私は「旧武家」の末裔です 四騎目

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938日本@名無史さん:04/02/22 09:06
地主だったが農地解放でほとんど巻き上げられたクチらしい。
農民から農地奪われたら何にもならないけど、武士は廃刀令出されても士族ってだけで裏山ー。
939日本@名無史さん:04/02/22 17:36
戦後の農地改革とかいって今も一町以上の広大な土地を持つ農家がけっこうあるが
新たに買い戻したってこと?
940日本@名無史さん:04/02/22 17:40
もともと千葉や埼玉あたりは5町歩未満の小地主しかいなかったし、
農地改革でも内地は1町歩まで小作地の保有を認められてるから、
自作地と合わせたらそれくらいあるだろうな。
941日本@名無史さん:04/02/23 03:45
 戦後のどさくさにまぎれて適当にここは自分の土地だって登記したんだよ。
942日本@名無史さん:04/02/23 05:43
花は桜木 人は武士
943日本@名無史さん:04/02/24 17:35
藩によって違うけど士族1にたいして卒族(足軽・中間・小者)が
2から3いたようだね。士族っていうのは旧卒族がほとんどなのだね。
944日本@名無史さん:04/02/26 23:19
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b48916085
これを買って、武士の子孫に成りすま汁。
945日本@名無史さん:04/02/28 03:54
ウチの家、
大して有名でもない小物に、戦国時代に下克上され、逃げて地主になること300有余年。
富農でヌクヌクも、戦後の農地改革で、普通の勤め人一族になりましたが、何か?

嘘でもホントでも、信長クラスに歯向かったくらいの伝説、欲しかったのう・・・
946うちも:04/02/28 06:45
士族授産で始めた商売が大当たりでガッポガポだったが
戦後没落。現在、東京郊外で普通の生活をしている。
947日本@名無史さん:04/02/28 16:34
爺ちゃんの爺ちゃんは彰義隊だった
上野戦争生き延びて茨城に逃げたって。実家は東京の根岸だけど
948日本@名無史さん:04/02/28 22:31
父方 武士の家系だが酷い不細工揃い
母方 田舎の庄屋の家系だが何故か美男美女揃い
 
容姿と身分は何か関係あるのだろうか。
ちなみに俺は父親似だが。
949日本@名無史さん:04/03/05 15:07
埼玉でガキがポン刀振り回しやがったが、お前らじゃないのか?
950日本@名無史さん:04/03/05 16:56
随分と古いスレ挙げるね。このスレに対する恨みつらみでもあったのかな??
951日本@名無史さん:04/03/05 23:08
たそがれ清兵衛は下級武士なのか?50石取りで冠木門あり・・・門構えは上級武士や庄屋では?
952日本@名無史さん:04/03/05 23:30
なんか、100石がひら的な武士の平均的禄高と聞いた。
953日本@名無史さん:04/03/06 00:04
はじめ人間ギャートルズで、
先祖をどんどん遡ると猿から………コワー、というネタがあった。
954日本@名無史さん:04/03/12 21:39
ところで清和源氏でなくても幕府開けるの?
955日本@名無史さん:04/03/12 22:33
無理。
将軍になれるのが清和源氏だけだから。
956日本@名無史さん:04/03/13 00:58
また君か
957日本@名無史さん:04/03/14 23:17
最近盛り上がんなー!
958日本@名無史さん:04/03/15 07:35
>>955
田村氏はどうなんだろ?
959日本@名無史さん:04/03/16 01:47
坂上田村麻呂は東漢氏なんだけど。

鎌倉幕府では、宮将軍や公家将軍がいたんだが。
960日本@名無史さん:04/03/16 01:57
>>951
上級武士とはいえんが、村方三役クラスではあるな。
ただの下級武士ではない。
961日本@名無史さん:04/03/16 03:56
>>960
ぷぷぷ
村方三役って
もしかして笑うところ?
962日本@名無史さん:04/03/16 05:07
村治香織は旧士族
963日本@名無史さん:04/03/16 05:11
>>961
「笑うところ」に拘るあなたは関西人ですか?
いやね、私の身近の関西人がよく使うフレーズなもんで・・・

「笑うところ」
964日本@名無史さん:04/03/16 11:57
>>962 詳細ギボン
965日本@名無史さん:04/03/16 14:54
でも武士で村方三役はないよね
966日本@名無史さん:04/03/16 15:57
>>965 村方三役はしらんが郷士で庄屋兼帯ならいるよね!なかには大庄屋も。
967日本@名無史さん:04/03/16 16:14
屋敷としての話だろ>村方三役
968日本@名無史さん:04/03/16 16:18
>>967 >>屋敷としての話だろ>村方三役
門と塀は庄屋だけでしょ!組頭・百姓代は許されないと思うが(献金で苗字帯刀を許された場合を除く。)
969日本@名無史さん:04/03/16 18:07
由緒百姓で、以前より門があれば認められるだろ。
970日本@名無史さん:04/03/16 18:43
小姓って武士のなかではどれくらい?
971日本@名無史さん:04/03/16 20:11
>小姓
下級武士でもいないことはないだろうが、中級武士以上の若年者が多いのではないか?
江戸中期くらいまでは、事と次第によっては家老にまで出世することもありうる立場。

極論だが、将軍の若い頃の小姓は老中などになることがあった(稲葉・堀田など)。
972日本@名無史さん:04/03/16 20:35
地方小藩の場合
<上士>
 給 人
 扶持方取
<中士>
扶持方取並
近 習
中小性
中小性並
<下士>
徒士抜
供徒士
国徒士

徒士で採用されて、3代もすれば、中士に上昇します。特に功績があれば上士にも上昇します。 
973日本@名無史さん:04/03/17 03:20
ふつう小姓という場合職責であることが多いが、
中小姓というと職責というよりも家格であることが多い。
972はその例であろう。
974日本@名無史さん:04/03/18 21:55
富裕な地主・商人層が、その家政の手腕を買われ勘定奉行などとなって、次第に
実権をにぎっていく。

献金とかから始まって、苗字帯刀御免、下士への登用、昇進。→勘定奉行…→維新時に権大参事
975日本@名無史さん:04/03/18 23:21
>>974 >>富裕な地主・商人層が、その家政の手腕を買われ勘定奉行などとなって、次第に 実権をにぎっていく。
富裕な地主・商人層を勘定方にし借金を被って貰い、用無しになったら首を切ろうと思ったが
いないとどうにも成らない状況になり・・・。

976日本@名無史さん:04/03/19 00:41
某御三家の関所の番頭だったんですが、下から数えたほうが早い身分だったんでしょうか?
977日本@名無史さん:04/03/19 03:42
>976
まあそうだね。
いわゆる木っ端役人だね。
978日本@名無史さん:04/03/19 03:50
>>976
番頭って商人みたいだ・・。

商人番頭→ばんとう
武士番頭→ばんがしら

なのかな?
979日本@名無史さん:04/03/19 13:51
>>977
順番示してやれよ
980日本@名無史さん:04/03/20 12:50
藩によって違うから某じゃ分からん   
981日本@名無史さん:04/03/20 23:18
976でつけど尾張藩でつ
982技師 ◆gXIWJpzFXw :04/03/22 00:35
ちょっと質問;
僕は都城方面出身の旧家の出ですが・・・
僕の曽々祖父は明治初期まで、二本差し、高下駄というスタイルで
えらそうに闊歩していたとのこと。刀は前述のごとく重ねの厚く幅の広い直刀。
おそらく示現流か。
苗字は近くの支城の名前に由来し、出自は「平氏」であったとか。
これだけの情報でどのくらいの身分だかわかりますか。
家族が全員無事で長命であったことからすれば、西南戦争には出てなかったようです。
明治以降の職業は、もともとあった領土?を生かして
山林伐採業=山師&農業&建設業をしていたそうですが・・・

983日本@名無史さん:04/03/22 00:54
島津本家ではなく、都城島津4万石の配下だったことだけは分かる。
984日本@名無史さん:04/03/22 01:36
>>981
番方なら事務職ではなく警備畑だろうね。
尾張のことは知らないけど
長州藩だと家老の下に大組頭があり番頭はその下。
家老を重役、大組頭を部長とすれば課長クラスじゃない?
985日本@名無史さん:04/03/22 01:42
追加。
大組頭は全体の統率者だから日頃は城に居るわけで
番頭は現場のトップだと思うよ。
986日本@名無史さん:04/03/22 04:17
単純な職としての「番頭」じゃないだろ。
関所の番頭とあるように、正確に「番頭」という役職ではないとおもわれる。

987日本@名無史さん
976でつけど、984=985氏のご意見に思い当たる節アリでつ。
公文書館の地籍簿で判ったのでつが、屋敷は城下にはありませんでつた。
もっとも明治になってからのモノでつが。