1 :
日本@名無史さん:
橘諸兄の子孫の方々、源平藤橘のなかで一番目立たない橘氏を語りましょう。
家の田舎では戦国武将である我が先祖が橘諸兄の子孫を名乗りました・・・ご多分に漏れず
資料的には信用するに値しませんが、普通自称するなら源平藤だろ!橘を名乗るところが
本当ぽっいと思っております。
橘ますみです、AV女優やってました
奈良麻呂です。乱起こしました。
4 :
日本@名無史さん:04/01/05 23:42
橘右京
5 :
日本@名無史さん:04/01/06 00:31
楠木正成がそうだったっけ?
あぼーん
7 :
日本@名無史さん:04/01/06 04:47
橘氏だから現在橘でなくとも良い!
橘氏の子孫と称する家は、田舎の農家に多いよ。
橘氏には、橘諸兄の系統の中央の橘氏と
橘遠保の系統の伊予の橘氏があり、楠木正成は、伊予橘氏の方らしい。
伊予の橘氏は、藤原純友追討の功により多くの武家の子孫を生み出している。
11 :
日本@名無史さん:04/01/06 06:08
12 :
日本@名無史さん:04/01/06 22:09
>>9 伊予の橘氏は、橘諸兄の系統とは関係ないの?
13 :
日本@名無史さん:04/01/06 23:40
橘姓の公卿(薄家)は戦国時代に廃絶したが、地下官人にはけっこう残っているな。
14 :
日本@名無史さん:04/01/11 10:12
やはり橘は少数派か?全然盛り上がらん。
15 :
日本@名無史さん:04/01/20 14:21
おーい!橘氏いないか?
16 :
日本@名無史さん:04/01/21 07:31
17 :
日本@名無史さん:04/01/21 07:32
姓が変わるのは、婿を取った場合だよね。姓は男系で伝わるから
18 :
日本@名無史さん:04/01/21 07:40
紀州はおどろおどろしい国だな
19 :
日本@名無史さん:04/01/21 07:48
>>1 諸兄だけじゃなくて佐為の子孫もおるだろうがゴルア
その前に、敏達天皇の子・難波王の後裔(橘朝臣)の子孫もいるはず!
20 :
日本@名無史さん:04/01/22 01:25
>>17 ただの改姓かもしれん。
>>16の系図の広方って平安初期ぐらいだよね。なんで改姓したんだろう。養子と考えると自然だが。
21 :
日本@名無史さん:04/01/22 01:35
22 :
日本@名無史さん:04/01/22 02:19
フクザツだねえ〜 なんとなく、養子に入る前にもけっこう交流あったっぽいね。婚姻関係があったとオモワレ
23 :
日本@名無史さん:04/01/22 22:18
橘氏と橘姓の違いがよく分からんのですが・・
25 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:32
佐為の子孫の話など聞いたことがないぞ。
薄氏も橘氏だっけか?
と、思ったら
>>21の系図にちゃんと書いてあったのね。スマソ。
あんまり関係ないけど、楠木正成の次男正時にも子供がいたなんて知りませんでした。
しかも名前が「正常」。いい名前だな。これ子供ができたらいただこうかな。
27 :
日本@名無史さん:04/01/24 13:28
28 :
日本@名無史さん:04/01/24 13:34
>>27 薄(すすき)という名字の公家があったのだ。橘氏唯一の堂上公家だったが、羽柴秀吉にとりつぶされてしまった。
30 :
日本@名無史さん:04/01/24 14:48
>>29 詳しいことはあまりわかっていないみたいだけど・・・
もともと薄家は牛に税金をかける権利を持っていた家でした。
ところが天正13年(1585)に秀吉が牛への課税を禁止する命令を出した。
薄家ではその命令に従わなかったらしい。
当時当主だった諸光という人物は秀吉に殺され、薄家は断絶してしまった。
31 :
日本@名無史さん:04/01/25 00:38
薄諸光…漢だな。
最期まで橘氏の威光を守ろうとした。
っていうか牛からの税収がなくなると食っていけなくなるくらいヒッパクしていたのか?
でも山科家からの養子だったよね
33 :
日本@名無史さん:04/01/25 13:28
>>32 うん。諸光は山科言継の息子。名前も最初は実父の一字をとって「以継」だった。
34 :
日本@名無史さん:04/01/25 14:10
じゃあ『言継卿記』に出てくるのかな
35 :
日本@名無史さん:04/01/25 22:11
ばあさんがうちは橘だとか言っていたけど
その7000とかで調べていたら
確かに橘氏○○と出ていたな
きわめて少ない苗字のようだし 本当かも
36 :
日本@名無史さん:04/01/29 22:59
橘川とか橘高とか橘田とか、その辺の苗字の人も元は橘姓なのかな?
37 :
日本@名無史さん:04/01/30 06:01
そのまま「橘」って奴もいるよ。「立花」のほうが多いような気もするが
38 :
日本@名無史さん:04/01/30 16:49
橘氏の末裔は少ないのう。
「座って話そうヨ!」
40 :
日本@名無史さん:04/02/06 04:19
「○○学館で立ち話」
”学館院=橘氏”の覚え方
41 :
日本@名無史さん:04/02/06 04:23
漏れたちも、やり手の三千代の血を引いてるのか・・・ハァハァ(*´Д`*)
姓 と 氏 の違いは
>24
豊臣姓 と 羽柴氏 の違いのようなもの
秀吉は死ぬまで
豊臣朝臣羽柴藤吉郎秀吉 なのです。
源朝臣徳川(なんとか)家康 だったり
平朝臣織田(なんとか)信長 だったり。
官職があると間に入れるのが通例で
豊臣朝臣羽柴太政大臣藤吉郎秀吉 となる。
43 :
日本@名無史さん:04/02/06 04:47
国学者の加藤千蔭って「橘千蔭」と呼んでることが多いけど、加藤と呼ぶべきだと思うんだけどなあ。
本人が著書に「橘千蔭」って書いてたからなんだろうけど、だからと言ってわざわざ姓で呼ばなくても・・
44 :
日本@名無史さん:04/02/06 13:46
>>42 間違い。
筑前守に任官したときに、すでに藤吉郎ではない。
織田右大臣平朝臣信長
羽柴筑前守平朝臣秀吉→羽柴太政大臣豊臣朝臣秀吉
徳川内大臣源朝臣家康
家康は豊臣朝臣になっていない。
48 :
日本@名無史さん:04/02/12 03:09
誤爆スマソ
50 :
日本@名無史さん:04/02/12 07:17
やっぱ、戦国大名の立花宗茂。
51 :
日本@名無史さん:04/02/12 11:50
52 :
日本@名無史さん:04/02/22 14:47
>>39は、
ま あ た ち ば な し も な ん だ か ら
と言いたかったのかな?
53 :
日本@名無史さん:04/02/22 15:18
54 :
日本@名無史さん:04/02/22 21:39
キヒヒ
58 :
日本@名無史さん:04/03/03 11:43
日本での橘氏は何パーセントぐらい?
橘氏の立場無し
60 :
日本@名無史さん:04/03/19 05:39
61 :
日本@名無史さん:04/03/19 21:22
橘遠保と、源平合戦時代の橘遠茂は関係あるのかな?
62 :
日本@名無史さん:04/03/21 23:24
山中長俊とか山中秀国
藤原純友の弟の純乗と戦った大宰大弐だった柳川の橘公頼はどうなのだろうか?
64 :
日本@名無史さん:04/03/23 20:00
うちの高校の時の同級生に薄姓いたな
我が家に伝わる話によるとうちは紀氏であるらしいので
残念ながら橘とじゃ縁がない
65 :
日本@名無史さん:04/03/23 20:58
橘氏のの系統かどうかはわからないが、家紋は代々「丸に橘」です
66 :
日本@名無史さん:04/03/23 23:44
自分はリアル橘なんだが、大阪にやたらデカい本家がある。コレ、歴史的に何かあるのか? ちなみに俺は分家なんで何の自慢にもならんが。あと、俺のママンに「ウチは柴田勝家の末裔なのよ」と小さな頃から教えられて育ったが、証拠を見せてくれ(藁
68 :
日本@名無史さん:04/03/28 16:17
橘氏の当主は何処に住んでんだろ?
69 :
日本@名無史さん:04/03/29 14:52
67さん、あなたの苗字は井川?
>>69 67ですが、ネタではなく、マジで橘なんですよ。
古典・漢文板から偶々やってきました。
まさか橘氏を研究してるとは思わなかった。
71 :
日本@名無史さん:04/03/30 18:07
もしも、苗字が橘だったら明治にはいって復姓したの?
実は僕もその可能性がある
72 :
日本@名無史さん:04/03/31 16:25
柴田勝家は清和源氏斯波氏流
73 :
日本@名無史さん:04/03/31 19:13
梅宮大社の宮司は橘氏の橋本家
74 :
日本@名無史さん:04/04/02 06:07
75 :
日本@名無史さん:04/04/24 14:04
今、苗字が橘って人は皆、子孫じゃなかったの?
んなこたーない。
77 :
日本@名無史さん:04/05/06 18:20
ホシュ
78 :
日本@名無史さん:04/05/08 18:03
橘氏の当主は現在いるのでしょうか?
正確な情報を希望します!!
79 :
日本@名無史さん:04/05/08 20:45
源氏、平氏の直系当主はいるのかな?ときどき坊さんで源姓みるけど・・・
藤原氏は近衛かな?
80 :
日本@名無史さん:04/05/10 18:05
源の何とかさんの末裔かなんかで喜多って言う名字を名乗っている人がテレビに出ていたよ。
直系の当主かどうかは分からんけど。
81 :
日本@名無史さん:04/06/06 09:57
ホシュ
プチャーチンの船に乗り込んでロシアに密航した事で知られる橘耕斎について調べています。
詳細を知る関係者ならびに無関係者は人助けと思って素性や前半生について教えて下さい。
検索してもあんまり出てこないです。
83 :
日本@名無史さん:04/06/22 12:44
楠氏は、橘系という話をどこかで聞いたことがあります。どういう流れを汲んでいるのでしょうか?
楠正成は、橘諸兄の子孫てことかな?
橘age
85 :
日本@名無史さん:04/07/03 23:13
上がってなかった。
87 :
日本@名無史さん:04/07/26 07:43
そろそろ橘の季節?
88 :
日本@名無史さん:04/07/26 13:37
質問です
橘氏の初代は三千代ですか諸兄ですか
私は三千代説ですが
何か定説があるんですか
本を読んでも両説あり混乱しています
今までオンドゥルネタが出なかったとは…
三千代 県犬養宿禰→橘宿禰
諸兄 皇族→橘宿禰→橘朝臣
91 :
日本@名無史さん:04/07/27 23:55
>>88 橘のウヂ名のはじまりは三千代、
皇別のウヂとしては諸兄が初代ってとこじゃないの。
92 :
日本@名無史さん:04/08/04 21:38
ふと思ったんだが、牟漏女王には姓はなかったのかな?
母が橘姓、夫は藤原姓。で、自分は皇族のまま、ってどんな気持ちだったろう。
93 :
日本@名無史さん:04/08/07 10:00
旗本の甲斐庄氏は橘氏
94 :
日本@名無史さん:04/08/07 12:58
飛騨内ヶ島氏も橘氏。
95 :
日本@名無史さん:04/09/04 19:32
武田家臣で橘系の有名人はおる?
96 :
日本@名無史さん:04/09/24 01:16:56
97 :
日本@名無史さん:04/10/11 15:23:13
橘は朝鮮系渡来人
99 :
日本@名無史さん:04/11/03 11:32:41
伸びないなあスレ。
橘サンは人気もいまひとつなのか…
日露戦争の橘中佐と関係あんの?>橘氏
101 :
日本@名無史さん:04/11/03 15:18:12
102 :
日本@名無史さん:04/11/03 15:19:07
103 :
日本@名無史さん:04/12/03 00:41:38
そうか
104 :
日本@名無史さん:04/12/06 00:35:16
橘氏の立場無し
105 :
日本@名無史さん:04/12/08 00:32:25
107 :
日本@名無史さん:04/12/28 22:49:45
どこがや
三千代の出身氏族の県犬養氏って、何が職掌だったのですか。犬を飼育して
野獣の狩猟?奈良期の宮廷の女官にその氏名が散見してるが。
109 :
衣笠宮:05/01/08 18:28:08
19>>諸兄だけじゃなくて佐為の子孫もおるだろうがゴルア
その前に、敏達天皇の子・難波王の後裔(橘朝臣)の子孫もいるはず!
佐為の子孫はいます。
それから、難波王の後裔がみんな橘姓を名乗っているわけではない。
難波王の孫の美奴王の嫁である懸犬養三千代が橘姓を賜ったのが
最初であるため、橘姓は、難波王の後裔でも橘諸兄と橘佐為の子孫に
限るんじゃないの。
110 :
日本@名無史さん:05/01/08 19:04:27
ヘアヌード披露⇒橘ゆかり、橘絵梨香、橘涼香
AVでおしゃぶり⇒橘ますみ、橘未稀、橘涼子、橘優希、橘梨花、橘春菜、橘瑠璃
シンガーソングライター⇒橘いずみ
橘氏の子孫で、現在、橘という苗字は、まず無い。
>難波王の後裔
朝臣姓なのは橘氏だけだな。
それ以外は全て真人姓。
113 :
日本@名無史さん:05/01/10 13:52:17
地味だけど橘公頼はなかなかの人物だったのではないかと思う。
彼がいなければ藤原純友の乱も鎮圧できていたかどうか分からない。
114 :
日本@名無史さん:05/01/14 01:17:03
>>108 犬養部の職務については、従来、狩猟に従事し、獣皮・獣肉を貢上するものというのが
通説のようであるが・・・犬を駆って狩猟に従事したという文献上の証拠は大化前代に
ほとんどなく・・・屯倉守衛説は、首肯できるものがある。
黛弘道著『大和国家の財政』
犬養部は五世紀末から六世紀初めころに県・屯倉のクラを守衛するために置かれた部民であって、
この部民を掌握した伴造氏族が県犬養連で、同氏はまた朝廷の大蔵の守衛の任にもあたった
黛弘道著「犬養氏および犬養部の研究」
115 :
日本@名無史さん:05/01/25 16:47:50
うちは辿ると紀氏の系統らしいです・・・
四代姓にはいれなかったのでマイナー同士仲良くやりましょう・・・
でも藤原説と源氏説もある・・・
所詮はこんないい加減なものなんでしょうかね・・・
116 :
日本@名無史さん:05/01/27 01:00:51
源・平・藤原・橘・豊臣
在原・清原・紀・伴・菅原・坂上・秦
その他
117 :
日本@名無史さん:05/01/27 14:20:49
物部
118 :
日本@名無史さん:05/01/28 01:47:57
大江とかはちがうの?
つか平民の姓なんて伝承持てる人いるのかなぁ
俺自分ち調べたけど地元の県にはいないのに
両脇には源氏と藤原のちがう系統の同じ苗字がいて
そのくせ家紋とかうちも含めて三つとも同じだったりしてわけわからん
119 :
日本@名無史さん:05/01/28 01:56:35
120 :
日本@名無史さん:05/01/28 15:53:47
>>119 未だ判明していないので、研究してみる価値はあるよ。
121 :
日本@名無史さん:05/01/28 22:54:29
竹田・間人・矢田部・巨椋・丈部・祝部・犬養・田辺・多米・今木・爪工・川瀬・高野など、県犬養の子孫は橘姓を名乗ってたりする?
122 :
日本@名無史さん:05/01/30 14:13:21
一塁塁審は〜佐々木
2塁塁審は〜上本
3塁塁審は〜吉本〜
本日の球審は橘高で御座います〜
123 :
日本@名無史さん:05/02/08 06:08:06
うちは伝承が正しければ楠木ののだが橘でいいよな?
もっともいまはそのどちらでもない苗字なのってるが(汗
124 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:51:49
どういう意味?
誰にも気付かれずスルーされていますが、
>>59と
>>104は「橘氏」と「立場無し」をかけています。
126 :
日本@名無史さん:05/02/25 11:34:42
橘氏の立ち話
127 :
日本@名無史さん:05/02/25 11:57:31
>>125いや、気付いてるというかあまりにもなんで偶然かなとか?
128 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:22:06
129 :
日本@名無史さん:05/03/19 05:46:45
16世紀までには橘氏系の公家は断絶している。橘氏を称する一族も少なく。
薄、楠木、小鹿島、渋江、鷹野、井出ぐらいしか見当たらない寂しい一族である。
田中や山中も
131 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 17:05:46
保守
132 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 23:18:00
133 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 18:31:45
革新
134 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 22:10:25
>>129 公家はね
しかし武士橘氏の広がり方は他を圧倒している
源平藤(橘)
↑
立ち話の陰臼杉
136 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 15:04:52
現在当主は誰?
137 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 22:44:49
どこの?
138 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:13:17
立ち話
( ´д)ヒソ(´д` )ヒソ(д` )
140 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:10:06
おい
141 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 01:37:06
なによ?
142 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 21:21:29
あげ
143 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 11:10:17
結局、旗本甲斐庄氏が一番の勝ち組?
144 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:06:29
立花藤兵衛
145 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 17:10:59
敏達天皇──難波皇子──栗隈王──美努王──橘諸兄
敏達天皇──難波皇子──栗隈王──美努王──橘諸兄−(略)−橘康太郎
敏達天皇──難波皇子──大俣王──栗隈王──美努王──橘諸兄
148 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:58:09
( ´д)ヒソ(´д` )ヒソ(д` )
149 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:46:26
150 :
橘 康太郎:2005/09/14(水) 01:22:56
前衆議員。強制引退させられた富山の巨漢巨顔デブです
151 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:21:15
なんで引退させられたの?
152 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:57:11
しらん
153 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 11:31:03
橘って朝臣?
はい。
155 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 12:31:50
ほほー
156 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 14:46:11
うーん微妙に盛り上がらない微妙な板だ。橘氏・・・マイナー過ぎ話題も無さ過ぎ
暇つぶしに楠木氏でも語れ
158 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 16:01:21
age
159 :
橘川さん:2006/01/04(水) 18:02:30
うちは「橘川」さん。「橘」ってつくからって「橘氏」とはいえないようなんだけど、どなたかそのあたりのこと」
知ってる人いる?
「橘氏」から来たのでなければ一体どっからきたんでしょー。
160 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 18:13:51
橘川・・・出自不詳で綾瀬市に多いらしいな。
161 :
橘川さん:2006/01/05(木) 13:58:26
>>160 なるほどー。参考までにそのあたりの情報ってどこからなのでしょう。
本でもあれば自分で読んでみたいな、と。
162 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 15:36:16
163 :
橘川さん:2006/01/05(木) 19:35:05
>>162 ありがとうございます!参考になりました☆図書館でも行ってきます。お礼まで
164 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 09:49:52
うちの母親の実家の名は橘本。その実家のある地域は、
屋島の合戦で敗れた平家の子孫が住んでるとか?
今まで何も考えたことは無かったけど俺も子孫かな?
でも喜んでいいのか、悲しんでいいのか・・・?
165 :
m:2006/01/22(日) 15:57:43
俺の母親の実家は橘諸兄の末裔の家だよ。
敏達天皇以来の家計図(巻物)があったので以前見せてもらった。
長〜い巻物で沢山のご先祖様が載ってたのでびっくりした。
嘘だろ?と言ったが、おじいさんは本当だよと真剣に答えた。
場所は京都南部の田舎。
それ以来、歴史にものすごく興味が出てきた。
関係者がおられたらメールください。
ただし、プライバシー保護のため詳細は開示しませんので悪しからず・・・!
166 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 17:49:30
167 :
165:2006/01/22(日) 19:20:31
違います。八幡市です。
井手に関連史跡あるけどそっちの事は記念碑くらいしか残っていないみたい・・・・・
子孫がいるかどうかも知りません・・・・
石清水八幡宮は橘良基が宝殿を建立したと伝わりますね
169 :
:2006/01/23(月) 21:59:50
170 :
:2006/01/27(金) 21:24:53
皇室典範改悪反対!
171 :
:2006/02/02(木) 06:44:13
天皇は、傍系へ転換するべきではないか。(男系男子の伝統の継続)
私の予想では、天皇家もそれを望んでおられるだろう。
橘諸兄のように、皇籍を離脱して一般人とともに暮らしたいと思っておられるのではないか。
最後の一行が不可解
173 :
:2006/02/02(木) 20:49:01
橘諸兄は自ら皇族を離れたんだよ。
知らなかった?
同じ「臣籍降下」でも古代と現代じゃ訳が違う。
わざわざ古代の例を持ち出す必要性が不可解。
>一般人とともに暮らしたいと思って
こんなこと考えて諸兄は臣籍降下したのか?
175 :
:2006/02/03(金) 06:41:27
皇族であるのが煩わしかったのかも。すみません。適当に書きました。
いずれにしても、現天皇家は、代々子孫が天皇を勤めることに
固執されていないと私は予想します。
つまり、傍系の皇統に天皇が移るのは良いことじゃないかと私は思うのです。
現在の天皇陛下のご意見を是非聞いてみたいです。
176 :
:2006/02/19(日) 14:32:47
秋篠GJ!
177 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 14:15:42
ん?
178 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:41:07
179 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:10:17
子孫が少ないんだな・・・
180 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:47:39
944(天慶7)美濃介 橘遠保,賊に殺される
955(天暦9)駿河介 橘忠幹,賊に殺される
978(天元1)備前介 橘時望,海賊に殺される
何故に橘氏ばかり(ry
守はおそらく藤原氏だろう……
181 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:21:47
橘姓で華族になった家は無いよね?
182 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:26:49
183 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:13:37
田中吉政は橘氏の末裔
184 :
日本@名無史さん:2006/05/22(月) 00:44:15
その家って取り潰されたんだっけ?
185 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 03:10:11
前から気になってたんですけど、橘氏って公家社会の主流じゃなくなったにもかかわらず、
源平藤橘の四大姓氏に数えられてるのってなんでですかね?
最初は勢力があって、徐々に藤原氏に押されていくっていう流れは、
他の氏も共通していると思うんですけど、なぜ橘氏は特別なんでしょうか?
皇后を出したこととかと関係あるんでしょうか?
186 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:29:27
ありません
187 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 18:17:04
橘氏の始祖は女性だよね?元明女帝から橘の姓を賜ったのが始まり?
>>185 源平藤橘は、律令以降の氏姓。したがって、蘇我・物部・大伴が脱落。
源平橘は、皇族に対する氏姓。藤原も準皇族。したがって、大江・菅原が脱落
他に、皇族出身といえば、清原・在原・文屋。これらは、末裔が続かなかった。
清原は、清少納言の後がよく分からないらしい。
律令以降に政権トップについたのは、平・藤原・橘。菅原は単独で政権を取ってない。
こんなところかと思われ。
189 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 00:41:07
豊臣は?
190 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 00:53:46
清原氏の子孫は確か舟橋家といって、下級貴族の家が残っていたけど。
橘諸兄が太政大臣になったのは奈良時代。
考えてみればそんな一瞬の栄光で生きながらえたのはある意味すごい。
191 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 01:02:19
>清原氏の子孫は確か舟橋家
それはニセ清原。清少納言とは別系。
「大江山 いく野の道も 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」
作者の小式部内侍は、橘氏。
能因モナー
194 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 23:38:28
能因法師?
195 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 13:36:51
橘氏の氏の長者は九条家だろ?
もう滅びたんだね>橘
197 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 02:16:08
橘氏はまだ残ってるよ括弧は家紋ですが
木南姓(菊水、矢車)や石井姓(橘、山吹、菊水)や田中姓(巴)、甲斐庄姓(なんとか菊水)、楠美姓(菊水)、橘川姓(橘)、竹本(菊水)
上記記載姓氏の大半は関西、関東、東北
ちなみにほかの田中は源氏、九州の石井は藤原氏、中国地方の竹本は源氏だそうです。
過去帳と家系図に書かれてる
>ほかの田中は源氏
源氏以外の田中なんて山ほど居るよw
199 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 22:10:24
>>184 田中吉政は筑後国柳川藩32万5千石の大名になるが、跡を継いだ四男忠政に子がなく無嗣断絶。
また吉政の三男吉興は近江国野洲郡2万石を与えられるが、養子吉官の代で改易。
吉官の系統は後に7千石の大身旗本にまで復活するが、子孫の代で改易。
200 :
日本@名無史さん:2006/09/11(月) 04:44:18
>>197 俺んちの家紋何とかかたばみっていうんだけど
関係あるかな?
201 :
日本@名無史さん:2006/09/11(月) 08:25:14
202 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 17:24:56
橘諸兄─奈良麻呂─清友─氏公─峯雄─清蔭─春行─実利─正通─(田辺)嗣光─嗣慶┐
┌─────────────────────────────────────┘
└嗣俊─俊元─俊善─俊重─俊信─広儀─広重─信直─信広─信義─式部少輔─少輔┐
┌─────────────────────────────────────┘
└春光─正玄─(正玄)五郎右衛門─五郎右衛門─五郎右衛門─五郎右衛門─曙覧─今滋
203 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:48:11
氏公〜曙覧
1代平均39.6年
204 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:34:52
長杉
205 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:58:40
橘age覧
206 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 00:38:27
207 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 00:39:12
h
209 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:00:18
>>185 >>186 関係あるだろ。
源平藤橘の四姓が並び称されるのは、ご指摘の通りこの四姓だけが
皇后を輩出しているから。
211 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 11:27:51
源平藤橘のうち、藤氏だけが皇族じゃないのって変な気がする
やっぱ不比等って天智の息子なんじゃないのかなって思ったんだけど
不比等の一族以外は中臣姓を名乗らされてるわけだし
212 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 00:06:03
>>211 不比等が天智の息子って説は学者にはどのぐらい支持されているんだろ?
213 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 14:40:19
されてねえだろ。
214 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:44:00
>>211 橘氏の祖、橘三千代は、県犬養氏であって皇族ではないよ。
三千代の子、諸兄が、凡庸だった父美努王の姓をとらず、
宮廷内で権力を持った母三千代の姓である橘姓を名乗ったから、
諸兄から見れば、父方である美努王の先祖が皇族につながると言うだけ。
もともと、県犬養三千代が元明天皇から受けた姓である橘氏は、
皇族に与えられた姓ではないよ。
215 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 15:37:16
216 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 15:39:47
橘より立花のほうが高貴っぽい
でも新撰姓氏録は皇別だろ
>>217 新撰姓氏録では、橘氏の祖、県犬養橘三千代が省かれている。
どういう編纂意図があったものか。
他氏が父方のみを遡っているため、それに従ったためかもしれない。
橘諸兄の父方を遡っても、橘氏を名乗った者はいないが。
219 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 19:42:20
父系主義を採用してんじゃない?
諸兄自身が王氏あったし、橘朝臣姓は諸兄が賜ったものだし
その点を編者は重視したと思う。
>>219 だからあ・・・
橘姓は、諸兄の母、県犬養三千代が賜ったもの。「続日本紀」によれば、
和銅元年(707年)11月25日、県犬養三千代は、元明天皇から橘を浮かべた杯を賜り、
同時に「橘」の姓を受けた。
天平8年(736年)11月11日、三千代の子、葛城王、佐為王は、聖武天皇に母の姓「橘」姓
を名乗ることを請うてこれを許され、葛城王は橘諸兄、佐為王は橘佐為王と称した。
橘姓を受けたのは県犬養三千代だし、子の諸兄、佐為は、母の姓を名乗っただけ。
諸兄が天皇から橘朝臣姓を賜った事実はないよ。
新撰姓氏録がその事実を無視したのだろう。
221 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 08:55:02
>>220 6行目、佐為王の橘姓後の名を訂正。
佐為王は橘佐為と名乗る。
222 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 12:33:00
後代の人間から見たら母方がどうあれ、王氏が臣籍降下した者をその祖と考えたんだろう。
だから皇別なんだ。
>諸兄が天皇から橘朝臣姓を賜った事実はないよ。
三千代のは橘宿禰で橘朝臣ではないでしょう。
諸兄は王→橘宿禰→橘朝臣、つまり橘朝臣は諸兄が改めて賜った姓です。
揚げ足取りみたいに思われるかもしれませんが、
橘宿禰と橘朝臣は中臣朝臣と藤原朝臣が異なるのと同様に別の姓です。
224 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 20:34:19
カバネは賜っても女性である三千代の子は何もなければ王氏ままであり、藤原氏のままである。
この賜姓は三千代一代限りになるはずであったもの。葛城王らがカバネを許されて(これも一種の賜姓とも考えられるが)
初めてウジが発生したといえる。橘ウジのはじまりをもってその始祖としたんじゃないかな?
佐為の子孫は奈良麻呂の事件の時他姓に改姓してるね。後に復姓したみたいだけど。
で数世代後には歴史の表舞台からは消えちゃったと。
橘三千代の例で連想したんだけど、高野朝臣って新笠だけならともかく、
父の弟嗣も貰ってるわけなのに、どうして弟嗣の孫の家麻呂は和朝臣なんだろう?
>223
宿禰から朝臣に昇格したのは橘氏だけではないよ。
朝廷に貢献した証として貴族の姓はどんどん引き上げられたから、
平安初期頃までに、貴族の姓はほとんど朝臣になってしまった。
もっとも、宿禰が朝臣に昇格したからって、別氏にされてしまうということはありえない。
その説はおかしいよ。
橘氏は、宿禰→朝臣に昇格後、
橘奈良麻呂の変によって宿禰に落されている。
称徳天皇没後、再び朝臣に復帰。
橘諸兄没後にも、橘氏は宿禰となったり、朝臣となったり、移動が見られる。
229 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 09:50:00
>>224 女性の姓は1代限りで、その後、はじめて姓を賜った男性が初代とされる・・・
それって、どうなのかな?
例えば藤原氏の場合、一般的に天智天皇が鎌足に授け、
のちに鎌足の次男不比等の子孫だけが名乗る事を許された姓だとされるけれど、
この時代、父方を遡っても不比等に行きつかない藤原氏がいる。
藤原弟貞がそう。
彼の父は天武天皇の孫、長屋王。もともとは山背王と名乗っていた。
山背王は、父長屋王の没後、橘奈良麻呂の変で藤原氏に協力、その功績によって
母方の藤原姓を名乗る事が許された。
藤原弟貞の母は藤原不比等の娘長我子。
母方を見れば弟貞は紛れもない不比等の孫であり、
藤原氏の血を引いているのだけれど、父方は王氏。
母系を全く無視すると、父系で不比等にいきつかない賜姓藤原氏の皇族もいたということになる。
>宿禰が朝臣に昇格したからって、別氏にされてしまうということはありえない
その認識は間違いです。そもそも姓の昇格という概念がおかしいのです。
○○宿禰××が○○朝臣××になると言うのは新たな○○朝臣を賜ると言うことで、
宿禰が朝臣に変化したと言うようなものではありません。
あなたは○○宿禰全員が○○朝臣になるようにイメージされているようですが、
それは例外であり○○宿禰の中の一部選ばれた人たちが○○朝臣を賜るのが基本です。
この場合○○宿禰姓のままの人が残り、この人達は朝臣姓とは別姓なのです。
もちろんそれにより同族関係が否定されるわけではありませんが。
系譜関係と氏姓は関連はあっても別のものだと理解してください。
基本的に姓は女系でなくて男系で受け継ぐものなので、女性のみが賜った場合はその姓は
本来的は一代限りのものとなる。
まあ父親がはっきりしないとか、わかってるけど諸般の事情で父の籍につけれない場合に
母親の姓を名乗ることもある。
橘宿禰諸兄も藤原朝臣弟貞も特に賜っているのもので自動的に母系の姓嗣いでいるわけで
はない。弟貞の兄の系統は高階真人となっているし、母の姓を受け継ぐのは恩典的特例では?
232 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 11:08:42
>230
その認識だと、橘朝臣の祖が諸兄だという君の認識が崩れてしまう。
諸兄の子、奈良麻呂の代、橘朝臣の姓は剥奪されてしまうからね。
再度、橘朝臣の姓を受けたのは奈良麻呂の子の代で、
ここから平安時代に続く橘朝臣の連枝は続いていく。
平安時代へ続く橘朝臣の祖は、奈良麻呂の子にはじまるのであって、
諸兄ではない、ということになる。
233 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 11:19:22
>230
>あなたは○○宿禰全員が○○朝臣になるようにイメージされているようですが、
>それは例外であり○○宿禰の中の一部選ばれた人たちが○○朝臣を賜るのが基本です
そんなことはいってないでしょ?
○○宿禰全員が○○朝臣になる、そんなことどこに書きました?
あなたの認識違い。
234 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 21:15:55
>>229 別におかしくもなんともない。父系主義を採用すれば藤原弟貞が、皇別藤原氏の初代になるだけ。
もし、新撰姓氏録に女性を祖とする氏族があるのならはなしは別だが。
まあ、俺が橘氏だとしても県犬養の娘の子孫というよりは、嘘でも敏達天皇の子孫というわなw
235 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 08:28:28
新撰姓氏禄そのものがいい加減だわなw
後の時代には、母方の家の養子に入る例などいくらでもあるのに、
すべて無視してるわけ。
236 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 18:29:13
王氏はなんらか姓氏を賜らなければ臣下にはならないわけで
母方の姓で降下したとしても、形式的には賜姓と言う形になったんだと思うよ
だから諸兄が皇別橘氏の祖というわけだ
もっとも男系というのは後世から見た基準で、奈良時代はもっとも女系が重視されていた時代
場合によっては女系天皇がこの時代に誕生していたかもしれない
(光明子が皇后という立場で即位、とか、称徳天皇が誰かの子供を産むとか)
_
_ - ´: : : : : : : :` ー 、
, ‐'´: : : : : : : : : : : : : : : : : : :`. 、
/: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : 、:.:.\
/: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : l: : : : : ヽ:.:.:.:\
/: : : : : : : /: : : : : : : : : : : :: : :i: : : |: : :.ヘ:.:.:.:.:.ヽ
//: : : : :: : :.:,': : : : : : : .イ: : :. :. : /: : : !: .: : :i:.:.:.:.:.:.:ヽ
/ ,': : : : : : : : :!: : : : : : :/ !: :.: .:.:../: :.: :..!.:.:.::. .:!.:.:.:.:.:.:.:ヘ
/: :!: : : : : : : : :|: : : : : _/_ |: .:.:.:.:イ: ィ:.__.イ.:.:.:.:.:.:.!.:.:.:.:.i.:.:.i.!
,': : :!: : : : :l: : : :|X'"゙´:./`゙ ! .:.:.:/ !:.ハ:,r.'バ`ー、.,'l.:.:.:.:.:!.:.:.l.|
!: : : !: : : : :!:/.:! !.:.:i.:/ i.:./ i/ ',:./ !.|:.:/`i、:.:.:.:i.:.:.:!:!
|: : :.ヘ: : : .ヘ.:.: :.! ヽ:ト' 〆 / レ !|/|.:/!.ヽ./.:.:./:!
|: : : :.ヽ: : : ',ヽ: |斗Xミミ、 彡≠ミ|/イ:.:./.:.:.:.:イ
l: : : : :.ヽ、:.:..ヽト,〈:::゚,::::::::}` そ::::::::ハト !:/.:.:.:/|/|
|: : : : : :.Xミ、:.ヾ ゙'つ_.. ソ ぅ...ノシ '"f'/ヽ/.:.:.:.:!
!: : : : : ト, ( ヘ`ト `ー- ′ 'ー--′//ソ.ノ.:.:.:.:.:|
!: : : : : :.:.`t、_ヾ, xxxx ` xxx //,イ.:.:.:.:.:.:.:.!
|: : : : :.:.:.:.! Tト、 「 ̄ ̄、! イ/ !|.:.:.:.:.:.:.:.:!
|: : : : :.:ト.:.l V. \ ヽ _ノ /. ,'ィ.:.:.:.:.:.:.::.!
|: :.: :.:.:..ハ.:l !` ー _ __ - ´ //|.:.:|.:.:.:.:.:.!
|: .:.:.:.:./ ヾ、 } | /´ .!.:.ト.:.:.:.:.:|
l: :.:.:.:.:.,' ` ,-/ ヽ-、- 、 ',.:!|.:.:.:.:.:!
!: .:.l.:./ / K、 _ 、 _ / \_ `ヘ:.:.:.::|
! .:.:!.,' /、 \ <´ / 'ー 、 ヘ.:.:l
. ! :./|:! / ` ー、 / ヽ / `ー ゝ.',
奈良時代に他に橘朝臣姓を賜った例としては、和気清麻呂に託宣した
宇佐神宮の女禰宜、辛嶋勝乙目がある。
辛嶋勝家(のちに辛嶋家)の子孫は今でも宇佐神宮に奉職していて、
家系図には「橘朝臣」と記してあるそうだ。
諸兄の子孫でなくてもまだまだ橘氏、いるんでないかい?
いるよ
240 :
日本@名無史さん:2007/07/11(水) 02:15:20
非諸兄系の橘氏だって?
それは恥ずかしながらまったく知らなかった
どんな系統があるか俺も知りたい
241 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 19:22:46
橘佐為
242 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 12:56:00
:
243 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 15:02:34
陸軍の阿南大将も橘だっけ?
ho
245 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 06:23:03
薄とかいう公家が戦国時代に断絶して、公家から橘氏は消滅したんだよな。
246 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 04:05:57
楠木氏は?
247 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 23:14:32
熊野国造
248 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 03:35:57
うちの母方の祖母の祖母が楠木氏の一党の和田の出身らしい
250 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 19:01:56
>>250 駿河の由比・庵原地方。一応地元の名士で、系図なども残っていたらしいんだが、
おそらくは自称だろうけどねw
うちの家紋が丸に橘で、俺の家があった辺りに讃岐橘氏を名乗る豪族が何家かあったんだが、
俺も橘氏の一族なんかな
253 :
日本@名無史さん:2008/02/19(火) 20:35:52
眞鍋氏?
真鍋の一族かどうかはわからない。名字は違う。
母方は讃岐橘氏と名乗ったところと同じ名字なんだけど家紋は丸に抱き茗荷
そもそも讃岐橘氏って何者なんだろう
どうも勝手に橘氏を名乗ってたみたいなんだが
そうだとすると俺も橘氏と関係ないんだろうけど
255 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 20:43:07
橘氏の後裔の系図に該当する苗字があれば…
256 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 09:03:36
w杉村太蔵さまってもしや…
257 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 03:03:18
258 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 03:05:52
259 :
杉村痛い蔵:
呼んだ?‘p‘