1 :
日本@名無史さん:
今川義元上京で歴史はどう変わっていたでしょうか?
日本は現在どのようになっていたんでしょうか
2 :
日本@名無史さん:03/09/06 14:40
武田信玄が天下統一。
武田か毛利あたりが天下統一候補かな?
4 :
日本@名無史さん:03/09/06 15:03
武田VS毛利 伊達VS北条になって 毛利・伊達が日本を2分しるでしょう
↑のとおりなら、
斎藤道三、上杉謙信、
本願寺、三好は、どうなってんだ。
6 :
日本@名無史さん:03/09/06 17:36
斉藤氏・上杉氏は武田の侵攻で滅ぼされ、本願寺は毛利と講和を結び
三好は毛利に吸収される
7 :
日本@名無史さん:03/09/06 18:56
>今川義元上京で歴史はどう変わっていたでしょうか?
もし桶狭間で信長討ち死にでも今川義元は尾張取るのがやっとじゃないの?
信長が早い段階で死んだら、おそらく戦国時代が長引いたうえに出来た新政権は
足利幕府よりも不安定な政権になると思う。
他の大名には信長ほど天下統一への執念が無いだろう?適当なところで手打ちになり、
名目上の「天下人」になる大名も他の大名と大して差が無い状態で戦国状態が終結。
世間では夏休みが終らない方もいらっしゃるようで・・・
いや、じつに羨ましい、、、
9 :
日本@名無史さん:03/09/06 21:29
信長いない→義元上洛成功→義元は将軍権利持ちなので武田とか上杉とかは従う
→義元政治的に天下統一→でも氏真はあんまり政治強くない→義元死去
↓
1600年頃今川家ナンバー1の家康が天下人に。
とかゆーのは歴史読本であったよ。詳しくは覚えてないけどさ。
日本人は今でもチョンマゲ電気無し 従って2ちゃんねらーもいない
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11 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:08
結局徳川の天下か
12 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:09
やはり家康が天下を取って、その後は明治維新が起こるだけですね。
13 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:49
そろそろこの辺で三戦板でやれとかいう意見が出てもいい気がするが…
14 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:55
お約束キタワァ.*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!☆
16 :
日本@名無史さん:03/09/07 14:48
羽柴がいなくて家康がいるという設定でいくと、明治維新はありえないですね。
実際、島津はもともと徳川よりなので、伏見城戦で断られなんだらそのまま徳川についていました。
長州は大坂幕府に楯突くわけですが、そうなると、幕府を打つ朝廷が倒れる可能性もあります。
17 :
日本@名無史さん:03/09/07 14:56
羽柴はいて良いよ。
18 :
日本@名無史さん:03/09/07 15:00
毛利はどうよ?
19 :
日本@名無史さん:03/09/07 15:04
>>16 そんな俗説信じてるの?
島津は島津義弘はじめかなりの豊臣よりです。
特に三成と縁が深く、義弘のみならず、義久まで三成を誉める発言をしてます。
伏見城の件にいたっては江戸事態に入ってからの、全くのねつ造です。
鳥居たちは死んだので死人に口なしですし。
20 :
日本@名無史さん:03/09/07 15:07
>>16 江戸事態は江戸時代の誤り。
あと、島津義久も徳川派ではなく中立派です。
義弘への関ヶ原の派兵も妨害しましたが、
関ヶ原の戦後処理でも養子の忠恒の徳川との交渉を最後まで「おや不幸の極みである」と妨害してます。
21 :
日本@名無史さん:03/09/07 17:41
おそらく東北は伊達で統一されると思う。
関東以西は混戦。今川は尾張で侵攻をやめ、武田に敗れる。
北条は上杉か武田に敗れる。関東以西は上杉と武田の決戦になると思う。
畿内は三好や松永。北陸は上杉か一向宗。朝倉は滅びる。浅井も危ない。
中国は毛利でまとまる。
九州は島津。
結局のところ、武田VS上杉の勝者が畿内に乗り込む。その後伊達がその勝者と戦う。
そして毛利と決戦。
九州は最後に出てくるが勝てないだろう。
伊達だと思う。
結局のところ、伊達
今時伊達ではブルーギルも釣れません
23 :
日本@名無史さん:03/09/08 20:10
信長がいないのなら、明智光秀は健在だろ?かなり小さいのか?
というか1560年の今川は上洛をするきはないぞ。
根拠は通り道の大名になんの書状も送っていない。
調停にもな。
25 :
日本@名無史さん:03/09/08 20:16
光秀は歴史に名を残すほどの存在にはならなかったのでは?
普通に光秀は武田家における高坂や上杉家におけるな終えあたり
と同列の武将として残るんじゃないか?
義元存命の今川に武田が勝てるとも言い切れんぞ。
逆に潰される可能性だって十分あり。
桶狭間で敗れたとはいえ、奴も一党を纏めた賢君なわけだし。
28 :
日本@名無史さん:03/09/08 22:50
信長が古い制度や門閥主義を壊したおかげで猿は出世できた。
それに光秀も浪人からあそこまで行けたわけだし。
上杉も武田も天才は一代限りだし結構家柄にこだわってたところがある。
古い制度が壊されない限り戦国は終わらなかったのでは?
29 :
日本@名無史さん:03/09/09 10:50
義元存命の今川に従いつづけようが織田と同盟しようが武田の参加に入ろうが、
家康は苦労しつつも最終的にはいいポジションにいそうだ
30 :
日本@名無史さん:03/09/10 12:53
>いいポジション
乗っ取り屋として、だけどネ。<家康
それにしても、
宿主が今川、武田だった場合は、
乗っ取った後、天下をとるまでには行かないだろう。(笑
やっぱり、信長がいなかったら、
天下統一できそうなのはいない。
31 :
日本@名無史さん:03/09/10 13:14
徳川は家康存命のうちに天下統一まで漕ぎ着けないと
死後、徳川家先細りの可能性が高いな
信康が二代目になるかどうかで異なってくるかもしれないが、他の子等では…
信康自体も、普代衆に好かれてはいないので危ういが
32 :
日本@名無史さん:03/09/10 15:45
もし織田信長がいなかったとし、しかも武田信玄の死因が鉄砲玉で負ったかすり傷に由縁しているのであれば、あきらかに武田家は違った運命をたどっていただろう
今川は桶狭間で討ち死にしない
秀吉はどこかの戦場で人知れず果てていたであろう
もしくは天下を治めるのは武田氏と見極めて寄り付いていたかもしれない
関東に巨大同盟勢力圏ができあがり三河は歴史通り今川の支配下にくだる
三河家康はおそらく一生を寺で過ごしたであろう。 三方が原の決戦はなかった。
どの道武田は今川北条と対立するのは必然
まぁ 天下無敵の武田さんが勝つわけですよ
このとき、家康は武田に仕官する
このときすでに武田家の武将の一人に数えられていた秀吉に毛利征伐の命が下る
武田信玄は宿命のライバルと決着をつけるために信濃遠征
信玄を慕う優秀なる部下明智光秀が大いに活躍
秀吉、光秀は それぞれの功績でひときわ大きな存在となり
いまや勝頼、光秀、秀吉、そして信玄が見抜いた秀吉の軍師如水をもってこれを四天王と格付ける
信玄の死後、四天王の関係は悪化
色々あって秀吉が優勝
秀吉死後ちゃっかり者の家康がなぜか最終優勝して 徳川幕府開府
33 :
日本@名無史さん:03/09/10 16:04
鉄砲の使い方に大きな変化は見られなかった。
小笠原流が武士の礼節の基準となっていなかった
チョーセン征伐は無かった
楽市楽座は無かった
藩体制は無かった
参勤交代は無かった
各街道は栄えなかった
富士山に天下無敵の要塞完成
山のふもとを高さ20メートルの堀で囲む
山のふもとから中層までが作物畑や水田
てっぺんには15階だての空前絶後の巨大天守閣出現
34 :
日本@名無史さん:03/09/10 16:09
日本全国に立派な堤が残り、今も各地の人間から慕われている
35 :
日本@名無史さん:03/09/10 16:10
もしも織田信長がいなかったら
チョーセン人の怨念が一つ減っていた
36 :
日本@名無史さん:03/09/10 17:15
>>32 武田が、織田の代わりの役割(天下統一の土台作り)
を果たすなんてことは、絶対にありえねーーー。
信玄が死んだ時、何歳だったと思ってるんだよー。(笑
それに武田家中では、秀吉は出世できない。
秀吉以外のよそ者も同じ。
>33
>鉄砲の使い方に大きな変化は見られなかった。
長篠の戦いで信長が使った斬新な鉄砲戦術、ってのは俗説に過ぎないで
しょ。
単に信長は畿内を征して金と技術力を持っていたから、他のとこよりも
鉄砲を大量に動員出来たってだけ。
信長がいなかったら三好か本願寺辺りがやってただけだと思いますよ。
>楽市楽座は無かった
楽市楽座も、別段信長の独創的な政策ってワケじゃなかったハズ。
どこだっけ、六角だったかな? 信長よりもかなり前に楽市楽座を実践
してるトコもありますし。
上杉謙信は戦略面が弱い…っつーかまともに領国経営が出来ないし、武
田信玄は在地領主連合の代表としての大名から脱却出来なかったし…
結局、現代にまで名前が伝わってないような人物がのし上って、信長同
様の改革を成し遂げるってのが順当なんじゃないかなぁ?
>>36 高坂も生まれは農民ですが。
秀吉も出世できたと思いますが?
秀吉出世は無理。
あんなもの殆ど運だけ。
40 :
日本@名無史さん:03/09/10 20:23
>>38 高坂は、信玄のホモだちで、アナルを提供して出世した。
秀吉にはできないことだす。(笑
島津が九州統一、元就死後毛利と雌雄を決する。
42 :
日本@名無史さん:03/09/11 19:58
>>41そりゃあ
えらくローカルな決戦だにゃ(w
>>37 >>長篠の戦いで信長が使った斬新な鉄砲戦術、ってのは俗説に過ぎないで
という説があるようだけど、
信長公記には、今川方の村木砦を攻めた時、
信長が自ら狙撃手として、3丁の鉄砲を取替え取替え撃ったと書いてある。
つまり、ひとり3段撃ちだ。
こういう発想法を持っていた以上、
長篠で、それをスケールアップした作戦を実行しなかったとは限らない。
もっと独立性の強い諸邦林立国家になっていた。
イタリアやドイツのような感じ。
>42
替えの鉄砲を持って、取り替えながら連射ってのは島津軍でもやってませ
んでしたっけ?
いや、どっかの本で読んだような気がするなぁってレベルの話なので、な
んとも言えないんですが。
三段撃ちそのものは、信長の発案による斬新な戦術って言うイメージがな
いんですよね。
信長が凄かったのは、鉄砲の動員数だけ。それなら畿内を制した人間なら
誰でも当然実行するんじゃないか? と思ったワケです。
45 :
日本@名無史さん:03/09/12 15:52
>>44 鉄砲の動員数だけ言うけど。鉄砲の有効性に気付いたのが凄いんでしょ。他大名だって早い時期に種子島入手してるけど、戦場での効果を過少評価してる。
46 :
日本@名無史さん:03/09/12 16:25
まぁ鉄砲の短所といえば・・・
雨天時は無力化
軍用馬が発射音にビビル
連続射撃が利かない
コストが高すぎる(ある程度数が揃わないと戦力としては期待できないし)
って感じか?
長所は
弓手を育成するより手っ取り早い(基本的に足軽は普段は農民)
威力、射程距離の増加
威嚇の効果
かな?
47 :
日本@名無史さん:03/09/12 19:58
長篠の戦いの攻撃の武田軍は1万5千、織田、徳川は3万以上。しかも防衛戦。
鉄砲の話は、、、、語るまでも無い。
48 :
日本@名無史さん:03/09/12 20:19
島津の狙撃術は”繰り詰め”というやつだ。
まず、六人一組を編成。
図式にすると
Yバン Yバン
@ @
AA BB
↓A、@の前面に進み出る。
Yバン Yバン
A A
@ @
BB
↓同様にB、Aの前面に。
Yバン Yバン
B B
A A
@ @
そして、@はBの前面に・・・とこの繰り返し。
特徴としては銃陣を固定せず、少しずつ前面に進んでいくことにある。
射手は士分が担当。足軽は兵具方にまわった。
49 :
日本@名無史さん:03/09/12 21:56
>>46 >>雨天時は無力化
荒天時でなければ、無効化などしません。問題ありません、
>>軍用馬が発射音にビビル
慣れれば問題なし。20世紀初頭まで銃砲と一緒に騎兵が活躍したのはなぜですか?
>>連続射撃が利かない
鉄砲の運用上の問題。弓隊も鉄砲と同様の問題を抱えてますが?
>>コストが高すぎる(ある程度数が揃わないと戦力としては期待できないし)
他の兵装も同様の問題を抱えてます。
世間一般で鉄砲の短所と言われるところは、短所とはいえないと思います。改善の方法が存在するから
30万丁も生産されたのではないでしょうか?
それより、矢種と同様、火薬などの弾薬生産入手に各大名の差が出来たのではないでしょうか?
織田は金があったからな。
結局は金の力だ。
51 :
日本@名無史さん:03/09/13 08:38
>>50 金をつくるには知恵がいるもんだ。特に貨幣経済の普及過程にある
時代では、独創的な発想のない人間は旧態依然の田舎大名のまま進歩しない。
経済を発展させ、役人による中央集権制を確立しようとした信長は単に
金持ちだっただけでなく金の使い方を知っていたといえる。
52 :
日本@名無史さん:03/09/13 08:57
>>51 信長のあとを継いだ秀吉がその中央集権化の流れを逆流させたのは
日本にとってマイナスだったかもな・・・
>>52 秀吉の場合、周辺勢力に妥協しないと天下統一が進めにくい状況だったからしょうがないな。
天下統一してから大名抑制の組織を整えることもなく死んで家康に取ってかわられてしまったし。
>45
その辺りは「織田軍が大量に鉄砲を動員した」という事実をどう解釈
するか、個人の見方によるんだろうケド、私は他大名は威力を軽視し
ていたんじゃなくて、「んな金あるかいっ!」という事で使えなかっ
たんだと思っています。
51さんも言ってる通り、信長は経済政策を国力に反映させるのが上手
かった、金の使い方が上手かったというのが実際のトコだと思います。
55 :
日本@名無史さん:03/09/14 23:32
信長にはいろいろな面での知識や指導力があったかもしれないが、
日本で1番を争う地の利があったことを考えると、
”天才”という称号を与えて良いのか。
指導者一人だけで戦力が決まるというのは”北斗の拳”みたいで面白いのだが、
面白く作りすぎ、信じ過ぎに感じる。
信長がいなかったら。。。
日本の混乱状態は続く。そして李舜臣に率いられた
朝鮮水軍は、玄界灘そして瀬戸内海を占拠し、朝鮮軍
が上洛することになるのである。
京都市郊外に建てられることになったであろう受降台は
日本国王が朝鮮国に降伏したときを記念したものである。
57の続きです。
そして朝鮮国王は、朝鮮軍に協力した徳川家康を
日本国王に任命した。但し、京は朝鮮国の直轄と
したので、家康は関東地方に遷都し、江戸に新たな
首都を作った。
58の続きです。
朝鮮軍は京に上洛すると、畿内を平定した。そしてまず
四国、山陽、九州北部を制圧した。それから東日本に進軍
する。三河で今川・武田連合軍を破り、今川義元は戦死した。
帰順した徳川家康に駿河遠江三河の支配を任せると、余勢を
駆って甲斐・信濃に侵攻。さすがの武田信玄も関東に逃げ延び
ざるを得なかった。その間、上杉謙信は北陸から京めがけて
進軍を開始したが、姉川の戦いで朝鮮軍の前に敗北し、撤退した。
59の続きです。
数年後、朝鮮軍は北陸に攻め入った。上杉謙信は孤高むなしく
春日山城で自害した。さらに、朝鮮軍は出羽に入り、最上、
秋田らが降伏した。いよいよ関東である。北条氏は頑強に
抵抗したが、小田原を陥され、滅亡した。信玄は常陸に逃げる
ところを討ち取られた。無敵の朝鮮軍。残りは、伊達のみ。
朝鮮軍がそんなに強けりゃ、まず明国を攻めるな。
朝鮮人っていつもこんなアホな妄想をしているの?
63 :
日本@名無史さん:03/09/15 12:58
>>62 彼らの歴史をちょっとだけでもいいから調べてごらんYO
あまりにも悲惨な歴史で、妄想せずには生きていけなくなってしまうことが
よくわかるはずさ。
つーか、朝鮮さえ絡めれば簡単に釣れると思ってるワンパな釣師だろ
60の続きです。
朝鮮軍は徳川家康を先頭に怒涛のように東北に
侵攻した。伊達政宗は抵抗したが、猪苗代湖の
ほとりで朝鮮軍兵士に囲まれ、首を討たれた。
朝鮮軍が青森にまで達するのに1ヶ月も掛から
なかった。翌年には、北海道を平定し、ついに
朝鮮軍による日本統一はなったのだ。
つまりそれを阻止した信長は偉大というわけですね
【結論】
もし信長がいなかったら朝鮮が日本を統一していた
だが信長が存在したので朝鮮は日本に侵略された
なんかすごく薄っぺらい国ですね
65の続きです。(薄っぺらい国ではないよ)
1941年12月8日、朝鮮帝国連合艦隊はハワイを奇襲し、
対米英に宣戦布告した。1945年8月15日、サンフランシスコ
において、朝鮮帝国は、連合国と講和をした。これにより
朝鮮帝国の領土は従来の朝鮮本土、日本、琉球、満州に加えて
華北、内蒙古、台湾、南洋諸島、ハワイ、アリューシャン、
東南アジア全域、オーストラリア、ニュージランドに及ぶことに
なったのだ。
66の続きです。
もちろんハングルが公用語です。これほど合理的な
文字はありません。これがもし信長がいなかったら
というifへの答えです。
70 :
日本@名無史さん:03/09/15 16:20
予言者=朝鮮人
予言者=朝鮮人=黄色い救急車
72 :
日本@名無史さん:03/09/15 16:26
予言者=妄想癖のある朝鮮人
73 :
日本@名無史さん:03/09/15 16:28
松永久秀が天下を取りかけるが途中で部下に謀反されてあぼーん
跡を継いだ秀吉が天下統一
>1
もし、信長が居なかったら。
彼のような急進的な改革者のお陰で100年歴史が早まったことは確かだが。
遅かれ早かれ、ミニ信長が日本国中に出現していたことは確かだな。
中世の門閥主義から近世の実力主義へと緩やかに移行して行ったことは確かです。
日本統一の過程でアブレた浪人や難民となった日本人が東南アジアへ行って日本人町を作っていますが
家康による統一もあったか定かではないので。
東南アジア・南アジア・オーストラリアに日本が影響力を持つ国が数カ国出来ていたとしても不思議ではないですね。
別に国は日本人だけで作れるわけでは有りませんから、Top層が日本人でその下が現地人。
日本に由縁を持つ国がアジアに沢山出来ていたら、いまどうなっていたでしょうか?
歴史のIFとは妄想するにも楽しいものです。
朝鮮? 相変わらず藁を編みながら中華王朝の辺境としてただ在るだけだったのでは?
確実に言える事は、極東にしてもアジアにしてもその歴史にかの国のひとが足跡を残すことは全くありえないという事。
75 :
日本@名無史さん:03/09/15 16:41
江戸時代に「門閥主義」に戻ったんだから、同じだな。
>>75 徳川家自体が古い門閥主義を色濃く残しているからね。
じいさんの時代に帰参した人も、新参者と言ってるくらいだし(覇王の館より・・・。
ただ、幕政期の門閥ってかなりいいかげんなもので養子婿入りは当たり前だったはず。
表面が門閥でも、実務者として認められれば農民でも老中にまでなれたからね。
何釣られてんだよ。
78 :
日本@名無史さん:03/09/15 18:29
戦国時代に名を馳せたような家であれば、大なり小なり実力主義
であったはずで(そうでなきゃ無理ぽ)、信長「だから」という
ものはそうないと思うわけで。
戦国自衛隊じゃあないが、信長が果たした「歴史上の役割」を
他の人が果たす事は可能だっただろう。
信長を以ってすら、天皇超えなどの「一線を越える行為」は
ついぞできなかったわけだし。
79 :
日本@名無史さん:03/09/15 18:48
>77
77=朝鮮人
80 :
日本@名無史さん:03/09/15 19:25
>>78 完全に天下を掌握した後なら一線を越えたかもよ
81 :
日本@名無史さん:03/09/15 19:28
>>80 事実はできなかったわけで、故に信長以外でも同じような歴史に
なるんだろうという結論になる。
それ以上の事は「信長が死ななかったら」というネタであって
ここではスレ違いだろう。
82 :
日本@名無史さん:03/09/16 00:21
天下布武は、信長の強烈な個性の表れなのであって、
信長以外の誰にも真似ができない。
鉄砲、楽市楽座、実力主義、など一つ一つは、他の武将もやったとしても、
天下統一という目的に向けて、すべてを活用し成果を上げたのは信長だけ
妄想痛いな・・・
1さんへ
>日本は現在どのようになっていたんでしょうか
私が書いてきたように、日本国は存在することはするが、
大朝鮮帝国の自治領として日本国王(徳川氏)により
統治されていたと思う。学校では、国語としてハングル
と日本語の両方を教えていることでしょう。
85 :
日本@名無史さん:03/09/16 06:11
予言者=妄想癖の激しい朝鮮人
87 :
よーへい ◆XOVjfpWd/c :03/09/16 09:55
これは何だ????? ていうかー多分
>>1はさ、
ノリでスレ立てたはいいんだけどもう飽きちゃった、みたいな感じか?
スゲーしょぼいよねーそういうのってさ。なんつーの?マジでこのスレって
レベル低いし。
>>1は自分の人生見つめなおした方がいいかも??でもこういうスレ立てる奴に限って
イカツイ顔してたりするんだよねー。B系なのに日本史語るなんてショボイねーwwとか言われるのが
ケッコー嫌いだからこそこそこんなところで日本史語っちゃってるとか?
てゆーかそういうのってマジ哀れじゃん?
なんつーかさぁ、
>>1を見てると見てるこっちが恥ずかしくなってくる、マジで。別にこのスレが
いやだって言ってるわけじゃないんでそこんとこ夜露死苦!
余談だが、信長が朝鮮系日本人だったという
話しを聞いたことがあるが、本当だろうか。
ただ、信長は桓武平氏なので、桓武天皇が
朝鮮系の天皇だったことからすれば、確実に
朝鮮の血は入っているのは間違いないが。
信長が平氏のはずがない。
90 :
日本@名無史さん:03/09/16 11:49
信長は忌部氏とする説(織田剣神社のつながりから)が最近は強いようだが、
わしには断定できるわけじゃあないな。
ただ、藤原氏及び平氏でないことは確実だ。
というと、信長には朝鮮の血は入っていないということですか
92 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:54
むなしくはならんか、キミ…?
93 :
日本@名無史さん:03/09/16 22:12
>>90 忌部氏ってどうゆう人達ですか?字が良くないと思うので気になったのですが?
奈良周辺に同じ町名があるのですが、何か関係があるのですか?
94 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:14
ありがとう。
まあ戦国大名の出自は基本的に不明なわけで、
古代渡ってきた朝鮮人の血が入っている可能性が無いわけではない。
でもそれは日本に帰化した人間を韓国人だというようなもの。
>97
ありがとう。やはり信長は朝鮮系ですね。
>>98 信長は朝鮮ではなく中国系。これ定説。
参拝した熱田神宮は中国系。
信長の平氏名乗りは適当。これ定説。
つうか武家の源平自認は殆ど適当。
>>69 ハングルは長年、白丁級の下民が用いていた言葉で、
高層は漢文を重用してました。よって虐げられてきた文字なのです。
それを国字として国に広めたのは日本ですよ。
あと朝鮮の歴史上数人しかいない英雄の一人である李瞬臣も長年虐げれて
きて、近代になって日の目を見た人です。(日本が李瞬臣を褒めた結果)
朝鮮人は善悪と甲乙の判断が出来ないので、日本人が助言してあげたのです。
信長の性格は朝鮮人とはまったく正反対です。
短気ではないです。(普段はいたって冷静)
厳格(ヤクザ肌の朝鮮人とはまったく違う)
嘘をつかない(日本書紀は中国の書物に嘘つき呼ばわりされた朝鮮人とは正反対)
女性に対して潔癖(昔から男尊女卑で女性を虐げていた朝鮮人とは正反対)
行動が綿密で軽快(朝鮮人は昔からプータローが多い地域でした。伊藤博文もその事で嘆きの言葉を発しています)
お酒が飲めない下戸(朝鮮人は、東アジアでは酒豪に入る)
>>98 これが朝鮮人の思考能力なのか。
今更ながら、いやはや、呆れる。
106 :
日本@名無史さん:03/09/17 11:34
他国に絡むより、自国の歴史を勉強すればいいのに、といっても半島地域の歴史なんて
日本、中国史との絡みしかないけど。
107 :
日本@名無史さん:03/09/17 23:32
「路上に脱糞するなかれ」
日韓併合後の一大社会運動であったが、この悪習はなかなか直らなかった。
この風習は満洲でも同じことで満鮮地方の風物詩かもしれない。
(朝鮮軍司令部1904〜1945 古野直也著 国書刊行会 25Pより)
まともな国に日本がしてやったのに。感謝の言葉も無いのか
∧_∧ ∧_∧
<ヽ`∀´> < >
/ , つ / , つ
(_(_ ) ( 人_ )
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" `J ∧_∧
" (´Д`; )
∧_∧ _ " ( つ つ
(`ハ´ ) f;:::) , ヽ Y
⊂ ⊂ ヽ/;;/ " し(_)
- - - --( ( ノ:i::| - - - - - - - - - -
108 :
日本@名無史さん:03/09/18 05:01
日本はペリーが来るまで東日本と西日本に分かれていたと思います。
信長の性格は日本人離れしてる。だから、朝鮮の血を
受けている可能性があるのでは?
でもあまりこだわらないようにします。
>102
日本史でも英雄と呼べるのは、数人しかいない
のでは?
>>109 いやいるでしょう。
近代では東郷平八郎など。
信長の平氏名乗りや越前からそう判断しているのかもしれないけど、
日本人離れしているから朝鮮とはこれいかに?
日本人はそんなに画一的な民族なのかな?多民族国家ですよ。日本は。
むしろ画一的なのは朝鮮の方だと思うのですが?
信長の性格からして朝鮮気質とはかけ離れていると思いますが?
111 :
日本@名無史さん:03/09/25 05:02
他の日本人と同様に、
朝鮮人の血も、ちょこっとくらいは入っているだろう。
それよりも、
信長の場合は、名古屋人の血のほうがずっと濃い。
112 :
日本@名無史さん:03/10/06 04:44
agetemiru
>>111 その朝鮮人自体、倭人との融合体である事を忘れてはならない。
114 :
日本@名無史さん:03/10/06 16:19
>>113 まあね
正確には、朝鮮半島人かな?
当時、朝鮮国はなかったから。
スペイン、ポルトガル、またはオランダの植民地になっている。
116 :
日本@名無史さん:03/10/10 20:14
>>115 当時、アフリカ、アメリカ大陸、東南アジアには、
国家は存在せず、文化も遅れていた。だから侵略された。
日本は、内戦していても、
ヨーロッパから送ってくる軍団に侵略されるほど弱くないよ。
統一政権ができないのは弱点だけど。
もし、本格的侵略軍が来たら、協力して防衛するくらいの一体感はあったと思ふ。
117 :
日本@名無史さん:03/10/25 23:58
おおそうか。
118 :
日本@名無史さん:03/10/26 00:18
信長がいなかったら、、、
今川義元は桶狭間では死なないわけで、家康の出番はないでしょう。
人質だった彼は常に戦場の最前線にたたされたわけで戦死してしまう可能性が極めて高い。
秀吉・光秀は信長の家来であったからあそこまで出世したのであって、他家では無理。
現に秀吉が松下の家来だったときには、有能であったにもかかわらず、出世できず、
首になっている。出自不明の人間には冷たい時代だったのだ。
天下取りの野心からみると、毛利・今川・北条・上杉等の大名にそれがあったとは
思えない。また能力的にみて、当時可能性があったのはこのくらいだろう。
武田は、信長が今川を倒したから一気にクローズアップされたものの、今川がいれば
北条・上杉・今川に囲まれてジリ貧。巨大勢力にもなれず、地方の名君程度で終わった
のではないでしょうか?
結局天下取りの野心・能力を兼ね備えた人間が出てくるまで戦国時代が続く。
それはだれか?この条件で考えれば平凡にすぎますが、伊達政宗ではないでしょうか。
119 :
日本@名無史さん:03/10/26 00:21
信長がいなかったら、、、
今川義元は桶狭間では死なないわけで、家康の出番はないでしょう。
人質だった彼は常に戦場の最前線にたたされたわけで戦死してしまう可能性が極めて高い。
秀吉・光秀は信長の家来であったからあそこまで出世したのであって、他家では無理。
現に秀吉が松下の家来だったときには、有能であったにもかかわらず、出世できず、
首になっている。出自不明の人間には冷たい時代だったのだ。
天下取りの野心からみると、毛利・今川・北条・上杉等の大名にそれがあったとは
思えない。また能力的にみて、当時可能性があったのはこのくらいだろう。
武田は、信長が今川を倒したから一気にクローズアップされたものの、今川がいれば
北条・上杉・今川に囲まれてジリ貧。巨大勢力にもなれず、地方の名君程度で終わった
のではないでしょうか?
結局天下取りの野心・能力を兼ね備えた人間が出てくるまで戦国時代が続く。
それはだれか?この条件で考えれば平凡にすぎますが、伊達政宗ではないでしょうか。
120 :
日本@名無史さん:03/10/26 00:23
↑ごめんなさい。2回書き込みました。
>>58 どうでもいいが、国王に国王を「任命」できるわけないだろう。その場合は「日本公」だ。
出自不明でも出世した奴はたくさんおるやろ。
123 :
日本@名無史さん:03/10/26 20:44
それは確かに、斉藤道三・北条早雲などは大名にまでなったので出世したと言えるでしょう。
もちろん可能性ゼロではありません。
ただ、それを言い出すと結局誰でも天下人になれる可能性があったというにすぎません。
今回は、信長がいなかったという仮定だけでの話ですから。
124 :
日本@名無史さん:03/10/26 21:08
・今川義元が尾張を平定、美濃で抵抗をくらい、そこでストップ
・武田信玄が盟約を破棄、遠江・駿河に侵攻
・上杉・武田・今川・北条の争い長引き、誰も上洛できず
・畿内では将軍足利義栄をめぐって、三好・松永の抗争続く
・長宗我部、信長との戦いがないため消耗していない三好氏との戦いが続き、四国統一できず
・島津、九州をほぼ制圧するも、大友宗麟残党と毛利氏を抜くことができず、関門海峡を挟んで一進一退
・奥州を征した伊達政宗、佐竹を踏み潰し、謙信なき上杉、信玄なき武田、氏康なき北条を少しずつ圧倒
・上杉は全面崩壊、朝倉鎧袖一触で、伊達北陸方面軍は越前・若狭まで進出
・三好氏、将軍を擁して堺へ退却
・中部・東海方面軍もゆっくり西進、ついに上洛を果たし、足利義昭を将軍職に就ける
・あとは勢いで天下統一
125 :
日本@名無史さん:03/10/26 22:30
やはり伊達か。最後は伊達と島津あたりの決戦になりそう。
>>124 前半は、なかなかいい予想なんだけどなあ。
この行以降が、妄想爆発(゜Д゜)
>奥州を征した伊達政宗、佐竹を踏み潰し、謙信なき上杉、信玄なき武田、氏康なき
ちなみに、俺の予想では、
足利義昭は、今川義元のところへ転がり込むだろう。その時、義元は50歳くらい。
朝倉と浅井は成り行き上、義昭派だから上洛に協力。
包囲された形の斎藤も、しぶしぶながら協力。
てことで、今川義元が、駿河+遠江+三河+尾張+美濃+越前+近江の北半分
の大軍を率いて上洛。その時、義元55歳くらい。
史実の信長軍よりも大軍だから、簡単に義栄派を京都から追放する。
義昭将軍・義元管領のコンビで足利幕府再興。
しかし、今川の勢力拡張を喜ばない武田と北条が、東部から今川領に侵攻。
東に転戦すると、西に義栄派の諸大名が蜂起。
さらに各地で一向一揆が暴動を起こす。
10年後、へとへとにくたびれて、今川義元死去。65歳くらい。
松平元康は、この時40歳くらいになってるかな。
人質だったが、武勲と、義元の義理の息子という立場を利用して出世を重ねる。
(妻は、義元の姪で、養女)
義元の死後、氏真の補佐役として、ついにナンバー2になる。
ナンバー2になったらこっちのもんだ、徐々に氏真から実権を奪い、
ついには今川家を乗っ取る。
しかし、乗っ取った今川家は、東海道ベルト地帯を押さえているものの、
まだまだ天下取りには程遠い状態であった…
ふう、俺の妄想もこのくらいで、
127 :
日本@名無史さん:03/10/26 22:36
124質問していい?
何処に、伊達は居城を作るの?
まさか、東北にそのまま居て天下を取れると思ってる?
で、東北方面で経済や政治、軍事の中心を置ける地域は何処?
美濃はヨシタツと道三の仲が悪い時期だからあっさりぬけるんじゃねーの?
んで近江に行く前に伊勢にもちょっかいかけるでしょ。海上の補給路を確立するために。
129 :
日本@名無史さん:03/10/26 22:55
て、なして、伊達に固執するの?
はっきり言って、慶長検地の石高で言うと陸奥(津軽〜今で言う日立まで)だけで
167万石だよ。
尾張57 美濃54 伊勢57 近江78だよ、これだけ見ても・・・・結果出るんじゃない?
伊達にはむりだってね。
ちなみに、駿河15 遠江26 三河29だよ
最盛期は伊達領は250万石とかいうてますけどね。
江戸時代後期の話ね。
132 :
日本@名無史さん:03/10/26 23:29
> 陸奥(津軽〜今で言う日立まで)だけで167万石だよ。
意味わからん・・・
133 :
日本@名無史さん:03/10/26 23:33
あんまり変わり映えしない結果になると思うな
それよか斎藤義龍がすっげぇー長生きしたら?
の方が全然違う結果が出たかもしれないぞ
134 :
日本@名無史さん:03/10/26 23:34
前期は100万石無くて、スネタね。
ちなみに慶長検地は1598年だよ。
よほど、尾張や美濃が生産力高かった証拠だね。
駿河15 遠江26 三河29で70万石か。
斎藤、織田同盟は尾張57 美濃54は101万石でこれじゃあ、今川は
後ろに武田と北条がいては、手が出せない。
尾張1国になったから攻めて来たと考えると。
今川義元が上洛ではなく尾張を狙ったと言うほうが説明的には納得いくよ。
135 :
日本@名無史さん:03/10/26 23:41
解らないのかな?
石高は軍事行動できる兵力とイコールだよあの時代では。
津軽方面に兵力の動員を命令する→集まって常陸まで何日かかると思う?
まあ、昔とはちがうけど、東北道でも乗って常磐道まで運転してみたら
どれだけ長いか解るから。
136 :
日本@名無史さん:03/10/26 23:46
まず、織田信秀が死んだ時点で岩倉織田と同盟し斉藤道三が
尾張に攻め込む。勝幡織田は、信行で家臣団はまとまっても
結局はジリ貧、おそらく1〜2年で道三に降伏
そのころ今川は北条・武田と対立中。尾張に攻め込む余裕なし。
そうなると義龍がいくら土岐氏の子孫を名乗っても
尾張一国+αの戦力で道三が抵抗。義龍が逆に追放され斉藤家は
尾張・美濃をもって今川に対抗。斉藤道三の死後は明智光秀が
尾張・美濃を掌握、(明智は土岐一族だが道三との関係が深く、
斉藤義龍にて実家は滅ぼされている)竹中半兵衛との2枚看板で
近畿を征服。足利幕府を再興し管領に就任。そのあとはわかんね。
137 :
日本@名無史さん:03/10/26 23:50
私も、斎藤家が尾張を取れば良い線行くと思うね。
だた、軍事行動的には織田と何も変わらない・・・・これが現実との妥協点だね。
138 :
日本@名無史さん:03/10/26 23:59
今川の軍事行動も尾張の後は、何も変わらない。
義元か何かで死んで、武田が三河あたりまで出てきても、尾張からの行動パターンは同じ。
北条か天下上洛を目指す(はっははh)で三河あたりまで出てきても、尾張からの行動パターンは同じ。
いや、想像力の無い事寂しいな。
現実的に考れば考えるほど、同じになる。
139 :
日本@名無史さん:03/10/27 00:30
伊達政宗なんて東北を統一できても、北条あたりに食い止められてあぼん
でしょ。
140 :
日本@名無史さん:03/10/27 00:37
いや、北条なんてモンロー主義だから大戦には向かない。かつての奥州藤原氏のようにね。伊達が死ぬ気でやれば勝てる。もっとも、そこで終りだろうけど。
141 :
日本@名無史さん:03/10/27 00:48
さて、小田原を抜けるか。
142 :
日本@名無史さん:03/10/27 03:33
将軍:足利義栄
副将軍:三好義継
管領:松永久秀
ってところだな。
>>135 北畠顕家は奥州から一気に上洛を果たしました
144 :
日本@名無史さん:03/10/27 14:14
信長がいなかったら、松永久秀が畿内を中心に完全に権力を掌握して天皇打倒。
日本にも共和制が生まれていた可能性もある。
145 :
日本@名無史さん:03/10/27 22:42
143さんへの諮問。
七歳の子供が馬に乗っていったのだろうか。
関ケ原の戦いの時、石田三成が意表を突かれた徳川家康の進軍は江戸−美濃赤坂の整備された道で14日かかっている。
留守にしていた陸奥で争乱が起きていたので再び義良親王と共に下向する事になるのである。
陸奥は確かに顕家を必要としている。
してはいるが何故、後醍醐天皇は中央で顕家を使わなかったのか。
中央でとりえず総大将格になっている新田義貞は連戦連敗、あげくの果てに敗走する尊氏を追撃せずに女にうつつを抜かしている始末。
これなら顕家を征夷大将軍に任じて中央をまとめさせた方が良かったのではないだろうか。
さすれば武士ではないにしろ源氏の長として南朝武士団はもちろん、日和見武将も集まって来ただろうし、顕家のカリスマに楠木正成という軍師が加われば鬼に金棒である。
また新田義貞も大将としてでなく、武将としては優秀だと思われるし、顕家なら後醍醐天皇に赤松則村のことも取り計らった可能性がある。
後醍醐天皇という人、カリスマもあり、優秀な人もかなり集まってくるのだが、どうも見る目が中途半端。
いざとなるとトカゲの尻尾切りするしねえ。
まあ、伝説だよね。
検証してないそれも、逸話が多い人物だし、この時期の事は私自身勉強不足です。
146 :
日本@名無史さん:03/10/28 07:56
>>145 どこが
>>143への諮問なんだ?
自分のネタを並べ立てただけで、おまけに文章メチャメチャ
147 :
日本@名無史さん:03/11/02 00:58
大半の国で、一向宗徒が権力をにぎる。
浄土真宗が畿内から東日本を制圧し、顕如が実権をにぎる。
顕如のもとで足利幕府再興さる。
148 :
日本@名無史さん:03/11/02 02:38
足利幕府です。
さて、問題、将軍はだれでしょう?
149 :
日本@名無史さん:03/11/02 07:12
信長がいなけりゃ、足利将軍の元
以前として緩い中世が続いていたんじゃないかな?
信長が尾張レベルで死去したとして、全国統一を考えるようなアホを捜すと、
武田 ×
上杉 ×
北条 ×
今川 ×
朝倉 ×
毛利 ×
大友 ×
島津 ○
長曾我部 ○
152 :
日本@名無史さん:03/11/02 13:54
三好や細川じゃだめ?
153 :
日本@名無史さん:03/11/02 13:56
伊達は?
154 :
日本@名無史さん:03/11/02 18:20
もしかしたら、ポルトガルの植民地ってことも。
統一政権がなかったら、有り得たかもね。
いまごろ日本国民は、全員カトリックですか。
宣教師送って布教するのと軍隊送って植民地にするのはかかる労力がだいぶ違うと思うけどな。
てか信長が生きてたほうが日本がキリスト教に染まる確立は高そうだと思うが。
156 :
日本@名無史さん:03/11/02 20:40
うーん、別に軍隊を送らなくても植民地には出来ると思うけど。
それに、国民・・・・当時はなんて云えばいいんだ・・・・がカトリックになっちまえば
事実上バチカン支配下だし。
国内で宗教戦争か。
農民を支配下に置いたカトリックの勝ち。
157 :
日本@名無史さん:03/11/07 03:40
室町十六代将軍・足利義○
158 :
日本@名無史さん:03/11/08 01:23
今川が信長を倒した場合、そのまま上洛できなくても、数年のうちに尾張・伊勢あたりを無難におさえるだろう。
この場合でも足利義輝暗殺は史実通り起こる可能性が高いので、義昭が今川のところに転がり込む可能性も高い。
そうすると、確かに浅井・朝倉は今川の上洛に協力するだろう。
また、今川の上洛だと、斎藤・六角も対立せずに協力する可能性があると思う。
しかし、信長と違って今川は室町幕府自体を倒すという発想には至らない可能性が高いので、義栄をかつぐ三好などの勢力によって、義元の晩年には再び政情不安な状態になる。
そして、明応の政変以来の足利将軍家の分裂状態による混乱がさらに続く。
159 :
日本@名無史さん:03/11/08 01:30
今川は戦国初期くらいだと、かなり先進的な大名だよ。
永正年間くらいには既にまともな検地をやっているし。
東海・甲信・南関東あたりに、織田・徳川・武田・北条のような典型的な戦国大名が多く出現した理由は、
ある意味、戦国初期における“早熟な”戦国大名・今川氏に触発されたという面が大きいという説もある。
そういう意味であまり今川は過小評価できない。
160 :
日本@名無史さん:03/11/08 01:36
尾張、美濃は当時の最も米が取れた地域。
ここを押さえたら、やはり国力は天下随一疑いなし。
今川が尾張、美濃へと移る先進性があるかどうかだろう。
ポルトガル殖民軍に対して、戦国大名が団結して
あたったらと考えると結構わくわくするシナリオだな。
162 :
日本@名無史さん:03/11/08 05:45
>>160 はあ?
別に移らんでも家臣に任せりゃいいだろ。
駿府は、将軍退位後の家康が江戸とは別の政所としたほどに豊かな土地だ。
163 :
日本@名無史さん:03/11/08 10:52
畿内を制圧しなけりゃ、天下は無理だろ。
駿府にいたんじゃ、単なる田舎の大大名で終わっちまうよ。
信長と同じように、家臣を土地から分離して、兵農分離→専門軍事集団を
組織せにゃ、ダメだろう。
>信長と同じように、家臣を土地から分離して、兵農分離→専門軍事集団を
>組織せにゃ、
この時点で大間違い。
165 :
日本@名無史さん:03/11/09 07:45
>>162 駿府は確かに温暖で隠居所としては申し分ない土地だが、それ以上に家康が個人的に駿府を気に入っていたという面が大。
166 :
日本@名無史さん:03/11/09 16:07
日本がポルトガルに征服される?
もう少し世界史を勉強した方がいいよ。
19世紀までどういう国が植民地になり、どういう国が植民地にならなかったのかを。
167 :
日本@名無史さん:03/11/09 16:21
168 :
日本@名無史さん:03/11/09 16:28
>>167 そのレベルで鎖国やキリスト教について語る人間が非常に多い。
日本人一般に流布している代表的な誤り。
確かに日本がキリスト教国家になる可能性はあったと思うが、それが植民地化するのと何でイコールになるわけ?
日本が仏教化したときに唐や高麗の植民地になっただろうか?
>>168 唐や高麗には、日本を植民地化する意図はなかったが、
ポルトガルには、宣教師をスパイとして探り、
あわよくば植民地化する意図があったわけだが。
ま、日本を植民地化するのは、無理だっただろうがね。
170 :
日本@名無史さん:03/11/09 23:13
>>169 キリスト教が普及して、その結果植民地になった例ってどこ?
植民地になってからキリスト教が普及する例は幾らでもあるけど。
171 :
日本@名無史さん:03/11/10 00:03
>>170 結果論に例を求めるってのは、ちょっとどうかね。
172 :
日本@名無史さん:03/11/10 04:26
単に政治色の強い宗教勢力の存在を嫌った結果だろ。
173 :
日本@名無史さん:03/11/10 07:38
そもそも信長より50年も前に3万の大軍と足利将軍を抱えて上洛した大内義興という男がいるんだがな。
彼は将軍を京都に戻し、自らは管領補に任じられ安芸などを攻めて大内家の全盛を築いた巨人だったんだが、
おそらくは今川は勿論の事、武田とか毛利とか上杉が天下を取っ手も似たようなもんでしょ。
つまり形式的でも室町将軍を立て京都付近を平定した自らは管領などの地位を貰って満足する。
という感じになると思われます。
武田や上杉が天下取っても多分、武田幕府とかを開いたとかいう形になるわけではないでしょうね。
あの古くさい室町幕府の権威にかしこまってしまうような信玄・謙信には到底無理でしょ。
175 :
日本@名無史さん:03/11/10 08:26
>>173 おいらは賛成だな。
上洛ってのは、単なるセレモニーであって、
信長・秀吉のように近世的支配体制(検地・分国法・兵農分離を経る)
を構築しないことには、新しい時代の寵児になれないとおもう。
信玄にはその才能はありそうだが、謙信タンはどうか?
176 :
日本@名無史さん:03/11/10 09:32
>>175 実を言うと信長ですら最初はそうだったんだけどね。
形式的に将軍を立てていた。
ちなみに信長が足利義昭を追放したという話しすら実際は嘘だったりする。
義昭はあくまで自分の意志で京都を出ていき信長は最後の瞬間まで彼を止めようとしたんだな。
177 :
日本@名無史さん:03/11/10 13:03
>>176 但し、義昭が畿内から消えた時点で、信長はそれに代わる足利将軍(例えば義栄の弟とか)を擁立しなかった。
ここが歴史の大きな転換点だったと言える。
178 :
日本@名無史さん:03/11/10 13:07
>>173 大内義興は管領ではなく管領代だったと思います。
あと、今川義元が健在である間は、武田単独での上洛は発想としてあり得なかったでしょう。
もちろん、今川義元が桶狭間で死ななかった場合、今川と武田が共同で上洛というストーリーは想定されなくもないが。
179 :
日本@名無史さん:03/11/10 18:19
>>176 義昭以外にも流浪してた将軍は何人もいたし、
その間に別な奴が将軍になったなんて話も無い。
180 :
日本@名無史さん:03/11/10 20:45
今川と武田は守護大名だからね。格がちがうよね。
大儀も将軍の行いや政策を非難し蹴落とす事が出来る立場ではあるね。
181 :
日本@名無史さん:03/11/10 20:50
>>178 なんで信玄と義元が互いにそこまで義理堅いと思うわけ?
182 :
日本@名無史さん:03/11/10 21:16
まあ、義理はないね。
ただ、話の乗りだね。
織田信長が居なかったら・・・・・
IFだから、今川と武田も仲良くなった、なんてね。ありえないか。
183 :
日本@名無史さん:03/11/11 01:18
>>181 義理堅いなどとは思っておりません。(それは史実における今川没落後を考えてみても・・・)
しかし、今川が健在のうちは、国力的に明らかに今川>武田だし、また地理的にも今川出し抜いて武田単独上洛は無理。
ただ、今川が本気で上洛しようとし始めたら、信玄は同盟者づらして無理してでも馬を並べて京都に入ろうとする可能性はある、という意味です。
>>183 うん。ありうるかも。
しかし、それだと、信玄は義元の下に序列されるだろうな。義昭によって。
信玄、我慢できるかな?
それよりも北条と組んで、今川の足を引っ張る可能性が高いのでは?
185 :
日本@名無史さん:03/11/11 01:59
それはないっしょ。
北条は、上洛した今川と仲良くして、上杉を牽制。
北条としては、戦略的にもこの方がオトク。
>>185 北条の立場から見ると、上杉の牽制のためには、武田と組んだ方がいいのでは?
また、今川の強大化は、武田と共通の脅威だ。
よって、武田=北条の同盟が強化され、
さらに義栄派の三好軍などと東西呼応して今川領を脅かす、
と思ふ。
それと、すでに遠江・駿河・三河・尾張 (伊勢もか) を支配下に収めた今川は、
武田は傘下の協力者としてなら、京都へつれて行ってもいいぞ、の立場じゃないかな。
よって、信玄に同行を無理強いされるとは思えない。
どちらにしても、徳川の天下じゃ
>>187 徳川単独では、天下盗りは無理っぽ。
織田政権のナンバー2になる、
豊臣政権のナンバー2になる、
そして、2代目から簒奪する、という戦略。
ただし、今川から乗っ取った場合は、天下盗りまでは行けない。
189 :
日本@名無史さん:03/11/11 16:09
>>188 スレタイが信長がいなかったら、なんだから、織田政権のナンバー2はねえべ。
その意味では豊臣政権のナンバー2もなし。
義元がいるとちとつらいが、アホ氏真の代で駿河乗っ取り大作戦。
当然、北条武田とは親戚付き合い。
織田の後ろ盾がないのに乗っ取りとかかけたら大義名分を掲げて攻め込まれてあっという間に武田北条で分け取り、ということに。
191 :
日本@名無史さん:03/11/11 17:37
今川、武田、北条とも天下取りには、イマイチってかんじだね。
京都に近い西国、四国はどないでっか??
192 :
日本@名無史さん:03/11/11 18:30
今川が上洛してきて、アホと言えるヤツはと・・・・・・・。
六角がすんなり通すかな。
気位だけは高そうだが。
>>192 六角は、義栄派だから、抵抗したいところだが、
うーん、どうだろ?
今川軍は、史実の織田軍よりも大軍になると予想するので、
びびって、通過させるんじゃないかな。
194 :
日本@名無史さん:03/11/11 20:40
朝倉の命を受けた浅井が横っ腹から、ちょっかいを出したりして。
このルートは誰にしても信長と同じになりそうなヨカーン。
>>194 朝倉・浅井は、義昭とのつながりで、上洛には協力する。
それで、確かに、朝倉・浅井・齊藤は、今川の部下ではなく、協力者なので、
あつかいは難しい。
しかし、義元は老練の武将なので、何とかうまくやるだろう。
朝倉と織田は、先祖からの因縁で仲が悪かったので、
史実のような結果になったが、信長だけの責任ではない。
196 :
日本@名無史さん:03/11/11 22:27
なんとかかんとか、上洛した今川ですが、細川、三好、
超クセモノ松永といろいろやっかいですね。
細川さんの胸中察すると、複雑な気持ちになります。
197 :
日本@名無史さん:03/11/11 23:00
今川、武田、上杉には、上洛しても
京都を勢力下に置くという発想も実行力もないな。
大内みたいな感じでは?
やっぱり信長のような急成長がないとな。
島津や伊達ってわからんでもないが、地理的にどうか。
成長性と地理的に考えて、意外に長宗我部ってどうだろ?
知ったかぶりがよく言うわい。
>>126 のつづき
さて、今川義元の死後、松平元康は徳川家康と改名。
氏真を幕府管領として祭り上げ、京都に住まわせ、
実質的に今川の実権を握る。家康は、45歳くらい。
この時点で、徳川領 (旧今川領) は、
駿河+遠江+三河+尾張+伊勢+南近江の、約200万石くらいかな?
同盟者として、美濃の斎藤、越前の朝倉、北近江の浅井、計約100万石?
山城、大和の大小名、合計で約50万石くらいですか?
外部的な同盟国は、上杉景勝、長曾我部元親、くらいかな?
敵対者としては、
前将軍・足利義栄はすでに病死している。
これを担いでいた三好軍は、摂津、淡路島、四国に勢力を残す。
石山本願寺、毛利がこれを支援している。
東には、武田勝頼と北条の同盟軍が侵攻の構えを見せる。
こうしてみると、徳川の優勢は明白ですな。
果たして徳川の天下統一はなるか?
>>199 のつづき
ちなみに、この頃秀吉は、持ち前の才覚と強運で、
旧今川家の陪臣の足軽大将くらいにはなってるかもな。
でも、天下の動向に関与する立場ではない。
光秀は、義昭の御側衆のひとりで、外交担当だろうな。
それで、義元や家康とは関与はあるけど、
本能寺を起こすほどの武力は与えられていない。
さて、徳川家康が天下を取れるか?だが
今川を乗っ取り、信長の最盛期に匹敵するくらいの勢力を保有した。
しかし、
天下統一に必須で、史実では信長だけがなし得た3大敵の打倒が、まだなし得ていない。
足利義昭。単なる神輿であることに満足せず、実権を握ろうとする。
旧体制の象徴でもあり、既成勢力の特権に認可を与えつづけることも、統一の邪魔になる。
しかし、こいつを邪険に扱えば、朝倉・浅井・斎藤が離反する恐れもあり、
反家康連合の陰謀を企むかもしれない。
比叡山延暦寺。武装する宗教集団として、各地に寺領を持ち、
その経済力で京都の金融を支配している。こいつも朝倉・浅井の支持を受けている。
石山本願寺。各地で暴動を起こす一向一揆の総本山。
農民の年貢を集めて大名並の軍事力、経済力を有している。
宗教心で農民を支配し、無謀な暴動に駆り立てる。
信長は、反対や抵抗を排除して、断固打倒したけれど、
家康はどうなんだろう?
201 :
日本@名無史さん:03/11/13 02:49
宗教に関しては、家康も三河で散々な目にあってるからな。
信長同様、本願寺系が一番のネックになりそうなヨカーン。
その前に今川家内の反家康派と武田やらなんやらが手を組んで家康アボーンということも。
義信の息子なんかがいたらそれを担ぎ出して今川家の棟梁に据えようと画策してみたりとか。
>>199 なんで、家康が今川家の実権を握れるのか?
今川家における家康の立場を考えてみろよ。
織田政権下や豊臣政権下の家康とは全然違うんだよ?
織田家における美濃三人衆みたいなもの。
領地俸禄が増えるわけでもなく地位が上がるわけでもなく、淡々と各地を
転戦させられるだけ。
家政に口を挟める実力者になれるはずがない。
それどころか、長島一向一揆の鎮圧とか命じられて、若くして戦死している
可能性すらある。
確かに、そこはひっかかるんだが。
今川の家臣にちっとは骨のあるヤツはるのかね。
正直なところ、家臣の名前がほとんど浮かんでこない。
今川はとにかくイメージ悪いからね、苦笑。
206 :
日本@名無史さん:03/11/13 06:26
今川って足利将軍家のスペアーって位置づけの一族だったから、
家来としての管領にはならないでしょ。
斯波氏も管領になることを相当渋ったみたいだし・・・
207 :
日本@名無史さん:03/11/13 07:20
>>177 というかあまり言われてないが京都を去った足利義昭は将軍職を辞してなどいないんだけどね。
つまり足利義昭は十代義種以降の足利将軍定例の島公方になっただけなんだな。
形式的には室町幕府は義昭の死まで続いたんだが。
208 :
日本@名無史さん:03/11/13 08:22
>>207 公卿補任に義昭が将軍として載っているのは1588年まで。
義昭が出家して引退したのも1588年。
すなわち、室町幕府の滅亡は1588年。
209 :
日本@名無史さん:03/11/13 09:44
義元は家康を高く評価しているし、講師は雪斎だし、義元の親族ではある。
ただ、問題は城及び、それに会う所領を早い時期に持てるかでしょう。
前田利家は本能寺の前に大名だったからなんとか生き延びた。
1軍武将(黒ほろ)程度ではその後の発展はありえなかったと思う。
>>203 >なんで、家康が今川家の実権を握れるのか?
今川義元の最大の悩みは、不肖の息子・氏真のことだった。
”自分の死後、氏真の代になったら、今川は衰退するだろう。
そうだ。氏真の補佐役になれる家臣を育成しておこう。
誠実で、律儀で、義理堅く、それでいて有能な奴はいないか、、いないか、、
松平の小倅こそ、うってつけではないか!”
元康(家康) は信長・秀吉にも信用されたように、目上の信用を得ることに長けている。
義元の信用も得たに違いない。
というわけで、義元は、元康を氏真の補佐役に育成しようとする。
補佐役にふさわしい地位にまで出世させるだろう。
さて、義元の死後、氏真の補佐役になった家康は、
5年ほどかけて、今川の実権を奪っていく。
氏真は、戦争は苦手、京都で公家のような生活ができれば満足する。
家臣にしても、有能な君主につくことが、生き残りの途であるから、
大多数は家康に従う。妻の実家も後押しする。
反家康の抵抗は弱い、と推測する。
家康は、誰かの天下を乗っ取ることに運命付けられているにゃ。
史実では、秀吉の天下を、秀頼から乗っ取った。
俺の妄想の中では、今川の天下(?) を氏真から乗っ取る。
信長の天下を、信忠から奪えただろうか?
家康はそれを狙っていたように思えるが、それだけは無理だったように見える。
写真から写し絵した信長の顔を放送した番組知ってたら教えて
おまいら氏真公のことなめすぎ。所詮家康なんざパシリですよ。
213 :
日本@名無史さん:03/11/13 18:11
家康なんざパシリ?
でも氏真公は家康との内戦(平たく言えば)で負けて北条まで逃げてますが?
ほとんどの人間がやはり今川有利と考えてるのは事実だよね。
日本統一は実は秀吉であり、家康は政権奪取しただけでしょ。
ナゴヤに武士を集めた時点で戦国は終わっていた。(反論もろありそう)
何回か名前が出たけど、長曾我部の可能性はないかな?
215 :
日本@名無史さん:03/11/13 18:40
>>214 早いうちに四国を制したら可能性は十二分にある。
四国から中央は、海路さえ確保すれば距離は近い。
長宗我部なんて論外
217 :
日本@名無史さん:03/11/13 19:20
長宗我部は、九州の動向や中国(毛利)の動向を一切考えないで上洛できると妄想してるの?
それとも、それを、論破する代案でもあるのかな?
後方を安泰にする、策とは?
218 :
日本@名無史さん:03/11/13 21:34
あのしろーとですが、
当時、九州や中国地方の大名って、四国に侵攻、若しくは
その意図はあったんでしょうか?
それと、義元以降の今川家は、どんな感じになったんでしょうか?
四国は貧しすぎて進行する意味が無かったんじゃないの?
>>200 のつづき
さて、家康は、史実の信長に匹敵するくらいの勢力を得た。
この勢力を持って、天下統一を完成できるのか?
勢力が同程度ならば、信長と家康の天下取りの差は、
それぞれのキャラクターの違い、そこから来る決断の違いになってくる。
信長が屁とも思わなかったモノに、家康は弱い、と俺は見る。
足利将軍の“権威”を尊重するので、義昭を追放することができない。
したがって、家康の政権は旧体制とつねに摩擦と妥協をしていかなければならない。
“伝統”を尊重するので、千年の王城の守護、比叡山の武力、経済力、特権、
寺領を取り上げることができない。これも旧体制の温存。
“歴史に虐殺者の汚名”を残すことを恐れる。ために、一向一揆の暴動に対して、
根切り(皆殺し) という手段をとることができない。
一向一揆は、「進めば極楽」を合言葉に、武士の支配を否定し、
宗教による支配を築いていく。直接宗教心で農民を支配する、
本願寺王国が、次第に拡大してゆく。
史実で、信長が打倒した3つの大敵を、家康は打倒できず、交渉と妥協の道を選ぶだろう。
したがって、その政権下では、旧体制が温存され、
座・関所等交通・交易の障害が温存、経済はさほど発展しない。
家康一代で、領土を多少は増やすが、それで、天下を統一とまでは行かない。
70歳で、戦争に疲れて家康は死亡。
後を継いだ、DQN息子・信康に、各地で反抗の狼煙が上がる。
日本は、再び戦乱の時代に戻ってゆくのだった…チャンチャン
221 :
日本@名無史さん:03/11/13 22:15
改革(革命)思想の頂点が信長で、秀吉、家康と
保守転向だからな。
家康は、日本を頼朝時代に再構築したようなもんだから。
222 :
日本@名無史さん:03/11/13 23:22
>>183-186 結局のところ、今川・武田・北条は互いに同盟関係にあるほうが互いに利があるってことだな。
武田と北条は対上杉という点で共同歩調をとったほうが有利だし、今川は上洛を志向する限りにおいて関東・甲信方面の脅威をなくすことは極めて重要になる。
もし、今川義元の桶狭間での戦死がなければ、この三者の同盟関係は、かなり長期になると思われる。
仮に今川が義昭を奉じて上洛した場合、北条は関東さえ安泰なら織田政権下における徳川家康のようにすんなり協力者になる可能性が高いだろう。
武田は微妙だが、今川が足利将軍を立てている限りは、その権威になびくのではないだろうか。
223 :
日本@名無史さん:03/11/13 23:28
>>220 家康も三河一向一揆との戦いを経験しているけど・・・
224 :
日本@名無史さん:03/11/13 23:36
完璧行き詰まりだや。
誰か、視点を変えてくりゃれなもし。
225 :
日本@名無史さん:03/11/14 00:59
>>210 >誠実で、律儀で、義理堅く、それでいて有能な奴はいないか、、いないか、、
>松平の小倅こそ、うってつけではないか!”
ありえないね。
譜代で忠実な家臣がいくらでもいるのに、敢えて人質にして配下に入れなきゃ
いけないような国人大名に家政を任せるわけないでしょ。
そのために近習などがつけられているわけのだし。
ましてや「源氏の名門」が、出来星の土豪上がりを家宰にするわけがない。
if戦国史を語る奴に良くありがちなのは、「史実で凄い奴はif戦国史でも強い」
「if戦国史の中でも、それぞれの武将は本来の事跡と同じ道をたどる」しか
考えられない香具師。
「家康は能力があるから、必ず今川家内で頭角を現し、史実で豊臣家から天下を
奪ったように、ifでは今川家から天下を奪う」って、なんじゃそりゃですな。
>>203が言うように、能力あればこそ、反って松平氏をやせ細らせて三河を取り上げよう
としていた今川氏に酷使されるだろうし、生き残っても今川政権下で譜代を差し置いて
抜擢されることもないだろう。
226 :
日本@名無史さん:03/11/14 01:14
領土拡大思考がメッチャッ強かったのは誰かいね???
島津・龍造寺・大友・長曾我部・毛利・尼子・三好
長尾・朝倉・山名・浅井・細川・武田・斎藤・本願寺
今川・畠山・佐竹・最上・伊達・北畠・上杉・六角
>>225 義元が、氏真の補佐役にどんな資質を求めるか、と考えれば、
忠実、誠実ということだけでは駄目だと思う。
数ヶ国を支配する大大名として、それを統治し、守る能力が求められる。
それは、氏真とともに遊びほうけているような、近習たちの中には期待できないだろう。
>ましてや「源氏の名門」が、出来星の土豪上がりを家宰にするわけがない。
ま、確かに義元も名門のプライドが強そうな男ですが、
元康に対しては、姪をわざわざ養女にして、嫁がせている。
義理の息子の地位を与えたわけだ。
他の国人領主のために、そゆう事をしている例が他にあるだろうか?
元康の才能を見抜いて、取り込もうとしていると、俺は思う。
>if戦国史を語る奴に良くありがちなのは、「史実で凄い奴はif戦国史でも強い」
この行以降のご指摘については、
信長がいない戦国史で、天下を取りそうなのは誰か?と妄想してみたら、
一番可能性がありそうなのは家康で、
そのための可能性がありそうな手段は、乗っ取り、という結論なので、
前記のような記述になりますた。
「なんじゃそりゃ」って言われれば、
だって、、このスレは、そゆう話をするスレだろ?
229 :
日本@名無史さん:03/11/14 03:26
230 :
日本@名無史さん:03/11/14 03:39
>>228 >義理の息子の地位を与えたわけだ。
え?養女を娶らせたが、別に今川一門の扱いは受けてないぞ>家康
それと、桶狭間以前に義元は家督を氏真に譲っており、義元は遠江や三河に書状を発給してるけど
駿河は義元生前から、氏真が取り仕切ってる。
遊びほうけていたなんて、何を根拠に言ってるの?
231 :
日本@名無史さん:03/11/14 04:00
遊びほうけていたはともかくとして、信玄や家康と伍していけるだけの
器ではなかったということだろう。
相手がすごすぎたという悲劇だね。
織田の後ろ盾と武田の侵攻があったからこそ松平は何とか独立できたわけだから
織田がいなけりゃ周りから踏み潰されて終わりでしょう。
後年の徳川家康はいろいろ苦労したからこそ天下を取れたわけで
若いころから周りの老練な連中と渡り合えるかというとちょっと無理なのではないかと。
>>230 >え?養女を娶らせたが、別に今川一門の扱いは受けてないぞ>家康
他の者に認知させるためには、家康の実績が必要だったんだす。
氏真については、駿河を任されているといっても、
義元のいいなりにやっていたんでそう。
義元の死後、遠江・駿河の大大名になったのに、
結局維持できなかった。
外部からの圧力があったとはいえ、国力は十分にあったので、
氏真にトップの資質に欠けていたというのが妥当だと思う。
>>232 >後年の徳川家康はいろいろ苦労したからこそ天下を取れたわけで
家康は、努力と忍耐の人というイメージがあり、俺もそうだと思いますが、
彼は、義元の死後、瞬く間に三河を統一しました。
義元の死による混乱につけこんだとはいえ、若い頃から光るものを持っていたと思ふ。
織田とは、当初は抗争している。同盟し援助を受けるようになったのは、
今川・武田の防波堤として使えると、信長が判断してから。
それと、俺の妄想は、義元が20年以上長生きすることを前提にしているので、
その間に、元康も経験をつみ、老練な連中に渡り合えるようになる、だす。
>>233 戦国時代・武将をネタとして楽しむ→戦国英雄・三国志・戦国時代
235 :
日本@名無史さん:03/11/14 17:27
おもろage
今川家内の尾張派閥と徳川家康が、今川義元のもとで大活躍するだろう。
義元死後は、内紛勃発。結局は家康かな?
武田・北条は貧乏。毛利は覇気無し。天下は無理。尾張派閥のリーダーか、家康が
尾張・美濃・近江の豊かな富を手に入れて天下人だな。
君主自身のキャラよりも、領地の経済力や気風が大切だな。戦国大名は制度に
守られた独裁者じゃなくて、領地内の家臣や領民のリーダーなんだから、彼らの
意向に左右される。経済力が豊かな先進地を領地にした大名でなければ、天下とり
に本気で踏み出せない。農民の出世欲が高く、商人が全国区の商売を願う、バブル
気質の豊かな土地でなければならない。かと言って、都会過ぎると寺社の勢力が
強くてダメ。
やはり、尾張・美濃・近江だ。
238 :
日本@名無史さん:03/11/14 19:03
どっちにしろ家康は出てくるわけ?
239 :
日本@名無史さん:03/11/14 19:31
最終的に家康が天下とるだろな。
その前に、秀吉が美濃あたりに流れ着き、
斎藤道三(義龍かな?)の草履取から身を起こし、先に天下とるかもな。
空想って楽しいな。
240 :
日本@名無史さん:03/11/14 19:39
なぜ西国大名が出てこない?
毛利は十分に強力だぞ。
241 :
日本@名無史さん:03/11/14 19:46
だからー
信長がいない戦国史では、家康には、天下統一はできないんだす。
信長と家康の決定的な違いが、わからないのかな?
243 :
日本@名無史さん:03/11/15 02:59
>>240 毛利って天下を取る気があるのだろうか?
大内・尼子を吸収して大きくなったとはいえ、結局のところ国人一揆の盟主的存在から脱却できていないし、積極的に新しい秩序を構築しようというタイプの大名ではないと思う。
244 :
日本@名無史さん:03/11/15 03:22
元就は、子どもたちの器をよく知ってるだや。
あとはきちんと守るだけ、いいつけ守った子も、まあ偉いやね。
ほかに誰かおらんかねー。
245 :
日本@名無史さん:03/11/15 03:39
元就の言いつけが毛利の領土を縮小させた・・・・
ただ、幕末で反撃した事は、やはり、歴史が証明するように、毛利は滅ぼして
おくべき存在だったと思う、(予断だね)
246 :
日本@名無史さん:03/11/15 03:53
史実を辿ると、毛利を潰すのはけっこうたいへんだや。
秀吉の天下統一の最大唯一の要因が、毛利を味方にしたことだやね。
まっ、それはそうと、ほんとに誰かおらんかかいね???
242氏は、
1,今川家内での家康の「出世」を計算に入れていない。
2,織田信長個人は、通俗に言われているほど卓越していたわけではない。鉄砲の使用は
ほとんどの大名は積極的だったし、一番肝腎の信長の検地は革新的なものではなかった。
信長は先進地の富を背景に、他の戦国大名が「したくてもできない」事を、実行に移せた
というのが実態。
尾張・美濃・近江を手に入れた人物は、必然的に信長のような政策を選ぶ事に
なる。で、なければ政権を維持できない。
結論。信長がいなければ、
今川義元とその後継者は、「信長が率先してした事」を「いやいやでも実行」
せねばならず、
また次の後継者は「仕方なく」、江戸幕府みたいなのを作らざるを得なくなる。
そうしなければ、政権を維持できない。「歴史的必然性」や「民族性」を越えた
事は、なかなかできぬものだ。
249 :
日本@名無史さん:03/11/15 12:18
家康が今川の天下を乗っ取って
徳川幕府を開くので同じ事でしょう。
家康が今川家で出世したとしても本人が血を引いてないのだから
せいぜい親族衆の末席止まりでは?
尾張が今川に制圧されれば領地はそれ以上増えないし、
増やしたくても今川義元は許すまい、
頑張っても今川氏を乗っ取るだけで終わりそう。
251 :
日本@名無史さん:03/11/15 14:17
>今川義元とその後継者は、「信長が率先してした事」を「いやいやでも実行」
>せねばならず、
は?義元と信長が同じ政策、行動とるとは限らんだろ
252 :
日本@名無史さん:03/11/15 15:19
大名、旗本以外の織田家っていますか?
尾張で土豪(庄屋)・百姓になった織田家とかいるんじゃないですか?
>>252 さあ? よく知らないけど、
織田家は、もともと尾張では外来者。
つまり、最初から武士、守護代として尾張にやって来たものだからなあ。
逆に落ちぶれた時、戻る村もないんじゃないかな?
254 :
日本@名無史さん:03/11/15 21:10
信長の時でさえ、織田を名乗る家は沢山あったんだから、調べきれないでしょ。
>>228 >義元が、氏真の補佐役にどんな資質を求めるか、と考えれば、
>忠実、誠実ということだけでは駄目だと思う。
おまえは義元かよw
外様・支配下の国人衆に家宰を任せた例のほうが、はるかにマレ。
>他の国人領主のために、そゆう事をしている例が他にあるだろうか?
>元康の才能を見抜いて、取り込もうとしていると、俺は思う。
日本史上、いくらでもある。山ほどある。腐るほどある。
おまえはバカですか?
>>255 人のことを「バカ」 と言うものが、馬鹿 である。
257 :
日本@名無史さん:03/11/16 04:23
258 :
日本@名無史さん:03/11/16 04:43
名門だなんだってのは、形式を満たしていれば事足りるので、
武田家において、たかだか武川衆(地侍集団)の一員であったに
過ぎない教来石信房が馬場家を継いだことにして筆頭家老に
なったりする。
>>228の論法で行くと、
「家康は織田信長の酷使に耐え、どんなときも裏切らず
信玄上洛の際も滅亡覚悟で立ち向かい、また家康の息子信康は、信の字と
信長の娘をもらいました。
そして、信長の有能さを見抜く力は、義元以上。
だから、信長は譜代・準譜代の家臣を差し置いて、自分の息子信忠の
後見人役と織田家の家政を家康に任すのは間違いなし」
ってことだな。
・・・・頭悪すぎ。
三河の国主ですらない一土豪の松平家が、親の代から人質出して最前線で
こき使われても、義元がほんの少しの褒美も与えず、むしろ譜代の家臣の
与力としてさらなる酷使をしてきたことを理解しろよ。
今川義元の目的は、むしろ松平家を徹底的にすりつぶし、その領地と家臣を
自然に今川家のものにしてしまうことが目的。
一門衆・譜代を差し置いて、家康を重臣にするわけないだろ。
信長と義元が桶狭間で相撃ちだったら?
に変えても面白いじゃない。
都合が悪くなり生きずまるとその人物も削除して、最後に誰も居なくなった・・・・なんてね。
261 :
日本@名無史さん:03/11/16 12:57
松平家とは何ですか?
相打ちだったら信玄が大喜びだな。
今川領を武田と北条が、織田領を斎藤あたりが分け取りですね。
信長がいなかったら、今川は尾張を蹂躙、美濃では山岳ゲリラ戦に悩むも
斉藤義龍が桶狭間の翌年に死ぬので、美濃の地侍は今川氏に降伏して、美濃も平定。
六角・浅井・朝倉らからも特にイチャモンがつくことなく上洛するも、
三好長慶を一時的に京から蹴落とし、将軍足利義輝、管領細川晴元を京に戻したが
副将軍や管領任命といったメリットもないため、領土拡大に専念。
三河・尾張・美濃から西信濃に侵攻、信玄と信濃の覇権をめぐって火花を散らしつつも
上杉謙信には協力して対応、第4時川中島の合戦は東西から今川・武田の挟撃を受けて
謙信は大敗、以後は今川や武田に唆された配下の部将たちの相次ぐ叛乱に悩まされて外征は不可。
武田信玄は上野にも侵攻し、本庄繁長らを陣営に引き入れ北越後を制圧、豊かな米所である
庄内や念願の港・直江津を手に入れ、謙信をじりじりと包囲。佐渡の金山も窺う姿勢を見せる。
そのころ、今川義元は浅井・朝倉・六角・若狭武田・六角・北畠をじわじわ侵食しつつも
相次ぐ三河や長島の一向一揆や三好長慶の攻撃を受ける足利幕府の救援、信濃の領有権を巡っての
信玄との争いなどに悩まされる。
弱小の国人衆の一人でありながら、その勇猛さゆえに義元に酷使される松平元康は一向一揆鎮圧の
最前線に立たされ、長島を数年に渡って包囲する間に家臣を消耗していく。
叛乱相次ぐ家臣の制御や信玄との戦いに飽きた謙信は隠居し、信玄は越中・越後・東信濃・上野を征し、
羽前・下野にも手を伸ばし、次第に今川・北条との三国同盟は次第に揺らぎ始め、ついには敗れる。
信玄は上野から武蔵、甲斐から駿河、東信濃から西信濃・美濃に侵攻、さらに本願寺とのつながりを
生かして、一向門徒を各地で蜂起させ、今川軍は各地で分断される。
義元の援護を受けられず、三好長慶に京を追われ、近江の朽木谷に逼塞した足利義輝・細川晴元は
仲裁に入るも効果なく、各地で敗れた義元は氏真とともに駿河を放棄、海路より桑名に上陸し
足利義輝の下に転がり込む。
今川氏康・氏政も、武田・佐竹・里見の連合軍に敗れ小田原城で自刃して果てる。
加賀一向一揆に悩む朝倉は、一揆衆に影響力がある信玄に従属的同盟を誓い、こうして日本の
中央部を関東から美濃まで支配する武田の威勢は盛大なものとなる。
信玄は病魔に倒れるも、細川晴元に譲られた管領職に勝頼をつけて、武田信繁を補佐に据え、
関東管領には仁科盛信を据え穴山梅雪を補佐とし、磐石の態勢を引いたうえで没する。
勝頼は足利義輝を奉じて西へ侵攻し、盛信は最上・佐竹・里見を従属的同盟下においた後、
葦名・伊達・相馬を攻めて北上する。
武田軍の前に各地の勢力は次々に降伏・滅亡し、武田氏は足利幕府中興の功臣になるかと
思われたが、お互いの激しい気性から、次第に勝頼と義輝の間に不和が生じ、勝頼は義輝を
佐渡に流した後、ついに信勝を征夷大将軍位につけるのであった。
265 :
日本@名無史さん:03/11/16 15:26
>
毛利家に対してどのような外交政策を
とっていたのか。
今川義元は許され、その子氏真に遠江の一部が与えられる。
典廐信繁は隠居し、勝頼・信勝親子のブレーンとなり、その子信豊が九州探題に就く。
信廉は最上・佐竹らと北関東・東北方面を任され、穴山梅雪は関東管領仁科盛信とともに
関東に睨みを効かせる。
山県昌景、高坂昌信、内藤昌豊、土屋昌次、真田信綱、秋山信友、三枝守友、馬場信房、
一条信竜、小山田信茂といった家老たち、あるいはその子も各地に所領を与えられ大名となった。
佐竹・朝倉・里見・最上・六角・北畠・河内畠山・能登畠山などの初期に武田に降った大名は
その所領を安堵されたが、すでに武田が大勢力となり、敵を滅ぼすのに苦労しなくなってからは
各地の勢力は従来の所領を安堵した形での降伏を許されず、滅亡するか大幅な領地割譲のうえ、
武田軍の前に膝を屈した。
こうした勢力には伊達・南部・相馬・安東などの東北の諸勢力や、毛利・宇喜多・三好・長宗我部、
大友・島津などの西日本の勢力がある。
信玄の兄弟たちを祖とする甲斐武田氏に加え、安芸武田氏、上総武田氏、若狭武田氏などの
武田氏が一門に加えられ勢力を張るも、次第に武田氏内での権力争いが激化し、
明暦の乱、七武田の乱などの合戦を経て100年の後、武田幕府は滅び、それに取って替わったのは
姉小路頼光であった。
268 :
日本@名無史さん:03/11/16 16:37
最後に姉小路というところが、笑わせてくれました。
!!! 75点差し上げます。
269 :
日本@名無史さん:03/11/16 18:01
>>259 >三河の国主ですらない一土豪の松平家が、親の代から人質出して最前線で
>こき使われても、義元がほんの少しの褒美も与えず、むしろ譜代の家臣の
>与力としてさらなる酷使をしてきたことを理解しろよ。
そりは、所謂「徳川史観」やな。
実際は松平元康はちゃんと西三河の領主であった。
>今川義元の目的は、むしろ松平家を徹底的にすりつぶし、その領地と家臣を
>自然に今川家のものにしてしまうことが目的。
>一門衆・譜代を差し置いて、家康を重臣にするわけないだろ。
きちんと西三河の領主として遇し、その権力のバックアップまで行っていた
義元のやり方からすれば、むしろ元康は将来の重臣候補筆頭であろう。
家康が内心どう思っていたかは別としてね。
三戦板へ帰ってくれねーかな、このスレともども
>>269=
>>228 いい加減、この「家康は絶対に今川家の重臣」説の家康厨房君はどうにかならんのかねえ。
>実際は松平元康はちゃんと西三河の領主であった。
>>259への反論になっていない。
>>259は「三河の国主」じゃないと言っているのだから、西三河だけなら
>>259の言うとおりでしょw
それに西三河を制することが出来たのは今川氏の支援の下であって、松平が単独で切り取った
わけじゃない。
>義元のやり方からすれば、むしろ元康は将来の重臣候補筆頭であろう。
義元のどのやり方?
すでに過去レスで散々反論されてるよねw
>>271 松平氏がそもそも三河一国なんざ切り取っちゃいないんだから、
西三河の領主として松平元康が自分の名前で所領安堵などの書状を出し、
そして岡崎の家臣団にはこれまた自分の名前で掟書きなどを出している
段階で義元が
>>259の言うような「今川義元の目的は、むしろ松平家を
徹底的にすりつぶし、その領地と家臣を自然に今川家のものに
してしまうことが目的。」なんてこと考えていたとは言い難いんだが。
> 義元のどのやり方?
> すでに過去レスで散々反論されてるよねw
所詮は妄想。
273 :
日本@名無史さん:03/11/17 01:44
今川義元にとっての家康は、ちょうど息子のような感じゃないかな。
長男・氏真、次男・家康ってな具合だろ。
もちろん実際には、親族でも一門でもないわけだから、利用できるようになれば
徹底的に利用するのは、時代からいって当然。
家康がよほどの信頼を得ないかぎり、三河に戻すような愚作を義元がとるとは
考えられない。
義元が侵攻できるのは、三河尾張方面しか、当時はなかったのだから。
274 :
日本@名無史さん:03/11/17 02:23
今川は尾張の領国化を目論んでいた可能性が高い(てか間違いなくそう)と思う。
元々那古屋城は今川の城だったわけだし、かつて今川家は尾張の守護だった時期もある。
今川から見れば、尾張侵攻は単なる侵略ではなく、失地回復という面があったことを忘れてはならない。
このことは、尾張だけでなく、三河や遠江についても言える。
>>259 >だから、信長は譜代・準譜代の家臣を差し置いて、自分の息子信忠の
>後見人役と織田家の家政を家康に任すのは間違いなし」
信長は、自分の死後、息子がアフォばっかりなら、
天下統一の事業と、織田の家名と子孫の安泰を分離して、
天下統一事業を家康に託すという選択肢を考えたかもしれないにゃ。(俺の妄想)
(秀吉はここで誤りを犯した)
しかし、信長は自分自身、天下を統一し、
後の政治体制を完成するまで生きていると考えていたし、
なかなか優秀な後継者・信忠がいたので、
実際には、上記はありえない。
家康の有能さを知れば、殺すか、関東以北へ飛ばすことを考えただろう。
信長は、家康は勝頼に劣ると見ていたんじゃなかろうか?
>>275 のつづき
>今川義元の目的は、むしろ松平家を徹底的にすりつぶし、その領地と家臣を
>自然に今川家のものにしてしまうことが目的。
>一門衆・譜代を差し置いて、家康を重臣にするわけないだろ。
義元の目的がそゆう事であったなら、
父を失った9歳の竹千代を岡崎に放置して、松平一門と家臣の対立抗争を煽る。
竹千代は抗争の神輿として奪い合われ、いずれ下克上の習いで、命を落としただろう。
その後で松平領を奪う方が簡単。
義元は、竹千代を人質として <保護> し、教育を与え、養女を妻として与え、
成人したら岡崎衆の主君の地位につけた。
すりつぶすよりも、元康を取り込み、今川の家臣にしたほうが得策と考えたからだ。
重臣にするわけない、となぜ断言できる?
百人の無能な一門・譜代よりも、外様でも有能で忠義な家臣の方が、
望まれるに決まっている。
実際に、一門衆・普代衆も、義元死後の氏真を支えようとしたのだろうが、
今川は遠江・駿河を領有しながら、崩壊してしまった。
有能な補佐役が氏真についていれば、結果は違ったかもしれないではないか。
277 :
日本@名無史さん:03/11/17 03:46
そもそも家康は松平家の反乱を防ぐための人質として、今川家に来たわけだ。
弱小とはいえ、松平家も一家を構える立場であった。
そういう経緯がある松平家を今川が重臣として遇するとはとても思えないが。
>276
あなたが「重臣となった家康が今川家を簒奪できる」と考えるなら、
当然、義元も同様に考えると思うが、如何。
>>278 お見事なカウンターパンチでござる。
逆もまた真なり・・・・・か。
280 :
日本@名無史さん:03/11/17 04:10
ちょいと質問。
今川義元のときの政治体制で、義元の発言力はどのくらいだったのだろうか?
あの時代、絶対君主ということはないような感じがするのだが。
松平家との関係にも大きく影響するはずだし。
281 :
日本@名無史さん:03/11/17 04:10
>>277 家臣から人質を取るのは当時としては当たり前の行為。
人質として大名のお膝元で成長した連中は、いわば生え抜きの幹部候補生。
例えば武田家の秋山信友(生まれも育ちも甲府)や真田昌幸など、
人質から才能を見出されて重臣となった武将は数多い。
元康にしても、一門に加え、しかも岡崎というある程度大きい身代まで
保証していた以上は、軽々しく扱うはずがない。
>>278 >あなたが「重臣となった家康が今川家を簒奪できる」と考えるなら、
>当然、義元も同様に考えると思うが、如何。
なんでそんな話が出て来るわけ?
それとこれとは、別問題でしょ。
武田信玄は、木曽義昌が武田家を簒奪すると思って一門に加えたわけじゃ
ないだろう。結果として義昌の裏切りから武田家は崩壊したが。
今川義元も同じことだ。んなことで今川家が危うくなるとは思わんだろ。
282 :
日本@名無史さん:03/11/17 04:16
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283 :
日本@名無史さん:03/11/17 04:33
>>281 もちろん軽々しく扱うとは考えていないが。
今川だって、松平を味方にしておきたいのは当然だろうし。
重臣という位置づけで、ちょっと困惑してるんだけど。
つまり、今川家にどれだけの影響力をおよぼすのかっていうのが、
むつかしいね。
284 :
日本@名無史さん:03/11/17 05:42
>>276 重臣だって?一門だって?
だから今川義元は、息子と家政を松平元康に託す?
そもそも重臣扱いも一門扱いされてないんですが・・・
従属的同盟下にある国衆と婚姻政策を結んだり、幼少時から人質として
めんどうを見るなんて当たり前。
また侵攻方向にある国衆が先鋒に使われるのも常識。
上杉謙信も武田信玄も信濃国衆を先鋒としてコキ使い、婚姻政策も結びましたが
家政を譜代を差し置いて信濃国衆に任せましたか?
信長は家康を高く評価し丁重に遇し、信康に名前と娘を与えましたが、家康・信康親子を
重臣にして織田家の家政を任せましたか?
秀吉は、幼少で賢愚も定かでない秀頼の後見人を前田利家ではなく家康に任せましたか?
そもそも、その当時、義元から一門として扱い、また重臣候補として手厚く処遇されていた
はずの元康は、義元の死後、今川家に対して何をしましたか?
名門の大名が、一門・譜代を差し置いて、国人の土豪を重臣に取り立て、しかも後継者の
後見人を任せた例があるなら教えてください。
285 :
日本@名無史さん:03/11/17 10:27
>>284 >上杉謙信も武田信玄も信濃国衆を先鋒としてコキ使い、婚姻政策も結びましたが
>家政を譜代を差し置いて信濃国衆に任せましたか?
武田信玄・勝頼の竜朱印奉者の中に真田昌幸の名前がありますね。
というよりも、国境は重用するか否かという問題に関して、大して重要な
ファクターにはならんでしょう。甲斐国内においたって、信虎の代に
なってやっとこさ武田に従ったような連中ばかりだ。
>信長は家康を高く評価し丁重に遇し、信康に名前と娘を与えましたが、家康・信康親子を
>重臣にして織田家の家政を任せましたか?
明らかに被官関係に無い者を出すかね。アホらしい。
蘭奢待切り取りの際に佐久間・柴田と並んで奉行に名を連ねていた荒木村重。
美濃出身ながら馬廻から武将に出世した金森長近。
義昭宛起請文で林・佐久間・柴田に名を連ねた滝川一益。
そんな重臣には事欠きませんな。織田家は。
>そもそも、その当時、義元から一門として扱い、また重臣候補として手厚く処遇されていた
>はずの元康は、義元の死後、今川家に対して何をしましたか?
義元がどう扱おうとしたかという事と、
家康が内心どう思っていたかという事は
明らかに無関係である。
>>276は最後の三行は大いに疑問であるが(というより有り得ないが)
義元が元康を如何に処遇したかという点については、ほぼ同意できますな。
>>286 276 だが、285 ではない。
俺は、補佐役だといっているので、後見人ではない。
288 :
日本@名無史さん:03/11/17 13:45
>>284>>285 そもそもスレタイが仮定なんだから、批判ばっかしじゃなくて
面白いストーリーを聞かせてくれよ。
大分歴史通のようだから。
289 :
日本@名無史さん:03/11/17 14:13
>286
秀吉と三法師。秀吉なんて土豪の国人どころか尾張の農民上がりだ。
探せばまだあると思う。室町の格式と新興武士の相剋っていうなら話は別だけど、
新興武士の家内は実際泥臭いモンだったと思われるよ。
信長の織田家自身斯波の被官の末席だったわけだし。
あと武田勝頼と信勝もそうだな。勝頼は父親として武田を名乗ったが
本来諏訪勝頼なわけで、家内でもそう扱われた事が滅亡の遠因になったわけで。
景虎が上杉継ぐのも出来すぎてるしな。
長尾が鎌倉の名門上杉を継ぐなんて、明らかに室町権威の崩壊を
象徴しているわけでさ。
荘園の現地管理者として実力を蓄えてきた武士達が、いよいよ、その荘園内外の
利権の拡大と公認を求めた社会改革が、鎌倉幕府の成立なんだよな。
その後もさらに力を蓄えた武士達が、いよいよ、公家・寺社のための土地制度
である荘園制を倒す時がやってきた。それが戦国時代。もちろん、この時代も
源義経のように時代の要請・歴史的必然の読めない奴はいっぱいいたが。
荘園制を倒して、武士のための石高制度を確立せねばならない。この歴史的必然
を器量者はちゃんと理解している。
この社会改革を
信長はエキセントリックに、秀吉はイベントとして楽しんで、家康は義務的な仕事と
して取り組んだわけだ。
信長・秀吉・家康でなくとも、ある程度の器量人が、経済的に豊かで情報量の多い
先進地の領主であれば、結局はよく似たことをしてしまう。
一例をあげよう。
延暦寺の古い荘園制度は、すでにボロボロで大敵では無かった。しかし、一向一揆
という名のリニューアル荘園制度は超強力であった。この本願寺の新荘園制度に
対して、信長は虐殺、家康は骨抜きを図った。肝腎なのは殺したか、否か、ではなくて、
荘園制度を破壊できたか、どうか。信長も家康も破壊した。
信長がいなくても、今川義元なら、穏健な手法を用いて、荘園制度の破壊に着手
するだろう。もし、義元が時代の要請、歴史的必然を理解できなかったら、誰かに
簒奪(後継)されて、簒奪者が、歴史的必然に従って、荘園制度の破壊と石高制度
の建設に向かう。その具体的な手法は、その人物のキャラクターや家臣との関係に
よるが。
291 :
日本@名無史さん:03/11/17 17:01
織田信長は、ラッキー珍右大臣だよ。
1572年の時点では、どう見ても、武田=後北条=上杉>織田>徳川>羽柴
武田信玄の信長包囲網で、織田は滅亡寸前だったけど、武田信玄が早死にしちゃったから、ラッキーで生き残っただけ。
領地が京に近かった上に、天敵の武田信玄が早死にしちゃったから、
ラッキーで領土を500万石まで増やし右大臣になる事ができた。ついてる奴には、かなわないな。(ワラ
実力で言う、真の戦国最強は、武田と、その武田と互角に戦った後北条・上杉。
逆にラッキーで天下統一ができた、ラッキー珍トリオが、織田・豊臣・徳川。
(織田は完全に天下統一はしていない。これだけ好条件がそろっても、なかなか天下統一をできない事から、その力量がわかる。)
織田→領地が京に近かった上に、天敵の武田信玄が早死にしちゃったから、
ラッキーで領土を500万石まで増やし右大臣になる事ができた。
ラッキーで右大臣になれたから、ラッキー珍右大臣。
豊臣→織田の家臣の明智光秀が本能寺の変で織田信長を暗殺した為、
その後、織田信長が築きあげた勢力図をそのまま、そっくり横取りし、ラッキーで天下統一と、関白・太閤への就任ができた。
ラッキーで太閤になれたから、ラッキー珍太閤。
徳川→史実では、たまたま後北条(推定250万石)が豊臣に臣従しないで、領地没収になっちゃったから、
ラッキーで後々、将軍になれただけ。後北条が残っていれば、徳川は将軍には、なれなかっただろう。
ラッキーで将軍になれたから、ラッキー珍将軍。
※競馬でラッキーでGTを勝ちまくった馬の事を、ラッキー珍馬と言う。
石高制は、太閤検地でやっと成立した。だから、それ以前の戦国大名経済力が
土地の石高に比例していると思ってはいけない。問題は、その石高のうち、戦国大名
がどれだけ実質に把握できているか?
普通に考えれば、荘園制度の残滓が強く残り、直轄地の割合の少ない「後進地」の
東国の大名領は、把握できている割合は少なかろう。
一方、信長の領国は、
1,先進地であり、信長の「本当の敵は荘園制度」という意識が高い。
2,「何とか米を作りたい」東国と、「米なんかよりもっと儲かる商品作物」の中央
とでは、石高の表示以上に、土地の生産力に差がある。
3,商業力に格段の差。
織田家と、東国の大名ではかなりの経済力格差があったとみるべきだ。
293 :
日本@名無史さん:03/11/17 18:51
尾張や摂津のように港を有する国の経済力が抜群だったことは歴史的事実。
信秀が頭角を現したのも、この経済力によるという説が最も有力。
そのせいか信長も商業思考が異常に強かった。
信長の政策で土地に関する話はあんまり聞いたことがないね。
294 :
日本@名無史さん:03/11/17 19:16
織田信長は天下統一を狙ってた。武田信玄は領土守備、あわよくば近隣諸国の領地奪取。
その発想力、力量は信長に及ばない。
信長がいなかったら、信玄は京を目指す行動をしなかった。
295 :
日本@名無史さん:03/11/17 19:38
>>294 足利将軍家をなきものにしようとしたのは、信長くらいだから、あたりまえ。
信玄上洛の狙いは、その信長排除と室町幕府の建て直しだろうから、
信長がいなければ、信玄も無理に上洛する必要はない。
信長は足利将軍家をなきものとして、自分が天下を取ろうとしたが、
足利将軍家を尊重していたと思われる信玄は、副将軍となって、天下に号令するだけで十分。
296 :
日本@名無史さん:03/11/17 19:56
信長の布いた税制についておまえらは
どう思いますか?
やっぱ信長はすごいよね。
298 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:53
>>290 どの程度緻密なものだったかは判らないが、領地を収穫高によって把握しようという意味での検地のもっとも早い例は、明応年間の今川領だったと思う。
>>294 どこぞの電波作家かw
>>295 いや、信長は室町幕府を亡き者になどしようとしていない。
信長の狙いは、義昭を京からは遠ざけつつも、自分がコントロール可能な
場所に閉じ込めてしまうことだった。
そのために若江城に義昭を送ったが、逃げられてしまった。
(義昭監禁を引き受けた三好義継はその咎で攻められ自刃している)
300 :
日本@名無史さん:03/11/18 11:07
>>299 >そのために若江城に義昭を送ったが、逃げられてしまった。
どこぞの小説かぶれですか。
298>
それって、自己申告による指し出し検地?それとも実測にる検地?
まっ、どっちにしろ、織田信長だけが突出して革新的だったわけでは
ないわけだ。一流の戦国武将は、みんな同じ方向性を持っていたのだな。
その政策の徹底性や普遍性には違いがあったけど。
>>301 信長の検地なんて戦国大名の中じゃ遅い部類だな・・・
>>293 >そのせいか信長も商業思考が異常に強かった。
商業思考?商業志向でしょ。
港があればの大名ができるかと言えば、そうでもないけどな。
日本三津の薩摩の坊津、筑前の博多津、伊勢の安濃津や、
摂津・和泉、肥前、近江(琵琶湖)、尾張、駿河、武蔵、
伊豆、周防・長門、播磨、越後などの有力港を抱える国は
それなりに栄えたが、流通革命を起こすほどの意識を持った大名は
信長とその後継者である秀吉だけだ。
流通革命?
なんだそりゃ?・・・
秀吉に限って言えば、座の解体や海賊禁止令がそうと言えなくもないかな。
信長は何かしたっけ?
まさか関所の廃止がそうだなんて言わないよね・・・?
信長関係のスレがたつと毎回こういう話題が繰り返されるよね。
307 :
日本@名無史さん:03/11/19 09:17
あの当時、関所税を廃止するという事がどれほどの意味があったことか。
308 :
日本@名無史さん:03/11/19 10:14
要するに織田信長って人は前田慶次と一緒
単なるかぶき者
人気はある
でも、織田信長の場合は社会に貢献しようとした形跡があるから
かぶき者としても一格落ちるんじゃない
前田のようにかぶいて一生を通せばよかったが
あっさり殺されるし
何をやらせても中途半端だね
309 :
日本@名無史さん:03/11/19 10:39
ところで、信長がいなかったら、当然信秀の跡継ぎは信勝(通称:信行)なわけだが、これについてはどうよ?
総統演説 – 1941年12月11日(抜粋)
われわれは戦争に負けるはずがない!
われわれには三千年間一度も負けたことのない味方が出来たのだ。
われわれは常に先制攻撃をかける!
ルーズヴェルトはウドロー・ウィルソン同様の狂人だ.
やつはまず戦争を煽動し,
次に戦争の原因を捏造し,
そして汚らわしくもキリスト教の偽善の外套を身にまとって,
自分の攻撃が正当なものだという証人として神の名を呼びながら、
ゆっくりと,しかし確実に人類を戦争に導いてゆく.
諸君!
諸君は皆ついに救いを見出したと思う.
一つの国家〔日本〕が,その真実と正義の歴史の中で例のない恥知らずな
扱いについに抗議する措置をとったのだ。
日本が,日本国政府が,この男〔ルーズヴェルト〕と何年もの交渉の末,
ついに三文の値うちもないやり方で嘲弄されることにあきた事実は,
ドイツ人の全て,そして世界の全ての謙虚な人々を深く満足させるものである。
そこで私は本日,アメリカの代理大使ならびにその部下に対し旅券を
渡すよう手配した.
よってドイツ国政府はアメリカとの全外交関係を断絶,
ルーズヴェルト大統領により招来されたかかる状況下において,
ドイツもまた本日よりアメリカと戦争状態にあると考える.
秀吉は負けてないぞ。
311 :
日本@名無史さん:03/11/19 11:13
織田信長は単なるかぶき者だっていってるじゃないか
前田慶次が比較の対象だよ
あんたらの言ってることはピントがずれてるよ
政治とは無関係の男なんだ
一言で言えば快男子
たとえば前田慶次が政治に熱心だったら存在価値無いだろ?
まあ、織田信長ごときチンピラは前田慶次の足元にも及ばないけどな
312 :
日本@名無史さん:03/11/19 12:11
>>311
三戦板へ帰れ。
(^Д^)<まあ、織田信長ごときチンピラは前田慶次の足元にも及ばないけどな
>>307 廃止できたのは一部の国人領主が勝手に構えていた関所だな。
廃止できなかった関所も数多い。
代表例:京都七口の関
ここら辺の権利関係に踏み込んだのは秀吉。
逆に領内の関所を廃止した例そのものは信長に限らない。
信長が時代を超えるほど革新的であったというのは誤りだが
それなりの革新性はあったでそ?
個々の例を取り上げて、これは○○も同じ事をやってるとか言っても
全体像で見ないと意味ないだろ。
どちらにしても信長が超一流の戦国大名であった事には間違いない。
別に超一流の戦国大名だというのに異議はないんだけどね。
なんか信長だけ飛びぬけて人と違うみたいな妄想を聞かされると違和感を感じちゃうだけで。
>個々の例を取り上げて、これは○○も同じ事をやってるとか言っても
>全体像で見ないと意味ないだろ。
そういって自分の「イメージ」を押し付けるのが厨の常套手段。
>>1 今川の尾張攻めは上洛作戦じゃなく失地回復が定説らしい(小和田哲男)
信長がいなければ、「信長の野望」で遊べません。
319 :
日本@名無史さん:03/11/21 22:52
政宗の野望とか。
320 :
日本@名無史さん:03/11/21 22:54
「信長は生きていた!!!」が、いいんじゃない。
あの時点で負けていたら、信長は有象無象の一人だろ。
政治力 30、戦闘力 30、野心 70 位の役立たず武将として >319 に登場するな。
322 :
日本@名無史さん:03/11/22 16:31
>>321 そんなに褒めるなよ。
政治力 20、戦闘力 15、野心 90
このへんじゃない。
「信長の野望天翔記withPK」の「信長元服1546」のシナリオを織田信秀でスタート。
信長の政才198→130、戦才190→145、智才192→120、魅力98→80、野望100→72に
上限を変更し、名前を「信広」に変更。
ゲームレベル「難」でメッセージ表示を「0」にして、「行方を見守る」で自動プレイ。
これを5回繰り返したときの天下の覇者は・・・
1島津忠良
2本願寺証如
3大内義隆を謀叛で殺した陶晴賢
4織田信秀
5本願寺証如
6六角定頼
7今川義元
8本願寺証如
9大友義鎮
10細川晴元から離反した三好長慶
西高東低です
324 :
日本@名無史さん:03/11/22 21:27
ハン板の常識でも、世間ではあまり知られていないこと
・ パチンコは、北朝鮮の資金源。
・ 現在の在日朝鮮人のほとんどは、密入国で日本に来た。
・ 韓国は、反日教育をしている。
・ 韓国では、反日の歌が流行っている。
・ 日本で犯罪を犯した韓国人は、半島に帰ると英雄扱いされる。
・ 韓国は、日本領土の竹島を不法占拠し、それを話し合いで解決しようとしても、
「独島を韓国領と認めるなら、話し合いに応じる」と、訳のわからないことを言って
話し合いに応じない。
・ 韓国への謝罪と賠償(みたいなもの)は、日韓基本条約で既に解決済み。
・ 韓国に犯罪の協力を要請しても、韓国はほとんど協力しない。
・ 日本で盗まれた文化財が、なぜか韓国で発見されて国宝に認定される。(サムライ、寿司 など)
そして、この件で調査したいといっても、調査させず時効になった。
・ 海外旅行で日本人の評判を落としているものの中には、朝鮮人の
日本人の騙りが少なからずある。
・ 朝鮮併合は、植民地支配ではなかった。
・ 従軍慰安婦問題は、朝日の捏造。
・ 朝鮮人が犯罪をして逮捕されても、「民族差別!」と叫べば、無罪。
325 :
日本@名無史さん:03/11/22 21:32
信長の野望オンラインって面白いの???
326 :
日本@名無史さん:03/11/22 21:35
桶狭間で敗死したとしても、野望だけは180だった男 それが、織田信長
桶狭間で敗死したとしたら野望じゃなくて妄想の数値が180だな。
329 :
日本@名無史さん:03/11/25 02:56
よし、もう一度今川義元で再シュミレーションすんべ。
330 :
日本@名無史さん:03/11/25 03:06
>>328 無謀な戦いを挑んだって事で、知謀はかなり低く設定されるな。
>>314 七口関は公界だから、当時の信長が口出せないのは当り前だと思うが…
その他の分国内(従属してる勢力含めて)の関を全廃したのは相当な事だと思うけど
332 :
日本@名無史さん:03/11/25 05:17
義元は、痩せても枯れても元祖東海一の弓取りですよ。
333 :
日本@名無史さん:03/11/25 05:18
義元は、痩せても枯れても元祖東海一の弓取りですよ。
334 :
日本@名無史さん:03/11/25 11:53
ゲームはゲームの範囲・・・。オタクは去れ。
バカですか?お前様方が語れる問題じゃねーよ。
お前様方は馬鹿200でいいんじゃねぇ???足りないか?
335 :
日本@名無史さん:03/11/25 13:55
義元って、痩せてたのか、フーン。
336 :
日本@名無史さん:03/11/25 22:43
信長は戦略の基本に経済を置いていた数少ない大名の一人だろう。
事実、何度負けても、苦戦してもびくともしない体制をつくりあげた。
副将軍職を提示されたとき堺の領有を願ったのがいい例。
世の中何をするにも、特に軍事に関することは莫大な金がいる。
信長ほど常時軍を動かしていたのに、金が枯渇しなかったのはそれだけですごい。
ただ、手法がかなりエキセントリックなので僕はあまり好きではないが・・・
たいていの大名はそうだと思うのだがどうだろう。
そもそも堺ってのは、自然発生的にあれだけ栄えたんじゃなくて、
三好ちゅう四国を本拠とした大名が、四国から海を渡って中央への
足がかりとする為に、保護して発展させたんだけどね。
339 :
日本@名無史さん:03/11/26 05:48
するどい。
ただ信長は過激。というか徹底的。
上洛するやいなや堺、平野、奈良、挙句の果てに本願寺の寺内町にまで矢銭・礼銭を求めてる。
有無を言わせないやり方がやくざだな・・・なんて思ったりもするが。
みんな治外法権的な自治都市。特に本願寺は経済的にも軍事的にも一大勢力。
ほかの大名はとても手をつけたがらない。
土地からの年貢に執着しない、というより土地に執着しない重商主義的な考えからか?
この辺は前に誰か言ってたなー。
土地からの年貢に執着しないってのは嘘だな。
延暦寺の寺領を横領したままいつまでも返さないから
延暦寺が浅井朝倉の味方してピンチになってるしw
で、逆ギレして放火ですか。おめでてーな。
ちなみに本願寺はいつだって時の権力者と組んできたし
協力もしてきた。誰も手をつけたがらないというのは違う。
信長は「三好を捨てて織田につけ」という意思表示をしたまでだ。
本願寺はすぐに従い
堺は脅されてやっと従い
尼崎は焼き討ちされた。・゚・(ノД`)・゚・。
341 :
日本@名無史さん:03/11/26 06:57
尼崎は、本願寺の門前町じゃなかったけ?
本山の意向が必ずしも地方に反映されていたとは
限らんという事でしょうか?
平安時代から繁栄を続けた尼崎が新興勢力・本願寺の門前な
わけねーだろ。一揆の拠点になったことはあるがね。
尼崎は大覚寺や本興寺が中心だ。
343 :
日本@名無史さん:03/11/26 07:21
ただ当時の寺(京都周辺の大寺院など。むろん本願寺も)はその軍事力、経済力を背景に
政治に対して口出ししてくるからね。それが嫌で昔は京を移したりもしたらしい。
そのくせ自区内への干渉を特に嫌う。
こういうのって信長は一番嫌いなんじゃないのかな?
>>343 信長の頃にはそこまで権力のある寺院はもうほとんどない。
延暦寺ですら、京にはほとんど影響力が無かった。
いくら金持ちでも相対的な軍事力を考えれば分かる話で。
その点で一番の脅威は本願寺だっただろうな。
要するに中央のしきたりを知らなかった田舎者だったがゆえに逆にそういったもんをぶっ壊す気になれたってことでしょう。
346 :
日本@名無史さん:03/11/26 08:14
「室町時代には一向宗門徒によって寺内町がつくられるが、
1568年(永禄11)織田信長にせめられ、一向一揆勢は壊滅した。」
エンカルタ百科事典2001より引用
>>342 >尼崎は大覚寺や本興寺が中心だ。
門前町じゃなかった。寺内町だった。スマソ。
まさかと思うが、現在の寺のイメージのまま、
室町時代にあてはめたなんて事はないよね。
>>346 その尼崎が室町時代に一向門徒によって作られた寺内町だったか
のような謎の記述は何なんだ?
破り捨てた方がいいぞw
348 :
日本@名無史さん:03/11/26 08:43
>>347 それもそうだね(皮肉ではない)。
地元人間じゃないんで、雰囲気がわからん。
てっきり、尼崎全体が一向門徒勢力化だと思ってたよ。
ただ、信長のターゲットは、一向狂い供だったことは確かだね。
念のため補足しておくと、
尼崎のあたりで一向一揆の拠点だったのは塚口御坊。
>>346の記述は明らかに塚口御坊と尼崎を勘違いしている。
>>348 いやあ・・・1569年に焼き討ちされたのは尼崎だよ。
この時点では信長は一向宗を敵視していないし、
本願寺が矢銭払ってんのにその道場焼き払ってどうするんだw
塚口御坊が壊滅したのは、荒木村重が信長に謀反して
戦ってた頃のはず。
351 :
日本@名無史さん:03/11/26 08:53
>>349 情報サンクス。
訂正してくれたみんなのためにエンカルタの内容を晒すよ。
マイクロソフト社 エンカルタ百科事典2001の「尼崎市」の歴史に関する記述
歴史
北東端をながれる猪名川(いながわ)沿いに弥生時代の集落田能遺跡がある。
奈良時代には猪名荘(東大寺領)が成立、平安時代から漁業や海運業が発展し、
南部の大物(だいもつ)などが京都の外港的役割をもつ物資集散地としてさかえた。
室町時代には一向宗門徒によって寺内町がつくられるが、
1568年(永禄11)織田信長にせめられ、一向一揆勢は壊滅した。
江戸初期から尼崎藩の城下町となり、戸田氏など譜代各氏が4〜5万石で入部した。
武庫川沿いに江戸時代を通して新田が開発され(新田開発)、漁業・酒造業が発達、
17世紀末には尼崎城下に干鰯(ほしか)問屋があつまり、魚市場がにぎわった。
明治中期に尼崎紡績(現在のユニチカ)の工場が設置されて工業化がはじまり、
第1次世界大戦後に重化学工業地帯が形成された。
現在も市内には尼崎城跡やユニチカ記念館など史跡や名所が多い。
寺内町の中心であった本興寺は方丈、開山堂、三光堂などの建築物をはじめとして
木造日隆上人座像や刀数珠丸などが国の重要文化財に指定されている。
隣接して全昌寺(ぜんしょうじ)や長遠寺、広徳寺などの寺々がならぶ。
市の北東部の久々地(くくち)地区にある広済寺(こうさいじ)の境内には
国の史跡に指定されている近松門左衛門の墓がたつ。
>>351 楽しいなあ・・・それ。わしゃ近代はよう知らんけどさ。
その記述だと、本興寺が浄土真宗だと勘違いされるな。
本興寺は法華宗なのに・・・
(ちなみに大覚寺は律宗。605年建立とされる古〜い寺じゃ)
でもって織田信長から一向宗に喧嘩売った事になってしまう・・・
マイクロソフト最強!!
353 :
日本@名無史さん:03/11/26 09:13
>>352 そうなんだよ。
ちなみに「寺内町」で調べると、
「日蓮宗では、摂津尼崎の本興寺・長遠寺寺内町などがある。」
などという記述がある。
矛盾するというか、端折ってるというか。
色々、訂正ありがとな、みんな。
354 :
日本@名無史さん:03/11/27 03:47
>>345 田舎者の一言で片付けるのはちょっと・・・
尾張の周辺国、伊勢や三河では本願寺はその力をいやって言うほど見せ付けている。
それに、盟友の家康も若いころ内戦にまでなってさにざん苦労している。
その力を知っていて敵に回したんだから、無謀だとしてもたいしたもんだ。
>>354 むしろ、逆だな。
そこまで強いとは思っていなかったんだろう。
だね。だからこそあそこまで苦戦したし長引きもしたんだろうし。
357 :
日本@名無史さん:03/11/28 07:56
そもそもみんなの考えている信長個人では無く、歴史的意義・観点から見た信長というのを聞かせてもらいたい。
世間的には改革の旗手・英雄から、ただのラッキーマンといろいろいわれているが・・・
歴史的観点から見ると途中で死んでしまったためほとんど意義などないよ。
経済政策から見れば秀吉のやったことに比べるとさっぱりだし
250年続いた幕府の創設者である家康ともと違って一代限りの一発屋だし。
所詮途中で終わった人物。やった事も独自のものではなく模倣がほとんどだし。
とはいえ別に信長を否定してるわけでも嫌いなわけでもないよ。
あくまで歴史的な位置づけとして考えればというだけです。
359 :
日本@名無史さん:03/11/28 08:14
>>357 世間では、「経済改革が画期的だ」とか、「常備軍を設置した所が凄い」とか
言われているが、いずれも信長固有のものなどではないと思う。
侵略者が自由経済を行うのは世界の常識だし、
兵農分離も実際には不完全。
むしろ、信長の歴史的意義は、武力による宗教改革だと思う。
他の事は、信長でなくてもやるだろう。
しかし、宗教改革だけは、当時の日本人の誰もできなかったと思う。
無辺という僧侶に対する執拗な追跡や、安土宗論などの一般に知られていない
信長の姿は、一応、日本史板では常識だと思う。
私見だが、信長はヨーロッパにおける王権神授説のような
目標を立てていたのではないか?
・・・「王権神授説」ぐらいしか適当な例えが見つからない、スマソ。
360 :
日本@名無史さん:03/11/28 09:55
>>291 信玄は早死になんかしてない
ずっと前から結核(現代の有力なのは胃ガン)で寝たり起きたりだったんだけど、
むしろ信玄は予想以上に長生きしたと見た方が良いと思うが。
361 :
日本@名無史さん:03/11/28 13:54
>>359 信長固有かどうかが問題ではないだろう。
経済政策にしても、兵農分離にしても、その起源は信長以前に
遡ることは承知のこと。
それを実践にどれだけ取り入れたか、あるいはそういう姿勢で
政策を推し進めたかが重要。
それゆえ、後世からの評価が高いわけだから。
宗教を政治の下に位置づけたと言う点では、その意見に賛成。
362 :
日本@名無史さん:03/11/28 14:25
このスレに参加するすべての人に読んで欲しい本がある。
中央文庫 ISBN4-12-203582-1
フロイス日本史3 織田信長篇III 「安土城と本能寺の変」
松田毅ー・川崎桃太訳 定価1143円+税
フロイス日本史シリーズは、文庫本にしてはややお高いが、
信長時代の宗教状況を知りたい人は、必須だと思うよ。
フロイス日本史がガセだという人が多いし、
自分も全部鵜呑みにはしないけど、
宗教に関する記述は、正確だと思うよ。
なぜなら、フロイスはその道の専門家だし、
仮に為政者の宗教観の分析を誤れば、イエズス会の存亡の危機に直面する。
真剣になって、為政者の宗教観の分析を行ったと思うんだ。
フロイス日本史を読んでると、
信長が冗談半分で神様ゴッコしてたとは到底思えないんだ。
363 :
日本@名無史さん:03/11/28 18:03
信長ははじめて皇族以外で地名を改称した。
364 :
日本@名無史さん:03/11/28 18:16
>>363 仮にガセだったとしても、
なんらかの改名に対するこだわりはあったかもなぁ。
暦の改正も要求してたよね、確か。実現前に死んだけど。
365 :
日本@名無史さん:03/11/28 20:38
>>335 晩年には太りすぎて馬にも乗れなくなったので、輿で移動していたらしいけどな。
366 :
日本@名無史さん:03/11/28 20:42
ドクロの杯
宗教が武士権力の下におかれるようになったってのは、信長固有というより
戦国時代の流れ。
ところが信長以外の大名の事跡をすべからく無視してまで
信長を褒め称えるアホが多いのが問題だ。
368 :
日本@名無史さん:03/11/29 01:42
自己神格化といえば、島津忠良、上杉謙信などの事かね?
だが、信長以外に仏像を城下に集める不可解な行動はやっとらんだろ。
なんじゃそりゃ
370 :
日本@名無史さん:03/11/29 01:56
・・・いや、実は、俺もよくわからん。
妙なことやりゃあい言ってもんでもないですわな。
372 :
日本@名無史さん:03/11/29 02:23
まったくですな、ホッホッホッ。
西洋の王権神授説はともかく
室町後半の地方政権分立から中央集権への流れにあって、
中央為政者の権威を神格化することは
純粋に政治的技術として有効であったと思う。
で、結局、信長の、
「俺は神だ」 は、どの程度本気だったの?
大して本気じゃないのでは。
フロイス式に言えば、神と思い上がる→天罰でシボンヌなわけだし。
神だろうが仏だろうが気に食わなきゃケツ蹴飛ばしたるくらいの事は言って欲しかったね。
自己を神格化するんじゃなく。
日本列島はまだ一国に成っていない。
378 :
日本@名無史さん:03/11/30 06:54
361の言うように宗教を政治の下に置くのと、
373の政治的技術にしろ権威あるいは自己の神格化を進めるのには実は微妙だか決定的な違いがある。
日本には神格化の本家、天皇がいるからだ。
自己神格化を進めると天皇家と真正面からぶつかる可能性が出てくる。
秀吉のように天皇の権威の下に自己の権威を置く。
あるいは足利義満の様に天皇家の乗っ取り(婚姻による親族化、その後の譲位)を求めるのか。
しかしどちらも信長らしくないと思う。
神格化を目指した場合、信長なら天皇家以上の権威を求めると思うからだ。
死んでしまったから分からないというところが落ちか???
379 :
日本@名無史さん:03/11/30 08:42
天皇家乗っ取りは必ずしも嘘とは言えない形跡もあるけどね。
380 :
日本@名無史さん:03/11/30 09:02
とどのつまり、信長が目指した立場は、
天皇を任命する存在・・・!。神なのかっ!?
とここで凝ったAAをいれたいのだがテクがないし、
めんどくさいので貼り付けない。
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \ 信長は天皇そのものどころか、
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ >
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__ 天皇の任命者、つまり
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' /
l `___,.、 u ./│ /_ 神になろうとしたんだよ!!
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
_,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\ ./|._ , --、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /';';';';';|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
l. |:.:.l./';';';';';';'! /:.:.| i´|.ー‐' | / | |. ! l
. l. |:.:.:.!';';';';';';';'| /:.:.:.:!.|"'|. l' │-==:|. ! ==l ,. -‐;
l |:.:.:.:l;';';';';';';';| /:.:.:.:.:| i=!ー=;: l | l. | | / //
l |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l l、 :| | } _|,.{:: 7 ))
l |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ' ::::::|; 7
. l |:.:.:.:.:.:.l;';';'/:.:.:.:.:.:.:.:.:.|. \:::::\::::: ヽ ::::::!′ :::| .:/
. l |:.:.:.:.:.:.:∨:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.! /ヽ::: `::: :::: ....::..../
ナ ゝ ナ ゝ / 十_" ー;=‐ |! |!
cト cト /^、_ノ | 、.__ つ (.__  ̄ ̄ ̄ ̄ ・ ・
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,. ‐'´ `‐、 __, ‐'´ ヽ, ‐''´~ `´ ̄`‐、
/ ヽ、_/)ノ ≦ ヽ‐'´ `‐、
/ / ̄~`'''‐- 、.._ ノ ≦ ≦ ヽ
i. /  ̄l 7 1 イ/l/|ヘ ヽヘ ≦ , ,ヘ 、 i
,!ヘ. / ‐- 、._ u |/ l |/ ! ! | ヾ ヾ ヽ_、l イ/l/|/ヽlヘト、 │
. |〃、!ミ: -─ゝ、 __ .l レ二ヽ、 、__∠´_ |/ | ! | | ヾ ヾヘト、 l
!_ヒ; L(.:)_ `ー'"〈:)_,` / riヽ_(:)_i '_(:)_/ ! ‐;-、 、__,._-─‐ヽ. ,.-'、
/`゙i u ´ ヽ ! !{ ,! ` ( } ' (:)〉 ´(.:)`i |//ニ !
_/:::::::! ,,..ゝ! ゙! ヽ ' .゙! 7  ̄ | トy'/
_,,. -‐ヘ::::::::::::::ヽ、 r'´~`''‐、 / !、 ‐=ニ⊃ /! `ヽ" u ;-‐i´
! \::::::::::::::ヽ `ー─ ' / ヽ ‐- / ヽ ` ̄二) /ヽト、
i、 \:::::::::::::::..、 ~" / ヽ.___,./ //ヽ、 ー / ゝ
.! \ `‐、. `ー;--'´ //イ;;::::: //〃 \ __, ‐' / / \
ヽ \ \ / / /i:::::. //  ̄ i::::: / /
383 :
日本@名無史さん:03/11/30 09:20
>>381 >>382 完全に漏れのイメージどおりだよ・・。
顔も知らない赤の他人との共同作業は、不思議な感動がある。
天皇の任命者、というよりは、
天皇の廃絶者になるのが目的だろうにゃ。
で、自分の王朝を創立する。
やっぱり皇帝かな。
織田新王朝はじまる。
いいね、いいね。
とりあえず、安土で即位するとして、都はやっぱり大坂かな。
それはもう、スレチガイだと思ふ。
388 :
日本@名無史さん:03/12/06 19:24
光秀をタイムマシーンにのってぶち殺してやりたい!
389 :
日本@名無史さん:03/12/06 19:44
桶狭間とかで信長がやられていたら、
司馬遼太郎が、
「尾張の国に織田信長という人物がいたが、幼少のころからうつけものと
といわれていた。うつけと言われるその通りの行動をして、生涯を閉じたが
この人物が、万が一大物になっていたら、その後の歴史はいかに変わっていた
興味があるが、歴史はうつけを大物にするほど優しくはない。」
とかやりそうだ。
390 :
日本@名無史さん:03/12/06 23:56
>>384 廃絶者になりはしないだろう。だが皇室を簒奪する計画はあったのだ!
391 :
日本@名無史さん:03/12/06 23:58
そしてスレはぐるぐる回り続けるのだった・・・。
392 :
日本@名無史さん:03/12/07 00:10
393 :
日本@名無史さん:03/12/07 00:14
てか桶狭間で仮に信長が負けたとしても、その場で戦死する保証はないぞ!
394 :
日本@名無史さん:03/12/07 08:08
戦死しなくても尾張は一気に今川へと傾き、おしまいです。
395 :
日本@名無史さん:03/12/08 00:08
政教分離が遅れただろうね。
今の日本があるのも、ある意味信長公のおかげ。
396 :
日本@名無史さん:03/12/08 00:10
信長が桶狭間で死んでいたら誰が天下を取ったんだろう。
武田か?
397 :
日本@名無史さん:03/12/08 00:12
今川義元
398 :
日本@名無史さん:03/12/08 02:30
いや、三好義継。
399 :
日本@名無史さん:03/12/08 02:48
>>396 武田は貧乏なので難しいと思う。
経済力から見れば、(信長を別にすれば)当時一番あったのが毛利で、これが妥当ではないかと。
信長がいなければ、どんどん東進していただろうし。
400 :
日本@名無史さん:03/12/08 07:49
信玄は迷信深くて、結局、ここ一番の戦を仕掛けられず敗北
謙信は領地の統治が下手で、遠征できず、結局、天下はとれない
信長がいなければ、天下は今川がとっていたと思われる
401 :
日本@名無史さん:03/12/08 07:50
信長はアスペルガー症候群にちがいない
402 :
日本@名無史さん:03/12/08 08:00
>>399 貧乏ですか。
やっぱり流通の悪いところはきついですかね。
403 :
日本@名無史さん:03/12/08 17:11
毛利も西国のお山の大将が精一杯といった感じだろう。
今川が、尾張を完全に押さえられれば、一番手か?
だれも天下を取らなかったんじゃない?それぞれの戦国大名がある程度の地域を支配して
小さな戦闘を繰り返しながら19世紀ぐらいまでこの状態が続いてれば地域間の競争が激し
くてもっと強い国になったんじゃ、、、、、、ってこんなんじゃ簡単に欧米列強の植民地
になっちゃうかな。
405 :
日本@名無史さん:03/12/08 19:09
奥羽の伊達や四国の長曾我部、九州の島津のように、拡大路線むき出しの
連中があれだけいたんだから、誰かが統一はしたと思うよ。
明治維新と同じで、玉(天皇)を掴んだ者が有利かもしれない。
となると、上洛→畿内制圧が出来たものということか??
406 :
日本@名無史さん:03/12/08 20:37
今川はブランド力があるため、序盤の小競り合いだけして、
あっさり今川と和議(実質降伏)するだろうよ、上方連中や三好は。
407 :
日本@名無史さん:03/12/08 21:55
>>392 ごめんね。読み返さなかったから、変ですね。
思いつきのまま書いたからこうなった。
今川は、足利将軍家の血筋引いているはずだよね。
だから、14代将軍となる。
しかし、息子がDQNなので15代になるも、松平元康の滅ぼされる。
408 :
日本@名無史さん:03/12/08 23:49
足利将軍家の先祖の血筋と言うべきでは?
409 :
日本@名無史さん:03/12/09 00:09
>>365 輿に乗っていたのは今川家の勢力を見せつけるため。
馬に乗れなかった説は江戸時代の文書から登場するため創作の可能性が高い。
>>407 義元では血筋が遠すぎだし、義元は将軍になるつもりはなかった。
だいたい桶狭間山の戦い当時、足利家は京都にいて三好と和睦してるし、
信長や信玄みたいに将軍からの上洛要請がないので上洛する気はなかっただろう
氏真は内政、経済、戦術に長けてたから跡を継いでも滅んでなかったと思う。
松平元康は三河岡崎周辺ぐらいしかもらえなさそう。
とても今川に刃向かえなかったと思う。
まぁ、義元が上洛しても大内義興みたいになってただろうが。
410 :
日本@名無史さん:03/12/09 22:53
>>407 室町幕府の当事者達の意識の中で、尊氏以前に分かれた一族に将軍継承権があるとは思えない。
411 :
日本@名無史さん:03/12/09 22:58
>>410 将軍家に血筋が絶えたときは、吉良家。
吉良家でムリポな場合、今川家から将軍家に人材を出すんじゃなかったっけ?
徳川御三家・御三卿みたいなシステム。
血が薄い云々は関係ないかもね。
412 :
日本@名無史さん:03/12/09 23:11
>>411 そんなの後世(江戸時代になってから)のつくり話。
当時そんなことがあったら、斯波家なんかが黙ってないよ。
戦国乱世を乗り切って、うまく江戸幕府の高家におさまった吉良・今川両家が、江戸幕府における徳川御三家に自らをなぞらえて、そんな話を創作したんだろうよ。
413 :
日本@名無史さん:03/12/09 23:49
>>412 え?マジ?知らなかった。
ソースキボンヌと敢えて言ってみたい。
414 :
日本@名無史さん:03/12/09 23:51
>>412 「御所(足利氏)絶えなば吉良が継ぎ、吉良絶えなば今川が継ぐ」という
俗諺は室町時代からありましたが何か?
415 :
日本@名無史さん:03/12/09 23:57
416 :
日本@名無史さん:03/12/10 00:50
吉良は、直義党だったため、観応の擾乱以後は完全に没落し、足利姓を名乗ることも禁止され、守護大名としても残らなかった。
応仁の乱直前期の東条吉良家は、三河守護細川成之の下で守護代をしているほどに落ちぶれていた。
今川も、応永の乱に際しての了俊の一件以後は、駿河一国と遠江小笠郡のみに押し込められた。
いずれも、三管領四職家のように複数の守護分国を持つ在京守護大名とはなっていない。
このような状況下で、吉良や今川が将軍継承権を持っていると当時の人々が認識していたとは思えない。
417 :
日本@名無史さん:03/12/10 02:14
>>411 江戸時代の吉良とか今川にそんな話、創作できるか?
江戸時代からその話が出てきたという説は吉良や今川の専門家も言ってない
>>414 たとえば義輝の場合、弟がいるのに
わざわざ今川に将軍を譲ると思うか?
徳川にしても家綱の時に子がなかったが、
御三家から将軍を迎えず弟を将軍にしたでしょ。それと同じ。
「御所(足利氏)絶えなば吉良が継ぎ、吉良絶えなば今川が継ぐ」
っていうのはあくまでも将軍家を継ぐ事も可能な家柄という事を
示しているだけと思う。
>>417 >たとえば義輝の場合、弟がいるのに
>わざわざ今川に将軍を譲ると思うか?
??
俺は「足利-吉良-今川」の成立時期の話をしているだけだし、
「俗諺」であって、この話が源氏の長者を決める正式な順番だとは
言ってませんが?
室町幕府成立後の家格や当時における威勢をもとに御家人や公家あたりの
家柄批評から生まれた、当時における俗説ですぜ。
ちなみに例えも変ですよ。
義輝には子どもがいるのになんで弟を引っ張り出すのかと。
信長がいなかったら?
板違いで恐縮だが
・・・ゲームでシミュレーションしてみようか
烈風伝で信長を尾張から追放して・・・
南部氏の家臣にでもするか
420 :
日本@名無史さん:03/12/10 02:54
『思へばこの世は常の住み家にあらず、草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。
南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。
人間五拾年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり。
ひとたび生を得て滅せぬ者のあるべきか。』
これ、読めない;;
だれか、全部ひらがなで訳して〜
421 :
日本@名無史さん:03/12/10 02:55
422 :
日本@名無史さん:03/12/10 02:57
>>420 漢字が読めないのか・・・・
小学校からやり直して来い!
423 :
日本@名無史さん:03/12/10 03:11
>>422 いあ、先つて←とりあえずこれが読めない・・
424 :
日本@名無史さん:03/12/10 04:41
>>418 その俗説のソースはなに?
信頼性のある同時代史料にそういう話が出てくるの?
425 :
日本@名無史さん:03/12/10 08:01
>>424 他人に聞く前にググるぐらいの努力しろや
426 :
日本@名無史さん:03/12/10 08:08
>>420 信長が好んだという謡曲「敦盛」の一説でござんすね。
人の世の栄枯盛衰の儚さを詠んだもの。
ってか、「きんこく」って何じゃらホイ。平仮名だとまるでわからんが、どういう字を書くの?
427 :
日本@名無史さん:03/12/10 12:29
428 :
日本@名無史さん:03/12/10 17:45
429 :
日本@名無史さん:03/12/10 22:53
>>419 以前「信長の野望」で信長を家臣として使ったことがあるが
以外と従順なのであきれてしまいました。
絶対に謀反を起こすという前提でいたもんで。
431 :
日本@名無史さん:03/12/13 21:09
ググル????オタク語か?
432 :
日本@名無史さん:03/12/13 21:17
433 :
日本@名無史さん:03/12/13 21:18
Googleで検索する=ググる
だろ?
434 :
日本@名無史さん:03/12/13 21:22
435 :
日本@名無史さん:03/12/13 22:49
検索なら検索と言えや!!
オタクが(笑)
436 :
日本@名無史さん:03/12/14 00:11
ググルか普通用語だよ。
検索なんて、こんな難しい漢字なんか使わないよ。
>>435さんて、20才過ぎのオジサンでしょ。
437 :
日本@名無史さん:03/12/14 04:05
ググルが普通???・・・・それがオタクや。
439 :
日本@名無史さん:03/12/14 07:15
まぁ、ソースが出せないのをゴマかしてるだけなんだけどね
440 :
日本@名無史さん:03/12/14 09:59
>>437 普通かどうかは別として、2ちゃんに長くいればこれ位の単語は覚えるわけで。
>>431が初心者であることに変りはないと思うが。
(別に初心者だからイカンとも思わないが)
ほしゅ
信長がいなかったら・・・
天下を統一できるものがいない。
戦国時代が、さらに百年くらい続く。
443 :
日本@名無史さん:03/12/25 02:06
信長がいないと天下統一できないというのはちょっと持ち上げすぎでは。
戦国時代の多少の延長はあれど、誰かが一応の統一はするだろう。
統一後の体制の形は誰がするかによって大きく変わるのは言うまでもない。
ただ史実の三好や細川、六角、畠山など
旧体制に依存あるいは大きく関わりすぎた勢力が衰退しているのを考えると、
ある程度新しい秩序を持った体制が出来上がる可能性が高い。
こんなもんでどうだろう。
444 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:28
三好:畿内以上には広がりそうもない
長宗我部:四国をとったあと、河内や堺の三好、瀬戸内を抑える毛利などの勢力とこう着状態
島津:大友を抑えるも、一連の戦乱で息切れ。毛利に阻まれて本土上陸はできず
毛利:島津、長宗我部を食い止めつつ領土維持に終始
朝倉:加賀一向一揆だけで手一杯
武田:美濃・上野両面作戦を展開
上杉:国内を固めつつ能登を制圧するも、庄内・上野・信濃で一進一退
北条:関東切り取りでせいいっぱい
佐竹:北条・伊達におされジリ貧
伊達:葦名は倒すも、最上・南部らに背後を脅かされ、関東侵出とはいかず
で、今川が弱小織田一族が乱立する尾張に侵攻、これらを滅ぼしたり支配下に組み込み、
道三・義龍の後を継いだ龍興を圧倒し、西美濃を制圧(東美濃は武田)。
浅井・朝倉・六角・北畠らは今川に従い、義元が上洛を果たして副将軍か管領となる。
しかし、義元も天下統一や将軍就任までの野心はなく、少しずつ領土拡大を図るも、
次世代・氏真の代で崩壊に・・・。
その間に武田・伊達・島津が占領地に対して安定した領国経営を行って地力をつけ、
一気に拡大を図る。
後は
・武田勝頼・信勝親子が弱体化した今川をつぶして一気に上洛、反転して北条・上杉らを抑え、関東、続いて奥州を平定。天下統一へ。
・南部・最上らを叩いて背後を固めた伊達政宗が一気に南下、佐竹を滅ぼし、北条とは同盟して、上杉・武田を潰して天下統一へ。
・島津が本土では毛利、四国では長宗我部と戦いつつ、少しずつ東進。この二勢力を抜いた後は一気に畿内を制して天下統一へ。
という感じかな?
家康が天下の実権握った説がこのスレでは強いけど、
つまり、信長が桶狭間で勝とうか負けようが家康は結果的に天下を手にしてたってこと?
どう転んでも天下人っていう生まれは凄いな・・・小大名の子倅なのに・・・
いや、家康が結局天下とったとか言ってるのは一部の家康キティのみだって。
あの論法は、信長以外に仕えた秀吉 にも応用できる(w
>>445 信長・秀吉の成果を受け継げない家康には、天下取りは無理。
449 :
日本@名無史さん:03/12/25 20:59
>>445 たとえ今川家が管領代となったとしても、
家康は三河の押さえとなるだけと思う。
娘を今川家に嫁がせて、北条得宗家のようになるのは不可能。
>>449 しかし、上洛後の平定戦で一番活躍するのは、
松平の価値を高く売り込みたいという動機づけをもった、
元康とのその家臣団になるような気がする。
その手柄を考えると、三河一国というのはむしろ考えにくくないか?
>>450 今川家臣団の中で、もっとも優秀なのは、松平元康で、
たぶん間違いないだろうな。
義元も、元康の戦争・政治の能力を利用するために、
元康を昇進させるだろう。
さて元康は、義元の死後、今川家を乗っ取ることが可能な地位まで昇進するだろうか?
452 :
日本@名無史さん:03/12/26 05:37
まーなんだ、どんな優秀なやつでもそれに伴う地位と場所が無ければただの人。
元康がどんなに優秀でも、それをいかせる立場にいるとは限らない。
義元が使わなければそれまでだね。
しかも元康は今川家から見たらただの外様領主の一人。
いいように使われて終わりという可能性が高い。
それ以前に今川家が存続しうるかという大問題もあるわけだが。
今川で一番優秀だったわけでも若いころから優秀だったわけでもないと思うんだけどね。
苦労を重ねて自らを磨き上げていったわけで最初から凄いってわけではなかろ。
敢えてスレを読まずにカキコしてみるぜ!
リアリズムや客観的な価値観が生まれなかっただろう。
「リアリズム」は外国生まれの言葉。「客観」も翻訳語。
信長がいるいないは関係ない。
まあ、家康の場合、義元・信玄・信長・秀吉、その他、
自分よりも優秀で強大な奴が、みんな死んだ後で、好き勝手やった感じがあるよね。
家康以外の五大老・五奉行、全部ザコだし、
関ケ原に参加した武将も、全部ザコだ。
まあ、健康に気を使って、長生きするという“戦略”が成功したわけだ。
家康は性格が苛烈でなく恩義を大切にする傾向があるので、
今川を謀殺などで乗っ取るのは考えにくい。
今川に重用されてそれに反発する今川譜代との内部争いが
起こる可能性はあると思うけど。
意外に一向宗勢力が天下を掌握していた可能性も捨てきれないぞ
他の宗派が黙って無いダロ、日本版三十年戦争勃発か
既成価値観ホトンド無視による天下統一が可能かどうか。
秀吉、家康にいくにつれて、どんどん既成価値観による統一になってしまった。
歴史ファンとしては、そこがどうもオモロクないんだよな。
本当に信長流で天下統一ができたかどうか、・・・・・・大変だと思うよ。
461 :
日本@名無史さん:03/12/30 06:40
>>460 確かに信長は敵作りまくりだからね。
絶対的な武力でそれを排除してきたわけだが、内部のほころびも目立つ。
光秀がやらなくても、既存の勢力と同調した味方の誰かにそのうちという感はある。
>>458 一向宗に全国的な政治の仕組みを期待するのは無理があるのでは。
権力の宿り木になるのが精一杯という感じがする。
462 :
日本@名無史さん:03/12/31 03:39
スケート信成もいない。
463 :
日本@名無史さん:03/12/31 09:30
>>460 そもそも信長が既成の価値観に捕らわれていなかったと考えるのが(ry
464 :
日本@名無史さん:04/01/04 07:54
ちょいと、良いですか?。
よく、信長と秀吉と家康は比べられていますが、
信長は、独裁者! 秀吉は、ずる賢い! 家康は、ずる賢い!家康は、政事は立派。政権が260年も続いた。
私、思うんですが、信長が長男・秀吉が次男・家康が三男と思うんです。
小さい頃から、信長・秀吉のやり方を客観的に見ていますので「ここはまずいだろ。」「ここはいいな」
とか、感じていたと思うんですよ、家康はね。ですので、家康の政権が長続きしたと思うんです。
この意見、どうでしょうか? 体制を開いたのは、やはり長男にあたる信長の功労だと考えます
マルチポストすんな
466 :
日本@名無史さん:04/01/04 13:33
>>464 昔から言われてることだろうが。
自分の意見みたいにいうな。
467 :
日本@名無史さん:04/01/04 22:28
>>464 ならば今川義元が親だな。
尾張・三河とは隣国で、3人とも
先進的な大名だった今川家の影響をかなり受けていたはずだ。
468 :
日本@名無史さん:04/01/04 23:06
松平清康(家康のじいさん)が信長みたいな天下とっていたら。。。。
天下統一寸前に本多正信の裏切りで死ぬ、そのときに孫の家康は安土城を焼いてしまう
そして百姓出身の猿が天下をとり、松平家康追放。猿の死後
清康の同盟大名でこき使われていた織田信長の天下へ
その後、へたれの家康は5万石の大名として復活し、名前を信雄と改名する
織田幕府はその後300年近く続くのであった
あぼーん
470 :
日本@名無史さん:04/01/13 14:29
保守あげ
471 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:18
武田の天下でしょ。
武田には無理。(キッパリ)
473 :
日本@名無史さん:04/01/16 20:25
天皇殺してホスィかった
474 :
日本@名無史さん:04/01/18 20:11
逃げて秀吉を殺している。
六角幕府成立
476 :
日本@名無史さん:04/01/19 19:34
六角幕府なんか、絶対にありえない。
477 :
日本@名無史さん:04/01/24 15:57
あげ
478 :
日本@名無史さん:04/01/24 16:29
一向一揆が膨張し、全国各地で血で血を洗う宗派争いが勃発。
南蛮の協力を得たキリスト勢力と最大勢力の一向宗が激突。
キリスト勢力の勝利に終わる。
交易が活発になり、日本人は海外へ乗り出す。
to be continued…
479 :
日本@名無史さん:04/01/24 16:31
ど〜でもいいですよ♪
480 :
日本@名無史さん:04/01/24 16:31
六角城
六角政府
第6次六角時代
hosyu
482 :
日本@名無史さん:04/02/06 15:16
織田信長がいなかったら…
彼の同世代の大名・武将の中には、天下布武できそうな人材はいないので、
日本の戦国時代は、あと25年ないし50年は続いていたと思う。
483 :
日本@名無史さん:04/02/06 15:23
天皇親政の可能性はどうだ ???
武田や今川や毛利が天下を取っていたら、どんな政権になるんだろうな。
一番うまくやりそうなのは毛利かなぁ。
485 :
日本@名無史さん:04/02/06 18:34
>>484 なんか、足利幕府がそのまま存続するような気がする。
486 :
日本@名無史さん:04/02/06 18:40
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487 :
日本@名無史さん:04/02/06 20:27
マスコミなんて、ただの伝書バト。
ハトがいきがって情報に手を加えてんじゃねえよ!
お前らは俺たちのところへ情報を運んでくるだけでいいんだ。
要するに、トラックの運ちゃんとなんら変わりないんだよ。
運ぶ手段が車か電波かということだけだ。
情 報 を 判 断 す る の は 俺 た ち だ ! て め え ら じ ゃ ね え ん だ よ ! ! !
488 :
日本@名無史さん:04/02/06 21:29
戦国は能力よりも地縁、血縁。
秀吉が目立つのは能力だけで出世したのが珍しかったから。
その秀吉も、尾張以外では出世できなかった。
信長も軍団中核は尾張衆。
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490 :
日本@名無史さん:04/02/07 11:46
491 :
日本@名無史さん:04/02/08 15:21
しかし四百年以上たってるのに都市が出来てない安土を本拠にする意図がよく分からない
秀吉は貧農の出ではなく もう少し名のある富農の子だったって話をどっかでチラっと聞いたことがあるような気がするんだけど、
誰かそういうソース持ってないかな?
493 :
日本@名無史さん:04/02/09 16:50
>>492 読んだことないが、「武功夜話」に出てるらすいよ。
だけど、庄屋の息子なら、
弟や従兄弟だけでなくて、小作人とかを家来にできたと思うんだがね。
もしかしたら小作人の息子田吾作とかが秀吉の馬の轡をとってたかもよ。知られてないだけで。
いずれにせよ秀吉が世に出ていないことだけはたしか。
別の織田家に仕えているか、美濃に言ってるんじゃないかな。
生涯足軽、良くて足軽大将まで。
天下統一自体が50年はあとになってると思うので、1580年時点
での戦国大名は全員死んでるため、誰かは想像できない。
そもそも天下統一自体できずに近世を迎えていたかも。
信長がしなけりゃ他の奴がしてただけ。
今川とか武田とか。
武田信玄の場合は、統一できる前に死んでる。
今川義元はそもそもその野心がない。
可能性としては畿内の勢力が堺を抑えれば、統一に向かうことは出来る。
畿内のその時点の状況を考えると、ここを抑えるだけでもかなり時間が掛かるので
やはり50年は先じゃないでしょうか。
一向一揆で一気に民主化、って言う手も。(w
498 :
日本@名無史さん:04/02/11 21:23
>>497 一向一揆が、どうすて民主化なんでつか?
坊主による支配でつが。
んじゃ欧州は司祭による支配ですか。
500 :
日本@名無史さん:04/02/11 22:25
秀吉を世に出しただけの存在だとしても歴史的な意義はものすごいな
501 :
日本@名無史さん:04/02/12 01:13
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!.l"`,, |llllll!' :.:.:::;,,,___`ヾ、;;;;;;;;::;、rィ゙ ここで自爆しなきゃならないので
', ',>、|lll'' .:.::`'''゙メ`';;;:::::;;イェュ┤ ちょっと自爆させてもらいますよ・・・
,゙、゙'- .!l' :..:..:.:.::;r'"´;;;:::..:.: :.l; :.:.:. |
r'゙|::ゝ-┐ .:./:.:.:.::::::::;;..:.:.:. l;. ,'
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;;;;;;;;;;;;;;\\::::::::.:.:.::::`゙゙゙゙゙";;;;;;;;;;;;;;;`;-,、
と、言うことも無かった。
>>495 戦国時代だと、浪人だの富農の子だのでも君主の目に止まって
武将くらいになった例はいくつもあるわけだけど。
>>498 加賀では土豪クラスによる合議制を一向宗が取り持つというぐらいの
レベルの支配。
>502
松下家でもあそこまでしか行ってない訳だし、小姓として取り入るってもの容貌的に無理だし(w
秀吉が秀吉としての才覚を現すところまでは行ってないじゃない?
504 :
日本@名無史さん:04/02/12 09:39
タイプは違うだろうが、変わりの人物が現れるだけなんじゃないの。 逆に秀吉がいなかったらどうなんだ。
秀吉が居ない場合、明智は信長を暗殺するところまでは行かなかったかもしれないね。
同僚に対する嫉妬ってのもあったろうし。
秀吉が居ない方が最終的には信長にとってはよかったのかもしれない。
秀吉がいなかったら光秀に殺されるまでもなくどっかでやられてたんじゃね?
やられるタイミングはないよ。
成長が鈍るくらい。
金ヶ崎の撤退で殺られる可能性はあるな。
その時に家康も死んで…。
その前に美濃落とせないて。
美濃の国人の篭絡に手間取ってるうちに斎藤勢にやられてアボン。
510 :
日本@名無史さん:04/02/12 17:14
511 :
日本@名無史さん:04/02/12 17:56
島津義久が天下をとっただろう。
下克上の世の中だろ、本州で潰し合いしている間、
九州を地盤に着々と戦力を整えて来たに違いない。
513 :
日本@名無史さん:04/02/12 20:57
秀吉がいなくても、
他の家来をこき使って、信長の天下布武は、ほぼ史実と同程度に進むだろう。
どんなに有能でも、秀吉は家来に過ぎない。いくらでも取り替えがきく。
で、本能寺が起きるとすれば、光秀を討つのは家康でそ。
史実でも、そのつもりで途中まで出兵していた。
そして光秀討滅の功績をかさに、織田家の後継問題に介入、
信雄・信孝の兄弟喧嘩をあおって……秀吉がやったことと同じかなあ。
なんかつまらんなあ。
少なくとも、島津や伊達なんかの出る幕はない。
514 :
日本@名無史さん:04/02/12 21:08
明智の謀反の黒幕は秀吉に1票
515 :
日本@名無史さん:04/02/12 21:39
/;;;;;;;;;;;;;\
/\;;::::::::::::::::::ヘ
/,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l
|l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::... ...:::::::;;;;;;|l
〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
/j/ ヾ、
l::||:::: |l 信長が居なかったら僕のお父さんは
|/ ̄\ (●) (●) || 殺されなかったんだよね!!
r┤ ト::::: \___/ || (言ってやったでおじゃる、貼ってやったでおじゃる)
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノ ハ // / |
ヽ____)ノ \// / |ヽ、∧
516 :
日本@名無史さん:04/02/12 21:44
iヽ、 , -、
| \ \_, -、
r― ┘ l! \
____l \ ヽ l i亠- 、 __
冫ー--zl l l ヽ ヽ ! l _二彡
彡_ ! / ! ! ! | ヽ ヽ | !W ̄ ミ
ラィクvl ! l l | | lゝ } | | mメ
ムl {-|┼tゝト、 | l二_丁T ト从トツイ
l V/下ハ \!/ワTiヽ | |
l イ{ _|!| ⊥ !_jへ ! i|
ll | ハ〃 ̄ ィ z | | ! ! !
li | |i ゝ 、_ _ =@ ノ j | | | ふーん
|!l|、l |〕> 、 _ イ〔 / /| |ノ
l!ゝ! !ゝ├ 〕ニ二__|_|ノ |/ レ
_.一¨ ̄  ̄L__
/| \_
/ | / \
/ / / / }
>>514 秀吉より裏の知将、黒田 官兵衛だろ。
黒田を見捨てた秀吉も中々の曲者だが。
518 :
日本@名無史さん:04/02/13 10:57
>>513 実際秀吉を使うまで美濃すら落とせてないんですが
美濃制圧は、竹中半兵衛の功績の部分が大きい。
松平元康・今川義元の仲良し説が本当なら、元康が今川家を継いで今川元康となって天下統一。
>518
その場合、美濃土岐一族である明智が美濃攻めを主導する。
現実の出世工程から想像すると、
その場合明智が功臣第一となるので、謀反はしない。
本能寺の頃は明智が中国或いは四国攻めを担当してる。
秀吉が居なければ居ないでも天下布武は進むのは確実でしょう。
>>518 秀吉の、墨俣城とか、美濃衆の調略とかは、太閤記の作者の誇張が入っている。
実際は、信長の他の家臣の働きも相当あったはず。
>522
太閤記のおかげで秀吉の実績が誇張されているのは確かだろうが、
出自不詳の小男が城持ちとなるだけの業績は上げている。
他の家臣の働きを上回っていたからこその破格の出世だろ。
>>523 墨俣城に関して、秀吉が他の家臣の働きを上回っていたことは否定しないよ。
しかし、
城持ちといっても、周辺の領地を与えられたわけじゃあない。
いわば、前進基地の守備隊長に任じられただけ。
秀吉は坂田伊香浅井の三郡十二万石を与えられたんじゃねーの?
そんだけもらっといて前進基地の守備隊長てことはないでしょ。
526 :
日本@名無史さん:04/02/13 23:43
美濃攻めで大きな功績を挙げた家臣、
言葉を換えれば、大きく出世した家臣ってどんなのがいる?
528 :
日本@名無史さん:04/02/14 00:43
>>527 そんなもん分かるわけがない
どれだけ昔のことだと思ってるんだよ?
>>522-524 そもそも墨俣一夜城は捏造だから。
秀吉が墨俣に城を築いたわけでもないし
秀吉が墨俣の城を与えられたわけでもない。
>>527 秀吉。1560年代前半から、文書に秀吉の名が出て来るが、
その時点で既に吏僚としては高い地位にあった。
だが美濃攻略を経て上洛戦の頃になると、一軍を率いる武将としても
秀吉の名が出て来るようになる。
美濃攻略に何らかの手柄があり、出世したと思われる。
>>525 北近江の3郡12万石をもらったのは、浅井長政を滅ぼしてからでそ。
俺が言ってるのは、墨俣城の時のこと。
>>526>>527 美濃の国衆は何人いたのか知らないけど、大小数十人はいたはず。
それ全部、秀吉がひとりで調略できるわけがないでそ。
信長の家臣たちがそれぞれ、親戚や知人のつてをたどって調略をおこなったと推測する。
結果、岐阜城の龍興は孤立して、誰も救援に来なかった。
誰が誰を調略したか、詳細を知らないので、「相当あったはず」と書いた。
1つ質問があるのだが、
織田信長がいない、すなわち織田家も存在しない。
なのか、
織田信長はいないが織田家存在。
どっち?
後者じゃ?
織田家そのものが存在しないとなると滅茶苦茶になりそうな予感。
まぁ織田家を相続したのが信行と仮定した方が良いかもね。
533 :
日本@名無史さん:04/02/14 05:56
>>532 清洲織田家と上手くやっていく
↓
今川義元が尾張を攻め始める
↓
一緒にあぼんで終了
信行はおそらく今川に恭順するだろう。
535 :
日本@名無史さん:04/02/17 21:56
信行が信秀の後を継いだ場合、
尾張は一つにまとまらず、
信友、信安、信清らが好き勝手な動きをするだろうな。
それに
蜂須賀小六が川並衆(兵2000)をまとめて、分離独立しまつ。(w
結局
義元の尾張侵攻は史実よりももっと楽チンだっただろう。
536 :
日本@名無史さん:04/02/17 21:59
|~|
| .ヽ
ノ \ _
|ヽ_/ \_//
√_ ._ __.(
) (.ヽ´\ ./  ̄
http://galleryimage.naver.com/1/2004-02/04/32/50m2546m0.jpg ⌒_ .\/
.ノし~|
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< ヽ
/ | アヒャヒャヒャヒャ! ブレイクブレイク!
/ / ∧_∧ φ
/ _( ・゚・(´Д`;)。・゚・ ヽ(@∀@-)ノ
,,-,/ ;〜⌒);;〜⌒);;〜⌒)〜 ノ( ノ)日本が…日本が… ( )
〜⌒;;⌒;;;(⌒ぐももももももも……〜⌒) く し < <
ギャハハハハハハ(⌒;;⌒;;〜⌒;;⌒;;〜⌒;;⌒;;⌒;;〜⌒;;⌒;;〜⌒;;〜⌒)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ハライテ-ニダ イキデキネーアル フォフォフォ
(-@∀@) < 日本解体ついに成功 ∧_∧ /中\ モウ カンベン
. ( つ ⊂ ) \_______ <`∀´ >、 ,, ( `ハ´ ) ,, シテクダサイ
.) ) ) ○ ∧_∧ ワハハハ ,, へ,, へ⊂), _( )_ ∧_∧ ○,
(__)_) ⊂ ´⌒つ@∀@)つφ <_<__)_丿 し ̄ ̄し ⊂(@∀@⊂ ⌒ヽ
中国も領土を削られてるわけだがなんで ( `ハ´ )も喜んでんだ?
てかこの画像でたの結構前じゃんよ。何を今ごろ。
538 :
日本@名無史さん:04/02/21 03:31
それじゃあ
激しくスレ違いだけど、もし徳川家康がいなかったとしたら、どうなの?
設定としては、松平広忠の後を弟の松平某が継ぎますた。
徳川家康がいなかった場合は、その松平某が最終的に天下をとります。
松平家の強さは、家康が何も言わず家臣団の合議制によって運営されたことにある。
小説読みすぎだっつーの。
541 :
日本@名無史さん:04/02/27 19:43
漏れの役所では「税一家」「収用軍団」と呼ばれている。
確かに、結束は固いようで、OB会も頻繁に開かれているらしい。
今川、武田、毛利、島津、長宗我部、伊達辺りが統一しそうだけど
跡取りで成功するのは、毛利と島津ぐらいかな〜
543 :
日本@名無史さん:04/02/29 14:35
今日、手が少しふれただけで
そのあとずっと心臓ドキドキしてしまった・・
抱きしめて欲しいけどそんなことしたら
死んでしまいそう
そこらへんで氏んでしまうのが一番いいよ。ほんと。
だんだんとそういうトキメキを感じなくなって最後は惰性みたくなっちゃうから。
間違っても結婚しようとか言わない方がいいよ。特に自分からは。
>>543 女性なの?
スレ違いだけど、いまどき珍しいほど可愛いね。
546 :
日本@名無史さん:04/03/01 04:11
>>1もし織田信長がいなかったら
我々の日常に織田信長の話題はでない。
547 :
日本@名無史さん:04/03/01 04:11
548 :
日本@名無史さん:04/03/01 04:12
549 :
23 ◆Nygo1KWMYo :04/03/03 19:17
漫画「信長」は、ない
>>1もし織田信長がいなかったら
当然、島津幕府が畿内にできていた。
おそらく、伊達によって倒幕されて開国路線をまっしぐら。
551 :
日本@名無史さん:04/03/04 22:09
島津や伊達には無理だって
553 :
日本@名無史さん:04/03/04 22:43
島津が幕府を作るとして、どういうふうに家系を捏造しようか?
伊達の場合はどうする。
島津は家系図上では清和源氏。よって捏造の必要なし。
伊達の場合は藤原朝臣。
なんで、島津が幕府を開いたものの、天下分け目の関が原で伊達に破れ、
伊達が関白太政大臣として日本を統治する、というストーリーになる。
557 :
日本@名無史さん:04/03/05 10:23
織田信長の
「楽市楽座」は近代的な「営業の自由」に近い政策なのですか?
なんか滅茶苦茶誤解されまくってるよね、楽市楽座。
559 :
日本@名無史さん:04/03/05 21:36
561 :
日本@名無史さん:04/03/06 11:21
イスパニアの植民地にされてたと言うのは?ありうる?
植民地って幕末日本じゃあるまいし・・・
当時の日本はイスパニア如きにやられるほど弱くはありません。
幕末の日本にしたって、植民地化するのは無理だ。
占領する苦労の割にうまみも無いし。
徳川家康の方がエライと思う
信長がいなければ、
各有力大名が連立する16〜19世紀のドイツの
ような封建制が形成される。
19世紀中期頃から外圧により、島津あたりが天皇を
抱えて全国制覇。
後は現在とあまり変わらない。
566 :
日本@名無史さん:04/03/09 22:29
なんだ。宣伝か。
568 :
日本@名無史さん:04/03/10 14:39
>>561 海軍力はともかく陸軍力ではイスパニアは下手したら日本に劣る。
しかも、当時の日本人はヨーロッパ人よりもかなり屈強で、フロイス(こいつは誇大な表現をするが)などが驚愕しているほど。
体力も精神力も恐ろしいし。現代の我々が関ヶ原で(無論当時の装備で)同じ様に合戦を行っていたら、数時間も戦い続ける事が出来るかね?
もし信長が居なかったら?多分、ドイツみたいな領邦国家になる可能性が高いだろう。
バイエルン、プロイセン、オーストリア云々の地位を同じ様に武田、北条、毛利、三好、長宗我部、島津などが占めるに違いない。
で、象徴の君主として足利、乃至はある程度強力な君主として今川。
積極的に統一を推し進めるかは疑問。信長みたいな半分気違い要素が入った人間だから出来たのだ。
現実主義で考えたら、当時は別に統一の必然性が無いからな。幕府もあるんだし。
569 :
日本@名無史さん:04/03/10 16:42
戦国自衛隊がタイムスリップした次元の戦国時代では、織田信長は存在せず、
斉藤道三も油売ってるだけで出世しなかった。
ということで最高指揮官の伊庭義明が信長の役を演じて上洛を果たした
んだね。それで最後は宿泊先の寺を焼き討ちされて討死。
彼ら自衛隊は、京都などにはいかず、とっとと江戸に出て、そこを東京に変更して
議会制民主主義を強引に造ろうとしたみたいだね。
漫画ヲタ乙
571 :
日本@名無史さん:04/03/12 10:32
普通に考えると一向一揆が何らかの地方政権以上のものに発展して
信長がやったような商業の自由化等をやる可能性が強いのだが。
戦国大名しか問題にしてない香具師らは三戦板住民か?
572 :
日本@名無史さん:04/03/12 11:45
てか、現代がどう変わっていたかを考えるなら、ペリー来航時に日本がどうなっていたかが問題。
日本の国内情勢に関わらず、同時期・同時刻にペリーは来るのだからね。
それはない。
>>571 一向一揆は信長が殲滅したみたいなもんだしね。
575 :
日本@名無史さん:04/03/13 13:55
信長の楽市楽座が、寺内町・門前町への対抗策だってのは既出?
自分は、いまいち寺内町と門前町の違いが判らん(w
「神」宣言&誕生日の安土参拝命令も同様の対抗策って言えそうだね。
576 :
日本@名無史さん:04/03/16 15:24
あげ
俺の妄想
尾張を制圧した今川義元は、伊勢に侵攻。
伊勢湾を押さえ資金源を得る。駿府の町の発展に力を注いだ今川家ならありえることだろう。
その資金を元に朝廷、幕府へ工作。そしてついに上洛。中央政界に進出した義元はその教養を武器にいっきに飛躍する。
京風文化が好きだった義元は都に豪華な屋敷をたてたり、神社仏閣の建立にも尽力した。
これが公家達の好意を誘う一方で、駿河本国では財政難を誘発していた。これが譜代家臣のひんしゅくを買い、その団結は日に日に崩れていった。
また、中世的な領国体制から抜けきれていなかったこともあり駿河、遠江、三河、尾張、伊勢各国の外様衆、地侍が着実に力をつけいた。
そうした中で本国からはなれ都にいた義元は領国から浮いた存在になっていたのである。
578 :
日本@名無史さん:04/03/16 17:40
>>571 それはどうかな。フランス革命を見よ。民衆の改革と謳ったジャコバンクラブの無様さを。
パリ・コミューンの無様さを。フランクフルト国民議会の無様さを。
一向一揆は、農民やら商人やら土民やら『道々の者』やら没落武士やら僧侶やらの寄せ集めに過ぎない。
一揆内一揆が絶えなかった。越前一向一揆の無様さは何だ。下間ら大僧侶に逆らって反乱を起こし、その結果が信長による弾圧だ。
何たる愚劣さか。民主政治とは、教育がなっていなければ果たせないもの。
つまり、今みたいな民主政治というものに持って行く為には、
ブルジョア的民主政治、恐怖独裁政治、妥協民主主義、帝国民主主義、ファシズム、といった政治体系は必ず出て来なければならぬ。
『民主主義』の萌芽すら無い状況からいきなり民主政治をするのは、はっきり言って無謀だな。
一時的には一向一揆も勢力を伸ばせるかも知れない。しかし、保守(没落武士、僧侶)と革新(農民、商人、土民)の確執、根本的な身分対立から結局は瓦解すると思われる。
557のつづき
そうした暗雲たちこめる中で、ついに巨星義元がこの世をさった。
家督争いを勝ち抜き、東海道に一大王国を築いた彼にとって、今日の都は血なまぐさい現実を忘れさせる夢のような世界だったろう。
都で息を引き取った彼の遺骸は駿河ではなく、京のはずれに埋葬された。
しかし、血なまぐさい戦国の世はやはり現実であった。ついに三河では岡崎の松平家が機を見て独立。同盟状態であった武田、斉藤、六角が相次いで同盟破棄。
家督をついで間もない氏真は急ぎ駿河に帰還。しかし、ロクに戦をしたことのない氏真は三河へ征討するも惨敗。甲斐から武田軍が来襲すると戦わず逃亡。
親戚関係にあった北条家に逃げ込むも、武田との関係悪化を恐れる北条家にいにくくなり、わずかな共をつれ京をめざした。
しかし、羽振りの悪くなった氏真を温かく迎えるものは少なく、落胆した氏真は出家する。
それから数年後、彼の姿は京には見られなかった。そう彼は、南蛮人と知り合いサッカーと出会ったのだった。ジダンにあこがれた氏真は単身、渡仏。
彼のボールコントロールは本場でも評価され、「サムライボンバー」の愛称で親しまれている。
>>578 マルクスの唱えた唯物史観の裏返しでしかないな。
581 :
日本@名無史さん:04/03/17 07:22
>>580 それが基本的には世の中の真理だからね。
だからといって社会主義を信仰している訳では無いからな。
そうなると言う蓋然性はあっても絶対にそれを経なければならないと必然性はないでしょう?
583 :
日本@名無史さん:04/03/17 14:38
>>582 だから『基本的には』なんですよ。
ドイツで社会民主主義が成立したのも、マルクスの唯物史観、破壊行動的共産社会実現構想に幾分か狂いが生じた為。
例外は起こりうる。しかし、碌な教育も受けていない、自由が欲しいだけで何もわからない民衆に、近代民主主義みたいな高度な統治が出来るとは到底思えません。
『理想』だけでは動かないというのは、『自由主義者』どもが集まりながら実質的に何も出来ないままうろうろしたフランクフルト国民議会を見ればわかる。
理想があってもまとまりが無ければ民主主義は愚か専制政治だって出来やしない。まとまりも無かった一揆衆にそんな芸当が出来るものですか。
584 :
竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/03/20 16:44
585 :
日本@名無史さん:04/03/22 23:51
>>144 共和制?おもしろそう。説明、解説してー
586 :
日本@名無史さん:04/03/29 13:16
age
587 :
日本@名無史さん:04/04/03 15:05
あげ
588 :
日本@名無史さん:04/04/10 15:28
信長の野望シリーズもなかっただろう
何とかの野望で斯波氏のマイナーな家臣に織田某が出てきてプレイヤーに使えネーと
文句を言われただろう。
590 :
日本@名無史さん:04/04/25 10:59
光栄も困っただろう
591 :
日本@名無史さん:04/05/17 12:00
こんなスレがたつこともなかった
592 :
日本@名無史さん:04/05/18 11:08
おそらく武田信玄が短命だが幕府を作ったろう。
そのあと、毛利がやはり覇権を握ったと思う。
おそらく大大名の寄せ集まりの室町幕府程度の混乱政権。
しかし必ず外国の優秀な鉄砲と大砲、軍制に注目する人間は現れただろう。
そして。
593 :
日本@名無史さん:04/05/19 13:15
ルイス・フロイスは、どこに行くんでしょうねぇ。
594 :
日本@名無史さん:04/05/19 13:36
三戦板に同じスレがあるんだが・・・
595 :
日本@名無史さん:04/05/19 19:03
いずれにせよ、外国の大砲と鉄砲、戦争思想の発達は、鎖国をしていない日本に戦乱を生むだろう。
ナポレオン的な人物が現れた可能性も高い。
596 :
日本@名無史さん:04/05/20 10:33
少なくとも織田信長がいなかったら
一向宗などの宗教勢力の力が強く、政治、経済を大きく圧迫していたと思う。
キリスト教などを防ぐため、日本は閉鎖的だっただろう。
信長がいなくて日本の歴史が100年遅れるとすると、
今ごろバリバリの軍国主義なわけでつね。
南無八幡大菩薩、漏れが徴兵に引っかかりませんように。
598 :
日本@名無史さん:04/06/01 20:07
age
今日は織田信長と、織田信忠の命日です。
信長享年49歳。信忠享年26歳。
1582年、6月2日、本能寺の変で、自刃(自害)。
600 :
よく見りゃ似ているこの二人:04/06/02 13:58
601 :
日本@名無史さん:04/06/04 21:58
信長がいなかったら、
戦国時代は長引いてたと思う。
そして、清朝の属国になって、天皇色の強い武家政権の樹立、が漏れの意見。
もともとなんで日本列島で戦国時代なんてマターリ(?)できたのかと考えてみると、
中国明朝が鎖国政策をとってて、
日本的には外圧がなかったからだと思った。
んで、世界史の資料集を見てみたんだが、
中国の清朝(後金)が1616年に興り、1620年には朝鮮に侵攻。
1636年に李氏朝鮮を属国にしてる。
この時、徳川幕府がなくて、鎖国政策もない、戦国時代が続いていたら、
清朝は日本に攻め込んだ、と言ってみるテスト。
外圧に危機感を募らせた諸大名は、天皇を担ぎ出して、200年早い明治維新w
漏れが分からんのは、
1、1630年ぐらいまで戦国時代は続くのか?
2、続いてた場合の勢力図
3、清朝の対日政策
1、2あたりはこのスレで散々議論されてきた感じだけど。
明治維新はさすがにネタだし、清朝の属国化云々も分からんが、
徳川幕府よりかは天皇色の強い武家政権はできたんじゃないかな、
と思った訳であります。
602 :
日本@名無史さん:04/06/04 22:29
がーん、漏れ加藤敬子さんと同中だ。。。
宇都宮で噂が流れてて、もしやと思い、アルバム見てみたら。。。
話したことはないが、明るい感じの子だった。
なんかショックだ。
卒業の文集も読んでみた。
中学時代に得た友達の大切さが書いてある。
文章の最後は、読んでて泣いた。
「中学校で得たすべてのものが、今の私をつくっています。
これは永遠に消えることはなく私の心の中で生き続けていくことでしょう。」
マジで合掌。
604 :
日本@名無史さん:04/06/05 20:01
>>601 キミの2ちゃん語だらけの文章は、その稚拙な予想や
歴史観をさらに幼稚な寝言にしているな。
自説に対する自信のなさを2ちゃん語でごまかして
いたのでは誰もレスなんてしてくれないよ。
605 :
日本@名無史さん:04/06/05 22:08
>>604 仮に稚拙だったとしても自分の意見を言ってるだけ
お前よりマシ。
そもそもが歴史のifに関する仮説なんだから、
多少妄想臭くなるのは避け得ないだろ。
人を馬鹿にして
自分の優越感を満たしたいだけのレスなんぞするなや、ボケ。
>>603 清よりも、当時現実に日本に来航していた
ポルトガルやスペインの方が先に問題になるんじゃないか?
内戦状態にある国が他国に介入されると決まって衰退するので、
日本属国化ってのも充分に考慮する余地の有る可能性だと思う。
606 :
日本@名無史さん:04/06/06 17:27
>>605 ほほう、論点のすり替えですか?
俺はキミの文章が2ちゃん語使用で稚拙になっていることを
指摘しているんだよ。まぁ中身もクソなのは言うまでもないが。
「歴史のif」をどうこう言ってるのではないよ。
説の組立が論理的でないし、当時の日本および周辺国の情勢に
対する認識や観点が欠落しているのに安易に仮説を立てるから
稚拙だと言ってんだよ。
>>603へのレスでも早速バカ言ってるし・・・
607 :
日本@名無史さん:04/06/06 17:33
窪塚洋介さんが飛び降り 意識あり、マンションから
6日午後零時10分ごろ、神奈川県横須賀市西浦賀町のマンションで、9階のテラスから
俳優窪塚洋介さん(25)が飛び降りた。
窪塚さんは約26メートル下の芝生に落ちて負傷。病院に運ばれたが意識はあるという。
浦賀署は自殺未遂の可能性もあるとみて、詳しく事情を聴く方針。(共同通信)
608 :
日本@名無史さん:04/06/06 18:57
609 :
日本@名無史さん:04/06/06 20:23
>>606 それじゃー当時の日本および周辺国に対する認識が欠落してない
論理的な仮説とやらを聞かせてもらおうじゃないの。
人の仮説を稚拙呼ばわりするなら、
その前に自分の視点を提示しろって言ってんだよ。
ちなみに
>>603ってのはレス番を間違えただけ。
紛らわしくてすまんね。
でも601≠605くらいは話しの流れで分かれよ。
>604
あなたの意見は図星でした。
私は自らの考えの稚拙さを誤魔化してました。
指摘してくれてありがとう。
>605
>ポルトガルやスペインの方が先に問題になるんじゃないか?
>>115-116、
>>154-156、
>>166-171、
>>561-563、
>>568などを読んで、
>601となりました。
>内戦状態にある国が他国に介入されると決まって衰退するので、
同意です。
>606
>601≠>605さんです。
>まぁ中身もクソなのは言うまでもないが。
クソであることを「論理的に」説明してください。
「言うまでもない」としている、ということは、
そこには「明確な根拠」があると思いますので、挙げてみてください。
>説の組立が論理的でないし、当時の日本および周辺国の情勢に
>対する認識や観点が欠落しているのに安易に仮説を立てるから
>稚拙だと言ってんだよ。
・当時の日本の情勢
・周辺国の情勢
について、特に清朝の対日政策について、知っているならば、教えてください。
611 :
日本@名無史さん:04/06/07 08:12
浄土真宗中心の宗教国家!
つーか信玄や謙信が何よ?
信長最大のライバルは本願寺でしょ?
信長がいなけりゃ彼らが日本を統一するの当たり前じゃん!
鉄砲の保有数も馬鹿にならんよ?
金もたっぷり。
阿弥陀如来様マンセーの国になって、その勢いで海外に進出。
今や現代はキリスト教圏とイスラム圏、浄土真宗圏の三つに分割されておる!
612 :
日本@名無史さん:04/06/16 20:09
本願寺が天下統一か。
顕如、教如あたりにそゆう意志があれば、もしかして可能だったかも、かも。
信長と対立したのは、石山の城を明け渡せと要求されたからだし、
統一のビジョンを持っていたとは考えにくい。
613 :
日本@名無史さん:04/06/16 22:26
統一のビジョンを持っていたとしても、戦略は信者の一斉蜂起を促す位しか出来なかったと思う。確固撃破されるんじゃない?雑賀党もいつまでも黙って従ったかどうかも怪しいし。
もし信長がいなかったら〜
今川義元が京に上り、今川が畿内・東海を支配。
西は毛利が台頭、東は上杉、武田、北条あたりがせめぎ合い。
日本全国統一させる為には、たえず戦争ができる軍隊が必要だがそれを組織運営
できる大名はなく、また遠征するとなれば補給がしっかりなされなければならない
が、またそれも可能な大名はなく、いわゆる辺りを支配して、はいそれまでという
既存の大名体系が続く。
そうこうしている内に、イエズス会が『日本という国は、支配するのにまともに
抵抗できるような組織軍隊は存在しておらず、植民地化可能である』という文書
が本国におくられ、鉄砲などの兵器で装備していない日本武士はあっけなく敗北。
あ、あと坊主が韓国みたいにのさばってるだろうな。
たしか、韓国の坊主の後継者争いだったかなんかで、ひどい醜い争いしてたな。
まさに金と権威って感じだったな。
オレは当時の坊主や信者には可愛そうだとは思うが、信長の戒めにより
今の日本の坊主は、イイ感じになってると思う。
当時の節度ある坊主も、驕り高ぶってた罰が当たったのだとか言ってたとか言わなかったとか
>>614 鉄砲は、信長がいなくても、そこそこ普及してゆくと思う。
それと外国からの侵攻があれば、それに対抗するためにまとまってゆく可能性もある。
>>616 そだね。 ちょっと考え方が極端すぎました。
>>615 今の日本の坊主は…っていうけれど、本来宗教家ってあんなもの。
韓国のに限った事じゃない。
619 :
日本@名無史さん:04/07/12 11:36
もし、江戸時代が続いてたら
明治維新などがなかったら
日本はいまだにちょんまげしてる侍がうろうろしてるのか?
621 :
日本@名無史さん:04/07/13 01:01
確かに、信長がいなったら日本はもっと宗教色(特に仏教)の強い国になっていたはずだね。これだけは確実に言える。
どっかの国みたいに21世紀になっても、殉教者や自爆テロが起きていたかも知れない… 信長は宗教(仏教)戦争を制した点で言えば、日本史上希有の英雄だね。
>>621 信長自身からして宗教色が強いのだが・・・。
ありきたりな「信長の功績=政教分離」の評価とか見ると、アフォかと思う。
信長が目指したのは政教一致であって政教分離ではない。
信長の安土城下での施政は、門前町・寺内町の模倣。
楽市楽座は門前町・寺内町の楽市楽座の模倣。
安土城は既存の建造物の模倣・移築の集合体。
信長の政治方針自体が場当たり的な模倣。
信長のオリジナルとされる長槍密集戦法は、土一揆の模倣。
信長のオリジナルとされる鉄砲三段構えは、
中国の弓兵がすでに三段構え戦法を行っていた。
雑賀衆がすでに鉄砲三段構えを行っていた。
信長の功績は地下人の政治・軍制を武士階級に導入したこと。秀吉を見出した事。
それだけ。
625 :
日本@名無史さん:04/07/13 01:40
信長の政治は室町幕府の人材をそのまま流用した模倣物。
革命児・先駆者とか言ってるヤシを見ると、もうね、アフォかと。
信長が革新的で近代的な政治哲学・世界観を持っていた
とか言って褒め称える馬鹿は、1回氏んだ方がいい。
627 :
日本@名無史さん:04/07/13 02:14
>>626 別に信長の全てを褒め称えるつもりはないが、宗教相手に徹底的に対抗したのは信長が最初ではないかな?(足利義教のマネと言われそうだが)
後の秀吉や家康がキリシタンにあれだけ弾圧できたのは、信長のやり方を見ていたから出来たんじゃないかな?
良かれ悪かれ、日本人の宗教感覚は信長の出現でそれまでとかなり変わったハズだよ。他の同時代の支配者ではできなった事を信長は行動し、一つの歴史を残した事には変わりない。
>>627 >日本人の宗教感覚は信長の出現でそれまでとかなり変わったハズだよ。
変わったことを示す文書とかあるの?
第一、影響があったとしてせいぜい中部・近畿・中国限定でしょ。
ましてや現在の首都圏たる関東にはまるで影響ないでしょ。
放火によって家が新築されたからといって放火を評価すべきでない。
信長厨は背筋が寒くなることを平気でいうね。
切支丹弾圧を積極評価するイタい信長厨の論理にのっとれば、
松永弾正の東大寺大仏殿焼失も、日本人の宗教観に影響を与えたことになる。
ぶっちゃけ、信長の宗教政策によって宗教観が変わったのは本願寺の上層部だけだろう。
一般門徒の信仰心を転用しないよう教化方針が転換された程度。
草の根の一般門徒の宗教観自体はなんら変わってない。
信長自身、比叡山焼討の正当性の根拠を
当時の知識人である神道系の吉田兼見にもとめており、信長の独創ではない。
いつの時代にも僧侶・法門に対する軽蔑・憎悪は存在している。
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゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
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【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
age
632 :
日本@名無史さん:04/08/25 04:37
>>629 信長厨も痛いが君も・・・。
信長は別に発明家ではないんじゃないのかな?
それと、信長厨?以上に信長を考察や研究しないと、
反論すらどうしようもないではないと思うのだけど!?
君だって煽るだけだと戦国厨なのではないの?
またその後の秀吉や家康の宗教政策は言及していないけど?
わずか天正期の事だけをもってぶっちゃけ変わっていないといわれても・・・。
あと貴君は安土宗論とかはどう考察するの?
貴君の文面で天正期のみだと、それこそが信長厨になってしまいますよ・・・。
そもそも「宗教観」が変わったって・・・。説明も意味もわかりません。
その後の真宗では阿弥陀専心で法主絶対は何も変わっていないし、
君の説明では言及もしていないですね?
その文面から読み取ると、「布教方法や方針」が変わったっていう事ではないの?
(専門用語は省きますね)
>>632 要旨をまとめてから質問しよう。
>>629が全く触れてもいないことについて脳内補完するのも止めよう。
>ましてや現在の首都圏たる関東にはまるで影響ないでしょ
ヴァカ発見!ツッコミどころはここだけじゃないしw
そこで必要なのはツッコミじゃなくて具体的な反論だって。
636 :
日本@名無史さん:04/08/28 18:03
____
/ D \
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|∵∵/ ○ \|
|∵ | __|__ |
\| \_/ / < うるせー バカ
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│∵∴|_____|:|
| :/∵|_____||_|
○ |∴ \____/ |_)
|∵∴∵Λ∵∴/
( ̄ ̄ ̄)( ̄ ̄)
637 :
日本@名無史さん:04/08/30 23:56
織田信長がいなかったら?
そしたら、斉藤義龍(だったっけかな?)あたりが
今川義元を討ち取るんぢゃないか??
638 :
日本@名無史さん:04/08/31 13:54
>>637 桶狭間の時に、ピクリとも動けなかった義龍に、義元を討つことなんか無理無理。
639 :
日本@名無史さん:04/08/31 14:25
武田の騎馬隊もいなかったわけだし、織田の大鉄砲隊ってのも嘘。
信長は着実、確実な戦略家。鉄砲隊も騎馬隊も江戸時代の創作。
それほど優れたシステムを誰も継承しなかったのは何故?
640 :
日本@名無史さん:04/08/31 15:16
641 :
日本@名無史さん:04/08/31 16:38
地方から攻め上ってくる大名は周囲国との折衷で忙しかったからなぁ
俺が考えるに三好家を簒奪成功させると思われる松永久秀が筆頭かな。
畿内を押さえて本願寺勢力と和を結ぶことが出来ればある程度の大勢力を
築くことはできたと思う。ただ細川政権並の権力を握れたかどうかは分からない。
次席は斉藤道三。
信長がいなければ斉藤家が尾張を攻め取ったと思われるので、上洛の足がかりになる。
信行が家督を継いでいたら、廃嫡にされた信長は井ノ口をぶらついていると思われるので
道三は信長を擁して尾張を攻撃していたかも。ただやはり信長に道三が感化されると
思われるので、斉藤家の重鎮に押された信長が義龍の野望を打ち破ることが出来れば
道三の天下は間違いなかった。
三位は明智光秀
信長の影響外で足利義輝は三好長慶、松永久秀によって倒されるので、足利義昭が
どこに向かうかが焦点になる。最初は史実どうり朝倉だが、その後は美濃尾張を掌握した
斉藤道三を頼る予想は付く。義龍亡き後の道三・信長義父子に光秀が翻弄されるか、
信長がいなければ、頓死する義龍とその後の竜興より斉藤道三の寿命が勝負になる。
信長が斉藤家臣で生きていれば当然信長が将軍を利用して実権を握ろうとするし
信長がいなければ明智光秀が斉藤家の束ね役となって足利義昭を擁していたと思う。
道三が長生きすれば、やっぱり義昭は追放されるだろうが光秀の重用は間違いないかと。
なんだかんだで歴史の本流は変わらないな。
今川義元が斉藤道三に勝てるとも思わないし。
織田家を握ってなけりゃ信長はただのいかれたごろつき。
豊富な資金に物を言わせて鉄砲やら買いあさったからこそ道三は信長を警戒したんだし。
道三が信長に感化されるというのはありえない。
せいぜい尾張侵攻の旗印に使われるくらいなもんだ。
643 :
日本@名無史さん:04/09/01 14:19
>>642 少なくとも信長が家督を継ぐ前に濃姫が織田家に輿入りしたのだから
廃嫡にされれば斉藤道三にとっては尾張を攻め取る理由付けができる。
旗印でもなんでも信長ー道三ライン構築のために信長は一興設けただろう。
それに平手政秀も切腹せずに斉藤家臣として生きていただろうな。それに
信長の家は所詮は尾張織田家の分家。信長がいなかったら信秀が死んだ
時点で潰れていた可能性が高い。
今川義元が尾張に侵攻するタイミングは信長を侮っていたうえであのタイミングなのだから
斉藤家よりも先に尾張に侵攻していたとは思えない。仮に道三の尾張征服後だったら
今川義元は京に上ることは考えないと思う。
信長がいなかったら義龍は謀反も起こさなかっただろうし、急死するので
家督もつげなかった。道三が斉藤家当主のまま、京都で三好長慶か松永久秀と
合戦しててもおかしくないと思うが。
644 :
日本@名無史さん:04/09/04 00:49
熊の若宮って作り話なの?
645 :
日本@名無史さん:04/09/04 12:39
唐突だが、ルネサンスの本質というのは宗教の政治介入を拒否することだったんだ。
これによって権威と権力が分離され、科学技術や庶民文化の発展する素地ができた。
そして欧州のルネサンスとほぼ同時期に日本で起こったのが比叡山の焼き討ちである。
これがまさに日本のルネサンスに相当するものであり、以降、宗教が過大な権力を
持つことは無くなり現在に至っている。
もし信長という為政者が存在せず、比叡山の焼き討ちが無かったとすれば、
この国はアジアやイスラムにありがちな宗教国家のままだったに違いない。
江戸時代に庶民の文化が花開くこともなかったであろう。
宗教は科学技術に優先され、明治の産業革命は実現しなかったかもしれない。
まさに信長は日本史上最大の革命家だったといえる。
別に信長がやんなくったって
宗教勢力は力を失ってたと思われ
647 :
日本@名無史さん:04/09/04 14:01
>>645 宗教の政治介入と言う点なら、ローマ教皇はルネサンスのはるか前に
実質的な権利は無くなっていたと思うが。
信長は日本史上最大の革命家→宗教弾圧者
649 :
日本@名無史さん:04/09/04 17:19
>>645 あたかも宗教者がヨーロッパ的抑圧を行っていたかのような答弁だな。
むしろ、寺内町・門前町などで経済発展・庶民文化が花開いていており、
その「経済的旨味」と「封建否定の脅威」を認識した織田信長が一元化(横取り)を画策したのが実態。
宗教勢力によって手厚く保護された人民を手懐けるために、
自らを神とし、安土城下に門前町の機能を加えようと試みた。
信長の斬新さは、まさしく手段を選ばない柔軟な財源確保である。
・・・なぜ、信長信奉者はこの圧倒的な独創性を讃えないのだろう?
信長は、浄土真宗・法華宗以上の情熱でもって政教一致の流れを加速しようと試みた傑物である。
政教分離と正反対に向って邁進した革命家なのだ。
なんの本で読んだか知らんが、
>>645は強烈な電波の影響を受けてるようだ。
政教分離と文化振興を安直に結びつけるアフォには、世界の民族・文化を理解できないし、
むしろ間違った世界史観をもっていると言える。
こういう手合いには、間違っても外国人と交流してもらいたくない。
軽蔑の対象にされかねないからだ。
650 :
日本@名無史さん:04/09/04 17:31
アメリカ大陸に渡った初期の開拓者たちが、ヨーロッパでの迫害を逃れてきた
強い信仰心を持った人々だったことを知らない馬鹿。
宗教改革は、新教徒によって行われたのであって無神論者によって行われたのではない事を知らない馬鹿。
現代アメリカの拡張主義の背景に宗教的使命感があることを知らない馬鹿。
それが、信長信者。
日本の戦後教育の誤り(共産主義の影響)が日本人の外国観を現実離れしたものにした。
>>649 信長の独創性とか言い出さなければ納得できたけど。
652 :
日本@名無史さん:04/09/04 23:56
>>651 そんな事ない。
信長が別の意味で、現代人の平凡な感性から抜け出していたのは事実。
その方向性は、現代人の価値観に沿ったものとは限らない。
「信長は政教分離をした」などと安易に断定するのは間違っている。
実際はむしろ逆なのだということを認識する必要がある。
そして、その行為が現代の価値観にそぐわないからといって
独創性がないなどと決め付けてはいけない。
徹 底 し た 政 教 一 致 こ そ 信 長 の 独 創 性 な の で す 。
そもそも、仏教弾圧をやってのける人間が無宗教のはずがない。
「ある宗教を攻撃するには、それ相応の確固とした宗教観をもっていなければならない。」
大蛇探索などのエピソードなどからも、彼の自然観・宗教観が窺える。
このことが理解できない人は、自然科学が宗教から派生したという事実さえ知らないに違いない。
現代人の先入観として科学と宗教は相容れない対立する存在であると思い込みがちである。
実際は逆である。これは私見などではない。大学教養以上を履修した者にとっては常識の範疇である。
多くの大学の教養科目において自然科学の起源について学ぶ機会があったはずである。
話は変わるが、共産主義諸国は、無宗教を信奉し、各伝統宗教を徹底弾圧した。
「ある宗教を攻撃するには、それ相応の確固とした宗教観をもっていなければならない。」
という現実を踏まえて考えるならば、
共産主義自体が独善的宗教の側面を強烈に持っていることを踏まえておく必要がある。
いや、別に信長が政教分離を目指したとかそういうことを言ってるわけじゃないし。
宗教を利用したことは信長の独創でもなんでもないというつもりで書いたんだが。
ちゃんと文読んでます?
>>654 徹 底 し た 政 教 一 致 こ そ 信 長 の 独 創 性 な の で す
日本語読めてますか?
656 :
日本@名無史さん:04/10/01 01:16:43
657 :
日本@名無史さん:04/10/22 08:28:08
北条は、無敵。氏康がいたらね。多分、氏康が長生きするのであれば、
確実に領民や各国の武士は北条に味方する。
逆そうして、東北の伊達が滅びる。
658 :
日本@名無史さん:04/10/22 09:11:15
信長って元々は神官の家系やなかったの?
659 :
ジパング:04/11/13 23:10:57
日本消滅
今川が天下を取って蹴鞠が国技になり
日本がワールドカップで優勝します。
661 :
日本@名無史さん:04/11/14 21:24:07
永禄5年、今川・武田。朝倉・北条連合軍が上洛。三好の領土
は、細川幽斎が支配。将軍足利義輝・関白近衛稙家体制の下、
足利幕府立て直しがなるでしょう。
662 :
日本@名無史さん:04/11/14 23:51:06
>>657 そうは思わない。よく調べると氏康は戦略、外交と調略が下手。
氏綱がせっかく纏め上げたものを、氏康は纏めきれてない。
また駿東と上州を取られてしまった為に五色軍団制も崩壊しているし、平将門に近く長期的な戦略にかけ大親分的である。
それと三税も飢饉によって百姓をなんとか把握する為に作ったものの、氏康の頃の評定衆は武闘派が多く実行力がなく流民を発生させている。
それに伴い寺社と職人をも実は掌握ができていない。横領や組み込めなったからだ。
上杉はおろか武田、里見、足利家等と収拾したのは評価が低い氏政である。
さらに鉄砲も九州大名並みに揃え、組織戦でトタンに領土拡張している。
スレの流れを読まずにカキコ。
信長がいなかったら、
「猿、草履をよこせ!」
「それが人にものを頼む態度なの?」
のCMが製作されず、部下に恵まれない上司が増える。
つまり日本の不況は長引くのである。
派遣会社も不況の一因になってるんだけどな。
ヒトラーがいなくても世界の歴史は変わらない
信長の代わりになる人はいないの?
実際んとこ信長がいなくても別に対して変わらないだろうけどな。
天下統一したわけでも海外浸出したわけでもないから。
秀吉や家康じゃない他の誰かが天下統一するってだけの話だ。
668 :
日本@名無史さん:04/11/25 20:07:33
あの当時、信長のほかに天下統一を考えた奴も、その能力のある奴も存在しないのだが(w
意思や能力よりも状況の方が重要だろ。
671 :
日本@名無史さん:04/12/03 03:11:32
マジレス
三好三人衆か松永が添加とってたかも
松永に天下人は無理。
他の人が台頭するきっかけを作る荒らし屋にはなると思うけど。
674 :
日本@名無史さん:04/12/07 01:48:25
松永は、信長の上洛前、三好に負ける寸前だったから、
信長がいなかったら、その時に滅んでいる。
三好は、またどうせ内紛を起こすし、京都周辺を押さえても天下取りは無理。
675 :
596:04/12/07 02:10:04
一向宗はムリですか?
676 :
日本@名無史さん:04/12/07 02:32:33
ざーと見せてもらったが、なんかこのスレ面白い
677 :
日本@名無史さん:04/12/07 03:06:17
今川の家臣となった家康がくらいに 氏真を利用して天下人に。 信長がいなくても 1600年以降からは通常の歴史と同じようになるような気がする
678 :
日本@名無史さん:04/12/07 03:11:50
通常の歴史も 秀吉にへこへこしてた家康が、秀吉没後にうまい具合に豊臣に反旗を翻した。義元没後でも家康は同じことをやりそう。ちなみに作家の井沢は信長いなければ、今川と伊達が天下を争うと言ってた
679 :
日本@名無史さん:04/12/09 03:07:29
>>678 今川はとにかく、伊達をあげるなんて、伊沢も結構ぼけてるねえ。
>>675 無理。
他の宗教勢力との対立もあるし、
各地の大名とも敵対しているし、いずれじり貧になる。
681 :
日本@名無史さん:04/12/26 02:31:29
本願寺と徹底的に戦ったのは信長と、その子分の家康くらいなもの。
各地の大名は、本願寺勢力と妥協の道を探っていた。
それほど、強力なエネルギーを持っていた。
いずれ、加賀のように打倒される大名もたくさん出ただろう。
本願寺による天下統一は、ありえない話ではない。
もしそうなったら、現代にまで禍根を残していただろう。
はい?
信長だって最終的には講和で妥協しましたが。
まあ、他の勢力が信長よりも譲歩して、
一向宗の政治的影響力が残存する可能性はあるし、
それだけでも後世への影響は甚大だと思うが、
統一するなんてのは現実的ではない。
683 :
日本@名無史さん:04/12/27 19:40:13
>>682 >>信長だって最終的には講和で妥協しましたが。
信長は、本願寺を石山城から退去させ、
武装勢力としては再起不能にまで叩き潰しますた。
宗教としての存続を許したが、他の大名のような安易な妥協とは違う。
信長によって初めて、日本の仏教は政治・軍事から分離されますた。
信長がいなかったら、本願寺による天下統一は、可能性小さくない。
少なくとも、武田や伊達などよりは・・・(w
石山(大阪)に城を築き、武装し、戦国大名と変わりない。
しかも、経済力は大きいし、雑賀の鉄砲衆を傘下にして、勢力は強大だ。
足りなかったのは、指導者に天下統一の理念がなかったことだが、
顕如の息子の教如は野心家だったようだが、どうなのかな?
>>683 確かに一向宗は戦国大名とあまり変わらない状況だったようですね。
ずいぶん前から細川や三好と一進一退の攻防を続けていたはずです。
しかし、要するにそれは戦国大名も無視できない勢力ではあったが、
他を圧する大勢力というほどではなかったということです。
それに一向宗という宗教勢力が拡大するには、他の宗派との対立という問題があります。
実際、一向宗は細川と結んだ法華宗一揆に山科本願寺を焼き払われています。
ちなみにこの法華宗一揆は、その後やはり細川らと結んだ延暦寺に滅ぼされており。
全体を見ると、宗教勢力は宗派間の対立をつかれて上手いこと利用されてしまっている感じです。
一向宗に限らず宗教勢力が大きな力を持つためには、どうしてもこの問題を解決しなければならないから、
その分ハードルは高くなります。
そもそも日本の歴史において、武家が武力で政権を取ったことは過去にありますが、
寺社の一宗派がそれに成功したことは一度もありません。
このような前代未聞の大革命ともいえるようなことをやってのけるには、
信長を遥かにしのぐ大人物が一向宗の指導者にでもならない限り不可能でしょう。
それは大作先生のことか?
今や自民党は大作様の力添えがないと選挙に勝てない状況だからな。
創価学会が日本の明日を担う日は近いな。
686 :
日本@名無史さん:05/01/09 10:18:17
ほしゅ
687 :
日本@名無史さん:05/01/23 12:23:14
688 :
日本@名無史さん:05/01/23 20:52:03
島津は遠かったから それが幸いしただけ
要はまともに相手にされてなかったということ
んな僻地取ったってしょうがないよ
689 :
日本@名無史さん:05/01/23 21:03:59
ていうか、信長そのものが取り行く前に殺されるだろ
690 :
日本@名無史さん:05/01/23 21:30:28
信長はアイヌ系だろ?
日本の美男美女の家系はたいていアイヌ系だ
信長は髭は濃くないのでアイヌ系ではない。
692 :
日本@名無史さん:05/01/24 13:31:12
アイヌには信長のような極悪人はいません。
693 :
日本@名無史さん:05/01/26 11:30:24
>>691 あまり知られていない、
外人が書いた肖像画を見たけど、
モロ縄文系だった。
東日本は、たいてい北方縄文系でしょ。
天皇の子とかが東日本に土着したわけだから。
アイヌとは北海道の北方縄文系の事。
例えると、
北方縄文人=ロシア人・東ヨーロッパ人(広いひたい・深い彫り・二重まぶたの大きい目・高い鼻)
渡来人=モンゴル人(せまい、ひたい・真っ平な顔・一重まぶたの細い目・低い鼻)
縄文系の方が、美男・美女。
694 :
日本@名無史さん:05/01/26 11:31:28
戦国時代、日本の鉄砲保有数は世界一だった。
右府様(織田信長様)が、明智光秀に暗殺されなければ、
日本が世界の中心になっていたのは、間違いない。
右府様が暗殺され、
豊臣と徳川の、みにくい争いの末、徳川が天下を統一。
しかし徳川が鎖国をしてしまった為、
日本は中世以前に逆戻りしてしまった・・・。
明智光秀・豊臣秀吉・徳川家康関係の記念物は破却しよう。
こいつらは、日本をおとしいれた国賊。日本の恥。
695 :
日本@名無史さん:05/01/26 11:39:42
>>693 訂正
例えると、
北方縄文人=ロシア人・東ヨーロッパ人(広いひたい・深い彫り・二重まぶたの大きい目・高い鼻)
渡来人=モンゴル人(せまい、ひたい・真っ平な顔・一重まぶたの細い目・低い鼻)
縄文系の方が、美男・美女。
↓
例えると、
北方縄文人=黒髪・茶髪の、ロシア人・東ヨーロッパ人(広いひたい・深い彫り・二重まぶたの大きい目・高い鼻)
渡来人=モンゴル人(せまい、ひたい・真っ平な顔・一重まぶたの細い目・低い鼻)
縄文系の方が、美男・美女。
696 :
日本@名無史さん:05/01/26 12:55:37
>694
無理無理。日本さえ満足に統一できない小物には。
697 :
日本@名無史さん:05/01/26 20:17:35
698 :
日本@名無史さん:05/01/26 21:48:58
徳川家康は、今川家の忠実な家臣となり日本統一を目指しただろう。
699 :
日本@名無史さん:05/01/26 22:01:15
>>698 義元亡き後、今川家中を2つに割って天下取り。
>>693 >あまり知られていない、
>外人が書いた肖像画を見たけど、
>モロ縄文系だった。
日本人の書いた南蛮図屏風に描かれた外国人は目が細く東洋的な風貌。
画家は対象者を目前にして写生したわけではないので、
画家の母国で広く用いられる描画方法が反映される。
ただそれだけのこと。
東洋人ということでアラビア人風の風貌に近くなってしまったのだろう。
縄文系は白人とは無関係。学術的に証明済み。
「収斂」という単語でググれ。
一部の現代アイヌ系日本人が歴史的にロシア人と混血していることと混同しないように。
半ば宗教のように語られる「縄文人=白人説」は、はっきり言ってキモイ。
701 :
日本@名無史さん:05/02/24 21:05:12
西洋人が描いた絵は、どうしても西洋人っぽい風貌になるわな。
702 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 17:08:54
遺伝子レベルでは縄文・アイヌ系はむしろコーカソイドに近い。
弥生系は東南アジア人や中国・朝鮮人と近縁。
703 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 08:19:22
信長がいなかったら、今川義元が天下を取って将軍になっていた。
で、彼の後を結局家康(その場合は元康を名乗るわけだが)が継ぐことに。
今川幕府は幕末まで続く。
徳川将軍でなく今川将軍、あと将軍の代が1代ずつずれるだけで
歴史に大きな変更はない。信長は無意味な存在だったと言うこと。
はいついどうぞ
ハイツ移動ぞ・・・?
706 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 18:31:48
信長はパクリの天才にだ
何一つ新しいことをしてない
天守閣 松永久秀
楽市楽座 六角、今川
巨大城郭 本願寺
鉄砲 雑賀衆
兵農分離 武田信玄
方面軍 三好長慶
人材登用 武田、上杉、三好
宗教弾圧 足利義教
707 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 03:07:13
武田は兵農分離じゃないだろ。
で、これら全部やった馬鹿は他にいるのか?
案外、義元→家康を妄想してる人多いんだなー
家康やっぱり好かれるのな
しかし、だいぶ前は家康信者って義元をさんざんバカにしてたくせに
義元が再評価されてきたら「義元は良かったが氏真はだめだ」に切り替えて
「桶狭間がなくても後継は家康だ」とか言い始めるよな
ま、そのへん家康信者は家康に似てるとも言えるかな
>>709 桶狭間の討死ばっか目立って施政に注目されたかったのは確かにあるが
別に家康信者ってわけでもないだろ
というか、義元は良かったが氏真はだめだ、
ってまんまその通りじゃないか。
712 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 19:50:44
徳川秀忠より氏真の方が優秀に思うのだが。
まあ、氏真は家督を継いだ状況が急だったから、公平に評価は出来ないが。
あくまで実績で評価するなら圧倒的に秀忠だな。
714 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 21:50:59
氏真の施政も最近の評価は悪くない、むしろ隣国が武田だったのが不幸の元。
715 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 00:34:49
結局 秀吉が天下取ってるでしょ!
信長の下じゃなくてものし上がる男だろ!
716 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 00:54:41
717 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 21:41:55
718 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 22:13:20
715お前は馬鹿か。もし信長がいなかったらきっともう少し戦国時代が長引いている。
いえることはそれだけ。
>>718 戦国時代は長くなるだろうけど、戦死者の数は信長がいない場合の方が少ないだろう。
戦国時代のほとんどの戦争は印石打ちを主とした遠距離戦。非戦闘員が殺害されることも稀だった。
信長が上洛した頃から、戦死者や非戦闘員の死者が増えるようになったのは否定し難い事実。
720 :
719:2005/05/03(火) 02:36:19
>>719の訂正
×印石打ち
○印地打
ついでなので、季節物・歴史物のトリビアネタ
【室町時代の京都では、端午の節句に、庶民によって印地打が行われていた。】
常識的に考えてたった一人の人間の存在で歴史が大きく変わるなんてことはない。
Aさんがいなかったら、Bさんが変わりに似たようなことをやっていた。
それだけ。
家康、秀吉は信長がいたからこそ有力になれた。信玄はどのみち死亡。息子勝頼は駄人。やはり信長のように日本だけではなく世界統一をも考えてた男だろ。つまり伊達だな!!
>>721 科学的には全く逆。
どのような些細な事柄でも複雑な要素が絡み合う場合には、
結果的にとてつもない影響を与えることになる。
幾万もの人間がかかわりあう歴史においてはそれは極めて顕著なものになるだろう。
不確定性原理とかバタフライ効果とか勉強してみるといいよ。
724 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 01:25:10
725 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 00:49:25
日本は3つの国に分かれていただろう。
駿河、尾張、近江、紀伊、甲斐は武田が統一。
関東、越前、越後、東北は上杉が統一。
畿内から中国、四国、九州は毛利が統一。
3者の勢力は拮抗し、400年続く。
北九州と山陰の一部は朝鮮民族に支配される。
726 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 16:12:33
>>721 ナポレオンがいなければ?
ジンギスカンがいなければ?
ヒットラーがいなければ?
源義経がいなかったら?
中臣鎌足がいなかったら?
728 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 03:02:13
逆説風に言えば本願寺が直接間接に支配して宗教国家になったヨカーン
たとえ伊達や家康がきてもローマ法王みたいな感じになったと思われ
>>728 他の宗派が黙っているわけないでしょうが。
一向宗は別に日本の宗教界を代表しているわけではないのですよ。
領内で一向宗が盛んな大名はほとんど一向宗と対立しているし、
一向宗のいっそうの発展は難しい。
730 :
Ж:2005/06/19(日) 07:39:29
今,NHK教育TVを見てるが信長軍はアレクサンドロス軍と似ている,
1,職業軍人を作った(日本初)
2,長槍部隊を作った
職業軍人なんて大昔からいるが?
雇われ兵的な存在としての足軽だって応仁の乱からいるし。
732 :
Ж:2005/06/19(日) 15:14:52
>>731 アレキサンダー軍もそうだが信長軍が強いのは農作物の収穫に関係無くて
戦争をする事が可能な日本で初めての軍隊だった訳ね‥
信長以前は農作物の収穫の合間に戦争をするみたいな感じだったんだよね,
信長軍が勝ち続ける理由のひとつで画期的だった訳なのよね。
733 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:43:09
今時ワロス
いまどき農繁期云々は酷いw
>>732 もう察しているかもしれませんが、
信長以前は収穫の合間に戦争をしていたなんて事実はありませんよ。
736 :
Ж:2005/06/19(日) 22:59:57
織田軍の事を知らないのとは相手する気にもならないわ。
737 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 09:18:24
ちょっと歴史小説かじって書いてみたような信長賛歌だな・・・
結論を否定する気はないが途中はツッコミ所多すぎ
>>727 義経は別に居なくてもよかったけどな(テヘ
信長についての幻想ってのは根強いね。
確かに歴史上重要な役割を果たした偉大な人物ではあるが、
何でもかんでも全て独創的で先進的だったと思い込んでいる人が多すぎ。
信長の特筆すべきは合理性でしょうね。
742 :
Ж:2005/06/21(火) 17:08:20
> Ж
高校生?
2chとはいえ日本史板をずいぶん甘く見ておられるようだが
744 :
Ж:2005/06/21(火) 21:32:49
>>743 そうですよ高校生ですよ,おチンチンだけはね(W
TVでもやってたがそのTVを見てない世代
例えば君みたいな小学生も居るかと思ってさ。
>>733 >>734 >>735 は恥ずかしくて出れないんだろうね。
>>743 と多分同一人物じだと思うけど煽り専門の。
いまどき、消房でも鉄甲船を知らないだろ?とは言わんだろ…
747 :
Ж:2005/06/22(水) 00:01:29
>>745 じゃあ,あなたも小学生って事で‥
あるいは小学生レベルかもね?
鉄甲船なんて無茶苦茶有名な話だが。
ゲームだの漫画だのとっつき易いものにも普通に出てくるのに、
知らない方が一般的だと思っていたということは、
そういうものに一切触れたことのない人間なのかね?
歴史を良く知らずにゲームだの漫画だのの知識だけで語る者は結構いるが、
それも知らないとなると珍しいタイプの存在だな。
てか釣りだろ、いくらなんでも。
一瞬真性かと思ったがさすがに釣りだな
sage知らないわけでもなさそうだし
751 :
Ж:2005/06/22(水) 02:43:53
小学生でも知ってるなら大人もレベルは同じという話しさ‥
sageはhageに通ず,HNがずらっと青いのは気味が悪いんだよね。
NHKの次の大河の脇役は秀吉だけどまさかまた信長か?
大河,大河,焦れっ大河!
独特な下町の名古屋人が存在してなかったと思う。
宣教師が書いた信長の絵見たけど、普通のおっさんだった。 お前らが思ってるようなヒーロな面ではなかったけど、
普通に整ってるかっこいい顔。 芸能人でいうとキムタクよりもかっこいい、てか信長の威圧感というか言葉では表せないぐらい
生き生きとした顔つきだったのはたしかだな。
>>754 もう察してるとは思いますが小学生でも分かるものでは
日本史板が舐められてもしょうがないのでは?
(・∀・)?
Жとしては鉄甲船が大発見だったんだろ。だからなんでここの住人が鉄甲船プッて言ってるのかわからないんだよ。
754が何が言いたいのかはさっぱりわからないが。
757 :
Ж:2005/06/23(木) 08:43:58
鉄甲船はTVよりも先にムック本で見ていたな,
アレキサンダー大王と信長は共通点が多い‥
1,残虐な所
2,ワガママな所
信長がいなかったら本願寺が主体的な勢力になっただろう
暗黒時代になったかもよ
残虐で我儘な歴史上の有名人なんて数限りなくいるじゃねーかよ・・・
どう言う共通点の見つけ方してんだよ
しゅたい-てき 【主体的】
(形動)
自分の意志・判断によって行動するさま。自主的。
「―に判断する」
信長がいなかったら本願寺が主体的な勢力になったって意味わかんね。
>>759 スルーしれ…
過去レス見ればわかるでしょうが
762 :
日本@名無史さん:2005/06/24(金) 10:58:51
もう察してると思いますが鉄甲船のように小学生でも分かる知識で威張られてもねー
764 :
Ж:2005/06/25(土) 14:53:57
来年の大河ドラマは山内一豊の妻千代の物語だ。
またとしまつの失敗を繰り返すのかo........rz
766 :
Ж:2005/06/26(日) 07:45:03
>>759 人を怒らせて情報を仕入れる輩は居る,
自分で調べるんだね。
えー
それギャグ?
768 :
Ж:2005/06/30(木) 04:33:28
実際にそういう知人は居たよ,
頭はいいかもしれんが人間としては?
あまり付き合いたくは無いタイプだね。
769 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 15:12:59
横山光輝の漫画 織田信長で女が相撲するシーンは書かれてなかっただろうな。もしそうなってたら俺の初オナヌー
はもう少し後になってただろう
>もし織田信長がいなかったら
違う名前で同じ道をたどる者が出てくる。
歴史上の人物名が変わるだけで、変遷は何も変わらない。
>>770 科学的には全く逆になることが証明されているけどね。
幾つもの要素が複雑に関係しあっている事象では、
ほんの僅かな一要素の変化でもそれが影響しあって巨大な変化をもたらすことになる。
カオス理論とかバタフライ効果とかで調べてみるといいよ。
772 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 20:10:42
普通に疑問に思ったが
過去に存在した人物が、存在しないという事に関して
何をどう科学的に証明できたんだろうか?
科学的にだぞ?科学的に…
質疑自体が設定しようもないのに
「どのような極小さな変化によってでも、
複数の要素が互いに複雑に関係している事象においては、
結果的に巨大な変化をもたらすことになる。」
ということが科学的に証明されているってことよ。
それがカオス理論ってやつ。
それは理論として成り立ってるのであって
科学的に証明されてるとは言わない
証明されているからこそ理論として成立しているのだが?
もっと簡単に言えば、
仮に歴史上で誰かがいなかったと仮定した場合、その後の歴史がどうなるかは、
予測不可能で全く分からない。
というのが科学的な回答ということ。
まあ、理論だの証明だのと言うまでもなく極当たり前のことだが。
で、その当たり前のことを踏まえた上で、あえて歴史的知識と想像力を用い、
こうなる可能性が高いのではないか?とか、こうなってもおかしくないのでは?
みたいな事を語り合うのがスレの主旨ではないかね?
そうみると、
>>770みたいなのは何の根拠も言っていない点でスレの主旨とも外れるし、
その上科学的にも間違っていると。そういうこと。
要はたらればの話
局地的に言うなら、信秀が死に信行が継ぐ、義元に降参し美濃攻めする。
779 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 18:05:48
ハリ・セルダンに聞いてみましょ。
780 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 11:06:23
>>777 あれだけ家臣の大半は信行側についたのは、たぶん信秀が信行を嫡男
として織田家の後を継がせようと思っていたからだろう。(本来の後継者は信行)
信長に謀殺されていず、織田家の家督を継いでいれば 、地理的条件と運だけで
信長があれだけのことができたのだから、そこそこ歴史上をにぎわしたろう。
ただ、桶狭間のような幸運がなければ今川の尾張侵攻は止められず、降参
するか敗死するしかないだろう。
>>780 >あれだけ家臣の大半は信行側についたのは、たぶん信秀が信行を嫡男
>として織田家の後を継がせようと思っていたからだろう。(本来の後継者は信行)
凄い妄想だなw
信秀の死後に家臣が信行に付いたのは、信長のうつけっぷりに飽きれたから
死ぬ前からも呆れられてた、それに本城に住んでる、
母親が贔屓してる、第1の家老と第3の家老を、
教育係として付けてる点をみても信行の跡目相続は、
ありえない話では無い。
家来に殺されたバカな戦国武将って、ほかにいるの??
武将?大名の間違いでしょ。
785 :
Ж:2005/07/12(火) 17:34:34
信長の長槍隊は槍襖もアレキサンダー大王のやり方と似てる,
多分,宣教師から得た知識だろうと思うがね‥
長槍隊はアレキサンダー大王の父親が生み出したものだ
「ここで長槍隊を呼ぼう!」
長槍隊,長槍隊,ハイハイ,ハイハイハイ。
長槍も槍衾も信長以前には使われてなかったとでも?
787 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 01:20:53
信行ではなく信勝だろ。勝家も諱もらっただろ。
788 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 01:53:12
>>787 一般に流布している名前で語っているだけなので、目くじらたてなくとも...
確かに発給文書では「信勝」になっています。
信長公記の信行なので....
789 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 02:56:09
信勝と書くと、勝頼の息子と同名でややこしいので、一般に信行と書くことになっている、、、なんてな
桶屋が儲かる
↓解説よろしく
今川→武田で
武田の配下の松平元康が天下を取ってたと思う。
792 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 12:04:49
松平が今川の一武将で生涯を終わっていたことは確かだ。
ただ、義元が生きているうちはいいが、氏真は将器がないので
どこかの大名と組んで主家を裏切り、穴山梅雪のような立場になるかも?
時期にもよるんでね?
信長が死ぬまでの家康はそこらへんにいるちょっと戦が巧いくらいの武将でしかないし。
794 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:46:02
>>792 そうかい?
洩れは信広か信勝がかなり伸張して版図を広げると思うよ。
美濃、三河を織田版図に組み込む可能性が高いと思う。
んでそれに合力して与力化すると思う。
氏真は鎌倉公方みたいに朝比奈とか担がれるか、若しくは北条に取り込まれるか思うな。
ただ小笠原家みたいになるのは少し可能性が低いと思う。
それと三河の一武将になる可能性が高いけど、織田家は離反が多いから
それに乗じて東海随一の盟主的、戦国武将になる可能性も否定はできないと思う。
そうなると織田与力の佐久間家と柴田家が下克上になる可能性も非常に高い・・・。
795 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:56:23
>>794 そんな可能性は、これっぽちもない。
信長がいなければ、尾張はばらばらに分裂したまま、今川に併合される。斉藤は少しかすめとる程度。
796 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 20:04:22
とりあえず何かにつけて信長信長いうやつはウザイな。
797 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 20:07:23
>572 :日本@名無史さん :04/03/12 11:45
>てか、現代がどう変わっていたかを考えるなら、ペリー来航時に日本がどうなっていたかが問題。
>日本の国内情勢に関わらず、同時期・同時刻にペリーは来るのだからね。
ペリーが来るまで日本に諸外国が一切来なかったと思っている馬鹿。これが信長厨です。
798 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:22:37
義元の本隊は5千、信長は2千だったので、冷静に退却などせずに、そのまま
持ちこたえる策をとっていれば、陣形が崩れることもなく、いづれは別働隊
も到着するので信長軍を撃破できた。
もし、ここで信長が戦死し、尾張を版図に加えれば、駿遠三尾の太守となり、
畿内に近い大名の中では最大の勢力になる。三好長慶が死んだあとは三好一族
にもまとまりがないので、この機に上洛すれば本当に天下がとれたかも。
義元の「元」をもらった松平元康にも活躍して欲しいが、秀吉も松下氏に再就職し活躍して欲しい。
799 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:05:42
>>798 義元本陣があった田楽狭間は、おそらく、5千人も入れるほど広くなかったのだろう。
ゆえに、あふれた兵は、前後の道路に並んで休憩していたのだろう。
それで、局地的には2千対3千くらいの兵力比になり、不意打ちでもあり、一気に陣形を崩された。
周辺にいたはずの別働隊は、
ここで2時間も戦闘をしていたにもかかわらず、救援に来なかった。
このことから、別働隊は中島砦の攻略に夢中になっていて、後方で起こっていることに気がつかなかった。
と、推測される。
あと、上洛しただけでは、天下は取れません。
>>800←コレってネタだよな?
信長が家督を継ぐ以前から、様々な大名家の軍役定めに
長柄三間、持槍二間という記録がありますよ、槍衾も使わない方がおかしいw
802 :
Ж:2005/07/15(金) 14:30:16
槍衾(やりぶすま)は弓よりも一騎に弱いとなってるが‥
馬の機動力で一番弱い真横を攻められらそりゃ弱そうだ,
それに馬の1t以上の体重で勢いつけて横から槍部隊にぶつけられたりしても
戦意喪失になりそうだな。
当たり前だ。弓の方が長槍よりリーチあるだろうが。
ところで体重1トンの馬ってどんなだ?松風か黒王か?
真横が弱いのは同意だ。けどそうならないように手を打つだろうけど。
突撃かまされる前に弓とか方向転換とか。
戦国時代が長続きし、ヨーロッパの植民地に。
そうなったら大東亜戦争もないから未だに他のアジア諸国
と共に植民地支配されてるだろうな。
なんで弱小国家の植民地になるんだよw
>ところで体重1トンの馬ってどんなだ?
じつはインド像ですが、何か?
象じゃなくて像なのか?
インド像ってどんな像だ?
ワロタ
802と言い807と言いとことんうだつの上がらない奴だね
梅雨明けしたからってインド像はひどいと思います!
Жが珍説を出してそれをからかわれてЖがフェードアウト。しばらくするとまたЖが・・・の繰り返しで最近すっかりЖを弄るスレになってるな。
813 :
Ж:2005/07/20(水) 19:29:45
今日はNHKで鉄甲船の特集だな,
この前のやつは確かTBSだったと思うが‥
815 :
Ж:2005/07/30(土) 21:38:27
夜襲駆けるならわしなら猪を使うな‥
スピードは速いわ,低い所を走るので最初やられたら訳分からんだろうな。
集めるのがえらい手間だな、家畜じゃないし
信長は本能寺で死んだのか
死んだよ。
例え生きていたとしてもその後の歴史の中で浮かび上がってきてないから死んだのと同じことだよ。
819 :
Ж:2005/08/03(水) 21:01:52
猪での夜襲はブギューと猪が鳴かなければ上手くいくと思うが,
今の技術で声帯を取り除ければいいんだが‥
これからタイムマシンに乗って試してみますわ。
820 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 13:34:39
猪は長距離を走るのに適さない。
821 :
日本@名無史さん :2005/08/07(日) 11:30:51
一年半ぶりにここを覗いたが、結論が出てないんだな。
結論が出るような内容の話だとでも思っていたの?
823 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 19:25:05
出なけりゃとっととやめれば?
世間知らずが罵倒し合ってるスレにしか見えない。
>>823 出なければやめればいいってことは、
本気で結論が出るような内容のものだと思っていたのか?
普通最初から予想や推測、
それに対する意見を言い合うだけのスレだと分かると思うが。
のぶながは光秀に殺されたとゆう話は本当みたいだけど 秀吉が光秀に暗殺を 持ち込んだとゆう話を聞きました!本当?
誰にだよ。
827 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 11:05:35
光・ヒデに?
828 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 12:29:23
ま、尾張は統一されてないだろから今川が併呑無事上洛できたとして
美濃は武田と今川どっちが取るのかね?
破軍帰りを信玄が嫌って史実通り上野へ侵攻、謙信に阻まれる
謙信に領土欲は少ないし膠着化。信玄没後も義信が家督を相続し膠着
越相同盟が未成立で景勝がフェードアウト。
ここで奥州統一した伊達、最上連合と北条武田が抗争
今川は本願寺毛利にかかりっきり
ってシナリオがノブヤボででないかな でるわきゃないかOTZ
尾張・美濃・伊勢を上手いこと今川領に出来たとしても、
そのあと足利義昭を奉じて上洛できるか?
足利家と今川家は、一応本家と分家の関係だけど、
だからこそ余計に義昭にとって居心地が悪そう。
もし、義昭と連携が取れたとしても、
信長がやったような、電撃的な南近江平定を義元に出来ただろうか?
三好家と近江あたりで睨み合いになる気がする。
織田が来るより今川が来る方が格が上だし将軍家のスペアだから畿内の勢力も最初から警戒するかもわからんね。
もっとも足利をさっさと見限って今川に擦り寄る連中もいそうだけど。
将軍のスペア?
>>831 足利家の分家が吉良家、吉良家の分家が今川家。
源義家の孫の義康(よしやす)が足利家の祖。
その孫の義氏(よしうじ)の家督を継いだのは、義氏の次男の秦氏(やすうじ)。
義氏の長男長氏(ながうじ)は兄ながら庶流となり西三河(愛知県)の幡豆郡一円の吉良荘を得て、吉良氏を名乗った。
吉良長氏の次男国氏(くにうじ)が、幡豆郡今川荘(愛知県西尾市)を分地され地名の今川と称したのが、今川家の興り。
一説には、当時「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われていたらしい。
一説には、当時「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われていたらしい。
一説には、当時「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われていたらしい。
一説には、当時「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われていたらしい。
一説には、当時「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われていたらしい。
一説には、当時「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われていたらしい。
説にもなってない、当時にも言われてない
誰の説?当時とは何か論拠あるのか?
今川の興りなんて常識をコピペで説明されてもなw
>>833 何度も重ねて指摘するなよ、性格悪いぞ。
835 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 15:08:59
いいやん
滅 一 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ
せ 度 L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 比 下 人
ぬ 生 //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ ぶ 天 間
者. を /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i れ の 五
の 受 l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く ば 中 十
あ け i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, を 年
る l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ
べ ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
き 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
か ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' ', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
ハ フ / ヽ. L__」 「 如 夢 L_ ヽ〈 i| Vi゙、
ハ ゥ {. ヽ. -、、、、 ' ノ く 幻 了゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
| | ヽ. ハ ) な の | ',.' ,  ̄ , ' ノ /./ ヽ,
ハ > /|ヽヽ、___,,,,、 'く り > ヽ.  ̄´ / ,、 ' / / \
| / ノ. | ヽ フ / ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙ /
837 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 17:15:27
今川が尾張と美濃を手に入れて足利幕府を再興させたとしても、
結局は各地の大名家同士の争いも無くならないだろう。
ただ信長や秀吉のやった、兵農分離や刀狩も行われないだろうから、
武家以外の勢力が武装している期間が長引くと思われる。
もしかしたら、今でもキル・ビルみたいに日本人全員が帯刀してるかもしれない。
なんと。信長は氏真の真似してたりするのにか。
839 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 05:49:52
>>838 蹴鞠ですか?
信長は茶の湯や芸能を嗜んだ武将だというのは知ってましたが、
蹴鞠をやってたって話は聞いたことがありませんね。
蹴鞠じゃねーだろ。楽市楽座の方じゃねっか?
841 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 15:26:01
検地の方だと思うよ。
楽市楽座は道三や六角氏が先。
三戦板レベルなスレッドだな・・・
843 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:07:46
>>837 兵農分離も信長が自分で発案したんじゃなくて、
キリスト教の宣教師からイギリスやスペインの話を聴いて
取り入れた制度だといわれているので、いずれ誰かがやったでしょう。
>>843 いずれ誰かがやるでしょうが堺を自領に収め経済力を持った者でしょうね。
そうなるとやはり織田信長しかいないよw
あれー信秀は―?
846 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 03:59:16
>>844 スレタイを理解した上で書き込みをしましょう。
>>846 つまらん事を書いてないで何かネタでも書けよ
849 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 12:16:12
>>849 >30歳まで生きていたら天下を統一したとも評された。
何を根拠にしてそんな妄想が生まれてしまうんだろう?
三河物語って本当に電波。さすが著者が徳川家臣
>>850 家康の政権の正当性を主張する為だね。
本来なら先祖が天下を取っていた、ということにして、
その子孫が天下を取ったことを、妥当なことだといえるようにするための。
もちろん全く非合理な無茶苦茶な屁理屈以外の何物でもないが、
まあ、そんなようなもの。
853 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:48:11
>>852 三河兵は強く濃尾兵は弱いっていう吹聴みたいなもんか。
実際には家康は豊臣家の政権を奪取して自身の政権を樹立したのだが、
ここで、もし仮に、問答無用で「長生きしていれば家康の祖父が天下を取っていた」
ということを「真実」だとしてしまえば、
本来なら祖父が取っていたはすの天下を取り返した、
ということで家康が天下を取ったのは当然だということに出来る。
いや、言うまでもなく一遍の論理性もない屁理屈というか、理屈の欠如した話だが、
何となくそんなような気にはなる(人もいる)ってことでしょう。
まあ要するに、先祖を持ち上げることで、子孫も持ち上げるという、
一般的な権威付けの一種ということだと思う。
855 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:41:38
>>844 当時の畿内には、キリスト教を保護するような大名はいなかった。
そのため畿内から兵農分離が進むとは思えないため、
宣教師が訪れやすくなおかつ、発展した商業都市を抱えていた地域が有力候補になる。
とすれば九州地方が最有力候補になるわけだ。
九州から始まる兵農分離・・・う〜ん想像できない。
兵農分離なんて悠長なことは、
天下統一間近というような大勢力でもなければ実行不可能だよ。
まずは巨大勢力になるのが先。
逆に大勢力になれば誰でも考えつくし実行するだろう。
たまに根本的に間違えている人がいるが、
兵農分離というのは軍事的にはマイナスで、統治法としてはプラスになる政策。
武器を持ち戦う者と、一切武器を持たず戦わない者を厳格に分ければ、
統治はしやすくなるが、戦闘要員が減って軍事的には不利になる。
戦が頻発するような状況ではとてもではないが実行できない。
しかし、被支配層が軍事力を持たない方が統治しやすいくらいのことは、
誰でも分かる基本的なことなので、それが実行可能なら、
大抵の為政者はそれを行おうとするだろう。
858 :
ジョーカー@ケータイ:2005/09/10(土) 01:16:38
信長、秀吉、家康がいなくとも、それと同じような役割(?)を果たした人物が出た。 人格論は馬鹿馬鹿しい。
実行可能ならばね。
861 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:23:42
>>858 >>それと同じような役割(?)を果たした人物
あの時代、信長と同じような役割を果たした人物が、どこにいた?
ひとりでもいいから、例示してみそ。
862 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:29:52
>>857 毛利元就が息子達と孫に版図拡大を戒めたのはそういった理由からですか?
>>857 実際兵農分離は無理がきちゃって勢力がでかくなるに従って専業兵だけじゃ足りなくなってるね。織田家も。
864 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 02:16:57
>>857 それは秀吉のやった刀狩じゃないですか?
865 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 02:33:50
>>861 越前の朝倉氏は、有力国人衆を農村から切り離して
無理やり城下町に住まわせてますが。
さらに国人が領内経営のために農村に戻ったときでも、
妻子は城下町におかせてますが。
>>864 それと違うことなんて信長は一切やっていないよ。
秀吉の刀狩の先駆けになるようなことは、信長も行っている。越前での刀狩とか。
しかしそれ以上のことはしていない。
それなりの規模で行いうには、統一間近の秀吉のように圧倒的な勢力にならないと無理。
統一を果たした秀吉ですら、完全には行えず、結局兵農分離が確定したのは江戸時代。
統治をするには都合がいいからそういうことをしたいと思うものは結構いても、
現実的には戦がなくならないと実行できないってこと。
868 :
ジョーカー@ケータイ:2005/09/10(土) 12:56:05
フランス革命の恐怖政治はロベスピエール、マラー、ダントンがいなくとも起きたし、テルミドールもバラス、フーシェ、カルノーがいなくとも起きた。明治維新も西郷、木戸、大久保がいなくとも起きた。
869 :
ジョーカー@ケータイ:2005/09/10(土) 13:06:35
明智光秀がいなくとも、場所が本能寺でなくとも、信長はたおされた。 また、信長がたおれても時の流れは変わらなかった。 それは、秀吉しかり、家康しかり。 歴史は英雄豪傑や天才あるいは「悪魔」が動かすものではない。
>>868-869 だから、カオス理論を勉強しなさい。
きわめて小さい要素の変化でさえ甚大な影響を与えるということは、
既に科学的に証明されていますから。
しかし、こういうくだらない運命論は根強いなあ。
>>868-869試みに訊ねるが、何を根拠にしてそう思うの?
まあ、この手のものが信仰のような物だってことは承知しているから、
聞くだけ無駄だとは思うけど。
根拠なんてないです。 私のはただの電波レス。
ジョーカーにしてはまともだなおい。
>>870 ハリ・セルダン思い出した。そんな意見は一切無視だ。なぜならつまらないから。
信長がいなくても同じになるとは誰も言ってないぞ。
信長がいなくても信長がやったことと同じようなことはいつか誰かがやったというにすぎん。
マクロでは同じようなもんでもミクロでは相違が出てくるってんだろ。フラクタクル。
マクロでも同じに成るってことはないよ。
いや、正確にはどうなるかは全くわからなくて可能性は無限ってことだが。
イフスレでカオス理論出すことになんか意味があるのかな?
過去の変数いじったら全然違う展開になってその後の展開が読めなくなるとか言われたらこのスレの存在意義が。
と言うか歴史にカオス理論当てはめてどうすんの?
>>875 それ言ったら、何があっても歴史の流れは変わらないなんて運命論のほうが、
よっぽどスレの存在意義を無視してるでしょ?
そういう考えを明確に否定する理論だから使っただけ。
結局はどうなるか分からず、可能性は無限なのだから、
だからこそ、その中でどうなる可能性が高いと思うか、
それなりに根拠もって意見を言い合うのはまんざら無意味なことではないし、
結構面白いことだと思うよ。
というか、私自身そう思って参加していたわけだし。
877 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 12:12:03
>私自身そう思って参加していたわけだし。
そう考えてるのはあなただけです。
>>877 それじゃあ他の人たちは、
無意味だし面白くないと思っているのに書き込んでいたと?
とりあえず、あなたはそうなのかい?
879 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:14:04
どうもどうもクスリをやってるなぁお前は
取り合えず、何かというとカオス理論、バタフライ効果が出てくるのがなんとも。
>>876がまともな事言ってると思うは漏れだけでつか?
もともとカオス理論言ってる人はきわめて小さい要素の変化でさえ甚大な影響を与えると言ってるので、
信長がいなければこうなっていたかもしれんと言う当時の情勢に基づいた展開を頭から否定してる。
朝うんこし忘れた程度のことで未来ががらりと変わると言ってるんだからもうどんな予想すら意味をなさないではないか。
と言う話なので。
ここらで流れを戻して…
今のとこ、最有力候補は今川でぉkですか?
>>882 おいおい、いつ否定したね?
無意味じゃあないし面白いと思うと言っているでしょ?
とりあえず、どんな小さな要素の変化でも結果に大きな影響を与える、
だから、信長がいないなどという大きな変化があれば、当然その後の歴史は大きく変わる。
結果は変わらないなどという運命論は全くありえない。
で、その中でどうなる可能性が高いか想像したり、
考えたりするのにこのスレの意味があるんじゃないかい?
信長が大いに影響を与えた畿内から中部以外の地域の状況を見ると、
徐々に各地域の最大勢力のようなものが出始めている。
中国の毛利、関東の北条、少し遅れて九州の島津、四国の長宗我部、東北の伊達。
信長がいなければ、畿内中部地域にも同じようなものが台頭したと思う。
で、それらの勢力が直接対決をするならば、
その勝ち残った勢力が天下統一ということになるだろうが、
果たしてそこまで積極的に動くだろうか?
毛利家のように保守化し更なる拡大よりもその地域での安定を求め、
ほどほどのところで将軍家の調停などを受け入れ手を打つのではないかと思う。
そうなれば、とりあえず名目だけは調整機関として室町幕府が存続し、
実質的には各地域の有力大名が分割統治するという感じでなるのでは?
886 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:46:49
>>885 旧体制を撃破し、新しい時代を創ろうと考えてた大名は少数派でしょう。
ほとんどの大名は所領拡大が進むと、所領安堵を望む大名が多数派だと思う。
毛利家はその筆頭だけど東北地方では、安藤家や南部家などが早くに
信長などに誼みを結ぼうとしている。
旧体制を撃破し、新しい時代を創ろうと考えてた大名って誰のこと?
>>886 まあそうでしょうね。
でも当たり一帯で大勢力になりたいくらいの野心は普通にあったと思うし、
現にそういう勢力は結構出てきているから、
そういう勢力はなあなあのところで手を打って、
結果的にいくつかの大勢力が残るということになるのではあるまいかと。
>>887 他ならぬ信長はそう考えていたと思うけど、他は分からないね。
そりゃあ自国内の領国経営や新技術の摂取とかで改新的な者はいたとしても、
現体制の打破まで行くといかがなものか。
応仁の乱の頃からいっぱいいると思うんだけど。
>>889 それもそうか、
だとすると、つまりそいつらが入れ替わると、
そういうことになるかね?
思いのほか平凡な案だったか。
891 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 05:42:08
>>886 旧勢力っていってもこの頃の旧勢力といえるのは
室町幕府や仏教勢力くらいじゃないか。
一向宗や堺衆なんかは新興勢力だし、国人衆は旧勢力ではないと思うし。
>>891 旧勢力じゃあなく、旧体制。つまり平たく言えば室町幕府。
幕府を潰そうとまで考えていた大名は多くはないと思うよ。
くぐつに仕立て上げるつもりだった義昭が牙剥いちゃったから致し方なくという感じだが。
天皇家の打倒まで考えたんなら別だろうけど。なにせ旧体制中の旧体制だ。
>>893 しかし、それ以前の者たちはそういう場合でも、
他の将軍家の血筋を探してきて傀儡にしようとしていたでしょう?
895 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:35:20
本命は今川義元でしょう。
信長を倒して尾張を平定すれば
駿河(15万石)、遠江(26万石)、三河(29万石)、尾張(57万石)・・・127万石
天下を狙う勢力としては十分ですな。
ついでに三国同盟の盟主としての地位も確立して、
武田・北条を従えて、上洛すれば今川幕府が成立。
将軍:今川義元、副将軍:武田信玄、関東管領:北条氏康
これで決定。
伊勢〜近江ルートで畿内制圧すれば、信長以上の安定した大勢力だな
で、氏真が下克上され元康が幕府を開くと。
898 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 13:14:37
>>896 元康は出てこないだろ。
おそらく首を突っ込んでくるのは北条氏康。
武田が三国同盟を破って今川領に進攻した際に、
義父である氏康に泣きついたことから考えて、
有力家臣が離反したらすぐに氏康に泣きつくのは目に見えてる。
氏康にしたら中央を制圧できるチャンスだと思って色々と世話するだろ。
899 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/09/14(水) 13:32:32
静岡県民ですけどあえて言わせてもらえば
今川では天下はとれなかったでしょう。
旧体制に依存するやり方ではうまくいきませんよ。
900 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 13:44:55
邪魔な信長を討ったのになぜ誰も光秀になびかなかったのだろう
901 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/09/14(水) 13:49:37
足利義教討った赤松満佑にも誰もなびかなかったでしょうw
皆様方のニーズに沿ったプランがある人じゃなきゃ誰も
なびきゃしませんよ。
902 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 13:50:04
>>899 私もそう思います。
ですから知行制や家臣団の編成が先進的だった、
北条家が氏真を懐柔し、今川家を乗っ取るでしょう。
903 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 14:09:19
もし毛利が抵抗して秀吉の中国大返しが出来ていなかったとしたら
誰が光秀になびいただろうか?
904 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 16:16:34
こ こ で 朝 倉 氏 の 天 下 で す よ !
宗滴タンが居てくれれば…orz
905 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 19:01:44
906 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 19:41:10
895
>>将軍:今川義元、副将軍:武田信玄、関東管領:北条氏康
なんか古臭い幕府って感じがしますね。
>>894 朝廷が「上総、オマイのほうが頼りになる。足利幕府イラネ(゚听)」なんて言ったらどうよ?
信玄がくたばったらやばいことになりそう。
勝頼が後を継ぐものの老臣に舐められてやる気が先行→自滅とか・・・
能力はあると思うけどな、勝頼
909 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 23:48:58
戦闘においては凄いですから
910 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 01:42:59
>>895 足利将軍が健在な団塊で、京都を制圧しても、
今川ごときが将軍になれるはずもなく、なろうという発想もなかっただろう。
信長でさえ、将軍は一応タテタのに(w
911 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 08:09:48
>>910 健在とは言い切れないだろ。
足利将軍なんて、コロコロ変わってたし
追放・暗殺なんてのもしょっちゅうだったんだから。
912 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 08:45:36
今、スパーモーニングでやってたんだけど、
小泉首相が信長を尊敬していて
「天下分け目の桶狭間」って言ってたんだって。
いつから桶狭間が天下分け目になったんだ?
一般的じゃないけど、そう言えないこともないだろう。
血筋からみれば、今川なんて管領家よりも格下のはずだったんだが。
何で「足利が倒れれば・・・」なんて伝説が生れてしまったのやら。
>>850 遅レスだが、それって苦節時代の松平家臣の愚痴からきてるんじゃないの?
清康が刺殺されたのは1535年。この頃は・・・
東を見れば今川氏輝(義元の長兄)。戦国大名にエボリューション済み。
西を見れば織田信秀(信長の父)が那古野城を攻略中で、分家の地位から抜け出て
那古野(現在の名古屋近郊)に拠点を移そうかというところ。
この翌年、今川家ではお家騒動「花倉の乱」が起きるんだが・・・
まぁ清康が殺されなかったところで『騒動に乗じて今川を破れるかどうか?』というレベルだろうよ。
916 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:18:57
松平清康なんて、今川の属国みたいなもんだから、天下取りなんておこがましいわ!
917 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:43:50
松平清康が、今川に所属していた時代は、ありません。
918 :
日本@名無史さん:2005/09/16(金) 14:52:08
今川主催の集まりで武田とかもいた席で
少年の日の家康がみんなの前で立ち小便したら、「なんと豪気な、さすが清康殿の孫!」
みたいなこと言われたって話があるよな
いったい清康はどんな人物だったんだ・・・羞恥プレイでンコーでもしたのか?
>>907 言ったらどうよと言われても、
そんなこと信長にしかわからんわな。
920 :
日本@名無史さん:2005/09/16(金) 22:49:55
>>918 清康は30まで生きていれば天下を取れたと言われていたらしい。
>>918 大河ドラマネタ?
アレはほかに引用元があったのか。
922 :
日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:34:50
923 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 13:32:53
>>906 戦国大名と呼ばれる者達は、自領内の旧勢力を排除して権力を
集中した、新勢力のような気がする。
信長>戦国大名=秀吉=家康>旧勢力こんな感じ。
どうかねえ。旧勢力排除云々と言うのは所詮そのときの状況次第だからねえ。
妥協したってそいつ等を巧く利用できりゃ良いわけだし。
わざわざ波風立てて結果それが元で滅亡とかなったら馬鹿らしいし。
織田家の領域内に住んでる公家さんたちを怯えさせすぎたのが原因で本能寺の変が起こりましたという見方をすれば
信長は旧勢力を排除し切れなかった戦国大名以下の存在、という風にこじつける事も出来てしまうよ。
925 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 17:24:08
所詮天下人になれない男なんだから、
秀吉・家康>信長>その他戦国大名
は確実。信長ヲタって事実から目をそらそうと必死で痛々しいな。
926 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 18:14:46
本願寺家が今以上にあったとおもうが、どうであろう?
そう思う
928 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 22:07:49
戦国大名・秀吉・家康は、朝廷や将軍が持っていた権利を排除して、
国人や寺を認める事で(安堵状等で)弱い強制力で自分の指揮下に
措こうとしたんだと思う。
その為、家臣との間に対等に近い関係が在ったんじゃないだろうか。
信長の場合、自分と家臣(天皇も含めて)との間に一線を画す関係
を作ろうとしたような気がする。
秀吉は、義昭の養子になっていたら16代足利将軍になっていたのかな。
こういうスレッドってあちこちにたくさん有ったと思いますが、
結局前提条件が違えば想定の結果もちがってきますよね。
1.最初から信長が存在しない
2.桶狭間以前に戦死・病死・頓死
3.桶狭間以降本能寺以前に戦死・病死・頓死
大まかに分けるとこうなりますかね?
1.の場合はおそらく信勝が家督を相続しているのでしょうが、尾張の主導勢力では有るけども、統一勢力ではなく、斎藤or今川の軍門に下る
2.の場合は・・・どうなるでしょうね。おそらく尾張は混乱しているでしょうね。本願寺が勢力を拡張して今川が手出しを控える可能性も?
3.の場合は可能性が多すぎて分からないでしょうね。。色々あり得るかと。
1と2の場合は織田麾下で台頭した戦国武将・江戸大名は相当数が消え去って、地方のマイナーな方々が彼らに取って代わっていたかも。
秀吉はどこかの大名家でソコソコの地位には居るかも知れませんね。
家康は・・今川家次第でしょうね。少なくともその勢力が健在な内は麾下の付属大名として地位を保っていると。
930 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:31:25
わが足利家が幕府再興していただけのこと。
931 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:11:20
義昭の脳内で
>>929 2が桶狭間戦以前の話でしたなら、日本全体からすると1のケースと大差ないでしょう。
3の場合は仰るように具体的にはいろいろ考えられますが、いづれにしましても、
朝廷・幕府・寺社・旧守護大名らの旧勢力らが近畿で混沌としたまま勢力を保ち続けた
でしょう。
天下布武のコンセプトは比較的早い時期に鮮明にしていたようですので、
この時点で信長が急死しても秀吉ら重臣たちや家康が継承する可能性は高いですが、
実現は周辺らの大名が大勢力として纏まる史実と同じ時期、あるいは少し遅れる
ことでしょう。彼らではなく武田や毛利が近畿を制圧してしまい、天下に号令をかけた
可能性も高い。
そうなりますと、もし「信長がいなかったら」。天下統一は確実に一世代遅れていた。
これだけはいえるかと思います。
934 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 00:21:05
信玄に決まってるじゃん。武田最強! でも武田も今川も北条も後取りがへぼいからな〜
935 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 00:26:20
わが足利家の二引き門の下でみなよく働いてくれた。
信玄、大儀であった。
936 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 03:39:22
>>934 あの二人に比べれば、氏政はへぼくないよ〜
なんたって北条家の最大版図を築いたのは氏政なんだから。
937 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 04:53:59
信玄だったら義元より厳しい。美濃と三河、駿河、遠江を制圧しなければ京都には行けない。道三も信玄も義元も二代目がダメ。
>>936 勝頼だって最大版図を築いたぞ。
確かに織田の滅ぼされたが、氏政だって織田が隣まで着たら、
簡単に尻尾を振っただけではないか。
939 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:30:53
永禄3年に、義元が尾張を取ったとすると。次の年に在った、細川晴元
六角義賢・畠山高政による、義輝・三好長慶攻撃に、義元が参加したか
もしれない。実際六角軍が入京を果たしているので、三好軍2万1千に
対し、今川軍3万が向かえば、三好軍撤退し、今川将軍、細川・畠山・
六角の三管領となったかも。
940 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 00:13:22
>>109 亀レスだが、初期には平清盛・源頼朝・源義経・木曾義仲・楠正成・足利尊氏・足利義満・新田義貞・北条時宗
戦国には徳川家康・織田信長・島津義弘・竹中重治・真田幸村・黒田如水・豊臣秀吉・前田利家・前田利益(慶次郎)・本多忠勝・伊達政宗・北条氏政・武田信玄・上杉謙信・上泉信綱・柳生宗矩・宮本武蔵
幕末には河上彦斎・岡田以蔵・坂本竜馬・桂小五郎・武市半平太・中村半次郎・近藤勇・土方歳三・沖田総司・勝海舟・西郷隆盛・大久保利通・高杉晋作
近代では伊藤博文・木戸孝允・乃木稀典・児玉源太郎・木口小平・東郷平八郎・上村彦之丞・山県有朋・秋山信之・石原寛邇・東条英樹・山本五十六
と朝鮮人より勝れた軍人や政治家が揃ってますが何か?
>>939 あの畿内の曲者連中がほいほいと今川に従うかな。
平気で寝首を掻きそうな顔ぶれだかんね。
942 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 08:45:33
よっぽど有利な条件じゃなければ、今川は駿河に引き上げる
だろうし、今川の軍事力があてにできないと、将軍もいない、
新しい幕府も立てない中途半端な連合政権は、義輝擁した
三好軍に京を追い出されるというのが、朝廷含めてわかるはず。
むしろ上洛して名前売って周辺の豪族配下に組み込んだあたりで
今度は軍を反転させて終わり実の伊勢近江あたりをがっちり今川領に組み込むね。
常に京の政局に口出しできるポジションをつくっときながら地盤固め。
畿内に親今川勢力を扶植した後に政権奪取。
>今度は軍を反転させて終わり実の伊勢近江あたりをがっちり今川領に組み込むね。
今度は軍を反転させて尾張美濃伊勢近江あたりをがっちり今川領に組み込むね。
美濃・伊勢を飲み込んで京をうかがうというのは信長と同じかな。
地勢的にどうしてもそうならざるをえないのかもね。
結局、通り道の六角が邪魔になる・・・・・・
946 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 21:20:41
>>944 それは今川にとって一番良さそうですね。大内義興に行なった山城守護
・従二位まで進めるなどの、引きとめる力も強力です。
伊勢・美濃含む、東海探題みたいな地位を貰って、地盤固めしたりして。
岐阜の野田聖子登場
948 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 23:35:56
小泉です
949 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 00:57:56
私が実在した織田信長です。
950 :
日本@名無しさん:2005/10/16(日) 02:53:25
私が在日した織田信長です。
951 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 09:32:30
私が来日した織田信長です。
952 :
日本@名無史さん:2005/10/19(水) 01:32:03
織田信長が嫌いな松永久秀です
953 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 02:36:38
いたんだから仕方がないだろ
954 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 13:40:41
test
955 :
光秀:2005/10/23(日) 22:41:25
いたんだからしょうがない。
そうです。確かにいたんだから今更そんなことをいっても仕方ありません。
でも、もし信長がいなかったら?そうしたらどうでしょう?素晴らしいと思いませんか?
いつ禿鼠と罵倒されるかわからない、いつ弟に味方して謀反企てたことを持ち出されるかわからない。
よくわからない理由で息子を殺すよう強要される事もなければ家族を皆殺しにされることも無い。
そんな世界を見てみたいと思いませんか?
956 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 22:54:35
>>955 謀反者でハゲのキンカン頭の存在も歴史にのぼらなかったのにね
957 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:05:49
しかし、キャラが立たない義経だな。今回は。
958 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 02:05:25
>>955 猿、禿ネズミと呼ばれたのは、親愛の表れで、むしろ嬉しかった。(秀吉)
弟に味方して謀反企てた時、その場で殺されても仕方ないのに、許されたのはありがたかった。(勝家)
息子を殺したのは、彼が武田に通じていたから自分の判断で処分したので、強要された覚えはない。(家康)
家族を皆殺しにされたのは、謀反起こして戦った挙句、自分だけ逃げ出したのだから、文句は言えない。(村重)
959 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 02:07:44
理由もなく罵られ、足蹴にされた恨みは絶対にわすれない(光秀)
960 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 11:51:04
大坂に城を造りたかった(神)
961 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 18:24:48
わたしが代わりに造りました(秀吉)
>>958 そんなもの秀吉の主観だからほんとのところはわからないし、
何十年もたった後で、それを理由に同僚の林が処分されたのを目の当たりにした柴田は、
自分は絶対に大丈夫と思ったとは限らない。
家康のはそういう説もあるというだけ。
963 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:07:10
>>962 信長の、秀吉の妻ねねへの手紙を読んでみ。
その中で、「禿げ鼠」と呼んでいるけど、信長の優しさがにじんでいるから。
旦那のいないところでその奥方に旦那の蔑称を吹き込んでるなんて・・・
なんかちょっとエロい方に妄想が広がりそうですよ。実は信長にねね寝取られてた説?
>>963 上司が部下の妻へ手紙を書く、
それ自体は、現代の企業とは違うのだから、
まあ、仕事の上だけの関係じゃないってことでいいとしても、
その中で部下のことを禿げ鼠呼ばわりですか。
普通に考えれば、いい気はしないと思うがね。
信長の死後、その息子を殺したり、その妻と孫を磔にしたりしているしなあ。
もちろん、それらのことは、その時点での戦略上必要があってしたことな分けで、
信長を憎んでいた根拠にはならないが、
少なくとも信長のことを慕っていたと思わせるような話はあまりないような。
967 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 00:55:43
968 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 01:15:30
それが何?
歴史の継続。
970 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 04:42:43
蘇れ、信長よ
971 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 04:00:40
わしゃ不滅じゃ
972 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 16:38:14
信長フォーー
973 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 17:47:28
スケートの信成がいなくなる
974 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 18:05:50
わしの末裔というが、どの系譜なんじゃろうか
975 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 19:42:03
今も足利幕府がつづいていたんじゃないか?
信長がいなかったら14代目で終わりじゃね?
BD版のゲーム機が出ると、信長の野望はどうなるんだろ
979 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 03:51:35
ますます活劇調子になるんだろうな
占領