも最大のピンチがあった。
1962年の三河島駅列車衝突事故で死者160人を出す。
辞任かと思われたが、結局、後任難を理由に続投となった。
42 :
日本@名無史さん:04/02/18 23:43
満鉄アジア号が、弾丸列車計画へ、そして新幹線に生まれかわった。
43 :
日本@名無史さん:04/02/19 08:49
国鉄時代、毎年のように運賃値上げがあった。
JRになってから値上げしなくなった。(消費税導入時を除く)
でも、やはり高い。
運賃を半分ぐらいが適正な気がする。
44 :
日本@名無史さん:04/02/19 08:54
>>29 >分割民営化への追い風となったわけだ。
後の分割民営化への伏線になった、が正しいと思う。
45 :
日本@名無史さん:04/02/19 10:29
いきなり運賃2倍になったことがあったよねぇ。
あれで国鉄の末期を早めた気がする。
47 :
日本@名無史さん:04/02/19 10:47
東海道新幹線の成功は斜陽化が進む世界の鉄道をもよみがえらせた。
特にフランスでは激怒の世論が沸騰。
新幹線を越える高速鉄道をフランスが作らねばならぬ!
打倒新幹線!
というかなり過激な論調が続き、TGVへつながる。
フランスの誇りを傷つけたのは、
元々、フランスが電気鉄道技術の先進国であったためだ。
日本の技術者の多くもフランスで学んでいる。
高速鉄道の技術開発競争の火蓋が切られた。
48 :
日本@名無史さん:04/02/19 11:11
鉄道後進国の日本が欧米鉄道をはるかにしのぐ
新幹線を生み出すことができた技術的理由を2つ挙げる。
1、敗戦で夢と消えた弾丸列車計画の経験が生きた。
2、陸海軍の技術者1000人を鉄道技術研究所が採用した。
低重心軽量車両、流線型デザインといったアイデアは
ゼロ戦を生み出した航空機技術を土台にして生まれたものだ。
>>47 >元々、フランスが電気鉄道技術の先進国であったためだ。
初耳ですね。地下鉄の話ですか?
戦前から、ディーゼル機関車と言えばドイツ、蒸気機関車といえば米国、
電気機関車といえばイタリアがトップ国として有名ですけどね。
フランスは電化鉄道の先進国だったんだよ。
JR東日本の社長だったか会長だったかの人の著作に書いてあった。
>>50 松田会長?「電化鉄道」の意味が良く分からないが。
欧州大陸国では国際列車が多く、設備関係は国ごとにさほど優劣はない、
というか、優劣をつけられない。それより標準化の方が大切。
まあ昭和30年代の日本国鉄と比較すれば、フランスは先進国だろうけど。
52 :
日本@名無史さん:04/02/19 11:49
>>33 昭和26年の京浜東北線桜木町駅手前で生じた火災事故のときは、
電車の窓を開けても、3段に分かれた窓で、開いた間が小さくて、
逃げられないまま焼死した人が多かった。
皮膚が焼けただれた負傷者もいっぱいで悲惨を極めたらしい。
火災原因は高圧電流の架線が切れて垂れ下がっていたため。
それから窓が全開するものに切り替わり、
ドアを手で開けられる非常用装置も備わるようになった。
架線もより安全なものになっていったはず。
53 :
日本@名無史さん:04/02/19 11:53
交流技術は我が国の朴李だとかなんだとか沸き上がったとか
55 :
世界@名無史さん:04/02/19 12:11
>>13 半島の田舎の生活苦によって内地に出てきて日雇いに従事する人が
多かったためで、別に村を襲って無理やり
「グヘヘ..お前等を新京阪の地下線工事の現場に送り込んでやるう!」
という感じで連れてこられたわけではない。
21世紀になったら2本レールの鉄道はなくなり、
全部、モノレールやリニア浮上式になるのかと思ってた。
57 :
日本@名無史さん:04/02/19 14:17
日本で狭軌を採用したいきさつについてだが、
大隈重信によれば、英国人モレルとの話し合いで決めたとか。
貧乏な国には狭いゲージがいいという無責任な理由を述べている。
一方、鉄道局長官井上勝によれば、山の多い国土で
急角度、急勾配が多くなるので熟慮の末、
ゲージを決めたとかいうことを述べている。
真相は今となっては不明。
58 :
日本@名無史さん:04/02/19 14:27
標準軌だったらシステムとしての新幹線は産まれず
単なる高速新線だったかと思うと怪我の功名
59 :
日本@名無史さん:04/02/19 15:06
標準軌にしようとする動きは幾度も合った。
1887年に参謀本部長有栖川宮は鉄道改正建議案を出し、
標準軌への改造を要求。
1893年に貴族院議員の谷干城陸軍中将が広軌改築を提案。
1894年にも議員の中から改軌を求める建議が出ている。
1910年に鉄道院総裁後藤新平が広軌改築案をぶちあげるが、
原敬の政友会が地方新線建設優先を唱えて反対。
改軌するか否かで10年に及ぶ論争が続く。
1917年には3線式の狭軌標準軌併用線路の実験が行われる。
1919年に原敬内閣が改軌せずと決定してしまった。
60 :
日本@名無史さん:04/02/19 15:20
鉄道技術者の間でも論争があった。
土木技術者は狭軌のままが良いと主張し、
機関車車両の技術者は標準軌改造を主張することが多かった。
また、アジア大陸進出を視野に入れた人々や
海外の技術導入に積極的な人は国際標準を好み、
日本独自に狭軌を育てていこうという国粋主義的な考えの人は
狭軌を好んだ。
61 :
日本@名無史さん:04/02/19 15:44
1919年頃から、車両やレールの国産化率が高まってくる。
1919年にC51蒸気機関車が登場。狭軌用としては当時最大の機関車だった。
1936年にD51が登場。1200トン牽引可能な狭軌大型機関車である。
1922年に50kgレールをアメリカから輸入し、大型重量級の機関車運行に備えていた。
1928年には八幡製鉄所で50kgレールの生産が始まる。
レールも国産ですむようになった。
1930年に超特急燕号が東京神戸を9時間で結ぶ。
ちなみに明治45年のダイヤでは東京から満鉄の終点である長春まで69時間20分。
長春からロシア東清鉄道、シベリア鉄道を経てヨーロッパに行くことができた。
62 :
日本@名無史さん:04/02/19 16:03
63 :
日本@名無史さん:04/02/19 16:38
青函トンネル工事の死者は34名
青姦トンネル
65 :
日本@名無史さん:04/02/19 22:28
性感トンネル
66 :
日本@名無史さん:04/02/19 23:00
狭軌だったからこそ、
特急しか走らない専用路線を新たに建設するという
アイディアが生まれたんだろうね。
標準軌に変わっていたら、
いつまでも在来線での運行にこだわったに違いない。
いい視点だ。
68 :
日本@名無史さん:04/02/19 23:44
民営化で鉄道小荷物の取り扱いがなくなった?
69 :
日本@名無史さん:04/02/20 09:42
需要がそれほどないところにも次々とローカル新線を作った政治家が諸悪の根源。
70 :
日本@名無史さん:04/02/20 09:44
青函トンネルも新幹線が通らないと意味がないよなぁ。
青函トンネル内でキノコ栽培をしたらどうか? なんていう冗談もあった。
71 :
日本@名無史さん:04/02/20 12:00
JR貨物は貨物のコンテナ化を推進した。
広大な貨物用地が余って、売りに出したいとき、土地バブル崩壊。
オフィス用地として再開発が進んでいるところもあるみたいだが。
近鉄は伊勢湾台風で軌道がグダグダになった時に
思い切って大阪から名古屋まで全線広軌に転換した。
73 :
日本@名無史さん:04/02/20 13:13
旅客だけ運ぶ私鉄なら標準軌にできるが、
貨物車両を動かす私鉄の場合、
国鉄から乗り入れることが多いので、
狭軌にするしか選択肢がなかったそうだ。
74 :
日本@名無史さん:04/02/20 15:51
JR在来線、新幹線、営団、公営の地下鉄、
関東、関西の私鉄などいろいろありますが
狭軌,標準軌,広軌のどれなのか教えて下さい。
75 :
日本@名無史さん:04/02/20 16:33
JR在来線は狭軌。
新幹線は標準軌。
小田急、東急は狭軌。
京浜急行、京成双方に乗り入れる都営地下鉄一部は標準軌。
ぐらいしか知らない。
広軌は日本にないだろうね?
76 :
日本@名無史さん:04/02/20 16:56
>>75 鉄道には無い 類似品には過去にあった。(インクライン) 新規に作るのは法に規制が有るので事実上無理。
77 :
日本@名無史さん:04/02/20 17:48
三岐鉄道北勢線。
762ミリのナローゲージ。
可愛い。
うん。ナローゲージは味わいが有るな。
79 :
日本@名無史さん:04/02/20 18:27
都営浅草線=京成線・京浜急行=標準軌
都営三田線=東急線=狭軌
都営新宿線=京王線=標準軌
80 :
日本@名無史さん:04/02/20 22:07
日露戦争時、ロシアが建設した東清鉄道南満州支線を
利用しようと日本軍は考えた。
しかしゲージはロシア仕様の1524ミリ広軌。
大本営は野戦鉄道提理部962名を組織した。
1904年7月、野戦鉄道提理部は大連に上陸、
さっそく狭軌への改築を開始する。
大連から戦線の北上と共に改軌を進め、
05年3月奉天大会戦勝利の後、
4月に奉天まで改軌。
大連より南の旅順の攻略は激戦の末、05年1月旅順開城後、旅順まで改軌、列車を運行させた。
81 :
日本@名無史さん:04/02/20 22:15
1907年4月1日
野戦鉄道提理部から国策会社の満鉄に鉄道経営が移る。
満鉄は中国、朝鮮と同じ標準軌に改軌する工事を進めた。
この改軌は列車の運行を止めずに、
狭軌の外側にレールを併設する3線式、4線式にする方法だった。
時に氷点下40度になる中、昼夜兼行で工事が進み、
運転中止することなく、1年余りで改軌を終える。
>>79 >都営新宿線=京王線=標準軌
都営新宿線=京王線は1372mm。標準軌ではない。
83 :
日本@名無史さん:04/02/20 23:09
田中角栄の列島改造の全国の主要都市全てを結ぶ
新幹線網を作る構想が実現していれば良かったのに。
東京・大阪圏に過剰集中する状態から、
全国へ経済基盤を分散するという
考え方自体は間違っていない。
わずか十数兆円で実現できたのに。
84 :
日本@名無史さん:04/02/20 23:16
軍部は蒸気機関車が好きだった。
電化すると、変電所を空爆されると動かなくなるという理由で。
そのため弾丸列車計画でも、
時速150キロメートルのSLが
登場するはずだった。
86 :
日本@名無史さん:04/02/21 10:35
87 :
日本@名無史さん:04/02/21 10:45
線路は砕石層の上に枕木とレールが乗っかっているだけ。
列車が通過するたびに砕石は徐々に消耗するので、
保線作業で砕石を補給しなくてはならない。
鉄道は破壊と建設が同時に進んで維持されるべきもの。
東海道新幹線の場合は、保線の手間が極めて大きい。
山陽新幹線は砕石を使わないコンクリートで軌道を作った。
保線は楽だが。コンクリートの寿命が・・・。
皮肉なことに新しい山陽より、古い東海道の方が長持ち。
みさしゃん、ありがとうございました。
89 :
日本@名無史さん:04/02/21 17:54
90 :
日本@名無史さん:04/02/21 22:55
91 :
日本@名無史さん:04/02/21 23:04
初めての駅弁は1885年(明治18年)宇都宮駅。
梅干しおにぎり2個に沢庵がついて、竹皮でつつんでいた。
5銭で安くなかったが、好評だったらしい。
5銭の価値が俺にはわかりません
93 :
日本@名無史さん:04/02/22 10:13
ホームに着くと、
ホームに飛び降りて、
蕎麦屋に駆け込み、
数秒で蕎麦を平らげ、
発車ベルが鳴ると、
列車に飛び乗る。
そんな通が
結構いた。
94 :
日本@名無史さん:04/02/22 11:28
箱根登山鉄道は標準軌を採用。
一方、小田急は狭軌だが、
箱根登山鉄道の小田原・箱根湯本間に乗り入れている。
小田原・箱根湯本間は三線式。
標準軌、狭軌双方の電車が走る。
95 :
日本@名無史さん:04/02/23 12:08
列車のトイレが垂れ流しだった頃、
担任が踏み切りで黄色い粒粒を浴びた話をしていた。
トイレに走行中に用を足すように注意書きが書いてあったし、
飛散した物体の行方が心配だった。
97 :
日本@名無史さん:04/02/23 14:20
黄害裁判があった。
98 :
日本@名無史さん:04/03/14 05:43
肥薩新特急age
99 :
日本@名無史さん:04/03/14 13:41
大井川鉄道のSL復活!!
鉄道板かどっかに同じようなスレあっただろ!!
>>1
鉄道マニアの盗難事件は鉄道の日本史に残るだろうな。
京阪は政友会系の会社
南海は憲政会、民政党系
両者の大阪和歌山間の死闘は有名
他にも東武、京成の浅草乗り入れや
新京阪、西武対東急も有名
ソ連にあれだけボロ負けしてそれでも戦争やりたがる陸軍ってよくわからん
誤爆
105 :
日本@名無史さん:04/03/25 04:20
>>100 それだと会社別に細分化されすぎて面白くないよ
>>84 ところが艦載機の地上攻撃が始まると、
煙を出して走る蒸機は格好のエサになったという皮肉
軍艦のように煙を出さない工夫をしていなかった青函などの連絡線も同様
106 :
日本@名無史さん:04/03/28 07:32
つばめ物語age
107 :
日本@名無史さん:04/04/04 21:07
>83
どうかな?道路が出来て鉄道が通るようになると過疎化が進むのでは?
「直ぐに帰ってこれる」からこそ、ますます都会へ出るようになるし。
109 :
日本@名無史さん:04/04/12 00:43
経済格差がありすぎる地域同士を結ぶと、人もモノも、片方からもう片方へ一方的に吸い寄せられるだけになって、ますます過疎化が進む。
長野新幹線開業後の長野や明石海峡大橋開業後の徳島なんかはその好例。
大都市への日帰り可能圏になったことから、企業の多くは経費節減のために現地事務所を閉鎖。
その結果、地元経済はさらに不振となる悪循環。
110 :
日本@名無史さん:04/04/12 00:45
>>109 それでも九州や東北には新幹線は延び続ける。いつまで続く馬鹿査定。
111 :
日本@名無史さん:04/04/12 02:17
新幹線が本当に必要だったのは、東京〜新大阪の東海道新幹線だけ。
山陽新幹線ですら赤字なのが現状。
東北新幹線に至っては、比較的需要がありそうな仙台以南に限っても赤字。
113 :
日本@名無史さん:04/04/12 12:06
>>111 「赤字」のソースを示して頂けますか?
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kendosomu/shin-eki/forum-kityou2.htm この人なんかは、
>新聞等で、新幹線は赤字であるということが書かれます。
>しかし、既存の新幹線で、将来性が疑われるような赤字の新幹線はないのではないかと私は思っています。
>東海道新幹線、山陽新幹線はもちろん黒字です。
>東北新幹線も、減価償却、金利などの、いわゆる資本費負担が大きいのですが黒字化していると考えられます。
>上越新幹線も東北新幹線ほどではないにしても、相当利用されており、かなり好調なのではないでしょうか。
>いずれにしても、新幹線の問題というのは、数字が明らかにされませんので、かなりの誤解ですとか、
>理解されないところがあるのかなというのが私の実感でございます。
と言ってるみたいですが。
# 但し、この人は「長野新幹線」については一切言及していない様ですが…
赤字と言えばむしろ大工事があった東京−大宮間があやしい
116 :
日本@名無史さん:04/04/12 21:28
>>16 もっとも日本の初期の鉄道建設の中心的存在だった井上勝は東海道と中山道の両睨みで計画を進めていた。
「中仙道線建設のための資材運搬」を理由に的外れの名古屋方面に線路を引いた訳だし…。
田中角栄の最大の問題点は「利害調整の棚上げ」
公共投資の配分にしても、予算の分捕り合戦を防ぐために
妙なスキムを作って、「皆が満足する」結論を出そうとする。
「田中裁定」での四国の橋3本が一番有名だろうが、
彼が作った鉄建公団もその象徴と言える。運輸省の命令で
線路を作り、金は国鉄が払うというトンデモシステム。
(国鉄には決定権も拒否権もなし)
財源を当面は気にしなくていいので、大蔵省も国民も地方の
人間も誰も困らない。困るのは国鉄だけ。だから日本中で線路
クレクレ状態になった。まさに今の高速道路と同じ。
(ここが整備新幹線との最大の違い。整備新幹線は投資の殆どを
国と地方自治体で担う)
東北上越新幹線という有益な投資もあったが、彼の時代に
建設が始められ、結局未完成のまま放棄された路線や
分割民営化時にあっさり廃止された路線は数限りない。
118 :
日本@名無史さん:04/04/13 01:27
>>107 昔、京阪には和歌山市内線という併用軌道線があったんだよ。
京阪はその他にも南海に対抗して阪和電鉄(現在のJR阪和線)建設に肩入れしたりもした。
何しろ三代目の社長の岡崎邦輔という人が和歌山出身だったからね。
ちなみにその和歌山市内線は財政難の折、京阪は売却してしまいいくつかの会社を経て南海に
併合された。どうやら京阪の狙いはこの軌道線よりも和歌山水力の電力事業にあったようだ。
鉄道史ファンの必読書
●東武ファン
「東武王国−小説根津嘉一郎−」 若山三郎
●西武ファン
「西武王国−堤一族の血と野望 −」 上之郷利昭
●東急ファン
「東急王国」 大下英治
「もう一人の五島慶太伝」 太田次男
「飛竜の如く 小説五島慶太」 広瀬仁紀
「ビッグボーイの生涯―五島昇その人」 城山三郎
●小田急ファン
「明治の気骨 利光鶴松伝」 渡辺行男
●阪急ファン
「小説小林一三」 咲村観
「わが小林一三−清く正しく美しく」 阪田寛夫
「逸翁自叙伝」 小林一三
●阪神ファン
「阪神の百年を創った男−外山脩造伝」 竹田土岐夫
●南海ファン
「気張る男」 城山三郎
「藤田伝三郎の雄渾なる生涯」 砂川幸雄
●京阪ファン
「雄気堂々」 城山三郎
「剣客豹変−小説土居通夫」 小島直記
「通天閣−第七代大阪商業会議所会頭・土居通夫の生涯」 木下博民
●近鉄ファン
「東への鉄路−近鉄創世記」 木下正次
「世評正しからず―銀行家・岩下清周の闘い」 海原卓
121 :
日本@名無史さん:04/05/02 00:37
●阪神ファン
「夢 命を懸けたV達成への647日」 星野仙一
●西武ファン
「『勝ち続ける』ために何をすべきか 強い集団は、こう作る」 森祇晶
●近鉄ファン
「僕のトルネード戦記」 野茂英雄
●阪急ファン
「300勝に賭けるサブマリン」 山田久志
●西鉄ファン
「神様、仏様、稲尾様」 稲尾和久
122 :
日本@名無史さん:04/05/02 16:24
123 :
日本@名無史さん:04/05/02 17:42
>>116さん、確かこういう話も聞いた。
碓氷峠のドラマが生れたそもそものはじまりは、鉄道のことが分かっていない政府のお偉方
が、「中山道の鉄道版を作れ、おいおい、そんな蛇のように曲がったコースは要らぬ、
真っ直ぐに通せ」というような趣旨の命令をしたからとか。
124 :
日本@名無史さん:04/05/02 18:55
>>123 当時、松方緊縮財政で鉄道建設そのものに反対していた者が多かった。
賛成派を増やす工作の中で有力者になり得る軍が海岸沿いだと敵軍に奪われる可能性があるからと内陸の中仙道ルートでの建設を求めた。
また、当時は海上交通も可能な東海道沿いよりも、経済的に後発的な中仙道に鉄道を先に通して交通が不便な長野・岐阜方面の経済発展を促すべきという考えもあった。
だから、中仙道優先で作らなければ、鉄道建設そのものが(政治・財政的理由により)中止される可能性もあった。
>>124 そう。
東海道は艦砲射撃を受ければ終わりだからと軍が中山道ルートを主張した。
また中山道ルートだと日本海側に抜けられて、東京と北陸・越後が鉄路で
つながるというメリットもあった。一旦中山道で決定したが、
測量の結果、和田峠が当時の技術では越えられないと判り、中山道ルートは
建設されなかったが、北陸・越後と東京をつなぐために信越線が建設された。
明治時代、日本で一番人口の多い都道府県は新潟県だったからね。信越線建設は
かなり重要視された。
126 :
日本@名無史さん:04/05/04 22:34
そうだ。
明治の初めの頃政府のランク付けによると
1東京
2京都
3大阪
4新潟
だもんな。
>>122 岡崎邦輔は政友会の議員で京阪発足当初から発起人の一人として名前を連ねていたが、
官線との競合問題など難題を政治的に解決したのはこの人だとも言われている。
京阪と政友会の結びつきはこの人を通じて出来たのだと思うが、岡崎の跡を継いだ
太田社長の時代には小川平吉鉄相(この人も政友会)の関与した5大私鉄疑獄事件が起こった。
ちなみに岡崎の前の社長は土居通夫という人だったのだがこの人は幕末の京都で
坂本竜馬の用心棒みたいなことをしていた。土居は司馬遼太郎の小説「花屋町の襲撃」
の主人公後家鞘の彦六のモデルにもなっている。この小説で彦六は坂本竜馬の敵討ちに
新撰組の斉藤の右腕を斬ったとなっているが、実際には壬生の屯所へ殴りこみをかけよう
としたところ同志の薩摩藩士中井弘蔵に止められている。
今、京阪電鉄は新撰組を京都観光の目玉にしているがこれを土居が知ったらびっくりするだろうな(w
128 :
日本@名無史さん:04/05/15 14:17
>>127 補足:元駐タイ大使で外交評論家の岡崎久彦は邦輔の孫らしい。
129 :
日本@名無史さん:04/06/09 22:51
日本の国鉄は狭軌だが車輛規格はヨーロッパ大陸標準サイズを目標に
拡大してったので、箱はほぼヨーロッパサイズ。
昭和63年に来日したオリエント急行が走れたのはそのせい。
満鉄はペンシルベニア鉄道を手本にしたのでアメリカンサイズ。
あじあ号も弾丸列車構想もそのサイズ。だから弾丸列車の
生まれかわりの新幹線もほぼアメリカンサイズ。
満鉄の影響下にあった鮮鉄も同じサイズ。だから当然今の韓国国鉄の
在来線もそのサイズ。
でもKTXはフランス在来線と直通するTGVまんまだから当然
ヨーロッパサイズ。ゆえに日本の在来線と同サイズ。
というわけでKの国では新幹線と在来線のサイズが逆。
なんとも斜め上。
131 :
日本@名無史さん:04/06/15 04:03
>>130 面白いことを聞いた。
確か大正くらいに日本の鉄道を標準軌にする案があったらしいが、実際に将来の標準軌化を想定して欧州サイズに合わせたのだろうか?
132 :
日本@名無史さん:04/06/15 04:22
>131
もちろん「広軌」改築も念頭にあったでしょうが
とりあえず「国際水準」をめざしたもののようです。
日露戦争後、満鉄を入手し、鮮鉄が成立し、私鉄が官鉄に統合され
国鉄が生まれました。
これによって欧亜連絡運輸が始まりましたし、連絡列車として
「特別急行」(最初の特急、のちの「富士」)も生まれました。
当時オリエント急行などで有名な国際寝台車会社のワゴン・リが
東清鉄道の長春駅まで来てましたし、国際列車では
台車履き替えによる異軌間直通や連絡船による客車航送などは
一般的ですから、あるいはワゴン・リの東京直通も念頭に
あったはずです。
もうすこしロシア革命が遅ければ東京駅発の巴里北駅行
シベリア・オリエント急行が実現した公算が強いでしょう。
あ、水野晴男は乗ってません。きっとw
134 :
日本@名無史さん:04/07/22 12:41
そのまえに戦前の日本に朝鮮海峡を海底トンネルかなんかで結ぶ計画はあったの?
135 :
日本@名無史さん:04/07/22 14:23
>>134 その場合、海底トンネルで繋ぐのは朝鮮海峡なのか?
それとも、間宮海峡なのか?
137 :
日本@名無史さん:04/08/14 10:23
138 :
日本@名無史さん:04/08/14 12:30
原武史氏はやっぱり「鉄ちゃん」?
139 :
日本@名無史さん:04/08/14 20:05
鉄道公安官という制度は非常に興味深い。
なんと言っても拳銃所持!
バス・船舶・航空にはみられん制度だ…(もちろん自衛隊・警察・海上保安庁関係は除く)
>>86 山陽新幹線の原因とその本で主に書かれていることは違うと思った。
内壁コンクリート接合不良箇所への複雑(パンタ多かった)かつ大断面(ダブルデッカー)の高速列車による
空力的加振でしょうか?>原因
今の列車は小断面で比較的断面形状も簡素化されたのが多く、空力面では改善されているとは思う。
142 :
日本@名無史さん:04/09/15 20:57:43
沖縄以外の46道府県で最後に線路が引かれた県はどこですか?
143 :
日本@名無史さん:04/10/04 20:10:20
高知県です
144 :
日本@名無史さん:04/10/18 19:13:57
何といっても最大の失策は、在来線の線路幅を新幹線と同じ世界標準に拡幅出来なかったことに尽きる。
連結機は1日で出来たのに。TGVや韓国新幹線じゃないが、山形秋田新幹線の例とか、(淀川を二回渡るから)新大阪など作らず直接大阪駅に乗り入れられ
東北上越新幹線も大宮以南を作らなくて良かった?そして青函トンネルにそのまま新幹線が走らされる。特殊列車など作らなくても。
145 :
日本@名無史さん:04/11/17 23:11:17
146 :
日本@名無史さん:04/11/20 17:48:23
成田新幹線構想
空港から都内を30分で結ぶはずだったが・・・・
147 :
日本@名無史さん:04/11/20 19:45:35
>>146 成田新幹線構想は、アクアライン並のヴァカ構想
石原信太郎が潰してくれてホントに良かった
148 :
日本@名無史さん:04/11/21 19:56:10
成田新幹線が着工していたら立ち退きでガクガクブルブルだったかも。
丸の内の国鉄本社がゲリラに狙われていたかも。
149 :
日本@名無史さん:04/12/03 18:45:03
150 :
日本@名無史さん:05/01/01 12:37:56
151 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:30:25
何で新幹線って民鉄が勝手につくったり出来ないの?
計画や建設を決めてるのは政治家とか役人ばかりじゃないか
これじゃ何のためにJRを民営分割したのかよくわからない
新幹線の自由化を!
152 :
日本@名無史さん:05/01/05 03:55:41
民間が作るにはあまりにも建設コストが膨大だとおもう
153 :
日本@名無史さん:05/01/08 01:34:31
そのための規制緩和なんですよ
>>124、125
そう言えば、日本各地に鉄道忌避伝説というのがあるようだが、
よくよく調べて見るとそれは後世になって作り上げられたものという
事例も多いらしいね。
実際は、殖産興業・富国強兵という政府方針のため、あるいは
当時の技術力ではそれらの町に鉄道を通すことが極めて困難だった
というのが多いらしい。
だけどそういう伝説が作られたというのは、彼らの子孫が自分の住む町
に鉄道が通らなかったがために町が衰退してしまったという恨み、無念さ
というものが相当強かったということなんだろうか?
155 :
日本@名無史さん:05/01/14 18:39:36
スレ違い甚だしいかもしませんが書かせてください。
明治以降で、都市計画と鉄道をからめて卒論を書きたい史学科3年です
概要レポを出せって言われて、とりあえず後藤新平とか見て見たけど
なんか違う気が。。満鉄とか鉄道省とかやってるけど
都市計画とどうやってからめたらいいんだろう。。
何かアドバイスとか頂けないでしょうか。。
156 :
日本@名無史さん:05/01/14 22:46:11
<144
そもそも、青函トンネルは広軌規格を念頭に作ってあるのだが...
まぁ、仮に日本の鉄道がすべて広軌規格になったとしても、当時の
土木技術の限界から山を避けて通す曲率の多いカーブ、貨物/
短距離/長距離優等列車が混在する状況が続くことを考えると
時間当たりの最大輸送量は増えるが(特に貨物)スピードは
狭軌の時とそう変わりないのではないかと思う。
そう考えると、狭軌のまま線形の改良やネットワークの整備を続けて
いったのは失策ではなく、最良の判断ではないかと思う
157 :
日本@名無史さん:05/01/14 23:40:34
>>155 阪急の小林モデルを研究するとか渋澤の田園都市計画を研究するとか色々あると思うが。
158 :
155:05/01/15 01:25:35
>>157 レスありがとうございます
確かに都市計画で鉄道と言えば田園都市が有名ですよね。
でももうちょっと首都圏なことがやりたくて。
他のスレで原田勝正の論文進めて頂いたので、とりあえずよんでみます
どうもありがとうございます!
159 :
日本@名無史さん:05/02/24 20:56:47
中央林間都市
162 :
日本@名無史さん:05/03/20 05:36:38
鉄道の日本史は堤家の歴史
大阪市の地下鉄モンロー主義と
東京都の地下鉄相互乗り入れとか
164 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 23:45:58
阪神電気鉄道が今月の12日で開業100周年を迎えますね。
河井継之助の学僕であった外山脩造氏が明治39年4月12日に大阪−神戸間に
日本初のインターバーン阪神電気鉄道を開通させて早や100年。
時代の流れを感じますなあ・・・
阪神急行電鉄
って関西人らしい嫌味なネーミングだと思う
なして?京浜急行電鉄 とどう違うのよ
>>166 京浜電鉄について詳しく教えてください。
168 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:56:12
また新しい鉄道の歴史だ
>>166 阪神電鉄に対して阪神「急行」電鉄。
京浜急行電鉄とはそこが違う。
170 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 16:11:22
しかしよくよく考えてみると阪神電鉄に対して阪神急行電鉄という名称を関係各省はよく許可したなと思う。
今の時代だったら絶対特許の件で裁判沙汰になっていたと思うな。
「阪神優勝電鉄」なら大丈夫
173 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:34:34
へえ
174 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 00:46:41
だめだろ
175 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:42:35
そうやね
176 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 04:58:28
あのお〜
ところで、どうして日本は世界でも有数な鉄道社会になったの?
もともと日本に鉄道を広げたのには、アメリカが自動車社会になったようにわけがあるはず
分からない。。。
177 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 14:35:41
阪神優勝の1962年1964年1985年2003年が阪神ファンの日本史
178 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 01:46:31
179 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:10:35
>>176 日本は馬車時代を経ずいきなり文明開化で鉄道時代に突入したため、
ヘボすぎる道を馬車規格に直すコストと、それで得られる輸送力を比べれば、
新規に鉄道(軽便鉄道を含む)を引く投資を行っても得るものが多かった点。
鉄道社会といっても大正時代の日本地図なんかを見ればケタ外れ、
全国網の目のように鉄道が延びて、もの凄い事になってるよ。
だからそれなりに道路整備が進み、自動車が登場する昭和初期には
早くも赤字ローカル線問題が発生、かなりの数の鉄道が廃業している。
もちろん基本的には戦後GHQに酷評されたような「世界有数の悪路、国道ならぬ酷道」
状態が昭和30年代後半まで続き、国鉄は繁栄を謳歌する訳だが。
それとアメリカのように都市と人跡未踏の地が隣り合わせな国土とは違って
日本は山国とはいえ、多少でも平地があればそこには集落が存在する人口分散型の国土。
全区間で満遍なく需要が見込める訳で、経営面でも鉄道に向いた国だったと。
180 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 00:18:11
>>176 国土の広さだろ
米国
遠距離・・・飛行機
近距離・・・自動車
日本
遠距離も近距離も鉄道
181 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 01:54:37
182 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:12:14
183 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:27:21
でもちょんまげゆってた江戸時代が終わってから、たった4年で鉄道が走ったってことがすごいと思います。
まあ江戸時代もある意味欧米先進国を超える教育水準だったからねえ。
一般国民も6〜7才から外国語教育(漢文)を平然とこなし、内容は歴史及び哲学の
基本的諸問題(教科書は論語・大学・日本外史など)ときたからたまらない。
明治初期の高等小学校(念のため大学院・研究所ではない)の試験問題がまたすごい。
[国家への義務の諸様相]とか経済とは何ぞや]とか。14〜5歳の人が、
フランスの高等師範入試並みのレベルの問題なのに見事な答案をすらすら書いていた。
欧米人の考えたことなど、おちゃのこさいさい、すぐ自分たちにもできたんだろう。
185 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:43:53
186 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 20:12:06
>>176
日本人はもともと時間に几帳面だったことも理由だったりして。
江戸時代にはすでに精密なダイヤがあったし。
「定刻発車」にくわしい。
自動車は高価なモノって認識もあるしな。
車体、燃料、道路その他課税しまくりで発達を妨げた。
188 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 12:18:05
そうかね?
【幕末の英雄たちと深く関わった関西私鉄の創業者たち】
・阪神電気鉄道初代社長 外山脩造
長岡藩家老河井継之助の学僕として仕え北越戦争では幕府側に立って戦う。
師の河井が戦死したのち新政府の大蔵省銀行課に入省、一年の勤務を経て
第三十二国立銀行建て直しのために来阪、同行の総監に就く。
その後大阪を舞台にさまざまな分野の事業に着手、特に力を入れたのは
電気鉄道事業で京都電気鉄道(のちの京都市電)の設立に協力する。
その関係から日本初のインターバーン阪神電気鉄道の設立発起人となり、
同社の初代取締役社長に就任する。
・南海電気鉄道の前身阪堺鉄道創業者 藤田傳三郎
長州藩高杉晋作の創立した奇兵隊に加わり、松下村塾の志士たち(伊藤博文、
井上馨ら)と交わり財政面で彼らを支える。維新後は大阪で藤田組を興し軍用靴
の製造販売で財をなし、鉱業、建設業その他さまざまな分野で事業を展開する。
京都−大阪間の官設鉄道(現東海道本線)の工事を請け負ったのが鉄道事業
に関わるきっかけとなり松本重太郎らとともに阪堺鉄道設立の発起人となる。
・京阪電気鉄道 設立発起人及び相談役 渋沢栄一
十五代将軍徳川慶喜に仕え幕臣となり、将軍の弟昭武につき従い万博使節団
としてパリに出立、約一年間の滞在で先進の欧州の思想、文化、社会に影響を
受ける。 大政奉還の知らせを受け急遽帰国、一時静岡藩に仕えるが大隈重信
の説得により大蔵省に迎えられる。 その後大蔵省を辞し第一国立銀行総監役
となり数百の会社設立に関与し日本近代資本主義の父と呼ばれるようになる。
晩年、京阪電気鉄道の会社設立発起人委員長となる。
・京阪電気鉄道二代目社長 土居通夫
愛媛県宇和島生まれで、大阪で両替商の手代で働くかたわら若き日の坂本龍馬と交流を
通じて志士となり鳥羽伏見の戦いでは新政府軍の兵糧確保に尽力しその功績が称えられ
維新後は司法関係の役人となるが鴻池家の顧問となり大阪電灯の設立等に尽力する。
その電灯事業の関連から京阪電鉄初代社長、田邊貞吉氏に代わって同社二代目社長
として迎えられる。
190 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 15:59:28
age
191 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:37:18
放火された下関駅舎、1942年の建築であったそうです。
立替の予定があったそうですが、移築されたかもしれないものを。
193 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:38:02
急行「あだたら」の画像はどこかに無いのか?
194 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 01:30:49
こと鉄道の発展を見る限り、これだけ知的資産に恵まれた日本がなぜ長らく貧乏だったのか、
不思議になってくるね。
今でも、アフリカの小国が、最初の技術支援をちょっとやったら早くも自給自足の欲に目覚め
勝手に知識を応用して鉄道を引き出し、放っておいたらいつのまにか新幹線を作り上げてました、
なんてことになったらびっくらこくと思う。
195 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 20:37:28
196 :
ノビノビシート:2006/02/27(月) 21:04:31
春のダイヤ改正で、また一つ寝台特急『出雲』がなくなるのは寂しいな
二十年前の
夕刻からの東京駅は、西へ向かう青い車体で賑わっていたのに……
197 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 00:49:18
今や夜間の長距離移動は長距離バスになってしまった。とにかく安い。JRの
寝台特急は高すぎる。まあ逆にオリエント急行のまねしたカシオペア・北斗星・
トワイライトエキスプレスはある程度成功した。なぜ九州・西日本方面の寝台
特急はカシオペアタイプが出来ないんだろうか?あさかぜで個室やってたが中途半端。
多分ブルートレインは5年のうちに全滅するだろう。さびしい限りだ。
198 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 12:45:00
199 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:19:48
200 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 15:37:54
何で新幹線って民鉄が勝手につくったり出来ないの?
計画や建設を決めてるのは政治家とか役人ばかりじゃないか
これじゃ何のためにJRを民営分割したのかよくわからない
新幹線の自由化を!
201 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:59:20
りにあだ
>>200 そのために国鉄を分割民営化したんですよ。
JRという民鉄が新幹線経営してるんだから無問題。
てな感じの言葉のマジックが最近まかり通ってるような気がするなぁorz
203 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:06:23
また統一するよ
204 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 15:18:27
それはもうないよ
205 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 21:48:01
んが
206 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 02:04:57
ゆりかもめ
207 :
日本@名無史さん:2006/08/28(月) 00:44:36
鉄道会議
208 :
日本@名無史さん:2006/10/12(木) 20:26:44
線路の保守
人口減るんだから新幹線なんていらねーよな。
210 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 16:42:21
イランな
鉄オタは果てしなくバカだなw
一度説明して欲しかったんだけど鉄道史ヲタって鉄ヲタと日本史ヲタと
どっちの含有率が多いの?
この世で鉄に優るもの無し。
電気製品でもクルマでもなんでも日本史板でいいことになるな。
世間からずれてる鉄オタは巣に帰れ。
あと、文化や風俗、政治経済も日本史板でいいことになってしまう。
>>197 >カシオペア・北斗星・トワイライトエキスプレスはある程度成功した。
マジレスすると、全て北海道行き。
北海道と沖縄って、内地とは植生が違うし、外国っぽいじゃん。
九州は「内地」であって、基本的に東京と何も変わらない。
青函トンネルくぐって「外国」へ逝く感じが受けている。
217 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 16:14:46
あげ床ー
218 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 23:00:00
219 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:57:58
ho
>>179 >それとアメリカのように都市と人跡未踏の地が隣り合わせな国土とは違って
>日本は山国とはいえ、多少でも平地があればそこには集落が存在する人口分散型の国土。
>全区間で満遍なく需要が見込める訳で、経営面でも鉄道に向いた国だったと。
逆にいえば、日本国内では比較的アメリカ型に近かった北海道は、
国鉄民営化前後の赤字路線の整理で、半分以上の路線が消滅してしまったのね。
221 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 05:05:43
へえ
222 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 09:47:24
鉄道の日本史じゃなくて日本の鉄道史じゃないのか
223 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 14:37:41
関西本線はどうして単線非電化なの?
>>223 旧関西電鉄の外様路線で、
現在でも亀山で倒壊と酉に別れているために
直通列車を走らせる事ができないから。
地味な複線武蔵野線
226 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 17:53:31
>>223-224 JRも近鉄も他はみんな復旧したのに、関西本線の亀山〜加茂だけ現在も不通だって。
地味な複線東武野田線
228 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 19:42:59
229 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 23:32:07
日本最初の電気鉄道は京都ですね。
230 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 23:44:00
路面電車か。
231 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 18:26:41
京都うしぐるま線 特別急行ごしらかわ号
>>229 琵琶湖疎水を引いて、その落差を利用して蹴上で発電したのはいいけど、
作った電気の使い道がなかったから、電車を導入した。
233 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 22:29:34
>>232 >作った電気の使い道がなかったから
よくもまあこんな嘘が平気で書けたものだ。京都電燈株式会社が蹴上の水力
発電によって電燈をいっそう普及させ、コストを下げることもできたのを
知らないのか?
なお、蹴上の水力発電所は日本初であることはもちろん、世界でも2番目に
できたわけだがね。
>>233 >京都電燈株式会社が蹴上の水力発電によって電燈をいっそう普及させ
ヲイヲイ、蹴上の発電所が出来るまでは、当然ながら電燈なんてなかった。
発電所が出来たから電燈ができた。でも電燈なんて夜しか使わない。
昼間の電気の使い道がないから、市電を走らせた。
>蹴上の水力発電所は日本初であることはもちろん、世界でも2番目にできたわけだがね。
嘘はイカンよ、嘘はw
蹴上発電所が出来たのは1892年。
日本初の水力発電所は1888年完成の宮城県の三居沢水力発電所。
1992年なんて、欧米では水力発電所なんて珍しくも無かった。
蹴上水力発電所が「世界でも2番目」と言うソースを出してね。
>>234 必死だなww
>1992年なんて、欧米では水力発電所なんて珍しくも無かった。
日本でだって珍しくなかったが?
無知なのか嘘つきなのか。もう少し調べてから発言してくれ。
あと、人にソースを要求するならまず自分がソースを明らかにすること。
それまで、こっちもソースを晒す気はない。
つーかそのくらい自分で調べろってw
>>233 > 蹴上の水力発電所は日本初であることはもちろん、世界でも2番目に
できたわけだがね。
と言いながら、
>>235 > 日本でだって珍しくなかったが?
と、矛盾した事を書いている。よほどIQが低いんだなw
まずアホ君は、蹴上発電所が日本で初めての水力発電所でない事は認めるな?
237 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 19:30:10
>>234はなんで勝手に1892年を1992年に変えているのか?
日本では1891(明治24)年に京都市が蹴上発電所の運転を開始したのが
事業用水力発電の最初となります。
http://www.tepco.co.jp/shiryokan/colum04-j.html 仙台の三居沢発電所は1908年に竣工し、1909年に営業運転を開始した。
水力発電で電灯を点したのは三居沢にあった宮城紡績株式会社で、水力発電
による点灯ではこれが日本初だが、水力発電所があったわけではない。
日本初の水力発電による点灯と、日本初の水力発電所の建設を混同しては
ならない。日本初の水力発電所は京都の蹴上発電所。
238 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 19:56:03
>>234が書いている「日本初の水力発電所は1888年完成の宮城県の三居沢水力発電所」
というのは誤っている。三居沢水力発電所の竣工は1908年。1888年は、宮城紡績株式会社が
水力を使って自家発電をやった年であり、水力発電所を建設したわけではない。
こういう水力自家発電ならば、世界初は1878年にフランスのセルメーズで行われている。
だが、水力発電所ということになると世界初はアメリカのアップルトン発電所であり、
その次が日本の蹴上発電所。
>>238 >1888年は、宮城紡績株式会社が水力を使って自家発電をやった年であり、
>水力発電所を建設したわけではない。
意味不明。
「水力で自家発電するのを水力発電とは言わない」と言いたいの?w
水力を使って発電する事を水力発電と言いますが、何か?
241 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:17:27
>>239 頭が悪いのか?
日本初の水力発電の話をしているのではない。日本初の水力発電所の話を
している。日本初の水力自家発電をやったのは、宮城紡績株式会社が自家用に
やっただけであり、水力発電所を建設して発電事業をやったわけではない。
日本初、世界で2番目の水力発電所は京都の蹴上発電所。蹴上発電所が竣工した
年には、三居沢水力発電所はまだ存在していない。
242 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:23:44
>>241 > 日本初の水力発電の話をしているのではない。日本初の水力発電所の話を
している。
勝手に決めるな。水力自家発電ならどうして水力発電じゃないんだ?
説明して見ろよ。
>>242 > 本建屋は
義務教育受けているのか?w
今の建屋だろ。
244 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:36:11
>>234の誤りをもうひとつ。
>蹴上の発電所が出来るまでは、当然ながら電燈なんてなかった。
京都電燈の創業は1888年で、石炭による火力発電で送電事業を行っていた。
蹴上発電所が出来て、これを水力発電に変えた。
なお、京都電燈は日本で4番目の電燈会社。
>>244 > 蹴上発電所が出来て、これを水力発電に変えた。
当時は家電製品や重電機械なんてないから、電車事業は数少ない安定需要先。
それで電車事業を始めたんだが。
このバカは何をケチつけているんだか?
246 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:44:02
>>243 そちらが難癖をつける前に、こちらは水力発電所の話をしている。
水力自家発電の話などしていない。そんなものは電気鉄道に何の
関係もないから。
1888年に宮城紡績株式会社が水力自家発電をやったのが、日本の
「水力発電」の最初であることを否定などしていない。否定しているのは、
1888年の仙台に「三居沢水力発電所」があり、送電事業を行っていたという
ことだ。そのような事実はどこにもない。
247 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:48:17
>>245 >蹴上の発電所が出来るまでは、当然ながら電燈なんてなかった。
これに対して、蹴上の発電所が出来る前も京都には電燈があったという
事実を述べただけ。
248 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:53:57
三居沢水力発電所に関しては、この資料がわかりやすく書いてある。
明治21年(1888年)に日本で初めて水力発電を行った場所です。
当時は発電所はなく、「宮城紡績株式会社」があり、夜のあいだ
電灯をともすために、工場内の水力を利用して発電していました。
その後、明治27年(1894年)には、仙台市内に電灯がともり、
電気と一緒に暮らす生活が始まりました。
現在の三居沢発電所は明治43年(1910年)に運転を開始し、
昭和53年(1978年)に、遠隔監視・制御により無人化され、
今でも発電を続けています。
http://www.udworks.net/scp_nb.php?eid=00054
>>246 だからさ、自家水力発電が、どうして水力発電じゃないんだ?????
説明してくれ、誰が決めたんだ???
250 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 22:48:43
>>249 水力自家発電が水力発電ではないなどと誰がどこで書いたのか?
お前ら、いいかげんにせんかい!
互いの説明力、理解力の無さを晒しあってるだけだぞ。
252 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 23:10:07
まとめ
日本初、世界でも2番目の水力発電所である蹴上発電所からの送電によって、
京都は日本初の電気鉄道を実現させた。
>>250 自家発でも水力発電は水力発電なのに
オツムの弱いヴァカがこういう風に書いている↓
246 :日本@名無史さん :2007/04/17(火) 20:44:02
>>243 そちらが難癖をつける前に、こちらは水力発電所の話をしている。
水力自家発電の話などしていない。そんなものは電気鉄道に何の
関係もないから。
京都市電と疎水を語らせると熱いヲタが大勢いることが分かって勉強になりました。
>>234 >日本初の水力発電所は1888年完成の宮城県の三居沢水力発電所。
これはもう言い逃れできないだろ