928 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 20:08:17
>>927 大坂城代で太田摂津守資次とか太田摂津守資始とかいるけど。
929 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 21:39:20
どうしてこのスレはこうレベルが低いのかね
俺には丁度いいから高レベルな人は来ないか親切になるかどっちかがいいと思うよ
>>926 その鎌倉北条氏の官職の序列は実際の(公家)の序列どうりじゃないですかね。
近衛府>衛門府>兵衛府>馬寮
天皇に近い場所の警備する近衛府の地位が一番高い。
成功の相場っていつの時代の資料なのでしょう?
室町後期、朝廷と地方の武士が幕府を通さずに任官していた
時期の資料だと官職による相場の差ってあまりないような。
大内氏とかは大金だしてますけど、他の武士だとほぼ同額だったと思います。
932 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:19:58
そもそも室町時代には成功は実施されていませんので比較になりません
933 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 13:25:38
紀伊徳川家ってなんで常陸介なの?尾張や水戸の衛府督ぬ比べて低すぎ。
分家の西条松平の左京大夫に比べても低すぎ。
常陸は親王任国だから介が受領で他国の守と同等ってのはわかるけど、
でも別に五位の官になったわけじゃなくて官位相当は六位のままでしょう。
やっぱり官途の中でも格下だと思うんだけど。なぜだろう?
934 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 13:28:34
江戸時代に官位相当を気にする武士はひとりもいない
官途に格下も格上もない
935 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 13:45:48
12世紀末で
衛門尉は10000疋(100貫文)、兵衛尉7000疋(70貫文)、馬允5000疋(50貫文)、将監2000疋(20貫文)
13世紀末ごろで
衛門尉は1500疋(15貫文)、兵衛尉1000疋(10貫文)、馬允600疋(6貫文)、将監800疋(8貫文)
あとのほうが安いのは値崩れ。
>官途に格下も格上もない
それは言い過ぎ、五位では名乗れない官途もあるし、衛府督はそう簡単には名乗れない。
>>935 >>官途に格下も格上もない
>それは言い過ぎ、五位では名乗れない官途もあるし、衛府督はそう簡単には名乗れない。
>>934 さんが言いたかったのは江戸時代
大国の守>下国の守 という意識を持ってなかったということでは?
衛門/兵衛督などは受領名とは同等とは思っていないでしょう。
これって鎌倉/室町時代の武家もそうでは?
鎌倉時代だと北条得宗家(相模守:上国)>北条一門の有力者(陸奥守:大国)という序列だし。
937 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:49:04
>>920 直定は当初は嗣子ではなかったので従五位下に任ぜられたのです。
兄直惟の嗣子となると、すぐに従四位下侍従に任ぜられています。
>933
なんか、肝心の質問に答えが出てないみたいなので、これは漏れの推測だが参考まで聞いてくれ。
紀伊家が常陸介なのは、頼宣の最初の領地が常陸水戸だったからでは?(ちなみに、頼宣が常陸介
になった時、青山常陸介忠俊が頼宣に遠慮して伯耆守に官名を変えている)
尾張家の場合、「尾張」の読みが「終わり」に通じて縁起が悪いということで避けたような気がする。
現に、「尾張守」は「武蔵守」(江戸のある国だが池田利隆が慶長12年より松平姓の名乗りと一緒に
使っている)よりも使用頻度が少ない、というか使ってるやついない。その代わり、なんとなく格上っぽい
右兵衛督を名乗ったのじゃないか?
この仮説の欠点としては、義直が任官したのが慶長11年で甲斐府中城主の時だから甲斐守を名乗
ればよかったじゃないかと言うこと。ひょっとして、尾張松平忠吉が死にそうと言うことで、その後に
義直が入ることがもう決まっていたのだろうか。
ま、ほとんど妄想ですが。
939 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 13:59:15
>尾張家の場合、「尾張」の読みが「終わり」に通じて縁起が悪い
あと、謀反人(陶尾張守隆房)や裏切り者(松田尾張守憲秀)
の悪イメージもあったと思われ
940 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:08:47
>上杉家などは 10代で侍従になってる
し、治広、斉定、斉憲などは少将から中将になってる。
歴代当主の善政の表彰もあるが15万石の中大名にしては高い
鎌倉・室町の両幕府にも仕えていた上杉家には
そのくらい普通だろう
定勝や斉憲が少将や中将なのは本人や正室の出自が良かったから
941 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:14:19
>直定は当初は嗣子ではなかったので従五位下に任ぜられたのです。
とんくす。大老なのに従五位下は変だと思った。
942 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:25:34
>>940 鎌倉・室町時代の上杉氏から侍従なんかひとりも出ていませんよ。
943 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:34:48
6代将軍宗尊親王の側近だった上杉重房って侍従じゃないの?
944 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:37:48
御三家でも水戸の武田信吉
紀州の徳川頼職(吉宗の兄)、尾張五郎太は無位無官
945 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:57:36
江戸大名には少納言や左大弁・右大弁てどうして居ないのだろう
琉球守や羽後守なんて実在しない官名名乗る阿呆は居るのに
946 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:03:31
>尾張家の場合、「尾張」の読みが「終わり」に通じて縁起が悪い
あと、謀反人(陶尾張守隆房)や裏切り者(松田尾張守憲秀)の悪イメージも
「上野介」は不遇な最期をとげる大名続出なのに大人気だぞ
次々に名乗る大名・旗本(本多、堀田、吉良、小栗)が現れ
みな悲惨な末路をむかえる。
947 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:04:03
948 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:13:27
>それは言い過ぎ、五位では名乗れない官途もある
佐竹の右京大夫、上杉の弾正大弼、島津の修理太夫などの
四位官名は
五位の大名は名乗れない
949 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:22:36
>江戸時代に官位相当を気にする武士はひとりもいない
官途に格下も格上もない
大名は少なくとも気にしたと思うよ。
津山は「越後守」名乗るだけでなく
福井より上だと自負して常に越前家より上に飛び出ようとしてた
鳥取は岡山の分家ではなく準家門だという気概もって
岡山が侍従なら鳥取は少将に先になるぞと歴代は意識したそうだしの。
950 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:32:52
>>943 上杉重房は従四位下左衛門督のち修理太夫なので
侍従はなってないだろう?
951 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:50:48
左衛門督というのも眉唾だな
952 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 17:08:04
>>945 弁官は名家専用みたいなもので、まだ職務のなごりみたいなものがあって
名誉職には使いにくかったんでしょう。
その流で武家の官な員数外ってことになっても、名乗らなかったのでは。
少納言はよくわからないけどやはりいかにも事務官って感じで
武家にはふさわしくないって思ったんじゃないでしょうか?
武家の官は羽林か諸大夫・侍のつくような官が多いようです。
あと、950超えましたけど次スレ立てますか?
953 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 17:10:06
954 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 20:58:32
>944
>紀州の徳川頼職
紀伊家の連枝として、頼方と同じく従四位下少将だった筈ですが。
956 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 16:57:37
スレを立てるのはまだ早い。
まだまだ残っている。
957 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 19:22:40
>>944 頼職、従五位下内蔵頭(元禄8年)、翌年
>>955氏のとおり従四位下権少将。
家督継承後あまりに早く死んだので名前も官位もそのままだったらしいです。
もう少し生きれ居れば最低でも従三位中将徳川吉○になったはず。
信吉は生来病弱のため無位無官だったらしい。初期のことゆえ制度的もかたまってないし。
五郎太は幼少過ぎる上に家督継承直後に死んでしまったためでしょう。
それでも当主には違いないためか、従三位参議を追贈されています。
それと次スレですが、970くらいで立ててはどうでしょうか?
958 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:45:50
つか、次スレいらない。
要るよ
980ぐらいで立てて
頼方は最初従五位下主税頭(ちからのかみ)
あの時代としては飛びぬけた大男で力持ちだった(力士を投げ飛ばした逸話有り)こと、
後年財政問題で苦労することを考えるとなんとなくおかしい。
忌避官名ではないようだが、実際には江戸時代に避けられていた官名。
神祇伯・大輔・同少輔、斎宮頭、諸陵頭、どうも神様関係は避けられていたらしい。
典薬頭、陰陽頭、医者・陰陽師専用で武士はいやがったのだろうか?
大舎人頭、医者・陰陽師が就任する官になっていたためかもしれないし、
単に長ったらしくて嫌われただけかも知れない。「まつだいらおおとねり」殿とか長すぎ。
囚獄正、公家時代に既に嫌われていて誰も就きたがらなかったそうだ。
春宮坊の諸官(主膳正のみ有り)、舎人正・主蔵正・主工首は何時の間にか絶えていたらしい。
主馬首・主殿首は基本的には六位の官だからだと思われる。
>>961 陪臣の通称でよければ仙台の家臣に古田舎人というのがいる。
数代前の先祖が朝鮮か中国から来て政宗に仕えている。最初は遠藤姓だったようだが良い資料がない。
「世臣家譜」の正編ではなぜか記載されておらず、続編にいきなり舎人良智が登場している。
諸陵頭も医道・陰陽道の長老が就く官とされていた。
あるいは墓守の字面が嫌われたせいかもしれない。
久能門番の榊原家も二代目が神官役を嫌がって門番だけになっているし。
神官を世襲していれば三位以上に昇れる稀有の旗本(初代はなんと従二位)
として続いていたかも知れない。
>961
典薬頭は、幕府の役職として半井家と今大路家が世襲してたからねえ。
やはり、医者は専門職というイメージがあったのだろう。もっとも、両家とも
名乗りに典薬頭を使ってるわけではないが。
結局幕府の制度だと、
従二位大納言>正三位大納言>従三位中納言>従三位参議>正四位下参議>
従三位中将>正四位上中将>正四位下中将>従四位上中将>正四位下少将>
従四位上少将>従四位下少将>従四位上侍従>従四位下侍従>従五位下侍従>
従四位上>従四位下>従五位下>布衣、の序列でいいのかな?
966 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 22:31:14
>>965 侍従ではない単なる従四位上っていう例がありますかねえ?
武家の大納言には正二位・従三位もあるようだ。
榊原の従二位は伊勢祭主への徳川側の対抗心かららしい。
968 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 23:51:42
やっぱり次スレいらないような気がする
969 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 23:29:42
食いつきが悪いし、既出もあるし。
やっぱり、続編は無用だね。
次スレは必要な者が立てる。
需要がなければ落ちるだけ。
971 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 10:49:33
次レスは必要です。
sage
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埋めるんなら次スレたてれ
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