阿 蘇 氏 の ス レ      

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1日本史男
歴史ある名家阿蘇氏のスレがなぜ今までなかった?
2日本@名無史さん:03/12/14 15:38





















3日本@名無史さん:03/12/14 15:40
熊本県民でも名前は知ってても、その歴史は知らんぞ。
大河の北条時宗の番組後にチョコッと出てきたでけで、
阿蘇神社の大宮司だったことぐらいしか知らん。
4日本史男:03/12/14 16:18
戦国時代とかにもそれなににがんばってきたのに誰も評価してくれない
5日本@名無史さん:03/12/14 16:36
秀吉に切腹させられた子供がいたな
6日本史男:03/12/14 16:52
>>5
阿蘇惟光だっけ?
7日本@名無史さん:03/12/14 18:45
うちは元々阿蘇谷って家だったんだけど(薩摩藩)阿蘇家と何か関係があるのだろうか?
8日本@名無史さん:03/12/14 19:23
あっそ



                     おわり
9日本@名無史さん:03/12/14 19:54
熊本は、よそ者の加藤清正が人気なんでしょ?
10求道心:03/12/14 20:19
>>9
細川家の熊本入りの際、一番初めになにをやったかというと、清正公への墓参。
どうも領民感情に配慮したためらしい。それだけ、清正公は領民の人気が高かったようやね。
今でも人気高いんかな?熊本県民の意見を求む。

阿蘇家のお家騒動介入で、菊池家は衰退し、残念ながら小豪族に成り下がってしまった・・・
11町スレ:03/12/14 21:38
京町はせいしょこさんのお膝元!
12日本@名無史さん:03/12/15 16:39
阿蘇山が先か阿蘇氏が先か?
当然地名が先か
13日本@名無史さん:03/12/22 15:29
結局惟光が氏んだあとは阿蘇氏ってどうなったの?
14日本@名無史さん:03/12/22 15:32
あっそ〜
15日本@名無史さん:03/12/22 15:48
>>13
惟光の弟を捜し出して再興されています。
但しあくまで「阿蘇大宮司家」としてであって
武士階級には戻れなかったみたい。

血統がつながっているかどうかはしらないが、
この阿蘇氏は今でも続いていたと思うが・・・
16日本@名無史さん:03/12/22 16:25
17日本史男:03/12/22 16:32
>>15
それって惟善ってやつ?
18日本@名無史さん:03/12/23 13:51
菊池と阿蘇って、古代と直結しているところがすごいよね。
「近江流佐々木の流れ〜」みたいな苦しさがないもの。
狗古智卑狗→菊池氏、阿蘇君→阿蘇氏だもんね。
19日本@名無史さん:03/12/24 00:11
菊池もそんなに古い家だったの?
20日本史男:03/12/24 01:32
>>18
うろ覚えだが、菊池は確か藤原氏の流れかと存じますが・・・・
2118:03/12/24 03:11
狗古智卑狗=菊池彦(菊池氏の始祖)とする説が有力ではないか――
と思うんだけど。藤原氏流はあくまで自称のような・・・

ttp://www.harimaya.com/o_kamon1/buke_keizu/kamakura/html/kama04.html
ttp://members.at.infoseek.co.jp/chibineko/china/_yamatai02.htm
 ↑狗古智卑狗→菊池氏説に肯定的なページ。
もちろん否定説も多いから“狗古智卑狗”や“菊池氏”でぐぐってみて。
上のHPは阿蘇氏の出自に関しても詳しく出ているので参考になるよ。
22日本@名無史さん:03/12/24 07:30
九州の大名や大身などの有力武家は古代豪族の子孫が多い。
その後、みんな藤原氏や源氏の子孫にしているが、
実は古代豪族の子孫の可能性大。
23日本@名無史さん:03/12/26 21:46
島津は?
24:03/12/26 23:38
島津関連のスレのどこかに答えがあったような
25日本@名無史さん:03/12/27 01:52
秦→惟宗→島津

宝賀氏の系図だと菊池氏は
百済聖明王……鬼室氏……政則(称藤原/菊池祖)
ってなことになってた。ショボーン(´・ω・`)
26日本@名無史さん:03/12/27 02:44
菊池氏の祖は、阿蘇国造家とかそういうところだろう。
27日本史男:03/12/27 15:53
>>21
あ、そうなんですか!
28日本@名無史さん:03/12/28 03:19
竜造寺が阿蘇国造家の庶流とも聞いたことあるが
29日本@名無史さん:03/12/28 03:52
菊地武光萌〜
30日本@名無史さん:03/12/28 04:01
少弐頼尚ヌッコロス!! 少弐家晒age
31日本@名無史さん:03/12/28 04:08
阿蘇氏は南北朝期に南朝派と北朝派に分かれて
ドンパチやってたよな。
32日本@名無史さん:03/12/28 04:43
>>31
太宰じゃなかったっけ?
33日本@名無史さん:03/12/28 07:21
阿蘇国際空港
34日本@名無史さん:03/12/28 11:40
>>26
それはテキトーすぎるのでは・・・
ソースあるなら帰盆。
35日本@名無史さん:03/12/29 01:57
阿蘇山大噴火age
36日本@名無史さん:04/01/01 16:46
>>28
ソースあるなら帰盆
37日本@名無史さん:04/01/01 16:56
>>28
竜造寺は藤原氏だろ
38日本@名無史さん:04/01/01 19:46
竜造寺氏は

藤原秀郷後裔説
藤原兼隆後裔説
藤原姓高木氏説

・・・があるらしい。有力なのは高木氏説らしい。↓このページに系図あり。
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/ryuzo_k.html
3928:04/01/03 06:10
>>37
あくまでも説。
阿蘇氏系図のある一本に
火国造建緒組命の子孫は竜造寺氏の祖とも
読み取れるような記述があったのを見た
40日本@名無史さん:04/01/03 13:45
>>39
その系図うpしてくれー。みたいー。
41日本@名無史さん:04/01/04 01:01
そういえば阿蘇も菊池も羽の紋所でしたな
42日本@名無史さん:04/01/04 01:23
>>39
それじゃ、阿蘇国造じゃなくて火国造じゃん
共に神武系なんだけどさ

神武─神八井耳命─彦八井耳命─武宇都彦命┬武速前命─敷桁彦命─武磐竜命─速甕玉命〔阿蘇国造〕
                             └武稲富命─建河上命─建久々知命─建緒組命〔火国造〕
43日本@名無史さん:04/01/04 07:44
阿蘇氏の古代に連なる由緒に張り合って、
新興の竜造寺氏が騙ってみました・・・ つうところじゃないの?
44あぼーん:あぼーん
あぼーん
45日本@名無史さん:04/01/07 22:33
阿蘇
46日本@名無史さん:04/01/08 01:42
 阿蘇氏は、日本統合以前の小国家首長で、大和朝廷氏姓制度下において
阿蘇姓を称し、肥後国阿蘇国造であった。また、律令制下の郡司の伝統も
負い、阿蘇神社の建立により、代々その祭祀を行い、延喜年間に友成が大
宮司職となり。以後歴任した。出雲の千家、宇佐の到津氏らとともに古代
末から系譜の明確な家であり、宇治氏を称し、中世は武家として活躍した。
 康治元年(1142)大宮司宇治惟宣が、保延三年(1137)以来の年貢済物
の確認を求めているのが初見。治承四年(1180)大宮司に任じられた惟泰
も、領家源定房政所から年貢の沙汰を求められているので、源氏荘官であ
ったこともわかる。また、惟泰は養和元年(1181)菊池隆直とともに平氏
に背いて挙兵していることから、このころには武士化していたようだ。
 その子惟次の代になると、一応任期制であった大宮司の地位は惣領に独
占され、開発した南郷の諸村は、地頭・預所の地位を得ていた北条氏の安
堵を受けるようになった。
 元弘の変では菊池氏とともに戦い、日向鞍岡で北条一門の規矩高政の軍
と戦ったことを認められ、建武中興では阿蘇郡の本社領、甲佐・健軍・郡
浦社の支配権が、本家・領家の支配権を含めて与えられたことから、大宮
司の権威は強大となった。建武三年(1336)、後醍醐天皇に足利尊氏が反
乱を起し、敗れて九州に落ちてくると、惟直は菊池武敏とともに香椎多々
良浜で尊氏を討とうとしたが奮戦及ばず敗れて、肥後へ退く途中、佐賀の
小城で討っ手に追われ自刃して果てた。このとき、弟の惟成も戦死した。
47日本@名無史さん:04/01/08 01:44
その後、惟直兄弟の父惟時が大宮司に復活、一族で婿の惟澄とともに
南朝方となったが、孫熊丸は北朝方大宮司としてこれに対立した。そ
して孫熊丸を破ったのち、惟時は態度を不鮮明にして動かず、惟澄が
菊池氏とともに南朝方として積極的に活動した。惟澄の声望が上がっ
たことから、惟時は惟澄に大宮司職を譲ることとなる。
 しかし、惟澄の跡は北朝方の長子惟村と次子で南朝方の惟武とがそ
れぞれ大宮司を称して対立した。以後、惟村の子孫は益城郡、惟武の
子孫は阿蘇郡を支配して、室町期を通じて対立関係にあった。南北朝
合一後、宝徳三年(1451)惟武系の惟歳は惟村系の惟忠の養子となる
ことで合意がなされた。しかし、文明十七年再び争い、惟歳が敗れて
惟忠系が大宮司職を独占した。
 この勢力を背景に惟憲の子惟長は、弟惟豊に大宮司職を譲って、自
らは守護菊池氏の跡を襲封し、菊池武経となった。しかし、武経の子
惟前は、大宮司職を望んで惟豊を益城郡堅志田城に襲い追放した。惟
豊は、甲斐宗運を頼って阿蘇・益城郡の兵をもって大宮司職を回復し
た。惟豊は豊後大友氏と盟友関係にあったため島津氏の肥後征討の目
標となり、惟豊の死後は甲斐宗運が、幼主惟光を補佐してわずかに阿
蘇家の命脈を維持した。
 宗運亡きあとは、惟光は島津氏に属し、のち秀吉の九州平定後は熊
本城主佐々成政を頼った。その後肥後は加藤清正に代わったが、清正
の挑戦出兵中に、阿弥陀寺で殺害された。
 清正は帰国後、惟光の弟惟善に封土を与え、大宮司職を復させた。
以後、代々阿蘇神社社家として存続し、明治に至り男爵を授けられ華
族に列した。
48日本@名無史さん:04/01/08 05:24
コピペすんな。
あと、そこ誤字脱字が多すぎるんで参照の際は注意すれ。
人名・地名の誤りはかなりキツい。
49日本@名無史さん:04/01/08 23:17
阿蘇氏ってすげえ
50日本@名無史さん:04/01/09 23:48
あぁ肥後大津思い出す。
51日本@名無史さん:04/01/09 23:51
阿蘇湖丸見え
52日本@名無史さん:04/01/10 17:06
>>50
君もカァ
5350:04/01/10 17:08
大津高校行ってたぜ
紫龍団でした
54日本史男:04/01/12 14:08
熊本で人気のある順に並べてくれ
阿蘇氏 菊池氏 相良氏 隈部氏 佐々氏 加藤氏 細川氏 竹崎(季長)氏
55日本史男:04/01/12 16:40
narabekaeroyo
56日本@名無史さん:04/01/15 23:18
加藤>>>>細川>>菊池>>>佐々>阿蘇>>>(こえがたい壁)>>ほか数家
57義仁:04/01/17 16:00
その後、惟直兄弟の父惟時が大宮司に復活、一族で婿の惟澄とともに
南朝方となったが、孫熊丸は北朝方大宮司としてこれに対立した。そ
して孫熊丸を破ったのち、惟時は態度を不鮮明にして動かず、惟澄が
菊池氏とともに南朝方として積極的に活動した。惟澄の声望が上がっ
たことから、惟時は惟澄に大宮司職を譲ることとなる。
 しかし、惟澄の跡は北朝方の長子惟村と次子で南朝方の惟武とがそ
れぞれ大宮司を称して対立した。以後、惟村の子孫は益城郡、惟武の
子孫は阿蘇郡を支配して、室町期を通じて対立関係にあった。南北朝
合一後、宝徳三年(1451)惟武系の惟歳は惟村系の惟忠の養子となる
ことで合意がなされた。しかし、文明十七年再び争い、惟歳が敗れて
惟忠系が大宮司職を独占した。
 この勢力を背景に惟憲の子惟長は、弟惟豊に大宮司職を譲って、自
らは守護菊池氏の跡を襲封し、菊池武経となった。しかし、武経の子
惟前は、大宮司職を望んで惟豊を益城郡堅志田城に襲い追放した。惟
豊は、甲斐宗運を頼って阿蘇・益城郡の兵をもって大宮司職を回復し
た。惟豊は豊後大友氏と盟友関係にあったため島津氏の肥後征討の目
標となり、惟豊の死後は甲斐宗運が、幼主惟光を補佐してわずかに阿
蘇家の命脈を維持した。
 宗運亡きあとは、惟光は島津氏に属し、のち秀吉の九州平定後は熊
本城主佐々成政を頼った。その後肥後は加藤清正に代わったが、清正
の挑戦出兵中に、阿弥陀寺で殺害された。
 清正は帰国後、惟光の弟惟善に封土を与え、大宮司職を復させた。
以後、代々阿蘇神社社家として存続し、明治に至り男爵を授けられ華
族に列した。
58秋仁:04/01/19 18:15
 この勢力を背景に惟憲の子惟長は、弟惟豊に大宮司職を譲って、自
らは守護菊池氏の跡を襲封し、菊池武経となった。しかし、武経の子
惟前は、大宮司職を望んで惟豊を益城郡堅志田城に襲い追放した。惟
豊は、甲斐宗運を頼って阿蘇・益城郡の兵をもって大宮司職を回復し
た。惟豊は豊後大友氏と盟友関係にあったため島津氏の肥後征討の目
標となり、惟豊の死後は甲斐宗運が、幼主惟光を補佐してわずかに阿
蘇家の命脈を維持した。
 宗運亡きあとは、惟光は島津氏に属し、のち秀吉の九州平定後は熊
本城主佐々成政を頼った。その後肥後は加藤清正に代わったが、清正
の挑戦出兵中に、阿弥陀寺で殺害された。
 清正は帰国後、惟光の弟惟善に封土を与え、大宮司職を復させた。
以後、代々阿蘇神社社家として存続し、明治に至り男爵を授けられ華
族に列した。
59日本史男:04/01/25 15:44
惟光age
60日本@名無史さん:04/01/26 01:37
女の阿蘇子
61日本@名無史さん:04/01/26 01:41
手塚治虫の火の鳥に出てきた「カワカミタケル」は阿蘇氏?
62日本@名無史さん:04/02/07 11:19
>>18
菊池と阿蘇って、古代で直結しているの?
63日本@名無史さん:04/02/16 06:32
>>62
>>21のリンク先を見てみれば?
菊池は諸説あるが、阿蘇は古!
菊池と阿蘇が同祖ということはないと思うよ。
戦国時代に弱体化した菊池を阿蘇が乗っ取ったからいろいろいわれるんだろうけど・・・
64日本史男:04/02/21 13:57
菊池って、阿蘇だけでなく、大友にも乗っ取られてるな
65日本@名無史さん:04/03/03 00:52
九州の豪族って結構紐解いてみると面白いよね。
66日本国王・良懐:04/03/03 19:34
おれはやっぱり南朝絡み、明国絡みが萌える。
67日本史男:04/03/13 17:47
>>66
菊池とか?
68日本@名無史さん:04/03/13 22:41
>>67
そお。
南朝方が大宰府を占拠した最大版図時は、独立国とも言える様相。
懐良親王は明皇帝から日本国王に封ぜられているし。
菊池氏が名門と言われるのはこの時期の活躍があったから。
戦国期に家内を混乱させて形骸化させた阿蘇と大友は、ちとニクイ。
69日本@名無史さん:04/03/17 01:28
王仁→聖明王→百済観音→武寧王→高野新笠→桓武天皇→新羅三郎義光→元・麗日本征伐軍→李舜臣→朝鮮人陶工→安重根→強制連行→将軍様

これが在日コリアンの誇らしい系譜ですニダ
70日本@名無史さん:04/03/17 02:39
 ↑誤爆?
71日本@名無史さん:04/03/21 16:29
72日本@名無史さん:04/03/28 16:10
菊地家の当主は熊本在住なの?
73日本@名無史さん:04/03/29 08:08
>>72
滅亡したので、当主は存在しません。
74日本@名無史さん:04/03/30 02:05
>>73
釣りなんじゃねぇの?
キクチのチがサンズイじゃないよ
75日本@名無史さん:04/03/30 18:03
立風書房 日本の名門100家U 中嶋繁雄

菊池家 中世肥後の豪族。 江戸時代交代寄合 現当主は菊池武英。

と書いてあるんだけど。これなんかの間違いかな。
76日本史男:04/04/02 16:13
>>75
明治になって菊池氏の流れを汲む家が爵位もらってるんで、その子孫だと思う
77日本@名無史さん:04/04/03 23:24
>>75
菊池能運の子孫が米良に隠れ住んだという伝承があり、
その一族は江戸時代は交代寄合。
明治になって、嫡流としての菊池復姓を認められ、
その後、男爵となる。
天皇機関説の菊池武夫男爵も菊池本家。
78日本@名無史さん:04/04/04 05:47
明治体制下で足利尊氏が朝敵の反逆者として貶められたのと逆に、
南朝の忠臣・菊池氏は復権したってことなのかな。
つうか、菊池スレあるのに・・・
5月から6月ごろ熊本行きたいんだけど、草千里っていつごろま緑になるのかな。
3年前に4月始めにいったときは絵葉書とまったくちがう色彩でちとガカーリした。
熊本城の夜桜はすごくキレイだったけど。
あと、菊池温泉ってどうなんでしょう? 歴史散歩できるかな?
7977:04/04/04 12:29
>>78
>>南朝の忠臣・菊池氏は復権したってことなのかな。

文久三年六月に米良則忠は私兵を連れて上京、
単独で倒幕の軍を起こすが、七卿の都落ちで頓挫。
帰国した則忠は相良藩に幽閉。島津家のとりなしで
釈放されると宮中に参内して新政府から菊池嫡流の
お墨付きをもら。一応、倒幕活動はしている。

>>つうか、菊池スレあるのに・・・

とりあえず、質問が書かれていたので
レスを付けただけ。
たしかにスレ違いの気もするが、仕方なかった。

>>あと、菊池温泉ってどうなんでしょう? 歴史散歩できるかな?

温泉は普通。菊池神社と日本最大の騎馬武者像「菊池武光公銅像」
がある。これは確かにでかかった。一族の墓所も近在にある。
8078:04/04/05 05:53
>>79
ありがと。
菊池神社、菊池温泉ぜひ行ってみます。
あと、あなた物知りなようなので質問させてください。
菊池武光や懐良親王が大活躍する歴史小説でお薦めはありますか?
旅のお供に持って行きたいので、文庫化されているのがベター。
小説なのでおもしろければ史実に忠実でなくても構わないですが、
虚構の度合いなども添えていただければうれしいです。
8177:04/04/06 00:08
>>80
>>菊池武光や懐良親王が大活躍する歴史小説でお薦めはありますか?

マジレスすると、新潮文庫「武王の門」(上・下)北方謙三
くらいしか知りません。
ぅていうか他に存在しないのでは?
内容的にはよく調べて書いてあります。
防衛庁から資料を貸してもらったらしいし・・・(by 歴史読本)
北方謙三はこの一作でただのハードボイルド作家から
脱皮した貴重な作品。

今後、質問があるならば「菊池さん・菊地さん」スレで
承ります。
8278:04/04/07 09:33
>>81
ありがとうエロいひと!
その作品の存在は知っていたけど、
読んだことなかったので買ってみます。
じゃ、菊池ネタはあっちで。See you!
83日本史男:04/04/18 16:23
菊池氏は明治になって爵位貰って復権しとるが、楠木氏はどうなんすか?
たしか野口雨情が楠木正季の末裔だったと思うが。
84日本@名無史さん:04/04/20 21:27
>>83

菊池さん・菊地さんスレでお答えします。
85日本史男:04/04/24 16:14
>>84
お願いします。
86日本@名無史さん:04/05/07 09:12
87日本@名無史さん:04/05/07 11:34
http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/tokogen/jubun01.html
熊大のサイトに阿蘇家古文書の解説があります。
鎌倉〜加藤・細川初期まで
88日本@名無史さん:04/05/07 20:42
てか甲斐氏の子孫ってまだいるの?
89日本@名無史さん:04/05/07 22:30
>>88
宗運の嫡男宗立の系統はご存知の通り国衆一揆で滅亡しています。
宗立を祭る神社があるようです。
http://www.kumakanren.com/goriyaku_meguri/detail_area_3/ashite.html
子孫と名乗る方はいまのところ聞いたことがないです。
ちなみに苗字館というサイトで甲斐という苗字の分布を調べると
宮崎が一番多くて次に大分、熊本の順のようです。
http://www.fsinet.or.jp/~myojikan/bunpu/0307.html
90日本@名無史さん:04/05/08 00:28
>>89
もともと甲斐氏は日向に勢力を持っていたらしいですから
宮崎県に多いのもうなずけますね。


甲斐氏の流れ

鎌倉時代に菊池氏の家督争いで敗訴 > 甲斐に流される
南北朝時代に足利尊氏に呼ばれて肥後へ侵攻 > 負けて日向へ土着
室町時代に阿蘇氏が一時日向へ亡命>阿蘇氏を助けて肥後へ進出 > 阿蘇氏の家老に

甲斐宗運は智将として有名だったらしいです。
宗運死後、それを聞いた島津家臣が
「相手が宗運なだけに本当ではなく謀略かもしれない」と信用しなかったエピソードが。

宗立を祭った足手荒神さんには私も祖母が足が悪くなった際に行ったことがあります。


91日本史男:04/05/08 15:28
>>90
甲斐宗運って相良義陽を討ち取ってますしね
92日本史男:04/05/16 16:48
阿蘇氏は九州一の名家だと・・・
島津、大友なんか目じゃない!!
93惟豊:04/05/18 17:57
しょせんは阿蘇だよ
94日本@名無史さん:04/06/02 21:51
あ、そう・・・・
このネタにも飽きてきた・・・
95日本@名無史さん:04/06/03 20:43
あ〜〜〜、こんな所に阿蘇スレが!

ところで素朴な疑問なんですが、お聞きしたいと思います。
なんで九州って、「阿」がつく家が多いんでしょうかね。阿蘇とか阿南とか阿万とか阿間とか。後の2つは全く別の苗字に変わってらっしゃるようですが。
因みに中国大陸南部には「阿」さんがいます。この人たちは紀元前?00年には、中国南部に流れついてボウ人(過酷な地を開拓する者)と呼ばれたそうです。
 後に弾圧を受け「何」さんと改名し(後に復姓しました)、その時大量に河を下って移動したそうです。なんか九州と関係あるんでしょうか?
因みに、高所(現地では崖の中腹)に死者を埋葬するという風習があったそうです(2000年前の遺体がまだ残ってるそうです)。
96日本@名無史さん:04/06/05 09:31
「アソ」の意味は「燃える山」
「アリマ」の意味は「燃える谷」
という説がある。
97日本@名無史さん:04/06/05 16:28
阿蘇スレをみつけてしまった。
しょせんは、って言ったって従二位だぞ。>惟豊
98日本@名無史さん:04/06/06 00:12
熊本での認知度
加藤氏>細川氏>菊池氏>四郎時貞>相良氏>>>>>そのほか
99日本史男:04/06/20 14:01
四郎>>>>>阿蘇、相良、甲斐、隈部・・・・・
なんと無くむなしい・・・
従二位なのに・・
100日本@名無史さん:04/06/20 14:56
まじで!?熊本人で阿蘇氏は結構好きだったけど従二位とは初めて知った!
101日本@名無史さん:04/06/21 04:56
だって阿蘇大宮司じゃん、痩せても枯れても
102日本@名無史さん:04/06/21 15:28
しかし所詮は阿蘇大宮司。
肥後守でもなければ太宰少貳でもない。
103日本@名無史さん:04/06/26 16:19
肥後守、なってますが何か?
104日本@名無史さん:04/06/26 16:33
肥後守護>惟村
105日本@名無史さん:04/07/19 17:12
106日本史男:04/07/25 16:00
あげとこう
107日本@名無史さん:04/08/27 22:47
108日本@名無史さん:04/09/23 20:58:47
109日本@名無史さん:04/10/23 00:19:32
110日本@名無史さん:04/11/16 14:48:02
11月度age
111日本@名無史さん:04/11/17 21:11:47
宇佐一族の俺がきたよ
112日本@名無史さん:04/12/03 10:26:29
だれ?
113日本@名無史さん:04/12/11 01:41:34
宇佐国造
114日本@名無史さん:04/12/11 08:54:17
 甲斐といいますが私はあの甲斐氏の子孫と考えていいんですかね?
115日本@名無史さん:04/12/29 13:31:58
九州の出身ですか?
116日本@名無史さん:05/01/08 20:59:28
甲斐という苗字は九州に腐るほどいるが、どういうことなんだ?
中には菊池支流の甲斐氏の末裔もいるんだろうけど、多くは農民が勝手につけたものなのか?
117日本@名無史さん:05/01/09 17:57:54
米良家の家臣にも甲斐という苗字がいたんだね。

http://satouno.hp.infoseek.co.jp/kuma/rekisi/kinsei6/kinsei6.htm

>幕末期の勤王・倒幕運動に家臣・甲斐大膳・大蔵親子らと共に参加。
118日本@名無史さん:05/01/10 12:06:32
御船城は甲斐宗運の居城でしたが、現在の御船町長も苗字が「甲斐」だったりする。
この地域には特別多いのかもしれません。
119日本@名無史さん:05/01/16 10:51:19
手ごろに名門だったために明治新政時に農民が大量に名乗ったってことだろうね
120日本@名無史さん:05/02/07 11:29:19
age
121日本@名無史さん:05/02/07 14:39:07
>>119
いいたかないが、在日が通名で「由緒あるけどよくわからない苗字」
を名乗ることはよくあることで・・・
122日本@名無史さん:05/03/02 21:47:56
まじ?
123日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:40:01
124日本@名無史さん:2005/03/27(日) 22:42:48
ふぽっぴー
125日本@名無史さん:2005/04/03(日) 15:16:32
菊池寛、タケオキクチも菊池一族だっ!!
126日本@名無史さん:2005/04/03(日) 20:04:33
きっく〜ん!って呼ばれてた人います?いますよね?
127日本@名無史さん:2005/04/09(土) 22:55:15
阿蘇氏は天皇家の次の名家なんですか?
諏訪が摂関家より格上ってきいたけど阿蘇も同じくらいの家格ですよね
128日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:13:49
>>127
それをいうなら北島家や千家家の方が上じゃないのか?
129日本@名無史さん:2005/04/13(水) 20:09:14
あくまで天皇家が基準?
130日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:38:54
あ、そう
131日本@名無史さん:2005/05/03(火) 11:48:16
世界一の弓の名人である、源為朝が一時養子になったんだよな。
132タケイワタツノミコト:2005/05/03(火) 12:16:57
少しばかり、タケイワタツノミコトの講義を聞きたまえ。このスレ貧弱だな。
かく名乗る尊は阿蘇神社の神である。地元では神武天皇の孫とされておる。
つまりは、大和朝廷の回し者だが、本来の神は裏神は地元の豪族だ。記紀にも
阿蘇の君として載っている。
大きな声ではいえないが、正面社殿の左に小さな社がある。
そこには、意外にも、オオクニヌシノミコトが祀られている。
133日本@名無史さん:2005/05/09(月) 01:47:12
はるばる乙
134日本@名無史さん:2005/05/11(水) 14:19:36
高森城主、高森 伊予守 惟直は阿蘇家と親戚?
135日本@名無史さん:2005/05/11(水) 14:49:24
タケイワタツノミコトさんはこの人を知ってる?
136日本@名無史さん:2005/05/11(水) 14:55:32
伊予守の名の由来て何でしょう?
137日本@名無史さん:2005/05/12(木) 12:59:11
阿蘇家の子孫には京都や四国に行った人もいるそうだけど、愛媛に行ったときに、朝廷から伊予守に任命されたのか、それともただの栄称なのか。
138日本@名無史さん:2005/05/12(木) 13:50:05
神武天皇の子孫?
139日本@名無史さん:2005/05/12(木) 13:57:31
インターネットには高森 惟直は阿蘇家一族とか載ってるけど、この一族って言うのが阿蘇家の子孫ということなのかどうかがはっきりしない。
「惟」という文字が阿蘇系っぽいんだけど・・・もし阿蘇家の子孫なら、神武天皇の子孫ということのもなるね。
140鴨禰宜:2005/05/12(木) 14:11:31
讃岐、阿波に入る忌部・大麻比古、これって、麻生、阿蘇の関連かな。
丹後の阿蘇海も九州くさい。
141日本@名無史さん:2005/05/12(木) 14:58:52
平 清盛は太政大臣になる前、肥後守だったそうだけど別に熊本と関係ないのに何で肥後守なんだろう。
それとも関係あったのかな。高森 惟直も阿蘇、高森城主なのに伊予守。 
142日本@名無史さん:2005/05/12(木) 15:10:07
>>141
アホ。
143日本@名無史さん:2005/05/12(木) 15:18:48
教えてもらえるとありがたいです。
144日本@名無史さん:2005/05/12(木) 15:19:56
145日本@名無史さん:2005/05/12(木) 15:48:22
神武天皇の男系の子孫がいるのなら、皇太子の次に即位したら面白いな。
146日本@名無史さん:2005/05/12(木) 15:50:56
自分もそう思います。
147日本@名無史さん:2005/06/01(水) 18:05:18
誰だよ?
148日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:35:27
恵良氏は阿蘇氏の子孫ですか?
149日本@名無史さん:2005/06/04(土) 00:44:50
九州の甲斐氏って越前の守護代だった甲斐氏と同族?
150日本@名無史さん:2005/06/04(土) 01:16:49
卑血のクズ族阿蘇氏
151日本@名無史さん:2005/06/06(月) 14:53:32
>>148 恵良氏は阿蘇一族だよ
152日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:31:11
そう?
153日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:40:12
>>149
親戚です。
154日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:35:47
阿蘇氏って子孫いないよね?
155日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:38:46
いっぱいいるよ
156日本@名無史さん:2005/06/27(月) 13:06:54
どれくらい?
157日本@名無史さん:2005/06/29(水) 10:37:48
>>154
第91代 阿蘇大宮司 阿蘇 惟之
158日本@名無史さん:2005/06/30(木) 15:53:48
>>152
100%
159日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:36:31
はあ?
160日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:55:05
「陛下、これが阿蘇山でございます」

「あ、そう」

という会話は、、、実話らしい
161常勝将軍:2005/08/08(月) 20:14:21
阿蘇さんって、宮城県に多い名前だけど何故?
162日本@名無史さん:2005/08/25(木) 18:26:17
マジ?
163日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:31:01
阿蘇揚げ
164日本@名無史さん:2005/10/01(土) 11:25:17
age
165日本@名無史さん:2005/10/19(水) 23:31:04
166日本@名無史さん:2005/11/08(火) 03:06:19
ho
167日本@名無史さん:2005/11/09(水) 00:34:02
山の中なのに本拠地が”浜の館”とは何でなの?
168日本@名無史さん:2005/11/16(水) 19:43:32
在日が通名
169日本@名無史さん:2005/11/17(木) 17:08:54
よくは分からんが教えてくれ。
蘇我氏は仏教を広める役割をした? 物部氏は八百万の神 神道?
ってことは、物部氏が本来の日本人で、蘇我氏は渡来人(大陸人)で
しかも大和朝廷の後押しをしたってことは、天皇家は外部の力で
現在の地位を維持できたのか?
これって、外圧たよりの今の日本の政治と大してかわらんが、ど〜ですか?
まったくのガセビアでしょうか?
170日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:20:20
>蘇我氏は渡来人
こういう説もあったが、たぶんガセだろ

>天皇家は外部の力で・・・
あながち間違いではないが、内政を徐々に固めていく
飛鳥時代への過渡期であったことも忘れてはならない。

つーか、スレ違い
171日本@名無史さん:2005/11/20(日) 02:16:11
信長の野望の阿蘇氏は難しすぎ
172日本@名無史さん:2005/12/10(土) 02:14:36
そうかね
173日本@名無史さん:2005/12/20(火) 20:11:54
age
174日本@名無史さん:2005/12/21(水) 16:50:56
フロッピー
175日本@名無史さん:2005/12/26(月) 22:24:19
なんでノブヤボで阿蘇は大名で諏訪は武将どまり?
格の差があるのか
176日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:32:16
>>175
ノブヤボだからに決まってるじゃん。
ゲームシステム上の理由に決まってるでしょ。
177日本@名無史さん:2006/01/01(日) 16:07:09
age
178日本@名無史さん:2006/01/02(月) 01:01:12
信長の野望嵐世記では大名だったはず
179日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:36:31
       ,:::-、      __
      ,,r::::::::::::〈:::::::::)    ィ::::::ヽ
      〃::::::::::::;r‐''´:::::::::::::::::::::ヽ::ノ
    ,'::;'::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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180日本@名無史さん:2006/02/12(日) 15:41:26
俺の同級生に阿蘇氏の直系の子孫が居る
181日本@名無史さん:2006/02/13(月) 05:12:30
>167破魔矢ってわかる?
182日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:30:09
>167古代の、カルデラ湖だった頃の伝承があったかもね
183日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:39:15
阿蘇惟豊強いな
184日本@名無史さん:2006/02/18(土) 02:32:38
>>182
浜の館は旧矢部町(現山都町)にあるから阿蘇山のカルデラの南です。
九州山地の真っ只中って感じ。
輸入した陶磁器が出土したりするから、海外からの製品は入ってきていたようなんですけどね。
一応、肥後から日向に抜ける街道沿いになるから交通の要衝だったのかも。
185日本@名無史さん:2006/03/05(日) 06:56:03
保守
186白木人 :2006/03/05(日) 10:24:41
日本の中の朝鮮文化という本にのってるかもしれまへん
187日本@名無史さん:2006/03/30(木) 14:15:00
ふーん
188日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:00:36
     
189日本@名無史さん:2006/04/19(水) 19:26:20
左近衛大将
190日本@名無史さん:2006/05/20(土) 23:02:54
がどうした?
191日本@名無史さん:2006/06/15(木) 15:08:11
天皇を中心としたら
阿蘇、紀伊、千家、諏訪等の家格はどういう順ですか
ほとんど同格?
192日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:41:51
出雲>>>>紀伊>>(超えられない壁)>>諏訪=阿蘇
193日本@名無史さん:2006/06/29(木) 07:57:32
あほ
194日本@名無史さん:2006/07/08(土) 09:14:48
ん?
195日本@名無史さん:2006/07/13(木) 01:14:13
天皇家が途絶えたら、出雲、紀伊の次に皇統に近いのが阿蘇です。
196日本@名無史さん:2006/07/13(木) 22:02:30
阿蘇と諏訪は同祖
197日本@名無史さん:2006/07/13(木) 23:59:44
阿蘇みたいな国造家って、戦国初期とかにはごろごろしてたの?
それとも当時から希少?
198日本@名無史さん:2006/07/14(金) 00:08:02
少なくとも俺は熊本出身だぜ
199日本@名無史さん:2006/07/14(金) 02:22:53
実際には末裔なぞゴロゴロといたんだろうが、
ほとんどが源平藤姓を仮冒といったところね。
200日本@名無史さん:2006/07/14(金) 14:12:02
昔に遡れば遡りほど皆同じ先祖になるからどうのこうの・・って
言う人がよくいるけど、それを言ったらきりがないと思うよ。
普通の分家ならともかく、分家のそのまた分家の・・・・という話になると
あまり話に意味を持たなくなる。血がつながってるってことを強調したいんだ
と思うけど、大事なのは自分がどの家の当主なのかだと思う。
201日本@名無史さん:2006/08/09(水) 17:23:46
いまどきどの家の当主かなんて、それこそ意味がねえだろ。
202日本@名無史さん:2006/08/09(水) 17:51:07
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203日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:00:49
意味あるよ
204がいやまん:2006/08/19(土) 11:52:56
>>196
阿蘇と諏訪はどちらが古いかを考えるに、縄文日本が大陸からの稲作とか
技術、サービス、物品を輸入する際」に切り札として使用されたのは黒曜石では
なかろうか。日本ほどの火山国は大陸にはないからである。すると↓
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/kokuyopage.htm
阿蘇と諏訪は縄文日本黒曜石シンジケートの二大産地となる。日本海及び九州西岸
との交易の拠点であったことが想定される。後に天孫を標榜する中央ユーラシア系
渡来人文化を持ったものが渡来してきても肥前の豪族はそれを取り込んで行った
と考えられる。また沖縄に出現する石棺墓、天孫思想を持ったものも肥前乃至は
薩摩から出た可能性は高い。つまり、天孫は外来思想を使用して肥前辺りで生まれ
たのではなかろうか。
205がいやまん:2006/08/19(土) 12:00:14
九州に多い支石墓などの姓機材加工技術を持っていたのがタケイワタツであり、
後に阿蘇のピンク石を近畿まで売り出したのもこれであろうが、その巨石加工に
は鉄の鏨が強力なのは当然だが、鉄がない時代であっても黒曜石である程度の
加工をしたので九州には支石墓が多いのかもしれない。
206がいやまん:2006/08/19(土) 14:02:38
黒曜石ネットワークの存在は、吉野ヶ里の銅鐸がなぜ出雲に流れるのかを
うまく説明する。アマテラスによるスサノオのカミヤライ以前にすでに銅鐸
ビジネスは出雲に移っていたのかもしれない。銅鐸ビジネスは小国家郡
が成長した北部九州には不向きで、まだ集落レベルの状態にあった近畿
東海で発展したのだろう。
207がいやまん:2006/08/19(土) 14:45:12
天孫は勅島、対馬、壱岐、沖ノ島、北部九州を支配した倭国女王辛国息長姫大目
尊、別名細烏女、アマテラス、オシホミミの系列で甕棺時代末期に下記のような
コースで肥前・筑前から肥後に入り火焚き女(養蚕)の伝承の残る地方で絹織物
を作った。多分それは肥後、時代は金印の頃か。
http://www3.kitanet.ne.jp/~nihirata/s-jingouki.jpg
ところがその後周防灘周辺に倭面土、あるいは、大元、御許国という小伽耶吹き合い津、
つまり勅島荷まで勢力を伸ばす、帥升と言う多分大王と言った称号、別名ウガヤフキ
アエズを持つ後漢と直談判するきわめて強大な、倭国王が登場し次のルートで肥後を
攻めたようである。
http://www3.kitanet.ne.jp/~nihirata/s-keikouki.jpg
こうした歴史は大和朝廷が九州を支配下におさめた神功・応神の頃に朝廷の正式な
国記に収録されたのであろう。
208がいやまん:2006/08/19(土) 14:53:42
倭国乱とは吉備を巡る倭面土国、出雲、阿讃播連合の戦いで結果的には阿讃播
連合が天下を制し、投馬国を建設、出雲・東海・河内を押さえて吉備系のヒミコを
共立したと言うストーリーではないかと思う。そして都を大和に置き、北部九州
を制圧したのであろう。
209がいやまん:2006/08/19(土) 14:59:30
神武は40歳になるまで何をしていたのか不明だが、多分肥後辺りを納めており、
晩年に河内遠征に出たものの失敗し、その後は近畿、北陸、東海の天皇が出て、
その後、ヒミコを推挙する阿讃播・投馬国の覇者が天下を取るのではないか。
210がいやまん:2006/08/19(土) 15:09:57
んじゃー、平原古墳はどう見てもアマテラスクラスだが、これは帥升より古いと
いえるのかと言われると、漏れもお手上げだ。マターリ、古田先生のような研究が
ほしいね。マターリ、マターリ、ゆっくり行こう。
211がいやまん:2006/08/19(土) 18:48:16
アマテラスが絹織物関連とすれば吉野ヶ里時代と言うことになり前漢時代となる。
平原女王はどうも鏡を割られる儀式の中で死んだようであり、時代的には庄内土器
が到来する直前程度だろうか。後漢の金印が歴史的異物に変わる頃、鏡も破壊して
共立される女王の鏡の霊力を絶対化したとも考えられる。卑弥呼の公孫への遣使に
近い時代のことだったのだろうか。
212日本@名無史さん:2006/08/19(土) 18:50:21
おそらく古代ユダヤの流れだろうな
213がいやまん:2006/08/21(月) 12:08:20
日本とか雲南の割竹舟形木棺の源流はエジプトにあって、これを外に持ち出したのは
ユダヤで、それが流れ流れて東アジアに来たんじゃないかな。ちょっとすれ違いなので
やめとこう。阿蘇のピンク石石棺がそれに取って代わるのだから関係なきにしもあらずか。
214日本@名無史さん:2006/10/20(金) 03:46:38
阿蘇家は、宗家を命を懸けて守り抜こうとした一族を忘れんなよ。
215日本@名無史さん:2006/10/25(水) 15:35:41
長野、坂梨、中村、村山、高森
216赤石潤司:2006/11/12(日) 14:24:22
教えてください。
甲斐利弘(佐賀藩士 千布利明の父)は誰ですか?
いつ頃の人ですか?
よろしくお願いします。

217赤石潤司:2006/11/12(日) 14:31:56
間違えましたので書き直します。
甲斐利弘はいつ頃の人か誰か教えてください。
甲斐利弘は千布利明の父で佐賀藩士ではありません。
利明12代孫の家利が神代家臣となり、その後に佐賀藩士となります。
よろしくお願いします。
218日本@名無史さん:2006/11/12(日) 16:24:57
暇ならume手伝ってください
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/slotj/1154931478/l50
219日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:54:08
iya
220日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:15:29
iiyo
221日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:47:10
uhu
222日本@名無史さん:2007/04/14(土) 18:21:05
uho
223日本@名無史さん:2007/04/15(日) 21:32:55
熊本出身という水前寺清子が阿蘇氏にインタビューしていた。
「お宅の名前は、阿蘇の地名から取ったんですか?」
阿蘇氏「いいえ、阿蘇の地名のほうが、うちの苗字から取ったんです」
水前寺「あっ、そうですか」

これは実話。
224日本@名無史さん:2007/05/24(木) 00:51:45
>214 、215
宗家はすでに島津に降伏してたんだよ・・・
宗家からの説得の使者を切っている
だから忠節とはいいきれないところがある
宗家である益城郡矢部の大宮司家にたいして
阿蘇郡は高森を中心に親大友で独自性をもっていた可能性がある
大宮司職をめぐって南北朝時代に矢部と阿蘇は多年争った背景もある
大友支配のタガがゆるんで一気に表面化したものだろうか
225日本@名無史さん:2007/05/24(木) 00:57:38
中村惟冬の玉砕は降伏の前だったね・・
226日本@名無史さん:2007/05/24(木) 01:00:27
中村惟冬の玉砕は降伏の前だったね・・
227日本@名無史さん:2007/06/29(金) 22:20:41
高森惟直は阿蘇家の中で最も力があった武将だろうね。阿蘇文書からも
阿蘇家と親縁関係も深い
228日本@名無史さん:2007/07/21(土) 23:28:25
高森惟直が島津を止めていなかったら、阿蘇家は滅びていただろう。
229日本@名無史さん:2007/07/22(日) 10:34:15
阿蘇神社の神主さんがただものではない事を知ったのは謡曲高砂から

そもそもこれは九州肥後の国。阿蘇の宮の神主友成とはわが事なり。
われいまだ都を見ず候ふほどに。此度思ひ立ち都に上り候。又よき序なれば。
播州高砂の浦をも一見せばやと存じ候。
230日本@名無史さん:2007/08/16(木) 00:27:28
高森の子孫はどこにいますか?
231日本@名無史さん:2007/08/20(月) 11:04:48
阿蘇家が華族(男爵家)になったが、明治政府に貢献したの?
232日本@名無史さん:2007/08/21(火) 20:56:19
藩主(10万石以上)なら子爵。
男爵だから領主未満。

阿蘇神社の場合は南朝正統論によるプレミア。
特に貢献はない。
233日本@名無史さん:2007/08/22(水) 23:09:59
>>230 熊本県阿蘇市坂梨にいるそうです。高森惟直の二男が坂梨に落ち延びて
からずっとそこでくらしているそうです。
234日本@名無史さん:2007/09/03(月) 00:07:57
>>232
南朝がらみは菊池、新田、名和家など
阿蘇男爵家の場合は北島・千家、紀、到津・宮成、津守家などと同様
由緒ある神社の神職としてでしょ
235日本@名無史さん:2007/09/03(月) 10:47:28
阿蘇惟直、惟成、惟澄などはかなり南朝に貢献したみたいだけど
236日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:15:45
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180095303/
にも同様な掲示板があるよ。
237日本@名無史さん:2007/09/24(月) 17:57:25
阿蘇大宮司家て日本一名門なのに何で知名度が低い?
238日本@名無史さん:2007/09/24(月) 18:23:09
日 本 一 名門かどうかはともかくw

知名度が低い原因は
豊臣秀吉に殺されて一時断絶状態にあったことにあるんじゃない、やっぱり。
239日本@名無史さん:2007/09/24(月) 18:34:52
百姓藤吉郎は無教養だったから大宮司家のことも知らんかったんだろうね
240日本@名無史さん:2007/09/28(金) 09:37:20
成上がりが蔓延る時代は今に始まったことではない
241日本@名無史さん:2007/10/10(水) 23:31:06
阿蘇一族の宮司の中には加藤清正公(俺達熊本県民はこう呼んでいる)の朝鮮出兵の際に従軍していた人物がいたとのこと
242日本@名無史さん:2007/10/17(水) 19:25:48
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
243日本@名無史さん:2007/10/20(土) 11:17:59
ちょwww自分の苗字のルーツ検索してたらこんなスレが引っかかった・・・
平家の落ち武者とか聞いてたんだけどなあ・・・先祖・・・
この一族と関係あんのかいな。
244日本@名無史さん:2007/10/21(日) 19:50:25
苗字だけではアテにならないよ・・・
245日本@名無史さん:2008/01/10(木) 12:18:29
宇治部君=阿蘇君ですか?
246日本@名無史さん:2008/03/20(木) 23:30:51
加藤清正が朝鮮半島で篭城した時、明の降伏斡旋の使者が「阿蘇 某」だったと聞くが、
ここの縁者なのかな
247日本@名無史さん:2008/03/20(木) 23:57:49
当然
248日本@名無史さん:2008/03/21(金) 02:52:14
>>246
阿蘇宮越後守なる人物で、岡本越後守という降倭と同一人物という見解もあるらしい。

このころの阿蘇氏は惟光が殺されて、その弟が後に清正に庇護されたんだっけ
249日本@名無史さん:2008/03/22(土) 00:45:27
阿蘇大宮司三家・・・阿蘇、高森、村山
本で読んだ
250日本@名無史さん:2008/04/04(金) 09:57:25
>>230

高森惟直の子孫は高森城落城時に矢部に落ちて以来、そこにいるってなんかの本で読んだけど・・・
251日本@名無史さん:2008/04/07(月) 22:32:00
高森の子孫はあちこち散在してるみたいだよ。
阿蘇坂梨、益城矢部、青森、北海道、静岡等
こんなページがあった  http://flower-k.at.webry.info/200710/article_25.html
252日本@名無史さん:2008/04/09(水) 12:15:48
>>95
阿蘇氏と関係はないのですが「阿」という字を辞書で調べるとやたら梵語関連の当て字利用が多くないですか?
もしや印度からの移民でウザがられての迫害かな?
当時なら印の方が文明国だったろうし…知ったかしてんじゃねーよ、みたいな?
そういえばいつかTVで九州の「阿さん」出てました。読み方に驚きました。
253日本@名無史さん:2008/04/15(火) 01:04:19
阿蘇大宮司家
254日本@名無史さん:2008/04/26(土) 14:29:26
阿蘇
255祥泰:2008/05/02(金) 11:39:30
知人に江原氏の様な人がいて私の前世のことを話してくれました。
阿蘇家の血縁であった私は12歳の頃、阿蘇国造神社で乳母(現在の母親)から毒を漏られた。
理由は妾の子で後継者争い?に巻き込まれ命を狙われた。(妾の子だが本筋だったらしい)
恐ろしいのは現世の数年前まで命を狙われていたことです。
凄い執念です!よっぽど殺したかったんですね。
現地に足を運んで驚愕したのは一命をとり止めた小川、大杉など知人が見えたという景色が
そのまま存在しました。その時、私を匿ってくれた一族が、現在の私の苗字である古閑姓
の方々であり、現世では国造神社の神様?が守ってくださったそうです。
心より感謝しております。 ちなみに台風で倒れた大杉を植えたのも古閑姓の方々らしいですよ。
本題ですが、阿蘇家の歴史に詳しくこの事がいつ頃の出来事か予測できる人はいませんか?
当然歴史上、謀殺された出来事とは思うのですが‥‥
256日本@名無史さん:2008/05/02(金) 12:32:23
死んだじーちゃんが言ってた事あるけど日本には、あかさたなはまやで名前
が始まる(阿蘇もそう)あ族、い族、う族、え族、お族がいてあ族はイラン
の辺からカヌーみたいので黒潮暖流に乗って流れて来て、(黒潮暖流は乗っちゃえば
川の流れみたいに早いらしい)途中生の魚食べてたからその後刺身、文化になる。
日本に流れついた拝火徒でこの人達が日本の先住民なんだって、あまてらすも土地
の名前で阿波とかあが付いた場所もそうらしい、そして黒潮暖流はもろに日本に流れ
て来て四国の辺で大きな渦巻きおこしてるんだって、今となってはどーなんだろう
と思ってしまうけどね。
257日本@名無史さん:2008/05/09(金) 23:37:10
八切止夫みたいな説やね
258日本@名無史さん:2008/05/11(日) 21:23:39
阿蘇公
259日本@名無史さん:2008/05/26(月) 14:48:51
私は苗字が惟永といいますが
阿蘇氏と関係あるんでしょうか?
家系図もありますが、よく分からないのでどなたか教えてください。
260日本@名無史さん:2008/05/26(月) 14:57:47
>>259
大蔵じゃね?
261日本@名無史さん:2008/05/28(水) 00:40:23
>>259
それこそ家系図があるなら答えがわかるんじゃない?苗字に惟ね〜
聞いたことないからわからないな〜
262日本@名無史さん:2008/06/01(日) 01:57:52
豊後大神氏にも「惟永」っていたが。
263日本@名無史さん:2008/08/02(土) 17:05:05
阿蘇大宮司家は名家
264日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:05:45
好きな将軍アンケート
http://find.2ch.net/enq/result.php/26216/l50
265日本@名無史さん:2008/09/22(月) 20:48:23
阿蘇家から龍造寺(村田家)に嫁いだ方もいたんだよな
その後、村田家は断絶状態だけど・・・
266日本@名無史さん:2008/09/23(火) 10:48:23
他の名家から阿蘇家に嫁いだ話はないの?
267日本@名無史さん:2008/09/23(火) 22:30:37
勤皇厚い菊池家とは、互いに婚姻を重ねたけど、
後に阿蘇家が菊池家を乗っ取ってしまったので、大っぴらにはもう言えない。
268日本@名無史さん:2008/09/24(水) 22:05:14
朝廷は菊池と阿蘇のどちらを名家だと思っていたのか?
格が違いすぎるだろ
269日本@名無史さん:2008/09/24(水) 22:28:44
南朝正義論の立場からは勤皇の菊池が圧倒的に上。
阿蘇は田舎の神主に過ぎない上に菊池家を破壊した簒奪者だ。

北朝正統論の立場から言えば、
やはり阿蘇は田舎の神主。見下すべき存在。
和気清麻呂の一件でも、阿蘇家は天朝を侵そうとした下賎の者。
270日本@名無史さん:2008/09/25(木) 01:42:28
菊池の家紋だって阿蘇神社からもらったんだろう
阿蘇大宮司家と菊池では家柄が違いすぎる
271日本@名無史さん:2008/09/30(火) 09:52:56
宇治朝臣
272日本@名無史さん:2008/11/11(火) 11:14:39
阿蘇大宮司はマイペース
273日本@名無史さん:2008/11/14(金) 18:36:19
現総理大臣もここの人でしょうか?
274日本@名無史さん:2008/11/17(月) 03:41:44
全く関係ない
275日本@名無史さん:2009/01/31(土) 21:59:33
ほー
276日本@名無史さん:2009/01/31(土) 23:03:33
安政の大獄の首謀者こと長野主膳義言が阿蘇大宮司家一族説は?
277日本@名無史さん:2009/02/01(日) 02:38:02
長野は阿蘇家の一族だけど
井伊直弼っていえば大河ドラマ徳川慶喜で
杉良が直弼を演じたが、癖の強い杉良には珍しく抑えた名演技だったなぁ。
それはともかく長野主膳が阿蘇家の系統ならば国学者になったのも当然かも。
もっとも伊勢出身で本居の影響を受けていたからなったって説もあるけど。
直弼が開国論者ではなかったという説もあるが、
同じ南紀派であっても開明論者を弾圧した(らしい)という点からしても、
主膳が直弼に送った手紙からしても解らなくはないよな。
司馬遼の言い方は単純過ぎるとしても←司馬遼はろくに根拠を出さずに決めつける傾向が強い、例えば文禄の役で寝返ったと言われる(以下省略
279日本@名無史さん:2009/02/01(日) 04:52:59
長野には悪人としての魅力がある
280日本@名無史さん:2009/02/13(金) 20:18:05
カワヅとカワカミのハーフです
281日本@名無史さん:2009/03/14(土) 03:39:07
いま西日本新聞で大宮司家の回顧録を連載中ニダ
282日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:27:40

ちょっと待ってくれ、諸君!
天皇の祖先、高皇産霊尊の血を引いている家系が、ここにいるんだが・・・・。

◇ 高皇産霊尊 − 八意思兼尊(吾道彦) − 大御食神社(小町谷家)

http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage5-1.html
283日本@名無史さん:2009/03/21(土) 03:33:36
長野主膳の主な出生説
1)肥後八代長岡山城家の産
2)阿蘇大宮司惟治の一族の出
3)肥後生まれで元は阿蘇大宮司惟治の寵童
4)但馬出石三万石仙石家家老仙石左京の子
5)高位の公卿の庶子
284日本@名無史さん:2009/04/19(日) 17:06:12
阿蘇氏はどこまで正確に遡れるんだ?神武天皇のしそんはぁぼうだ





阿蘇氏はどこまで正確に遡れるんだぃ?
神武天皇の子孫は仮冒でしょうけど....


  



285日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:00:56
阿蘇に長野主膳所縁の地の石碑があるね細川隆元書の
286日本@名無史さん:2009/04/21(火) 00:56:58
宇治部まで
287日本@名無史さん:2009/05/07(木) 00:07:15
>>284
宇治部武擬人乃君まで
288日本@名無史さん:2009/07/27(月) 06:36:49
阿蘇氏が国造の末裔というのは大げさなようですね。
289日本@名無史さん:2009/07/27(月) 22:36:59
阿南氏とは親戚?
290日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:10:29
>>289
違うよ
291日本@名無史さん:2009/07/29(水) 23:24:31
でも阿南も古くからの名家だったよな
292日本@名無史さん:2009/07/30(木) 22:58:39
そうなの? 阿南の本姓は?
293日本@名無史さん:2009/07/30(木) 23:07:07
何で惟を名乗ってるの? 阿蘇氏と関係あるのかな
294日本@名無史さん:2009/07/31(金) 00:29:00
阿南氏
出雲族の大三輪氏から起こるとされる大神氏の流れを汲む大神惟基の次男惟季が豊後国大分郡阿南郷に住して、阿南氏を名乗ったことに始まる。

295日本@名無史さん:2009/07/31(金) 05:26:08
阿南家は陸軍大臣輩出したりしてるのに阿蘇家といえば
296日本@名無史さん:2009/07/31(金) 23:49:35
>>295
? なぜ阿蘇家を阿南さんと比べる必要があるんですか? 
297日本@名無史さん:2009/07/31(金) 23:51:02
>>294
そうですか。知りませんでした。
298日本@名無史さん:2009/08/01(土) 00:58:57
ちなみに、大分のファミレスジョイフルのオーナーは穴見氏
299日本@名無史さん:2009/08/01(土) 03:18:54
阿南陸相の息子は売国奴だけどな
300日本@名無史さん:2009/08/03(月) 12:26:01
一応阿蘇氏の末裔です。信じてもらえないかもしれないけど、別にいいです。
ところで、みなさん詳しいようですが、どうやって調べたんですか?
301日本@名無史さん:2009/08/04(火) 12:42:15
>>300
阿蘇氏の分家ですか?家に古文書とか残ってない?
302日本@名無史さん:2009/08/04(火) 15:00:43
昔、水前寺清子が宮司の阿蘇さんにインタビューしていた。

「阿蘇さんって名前は、阿蘇の山から取ったんですか?」
「いえ、山の方がうちの苗字から取ったんです。」
なんて言ってたなあ。
303日本@名無史さん:2009/08/05(水) 00:10:47
>>301
一応分家になるんだと思います。
阿蘇神社の宮司一族以外は分家ということになるんですよね?
昭和までは祖母の話によれば、近い人が宮司をしていた
そうなので、そんなに遠くはないと思います。
304日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:50:39
>>303
昭和に分家ですか。それなら阿蘇家と親戚という実感がもてますよね。
うちは数百年前の分家ですので当然親戚という感覚はないです。 法律的にも親戚じゃないですしね。
じゃあ名字は阿蘇ではないんですね。
305日本@名無史さん:2009/08/09(日) 12:10:21
>>304
一応そういうことになる。
306日本@名無史さん:2009/08/09(日) 17:36:30
今でも阿蘇家は宮司になる人以外分家するの?
307日本@名無史さん:2009/08/09(日) 21:58:14
>>306
分かりません。
308日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:59:02
誰かまとめて
309日本@名無史さん:2009/10/09(金) 01:04:52
誰かいる?
310日本@名無史さん:2009/10/09(金) 01:10:46
いる
311日本@名無史さん:2009/10/09(金) 01:11:42
健磐龍命が山城からきたのは本当か誰か教えてくれ
312日本@名無史さん:2009/10/09(金) 05:15:45
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180095303/648-649

>これは伝承です。
>平安時代に阿蘇氏は宇治宿禰を使っているようですが、
>山城国宇治の健磐龍命が阿蘇地方に下向したと言う伝承によるものでしょう。

系図によればもと宇治部君だし、ここから派生した伝承のような希ガス。
でも、他史料で阿蘇周辺に宇治部の分布が確認できないのはネックだ。
313日本@名無史さん:2009/10/09(金) 09:47:47
宇治部だから山城国宇治というのは朝廷との結びつきを強めるための伝承のような気がする。
現に健磐龍命は神武天皇の子孫ということになっている。

ただし、阿蘇周辺に宇治部という名称等が確認できないジレンマは残るな。
314日本@名無史さん:2009/10/09(金) 10:51:38
315日本@名無史さん:2009/10/09(金) 23:10:52
>>314
ないと思います。
316日本@名無史さん:2009/10/10(土) 00:50:48
>>315
thanks
317日本@名無史さん:2009/10/10(土) 00:53:43
>>316
you're welcome
318日本@名無史さん:2009/10/22(木) 23:51:01
たまに出現する阿蘇氏の末裔のものです。

あまりにも昔すぎて文章が残っていないとかハッキリしないほど古い
のは確かでしょう。

図書館には阿蘇氏に関する漢文の文献は色々あるようですが・・・
319日本@名無史さん:2009/10/22(木) 23:57:16
阿蘇谷(あそや)っていう名前で神職の人がいるけど(関東)、
阿蘇家と何か関係ありますか?既出だったら済みません。
320日本@名無史さん:2009/11/09(月) 20:18:15
>>319
東京にも阿蘇神社の分社があるようです。
阿蘇谷さんについてはしりません。
321日本@名無史さん:2009/12/26(土) 13:23:52
阿蘇、宇佐はただの音韻変化ではないかい
322日本@名無史さん:2010/02/14(日) 20:48:11
そうなの?
323日本@名無史さん:2010/02/15(月) 20:33:37

天皇家が今の皇太子の代で終わると、次は阿蘇家が継ぐらしいね。

324日本@名無史さん:2010/02/16(火) 10:22:59
>>323
それが妥当じゃない。 その代わり万世一系も神武天皇まで遡ることになるけど。
阿蘇家の一族でもいいなら俺が天皇になる可能性もゼロではないw
325日本@名無史さん:2010/02/20(土) 17:15:50
阿蘇谷、阿蘇品は阿蘇一門ではありません。
326日本@名無史さん:2010/02/20(土) 17:21:23
訂正

阿蘇品 肥後発祥、阿蘇氏。現在、熊本県山鹿市に多い

阿蘇谷 薩摩発祥、清和源氏島津氏族。現在、鹿児島県大口氏に多い。

阿蘇田 肥後発祥、出自不詳。現在、熊本県鹿本郡植木町に存す。
327日本@名無史さん:2010/02/20(土) 21:13:29
阿曽山大噴火
328日本@名無史さん:2010/02/20(土) 23:25:17
それはtbsラジオの平日夕方ワイドの突撃リポーターです。
329日本@名無史さん:2010/03/03(水) 00:10:22
阿蘇山
330日本@名無史さん:2010/03/18(木) 00:39:57
阿蘇高森
331日本@名無史さん:2010/03/18(木) 00:43:31
まあ普通に考えて天皇家より阿蘇氏のほうが古いよね。
あともう2、3、天皇家より古そうなのがあるけど。
ゆえにこそ、天皇家に潜り込むことなんてできるわけないね。
滅ぼされてないのが奇跡ってくらいで。
332日本@名無史さん:2010/03/19(金) 10:21:30
日本の旧家三家   千家家 阿蘇家 紀家
333日本@名無史さん:2010/03/28(日) 18:36:44
阿蘇氏ってどのぐらい続いてるの?
334日本@名無史さん:2010/04/01(木) 11:27:36
2600年くらい
335日本@名無史さん:2010/04/01(木) 12:05:05
それはない
336日本@名無史さん:2010/04/12(月) 16:44:40
1700年くらいはある
337日本@名無史さん
千家家と阿蘇家はどちらが由緒ある古い家柄なの? 有名なのは千家だけど