【強面】岩倉具視の功績

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1いわちゃん♪
孝明天皇暗殺疑惑がある岩倉具視。
しかし、欧米への岩倉使節団、征韓論の阻止など
岩倉具視の明治維新での功績は大きいのではないだろうか?
2日本@名無史さん:03/12/07 12:14

まじで!?詳細キボンヌ。
3日本@名無史さん:03/12/07 14:27
貧乏な公家だった頃、自分が住んでる場所を博徒たちに提供してたんだろ?
4日本@名無史さん:03/12/07 17:03

まじで!?たれキボンヌ。
5日本@名無史さん:03/12/07 19:45
岩倉を狙う刺客に追われていた時、面が割れてなかった事に乗じて「あっちに行きはった」と教えて難を逃れた。
写真が普及してない時代で命拾いしたな
6日本@名無史さん:03/12/07 20:22
貧乏公家のくせに、摂関家と同じ公爵になるなど、奥ゆかしさが足りんな。
7日本@名無史さん:03/12/07 20:25
【強面】岩倉具視の功績

衆道の発展
8日本@名無史さん:03/12/07 21:33
明治初期は
 岩倉:大久保体制で
 大久保の政策を岩倉の力で押し通すと
 いうふうであらっしゃいました。
とさ。岩倉がいなければ、大久保の政策は彼だけの力では
実行できなかったであらっしゃいましょう。
9日本@名無史さん:03/12/07 21:37
岩倉が孝明天皇を毒殺しなければ薩長による倒幕なんて絶対に不可能だった。
岩倉こそ明治維新の最大の功績者でしょ。
10日本@名無史さん:03/12/07 21:42
毒殺真理教のお出ましか。
11日本@名無史さん:03/12/07 21:43
>>10
その通りでごわす!
12日本@名無史さん:03/12/07 22:20
大政奉還を行った徳川慶喜に領地と官位の返還を強硬に求めたのが
岩倉倶視。これに抗した慶喜は鳥羽伏見の戦いを起こし朝敵となる。
形成不利の慶喜は老中でもあった譜代の稲葉氏(春日局の実家)の淀
藩に逃げ込み、戦力の立て直しをはかろうとするが、淀藩が官軍に
寝返ったために敗退。ここに倒幕は最終的に成功した。
岩倉倶視は京都人の典型だ。
13日本@名無史さん:03/12/07 22:22
14日本@名無史さん:03/12/07 22:29
岩倉って本当に衆道家だったんか?
よく言われてるけど
15日本@名無史さん:03/12/07 23:56
>>14
たまに聞くね。
16日本@名無史さん:03/12/08 00:01
博打打ち、衆道、ミカド毒殺…
世をそねむ貧乏公家にはろくな香具師がいないな
17日本@名無史さん:03/12/08 00:13
正直、衆道に関心(欲求)がある人間にはそんなにおかしいこととは思わない。
つーか、一々感心を持つほどのものなかね〜
陸軍幼年学校、旧制高校は昭和に至ってもそういった風が残っていたそうだし。
18日本@名無史さん:03/12/08 01:13
正史をたどると別にどってことない維新政治家なんだけど
あの顔見てると、とんでもない奴に見えることは確かだ。
19日本@名無史さん:03/12/08 01:18
本当に大久保や孝明天皇とSEXしてたの?
20日本@名無史さん:03/12/08 01:21
岩倉が一番輝いてきた時っていつかな?
小御所会議あたり?(孝明天皇は毒殺は却下)
21日本@名無史さん:03/12/08 01:25
公武合体〜とか言ってたくせに倒幕すんだもんなぁ。
22日本@名無史さん:03/12/08 01:27


幕末人物が女になって女子校に入学しますた。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1069848541/l50



23日本@名無史さん:03/12/08 01:32
孝明天皇幼少のとき、岩倉具視が遊び相手として仕えていたのは本当?
24日本@名無史さん:03/12/08 01:33
ともかく、あんな上司だと、俺はいいが
OLがかわいそうだ。
25日本@名無史さん:03/12/08 03:35
若大将の先祖
26日本@名無史さん:03/12/08 09:00
>24  俺はいいが
   ↑
あなたも修道家であらしゃりますな?w
27 :03/12/08 09:35
貰ってた禄が2石だったそうな。武士で云うと足軽でも最低クラス、でも
一応公家の端くれだから官位は大名並。
28日本@名無史さん:03/12/08 13:37
所詮500円札だからな。
伊藤博文の半額だ。
29日本@名無史さん:03/12/08 14:08
板垣なんか100円だしな。
30日本@名無史さん:03/12/08 15:46
「板垣死すともホモは死せず」
31日本@名無史さん:03/12/08 19:33
岩倉は黒幕だったが、日本のために役に立った。
現在の日本の黒幕はいかがかな?
32日本@名無史さん:03/12/08 20:04
公武合体で干されて岩倉村に幽閉されている頃、
幕末が近くなって薩摩や土佐の要人が頻繁に岩倉の家に
お忍びで訪れるようになったんだけど、誰のエピソードだったか、
訪ねてきた要人に
「やはり尊皇攘夷であるイテキ討つべし」
といったら要人が苦笑して
「攘夷はもうせぬことと相成りました」
というと、もうその瞬間に岩倉は
「ん、そうであるか、あいわかった」
とさらっと言い放ったそうだ。
この人のマキャベリズムのすごさは、ある意味偉大だと思うけど、
そういう部分でも消しきれない才能の持ち主であった事は事実だと思う。
33日本@名無史さん:03/12/08 20:49
岩倉高校がDQN校であることが全てを語っている
34日本@名無史さん:03/12/08 21:20
攘夷が途中から単なる政争の手段となったわな。
35日本@名無史さん:03/12/08 23:27
天皇を神にまつりあげ超DQNな皇国史観を捏造したのは岩倉。
現代に例えれば金正日みたいな香具師だな。
36日本@名無史さん:03/12/08 23:31
>>27
生活できるわけねーべ。
あれでも一応は使用人がいたんでしょ?
37日本@名無史さん:03/12/08 23:33
>>36
だから、自宅でカジノを経営していたんじゃないの。
38日本@名無史さん:03/12/08 23:36
傘張りしてたんだよ
39日本@名無史さん:03/12/08 23:42
>>38
そのころの逸話は泣けるよな。
40日本@名無史さん:03/12/08 23:46
>>37-38
どっちもしてた。
岩倉は、公家屋敷が武家政権下においては治外法権的な場所であることを逆手にとって、自宅を博打場として貸していた。
だから彼はそういう方面への人脈も持っていた。
41日本@名無史さん:03/12/08 23:48
オナーニしてるとこを他人に見られたのってこのヒト?
42日本@名無史さん:03/12/09 04:01

まじで!?ソースキボンヌ。
43日本@名無史さん:03/12/09 10:38
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44日本@名無史さん:03/12/09 17:42
>>37
うまい事言うね
45日本@名無史さん:03/12/09 23:52
>>40
あれだけ厳格な禁中並公家諸法度が、そんなことも(バクチの胴元になってはだめよとか)
も規定していなかったんですね・・・
46日本@名無史さん:03/12/10 00:41
山稜奉行のなんとかさん(戸田なんとか守)が
孝明天皇の一周忌のお金がないんですけど、どうしたらいいでしょう?と
岩倉に相談したところ「慶喜に出させろよ〜」と答えたそうだ。
慶喜も最初御上にはお隠れ頂きましょうチームの人だったんだよね。
47日本@名無史さん:03/12/10 05:09
岩倉具視の孫娘・靖子は、治安維持法違反の容疑で捕まって、拘置所で自殺しました。
48日本@名無史さん:03/12/10 10:37
>>45
禁中並公家諸法度制定した頃の武士の棟梁でも公家でも
博打に手染めるところまで身を窶すなんて想像も出来ないんじゃない?
49日本@名無史さん:03/12/10 13:17
>47 拘置所じゃないよ。自宅
彼女はアカにかぶれた。
ほかの華族のおぼっちゃまのように簡単に
アカから転向すれば問題なかったのだが
50日本@名無史さん:03/12/10 18:12
岩倉具視は死の直前にキリスト教に入信したという話を耳にしたんだが
もう出典も思い出せない。

詳しい方解説をお願いしたい。
51日本@名無史さん:03/12/10 22:09
島津公爵家を訪問した帰りに門から出て来た姿を目撃した者が、何かを勘違いしたようだな。
52日本@名無史さん:03/12/11 00:00
岩倉具視、若い頃はなかなかの美形だったという罠
53日本@名無史さん:03/12/11 18:52
征韓論。廟議。三条の突然の発病。
あれも岩倉の画策か?
54日本@名無史さん:03/12/13 06:45
西郷が桐野を連れて、岩倉家に来てもビビらなかった岩倉。
55日本@名無史さん:03/12/13 07:36
>>52
確か加山雄三の先祖にあたるんだけえ?
56日本@名無史さん:03/12/13 09:31
>>55
ホンマかいな?
57日本@名無史さん:03/12/13 09:59
本間加奈?
58日本@名無史さん:03/12/13 11:10
岩倉の孫が戦前の映画女優で、上原謙の最初の奥さん。
ちなみに上原謙の本名は池端で薩摩藩士の家柄。
59日本@名無史さん:03/12/13 11:11
国賊度では、岩倉と山縣はどちらが上でしょうか。
60日本@名無史さん:03/12/13 11:28
圧倒的に山縣だろ。
岩倉は政治的には汚い男だが、
自分と他人の財布の区別くらいは付いた。
61日本@名無史さん:03/12/13 11:46
政治に汚いってのは褒め言葉。

岩倉家は具視の死後経済的にピンチになって、
西園寺の口利きで徳川に助けてもらったんだそうだ。
62日本@名無史さん:03/12/13 11:47
山縣は岩倉の手のひらの上で踊ってただけ。
孝明天皇を毒殺し明治天皇を私物化・神格化した岩倉の罪のほうが根元的。
日本史上最大級の国賊だろ。
63日本@名無史さん:03/12/13 12:02
>55
日本は男子血統だから母親の先祖は先祖にならない。
先祖は父親の家でいう。
加山は上原兼の家の子孫で池端家は下級藩士だから、
加山は下級藩士の子孫。
64日本@名無史さん:03/12/13 12:04
ま、本名は池端だもんなw
65日本@名無史さん:03/12/13 12:12
>64
そう、池端家の先祖が加山の先祖であり、母親の方は系譜上では先祖とはいわない。
66日本@名無史さん:03/12/13 12:18
俺も父親の先祖は農家だが、母親の方は武家なんだよねW
母親の方だから先祖は武家とはいえない・・・
67日本@名無史さん:03/12/13 17:13
>>66
そう、君は土民の子ということになるのだよ。
68日本@名無史さん:03/12/13 21:36
加山雄三なんてどうでもいいよ。
>>62の流れの方がスレタイに沿っていて、面白い。
69日本@名無史さん:03/12/13 21:51
>>62
国賊だけど、日本の役に立った。
70日本@名無史さん:03/12/13 22:01
国賊ネタより加山ネタの方が面白い。
71日本@名無史さん:03/12/14 06:51
>>70
加山ネタは芸能人板か懐かしの邦画板へどうぞ!
72日本@名無史さん:03/12/14 08:07
上原謙は故人だから歴史上の人物ということでいいよな?
73日本@名無史さん:03/12/14 13:18
>>72
つまんねえよ。
上原謙と岩倉を繋げて、日本史の話をしてみせろ。
74日本@名無史さん:03/12/14 13:33
下級士族の出といっても、上原謙の父親は陸軍大佐で連隊長だったらしい。
本人も当時としては珍しい大学出だったようだ。
一方、夫人は岩倉の孫といっても分家で窮迫していた(だから女優になった)。
映画界に入ったら出自は関係ないし、当時上原謙はスターだった。
75日本@名無史さん:03/12/15 19:29
慶応三年十二月の小御所会議。
西郷隆盛と組んで徳川慶喜を追い落とした。
山内容堂も脅された。
76日本@名無史さん:03/12/15 19:41
上原謙といえば、「超人機メタルダー」
77日本@名無史さん:03/12/15 20:46
皇女和宮降嫁問題でも工作した岩倉
78 :03/12/16 05:13
>>63
加山の父親、つまり戦前の映画スター上原謙は芸名だったのか、陸軍元帥で
子爵でもあった上原勇作が祖父であると聞いていたのでてっきり姓は本名だ
と思ってた。
じゃ母方の姓を芸名にしたんだな。
79日本@名無史さん:03/12/16 05:56
80日本@名無史さん:03/12/16 15:00
岩倉具視ネタではスレが維持できないということだな。
81日本@名無史さん:03/12/16 21:42
目が怖いよな。
82日本@名無史さん:03/12/17 06:12
孝明天皇暗殺。恐い人だよ。
謀略がお得意なお方。
83日本@名無史さん:03/12/17 14:21
中間結論:岩倉具視に功績なし
84日本@名無史さん:03/12/17 18:15
征韓論の時三条にも毒盛ったのか?
85日本@名無史さん:03/12/17 19:56
>>84
う〜ん・・・・・・・。
どうなんだろ?
それとも三条に「仮病で休め!」と凄んだのかも知れない。
今はなき五百円札の恐い顔で。
86日本@名無史さん:03/12/18 13:44
三条に決断力がなく、仮病つかって責任逃れした、というのが通説では。
三条は岩倉と違って上級貴族の生まれだから、保身あるのみ。
87日本@名無史さん:03/12/18 14:31
NHKでやってたな
鉄道建設で資金集めに豪腕ふるったらしい
88日本@名無史さん:03/12/18 17:59
>73
すごい人脈図になりそうです。
89日本@名無史さん:03/12/18 18:12
デビルカッターは岩倉くん♪
90日本@名無史さん:03/12/19 06:26
岩倉は参議の中で一番肝っ玉が座ってる。
91日本@名無史さん:03/12/19 11:24
孝明天皇暗殺よりも、明治天皇すげ替えた事の方が恐ろしい事だ。
92日本@名無史さん:03/12/19 11:52
広沢真臣暗殺の黒幕は誰ぞな?
93日本@名無史さん:03/12/19 12:39
木戸とか大久保とか言われるが誰なんだろね
94日本@名無史さん :03/12/19 12:41
>>91
梨本宮守正殿下(伊勢神宮祭主、陸軍元帥)の孫の広瀬興光(元千葉県知事の子)
という人が語ったとか
95日本@名無史さん:03/12/19 14:09
>>94
×広瀬興光
○広橋興光
96日本@名無史さん:03/12/19 23:11
>>90
岩倉って参議だったっけ? 違うだろ
97日本@名無史さん:03/12/20 09:04
>>91
明治天皇すげ替えについて詳しく教えて下さい。

                厨房より
98日本@名無史さん:03/12/20 17:53
>>97
自分で調べましょうね!
99日本@名無史さん:03/12/21 01:16
明治天皇を摩り替えた事実などありません。

この板で狂人が主張しているだけの妄説です。
100日本@名無史さん:03/12/21 02:09
水戸藩は維新前は朝廷に大きく食い込んでいたし
維新後も宮内省に多数奉職した者がいたが、
この筋からはこのような説は聞かれないのだが。
101日本@名無史さん:03/12/21 10:37
明治天皇を摩り替えたのは、伊藤博文だからね。
102日本@名無史さん:03/12/21 11:39
>99,101
その通り、孝明天皇が暗殺されたのなら解かるが。
103日本@名無史さん:03/12/21 13:29
>>102
孝明天皇暗殺は間違いないでしょうね。
発病。容態急変。
104日本@名無史さん:03/12/21 17:41
謀略家。だが頼りになる男。
105日本@名無史さん:03/12/22 03:46
征韓論阻止は岩倉具視のおかげだ!
106日本@名無史さん:03/12/22 13:10
岩倉の功績って、1行レスばっかりなんですね。w
107日本@名無史さん:03/12/22 13:16
>>106 そうです
108日本@名無史さん:03/12/22 20:16
お孫さんが大学教授ですけど、とても美形です。白髪の老紳士というには、まだ若若しく垢抜けた気品があって、高雅な感じ。
109日本@名無史さん:03/12/22 22:16
ほんとに岩倉の子孫?
当の岩倉グシは野卑なブ男で高雅とは程遠い香具師だったのに。
110:日本@名無史さん:03/12/22 23:19
岩倉高校は?
111日本@名無史さん:03/12/23 04:08
岩倉具視。暴漢に襲われる。
刀が来ても、脇差で防ぐ。ビビらない。
さすが、博徒たちを相手にしていただけある。
112日本@名無史さん:03/12/24 20:17
岩倉も江藤の処刑あたりから
影が薄くなったんじゃないの?
出番がなくなったのかな?
113日本@名無史さん:03/12/24 21:28
たしかに何の功績も無い香具師だな
岩倉観光使節団は一応「功績」なんだろうか?
114日本@名無史さん:03/12/25 09:06
>>113
功績だと思う。
いろいろな知識を欧米から輸入する結果となった。
津田梅子女史も世に出たしね。
115日本@名無史さん:03/12/25 10:06
岩倉使節団のときは岩倉本人はやや迷惑だったんじゃないか?
もともとは大隈の企画が出所になるけど、大久保がそれをボツにして自分が行くと言い始め、
自分が使節団長だと勝手が悪いから岩倉を担ぎ出したわけだろ?
しかも使節団は金食い虫だという悪評が国内では満ちていたし。
116日本@名無史さん :03/12/25 19:19
フルベッキは岩倉具視の二人の息子に英語を教え、彼らをアメリカに留学させるために手配をしており、
旭小太郎(岩倉具定)と龍小次郎(岩倉具経)の兄弟は、ラトガース大を卒業して明治の顕官になっています。
その関係もあり、岩倉遣欧使節団の派遣も、フルベッキのアドバイスが計画の基にあって、近代化に大きな
役割を演じている。
117日本@名無史さん:03/12/25 19:42
>>116
人材を抜擢、登用したなら功績だが、ただ身内を贔屓しただけじゃん。
話にならんよ。
118日本@名無史さん:03/12/25 20:14
いま挙がってることぐらい?
じゃあたいしたことないね。
119厨房:03/12/26 07:49
>>115
>>116
岩倉使節団はアメリカ・ヨーロッパに行く時はすごい大金を持ち歩いていたんですよね?
盗まれる心配はなかったんですか?
120日本@名無史さん:03/12/26 16:34
上原謙が勇作の孫という説のソースは?
確かな情報なのか?
121日本@名無史さん:03/12/26 16:37
岩倉観光使節団て公金使いすぎで世間から非難ごーごーてほんと?
122日本@名無史さん:03/12/26 20:02
>>119
あの当時現金書留なんてなかっただろ?
123日本@名無史さん:03/12/27 23:41
岩倉鉄道学校って関係あるの?
124日本@名無史さん:03/12/30 20:34
>121
岩倉観光使節団って、観光に行ったのかw
観光の言葉すらなかったべ・・・
125日本@名無史さん:03/12/30 21:44
>>124
いや、実際的を射ているかも?(w
条約改正の面では、当時の国際常識を知らずに全く話にならなかったし。
岩倉無駄足使節団。
126日本@名無史さん:03/12/30 23:16
使節団の目的

翌年から可能となる条約改正の本交渉でなく、
その条件づくりのための
1 欧米諸国の制度・文物の調査と
2 条件がととのうまで交渉を延期する旨をつたえる挨拶  
だそうだ。

右大臣岩倉具視全権大使以下46名。
華士族留学生59名。
開国したばかりの発展途上国でありながら豪勢すぎないだろか
(国際感覚ばかりでなく金銭感覚も欠如してそうw)
127日本@名無史さん:03/12/31 08:12
>>124
観光が目的の一つでもいいと思う。
日本が鎖国の間にいかに欧米に比べて遅れていたかを知るために。
128日本@名無史さん:03/12/31 10:47
>>124
「観光」というのは『易経』が出典。
2千年以上の歴史のある言葉です。
129日本@名無史さん:03/12/31 13:08
せめて岩倉外遊使節団くらいにしてやれよ。
130岩倉具視:04/01/01 10:34
あけましておめでとう。
それにしても、平成の政治家どもは
ワシに比べると迫力がないのう!
131小泉純一郎:04/01/01 16:10
迫力がある政治家が
いい政治家だとは
必ずしも言い切れない。
132日本@名無史さん:04/01/01 17:05
>>128 当時の軍艦にも「観光丸」ってあったような気が。。。
133日本@名無史さん:04/01/01 20:19
>>132
あったよね。
134日本@名無史さん:04/01/02 22:56
明治4年8月条約改定掛参議の大隈重信使節団派遣の発議。
大隈の全権使節就任を内定したが、才気煥発の大隈が条約改正の
主導権を握ると、国政全体をも掌握しかねないことをおそれた
大久保利通が、岩倉と謀り木戸を抱き込んで、この計画をくつがえした。
そうした政治的なかけひきがくわわった結果、数名の小型使節団の予定が、
大型使節団に膨張したのである。
135日本@名無史さん:04/01/02 23:25
留守番役の大隈、使節団と留守政府(西郷・板垣)の相互監視の約定書
を作成した。

 大隈だって転んでもただは起きんだろうから、何を要求したものか?
136日本@名無史さん:04/01/03 09:58
無能なくせに人一倍権力欲と猜疑心が強い岩倉。
たしかにいい政治家とは言えないな。
137日本@名無史さん:04/01/03 16:54
現代で言えば
岩倉は誰みたいなタイプ?
138日本@名無史さん:04/01/03 16:54
金丸信。
139日本@名無史さん:04/01/04 01:49
>100 :日本@名無史さん :03/12/21 02:09
>水戸藩は維新前は朝廷に大きく食い込んでいたし
>維新後も宮内省に多数奉職した者がいたが、
>この筋からはこのような説は聞かれないのだが。

 水戸藩出身で、岩倉とも親しい香川敬三皇后宮大夫の史料は大量に残されていて、皇學館大学で研究中らしい。
 そのうち何か発見があるかな?
140日本@名無史さん:04/01/04 11:05
金丸・竹下タイプの寝業師の元祖は伊藤だろ。
小御所会議を見ても、征韓論潰しを見ても、
岩倉はむしろ豪腕タイプ。
141日本@名無史さん:04/01/04 12:02
現代で言えばフセインだな
142まあ、そのお〜っ!:04/01/04 17:31
岩倉は豪腕タイプか。
田中角栄。ちょっと違うか・・・。
143日本@名無史さん:04/01/04 17:45
>>140
岩倉は征韓論では何もしとらんよ
あれは大久保の遠隔操縦。
144日本@名無史さん:04/01/04 18:16
>>85
>それとも三条に「仮病で休め!」と凄んだのかも知れない。
今はなき五百円札の恐い顔で。

公家同士だよ。
「三条さん、仮病(公家言葉でなんていうのか知らないが)でも、つかわしゃれ。オほほほほ。」
じゃないの?
145日本@名無史さん:04/01/04 21:29
>>144
ありうるね
146日本@名無史さん:04/01/05 09:38
>>143
大久保と岩倉は一心同体。
立案が大久保で実現が岩倉だと思うが。
そういう意味で、豪腕政治家タイプだと思う訳で。

三条が倒れて太政大臣代理になった時には、既に決定していた
征韓論上奏を西郷たちにガンガン要求されたにも関わらず、
微動だにせず突っぱね続けて、結局征韓論ごと潰してしまった
ところなんかは、まさに豪腕岩倉の本領発揮だ。
147日本@名無史さん:04/01/05 13:30
>>146
岩倉具視はやっぱりすごいね。
148日本@名無史さん:04/01/05 14:18
>>147
大久保が思案の人で、岩倉が実行の人、伊藤が根回しの人
だったんだと思うよ。明治初期の太政官政府主流派は、この
3人で回していたというのが実情じゃないかな。

ちょっと遡った小御所会議でも、慶喜排斥の方針自体は、
大久保の立てた方針だと思うのよ。ただ、山内容堂の足元
をすくって、慶喜登用自体をぶち壊すという力技は、岩倉にしか
出来なかったと思う。そういうぶち壊し技が抜群に上手い
という所は、現代で言えば小沢一郎に近いものがあるかな。
小沢みたいに、まず自分の政策が前に来る人ではないけど。
149日本@名無史さん:04/01/05 15:08

岩倉はんは、
なかなかのお人でありゃしゃりますなぁ!!
150日本@名無史さん:04/01/05 15:09
明治初期の政府における岩倉具視の派閥みたいなのって、あったんでしょうか?
139にでてる香川敬三なんかは、岩倉派直系と言ってよいと思いますけど、他にどういう人がいたんでしょうか。

詳しい本とかご存知の方もいらっしゃったら教えてください。
151日本@名無史さん:04/01/05 15:41
詳しいことは全然知らないけど、大久保が生きているうちは
岩倉は常に大久保と行動を共にしていたし、大久保の死後は、
伊藤と組んで岩倉・伊藤派として行動して、大隈重信を政府から
追放したりしていたんで、独自の派閥というのは無かったんじゃ
ないかな?派閥の色合いとしては、薩摩派(又は薩長派)に一番
近いのでは?
152あぼーん:あぼーん
あぼーん
153日本@名無史さん:04/01/08 22:37
現代の政治の世界に岩倉具視がいたら
邪魔な奴は消すのかな?
154日本@名無史さん:04/01/13 02:53
そういえば、岩倉は大久保を一度裏切ってるな。
さすが公家、堂に入った二枚腰っぷりだ。
155日本@名無史さん:04/01/13 02:54
そういえば、岩倉は大久保を一度裏切ってるな。
さすが公家、堂に入った二枚腰っぷりだ。
156日本@名無史さん:04/01/13 05:44
>>1 >孝明天皇暗殺疑惑
それは、孝明天皇の死に方が変だったのと、
具視の姉、堀川の掌侍が(具視は堀川家からの養子)孝明帝に近侍していて、
帝のお気に入りだったことから来ているみたいね。毒を盛るルートがあるだろうと。
和宮降嫁の工作もこの姉を通じて行っているし。

>>2 >貧乏な公家だった頃、自分が住んでる場所を博徒たちに提供してたんだろ?
そういう説もあるけど、何ぼなんでもそこまでやらんと言う説もあり。

>>27 >貰ってた禄が2石だったそうな。
まさか。岩倉家は150石。

157日本@名無史さん:04/01/13 10:20
どう考えても、華族誕生時の公爵10人の中に入っていい人物ではない。
158小泉純一郎:04/01/13 17:13
岩倉具視のような凄腕の男を右腕にしたい。
謀略は決して悪い事ではない。
159日本@名無史さん:04/01/13 17:32
>>158
問題なのは、岩倉ほどの男は、君程度の奴の腹心にはならないってほうだよな。
160日本@名無史さん:04/01/13 22:45
山口組のはなしデッカ
161日本@名無史さん:04/01/15 22:54
こわいんじゃないか
162津田梅子先生:04/01/17 09:21
岩倉使節団。素晴らしかったです。
163日本@名無史さん:04/01/18 08:20
>>162
津田先生。津田塾の女子大生も早稲田のスーフリの奴らと仲が良かったんですか?
164日本@名無史さん:04/01/20 05:50
岩倉具視は幼い頃から恐い博徒たちを見て育った。
その体験が後に生かされた。肝っ玉が座った。
165日本@名無史さん:04/01/20 22:31
雷が嫌いで、ゴロゴロ鳴り出すと
布団をひっかむっていたという話もある
166西郷隆盛:04/01/21 15:42
岩倉さん!なぜ、征韓論の邪魔をしたんでごわすか?
167岩倉具視:04/01/25 08:29
>>166
邪魔だからでござります!
168小泉首相:04/01/25 13:08
謀略・暗殺・恫喝の三位一体は決して悪い事ではない!
169日本@名無史さん:04/01/25 19:27
>>168
アフォ!
170日本@名無史さん :04/01/25 21:46
>権中納言 堀河康親の次男。 正三位 岩倉具慶の養子。


養子かよ!!
171日本@名無史さん:04/01/25 22:30
養子でわるうおましたなあ・・・
172日本@名無史さん:04/01/27 13:49
岩倉は、公家にしてはものが良かったみたいね
173日本@名無史さん:04/01/28 11:09
今こそ、岩倉のような硬骨豪腕裏技満載な男が
必要なのだが・・・。
174日本@名無史さん:04/01/29 02:57
でも晩年はキリスト教に救いを求めてたみたいね。
175日本@名無史さん:04/01/29 19:57
現在の日本は小泉首相に救いを求めてるのか?
176日本@名無史さん:04/01/29 20:01
日本人が政府首脳に救いを求めた事は、かつて一度もない。
177日本@名無史さん:04/01/30 13:21
>176 そのとおり。かんばつ入れずに・・・感心しました。
178日本@名無史さん:04/01/30 16:19
岩倉さん。
我々はどうしたらいいんですか?
179日本@名無史さん:04/02/03 15:01
現在、『伊藤博文と明治国家形成』という本を読んでいる。
その本の内容をを岩倉絡みで紹介。

征韓論争で、西郷・板垣らが下野した後大久保が政府首班となった。
大隈・伊藤・井上という若手実務家を殖産興業の要としつつ、
大久保は天皇権威の創出とその利用をもくろんだ。
天皇権威の創出には既成の秩序を重んじる岩倉も大いに賛成し、
大久保は宮中にもその権力を扶植した。
西南戦争後、大久保が暗殺された。

征韓論争と西南戦争を経て倒幕〜新政府樹立の重鎮は、政府からいなくなってしまった。
その為、天皇の補導役となっていた元田・高崎らの政治的発言権が相対的に強くなった。
岩倉は天皇権威強化の観点から、この状況を歓迎した。
しかし、参議達は宮中からの政治介入が増加・拡大することによる政策決定および行政が
混乱する事に反発する。
参議達も伊藤・井上系、大隈系、薩摩系、山県系と政策面で意見が異なっていた為、
宮中による政治介入は参議間にも混乱を与えた。
そんな中、明治十四年の政変が起きる。
緊縮財政論者の井上と積極財政論者の大隈の意見対立をそれまで調停していた伊藤が、
大隈が行った「立憲政体に関する意見書」の提出の仕方が陰謀的で参議として相応しくないとした事に端を発した。
また、伊藤は参議・各省卿中で主導権を握り政府の強化を狙っていた。
伊藤・井上・松方の周旋で大隈追い落としのシナリオは参議間で合意を得、
岩倉もこれを黙認せざる得ない状況となった。
180続き:04/02/03 15:02
大隈追い落としで伊藤は政府中でやや重きを成したが、岩倉が黙認という形で宮中の意見をまとめなければ
このシナリオは成立しなかった。
岩倉は宮中からの政治介入は、天皇権威を中心とする既存秩序の維持に必要だと考えており
天皇側近らも自らの政治意欲を満たす為に積極的な活動を行っていた。
伊藤は憲法制定・議会設立に向けて民権派が政党結成・新聞による世論誘導を行っている為、
議会成立後の政府は強力なものでなければならないと考えていた。
その為には政府が天皇の権威をある程度利用しなければならないと考えた。
伊藤はその利用の仕方は法に則った、制度的なものにしなければ天皇や宮中の政治介入を抑えられないとし、
宮中改革と華族制度の整備を行おうとした。
しかし、岩倉は天皇側近と結びこの伊藤の行動を制約した。
伊藤は手詰まりになったが、憲法調査の為に渡欧を命じられた。
そしてこれに活路を見出した。
憲法調査に行くことで「憲政の権威」として自らの立場を強化でき、
その権威を以って宮中改革・家族制度の整備を行おうと考えた。

調査の間、伊藤は宮中関係者や岩倉らに「君主権の確立」を盛り込んだ憲法の制定が必要なことを伝え
彼らの安心と信頼を得ることを忘れなかった。
調査を終えて帰国すると、間もなく岩倉は病没した。。
それまで、天皇及び宮中の意見の代弁者として存在していた岩倉がいなくなった事で、
政府―天皇間の意思疎通が困難になり岩倉に代わる人物が必要となった。
その時に白羽の矢が立ったのが、伊藤であった。
調査期間中に宮中関係者らの信頼を得ていた事が大きな要因であった。
伊藤は、宮内大臣として宮中改革・家族制度整備を行いその後憲法制定に主導権を握る。

181日本@名無史さん:04/02/03 15:02
まあ、そんな内容。
岩倉が具体的な政策を持っていたという事はなさそう。
ただ、天皇権威の強化と既存秩序の維持という方針を持っていた模様。
政府―天皇(宮中)の意思疎通を天皇の側から行っていた。
大久保が権力を握っていた時期には、大久保と岩倉の間で双方の意見調整が可能だったのが、
大久保の死後はその代役がいなかった為、岩倉の役割がより重要になった。
しかし、岩倉は天皇側の意見の代弁者として振舞うことが多く政府の意見の代弁者は中々現れなかった。
その為、政府内の決定が宮中から反対されて岩倉が政府に再考を求める事が多く行政が滞った。
岩倉の面目躍如というところだが、結局それは生産的な意味を持っていなかった。
民権派によってスキャンダルを暴露されたり、政策を批判され苦境に陥ることが多い政府にとって
天皇権威を利用することは重要な課題だったが、宮中派は飽くまで自己の発言力強化を狙って
政治介入を止めなかった。
憲法制定・衆議院設立が迫る中、これらに対応しようとする政府への牽制が必ずしも宮中にとって良い結果をもたらす
とは思えないが現実の行政に携わらない者にはその辺りの事情が飲み込めなかった。
その点、実務家上がりの伊藤・井上・松方らが共同歩調を取りながら宮中に金という形で利権を掘り込むと
宮中はこれに喰らい付伊藤のペット化した。
伊藤の手法に問題が全くなかったとは思わないが、宮中派が所詮井の中の蛙であったのは間違いない。
岩倉が生きていれば、もう少し違ったかなと思う。

取り留めのない文章でスマン。
182日本@名無史さん:04/02/08 10:16
>>179-181
詳しい説明をありがとうございました。

パシリから一国一城の主まで出世した伊藤博文。ずいぶんあれこれ活動したんですね。
183日本@名無史さん:04/02/08 18:13
宮中派は土佐派が主だよね?
184日本@名無史さん:04/02/08 18:26
そうですね、それと長肥の非主流派。
主流派が参議・卿を独占した(いや独占したから主流派?)ので
宮中で非主流派が政変の機会を狙っていた。
185日本@名無史さん:04/02/09 19:47
西南戦争の時は岩倉も政府軍の頭数を増やすのに苦労してたね。
薩摩に敵対心のある県から集めた。軍人の数が増えすぎると戦後に困るから、警官として雇う。
そのために走り回った。
186日本@名無史さん:04/02/09 19:53
ゆうても500円札。
187日本@名無史さん:04/02/27 19:40
不平士族(薩摩)を抑えるために、薩摩に恨みを持つ会津の連中を使う。
大久保の方が岩倉よりも悪よのう!」
188日本@名無史さん:04/02/28 08:35
天皇毒殺が岩倉の功績
189日本@名無史さん:04/02/28 14:57
>>188
岩倉の生涯で一番の功績なのかな?
190日本@名無史さん:04/02/28 15:08
500円札の肖像になったこと。
191  :04/03/14 20:37
イタリア文学者の岩倉具忠京大名誉教授は絵に描いたような貴族的学者
でしたよ。いまだに京大でも話題になるぐらい。
192日本@名無史さん:04/03/14 20:47
岩倉具視が晩年、クリスチャンになったという話は本当なの?
193日本@名無史さん:04/04/07 15:35
似合わないな、クリスチャン
194日本@名無史さん:04/04/07 20:25
たしかに岩倉は無教養で下品な暴力公家だけど、
天皇を毒殺したんだから多少は罪悪感にさいなまれていたと思いたい。
195日本@名無史さん:04/04/08 06:18
>>194
それはあるかも知れないね。
196日本@名無史さん:04/04/09 06:21
岩倉は晩年カジノのオーナーになる気はなかったの?
197日本@名無史さん:04/04/16 21:08
倒幕の猿芝居を演出することが岩倉にとっての大博打
198日本@名無史さん:04/04/20 22:16
いい博打じゃないですか
199日本@名無史さん:04/04/21 06:21
強面岩倉恐い
200日本@名無史さん:04/04/21 06:25
加山雄三という偉大なる「海の男」を子孫に輩出した
201日本@名無史さん:04/05/03 12:46
悪役っぽさはカッコイイと思う
202日本@名無史さん :04/05/04 03:44
兼好家集の六十七番には「堀川の大臣を岩倉の山庄におさめたてまつりにし又の春」
という詞書(ことばがき)があるそうですよ

予言者ハケーンw
203日本@名無史さん:04/05/04 11:19
>>201
悪役っぽいんじゃんくて、根っからの悪人なんだよ。
204日本@名無史さん:04/05/06 21:27
明治になって岩倉と仲の良かった、共謀してた最たる人物は誰でしょうか?
205日本@名無史さん:04/05/19 18:23
日本が狭軌を採用したのはこの人の決断だった。
先の見えないアフォだったのかな?
206ヒマな人:04/05/19 21:25
茅ヶ崎にあったパシフィックホテルって岩倉一族の経営だったんだね。
207日本@名無史さん
>>206
それは知らなかった。