写真で見た限り俺にはあわねー
花の色は 移りにけりな いたづらに
わがみよに降る ながめせしまに
(百人一首より)
3 :
日本@名無史さん:03/11/14 19:17
どうでも良いけど、漢字違うよ。
わが身世にふる だよ
昔の価値観と今の価値観はちがうぜよ
1よ
今生きてたらきっとぶすだぜよ
5 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/14 19:44
写真というと・・・『玉造小町壮衰書』を絵画化した『小町老衰図』の事ですか。
それとも『九相図』?何時から美人だという話が始まったのでしょう。
6 :
日本@名無史さん:03/11/15 02:02
スレ違いかもしれんが
清少納言は今でいうアムロ顔だったらしい
褐色の肌の目がぱっちりで小顔で髪が茶色っぽかったってさ
で、その時代顔が醜いといわれてた
7 :
日本@名無史さん:03/11/15 02:39
思ひつゝ 寢ればや人の 見えつらむ
夢と知りせば 覺めざらましを
8 :
日本@名無史さん:03/11/15 02:55
長髪の姿しか知らないけど(絵にも書けない美しさ)かわいいより美人でしょ。
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : \
冒 /.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
l l ,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',
./〜ヽ{:: : : : :i '⌒' '⌒' i: : : : :} ________
|__| {:: : : : | ェェ ェェ |: : : : :} /
. .|| 小.|| { : : : :| ,.、 |:: : : :;! <
>>1 糞スレ立てんな、蛆虫、飲め。
/| 便.||_.ヾ: :: :i r‐-ニ-┐| : : :ノ \
|  ̄ -!、 ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐′  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| −! \` ー一'´丿 \
ノ ,二!\ \___/ /`丶、
/\ / \ /~ト、 / l \
/ 、 `ソ! \/l::::|ハ/ l-7 _ヽ
/\ ,へi ⊂ニ''ー-ゝ_`ヽ、 |_厂 _゙:、
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冒 /.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
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>>1 糞スレ立てんな、蛆虫、飲め。
/| 便.||_.ヾ: :: :i r‐-ニ-┐| : : :ノ \
|  ̄ -!、 ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐′  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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/ 、 `ソ! \/l::::|ハ/ l-7 _ヽ
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11 :
日本@名無史さん:03/11/20 21:50
マクドナルド社は日本から出ていけ!!!!
この蛆虫!!!!!
うち前マック勤めてたけど、食べ物を粗末にするのはよくないね
三|三
イ `< ,..-‐−- 、、 _|_
 ̄ ,ィ":::::::::::::::::::;;;;;:ii>;, |_ ヽ
∧ /:::::::::::::::;;;;;;;;iii彡" :ヤi、 (j )
/ \ .i::::::::::::;:"~ ̄ ::i||li
.|:::::::::j'_,.ィ^' ‐、 _,,. ::iii》 _ヽ_∠
└┼┘ |:::i´` `‐-‐"^{" `リ"゙ lニl l |
. |_|_| , 、 ヾ;Y ,.,li`~~i l─| l 亅
__ ヽ ヽ. _ .` i、 ・=-_、, .:/ _
/ } >'´.-!、 ヽ '' :/ l `ヽ
´⌒) | −! ` ‐- 、、ノ丿 \ l/⌒ヽ
-' ノ ,二!\ \___/ /`丶、 _ノ
/\ / \ /~ト、 / l \
14 :
日本@名無史さん:03/11/24 11:14
昨日のNHKの36歌仙は良かった
保守
保守
保守
18 :
日本@名無史さん:03/12/16 23:42
革新
19 :
日本@名無史さん:03/12/16 23:55
>>6 こういうのって、どうなのかな。
いつも歴史上の美人不美人の基準って、パーツに関する事ばかりだよね。
現代でもパーツの条件が揃ってても、整ってなければ美人じゃない。
かぎ鼻、つり目ってのも、芸能人でいうと小雪とか該当する。
この人は美人とされてる。
宣教師が描いた信長の肖像画も、今見ても男前だった。
20 :
日本@名無史さん:03/12/23 09:41
小町ちゃんはあまり風呂に入りません。
それを香でごまかす。
21 :
日本@名無史さん:03/12/25 14:30
小町っていくら美人でもマ○コが塞がってたんでしょ。
保守
保守
保守
25 :
日本@名無史さん:04/01/17 05:35
小町老衰図ってなによ?
26 :
日本@無名史さん:04/01/18 01:12
小野小町が美人と言われるのは彼女に惚れた男が100日もかけて求婚したからきっと美人に違いないという伝説があるから
27 :
日本@名無史さん:04/01/19 05:41
彼女って先天的な障害でマンコの穴がなかったんでしょ?
確実に女性なんだけど、つながってたらしい。
28 :
日本@名無史さん:04/01/19 05:44
>>1 写真???
>>27 俗説
逆説の日本史では、不遇な人だったから「美人」と称された(当時の怨霊信仰から)っていうまとめ方だったよな
29 :
日本@名無史さん:04/01/19 05:48
小野真弓の方が可愛いに10億円
30 :
日本@名無史さん:04/01/19 05:54
31 :
日本@名無史さん:04/01/19 06:50
小野のイモ子といい勝負
32 :
日本@名無史さん:04/01/19 07:00
>>27>>28 そんな俗説あるの?
初耳だぞ?大体そんな奇形ありうるのかね
整理とか困るじゃん
33 :
日本@名無史さん:04/01/19 15:23
>>32 現代でいう鎖陰症(処女膜閉鎖)だったと言われている。
だから裁縫で使う穴の無い針をまち針というが元々は小町針から来ている。
・・・と何かで読んだ。
34 :
日本@名無史さん:04/01/19 21:50
>>32 男を拒み続けた→実は男に見せられない体だったのでは!?→マソコがないのかも!?→(゚д゚)納得
35 :
日本@名無史さん:04/02/06 03:50
しかし、いまどきの2ちゃんねらーは、さすがに、
女帝と女系の区別はついてるだろ??
日本古来から女帝はOK。
日本古来から女系は厳禁。
つまり愛子は、男系の女帝なのでOKだが、
愛子の子供は、皇族・旧皇族以外が父親だと、皇位につけない。
36 :
日本@名無史さん:04/02/06 03:59
>>35 敬宮殿下が次の皇太子妃になればいいんだよ
花の愛子はうつりにけりな父親に
顔も目鼻も瓜二つなり
38 :
日本@名無史さん:04/02/06 23:20
>>37 花の愛子はうつりにけりな父親似
顔も目鼻も瓜二つなり
しゃれこうべは野ざらしに
40 :
日本@名無史さん:04/02/07 00:07
小野氏って在地系の姓だから、渡来人のチョン顔じゃなくって、
倭人系のお目目パッチリ二重まぶたの現代風美人だったんでねえの。
41 :
日本@名無史さん:04/02/08 22:01
42 :
日本@名無史さん:04/02/08 22:03
朝鮮顔のアイコは半島にカエレ
43 :
日本@名無史さん:04/02/08 22:09
今の日本人と当時の日本人ではかわいさの基準が違う
>42
うーむ、朝鮮顔(女)について研究中(ド素人級だが)だ。代表的と思われる、
名前忘れたが江角の友人で作家(映画化された)のなんたらは非常にわかりやすい。
ソニンも髪をあげると、あっ、なんか違うという感じがする。アイコはどーかなー?
北朝鮮とかの映像を見てデータを蓄積するしか素人には手が無い。南朝鮮は
古くからのの倭人(元を正せばモンゴロイドだけどさ)の影響も強いだろうから
見極めは更に難しい。まー現日本人も色々だからね・・・とにかく朝鮮人探しは
楽しいね!
保守
46 :
日本@名無史さん:04/02/28 06:04
『小町老衰図』
オカメに決まってまつ。
48 :
日本@名無史さん:04/03/06 16:42
なんか三大美人だっけ?
当時のことだから身長130cmくらいだったんだろうな。
50 :
日本@名無史さん:04/03/24 20:49
花の色は 移りにけりな いたづらされちゃう
清少納言はやはり倭雌らしいのう(w
52 :
日本@名無史さん:04/03/24 21:42
シ青少糸内言
53 :
日本@名無史さん:04/04/10 22:38
今の基準からはドブスだったりして
54 :
日本@名無史さん:04/04/25 11:08
それは言えてるな
55 :
日本@名無史さん:04/04/25 11:11
どうして全国28都道府県にも及ぶ「小野小町ゆかりの地」が日本中にあるのでしょう。
滋賀県、京都府、秋田犬は良いとして、残りの25府県は???
57 :
日本@名無史さん:04/05/08 18:18
秋田犬って…
小野小町って、秋田美人なの?
58 :
日本@名無史さん:04/05/08 20:25
ビバ!こまちでしょ
ね おじゃるくん
59 :
日本@名無史さん:04/05/30 18:13
ぱいぱんだったらしいぞ
60 :
日本@名無史さん:04/05/30 19:40
>>19 >かぎ鼻、つり目
引き目鉤鼻な。
糸を引いたような細目は華北の顔。
引きつったようなツリ目や寄り目の朝鮮顔とは違う。
あれは満州人の顔。
当時の基準からしたら美人だろ。
今の美人だって1000年後どうかなんてわからん。
何年か前にテレビで
「未来の美形はこんな感じ」というシミュレーションをやってた
(設定は数十年後ぐらいで男)んだが
異様にアゴが細くて逆三角形で目がデカイ、まるで宇宙人。
当時は「げ〜」って感じだったのに
最近の芸能人は本当にアゴが細く、目もデカくなってきた。
まさにあの映像に近付いてきてる。
1000年後...どんなのが美人だろうな....
63 :
日本@名無史さん:04/07/03 05:12
小野小町は、今から1200年程昔の
809年、出羽の国・福富の荘桐の木田(現在の雄勝
町小野字桐木田)に生まれました。
幼い頃から歌や踊りはもちろん、琴、書道となんで
も上手にこなし、13才の頃には都へのぼり、都の風
習や教養を身につけました。
64 :
日本@名無史さん:04/07/03 07:40
世界三大美人の一人であるクレオパトラも、実は大した美人ではなかったらしい。
ただしそれは、「現代でいうところの美人の基準」に照らし合わせた場合の話。
美人の基準なんて、時代や地域によって変わるってことだ。
1000年後も同じ様なこと言ってるんだろうなぁ・・・
66 :
日本@名無史さん:04/07/03 11:04
小野小町の出身の秋田って
当時まだ蝦夷の影響残る最前線じゃん
67 :
日本@名無史さん:04/07/03 12:17
歌を詠むのが上手いのも美人の条件
68 :
日本@名無史さん:04/07/03 19:07
小野小町は考えている。
「うちの子、もうそろそろ、元の顔に戻させたほうがいいかしら?」
娘も考えている。
「アレが元の顔に戻すなら、私も戻そう。」
考えることもやることも大体同じ。
69 :
日本@名無史さん:04/07/03 19:17
アレは考えている。
「ノーマークの超一流スナイパー、自主的に止めるまでは放置プレイ。」
見た目じゃごまかされない。
>66
809年というと
日本海方面は712年に出羽国ができてるからね。
もうすでに最前線ではないと思う。
既に征服済み。
蝦夷との混血であった可能性はなくはないが。
最後まで抵抗したのはアテルイがいて日高国があった太平洋側。
71 :
日本@名無史さん:04/07/03 19:30
二人の小野小町
72 :
日本@名無史さん:04/07/03 19:36
いくらなんでも、女にまでやるか?
>>70 小野小町は六歳で小野に帰ってきたのだから、両親とも日本人だろう。
>>63 京へ上ったのは十七歳の時、十三歳からは八瀬にいた。
75 :
日本@名無史さん:04/07/14 00:00
美人という観念は人夫々違う。
小野小町の顔を不明にしておけば
誰でも小野小町は美人に映るのである。
昔、小倉百人一首で正面を向いた小野小町の絵の札を
見た事あるが、美人とは言いがたい顔・・・
まあ時代によって美しさの価値観は違うからねえ。
現代でもトンガ辺りでは
太ければ太いほど美人らしいし。
首が長ければ長いほど美人という土地もあるし、
耳たぶが長ければ長いほど美人という土地もあるな。
79 :
日本@名無史さん:04/08/10 07:50
最近の3Dより2D派にとっては、顔において目が占める面積がでかいのはいいことらし
80 :
日本@名無史さん:04/08/10 19:59
>>63 >>66 秋田の小町伝説は、後世につくられたものだと思います。
中世にその時代を領有していた小野寺氏が関係しているんじゃないでしょうか?
小野の寺=小野寺、もとは下野国岩舟の土豪(秀郷流藤原氏)です。
小町時代の小野氏が出羽出身という記録があるのを、利用したのでしょう。
81 :
日本@名無史さん:04/08/10 23:11
これは一種の御霊信仰なのです。美人であったかどうかは関係ない。
悲運な天皇の名に「徳」(安徳・崇徳・順徳など)が付き、鎌倉権五郎が勇者だったの
と同じこと。
徳がないから悲運を招くと当時は一般的に信じられていたからこそ、「徳」の字をあえ
て付けて慰霊したわけです。
それでいくと、小野小町はむしろ、文学的才能は溢れるほどであったのに、実はたいへ
ん醜いために数々の辛酸をなめた女性、、、ということも考えられます。
82 :
日本@名無史さん:04/08/10 23:52
良くわからねーけど、やっぱり可愛いかったんじゃないの?
最後は物乞いになったんだよね
84 :
日本@名無史さん:04/08/11 00:11
そして、ドクロが「ヒューヒュウー」鳴ったとか
>>83、84
それはじゃな、美しさに傲慢になって深草の少将ほか
たくさんの男をないがしろにして生きてきた結果、
こーゆー悲惨な末路を迎えるんだよ・・・・というような
教導的な創作話の数々なんじゃよ。
イイ話じゃないか
現代の女どもに是非とも懇切丁寧に聞かせてやりたいな
小野小町がそういった不幸になる話が多いのは、
小町が、政権が藤原氏に完全に掌握されるちょっと前の人だから
藤原氏が台頭してきた時代に、彼らより優れた才女がいたというのが苦々しく思えたのだろう
さらに、旱魃が続いた時期、老いたる小町が天に歌を捧げたら雨が降りはじめた事例なんかも、彼らのプライドに傷をつけたんだろう。
さらに江戸時代になって男尊女卑が徹底してくると、「恋多き女」は不貞とされ陥れられた。
「恋多き男」在原業原はなんの天罰もくらってないのにな。
基本的に仏教における小町イジメは非道いものがある
実際の小町は、元天皇の后で、荘園も大量に持っていたので悠悠自適の老後だったと思われる。
後に小町の孫って人の歌があることから、穴なしでもない。まぁ、その孫ってのは確かな証拠はないらしいが
なんとかの賦には、小町の肉体は、グラマーで柳腰のフェロモン溢れる女性と書いてある。
この賦の作者は実際に小町を見てるであろう世代。
尤も、その頃の小町はバーサンらしいが、逆をいえば歳とって尚、若かりし日の色香がありありと想像できる女性だったのであろう。
性格においては文屋康秀が「今度東に下るんだけど、よかったら一緒に観光がてらに一緒にどうですか?かって天皇の后だった方と供に旅を出来れば老い先短い私の思い出になるのですが…」と歌て送ったのに対し
「こんなオバサンでいいならよろこんで。そんなに卑屈にならないで、もっと気軽に誘ってくださいな」と歌で返した辺り、気さくであけっぴろげな美人だったのでは?
もっとも、そんな性格だから仏教や儒教に嫌われたんだろうが。
顔はね、「あまりの美人なので、小町は後向きにしか描かれなかった」って伝説がありますね
江戸時代ってけっこう性に対しては奔放だったはずだぞ。
厳しかったでしょ?
黄本とかの禁止とかは教科書にものってるじゃん
>>89 エロに厳しかったのは寛政や天保あたりの改革の時期だけじゃねーか?
こち亀の小野小町は結構かわいいよ。
こち亀はもう完全なダメ漫画になった・・・
93 :
あべシンゾウ:04/09/04 01:17
あげとくか
昔の美人と今の美人は基準が違うというが
おいらんの写真とか見ると
現在とそれほど価値観は変わってない。
やはり今も昔も美人は美人でブスはブス。
>>87 大江朝綱の男女婚姻賦のことですね。
小野小町の没年は、大江朝綱が15歳頃のときと推測されるので、
多少の誇張はあるにしても、小町が美人であったことは間違いないでしょう。
古今集目録に端を発する出羽国出生説よりは格段に信憑性が高いといえるでしょう。
>>94 その通りですね。
デブが、平安時代なら自分は美人だったのにと言うのを、へえーっと思った時期もあったけど…。
幕末、明治初期の一般人の映像を見て、あまりにエラが張っていて、
えっ、日本人?と思ってからは考えが変わった。
平安時代は、頭の骨格が現代人と一番(縄文人よりも)かけ離れていた時代らしい。
したがって、現代人が平安時代の標準的な人を見ると、彫りが異常に深く、ゴツゴツした顔で、
目も落ち窪んだグロテスクな、それこそ鬼か妖怪か、というような印象を受けるのではなかろうか。
それに比べて、平べったく、丸みのある顔で、目も異常なまでに大きくはない、となれば、
少なくとも、平安時代の美人は平安時代の一般人に比べ、(現在の尺度でも)ましな顔である
ことは確かだ。
平安時代に行けたとして、小野小町を見て、超美人と思うのか、
(ブスだが)ようやく人間らしい人間に会うことができたー、
と思うのかは微妙なところだが…
96 :
日本@名無史さん:04/09/08 22:25
関係ないかもしれませんが「小町」の由来は何でしょう?
清少納言は「少納言」、紫式部は「式部」でともに官職に由来しているわけですが、
「小町」というのも官職なんでしょうか?
後宮の位
中国でいう、皇后、貴妃、召儀…ってなってくアレ
98 :
日本@名無史さん:04/09/11 22:05:53
胸をコブラにかませて自殺したクレオパトラ。
蜀へ向かう途中の馬カイの宿場で宦官により命を奪われた楊貴妃。
美女の最後は悲しみを誘うのぉ。
99 :
日本@名無史さん:04/09/11 23:42:46
>>96 角田文衛氏『王朝の残映』とかいう本だったか?
紀氏の女であれば通称「紀町」
三国氏の女であれば通称「三国町」(仁明天皇の更衣)
と呼ぶ慣習があったとか。
それを延長した解釈なのだろう、
小野氏の女であれば通称「小野町」、その妹だから「小野小町」
……といった説を聞いたことがある。小町に姉がいることは古今や後撰に見えるが、
彼女が小野町と呼ばれていた確証は無い。
小野氏じゃなくて小野寺氏って話もある>出身
102 :
日本@名無史さん:04/10/01 22:38:32
103 :
日本@名無史さん:04/10/10 03:25:43
小野小町タン に中田氏したい・・・ ハアハア
〜六才まで 出羽秋田
六才〜十三才まで 近江小野
十三才〜十七才まで 山城八瀬
十七才〜 京都
106 :
日本@名無史さん:04/11/10 14:01:10
秋田美人
107 :
日本@名無史さん:04/11/27 08:36:14
秋田って言うと、目が青い人や、肌が白い人だな。
あれって、いつごろから、その遺伝子がまじったん?
古代からじゃないの?
沿海州〜樺太〜北海道〜東北というのは、ミクロネシア、ポリネシア回りの黒潮ルートとならんで日本人の祖先の最も重要なルートだ。
109 :
日本@名無史さん:04/12/13 22:15:55
しかし、コーカサイトも、そのルートで来たというのか??
110 :
日本@名無史さん:04/12/14 16:03:59
>>103 身分不相応かどうかは分からんが、品がないので駄目だw
まずは品の由来でも調べろやぁw
111 :
日本@名無史さん:04/12/16 04:33:28
「秋田美人」ってのは嘘。誰が言い出したのかね。
まったく失笑物だよ。
東欧やロシアあたりだと、目の覚めるような美少女
がわんさかいて驚かされるが、そんな秋田人見たこと
ないよ。
ロシア人は美人だが、30過ぎるとヤバイ
114 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:04:19
小野小町の作といわれている歌を見ていると、幻想的なものが多い。
それで顔を見た事もないのにむらむらした人が多かったのかな、と妄想。
そもそも、小野小町が美人っつーのは誰が言い出したことなんだ。
世界三大美女に小野小町入れてるのは日本だけだが、それを言い出したのも誰なんだ。
116 :
555:05/01/09 22:38:52
会ってみたいなあ・・・
117 :
日本@名無史さん:05/01/25 22:51:07
118 :
日本@名無史さん:05/01/26 00:05:34
清小納言を「はなもちならない女」て批判したんだよね。
119 :
日本@名無史さん:05/01/26 00:18:59
>>118 それは紫式部だよー
古典で習ったけど忘れた・・・
なんだっけ?紫式部の随筆だったと思ったけど
120 :
日本@名無史さん:05/01/26 06:47:32
秋田出身のテニスプレーヤーで、シャラポワ級の美人がいれば
信じるよ。秋田美人。
121 :
日本@名無史さん:05/01/26 07:40:06
シャラポワきもい
122 :
日本@名無史さん:05/02/13 01:06:17
>>103 むり。だって「こまち」だよ。穴が開いてないんだよ。
123 :
日本@名無史さん:05/02/13 13:12:04
hj
124 :
日本@名無史さん:05/02/25 09:33:22
小野小町鎖陰伝説知らんの?
道鏡巨根伝説と同レベルのものではあるが。
穴が無かったって言うアレか?
マチ針の語源になったとか言う。
でも「小町」だから無理という言葉は確かに意味不明だな。
小町と言う言葉に穴がないとかそう言う意味は無いし。
127 :
日本@名無史さん:05/03/16 04:05:24
ほんとにマチ針ほどしか穴がなかったの?
まち針に穴なんて開いてねーよ。
129 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 04:50:14
つまり、男?
130 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 05:58:16
あまり故人を蔑むのは・・・
古典的な一重の瓜ざね美人だと願いたい
もういっそ小野氏総合スレにしますか?ココ?
篁、道風、美材と色々揃ってるし。なにげに文武両道な一族だよな
巨乳なのか?
巨乳かどうかは知らないがフェロモン満開だったらすぅい
134 :
小町 ◆RSl0tJ0Lks :2005/04/17(日) 18:29:50
わたくしはほんのわがままのためにある御仁を亡くしました。
36歳になり宮中を退いて小野の里へ帰郷したときに
深草少将というやしがわたしを追って京からやってきたのです。
深草少将は会いたい旨の恋文を頻繁にくださいましたが
わたくしはすぐには逢おうとせず
「わたしを心から慕ってくださるなら、高土手に毎日一株づつ
芍薬を植えて百株にしていただけませんか。約束通り百株に
なりましたらあなたの御心にそいましょう」と伝えました。
少将はこの返事をきいて野山から芍薬を堀り取らせ植え続けました。
一株づつ植えては帰っていく毎日。深草少将は一日も欠かすことなく
99本の芍薬を植え続けました。
いよいよ百日目の夜。この日は秋雨が降り続いたあとで川にかかった
柴で編んだ橋はひどく濡れていました。
「今日でいよいよ百本」わたくしと逢える日がきたと喜び、従者が
とめるのもきかず、少将は「百夜通いの誓いを果たす」と通い慣れた
道を百本目の芍薬をもって出かけました。
しかし少将は橋ごと流され、不幸にも亡くなってしまったのです。
わたくしは深い悲しみに暮れ、少将の亡骸を森子山に葬ると
供養の地蔵菩薩を作り向野寺に安置し芍薬には 99首の歌を捧げ
少将の仮の宿だった長鮮寺には板碑を建て回向いたしました。
【いつとなく かへさはやなん かりの身の いつつのいろも かはりゆくなり】
ちなみにわたくしはその後岩屋堂で世を避け自像を刻んで暮らし、
92才で息をひきとりますた。
>>131 藤原純友を破った、大将軍小野好古も入れてくれ。
それと三十六歌仙の柿本人麻呂も。
136 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 14:09:25
>>115 楊貴妃を入れるのも日本と支那くらいなもの
137 :
結論:2005/04/19(火) 14:25:34
小野小町=長瀬実夕
軽く小野氏の紹介を(っても付け焼き刃ですが)
【小野 滝雄】(?〜?)
平安前期の官人。正五位下出羽守陸奥介。818〜823まで出羽守として出羽に在任か?
小野小町は滝雄が在任中に現地の女に産ませた子という説が有力。
【小野 恒柯】(808〜860)
滝雄の子。大内記、太宰少弐、右少弁、播磨守などを歴任。
太宰少弐時代に滋野貞主に官人の不良を批判されるが、播磨守時代は治績を称えられている。
草書、隷書の名筆といわれ、世人の手本とされた。
【小野 岑守】(778〜830)
滝雄の弟。峰守とも。漢詩文に優れ、凌雲集の編纂、序文を草す。他、13首の漢詩文がおさめられる。
内裏式、日本後紀の編纂にも参画し、経国集には9首、文華秀麗集に8首の漢詩文がある。
即位前の嵯峨天皇に南淵永河、朝野鹿取、菅原清人らと講書に侍したとある。
814年、陸奥守として子、篁を連れ下向、その際に空海より「贈野陸州歌并序」を贈られた。
政治面では公営田制を建議、実施した。最終官位は従四位上勘解由長官兼刑部卿。
【小野 篁】(802〜853)
岑守の長子。文章生になり令義解の選者に加えられ、序を撰述する。
834年、遣唐副使に任じられるが、大使、藤原常嗣に乗船を変えられたことに激怒、乗船を拒否した。
その為、隠岐に配流となるが、後に許される。最終官位は参議従三位左大弁。通称「野宰相」「野相公」
漢詩集に野相公集、私家集に篁集がある(前者は散逸)。その他、扶桑集、和漢朗詠集、古今和歌集に作品がある。
【小野 美材】(?〜902)
篁の孫。楷書、行書、草書に秀い、醍醐天皇の大嘗会に際し、屏風和歌を書いたことで知られる。
以後、大内記を本営に伊予、信濃権介を兼帯した。その筆跡は空海、嵯峨天皇に並ぶとされる。
文粋、和漢朗詠集、和漢兼作集、雑言秦和などに漢詩がおさめられ、勅撰集にも3首がある。
通称「野美材」。なお、彼の詩に小町を詠んだものがある。
【小野 小町】(?〜?)
820年代の生まれか?六歌仙、三十六歌仙の一人で、平安時代を代表する女流歌人。
文脈に篁の子とあるが、2人はほぼ同年代の人物と思われ、計算に合わない(篁の子、良真の子と言う説もある)
贈答歌の相手から活動時期は、ほぼ仁明朝と推定、町は後宮に使えた女の官位である為、仁明天皇の更衣であろう。
古今和歌集において女流としては伊勢に次ぐ18首がおさめられている。
額田王に比す美貌と呼ばれるが、これは詩風を評したものとの説も。古今以後の作品には贋作が多い。
各地伝承に加え、観阿弥、世阿弥ら能楽者によって虚像化が進む。
【小野 吉子】(?〜?)
小町と同一人物ともされる。仁明天皇の寵人で、藤原賀登子とともに正六位上に叙された
【小野 好古】(884〜968)
篁の子、大宰大弐、小野葛絃の子。つまり篁の孫にあたる。美材とは従兄弟となる。
承平・天慶の乱において追捕使に任じられ、特に藤原純友の乱の鎮圧に功が大きい。
乱後、左中弁、備前守、山城守、太宰少弐を経て参議に登る。初官は讃岐権禄。
後撰拾遺にも採録された歌人でもあり、妻の中将内侍も歌人として有名であった。
【小野 道風】(894〜967)
篁の孫、好古の弟。醍醐、朱雀、村上の3天皇に仕え、木工頭、内蔵権頭などをつとめる。
木工頭から内蔵権頭に転じた理由は、視力の衰え、手の不自由に加え言語障害にかかったからと言う。
王義之の字形を端正にし、点画を秀潤温雅にし、和様を創始した。
当然、宮廷内でも書役として当代一の手書きとされ、藤原佐理、行成と共に三賢と呼ばれ、
彼等の筆跡は佐蹟、権蹟、野蹟で三蹟とされる。道風の真蹟は屏風土代にその他が残ってるが、仮名は無い。
【小野好古 娘】(?〜?)
後撰、一条摂政御集に藤原伊尹との贈答歌が見える。
野内侍と呼ばれてたことから、一時宮中にありその縁で伊尹との結婚となったと思われる。
伊尹が四位に昇進する前に早世、伊尹や父、好古がその死を悼んで歌を詠んでいる。
【小野 文義】(?〜?)
御堂、小右記、左経記に散見する外記局の官人。道風の玄孫にあたる。
【小野 有隣】(?〜1149)
明法家。文義の孫。幼くして菅原有真の養子になり、のちに小野氏に復帰する。
典膳、大外記、明法博士、大判事などを歴任、従五位上となる。
小野氏の名は近江国滋賀郡小野に基づくとされ、官位は岑守、篁、好古が参議に登ったのが最高となります。
ぱっと見、好古は凄いと思います。なんか自力で成り上がった感があります。この頃は小野氏も衰退(というか藤原氏
が隆盛しすぎ)な時期ですし。この時代は良く知らないのでもっと詳しい人がスレに現れることを期待
【明尊】(971〜1063)
天台宗僧。小野道風の孫で、奉時の子。志賀僧正と号す。余慶・慶祚らの弟子。
勝算に従い、灌頂を受ける。長元3年に園城寺長吏となり、以後、大僧都・権僧正等を歴任。
長暦2年大僧正に転じる。円満院を開創。永承3年天台座主に補せられたが、4日で辞した。
144 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 08:08:53
妹子と小町って、姉妹なの?
はwww
保
147 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 17:38:01
守
>>98 ハプスブルグだかの王妃も変な男に挿されて、ならぬ刺されて死んだんだよね
しかも刺された事に気づかなかったんだって