>>185 >>186 関係あるだろ。
源平藤橘の四姓が並び称されるのは、ご指摘の通りこの四姓だけが
皇后を輩出しているから。
211 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 11:27:51
源平藤橘のうち、藤氏だけが皇族じゃないのって変な気がする
やっぱ不比等って天智の息子なんじゃないのかなって思ったんだけど
不比等の一族以外は中臣姓を名乗らされてるわけだし
212 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 00:06:03
>>211 不比等が天智の息子って説は学者にはどのぐらい支持されているんだろ?
213 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 14:40:19
されてねえだろ。
214 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:44:00
>>211 橘氏の祖、橘三千代は、県犬養氏であって皇族ではないよ。
三千代の子、諸兄が、凡庸だった父美努王の姓をとらず、
宮廷内で権力を持った母三千代の姓である橘姓を名乗ったから、
諸兄から見れば、父方である美努王の先祖が皇族につながると言うだけ。
もともと、県犬養三千代が元明天皇から受けた姓である橘氏は、
皇族に与えられた姓ではないよ。
215 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 15:37:16
216 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 15:39:47
橘より立花のほうが高貴っぽい
でも新撰姓氏録は皇別だろ
>>217 新撰姓氏録では、橘氏の祖、県犬養橘三千代が省かれている。
どういう編纂意図があったものか。
他氏が父方のみを遡っているため、それに従ったためかもしれない。
橘諸兄の父方を遡っても、橘氏を名乗った者はいないが。
219 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 19:42:20
父系主義を採用してんじゃない?
諸兄自身が王氏あったし、橘朝臣姓は諸兄が賜ったものだし
その点を編者は重視したと思う。
>>219 だからあ・・・
橘姓は、諸兄の母、県犬養三千代が賜ったもの。「続日本紀」によれば、
和銅元年(707年)11月25日、県犬養三千代は、元明天皇から橘を浮かべた杯を賜り、
同時に「橘」の姓を受けた。
天平8年(736年)11月11日、三千代の子、葛城王、佐為王は、聖武天皇に母の姓「橘」姓
を名乗ることを請うてこれを許され、葛城王は橘諸兄、佐為王は橘佐為王と称した。
橘姓を受けたのは県犬養三千代だし、子の諸兄、佐為は、母の姓を名乗っただけ。
諸兄が天皇から橘朝臣姓を賜った事実はないよ。
新撰姓氏録がその事実を無視したのだろう。
221 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 08:55:02
>>220 6行目、佐為王の橘姓後の名を訂正。
佐為王は橘佐為と名乗る。
222 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 12:33:00
後代の人間から見たら母方がどうあれ、王氏が臣籍降下した者をその祖と考えたんだろう。
だから皇別なんだ。
>諸兄が天皇から橘朝臣姓を賜った事実はないよ。
三千代のは橘宿禰で橘朝臣ではないでしょう。
諸兄は王→橘宿禰→橘朝臣、つまり橘朝臣は諸兄が改めて賜った姓です。
揚げ足取りみたいに思われるかもしれませんが、
橘宿禰と橘朝臣は中臣朝臣と藤原朝臣が異なるのと同様に別の姓です。
224 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 20:34:19
カバネは賜っても女性である三千代の子は何もなければ王氏ままであり、藤原氏のままである。
この賜姓は三千代一代限りになるはずであったもの。葛城王らがカバネを許されて(これも一種の賜姓とも考えられるが)
初めてウジが発生したといえる。橘ウジのはじまりをもってその始祖としたんじゃないかな?
佐為の子孫は奈良麻呂の事件の時他姓に改姓してるね。後に復姓したみたいだけど。
で数世代後には歴史の表舞台からは消えちゃったと。
橘三千代の例で連想したんだけど、高野朝臣って新笠だけならともかく、
父の弟嗣も貰ってるわけなのに、どうして弟嗣の孫の家麻呂は和朝臣なんだろう?
>223
宿禰から朝臣に昇格したのは橘氏だけではないよ。
朝廷に貢献した証として貴族の姓はどんどん引き上げられたから、
平安初期頃までに、貴族の姓はほとんど朝臣になってしまった。
もっとも、宿禰が朝臣に昇格したからって、別氏にされてしまうということはありえない。
その説はおかしいよ。
橘氏は、宿禰→朝臣に昇格後、
橘奈良麻呂の変によって宿禰に落されている。
称徳天皇没後、再び朝臣に復帰。
橘諸兄没後にも、橘氏は宿禰となったり、朝臣となったり、移動が見られる。
229 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 09:50:00
>>224 女性の姓は1代限りで、その後、はじめて姓を賜った男性が初代とされる・・・
それって、どうなのかな?
例えば藤原氏の場合、一般的に天智天皇が鎌足に授け、
のちに鎌足の次男不比等の子孫だけが名乗る事を許された姓だとされるけれど、
この時代、父方を遡っても不比等に行きつかない藤原氏がいる。
藤原弟貞がそう。
彼の父は天武天皇の孫、長屋王。もともとは山背王と名乗っていた。
山背王は、父長屋王の没後、橘奈良麻呂の変で藤原氏に協力、その功績によって
母方の藤原姓を名乗る事が許された。
藤原弟貞の母は藤原不比等の娘長我子。
母方を見れば弟貞は紛れもない不比等の孫であり、
藤原氏の血を引いているのだけれど、父方は王氏。
母系を全く無視すると、父系で不比等にいきつかない賜姓藤原氏の皇族もいたということになる。
>宿禰が朝臣に昇格したからって、別氏にされてしまうということはありえない
その認識は間違いです。そもそも姓の昇格という概念がおかしいのです。
○○宿禰××が○○朝臣××になると言うのは新たな○○朝臣を賜ると言うことで、
宿禰が朝臣に変化したと言うようなものではありません。
あなたは○○宿禰全員が○○朝臣になるようにイメージされているようですが、
それは例外であり○○宿禰の中の一部選ばれた人たちが○○朝臣を賜るのが基本です。
この場合○○宿禰姓のままの人が残り、この人達は朝臣姓とは別姓なのです。
もちろんそれにより同族関係が否定されるわけではありませんが。
系譜関係と氏姓は関連はあっても別のものだと理解してください。
基本的に姓は女系でなくて男系で受け継ぐものなので、女性のみが賜った場合はその姓は
本来的は一代限りのものとなる。
まあ父親がはっきりしないとか、わかってるけど諸般の事情で父の籍につけれない場合に
母親の姓を名乗ることもある。
橘宿禰諸兄も藤原朝臣弟貞も特に賜っているのもので自動的に母系の姓嗣いでいるわけで
はない。弟貞の兄の系統は高階真人となっているし、母の姓を受け継ぐのは恩典的特例では?
232 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 11:08:42
>230
その認識だと、橘朝臣の祖が諸兄だという君の認識が崩れてしまう。
諸兄の子、奈良麻呂の代、橘朝臣の姓は剥奪されてしまうからね。
再度、橘朝臣の姓を受けたのは奈良麻呂の子の代で、
ここから平安時代に続く橘朝臣の連枝は続いていく。
平安時代へ続く橘朝臣の祖は、奈良麻呂の子にはじまるのであって、
諸兄ではない、ということになる。
233 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 11:19:22
>230
>あなたは○○宿禰全員が○○朝臣になるようにイメージされているようですが、
>それは例外であり○○宿禰の中の一部選ばれた人たちが○○朝臣を賜るのが基本です
そんなことはいってないでしょ?
○○宿禰全員が○○朝臣になる、そんなことどこに書きました?
あなたの認識違い。
234 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 21:15:55
>>229 別におかしくもなんともない。父系主義を採用すれば藤原弟貞が、皇別藤原氏の初代になるだけ。
もし、新撰姓氏録に女性を祖とする氏族があるのならはなしは別だが。
まあ、俺が橘氏だとしても県犬養の娘の子孫というよりは、嘘でも敏達天皇の子孫というわなw
235 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 08:28:28
新撰姓氏禄そのものがいい加減だわなw
後の時代には、母方の家の養子に入る例などいくらでもあるのに、
すべて無視してるわけ。
236 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 18:29:13
王氏はなんらか姓氏を賜らなければ臣下にはならないわけで
母方の姓で降下したとしても、形式的には賜姓と言う形になったんだと思うよ
だから諸兄が皇別橘氏の祖というわけだ
もっとも男系というのは後世から見た基準で、奈良時代はもっとも女系が重視されていた時代
場合によっては女系天皇がこの時代に誕生していたかもしれない
(光明子が皇后という立場で即位、とか、称徳天皇が誰かの子供を産むとか)
_
_ - ´: : : : : : : :` ー 、
, ‐'´: : : : : : : : : : : : : : : : : : :`. 、
/: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : 、:.:.\
/: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : l: : : : : ヽ:.:.:.:\
/: : : : : : : /: : : : : : : : : : : :: : :i: : : |: : :.ヘ:.:.:.:.:.ヽ
//: : : : :: : :.:,': : : : : : : .イ: : :. :. : /: : : !: .: : :i:.:.:.:.:.:.:ヽ
/ ,': : : : : : : : :!: : : : : : :/ !: :.: .:.:../: :.: :..!.:.:.::. .:!.:.:.:.:.:.:.:ヘ
/: :!: : : : : : : : :|: : : : : _/_ |: .:.:.:.:イ: ィ:.__.イ.:.:.:.:.:.:.!.:.:.:.:.i.:.:.i.!
,': : :!: : : : :l: : : :|X'"゙´:./`゙ ! .:.:.:/ !:.ハ:,r.'バ`ー、.,'l.:.:.:.:.:!.:.:.l.|
!: : : !: : : : :!:/.:! !.:.:i.:/ i.:./ i/ ',:./ !.|:.:/`i、:.:.:.:i.:.:.:!:!
|: : :.ヘ: : : .ヘ.:.: :.! ヽ:ト' 〆 / レ !|/|.:/!.ヽ./.:.:./:!
|: : : :.ヽ: : : ',ヽ: |斗Xミミ、 彡≠ミ|/イ:.:./.:.:.:.:イ
l: : : : :.ヽ、:.:..ヽト,〈:::゚,::::::::}` そ::::::::ハト !:/.:.:.:/|/|
|: : : : : :.Xミ、:.ヾ ゙'つ_.. ソ ぅ...ノシ '"f'/ヽ/.:.:.:.:!
!: : : : : ト, ( ヘ`ト `ー- ′ 'ー--′//ソ.ノ.:.:.:.:.:|
!: : : : : :.:.`t、_ヾ, xxxx ` xxx //,イ.:.:.:.:.:.:.:.!
|: : : : :.:.:.:.! Tト、 「 ̄ ̄、! イ/ !|.:.:.:.:.:.:.:.:!
|: : : : :.:ト.:.l V. \ ヽ _ノ /. ,'ィ.:.:.:.:.:.:.::.!
|: :.: :.:.:..ハ.:l !` ー _ __ - ´ //|.:.:|.:.:.:.:.:.!
|: .:.:.:.:./ ヾ、 } | /´ .!.:.ト.:.:.:.:.:|
l: :.:.:.:.:.,' ` ,-/ ヽ-、- 、 ',.:!|.:.:.:.:.:!
!: .:.l.:./ / K、 _ 、 _ / \_ `ヘ:.:.:.::|
! .:.:!.,' /、 \ <´ / 'ー 、 ヘ.:.:l
. ! :./|:! / ` ー、 / ヽ / `ー ゝ.',
奈良時代に他に橘朝臣姓を賜った例としては、和気清麻呂に託宣した
宇佐神宮の女禰宜、辛嶋勝乙目がある。
辛嶋勝家(のちに辛嶋家)の子孫は今でも宇佐神宮に奉職していて、
家系図には「橘朝臣」と記してあるそうだ。
諸兄の子孫でなくてもまだまだ橘氏、いるんでないかい?
いるよ
240 :
日本@名無史さん:2007/07/11(水) 02:15:20
非諸兄系の橘氏だって?
それは恥ずかしながらまったく知らなかった
どんな系統があるか俺も知りたい
241 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 19:22:46
橘佐為
242 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 12:56:00
:
243 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 15:02:34
陸軍の阿南大将も橘だっけ?
ho
245 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 06:23:03
薄とかいう公家が戦国時代に断絶して、公家から橘氏は消滅したんだよな。
246 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 04:05:57
楠木氏は?
247 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 23:14:32
熊野国造
248 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 03:35:57
うちの母方の祖母の祖母が楠木氏の一党の和田の出身らしい
250 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 19:01:56
>>250 駿河の由比・庵原地方。一応地元の名士で、系図なども残っていたらしいんだが、
おそらくは自称だろうけどねw
うちの家紋が丸に橘で、俺の家があった辺りに讃岐橘氏を名乗る豪族が何家かあったんだが、
俺も橘氏の一族なんかな
253 :
日本@名無史さん:2008/02/19(火) 20:35:52
眞鍋氏?
真鍋の一族かどうかはわからない。名字は違う。
母方は讃岐橘氏と名乗ったところと同じ名字なんだけど家紋は丸に抱き茗荷
そもそも讃岐橘氏って何者なんだろう
どうも勝手に橘氏を名乗ってたみたいなんだが
そうだとすると俺も橘氏と関係ないんだろうけど
255 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 20:43:07
橘氏の後裔の系図に該当する苗字があれば…
256 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 09:03:36
w杉村太蔵さまってもしや…
257 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 03:03:18
258 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 03:05:52
259 :
杉村痛い蔵:
呼んだ?‘p‘