平家はなぜ脆かったのか

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662日本@名無史さん
みんな源氏を過大評価しすぎ。
頼朝なんて,義経・義仲を追い詰めて身内同士で勢力を弱めるような真似をしていたわけだし,
結局は北条に躍らされていただけの大した器ではない。
それに対し,平清盛は保元の乱のときも,敵側に付いた平家一族の助命に奔走し,
結局は叔父の忠正一人の犠牲だけで済んだ。
戦乱終結後は,かつて自分に刃を向けた人々にもフェアに接した。
頼朝の命も助けたしね。
あと,鎌倉武士に愛読された十訓抄でも,敵方であるはずの平清盛が,
家臣のことを思いやり,
非常に細やかな心配りをする理想的な上司として書かれている。
清盛(=藤原から武士への政権交代と,貿易による国富向上の2大視野のもと,
慣習や面子にこだわらず行動した)と
頼朝(=変な面子を気にして,北条に踊らされるまま,義経や義仲と血みどろの争い。
結局は源氏滅亡のきっかけを作った。)
とでは,ぜんぜん器のスケールが違う。

ただ,清盛の決定的な弱点は,西国に気を奪われ,東国支配が疎かになっていたことだろう。
たぶん,頼朝を処刑していたとしても,遅かれ早かれ平家は滅ぼされる運命に遭ったと思う。
663日本@名無史さん:04/10/18 01:50:13
>>662
>平清盛は保元の乱のときも,敵側に付いた平家一族の助命に奔走し

これは初耳。具体的に誰の命を助けたの?
664日本@名無史さん:04/10/30 08:06:23
>663
叔父の平忠正とその一族は斬った筈だしな
665訂正(662):04/10/30 09:56:42
662です。
>>663-664ご指摘ありがとうございます。
そのとおりでした。
ちょっと調べてみれば、
分かるいいかげんなことを書いてすみませんでした。

平姓の者だけ追っても
1156.7.30
平忠正、平忠綱、平忠正、平長盛、平正綱を六条河原で処刑(by平清盛)
1156.8.15
平家弘、平頼弘、平康弘、平盛弘、平時弘、平光弘、平安弘を処刑(by足利義康)
と、結構殺されています。
平姓以外の平家も入れればもっと多いかもしれません
しかも、もののホームページを見ると、
清盛がかねてから不仲だった叔父の忠正一派の粛清と、
義朝に親兄弟を殺させる魂胆を兼ねて、
死刑制度を復活させたとかありますし
(死刑制度の復活は清盛ではなく信西の強い主張だったとの説もありますが)。
666訂正(662):04/10/30 09:57:39
第一に、別のホームページに

> (清盛)
> 「ついでに、処罰の話もしておいてもらおうか。
> 源氏方には厳しい罪を与えてもらわねばな。
> こちらは忠正に犠牲になってもらえばよい」
>
> 戦の終わった翌日、早くも後白河天皇による戦後処理が執り行われた。
> 崇徳上皇は捕えられて、讃岐国に遠流と相なった。
> 上皇方に付いた源平両氏の主立った者たちも厳しい処罰を受けた。
> 源氏方では、義朝の父為義が斬罪、
> また、弟の為朝も伊豆大島へ配流となった。
> 一方、平氏方は、清盛の叔父である平忠正が斬罪となっただけで済んだ。

との記述があったこと。

第二に、源氏に同情的で平家に厳しい『保元物語』においても
義朝の残虐ぶりが批判される一方、清盛への批判がないと記憶していたこと
源義朝の親不孝ぶり(助命どころか為義を騙して殺そうとした)
や、崇徳上皇側に参戦した兄弟5人の斬首に加え、
まだ幼い4人の弟たちまで船岡山に連れ出して処刑したことの残忍さが
厳しく批判されていたこと。
(でも、後で考えてみれば、清盛は親兄弟を殺していないわけだから、
批判は無くて当然ですね)
667訂正(662):04/10/30 09:58:23
第三に、源頼政が敵方であるにもかかわらず、
清盛は彼の文武に秀でた才能と実直さをに尊敬し、
当時病にふせっていた頼政を気遣ったこと。
天皇に対し、頼政の人柄を褒めるとともに
「せめて生きているうちに三位をお授けください」と奏上し、
結果、源頼政は異例の大出世を遂げたこと
清盛嫌いだった九条兼実でさえも、
『玉葉』の中で、源頼政の大出世を驚くとともに
清盛の行動を絶賛していること。
(にもかかわらず源頼政は裏切った!!
新・平家物語にもそのことへの言及あり)
668訂正(662):04/10/30 09:58:54
第四に、平治の乱の際、藤原忠通・基実親子
(基実は関白だが、乱の首謀者である藤原信頼の義理の弟)が
六波羅に参集した際、
一同基実に疑惑の目を向け、追い返そうとするところ、
清盛は「天皇のもとに関白が来るのは当然のこと」とこともなげに言って、
快く忠通・基実親子を迎え入れたこと。
(並み居る公卿たちは納得すると同時に、清盛の度量の大きさに感心。)

以上のようなことがあり、あのように間違ったことを書いてしまいました。

あくまでも言いたかったのは、源氏を過大評価しすぎだということであって、
清盛を評価する意図ではなく、また、ここはそのようなスレではありませんが、
ついつい大幅に脱線してしまいました。

↓それでは続きをドゾ