1 :
日本@名無史さん:
について語ろう!
語りたくありませんが、何か?
3 :
日本@名無史さん:03/11/06 10:18
3マ!
4 :
日本@名無史さん:03/11/06 10:31
太宰府天満宮のあの人とよく間違える
5 :
日本@名無史さん:03/11/06 10:42
・武士関係ネタ
・イデオロギーネタ(近代、皇室起源、対朝鮮)
以外はなかなか盛り上がらないことが多いが、がんがってください
6 :
日本@名無史さん:03/11/06 10:44
紫式部と清少納言
二人の大年増の扱いに苦労した人だ
8 :
日本@名無史さん:03/11/06 11:44
藤原道隆
藤原道兼
藤原道家
子孫は誰だ?
9 :
日本@名無史さん:03/11/06 12:22
藤原組長
10 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/11/06 12:23
>>7 赤染衛門は可愛げがあるとして
和泉式部・清少納言・紫式部
の三人は誰でも扱いに苦労するんじゃ。
11 :
日本@名無史さん:03/11/06 14:33
私は藤原道長よりも藤原紀香のほうが好きですが、何か?
14 :
日本@名無史さん:03/11/09 16:22
誰か 語ってよ!
15 :
日本@名無史さん:03/11/09 17:14
とりあえず
この世をば我が世とぞ思ふもち月のかけたることもなしと思へば
16 :
日本@名無史さん:03/11/09 18:00
真偽はわからんがオレは藤原道長の子孫だ。
本家には平安時代末期から続く墓もある。
17 :
日本@名無史さん:03/11/09 18:29
紫式部との仲はどうだったのか?藤原実資も彼女をひいきにしていたらしいが。
真偽はわからんが漏れは桓武天皇の子孫だ。
本家には古墳時代から続く墓もあるニダ。
晩年はあまり幸せじゃなかったみたいですね。
糖尿病に苦しみ、娘達には相次いで先出たれ、
息子達は折り合いが悪いし…。
やっぱ人生良い事ばっかり続かない、ってことですね。
20 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/11/12 00:21
>>16 どんな墓ですか?木幡のものですら曽祖父以前のものは判別がつきにくかった
そうですが。
>>19 『小右記』と『栄花物語』ではかなり臨終の描写が違いますね。
結局この人は日本の歴史的に何を成した人なのですか
22 :
日本@名無史さん:03/11/12 03:24
>>21 源平藤橘の中で天皇家から直接派生していないのは藤原だけだし、
藤原という家を近世にいたるまで日本の中央に存在させた意義は大きいのでは
ただ、この時代既に武家の台頭が始まっていたわけだが……。
隆家に天下取って欲しかった‥。
(子孫は院政期にかなり盛りかえしてるけど)
25 :
日本@名無史さん:03/11/12 20:54
源氏物語の光源氏のモデル?
っていう説があるね。
26 :
日本@名無史さん:03/11/12 20:58
藤原伊周?
伊周さんは道長の兄道隆の長男、中宮(皇后)定子の兄弟。
政敵です。
28 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/12 22:45
>>23 >この時代既に武家の台頭
ちょっと早くありませんか。
29 :
日本@名無史さん:03/11/12 23:03
考えたら大して業績残してないよね、この人。
後世への影響や貢献度という点では、紫式部の方が断然大きい。
あ、でも、和泉式部や赤染衛門といった才能有る女性達を集めて
活躍、創作の場を提供した、って所は文化面の業績、って言えるかな。
31 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/13 00:51
>>29 単純に五摂家の存在だけ考えても影響は大きいでしょう。
それに彼が存在しなければ『源氏物語』ほかも存在したかどうか。
そもそも彼が存在しなくなった場合、何時院政期が到来するのか何時武家の
世なるものが始まるのかまるで想像がつきませんよ。
この辺りは彼の意図したところではありませんが・・・。
32 :
日本@名無史さん:03/11/13 01:28
>>31 ありがとうございます。
個別の事件や出来事の主役というより、一時代を体現した男というべきなんでしょうかね。
33 :
日本@名無史さん:03/11/13 02:31
NHKの大河ドラマにならないかなあ?
配役は誰?
35 :
日本@名無史さん:03/11/13 12:46
一家に三后を立つ。未曾有なり。
―『小右記』
36 :
日本@名無史さん:03/11/13 13:12
37 :
日本@名無史さん:03/11/13 16:12
藤井って誰?
道長の大河ドラマはちょっとおもしろそうだなあ。
永井路子の原作もあることだし。
38 :
日本@名無史さん:03/11/13 17:22
道路公団の藤井だろ
39 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/14 19:53
あの時代の文学作品で一番面白いのはなんでしょうかね。
道長絡みなら『栄花物語』前篇(作者は赤染衛門とも)でしょうが。
藤井隆だと思った
ホットホット道長がみたい
41 :
日本@名無史さん:03/12/29 20:58
大河ドラマ化なら、瀬戸内寂聴の「この世をば」をキボンヌ
ついでに、安倍晴明も絡ませれば尚可
42 :
日本@名無史さん:03/12/29 21:03
「この世をば」は永井路子じゃなかったっけ?
それと道長にからめると晴明はじーさんになっちまうぞ
43 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/12/30 12:10
安倍晴明はどうせ脇役でしょう。「まともに」取り上げれば。
44 :
日本@名無史さん:03/12/30 23:50
>>36 藤井って
藤が先に来た時点で子孫じゃ無い気がするが
藤原氏の子孫の場合藤が後につくよ
伊藤(伊東)、工藤、佐藤、首藤、後藤・・・・
45 :
日本@名無史さん:03/12/31 15:37
>>44 山内首藤経俊なんて武士もいたな。そう言えば。
苗字が二つもあって不自由だったんじゃないか?
と、厨房の頃、しなくてもいい心配をしたもんだ。
46 :
日本@名無史さん:03/12/31 16:35
中右記の作者は俺の先祖
と言う事は道長は俺の先祖
まぁそんなんじゃ飯食えないから自分の中でだけ誇りとして持ってるけどな
望月の欠けたることなし。道長さんの家から観る月は、いつも満月ですた。
48 :
日本@名無史さん:04/01/02 11:24
平安貴族の政争スレでいいのでは?
49 :
日本@名無史さん:04/01/04 09:09
道長の子供で優秀だったのは誰かな?教通?能信?意外と長家か?
あぼーん
51 :
日本@名無史さん:04/01/31 10:46
能信が一番覇気があるのでは?
といってもみんなオボッチャンだから単にわがままだっただけかもしれないですが。
能信にもし実娘がいて皇子を誕生させていたら、天皇までなれたでしょうか?
52 :
日本@名無史さん:04/01/31 10:55
前からお聞きしたかったのですが、
山野さんって誰なの?その道の専門家なの?
すごく詳しいよね?
53 :
日本@名無史さん:04/01/31 11:21
大河ドラマにするなら、
藤原実資の視点で脚本を書いて欲しいな。
ナレーションも実資役の人間が担当する形にして。
54 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:42
清少納言が仕えた中宮定子一家が道隆没後衰えたのは一條帝の母が
道長に肩入れしたといわれていますが、その理由は主にどのような
ものだったと考えられているのですか?
55 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/01 00:30
>>52 ご想像にお任せ致します。
>>53 どうせなら長生き同士(実資と赤染衛門)が論争する形式・・・はありえないか。
>>54 詮子と弟道長の年齢が近いという事もあったのでしょうが、道長自身の政治力も
あってこの時にはほとんど決着はついていたのではないかと。
「摂関政治」といいますが別に外戚になったからといってそれが権力掌握に直結
した訳でも無ければ摂政・関白が思うがままに政治を操る事が出来たという訳で
も無かったようです。そこに至るまでの過程が重要。
最後に道長と詮子の関係について付け加えておくと、詮子の四十の賀に道長が法華
八講を営んでいる(この後詮子死去)他、命日にも慈徳寺で営んでいます。
息子達の経歴はどんなもんなのですか?
外祖父になれなかったようですが
57 :
日本@名無史さん:04/02/02 10:04
一条天皇の年齢を考えると難しいが、
道隆没前に定子が皇子を産んでいれば、すんなり伊周に政権は移ったかも?
やっぱり運でしょうな。
一条のおじ(道兼、道長)といとこ(伊周)ではやはりおじの方に政権が移る
のはしかたがないか。
58 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/02 11:42
>>56 まあその辺りの経過は啓蒙書をお読み下さい。
>>57 運も強かったでしょうが、しかし道隆の生きていた頃から内覧や随身のこと
で揉めていた伊周は天皇や周囲の印象が悪かったようですからね。
彼の器量じゃあんなものだったのではないかという気がします。
59 :
日本@名無史さん:04/02/02 13:32
一條帝も伊周には元々あまり良い感情を抱いてなかったのではないかという
ことを本で読んだことがあります。
あと、詮子が定子の母の高階氏にあまり良い感情を抱いていなかったのでは
ないかと書いてある本もありましたね。
まあ、人間の感情の部分は結局は推測するしかないのでしょうが。
60 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/02 17:44
『小右記』を読んでみても実資からもいい印象を持たれていなかったことが
窺えますね。まあ実資の場合は言うまでもなくいちいち道長一門のやり方に
対して不満を述べていたので気難しい人物であったという点は割り引いて考
える必要がありますが(でも知識を見込んで頼通などが質問をして来た時に
はちゃんと答えている)。
61 :
日本@名無史さん:04/02/06 20:54
伊周っていう名前はやっぱり古代中国の伊尹と周公から取ったのかな。
何か名前負けしたって感じですが。
伊尹からそのまま命名した大伯父の伊尹(これまさ)はその点偉かった。
62 :
日本@名無史さん:04/02/06 20:58
人物叢書から「一条天皇」出ましたね。みなさん読まれましたか?
道長との協調に腐心する天皇を描いていた。
63 :
日本@名無史さん:04/02/06 23:06
64 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/06 23:52
>>62 藤原道長や紫式部に遅れること何年になるのやら・・・。
65 :
日本@名無史さん:04/02/07 00:00
藤原道長の人物叢書はまだ出てなかったような・・・
66 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 00:05
道長はまだでしたか。先日読んだ『紫式部』と混同したようです・・・。
67 :
日本@名無史さん:04/02/15 00:50
藤原道長と光源氏の関係について教えてください
68 :
日本@名無史さん:04/02/15 00:52
>67
簡単に説明するとだな
エロ本購入者とその本の主人公。
69 :
日本@名無史さん:04/02/15 00:52
70 :
日本@名無史さん:04/02/25 21:23
>>67 道長=光源氏モデル説はある。
もっとも、様々な人物がモデルといわれているのだが。
71 :
日本@名無史さん:04/02/25 21:54
平安時代には数多くの日記が書かれましたが、当時の日記は現在のようなプライベートを綴るものではなく、
他人に読まれることを前提とした記録書のようなものでした。
貴族の重要な任務は、朝廷の年中行事や儀式を先例通りに執り行うことです。
1つの儀式にしても、細かく書きとめておけば、後を継ぐ人達が先例を参考にしやすくなります。
こうして書かれた日記の中には、後の代にまで伝えられ、やがては一般の人にも読まれて、
1つの本として愛読されるようになったものもあります。
そういった日記の一つに藤原道長が書いたという『御堂関白記』があります。
これは彼の最盛期に書かれたものですが、道長直筆の原本十四巻が今も残っているという大変貴重なものです。
この日記は毎日の運勢が暦の下に漢文で記されている『具注歴』という暦(当時流行)に書かれています。
言ってみれば占いつきカレンダーでしょうか。人々は暦の余白や裏ページに日記をつけたのです。
それはともかく、道長の日記はいたっておおざっぱで、書き出しなどは日によってバラバラの不揃い、
ひどいところになると、その日の運勢が書かれている第1行の上に、また文字を重ねて書くなど大変雑なものでした。
書かれている事はごく簡単なことなのですが、それにしては誤字脱字がたくさんありました。
平安中期の栄華を極めた道長も、それほどの文才はなかったようです。
御堂関白記は資料としては貴重だけど読んでて面白くないよねえ
誰と会っただのどういう行事があっただのというだけで中身はあんまり
小右記のほうが面白いけど悪口多すぎ
こういう人がオピニオンリーダーやってんだから言われた方はたまらんなぁ
73 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/27 00:33
>>72 『小右記』の方が面白いのには同意。でも『御堂関白記』も結構ニヤリとさ
せられるような(こちらが情景を想像しているせいかもしれませんが)。
74 :
日本@名無史さん:04/02/29 14:17
平安貴族の日記は忘備録的な要素が強いから…。
75 :
日本@名無史さん:04/03/16 00:56
道長って、どの天皇の血を受け継いでいるの?
76 :
日本@名無史さん:04/03/21 17:55
道長の祖父師輔の母方の祖父が源能有。
源能有は文徳天皇の皇子。
師輔の父忠平の母方の祖父が人康親王。
人康親王は仁明天皇の皇子。
更にさかのぼると北家初代房前の妻の一人に無漏女王がいる。
無漏女王の父美怒王は敏達天皇の曾孫。
房前と無漏女王の子の一人が真楯(異説有り)。
その子が内麻呂、その子が冬嗣、その子が長良、その子が基経、その子が忠平。
以上三天皇の先祖に当たる諸天皇(母系含む)は全員道長の先祖。
他にも母系で繋がる天皇がいるかも知れませんが、
わたしが図書館で調べれた資料ではこれだけしかわかりません。
77 :
日本@名無史さん:04/04/10 19:47
道長って一度も大河に出た事ないの?
えぇの〜。平安時代。
79 :
日本@名無史さん:
道長役は伊武雅刀できまりだろう
こいつほど、はまり役は他に見当たらない