源頼朝について その2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
2日本@名無史さん:03/08/20 18:08
z
3日本@名無史さん:03/08/20 18:21
3マ!
4日本@名無史さん:03/08/20 20:00
>>1


「その時歴史が動いた」始まったね
5日本@名無史さん:03/08/20 20:12
この手の番組で頼朝が取り上げられるのって
随分久し振りなような気がする。
6日本@名無史さん:03/08/21 08:07
里中満智子に「民衆のニーズに応えた人」なんて言われていたな
7日本@名無史さん:03/08/21 10:05
まあ、2、30年前の学説だわね。
8日本@名無史さん:03/08/21 10:06
つうか、なぜ里中
9日本@名無史さん:03/08/22 00:15
前スレの997へのレス。
>ところで義時はともかくそれ以外の3人は、混沌をよりいっそう深めた連中って
 気がするが…

確かに結果的にはそうなった面もあるし、個人のキャラクターの問題もあろうが、
足利直義→DQN(後醍醐、師直等)排除の現実路線
田沼意次→重商主義
井伊直弼→対外協調
は現代にも受け継がれている当時としては大変進歩的な政策だぞ(w
まあ、当時の多数派にまだ心の準備ができてなかったから
失敗しちゃったんだろうけど。
10日本@名無史さん:03/08/22 00:18

 頼朝って幸せだったんだろうか・・・
                  
119:03/08/22 00:22
ちなみに直義のところのDQNというのは、
観念的天皇絶対主義(後醍醐)と天皇制廃止思想(師直)のこと。
12日本@名無史さん:03/08/22 00:23
女性関係は、恵まれてないな。
13日本@名無史さん:03/08/22 06:32
>>9
だからさぁ、その「進歩的」ってのが曲者なんだわさ。
現実に即していなけりゃ政治とは言えないのよ。
あなたがDQNという後醍醐だって、進歩的といえばいえるし、
師直はまさに次の戦国時代の先取りみたいな人物だよ。
考えようによってはこの二人こそむしろ進歩的で、直義こそ保守的といえる(w

14日本@名無史さん:03/08/31 14:58
落ちるよ
ネタが無いなら前スレ最後に出てた、甲斐源氏失脚は頼朝によるのか
伊沢信光によるのか、これで行ってみて。
15日本@名無史さん:03/09/10 05:30
前スレはあんな盛況だったのに、みなさんどこへ逝っちゃったの?
16日本@名無史さん:03/09/10 08:12
>前スレ
大河義経の話題で一瞬の盛り上がりを見せたね。
17●のテストカキコ中:03/09/10 08:12
http://ula2ch.muvc.net/ (このカキコは削除しても良いです)
18日本@名無史さん
頼朝の一番の強みは運の良さ