1 :
日本@名無史さん:
桐野、伊地知、海江田、村田、別府、従道等々
無教養の糞野郎が多いですが。
2 :
日本@名無史さん:03/12/02 17:21
村田は違うけどね
3 :
日本@名無史さん:03/12/02 17:28
桐野は過小評価されすぎ
海江田は最低
5 :
日本@名無史さん:03/12/03 00:52
海江田って取り巻き?
海江田は司馬遼のせいで…
7 :
日本@名無史さん:03/12/03 01:02
万里
海江田は遺族が司馬遼批判の本を出してたな
9 :
日本@名無史さん:03/12/03 01:49
桐野は惜しくないが篠原は惜しい(政府関係者)
>>1 このスレの主旨はなんだ?
>村田、従道
この二人のどこが無教養なの?
教養があるヤシは、行動に爽快さがなくてイカンな
教養が知識「量」という意味なら
少なくとも桐野に教養はなかったろうが…
それをいうなら
西郷さんの教養もあやういもんだが・・・
14 :
日本@名無史さん:03/12/03 07:04
西郷は、桐野に学問があったのなら自分など到底及ばないと言ったとか言わないとか
16 :
日本@名無史さん:03/12/03 10:21
勉強しないと馬鹿になる、勉強しすぎると馬鹿で臆病になる。
17 :
日本@名無史さん:03/12/03 10:39
日本史板を見るに歴史を勉強しすぎると凡才は馬鹿になるというのは真実だと思う
桐野が自分で、「俺に学問があったら天下を取っちょる」って言ったんだっけ?
19 :
日本@名無史さん:03/12/03 12:58
村田や永山は無教養じゃないだろ?
取り巻きじゃ無いけど西郷の理解者には斉彬や勝、横井と
むしろ無教養とは正反対の人間もいる。
西郷グループ=無教養のイメージを俺も持ってるけど、一くくりには
もちろんできんね。
20 :
日本@名無史さん:03/12/03 13:30
21 :
日本@名無史さん:03/12/03 16:51
無教養な人間は、知識をひけらかす事が教養だと思いこむ
知識量は教養に比例しない。
オウムを支持していた中沢新一や上祐史浩の知識量は、平均的な人間を大きく凌駕している。
桐野曰く「おいに学問があれば天下を取っちょる!」
学問がなくても天下を取る人間は取るけどね
自分に学問がないことを笑い飛ばすジョークでしょ、桐野の
25 :
日本@名無史さん:03/12/04 01:07
>20二人ともどっかで無教養な人間を馬鹿にしてる。インテリ気取りが鼻につくタイプ
26 :
日本@名無史さん:03/12/04 01:10
伊地知は生まれつき体が弱かったんだってね。
白い布で全身を覆ってたらしい。
足が不自由だったらしいよな
28 :
日本@名無史さん:03/12/04 18:48
要するに桐野って人は前田慶次と一緒
単なるかぶき者
血の気は多い
でも、桐野の場合は社会に貢献しようとした形跡があるから
かぶき者としても一格落ちるんじゃない
前田のようにかぶいて一生を通せばよかったが
額を打ち抜かれるし
何をやらせても中途半端だね
29 :
日本@名無史さん:03/12/05 00:23
>28
桐野自身がかぶいてると思ってないだろうし
薩摩藩が藩士をかぶかせる程寛容でもないと思う。
30 :
日本@名無史さん:03/12/05 07:53
桐野も西郷の負の要素ばかり押し付けられて気の毒だな
西郷は子孫の為に美田を残さずといったが
桐野は陸軍少将の官を辞しての帰郷後
本気で百姓になろうと思って荒地を開墾して
美田を後世に残したらしいでつ
村田は大久保に次ぐ逸材だったし、
永山弥一郎は永山武四郎と共に黒田清隆を補佐し、北海道防衛と開拓(屯田兵指揮)に
長けた武人だったし、野村は情報戦とゲリラ戦に長けた名参謀だったんだよなぁ。
篠原や桐野、辺見も嫌いじゃないけどね。
33 :
日本@名無史さん:03/12/08 16:45
海江田、伊地知は嫌い
34 :
日本@名無史さん:03/12/08 20:10
治左衛門の代わりに海江田が死ねばよかったと思う香具師→1
35 :
日本@名無史さん:03/12/08 23:37
ブレイク前の佐野史郎だったな。>海江田
大山は蟹江敬三、永山は遠藤憲一だったね
37 :
日本@名無史さん:03/12/08 23:42
有村と海江田は同一人物だよん
39 :
日本@名無史さん:03/12/08 23:51
だいたい>1の言いたいことが良く分からん。
>1の上げた面子の中に無教養の人間が混じってるのは認めるが
糞野郎って言うからには糞野郎の定義とその根拠を書くべき。
中村と桐野が同一人物のようなもんだねー
>>39 >糞野郎って言うからには糞野郎の定義とその根拠を書くべき。
スルーしましょう。
まあ、内乱起こしたりこれに荷担したり、ムチャな取立てや徴兵やってたり
不良債権発行したり、なにより侍として、熊本・大分・宮崎の人たちに
迷惑かけてる点はやっぱり良くないよね。
>>11 >教養があるヤシは、行動に爽快さがなくてイカンな
永山弥一郎を知らないのか。
>35
冬彦さんの後じゃなかった?
43 :
日本@名無史さん:03/12/09 07:40
>>42 あとじゃないよ。
俊斎は89年か90年くらい。
冬彦さんはその二年くらい後。
44 :
日本@名無史さん:03/12/09 07:59
賢そうな容姿と「大久保の後継者」という言葉に騙されているが、村田も桐野とたいして変わらねーぞ
>>44 >賢そうな容姿と「大久保の後継者」という言葉に騙されているが
欧米視察団に同行し、アコーディオンを短期間で覚え、私学校の生徒達に
「自主独立を」と説き、西郷を単なるまとめ役でしかない、と見抜いていたのは
ハッタリじゃないよ。「大久保の後継者」と認めていたのは勝海舟だしね。
そりゃあ一緒に蜂起しちゃって西郷に殉じてるから変わんないと言えば変わんないけど。
ただ、桐野のように我が正義を信じて行動し、西郷が起った後は盲目的に西郷に
従ったのではなく、西郷の欠点をきちんと踏まえた上で武装蜂起に参加してる点で
桐野と村田は大きく違うと思う。
46 :
日本@名無史さん:03/12/09 22:20
47 :
日本@名無史さん:03/12/09 23:21
小兵衛ってあんまり名前が出てこないけど、評価としてはどんなもんなんでしょうか?
48 :
日本@名無史さん:03/12/10 00:03
ちなみに村田の子孫は有名なドイツ語学者で学習院の教授だった。最近物故したが。
49 :
日本@名無史さん:03/12/10 01:07
小兵衛のことはあんま知らんけど、西南の役の時は
確か野村などとともに熊本城通過して北九州へ進撃、
別軍でもって長崎占領作戦などを主張したと言われるが。
50 :
日本@名無史さん:03/12/10 01:44
アコーディオンをきながら戦闘を指揮してたんだよな
51 :
日本@名無史さん:03/12/10 09:50
「正直村田だけは惜しかった」
ていったの誰だっけ?木戸だっけ?
52 :
日本@名無史さん:03/12/10 12:01
晋どん、、もうこのへんでこのスレはよか。
53 :
日本@名無史さん:03/12/10 13:28
桐野の無能さがすべての原因であり結果だった。
54 :
日本@名無史さん:03/12/10 13:51
なんでもかんでも桐野のせいにするな
55 :
日本@名無史さん:03/12/10 14:00
桐野を重用した西郷が一番悪い。
56 :
日本@名無史さん:03/12/10 14:06
じゃあ、桐野と別府晋介がわるい。
57 :
日本@名無史さん:03/12/10 15:08
ともかく桐野はクソ。
58 :
日本@名無史さん:03/12/10 16:59
西南戦争でも、桐野がとにかく西郷を殺そうとしていた。
政府軍も薩摩軍も西郷だけは生かしておきたいと思っていたのに。
59 :
日本@名無史さん:03/12/10 17:05
桐野が西南戦争で、いったい何をしたかったのかいまだ謎だ。
60 :
日本@名無史さん:03/12/10 17:40
西郷と一緒に死にたかったんだろ?それが口癖だったし。
61 :
日本@名無史さん:03/12/10 17:54
>>58のナイスジョークを本気にする人がでないように、
>>60がサポートした、って事ですね。
62 :
日本@名無史さん:03/12/10 18:00
桐野が西郷を撃ったって説もあるよ。
63 :
日本@名無史さん:03/12/10 18:35
桐野は西郷の身代わりなんだよ。汚れ役は全て桐野が引き受けた。
桐野はどうも嫌えないなぁ、
判官ひいきな面もあるのだろうがなんだか愛すべきDQNだ。
65 :
日本@名無史さん:03/12/10 18:38
国家を転覆させようとしたDQNなんか愛せるか
66 :
日本@名無史さん:03/12/10 19:09
67 :
日本@名無史さん:03/12/10 19:22
桐野が西郷への手紙をみんな読んで、自説似合わないものは捨ててた節もあるけどな。
だから西郷はドンドン世間離れしていってしまったという話もある。
68 :
日本@名無史さん:03/12/10 20:07
桐野・西郷、ホモ説はどうよ。
69 :
日本@名無史さん:03/12/10 21:20
桐野は日本人の理想
70 :
日本@名無史さん:03/12/11 00:06
司馬は桐野を薩摩武士の典型と言いつつも
ボロクソに批判してるな。
71 :
日本@名無史さん:03/12/11 00:50
司馬的には、桐野>>>>>篠原 じゃないのか
西郷さんの価値観が
真、善より、美であったくさいからじゃないのかなあ。
73 :
日本@名無史さん:03/12/11 09:20
桐野の西南戦争を起こした罪は万死に値する。
晒し首にすればよかったのに。
74 :
日本@名無史さん:03/12/11 11:30
もう死んでまつが、なにか・?
75 :
日本@名無史さん:03/12/11 14:19
桐野を責めるなら篠原や村田も責めろや
76 :
日本@名無史さん:03/12/11 23:19
村田は違うだろうよ。桐野・篠原DQN組とは。
司馬的には
村田>永山>野村>>>>桐野
な感じだな。
78 :
日本@名無史さん:03/12/12 00:33
舟木一夫は取り巻きでなくライバルだよ
79 :
日本@名無史さん:03/12/12 00:34
西南戦争が起こったのはもっと下のDQNどもの
せいじゃないの?戦争始まってからの桐野はアフォだが。
司馬は 村田>永山>野村>小兵衛>>>>篠原>>桐野じゃない?
同じDQN系でも辺見はそんな悪く言ってなかったような。
80 :
日本@名無史さん:03/12/12 08:54
いろんな薩摩系の人間が西郷の屋敷を訪ねたけど、
桐野にとって都合の悪い話を西郷にしにきたやつは
みんな桐野が門前払いしたから、西郷の情報分析力がおかしくなった。
もしそれが正しいとしても西郷も「それでいいや」と思ってたんだろう。
本当に情報欲しけりゃ自分から集めるよ。
82 :
日本@名無史さん:03/12/12 15:11
そうそう。桐野を使い続けた西郷が悪い
83 :
日本@名無史さん:03/12/12 15:14
>>81-82 桐野が諸悪の根元だと認めた上で、
それを遣い続けた西郷にも責任があるってことでいいのね?
84 :
日本@名無史さん:03/12/12 15:45
桐野が諸悪の根源って何についての諸悪の根源?
西南戦争が起きた原因は政府の挑発と下部の暴発だし、
鹿児島が独立国のようになっていたことは西郷一派に加えて久光一派のせいでもあるし、
西郷がおかしくなっていたのならそれは自ら世捨て人状態になった西郷自身の責任だし、
熊本城を攻略しきれなかったのも幕僚幹部全体の責任で桐野だけの責任ではないだろう。
こう書くと桐野ヲタっぽいが、そうじゃなくて
全てを桐野のせいにするのは疑問ってこった。
西南戦争はなんつーか武士の終焉という時代の節目であり、また薩摩という土地の特殊性もあり、
桐野1人で始められたことでも防げたことでもないよ。
86 :
日本@名無史さん:03/12/12 16:39
桐野が先頭になって、事を穏便に済ませようとしなかったのだから、
桐野は悪い。
87 :
日本@名無史さん:03/12/12 17:07
桐野の軽騒な性格がイヤだ。
「おいが殿軍すっど」
とかなんとかカッコイイ事言ってる割に、
田原坂から敗走するときに西郷と二人で真っ先に逃げ出したりして。
こいつは由来、万事がこうだった。
>>85 >桐野1人で始められたことでも防げたことでもないよ。
桐野が永山に賛同しただけで西南戦争は防げたと思うけどね。
89 :
日本@名無史さん:03/12/12 19:54
桐野は、江代に到着すると同時に、諸隊長をあつめて軍議し、部署を決めた。
西郷やその幕僚が、人吉にいる。かれらを呼ばず、了承を得ず、独断で軍議をひらき、
部署を決め、命令を発したのである。
このあたりに桐野の性格が出ているし、私学校蜂起の真因がどこにあったかも
露わになっているし、さらには桐野に乗せられた西郷の奇妙な立場と、
西郷が立ち上がったために自分の意見を捨て、西郷のみに殉ずべく参加した
村田新八の課題も、大地の亀裂が赤土を露わすように色あざやかに露呈している。
90 :
日本@名無史さん:03/12/12 21:20
ラストサムライでは、桐野に相当する役を真田広之が演じていたね。
いい男なんだよねー、桐野は。
維新では一番もてたし。
西南戦争の責任を、天皇の信任篤い西郷に負わすわけにはいかず、すべて桐野の所為にしたのが、桐野嫌いを量産した原因じゃないかな。
実際、桐野より金に汚くずる賢い政府顕官はいっぱいいるもんね。
91 :
日本@名無史さん:03/12/13 01:15
西郷が放っておいたからとかそういう理由もあるが
それでも桐野の罪は重い。
情報隠匿、作戦立案能力、独断専行、これだけでも
万民から叩かれる価値のある男だ。
こういう男が西郷の脇にいて下のもんを統率してた
からアフォへこを量産した。
かろうじて理性を見せたのが佐賀の乱の時、暴発しなかった
ことか。
佐賀の乱のときはことを起こす理由が見当たらなかった。
西郷には殉じる覚悟はあっても、江藤に殉じるつもりはないだろう。
また、西郷が動こうとしたなら桐野も動いたに違いない。
>79
>同じDQN系でも辺見はそんな悪く言ってなかったような。
司馬は小隊長、いわゆる中間管理職については「かれらが戦線を支えた」と
一定の評価をしている。
小兵衛や永山弟、貴島、抜刀隊のくだりなどを読むととくにそう思う。
鳥羽伏見のあたりの小隊長桐野なら司馬も評価してただろうが、そこから
大隊長、幹部への進歩がなかったので評価は薄まったのではないか。
桐野はどこまでいっても中村半次郎の器でしかなかった。
それが悲劇を助長させたと言われても仕方がない気がする。
あと、あまり言われていないが篠原の罪も相当重いと思う。
>実際、桐野より金に汚くずる賢い政府顕官はいっぱいいるもんね。
何か執着するものがあった方が長生きするらしいね(笑
その辺の信念を、時流に対応させなかった点で彼らは短命だったと考える。
無論、金に汚いのが良いとはけっして思わないが。
93 :
日本@名無史さん:03/12/14 19:55
篠原が悪い。
94 :
日本@名無史さん:03/12/15 21:26
黒田清隆って、西郷さんの意を受けて行動していたのに、
いつのころからか、大久保派と気脈を通じるようになった
とみてよろしいんでしょうか。
首相までやったのに、地元では不人気で、
銅像のひとつもないそうですね。
95 :
日本@名無史さん:03/12/15 21:40
>>94 黒田は従道と一緒の洋行組。確か大久保とパリで落ち合っている。
その後、征韓論で西郷と決裂するが、西郷のところに別れの挨拶には行っている。
鹿児島で人気がないのはそのせいもあるかもしれないが、
そもそも黒田は「面汚し」的な酒乱で嫌われていた。
96 :
日本@名無史さん:03/12/15 22:16
黒田みたいな人間が首相をやってたなんてすごいよなぁ
97 :
日本@名無史さん:03/12/16 01:11
>>95 そういえば、酒乱で自分の嫁さんまで斬ったとかいうウワサがありましたねぇ。
黒田が創立した札幌農学校出身の内村鑑三は、追悼文で黒田のことを一応誉めてはいます。
かつての黒田・西郷ラインは、榎本武楊や庄内藩の処遇において断然光るものがあり、
長州主導の苛烈な会津藩の処遇と好対照を成していますが、
どうやら黒田は晩節を汚してしまったようですね。
98 :
日本@名無史さん:03/12/16 02:01
西郷の取り巻きじゃないけど、野津兄弟とか伊東祐亭や樺山
は何で下野しなかったの?反西郷派だったの?それとも現政府
での栄達を考えてたのかな?
99 :
日本@名無史さん:03/12/16 02:09
>>98 やめた連中は、西郷-桐野をお先師に仰ぐ近衛陸軍が中心。
樺山は久光派だったと思う。海軍は比較的抑えが効いていた。
日露戦争物語で野津が出ていたな。
この漫画に出てくる薩摩隼人は皆カコイイね
意外な事に現時点で一番情けなく描かれてる薩摩人は伊東提督w
伊東も薩英戦争では敵艦への斬り込み隊に名を連ねた命知らずなのだが・・・
101 :
日本@名無史さん:03/12/16 10:19
なんで伊東祐亭がダサク描かれているのだろう?
日清戦争のときの海軍司令長官で、
北洋艦隊の丁汝昌に対する降伏勧告や遺体に対する処置は、
武士道の鑑と称せられているんですがね。
(士魂の提督 伊東祐亨―明治海軍の屋台骨を支えた男 PHP文庫)
102 :
日本@名無史さん:03/12/16 10:27
小倉壮九郎は城山陥落の日に切腹。
その弟の東郷平八郎は山本権兵衛らと英国留学し、
西南戦争には加わらず、戦後の日本海軍の栄光の時代を創っていますね。
斉彬、西郷の東亜経綸が受け継がれたと見るべきでしょうか。
103 :
日本@名無史さん:03/12/16 10:35
日露戦争物語で「何を言うか、勝つに決まっちょる。ロシアには」と言い放った川上操六にシビレた。
川上も野津も凛々しく描写してるんだよね。
一方山縣の顔には悪意が露骨すぎw
おいおい・・・小林よしのりの悪魔顔かよっ!?w
104 :
日本@名無史さん:03/12/16 10:48
薩摩隼人は絶滅寸前
105 :
日本@名無史さん:03/12/16 10:52
悪く書かれがちな山縣だけど、
西郷さん自身は、長州閥の金権不祥事があったとき、
山縣の才能を惜しんで、彼を失墜させなかったんですよね。
山縣も大隈などと違って、生涯、西郷のことは悪く言わず、
西南戦争での攻め方もかなり緩いものにして、
西郷が死なない方策を探っていたようです。
その後陸軍が長州閥に独占されてからは、
急速に合理性が失われていったことは確かですが。
ヤッセンゆとり教育を撤廃し、全国に凄惨極まる郷中教育を実施すっが良か。
たちどころに日本全国薩摩武士状態でごわんそ
107 :
日本@名無史さん:03/12/16 11:58
おれたちの高校生時分からすでにその傾向はみられたが、
いまどきの高校生はあんまりけんかしねえよ。
都会の高校生の方がいまはやっとるんじゃないか?
武力的に都会もんの方が上だとおれは思うがね。
強い薩摩は昔の話よ。
108 :
日本@名無史さん:03/12/16 13:49
多くの有能な人材を死に至らしめた西郷は馬鹿野郎
109 :
日本@名無史さん:03/12/16 14:20
西郷を追い出した長州人が馬鹿野郎。
110 :
日本@名無史さん:03/12/16 14:59
111 :
日本@名無史さん:03/12/16 15:01
大久保は許す。
112 :
日本@名無史さん:03/12/16 15:23
それ以前に長州人を追い出した佐賀人が馬鹿野郎
113 :
日本@名無史さん:03/12/16 15:31
追い出されるようなことをした長州人が馬鹿野郎。
114 :
日本@名無史さん:03/12/16 18:15
>>105 戦闘に長けた将官は薩摩軍人ばっかだったけど海軍の
山本みたいな政治軍人がいなかったからな。
長州は児玉除いて将官ではクソ軍人ばかり。
115 :
日本@名無史さん:03/12/16 19:27
長州人は維新前も維新後も一貫して馬鹿野郎。
116 :
日本@名無史さん:03/12/16 21:41
桐野が諸悪の根元
>>114 お前さんが児玉しか知らんだけちゃうんかと(ry
118 :
日本@名無史さん :03/12/16 21:48
個人は個人が優れていただけ。
長州,薩摩は関係ない。
長州にも薩摩にも会津にも佐賀にも仙台にも優れたやつはいるし馬鹿もいる。
114は司馬遼太郎だけで明治を語ってます
長州で早死にを惜しまれるのは、福原和勝とか小坂千尋あたりか。
121 :
日本@名無史さん:03/12/16 22:29
>>120 ばかおっしゃい(笑)
久坂玄瑞・吉田稔麿は惜しすぎる。長井雅楽も生きてたら英才だったと思う。
長州も結構いるよ。
122 :
日本@名無史さん:03/12/17 00:07
>121
久坂がそれ程の人物とは誰も思ってないんじゃ?
123 :
日本@名無史さん:03/12/17 00:39
久坂って先走り汁でしょ
124 :
日本@名無史さん:03/12/17 01:27
よくわからんが桐野が悪いと思う。
125 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:26
桐野を私学校の親玉にした西郷も悪いといえば悪い。
126 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:33
桐野の京在日記を読むと
彼が文字も書くことができ、
和歌を詠むことができ、
けして無教養な人間ではなかったことがわかる。
同様に、
桐野ひとりのせいで西南戦争が起きたとか
負けたとかいうのは間違いであると思われる。
127 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:55
西郷さんがお国に逆らったりするわけが無い
↓
全部桐野が悪いんだー!
128 :
日本@名無史さん:03/12/17 14:57
>>126 文の前段と後段に脈絡がない。
悪文の典型だな。
そして、西南戦争は桐野一人の戦争。
>西南戦争は桐野一人の戦争。
一人であの規模の戦争を起こせるのなら、桐野は史上有数の英雄といってよいな。
130 :
日本@名無史さん:03/12/17 17:24
>>129 英雄とはいわんよ、ああいうののことは。
梟雄でも褒めすぎ。
桐野は全然梟雄とか姦雄タイプではないと思うけどね
単なる元気者のチャンピオンというか、
それプラス多少のものはあったのかなという程度の印象
132 :
日本@名無史さん:03/12/17 18:03
桐野英雄説と国賊説があるようですね
133 :
日本@名無史さん:03/12/17 18:58
まあ成功した国賊を英雄といい
失敗した英雄を国賊と呼ぶという、という考えもあるので
むしろそういったものじゃなくて、桐野は
ただのDQNだったという実も蓋もない考え方もある罠
134 :
日本@名無史さん:03/12/17 20:44
桐野はただのDQNでしょ。西郷も桐野に戦争を預ければ
必ず死ねるって思ったから座ってるだけだった。
ある意味桐野は西郷に利用されたと言えるな。
135 :
日本@名無史さん:03/12/17 21:44
なんで桐野ってこんなに不人気なんだろう
136 :
日本@名無史さん:03/12/17 23:48
半次郎は好きだが桐野は嫌い。
137 :
日本@名無史さん:03/12/18 00:02
俺も、半次郎の時分の彼は好き。
維新後、陸軍少将桐野利秋になってからの彼は、
自己増長甚だしくて、薩摩人としてみても、嫌い。
138 :
日本@名無史さん:03/12/18 00:28
永山弥一郎
鳥羽伏見では戦い進むほど、衣服を脱いでふんどし姿で戦ったらしい。
この人は熊本の御船で最期を迎えたが、地元の人の崇拝を集め祀られたほど。
この人の写真は西郷の贋写真としては最も多く出回っていた。
139 :
日本@名無史さん:03/12/18 00:41
桂は好きだけど木戸は嫌い、みたいなもんか
140 :
日本@名無史さん:03/12/18 01:36
>>139 ちょっと違う。
桂は小五郎の頃から長州藩の重臣。責任感はむしろ幕末の頃の方が強く持っていた。
半次郎は足軽の子で西郷の二才。無責任でいられた。
141 :
日本@名無史さん:03/12/18 02:43
征韓派が勝ってたら桐野が元老になってたかもしれないんだぜ…
山縣より悲惨なことになるぜ…
142 :
日本@名無史さん:03/12/18 10:33
征韓派が勝ってたら西郷、江藤、前原、板垣らが復帰し、
汚職顕官を一掃して道義的近代国家の道を歩んだであろう。
外遊派が全然成しえなかった条約改正も早期に解決したであろう。
143 :
日本@名無史さん:03/12/18 13:31
西郷が生きている限り、桐野は自分勝手に行動しないだろ。
なんたってバカなんだから、西郷という後ろ盾なくしてなにができよう。
144 :
日本@名無史さん:03/12/18 23:34
村田新八は惜しい。ほんと惜しい。
145 :
日本@名無史さん:03/12/18 23:40
田原坂ではアコーディオン奏者だな、確か。
146 :
日本@名無史さん:03/12/19 00:25
桐野のせいで村田という貴重な人材が・・・
>>138 そのふんどしいっちょで、というのはどのあたりに載ってました?
永山について調べてるんですが、思ったほど史料があつまらなくて・・・
鳥羽伏見では桐野の隊よりも先に敵軍を突破し、分捕った敵方の刀を担いで
引き上げてるところ桐野とばったり出会う、なんてエピソードには出くわしたんですが。
父の名前は休悦、元茶坊主、寺田屋事件のとき寺田屋に居たが若年だったので謹慎処分、
その後黒田清隆と行動を共にし、坂本竜馬との連絡役をし、鳥羽伏見、奥州戦線を
戦って後、永山武四郎とともに黒田を補佐して屯田兵の指揮にあたり、
黒田が千島樺太交換条約案を持ち出したのに抗議、鹿児島に帰る。
西南戦争に最後まで反対するものの桐野の説得を受け参戦、八代に上陸した
黒田(堀・永山武四郎指揮の屯田兵隊も含)の軍と交戦、御船で散る、という
感じでしょうか。
148 :
日本@名無史さん:03/12/19 03:37
>>147 出典は、財団法人西郷南洲顕彰会の「敬天愛人誌 第20号(2002年版)」
P281-284「錦絵にあらわれたる薩人 月岡芳年の鹿児島明暗録」からです。
ふんどし姿で剣を振るっている永山の錦絵が掲載されています。
その錦絵の上には説明文が書かれており、該当箇所だけ抜き出しますと、
「略 維新の際、薩兵四番隊の監軍となり、数回の戦争に功ありしも、
毎戦必らず素肌となり、敵の先途に進みしとぞ 略」
とあります。
この説明文は弥一郎の生涯を略述しており、
お書きになられたものと大略一致しているようです。
また、お書きになられた桐野に関するエピソードにも触れられておりまして、
永山に対する桐野評として、以下の言葉が紹介されています。
「弥一郎の大胆にして敏捷なる、吾らの企て及ぶところにあらず。
戊辰の役、余、伏見に於て、先登一番に敵陣に斫入したりと思いしに、
弥一郎は既に敵中より分捕したる刀剣を担いて、悠々帰り来るに会したりき」
なお、錦絵の現物は、鹿児島県立図書館に所蔵。
この論考の著者は、江戸東京博物館司書の方とあります。
敬天愛人誌は、大きな図書館で閲覧できると思います。
以上
149 :
日本@名無史さん:03/12/19 13:06
村田新八はなぜ西南の役で散るはめになったのだろう?
桐野とは全然意見が違うでしょう。なぜだ?
150 :
日本@名無史さん:03/12/19 23:30
>>145 翔ぶが如くでもアコーディオン弾いてるね。
やはり西郷に殉じるつもりで参戦したのかな。
151 :
日本@名無史さん:03/12/20 00:23
あれほどの逸材も、散ってしまうんだからなあ。
桐野ひとり腹切れば良かったのに。
152 :
日本@名無史さん:03/12/20 00:39
もったいないのは
村田・永山 ほかは?小兵衛あたり?
153 :
日本@名無史さん:03/12/20 01:00
村田ってどの辺が逸材なん?
まさか「勝がそう言ってたから」とか言わないよな
154 :
日本@名無史さん:03/12/20 01:02
>>153 村田は惜しかったっていうのはみんないってるぞ。
大久保もいってた気がするし、有名なのは木戸がいったやつ。
>>148 ありがとうございます。
弥一郎について調べると、その人柄がなんとなくですが分かってきて、
楽しい人物だったんだろうなというのが今の私の感想です。
でも、脱ぎ魔だったというのは知りませんでした(笑)
ご子孫の方は今どちらにいらっしゃるんでしょうね。
156 :
日本@名無史さん:03/12/21 01:17
>>152 将来どういう人物になったかはわからんが
西南戦争についての考え、戦略眼を考えたら
野村忍介もかも。
157 :
日本@名無史さん:03/12/21 13:56
158 :
日本@名無史さん:03/12/29 14:51
村田は維新前・後を通じて「新八」という名乗りで通していたように見えるけど、
政府要人が名乗った「いかにも諱名」っていう諱名は使っていなかったのかな?
もし田原坂で死なず、大久保らに同調して政権運営に参加していたら、
それなりに名乗りも変えていたんだろうか?
159 :
日本@名無史さん:03/12/30 18:20
>>158 江藤新平もそうだけど、あのころ、名乗りを変えなかった人も結構いたんだよ。
四民平等、戸籍の件は明治4年頃だったはずだから、
新八は新八で登録しているはずです
160 :
日本@名無史さん:03/12/30 23:38
そろそろ「戦場のアコーディニスト」って映画でも
作って欲しいものですな。浅田二郎あたりが新八さんで
なんか書いてくれないかな。
結構泣きそうだ。。。
161 :
日本@名無史さん:03/12/31 00:14
しょせん桐野は人斬り風情のDQN。
人の上に立つ器ではない。
そんな桐野を重職に就けた西郷も駄目だな。
人を見る目が無い。
162 :
日本@名無史さん:03/12/31 07:39
163 :
日本@名無史さん:03/12/31 08:50
やれやれ、アンチ桐野が暴れてるな
165 :
日本@名無史さん:03/12/31 10:40
キリノのチンコしゃぶりたい
ペロっとね
>>158 村田の諱名は経満。
ちなみに江藤は胤雄
167 :
日本@名無史さん:03/12/31 17:06
桐野の本質
本質と言えるほどの思想も無い。
ただ単に西郷に仕えるだけの目立ちたがり屋だろう。
168 :
日本@名無史さん:03/12/31 17:48
桐野利秋と言えば、前名を中村半次郎と言い、「人斬り半次郎」という異名を持つ人物として非常に有名です。
桐野を主人公にした小説や講談では、彼は豪放磊落、典型的な薩摩隼人を象徴する人物として描かれ、桐野利秋と聞くと、「荒々しい武者」というイメージを想像される方が多いのではないでしょうか。
しかしながら、小説などで描かれる桐野の姿やエピソードには、たくさんの虚説が入り交じっているため、彼の持つほんとうの実像とは大きくかけ離れた虚像が一人歩きし、彼の評価を歪めている現状になっていると私は感じています。
西南戦争後、桐野は全ての戦争責任を負わされ、西南戦争を引き起こした張本人としての評価を受け、「無思慮な人物」、「無教養者」、「荒くれ者」などという悪名高いレッテルを貼り付けられました。
俗に西南戦争のことを「桐野の戦争であった」と称されることがありますが、これは余りにも桐野にとって酷な話だと思います。
西南戦争は、桐野一人が原因で起きた戦争でないことは歴史の事実ですし、また、桐野一人が戦争を起こそうと考えたとしても、あれだけの大規模な戦争を起こせる訳もないのです。
西南戦争が起きた原因は、西郷隆盛を始め、桐野利秋、篠原国幹、村田新八などの薩摩軍関係者、そして、大久保利通を中心とする政府関係者、いずれにも少なからず責任があるのです。
歴史というものは、たった一人の人物が作り上げられるものでもなく、また、たった一人の人物が変えられるものでもありません。
色々な複合的な要素が組み合わさって、初めて一つの歴史が動き出すのです。
西南戦争という一大戦争も、その例外ではないと言えるでしょう。
西南戦争が「桐野の戦争」であったと言われるようになったのは、戦後、政府が行った徹底的な桐野叩きの影響が大きいと私は考えています。
このように桐野利秋という人物には、たくさんの虚説がつきまとい、そして現代においては、その実像が見えにくくなっています。
実際の桐野利秋という人物は、いかにも薩摩隼人らしい豪快な部分と、そして繊細で非常に思慮深い一面と、二つの要素を兼ね備えた人物であったと私は考えています。
その桐野の真の実像に近づくために、少しづつ彼に被せられた虚説のベールをこれから剥いでいきたいと思います。
ちゃんと見ろ
169 :
日本@名無史さん:03/12/31 20:10
江藤と板垣が政権中枢にいれば良かったのにな。
170 :
日本@名無史さん:03/12/31 21:22
>>168 桐野は戦争指導がDQNだから叩かれるんだよ。
おまえあの戦略を批判せずにいられるか?
あんなアフォが年功序列の厳しい薩摩武士の
上にたったのが薩摩の不運。永山、野村などが
指導してたらもっとやりようはあったろ。
171 :
日本@名無史さん:03/12/31 22:01
あぼーん
173 :
日本@名無史さん:04/01/14 14:54
桐野はゴミ男だったっていう事は、ここのみんなの書き込みでよくわかりました。
174 :
日本@名無史さん:04/01/14 15:56
175 :
日本@名無史さん:04/01/14 16:09
篠原もゴミだね。辺見も。
村田だけだな。惜しいのは。
176 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:35
なあ何で西郷軍はもっと緻密な作戦を立てなかったのだろう
あんなにもたもたしてたから九州から出られなかったんだよ
しかも弾薬は政府軍のほうが圧倒的に多いから長期戦は不利なんだよ
なぜ熊本城に固執していたかだよ
まずその点がおかしい
もし西郷軍の行軍速度が速かったら歴史は変わっていたかもしれないのに
178 :
日本@名無史さん:04/01/16 15:01
だから桐野がバカだからだろ。
179 :
日本@名無史さん:04/01/16 16:11
村田は[軽装上京し、政府の非を鳴らすべき」と主張。
180 :
日本@名無史さん:04/01/17 00:52
小兵衛、忍介は熊本城は抑え程度の兵をおいて
兵を進め一軍を持って長崎を襲えと主張。
181 :
日本@名無史さん:04/01/17 01:00
勝海舟は「かれは暴徒にあらず、大久保利通に次ぐ傑物なり。
惜哉、雄志を抱きながら、不幸にして賊名を負うとは…」と主張。
183 :
日本@名無史さん:04/01/17 21:52
184 :
日本@名無史さん:04/01/17 21:56
勝の人物評なんて信用できん
185 :
日本@名無史さん:04/01/17 22:01
別府晋介だろ。
186 :
日本@名無史さん:04/01/17 23:50
桐野と篠原ってどっちが強かったの?
取り巻きとは酷いな一人しか思い浮かばん。
ソンパーン
188 :
日本@名無史さん:04/01/18 08:17
別府もカス
189 :
日本@名無史さん:04/01/18 19:13
お前ら、今日の「特命リサーチ200XU」(日本テレビ)を見ろよ。
2004年1月18日 19時58分
一九九一年、秋田県角館町の旧家の蔵からある写真が発見された。
蔵の管理人によると、この人物は西郷隆盛だという。
だが、写真の人物は、太いまゆに大きな目、
がっちりとした体形が特徴とされる、
私たちがよく知る西郷の印象とは全く違う。
だが、調査を進めると驚くべき事実が判明。
私たちが一般にイメージしている西郷の顔は、
ある画家が西郷の二人の親類の顔を基に想像して描いた肖像画であるという。
写真の人物が本当に西郷なのかを検証する。ほか
190 :
日本@名無史さん:04/01/18 21:05
>>189 違ったじゃん。
トリビアの泉でやったネタだし。
191 :
日本@名無史さん:04/01/18 21:11
さっきテレビでやっていたけど
西郷隆盛の顔は違う顔なの?
192 :
日本@名無史さん:04/01/19 00:21
上野のせごどんの銅像が出来たとき奥さんが
「この人誰?」って言ったのは有名。
193 :
日本@名無史さん:04/01/19 10:53
桐野最悪。子孫とかいるのか?うぜえ。
194 :
日本@名無史さん:04/01/19 14:11
桐野だけはガチ
195 :
日本@名無史さん:04/01/23 21:26
誰かが後ろから打ち殺しとけば良かったんだよ、桐野なんか。
196 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:21
桐野が死んでも篠原がいたら結果は同じ。
197 :
日本@名無史さん:04/01/23 23:35
>192
それは服が着流しだったため、「主人はこんなだらしのない格好で人前
に出るような人ではない」ってことらしい。
198 :
日本@名無史さん:04/01/24 23:39
>>197 着流しで狩猟ってすんの?
うちの人は犬の散歩なんかしないとも言ってたらしいね。
200 :
日本@名無史さん:04/01/26 15:32
200チェスト!
野村忍介の話題があまり出ないな。
篠原や桐野が足引っ張らなかったら、もっと大暴れしただろうに残念でならん。
202 :
日本@名無史さん:04/01/26 17:25
>>201 忍介は天才だったけど、
「死ぬるが怖かと?」くらいの事をいわれただけで閉口するようじゃまだまだ。
203 :
日本@名無史さん:04/01/28 00:24
ようするに桐野と篠原がいなかったら九州を(1時的にせよ)
切り取ってた可能性もあったってこと?
204 :
日本@名無史さん:04/01/28 00:44
桐野と篠原がいなかったら西郷は天寿を全うしたろうさ。
205 :
日本@名無史さん :04/01/28 01:46
辺見の顔はヘン
206 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:47
>>204 桐野らがいなくても辺見などの若手DQNに
結果的に担ぎ上げられる。ただ桐野たちが
いなけりゃ村田や永山が上にたったから
戦争の様相も随分違ったものになったはず。
村田や永山が上だったら、西南戦争自体起こってないと思うが。
208 :
日本@名無史さん:04/01/30 20:00
鹿児島が政府に臣従しない限り、政府は延々挑発を続け
やがて暴発しただろ。
>>208 当時の鹿児島は日本とは別に九州に一国ある状態だからな。
維新がどういう事情で成立したか分かっていながら、
西郷が私学校を容認した罪は大きい。
それに乗っかって偉そうにしていた桐野や篠原はクズ。
210 :
日本@名無史さん:04/02/12 18:50
西郷もクズだからな、明治5年以降は。
211 :
日本@名無史さん:04/02/12 23:27
>>210 せごどんはクズ山の大将ってことか。
野村の策が採用されてれば・・・
212 :
日本@名無史さん:04/02/13 12:19
村田新八はどう評価するよ。
歯止めにならなかったから、バカなのか。
213 :
日本@名無史さん:04/02/14 09:01
村田新八は男としては見事だけど、人間としてはどうかな?
西郷への義理に殉じるより、国の将来を支えるべきだった惜しい人材だけど
結果からしたら所詮、何事もなさなかったとしか言いようがない。
214 :
日本@名無史さん:04/02/14 23:50
215 :
日本@名無史さん:04/02/15 00:05
216 :
日本@名無史さん:04/02/15 08:44
やれやれ、これだから村田信者は…
217 :
日本@名無史さん:04/02/15 13:15
益岡徹
村田はなあ。
大勢を見る目があって、西郷が薩摩にいることで反政府勢力に利用されるのを
なんとか防ごうとしていたけど結局西郷という存在の大きさと、
薩摩という風俗でその目論見が挫折したからなあ。
川路程割り切らず、桐野・篠原程DQNじゃなかった。
村田はその間で何を思ったか。
と感傷にふける。
219 :
日本@名無史さん:04/02/16 23:33
>>218 それを言うなら縦道や巌の立場はどうなる?
もっと複雑だと思うが。
220 :
日本@名無史さん:
大山弥助