1 :
日本@名無史さん:
超スーパーヒーロー。
FFの主人公にしてもまだ足りないほど絵に描いたような英雄。
そして若い頃は皇子で、歳そこそこいってから
皇位を継いで天皇と、白馬の王子様大爆発。
さあ語れ
おまんこ女学院
3 :
日本@名無史さん:04/01/11 05:45
ただの人殺しじゃん
あ、英雄って殺人鬼のことか。
近親相姦
5 :
日本@名無史さん:04/01/11 07:48
はじめは古人大兄皇子が「大兄皇子」だったんだろ?
謀殺しといてからに。
小説用スレがありますよ
7 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:21
超スーパーヒーロー。
8 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:30
小中大兄弟皇子
9 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:31
蘇我入鹿を斬る役目の者は、入鹿に震え上がり、事を起こせず。
しかし失敗かと思われたその時、皇子自ら剣を抜きやあと斬りかかる。
それに勇気を覚え皆が続き、蘇我氏は誅戮された。
そして皇子は天皇の前にひざまずき、
蘇我氏の今までの謀略悪事を申し上げた。
10 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:36
蘇我氏=朝鮮人
11 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:46
超スーパーヒーロー。
12 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:54
>>3 朝鮮から来て、日本を徐々に侵食しようとし、皇族を滅ぼしていった
蘇我氏は万死に値する。やってただの人殺しな訳がない。
>>4 お前に 妹萌え を責める事ができるのか?
>>5 運命です。
13 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:00
妹がお兄ちゃん好きだったんだよ。
違った?
両思いだっけ?
14 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:20
天智ってチョンでしょ
チョンがヒーローって、在日ウヨの妄想
15 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:30
蘇我氏はチョンの侵略から倭国を守ろうとした英雄だ。
暗殺されてチョン(天智)のために百済を援助させられた。
それ以来日本は常にチョンの支配下。チョンを追い出せ!
蘇我氏は日本人のヒーローだ!
16 :
日本@名無史さん:04/01/11 18:02
天皇家がチョンって言うけど、
高句麗・百済などの時代の朝鮮は、むしろ日本と同じ文化圏。
新羅が半島を統一してから支那文化圏に入ったんだから、
確かに任那は天皇家の故郷だろうけど、
今の朝鮮人とは全然違う。
六四五年六月十二日、いよいよ計画を決行する時がきた。
皇極女帝は古人皇子をそばにしたがえて、板蓋(いたぶき)の宮の大極殿にすがたをあらわした。
朝鮮からの使いが、天皇にみつぎものをとどけてきたので、それをうける儀式のためである。
しかし、これは、守りをかたくして、屋敷を出ない入鹿をおびきよせるための口実で、朝鮮の使いはにせ者だった。
あらかじめ、役割が決められていた。
石川麻呂は朝鮮からの手紙をよむ役。佐伯子麻呂(さえきのこまろ)と犬養網田(いぬかいのあみた)とは、ちょくせつ、入鹿をきる役。
中大兄皇子と鎌足は、まんいち、てちがいなどがおこったときに、どんな変化にもおうじてうごけるように、ひかえていることになった。
鎌足は剣(つるぎ)をさしだし、子麻呂と網田に、「しっかりやるんだぞ。いっきにころしてしまえ」とめいじていた。
ゆうかんな男、として名まえがとどろいている二人だったが、興奮のあまり、
食事がのどをとおらなかった。水をかけて流しこんだが、たちまち、ゲェ、ゲーとはきだしてしまう。
「おもったより、いくじがないやつらだな。男なら、もっとしっかりしろ。成功すれば、ほうびは望みのままだぞ」
鎌足は、二人のせなかを、ドンとたたいて勇気づけた。
入鹿の屋敷に、むかえの者がきた。朝鮮からの使いがついたという。
これだけは、大臣(おおおみ)としての役めから、どうしてもたちあわなければならない。
入鹿はおもい腰をあげ、玄関でくつをはこうとした。そのとき、くつがころがった。
「くつがはかれたくない、といってにげだしおる。なにかわるいことでもおこるのかな」
とじょうだんをいった入鹿の胸に、ふと、不吉なかげがよこぎった。
外をみると、いまにも雨がふりそうに、黒い雲がひくくたれこめている。
「きょうは気がすすまないなァ」とつぶやいている入鹿を、
「はやく、はやく、大臣(おおおみ)さま。外国のお使いをおむかえする、お式がはじまります」
あまり使いの者がせかせるので、入鹿はしぶしぶ屋敷の外へ出た。
入鹿はいつものように、腰に剣(つるぎ)をぶらさげたまま、大極殿にはいろうとした。
すると、前もって中大兄皇子にいいふくめられていた者が、入鹿をうまくだまして、剣(つるぎ)をとりあげた。
入鹿が大極殿にはいると、すぐに、中大兄皇子は兵にめいじて、宮殿の一二の門をしめさせた。入鹿を護衛してきた兵は、
一室にとじこめられた。
いよいよ儀式がはじまった。
石川麻呂は、皇極女帝のそばにひかえている入鹿の前で、朝鮮からの手紙をよみはじめた。
どんどんすすんで、よみおわりそうになっても、うちあわせどおりに、きる役めの者が出てこない。
石川麻呂はひたいにあぶらあせがにじんできた。全身にあせがふきだし、声が乱れる。
手紙を持っている手が、ブルブルふるえているのを、入鹿がみて、あやしみ、
「どうして、そのようにふるえるのか」
「あまりに女帝のおそばちかくにおりますので、おそれおおくて、ふるえるのでございます」
と石川麻呂は口ごもる。
よみおわっても、子麻呂も網田もすがたをあらわさない。もうすこしの時間もなかった。
ものかげから、ようすをうかがっていた中大兄皇子は、
「エイッ!」
と、さけび声をあげてとびだすと、かけよりざまに、入鹿の首にきりつけた。
「なッ、なにをするのだ」
20 :
日本@名無史さん:04/01/11 19:49
>天智ってチョンでしょチョンがヒーローって、在日ウヨの妄想
>蘇我氏はチョンの侵略から倭国を守ろうとした英雄だ。
>暗殺されてチョン(天智)のために百済を援助させられた。
>それ以来日本は常にチョンの支配下。チョンを追い出せ!
>蘇我氏は日本人のヒーローだ!
と逝ってる椰子が在日。
当時は世界のどこにもチョンなど存在していないw
蘇我は精神的チョンの先駆けw
蘇我を倒して日本人が総チョン化するのを防いだ中大兄皇子は
日本民族の救世主、スーパーヒーローだね
入鹿がおどろいて、たちあがろうとするところを、勇気づいた子麻呂が剣(つるぎ)をふりかざして、
足にきりつけた。たおれた入鹿は、血だらけで女帝のそばにころがりより、
「わたしはなぜ、こんな目にあうのか、わかりません。正しくおさばきください」
皇極女帝もおどろいて、
「これはどういうことですか!」
と、中大兄皇子にわけをたずねた。中大兄皇子は、
「母君(ははぎみ)」
とよびかけた。
「入鹿は皇族をつぎつぎにころして、この国をうばいとろうとしているのです。そのために、罰せられなければなりません」
女帝はだまってたちあがると、おくにはいろうとした。
(ああ、なんというつめたい人だろう。ついさきほどまで、わたしをみてほほえみ、わたしを信頼して、
おまえは、わが命のみなもと……とまでいわれた女帝が、わたしが命をなくそうというときに、わたしをすてていくのか)
女帝の衣服のすそをとらえた入鹿の目は、いかりと、うらみに、赤くもえていた。
「宝皇女(たからのひめみこ)!!」
女帝の名を絶叫するのどに、子麻呂の刃(やいば)がささった。痛さにうめき、床にころがる入鹿のからだを、網田がめったづきにした。
ここに大化の改新の幕はきっておとされ、蘇我入鹿はころされた。
22 :
日本@名無史さん:04/01/11 20:15
中大兄って名前じゃないでしょ?
葛城とか開別とかいうんじゃなかったっけ。
外ははげしい雨がふりしきり、庭には水がたまっていた。入鹿の死体は水のなかにほうりだされ、
上にむしろがかけられた。
このなりゆきを、ぼうぜんとながめていた、古人皇子(ふるひとのおうじ)は、皇極女帝をおっておくへはいり、
そのまま、じぶんの宮殿に走って帰った。
「あたらしがりやの、外国かぶれの、中大兄皇子が、入鹿をころした。ああ、なんとおそろしいことか」
といって、一間(ひとま)にこもり、戸をしめて出てこなかった。
古人皇子(ふるひとのおうじ)は、叙明天皇の子だが、母は蘇我蝦夷の妹である。蘇我氏とは、もっとも血のつながりのこい皇子だった。
*中大兄皇子(なかのおおえのおうじ) 父は叙明天皇、母は皇極(のちに斎明)天皇。
中臣鎌足(なかとみのかまたり)と計画して大化の改新をおこない、ついで都を大津にうつし、668年に位について天智天皇となった。
*皇極天皇(こうぎょくてんのう) 敏達天皇の子で宝皇女(たからのひめみこ)といった。
大化の改新がおこったときの女帝。のち孝徳天皇に位をゆずったが、孝徳天皇の死後、ふたたび位について斎明天皇となった。
中大兄皇子は、入鹿の父、蝦夷(えみし)との戦いになることをかくごして、法興寺にたてこもった。
皇族や豪族たちは、みな中大兄皇子のがわについた。
蘇我氏におべっかをつかって、ごきげんとりに、屋敷に出いりしていた者まで、てのひらをかえすように、
蝦夷(えみし)に背を向けた。聖徳太子の皇子である、山背大兄王(やましろのおおえのおう)をころしてから、
蘇我氏の人気が、ひどくおちていたせいもあった。
蘇我氏の内部からも、うらぎる者が出て、蘇我氏の屋敷のある甘橿の丘を警備していた兵は、ちりぢりににげ去った。
中大兄皇子の軍は蝦夷(えみし)の屋敷のある甘橿の丘におしよせた。
「もうだめだ!いっそのこと、いさぎよく死んでいこう」
25 :
日本@名無史さん:04/01/11 21:11
ただの人殺し
蝦夷(えみし)は戦っても勝ちめがないことをしった。そして、家につたわる『天皇記』
『国記』などの記録や、めずらしい宝物を、みんなやきすてて、自殺してしまった。
『天皇記』や『国記』などは、推古天皇のときに、蘇我馬子と聖徳太子が、力をあわせてつくったたいせつな歴史の本である。
蘇我家に仕える者が、『国記』だけは、もえる火のなかからとりあげて、中大兄皇子にさしだしたという。
後世の歴史の本は、ことごとく、蘇我氏をわるものとしてかいている。だがそれは、おおもとになる歴史の本である、
『古事記』や『日本書紀』がつくられたのが、天武天皇の命令によるものなので(完成は奈良時代)、どうしても天皇家を中心にかかれてしまうためである。
計画はうまくはこび、古代最後の大豪族であった蘇我氏はほろんだ。これで有力な豪族はなくなり、天皇家だけが残った。
*『天皇記』『国記』 『天皇記』は歴代の天皇の系譜(血縁関係)などをかいたもの、
『国記』は国の歴史である。聖徳太子が47才のとき、蘇我馬子と共同でかいたといわれる。
カラー版学習よみもの 人物日本の歴史 聖徳太子と法隆寺P104〜111より抜粋
問題なら削除以来しまっせ。
27 :
日本@名無史さん:04/01/12 03:45
超スーパーヒーロー。
28 :
日本@名無史さん:04/01/12 04:18
じゃ、
日本史一の超スーパーヒーローで異存なし?
29 :
日本@名無史さん:04/01/12 15:50
何の反論もないってのも凄いな。
30 :
日本@名無史さん:04/01/12 16:39
では、中大兄皇子のルックスは
FF[のスコールでよろしいな?
31 :
日本@名無史さん:04/01/12 16:42
中大兄だけはガチ。
おそらく日本史上でも随一の冷酷さを持った人だ。
それでいて、信長のようなスケールはない。どこか三国時代の魏の文帝
と人間性がダブるような気がする
33 :
日本@名無史さん:04/01/12 16:48
信長よりもスケールあるだろ。
皇室=日本を守ったんだから。
征夷大将軍になりたいなんてレベルじゃない。
まさにラスボスと主人公同士が対峙したりそれが天皇の前で行われたりと、
それが数人単位で行われただけで。
34 :
日本@名無史さん:04/01/12 16:55
何百年もかかって何百万人が死んでも達成できたか知れない
大改新を、
まるでRPGの様に皇子自ら剣を振るい、数人で成しとげた訳だ。
35 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:01
これだけ言っても全く荒れる気配がないな。
それだけ本当に大人物だったって事か。
36 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:14
何か、この人の汚い部分ないの?
マジで一点の穢れも無いの?
37 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:23
お前らの知識なんてそんなもんか。
使えねえな。
38 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:27
天智天皇と藤原鎌足は日本人共通の先祖
39 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:34
>>38 より一層、このイケメン皇子の正当性をプラスしただけじゃん。
40 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:41
天智天皇ってのは、歳とって
皇位を継いで天皇になった後の中大兄皇子の名前で、
藤原鎌足は中臣鎌足でしょ?
何か、この人の汚い部分ないの?
41 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:44
天智天皇になった後も名君としか聞かないし。
42 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:48
43 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:50
>>42 何言ってるか分からないが、
おまえがチョンだって事は分かった。
44 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:56
>>43 は?国つ神系はどうなるんだと言ってるんだ
45 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:02
蘇我氏殺害で自分の手をちゃんと汚しちゃってるからな。
どこかの皇子を暗殺したことなかったか?
蘇我石川麻呂とかもか?
46 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:09
>>44 チョンは黙ってろよ
>>45 蘇我氏の聖徳太子の子孫を始めとする
皇族大量虐殺が先にある。
そんなの正当防衛や自衛の範疇でしょ。
どんな悪人でも人間なんだから、
警官に発砲許可があるのはおかしいって言ってるのと同じ。
47 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:10
>>45 葛城皇子時代に、もともと”大兄”だった兄の古人大兄皇子とかをヌッコロしてるな。
孝徳天皇の皇子の有間皇子もあぼ〜ん。
石川麻呂も、結局謀叛の疑いをかけられてあぼ〜ん。石川麻呂の孫の持統女帝はフクザツだったろうな。
48 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:10
お前らの知識なんてそんなもんか。
使えねえな。
49 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:12
50 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:13
51 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:18
>>47 石川麻呂は蘇我氏じゃん。
蘇我氏は権力で自分を守ってただけで
やってた事からしてすでに死刑囚みたいなものだからな。
52 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:21
>>47 古人大兄皇子や有間皇子も蘇我氏の血が入ってるから、
未来の不安要素を取り除いただけの話。
53 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:23
日本史板とか言ってお前らの知識なんてそんなもんか。
使えねえな。
馬鹿じゃねーの?
54 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:26
何か、この人の汚い部分ないの?
マジで一点の穢れも無いの?
この質問に誰も答えられないのかよ
56 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:29
おいコラ歴史知ってる?
この質問に誰も答えられないのかよ
57 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:31
俺はお前らに喧嘩売りに来てンだよ
58 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:33
>>55 何言ってんの?
他の歴史人物なんか全部脇役なんだよバーカ
59 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:35
おーおーおーおー西郷隆盛でちゅかー
ただのデブじゃん。
60 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:36
何か、この人の汚い部分ないの?
マジで一点の穢れも無いの?
この質問に誰も答えられないのかよ
62 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:39
63 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:45
>>61 何でお前が皇子が便所から出てくる所見てんだよ。
>>62 藤原氏は鎌足の
劣化コピーだからだんだん落ちてくのはしょうがない。
64 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:47
うどんとか江戸時代は暗黒とかどーでもいいんだよバーカ
65 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:47
何か、この人の汚い部分ないの?
マジで一点の穢れも無いの?
この質問に誰も答えられないのかよ
66 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:48
コラ。
67 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:50
うわ
寒い!寒い!
他スレ消えろよバーカ
68 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:50
何か、この人の汚い部分ないの?
マジで一点の穢れも無いの?
この質問に誰も答えられないのか聞いてんだよ
69 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:52
おいコラ。
70 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:54
ここは日本史板じゃねえんだよ。
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー 板なんだよ
71 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:57
お前ら仕事もできねえんだろうな。
歴史詳しいっていうから雇ったらこれかよ。
だからすぐクビになんだよバーカ
歴史なんか社会で役にたたねえんだよバーカ
72 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:58
歴史なんか社会で役にたたねえんだよバーカ
73 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:58
歴史なんか社会で役にたたねえんだよバーカ
74 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:59
お前なんか社会で役にたたねえんだよバーカ
75 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:02
まーだ答えらんねえ
使えねえなあ。
76 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:03
おい日本史詳しいのだけが取り得なんじゃなかったのかよ
77 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:05
何か、この人の汚い部分ないの?
マジで一点の穢れも無いの?
この質問に誰も答えられないのか聞いてんだよ
記録がないからねぇ。
誰か気分で答えてあげればぁ。
79 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:09
>>78 お前が!
今!
答えたらええやろがい。
自分は今本気出してないけど
いざとなったら凄い力を持っているとでも思ってんの?
だから無職なんだよ。
80 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:10
火の鳥(太陽編)ではあまりかっこよく描かれてないよ。
81 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:12
>>80 マンガなんかエロマンガ家でもかけるわい。
82 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:16
火の鳥やらマンガでどう描かれてても
マンガやゲームでお前がモテモテでも
お前は女と目合わす事もできないのと一緒じゃ
83 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:16
曽我氏の天敵。
84 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:17
85 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:18
86 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:19
87 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:20
88 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:21
マンガなんかエロマンガ家でもかけるわい。
火の鳥やらマンガでどう描かれてても
マンガやゲームでお前がモテモテでも
お前は女と目合わす事もできないのと一緒じゃ
89 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:22
90 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:22
何か、この人の汚い部分ないの?
マジで一点の穢れも無いの?
この質問に誰も答えられないのか聞いてんだよ
91 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:23
92 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:23
これ一つも答えられん奴が何が日本史じゃ
ぼあうけがあ!
93 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:25
だから女と目合わせらんねえし
無職なんだよ
95 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:28
96 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:28
何か、この人の汚い部分ないの?
マジで一点の穢れも無いの?
97 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:30
>>95 お前がチョンなのは分かったからさっさと答えろよ
98 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:35
これ一つも答えられん奴が何が日本史じゃ
ぼあうけがあ!
99 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:36
弟の恋人を寝取った上蘇我入鹿を手にかけた。
100 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:40
>>99 弟よりイケメンな上に、
国賊級の罪人を退治した。
全然穢れてないぞ。
101 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:44
どうやら皇子は一点の穢れもない存在のようだな。
102 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:45
イケメンなんて誰が言った?
まあ二股女に腰砕け兄弟だな。
103 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:47
104 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:50
レスの内容がスゲエ低レベルだな。
105 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:51
伸びてると思ったらこれかよ_| ̄|○
はっきり言ってもうまともな人いないよ出てったらしい
107 :
日本@名無史さん:04/01/12 23:57
では気を取り直して、
超スーパーヒーロー。
FFの主人公にしてもまだ足りないほど絵に描いたような英雄。
そして若い頃は皇子で、歳そこそこいってから
皇位を継いで天皇と、白馬の王子様大爆発。
さあ語れ
ゲームは嫌い。
109 :
日本@名無史さん:04/01/13 00:10
プ
110 :
日本@名無史さん:04/01/13 02:20
>>52
有間皇子には蘇我氏の血は入っていないと思うが。
あれは、阿倍氏の血統。
>>107
冷酷無慈悲、疑心暗疑の塊。おそらく神経の細い人物。偏執狂
殺された入鹿の屍は、豪雨の中に蓆をかけて庭にほうっておかれた。
これは、酷い。古人皇子は抵抗もせずに、幼い子供とともに斬り殺された。
(孝徳朝になってからだが、書紀には中大兄が討たしたとある)
蘇我倉山田麻呂は一族皆殺しにあった。その後、讒言によるものだとして中大兄は
悔やんで哀び歎いたという。思慮深さにかける、短気な性格らしい。
唐と新羅と戦って勝てると思ったのだろうか?海外事情にまったく疎いXX。
負けて、九州から逃げ帰って、あわてて近江に逃げ出したXX。
当時の常識では,皇位継承権のない大友皇子に後を継がせようとして、壬申の乱の
原因を作った親バカ。どこが白馬の王子様?と思うが。
>>110 当時の常識って、大友皇子は母の出自が低いからってことだよね?
112 :
日本@名無史さん:04/01/13 02:51
そうです
皇太子の母はふつう皇族だったもんな
114 :
日本@名無史さん:04/01/13 02:57
大海人皇子の存在も無視できない。
115 :
日本@名無史さん:04/01/13 03:05
皇太子の母は皇族または大臣クラスの有力豪族が一般的。
古人皇子は大兄の称を持っていたから皇太子扱いと思うが
母は皇族ではない。蘇我氏。
大兄の称は中大兄が最後だったのでは?以後は皇太子と書紀にある。
116 :
日本@名無史さん:04/01/13 05:59
>>111-115 正に、ちょうど危なかったんじゃん。
大化の改新無かったらとんでもない事になってたぞ。
117 :
日本@名無史さん:04/01/13 06:17
乙巳の変と大化の改新をごっちゃにしてるだろ。
118 :
日本@名無史さん:04/01/13 06:30
119 :
日本@名無史さん:04/01/13 06:33
ラスボスとの戦闘に勝った!→乙巳の変
全クリ→大化の改新
って事だよな。
120 :
日本@名無史さん:04/01/13 06:40
だからお前
>>117 は、微妙な知識をひけらかしたかっただけで
言ってる事変わってねえんだよ。
>>111-115 正に、ちょうど危なかったんじゃん。
乙巳の変無かったらとんでもない事になってたぞ。
これで満足か?
121 :
日本@名無史さん:04/01/13 06:43
暗殺はいかん。正々堂々とやるべきだった。
122 :
日本@名無史さん:04/01/13 06:51
>>121 悪の親玉に対峙し、
皇子(つーか後の天皇)自ら剣を抜いて、
第一打を斬りかかる。
これ以上の正々堂々があろうか。
123 :
日本@名無史さん:04/01/13 06:53
不意討ちは卑怯なり。
124 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:00
>>123 チョン蘇我氏は自分の家を「帝」と名乗っていた。
これは日本を乗っ取ろうという段階ではなく、
「既に天皇気取り」であった事を意味する。
実際問題そんな人間に対し、一般人はどうする事もできない。
125 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:07
>>123 現代で言えば山口組組長に、
不信感を持っているからといって
お前は今何ができる?
そういう事。
126 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:14
やっぱり超スーパーヒーローで終わりか?
127 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:16
>>125 法にしたがって戦えばよろしい。卑怯な手は使わない。
128 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:43
>>127 検察官が居れば警察官は要らないみたいな理想論ですか?それは。
129 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:49
殺さずにすむ方法は無かったのか?
130 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:56
>>129 有ったら1300年後まで賛同されないでしょ。
131 :
日本@名無史さん:04/01/13 07:59
おれは賛同しない。殺しはやりすぎだ。
132 :
日本@名無史さん:04/01/13 08:06
>>131 そうは言うけどキレイに斬って終わっただけいいよ。
ここまで行ったら
歴史から言って、これがもし中国だったら見せしめに、
ちょっとやそっとの拷問、刑罰じゃ済まなかったと思うよ。
手足切るやら凌遅やら。
そうしなかったのは天智の裁量。
133 :
日本@名無史さん:04/01/13 08:08
天智には裁量なんてないだろ。あの小心者に。
134 :
日本@名無史さん:04/01/13 08:10
135 :
日本@名無史さん:04/01/13 08:18
136 :
日本@名無史さん:04/01/13 11:57
>>120
確かに、乙巳の変がなければ、古人皇子がやがて即位して、大化の改新みたいなことはやったかもしれない。
ただし、中大兄は謀殺される可能性はある。古人皇子と入鹿、もう少ししっかりしていてくれればね。
有間、あんな殺され方しなくて済んだのに。
中大兄は小心物で陰険な人物だろう。
137 :
日本@名無史さん:04/01/13 14:29
>>136 いや、
[即位して]の後が全部おかしいw
勝手な未来と人物像創ってるし。
138 :
日本@名無史さん:04/01/13 14:43
もはや勝手な創作でもしなければ
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
は、揺るぎ無いのか?
139 :
日本@名無史さん:04/01/13 15:59
歴史を良く見ればいかに中大兄皇子はひどい人間かはよくわかる
はずなんだが、
>>138は何を根拠にヒーローと呼ぶのか、凄く興味
あるな。どうせゲームか何かだろ?W
140 :
日本@名無史さん:04/01/13 17:47
110です。
139のご意見には賛成です。
有間皇子事件はやはり酷いと思うし
百済出兵は無謀だと思うが。
141 :
日本@名無史さん:04/01/13 18:32
>>138 ならその前に、何を根拠にひどい人間と呼ぶのか
142 :
日本@名無史さん:04/01/13 18:33
143 :
日本@名無史さん:04/01/13 18:37
>>140 人の道と礼節を重視し、
戦力的に既に負け戦と分かりつつも、
義勇軍を差し出し加勢してあげるなんてそうそうできない。
144 :
日本@名無史さん:04/01/13 18:48
おい
>>139ひどい人間の根拠はどうした?
歴史を良く見ればいかに中大兄皇子がスーパーヒーローかはよくわかる
はずなんだが、
>>139は何を根拠にひどい人間と呼ぶのか、凄く興味
あるな。どうせゲームか何かだろ?W
とでも言えばいいか?
145 :
日本@名無史さん:04/01/13 18:52
負け戦と分かりつつも、戦地に征かされる身にもなってよ。
あまり、賢い指導者とはいえないようだが。
おかげで、朝倉宮では鬼火騒ぎ。
146 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:14
>>145 そんな事言ったら戦争征かされるのは誰だってイヤだろ。
白村江の戦いに限らずどの戦争も。
147 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:31
>>145 かつて徴兵制を採用した国全てに言え。全然、中大兄皇子を叩けてない。
もはや
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
は、揺るぎ無いのか?
148 :
古人大兄皇子:04/01/13 19:38
よくこのスレ伸びてるわね。
誰か、私に同情してくれる人いませんか
149 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:41
150 :
古人大兄皇子:04/01/13 19:53
いやだ。でもこれでおしまい。
151 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:53
しかも蘇我氏を斬った時、皇子はまだ20歳。
他の歴史的人物より、
見た目的にもカッコ良かったんだろうね。
152 :
日本@名無史さん:04/01/13 19:58
なんせ本物の皇子様な上に
堂本光一より5歳も、
ガクトより10歳以上も若かったんだから。
153 :
日本@名無史さん:04/01/13 20:01
これをスーパーヒーローと言わずして何と言おう。
154 :
日本@名無史さん:04/01/13 20:12
さらに、妹さえ男として見ちゃうほど。
でも人殺し。
殺してから。嘆いても遅い。
娘婿のくせに。同じ娘婿でも、軽大王のほうが気を使って
何度も、使者をよこしてくれた。
おかげで。娘は、健王を生んで死んでしまった。
156 :
日本@名無史さん:04/01/13 21:55
>>155 人殺し?だからそこからしておかしいだろ。
犯罪者を射殺した警察官が一々裁かれてるとでも思ってるの?
逆に昇任の可能性もあるくらいだぞ。相手が銀行強盗程度でもな。
現行法で裁いても、国家に反逆してるとなると死刑だぞ。
入鹿の場合、皇族何人も殺しまくってるからそれ以前の問題だしな。
157 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:03
もはや善悪や刑法の無知を装わないと
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
は、揺るぎ無いのか?
面白い。
頑張ってね。中大兄、でもあなたの女性ファンは多いし。
159 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:21
この人20歳で大化の改新やってんだよね。すごいよ。
やってることは鬼だが、政治的実力は歴代天皇の中でトップだ。
160 :
古人大兄皇子:04/01/13 23:38
確かにね。親政をおこなった天皇としてはピカイチ。
なんでも自分でやっている。皇太子の頃から、実行力はすごい。
漏剋だって,「皇太子に為す時に、始めて親ら製造れるところなり、伝伝。」
自分で作ったのかなあ?
謀反人の尋問だって、「皇太子、親ら有間皇子に問ひて曰はく、」
これは、鬼。もっとも、言い返されたけど。
とにかく、「親ら、云云」の人。
161 :
日本@名無史さん:04/01/14 00:17
白馬の王子さまって、白馬に乗って失踪した伝説のことでしょうか
確か胃の腫瘍で死んだと思っていたのですが。
162 :
日本@名無史さん:04/01/14 02:54
天智(中大兄)がチョンだから百済を助けた。
蘇我氏がチョン(百済)を助けるのに邪魔だから、天智が弑逆した。
蘇我氏を殺したのは「韓人」だと日本書紀に書いてある。
チョンがチョンを殺したらこう書かない。チョン(天智&鎌足)が
倭人(蘇我氏)を殺した。 んで誤魔化す為に蘇我氏の先祖をあいまいに
したから、百済系とかいい出す御用学者がはびこったと。
163 :
日本@名無史さん:04/01/14 03:13
164 :
日本@名無史さん:04/01/14 06:57
>>163 天皇や公家の藤原氏と同じところのご出身ですか?
合理的な反論ができなくって火病るところは、さすが彼の国の方ですね。
チョン(百済)を助けたのはチョン仲間。
チョン出兵に反対したの(蘇我氏)がチョンとは、やっぱりキムチ式思考や。
チョンの先祖は新羅。
百済はチョンじゃないだろ
166 :
日本@名無史さん:04/01/14 09:22
百済の子孫+新羅の子孫+高句麗の子孫+中国人(楽浪郡など)の子孫
+倭人の子孫(南部沿岸)+モンゴル人の子孫+女真人(オランケ)の子孫、
これらのごった煮で出来たのが、Korean (チョン)
新羅は一旦統一したけど、それだけ。 ごった煮で一応人種らしきものが
形成されたのは高麗期。 しかし李朝は王族がオランケだし、高句麗も
オランケ。 はっきりチョン(韓人)の先祖といえるのは、三韓(百済・
新羅・任那)の出身者。 だから天智が百済でも新羅でもチョン。
(新羅と百済に戦争をしかけようとした聖徳太子・蘇我氏連合は倭人)
167 :
古人大兄皇子:04/01/14 10:31
まあ、チョンがはいったのね。
荒れるわね。頑張ってね、チョン。
168 :
日本@名無史さん:04/01/14 10:39
>167
おまえもなー。
>>166 逝ってることが前半と後半で矛盾してるな。白痴?
170 :
日本@名無史さん:04/01/14 11:48
いいえ、てんころと同じ白丁でつ。
171 :
日本@名無史さん:04/01/14 14:59
古人大兄皇子が無実だとはどこにも書いてない。
麻呂の事件も中大兄の陰謀という証拠は無い。
そして、有間皇子も無実ではない。
赤兄との会話でも謀反の意思を十分に示している。
そもそも、狂ったふりまでして斉明天皇を温泉におびき寄せたのは有間。
狂気=「粛清から逃れるため」というのは、有間を100%白にしたい人間のご都合主義的解釈に過ぎない。
最後に無実だと主張したのはただの言い逃れ。
平和主義者なら、反乱を未然に防いだ中大兄の手腕を評価すべし。
「中大兄陰謀説」には確証が無い。
それにもかかわらず、中大兄皇子は憶測と偏見で勝手にあらゆる事件の黒幕にされてしまっている。
172 :
日本@名無史さん:04/01/14 15:53
だってチョンだもの、あらゆる悪辣な手をつかって天皇になったんじゃ
173 :
日本@名無史さん:04/01/14 15:56
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
||||||||||||||||||ii | 1.朝鮮人とは交渉しないこと 。
,,|||||||||||||||||||| | 2.朝鮮人を相手にしないこと。
i||||||||||||||||||||||||||||i | 3.朝鮮人を仲間と思わないこと。
i|||||||||||||||||||||||||||||||||||||i | 4.朝鮮人と結婚しないこと。
||||||||||||||||||||||||||||||||||| !||. | 5.朝鮮人を雇わないこと。
|━- -━━━ |||||||| ||| | 6.朝鮮人の国には行かないこと。
,・=-| -=・=- / ̄||| ,|||| | 7.朝鮮人を優遇しないこと。
| / _!|||||!! < 8.朝鮮人の話を信じないこと。
. | (_,  ̄||||| | 9.朝鮮人を招かないこと。
| ━__━ |||| | 10.朝鮮人に金をやらないこと。
ヽ、 `~ ,,,;;;;;;;__ |||| | 11.朝鮮人の傍で寝ないこと。
|||||||||||| | 12.朝鮮人の匂いを嗅がないこと。
!|||||||!! | 13.朝鮮製キムチを食べないこと。
!||||! | 14.朝鮮人の行動には警戒すること。
| 15.朝鮮人の犬喰いはマネしないこと。
| 16.朝鮮人の偽装 <=( ´∀`)に気を付けること。
| 17.朝鮮人のエラに刺されないこと。
\_______________
174 :
日本@名無史さん:04/01/14 15:58
聖徳さんはええよ。 日本人(倭人)だから。
新羅に戦争も売ったしね、文句なし。 ただ子孫が滅ぼされて、
チョンに国を奪われたのが駄目だね。
175 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:13
>>174 チョンの日本征服に邪魔だから、
聖徳太子の子孫を滅ぼしたのは蘇我氏だろうが。
チョンは消えろ。
176 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:14
と、チョンは脳内妄想しましたとさ
177 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:25
そもそも聖徳太子の子孫を始めとした皇族を滅ぼした咎から
蘇我氏は滅ぼされたわけであって…
大前提がこうなんだからチョンは何言っても無駄でしょ。
日本人ならそんなワケ分からん事しないで仕えてるし。
蘇我氏って朝鮮から来た一族ってのはもう
最初から蘇我氏も隠してないんじゃなかった?
178 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:28
おいチョン、今までの捏造が水の泡になるようで申し訳無いが、
「蘇我氏って朝鮮から来た一族ってのはもう
最初から蘇我氏も隠してないんじゃなかった? 」
179 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:32
もはや
>>174(チョン)が捏造で荒らしでもしないと
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
は、揺るぎ無いのか?
180 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:35
蘇我氏が朝鮮からきたって記述はないよ。
応神天皇の部下(武内スクネ)の子孫らしいけど、
応神天皇と一緒に日本に来たのなら、天皇家(天智も応神の子孫を
自称)も蘇我氏もチョン。
応神天皇が日本人なら蘇我氏も日本人。
天智が朝鮮人。
181 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:42
>>180 エミシやら馬子で急に勢力付き始めたんだよな?
その前の前くらいの代が、
普通に朝鮮からの技術伝達の派遣か移民で来たんじゃなかった?
違ったらスマソ。
でも蘇我氏が朝鮮系ってのはかなり濃厚だったような。
皇族関係無く。
182 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:50
>>180 まともな奴と話してるのかと思ったら、最後の一行でチョン丸出しだボケw
183 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:51
蘇我満智ってのが朝鮮系らしい記述はある。
しかしそれと蘇我本宗家との関係がわかっていない。
蘇我氏をチョンにしないと、天智がチョンになると困る人達
(御用学者や在日ウヨ)がそう主張してる。
ただ天智がチョンとしたほうが、「入鹿が韓人に殺された」と
いう記述に一致する。 どっちを信じるかだね、日本人なら
決ってるとおもうが。 天智がチョンだと困るウヨが盛んに
日本人説を流してるだけ、今の天皇がチョンになるから。
184 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:52
チョン禁止。
185 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:54
「天皇はチョン」
禁止。
186 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:54
蘇我満智が百済へ技術を習いにいってたと考えることもできるし、
同じ苗字(姓)が、百済と倭国にあってもおかしくない。
紀氏や物部氏なんてのも百済在住の人が結構いたから、満智も
そういう在韓の倭人かもしれん。
187 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:55
「剣道は日本の国技じゃなくて実は朝鮮起源」
と同レベルの捏造禁止。
188 :
古人大兄皇子:04/01/14 16:56
謀反をそそのかしにくるような人物を留守官に任命
知ること自体、黒幕だ、陰謀だといわれても
仕方ないでしょう。赤兄がその後、罰せられたとの
記述もないし。赤兄を取り調べた様子も無い。
持ちかけたのは赤兄の方と書紀にある。
そのため、一般的には陥れられたと考えるのが普通と思うが。
ただし、個人的には、無実であっさり殺されるというのも、情けないので
謀反の意志はあったと考えています。ただ陽狂してまで、おびき出したか
どうかはわからないけど。(もっとも、それぐらい行動的な方が、熱狂的な有間ファン
としては嬉しい。)
189 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:59
あと、智がつくのはチョンの特徴だから満智はチョンかも。
しかし後世の号とはいえ、天智の子孫の三船が、天「智」と
珍しい字を用いているのは、チョン出自ということを表して
いるのではないかと推測される。
190 :
古人大兄皇子:04/01/14 17:01
このスレ伸びが速すぎる。
診察しながら書いていては間にあわん。
188は171へ書いたの。
191 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:03
>>189 そういう確証なら大前提に
「蘇我」という文字が朝鮮の地名とかいうのが山ほどあるよ。
大前提に対する逆切れ捏造禁止。
192 :
古人大兄皇子と傍観者:04/01/14 17:04
もうほとんどチョンの世界
任せるわ。
193 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:05
なんで朝鮮人(在日)は天智が朝鮮人であることを否定するの?
誇るべきことじゃん、ばれたって優しい日本人は追い出したり
しないから心配しなくていいんだよ。
194 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:08
>191
蘇我という地名は残念ながら朝鮮にはないよ。日本にはあるけど。
思いつきで書くなよ、在日君。
須賀と訛ってるほうが多いけど、曽我も結構多い。
195 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:08
チョン禁止。
また後で来るけど、その間に
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
スレなのに何故か
朝鮮の話に必死になってる片言の人間が出て来たりしないように。
196 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:09
>190
診察されながらの間違いでしょ、プシに入院中?
197 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:11
だって中大兄皇子ってチョンのスーパーヒーローなんだもん。
なんたって日本を乗っ取ったんだから。
198 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:13
天智は朝鮮人のスーパーヒーロー!
ウリナラ・マンセー!!
今上天皇マンセー・将軍様マンセー!
199 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:21
一つ言える事は、
「天智天皇は日本人」
という当たり前の事実をレスすると、
捏造が失敗した!
と焦って飛びついて来るのがチョンです。
200 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:26
>199
はいはい在日君、工作ごくろうさん。
日本人はもう騙されないよ。 大本営発表や赤費新聞でこりてる
からね。
201 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:27
196
いいえ、実は医者です。
202 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:28
中大兄(天智)→桓武→戦犯ヒロヒト→疫病神アキヒト
チョンは出て行け!!
203 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:31
>201
暇そうでいいね。 んだけ閑だと麻酔科か何か?
仕事中パソやってるの多いよね。
204 :
日本@名無史さん:04/01/14 17:32
あっ、診察とかいってたね、何だろ。教えてけれ
205 :
古人大兄皇子と傍観者:04/01/14 17:56
>203
年が明けてから午後は時間がとれる。
小児科だけど。でも、これって本題からはずれてしまった。
中大兄に戻りましょう。
206 :
日本@名無史さん:04/01/14 18:28
>205
回答さんくす。 といってもみんな飽きたようですよ。
漏れも秋田市。 蘇我氏のほうが日本人(南方系)だと
思うんですけどね。 天智(中大兄)は北方系のような。
中大兄の万葉集の歌も山上憶良臭がする。 山上憶良が
百済人の子孫というのは国文学では有名。
それでは漏れはバイバイしまつ。漏れが anestheologist でした(w
207 :
古人大兄皇子と傍観者:04/01/14 18:59
>>205
もうおしまいですか。残念だわ。
お仕事頑張ってください。麻酔科医さん。
でもこのところ、レスが変だわ。
さすがに読むのも飽きてきたわ。
208 :
日本@名無史さん:04/01/14 20:45
チョンは帰ったか。
では本題の
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
に戻ろう。
コテハン付けた方がいいかな。
今度は
「ハイハイ
>>1は私だよ工作ご苦労さん在日君」とか言い出しそうだなw
別に証明しようがないからどうでもいいけど。
チョンって、相手を在日扱いするって本当なんだな。
天智天皇が日本人だと困るのはチョンだけだろ?
蘇我氏(朝鮮人)の侵略から皇族(日本)を守った
中大兄皇子について語ろう。
万が一これが逆だろうとヒーローには変わり無いしな。
当時の皇室の権威と治安の維持と国体維持の観点から見れば。
「中大兄皇子という一人の人間」について
突っ込む所はもはや無いのか?
とりあえずこのスレでは、
どこかの半島の国一つの主張より、
教科書に載っているような、現時点での日本史の研究結果を史実とします。
蘇我氏(朝鮮人)の侵略から皇族(日本)を守った
中大兄皇子について語ろう。
これで問題無いだろ?
215 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:21
中大兄が平安時代に生き返ったら絶対藤原氏ぶっ殺してる…かなぁ?
216 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:47
>>215 大化の改新の英雄の片割れ、中臣鎌足の劣化コピーというだけで
藤原氏は後世に調子に乗りすぎたかもね。
217 :
日本@名無史さん:04/01/14 22:54
藤原紀香って藤原鎌足の子孫?
‥なわけないか。
218 :
日本@名無史さん:04/01/15 04:03
秋の田の かりほの庵の苫をあらみ
219 :
日本@名無史さん:04/01/15 20:22
>>46 もっとも用明系の山背大兄謀殺で一番得をしたのは中大兄ら敏達系皇族なのだが。
220 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:27
221 :
日本@名無史さん:04/01/16 03:06
ageになっちゃうの。
ね?
その頃はまだ敏達系皇族は権力がなかったので蘇我の眼中になかったろ。
蘇我にとって目の上のたんこぶは聖徳太子系の山背大兄のみ。
いわば崇仏派が天下とった後に内輪もめしただけ。
それでも敏達系皇族が無条件に有利になったわけではない。
葛城皇子の決起がなければ敏達系皇族の浮上もなかった。
事実、歴史的に得をしたのは天智系のみ。
英雄的行為と偉大な功績がもたらした当然の結果というしかない。
223 :
日本@名無史さん:04/01/16 03:47
凄いな、今まで
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
を、よりいっそう証明する証言しかないな。
ここまで来ると当然ウンコしないんだろうな
224 :
日本@名無史さん:04/01/16 03:55
石川里華+三沢さん=スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
で、よろしいか?
225 :
日本@名無史さん:04/01/17 00:11
ageになっちゃうの。
ね?
ageになっちゃうの。
ね?
227 :
日本@名無史さん:04/01/18 10:48
>>222 ただし蝦夷については本心山背大兄支持だったのが、反蘇我系豪族がこぞって田村の支持にはしったため、山背大兄に自重を求めた見方をする向きもある。
敏達系皇族軽視…んなわけ無いでしょう。
欽明天皇即位後、最初にたったのは敏達だし、以後押坂彦人大兄・竹田皇子と欽明の孫の世代に皇位継承候補にあがったのは聖徳太子以外はみんな敏達系。
馬子の政治力で辛うじて回避することは出来たが。
228 :
日本@名無史さん:04/01/18 11:52
蘇我氏が蘇我系皇族をさしおいて敏達系皇族を重視…それこそ、んなこたぁない。
229 :
日本@名無史さん:04/01/19 04:36
230 :
日本@名無史さん:04/01/19 05:27
>>229 モーニング娘の石川里華は
蘇我石川麻呂の祖先なのか?(笑
>>228 おいおい、よく読めよ。俺が言っているのは蘇我の思惑に反して嫡流である敏達系皇族を担ごうとする動きが続いていて、蘇我氏側もこの動きを警戒していたと言いたかったんだが。
そんならオッケーだよ
233 :
日本@名無史さん:04/01/20 01:53
ちうことは
石川里華+三沢さん=スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
で、よろしいか?
234 :
日本@名無史さん:04/01/23 06:43
凄いな、今まで
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
を、よりいっそう証明する証言しかないな。
おい!スーパーヒーローなんか居るわけないだろ!
もっとこいつの汚い所見せろよ!!
235 :
日本@名無史さん:04/01/23 14:44
見ーせーろーよ!!
236 :
日本@名無史さん:04/01/23 15:28
| | | ∧∧ ∧∧;; ;;ノ ドサッ
| | | ∧∧ (゙0;;゙*)⌒;;⊃\ (゙0;;゙*)ノ/
| | | ∧(゙0;;゙*)⌒;;⊃ (゙o;;゙*)⌒;;∧∧⌒;;⊃
| | | ∧∧(゙-;;゙*)⌒;;⊃ (゙-;;゙*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃
| | | (゚;-:。*)⌒;;⊃ (゙-;;゙*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃(゚-;;゚*)⌒;;⊃
| | | ∧ (゙0;;゙*)⌒;;⊃ (゚-;;゚*)⌒;;⊃ (゙0;;゙*)⌒;;⊃ (゚o;。*)⌒∧∧
| | |∧ (゙0;;゙*)⌒;;⊃(゙-;;゙*)⌒;;⊃ (゙o;;゙*)⌒;;⊃ (。0;;゚*)⌒;;⊃ (゙-;;゙*)⌒;;⊃
| ∧∧ (゙0;;゙*)⌒;;⊃(。0;;゚*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃(゚;;-;゚*)⌒;;⊃(゚-;;゚*)⌒;;⊃
| (゙0;;゙*)⌒;;⊃ (゙0;;゙*)⌒;;⊃(゙-;;゙*)⌒;;⊃ (゙0;;゙*)⌒;;⊃ (゚-;;゚*)⌒;;⊃ (゙-;;゙*)⌒;;⊃
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(。;-;゚*)⌒;;⊃(゚-;;゚*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃(。0;;゚*)⌒;;⊃(゚o;。*)⌒;;⊃(゙o;;゙*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃
(゙0;;゙*)⌒;;⊃ (゙-;;゙*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃(゙0;;゙*)⌒;;⊃(゙-;;゙*)⌒;;⊃(゚-;;゚*)⌒;;⊃(゙-;;゙*)⌒;;⊃(゚0;;゚*)⌒;;⊃
o.
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /
/ 日本史板は無事に. /
/ 絶滅いたしました /
/ ありがとうございました /
/ /
/ 日本史板絶滅委員会より/
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
∧_∧ / /∧_∧
( ・∀・) / /(・∀・ )
( )つ ⊂( )
| | | | | |
(__)_) (_(__)
237 :
日本@名無史さん:04/01/23 22:34
おい!スーパーヒーローなんか居るわけないだろ!
もっとこいつの汚い所見せろよ!!
238 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:22
見ーせーろーよ!!
239 :
日本@名無史さん:04/01/24 06:45
ちんこ見ーせーろーよ!!
240 :
日本@名無史さん:04/01/24 07:44
中大兄皇子の幼少の名前ってどんな名前ですか?
241 :
日本@名無史さん:04/01/24 08:49
242 :
日本@名無史さん:04/01/24 09:10
ほら!
「葛城」とかもまた
「ミサトさん」みたいでカッコイイ、プラスのイメージしかない!
おい!スーパーヒーローなんか居るわけないだろ!
もっとこいつの汚い所見せろよ!!
243 :
日本@名無史さん:04/01/24 09:24
見ーせーろーよ!!
244 :
日本@名無史さん:04/01/24 09:28
葛城氏に養育されたから葛城なんじゃねえの?
245 :
日本@名無史さん:04/01/24 09:41
だったら「山田」でも「田中」でも「田吾作」でもいいだろ!
なんでまた「カツラギッ!」ってシュっとしてんの??
246 :
日本@名無史さん:04/01/24 09:57
凄いな、今まで
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
を、よりいっそう証明する証言しかないな。
おい!スーパーヒーローなんか居るわけないだろ!
もっとこいつの汚い所見せろよ!!
247 :
日本@名無史さん:04/01/24 09:58
248 :
日本@名無史さん:04/01/24 10:08
>>247 そっちもシュっとしてんし!
ラキってra-ki!って感じだし!
どっちにしろ「葛城」じゃ「ミサトさん」と同じ漢字だし!
おい!スーパーヒーローなんか居るわけないだろ!
もっとこいつの汚い所見せろよ!!
249 :
日本@名無史さん:04/01/24 10:16
見ーせーろーよ!!
250 :
日本@名無史さん:04/01/24 10:57
ちんこ見ーせーろーよ!!
251 :
日本@名無史さん:04/01/24 11:08
改行厨うぜー
252 :
日本@名無史さん:04/01/24 11:13
見ーせーろーよ!!
253 :
日本@名無史さん:04/01/24 17:52
おい!スーパーヒーローなんか居るわけないだろ!
もっとこいつの汚い所見せろよ!!
254 :
日本@名無史さん:04/01/24 19:18
ウンコしないと言い張んのかよ
255 :
日本@名無史さん:04/01/26 19:49
ちんこ見ーせーろーよ!!
256 :
日本@名無史さん:04/01/26 20:00
ちんこはありません。中大兄皇女には。
257 :
日本@名無史さん:04/01/26 20:07
258 :
日本@名無史さん:04/01/26 20:10
見ーせーろーよ!!
259 :
日本@名無史さん:04/01/27 01:01
なんだ、このスレ(w
260 :
日本@名無史さん:04/01/27 01:11
バカの大兄王子だもん、糞スレになるのも当然。日本人の敵。
261 :
日本@名無史さん:04/01/27 02:38
中大兄のためにも落としたほうがいいのでは
262 :
日本@名無史さん:04/01/27 07:44
>>260 じゃどう「バカ」で「糞」なの?
そこ聞いてんの。
263 :
日本@名無史さん:04/01/27 10:53
凄いな、今まで
スーパー 中 大 兄 皇 子 ヒーロー
を、よりいっそう証明する証言しかないな。
おい!スーパーヒーローなんか居るわけないだろ!
もっとこいつの汚い所見せろよ!!
264 :
日本@名無史さん:04/01/27 23:49
見ーせーろーよ!!
265 :
日本@名無史さん:04/01/28 02:27
ちんこ見ーせーろーよ!!
266 :
日本@名無史さん:04/01/28 06:28
おい百歩譲ってちんこくらいはあるんだろ?
なああ!
267 :
日本@名無史さん:04/01/29 04:06
ちんこ見ーせーろーよ!!
268 :
日本@名無史さん:04/02/01 20:58
見ーせーろーよ!!
269 :
日本@名無史さん:04/02/06 11:20
age
>>1トリップつけろ
便乗荒らしと見分けがつかん。それとも同一人物?
特に
>>225 以降は例のコピペ小僧っぽい
271 :
日本@名無史さん:04/02/14 22:32
見せ
このスレひでー状態になってんなぁ(´д`)
大和某の漫画を読んでから中大兄皇子スキダー。
273 :
日本@名無史さん:04/03/07 09:33
蝦夷征伐すべき
274 :
日本@名無史さん:04/03/08 03:36
妹(同母妹)とやったんだから穢れてるかと…。
275 :
日本@名無史さん:04/03/13 00:34
「やった」なんて記録はない。妄想だろ?
>>274 だからいいんじゃないか!
妹スキーの為、天皇を諦めたのだとしたら、ある意味男だ、
ロミオとジュリエットを超えるロマンスだ。
277 :
日本@名無史さん:04/03/13 00:43
近親相姦なんて漫画ソースだろ?
マトモな学者も主張している、つか漫画(たしか天上の虹だったっけ?)
のソースが学者の学説ではないかと。
とある歌と天智天皇などの動きからの推測、いや邪推かな。
勿論反論もあるけど、それなりに信憑性があるから、学説の一つにはなっている。
279 :
日本@名無史さん:04/03/13 01:32
歌は社交的なものとか宴席におけるものとかかもしれないから根拠にならないけど、「天智天皇の動き」って?
天皇に中々ならなかったこととか。
他にも嫁いだ妹を無理矢理呼び戻したりと、色々邪推する要素がある。
281 :
日本@名無史さん:04/03/15 06:00
それは妹萌えなんていう低俗なレベルの話じゃなくて、彼女の巫女性などが関係あるんじゃないかなあ。
282 :
日本@名無史さん:04/03/15 11:55
近親相姦説のソースは、孝徳天皇の書紀の歌から。
言い出したのは、吉永 登氏.(記憶が不確かですが)
ただし、孝徳の歌は、天皇の歌ではなくて、2人の仲を
邪推した、民の歌という説有り。
中大兄の動きとして、間人の死にあたり大勢の僧侶を出家させたり
、孝徳天皇を1人で難波宮に置き去りにしたりしていることからの
推測。ただし間人は後、中大兄と離反して難波にとどまっていたという説もある。
天智の即位しなかった一因として、間人との関係をあげる説があるが、中皇命を
間人とすると、兄と関係している妹が何故、即位できたのか解らなくなる
軽太子のときは、最初に罪に問われて流されたのは、妹の軽大嬢のほうが先だったはず。
283 :
日本@名無史さん:04/03/15 17:44
>>282 >>中皇命を間人とすると、兄と関係している妹が何故、即位できたのか解らなくなる
…だから、そこで「兄と関係している」って決めつけるなよ。
ったく、直木孝次郎は良くも悪くも影響力が大きくて困るぜ。
282です
私は、関係はなかったと思っている。
中皇命は間人と考えているので。間人と中大兄の
近親相姦説は、小説、漫画としては面白いが、実際には
どうでしょうね。中大兄も妹への愛のために天皇に即位しない
ような人物とは思えない。中大兄の権力への執着心は異常
なほど強いと思われる。愛のために即位しない、なんて甘
いこと言っている時代、人物ではないと思いますよ。
>>284 あ、近親相姦説否定派だね。勘違いスマソ
>>284 そう、だからこそ即位しなかった理由がわからんわけだ。
当時において彼の権勢は絶大、妹と出来てたかどうかは不明としても、
間人が中大兄皇子に忠実であったのは確かだし、その頃はまだ弟とも対立していない。
即位しなかった理由を、近親相姦に求めるのはわからなくもない。
有間皇子の粛清以後は絶対権力を握ったと考えられているが実は
どうなんでしょうか?白村江の敗戦のため自分で即位せず
間人を中皇命に即位させたのではと思えるのですが。ただ
近親相姦説を考えると、間人の即位は不可能と思えるのです。
中皇命は斉明説、倭姫王説とあり確定してはいませんが、現在
間人説の支持がおおいようです。
それは間人が即位したのが前提になってないかな?
間人の即位は絶対ではないわけで、それをもとに否定するのはどうかと思う。
俺のも邪推に過ぎないのだが、それも仮定に仮定を重ねていると思うのだが?
それに間人が死んで暫らくしてから即位というのも、出来すぎの気がする。
間人即位を前提にしております
中皇命の存在は万葉集により確認できるので。
一応、間人を中皇命と考えての意見です。
もちろん、仮説ですよ。真実はわからない。
間人が死んでから即位したのが出来すぎとありますが
間人が中皇命として在るうちは、中大兄が即位できない
と思いますよ。天皇は1人だけですから。
290 :
日本@名無史さん:04/04/03 00:49
兄妹婚って当時はまずかったのか?
奈良時代の感覚で日本書紀が不鮮明な書き方しただけでは?
291 :
日本@名無史さん:04/04/03 01:55
朝鮮人にとっては拙かったでしょ、後の族譜マンセー体質をみると。
292 :
日本@名無史さん:04/04/03 07:35
族譜マンセーになったのは李朝になってから。
新羅・高麗の頃は近親婚はふつうにやってた。
293 :
日本@名無史さん:04/04/09 00:18
オレが20歳の時は2浪中で、学研漫画の天智天皇読んで日本史の勉強してたな。
中大兄皇子はその頃、蘇我入鹿をぶっ殺して大化の改進を推し進めてるんだよな。
スーパーヒーローだよ。
294 :
日本@名無史さん:04/04/23 23:51
中田氏の大エロ王子って、だれですか?
295 :
日本@名無史さん:04/05/02 20:52
なんで、葛城皇子ってよばれていたの?
乳母が葛城関係の氏だったから
297 :
日本@名無史さん:04/05/03 04:39
百済王子・豊章でしょ?
電波は氏んでください
age
300get
301 :
日本@名無史さん:04/05/09 01:54
天智天皇は、謎の多い人でつね。靴を残して忽然と消えてしまわれますた。
玉体の行方も不明のままでつ。誰か捜そうとした人でもいるのでしょうか?
墓があっても埋葬されておりませぬ。どこにお隠れになったのやら・・・・・?
302 :
日本@名無史さん:04/05/09 19:21
中大兄と間人の関係だけど、今は否定的なんでしょうか?私が読んだ本では二人の関係を
前提にしてたけど。この関係があるから中大兄は天皇として即位できなかったとしている。
当時、皇族間で兄妹結婚は悪いことではないが、あくまで異母兄弟に限る。
同母兄妹はさすがにタブーだったらしいです。
そう言えば蘇我馬子と推古天皇との関係も昔から取りざたされているけど、どうなんだろう?
303 :
日本@名無史さん:04/05/12 07:45
今は否定的な見解が有力だが、別に通説とか定説というほど強力でもない。
関係があったとしてもいいんじゃない?
それで何か大きく歴史が変わるわけでもないと思うけど。
馬子と推古天皇はさすがにないだろ。「昔から」っていつよ?
304 :
日本@名無史さん:04/05/12 21:17
>>303 >「昔から」っていつよ?
ちょっと曖昧な書き方でしたね、すみません。
直木孝二郎氏の「古代国家の成立」に書いてあったんですけどね。最初は直木氏
独自の考えかと思っていたんですけど、邦光史郎氏の本にも書いてあったもんでね。
その本によるとやはり単なる叔父と姪の関係ではなかったとされているらしいです。
どちらの本も根拠は全くないがそれを感じさせるという書き方でしたけど。
>根拠は全くないがそれを感じさせるという書き方
なんじゃそりゃ・・・・・・。
関係があったとしてもいいんじゃない?
それで何か大きく歴史が変わるわけでもないと思うけど。
306 :
日本@名無史さん:04/05/29 06:13
同父同母の妹とヤってたらしいよね
当時でも禁断のタブーなのに
307 :
日本@名無史さん:04/06/20 00:27
308 :
日本@名無史さん:04/07/18 01:08
そのせいで、なかなか即位できなかった。
309 :
日本@名無史さん:04/07/18 22:09
中のO N O J!
310 :
日本@名無史さん:04/08/10 11:36
葛城皇子とスールになりたい
311 :
名無しの日本史:04/08/10 15:30
うちの学校の日本史の先公が、中大兄皇子のことを中大兄皇子(ちゅうだいきょうおうじ)って
言ってた。
大嫌い。
>>302 古代史で、同母の兄妹の絆が強いと、現代人の感覚で、すぐ近親相姦を疑ったのが、昔の大先生方。
古代における、兄妹の絆は、夫とのそれよりも、強かった、ということでつ。
古代姫彦制の文化、というのですが、男が政治を行い、女が神を祭る。
男の政治を、女が神に守護願ったわけで、この神の後ろ盾が男の政治力を決めたわけです。当然二人は運命共同体。
伊勢の斎宮なぞは、その名残で、肉体関係とは関係なく、古代の女が巫女として、男に影響力を振るっていた、証拠、なんですね。
何でもあっちの話にする先生方の、品性が知れますw
ついでに、中大兄の即位が遅れた理由は、よくわからないのですが、政治的計算と考えるのが普通でしょう。
お飾りの天皇を押し立てて、実権だけを握っていた模様。
それがあからさまになったのが、孝徳帝の置き去り事件。
自分の政権を神に守護願ってくれるはずの、間人にまで見捨てられて、中大兄の力は、万人の目にまで明らかになってしまったのですね。
別に、天皇の地位が欲しかったのではなく、国を動かす実権があれば、よかったようです。
まだ、政局が安定したと、判断していなかったのか…。
近江朝は、半島から手を引いて、いよいよケツまくった中大兄が、即位しました。
額田王に代表される、華やかな宮廷文化が花開いた時代の模様です。
天智天皇は、文学的功績も大です。
漏刻もつくったし、ちょっと、デキがちがうお人のようです。
天武帝が、あとのいいとこ取りした感、あり。
大海人も、壬神の乱で、帝位を纂脱した男だが…。
そーいえば、信長とお市の方の仲まで疑った人もいましたね。
ポルノちっくな妄想を学問に持ち込むなんて、学者って、何でもアリで、いいでつねw
アホくさい…。
そーいえば、「中大兄」の意味を、
『間人皇女が、古人大兄に次ぐ、「真ん中の大きい兄さん」と呼んだのだろう』
という、珍説にも、お目にかかったことがあります。
何でもアリで、いいでつね。
間人さんは、中皇命(なかつすめらみこと)であろうといわれている人でつ。
中皇命=中継ぎ天皇、と考える向きもありますが、古代姫彦制の文化の名残とすると、「斎宮」のような、立場だったとも、考えられます。
中大兄には、二人の中皇命がいて、斎明天皇と間人皇女。この二人が、皇太子中大兄の政治的実権を保障していた、と考えられます。
よって、二人を喪った時点で、中大兄は天皇に即位せざるを得なくなったのでしょう。
正妻倭姫の歌にも、巫女的役割を感じさせるものが、あります。
近江朝の華やぎは、柿本人麻呂の歌に、繰り返し懐古されています。
中大兄というのは、中(次の、2番目のという意味じゃなかった
源氏物語では、二人姉妹でも長女は大姫、次女は中君と呼ばれてます。
だから、真ん中という意味ではないです。)
中大兄の中は、古人大兄に対して、次男の大兄という使い方と思われ。
そもそも、「大兄」を、「大きい兄さん」などとほざく奴が、
学者を名乗ってるののが、アホくさくて、やってられませんでした。
「大兄」とは?
私の記憶が確かなら、ほぼ、今日の「皇太子」と同義。
つまり、中大兄皇子は、やっぱり、日本史における、スーパーヒーローなのでありました。
人間的にも書紀の斎明天皇挽歌や、鏡女王の相聞歌なぞ、優しい一面もあったようで、
公的な面を記録した書紀の中大兄と、万葉集など個人的な中大兄の矛盾は、
故石母田正先生などが、古代専制政治の暗黒の宿命、として説明されていました。
(確か。史料は、多分、どっかにしまいこんでしまった……)
井上靖先生の『額田女王』が、やはり、小説としては、一番まとも。
皇極天皇と、蘇我入鹿の男女関係まで妄想した作家がいましたが、
もう、その手のハナシは、無知を曝け出すだけなので、
作家先生も、止めて欲しい。
世の中、スケベが多いのは分かるけど、なんでもかんでも……とは、いきません。
あ〜〜〜、久しぶりの初期万葉時代♥
大兄は皇太子のようなものだったかもしれませんが
同時に何人もこの名を持っている皇子が存在するので
厳密には、大化の改新の後の皇太子(孝徳紀)とは少し
意味合いが違うと思いますが。
次の大王候補のうちの一人、ぐらいと思われ。
「額田女王」の中大兄皇子は確かに一番まともで面白い。
>古代専制政治の暗黒の宿命
なかなか善い事おっしゃいますね。
ただ、中大兄はどうしても好きになれない。
半島出兵後の無様な有様を見てもわかるように
スーパーヒーローとはとても思えませんけど
情けなさすぎる。
中大兄の皇子の斉明天皇挽歌(紀123)
冬十月癸亥の朔己巳に、天皇の喪、帰りて海に就く。是に皇太子、一所に泊てて、
天皇を哀慕ひたてまつりたまふ。乃ち口号して曰く、
123
君が目の 恋しきからに、
泊てて居て かくや恋ひむも 君が目を欲り。
乙酉に、天皇の喪、還りて難波に泊れり。
同じところに停泊していながら、もはや目をもってみ、魂の交流を行うことができない嘆きが
一首の焦点をなしており、喪歌の儀礼的表現から脱した挽歌としての澄明な美しさをもった
作品として完成している。挽歌の詩としての成立を示す充実した一首といえよう。
野中の川原の史満の挽歌(紀113・114)
皇太子、造媛徂逝ぬと聞きて、愴然傷怛みたまひて、哀泣みたまふこと極めて甚なり。
是に野中の川原の史満、進みて歌を奉る。歌ひて曰く、
113
山川に 鴛鴦二つ居て 偶よく
偶へる妹を 誰か率にけむ。 其の一。
114
本毎に 花は咲けども、
何とかも 愛し妹が まだ咲き出来ぬ。 其の二。
皇太子慨然頽歎き褒美て曰はく、「善きかも、悲しきかも」。乃ち御琴を授けて唱はしめたまふ。
絹四匹・布二十端・綿二褁賜う。
この歌は、『古事記』の大御葬歌(記34〜37)のような葬歌とは発想の次元を異にした、死者を傷む抒情詩としての挽歌の
最初の記録として注目される。それが渡来氏族によって皇太子の代作歌として作られ、皇太子に献呈されていること、
その作が、『詩経』冒頭の「関雎」の詩を粉本として作られたとする説は否定せらるとしても、
この説を否定した身崎寿氏も漢土の文雅に通じた「鴛鴦」のイメージに基づく発想表現としてすこぶる新鮮な機能を発揮していることを
認められていること、他の一首も後に述べるごとく漢土の詩想によって日本の伝統的歌謡の世界から脱け出した新鮮な叙情詩たり得ていると
認められていること、皇太子が川原の史満の歌にいたく感動して賞美し、琴を授けて唱わせていることなどは、挽歌の歴史を考えるうえに
きわめて重要である。
そして、琴に合わせて唱歌された二首が、いずれも整然とした短歌形式であることも、短歌定型の確立が宮廷貴族の世界における
叙情詩の形成と不可分であったことを示唆するものとして注目される。
それは、歌垣や神事・葬送・戦闘などの儀礼の場で歌われるものとしてあった民謡が、中国詩を媒介として宮廷貴族の世界で唱歌され、
鑑賞されるものとなるとともに、かれらの生活の哀歓を彩る叙情詩として確立して行った過程を典型的に示すはやい記録として注目されるのであり、
土橋寛氏が説かれたように、この記述がたとい川原史による虚構的述作であった可能性があるとしても、その叙情詩としての和歌形成を考えるうえに、
きわめて重要な記述であることは変わらないであろう。(『古代歌謡全注釈日本書紀編』)。
>半島出兵後の無様な有様を見てもわかるように
はぁ……。
でも、史上初めて、日本に官僚国家を打ち立てようとしたのは、
中大兄であって、その試行錯誤を、私は「無様」とは思いませぬ。
後に続くものの方が有利なのは、誰もが、悔しい思いをしたこと、あるはず……。
とにかく、女に優しくて、おモテになったのは、万葉集に並ぶ挽歌からも想像出来ます。
パイオニアは、成功と失敗、紙一重。
あぁ〜〜〜、疲れた。
寝ます。
オリンピックまで、持たない……。
反論、お待ち申し上げております。
私は、限界ですが、どなたか……。
では、さらば。
329 :
日本@名無史さん:04/09/01 00:35
>>328 >>とにかく、女に優しくて、おモテになったのは、万葉集に並ぶ挽歌からも想像出来ます。
もてていたのは大海人皇子では?
そして大海人皇子から奪ったのでは?
>>329 >もてていたのは大海人皇子では?
>そして大海人皇子から奪ったのでは?
そんなに奪ってましたか……?
私は額田王以外にも……?
天智が随分と娘達をやったことは記憶してますが……。
額田王も、天皇の御言持ち歌人として、近江朝の文学サロンで云々と、説がありますし……。
天智天皇挽歌は、まず、歌を詠んだ女達の数も多いし、想いも深い。
女達が優しくされていたから、これだけの数の挽歌が揃ったと、考えられます。
大海人皇子は、はっきり言って、謎が多すぎる。
なにも分からないといっていい人。
額田王とは、若い頃に子供までつくった中だが、
その後は、万葉集の「雑歌」に歌が出てくるだけ……。
この、「雑歌」に納められているいることが、結構な問題になってますよね……。
>もてていたのは大海人皇子では?
すみませぬ。この、前提の根拠を、私は知りません。
>>329 額田王は、若い頃、大海人の妻の一人となり、十市皇女を儲けますが、
やがて、斉明(実態は中大兄)朝頃から、天皇の御言持ち歌人として、宮廷に入ります。
言霊の力をもって、天皇の政策の成功を祈り、歌を詠んだわけです。
有名なのは、熟田津出航の歌、近江遷都の際の、三輪山の歌。
時の為政者の政策を寿いだり、古き大和の神々の魂鎮めをしたりしています。
三角関係というと、すぐに持ち出されるのが、中大兄の大和三山歌ですが、
これも、宮廷神事に伴う歌の一つとして考えるのが、最近の趨勢ではないですか?
香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし
古へも しかにあれこそ 現身も 妻を争ふらしき
反 歌
香具山と 耳成山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原
播磨風土記にあらわれる、出雲のあぼの大神の神話を詠むことで、播磨の国つ神を「鎮める」神事の歌です。
もう一つ、反歌がありますが、私個人は、これは、額田王の歌ではないかと、その作風から考えております。
熟田津の歌に似た、スケールが感じられます。
わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 まさやかにこそ
Cf.
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎいでな
同じ状況下で詠まれた、歌と思われます。
万葉の歌をみると、大海人、中大兄ともそれぞれに妻達には
もてていたようですね。女人との贈答歌がどれも秀逸。
また天智の挽歌群は数も質もなかなかのものです。
額田に関しては、奪ったというより、額田のほうも・・・・
というような気もいたしますがどうでしょう。
額田王、近江天皇を偲ひて作る歌なども残っていることですし。
(ただ、この歌と次の鏡王女の歌は後人の仮託という説あり)
専制君主でも、後宮の女人達にはいい夫だったのでしょうね。
天武天皇の強みは、なんと言っても、皇子たちに恵まれていた。
皇后が後の持統天皇であった、の二つに尽きます。
皇子たちは父帝の意を汲んで動き、天皇が矢面に立つことで、憎まれることもなかったと思われます。
天智天皇は、非常に損な立場であったと思いますね。
有名な、紫野の歌は、残念ながら、「雑歌」に分類され、「相聞歌」ではありません。
茜さす 紫野ゆき 標野ゆき 野守はみずや 君が袖振る
紫の にほへる妹を 憎からば 人妻ゆゑに 我恋めやも
公式の場で、なんらかの状況で、詠まれた「雑歌」です。
額田王の才能を、見出したのが、斉明天皇か、天智天皇かは、分かりませんが、
彼女の全盛期が、中大兄の政治の全盛期にぴったり重なるのは事実です。
女として考えると、それは……むずかしいですね。
少なくとも、冷酷で、キライな権力者のために、ここまでするか…?とは、思います。
さらに踏み込んでしまうと、「挽歌」を詩として成立させたのが天智天皇なら、
(有間皇子挽歌は、未だ、民謡の域をでておらず、「文学」ではなかった)
「相聞歌」を詩として成立させたのも、天智天皇でありました。
天皇が鏡女王に賜った御歌
妹が家も つぎてみましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを
鏡女王が御歌にお答え申し上げた一首
秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそ増さめ 御思ひよりは
ちなみに、鏡女王は、額田王の姉ではありません。
亡くなった時、「薨去」と書紀に記された、歴とした、皇族です。
このように、俗説、二次、三次史料には、「なんだかなぁ〜」というものが、多いです。
まして、小説家のそれなんて……笑っちゃったりして……ww
万葉集は、書紀に現れない、生身の人間の声が聞こえてきて、私は好きですね。
335 :
日本@名無史さん:04/09/01 23:42
>天智天皇は、非常に損な立場であったと思いますね
いや、天智も自分が矢面にたたないように、孝徳天皇、斉明天皇
をお飾りとして即位させたのではないのですか。
ただ、あくが強すぎて、黒いイメージをぬぐいきれなかっただけで
大海人と比べて、特別損な立場とも思えませんが。
(この頃は孝徳帝は、お飾りではないとの説が強くなってますが。)
斉明天皇の後は間人が中皇命として、即位したが早死にしてしまい
仕方なく、自身が即位したのでしょう。
申し訳ない。
間違えてあげてしまった。
>いや、天智も自分が矢面にたたないように、孝徳天皇、斉明天皇
>をお飾りとして即位させたのではないのですか。
上をお飾りにして、下で実権を握る、というのは、イメージ悪いですよね。
手足のように動く、皇子たちが沢山いれば、揉め事もあったでしょうが、
「闇将軍」的イメージは、避けられたと思います。
>間人が中皇命として、即位したが早死にしてしまい
中皇命は、あくまで、姫彦制の「姫」、斎宮で、天皇として即位したとは、
私は考えていません。
「大空位時代」と、考えております。
最期の「姫」とでもいいますか……。
過渡期の人と思っています。
孝徳帝が「必死だった」というのは、わかりまつ。w
いや、受け取り方の違いでしょうね。
上をお飾りにするのも、息子達を影で操るのも変わらないような気が。
天智も晩年は息子の大友を太政大臣にしていますが、天智が大海人を隙あれば
処分しようとしたという印象は抜けきれないし・・・
中皇命に関しては、説がいろいろあって、どれが決定的
なのか解りませんね。イメージもそれぞれ違ってくるし。
ただ近親相姦説は?
相姦説は、吉永登の妄想です。
>>313に、戻ってください。
天智は、自分の息子に天皇位を譲りたかったんです。
兄弟相続は、したくなかった。
結局、大海人が、簒奪いたしましたが。
直系相続の原則が決まったのは、大友皇子の忘れ形見葛野王の一言でしたね。
兄弟相続が、争いの原因をつくる、ということで。
342 :
日本@名無史さん:04/09/02 09:39
采女の子の大友に皇位を譲ろうとしたことが壬申の乱の原因の一つ。
葛野王は、持統天皇の意を汲んでの発言。
持統天皇は孫の軽皇子に皇位を譲りたかった。
相姦説が妄想かどうかは???
中皇命の地位については、これという確証はない。
皆、自分の好きな解釈でどうぞ。
天智も天武も持統も、大した専制君主っぷりだけど、一番うまくやったのは、持統。
残り物に福、で、時期もよかったのだろうが、結局、天皇になれば、最後に考える事は、誰しも同じ。
>采女の子の大友に皇位を譲ろうとした
皇后が皇子を産んでくれてれば、無問題だったんですがね。
今も、愛子様に皇位継承権を認めるかで、国論は一致していない。
>簒奪という表現はどうかと・・・。
大友以外の天智系の臣下を処罰できなかったのは、その辺のやましさがあったからと思われ…。
まあ、なんのかんの言って、光仁天皇からこっち、今上に至るまで、
皇統は、天智系で続いているわけだから、血筋正しい皇子に恵まれなかった天智天皇も、
もって瞑すべし、か……。
弘文天皇ってのは、いくらなんでも、無理、ありすぎ。
神代文字クラスの、天下のでっち上げだわ。
……もっと、酷いか……?
>相姦説が妄想かどうかは???
大久保正先生も「実証的な裏づけを得難く、ただちに従い得ず」と言ってますしね。
田辺幸雄先生は、童謡と見て、大久保先生も賛成してらした。
>>335 卑母皇子しかいなかった、というのは、後継者を考えた場合、やはり、相当、不利で、ゴリ押しせざるを得なかったと思われ…。
いかんせん、パイオニアだから、意を汲んでつーかーで動く人材も、限られていたろうし…。
持統がみんな見てて、学習した形跡はあるが…。
健王でも成人していればねえ
建皇子は、啞でもあった。おばあちゃんの斉明天皇が、不憫に思って、可愛がった。(泣)
呪われてるとしか思えない、後継者問題……。
持統が男だったら、全く無問題だった。
大体、この父娘は、やることが似てるね。娘が真似たんだろうけど……。
スマソ…。
「吉永登先生」です。
>>344 大友皇子が即位していた傍証はいくつかあったはずだけど。
>>351 伴信友が言い出した説?
「大日本史」が採用したのは知ってますが。
>傍証はいくつかあったはずだけど。
それは知らない。詳細きぼんぬ。
それが実証できれば、天武朝は、完全に簒奪王朝ということになりますが……。
そういや、皇后の倭姫は、古人大兄皇子の娘。
倭姫の、天智天皇挽歌は、そんな因縁を感じさせない、強い祈り、絆を感じるね。
姫も、立派な女性だったのでしょうが、中大兄皇子も、優しかったんでしょうね、プライベートでは…。
>>352 懐風操と万葉集だったかな?
ただし、天皇といっても正式な即位じゃなくて「称制」だったんじゃないか
という解釈の方が有力らすい。
355 :
日本@名無史さん:04/09/05 15:39
懐風藻では大友太子の記載はあるが天皇扱いはされていないと思います。
大友即位は「扶桑略紀」と「水鏡」では肯定。
「大安寺伽藍縁起、、、」に記録が残る「仲天皇」が倭姫に擬されており
天智の死後は倭姫が仲天皇として即位したという説があります。
この辺は天智紀の「洪業を奉げて、大后に付属けまつらむ」との大海人
の言葉と合致いたします。
大友は正式に即位せず太子のままだったと解釈されるようです。
万葉では高市挽歌から、高市と十市が相思相愛であったと想定し、壬申の乱後
何故、結ばれなかったかは、十市が皇后位についた過去があるためとした意見
があります。
高市は母の身分が低く、皇位継承には関われないが、壬申の乱の手柄に加え、先皇后
を娶れば、皇位継承には有力となるため、おそらく持統天皇あたりが反対したとした
文献がありました。
でもこれらの意見は、あくまで憶測の域をでませんので
他に何かありましたら詳細を是非お教えください。
私は正史の「日本書紀」の編纂者が舎人親王なので、大友即位
を記載しなかった、という意見で納得。
いずれにしても、全て、二次、三次史料だから、厳しい罠。
正史はあくまで「書紀」だから、それを覆すには、更なる原典の発見が待たれる。
考古学的発見とか……。
無理だろうけど……。
大友と高市は、表裏一体だね。
憶測だが、大友は即位したから殺され、高市は補佐役に徹したため、生き延びた、とも見える。
高市も学習している……残り物には、福、だ。
あくまで、個人的考察なんですが……。
天皇、内大臣藤原朝臣に、春山の萬花の艶、秋山の千葉の彩とを、
競い憐びしたまふ時に、額田王が歌を以って判ずる歌
冬こもり 春去りくれば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど
山をしみ 入りても取らず 草深み 取りてもみず
秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのぶ 青きをば 置きてそ嘆く
そこし恨めし 秋山そ吾は
こういう、華やかな場で、己の才を花開かせる機会を与えてくれるパトロンに、
女が心を与えないわけがない、と、女の私は思うんですね。
たとえ、男にとっては、ただのプロパガンダにしても……。
額田王の気持ちになると、中大兄皇子は、最高の男性に見えますね。
文学サロンの、女王様にしてもらったって、感じでしょ、多分……。
で、パトロンは、最高権力者……♥
さいこー☆
ちなみに、「春よりは秋」という美意識は、中国渡来のもの。
大陸かぶれの、中大兄皇子の美意識そのままの歌なんですね。
それまでの日本人の美意識は、なんといっても、「春」だった。
以上、額田王は、どうみても、中大兄皇子に靡いていた、としか、私は思えないのです……。
1
大津は、中大兄に、似ていた(?)…気がする……。
あまりに、主観的で、根拠はないが……。
363 :
日本@名無史さん:04/09/24 00:54:07
364 :
日本@名無史さん:04/10/08 22:49:28
唐揚げすんな。上げるなら、なにかネタふれ
366 :
香蘭:04/10/19 23:19:12
私が引っ掻き回しましたかしらん???アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノ dj! dj!
何しろ、吉永登先生の説は、絶対に認めない!!
……っといっても、だぁれも痛くもない。
卒論じゃぁね……λ……トボトボ。。。
自己満足に自分のレスを読み返してみる。
>313->319>321->322>324->328>330->331>333->334>337>339-340>343->346
>348->350>352->353>356->358>360->361
ふ〜〜〜〜ん……嫌な奴、アタシって……。
部屋の片付けをしていたら、井上靖『額田女王』が出てきた。
久しぶりに読もう。
中大兄サンに逢いに逝くです♥
>>366 ほう。珍しいね。漏れと少し考え似てるかも。漏れは中大兄の方が断然好きだなぁ。
なんか通俗的な理解だと「中大兄が陰謀家で大海人がヒーロー」
みたいなイメージが流布しててウンザリしてんだよ。
大海人の方がモテたんじゃないかってのは認めるけど
頭よくて能力もあって中大兄以上に陰謀向きだったろうと思う。
でも、第一に血筋の差が大きかった(大海人は用明帝の曾孫)のと、
第二に蘇我氏とのからみで大化のクーデターから疎外されてたせいで
クーデターの立役者の中大兄とはかなりの差がついてたんだろうと。
近親相姦の件は、以前は否定的だったけど、最近はあってもいいんじゃないかと思ってる。
中大兄は「大昔は同母の兄弟姉妹でもタブーとされてなかった」ってことをどっかで知ってて、
この大改革の機会にそのへんの制度もどうにかしようと思っていたのでは、と妄想してみる。
368 :
香蘭:04/10/21 11:39:49
鳩山兄弟みたいなものでしょうかね。
スケールにはえらい差がありますが。
大海人は、若い頃、全然消息不明で、下積み生活が長かった。
その分、巧く立ち回ったし、持統の存在も大きかった。
皇子も大勢いたし、天智天皇の娘根こそぎ娶るって感じで、後継者にも不自由しなかった。
なにより、中大兄は、トップランナーの、風当たりの強さが、損でしたね。
一番巧くやったのは、「残り物」の、持統。
369 :
日本@名無史さん:04/10/23 01:44:23
弟においしいところかっさらわれた損な役回りの葛城君。
もちろん、黒岩重吾より井上靖派ですわ。
昔NHKで、大化の改新から壬申の乱までの2時間ドラマ(前後編で系4時間)
あったな。
中大兄が若い頃の近藤征臣でけっこうかっこよかった。
大海人が若い頃の松平健。優柔不断なキャラって感じでいまいちだったなぁ。
>>370 見てないです、、、
いつ頃の放送でしたか?
私としては、そこに山本陽子の額田王、岩下志麻の鵜野皇女なんかだと
もっといいのですが……。
最近の若手の俳優サンでは軽いので、あんましドラマ化とか、して欲しくない。
>>371 ものすごい大昔だよ。
京マチ子が斉明天皇で、萎えた。でもこれは京マチ子が悪いんじゃなくて
脚本家のキャラクター造形のせいだけど。
あとはぐれ刑事純情編の人(婿殿)が蘇我赤兄の役。
、、、なんとも、コメントのしようなかりけり、、、
映像化は、やっぱ、(*゜×゜)
>>372 でも近藤正臣の中大兄はかっこよかったんだよ!
>>375 ありがとう。
それと、べつにかっこよくはなかったけど、松平健の大海人もすごく雰囲気あって似合っていた。
>>376 この二人に関しては、ベストなキャスティングとは、思いますね。
間人が松坂慶子だと、もっと良い気が……。
今時の人だと、ちょっとイメージ湧かない……。
またやってくんねーかな、NHK。
でも今やるとまた意味もなく百済人がでてきて不思議にも韓国語をしゃべったり
するアホなシーンを入れられそうだからやっぱりいいやw
379 :
日本@名無史さん:04/11/10 23:28:57
百済人になんで韓国語をしゃべらせたの?
高句麗語とともに夫余系諸語をきぼ〜ん
381 :
日本@名無史さん:04/11/27 00:39:18
NHKはチョンの乗っ取られてしまった
382 :
日本@名無史さん:04/11/27 10:21:11
370 :昔NHKで、大化の改新から壬申の乱までの2時間ドラマ(前後編で系4時間)
あったな。
中大兄が若い頃の近藤征臣でけっこうかっこよかった。
大海人が若い頃の松平健。優柔不断なキャラって感じでいまいちだったなぁ。
僕的には、
天智天皇→柳葉敏郎
天武天皇→織田ゆうじ(漢字忘れた)
蘇我入鹿→石橋蓮二郎
中臣鎌足→竹中直人
孝徳天皇→柄本なんとか
有馬皇子→えなりなんとか
高市皇子→草なぎチョナンカン
間人皇后→久保純子
額田女王→松田聖子
持統天皇→近藤さと
でおねがいしたい。
383 :
日本@名無史さん:04/11/27 15:22:43
額田王 岩下 志麻
大海人皇子 松平 健
中大兄皇子 近藤 正臣
鎌足 三国 連太郎
間人皇女 秋吉 久美子
有馬皇子 川崎 麻世、
大友、十市、入鹿、忘れた。
間人が「お兄様の子を身籠ったから、栄養つけないと」と
いいながら、中大兄と鎌足の面前で牛乳を飲むシーンで笑った。
384 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :04/11/28 16:05:07
再放送きぼんぬ!!!!
NHKに逝ってください。こんなとこで逝ってもNHKには聞こえまへんw
386 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :04/11/28 19:37:55
もう、逝ってしまったwww
387 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :04/11/28 19:39:32
N・H・Kに、めるしる。
藻前がな。
389 :
日本@名無史さん:04/11/29 07:46:00
yonnsama
390 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :04/12/01 13:58:13
蘭ちゃんめる、した。
もっと、めるしるひと、いるかしらん?
みたいよ〜〜〜〜、そのドラマ!!
NHKに無視された。
再放送きぼんぬ!!!
392 :
日本@名無史さん:04/12/17 02:23:08
間人皇女とのあいだの子供の名前を教えてくださいませ
393 :
日本@名無史さん:04/12/17 02:30:11
俺は藤原鎌足の子孫だーーー!!!!!
394 :
日本@名無史さん:04/12/17 03:34:03
なんか榎本孝明のイメージ...
やた!!
NHK!!
ドラマ「大化改新」放送予定!!
仲代達也「無名塾」先生も出演!!
詳細は、おたのしみ。。。
>>392 間人さんは、「小梨」ではなかったでつか?ねぇ?
>>394 榎本孝明≒ジェラール・フィリップ
未だに抜けない、このイメージ・・・。
392
確か、流産か、なにかあって間人が死んでしまうという設定だった。
子供は生まれなかった。
入鹿と鎌足が親友だった、という話らしい・・・NHK「大化改新」
なんか、見る気、失せたよ〜〜〜な・・・。
ガックシλ……
>>385、390-391
あの〜、
>>383のドラマはNHKじゃなくてテレ朝系でしたが・・・。
1980「額田女王」井上靖原作 中島丈博脚本
額田女王=岩下志麻
中大兄皇子=近藤正臣
大海人皇子=松平健
間人皇女=秋吉久美子
中臣鎌足=三国連太郎
孝徳帝=中村富十郎
讃良皇女=樋口可南子
有間皇子=川崎麻世
大友皇子=三田村邦彦
皇極・斉明帝=京マチ子
蘇我入鹿=津川雅彦
蘇我赤兄=藤田まこと
阿部比羅夫=宝田明
399 :
日本@名無史さん:04/12/31 12:03:59
又吾一門の人人の中にも、信心もうすく日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし。
其の故は仏法日本に立ちし事は、蘇我の宿祢と馬子との父子二人の故ぞかし。
釈迦如来の出世の時の梵王・帝釈の如くにてこそあらまじなれども、物部と守屋とを失ひし故に、只一門になりて位もあがり、国をも知行し、一門も繁昌せし故に、高挙をなして崇峻天皇を失ひたてまつり、王子を多く殺し、
結句は太子の御子二十三人を馬子がまご(孫)入鹿の臣下失ひまいらせし故に、皇極天皇は中臣の鎌子が計いとして、教主釈尊を造り奉りてあながちに申せしかば、入鹿の臣並に父等の一族一時に滅びぬ。
400 :
日本@名無史さん:05/01/01 02:31:03
400
401 :
日本@名無史さん:05/01/12 19:42:45
間人皇女の子の父親は実は、、、てこと?
402 :
日本@名無史さん:05/01/13 11:10:02
間人皇女に子供はいないよ
403 :
日本@名無史さん:05/01/15 14:54:46
この人の血は、持統、称徳天皇に受け継がれているとおもふ。
404 :
日本@名無史さん:05/01/31 01:35:27
称徳天皇は、天智の女系だろ?
405 :
日本@名無史さん:05/02/18 22:37:43
間人皇女は、中大兄皇子の子を産むべきだった。
406 :
日本@名無史さん:05/03/03 19:25:34
とんでもない天才が生まれる可能性もあるみたいね
407 :
日本@名無史さん:05/03/06 13:01:11
むりだ
おまえには
遺伝的には、天才の生まれる可能性と同時に…
410 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 19:02:36
近親相姦はリスク高いね
藤原不比等は異母妹と結婚して子が生まれた(麻呂)
橘諸兄は異父妹と結婚して子が生まれた(奈良麻呂)
しかし近親タブーが緩かった古代においても
同母妹との結婚だけは許されないタブーだった
その点が中大兄皇子と間人皇女の悲劇だった
412 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 22:19:50
初めてこの板来ました。ここのスレタイにハゲワラタ。
中大兄皇子って、ゲームじゃヒーローなの?いや、自分も好きだけど。
>398のドラマ、見た事あるよ。なつかしー。当時リア厨だったよ自分。
近藤正臣とマツケンが並ぶとマツケンの方が体格良くて、このキャスティング
だけで兄弟逆転説を信じたくなったよw
京マチコの着物の裾に入鹿の生首が噛み付くシーンが記憶にあるなぁ。
入鹿役って、緒形拳だと思ってたけど記憶違いみたいね。
正確には親子と同父母兄弟姉妹の結婚だけがタブー
それ以外の結婚はOKだったのが古代日本人の倫理観
高市皇子は異母妹の但馬皇女を妻にしている
平安時代になってからも、宇多天皇の皇子、敦慶親王は
同じく宇多天皇の皇女(異母妹)の、均子内親王を妻にしている
414 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:44:53
孝徳の後、すぐ即位してもよさそうなのになぜ斉明を立てたのか?
この時はまだ若かったからという言い訳はまぁ成り立たなくもないが、
斉明の後、いい加減そろそろ即位してもよさそうなのに、なぜ何年も空位のままなのか?
(この間、間人太后が女帝的存在だったという説もあるが、
それにしても間人太后を立てる必要がなぜあったのかわからない。
間人太后が死んでもまた即位を先延ばしにしてるし)
415 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 12:39:01
喪にふくしてたんじゃない?
暗殺や不慮の死だと喪は短いから、普通の死だったと。
権力があり、自然死だと喪は非常に長いらしい。
>>415 それはおかしい。普通は天皇死んだらすぐ次ぎが即位してるじゃん。
なんで斉明天皇崩御の時だけ7年も喪に服するわけ???
タブーを犯した葛城皇子は、間人皇太后が崩御後
その喪が明けるまで、天皇即位を遠慮したのだよ
国文学者吉永&歴史学者直木説
665年、間人皇后崩御
668年、葛城皇子即位(天智天皇)
間人の崩御後、三年喪に服した後に天皇に即位
419 :
名無し募集中。。。:2005/04/03(日) 15:06:44
タブーを犯したら完全に失脚の上、即位資格も剥奪されるんじゃないか?
木梨軽皇子の例からいえば。
>>420 葛城皇子には実力があったのさ
だから皇子が難波宮に孝徳天皇を置き去りにしたまま飛鳥に帰還した時
諸王、諸臣も天皇を見捨てて葛城皇子と共に飛鳥に帰還した
しかも間人皇后自身、自分の夫である孝徳天皇を見捨てて
兄の葛城皇子と共に飛鳥に帰っている
以上
それならタブーを犯したことがまったくマイナスになってない。
斉明の後にすぐ即位できたはず。
倭媛が「そう簡単に皇后になってやるかよっ、ペッ」って
天の岩戸にこもってハンストでもしてたんじゃないの?w
>>422 葛城皇子の内面の問題だろう
たとえ即位しても間人を自分の皇后には出来ない
そして皇太子のままでも政治は出来る
だから間人が崩御した後、三年間喪に服したのちに即位
これで葛城が直ぐに即位しなかった理由の説明が出来る
斉明の後、中大兄が即位しなかった理由は、
1)天皇としての祭祀から遠ざかり政務に集中するため
2)同母妹の間人太后との関係がスキャンダル視されたから
3)天智と天武の対立をさけるため両者の母が即位した
などの諸説があるが、どれにも反対論があり、いまだ決定的な説はない。
>>425 1)天皇としての祭祀から遠ざかり政務に集中するため
天皇不執政論はあり得ない
その証拠に天智や天武は即位後も自ら率先して政治行なった
3)天智と天武の対立をさけるため両者の母が即位した
これでは斉明崩御後も、葛城皇子が即位しなかった理由の
説明になっていない
427 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 20:44:23
>>427 天智・天武の対立回避の為に斉明が即位というのなら
斉明崩御後にも葛城が即位しなかった理由は何?
429 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:15:36
妹の間人皇女がまだご存命だったから
間人皇后崩御の三年後に即位した天智天皇
三年間、喪に服していた訳ですな
天皇が崩御した場合ですら空位をつくるのは異例なのに
間人皇后ごときで3年もの空位をつくってまで喪に服すのはおかしい。
喪に服してたんじゃなくて別の理由だろう。
>>428 中大兄と大海の対立というのはそういう説もあるというだけで
もれが支持しているわけではない。
個人的には大海がそれほど有力者だったとは思えないし。
>>431 間人皇后は葛城皇子にとって特別な存在だったから
けじめの為に3年間、喪に服したと思われ
そして即位後、皇后として古人大兄皇子の娘である倭媛王を迎えた
個人的なけじめで3年も空位をつくるなんて許されないだろ。
それくらい近親タブーを犯したことは重大だった
だから、そんなに重大ならその前に政治的に失脚してるって。
中大兄の政治的立場にゆるぎないことからみて
タブーはほとんど何の障害にもなってなかった。
または、そもそも間人との肉体的関係など最初から否定する説も有力だったはず。
政治的には失脚するほど葛城皇子の力は弱くなかった
それは孝徳天皇を難波宮に置き去りにしたとき
皇極上皇、間人皇后、大海人皇子も、葛城に従って
飛鳥に帰還してた事で証明できる
しかし、人の内面の問題は政治力とは別次元の問題
だから
665年、間人皇太后崩御
668年、葛城皇子即位(天智天皇)
間人の崩御後、三年喪に服した後に即位
という事になった
そもそも間人との肉体的関係など最初から否定する説も有力だったはず。
それなら何故?間人皇后は夫である孝徳天皇を捨てて
葛城皇子と共に飛鳥に帰還したのかな
そして葛城皇子が即位したのが、間人皇后が崩御してから
3年後なのは何故?
ちなみに讃良皇女は大海人皇子と共に吉野へ行きました
夫である孝徳天皇を捨てて、兄の葛城皇子に従った間人皇后
夫である大海人皇子に従って、父の天智天皇を捨てた讃良皇女
この二人の違いも説明してください
天智と大海人の決裂は後継者争いが原因だから、
大海人対大友の問題だろう。
それに、大海人の内心は知らないが、
吉野へは争いを避けるために向かったはず。
少なくとも、表面上は天智に逆らって都を出たわけではない。
孝徳対中大兄の場合との違いは、
両者が(表向きには)敵対していなかったいうところだろう。
孝徳天皇と葛城皇子は両者が表向きに敵対したから
間人皇后は天皇を捨てて、兄の葛城に従って飛鳥に共に帰還ですか
それなら間人が孝徳を捨てて葛城に従った理由は?
その間人崩御の三年後に葛城が即位した理由は?
結局、葛城皇子の天皇即位が668年なった理由を
一番合理的に説明できるのは、同父母妹であった間人皇女との間で
近親相姦タブーを犯した為という説です
直木孝次郎&吉永登説がそれです
>>443 だから、それは通説では否定されてるだろ。
まず通説とは誰の説ですか?具体的な学者名で示してください
次に通説では、葛城皇子の即位が668年になった理由は
何だと説明していますか?それも示してください
通説などと言う抽象的なレスでは議論がなり立ちません
琵琶湖のそばに都が完成して落ち着いたから。
>>447 遷都が668年即位の理由になり得ません
持統天皇は即位してから浄御原宮から藤原京に遷都
元明天皇は即位してから藤原京から平城京に遷都
つまり天智天皇も即位してから遷都しても何ら問題はありません
>>445 遠山美都男氏が否定派です
即位が668年の理由は、
当時の慣習では、女帝の次の天皇には、
女帝の譲位を受けて即位するという形式が必要であったため、
(推古天皇の在位が長期に渡ったため、
聖徳太子等有力皇族が即位できなかったこと、
推古の死後、遺言を巡って紛糾したことなどが原因と思われる)
斉明の死の直後には即位できず、
間人皇女を中皇命として女帝の代理とし、
皇女が665年に世を去った後、
667年2月まで二年に渡って葬儀を行い、
斉明と共に葬った。
中大兄は、間人の葬儀を主催することにより、
中皇命の後継者=女帝の譲位という条件を満たそうとした
即位が近江遷都の後となったのは、、
近江が蝦夷がらの朝貢路を確保するために都合のよい場所であったこと、
天智が後継者とした大友皇子の後見氏族、
大友一族の一大拠点であったことが理由である
なぜ葛城皇子は、男帝である孝徳の死後に即位せず、斉明を重祚させた理由は?
やはり間人皇后との近親タブーの為に、葛城皇子は孝徳死後の即位を遠慮したと思われます
次に伊賀皇子にとって近江が都合が良いことが
遷都後の即位の理由になっていません
遷都前に即位して、伊賀皇子に有利な近江の地に移っても
何ら問題ではありませんから
最後に、女帝である称徳天皇の死後、光仁天皇は直ちに即位したから
女帝の場合、譲位が前提というのは単なる結果論に過ぎません
中大兄と間人が近親相姦のタブーを犯していたなんてのは
通説でははっきり否定されている。こんなのは好き者の憶測にすぎない。
だから遠山美津男もその説はとってないし、
大和岩雄も先行学説を要領よくまとめている中で通説を支持している。
ただ、個人的には百歩譲って、二人の間に肉体関係があった可能性は認めてもいいと思う。
問題はそれが即位を阻むほどの障害だったとは到底思えないということと
個人的なこだわりだとしてもたかが私事で、3年もの空位を作ることが許されるのか
という疑問は消えない。
しかし、ではなぜ即位を遅らせたのか?
遠山の説は明確な論理とは言いがたく、どうもむりやり感があって釈然としないし、
大和の説も、当時すでに大海人皇子が有力候補だったとは思えないので採用できない。
邪馬台国論争と同じで、誰しも他人の説を批判する時は鋭いのに
自説を唱える時にはひじょうに弱い立論しかできない。
要するに、現段階では「わからない」というのが学問的な正しい評価。
まず、直木孝次郎は著名な古代史家であり、吉永登は万葉集研究の
権威だから、決して好き者の与太話しではない
次に
>>449が挙げた遠山説では、孝徳天皇の死後に、皇太子だった
葛城皇子が即位しなかった理由の説明になっていない
また孝徳没後の時点で、大海人皇子が葛城皇子の強力な
ライバルだとは考え難いから、葛城と大海人の激突を避ける為に
斉明天皇が重祚したとも思えない
直木・吉永説(1)
「間人皇后は中大兄の同母妹であるが、それは夫を捨てる理由にならぬ。
孝徳が皇后を追いだしたのでもないことは、孝徳が大和へ行った皇后に
つぎの歌を送っていることからもわかる
金木つけわが飼ふ駒は引き出せずわが飼う駒を人見つらむか
むろん皇后を愛馬にたとえ、自分の意にそむいて宮をでた皇后と、
皇后をつれさった中大兄皇子とに恨みをのべた歌だ。」
『古代国家の成立』(中央公論社『日本の歴史』2)
直木・吉永説(2)
「しかし、この歌はただそれだけの意味だろうか。いったい、『見る』と
もちいるばあいは特殊な意味がある。つまり夫婦の契りをむすぶという
意味である。国文学者の吉永登氏はこれに着眼して、歌の意味は、
『だれよりも愛していたお前を他人が奪ってしまったのではないか。
お前はわたくしを捨てて他の男のもとに走ったのではないか」と
解釈した。」
『古代国家の成立』(中央公論社『日本の歴史』2)
直木・吉永説(3)
「孝徳のいう『人』(他人、他の男)とはだれか。いうまでもなく中大兄である、
と吉永氏は考える。中大兄は叔父の孝徳天皇から皇后を奪ったのである。
母を同じくする中大兄と間人皇后とのあいだにそのようなことはありえない、
というのは現代人の常識にすぎない。はらちがいの兄妹(異母兄妹)間の
結婚は、敏達天皇と推古天皇とがそうであったように、堂々とおこなわれて
いるのだから、同母兄妹間の結婚も古代ではありうることであろう。そう考え
れば間人皇后が孝徳をすてて大和へはしった疑問はとける。わたくしは
吉永氏の洞察にしたがいたいと思う。」
『古代国家の成立』(中央公論社『日本の歴史』2)
直木・吉永説(4)
「もちろん同母の兄妹の結婚が古代でもタブーであったことは事実だ。
允恭天皇の皇太子軽皇子が、同母妹の軽大郎女と結婚したために
皇太子の地位をうしない。皇位につくことができなかった話は、たんなる
伝説かもしれないが記紀に伝えられている。中大兄も間人皇后との
結婚を表むきにはできなかった。」
『古代国家の成立』(中央公論社『日本の歴史』2)
直木・吉永説(5)
「かれがこののちも長く皇太子のままでいるのはそのためではないか、
というのが、吉永氏の解釈である。天皇になれば皇后をきめなければ
ならないが、それができないのである。
その証拠に、中大兄が正式に即位するのは間人皇后がなくなって
からではないか、と吉永氏は論ずる。なるほど、間人皇后が死ぬのは
六六五年(天智称制四)、天智天皇の正式即位は六六八年(天智称制七)
である。いわれてみると、なぜ中大兄は二十三年もの長いあいだ皇太子の
ままでいたか、という古代史の疑問もとけるのである。」
『古代国家の成立』(中央公論社『日本の歴史』2)
460 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 14:01:59
>>458 >允恭天皇の皇太子軽皇子が、同母妹の軽大郎女と結婚したために
>皇太子の地位をうしない。皇位につくことができなかった話
仮に吉永登の近親相姦説を認めたとしよう。しかし吉永登はそれが即位できない理由だと
して日本書紀の木梨軽皇子と同母妹の軽大郎女を例をあげている。しかしこの記事は
よく読むと、「木梨軽皇子は儲君(太子)だから処罰できなかったので、軽大郎女を
伊予に島流しにした。木梨軽皇子は皇位継承権を失った」とある。だからこの例をあげる
のなら、中大兄は皇位継承権を失い間人は島流しにならなければおかしい。
しかるに中大兄はその後天智として即位しているし、間人も島流しどころか中皇命(なかつ
すめらみこと)として女帝そのもの(もしくは女帝に準ずる立場)となっている。
>>455-457 吉永登がいう近親相姦の根拠とは日本書紀にある653年に孝徳が詠んだという歌
「鉗着け吾が飼ふ駒は引出せず吾が飼ふ駒を人見つらむか」しかない。
この歌の駒を間人皇后のことだとして、「見つらむ」には男女相会う意味
があることから愛人(中大兄)のもとにお前は朕を捨てて走っていったのではないか」
となじっている歌だと解釈している。中大兄と間人の同母兄妹の間に肉体関係が
あったという吉永登の根拠はこの歌の「吉永流解釈“だけ”」である。
実際に日本書紀をみてみると、講談社学術文庫の日本書紀(宇治谷孟訳)では
「(前略)厩から引き出しもせず大切に飼っていたのにどうして他人が親しく見知るよう
になり連れ去ったのだろう」とあるだけ。岩波文庫の日本書紀(この部分は林勉訳?)
では「(前略)厩から引き出しもせずに私が大事に飼っていた駒をどうして他人が見た
のだろう」とあり、(西宮一民・井手至による?)注で「当時、見ルという言葉は男女相会う
意を示す場合もあるので、この表現は間人皇后に対する深い危惧・懸念・不安を表わし
ている」とあるだけで、ストレートに肉体関係が介在したことの証明にはなっていない。
また北山茂夫は、「この歌は王者の歌というよりすぐれて民謡調のもので、おそらく後世
の史官がありふれた民謡を材料にして作ったもの」としている。個人的には、そこまで
いうのはどうかとも思うが、皇族や上級貴族の歌を文章官が代作することは珍しくない
だろう。その際に、一介の官が皇位継承順位の高い皇族のスキャンダルを歌にする
とは常識的に考えにくい。しかも「この歌には吉永登がいうような意味はない」と国文学者
の神堀忍氏・土橋寛氏がかいている。大和岩雄も両氏を支持し「吉永登の解釈は深読み
のしすぎ。歌の解釈だけで問題を展開していることに私はついていけない」とまでいっている。
>>459 >天皇になれば皇后をきめなければならないが、それができないのである。
>その証拠に、中大兄が正式に即位するのは間人皇后がなくなってから
それは3年もの間即位を先延ばしにした説明にはならない。喪中であろうがなんだろう
が先帝が死去すればただちに新帝が即位するのが常例である。しかし皇后が必要な
ことはそのとおり。遠山美津男は「孝徳が即位するに際し、皇后を立てねばならなかったが、
適切な皇族女性は極度に限られ、そうそう得られるものではなかった。難波宮から去った
というが、もともと間人は母の斉明天皇と同行していることが多く、孝徳との結婚は
最初からかなりの程度形式的なものだったろう」という。
>>454 >まず、直木孝次郎は著名な古代史家であり、吉永登は万葉集研究の
>権威だから、決して好き者の与太話しではない
著名だろうが権威だろうが100%正しいとは限らない。少なくともこの件に関する説では二人は
少数派。吉永説を支持するのは直木孝次郎と松本清張だけで、それ以外に賛同者はいない。
井上光貞・上田正昭・大和岩雄・神堀忍・北山茂夫・黒岩重吾・土橋寛・遠山美津男・黛弘道
みな近親相姦説を否定的にみている。この中には直木とならぶ著名な古代史家もいれば
国文学者もいる。
中大兄皇子は飛鳥が大嫌いだったんじゃないか?
宗家倒しても、蘇我はまだいるし、その他の豪族連中がうっとおしくて
近江に都作りたかった・・・・・(継体が息長氏出身だったら本貫地だね)
それで新しい土地で、即位したかったからとか。・・・・・まあ違うだろう・・・
中大兄皇子がすぐに即位しなかった理由は、大友皇子の成長を
待っていたためかも。
自分が早く即位してしまうと、大海人皇子が同時に皇太弟になり
次の天皇は大海人皇太弟と決まってしまう。
だから中大兄皇子は、自分の即位を出来るだけ遅らせる事で
大海人皇子皇太弟の実現も先延ばしにしていた。
なるほど、新説だな。
大化の改新の頃はまだ生まれてない。
斉明元年には8歳。称制元年には14歳。間人薨去の時18歳。
天智が即位した668年に大友皇子はまだ21歳。
天智は29歳でも「まだ若い」を理由にできたというからどうなのかな。
天武の息子は何歳だったかによるかな?
>>467 天智が即位した668年に、天武の長男、高市皇子は15歳
469 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 21:26:29
しかしあれだ。こうしてみると近親相姦説って、
ぜんぜん大した根拠なかったんじゃんかよw 失礼すぎるだろう。
470 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 23:44:11
え?
>>469 直木孝次郎と吉永登。そして中央公論社「日本の歴史」シリーズの
影響力がそれだけ大きかったって事だな
>>469 失礼ってどういうこと?
別に中傷しているわけでもないし、当時としては悪い事でもあるまい。
話題になった軽皇子を、密告して追い落とした弟なんだが、
その弟は後に同母の姉を妻に迎えているという説がある。
つまり実はただの政争であり、同母の近親相姦でも当時は問題ではないとする説もあるくらい。
弟?
なんだか話がよくわからなくなってきたな。
同母近親相姦が問題ではないのなら、古事記の軽皇子と衣通姫のいきさつは?
大化の頃よりもっと後に書かれたもんだか、あんまり時代ギャップはないと思うが・・・
問題ではなかったんじゃなくて、そもそも同母近親婚はしてなかったって話。
なんかスレとレスがかみ合っていない気がするが・・・・・
軽皇太子と衣通姫の関係は、古事記と日本書紀では記述されている
内容に違いが見られるから、正直言ってどちらの記述が正しいのか
良く分からない
古事記と日本書紀のという、二つの史料の史料価値にも関ってくる
問題だから、非常に厄介な問題という感じです
480 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:38:05
同母近親相姦を問題とするために、木梨の説話がもうけられたわけですな。
それもどうかと思うがw
葛城くんにとっては、小さいことでしょ。
それよか、母親の宝と入鹿ができていたかの方が気になる。
結構、お母たまの浮気嫌悪で入鹿ぬっころしたんじゃないの?
483 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 13:20:57
できていたっていう根拠って何かあるの?
484 :
日本@名無しさん:2005/06/13(月) 02:36:17
斎明天皇、間人皇女、そして何年も前になくなった「建皇子」を(伝承によれば)
同じ墓に葬っているのは、いつも「なぜなんだ?」と考えていた
姉弟である「太田皇女」の墓のみなぜ別につくられたのか?
「建皇子」の遺体はそれまでどこに埋葬されていたのか?
実在したのか?
とえぐってみる。
と憶測してみる。
485 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 04:22:42
下手の考え休むに似たり
486 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 02:43:15
>484
なにを言いたいのかわからんから、直球でお願いします。
487 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:27:36
俺が歴史好きになったのはこの中大兄皇子がはじめだったのを今も覚えているな。
他の算数とか国語とかはばりばりにいい子ちゃん授業でつまらなかったし、社会科(日本史)も縄文弥生古墳聖徳太子あたりは平和的でつまらなかったが、
「中大兄皇子が入鹿を宮廷で殺した」とか学校という世界では考えられない言葉が出てきて、一発で歴史好きになった。
中大兄皇子は子供の頃はできが悪くてパッとしない皇子だった。
だから、中大兄皇子はいつでも勉強できない子の味方だ。
んなこたない
490 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:43:31
出典は?
491 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:41:41
しらん
492 :
皇子大好き:2005/08/01(月) 22:50:44
何か知らんけど、皇子って妹激loveだったらしい。
いい話だ
494 :
皇子大好き:2005/08/03(水) 10:09:30
いや、、激ヤバ。そっちの関係も持っていたとか、、、。
495 :
皇子大好き:2005/08/03(水) 10:10:08
いや、、激ヤバ。そっちの関係も持っていたとか、、、。
496 :
皇子大好き:2005/08/03(水) 10:15:28
ごめん、、、。
2回も押しちゃった。
すいません、、、。
497 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 23:57:56
498 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:39:59
あの時代は許容される範囲である。
499 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:59:19
500 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 21:49:43
中大兄=百済王子 残念!!
501 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 21:29:27
中大兄がどうして天皇になるのが遅れたか?
百済救済に動いたのは本当に鉄のためだけなのか?
502 :
☆cyerry☆:2005/08/26(金) 11:25:17
でも 中大兄皇子の 写真って 兎 見たいな 帽子じゃない?
503 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 13:13:45
人違いだが鎌足って実はたいした事無いのかな
不比等が後に偽造したのかも
王族とはいえ百済人が中臣家に入り込んだだけでも成功だが
でも中臣家も後の偽造かもな
藤原家恐るべし!
504 :
てんぢてんわう:2005/08/26(金) 19:15:15
てんちてんのう
てんじてんのう
てんぢてんのう
どれが正しいの?
全部正しい。「てんぢ」は旧仮名遣い、「てんじ」は新仮名遣い。
「てんち」という時が一番多いかな。
506 :
てんぢ:2005/08/27(土) 18:39:19
中大兄が美形だったという定説(俗説?)は
いつごろ出来上がったのでしょうか。
現在の皇室の方々は中大兄の子孫ですよね。
(しかも、かなり血が濃い)
508 :
ニワカ:2005/08/29(月) 20:01:04
中大兄皇子はしょせん中卒のDQNだったのだろうと思う。
白村江の戦に至っては、さしもの鎌足もヤバすぎると思ったはず。
509 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:42:16
白村江で結局責任を取らされてないことから、百済人は多勢勢力だったと言えよう。
510 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:08:36
age
511 :
日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:37:25
今日フジのSP出てたね。番組の中では割りと面白い方だった
512 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 00:09:39
中大兄皇子って誰の子孫なの?
513 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 06:56:44
蘇我倉山田石川麻呂ヘタレ過ぎだったwww
514 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 12:25:49
645年、中大兄皇子と藤原氏は誰を滅ぼしたでしょう。
∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)/< 人間
_ / / / \___________
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
515 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:43:55
昔藤原釜足って俳優がいてワラタ
516 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:53:44
517 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:57:29
蘇我馬鹿
518 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 15:00:56
>>498 許容範囲なのは異母兄弟まででは?
この二人は同母兄弟だから不味いよ。
まして孝徳天皇の皇后なのに……。
でも17かそこらで30程も年の離れた叔父に嫁がされたら兄との近親相姦に走っても無理ないかもね。
519 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 15:01:51
520 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 15:46:28
妹萌えが凄まじい現代日本を思うと
昔本当に実の妹に走った奴がいたとしてもおかしくないとか思う
522 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 15:49:57
ついでに人妻燃えでもあるな。しかも叔父+帝の妻。
4重のタブーか…。障害が多ければ多いほど燃え上がるって奴かな。
でも教科書に必ず載ってる有名人で邪魔者は謀殺しまくる冷酷な皇子様が
妹萌えだったと思うと、なんか笑えて親近感湧くんだよな
525 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 09:09:02
>>523 そーなの?残念…。
何故否定されたの?
>>525 このスレだったかもう一個のスレだったか忘れたけど
最初から読めば出てくるよ。ガイシュツネタだから。
>>525 近親相姦説は、歴史学者では直木孝次郎
国文学者では吉永登くらいしか主張してない
たまたま二人が著名な学者だったから近親相姦説が
有名になっただけ
528 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 20:55:00
実は兄妹でいい仲だったんだけど
日本では当たり前すぎてスキャンダルにならなかった。
・・・・っていう真相だったらいいのになw
絶対に無かったともいいきれないから
その少ない可能性にかける
学問の世界でいわれてるのは
「兄妹間の関係はよくわからない」が
仮に何かあったとしても、
少なくとも
「中大兄皇子が長いこと即位しなかった理由」
とは関係ないってこと。
ところが、いまだに
「中大兄皇子が長いこと即位しなかった理由として」
近親相姦がどうたらこうたらと言い出す奴いるから
そういう気の利かないアホのせいで
夢やロマンの世界までが学説論争のとばっちりを受けるのだ。
532 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 06:21:31
>>507 今の子孫の顔は余り関係ないのでは?
確かに何故か美形なイメージがあるなぁ。
蘇我入鹿も何故か美形なイメージがある……。
533 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 21:01:30
ほとんどすべての現代日本人が中大兄皇子の子孫だろう。
534 :
日本@名無史さん:2005/10/12(水) 18:10:57
絶倫だったの?
>>534 本人が絶倫だったわけじゃないでそ。
曾孫が桓武天皇だから、それから桓武平氏が別れ出た、
桓武の玄孫が清和天皇でそこから源氏が別れ出た。
つまり桓武平氏と清和源氏の共通の先祖が天智天皇。
536 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/10/18(火) 04:20:53
しかし、なんですかねぇ。。。
否定しても、否定しても、雨後の筍のごとくはえてくる、「中大兄・間人近親相姦説」
有名な学者様約二名のおかげで、いつも話がそこで頓挫する。
責任とって貰いたいと思っているのは、私だけでしょうかね?
書紀歌謡のほんの一言を拡大解釈しただけの、珍説といってもいい、解釈なんですけど、
支持してるのが「偉い人」なばっかりに、無批判に受け入れられてる。
困ったモンです。
もう、近親相姦説は、なし!!
堂々巡りはやめませう!!
537 :
日本@名無史さん:2005/10/18(火) 16:04:58
本当に「近親」かどうかもわからないしね〜
天武だって、本当は兄弟じゃないんでしょ?
531の言う通り
即位に近親相姦が関わったとは思わん
ただ近親したかも知れないというロマンを抱いていたい
>>537 比較的真っ当な大海人皇子=漢皇子説でも
天智と天武は異父同母兄弟になるぞ
兄弟じゃないという説は、はっきり言って・・・w
540 :
日本@名無史さん:2005/10/19(水) 10:00:20
>>539 でも、史書によっては、天武の方が3才くらい年上という記載もあるよね。
漢皇子かどうか知らないが、その施政は始皇帝のマネ事が多いね。
漢皇子は皇極(斉明)天皇の連れ子
父は用明天皇の孫の高向王だから
大海人皇子が漢皇子なら、中大兄皇子より
年上なのは当然ですな
大海人皇=漢皇子なら、大海人は敏達皇統と
用明皇統の両方の血統を受け継いだ皇子となる
542 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/10/20(木) 00:57:13
近親相姦説の根拠となった、そもそもの資料的裏づけを知っている香具師は、
それを示して欲しいな。。。
私の知っている根拠は、吉永登の、トンデモ思い込み説しか知らない。
何で、この二人が相姦していたのか、なんの根拠もない、思い込み学説で、
ここまで有名になったのは、首をかしげること。
「近親相姦説」を持ち出す人は、その根拠をまず示して欲しい。
そもそもの出所は、国文学者にしても、歴史学者にしても、信じがたいほどのいい加減なものなのだけど……。
>541
根拠を教えてくださいませ。
私は国文学出身で、歴史学には不案内ですので。。。
543 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 13:49:52
>>537 >>兄弟じゃないんでしょ?
新羅人だって説?
根拠の無いデンパ説じゃなかった?
544 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 16:06:32
>>543 中大兄というのが高麗の官位というのは聞いた事があるな。
>>542 正史(日本書紀)では大海人皇子と漢皇子は別人とされてる
大海人皇子:父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇
漢皇子:父は高向王(用明天皇の孫)、母は皇極(斉明)天皇
大海人皇子と漢皇子を同一人物と記述している
史料の存在を俺は知らない
546 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/10/20(木) 22:41:49
やでやで。。。
上代は、最早、なんでもありのファンタジーになってしまった模様。。。
天武が新羅人金多遂だとか高句麗人泉蓋蘇文だとかの説は
完全なデンパ。相手にされてないよ。
ただ、漢皇子と同一人物で天智の同母兄で6歳年上という説は、
大和岩雄の推理説。ぎりぎり学問の世界の中の一説の範囲ではある。
とはいっても主流説でも有力説でもなく異論反論の方が強いけど。
個人的には双子説を支持したいな。
548 :
531:2005/10/22(土) 02:56:20
あの時代は旧来の氏姓制や部民制が廃棄されて
律令制にしようっていう気運の高かった、いわば
革新的な気分の高かった時代だろ。
明治維新でもわかる通り、
日本の文化革命は革新性を皇室が象徴的にリード
するために、同時に復古という側面を帯びる。
律令制も、豪族の私有民と私有地を本来の持ち主
である天皇に返還するという形をとった。
とすると、性道徳についても
「異母兄妹ならよくて同母兄妹ならいけない」
という旧来のモラルに対して異を唱える理屈
くらい容易にこしらえることができたんじゃないか?
たとえば神話を綿密に読めば、もとは同母・異母に
かかわらず兄妹婚だったという仮説を引き出すのは
そんなに難しくない。天智が「これこそ古風・古式な
婚姻のあり方なんだ」と開き直っていた可能性は
絶対ないとはいえないだろう。
549 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/10/23(日) 14:43:38
孝徳天皇間人皇后に送る歌(紀115)
是の年、太子奏請して曰はく、「冀はくは、倭の京に遷らむ」。天皇、許したまわず。
皇太子、乃ち皇祖母の尊・間人の皇后を奉り、并せて皇弟等を率て、往きて倭の飛鳥河の
の辺の行宮に居します。時に公卿・太夫・百官人等、皆随ひて遷る。是に由りて天皇、
恨みて国位を捨りたまわむと欲して、宮を山碕に造らしたまふ。乃ち歌を間人皇后に送り
て曰はく、
115 鉗着け、吾が飼夫駒は、
引き出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか。
孝徳天皇の意向を無視して、実際上大和へ都を遷すという、かってな行動を取った中大兄の皇子に従い、姉の皇極天皇のみか、
間人皇后までが同母兄の中大兄皇子に従って大和へ行ってしまったので、孝徳天皇は怨恨やる方なく皇后に送った歌と伝える。
そこで、「鉗着け」「引出せず」、人にも見せぬようにたいせつに飼っている駒を、間人皇后の比喩と解釈し、末句「見つ
らむか」の「見る」には男女相会う意を示す場合があるので、皇后がだれか特定の他人と通じたことを暗喩したものではないか
という解釈が行われてきた。皇后は同母兄の中大兄の皇子にしたがって行ったという線上に、中大兄の皇子と間人皇后の間に、
同母兄妹という域を超えた関係の存在を想定した吉永登氏の大胆な提説がある。氏は斉明天皇重祚にこと、また斉明帝の崩御六年
余りも中大兄の皇子が即位を避け、称制という形をとったことも、この同母兄妹間の婚姻が原因ではなかったかと述べている
(『万葉―文学と歴史のあいだ』)。
これに対し、神堀忍氏は、馬を厩に閉じ込めて飼うことは、たいせつにすることにはならないとし、駒は皇后の比喩ではなく、
帝の飼育する駒そのものをさすとし(『万葉』第五十六号)、土橋寛氏もほぼこれに同意して、「『人見つらむか』は、
その馬屋にばかりいる駒を人々が見てしまったろうか、言い替えると自分の今の状況を人々は見知ってしまっただろう、
もう天皇としての体面を失ってしまった、という意味になるであろう」とされた(『古代歌謡全注釈日本書紀編』)。
しかし、前文に「歌を間人皇后に送りて曰はく」とある編述者の意に沿って考えると、「鉗着け」また「引出せず」に
「吾が飼ふ駒」といい、また「人見つらむか」という深い危惧の念を表わしたこの歌は、皇后に対する噴懣やる方ない
心持が託されたものと見るべきである。吉永登氏の大胆な想定には実証的な裏づけを得難く、ただちに従得ず、「愛する
間人皇后が中大兄皇子と心を合わせて大和へ去ったことを嘆じた歌。当時、見ルという言葉は、男女相会う意を示す
場合もあるので、この表現は、間人皇后についての深い危惧・懸念・不安を表わしている」(『日本古典文学大系日本書紀』)
という程度にとどめて理解すべきであろう。
なるほど、馬屋に閉じ込めて馬を飼うことは、皇后をたいせつにしてきたことの比喩とはならないし、孝徳天皇が、間人皇后を、
いかに恨んでいたとしても「吾が飼ふ駒」と表現しえたかどうかも疑問であるが、しかし、それはこれを孝徳天皇の実作と解する
からであって、田辺幸雄氏も疑ったように、むしろ孝徳天皇の立場に同情する第三者の童謡的な作と見るのがだとうであろう
(『初期万葉の世界』)。
天皇が実際に間人皇后に送った歌であるとすると、なにゆえ、皇后に送った私憤の歌が、こうした形で堂々と『書紀』に
載せられるに至ったか、その径路も納得の行く説明を得難いと考える。
『日本書紀歌謡 全訳注』 大久保正
555 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 17:50:28
>>544 「大兄」って皇太子の事じゃない?
他にも大兄のついた皇子居たし。
556 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 21:07:12
白村江でボロ負け、全く人気のないダメ天皇。
日本を危機に落としたダメなやつ。
中大兄皇子を英雄に祭り上げたのは日本書紀を編纂した百済の藤原一族
天皇を私物化し、何人もの皇族をえげつないやりかたで殺した
孝徳天皇の歌、第三者が作ったとしたら、実際中大兄と間人皇女の仲が疑わしく見られてて
それで作られたのかも知れんよね
まあ近親もnot近親も、どっちにしろ推論じゃん。そういう見方もあるのね程度。
絶対近親でなかった確証もないから、夢見る余地になってるんだろ。
信じるのは人それぞれ、好き好きでいいと思うんだがな。
558 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:25:54
>>556 人気だけは結構あると思うぞ
白馬に乗った王子様のようなイメージが後世に浸透したからかな
559 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 02:06:18
>>558 そんなイメージあるのか…。
身内を次々に滅ぼしまくった残酷な人ってイメージがあるよ。
何故かイケメンなイメージもあるけど。
560 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 02:32:10
天智といえば蹴鞠で靴をスパーンとすっぽ抜かしたり、首をスパーンと斬りとばしたりと、何かを飛ばしすイメージなんだが。
実際のスーパーヒーローは古代史最大の内戦である
壬申戦争で大友皇子を打倒し天皇の地位を
実力で奪い取った大海人皇子の方だけどな
少なくとも平安時代の公家にとっては
天智はヒーローだったことは確か。
天武がヒーローなんていうのは
「皇位纂奪は悪」という発想がなくなった戦後の話でそ。
桓武天皇とか頼朝とか
天武の例なんかやっぱ念頭に置いてたんだろうなあ
>>562 天智系に皇統が移った平安以降ならそれで当然
しかし、それ以前は天武がスーパーヒーロー
日本書紀に壬申戦争が詳しく記述されてるのがその証拠
>「皇位纂奪は悪」
だいたい天武は皇位を簒奪してない
生母が卑母だった大友皇子が天皇に即位するなんて事は
初めからあり得なかった
平安時代に編纂が始まった「公卿補任」でも大友皇子の即位なんて
認めてないし「扶桑略記」や「帝王編年記」も同じく大友の即位を認めてない
大友皇子の天皇即位を認め、天武天皇を簒奪者扱いにしたのは
江戸時代に編纂が始まった「大日本史」
大日本史の編纂者たちは、当時卑母を母とする皇子の即位は
あり得ないという原則を知らなかったらしいw
んなこたぁない
日本書紀以後の文献に天皇扱いしてないのは当たり前
万葉集・懐風操から即位してなかったにしろ
称制していた可能性はある
それに大日本史の場合は「証明されたから歴代に入れる」
という発想ではない。
「もし即位してたらたいへんだから
可能性があるなら念のため歴代に入れとく」
という感覚ではないだろうかね?
569 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 14:39:18
中大兄がイケメンなイメージは何処から付いたのかねぇ。
容姿に関する資料ってあります?
中大兄って、イケメンなイメージ、あるんですか?
私のイメージは、井上靖『額田王』に出てくる中大兄皇子に近い。
容姿に関する史料は、生憎と、見た事もありませぬ。
そっかー。イケメンなのかぁ。。。
あぁ、でも、後世に描かれたものは、見た事があったような……。
>>568 それでは「大日本史」が「日本書紀」で歴代に入っている
神功皇后を歴代から外した理由は?
また公卿補任、扶桑略記、帝王編年記でも神功皇后は
歴代に入っている
神功皇后を歴代から外し、大友皇子を歴代に入れた
「大日本史」とは、日本書紀以下の各史料を無視した
水戸藩のプロパガンタ的な歴史書であり
史料としての価値は皆無の歴史書
間人も美人なイメージがあるな。
しかし二人の弟の大海人はイケメンなイメージは無い…。
>>572 単に即位してないからだろ。何ムキになってんだよ?
>>574 水戸藩厨、乙w
ムキになって神功皇后を歴代から外したのは
江戸時代に水戸藩が編纂した大日本史という
インチキ歴史書だけ
日本書紀を始め多くの史料が神功皇后は
即位したと考え歴代に入れている
たかが徳川家の分家風情が、国史である日本書紀以下の
歴史書を否定し、歴代を勝手に変えるなど傲慢不遜甚だしく
皇室に対しては不忠の極み
なお水戸藩が神功皇后を歴代から外し、その方針を薩長藩閥政府が
追認した為に、日本国において天皇不在の時代が仲哀天皇の死
(200年2月6日)から、応神天皇の即位(270年1月1日)まで、
およそ70年弱も続いてしまった事になる
日本の歴史史上70年弱も天皇が不在だったのはこの時だけだ
それもこれも全て水戸藩と薩長藩閥政府が行なった神功皇后を
歴代から外すという暴挙が引き起こした為に生じた現象
>>575-576 おいおい、レッテル貼りしてごまかすなよ。
神功皇后は即位してないだろ?
即位してないから歴代からはずした。
水戸は大義名分論なんだから当たり前じゃん。
筋が通ってるだろ。
プロパガンダだの不忠の極みだの、もまえの事だろうが。
水戸藩厨、度々乙!
国史である日本書紀を始め
多くの歴史書が神功皇后の即位を認め
歴代に入れている
明治以前の歴史書で、神功皇后を歴代から
外した歴史書が「大日本史」以外にあるのなら
それを提示してみろ>水戸藩厨w
日本書紀と大日本史、どちらの方が史料価値が高いかは
真面目に歴史学も学んでいる者にとっては自明の利
大日本史>日本書紀だと認識している香具師は
水戸藩厨くらいだw
580 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 00:35:38
日本書紀のどこに神功皇后が天皇として即位したって書いてあるんだ
神功「皇后」ってなってるじゃないの
581 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 04:00:40
なんで神功皇后が。
中大兄皇子を讃えるスレじゃ?
イケメンだったかどうかは分からないけど、想像するのは自由だよな
多分すごい行動力があってかっこいい人物だったんだろうな
と、妄想してみる
>>581 行動力に溢れ強い意志を持つ野心的な人は、よりかっこよく見えますね
>>580 お前は馬鹿か?神功皇后は皇后のまま歴代に数えられている
そして歴代とは代々の天皇を指す言葉だ
したがって歴代に数えられている神功皇后は天皇である
「日本書紀」以降、明治以前の歴史書は「大日本史」を除いて
全て十五代天皇を神功皇后と記述している
例えば北畠親房の「神皇正統記」も十五代は神功皇后で
応神天皇は十六代だ
明治以降、知能指数が低い薩長藩閥政府が「大日本史」を鵜呑みにして
神功皇后を歴代から外し、応神天皇が十五代に繰り上がっただけだ
もし神功皇后が天皇でないのなら、何故明治以前の歴史書が
「大日本史」を除いて、全て応神天皇を十六代と記述してる理由が
全くもって意味不明
上記の理由は、十五代天皇を神功皇后記述としているから
応神天皇は十六代と記述されている為だ
良く分かったか、水戸藩+薩長藩閥厨
真剣にに歴史を学べは、水戸藩と薩長の歴代に対する
無理解さが分かるはずだ
正確を期せば、神功皇后や応神天皇時代にはまだ
天皇や皇后という用語は使用されてなかったから
神功や応神は大王と呼ばれていた可能性が高い
586 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 18:39:11
俺はその前に書き込んでた水戸厨の人とは別人なんだが…
>>580な
「天皇」と記載されてないのは事実だろ? 隅から隅まで書紀読んで見ろ
天皇と呼ばれてないのに、後世天皇扱いされてるところに神功皇后の特異性があるわけで
大友や倭皇后の称制とか摂政を考えるヒントになると思うわけだが
まあスレ違いなのでこの辺で
587 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 22:25:30
中大兄皇子が登場する漫画とか小説とかでお薦めのあったら教えて
日本書紀でもいいけど
ちなみに自分は「まんが日本史」(アニメ)の皇子が好きだった…
声がかっこ良かった
分からない人ですね
倭皇后も大友皇子も歴代に入っていないから始めから論外
神功皇后は明治以前の歴史書には大日本史を除いて
第十五代と記述されている
十五代と記述されている以上、神功皇后は十五代天皇で
応神天皇は十六代天皇
君の理屈だと神功皇后は皇后だから歴代に入らないはずだけど
歴代に入っている以上天皇だったと認識すべき
それと薩長藩閥政府が神功皇后を歴代から除外したのはを
天皇を男性だけに限定したい為で、その理由は天皇を大元帥にしたいから
したがって女性の大元帥は困る事と、女性でありながら神功皇后が朝鮮出兵を
総指揮を取っているから、神功皇后を歴代から外さない限り女性でも
大元帥が勤めることを認めてしまう事になるから歴代から除外した
男尊女卑の薩長藩閥政府にとって、女性でありながら朝鮮出兵の
総指揮を取り、自らも渡海して朝鮮で現地指揮を取った神功皇后は
天皇として絶対に認められない存在だった
>>586 大友皇子も「日本書紀」を隅から隅まで読んでも
「天皇」と記載されてないのは事実だろう
歴代にも入らず、国史に天皇と記載されたない
大友皇子=弘文こそ偽帝以外の何者でもない
薩長藩閥政府は正統な天皇である神功皇后を歴代から外し
大友皇子に弘文なる諡号を送り歴代に入れて、正に偽帝を
誕生させたと言う訳だ
このスレに関連した事を言えば、葛城皇子は自ら渡海できない
ヘタレだったから、白村江で唐・新羅の連合軍に負けるという
失態をしでかした
その点神功皇后は、自ら渡海して日本軍の指揮を取れる強い女性
だったから、新羅軍を撃破して日本勝利に勝利をもたらした
葛城皇子は日本を敗北させた疫病神で、逆に神功皇后は勝利の女神
しかし日本書紀は謙虚な歴史書だ
敵である唐を大唐と記述し、日本の事は大日本などとは記述しない
そして敗北した事実も隠さない
日本軍を皇軍と呼び、日本を大日本帝國と呼び、中国を支那と呼んだ
薩長藩閥政府と、その延長線上にあった戦前に政府とはまるで違う
知識と教養の差が如実に感じられる
まあ大日本という呼称は、自国の歴史書を編纂する時に
その書名を「大日本史」だととした、自我肥大し切った水戸藩の持つ
厨房精神を、教養のない薩長藩閥政府がそのまま受け取ったからに
相違ない
「日本書紀」と「大日本史」の書名の違いが、自省心を持つ者と
自我肥大し切り、自省心を欠片もたない者の違いを端的に示している
>>592-593 そんな罵倒中傷のたぐいは議論の本題ではない。
日本書紀には神功皇后が「天皇」だとも「即位した」とも
一言も書かれてはいない。むしろ「摂政」だったと明記している。
お前の根拠は「十五代」の一点しかないではないか。
天皇でもなく即位もしてないのに歴代に数えるのは不合理だから
はずした。それだけのことになんでムキになってるのだ?
>>578-584 大日本史以前に神功皇后が歴代に数えられてたのは
神功皇后が偉大なのであえてはずそうという発想がなく
漫然と日本書紀を踏襲しただけだろう。
ところで飯豊皇女は宮中皇統譜と扶桑略記では天皇に
なってるが、藻前の理屈ではどういうことになるのかな?
596 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 22:48:20
>>581 讃えるスレだったのかw
けど讃えられる様な事しましたっけ?
>>596 戦後の作家には嫌ってる人多いからね。
「外国との戦争に敗北」と聞くと罵りたくなるのが、けなされる原因だろう。
でも「大化の改新」では主役扱いだし、
元明天皇なんかは天智天皇の権威に頼って即位宣言したりするから、
暗君として終わったわけではないと思うが。
598 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 23:18:27
やっと議論が終わったよw
>>597 当時絶大な権力を持っていた蘇我氏に、危険を冒してまで行動を起こしたのは結構かっこいいと思う。
中大兄自ら斬りかかった、てのも強くていいよね。脚色入ってるぽいけど
こんな殺人を伴うような革新は今の政治家じゃ絶対に出来ないし。
599 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 06:16:38
古人大兄=大化の改新の主役
中大兄=大化の改新では下っ端
600 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 14:55:40
異母兄、妻達の父と兄(冤罪だったっけ?)、従弟、を次々滅ぼしたってので悪いイメージあったなぁ。
叔父(孝徳)も悲惨だったし。
601 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:18:21
中大兄&鎌足コンビ燃え
602 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 19:06:13
>>601 鎌足の妻が元は天智の妻だったり
鎌足の子の不比等に天智の落胤疑惑あったり色々ありそうだよねこの2人。
陰では昼メロ並にドロドロな関係だったりしてw
603 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 18:57:21
今放送の大奥って昼ドラの様だって賛美両論だけどこの時代もそんなドラマに出来そうだね。
資料が少ないからフィクションの入り込む余地多いし。
帝の妻な妹と近親相姦な皇子、姉妹でありながら叔父の寵争う4皇女、皇子のご落胤かも知れない臣下の子…。
そういうの見たいけど高貴な方々で昼ドラは無理だろうな
605 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 22:12:17
っていうか、古代ものをドラマにするのってかなり大変らしいよ。
家屋や衣服の資料が極端に少ないし、歴史的発見で今までの説がすぐ転覆しちゃうから。
岡田准一が鎌足やってた「大化改新」でそういう苦労があったらしい。
606 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:34:23
中大兄皇子が出てる小説やマンガで良いのあったら教えて
>>606 小説では、井上靖「額田女王」が一番まとも。
史実マニアにしたら、まともな小説なんて存在しないけどな。
609 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/11/27(日) 21:22:51
>>606 マンガなら「天上の虹」が比較的まとも。
でも、あくまで「比較的」。突っ込みどころ満載。
大和和紀の「天の果て地の限り」は、井上靖のぱくり。
>>608 卒論を「天智天皇」にした私にしたら、史実マニアだって、まともじゃない。
610 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 03:40:52
611 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/11/28(月) 14:57:41
で、中大兄皇子が天パだったりする。
612 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 09:22:04
どうみても日本人じゃないなあの2人。
と言うかアジア人ですら無い…。
613 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 09:55:41
中大兄皇子と鎌足とが芳契関係にあったという説は
いつ頃から語られて居るのでしょうか?
平安期の文献には二人の男色を明示した作品は無かったか
と思うのですが・・・
614 :
香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/11/30(水) 00:14:05
そんな話は初耳。
少なくとも学問とは程遠い、根拠なしの俗説なので、出所は多分分からないでしょう。
615 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:30:59
鎌足はイケメンなイメージ無いので余り考えたくない説だなぁ…。
あの時代の男色に対する価値観ってどうだったっけ?
日本書紀か何かに男色の2人を埋葬したら日が射さなかった。
別々にすると日が射すようになったという話があるって聞いた事あるけど。
616 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:45:53
見ーせーろーよ!!
>>615 >日本書紀か何かに男色の2人を埋葬したら日が射さなかった。
>別々にすると日が射すようになったという話があるって聞いた事あるけど。
正確な引用きぼんぬ。
「あづないの罪」でそ。でもあれは
同性愛が問題なのか同じ日に同じ墓に葬ったことが問題なのか、
よくわからないね。
大祓の性の禁忌の中に同性愛が入ってないのも解せないし。
619 :
615:2005/12/07(水) 11:29:23
>>617 >>618 はい。日本書紀の阿豆那比之罪です。
直接読んだわけじゃなくてまた聞きなので正確な引用は出来なくてスマソ…。
読んだンだけど、見つかんないし、記憶にない。
あぁ、マジでやばい。
もちついてちゃんと嫁ばあるよw なにアセってんだ?
若年性痴呆が顕著になってきたため。
624 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 02:04:04
>>613 芳契関係って男色ですか?
何処に載ってたんですか?
2人がイケメンだという資料が出てくりゃ男色の方も注目されるかもね。
出てこないでしょうよ。
627 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 01:25:42
まぁ今とはイケメンの基準が違う可能性もあるね。
628 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 10:56:20
まだ続いていたのねここ。
そういや葛城皇子がいつから「中大兄」と呼ばれるようになったんでしょ?
私は彼自身が古人大兄ぬっころしてからだと思っているけど。
629 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 16:09:59
中大兄とは2番目の大兄って意味だと聞いたけど、
ぬっころした後なら2番目いらなくない?
630 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 00:27:42
大兄は同母関係の長兄の意味かと思うんですが、初出は用明天皇の幼名でしたよね。
初出は安閑天皇じゃないですかね。
中大兄は古人大兄に次ぐ者という意味で
蘇我退治とは無関係に
最初からそう呼ばれてたんじゃないかなと。
633 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 08:40:54
634 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 08:59:39
age
635 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 12:29:27
蘇我氏を虫に例えた語呂合わせがあったなぁ…。
>>606 少女漫画ですが長岡良子の暁の回廊が好き。
葛城皇子の話ですが。
つかこの人の古代シリーズで大兄〜不比等にはまったから。
里中美智子はいまいち…
637 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 20:25:45
638 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 03:32:59
蘇我氏についてはこの間新聞でちらっと見かけたのですが、再評価する
声もあるようです。そのような書籍をどなたかご存知じゃないですか?
639 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 18:32:12
>>1 年取ってから即位したって事はオッサンになっても皇子だったって事で…。
年食った白馬の王子様か…。
640 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:43:50
蘇我氏の正体 という本を読んだ。
どっちが悪なのかかなり微妙かもよ。日本書記についてかなり矛盾点
があるとのこと。まあそんなことをいってたら古代の歴史自体も胡散臭く
なるんだけども。
関氏の言う「蘇我の正義」の根拠を、祟りに求めるのは理解できない
個人の霊魂が祟るという考え方は、奈良時代以前にはなかったとされ、書紀にもだれそれの霊などはでてこない
男色説は初めて聞きました。ソースきぼんぬ。
643 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 13:18:44
>>630 ん?同母なら漢皇子という兄が居た筈…。
異父兄(宝皇后と高向王の子)だから関係ないかな。
644 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 04:16:21
だれも「すーぱーなかのおおえのおうじひーろー」になることには
つっこまないのね・・・・・
645 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 12:15:36
スーパー中大兄皇子…。
普段は葛城皇子だけど敵が出現すると変身してスーパー中大兄皇子に!!
>>635 蘇我の一族ムシコ(645)ろし 大化の改新
647 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 08:28:33
648 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 14:24:36
スレタイカッコ囲みしていないからそのまま読んじゃうってことでしょ
649 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 06:31:48
>>442 間人が孝徳を捨てて葛城に従ったのは近親相姦の根拠にはならないんじゃないかな。
間人は20にもなってないのにオサーン孝徳と政略結婚で、しかも既に皇子がいるんじゃ、
夫婦っても仲良くなかった可能性もあるし。
仲の悪い夫より兄を選んでも別に不自然では無いのでは。
650 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 08:48:58
やっぱり、大海人皇子(天武天皇)の方がすごい。
一年も前の書き込みにレス乙
皇族女性の数は少ないのに
天皇になったら皇族から皇后を立てねばならない。
だから間人は孝徳の形式的な皇后にすぎない。
皇極が前夫と離婚までして皇后になったのも同じ事情。
653 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 03:26:25
>>652 皇極と高向王って離婚だったの?
別スレでは死別か離婚かは不明だと聞いたけど。
654 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 07:40:02
中大兄皇子(天智天皇)と藤原鎌足とが男色関係にあった
と言われる典拠は何という文献なのでしょうか?
>>652 その割りには1人で3人も4人も娶ってる人いますが。
>>652 嘘をつくなよ
皇族の女性が少ないなんて事はない
敏達天皇の皇女は8人
用明天皇の皇女は1人
崇峻天皇の皇女は1人
舒明天皇の皇女は4人
天智天皇の皇女は8人
天武天皇の皇女は7人
女王に至っては系譜不明者も加えれば沢山居るぞ
有名な額田女王も皇族だ
額田は采女(地方豪族の娘)でしょう
『書紀』『万葉』が天武マンセーだから権威付けされたのでは
額田の采女説は北山茂夫が「万葉群像」(岩波文庫)において
明確に否定しています
1、額田姫王が采女であっという史料が皆無であること
2、額田姫王が鏡王の娘であること
3、氏姓の記述が無く、姫王と尊称される人物は
皇族以外にはあり得ないこと
以上の3点から北山茂夫が額田姫王采女説を完全否定していますが
私も北山茂夫の考えた方に全く同感です
伊賀采女宅子娘
額田姫王
伊賀皇子の母は確実に采女だが
十市皇女の母は采女の訳がない
姫王と呼ばれた采女なぞ存在しない
皇極(斉明)、孝徳天皇の母の吉備姫王は皇族
そして倭姫皇后は皇后になる前は、倭姫王と
呼ばれていたと思われる
これらの例からも額田姫王は采女ではなく皇族だと言える
661 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:22:15
>>654 舒明天皇と孝徳天皇が結婚出来る皇族女性だから
余り年食ったのとか後の時代の女性は関係無くね?
>>661 田村王(舒明)は、宝女王以外にも
推古天皇の皇女である
田眼皇女とも結婚している
つまり田村王は推古天皇にとって娘婿
推古天皇が山背大兄王ではなく、田村王の
即位に熱心だったのは、その点が大きいと思われる
しかし田村王は即位して天皇になった時、皇后として
迎えたのは、田眼皇女より身分が劣る宝女王
(宝女王は茅渟王と吉備姫王の娘)
宝が皇后で田眼皇女は妃と言う事で身分は逆転
その上、田眼皇女は子を産めなかったから
推古天皇の血が舒明皇統に入る事はなかった
これから考えられる事は、田村王が推古の皇女と
結婚したのは、皇位継承を有利にしたいと言う打算的なモノ
そして推古が死んで自分が天皇になれば、蘇我系天皇である
推古の皇女である田眼は、舒明にとって必要な存在ではなかったと
思われる
しかし舒明天皇も神経が太い
普通なら敏達・推古両天皇の皇女である田眼皇女を
皇后とするのが定石なのに、茅渟王と吉備姫王の娘である
宝女王を皇后にするとは・・・
確かに宝も皇族だから皇后になる事は可能だが、一度結婚して
連れ子(漢王)が居る宝を、敏達&推古の皇女である田眼をより
上に置くとは、よっぽど推古を通して田眼に流れる蘇我の血を
忌避したかったのか?
664 :
661:2006/03/14(火) 23:05:29
>>654→
>>656ね。スマソる
>>662 天智・天武天皇の皇女はその時代には生まれてないか幼少だし、
敏達天皇の皇女も上の方はかなり舒明、孝徳とは年が離れていそだから
2人が結婚出来る女性では無いんじゃね?って事だったんだけど。
665 :
661:2006/03/14(火) 23:10:20
>>663 舒明即位時に田眼が死去してた可能性は無い?
単に夫婦仲が悪かっただけかも知らんし。
ところで宝も蘇我稲目の子孫じゃなかったっけ。田眼よりは薄いけど。
舒明天皇は敏達&推古天皇の皇女である田眼皇女と
結婚していながら、田眼皇女を皇后とせずに宝女王の方を皇后にした
普通だったら皇后になるのは田眼皇女の方だろうに、舒明の蘇我系
皇族に対する感情が良く分かる
父である押坂彦人大兄皇子が蘇我馬子によって即位どころか
立太子も果たせずに逝った怨みが爆発したのかも知れない
敏達天皇没後、押坂彦人大兄皇子は即位出来ずに、用明、崇峻
推古と、三代も馬子の甥や姪が天皇に即位し、皇太子も馬子の娘婿である
厩戸皇子が立太子した事は、馬子が完全に押坂彦人大兄皇子を
無視し切った行為だから、彦人大兄皇子の子である舒明の怨みも理解出来る
>>665 それはない
敏達紀に目眼皇女は、舒明天皇に嫁したと記述されている
舒明の即位前に目眼皇女が死亡していたら
舒明天皇ではなく田村王に嫁した記述されるはずである
>単に夫婦仲が悪かっただけかも知らんし
それだけの理由で皇女である田眼を皇后にせず
女王である宝の方を皇后にするのか?
皇后は公的な存在で天皇にもなり得る存在
それを夫婦仲が悪いから皇后にしなかったでは
舒明天皇とは、公事と私事の区別が出来ない
愚か者と言う事になるが・・・
670 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 02:55:53
>>666 この時代には直子が皇位をすぐに継承できるわけではなく、兄弟順で継承されている。
竹田皇子だって結局皇位につけなかった。
671 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 03:12:11
>>670 敏達天皇の第一皇子は押坂彦人大兄皇子(広姫皇后所生)
用明天皇の第一皇子は厩戸皇子(間人皇后所生)
竹田皇子も皇后所生だけど、敏達天皇の第一皇子ではないから
皇位継承の可能性は始めからなかったと思われる
欽明の皇子世代の即位の次ぎは、敏達天皇と用明天皇の
皇子世代が皇位継承権を持つ
その中で最優先の皇位継承者は、敏達皇子の第一皇子の
押坂彦人大兄皇子と、用明天皇の第一皇子の厩戸皇子
この二人の子である、田村王と山背大兄王もまた皇位継承を争った
以上から見て、竹田皇子の皇位継承権は、押坂彦人大兄皇子と
厩戸皇子の二人が共に死なない限り無かったと思われる
>>671 舒明紀に田眼皇女の事を記述すれば、女王が皇后で
皇女(内親王)が妃と言う異常状態があからさまになる
しかし嘘を付くのは、編纂者の史家としての良心に悖るから
目立たないよう敏達紀に、田眼皇女は舒明天皇に嫁したと
記述したのだと思われる
つまり舒明紀だけを読めば分からないけど、敏達紀を読めば
田眼皇女が、舒明天皇の妃であった事が分かるから
日本書紀全体としては、史実をきちんと記述したと言う事になる
674 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 15:01:06
用明天皇の長子は当麻皇子だったよね
彦人大兄と竹田皇子は崇峻在位中に亡くなったのではないかな
675 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 15:09:58
>>674 間人皇后所生の厩戸皇子が
用明天皇の第一皇子なのです
当間皇子の母親は葛城直磐村の娘
田目皇子の母親は蘇我稲目の娘
この二人が厩戸皇子より年上であっても
皇后が産んだ長子である厩戸皇子より
序列が低くなるのは母の身分の差から当然の事です
>>674 押坂彦人大兄皇子が崇峻在位中に死亡した事はあり得ない
押坂彦人大兄皇子の長男である、田村王(舒明天皇)が生まれたのは
593年
因みに593年は厩戸皇子が、推古天皇の皇太子として立太子した年でもある
田村王の後にも、中津王、多良王、百済王、茅渟王、桑田王、山城王
笠縫王と、押坂彦人大兄皇子の子供が、数多く生まれている
因みに茅渟王は皇極(斉明)および孝徳天皇の父である
したがって押坂彦人大兄皇子が、推古天皇在任中にも生存していた事は
間違いない
678 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 18:22:07
田目皇子は卑母とはいえず、皇位継承資格はある
皇后所生皇子がいても、幼年だったりすれば、蘇我腹皇子が即位している
>>678 しかし推古天皇の皇太子として立太子したのは
用明天皇と間人皇后の長男である厩戸皇子
用明天皇の皇子間における序列は
間人皇后所生の、厩戸皇子、来目皇子、殖栗皇子、茨田皇子
その後が田目皇子(母は蘇我石寸名)、当麻皇子(母は葛城広子)となる
まあ上宮王家の家長は、舒明天皇の曾孫である
白髪部王(母は軽女王は敏達天皇の孫)ではなく
蘇我馬子の孫である山背大兄王(母は蘇我刀自古)だったから
母の身分より母の実家の権勢が考慮される事もあり得る
厩戸皇子は山背大兄王の母が皇族ではない為に
山背大兄王の妻には皇族(春米女王)を選び
山背大兄の貴種性を高めようとしたと思われる
この方法は、後に天智天皇が伊賀皇子の妻に十市皇女を選び
天武天皇が高市皇子の妻に御名部皇女を選んだ事で
受け継がれたように思われる
*伊賀皇子も高市皇子も共に母が卑母であった
684 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 20:28:20
山背大兄王と古人大兄皇子の二人の蘇我系皇族と蘇我本宗をなきものにしなければ、
皇后所生の中大兄皇子の地位も確固としたものにはならなかった
それは当然の事でしょう
山背大兄王は葛城皇子の父である田村王(舒明天皇)と
皇位を争った関係
その上、葛城皇子の祖父である押坂彦人大兄皇子は
山背大兄王の父である厩戸皇子が皇太子に立太子した為に
皇太子になれなかった悲劇の皇子
その山背大兄王が健在のうちに、葛城皇子の即位はあり得ない
舒明天皇と聖徳太子、地位は天皇である舒明の方が上
しかし正史である日本書紀でさえ、その描写は
聖徳太子>舒明天皇なのは、推古紀に記述されている聖徳太子の
記述を読めば分かる
と言うか、皇太子のまま死亡した者で、ここまで入念に記述されて
いる皇族は厩戸皇子=聖徳太子だけ
その聖徳太子の権威を背景に持つ山背大兄王は、葛城皇子にとって
最大のライバルですな
>>685 聖徳太子の記述を読めば分かる×
聖徳太子の事績を読めば分かる○
十三年冬十月九日、天皇は百済宮で崩御された(舒明天皇)
二十九年春二月五日、夜半、皇太子は斑鳩宮に薨去された。
このとき諸王、諸臣および天下の人民は、老いたものは愛児を
失ったように悲しみ、塩や酢の味が分からない程だった。
若き者は慈父慈母を失ったように、泣き叫ぶ声はちまたに溢れた。
百姓は耕すことも休み、稲つく女は杵音もさせなかった。皆がいった。
「日も月も光を失い、天地が崩れたようなものだ。これからは誰を頼みに
したらよいのであろう」と。(聖徳太子)
正史である日本書紀の記述なのに、舒明天皇の死と聖徳太子の死の
記述に、これだけの差がある
宝皇女は産まれたときから嶋宮に住んでたと仮定すれば?
最初、宝女王は高向王(用明天皇の孫)と結婚して漢皇子を産んでいる
漢皇子は用明天皇の曾孫にあたるから用明系皇統に連なる皇族
敏達系皇統の皇族が幅を利かす中で、肩身が狭い思いをしていたであろう
父が天皇でないのに皇子と記述されているのは、例外的に女系が取られて
皇極・斉明天皇の皇子としての扱いで、漢王ではなく漢皇子と記述されて
いるのであろう
>>688 皇子は天皇の息子、皇女は天皇の娘に対する用語
天皇の孫以降は、男なら王、女なら女王または姫王
宝は茅渟王(敏達天皇の孫)の娘だから、皇女ではなく
女王または姫王
大宝律令制定以降は、皇子は親王、皇女は内親王と言う
用語が用いられるようになる
天皇の孫以降はそれまでと同じく、王、女王(姫王)
大海人皇子は壬申の乱の前後に嶋宮をおさえている。
嶋宮には貸稲田から利息が入っていたらしく
吉備姫王や宝女王も財力に恵まれていたと思われる。
血は薄くとも、宝も蘇我系皇族と言えるかもしれない。
宝女王の母親である吉備姫王は、桜井皇子の娘で
桜井皇子は欽明天皇と蘇我堅塩姫の子供だから
確かに蘇我系皇族と言える
それと桜井皇子は用明天皇の同母弟でもあるから
高向王(用明天皇・孫)と宝女王(桜井皇子・孫)との結婚は
吉備姫王の意向だったのかも知れない
>>690 書紀はあまり厳密ではなく、天皇になった田村王や宝女王、軽王も皇子皇女と記しているけどね
逆に大派皇子を大派王と書いたりもしている
>>694 田村皇子、宝皇女という記述は、後に天皇になった為の文飾でしょうねぇ
正確に言えば、田村も宝も天皇の子ではないから皇子、皇女ではない
それと大派皇子を大派王と記述したのは、それを記述した者の不勉強さの
現れだと思われる
軽も天皇になっているから、茅渟王の子で敏達天皇の
曾孫なのに皇子と文飾されたと思われる
正確に言えば軽は皇子ではなく王
漢皇子も男系で言えば漢王のはずだけど
女系で言えば皇極天皇の皇子だから
漢皇子と記述されたのであろう
大派皇子・大派王に関して「難波皇子の弟または子である」という
異なる伝承が存在したことが混乱の原因だろう。
同様なことが建皇子・建王にも言える
彼は本来「斉明の孫」という属性の存在で
天智の子であるか否か分からない曖昧な書き方になっている。
書紀の記述のいいかげんさはいろいろあるしね
菟道貝蛸と菟道磯津貝の混乱とか、小姉君所生の子の混乱とか
春日山田皇女は仁賢紀と欽明紀がそっくりになってる
書紀の編纂者は継体天皇の没年を正確には知らず
百済本紀の記述を引用して没年を記述してるくらいだからな
つまり書紀編纂の頃には継体の没年でさえ
正確には分からないくらい、記録の保存が
杜撰だったと言えるわな
700 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 01:55:43
中国、朝鮮側の史書をもとにあらぬ電波飛ばすヤシもあれだが
記紀をあたまから正しいと思い込むのも危険だな
継体紀の記述者は誠実だよ
継体の没年が良く分からないから
百済本記の記述を引用した
それが本当かどうかは、後の歴史家が
調べてくれと書いてる訳だから
大陸の史書を使ってデンパを飛ばすのは問題だが
7世紀に編纂された日本書紀より、漢書地理誌、後漢書東夷伝
魏志倭人伝(三国志)、宋書倭国伝のように、より同時代性が高い
史料の方が信用出来る
神功皇后(日本書紀)と卑弥呼(魏志倭人伝)は、共にAD200年代に
存在した事になるが、日本書紀より同時代性が高い魏志倭人伝の
記述の方が信頼出来るから、神功は架空か卑弥呼と壱与を
投影した存在であろう
神功皇后は200年から269年まで政務を取り仕切っていた(日本書紀)
卑弥呼は239年に魏に使者送り、248年頃に死亡し、壱与が次ぎの
邪馬台国の女王となった(魏志倭人伝)
なお壱与は266年に西晋に朝貢する(晋書)
704 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 09:04:41
さあ、卑弥呼スレのはじまりです。
705 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 12:26:00
李氏朝鮮と朝鮮三国の構成民族はまったくの別物です。
馬鹿ですか?
706 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 13:51:58
日本と三韓は元々同族でそれぞれ倭と朝鮮に融合したんだろ?
だがそんなこと誰も納得するわけない
707 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 01:10:38
葛城皇子ドコー?マダー?
中大兄、中臣=三好三人衆
709 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 11:16:05
はあ?
710 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 22:34:36
天智天皇は、ヒーローでもなんでもない。
聖徳太子の遺志を継いだのは、蘇我入鹿であり、
入鹿を殺したのは、中大兄、鎌足コンビ。
そこから、藤原不比等以降の地獄の藤原支配が始まる。
聖徳太子ー蘇我入鹿の遺志を継いだのが、天武天皇。
711 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 00:12:09
中大兄王子は福岡の糸島半島の九州伊都系だな。クツ→沓→(逆にする)→泉→イズミ→(逆にする)→ミズイ→ミツイになる。大牟田、久留米にある三の付く地名に影響力をもっていたみたいだ。
712 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 09:28:50
>>710 聖徳太子の遺志って何ですか?
てか入鹿は太子の子の山背大兄王と争って、
上宮王家っての?太子の子孫達を自殺に追い込んでなかったっけ?
入鹿と山背どちらに非があったのかとか
集団自殺が入鹿のせいなのかは良く知らんけど。
>>710 ハァ?
蘇我入鹿が厩戸皇子の路線を受け継いだなんて聞いた事もない
厩戸皇子が実行した、十七条憲法の制定や位階十二階の制度等の
諸改革を受け継ぐのなら、そのシンボルには、舒明天皇や
古人大兄皇子ではなく、厩戸皇子の子である、山背大兄王を担ぐべきだろう
それをしなかった、蘇我蝦夷、入鹿親子の、一体どこが厩戸皇子の意志を
継いだと言えるのかw、正にお笑い草だww
厩戸皇子をシンボルにした馬子>田村王や古人大兄皇子をシンボルにした蝦夷・入鹿
714 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 14:04:30
>>713 何で改革を受け継ぐのなら子を担ぐべき?
改革を受け継ぐ事と、その人の子を担ぐ事は別なんじゃない?
親子でも全く同じ考えと能力を持っている訳じゃないんだからさ。
それは蝦夷や入鹿にも言える罠w
無能だが馬子の子や孫だから大臣になれたww
それと山背大兄王が有能かつ慈悲深い存在だと言う事は
上宮聖徳法王帝説、上宮聖徳太子伝補闕記、聖徳太子伝暦
(日本書紀・皇極紀)等の諸史料で既に証明されている
皇極紀によれば、東国にある上宮王家の乳部(領地)の民を動員すれば
入鹿に勝てる戦いを、山背大兄王は民を動員して戦うから拒んだ
その理由「我は十年間、民を使役しないと心に決めた。それを我身
一身の為に使役出来ようか!」
山背大兄王が本気で戦えば、蘇我入鹿に勝てたと正史である
(「日本書紀」『皇極紀』)が記述している
このスレも住民は(「日本書紀」『皇極紀』)を否定出来ないよなw
皇極紀の山背大兄王の言葉や行動は編纂者の捏造なら
同じく皇極紀の中大兄皇子の言葉や行動も編纂者の捏造になるからなww
717 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 10:50:05
>>715 入鹿は凄い頭良かったんじゃなかったっけ。
>>715 慈悲深いはその皇極紀の記述だよね。
有能だって根拠は何ですか?
どうでも良いけど上宮聖徳法王帝って凄い名だw
718 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 10:59:30
>>718 天武の子だけど、母方からみれば中大兄皇子の孫
系図:天智天皇
|――新田部皇女
橘娘 |――舎人親王――淳仁天皇
天武天皇
720 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:11:11
>>715 10年間民を使役しないと決めたから戦ったら勝てたのに
戦わなかったって、慈悲深い事なのかな…。
勝つ見込みのある戦いをせずに自分の妻子兄弟を女子供まで道づれにして自害したって事じゃん。
ところで入鹿と山背大兄王ってなんで争う事になったの?
721 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 05:05:47
>>715 女子供を道づれにしている時点で慈悲深いとは言えないような…。
>>717 入鹿に関しては、父である蝦夷が「大馬鹿者、悪逆、お前の命も脆い」と
蘇我上宮王家滅亡の時に言ってます(「日本書紀」『皇極紀』)参照
山背大兄王は、蘇我上宮王家を一致団結させて、上宮王家として
斑鳩宮と斑鳩寺を有し、乳部も王家として一括管理して、資産の分散を
防ぐだけの統制力を持っていた
これが蘇我蝦夷・入鹿親子には、それだけの統制力が無く、倉麻呂や
倉山田石川麻呂の独立・離反を圧させられなかった
石川麻呂の山田寺建立は、宗家の飛鳥寺に対抗するもので
寺の建立自体が、宗家からの離脱の主張
>>721 それは現代人の感覚
上宮王家は「世間虚仮、唯仏是真」を信条にしていた厩戸皇子の子・孫
したがって、一族皆で世間から離脱し、仏の世界(天寿国?)へ行く事は
一人の脱落者も残さない慈悲深き行い
皇極2年11月
蝦夷曰く「大馬鹿者、悪逆、お前の命も危うい」
皇極3年6月
二つ花房をつけた蓮が見つかって蝦夷曰く「蘇我が栄える瑞祥じゃ」
>蝦夷曰く「大馬鹿者、悪逆、お前の命も危うい」
こっちが当りw
>二つ花房をつけた蓮が見つかって蝦夷曰く「蘇我が栄える瑞祥じゃ」
こっちが外れww
一年弱で蝦夷が物忘れする馬鹿だから、蘇我宗家は滅亡したwww
蝦夷・入鹿の馬鹿親子のおかげで、このスレタイとおり
中大兄皇子が活躍する余地が出来た
逆に、蝦夷が山背大兄王を即位されていれば、中大兄皇子は
スーパーヒーローにはなれなかったと言える
「蘇我が栄える瑞祥じゃ」は本来舒明年間の出来事かもな
727 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 14:16:41
>>725 山背が即位したところで反蘇我宗家の流れは決定的だし、
孤立を恐れて山背が蘇我氏を抑え込むだろうから
葛城皇子にもまだ目はあるぜ
728 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 14:50:39
中大兄皇子と藤原鎌足とが男色関係にあった
という伝承は、いつ頃まで遡ることが出来ますか?
729 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:59:05
>>722 でも通ってた塾の教師の僧だったか誰かが、家の塾で入鹿が1番だって言ってなかったか?
730 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:48:32
僧旻
一番が鎌足、二番目が蘇我鞍作と藤氏家伝にある
(『大織冠伝』「藤氏家伝」)の記述を信用するか?
(『皇極紀』「日本書紀」)の記述を信用するか?
の問題だな
『皇極紀』の入鹿は馬鹿
『大織冠伝』の入鹿は利巧
俺は入鹿は馬鹿だと思う
蘇我上宮王家を滅亡させて、持ち札を古人大兄皇子だけにしたことは
明かに入鹿の失策
(『孝徳紀』「日本書紀」)の古人大兄の記述を読むと、この人を天皇に
しても、蘇我宗家にとって役立たずと思われる
733 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:31:39
上宮王家は高句麗派、葛城皇子は百済派、入鹿も百済派。
国際情勢からすれば多少の時間差はあっても、山背王が即位しても
たいして変わらなかったと思うがね。
734 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:49:56
>>731 別にどちらも本当の発言でも不思議ないんじゃない?
単に毛人と僧旻の見解が違うだけで。
現代でも同じ人を賢いと評する人もバカと評する人もいる事とか、
以前は賢いと評された人がバカと評される事はあるから。
>僧旻の見解が、入鹿の上宮王家絶滅行動より前か後で大きく違う
蝦夷の見解は、入鹿の王家絶滅行動は決して
宗家の為にならないと言う事から出たモノと思われる
入鹿の蘇我上宮王家絶滅行動で、蘇我倉山田家は
蘇我宗家から完全に離反したと思われる
一族に狂犬(入鹿)が居れば、その狂犬は始末するしかない
そこで倉山田石川麻呂は、中大兄皇子に接近したと思われる
*石川麻呂は、娘を二人、中大兄皇子に嫁がせている
*この行動は石川麻呂の曽祖父の稲目が、欽明天皇に
娘を二人嫁がせたのと全く同じやり方
これは狂犬+古人大兄皇子に対抗する為に、石川麻呂にとって
必要不可欠な行動
736 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 01:07:32
狂犬(入鹿)
狂犬(入鹿)
狂犬(入鹿)
狂犬(入鹿)
狂犬(入鹿)
狂犬(入鹿)
狂犬(入鹿)
狂犬(入鹿)
737 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 01:17:25
>>735 でもその結果中大兄に謀反疑われて妻子と自害したんだよね…。
>>737 中大兄皇子は多分、欽明天皇よりも猜疑心が強かったのだろうねぇ
しかし、石川麻呂の外孫が二人天皇に即位した
一人は持統天皇、もう一人は元明天皇
この点は、稲目の外孫が三人天皇に即位したのに似ている
用明天皇、崇峻天皇、推古天皇
しかし馬子の孫のうち、山背大兄王は事実上入鹿に殺され
もう一人の古人大兄皇子は、事実上中大兄皇子が殺した
したがって、馬子の外孫は天皇に即位できなかった
蘇我倉山田石川麻呂にとって従兄妹の入鹿は狂犬だろう
同じ従兄妹の山背大兄王が入鹿に事実上殺された訳だからな
それに石川麻呂は山田寺を建立している、これが蘇我氏の氏寺である
飛鳥寺からの自立=宗家からの自立の意味を持つから、蘇我上宮王家の
次ぎに狙われるのは、蘇我倉山田家だと石川麻呂が思っても不自然ではない
そして入鹿は古人大兄皇子を担いでいるから、それに対抗する為には
同じ皇族で宝皇后の皇子でもある、中大兄皇子と手を組むのは自然の
成り行き
740 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 20:55:43
入鹿と石川麻呂は”従兄妹”
入鹿と石川麻呂は”従兄妹”
入鹿と石川麻呂は”従兄妹”
入鹿と石川麻呂は”従兄妹”
入鹿と石川麻呂は”従兄妹”
入鹿と石川麻呂は”従兄妹”
741 :
あほ:2006/04/09(日) 23:26:44
あっそう
蘇我馬子−蘇我刀自古−山背大兄王
蘇我馬子−蘇我蝦夷−蘇我入鹿
蘇我馬子−蘇我倉麻呂−蘇我倉山田石川麻呂
3人とも馬子の孫で、従兄妹同士の関係
しかし入鹿が凶状持ちだったw
それと、蘇我馬子−蘇我法提娘−古人大兄皇子だったな
山背大兄、蘇我入鹿、蘇我倉山田石川麻呂、古人大兄皇子の4人は
四人とも蘇我馬子の孫で従兄妹同士
しかし、山背大兄自殺、入鹿暗殺、古人大兄自殺、石川麻呂自殺…
744 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 00:49:51
結局、馬子の孫で幸せのうちに終わったのは大臣連子
従兄弟だろ。低脳
746 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:52:38
>>742 中大兄皇子も蘇我稲目の子孫だから遠縁だね。
747 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:37:24
なぜ皇極程度の血筋の人が即位できたのでしょう。
舒明の兄弟もいたでしょうに。
748 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 15:19:58
>>747 皇極程度の血筋の人って中大兄皇子の事?
皇極本人?
749 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 15:57:34
750 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 14:39:22
>>749 舒明天皇の皇后だし、薄いけど蘇我稲目の子孫だから…かな?
751 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 15:53:12
皇極も推古も本命までの繋ぎの即位に見えますが、
推古の時の本命は厩戸で、
皇極の時の本命は古人か葛城
推古は大王の子で大王の大后、
皇極は大王の曾孫で大王の大后
繋ぎとはいえ曾孫で即位は、舒明の兄弟が存命では無理があり杉。
ましてや軽王(孝徳)なんて論外の血筋。これが即位できたところを
みると、蘇我宗家潰しの親玉は軽王で、葛城は下っ端だったのか。
752 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 16:54:39
>>751 でも遷都の時置いてきぼりされたよね。皇后にまで…。
8年で立場逆転した?
孝徳の力を借りるための密約があったんだろう。
754 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:06:43
>>752 孝徳はいろいろと変革をやり過ぎて、周りから浮きすぎたのだと思う。
649年に妃の父である蘇我石川麻呂や阿倍倉梯麻呂を失って、どんどん
死に体になってきたところに
本命 中大兄(葛城)が大きくなって キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
阿倍倉梯麻呂が健在なうちに葛城・大海人は始末すべきだったな。
孝徳は最初から神輿。黒幕は中大兄。
756 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:27:56
>>755 神輿として即位させるには血統が悪すぎる。
757 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 21:38:32
兄弟相承が一つの原理としてあった時代、
軽王は皇極即位ではじめて皇位継承の芽が出た
山背大兄王襲撃事件は、この人物だけが「二度おいしい」
>>755 その説に批判的なのは遠山氏なんだよな
遠山氏によるとクーデターの首謀者は軽皇子で
中大兄皇子は鉄砲玉的存在
両者の力が逆転したのは有間皇子の外祖父でもあった
飛鳥の有力氏族で左大臣、阿倍倉梯麻呂の死
倉梯麻呂の死で、孝徳天皇は有力な舅を失い
有間は外祖父を失った
>>749 皇族出身の皇后という立場は強い
例えば光明皇后の場合は、藤原氏出身だから
宝と違って皇后にはなれても、天皇にはなれない
760 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:22:09
>>751 >>755 そいえば中大兄で孝徳が神輿なら、なんで孝徳が即位する必要があったのか不思議だね。
別にそのまま母親(皇極天皇)を在位させておけば良いじゃん。
母親の方がやっぱ親子だから言う事聞きそーなのに、
それを退位せてまで叔父を即位させているのは何でなのかね。
孝徳死後母親が重祚しているし。
やっぱ孝徳が首謀者?
>>760 孝徳天皇没後に、宝皇后をわざわざ重祚(斉明天皇)させているから
別に軽皇子を即位させる必要性は感じないな
だいたい皇極の譲位は天皇の生存中譲位の最初の例だし
そんな異例を作るくらいなら、皇極続投で良いはずだから
蘇我入鹿暗殺および蘇我宗家滅亡事件の首謀者は
自分が天皇になりたかった軽皇子だと俺は思う
軽皇子は上宮聖徳太子伝補闕記では、上宮王家滅亡事件の
首謀者の一人と名指しされているし、自分が天皇になるためには
山背大兄王の存在が邪魔だったからと思われる
762 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 17:22:57
>>758 そー考えたら阿倍倉梯麻呂の死も怪しく思えて来るw
中大兄皇子に暗殺かな?
763 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 03:38:28
>>761 自分が帝位に就く為に山背大兄達を抹殺し、その協力者であった入鹿までも甥を使って葬る…。
なんか軽のイメージ変わったな。
中大兄に利用されて難波に置いてきぼりにされた不幸な人ってイメージだったんだが。
764 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 12:15:47
推古没時に山背が田村(舒明)と皇位を争える時点で既に異常事態とも言える。
田村(舒明)は、敏達(天皇と皇女の子)の皇子と敏達の皇女の子
山背は、用明(天皇と蘇我娘の子)の皇子と蘇我娘の子
よほど強い支持者(蘇我)がいないと山背は名乗りすら上げることのできない血統。
同じサラブレッドでも田村はJRA級、山背は地方競馬級。
推古没時に、田村(舒明)に古人(母は蘇我娘)が生まれていれば、蘇我としては
ここで血統の悪い山背を無理にでも押すか、古人が無事成人することに掛けるか
の判断になる。
田村(舒明)に血筋のよい皇女の妃がいて、そこに王子でもいれば古人が成人しても
また無理をしないと即位させれないけれど、幸いにも宝王女(皇極)は敏達の曾孫で
しかない。
結局、田村を選択した蘇我にとっては、古人が即位できる年齢になれば、山背は
完全に過去の人となるはずだった。
が、古人が即位年齢に達する前に田村(舒明)が死んでしまい予定が狂った蘇我氏
はここで大失敗を犯す。
本命・古人を強引の即位させれば良いものを、予備カード山背を使うでもなく、
宝(皇極)の即位を許してしまう。
敏達の曾孫に過ぎなかった宝王女を天皇にしちゃったものだから、その子の
葛城皇子が本命に急浮上!!という事態に陥った。
なんだか宝(皇極)の即位時点で「蘇我氏終わったな」という感じです。
後は3年ほど掛けて詰んだ蘇我本宗家を始末して尾張。
皇極2年:予備カード山背を巨勢徳太臣(軽(孝徳)の治世に左大臣)らが始末
皇極4年:蘇我入鹿と毛人を葛城皇子らが始末
同年(大化元年):古人皇子を中大兄(葛城皇子)らが始末
この流れでは、蘇我本宗家としては館を要塞化したくなるのは当然。
765 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 23:45:32
大兄は母親が皇女でなくても名乗れる
白村江以降日本って唐に占領されたんじゃないの?
767 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 05:49:19
>>765 宝(皇極)って蘇我稲目の玄孫じゃなかったっけ。
薄いから関係無いかな。
>>766 それどんなデンパ説?
日本史習った事の無いリア消防低学年か?
唐に占領されたのはピョンヤン。安東都護府
769 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 07:37:17
>>766 天智天武は兄弟じゃないらしいスレで沸いてたデンパ厨房?
>>764 確かに山背大兄王の母は蘇我刀自古だから、田村皇子の母である
糠手姫皇女より形式的には身分はした
しかし刀自古は蘇我馬子の娘だから、実際の権勢は糠手姫より上
そして父親に関して言えば、地位も名声も聖徳太子>押坂彦人大兄皇子だろう
その上、斑鳩宮と斑鳩寺(法隆寺)を擁する上宮王家の力は侮れない
従って、
>田村はJRA級、山背は地方競馬級
はあり得ない
そもそも地方競馬級では皇位継承争いにすら参加できない
そんな皇族は沢山居るからね
771 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 11:31:12
>>770 >そもそも地方競馬級では皇位継承争いにすら参加できない
そこを無理に参加させるのが蘇我の威力。
表現を変えただけで前の繰り返しになるが、
山背は天皇の血が1/4で蘇我が1/2(物部1/4)。用明は天皇+蘇我。
田村は天皇の血が1/2(息長1/4)。敏達天皇は天皇+皇女。
山背では蘇我の血が強すぎて蘇我天皇になってしまうので、蘇我以外の有力
豪族の支持はありえない。
>>771 おもしろい分数だな
祖父母だけ遡ればいいのか?
なら皇極、孝徳は天皇の血はゼロ
773 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 15:20:44
その通り。皇極、孝徳は血統が悪すぎる。
774 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 04:11:55
>>771 山背では蘇我の血が強すぎて蘇我天皇になってしまう
用明天皇も推古天皇も母親は蘇我氏じゃなかったか?
775 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 04:13:59
>>蘇我以外の有力豪族の支持はありえない
蘇我氏が支持すればそれに迎合する形で他の豪族も支持するって事は無いかな。
蘇我氏に逆らって不味い事になるのを恐れて従うって事も。
776 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:07:58
>>774 用明も推古も天皇が父だ。母が皇女であるした成人皇子がいなければ、天皇候補になる。
山背と田村は天皇の孫で、天皇の子よりも本来血統面で不利だけれど、推古が長生き
しすぎて、天皇の皇子である候補が存在しなくなってしまった。
厩戸だったら天皇と皇女の間の皇子で、父母とも蘇我系とはいえ血統は良かった。
しかし推古は長生きしすぎることで蘇我の外戚継続の野望を打ち砕いたことになる。
推古と蘇我がその気なら日本初の"譲位"は皇極->軽ではなく、推古->厩戸で発生
していたはず。推古は葛城の地の件に限らず、蘇我に抵抗していたのではないか。
777 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 12:30:17
田村王の血の1/4は伊勢大鹿氏
敏達系嫡流である押坂彦人大兄皇子やその子孫の方が
純粋に系図上の血統だけでいえば上だろう。
ただ聖徳太子の威名と斑鳩宮の経済・文化・軍事力などは
かなりあって山背大兄が競合しうる存在として浮上していた。
誰が優位だったとかいう単純な話じゃなくて
諸要素がまざった結果、複数皇族が同程度に競合
したから政局になったわけで。
確かに血統から言えば両親とも皇族である田村皇子の方が
山背大兄王より上だな
血統で劣る山背大兄王が、入鹿に滅ぼされるまで、常に皇位継承の
有力者であり続けられたのは、
>>778が既に指摘しているように
聖徳太子の後継者として、上宮王家の総帥になれた事に尽きる
上宮王家が所持した斑鳩宮と斑鳩寺(法隆寺)は、この王家が持つ
文化と経済力の象徴
この点で上宮王家は、天皇家(敏達系皇統)に、匹敵する最有力の
皇族集団(用明系皇統)
その上、ニ寺並立説を唱える学者の意見が正しければ
上宮王家は、670年に焼失した若草伽藍の他に、現存する
今の法隆寺を建立していた事になり、一王家で二つの寺を
同時に所持していた事になるから、斑鳩宮と二つの斑鳩寺を
保持していた上宮王家の財力は、皇族の中でも群を抜いていたと
言える事になる
781 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 14:15:11
スポンサーは秦一族
782 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 15:47:44
この家族で田村王だけが存在感無いな。
単に皇極の夫、天智天武間人の父、のイメージしかない。
舒明紀は即位前紀だけやたら描写が詳しく
あとは付け足しみたいなもんだからな
南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は
昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの朝香の宮と言う奴だ。
南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだね。
そうやって在日である天皇家は、日本の名誉を著しく傷付けるような指導を日本国民に対してして来た訳だ。
そんな天皇制にしがみ付いている奴はバカか狂人かのどっちかだね。
あるリベラルな知識人が二十年ほど前に、先の戦争は国民にも責任があると言ったことをヒントに、
天皇には責任が無いみたいなズレたことを言い出した右翼がいるが、
国民主権国家となってから、その天皇制を廃棄しないでいたことは今度は本当に国民の責任である。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.htm
田村皇子にスポットライトが当ったのは、山背大兄王との
皇位継承争いの時だけw
しかもその時でさえ、山背大兄王と蘇我蝦夷の交渉過程の方が
綿密に記述されている始末
その上、死亡記述もシンプルで、ライバルの山背大兄王死亡の方が
遥かに劇的に記述されている
日本書紀の編纂総裁だった舎人親王は田村皇子の男系では孫
母系では曾孫なのに、自分の祖父(曽祖父)より、そのライバルだった
山背大兄王の記述に力を入れている有様
正に哀れなり、舒明天皇(田村皇子)
786 :
日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:03:27
大津京を作った人・・
>>659 >1、額田姫王が采女であっという史料が皆無であること
三采女の一人(薬師寺縁起)『万葉集辞典』中西進編 講談社文庫(P260)
>2、額田姫王が鏡王の娘であること
鏡王は系統も不明であり実在の人物という確証が無い。
>3、氏姓の記述が無く、姫王と尊称される人物は
皇族以外にはあり得ないこと
『日本書記』では、遠智娘ら四人の天智天皇の妃をミメと記しているが、
天武紀では大臣の娘は皆夫人(ミメより上の地位)となっており、
ミメとされた橘娘も天武紀では阿倍夫人と記されている。
『書紀』は天智の妃を天武の妃より低い身分に貶めているのである。
このような身分の改竄を意図的に行っている以上、
天武妃の一人である額田が姫王と尊称されていても、それを鵜呑みにすることはできない。
788 :
日本@名無史さん:2006/05/23(火) 14:22:06
そうなのか
>>78 天武の血統が皇統から外れた以降の史料にも
額田王に氏・姓が記述されてない以上
額田姫王は皇族だと言える
また鏡王に関しても、日本紀、続日本紀、万葉集には
出自不詳の皇族が多く記述されているから
鏡王が出自不詳であっても、皇族で無いと言う
証明にはならない
したがって、額田姫王は皇族である
氏・姓を持たない人間は、皇族、僧侶など
例えば藤原朝臣不比等の、藤原が(氏)、朝臣が(姓)、不比等が(名)
しかし額田姫王には、(氏)も(姓)も無く、額田という(名)と
(姫王)という女性皇族を示す尊称だけがある
792 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 13:11:29
あかねさす
793 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 19:40:40
大河ドラマ化しろ!
794 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 23:54:54
ホニャララ
795 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 21:43:36
ンガフフ
796 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 13:34:39
大河ドラマ化は難しいと思う。諸説拮抗して笑えないところがある。
NHK2時間ドラマ「大化改新」はあったと思うけど、どなたか見た
感想キボンヌ。
797 :
796:2006/07/22(土) 13:40:52
ちなみに、板タイトルの
スーパーヒーローってのはどうよ
皮肉だろ
799 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 08:09:01
そうなん?
800 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 11:24:13
京都の太秦にある広隆寺には聖徳太子の等身大の木像が安置されており、
歴代の天皇が大嘗祭で身に着けた衣装をこの木像に着せることになってい
ます。と言うことは今の天皇家が聖徳太子を殺害し、皇位を奪ったため、
聖徳太子の祟りを恐れて慰めるための行事だと分かります。
聖徳太子の正体は用命天皇の第1皇子の押坂彦人大兄皇子である。
すると、聖徳太子は皇位継承の第1候補者で、天皇に即位していたはずで
す。推古天皇(女帝)の治世下の摂政になっていたというのは嘘になりま
す。
根拠
「日本書紀」によると、用命2年(587)4月物部派の中臣勝海が彦人
皇太子(押坂彦人大兄皇子)と竹田皇子の像を作って、呪い殺そうとした
が、それが、難しいことを知り、彦人皇太子に帰順した。水派宮の彦人皇
太子の家臣亦見赤壽(トミノイチヒ)は、中臣勝海が退出するところを刀
を抜いて殺害したとある。
覚什著の「太子伝記」によると、物部守屋が用命天皇と聖徳太子を呪詛し
たことが書かれ、勝照3年(587)7月、聖徳太子率いる4将軍の中に
亦見赤壽(トミノイチヒ)(「伝暦」では太子の舎人となっている)がい
て、この人物が物部守屋を弓矢で射殺している。
この二つの事件は587年に起きた物部・蘇我氏による神仏戦争の中での
出来事であることは一目瞭然で、同時期に亦見赤壽(トミノイチヒ)は彦
人皇太子と聖徳太子の両方の家臣になっている。こんなおかしな事はあり
えません。彦人皇太子と聖徳太子は同一人物であると特定できます。
なぜ、聖徳天皇の業績が残らなかったのか。聖徳天皇を暗殺した事実を隠
蔽するためなのです。645年、天皇になっていた聖徳天皇(聖徳太子)
は、三韓の使者の挨拶を受けていた時に、中大兄皇子(百済王の子豊章)
と中臣鎌足(新羅の武王)によって殺害され、日本は朝鮮人に乗っ取られ
てしまったのです。
大化の改新では聖徳天皇を蘇我入鹿にすり替えられてしまいました。
中大兄皇子は祖国復興のために、日本軍を白村江の戦いに派兵して、大量
の犠牲者を作りました。
801 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:38:10
>スサノオは、黄泉国に行く前に、姉のアマテラスに別れの挨拶をしようと天上に昇る。
>スサノオが天に昇るとき、海は轟きわたり、山も鳴りひびいた。このあまりの猛々しい登場ぶりに、
>アマテラスは、スサノオが国を奪いに来たのかと男の姿で武装してのぞむ。
★日本神話におけるアマテラスとスサノオの関係★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1067010993/148-150 古代日本の二大勢力、日向族と出雲族の戦争が、神話に投影されている。
>スサノオの行いがひどかった。
>アマテラスが機殿で神衣を織っているところに、屋根に穴を開けて皮を剥いだ馬を投げ入れるという
>スサノオの暴挙に対し、それまで我慢していたアマテラスもとうとう怒る。
>アマテラスは天の岩屋戸に閉じこもり、世界は暗闇につつまれてしまう。
スサノオが日本神話の中で、アマテラス(日向族の神)を困らせる悪神にされているのは、
この神話を書いた日向族が、ツクヨミのエピソードを、スサノオのエピソードに書き変えた
せいでもあるが、戦勝部族である日向族が、敗戦部族である出雲族の神=スサノオを、
神話の中で意図的に悪役として描いたためである。
アメリカ軍占領下の日本で、日本人を悪者扱いする<歴史教育>が行われたのと同じことである。
802 :
日本@名無史さん:2006/08/18(金) 20:56:24
舒明は義慈元年に倭国に派遣された男らしいよ。
天智が余豊なのは確実。
803 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 16:35:06
天皇家はフリーメーソンだった
狛犬を研究して分かった事だが、神社の前に護りの神獣として据えてある狛
犬の起源は古代イスラエルまでさかのぼる。向かって右の狛犬は獅子であり、
左のものは狛犬で本当の姿は一角獣の麒麟である。右左で阿吽の形になってい
る。
古代のイスラエルは北王国ヨセフと南王国ユダの二つに分裂していて、ヨセ
フ王国の紋章が一角獣(ユニコーン)であり、ユダ王国の紋章が獅子である。皇
室に伝わる紋章には右に獅子が、左に一角獣(ユニコーン)が描かれ、中央には
12匹の獅子が描かれている。これはイスレエル12支族を表している。
ヨセフ王国の10支族が中央アジアに移った。彼らは肌の色が白いことから
白狄族と呼ばれ、ヘブライ文明の高い技術力で騎馬軍団を組織して中国を制覇
し、秦帝国を築いた。秦帝国滅亡後、北魏を建国した。後に朝鮮に移って百済
王家にとって代わった。
百済王子豊璋と新羅王武王が三韓の挨拶の時に聖徳天皇を殺害し、中大兄皇
子(百済王子豊璋)は一時難波へ逃れ、聖徳太子の子高市皇太子と孫長屋親王を
殺害して、草壁皇子にすり替わったのである。その前は中大兄皇子に化けてい
て、大化の改新の後ずっと、天皇に成れなかったのは聖徳太子の子が天皇に成
ったためで、推古、皇極天皇などの女帝は虚構で、その後に天智天皇となり、
自分の子を文武天皇にしたのある。こうして、日本はフリーメーソンの陰謀に
よって乗っ取られたのです。
804 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 16:52:35
日本書紀に隠されていた暗号
なぜ、男性天皇であった伝統が聖徳太子の時代から女性天皇に変ったのか。
このことに疑問を感じないのは不思議である。日本書紀は矛盾点が多く改ざん
されている可能性があるため、内容が難解で改ざんしにくい先代旧事本紀大成
経を調べてみると、推古天皇治世の中に突然、欽明天皇の事績が出てくる。こ
れにも改ざんの魔の手が伸びていた。何か手がかりがないかと見ていると、見
出しが目に入った。帝皇本紀上巻上に継体天皇の事績が書かれている。その後
を推定すると、上巻下が安閑天皇、中巻上が宣化天皇、中巻下が欽明天皇、下
巻上が敏達天皇、下巻下が崇俊天皇となる。次が聖皇本紀上巻上となっている。
聖徳太子の聖の字と一致するから、聖徳天皇に推定する。上巻下は高市天皇、
下巻上は天武天皇、下巻下は長屋天皇となる。このように推定した根拠を示す。
日本書紀によると、欽明天皇と石姫皇后の間に2男1女が生まれ、皇太子は
箭田珠勝大兄皇子と言い、二男は渟中倉太珠敷尊と言う。ここでおかしいのは、
二男の名前が本名でなく、諱(死後の尊称)であり、珠の一字からこれは箭田珠
勝大兄皇子の諱である。すると敏達天皇が亡くなればその皇太子が天皇になる
から、用明天皇の存在が消えてしまうのである。敏達天皇と広姫皇后の皇太子
押坂彦人大兄皇子の又の名を麻呂古皇子と言い、用明天皇と広子の長男も麻呂
古皇子と言う。同じ名前なら入れ替えても同じであると言う事は入れ替わった
と言う暗号である。押坂彦人大兄皇子は麻呂古皇子(朝鮮人)に入れ替わったの
である。彼は皇太子なのに天皇になれず、いつ亡くなったのか分からない。ま
るで聖徳太子とそっくりである。聖徳太子の正体は押坂彦人大兄皇子で、皇位
継承第1候補者で天皇になっていた。このことを隠すための嘘の女帝が推古天
皇である。用明天皇は聖徳太子の血筋を朝鮮人に卑しめて、天皇になれなかっ
たとするための虚構である。高貴な天皇家が朝鮮人を妻とする筈がない。
805 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 16:55:17
朝鮮人が聖徳太子を暗殺したことが証明された
日本書紀によると645年に大化の改新の政変が起こり、蘇我入鹿は中大兄
皇子と中臣鎌足らに暗殺された。それを目撃した古人大兄皇子は走って帰り、
「韓人、鞍作臣(蘇我入鹿)を殺しつ、吾が心痛し。」と言った。朝鮮人が蘇我入
鹿を殺した。胸が張り裂けそうだと言った。史学会の学者は現場に朝鮮人がい
ないので、朝鮮の政治がらみで殺したと歪曲した解釈にした。騙されている先
入観でものを考えるから、判断を誤るのである。朝鮮人は中大兄皇子(百済王
豊璋)と中臣鎌足(新羅武王)らである。
大阪府にある野中寺の弥勒半跏思惟像には次のように書かれている。天智5
年(666)栢寺の智識ら、中宮天皇の大御身労き座しし時に詣り、誓願して弥
勒の御像を奉る。栢寺の縁者が中宮天皇の病気平癒を祈願して弥勒像を贈った。
中宮とは皇后と言う意味ではなく、宮に中(あ)たると言う意味で天皇を指す。
上宮が聖徳太子であるから、中宮は聖徳太子の子・高市皇太子、下宮はその孫
・長屋親王となる。高市天皇は毒殺された。
二人は天武天皇の血筋ではない。
天智7年(668)に中大兄皇子は天智天皇になる。23年間皇太子のままで
いたのはおかしい。成れない事情があったのです。高市天皇が亡くなって成れ
た。この時の斉明天皇は嘘。中大兄皇子が生まれた年は625年で、大海人皇
子は621年である。天武天皇の方が兄である。中大兄皇子の周りは胡散臭い。
文武元年(697)に軽皇子は文武天皇になる。高市皇子が亡くなるのを待っ
ていたように。この高市皇子は嘘で長屋親王である。この時の持統天皇は嘘。
女帝は聖徳天皇らを隠すための隠れ蓑の役割である。聖徳太子の暗殺を隠すた
めに645年を挟んで太子の事跡を前年にずらし、長屋親王が太子の孫である
ことを隠すために彼の事跡を後年にずらしているのです。
806 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 22:43:35
天智って慇の厨王の別名らしぜ。かなり評判悪かったんじゃないのかなー
808 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:53:36
でもないよ
809 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 23:47:44
810 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 22:55:48
>>807 確かにそういう説もあるが、単純に天武と対照的にされたとも考えられる
「天」も「智」も、良いことをしたり徳のあった王におくられるものらしい
811 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:06:19
そうけ?
812 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:53:09
813 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:58:45
>>766 たまにそれ言う奴いるけど、それはまずない。
だったら旧唐書か新唐書にそう書かれているはず。
まあ、唐のほうが断然威張っていたのは間違いないが、政治の主権まで犯されてない。
814 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 19:21:43
保守
815 :
日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:36:39
816 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 02:38:32
817 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 14:11:56
スレタイが検索で引っかからないから過疎るのかな。
中大兄は大和蘇我勢力の伸張を喜ばない九州宗家の指図でクーデターを起こした
819 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 22:35:07
ほっほ
820 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:24:44
屁
821 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:08:25
天武天皇のあとを継いだ持統天皇って、中大兄皇子の娘っていう説もあるよね。
だとしたら、天武系から天智系に皇統が移ったのは通説よりもだいぶ前、ということになるね。
822 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:24:37
アリの巣コロリってあるじゃん。
蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
そいつをマネして何匹も入る。
毒とも知らずにツブツブを運び出す。一匹が一粒づつ。
いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。探してもいない。泣きたくなった。
このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。
信じるか信じないかはあなた次第です。
823 :
日本@名無史さん :2007/04/04(水) 20:41:14
額田女王は豪族の娘ではないと思う。
十市皇女の扱いから考えたら、皇族の娘である可能性が高い。
天智は十市を大友の正妃=将来の皇后に迎えたし、十市に関する文献は多い。
天武は子どもの時の話があまり無い人で、本当に弟かという説も根強い。
十市皇女と結婚することで高市が天皇になってしまうので、持統は2人の仲を引き裂いたという説もある。
天智は正妻と子どもが作れなかったので、皇族の女性が欲しかったと思う。
中大兄皇子は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の入鹿を除かなければならぬと決意した。
中大兄皇子には政治がわからぬ。中大兄皇子は、皇極の息子である。
鞠を蹴り、鎌足と遊んで暮して來た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
> 來た
?
826 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 19:44:03
>821
持統天皇は中大兄皇子(天智天皇)の娘でガチですよ。
そもそも天武天皇には天智天皇の娘が4人も嫁ぎ、
皇太子草壁皇子の正妃もまた天智の娘であったため(元明天皇)、
はっきしいって、天武天皇以降も、
天智の娘や、天智の血を女系で引く皇子が天皇になっています。
光仁天皇の代で天武→天智へ皇統が移行したというのは、あくまでも男系。
その光仁天皇も、天武系の聖武天皇の皇女井上内親王を妃にしているというのが
登位の大きな理由の一つだった(井上内親王はのち失脚させられ、皇子とともに死亡)
828 :
2:2007/06/19(火) 04:50:44
天智の和風諡号
天命開別(アメミコトヒラカスワケ)
いつおくられたのか解からないが何か初代のスメラミコトみたいな感じ
神武即位の年を考えると日本書紀の紀年の基準になってる気がする
829 :
日本@名無史さん:2007/06/19(火) 09:50:23
>823
額田王が大海人皇子との間に十市皇女を産んだのは事実だけれども、
天智の愛人になったというのは近年、覆されているよ。
「人妻ゆえに・・・」の例の歌は、万葉集に「皇太子作」と記され、
従来、天智の皇太子(=大海人皇子)が読んだものと解釈されてきたが、
天智の皇太子(=大友皇子)であったと解釈すると、大友皇子がよんだ歌ということになり、
妻の母である額田王に、人妻ではありますが、まだまだおきれいですよ、
とよんだ歌になるそうだ。
額田王が皇族であった可能性はあるが、
この当時、皇族とは五世王までなので、落ちぶれていた皇族もいる。
実際、額田王は天武天皇の皇后にはなれなかったわけだし(当たり前だが)、
仮に皇族であったとしても、有力ではなかったのだろう。
830 :
日本@名無史さん:2007/06/19(火) 13:24:13
持統天皇は新羅人に育てられた新羅派だから、天武を裏切ることはなかった
831 :
日本@名無史さん:
巨勢を使って、蘇我氏に山背大兄王暗殺を唆して
世間がこれに反感を抱き始めた頃に、蘇我打倒を実行した
巨勢は勿論、皇子側の工作員なので大化の改新実行において皇子側に加担した
結構、エグイ手をを使う人だったらしいな