豊臣秀吉についての「へぇ」

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1日本@名無史さん
どぞ
2日本@名無史さん:03/09/06 16:05
2
3日本@名無史さん:03/09/06 16:16
age
4日本@名無史さん:03/09/06 16:16
良いスレの予感
5日本@名無史さん:03/09/06 16:30

豊臣秀吉最大の疑問は何故「羽柴」という苗字を名乗ったのかという
ことだな 丹羽と柴田から一字ずつ取ったというが、それだったら
「丹田(たんだ)」とか「羽田(はねだ)とか「丹柴(にしば)」でも
良かったんじゃないのか

何故、丹田秀吉(たんだひでよし) 羽田秀吉(はねだひでよし) 丹柴
秀吉(にしばひでよし)ではなく、羽柴秀吉(はしばひでよし)なのか? 
6日本@名無史さん:03/09/06 17:38
私ら陽気なはしばし娘〜♪
7日本@名無史さん:03/09/06 17:44
まず丹羽と柴田の頭である丹と柴の字を取る場合、丹柴という苗字にすれば丹羽>柴田という意味が発生する。
同じ理由で柴丹も、両者の機嫌をとりたい秀吉にとっては好ましくない。

だから二文字の先に来る字には丹羽の下である羽を貰い、二文字目には柴田の頭である柴を取ったのではないか?
従って、羽柴でなかったら田丹という組み合わせだけが候補となるが、羽柴と田丹では明らかに後者の語呂が悪い。

8日本@名無史さん:03/09/06 19:17
ワゲ
9日本@名無史さん:03/09/06 19:33
ちんこ
10日本@名無史さん:03/09/06 20:09
>>9
What?
11日本@名無史さん:03/09/06 22:08
良いスレ保守age
12日本@名無史さん:03/09/06 22:09
どこがやねん
13日本@名無史さん:03/09/06 23:38
神スレのヨカーン
14日本@名無史さん:03/09/06 23:40
最初は今川家家臣


まあ常識か・・・
15日本@名無史さん:03/09/06 23:50
今川家から見たら陪臣なのでは?

松下さんは天下人になった秀吉と会った時どんな感じだったんだろうね。
1614:03/09/06 23:57
松下嘉兵衛の家臣だから
本当はマタモノなんだけど
今川家家臣の方がへぇ的にインパクトあるかと思いまして

秀吉は彼になんか恩返しとかしたんだろうか?
17日本@名無史さん:03/09/06 23:58
ねねとは二度目の結婚
18日本@名無史さん:03/09/07 00:00
>>17
奥さんに逃走されたとかしないとか
19日本@名無史さん:03/09/07 00:02
実は針売りはあまりうまくいかなかった
20日本@名無史さん:03/09/07 00:02
>>16
一万石程度の大名にとりたてた、と記憶してるが
21日本@名無史さん:03/09/07 00:04
おれが知ってる話では、親父が今川の家臣だったと聞いたよ。
22日本@名無史さん:03/09/07 00:06
今川家の頃の松下がどのくらいの身分だったかは知らないけど
1万6千石の大名にしたのはかなりの抜擢だったんじゃないかな。
息子の重綱は関ヶ原で東軍に付いちゃったけど。
23日本@名無史さん:03/09/07 00:18
>>5

川並衆の束ねであったことを理由に、
「はしば」はもともと「橋場」の意であったという説を唱える学者もいる。
24日本@名無史さん:03/09/07 00:24
秀吉のことが嫌いで織田家を去って徳川に仕えたやつがいたよね?
子孫はどうなったんだろ?
25日本@名無史さん:03/09/07 00:58
神スレ





激しくage!!
26日本@名無史さん:03/09/07 01:12
>>23
川並衆など実在しませんでした
27日本@名無史さん:03/09/07 02:25
そう言えば、信長か誰か、秀吉に会った橋はあの当時掛かってなかった。
結局、秀吉が信長に仕える前がみんな知りたいのでしょね。
28日本@名無史さん:03/09/07 12:19
ageられる運命
29日本@名無史さん:03/09/07 12:30
>27蜂須賀でしょう
明治天皇が「先祖は、あらそえぬな」と言ったとか言わなかったとか・・・
30日本@名無史さん:03/09/07 13:33
ま た ト リ ビ ア か!
31日本@名無史さん:03/09/07 13:40
>>5
「羽柴」は元々日本にある苗字。
丹羽、柴田からというのは元々講談士の話を面白くする為の
作り話であって、それらを元にして小説とか書かれていて、
それを元に大河ドラマとかも作られているので信じてはいけません。
32日本@名無史さん:03/09/07 13:46
>>31
信じられない
33日本@名無史さん:03/09/07 13:49
>>32
羽柴という姓は秀吉以前よりあり、古くは燃えやすい柴を
指していったもので、「羽柴売り」なる言葉も存在するそうです。
34日本@名無史さん:03/09/07 13:50
>>29
その話は、実際には土佐の性悪藩主・山内容堂との会話が元ネタ。
35日本@名無史さん:03/09/07 13:52
>>32
貴方が信じているのは俗説と言われているものです。
歴史小説家が悪いのですね。
36日本@名無史さん:03/09/07 14:40
神スレはここですか?
37日本@名無史さん:03/09/07 15:16
デケデケ     国家安康!!君臣豊楽!!

        ドコドコ  
   ☆      ドムドム
        ☆   ダダダダ!
  ドシャーン!  ヽ                     ♪
         =≡= ∧_∧     ☆
      ♪   / 〃(・∀・ #)    / シャンシャン
    ♪   〆  ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
         ||  γ ⌒ヽヽコ ノ  ||
         || ΣΣ  .|:::|∪〓  ||   ♪
        ./|\人 _.ノノ _||_. /|\
38日本@名無史さん:03/09/07 17:22
age
39日本@名無史さん:03/09/07 18:27
そしてage
40日本@名無史さん:03/09/07 18:33
指が







6本あった
41日本@名無史さん:03/09/07 21:25
秀吉は、明智光秀の孫を家臣として迎えている。
42日本@名無史さん:03/09/07 21:39
>>40
前田利家、ルイスフロイス談
43日本@名無史さん:03/09/07 21:40
秀吉は山王社の信者だった。
44日本@名無史さん:03/09/07 21:52
>>43
信者というより山王二十一社の一つ、樹下神社の宮司である
樹下氏の出身でないの?秀吉って
45日本@名無史さん:03/09/07 22:42
運命線が、手首から中指の先まであったとか。
46日本@名無史さん:03/09/07 23:06
日吉山王社の守神は猿なので、
秀吉は猿をニックネームにした。
47日本@名無史さん:03/09/08 00:24
>>45
昔なんだったかで、秀吉の手形の絵を見たことがあった。本物かどうかは知らんけど。
48日本@名無史さん:03/09/08 03:53
猿女族出身とか。
49日本@名無史さん:03/09/08 10:31
>>31
じゃあどういう理由・由来で羽柴にしたんですかね?

名前の秀吉の方は朝比奈義秀から取ったというのはホントですかね?
50日本@名無史さん:03/09/08 10:38
パッカード・ベルのよーなもの
51日本@名無史さん:03/09/08 10:38
秀吉は身長197センチメートル
52日本@名無史さん:03/09/08 13:28
羽柴を羽芝って書いてる死霊もあるよね
誤字とみなされてますが
53ガウス:03/09/08 16:45
そしてageられる
54日本@名無史さん:03/09/08 17:59
ゲヘヘヘヘヘッ
55ガウス:03/09/08 20:46
age
561:03/09/09 15:21
age
571:03/09/09 18:59
そして全てが消えてゆく
58日本@名無史さん:03/09/09 20:48
age
59日本@名無史さん:03/09/09 23:38
age
60日本@名無史さん:03/09/10 01:31
秀吉は、妾っていうか側室っていうのか、そんなのが300人ほどいたとか!
毎週1日休み、各月1週のみ2日休みで計算すると、ほぼ一年間違った女達と伽をすることが出来る。
うらやましい!
61日本@名無史さん:03/09/11 17:30
豊臣秀吉は





















無類の女好きだった
62日本@名無史さん:03/09/11 19:38
>>60
その約300人の側室との間に、子供は何人出来たんだろう。
もしかして










秀吉は漏れのご先祖様なのか?
63日本@名無史さん:03/09/13 00:46
豊臣秀吉は指が6本あった
64日本@名無史さん:03/09/13 04:41
>>62
あまり歴史に詳しくないのかな??
65日本@名無史さん:03/09/13 04:46
秀吉の養父は、家康の母親の実家の水野氏だった。
66日本@名無史さん:03/09/13 23:10
ageの予感
67 :03/09/13 23:44
秀吉の祖先は半島からの難民。祖国を取り戻すための朝鮮征伐だったんだよ。
68日本@名無史さん:03/09/15 21:01
保守age
69日本@名無史さん:03/09/15 21:37
>>5
 丹羽は織田家中の2大巨頭に挙げられる程の重臣ではなかったみたいで
すよ。
 本能寺直前まで若狭1国+αって程度で石高はえらく低かったそうですし。
 今家からではないので、手元に資料がありませんが、知行の遍歴を見る
限りは中堅レベルの武将といったトコみたい。
 まぁ、秀吉が羽柴を名乗っていたせいで、後世に成立した作り話って方
が可能性は高いんでしょうね。
70ぽちくん:03/09/15 21:46
秀吉には子供が3人いた。
71日本@名無史さん:03/09/19 22:24
保守
72日本@名無史さん:03/09/22 21:01
へぇ
73日本@名無史さん:03/09/22 21:12
気に入らない者を朝鮮人認定するのは、負け犬のみに見られる特徴です。
74日本@名無史さん:03/09/27 15:42
75日本@名無史さん:03/09/27 15:50
最初の女房は見る目がゼロだな。
76日本@名無史さん:03/09/27 15:54
秀吉を倒した得がワシの素線は坊主だっtだ、が、
朝鮮かが渡来した朝鮮系の火と。
77日本@名無史さん:03/09/27 18:58
秀吉の母方の先祖は

南朝の後村上天皇に仕えていた。
78日本@名無史さん:03/09/27 20:44
側室が300人もいたのに子どもが少なすぎるのは
何か原因があるのでしょうか?

家康は子どもたくさんだし・・・
79日本@名無史さん:03/09/27 23:28
実は子供の作り方を知らなかったとか。
80日本@名無史さん:03/09/27 23:56
>>78
むしろ徳川幕府をはばかって、秀吉の子供たちや孫たちが名乗らなかったと言う可能性の方が高くないかな?

秀吉には北政所につかえていた孝蔵主の姪(川副氏)との間に娘がおり、
その娘は丹羽家の家臣に嫁いで、三人の娘(=秀吉の孫娘)を儲けて、その子孫は
現在も続いているとか。(白川亨著「石田三成とその一族」より)

今後、娘がほかにもいたということが証明される可能性はあるんじゃないかな?
81日本@名無史さん:03/09/28 01:14
>>80
その話にどの程度信憑性があるかだが
82日本@名無史さん:03/09/29 04:24
松下嘉兵衛の子孫は



後に土佐藩に仕え幕末に吉田東洋により失脚させられた
83日本@名無史さん:03/09/29 04:25
>>82
常識だろヴォケw
84日本@名無史さん:03/09/29 10:34
つゆとおき
つゆときえにし
わがみかな
なにわのことも
ゆめのまた
ゆめ
     豊臣秀吉
85日本@名無史さん:03/09/29 11:23
>>83
いや、常識じゃないだろ
俺始めて知ったぞ?
86日本@名無史さん:03/09/29 11:40
>>45
自分の刀で手に傷をつけて、そういう手相を作ったという話を聞いたことがあるけども。
87日本@名無史さん:03/09/29 12:37
秀吉の多指症ってたまに聞くけどほんとだったの?
手の指?足の指?

多指症は、足の小指に出ることが多くて、現代では大体1,000人に一人位の確立で
生まれてるらしい。
88日本@名無史さん:03/09/29 14:59
多指症って?
89日本@名無史さん:03/09/29 21:21
>>88
こんなん。

http://www.municipal-hospital.shimada.shizuoka.jp/keisei/bositasi.htm

けど、秀吉のは、絵が書き間違っただけみたいですね。
当時の文献で秀吉が多指症ってのは出てこないそうです。
90日本@名無史さん:03/09/30 01:45
>>89
>当時の文献で秀吉が多指症ってのは出てこないそうです。
少なくとも2つ知ってるけど
91日本@名無史さん:03/10/01 01:21
秀吉は精子が少なかったと思う!
300人も側室がいて子供がたったの一人とは!
その子供も誰の子だかわかりゃしない!
92日本@名無史さん:03/10/01 01:28
>>91
……
ネタですよね?
93日本@名無史さん:03/10/01 03:38
多指症などの奇形は恐れられるとともに
神に近いというかなんかそういう見方もされてた
だから秀吉のそれはその辺知ってた奴の創作じゃない?
で、運命線のは自分で斬ってつけたって俺も聞いたことがある。
だから秀吉の晩年はあんなだったんだろうね
無理やり自分でつけた運命だから。
天からもらった運命じゃないからあんな未練がましい死に方せざるを得なかった。
94日本@名無史さん:03/10/01 04:46
>>93
ポルトガル人が本国への報告書に、秀吉のプロパガンダを送るのか?
わけわからん。
95日本@名無史さん:03/10/04 15:18
>>94
秀吉お得意の「人たらし」にポルトガル人宣教師もひっかかたんだろうね。おそらく。
96日本@名無史さん:03/10/05 16:42
大政所は、山の民(サンカ)ではないかと言われている。

・秀吉の幼少時代の名前が「日吉丸」
 「日吉」とは、日吉大社からとった名前と言われているが、
 日吉大社が山の民(サンカ)からの信仰が厚かった。
・幼少時代は「サル」とも呼ばれていた
 日吉大社は猿を神の使いとして祭っている
97日本@名無史さん:03/10/06 00:27
秀吉が織田家家臣の頃は活躍したが、その後、消えたor目立たなかった人の
事跡が知りたいです。
脇坂、仙石のように世渡りのうまい奴ばかりではないはず。
尾藤知宣、神子田正治などのような人にも光を・・・
98日本@名無史さん:03/10/06 00:43
小出甚兵衛(播磨守)
古くからの秀吉家臣。
最終的には2万3千石くらいのチンケな封土だったが、
北野の大茶会で寧々の傘もちを務めたことから信頼の度合いが伺える。

此の家は幕末まで命脈を保つ。
99日本@名無史さん:03/10/06 00:45
>>96
幼名が日吉丸てアンタ・・・w
100日本@名無史さん:03/10/06 01:21
>>96
サンカって言葉自体、昭和になってから作られた言葉じゃん・・・w
101日本@名無史さん:03/10/06 09:25
サンカの起源を渡来人の技術集団などに求める人がいるので
秀吉=サンカ説などが出て来るのだが、研究者によっては
サンカの起源を江戸期の飢饉の時に、土地を捨てて逃げた人だ
ともしているわけでね。
102日本@名無史さん:03/10/06 14:53
まだいるの?サンカって
103日本@名無史さん:03/10/06 15:00
近所に「山家」って苗字の人いるよ。

ちなみに当方東京世田谷在住。
104日本@名無史さん:03/10/06 16:35
「やまや」さんでしょ?たぶん関係ないんじゃない?
105日本@名無史さん:03/10/06 16:41
歌舞伎や能もサンカが発祥て聞いた。
東条英機もサンカて聞いた事ある。
サンカしか知らない山道があるって聞いた。
明治時代でもサンカは戸籍を持ってなくて日本中移動してたらしい。
106日本@名無史さん:03/10/06 16:58
サンカの話は、雲南省のワ族の話とか、台湾の高砂族の話をベースに
「奇譚クラブ」に掲載されたエロ小説が起源でしょうが。もう。
107日本@名無史さん:03/10/06 21:16
藤吉郎は、横からキンタマをだしていた。



史実に忠実な大河ドラマで見たのだから間違いない。
竹中直人のアドリブとは思えない。
108日本@名無史さん:03/10/06 21:22
>>98
小出って秀吉の叔母婿でしょ?
109日本@名無史さん:03/10/06 23:39
秀吉と秀長は



実は仲が悪かった。
110日本@名無史さん:03/10/07 02:35
>>97
神子田正治は、竹中半兵衛も自分の後継者と認めるほど軍略に秀でていた
111人間は地球のダニ:03/10/07 02:45
 日本は世界最悪の木材輸入国である。
生命の宝庫である熱帯雨林を、もうこれ以上伐採するな!
それにはまず割り箸を使わないことである。
木材の輸入を止め、国産材を有効利用する必要がある。
車に乗るな!自転車に乗れ!割り箸使うな!空気汚すな!水を汚すな!ゴミ捨てるな!
何億年もかけて生物が住めるようになった今の環境を
一瞬で壊してしまうなんて傲慢すぎる!自然に敬意を払え!
今の人間は地球にとってダニ(寄生虫)以外の何者でもない。
やりたい放題かよ!自分で自分の首を絞めている事に気が付かないのか?
 自然あってこその人間なんだ!
なぜそんなに挙って大気汚染や温暖化に貢献したがるのか?
一人で移動するのに車が必要なのか?自分の脚を使え!
10km以内なら余裕、気合入れれば50kmは走れる!
その方が自然の為でもあるし、自分の為でもあるのに!
なぜそんなに楽して汚したがるのか?心が痛まないのか?
偉そうに窓からヒジ出して騒音撒き散らしてる場合じゃない!
お前らのようなクソの為に山が削られ水辺が埋め立てられてるんだよ!
悪質な改造していい気なもんだよ!何とも思わないのか!
 温暖化の影響は地球全体に及んでいる。
世界中で自然環境や生態系のバランスが崩れている事に気付かないのか?
文明社会は自然破壊の上に成り立っている。全て人間が悪い!
自然に対して横暴・無頓着・無神経な奴に生きる価値はない!
ティッシュガバガバ使うな!洗剤ガバガバ使うな!
水出しっ放し、電気つけっ放しで平気な奴 死んでくれ!
ゴミのポイ捨て平気でするようなクソ野郎は今すぐ死ね!!
空き缶 空き瓶 ペットボトル位持ち帰ってリサイクルに廻せ!
粗大ゴミ捨てるような奴!お前がゴミだ!埋めてやる!
112日本@名無史さん:03/10/07 21:57
秀吉が若い頃、三河の田んぼでどじょうかなんか取ってたら、
持ち主に見つかってぶん殴られた
で、天下取ってから家康に「○○村の○衛門はどうした?」って聞いたが、
「死にました(つか誰?)」っていわれたという話
113日本@名無史さん:03/10/13 21:33
age
114日本@名無史さん:03/10/14 03:11
秀吉が信長の草履を温めた話は、講談等のフィクション
115日本@名無史さん:03/10/14 03:57
秀吉もある意味本能寺の被害者である。
116日本@名無史さん:03/10/14 04:45
ガイシュツ済みかもしれんが、秀吉って多指症だったって
宣教師が書いてあるね。右手か左手か忘れたけど
指が6本あると書いてある。
117日本@名無史さん:03/10/14 18:02
日光東照宮では

家康とともに秀吉も祀られている。
118日本@名無史さん:03/10/14 21:02
秀吉は在日
119日本@名無史さん:03/10/14 23:07
秀吉をハングル語で発音すると「スギル」である。
120日本@名無史さん:03/10/14 23:11
あまり人を殺さないような印象がある秀吉だけど、実は串刺し刑とか
結構やってる。とがった棒を肛門から刺し込んで口から棒の先端を
出すという非常にエグい刑。
121日本@名無史さん:03/10/15 02:01
>>120
あれ丸二日ぐらい死なないんだよな
122日本@名無史さん:03/10/21 18:23
ワショーイ
123日本@名無史さん:03/10/21 19:21
秀吉は、アナルSEXをノーマルなSEXと思っていた。
よって、子供はほとんどなし。
124日本@名無史さん:03/10/25 05:46
単に精子が弱いか少ないタイプだろ。
子どもは生まれたんだから。
最近の男にも、環境ホルモンなどのせいでこういうタイプ増えてるらしいね。

淀はマンゴーが上付きで、子宮から膣口までの距離が短い妊娠しやすいタイプだったのだろう。
125日本@名無史さん:03/10/25 17:09
みんな、もっと真面目に発言しよーぜ!
126日本@名無史さん:03/11/06 06:03
124の意見は極めて現実的な意見だ。
127日本@名無史さん:03/11/07 02:45
豊臣家は・・・










現存する

全国39463位 約50人
天正14年に羽柴秀吉が豊臣姓を賜わる。以後家臣などへ賜姓多く、明治に復姓か?

ちなみに、羽柴姓
全国3160位 約4,100人
豊臣秀吉の名乗りし苗字、以後諸将にも賜う。ほか出羽の寒河江家臣に存す。

日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/

余談だが、
日テレの社員に、「羽柴秀?」って人がいる。
番組終了時のエンドロールで何度も見た。

128日本@名無史さん:03/11/07 03:04
まだ出てないようなので、もう一つ


豊臣秀頼は・・・











大野治長の子である





という説は、まだ議論されておらんようだな。

治長が、淀殿と乳兄弟(乳母が一緒)であり、年も近い身近な存在だったというのが理由だが。

この時代の近親相姦は多々あったようだ。
しかし、この場合は血の繋がった近親者だとはいえないが。

その他、三成が父親という説もある。
これは、愚説か。
129日本@名無史さん:03/11/07 22:30
>>127
羽柴秀○、漏れも気になってた。

>>128
大野治長の実母「高蔵主」が淀殿の乳母。
130日本@名無史さん:03/11/07 22:45
>>127
豊臣は姓ではなく氏なんだけどね…。
んで豊臣というけど、実際は豊だけじゃないかと思ったりなんかしたり。
秀次が関白になった時に、「豊氏長者」と書かれてるんだよね…。
131日本@名無史さん:03/11/07 23:01
全国5497位 豊姓
約1,800人
豊国造、清和源氏、藤原氏、豊原氏、吉備氏など。現在、奄美諸島に多い。 
132129:03/11/07 23:13
>>129
「高蔵主」か「考蔵主」
133日本@名無史さん:03/11/07 23:56
>>130
「豊家」と呼ぶ場合もある

>>132
「孝蔵主」だろ
134校長が強盗:03/11/08 00:02
この事件は報道されていません。
 それをよいことに教育委員会も校長を処分しません。
 皆様の力でこの事件を広めてください。

被害者先生のサイト
 http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8595/

   ∧_∧
  (  ^^ )< ひろめよう(^^)

 事件究明を求める署名サイト
 http://chiba_273.at.infoseek.co.jp/

   ∧_∧
  (  ^^ )< 署名しよう(^^)
135日本@名無史さん:03/11/08 00:21
>>133
豊氏長者という表現の意味を考えてくれよ
136日本@名無史さん:03/11/08 00:49
>130
藤原氏だと「藤氏長者」だから、
豊臣氏で「豊氏長者」と書かれても何も不思議ではないと思うが。
137日本@名無史さん:03/11/08 02:58
130よ、ソチが悪かろぅ

>豊臣というけど、実際は豊だけじゃないかと思ったりなんかしたり。
>秀次が関白になった時に、「豊氏長者」と書かれてるんだよね…。

↑この発言が誤解を招いたのじゃよ

@実在する「豊臣」の名は現代にはなく、それは「豊」の間違いではないか
A秀次は「豊氏・・・」と書かれている

この二つを一緒くたに詰め込んで書いたためじゃろ
>>127、131を見た限り、「豊臣」、「豊」の何れも現存しているようではないか

135よ
133は、「秀次」だけをさしていったのではないだろう
     「豊氏」も「豊家」も、「豊臣」の俗名?といいたかったのじゃろ

のう、136殿      
138日本@名無史さん:03/11/08 03:03
秀吉の母方の家系が、広域活動する土木建築業者の棟梁だったって、本当か?
139日本@名無史さん:03/11/08 03:05
>>130じゃないけど、
>天正14年に羽柴秀吉が豊臣姓を賜わる。以後家臣などへ賜姓多く、明治に復姓か?
違うかもしれんけど、これに突っ込んだんじゃないの?
復姓なら羽柴姓に復姓が正しいと思うんだけど。

というか、>>137の書き方は気持ち悪いからヤメレ
140日本@名無史さん:03/11/08 04:39
草薙剛の秀吉が何よりの「へぇ〜」だよ!
141日本@名無史さん:03/11/08 06:46
日本の苗字 http://www.myj7000.jp-biz.net/

順位
5798 蛎崎(3725 松前)
1001 伊達
533 佐竹
911 北条
800 上杉(293 長尾)
81 武田
966 今川
40028 姉小路
3575 足利
582 織田(290 津田)
5288 徳川(1841 松平、9300 世良田)
39463 豊臣(94 木下 、3160 羽柴)
62 柴田
399 丹羽
7367 明智
785 滝川
599 毛利(110 吉川、1754 小早川)
42765 長宗我部(8854 長曽我部、30031 香宗我部、20334 香曽我部)
691 島津
右手の指が6本あったというのはガイシュツ?
143日本@名無史さん:03/11/08 08:56
秀頼の遺児国松は薩摩に逃れて島津家にかくまわれ、豊後国日出藩木下家の分家である
交代寄合木下家の祖、木下延次になったのであるという異説がある。
その子孫は現在豊臣の姓を名乗っているという。

徳川氏の覇権が確固たるものになっていく過程の中で、豊臣朝臣を与えられ、
羽柴氏を名乗ることを許されていた大名たちは、豊臣朝臣の本姓を捨て、
羽柴を公称しないようになっていった。江戸時代を通じて豊臣朝臣を本姓とし続けた大名家は、
秀吉の夫人北政所おねの実家である木下氏だけである。
木下氏は明治維新後に本姓と名字が法的に一本化されて現在見られる姓のあり方に統合されていくまで、
本姓を変えることはなかった。
144日本@名無史さん:03/11/08 15:29
145日本@名無史さん:03/11/08 15:54
へェ〜へェ〜へェ〜へェ〜へェ〜へェ〜

六文へェ〜


“秀頼落ちのび伝説”と符合するではないか。
146日本@名無史さん:03/11/08 15:55
真田兵〜
147日本@名無史さん:03/11/08 22:23
>>143
異説つーか秀頼落ち延びと同等の伝承レベルの話なわけだが
(一応本家筋の日出木下家に伝わる伝承と言うことらしいが、なにせ明治以降に
出てきた話であるし)
ちなみに立石領木下家が国松後裔である傍証として「位牌の裏に豊臣姓が」云々と
言われるが、これは>>143にもあるように木下家全体が江戸時代でも本姓として
豊臣朝臣を称して憚らなかったというだけのことである(武鑑や古文書でも日出藩
木下家や足守木下家が「木下豊臣朝臣某」と称している例は結構ある)
148日本@名無史さん:03/11/09 01:40
木下家のほかに江戸時代豊臣姓の家はあったけどなんでかね?
149日本@名無史さん:03/11/09 02:51
真田落ち延び伝説は真田三代記からの伝説化
150日本@名無史さん:03/11/09 03:16
後藤又兵衛も伝説があるよ(1615-1623)
知り合いに見られたら「早く通りすぎなさい」と言ったんだって。
151日本@名無史さん:03/11/09 03:50
豊臣は織田や徳川のような苗字ではなくて、源、平と同じく姓なのだが・・・
152日本@名無史さん:03/11/09 08:25
>151
だから?
153日本@名無史さん:03/11/09 09:01
教科書での「豊臣秀吉」(ウジ・イミナ)という表記はおかしい。
織田信長、徳川家康と併記するのなら、「羽柴秀吉」(苗字・イミナ)だろ。
154日本@名無史さん:03/11/09 09:52
怪しげな話はみんな三流史料からですか?
そうですか。ふ〜ん。
155日本@名無史さん:03/11/09 09:52
>>129
>>133
孝蔵主はねね(北政所)の側近。正解は「大蔵卿局」。
156日本@名無史さん:03/11/09 20:30
>>153
豊臣になってから、姓もウジ・イミナも一緒に豊臣にしたんじゃないの?
源頼朝や平清盛と同じっしょ。
157日本@名無史さん:03/11/09 20:39
鎌倉頼朝と六波羅清盛
158日本@名無史さん:03/11/09 21:12
伊豆頼朝
159日本@名無史さん:03/11/09 21:14
大坂秀吉
160日本@名無史さん:03/11/09 21:54
秀吉の側室は30人前後300人いたら政務に差し支えがある。
戦国一の妾持ちは39人か43人といわれた秀吉の甥、秀次。
秀吉からも「女狂いは控えるように」と戒められている。
161日本@名無史さん:03/11/16 09:10
・血判から豊臣秀吉の血液型はB型だったことがわかっている
・前田利家の語った話を書き残した「国祖遺言」には、秀吉の右手には
 親指が二つあり、六本指であったと記されている。フロイスも同様の記録を残している。
 英雄伝説のひとつの可能性もあるが、秀吉が六本指であった可能性は低くない。
・近年、豊臣秀長は秀吉の実弟とされている。これは弥右衛門の死亡時期から考えられたものである。
 秀長を異父弟とすると大政所が不倫をしていたことになる。
 秀吉は「天正記」で父を暗に正親町天皇としており、秀長はそこから異父弟とされていったのかも知れない。
・豊臣秀次の側室である大野源左衛門の娘は、実は明智光秀の娘である。
・秀次事件で石田三成は前野長康、木村定光の助命のために奔走。これは前野文書に詳しく書かれており、
 前野一族が三成に恩義を感じているとわかる。
 前野兵庫介は、三成は秀次事件に関与せず、逆に関係者を庇護していたとしている。兵庫介自身も石田家に
 再仕官しており、秀次事件は「淀殿らによる陰謀」とした。
・浅井長政と市殿の三女、後の二代将軍徳川秀忠の正室となる小督は、初め信長の甥、佐治一成に嫁ぐ。
 秀吉によって離縁された後、秀勝の妻となり長女完子をもうける。徳川家光の異父姉である完子は慶長九年に
 公家九条忠栄に嫁ぎ、四男三女をもうけた。
 子孫の九条節子は大正天皇の皇后となった。すなわち現在の皇室には織田、浅井、豊臣の血が流れている。
・石田三成の長男重家は、父が秀吉に仕官したのは中国出兵中の最中と書き残している。これが秀吉に茶を献ずることで
 仕官したという逸話にすり替えられたのは、この逸話によって「三成は幼少期から目先が利く小ずるい小者」と
 意図的に評価を誘導しようとするものである。
 特に江戸時代に記された「石田軍記」は三成を誹謗中傷するための書であり、三成は出世のために秀吉の色小姓と
 なったとしている。秀吉に同性愛の傾向がなかったのは確実であり、徳川に媚びうる者によって歪められたのは明らかである。
162日本@名無史さん:03/11/16 12:09
前野文書ですか?そうですか。
163日本@名無史さん:03/11/16 12:13
へえ〜
164日本@名無史さん:03/11/16 13:09
筑阿弥はどうなったの?
165日本@名無史さん:03/11/19 15:47
http://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1069209303/
【発掘】大坂冬の陣、頭がい骨続々 旧府警本部跡の城外堀
166日本@名無史さん:03/11/20 23:44
>>165
何気に熱いスレだね、日本史板のダメな戦国系スレより全然いい。
167日本@名無史さん:03/11/22 10:08
大リーグ、シアトル・マリナーズの佐々木主浩投手(34)が来年のNHK大河ドラマ
「武蔵 MUSASHI」に戦国の猛将、大野治房役で出演することが5日、明らかになった
。1話のみのゲスト出演で、シーズンオフの帰国中に撮影する。大野治房は、豊臣家の
重臣で佐々木小次郎に仕官を勧めた人物。大阪夏の陣での活躍で知られる。
168日本@名無史さん:03/11/22 22:53
秀吉は・・・ぎっちょ!
169日本@名無史さん:03/11/23 23:56
大河ドラマでごえもん釜茹でという酷い話があったがあれって事実なの?
170日本@名無史さん:03/11/24 00:05
仙石も五右衛門捕まえるより、島津と戦えっつーの!
171日本@名無史さん:03/11/24 00:12
>>169
当時の公家の日記に書いてあるから事実。
というより五右衛門って、「かまゆでにされた」としか資料には残ってない。
後はまったく不明の人物。
172日本@名無史さん:03/11/24 00:21
>>169
いったい何が原因で釜茹でに、、しかもドラマでは油だった気が。
173日本@名無史さん:03/11/24 11:17
>>171
公家の日記って?
174日本@名無史さん:03/12/03 23:58
秀頼の子は大野なわけだが、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031203-00000899-jij-soci
この辺の父親は誰なんでしょ。
「秀吉の実子と伝承されてきた羽柴秀勝が実在した人物だったと判明した」
としているけど、伝承されてきたところで種なしは種なし。
175日本@名無史さん:03/12/04 00:36
「秀吉長男「秀勝」の墓=滋賀・妙法寺で−長浜市教委」
滋賀県長浜市大宮町の妙法寺にある豊臣秀吉の長男「羽柴秀勝」のものとされる墓について、長浜市教育委員会は3日、
「秀勝本人の墓と断定した」と発表した。
秀勝は天正4年(1576年)に5歳で亡くなったとされ、文献がほとんどないため、実在が疑問視されていた。
秀吉には養子2人を含め「秀勝」を名乗った3人の子供がいたとされるが、養子2人の秀勝の墓は別に確認されている。
同市教委は「秀吉の実子と伝承されてきた羽柴秀勝が実在した人物だったと判明した」としている。
記事の引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031203-00000899-jij-soci

これで秀吉は完全な「種無し」と言うよりは、精液に含まれる精子が少ないなどの女性を妊娠させにくい状況にあったか、
それ以降に「種無し」になるような病気にかかったのではないかと想像されます。
石松丸秀勝がいれば・・・
176日本@名無史さん:03/12/04 02:23
>>175
違うだろ。
実子と伝承(仮定)されてる子が居て、その子のものとされる墓(仮定)
があり、その墓をその子のものと断定しただけの話し。
秀吉とはな〜んにも繋がらないし、百歩譲って秀勝の墓だったとしても、
それが秀吉の実子である事の証明にもならない。
今回は、「ハッキリしない墓を秀勝という人の墓と断定」しただけの話しで、
その断定の基準もハッキリしてない。
種無しから子はできないんだよ。
177日本@名無史さん:03/12/04 02:32
>>172
淀君とエチーしたから
178日本@名無史さん:03/12/04 03:10
>>174
秀頼の子は大野ってなんかおかしくないか?
179日本@名無史さん:03/12/04 03:27
>>176
屁理屈はいいよ…ウザイから
180日本@名無史さん:03/12/04 03:35
>>179
>>176 はすごくまっとうなことを言ってるの思うが・・・
181日本@名無史さん:03/12/04 03:51
>180
同意。
182日本@名無史さん:03/12/04 07:10
>>181
同意。
183日本@名無史さん:03/12/04 07:48
>>176=>>180=>>181=>>182
同意の示し方が、これまで他のスレでは見られなかった露骨さ。
自作自演バレバレだな。
キモイよ、アンタ。
184日本@名無史さん:03/12/04 07:52
>182
同位
185日本@名無史さん:03/12/04 08:02
>>184
DOUI
186181:03/12/04 08:11
>183
悪いがマジで自作自演じゃないよ。
悪のりのネタ混じりではあるけど、みんな別人だとおもう。
187日本@名無史さん:03/12/04 10:03
>>183
おれは176だけだよ。
なにがバレバレなんだか。w

まっ、今回の断定とやらは歴史に何ら変化を与えないし、
実子マンセーな長浜市民の言う事だから・・・。
188日本@名無史さん:03/12/04 10:17
>187
教育委員会ってのも変な組織だよな?(笑)
彼らが出来る事はせいぜい史跡認定くらいだろうに。
まあ、史学の学会ほどうさんくさいモノもないわけだし、
これについては俺もとやかく言う気もない。
でも、生物学的に考えて、秀吉に子種があったとはとうてい考えられないと
おれは無責任に思い続けてるけどね。
189日本@名無史さん :03/12/04 15:22
漏れの親戚にも20代で子供ができてから、その後全然できなくて
40代後半になって突然できた人がいるんだが、それもありえないのかな?
奥さんが不倫したとも思えんのだが・・・その子オヤジ似だし。
190日本@名無史さん:03/12/04 15:38
>>188
生物学的に秀吉が種なしであったことを、是非証明してくれ
期待してるぞ>>188よw
191日本@名無史さん:03/12/04 17:42
>190
証明というかさ、弁証しかできないけど、
結局秀吉が生涯で関わったとされる女性の総数、
しかも天下人になった後、狂ったようにかき集め種付けして歩いた女の数と、
よその女房抱いた数を考え
「公式に」出産が伝えられた女が淀君一人だろ?
しかも彼女だけ2度も出産している。
なのに他の側女やねねなどには、出産どころか流産もない。
ねねなどは、尾張時代から秀吉の死去までともにしているわけで、
たとえば、存在さえあやふやにされていた南殿が子供をなしたとして、
それが秀吉の子であると考えるより、どう考えても他の種が紛れ込んでいると
考える方が自然だろう?
ていうかむしろ、この二人のみ2度も秀吉の種が、どういう科学的根拠で
着床したのかを弁証する方が難しいように思う。
192日本@名無史さん:03/12/04 19:59
秀頼の血判書はないのかなあ?
血液さえあれば、DNA鑑定が出来そうなのに。
193189:03/12/04 20:18
ちなみに、その親戚は、ずっともう一人子供欲しいって言ってたんだよね。
でも、その後全然できなくて、その上、先にできた子が全然オヤジに
似てなかったんで、誰も口に出しては言わなかったけど奥さんを
疑いの目で見てた人もいるんじゃないかな。
それが20年もたって、いきなりできて、奥さんもほっとしたかも知れないね。
こういうケースも弁証によれば、奥さん疑わしいのかね。
まぁ、どっちでもいいけど。
194日本@名無史さん:03/12/04 20:33
>193
当然、その旦那は200人以上性対象として自由になる妾がいる上、
ちょっとでも気に入った部下の女房を無理矢理食って歩いてるんだろうね?
195日本@名無史さん:03/12/04 21:03
>>194
それはちょっと違うんじゃないのか?
奥さんの潔白を示すのに旦那の女性遍歴は関係ないだろう
196日本@名無史さん:03/12/04 21:05
>195
ここでは秀吉の種が無いという話をしてるのであって、
奥さんの潔白がどうのとかいう話をしている訳じゃないんじゃないの?
つうか、夫婦そろって産婦人科に行けば3日で結論出るから、もう帰って?
197日本@名無史さん:03/12/04 23:33
>>191
>ていうかむしろ、この二人のみ2度も秀吉の種が、どういう科学的根拠で
>着床したのかを弁証する方が難しいように思う。

単に相性の問題かも。
198日本@名無史さん:03/12/04 23:53
ここでのネタにタイムリーな奥さんを作り出したな。藁
俺の知ってる奥さんは若いときに子供生んで20年後にも
いきなり生んだが、DNA鑑定したら元恋人と不倫相手の
子供だった。どうだまいったか。
199日本@名無史さん:03/12/05 00:15
この話題になると毎度の事ながら、長浜市民が必死になるね。
御丁寧に祭りまでやってるし、他に何もないところだから
なにがなんでも実子にしたいだろうけど・・・。
普通に考えれば・・・やっぱ違うよな〜。
200日本@名無史さん:03/12/05 02:11
>197
どういう相性?
201日本@名無史さん:03/12/05 02:29
秀吉嫌いの自作自演が多いね。
しかも粘着だし。

無理に実子を否定することないと思うけどな。
ここは一応学問系なんだからさ。

例えば100人と性交渉をもっても1人しか妊娠しなかったとしても
それが実子でないことの証明には全くならないのは当然だとおもうけど。
202日本@名無史さん:03/12/05 02:34
まあ、確かめようはないね。
しかし、まったくの山勘だが、実子でなさそう。
203日本@名無史さん:03/12/05 03:52
まあ
ほざくのは勝手だわな
204日本@名無史さん:03/12/05 04:03
>201
喩えがおかしい。500人以上と性交渉して、
史実に残る着床例がただ一人、淀君だけで、
しかも当時の秀吉は恐ろしく高齢。

なんでも粘着とかいって自分の不満を紛らわすのは良くないよ?
ここは学問板なんだから、厨房板みたいな感情論はやめようよ。
205日本@名無史さん:03/12/05 04:31
>>201
確かに(自作自演ではない)
三戦板なんか最たるもんだ。
206日本@名無史さん:03/12/05 04:34
舌戦で勝てなくなった方から順に

粘着 自作自演 うざい キモイ 板違い よそにいけ

などという言葉を使い出す。
207日本@名無史さん:03/12/05 04:41
秀吉は英雄である事に変わりは無いんだよ
実子がいて夭逝したのなら素直に感慨をもてばいいものを。
下司の勘ぐりつーか。
208日本@名無史さん:03/12/05 04:48
別に妾がどっかの種で子供産んだって秀吉の英雄性には影響あるまいよ?
本人は実子として喜び、死んだときは悲しんだんだからな。
それに、英雄かどうかは、学問としては全く無関係だと思うが。
まあ、史学は学問といっても(r
209日本@名無史さん:03/12/05 10:33
要するにわからないということでしょ。
それだと話が終ってしまうが。
210日本@名無史さん:03/12/05 10:43
秀頼のような存在がもう10年はやく生まれていたら…
211日本@名無史さん:03/12/05 13:39
>>204
201じゃないがw
何度いってもわからないから粘着と言われるんだよ。
それともバカの壁があるのか?

何度も書くようだけど
ととえ500人以上と性交渉して、高齢だったとしても実子でないことの証明にはまったくならない。
ましてやその500人以上との性交渉が事実かどうかもまず証明しなきゃ。
212日本@名無史さん:03/12/05 14:06
秀吉は・・・・・・・・・・・・






イケメンだった。
213日本@名無史さん:03/12/05 15:15
>211
>191
214日本@名無史さん:03/12/05 15:32
豊臣家を滅ぼしたには淀とねねの確執であった。

ねねは淀に嫉妬していたので淀の子秀頼に豊臣を継がせるくらいなら滅んでも良いと思ったいた。

だからねねは関ケ原の戦いで徳川側についた。
本来豊臣と徳川の戦いであれば豊臣が圧倒的に優勢だった筈が、ねねが徳川についた為に茶々とねねの戦いのような感じになり豊臣の家臣は分裂してしまった。
そして茶々側が負けたのだ。
徳川は天下を平定したあとねねを厚遇した。京都の高台寺はその証である。
http://www.kodaiji.com/
215日本@名無史さん:03/12/05 15:37
秀吉だけならともかく、秀長にも子がないしな。
秀吉にはPOLYDACTYLYの疑いもあるし、
染色体異常の可能性を示す傍証としては、結構あったりするんだが。
216日本@名無史さん:03/12/05 21:31
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031203-00000045-kyt-l25
秀勝墓から遺骨は出てこなかったようだね。
DNA鑑定は無理だなあ。
217日本@名無史さん:03/12/05 22:20
実子でないことの証明にはなるまいって自信たっぷりたけど、
実後であることの証明もまるっきりないんだよ。
何を言っても言い返せば逆も成り立つ。
218日本@名無史さん:03/12/06 00:06
おまえら、歴史は一市町村の教育委員会によって決められるものではないぞ。
胡散臭さ100%で、バリバリに強引すぎるとは思わないのか。
219日本@名無史さん:03/12/06 01:08
淀殿とねねは言われているほど仲が悪かったとは思えない。秀頼にしてもねねにかわいがられているし

220日本@名無史さん:03/12/06 01:17
>>217
結局へ理屈しかいえないわけだw
221日本@名無史さん:03/12/06 01:35
>219
秀頼の実母はねねだからな。当時の家の感覚では。
生母が妾の場合は、正妻が実母になる。
222日本@名無史さん:03/12/06 02:15
秀勝なんて連れ子とか養子ばっかじゃないの?
天下人の子であれば死んでも何らかの行事が行われと思うが、
秀勝なんて出てくる文献も少な杉だし、存在も歴史に不要な程だ。
秀頼の場合は種が誰であろうと、父親は秀吉で間違いない。
223日本@名無史さん:03/12/06 02:21
>222
うん。それは当然そうだね。
淀が懐妊するたびに一番喜んだのが秀吉なのも事実だし、
秀頼が産まれたために秀次殺して豊臣家の関白職を失っても
平気なくらい惑乱していたし。
224日本@名無史さん:03/12/06 11:42
そういや秀次には何人子供がいたのよ?
男女あわせて6人だったっけ?
225日本@名無史さん:03/12/17 23:37
どうしても秀吉を胤梨にしたい人間がいることはわかった。
>>215
早死にが多いだけで普通にいるけど?

子供がなかなか出来なかった歴史上の人物なんか探せばいくらでもいんだろ。
源頼朝は長女の大姫が生れたのが30歳(実年齢)。
確実に頼朝の子供を生んだのは政子と大進局の2人だけで
大姫のあとは5年間あいて頼家、その4年後貞暁と乙姫、さらに6年後に実朝。
政子一人で20〜35歳の間に4人生んだ、相性が良かったんだろう。

源頼義なんか、長男の義家が生れたとき50過ぎ。
その後は同じ直方女との間に義綱・義光と生れた。
これも間男の仕業で、足利も武田も新田も全部間男の子孫なのか?
全国の清和源氏後裔のみなさんの落胆と憤怒の声が聞こえて来そうだ。
226日本@名無史さん:03/12/18 00:01
>>225
秀吉の場合、多量に女と交わって子をなさなかったのが
問題視されているのだが?
ねね一人だったら、ねねの方に問題があったと思われても
仕方ないだろうが、秀吉の場合、側室や間男した女の数考えると
種がないと考える方が自然。
227226:03/12/18 00:31
頼朝や頼義の交渉をもった相手がどれだけいたか
記録に数字として残っていないだけで、為義や義朝のように相当数いただろ。
228日本@名無史さん:03/12/18 01:35
>>227
ソース。ここは文学板じゃない。
229日本@名無史さん:03/12/18 13:28
>>228
淀に間男がいたと言うソースをお願い
230日本@名無史さん:03/12/18 23:16

秀吉は、










大阪知事選挙で落選した。
231日本@名無史さん:03/12/19 00:41
>>228
頼義そのものじゃないけど受領の話。
最終的に従二位まで進んだ高棟流平氏の大宰帥平惟仲
祖母は人康親王王女と由緒があるのに、母親は備中の郡司の女
なんで地方の郡司女が貴族の母親になれたのか、それは父親が美作介だったから。
次は頼義らと同じ源氏の為義
為義の子を生んだ女性は判明してる分だけで、下級貴族出身を中心に8人。
当然それ以上の女性と交渉を持っていたはずで、その子供義朝も根拠地とした
相模の豪族のうち、三浦氏と波多野氏から妻を迎えたといわれている。
地方に赴任すれば当然在地の豪族の女と交渉持つだろ、跡取が生まれてなければ尚更。
跡取が欲しい頼義と、有力者と血縁になりたい双方の利害が一致している。
まさか頼義は44歳で直方女を娶るまで童貞だったのか?
(頼義女は生年をよく知らないから除外)

それで秀頼が秀吉の子供じゃないとする根拠は?
232日本@名無史さん:03/12/19 00:58
>人康親王王女
祖母じゃなくて曽祖母に訂正。
233日本@名無史さん:03/12/19 02:25
ねねは出産能力が無かった
信長在世時の秀吉はストレスで子種が極端に減少していた
淀の嫉妬心と猜疑心から秀吉は他の女と安心してえっちできなかった

淀は本心では秀吉をおぞましいと感じていた
(WWU後の独では連合軍による暴行のため、既婚で出産経験の無い中年の女性が多数妊娠している
恐怖心と出産能力には相関関係があるらしいと世界保健機関(WHO)が報告している)
234日本@名無史さん:03/12/27 21:28

 秀吉はクサナギツヨシ似だった
235日本@名無史さん:03/12/27 21:35
松下嘉兵衛の子孫は埼玉在住なそうです。
236日本@名無史さん:03/12/27 22:19
松下嘉兵衛の子孫は中井貴一だった
237日本@名無史さん:03/12/28 01:17
黒田官兵衛はテレポーテーションで登場した。
238日本@名無史さん:03/12/28 01:18
松下嘉兵衛の娘が柳生十兵衛の母親
239日本@名無史さん:03/12/29 13:31
秀吉に木下家定の繁殖力を分けてやりたい。
240231:03/12/30 00:31
重大なミスを犯していた事に気付いた。>>227は225の誤り。
ついでに226に寝返る。義家たちも間男の子供じゃないか?
50過ぎて急に男子が4人も生まれるなんて怪しい。

コピーみてたらまた地方豪族の女を母に生まれた下級貴族発見。
清盛の四代前の祖正度も陸奥の住人女が母親。んで正度の甥貞弘の母親が頼義女。
正度(?〜?)―季衡(1022〜81)
正済(?〜?)―貞弘(?〜?)
頼義には義家(1039〜1106)らの男子より一世代上の女がいる可能性がある。
若い頃(10〜20代)に女子が出来て、その後音沙汰なかったのが50代になって
平直方女との間には男子が出来まくった。どっかの太閤様に似てますね。
母親が家女房ってのもいるけど、これはお手伝いさんに手を出したわけで
3ケタはいかないまでも、平安貴族も結構な人数の女性と関係してたわけです。
241日本@名無史さん:04/01/01 07:05
>>240
後継者いないときのこういう出産は天佑とも取れるからね。
242日本@名無史さん:04/01/04 18:26
秀吉の血液型だが
>>74は、O型だといい、>>161は、B型だといってる。
ホントはどっちなの?
243日本@名無史さん:04/01/04 22:40
>>230
秀吉は、長野知事選挙でも落選した上、偽有栖川宮に10万円も祝儀を出した。
244あぼーん:あぼーん
あぼーん
245日本@名無史さん:04/01/13 00:20
ここは秀吉の本スレですか?北政所について聞くのはスレ違いですか?
(もしスレ違いだったらどなたかスレ立てていただけませんか?)

最近の時代劇では、有力な先生が言ったか何かで、
北政所の名前を「おね」という傾向にあるようですが、
本当に「おね」でいいのでしょうか。
「お寧々(ねね)」あるいは「お寧(ねい)」というのなら分かるけど、
「ね」だけの名前なんてアリエナイ!と思うのですが…。
246竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/01/13 00:41
>>245
そういわれるとそうですね
247日本@名無史さん:04/01/13 01:24
テレビで「おね」と聞くたびにイラつくね。ねねたんだおー
248日本@名無史さん:04/01/13 01:25
ねねは間違い
249日本@名無史さん:04/01/13 01:27
おね とも ねね という。。。
250日本@名無史さん:04/01/13 01:27
本名は「ネ」かもね。
251日本@名無史さん:04/01/13 01:29
ありえネー!
252日本@名無史さん:04/01/13 01:31
秀忠の御台所の名が「お江与(えよ)」だったか「お江(ごう)」だったか不明っていう感じ?
253日本@名無史さん:04/01/14 14:55
どっちでも江与
254日本@名無史さん:04/01/14 15:05
m9( ^,_J^)ノ <北のマンコ
kouei34
255日本@名無史さん:04/01/14 15:14
本名は「ンボマ」
256日本@名無史さん:04/01/14 15:14
ねおっつーのは誰も言い出さないのか?
学者も怠慢だの。
257日本@名無史さん:04/01/14 15:15
m9( ^,_J^)ノ <ねお
kouei34
258日本@名無史さん:04/01/15 00:29
「寧々(にんにん)」
259日本@名無史さん:04/01/17 10:38
↑ネーネー!
260日本@名無史さん:04/01/19 14:26
上げろってゆってた
261日本@名無史さん:04/02/09 23:58
名前忘れたけどフジの番組で蔑称使ってたよ>淀君
262日本@名無史さん:04/02/10 00:26
淀君が蔑称だなんて、小和田くんのいつものあれですよ。
263日本@名無史さん:04/02/29 10:03
mL( ^∇^ )グッチャー!
264日本@名無史さん:04/03/02 21:34
豊臣秀吉と宮本武蔵は





父方で縁戚関係がある。
265日本@名無史さん:04/03/02 22:27
秀吉は足利義昭の猶子になれなくて将軍になれなかった。
ただし、近衛家の養子になって関白になった。
266日本@名無史さん:04/03/16 03:48
秀吉の経歴のなかでも
>156?年 稲葉山城攻略
>1573年 近江・長浜城主(18万石)
この十年間ぐらいのことを知りたいのですがいいサイト教えてください。
267日本@名無しさん:04/03/16 12:55
>>226
ねねは不妊症だったと考えるのが妥当だろう。
問題は淀殿以外の側室相手になぜ子供が出来なかったかだが、
すでに南殿(石松丸秀勝の母)のように生んだと伝えられる人がいるし、
ねねと淀殿と松の丸殿以外の女性とは数回程度しか性交渉をもったことが
ないことが推察されるのではないだろうか。
また、特に織田家の女性に対する秀吉の強い執着は資料でも確認できる
ことであり、淀殿がねねに次いで性交渉の多かった相手だということは
容易に推察できる。特に鶴松の死後、秀頼の懐妊までの間は淀殿との間に
子を作ることしか念頭になかったであろう。最も女性をよりどりみどりに
できて、元気が残っていた時期は淀殿以外との性交渉はそんなに多く
なかったのではないだろうか。

さらにいうと、大田道灌(長男資康の誕生は数え年40歳の時)、
三浦時高(長男高救の誕生は60歳以上になってから)、細川勝元
(長男政元の誕生は数え年37歳の時)など、複数の女性に接すること
ができる立場でありながら、なかなか子供が生まれなかった人は多い。
これは当時13歳〜15歳程度で女性は嫁ぐのが普通であり、
発育状態は現在の11〜12歳程度の状態だったため、
体が成熟する前に性交することによって出産能力を失った女性が
想像以上に多いことのため、というのが医学的見地からの結論である。
秀吉もまた、未熟な女性を相手にすることが多かったのも
子供が出来なかった理由の一つではないだろうか。
268日本@名無史さん:04/03/16 13:02
>267
つまり、幼女のうちに性的暴行受けて子供が産めない身体にされた…ってことかガタガタブルブル
269日本@名無しさん:04/03/16 13:43
>>268
無理やりじゃあないから暴行というのはどうかと思うけどね。

そういや10歳の娘をレイプした白人2人を撃ち殺した黒人の
裁判の映画があったね。主人公の師の元弁護士をドナルド・サザーランド
がやったやつ。
あれで10歳の娘は子宮をガタガタにされて子供が産めない
体になったっていうのを告げられるシーンが印象的だったな。
270日本@名無史さん:04/03/16 21:10
>>267
それだけの人数と性交渉を重ねてなお子供が出来なかった事実と、
秀吉の子供である事が証明されていない出産歴を比較する事が
そもそもおかしい。
社会的に見たら実子であっても、生物学的な血縁がないなどという事は
よくある事だ。
歴史として固定された状況を勘案すれば、生殖不能は秀吉自身の
問題だったと考える方が論理的だ。
271日本@名無史さん:04/03/16 21:53
逆に言えば、なんで同時代の人間が実子かどうかなんてことを
問題にしたのかってのも不思議なことなのかもしれない。
272日本@名無しさん:04/03/17 00:28
>>270
実際のところは両者の血判かなんかで
DNA鑑定するしかないんだろうけどね。

ただ、267の後段はいかにもありそうなことだ。
たとえば武田信玄の最初の夫人は扇谷上杉朝興の娘だったが、
13歳の時に嫁いですぐに妊娠し、難産の末に母子共に死んでしまった。
やはり体が成熟していなかったために出産に耐えることができなかったん
だろうね。
信長や家康みたいに未亡人とかを好んだ人と違って、
結構秀吉はロリコンだからな。
273日本@名無史さん:04/03/17 00:52
前田利家の妻、まつは12歳で嫁いで
13歳でもう子供産んでるじゃん。余程発育よかったのか。
しかも生涯11人生んでるって、どれほど仲いいねん・・
利家としてはまつが一番相性よかったのかね〜
274日本@名無史さん:04/03/17 03:08
>>270
まだ言ってる人がいるね。
根拠のないはなしでしかない。
275日本@名無史さん:04/03/17 04:01
おまいら読みが甘いな。
秀吉は超遅漏。淀は激しく巾着。
前者は後者に初めて射精の喜びを教えられた。
これが結論だ。
276日本@名無史さん:04/03/17 04:04
>>274
いやぼくは君の方が根拠のない言いがかりに見えるよ
277日本@名無史さん:04/03/17 11:02
まあ、不妊てのはほんとの病気で
子供が出来にくいってのはたいてい男側の問題なんだけどな。
278日本@名無しさん:04/03/17 11:03
>>273
北条氏康のところはもっとすごいぞ。
正室の瑞渓院(今川義元の姉)との間に七男六女の十三人をもうけた。
氏康は他の女性との浮いた噂が全然ない。
明智光秀とか石田三成とか、愛妻家で
側室らしい女性の影が全く見当たらない人って結構いるね。
279日本@名無史さん:04/03/17 19:42
現代でも大家族はいるがなあ・・。
それだけ子供作ったなら女好きなはずではあるし。
他の女にも作らせてたら正常だ。

しかし、一夫多妻のあの時代に側室持たないのは
余程真面目な気質だったのか。そういう奴っているんだ。
明智とか石田は融通きかない真面目臭い奴だから納得できるけど。
280ツバキ:04/03/17 19:46
秀吉側近の主侍医、施薬院全宗って秀吉の重要な決定に関わっているのに何故か
歴史家は嫌う。伴天連追放令は全宗の筆によるものです。何故嫌うの?
281日本@名無史さん:04/03/17 22:16
秀吉は染色線異常の可能性が指摘されている
282日本@名無史さん:04/03/17 23:03
へえー
283日本@名無史さん:04/03/17 23:55
時代劇板におんな太閤記のスレ立ってますが住人が少ないので
盛り上がりません。みなさん来て下さい。

おんな太閤記

http://tv4.2ch.net/test/read.cgi/kin/1075911993/l50#tag33

284日本@名無史さん:04/03/17 23:59
さっそくウンコAA貼っといたYO!
285日本@名無史さん:04/03/18 00:20
いらん!!
286日本@名無史さん:04/03/18 02:59
>>276
君の妄想は他のスレで論破されてるよね。
しらばっくれてるのかな?
287日本@名無史さん:04/03/18 08:34
>>286
論拠を示さず「〜はとっくに論破されている」って言う香具師多いよな、2ちゃんって。
だいたい、論破なんてされてないんだが。
288日本@名無しさん:04/03/18 09:11
>>270
ならば道灌や勝元もコキュだったと言うのか?
289日本@名無史さん:04/03/18 09:35
被差別部落との関連は?

秀吉の政策が近世の被差別部落が形成するきっかけにもなった訳だが、
秀吉自身水運や山民やら川の民との関係があったのは間違い無い。
身分政策は同族嫌悪ともとれるが。
290日本@名無史さん:04/03/18 15:23
>>289
> 秀吉の政策が近世の被差別部落が形成するきっかけにもなった訳だが、
そんな政策あったっけ???

> 秀吉自身水運や山民やら川の民との関係があったのは間違い無い。
農民じゃなかった?
「猿」や日吉丸の伝説などから、なんとなく日枝神社とのかかわりがイメージされるけど・・・
291日本@名無史さん:04/03/18 15:45
染色体異常による催奇性が認められる人って、
生殖力が劣ったり不妊だったりする事多いからね。

いずれにしても秀吉の場合、「子供が欲しくて」必死で側室かき集めたのに
淀以外孕まなかったというのが不思議なんだよな。
しかも淀は2度も出産。

こういう事があるから中国では宦官作るんだが、
秀吉の場合は、子供が欲しいんだから全然オッケーだったわけで。
292日本@名無史さん:04/03/18 19:51
いまふと思い出した
確か京都辺りの寺院だったと思うが、秀吉の抜け落ちた「歯」をもらい受けて
いまでも保存しているところがあった
秀吉の歯が残っているのであれば、遺伝子を取り出せるのではないか!
寺院名は失念した
だけかこの件について心当たりはないかいな?
293日本@名無史さん:04/03/18 20:12
|.-──-、
| : : : : : : : : \
|: : : : : : : : : : : ヽ
|-…-…-ミ: : : : :',   オマエラに教えてやろう。
| '⌒'  '⌒' i: : : : :}   鶏インフレが話題になる直前に流行った魚の病があったろ。
| ェェ  ェェ |: : : : :)  BSEと鶏インフレに隠れちゃったのでこっちはその魚をゴミ値で買って大もうけさ。
|   ,.、  |:: : : :;!   オマエラに食わそうとしてるのは本来高級料亭に出されるはずだった淡水魚さ。
| r‐-ニ-┐| : : :ノ    霞ヶ浦だっけかな?あそこで養殖されてたんだけど、その病気で産地ごと
|! ヽ 二゙ノ イゞ‐′   全部パァになっちゃって、それを買いたたいたってわけさ。
| ` ー一'´丿 \     あ、人には感染しないので安心して食ってくれよ。揚げ物だし高温調理だから問題なしだ。
| \___/   /`丶、 ホームページなんか見ても魚の名前とか載ってないので無駄だぞ。
| /~ト、   /    l \
294日本@名無史さん:04/03/18 20:39
そんな事いったら歴史上の人物ほとんどは遺伝子取りだせるのだが....
295あぼーん:04/03/18 20:51
歯をどうやって溶かすんだ?
溶ける前にDNAが壊れるだろ。
296日本@名無史さん:04/03/18 20:54
秀吉は中指が無い四つ指だったとかの話は?

近親結婚を重ねる集団に多い遺伝子の異常だというが、

ほんとはそのへんどうなの?
297日本@名無史さん:04/03/18 21:05
>>290
確実な史料は残っていない。
「百姓」という記述はあるが、百姓が農民とは限らないのは周知の通り。

秀吉が若い頃畑を耕してたイメージなんて皆無では?
むしろ柴を刈ったり、針を売ったり非農業民的な生活をしていた伝承しか残っていない。
一夜城の築城も水運と密接な関係を持っていたから可能だったといわれている。
298日本@名無史さん:04/03/18 21:48
なんでこう情報が錯綜してるのかなぁ。

秀吉の多指症は、右手。
それについてはさんざん既出だが、ポルトガルからきた宣教師シャールボアやフロイスの手紙、
姜汎の『看羊録』にも載っています。前田利家の『国祖遺言』にも「太閤さまは指6つござ候」
という記述に残っているし、疑いはないようです。実際、信長に「六つ奴(むつめ)」と
呼ばれていたらしいし。多指症自体は、三毛猫のオスより珍しくない症状。

秀吉の手形なる物が残っているが、右手親指の外側に、親指より細い指の型が残されている
(所蔵している場所は失念)。
299日本@名無史さん:04/03/18 21:52
秀吉は、蒲生氏郷、徳川家康、伊達政宗などの外様で秀吉を押しのけ天下を狙うような
男たちは優遇したが、直臣で秀吉に屈服せず内心挑むような覇気のある者には
容赦しなかった。
御子田正治、尾藤知宣、前野長康などがそれにあたる。
300日本@名無史さん:04/03/18 23:52
氏郷暗殺されてるじゃん
301日本@名無史さん:04/03/19 00:29
>>300
うむ・・・確かに。
302mi:04/03/19 01:13
>>298
>秀吉の手形なる物が残っているが
初耳じゃ〜。誰か詳細しらんかね。
303日本@名無史さん:04/03/19 04:20
歯からはDNAが検出できます
304日本@名無史さん:04/03/19 10:54
「多指症」は当時社会からどんな目で見られていたのだろう。
秀吉はその身体をどう考えていたのだろう。
天下人と多指症の関係というのも興味深い。
305日本@名無史さん:04/03/19 12:46
>>287
なんだ、論破されていないと強弁したいだけか。

君のお気に入りの根拠を示してくれたら改めて論破してあげてもいいよ。
306日本@名無史さん:04/03/19 19:02
>>289
センミン地区を中心にキリスト教が布教されたのも一要因では?
禁教したから。
307日本@名無史さん:04/03/19 23:38
>>305
まあ俺は>>287じゃないいんだが
はっきり言っておまいら不毛だな、だいたいどちらにしても根拠が無い。
推測と推測じゃ決着なんて着くわけ無いだろ。

ではトリビアをば、
墨俣城は







秀吉が建てる前からあった。
既出?
308日本@名無史さん:04/03/20 02:57
城というほどのもんじゃない、ただの砦でしょ。
それを補強しただけ。
309日本@名無史さん:04/03/20 02:59
>>307
同意。ただ、その論破されたスレッドとやらの該当部分を出しもせずに
生意気な口きいてる305には通じないだろうなぁw
310日本@名無史さん:04/03/24 05:32
豊臣より羽柴のほうがカッコイイと思う
色んな意味で…
311日本@名無史さん:04/03/31 13:28
僕の小学生時代の同級生に羽柴くんという人がいた
百々くんという人もいた。二人とも性格とか学力とかが全然違うし
クラスでは全く交友関係がなかったのに、百々くんの家に行った時に
羽柴くんが来てて仲良さそうにしてた
後で信長の野望やって、どうしてこの二人に親交があったのか理解できた。
312日本@名無史さん:04/04/01 12:54
>>305は春房だったということでOK?
313日本@名無史さん:04/04/03 13:36
>>312
何なら今からでもしてあげるよ
314日本@名無史さん:04/04/08 14:43
いやねねが不妊症よりも秀吉が種無しのほうが納得できるじゃん
315日本@名無史さん:04/04/09 22:26
>>241
義家は天佑で秀頼は不義か。御都合主義もここまくりゃたいしたもんだ。

>>245-251
子年生まれだったりはしない?いや、自分で調べれば済む事なんだけど。
316日本@名無史さん:04/04/09 23:44
>>276
秀頼実子派は道灌、時高、勝元、頼義などの類例や医学的根拠を出していますが
淀不義派の根拠は江戸以降の諾説だけですか?
317日本@名無史さん:04/04/11 21:29
謬説、訛伝。諾説なんて言葉はないし、意味も通らない
匿名でもかき捨てに出来ないほどの大恥じかいた。
318日本@名無史さん:04/04/23 22:27
>>276
徳川のでっあげです
319日本@名無史さん:04/04/24 21:06
>>318
亀レスで脱字するのはいかがなものかと・・・
320日本@名無史さん:04/04/26 22:28
秀吉が家康に関東を与えたのは、失敗だった。
秀吉が氏郷に会津を与えたのは、誤算だった。(すぐ死亡)
秀吉が小早川に北九州を与えたのは、失敗だった。
秀吉が前田に加賀を与えたのは無意味だった。
秀吉が三成に大禄を与えなかったのは、失敗だった。
秀吉が清正を九州に配置したのは、失敗だった。
321日本@名無史さん:04/05/03 08:43
お母ちゃんがバイタで、性病だった。だから子供の秀吉も精子がなかった。
本当のお父ちゃんはわからないが、朝鮮人だった。
だから、コンプレックスの裏返しで徹底的に朝鮮敵視政策を行った。
組んだ相手が千利休。向こうの正式な作法を全て下品なものとした。
それが現在まで至る。
322日本@名無史さん:04/05/04 23:29
ただ、朝鮮征伐は朝鮮が憎くてしたのではないみたいだが。
323日本@名無史さん:04/05/05 00:27
征夷大将軍になれなかった無念の捌け口というわけだ
324日本@名無史さん:04/05/05 00:40
>本当のお父ちゃんはわからないが、朝鮮人だった。
>だから、コンプレックスの裏返しで徹底的に朝鮮敵視政策を行った。

マジレスすると在日や朝鮮系が本国を叩く事はない
何故か彼らは日本の恩恵に浴していながら日本敵視政策を行う
325日本@名無史さん:04/05/05 01:20
秀吉の子に羽柴秀勝と名乗る人間が4人いる。
326日本@名無史さん:04/05/05 07:26
太閤殿下は、「秀勝」と言う名前に相当思い入れがあったようですね。
なんででしょう? 長浜にいた時代に子供が出来たことがあったそうです。
その子供の名前が、「秀勝」らしいですね。しかし、すぐ亡くなってしまいます。
その子供のことが忘れられないのでしょうね。同じ名前を養子にした子に名乗らせてます。
何人も・・・・・。太閤殿下の気持ちが感じられますね。信長公から頂いた御子にも、
この名前を名乗らせています。しかし、この「秀勝」も早く死んでしまいます。
他に、1人いたそうですね。ところが、淀殿が生んだ子には、この名前を名乗らせていません。
あれほど執着した名前でも、不吉な気になってしまったのでしょうか?
327日本@名無史さん:04/05/05 07:39
>>324
まさにそれが秀吉前、後の朝鮮人の待遇なのだよ。
前は文化をもたらした日本人にとっては尊敬せざるを得ない存在。
その中でのおちこぼれ秀吉君は逆差別したかったのだろう。
328日本@名無史さん:04/05/05 07:41
>>327
フーン。ツマラナイ
329日本@名無史さん:04/05/05 14:48
>>326
そういや、この前長浜行ったら、長浜駅近くに秀勝の墓があった
330日本@名無史さん
>326
その間、愛着有る名であるがゆえに、養子に使い過ぎてしまった為、今度は、嫡子の誕生という、インパクトに
欠けると思ったのでは?
秀吉は、源頼朝を尊敬していたから、一字ずつ。 ・・・次ぎの天下様には、ぴったりの
名だと惚れ惚れしてたんじゃないかな?