牟田口廉也のインパール作戦を称えよう

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 牟田口が出発する前日、ラングーンの河辺将軍は日記に書いた。
「第十五軍が明日西に動く。(メイミョーに)いたくない気持ちはわかる。
牟田口に電信を打ち、この移転で成功が続くよう祈った。インパールに
全神経を打ちこめとも言ってやった」。実は牟田口は迅速に動かなかったし、
決してインパールにのみ注意を向けていたわけではない。途中ショエボに
止まり、芸者屋を作らせた。メイミョーの快適な環境を去ってマニブール
のジャングルの竹小屋に行くのはあまり気が進まなかったし、彼の芸者
好きは参謀にも波及して、各人が好みの芸者をメイミョーの清明荘に
持っていたのだ。司令部の生活は決して悪くなかった。夕方五時ごろに
は仕事を離れ、夜は快適な娯楽が提供された。
<ルイ・アレン「ビルマ遠い戦場 ビルマで戦った日本と英国」中巻P76より>

http://page.freett.com/dat2ch10/030708-1012306819.html
マジスレ!インパールの犠牲者に寄せ書きを
 一九六二年、昭和三七年夏のことである。牟田口はインパール戦当時の英軍
現地作戦参謀A・J・バーカーからの書翰に接した。彼は目下「デリーへの進軍」
という戦記を執筆中であり、牟田口に質問を寄せてきたのである。
 牟田口はコヒマ占領直後ディマプール突進を企図し、それが実現できなかった
経緯を書き送った。バーカーの返事は以下の通りである。
「(前略)佐藤将軍がディマプールを奪取しえたであろうという貴殿の信念は
全く正しいものであります。数日前、スタッフォード将軍(筆者注・ディマプール
方面の英第三三軍団最高司令官)にこの件に関し尋ねましたところ、若し第三一
師団(筆者注・烈)がコヒマ牽制のために極く少軍のみを残し、更に急進してい
たならば、彼は“窮地に陥っていた”(A proper mudle)ことであろうと申し
ていました。(後略)」
 牟田口は祖国日本ではなく昔の敵国英軍に理解者の存在したことをせめてもの
慰めに世を去った。
 当時、コヒマ占領さるの報告にスタッフォードは、我が耳うを疑って「トヘマ
の間違いではないか」と何度も聞いた、という記録もある。
 また当時第二師団参謀として牟田口軍と砲火を交えたアーサー・スウィンソンは
その著「四人のサムライ」の中で、次ぎのように記している。
「あの決定的瞬間にたまたまディマプールにいたこの本の著者の見解では、彼は
成功していたと思う。当時のディマプールは全地域にわたって、狼狽と混沌の中
にあった。何千と言う苦力が道路にむらがっていた。血走った日の通信隊の列が
ぶっつかりながら動いていた(略)
 こうしてディマプールを手中にすれば食料・弾薬、ガソリン、輸送車が無尽蔵
にあったのだから牟田口は確かに勝っていた。当時の状況としては、勝負はまっ
たく髪毛一本の競り合いだった(略)」  <佐藤晃「戦略大東亜戦争」>
3鬼畜:03/08/12 20:47
我が作戦に誤りなし!  
4日本@名無史さん:03/08/12 20:54
1が牟田口廉也になりきって、
皆でインパール作戦を称えるスレですか。

>>1なりきりスレなんだから、偽者防止のためトリップ付けれ。
5日本@名無史さん:03/08/12 20:55
芸者と遊んでたって、ほんと?
6日本@名無史さん:03/08/12 20:59
ノモンハソもイソパールも日本の勝ち。
7日本@名無史さん:03/08/12 21:04
>>1

> 周囲の山々はこれだけ青々としている
> 日本人はもともと草食動物であった
> これだけ青い山を周囲に抱えながら
> 食糧に困るなんてことは有り得ないことだ

> 牟田口廉也

本当にこんなこと言っていたの?
8日本@名無史さん:03/08/12 21:09
ヤギや牛も連れていったらすい。でも途中の激流でみな流されてもうた。
インパール作戦そのものは大東亜共同宣言に沿う有意義な作戦
だったと思うのだが、肝心の司令部が芸者遊びしてたって話は
いかがなものだろうか。賛否両論含めておまえらの意見を求む。
10日本@名無史さん:03/08/12 21:14
メイミョウに引っ込んだままなので方面軍から尻叩かれシュウェポに
進出する際にもメイミョウにあった芸者屋連れていったらしい。
無理を承知で作戦強行としても、特攻作戦の大西提督ぐらいの
覚悟は持って欲しかったな。

牟田口が後方で芸者遊びなぞせず、陣頭指揮に励んでたら、
部下の信頼も得られうまくいったかもしれないな。

英側の記録ではディマプールまであと一息だったそうだから。
12日本@名無史さん:03/08/12 21:59
インパール獲ろうがディマプールに到達しようが補給のない戦、いずれ
敵が攻勢に出れば全滅か退却しかない。しかも、方面軍はディマプール
追撃命令の取り消しを牟田口に厳命していたのでは?
13日本@名無史さん:03/08/12 22:04

どう見てもこれは実戦部隊が悪い
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ
14ハゲ:03/08/12 22:12
ワシはほんま、部下に恵まれんかった。いうこと聞いたのはヤシは
茶坊主の久野村15軍参謀長と弓の田中鉄次郎参謀長ぐらいやった。
15日本@名無史さん:03/08/12 22:14
退却なら退却で、宮崎部隊のような巧妙さが必要だったろう。

単に暴将牟田口に反発して逃げるだけではだめだ。
16日本@名無史さん:03/08/12 22:16
ノモンハンの次はインパールですか、日本史板的には無理があるような・・。
17日本@名無史さん:03/08/12 22:24
軍事板の方がふさわしいかと思います。
18日本@名無史さん:03/08/12 22:27
コヒマを落としたのも宮崎部隊、撤退に成功したのも宮崎部隊。

はっきし言って進むか引くかは、あまり重要な問題ではなかった。
進むも引くも戦意を失わず勇戦敢闘を続けた宮崎繁三郎少将には、
牟田口もアンチ牟田口も皆頭が下がる思いだったろう。
19日本@名無史さん:03/08/12 22:52
宮崎支隊の善戦は服部戦史(インパールの部分を実際に書いたのは藤原岩市)
に依拠しており、かなり誤りや公平でない記述があるというのがインパール戦
に参加して生還した他部隊の将校の感想なんだけど。
20日本@名無史さん:03/08/12 22:56
コヒマ占領ても、実際は部落だけ。英軍が立て篭もった台地は
ほとんど落とせなかったはず。
21東条英機 ◆/mR6zOub6o :03/08/12 22:59
インパールへ増兵を!食料を!牟田口殿!!
22マウントバッテン卿:03/08/12 23:03
はい ご苦労さん
23打通さん:03/08/12 23:04
>コヒマ占領ても、実際は部落だけ。

確かにコヒマだけではいま一つだな。

大陸打通作戦のように、広大な中国大陸を南北縦貫で沿岸封鎖してしまい、
中国人同士で徹底的に殺し合わせ米中決裂にしてやるくらいでないとな。
24ウィンゲート:03/08/12 23:10
さぁ、自慢のグライダーの出動じゃ!
25日本@名無史さん:03/08/12 23:22
コヒマ占領は、インパール補給路の遮断にあったんだから、その一部
でも占領し実際に陸上の補給路を断ったのは意味があった。でも…
英軍は空中補給をするからなー
26日本@名無史さん:03/08/12 23:25
軍痴れい官・牟田口、高級惨謀・辻、この組み合わせ最高
捕虜の虐殺、日本軍の全滅なんぞ、日常茶飯事。
27打通さん:03/08/12 23:26
大陸戦線では陸軍航空の役割は非常に大きい。インパールは第三飛行師団
引き抜きが痛すぎ。この点打通作戦では四式戦が補充されて大助かりだった。
28日本@名無史さん:03/08/12 23:27
宮崎繁三郎は神!
29日本@名無史さん:03/08/12 23:29
「わずかなサイゴン米と食糧切符を手に解散」忘れられた戦場ビルマ
<前略>
 この頃、宮邊戦隊長は、部隊の実記録を整理して「飛行第64戦隊略歴」
を作成、この資料に写しが現在、防衛庁防衛研究所戦史室に保存されている。
当時は、戦隊の戦闘詳報などの公式書類から、個人の日誌、写真に至るまで、
記録類はすべて破棄するよう命じられており、この簡単な資料のみが64戦隊
の戦歴全体の概要を今に伝えている。
 一方、勝利を収めた英空軍は、東南アジア全域における日本軍との戦いで、
空中勤務者4858名が戦死または行方不明になったと記録している。しか
し戦後、かれらが守るために戦った英植民地、インド、ビルマは相次いで
独立し、アジアで戦った英軍の犠牲はまったくの無駄であったという声が
澎湃と上がり、復員した英軍将兵を苦しめた。やがて英国では、欧州での
戦いに比べ規模も小さく、植民地の防衛という、後世から見て大儀なき戦い
であったビルマでの戦争は、半ば意図的に忘却の彼方に押しやられた。

梅本弘「ビルマ航空戦 下」
30日本@名無史さん:03/08/12 23:30
疫病神
31日本@名無史さん:03/08/13 00:00
仮にインパールを占領できたとしても、その後、持ちこたえられたのかな?
インパール盆地自体がすり鉢の底みたいなものだからね。
周辺の山岳地帯を押さえてないと危なくて仕方がないだろう。
雨季には盆地中央のログダ(ロッダ)湖が氾濫して、ただでさえ広くもない盆地が
ますます狭くなっちゃうわけだね。
そんな狭いところに軍を置いて大丈夫?
32寺内寿一:03/08/13 08:21
良きに計らえ
33日本@名無史さん:03/08/13 10:18
占領できてもできなくても、持ちこたえられなくても、
宮崎部隊ならいかなる状況でも善戦敢闘を期待しえたであろう。

司令官も師団長も、前進か撤退かに拘りすぎて硬直している。
34日本@名無史さん:03/08/13 10:23
芸者の件に関してですが
 「古山高麗雄」という作家がビルマ、カンボジアに従軍して小説を
書いています。(インパール作戦には幸い参加しなかった。)
 エッセイの中に、当時ビルマのある都市に出かけたときのエピソー
ドがあります。
 数人で町を歩いているとき、向こうから師団長旗をつけた車が来たので
あわてて敬礼して、チラッと車を見ると芸者の姉ちゃん達が乗っていた。
 という内容でした。
当時芸者遊びをしてたのは間違いないことでしょう。腐った「高級軍人」
の巣、ですな。
 

 
35日本@名無史さん:03/08/13 10:26
なんか銀英伝の門閥貴族みたいだな
36打通さん:03/08/13 10:48
ビルマ戦線がそんなに補給不足なら、なおさら大陸打通だ。
史実でも打通作戦がビルマ方面に与えた影響は大であった。

支那派遣軍がもっと早くビルマに到着すれば、兵器・食料だけでなく
慰安婦・芸者も沢山到着して、みんな元気ハツラツになってたはずだ。
37打通さん:03/08/13 11:01
インパール作戦は最初から補給が危ぶまれ佐藤師団長らは反対してた。
しかしながら、大東亜共同宣言は絶対であり避けては通れない作戦だ。

ならば、なおのこと大陸打通をインパール作戦の前にやるべきだった。
ビルマ戦線への補給は支那派遣軍と陸軍航空が支援するということで、
遠方太平洋に戦力を回さず大陸打通に全てを叩き込むべきだった。
ビルマの在外軍民の惨状と比べれば、日本本土さえ後回しでいい。
38日本@名無史さん:03/08/13 22:28
ちょっとこれ見てくれ
軍事板にでてました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030813-01421799-jijp-dom.view-001
39日本@名無史さん:03/08/14 00:27
>>34
少なくとも辻タンはそういった腐った遊びはやらなかったんだよね…。
作戦の巧さとかはともかく。
40打通さん:03/08/14 19:07
「補給は必ず支那派遣軍が大陸打通街道で糧食も兵器も慰安婦もまとめて届ける」
ということにすれば、佐藤幸徳師団長も感激してインパール作戦に賛同した違いない。
嫌いな牟田口司令官で、しかも敵からの捕獲兵器でやれというのは、心理的に辛すぎ。
41日本@名無史さん:03/08/14 20:51
慰安婦を戦場に送るというのが間違っとる。オンナは敵サン給与だから
勝てば白人オンナとやり放題と、言えば戦意昂揚して米英に勝てたのに。
42日本@名無史さん:03/08/14 21:04
>>41
中国兵じゃあるまいし
ドイツ女は君達の戦利品だ!
44日本@名無史さん:03/08/14 22:10
南京でゴチャゴチャ騒がれて強姦はいかん慰安婦で我慢せい、と言われてから
ワイらやる気なくなったんや、それまでは連戦連勝やったのに、ワイらみたい
下級兵士には先の命のわからん戦で女とやる以外、何の楽しみもあらへんがな。
お偉いサンには勲章やら出世あるので楽しみもあるやろが。
45日本@名無史さん:03/08/14 22:28
昭和17年10月に日本を出発した日本放送協会の南方慰問団が
ビルマのラングーンやマンダレーからやがて奥地の前線へと慰問を続けていた。

ある日、15軍の司令官がやって来た
「将兵は毎日このような戦いを続けています。諸君は不便な奥地へ行くのは
容易なことではないでしょうが、奥地の将兵は慰問団が来るのを楽しみに待ちわびています。司令官として私はでき得る限りのことを致します。
どうぞよろしくお願いします。」
慰問団員は強く心を打たれたという。

悲しい事に女子の踊り子が乗った司令官の乗用車が転落事故をおこし
運転していた伍長が死亡、女の子も怪我をしたという。


46日本@名無史さん:03/08/14 22:40
尻の毛を抜けや
47日本@名無史さん:03/08/14 22:50
海軍砲術学校を卒業し武蔵に配属が決まった塚田義明は昭和18年12月
輸送船でトラック島に向かった。6隻のうち、4蕃船に女が乗っているらしい
というウワサが流れた。まさかと思いつつ確かめようもなかったが途中、
その4蕃船に敵潜の魚雷が命中。カッターで救助に向かったが一塊になっている
集団に近づいたところ、男に身をやつしていたが間違いなく女であった。
彼女たちは春島に向かう海軍専用の「慰安婦」の一団と後で知らされたとか。
48日本@名無史さん:03/08/14 23:02
連合軍東南アジア方面軍司令官(The supreme allied commander
in Southeast Asia), マウントバッテン海軍大将 (Mountbatten,
Louis Francis Albert Victor Nicholas, 1st Earl Mountbatten
of Burma) は後に以下のようにこの戦いを総括している。
「日本軍はインパールにおいて結局敗れたが、何らかの足跡を残した。
それは歴史学の泰斗トインビーの言葉を借りれば 『もし日本に対して神が
何らかの使命を与えたのであったとすれば、それは権力にあぐらをかいた
西欧人を、アジアにおける支配者の地位から引きずり降ろすという使命
であった』」
http://members.jcom.home.ne.jp/british-army2/report/japan.html
49日本@名無史さん:03/08/15 00:31
ウ号作戦(インパール作戦)で、日本軍は3万人が死に2万3千人が重傷病。
これに対し英印軍戦死傷者は1万8千人であったという。英印軍にとって
比較的楽だったのは、空輸がふんだんに受けられたことだろう。

It was air supply that had kept both sets of defenders in the game.
By June the Japanese U-Go offensive had come to a halt. Around 12,000
Indian casualties had been sustained, out of a total of almost 18,000
Allied killed, wounded and missing. Of nearly 100,000 Japanese soldiers
who took part in the U-Go offensive, only about 20,000 recrossed the
River Chindwin unscathed. Some 30,000 had been killed in battle,
and another 23,000 were wounded or fell victim to disease.
http://www.mgtrust.org/burma.htm
50吉原正喜:03/08/15 02:48
おいらを巨人軍で、戦後も野球やらせてほしかったたい!
何でテツがV9の名監督じゃ!打撃の神様じゃ!
くやしいのう!
51日本@名無史さん:03/08/15 03:37
ドイツ映画版の「スターリングラード」のような
苦闘の悲愴美とサバイバルを描いたような
本格的戦争映画「インパール」を制作して欲しい。
52山崎 渉:03/08/15 12:13
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
53日本@名無史さん:03/08/15 20:42
戦死者の数だけなら、ニューギニアの第十八軍のほうが多いのに、
安達二十三中将を悪く言う声は聞かんな。やっぱり人格か?
54日本@名無史さん:03/08/15 21:22
>>53
ニューギニアの場合、ちょっと山に入ると自生しているバナナとかが
あったから、逃げまくる事が可能だったのが違っているといえばそう
なるかも。
55日本@名無史さん:03/08/15 21:23
とかげもるし。
56日本@名無史さん:03/08/15 21:25
ニューギニアの第十八軍は、14万人が最終的には1万3千に減った。
そのほとんどが餓死だった。
57日本@名無史さん:03/08/15 22:16
>>53
一人の将軍の功名心のために死んだか、そうでないかの違いでは?
別に安達が進んでニューギニアに日本軍を送り込んだわけでもないし。
牟田口が進んでアラカン山系に日本軍を送り込んだのは定説だが。
58日本@名無史さん:03/08/15 22:34
アイタぺ攻撃に関しては賛否あると思うが、安達将軍は兵と苦労を共にし、
最後はきっちり自決したから。
芸者をあげて遊んでたといわれる牟田口とは違うわな。ちなみに2人は同期だが。
59日本@名無史さん:03/08/15 22:48
環境にやさしい作戦でした。

いろんな意味で。
60日本@名無史さん:03/08/16 07:32
いずれにしても、300万人を超える犠牲者を出して大日本帝国は
なにか得るところあったんかいな?民族の誇りとか、そんな屁みたいなもの
得たところで何にもまらへんがな。それに敗戦後の醜い日本人みたらホコリ
はホコリでもゴミでんがな!
61日本@名無史さん:03/08/16 08:06
安達と牟田口が立場が逆だったら安達はインパール作戦のような無謀とも思える
作戦を実行しただろうか、また牟田口がニューギニアの軍司令官ならどうだった
だろう、飢餓と戦う将兵にポートモレスビーを全軍を上げての攻略を命じオース
トラリアに上陸する作戦を立てていたかも知れない。
でもこの場合上部組織である方面軍司令官である今村が許可しないだろうな、河辺
と今村の違いもあるな、今村がビルマ方面軍司令官だったらインパールのような無
謀な作戦は没にしただろうな。
62あぼーん:あぼーん
あぼーん
63日本@名無史さん:03/08/16 09:20
>インパール作戦のような無謀とも思える作戦

それ言うならラバウル・ニューギニア作戦のほうがよほどか無謀だ。
一刻も早くそんな遠方戦線は放棄して撤退させたほうが良かった。
無駄に多くの資材・人員が失われただけ、米機動部隊はずっと健在。
安達中将らニューギニア派遣軍は、見棄てられた陸兵たちの敢闘だった。
インパール作戦はいくら無謀でも大東亜共同宣言で決めた公約だ。
64直リン:03/08/16 09:52
65日本@名無史さん:03/08/16 10:20
>>インパール作戦はいくら無謀でも大東亜共同宣言で決めた公約だ。
それに至るまでの経過は牟田口が英空挺部隊の動きに恐れをなし、彼の
誇大妄想癖が当初南方軍や隷下の3師団長の反対するのも聞かず大本営に
是非やらせてくれと泣きついた結果じゃなかったのか。
確かにラバウル・ニャーギニアの戦いはもはや趨勢を決する戦いからは取
り残された作戦で、出来るなら撤収すべきものだった、だが連合艦隊はほぼ
壊滅状態で兵員物資の輸送もままならぬ状況ではな。
いくら公約でも当時の戦況から補給なくアラカン越えの強行軍を強いられた
将兵は気の毒としか云い様がない。
66日本@名無史さん:03/08/16 10:28
弾薬もなく食料もなく
牛や馬も死んでしまうような高地を踏破してみせた
日本陸軍の兵隊たちには驚嘆の念を抱かずにはいられない。

だがこんな作戦はただの自殺行為であって作戦と呼べるもの
ですらない。大東亜会議の公約だというならもうちょっと
まともな頭脳でもうちょっと準備してからやれと。
どちらも無理なら諦めろと。
こんな作戦で死んだ人間はたまったもんじゃないよ。
67打通さん:03/08/16 22:21
>だがこんな作戦はただの自殺行為であって作戦と呼べるものですらない。

いくら無茶な作戦を強いられたからといって、日本人の内輪であいつが
悪いこいつが悪いと罵り合ってて何になる。必要なのは宮崎部隊のように、
進むも引くも戦意を失わずひたすら闘い続けることだ。牟田口廉也が気に
入らんからと、ただ反発してみたところで単なる内輪揉めにしかならん。
68日本@名無史さん:03/08/16 22:23
結局弱体な日本軍では、精強なる英軍にはかなわないんだね。
69日本@名無史さん:03/08/16 22:26
負けた方が弱い軍隊、これぞ真理。
70日本@名無史さん:03/08/16 22:48
牟田口予科士官学校長閣下の訓辞
 「最近は現場の責任指揮官、特に師団長にろくなやつがおらん。
  だから負け戦が続くのだ」

それであんた恩給貰って長生きしたんだんねー。立派な人生だねー。
71日本@名無史さん:03/08/16 23:02
しかし、日本の官界って不思議な組織だ。失敗したり敗走した指揮官が
現役で残れるとは、牟田口然り、栗田然り!
72日本@名無史さん:03/08/16 23:09
でも海軍の福留繁にゃ〜かなわんだろ。捕虜になったら死ねとか
下級者には五月蝿いくせして捕虜になったあげく次期作戦の機密文書
奪われても栄転させるとは!日本の官僚社会が責任不在の組織と
言われるもムリないわ(ゲリラだが指揮官は米人中佐)。
73日本@名無史さん:03/08/16 23:19
戦死すれば大将になれたのに。
74日本@名無史さん:03/08/16 23:40
>大東亜会議の公約

本当にこれだけの事だったんだね。
75日本@名無史さん:03/08/16 23:51
上層部は首が飛ばないようにできていた。

76日本@名無史さん:03/08/17 00:00
牟田口だけじゃない、愚劣な作戦で将兵を犬死させたのは。秀才とか
呼ばれ、大本営で作戦練ってた参謀どもだって都合の悪い情報(実は
こっちの方が正確)は無視、手前勝手な都合の良い作戦(相手がいなきゃ
成功する)を実施部隊に押し付け失敗すりゃ現地が悪いで終わり。
77日本@名無史さん:03/08/17 00:01
>>67
そーやって反省させない風潮が、日本の欠陥(無責任体質とかね)を
延々未だに持ち続けている原因になるんじゃないの?
78日本@名無史さん:03/08/17 00:02
「称えよう」といわれても、称えようがない
79日本@名無史さん:03/08/17 00:13
「将軍連が参謀に鼻面引き回されてる時代に、言うこと聞かない参謀長を
スパッとクビにするなんて流石ですね」とか。
80日本@名無史さん:03/08/17 07:41
>>76
「だけじゃない」ことは何の贖罪にもならないけどね。
81日本@名無史さん:03/08/17 08:58
悪疫瘴癘の地といわれたビルマで、補給もなくバカな作戦に狩り出された
兵士の苦労がしのばれる。−黙祷−
82日本@名無史さん:03/08/17 18:31
南回りでインパールまで進攻しようとしていた弓師団は、3月8日に作戦開始で、
3月20日前後にはビルマ領内のトンザン・シンゲルの戦闘で主力に大打撃を受け、
戦力は半分以下になっていた。
ところが当面の敵が北に後退したものだから、15軍司令部は弓師団の残存兵力を
インド領内に進撃させ、インパール南方の町ビシェンプールを攻撃させた。
失敗に終わったこの攻撃で、弓師団は全滅に近い状態になってしまった。
そして作戦中止は7月になってから。。。
他の師団も補給がなくてひどい状態だったみたいだね。
83日本@名無史さん:03/08/19 17:55
英第14軍司令官スリム将軍は回想録の中で、英軍が自主的にインパール盆地に後退して
日本軍を待っていた、と書いているそうだ。
南から来る日本軍に対しては打撃を与えながら後退し、インパール盆地に誘い込んで
殲滅する作戦だったようだね。
まさにその通りになってしまった。
84日本@名無史さん:03/08/19 18:11
>>83
英軍お得意の退却戦略は、マレーの時にはうまく機能しなかったんだよ
ねー。でもあれは緒戦で、バカにしていた日本軍が意外に頑張るから、
恐怖感でパニックになった要素もあるしねぇ。
打通さんには悪いけど、中国戦線もいわば巨大な退却戦略だし、日本軍
みたいな猪突猛進型軍隊をやっつけるには、有効な戦略だね。
85打通さん:03/08/19 19:21
>中国戦線もいわば巨大な退却戦略だし、

大賛成。郷土心のカケラもない金の亡者だった国民党ゴロツキ集団にとって、
中国の国土や住民はむしろ邪魔なだけだった。一刻も早く丸ごと全部放り棄
てて国外逃亡を果たすのが、彼らの戦略だったのだ。
86日本@名無史さん:03/08/19 19:27
戦後スリム中将(14軍司令官)がイギリス公刊戦史執筆中のカービー将軍
にあてた手紙  (1959年12月14日付)
 「...確かに、柔軟性のなさ、というのは日本軍の犯した過ちの大きな原因ではある。
しかし指揮官達が『書面通りに、命令に従った』というよりは、『道徳にそった勇気の欠如』
に、もっと大きな原因があると私は思う。
 それがために、部下が上官に対して、彼が下した命令が状況にそぐわないものであること、
あるいは、不可能であるということを、言えなくしたのである。
結果として命令は状況に応じて変えられることがなかったのである。
     「責任なき戦場 インパール」  NHK 取材班
「道徳にそった勇気」....。
 道徳にそった勇気、と「責任感」だと思うなー。
87日本@名無史さん:03/08/19 19:36
6月6日、河辺と牟田口はインダンギーで会議を開いたが、両名とも
内心撤退を望んでいながら口に出すことができなかった。相手から
言い出すのを待っていた。「私はただ、私の風貌によって察知して貰いたかった」
(牟田口)、「チャンドラ・ボースと心中するのだ、と余は自分に言い聞かせた」(河辺)
88日本@名無史さん:03/08/19 19:43
軍事板のヤシはどんだけいるのかね。このスレでは
89日本@名無史さん:03/08/19 19:49
牟田口の蘆溝橋事件とインパール作戦に関する聞き取り録音資料が
国会図書館(憲政資料室)にあり公開されているが、どうせ、テメー
に都合のいいしゃべくりばかりで史料価値少ないんだろう。
90@@:03/08/19 19:49
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91日本@名無史さん:03/08/20 04:18
打通さんは、何はともあれ前向きだよね・・・
92日本@名無史さん:03/08/20 05:43

最初、第十八師団長だった牟田口中将は、十五軍司令官飯田祥二郎中将から
インド侵攻を打診された時、兵站の確保の困難から反対してるんだがな・・。
93日本@名無史さん:03/08/20 07:10
とうぜうの肝いりだろう。
94日本@名無史さん:03/08/20 10:21
後方支援の輜重兵12連隊の曹長だった人の話では、タンポポばかり2週間も
喰っていたら金玉が膨れてきた。黙っていたが部下から、班長チョット見て
くれ、と言われ見たらお碗みたいのが二つぶら下がっていた。それで他の兵隊
にも聞いたところ全員膨らんでいた。てっきりタンポポにやられたと思ったが
後で聞いたら栄養失調によるもので、喰わなかった者は脚気になったとか。
95日本@名無史さん:03/08/20 10:27
終了


あとは軍事板でオナってろ
96日本@名無史さん:03/08/20 10:40
開戦初頭の12月21日にも、服部卓四郎、瀬島ほかの大本営参謀が南方軍司令部
に来て、ビルマ攻略の命令を出している。準備のない南方軍は驚いたが
成ルヘク速ヤカニ、という内容なのでその場は切り抜けたが大本営は早くから
その気があった。18年10月にチャンドラ・ボースが「自由印度仮政府」の樹立を宣言
11月の大東亜会議などの経緯もあり軍はインパールついでインドへの侵攻を焦った。
97_:03/08/20 10:41
98日本@名無史さん:03/08/20 10:48
連夜斎、東条から“チミこれが成功したら大将だから頑張ってけれ”と吹き込まれたんだろ。
99日本@名無史さん:03/08/20 11:02
板違いだよ
100日本@名無史さん:03/08/20 22:38
牟田口閣下回想録より
「服部卓四郎君(インパール作戦認可当時の大本営課長)が復員局に居られた当時、
戦争資料を整理する為イムパール作戦関係者が集まった際、私はその時まで疑問
にしていた『イムパール作戦について大本営としては希望していたか』との
私の問いにたいして『冗談ではありません、大本営としては反対であった』
旨答えられた。私は全く途方に暮れた感じがした」
   
こういう連中をなんと言えばいいのだろう。 
101日本@名無史さん:03/08/20 22:53
さすが、戦後も活躍した服部卓四郎閣下ですな(w
102日本@名無史さん:03/08/20 23:33
こういうクソスレは終了しろ

103日本@名無史さん:03/08/28 12:10
良スレあげ
104日本@名無史さん:03/08/28 15:06
服部センセー、支那派遣軍の65連隊長の要職にありながら単身日本に帰ってきた。
(土居明夫の仲介で国民党の計らいで一足先に帰国したという説もあるが)
井本熊男大佐によれば「海外に出ている軍隊が元の状態に戻るためには復員命令が
出て内地に帰り、そこで全員解散する。だから、それを打ち消す命令が出ない限り
部隊長が1人で帰るなんてあり得ない。もし、帰ったのであれば当時の状況では
GHQ(ウィロビーか?)の命令以外ありえない」日本の誰が画策したのか?
105日本@名無史さん:03/08/28 15:48
土居は服部に第二課長の座を追われたのに、親切なことだね
106日本@名無史さん:03/08/30 22:55
 スリムも飛行機が必要だった。彼の第一四軍は、日量七五〇トンが物質が要る
と算出されていたが、メイクテーラ作戦がフル稼働する三月以降は、これが
一二〇〇トンに上る。ある朝、インパールの司令部で上空を飛行機が飛ぶの
を聞いたが、これは自分に割り当てられていたダコタ機三個中隊で、急に中国
へ向かうよう命令されたのだと知って仰天した。彼は、手に入る飛行機を全部
使って、日に七千回の出撃が必要なのに、予告なしに七五機を失うのはひどい
痛手だ(Lewin,Slim 217頁)。紛糾のもとは、中国情勢である。シェンノート
航空隊が、やがて日本本土を空襲するはずだ。その中国のアメリカ軍前進基地
に対し、その使用を封殺するために日本の中国派遣軍が一号作戦を発動し、
飛行場群の奪取を狙っているのだ。

<ルイ・アレン「ビルマ遠い戦場 ビルマで戦った日本と英国」中巻 291頁>
107日本@名無史さん:03/08/30 23:00
108日本@名無史さん:03/09/07 22:12
日本陸軍って40kgの荷物を背負って1日で40kmの徒歩行軍はすごいな
バターン死の後進より数倍過酷じゃん
109日本@名無史さん:03/09/07 22:45
太平洋戦争 日本の敗因またやらねーかな
110日本@名無史さん:03/09/08 05:01
>>108
日本兵の凄さ、牟田口閣下曰く「弾がないから戦えぬとぬかす、弾がなければ手足を使へ
、手足が使えなければ口で噛みつけ」と、また曰く「食うものがない、補給ないからという
と云って来る、この青々としたビルマの山々でなんで食うのに困るのか」(ママ)。
111日本@名無史さん:03/09/08 09:00
日本人の凄さ、牟田口閣下曰く「職がないから戦えぬとぬかす、職がなければ手足を使へ
、手足が使えなければ口で噛みつけ」と、また曰く「食うものがない、給料がないからという
と云って来る、この青々とした日本の山々でなんで食うのに困るのか」(ママ)。
112日本@名無史さん:03/09/08 10:42
牟田口廉也は、佐賀県民の誇りです。
誰も自分からは言い出しませんが。
113日本@名無史さん:03/09/08 12:47
第15師団(祭)の持っていた山砲の半数が三一式(明治31年制定)だった
というから、その古さに驚かされる。つまり日露戦争を戦った兵器から
ほとんど進歩していなかったということだ。このような技術軽視と過剰な
精神主義が破滅を招いた。その反省から、戦後は過剰な技術重視(下らない
と言ってもいいくらいの機能偏重)と精神主義の完全否定(日本の伝統的な
美質すら否定)の世の中となり、これも破滅を招こうとしている。
114日本@名無史さん:03/09/08 13:04
日中戦争を当時観戦した欧米の武官たちは、日本陸軍の装備、補給、戦略思想の
貧弱さに驚き、三流軍隊ではないかと評していた(Stilwell and the American
Experience in China、 Barbra Tuchman)
115日本@名無史さん:03/09/08 16:14
日中戦争を当時観戦した欧米の武官たちは、日本陸軍の装備、補給、戦略思想の
貧弱さに驚き、もっとも経済的な軍隊ではないかと評していた
116日本@名無史さん:03/09/08 16:16
日米戦争を当時観戦した欧米の武官たちは、日本海軍の装備、補給、戦略思想の
豪華さに驚き、もっとも気前の良い軍隊ではないかと評していた
117日本@名無史さん:03/09/08 16:55
イラク戦争に参加した自衛隊の待遇を聞いた欧米の武官たちは、その給料や
死亡時褒賞金額に驚き、世界で一番豪勢な軍隊ではないかと評していた
118日本@名無史さん:03/09/08 18:22
warota
119日本@名無史さん:03/09/08 19:36
安達二十三将軍だったら、大本営からの命令ということだったら
敢然とインパール作戦をやっただろう。でも、戦線後方に留まっ
て芸者遊びをしているとか、戦後もおめおめと生き残るようなこ
とはなかったはず。
120日本@名無史さん:03/09/08 20:19
121日本@名無史さん:03/09/09 20:06
院パール作戦は、忠臣蔵なのです。
太平洋戦線の負担を軽くするため敵資源をビルマインド方面に吸収したのです。
そのため敵を欺くために、司令部は毎夜のごとく芸者遊びにふけりました。
また院パール戦線では最小限の設備だ最大の攻撃を演出したのです。

あああ牟田口閣下は大石倉之助なのです。

おそかりし ゆらのすけ。。。
牟田口は おとこでござるうううう

122日本@名無史さん:03/09/09 20:08
日本軍の物資を消耗させるための作戦?
123日本@名無史さん:03/09/11 23:36
ニューギニアで自ら激しい下痢と腹痛に悩まされながらも前線部隊を訪れ将兵を励まし
続け、戦後はその責を取って自決した某司令官もいれば、インパールで安全な後方にい
て前線を一度も訪れる事もなく、美味いものをたらふく食べ芸者を囲い、無茶な命令を
出し続けた無責任司令官もいたという事。
124日本@名無史さん:03/09/12 00:33
ほぼ前線にわたって昭和19年には敵に圧倒されかつ武器弾薬の補給、火力のレベルさ
航空戦力の圧倒的格差など状況にあっては、非人間的な指揮が要求される。
合理的判断を超越しているわけだから、人格円満な将軍は必要ない。
むしろ有害である。
このような状況に軍を追い込んだ上層部の責任は極めて大である。
125日本@名無史さん:03/09/12 20:30
>124
圧倒的戦力差の状況だったら、降伏すれば良かったんだよ。無駄な戦いなら
しなきゃ良かったんだったよ、そんな非人間的な指揮をする指揮官の下で無茶
な戦いで可愛い息子や愛する夫を殺された親族はたまったもんじゃないぞ。
牟田口に人間性の欠けらでもあったのか?それで作戦は成功したのか?
神風攻撃で若者の多くが散っていったがそれによって米軍の侵攻は止まったか?

126日本@名無史さん:03/09/12 20:37
圧倒的劣勢にあったドイツ軍参謀本部は最期まで連合軍に可能な限りの
損害を与える方策に基いて作戦を立てた。
1944年においても英米軍とは戦闘における損害はほぼ互角、
赤軍に対しては4〜5倍の損害を与えていた。
無駄な抵抗はするな、さっさと降服しろという連中にとってはどうでも良いことかもしれないが。
127日本@名無史さん:03/09/12 21:11
ドイツ軍参謀本部は爆弾抱えて敵戦車の下へ飛び込んで自爆しろと命令したことでもあるのか、
撃つに弾なく喰うに糧なしの裸同然の部隊に退却を認めなかったことでもあるのか。
128日本@名無史さん:03/09/12 21:38
日本軍大本営とドイツ軍参謀本部が同じ劣勢でありながらも、
敵に与えた損害については大きく異なる。
129打通さん:03/09/13 00:21
>日本軍大本営とドイツ軍参謀本部が同じ劣勢でありながらも、
>敵に与えた損害については大きく異なる。

何しろ日中戦争は中国チンピラゴロツキ3500万を叩き潰してわがほうの
損害はたった50万、しかも支那派遣軍百万の精鋭健在。これは動物と人間
の戦いで、汚いドブネズミを群れを駆逐した正義の戦争だった。
130日本@名無史さん:03/09/13 05:46
ビルマまで進出して、インドのインパールやアッサムを拠点とする英軍のビルマ反攻の
気運が高まっている、
131日本@名無史さん:03/09/13 05:49
という状況で判断するとしたら、どうするのがベストだったんだろう?
132日本@名無史さん:03/09/13 13:03
なにがムカツクかって言うと
牟田口廉也が戦後に自己弁護と自己正当化を繰り返して、他の将校に汚名を着せ続けた事だ
こいつはマジ屑だな
133日本@名無史さん:03/09/15 00:18
栗田中将のレイテ湾反転については色々批判があるけれども、戦後一切弁明をしなかった
のは偉い。
134日本@名無史さん:03/09/16 14:45
>125降伏すれば良かったんだよ。

たたかわず降伏した関東軍はシベリア送りで10万人しんだ。
抵抗して退却し蒋介石に降伏すれば5万ぐらいの損害ですんだし、おおくの
日本人婦女子をすくえたのではないか!?
135日本@名無史さん:03/09/16 14:48
>戦後一切弁明をしなかった
のは偉い。

敵前逃亡と非難されても無視した。 内心 そのとおりだとおもっていたからだよ
牟田口とちがい 偽れない人格であったのだよ
軍人にむかなかったんだよ 平時の提督だったら幸福だったろう。
136日本@名無史さん:03/09/16 14:51
>131という状況で判断するとしたら、どうするのがベストだったんだろう?

すごしづつたいきゃくしながら、的に損害をあたえればいいんだよ
沖縄戦、ペイリュウーの方式でね。 時間を1年以上稼げたんじゃないかな。
昭和21ねんぐらいまでな
137日本@名無史さん:03/09/16 14:56
1.関東軍はソ連が侵攻してきたら、民間人ほったらかしで一番先に
  逃げた、腐れ関東軍ニダ。

2.牟田口マジ屑。私の叔父はラングーン初回爆撃で戦死、司令官だ
  ったかな2階級特進で少将になり申した。
  他親戚戦死者多し。
138日本@名無史さん:03/09/16 19:34
>>133
あの戦いで栗田中将ばかり批判されてもねえ。
柔軟性のない作戦、なのに作戦目標をひとつに絞れず(艦隊決戦も許可していた)
台湾沖で艦載機が壊滅しても作戦の変更せず。
さらにはシブヤン海戦までの被害はほとんどない物として計画立ててるじゃん。
極論を言えばあの時点で撤退したとしても批判される筋合はないわけだが。
それなのに指令部はほとんど叩かれず、栗田中将のみがこれだけの非難を受ける。

ほんとよく我慢したもんだよ。

139本@名無史さん:03/09/17 23:30
>>138
最初から特攻として心でくれといっているんだよ!
それを栗太は拒否して遁走したわけだ。
いきのこっても惨めな死がまっているだけだよ(金剛、大和など)
レイテで死んで東京も降服交渉にはいれるものをなまじ戦力をのこしたものだから
神風、などでダラダラ戦争がつづいたわけだよ!
140本@名無史さん:03/09/17 23:47
>>139
いずれにしも 日本軍はもうめちゃくちゃの状態にあったんだよ
こんな軍がなくなってよかったんだよ
栗田は多くの兵をすくった。 実に名誉なことではないか。
牟田口は東條の意向を汲んでそんな無茶を実行したわけだ。
牟田口は出世するだろうし、おそらく参謀総長になるだろう。
141日本@名無史さん:03/09/17 23:55
参謀総長は無理だよ。22期だよ、牟田口は。
142日本@名無史さん:03/09/18 01:19
>>140
栗田は多くの兵を救ったかもしれんが、あそこで
艦隊をすりつぶさなかったおかげで海軍がのちのち
まで「大和」に拘り、終戦工作の検討が遅れたわな。
大和が早めに沈んでりゃもっと早い終戦があったかもな。
143日本@名無史さん:03/09/18 01:23
>>142
お前が死ねば資源の浪費がなくなってそのぶん多くの
動植物を救える 今すぐ死ね
144 :03/09/20 00:43
インド人、ベンガル人、ミャンマー人はインパール作戦について、
どう思っているのかご存知の方いませんか。
145日本@名無史さん:03/09/20 01:16
>>144
ミャンマーについては、日本軍が統治してた時期があったわけだけから、インパール作戦は
日本統治の下り坂のはじまりと見てるのでは?
しかしイギリス統治への恨みのほうが激しいから、総じて日本に対しては好意的だと思う。

インドは、やはりイギリス統治への反発があるし、日本はインドを統治してないし、
インド国民軍やチャンドラ・ボースのこともあるから、インパール作戦を評価する人も
かなりいるのでは。
もちろん否定的に評価するインド人も多いだろう。印英軍の兵士として日本軍に殺された
インド人もいるわけだから。
ただし、インドでの非戦闘員の被害は地域が限定されてるね。
(現在のナガランド州とマニプール州だけ。)
146本@名無史さん:03/09/22 02:30
>>142
一番良いのがYAMATOが瀬戸内海でアメリカ機から魚雷をくらい着低することだね
兵はたすかる。 敗戦日本には鉄くずが!
147本@名無史さん:03/09/22 02:33
>>145
インドは独立国ではなかったし、日本と交戦したという意識はない。

むしろ関係のない親日国といっていたトルコが対日宣戦布告したほうが
あきれたね! ソ連とおなじやりかたの第3語句人でよ
所詮はトルコ風呂の国で文化はギリシャのもの。
148日本@名無史さん:03/09/23 09:03
インドは英国の植民地で、その支配に辛酸を舐めたので、概ね同じアジア人として
友好的だった。
極東軍事裁判でのパール判事の好意的見解を見ても明らか。
149日本@名無史さん:03/10/18 23:33
牟田口廉也一人の責任ではないだろう。
150日本@名無史さん:03/10/18 23:40
ムッチーはうんこ
151日本@名無史さん:03/10/18 23:45
>むしろ関係のない親日国といっていたトルコが対日宣戦布告したほうが
>あきれたね! 
イタリアは?
152日本@名無史さん:03/10/19 00:01
インドの対日観は複雑だよ。ネールはかなり日本に批判的だ。チャン
ドラ・ボースは日本に来る前は、ソ連とドイツにいたから、インド人
の一般的考えでは「ボースは目的のためには、誰とでも手を結ぶ男」
って評判だ。それでも、独立のために頑張ったから、一般にはやや人
気はある。終戦時、どさくさに紛れて再びソ連に身を寄せようと、台
北空港を飛び立つ時に、不審火で焼死するんだよね。
マレー半島では主力となって戦って死んでいったのは、インド人兵士
だった。またインパールで戦ったのもインド人兵士。その点では、ひ
ょっとしたら彼らは「日本に勝って独立を手に入れた」とでも思って
いるかもね。
153日本@名無史さん:03/10/19 00:23
「アーロン収容所」読んでいちばん笑ったのはインド人のところだな
英国人から人間扱いされず臥薪嘗胆の収容所生活だったわけだが
徐々に英国人が減って見張りがインド兵ばかりになってくると
「おいインド」「何ですかマスター」捕虜の方が威張ってるんだから

>>152
カルカッタじゃ今でもボースは英雄だよ
154日本@名無史さん:03/10/19 01:25
【珍子】そろそろ牟田口廉也のちんこについて語ろうか【上等】
155日本@名無史さん:03/10/19 02:39
>>148
当のパール判事は「私は正論を述べただけであって、そのように個人的感情から
日本無罪を主張したかのように言われるのは心外だ」ってさ。
156日本@名無史さん:03/10/19 09:36
>>155
まあ日本に好意があるかないかは措くとしても、あの状況で正論を主張しただけでもたいし
た勇気と冷静さだと思う。
よく同様の立場の国の判事たちの尻馬に乗らなかったな、と。
157日本@名無史さん:03/11/07 00:02
ムッター
158日本@名無史さん:03/11/07 03:11
>127
>ドイツ軍参謀本部は爆弾抱えて敵戦車の下へ飛び込んで自爆しろと命令したことでもあるのか、
こっちはともかく、

>撃つに弾なく喰うに糧なしの裸同然の部隊に退却を認めなかったことでもあるのか。

こっちはね。
 「情勢判断を無視し、死守命令を乱発した結果、軍集団レベルの大部隊が壊滅」
というのは、ヒトラーや(特に初期の)スターリンはいくらでもやっていると思うが。
 まあ、この場合は「参謀本部が」じゃなくて「大本営が」になるんだろうし、
「誤った指揮」の典型として非難されているわけではあるが。
159打通さん:03/11/14 18:08
>圧倒的戦力差の状況だったら、降伏すれば良かったんだよ。無駄な戦いなら
>しなきゃ良かったんだったよ、

大陸打通作戦の場合は全く当てはまらないな。たった50万の犠牲で
中国チンピラゴロツキ3500万を叩き潰して、百万の精鋭が健在。
だから大陸打通に全ての戦力を叩き込んで、中国チンピラゴロツキ
だけを徹底的に狙い撃ちにしてガバガバ斬りまくればよかった。
160日本@名無史さん:03/11/15 21:42
>159

なんつか、下品な物言いだね・・
161日本@名無史さん:03/11/21 02:00
「武器不足は敗北の言い訳にならず」
この異常な言葉は一九四四年、インド・ビルマ国境で展開されたインパール作戦の
日本側司令官、牟田口中将の発した命令文にある。この考え方は当時の日本軍の司令官に
全部とはいわないまでも、共通のものだった。質量ともに極度に劣勢にあっても、ときとして蛮勇
が大勝利をもたらすのも事実ではあるが、これは賢明な人間のする勝負ではない。
   J・F・ガニガン/A・A・ノーフィ  大貫昇・訳 「第二次世界大戦あんな話こんな話」文春文庫

敗戦時「精神では負けてなかったがアメリカの物量に負けた」と言い訳しちゃった軍の偉い人って…
162だつう:03/11/29 19:58
>日本軍はもうめちゃくちゃの状態にあったんだよ

中国チンピラゴロツキ相手なら大陸打通で連戦連勝進撃3000キロ。
163日本@名無史さん:03/12/01 11:54
 日本軍は確かに、壊滅状況でチンドウィンまで撤退していた。しかし第三三
軍団の統計は、容易ならざる状況を示していた。「七月から一一月までの週平均
の兵力八万八五〇〇人のうち、インパール以遠で日本軍を追撃できたのはほぼ
半数である。死傷者は五万三〇〇人に上り、そのうち作戦中の死者はたったの
四九人であった。病気になった四万七〇〇〇人の半分以上は、インドへと後方移送
しなければならなかった。メバクリンを備えていても、マラリアの症例が、二万人
を越えている」とレイモンド・キャラハンは書いている。

ルイ・アレン「ビルマ遠い戦場 ビルマで戦った日本と英国」中巻
164日本@名無史さん:03/12/12 07:43
インパール作戦戦ったINAの伝記って何か翻訳されてる?
読んでみたいんだけど。
165打通さん
中印紛争ではインドともあろう大国が、かの「チンピラゴロツキ」相手に大敗北。

情けなくも、嘆かわしいことだ。

それもこれもインパール作戦の失敗でインド国民軍が形成されず、
ガンジー・ネルー王朝に甘んじてしまったからだ。