マジで宇喜多秀家を語ろうぜ

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1名無し二等兵
宇喜多秀家および一族について熱く語るスレ。
2日本@名無史さん:03/11/09 23:01
現在の島根県飯石郡掛合町掛合金原地区の支配者
3日本@名無史さん:03/11/09 23:31
秀家はすごい奴だ。
若いのに五大老にも選ばれ、
関が原の戦いで東軍最強と言われた福島正則軍を押しまくった。
すごい。
80代まで生きたというのも当時すごかったにちがいない。
4日本@名無史さん:03/11/09 23:36
明石かもんが好きです。
5日本@名無史さん:03/11/10 00:06
宇喜多秀家といえば三浦友和。
6日本@名無史さん:03/11/10 01:36
貴公子と云えば秀家!
7あぼーん:あぼーん
あぼーん
8日本@名無史さん:03/11/12 00:37
坂崎出羽守はキチガイ
9日本@名無史さん:03/11/12 15:35
>>5
なつかしー

宇喜多家の家系は、どのくらい遡れるのでつか?
一族語るなら、まずはここから。
10 :03/11/12 15:51
八丈島に流されてからは浮田って名乗ったんだよね。
11日本@名無史さん:03/11/12 16:20
豪との間に子供はあったの??
121 ◆2LEFd5iAoc :03/11/12 22:57
>>5
>>宇喜多秀家といえば三浦友和。
どういう意味じゃ?

>>8
秀家の従兄弟だったっけ?(うろ覚え)

>>9
百済の王族の子孫て自称していたんじゃなかったかな。
で、岡山の児島に流れ着いたと。で、宇喜多の旗印は「児」の一字だったような。

>>10
八丈島に流されてから カナーリ年月が経過後、かつての領地たる備前岡山の西大寺の商人が、
交易の為に航海中、船が難破し偶然に八丈島に漂着、宇喜多秀家に詩などを書いて貰い、
持ち帰ったエピソードに感動。

>>11
娘がいたような・・・
なお、豪姫の実家は、言わずと知れた加賀100万石・前田家。
八丈島に流された後も、徳川末期まで前田家から仕送りがあったエピソードに感動。
13日本@名無史さん:03/11/12 23:10
家臣団を統御できなかったヤシでしょ
14日本@名無史さん:03/11/12 23:36
>>12
なぜコテハンを?
15日本@名無史さん:03/11/13 02:02
>八丈島に流されてから カナーリ年月が経過後、かつての領地たる備前岡山の西大寺の商人が、
交易の為に航海中、船が難破し偶然に八丈島に漂着、宇喜多秀家に詩などを書いて貰い、
持ち帰ったエピソードに感動。

これって
「備前は誰が治めておる」
「松平様です」
「松平ではわからぬ」
「池田様です」
ってやつ?(うろ覚えだが)
16日本@名無史さん:03/11/13 21:46
>>12
20年くらい前にTBSで放映された「関ケ原」という豪華ラインナップの
ドラマで宇喜多秀家を演じたのが三浦友和。
それ以来、俺の中では秀家=三浦友和が焼きついて他の役者が演じても
違和感を覚えるんだよな。
ちなみに福島正則が丹波哲郎、島左近が三船敏郎など大御所揃いのメンツ。

171 ◆2LEFd5iAoc :03/11/13 22:40
>>15
イエッサー

>>16
へー。
まぁ宇喜多秀家はカナーリ美少年だったらすぃのでね。
父親の直家も、稀代の梟雄と言われた程の謀略家だったが、その美男子ぶりで主君の
浦上氏に男色をもって取り入ったというエピソードが。
秀家の母親のお福も、夫の直家死後、豊臣秀吉に見染められて側室になったワケだしな。

ちなみに宇喜多秀家の「秀」の字は、豊臣秀吉から「秀」を賜って養子になったのである。
18日本@名無史さん:03/11/13 22:51
宇喜多と福島は酒飲み
19あぼーん:あぼーん
あぼーん
20日本@名無史さん:03/11/13 23:06
>>15
> 「備前は誰が治めておる」
> 「松平様です」
> 「松平ではわからぬ」

以降がちょと違う。『名将言行録』では

「新太郎少将様(閑谷学校を建てた池田光政のこと)です」
「誰のことやら。家老どもの姓を挙げてみよ」
「○○、××、△△です」
「さては池田家にてありけるな」

となっており候わん。
21日本@名無史さん:03/11/13 23:44
>>11

秀高、秀継がいたよ。
22名無し二等兵:03/11/13 23:47
>>21
秀家と一緒に八丈島に流されタンだっけか。
23日本@名無史さん:03/11/13 23:50
>>22

そう。彼らの子孫は八丈島に土着した。
24名無し二等兵:03/11/13 23:51
>>15
なるほど。
この逸話は「名将言行録」に収録されているのか。
勉強になり申した。

>>12
ちなみに「名無し二等兵」 = 1 ◆2LEFd5iAoc
です。どうでもいいことだが・・
25日本@名無史さん:03/11/13 23:55

八丈島には、今でも子孫たる浮田姓の人がたくさんいるんだよなぁ確か。
26日本@名無史さん:03/11/14 00:28
>>25
犯罪者の子孫たちだろ。肩身狭いだろうなぁ。
27日本@名無史さん:03/11/14 00:31
朝鮮人あるまいし
28日本@名無史さん:03/11/14 03:41
29日本@名無史さん:03/11/14 22:46
>>26
論外。

>>27
意味不明。
30日本@名無史さん:03/11/15 00:51
>>26
犯罪者って・・・・権現様史観に毒され過ぎだよ、おまいさん。
31日本@名無史さん:03/11/15 01:09
はっきり言って、直家の子供とは思えん。親の何処を見ていたのやら?
32日本@名無史さん:03/11/16 10:40
>>9
百済の王族(自称) → 備前児島に漂着し児島氏と名乗り、後に代々地頭職などを務める
→ 一族から太平記にも登場する児島高徳を排出。 → 備前宇喜多荘に移転、宇喜多姓を名乗る。
33日本@名無史さん:03/11/16 10:47
>>32
三戦板へいけ。
34日本@名無史さん:03/11/16 11:26
>>33
オマエが逝け。そして帰って来るなw
35日本@名無史さん:03/11/16 13:07
>31
親は死んでたんだよ。
36日本@名無史さん:03/11/16 14:47
>>31>>35の問答は、対象を織田秀信に替えても成立するな。(w
37日本@名無史さん:03/11/16 15:16
宇喜多能家は立派だった。孫の直家も賢かったが.....。
もしかして隔世遺伝で興家に似たんかな。
38日本@名無史さん:03/11/16 19:14

秀家が無能だったというのが定説なのか?
そうとも言い切れんのじゃないかねぇ。

ただ、義父たる故・秀吉への盲目的な忠義感が強いことで周囲に知られていたので、
もちろん、本人に相応の能力もあったから、年端のゆかない若者であったにも関わらず、
西軍の総大将に祭り挙げられたものと(ry
若くして中納言として恥ずかしくない程度の教養も胆力もあったとされてる。
家康の方が、上手だったということだ罠。
あと、関が原戦の前に、家臣団内に騒動があったのも事実だが、力量不足で片付けるのは酷かも。

まぁ、天下を取るか否かという程の人物では無かっただろうが、いかに秀吉の七光りが
あったとはいえ、地方の武士豪族が・・・と考えれば(ry


39日本@名無史さん:03/11/16 19:35
>>33
お約束の「三戦板いけ」 キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!
でも、宇喜多秀家は戦国大名じゃないよ
生まれたのは戦国末期だが、元服した時は既に安土桃山w
しかも本人はすごい長寿でねぇ、徳川将軍3代目になってから
世を去ったのさw
40日本@名無史さん:03/11/16 19:45
八丈島でストレスの無い生活を送れたので長生き出来たんだろうな。
41日本@名無史さん:03/11/16 19:53
>>39
安土桃山って文化区分じゃないのか? 
42日本@名無史さん:03/11/16 20:30
>>37

興家ほどの無能ではないだろう。
だってあいつは牛引き以外に使い道がなかった男。
43日本@名無史さん:03/11/16 21:56
だからさ、無能で牛引きしか使い道が無かった興家と、
中納言で備前宰相と呼ばれた秀家を、比較すること自体ナンセンスなんだってばよ。
どっかの学者か作家で、秀家は無能だと書いてる人がいるようでんな、どうも。
誰ですか、名前を知りたいもんだ。

>>26さんも書いてるとおり、徳川300年の徳川史観の影響もあるんでせうか・・・。
44日本@名無史さん:03/11/17 13:52
島での生活はじっさいどうだったんだ?
食うに困ってたっておもってたけど
仕送りあったから意外と楽っての聞いたことがある。
>>20のときも釣りしてたそうだが
生活楽だったらまぁ隠居した爺さんみたいでいいけど
食うに困ってたらその日の糧のために釣りしてたわけで
状況が一変するんですけど
45日本@名無史さん:03/11/17 16:51
>>44
もちろん、流罪の身であるから贅沢をしたり自由気侭に暮らすわけにはいかなかっ
たと思われ。
とは言え、現代流に言えば政治犯だし、元中納言で元大大名一族だし、加賀前田家
から仕送りがあるし、代々の中には「貴種」として有力島民と婚姻を重ねたりして
いるそうだから、食うや食わずの一般の流人たちとは同列に語れないという罠。
46日本@名無史さん:03/11/17 17:59
>44
「八丈実記」を読め。ある程度想像はつく。
47日本@名無史さん:03/11/17 20:42
>>46
そんなマイナーなもんそうそう読めん。
48日本@名無史さん:03/11/17 22:13

>>46
実際に読んだのけ?
てか、漏れはそんな本の存在すら知らなかった訳だが・・
491 ◆2LEFd5iAoc :03/11/17 22:25
>>2
どういう意味なん?
判る人、教えてくらはい。
50日本@名無史さん:03/11/17 23:26
がーん。
一部ならおれが高校ん時には国語の教科書に載ってた。
面白かったんで、図書館で刊本探して読んだんだが……。
51日本@名無史さん:03/11/17 23:38
>>50
島民キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
52日本@名無史さん:03/11/18 06:18
「たまには米が食いたいのう」って愚痴こぼしたらしいけど
53日本@名無史さん:03/11/18 10:41
>>45
それは、全てあなたの思い込みです。
54日本@名無史さん:03/11/19 19:28

>>52
八丈島って稲作が出来ん風土ということですかね?
それにしても、「前田家の仕送り」の中には当然 米俵もあっただろうとオモワレ・・・

>>53
却下。煽りにしてはツマラン。
55日本@名無史さん:03/11/19 19:46
よく暗殺されなかっよね、不思議。

56日本@名無史さん:03/11/19 20:00
なんちゅうか、あれだね。欲もなんもない爽やかな
印象だね。
57日本@名無史さん:03/11/19 21:07
初名・家規
58日本@名無史さん:03/11/19 22:37
>>57
59日本史男:03/11/19 22:38
ええ?家氏じゃないの
6057:03/11/19 23:03
そうだった…逝ってきます。















タイヨウガシズンデユク… ..lll&...........―━÷━━―― ^^
61日本@名無史さん:03/11/19 23:43
豪姫についても遠慮なく語りあおうではあ〜りませんか

>秀家は豪姫を愛するあまり、豪姫の病を祈祷によって治せなかった日蓮宗の僧に憤りを発し、
>領内の宗徒に対して改宗を命令した。(豪姫はキリシタン)
62日本@名無史さん:03/11/20 01:23
備前国豪族三宅氏の後裔と言う。三宅氏は百済人とも
吉備氏一族の児島氏とも言う。和気絹、藩翰譜は百済人説を採り、
宇喜田系図、三宅系図は新羅王子天日槍の子孫説を採っている。
鎌倉初期備前児島の地頭となり、児島氏を称し、のち
同国宇喜田に移って宇喜田氏を称した。
63日本@名無史さん:03/11/20 01:29
八丈島は気候的には稲作に充分適していると思うが、
問題は水かな。
64日本@名無史さん:03/11/20 02:08
本当に初名は家氏だったのだろうか?
元服の時はすでに秀吉の養子じゃなかったっけ?
65日本@名無史さん:03/11/20 05:56
>>20
聞いたのは家老の姓だっけ?
家紋じゃなかった?
66日本@名無史さん:03/11/20 05:57
宇喜多秀家の名誉回復は1870(明治3)年です。
子孫は士族待遇を受け、明治政府から東京に屋敷地を与えられました。
67日本@名無史さん:03/11/20 06:44
宇喜多氏の主君だった浦上氏って赤松の庶流?
68日本@名無史さん:03/11/20 11:01
>>67
紀氏。代々播磨国揖保郡浦上荘に住み、赤松円心の時には、
赤松氏の被官として現れている。則宗の時侍所所司代兼山城国守護代及び播磨・美作
守護代。子の則景を備前守護代とした。
69日本@名無史さん:03/11/20 11:12
>>17
母親のお福は元三浦貞勝室。三浦氏との子は1584年の
地震で、伏見城で圧死しました。
70日本@名無史さん:03/11/20 11:39
宇喜多秀家は単なるかぶき者(以下略)
71日本@名無史さん:03/11/20 13:14
>>69
詳細キボン
72日本@名無史さん:03/11/20 13:21

要するに宇喜多秀家って人は前田慶次と一緒
単なるかぶき者
人気はある
でも、宇喜多秀家の場合は社会に貢献しようとした形跡があるから
かぶき者としても一格落ちるんじゃない
前田のようにかぶいて一生を通せばよかったが
へんに生き延びちゃってるし
何をやらせても中途半端だね
73日本@名無史さん:03/11/20 15:36
>>72
それは、全てあなたの思い込みです。
74日本@名無史さん:03/11/20 17:21
629 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 03/11/20 13:22

要するに司馬遼って人は前田慶次と一緒
単なるかぶき者
人気はある
でも、司馬遼の場合は社会に貢献しようとした形跡があるから
かぶき者としても一格落ちるんじゃない
前田のようにかぶいて一生を通せばよかったが
へんに長生きしちゃってるし
何をやらせても中途半端だね
75日本@名無史さん:03/11/20 18:43
>>72 >>74
コピペにマジレスカコワルイわけだが、社会に貢献しようとした形跡があると一級落ちる
ということは、今の日本でいうと「無職ヒキヲタ&無職DQN最強」と言うことに
なるんでつか?(w
76日本@名無史さん:03/11/20 22:00
>>71
おふく.(備前殿、法鮮尼).1528〜1594

宇喜多秀家の母。のち豊臣秀吉の側室。

1559(12才) この頃、備中高田城主・三浦貞勝(22才)と結婚か?
1565(18才) 高田城落城、夫・三浦貞勝自刃、桃寿丸を連れ落ちのびる
1570(23才) この頃、備前沼城主(のち岡山城主)・宇喜多直家(41才)と再婚
1572(25才) 秀家(八郎)誕生
1581(34才) 直家(53才)没
1582(35才) 秀家(11才)と家臣団、豊臣秀吉に伴われて織田信長に謁見
         おふくは、秀吉の側室になり、秀家は秀吉の猶子になる。
1588(41才) 秀家(17才)と秀吉養女・豪姫(15才)結婚
1594(47才) 死去〔12月11日〕
77日本@名無史さん:03/11/20 23:38
>>76
生年は不詳。三浦氏関連の資料に生年は見当たらない。
1528年生まれでない事は確か。
78日本@名無史さん:03/11/21 00:00
このひとはげたんだよね
79 ◆WWhZlruHbk :03/11/21 14:52
kuri-mu
80diaz親分 ◆WWhZlruHbk :03/11/21 14:53
そうか
81日本@名無史さん:03/11/21 16:29
>>76のいう生年と年齢が一致していないのは何故?
82日本@名無史さん:03/11/21 23:30
1528じゃなくて1548じゃん?
83日本@名無史さん:03/11/21 23:34
宇喜多秀家は単なるかぶき者だっていってるじゃないか
前田慶次が比較の対象だよ
あんたらの言ってることはピントがずれてるよ
政治とは無関係の男なんだ
一言で言えば快男子
たとえば前田慶次が政治に熱心だったら存在価値無いだろ?

まあ、宇喜多秀家ごときチンピラは前田慶次の足元にも及ばないけどな
84日本@名無史さん:03/11/21 23:58
>>83
文章の前段と後段で著しく論調に変化がありますね。
85日本@名無史さん:03/11/22 00:50
まぁコピペな訳だが。
86日本@名無史さん:03/11/22 02:41
こいつは漏れとキャラかぶる
87日本@名無史さん:03/11/23 12:41
宇喜多騒動後の宇喜多は弱いっす。
三分の一の福島勢相手にきりきり舞い。
88日本@名無史さん:03/11/26 21:47
オレ、砥石山城の近所なんですが。
89日本@名無史さん:03/11/26 22:04
備前浪人はめしかかえるな
90日本@名無史さん:03/11/26 22:21
>>89
ナヌ?
91日本@名無史さん:03/11/27 01:36
>>89
それは、小早川家改易の時の話ではなくて宇喜多時代の話なんですか?
92車にポピー ◆tr.t4dJfuU :03/11/27 21:38
ごっちゃになっているとオモワレ
93日本@名無史さん:03/11/28 19:00
宇喜田の家は維新後、復権して当主は東京に家を与えられたんだよ
94日本@名無史さん:03/11/28 20:47
前田屋敷内に畑と小屋もらったそうだが・・・。
なじめなくって大勢帰っちゃったらしいね。宇喜多一族。
95日本@名無史さん:03/11/29 08:03
>>94
へ〜。
「帰っちゃった」って八丈島にか?
96maruko:03/11/29 09:46
宇喜多秀家= お豪
     ↓
    子供(二男一女)

だったっけ?
97日本@名無史さん:03/11/29 15:21
そういえば、かなり昔に山口の宇部商業が甲子園に出場したときのピッチャーに
宇喜多ってのがいたな。
98日本@名無史さん:03/12/02 21:20
浮田という苗字のヤツが小学校の同級生でいた。
岡山市可知小学校ですがナニか?
母子家庭で、団地暮らしだったが、転校していった。
99日本@名無史さん:03/12/02 21:28
>98
おかん が妾になれば・・・息子は
100日本@名無史さん:03/12/02 21:38
関西には浮田姓が結構居る、宇喜多の浮田とは関係ないんじゃない。
101日本@名無史さん:03/12/02 22:46
>>99

五大老の一人じゃあっ
1021 ◆2LEFd5iAoc :03/12/02 22:50

>>100
宇喜多一族は、八丈島に渡ってから、浮田と改姓したと聞いたことがあるが?
103日本@名無史さん:03/12/02 22:53
>>102
だーら宇喜田と関係ない浮田もいるんだろ。
104日本@名無史さん:03/12/03 00:58
浮田は宇喜多の庶流
105 :03/12/03 01:02
なんかこのスレ、ループしてない?
106日本@名無史さん:03/12/03 01:23
宇喜多氏と関係のない、浮田さんも大勢いるんだよ。

佐藤・斎藤・加藤・武藤・・・籐が付いたって藤原名訳じゃあるまいに。
107あぼーん:あぼーん
あぼーん
108日本@名無史さん:03/12/03 19:40
>>106
斎宮頭に任じられた藤原氏の後裔が斉藤氏、武藤氏は武蔵国の藤原氏or武者所の藤原氏
などなど、藤原氏です。
109ヨーグルト:03/12/03 22:42
>>100
>>103
>>106
何を根拠もないのに、力説してんだコイツ?
粘着厨房か?
そこまで粘着するなら逆に、宇喜多と「関係のない浮田が大勢いる」という
その根拠を示せやコラ

110日本@名無史さん:03/12/03 22:48
まあ宇喜多と関係のある浮田も居ような。
111日本@名無史さん:03/12/03 22:53
江戸時代の絵師である浮田いっけいは、
宇喜多秀家つながりで、本姓として「豊臣」を使っていた。

112日本@名無史さん:03/12/03 22:54
浮田(ういた)さんもいる。
113名無し乙:03/12/03 23:43
>>111

しかし浮田一恵と秀家の関係って具体的には
どうなんただろう。

知ってる?
114乙子城:03/12/04 00:13
>98 僕も可知小出身だよ。西大寺には浮田姓なんてごろごろいるよ。この苗字名乗っているのは
   過去につながりがあるか、家臣団のつながりあるときいたけど。

115乙子城:03/12/04 00:22
宇喜多家はまだ謎が多くて宇喜田会が記憶の断片を探してるみたい。家臣や同族や資料開示なんかさがしてるといっていたよ。
11698:03/12/04 21:30
>>114
うむ〜、可知小OBか、奇遇ですな。当方31歳なんで、先輩か後輩か判らんが・・・
ちなみに浮田クンが住んでいた団地というのは旧益野団地じゃ。
10年くらい昔に、この団地はスッカリ建て変ってしもうたが。
117ゆきむら:03/12/05 01:06
昨年まで八丈島に住んでたけど浮田という名はたくさんいたよ。宇喜多の関係の人が八丈島から一族の一部が島脱けした可能性について調べに来ていた。黒潮が八丈島付近から房総沖に流れることもあるから可能性はあると思う
118日本@名無史さん:03/12/05 01:39

あなたも犯罪者の子孫の方ですか?
永きにわたるお勤めご苦労様でした。
119日本@名無史さん:03/12/05 03:30
>188
ツマラン
120日本@名無史さん:03/12/05 03:31
>118
だった……
鬱だし能
121日本@名無史さん:03/12/05 21:52

>>118
このスレに、こんなアフォは不要。
122日本@名無史さん:03/12/05 22:19
>>121
では君も不要だな。お疲れ。
123日本@名無史さん:03/12/06 21:49
俺の親父は八丈出身で祖母の実家が浮田
秀家さんも八丈に来て幸せだったと思われ
124名無し乙:03/12/06 23:09
人間生きて家族といればどこにいても幸せなのさ。
…例外もあるが。

123のいうように秀家は幸せであったと願いたい。
125日本@名無史さん:03/12/06 23:21
豪は再婚したの?養父の妾で実姉のまあは再婚したみたいだけど
↑すごい関係だよなぁ。実姉が親父の妾
126日本@名無史さん:03/12/06 23:33
>>123-124
犯罪を憎む漏れとしては、犯罪者が流刑地で幸せに暮らすことなどあってはならないことだ。
彼の八丈島での五十有余年の生活が悔悟に満ちたものであり、その生涯を閉じるにあたって、
家康公をはじめ、彼によって被害を受けた無数の人々に対して深い謝罪の念を抱いていたと信じたい。
127名無し乙:03/12/06 23:45
>>126

面白い生き物の書き込みでつね。
128日本@名無史さん:03/12/07 01:40
>>126
備中三村家の残党、必死だな。(w
129日本@名無史さん:03/12/07 03:39
>126
正当なる豊臣氏の天下を簒奪した徳川氏が正義ですかそうですか。
おっと、126自身は犯罪大好き人間でなおかつ自分が犯罪者であるという認識が無いんだっけ?
うんうん、一生彼が犯罪者だと思っていなさい。そうすると126自身シヤワセですしね。
無知は恥じることじゃないからねえ。いい釣りありがd
130日本@名無史さん:03/12/07 18:00
>>129
天下に正当な後継者などいない
>>126
秀家の罪はむしろ宇喜多家を割ったことだろ
家康は被害なんて受けてない
131日本@名無史さん:03/12/07 18:23
>129
だいたい織田家を簒奪したのはどこのどいつなんだよ。
 おまけに主君の娘と姪を愛人にして
132乱世の奸雄:03/12/07 18:23
>>130
勝てば官軍なりき。負け犬の遠吠え。
133日本@名無史さん:03/12/07 18:36
秀家はいわゆる当時の政治犯だな。
今の日本では、政治犯というべき犯罪者は多分皆無だし、
政治犯として裁くのが難しい。
>>126 は、政治犯を通常の犯罪者と同列にみなした点で、
やや理解不足かと思える。
134日本@名無史さん:03/12/07 23:41
>>133

>>126はそこまで考えてないって。ただの釣り師。
135日本@名無史さん:03/12/08 05:51
犯罪者の負け犬浮田の信者が暴れていますが以後スルーで。
136日本@名無史さん:03/12/08 06:40
>>133
ごめん、政治犯が何かは知ってるけど、君がなにいってんのか分かんない。
もう少し分かりやすく説明して。
137日本@名無史さん:03/12/08 07:05
くだらねー。
宇喜田が浮田であろうとどう違うの?w
そんなも表記上の違いだけだw
そして、宇喜田と浮田も両方とも併用していた。
豊臣期に固定化されつつあっただけだ。そもそも、近世以前で
漢字は音が合えばだいだい通じた。

>そもそも、宇喜田秀家を語ることでどれほどの現代的な意味があるのかわからん
。特に八丈島いたがどうしたの?wはー。意味不明www?
君らはそういうことが好きだったのねw
くだらないことを知ってるから、自分はすごいんだって思ってんだ(≧m≦)ぷっ!
どうせ、それも三流の歴史読本とかくだらないやつから読んだ内容だろ
くだらねーーー。 
138名無し乙:03/12/08 07:08
>>136

要するに「秀家は唾棄すべき犯罪者で、いつまでも
島で後悔してろ」、という偏狭な視野でしか
歴史をとらえられない、あるいはそうした姿勢を
わざと打出して人を煽ろうとしているアフォが
>>126ということだ。>>135も同様のアフォ。
139日本@名無史さん:03/12/08 16:32
そして君等はその基地外をスルーできませんか?
140日本@名無史さん:03/12/08 19:06
っていうか、浮田秀家って犯罪者じゃないの?
犯罪犯したから島流しになったんでしょ。
政治犯だの何のといって弁護してみたところで見苦しいだけ。

>>138
それが何で偏狭なの?あなたは犯罪を肯定するのですか?
141名無し乙:03/12/08 19:59
>>139

スマソ。スルーできないんだよね、なかなか。

>>140

あんたが人生において何の誤謬もなければ
偏狭でないと言ってやっていいよ(藁)。
道路ちゃんと右側通行してる?。

だいたい秀家がどんな法の下、どんな罪を
犯したってのさ。遠島は戦後処理の一環で、
家康が自分の都合で島へ押し込めただけだろーが。
あんまり宇喜多ネタでアホォな釣りばっかり咬ましてると、
あんたどーなっても知らねーぞ。ほりゃ。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=kadbfc2ha4nbfma19a1jifc3ha1k&sid=1835208&mid=357
142日本@名無史さん:03/12/08 20:10
敢えて釣られてみるが、仮に>>126がマジレスしているとしたら、
北朝鮮の強制収容所についてどのような見解を持っているか聞いてみたい。
143日本@名無史さん:03/12/09 04:24
>>141
お前はちゃんと右側通行しとるんかい(藁)
144日本@名無史さん:03/12/09 04:37
戦争で負けたら犯罪者?
145日本@名無史さん:03/12/09 04:47
豊臣方から見れば徳川のほうが犯罪者なわけで
146日本@名無史さん:03/12/09 04:59
徳川方から見ればそもそも豊臣などは盟友織田家を乗っ取った犯罪者なわけで
147日本@名無史さん:03/12/09 05:04
まあ、結局みんな犯罪者なわけで
清盛・頼朝、尊氏、慶喜、博文、‥‥
148日本@名無史さん:03/12/09 05:08
そもそも諸悪の根源は神武日王と思われ・・・。
149日本@名無史さん:03/12/09 05:20
縄文人と仲良くしなかったからな!!!
いろんな不満が戦乱を起こした!!!
150日本@名無史さん:03/12/09 05:27

君もなんか不満げだね。
まさか戦乱を起こそうと?
151名無し乙:03/12/09 07:22
>>143

道路交通法を遵守するのは困難。軽犯罪も結構
気がつかないところで犯してるわな。
道徳的な部分も含め人間誤謬だらけだよ。

漏れは別に誤謬を批判しているんじゃないのだが、何か?。
よく嫁。「犯罪者は云々」て訳の分からんことを
いってる潔癖主義の>>126の誤謬の有無を問うている
だけだ。
152日本@名無史さん:03/12/09 07:36
>>151
ていうか、>>143は「右側じゃなくって左側だろ!」って言いたかったんじゃないか?
まあ本人じゃないから知らんけど。
153日本@名無史さん:03/12/09 07:42
ひでいえ犯罪者か、ワロタ。
154日本@名無史さん:03/12/09 12:04
犯罪者ではあるわな
負けたんだから。
かてば官軍とはよく言ったもの。
155日本@名無史さん:03/12/09 12:59
祇園精舎の鐘の音の

諸行無常の響きなり
156日本@名無史さん:03/12/09 14:13
秀家って罪人として八丈島に流刑になったんだろ。
これを犯罪者と言わずして何と言う?

それにしてもキモイ信者が粘着してるな。
反宇喜多的なことを書くと祟りで死ぬのかよw
157日本@名無史さん:03/12/09 14:25
なんだこのスレ・・・
158日本@名無史さん:03/12/09 14:30
家康は秀家を嫌ってたんでしょうか・・
秀康とは面識あったのかな?
159日本@名無史さん:03/12/09 15:53
徳川斉昭・橋本左内・吉田松陰が安政の大獄で処分される事と、
辻斬りを楽しむDQN侍が処分される事の違いはわかるか?

>>126は、北朝鮮に逝け。金将軍統治下の模範的国民になれるぞ。
藻前の理想郷は北朝鮮だぞ。是非逝け。
日本での生活がつらいんだろ?藻前。
160日本@名無史さん:03/12/09 16:18
>>159
どうちがうの?内乱罪は極めて重い罪なんだけどなあ。
宇喜多原理主義者にこそ北朝鮮はお似合いだと思わないか?
161日本@名無史さん:03/12/09 21:50
八丈島に居りゃ本州からそう皮肉も聞こえてこないし
数年で親徳川になったんじゃないかな?妄想だが
162名無し乙:03/12/09 22:07
秀家と家康の不仲の原因は、実は当時流行していた差料の
交換を秀家が渋ったのを家康が憤ったというしょうもない
理由である。

へぇーへぇーへぇーへぇーへぇー

また秀家が八丈島から帰れなかったのは、
家康の重臣ながら実は秀家と太いパイプを持つ
本多正信が死に、そして正純が失脚したからである。

へぇーへぇーへぇーへぇーへぇー

で、秀家をめぐる当時の政治情勢や時代そのものを
まったく考慮せず、島流しというだけで許されざる
犯罪者などと連呼しているアフォがいるスレはここでつか?。
163日本@名無史さん:03/12/09 22:13
まあ、そういう意見も許される場所です、ここは。
そして、その彼がスレを活性化しているという現実があります。
彼がいなければ、話題が少ないので、閑散としたスレになるでしょう。
164名無し乙:03/12/09 22:21
>>163

まあ漏れもわかってて煽ってるんだから
何をかいわんや、なんだけどな。
165日本@名無史さん:03/12/09 23:19
>>163
もの分かりの良い奴よの。
ではまた次のご降臨を待つと致すかw
166日本@名無史さん:03/12/10 00:32
右側通行あげw
167日本@名無史さん:03/12/10 00:35
明治になって許されて一族で東京板橋に土地貰って帰ったはず。>浮田一類
168日本@名無史さん:03/12/10 00:40
>>167
そうか、江戸時代と通してずっと代々犯罪者だったのか。
初代は相当な重罪だったと見える。
169日本@名無史さん:03/12/10 02:35
>>162
いや、権力者=法という当時の時代を考慮すれば有罪だろ。
ところで君は大阪人?
170日本@名無史さん:03/12/10 02:46
>>162
>また秀家が八丈島から帰れなかったのは、
「帰れなかった」じゃなくて「帰らなかった」ですね。
171日本@名無史さん:03/12/10 03:39
本多正信、正純父子が健在だったら帰れたのか?
ちょっと疑問だな。
172日本@名無史さん:03/12/10 06:34
前田家が健在だったから帰れなかった説も
ややこしいのに帰ってこられても・・・ってのもある。
173日本@名無史さん:03/12/10 06:44
豊臣秀吉の養子だった秀家が帰らせて貰えるわけないじゃん。
「帰らなかった」じゃなくて「帰れなかった」に決まってるだろ。
つーか八丈島流刑だけでも異常に寛大な措置だと思うのだが、
俺が家康なら死刑、もしくは八丈島に流してから暗殺。
174日本@名無史さん:03/12/10 07:56
たとえ帰ってこられても秀家の復権は無かっただろうな。
前田家にお預け、よくてせいぜいせがれに一万石くらいか。
175日本@名無史さん:03/12/10 09:27
常識的に考えると帰れるわけないな。重罪人だから。
それにしても家康公の度量の広さには驚かされる。
本来ならば浮田のような大罪を犯した輩は磔にして
その罪を明らかにし、天下に謝すべきであったのに。
176日本@名無史さん:03/12/10 10:39
関ヶ原から2年たっていて家康は秀家を厳罰に処するタイミングを失ったとも言える
そういう意味では薩摩に逃げ切った秀家の勝利とも言える


薩摩から海外へ逃げ捲土重来を期するとか、家康をびびらせようとすればいろいろと考えられたわけで
結局最後は前田+島津の命乞いで八丈島に流刑になった秀家は
所詮おぼっちゃま大名以上の物ではなかったと言うことなのだろう
177日本@名無史さん:03/12/10 16:15
毛利が処刑されてないのに宇喜田がやられるこたぁないだろ

ところで、坂崎直盛が千姫を嫁がせようとしていたのは誰なのか聞くのはこのスレでいいですか?
178日本@名無史さん:03/12/10 16:28
明石全登は死んだのか?
秀家はキリシタンだったのか?
179日本@名無史さん:03/12/10 17:31
>>177
毛利はピンピンしてた。宇喜多は素浪人に成り下がってた。
殺りやすさがちがう。
180日本@名無史さん:03/12/10 17:55
>>177
竜造寺高房

>>178
もちろんもうしんでる。

そのとおり。八丈島でキリシタンおどりを考案、普及に沢力する。
が、禁令が発布されると杖刑を受けて棄教。
181日本@名無史さん:03/12/10 17:57
>>178
明石全登の行方は結局分からずじまいじゃなかったっけ。幕府も必死になって探したようだけど。
ちなみに
全登の息子は薩摩に逃げて島津光久の祖母に匿われているのがかなり後になってばれて処刑。
光久の祖母は島流し。しかし、光久は連座せずにその後無事に藩主になれてるんだな。不思議だ。

秀家が切支丹だったかどうかは分かんないねえ。
少なくともバテレン側の記録にはそういう話はなかったと思う。
しかし、彼には側室もいなかったようだし、切支丹的な考えに染まってはいたかも。
182日本@名無史さん:03/12/11 06:42
>177
>毛利はピンピンしてた。宇喜多は素浪人に成り下がってた。
逆に言うと、あまり重要人物ではなくなった。家臣にもある面見放されて・・・
立花みたいに旧家臣が結束してるといいほうに転べば復活だが・・・悪い方にころべば
183日本@名無史さん:03/12/11 06:52
>>182
しかも関ヶ原から数年たって、処刑の見せしめとしての効果も薄くなった。
関ヶ原直後だったら三成たちと一緒に斬首だったんだろうけど。
184日本@名無史さん:03/12/13 03:34
浮田河内守
185日本@名無史さん:03/12/13 05:31
>>126
備中三村家の残党、必死だな。

あんの〜、126とは縁も所縁もないが、漏れの16代くらい前の先祖が
備中松山城の若き最後の城主三村某の伯父らしい。
毛利方三万人くらいで攻められ、500人くらいで出城を守り、油流しとか
岩石おとしとか、どこかで聞いたようなゲリラ戦法で持ちこたえたけど、結局
児島に流された。宇喜多とは親の代の時に備前の覇権を巡ってやられてるが、
三村一族は毛利憎しでも、うきたはどうかな〜。毛利は地元では有名な女軍も
世継ぎの六歳くらいの子どもも斬首したからねえ。
岡山では池田や秀吉の水攻めで兵の命乞いで腹きった清水某、鹿ノ介が人気だな。
186日本@名無史さん:03/12/13 06:22
>>185
備中三村家の残党、惨めだな。
187あぼーん:あぼーん
あぼーん
188日本@名無史さん:03/12/13 15:03
元々は浮田、佳字で宇喜多とした。
189日本@名無史さん:03/12/13 17:12
秀家ってけっきょく頭の足りないボンボンのまま死んだんだろうな。
190日本@名無史さん:03/12/13 17:30
↑お前よりはいいよ
191日本@名無史さん:03/12/13 18:09
>>190 これもスンマセンでした
あおりかどうか微妙なのでペコリ。
192日本@名無史さん:03/12/16 20:57
坂崎出羽守はホモ。
193日本@名無史さん:03/12/16 22:42
>>189
それは、全てあなたの思い込みです。
194日本@名無史さん:03/12/30 08:33

全て私の思い込みでした。スマソ。
195日本@名無史さん:03/12/31 21:52
>>194
伊達君、ついに反省することを覚えたんだね。サルから人間に進化した瞬間だ。(w
196日本@名無史さん:04/01/02 19:15
宇喜多板の皆さん、明けましてオメデトウございます。
197日本@名無史さん:04/01/02 19:27
今年も伊達家中をよろしこ
198日本@名無史さん:04/01/02 20:20
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
みんなも遊びにいこうよ!!フォウ!
┌────────┐
│J 謹賀新年    │          
│O 臣民たちよ  . │
|K  %%%%%%%%   |
|E   6|-○-○ |  . |
|R   |   >  |   │
|    \ ∇/    ..|
|    /  \     |  
│    |     |   │
│あけまして     .│
│  おめでとう!! │
└────────┘
明けましておめでとう!チバック帝国千葉です
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1072942920/l50
199日本@名無史さん:04/01/03 04:16
津山陽(だっけ、うろ覚え)の小説はどう?読む価値あり?
200日本@名無史さん:04/01/03 09:49
津山の小説は善人悪人の二元論が一本調子で深みがない。
200げと
201200:04/01/03 09:51
ついでにいうと津山じゃなくて津本
202日本@名無史さん:04/01/03 12:55
この人いい人そうだけどかっこいいエピソードとか功績って皆無
だよなぁ・・・宇喜多スレっていっつも300代で頭打ちになる。
203日本@名無史さん:04/01/03 15:55
>>199
津本の小説は、あくまで「作り事である」ことを納得の上で読まないと、創作が
多すぎて、歴史の勉強にはならん。時間つぶしにはなるかもしれんが、書いてある
内容が、真実じゃない部分が多すぎて、むしろ有害。

山陽新聞社「新釈 備前軍記」はマジ、お勧めだな。
204日本@名無史さん:04/01/04 12:58
>>203
な〜んだ。じゃぁ単なる司馬の劣化コピー版じゃん。
本家も有害な点では五十歩百歩だけどね。
205日本@名無史さん:04/01/04 14:59
>>204
そもそも小説から影響受けるおまえの脳が有害。
206&ΩΨρ:04/01/05 08:15
秀家さんは長生きしますた。八丈島の環境がよかったからでしょうな。
207日本@名無史さん:04/01/05 14:20
>>205
それは、全てあなたの思い込みです。
思い込むあなたの脳みそが極めて危険な有害物質です。
208あぼーん:あぼーん
あぼーん
209日本@名無史さん:04/01/15 22:16
マジで宇喜多秀家を語ろうぜ
210日本@名無史さん:04/01/16 00:16
>>207
> 思い込むあなたの脳みそが極めて危険な有害物質です。

それは、全てあなたの思い込みです。
211日本@名無史さん:04/01/16 02:38
なんかこのスレさびしいな・・・じゃあひとつネタ振り。

関ヶ原以前、宇喜多って決して小さい大名じゃないよね。
なのになんで宇喜多は取りつぶされて、毛利と上杉は減知で済んで、
島津に至ってはまるまる安堵になったんだ?なんでだ!

まずい、秀家に不利な結論がいきなり出そうだ・・・
212日本@名無史さん:04/01/16 02:45
DQNだからさ
213日本@名無史さん:04/01/16 02:51
>>211
それがネタ振りw?
戦後に抵抗できるほどまとまった軍を、持っていなかっただけだろ。
上杉も毛利も島津も攻められれば戦うだけの用意があったが、宇喜多は
主君自ら逃亡し、家臣や兵はバラバラじゃん。
家康は、褒美をあたえるためにもできるだけ領地をかき集めたかったのだから、
弱いやつからは否応なく取り上げるだけのこと。
別に考えるほどの意味もない。
214日本@名無史さん:04/02/03 21:42
保守あげ
215日本@名無史さん:04/02/06 13:43
       _,,,,,,,,
     , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,   宇喜田直家、本領安堵申付ける
   ,r'          /=ミ
  /           彡ll',''´
. /             彡lll
 !-- .、    ,、、、、,,,   彡lノ
 l,,,,,__ /   ___     'r''゙ヽ
. |`゙'' ./   `'゙'''"    .〉,l |
 |.   ,'           //
. ',. ,'           , r'
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |
.  |  |  .l i       / ./ |  |
  |  |  | l      / ./ .|  |
. |  |   | l     / /  |  |
 |  |   | ',   / /  l  .l
216名無し二等兵:04/02/10 22:55

>>215
有難き仕合せに御座いまする
217日本@名無史さん:04/02/11 01:47
宇喜田直家=名無し二等兵?
218日本@名無史さん:04/02/11 08:06
娘を秀頼に嫁がせるという条件で秀家を後継者にしておけば、
豊臣家は安泰だったかもしれないね。

一部に秀家無能説があるみたいだけど、それは正しくないでしょう。
家康が30くらいの時だって農民や家臣の反乱に手を焼いていた。

まあ秀吉に認められること自体すごいことだよ。
地位が人をつくるって言うが、もし秀家が関白になっていたら、
家康とてうかつには手をだせなかったでしょう。


219日本@名無史さん:04/02/11 08:54
>>218
うーん、まず武の面では指揮は部下にまかせっぱなし。
政治面ではひどい浪費癖があって、宇喜多家の経済は困窮。
無理な検地を強行してお家騒動。
外交面でもお家騒動で家臣を家康に取られたり、やむおえないかもしれんが結果的に宇喜多を潰した。
少なくとも無能な証拠はあっても有能な証拠がないんだよね。

あと「秀吉に認められる事自体すごいことだよ」って
そりゃ「認められる」の意味が違う気がするんだが、あくまで養子同然に育った事に対するものでしょ。
それと秀吉の激賞乱発癖知らないの?
秀吉が激賞した人物なんて少なくとも数十人はいるよ。
220日本@名無史さん:04/02/11 09:05
秀家の浪費は凄かったからね。
秀吉が五大老に宝剣を提出させた時、一本ずは抜けて豪華な宝剣があるのを見て一発で秀家のだとわかった逸話もあるし、
国元の政治など省みず毎日、京や大阪で遊興三昧だったし、
道楽に対する凝りようも尋常ではなく、鷹狩のための鷹を二百匹も飼っていたとか。
221日本@名無史さん:04/02/11 10:59
刀は武士の魂であり、鷹狩は軍事演習である
秀家の心掛けの程が偲ばれる
東京の江東区にある宇喜田といふ地名は,
宇喜田氏と関係があるのかな?
223日本@名無史さん:04/03/07 10:08
>>222
江東区じゃなくて、江戸川区ですな。
なんで宇喜多なのかは、調べたけど判らんかった。
224日本@名無史さん:04/03/07 13:18
>>221
大名たるもの戦に備えて兵を養い、財を蓄えねばならない。
だが秀家は・・・。
無意味に飾りたてた刀、無駄に増えた鷹が秀家の心掛けを示している。
225日本@名無史さん:04/03/08 14:17
>>224
それは、全てあなたの思い込みです。
226日本@名無しさん:04/03/20 08:21
激しく遅レスで申し訳ないが
>>2
の意味がワカラヌ。
227日本@名無史さん:04/03/22 02:05
犯罪者はあくまでも徳川
宇喜田こそ英雄である
228日本@名無史さん:04/03/22 04:34
えっ?浮田って犯罪者じゃなかったの?
島流しになったよね??
229日本@名無史さん:04/03/22 15:43
犯罪者はあくまでも徳川
宇喜田こそ英雄である
230日本@名無史さん:04/03/22 19:14
↑にわかには信じられんなあ。ソースキボンヌ。
231日本@名無史さん:04/03/22 22:56
>>229
君の思い込みや想像を聞いてるんじゃないよ
232日本@名無史さん:04/03/23 01:10
アウンサン・スーチーは軟禁されているが
客観的に見て犯罪者じゃないよな。
犯罪者はミヤンマー(自称)軍事政権。

みたいなもんか?
233日本@名無史さん:04/03/23 07:04
犯罪者はあくまでも徳川
宇喜田こそ英雄である

234日本@名無史さん:04/03/23 07:10
↑八丈島の子孫ですか?
235日本@名無史さん:04/03/23 09:26
>>234
いいえ、彼は多分伊達遠江守家中です。(w
236日本@名無しさん:04/04/06 22:20
宇喜多マンセー♪
237日本@名無史さん:04/04/07 00:43
宇喜多はチョソ
238日本@名無史さん:04/04/07 00:43
2005年 岡倉玉灘合併成功。政令市化で一気に広島を超える。
2006年 道州制施行。岡山市、中四国州都へ。
2007年 東京−岡山ノンストップリニアが建設される。
2008年 リニアの影響で東京がストローされる。事実上の経済首都へ。
2009年 岡山のあまりの都会さに失禁死する人間が続出。社会問題へ。
2010年 世界一の高さ及び容積を誇る人類最強の建造物ハラシバラシティ新棟建設される。
2011年 日本を岡山国に改名。
2012年 国連を岡山に移転。
2013年 地球を岡山星へ改称。
2014年 岡山で原子配列操作技術が完成される。
2015年 距離単位の「1海里」を「1ハヤシバラ」に改名。
2016年 「ノーベル賞」を「橋龍賞」に改名。
2017年 岡山人が国連議席率100%を獲得。
2018年 人類の発祥が岡山であることが判明。
2019年 火星の人面石が古代岡山人による建築物であることが証明される。
2020年 月が岡山人により作られた人口惑星であることが証明される。
2021年 太陽系を岡山星系に改称。
2022年 人類を岡山人類と改名。
2023年 地球上の全生物を岡山物と改名。
2024年 人類全体に謎の奇病が発生する。
2025年 汲み取り式便所から発生する病原体により人類滅亡。
239煙草はマイセン ◆prDdJ8Ym5w :04/04/20 20:51

マジで宇喜多秀家を語ろうぜ
240 :04/04/20 20:57
最近織田と武田が和解したって聞いたが、
宇喜多と徳川はどうなのよ?
241日本@名無史さん:04/04/20 21:35

和解も何も格が違いすぎるだろ。
242日本@名無史さん:04/04/20 23:44
宇喜多と坂崎は?
243日本@名無史さん:04/04/20 23:59
坂崎断絶してない?
244日本@名無史さん:04/04/21 00:00
宇喜多は戦国成り上がりに過ぎない徳川よりも、遥かに伝統ある家柄だが。
245日本@名無史さん:04/04/21 00:59
浦上家当主曰く
「絶対許さん!」
246日本@名無史さん:04/04/21 01:19
和解など笑止。
宇喜多が浦上家や徳川家に謝罪するのが筋というもの。
247日本@名無史さん:04/04/21 02:13
徳川に詫びる必要はない。
豊家の大老として職務を全うしただけし。
248日本@名無史さん:04/04/21 20:59
秀家は能力は低いが、性格が良かっただけ。
249日本@名無史さん:04/04/21 21:45
例えれば誰と同格?

戦場働きはどうなの?
250日本@名無史さん:04/04/22 00:12
家老に藩政を丸投げするとは大器の証。
251日本@名無史さん:04/04/22 03:26
それでちゃんと治まっていたらね・・・。
252日本@名無史さん:04/04/23 01:38
家老に軍配を丸投げするとは大器の証。
253日本@名無史さん:04/04/23 02:21
頼みになる一族や譜代の重臣も抜けてスカスカだったよね・・・。
254日本@名無史さん:04/05/02 19:18
10万石で再興の話があったが、宇喜多側が意地で断った
255日本@名無史さん:04/05/02 19:20
関ヶ原勝利の暁にはどういう手形が石田側から切られていたんですか?
256日本@名無史さん:04/05/02 19:41
家中分裂の原因は?

その後の彼ら、どうなっちゃったの?
257日本@名無史さん:04/05/02 19:45
戸川氏や花房氏それに従弟の詮家?みたいに大名や交代寄合に取り立てられたりいろいろ
258日本@名無史さん:04/05/02 20:14
浪費家夫婦がどうしたの
259日本@名無史さん:04/05/02 23:45

かんどうされておとりつぶしになったんだよ。
260日本@名無史さん:04/05/03 10:22
>>252
むしろ「いつまでも自分で指揮を取りたがる大将」ってのも・・・
261日本@名無史さん:04/05/03 10:51
たしか伊達資料館に宇喜多秀家の手紙が残っていたよ。
漢文で書かれていた。
ほかの大名は崩しで読むこともなんぎした。
ただ、秀家の漢文は約文と本文を見比べて文章を読むことが出来る、丁寧な文章だったよ。
太閤のはひらがなばかりで・・・・・・
262日本@名無史さん:04/05/03 10:59
>>261
漢字なんかどうでもいいから、読んで意味が伝わればいいんじゃ。

と、太閤殿下は言ってたそうで。
263日本@名無史さん:04/05/03 12:38
文盲の利巧者>>>>>>>>漢文馬鹿
264日本@名無史さん:04/05/04 05:58
バカと言い切るのもどうかと。
漏れや263が宇喜多秀家の立場だった場合、果たしてどうなっていたか。
265日本@名無史さん:04/05/04 10:47
>>264
風見鶏に徹することができるほど小さな存在でもないし、さりとて先頭きって家康に刃向か
うことができるほどの領地や年齢やカリスマがあるわけでもない。
毛利なら(たとえ内実はアレでも)「あの慎重を以って鳴る毛利家が起つからには勝算があ
るのだろう」と史実どおりついてくる大名がいるだろうし、上杉なら「あの戦争バカ謙信が鍛え
上げた上杉軍団」という得体の知れないカリスマ性(例えば「家康を破った信玄と対等に戦
った上杉なら、家康より強いかも」という想像)がある。
宇喜多には、正直言ってどちらもない。非常に微妙な存在だな。
266日本@名無史さん:04/05/04 12:38
朝鮮の役で手の内は解っていたんじゃないかな?
267日本@名無史さん:04/05/05 17:15
戦場指揮官としてはどうなの

中の中ぐらい?
268日本@名無史さん:04/05/05 18:20
>伊達資料館

って愛媛の?、北海道の?
269日本@名無史さん:04/05/05 20:21
>>265
>「あの戦争バカ謙信が鍛え上げた上杉軍団」
という評価が当時あったのかな?
上杉は景勝の代になってからは織田に勝ったこと
ない。天正10年には、富山と信州の両方から
攻められて、本能寺の変が起きなければ数ヶ月
でアポーンのはずだったし。
 徳川の世になって、権現様に勝った信玄
⇒その信玄と信濃をめぐっての好敵手だった謙信
⇒謙信偉い⇒その謙信の薫陶が残った上杉軍団強いはず
というように評価されるようなったと思うのだが?
270日本@名無史さん:04/05/06 00:45
>269
対信長勢との戦いはお館の乱後で
弱体化していたことは知っていただろう。
それさえ知らないで弱い!と言うヤツは
たいしたヤツじゃないからどうでもいいな。

謙信は中央とのつながりもあったから
名前も通っているだろうし、
なにせ100万石の太守である。
影勝本人も決して凡庸ではないだろうし
直江山城という有名な家老もいる。
決して侮れないと判断しないかな?
271日本@名無史さん:04/05/08 02:01
>>265
マイナス要因
・家中がたがた
・若輩
・激昂型


プラス要因
・なにはなくとも領地はでかい
・官位の高さ
・豊臣政権政治中枢での存在感・知名度・顔の広さ
・「豊臣家の一門」として自他共に認める存在
 (中継ぎぐらいならあるいは・・・と
   外からも思われていてもおかしくない、と思う)
・前田と密接な縁戚
 (前田利家がこっそり作り上げた”前田派”の中心部の一翼)
・(本人の戦績とは言い切れなくても)朝鮮戦役のポイント


追加希望>ALL
272日本@名無史さん:04/05/08 02:16
>271
プラス要因
・明石全登
273日本@名無史さん:04/05/08 05:40
>>272
そのぐらいの人物がが家中に「ひとりいる」というぐらいで
”宇喜多秀家(つまり宇喜多軍全体)”の評価変わるもんでしょうか?
大名の実力・軍事力の当時の世評ってのは、社長一人ではなく
会社の規模、上から下まで全てのシステム、それを構築運用する社員の質、
のほうが認められてたんじゃないでしょうか?
石田三成(つまりは石田軍)然り。
例えば「名物社員が一人」いたとしても逆に
あの会社は結局、専務のあいつ一人がなんとか切り盛りしてるだけ
なんだよね。あいつが風邪引いたらあの会社おしまいよ。
ぐらいで終わるのでは?

加賀系と譜代系で揉めてたらしいですし、朝鮮戦役当時の
システムは維持できてなかったんじゃないでしょうか?
の、割に「過剰なまでの総兵力」を関が原に持ち込んでますよね。
・・・金で集めたのかなぁ・・・秀吉の遺産。


とにかく、明石一人じゃプラスには到底ならないでしょ?
譜代系の家臣の逐電のほうをマイナスとする
・家中がたがた
ってことで。
274日本@名無史さん:04/05/08 05:46
>>271
>・「豊臣家の一門」として自他共に認める存在

秀家本人は自分を「浮田」「宇喜多」なんてちっとも思ってなく、
太閤の実子・養子の気分でいたらしい。

署名にいつでも勝手に「豊臣秀家」とサインしてて、
ちょっと問題になったのだけれど、
秀吉が秀家だからオッケー、と公認許可していたらしいです。


「実際のところ、秀家は秀吉の(正式に)養子だったか否か」
は結構、後世的に議論が割れる問題だとか聞いたことがあります。
秀次は養子、秀康は養子、秀秋も養子。しかし秀家は・・・??
275日本@名無史さん:04/05/08 06:22
親の一光もないのかな?
276日本@名無史さん:04/05/08 07:02
>署名にいつでも勝手に「豊臣秀家」とサインしてて、
>ちょっと問題になったのだけれど、
>秀吉が秀家だからオッケー、と公認許可していたらしいです。

初耳ですがソースは?。
277日本@名無史さん:04/05/08 09:12
姓としての豊臣なら、秀次、秀康、秀秋あたりはおろか、
前田利家や蒲生氏郷、加藤清正、池田輝政他多数賜っていたくらいだから、
「豊臣秀家」は署名としては特に問題がなかったような気がするけど。
278日本@名無史さん:04/05/08 14:32
>>276
漏れも聞いたことあるな
史料はわからんけど


>>277
江戸時代の松平と違って、この頃はなかなか
署名に使う例ってないのではないか?
特に「(足軽上がりの)豊臣」だし。
堂々と「豊臣利家」「豊臣清正」とか書いてる例って
あったのでしょうか?

あと、みんなに配られたのって「羽柴」じゃないか?
「豊臣」は、案外小大名に多いような気がする。
279日本@名無史さん:04/05/08 14:33
>273
軍団として考えれば、
明石部隊がいるというのは
忘れてはいけないと思う。
280日本@名無史さん:04/05/08 15:37
>>272
てゆーか明石は宇喜多家内紛までは「客分」で、家老重臣の多くが退散してしまった後に
依頼されて家老になったと書いた本があった記憶が。
そうだとすれば、明石自身にそれ程の求心力があったかはちょっと疑問。
もし関ヶ原が起きずに宇喜多家が存続していた場合、このままでは譜代層から再度反動
がありそうな悪寒。
281日本@名無史さん:04/05/08 16:29
>>278
「豊臣」は姓(セイ)、要するに氏(ウジ)のことで源平藤橘に相当
「羽柴」は名字(ミョウジ)であり足利、武田、上杉、松平に相当

前者は織田信雄(平氏)、徳川家康(源氏)以外の諸大名に与えられ、
後者は徳川家も含めて多くの大名に与えられている。
282日本@名無史さん:04/05/08 17:23
>>281
ちょと思ったんだけど、「豊臣」に相当するは「源朝臣」とかではないかという気がしてきた。
つまり「豊臣」の「臣」はカバネではないかと思う。
宣旨の類で「豊臣朝臣秀吉」とかでなく「豊臣秀吉」となっていれば、
豊臣の臣はカバネか、もしくは豊臣はカバネのないウジ(庶民クラスのウジ)ということになる。
283日本@名無史さん:04/05/08 18:23
>>281
となると、例えば家康が徳川内大臣源家康であるならば秀吉の場合「豊臣関白豊臣秀吉」
では不自然。「羽柴関白豊臣秀吉」であれば、徳川と並立するのは羽柴なので、一般的な
表現はおかしいことになるね。
多分家の称号としては最後まで「羽柴」ということでいいんじゃなかろうか。
284日本@名無史さん:04/05/08 18:40
>>283
そういうことです。
豊臣賜姓というのは、それまでの藤原姓を豊臣姓に改姓したということであって、
秀吉・秀頼の名字はずっと「羽柴」のままです。
285日本@名無史さん:04/05/08 22:27
別にいいけど
>>278
加藤は豊臣姓貰ってないと思う。勝手に使ってただけで。

>>282
昔どっかのスレで豊臣を「とよのおみ」じゃないかと言ってた奴がいたが、そういうことか?
286日本@名無史さん:04/05/08 23:36
「豊臣朝臣」ですよ。
287日本@名無史さん:04/05/11 21:30
>285
従四位下肥後守に叙任されたときの口宣案に「豊臣清正朝臣」とある。
ただし秀吉から与えられて称した訳ではないようだが。
288日本@名無史さん:04/05/15 20:29
並の能力?
289日本@名無史さん:04/05/16 04:02
>288
いや、並ツユダク。
290日本@名無史さん:04/05/16 21:59
宇喜多の領地は秀吉の中国攻めに加担するまで、せいぜい備前一国ぐらいだったんだ。秀吉の毛利攻めに従って、57万石
に及ぶ領国を得たんだ。だから、秀吉べったりなのは当たり前、家臣の浮田左京や戸川肥後、明石、花房、岡らは皆、秀吉に直
臣でもあった。家中騒動は、豪姫の連れてきた中村という者や長船、明石らキリシタンと法華門徒の浮田左京、戸川、花房らの
争いという説もある。前田もキリシタンか?家康はこの争いを、小西と加藤の争いや石田三成と福島、黒田、細川らとの争いなど
豊臣家臣団の分裂として魚父の利を得ようとした。
 関ヶ原の時の宇喜多勢は半分くらいが新参者で戦意がなく、明石全澄はよくまとめたもんだ。それも、東軍黒田の与力となって
いた戸川、浮田左京が必死で攻め込んできたからだろう。秀家個人の力量はともかく、関ヶ原前後の宇喜多家の動静はもっと
注目されていいと思う。西軍の主戦力だから。
291日本@名無史さん:04/05/18 00:51
>>290
君の思い込みや想像を聞いてるんじゃない
292日本@名無史さん:04/05/18 08:37
>243
千姫を紹介してくれと頼まれてそれが
反故になったので反抗したらしい、だって
親子ほど離れてるんですよ。
293日本@名無史さん:04/05/18 09:20
>>290
ちと違うね。
宇喜多家は元々、歴戦の家などではなく
親父の直家ですら生涯2回しかマトモな合戦をした事がないというくらいの
武力的には伝統的にショボイ家だった。

内紛のお蔭でプライドが高いだけでやる気のないたいして武功のあるわけでもない譜代の武士たちが抜け、
かわりに豊臣派の武士やキリシタンの武士などが入って戦力もまとまりもパワーアップしたそうな。
実際、明石も「やりやすくなった」とはっきり言っている。
そうじゃなければ歴戦の福島とかと対等に戦えるわけでない、
それに宇喜多は福島だけではなく他のいろいろな東軍と手広く闘ってた。
294293:04/05/18 09:29
いろいろ、おかしな文になった。
「わけでない」は「わけがない」ね。
295日本@名無史さん:04/05/18 09:48
>>287
ちなみ豊臣清正の件は問題になり
清正更迭の事由の一つとなった。
296日本@名無史さん:04/05/18 14:30
>>293
あんた以前からそのネタそこらじゅうで書きまくってないか?
いいかげん見飽きたんだが。
297日本@名無史さん:04/05/18 21:26
>>296
それは、全てあなたの思い込みです。
298金吾秀秋:04/05/19 04:20
関ヶ原板にいづらくなったので、
ここにいていい?(´・ω・`)
299日本@名無史さん:04/05/19 06:11
>>298
おまえうざい。
300日本@名無史さん:04/05/19 09:21
>>296
知らない人がいたから
教えてあげただけだ。
301日本@名無史さん:04/05/19 11:49
>>300
それは、全てあなたの思い込みです。
302日本@名無史さん:04/05/19 21:40
関ヶ原では西軍に合流して即座に三成に対し
体勢のまだ整っていない東軍に夜襲をかけることを打診した。断られたが。
まあ秀家が考えたかどうかは別としてこれは評価に値する。

肖像で笑ってるよね。上品そうな顔つきだだが、このスレをみると・・・
303日本@名無史さん:04/06/14 17:36
26歳で関が原か。
一番の働き手(血気に余って)になるべく、戦闘では頑張っていたな。
304日本@名無史さん:04/06/16 15:10
>>302
提案したのは大谷刑部だろっ・・と普通につっこんでみる

以下推測−−
西軍で機能してたのは石田三成(島勝猛)、大谷刑部、立花宗茂、宇喜多秀家、
小西行長、安国寺(あとは忘れた)
ほかの軍団も2/3は観戦モード
毛利は吉川にじゃまされて動けず

毛利は事前の約束事から領地没収のみ
>>176の書いてる通り、殺す機会を失ったのは一理あるかも
あとは、毛利と同じで担がれて副将になり、
実際に戦闘指揮してたのは明石全澄
殺さなくても無害だと家康が判断したとか
・・・
やはりぼうやだったんだな。
305日本@名無史さん:04/06/17 06:39
全登
306日本@名無史さん:04/06/17 08:01
若手の大将達の動向は?

宇喜多秀家
小早川秀秋
毛利秀元
・・・・
307日本@名無史さん:04/06/17 13:44
>>306
関が原の??
前後の政治的動向はちょっと置いといて
関が原陣形図
ttp://www.ginet.or.jp/sekigahara/rekishi/reki1_1.htm
このうち宇喜多軍−福島軍が午前8時に会戦して、
一番の激戦区だったと予想される。
正午に石田三成が総攻撃を掛けたと同時に
小早川軍が大谷軍を攻撃
毛利軍は前にいた吉川軍(すでに内応ずみ)
にじゃまされて動けず
午後1時過には大谷軍を始め島、蒲生、小西軍はほぼ壊滅

正午前までには西軍優勢だったんだな。
その主力だった宇喜多秀家軍は確かにすごいと思う。
宇喜多軍内の指揮系統はよくわからんがな。
誰か詳しい人おらんかい??
308日本@名無史さん:04/06/17 14:09
そんなすごいか?石田の方がはるかにすごいと思うが。
309日本@名無史さん:04/06/17 14:28
>>306
石田、島、蒲生軍×黒田、細川の内情としては
島は開始早々負傷して機能してないし
石田軍に至っては後ろで小競り合いしかしてない

関が原では小早川秀秋、吉川広家の事前対応など
敗因を作ったのは石田だろ
家督を譲ってからの石田三成の動向は評価低いな。
個人的には好きなんだけどね。
310日本@名無史さん:04/06/17 22:20
小早川はどうにもならんよ。
一応大谷は(脇坂等が裏切るまでは)抑えてたから、ある意味目論見通りだったし。

あ、でもその脇坂等の事前対応…
311日本@名無史さん:04/06/17 23:49
>>309
島、蒲生は石田の家臣だし、島が開戦早々に負傷しても石田隊は機能してたと思うが。
312日本@名無史さん:04/06/18 01:06
>>311
なにが言いたいかわからんが、
島が負傷しても全体の石田軍は大丈夫だろと言いたいのか?

陣形図を見ろ
石田軍は軍隊を3つに分けて鶴翼に配置
各指揮系統は島、蒲生、石田(←実際は指揮とれない)
あれで島が早々に負傷したら左側は機能しないよ
というか、立て直さないと全体が動けんわな

石田の話しはこれくらいにして
誰か宇喜多秀家軍の指揮系統を教えて
やんごとなき人!!
313日本@名無史さん:04/06/18 09:37

何をいってんのかよくわからんが、島が開戦早々に負傷しても石田隊は機能してたと思うが。
314日本@名無史さん:04/06/18 09:45
>>313 = 311 = 池沼
石田軍が機能してないとは書いてないな
315日本@名無史さん:04/06/18 14:18
なるほど。島の不詳で左側は機能せず、うしろの石田は指揮がとれず小競り合いだけ。
ってことは右側の蒲生一人でがんばってたということか。
すごいね。
316日本@名無史さん:04/06/18 16:38
舞兵庫ですが、何か?
317日本@名無史さん:04/06/18 17:47
>>316
大当たり
実際に石田軍を指揮してたのは前野忠康
他軍への伝令は八十島等

というか、三成スレにカエレ!!
ttp://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1045405132/
318日本@名無史さん:04/06/18 21:12
秀家が殺されなかった理由を知っています。
家臣の進藤という男が奇跡を起こしたんですよ。
進藤が頑張って秀家を九州まで逃がすんです。
それを知った家康が進藤の頑張りに感動して思わず許してしまったのが真相です。

319備前宰相:04/06/20 02:45
ところで秀家って岡山城作ったんですよねえ。んで、天守閣でかみさんの豪姫と二人して踊ってたりしておしどり夫婦だったとか・・・・・。
320備前宰相:04/06/20 05:46
でも秀家は能や茶湯が好きで(秀吉の影響)、豪姫はその名の通り贅を尽くした生活で、お金がスッカラカン♪
321日本@名無史さん
いや石田隊は数倍の大軍相手に大奮戦したよ。
島は負傷したろうが個々の判断で戦うなり誰かが適当に指揮をとるなりしたんだろ。
しかも最後まで崩れなかったという。
三成が金で集めた豪傑たちが堅固な野戦築城に篭ってたからねえ。
他に一説には大砲をも投入したとか。