歴史の敗北者 徳川慶喜

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1日本@名無史さん
大政奉還、江戸城無血開城に尽力した
明治維新の功労者か
大阪城から敵前逃亡する
只のヘタレか
2日本@名無史さん:03/08/12 00:28
関連スレ

明治維新とは一体なんだったのか?2
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053405956/
徳川慶喜の大坂放棄は英断か愚劣か
http://mentai.2ch.net/history/kako/971/971353092.html
▼徳川慶喜は維新の功労者?▼
http://academy.2ch.net/history/kako/1024/10244/1024411893.html
徳川慶喜について全てさらけ出せゴルァ
http://academy.2ch.net/history/kako/1026/10268/1026800818.html
3日本@名無史さん:03/08/12 00:35
少なくとも、常に「部下に恵まれない上司」だったことは確かだな。
4日本@名無史さん:03/08/12 00:42
少なくとも列強による日本占領を防いだことは確かだな。
5日本@名無史さん:03/08/12 00:49
尊皇派からは天狗を見捨てたからへタレと言われ、
佐幕派からは幕臣を見捨てて逃亡したからへタレと言われる
孤高な最後の将軍
6記念書き込み:03/08/12 03:18
>>1
龍馬はさあ、わかりやすく言うと薩摩党、長州党、慶喜党(その他 肥前、土佐など含め)
3党連立内閣で慶喜内閣作ろうとしたんだよ。
薩摩と慶喜との合意はできていたが長州のバックのイギリスのパークスが慶喜のバックに
フランスがついていたからイギリスとしては日本がフランスの植民地になるくらいなら
イギリスの植民地にしたほうがよいと考え慶喜を権力の座から引きずり下ろすため
イギリスのパークスが長州に「開国を認める天皇の元で薩長新政府を新しく作れ!」と
命令。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
天狗の党の決起の時、水戸が東から長州が西から革命を起こして
幕府を挟み撃ちにして倒す密約だったのに幕府首脳に「水戸斉昭、慶喜らが実は長州と裏で
手を組んで幕府に反旗を翻す」という情報が漏れ出した頃、慶喜らが幕府に逮捕される事を
恐れて天狗の党のメンバーを幕府に通報して切り捨てる。つまり慶喜が自分の保身のために
相手を平気で裏切る人間であることを木戸は知っていたからどうせまた
慶喜に協力しても水戸斉昭の息子とすりかわった中川宮を上皇にして東武皇帝を天皇にして
長州の人間は全て捕らえて打ち首にされると危険を察知した。
だから明治天皇(長州の奇兵隊の足軽 大室寅之祐)を守り明治天皇に全ての権力
を与えるため慶喜追討を決意。
そのためにはまず慶喜を助けようとした龍馬は邪魔になって伊藤、山縣、井上馨ら
3人が龍馬と中岡を殺害。特に林宇一(伊藤博文)が龍馬を殺して維新後出世した。
龍馬は慶喜のために犠牲になった。
龍馬と中岡が生きていたら戊辰戦争はなかったし太平洋戦争もなかったといわれる。
7日本@名無史さん:03/08/12 03:23
また百姓の妬みかい
いい加減にしたら?>1
8日本@名無史さん:03/08/12 03:56
個人的には超有能人物として評価してる。
ただなんかやはり坊ちゃん育ちの軽薄さというかそういうのがあるな。

最近は幕末よりむしろ歴史を1人で背負い込んだような明治大正の慶喜に興味がある
9日本@名無史さん:03/08/12 05:16
女が腐ったような奴という形容詞が見事に似合う慶喜君
10日本@名無史さん:03/08/12 07:18
>>4
イギリス→貿易相手
フランス→プロイセンに押されナポレオン3世もうだめぽでそれどころじゃない
プロイセン→ビスマルク植民地否定
アメリカ→南北戦争やっとるわけだが
オランダ→ヘタレてる

日本占領という具体的な考え持っていた国はあったのだろうか?
またそれは可能だったのだろうか?
11日本@名無史さん:03/08/12 12:16
>>10
ロシア
12日本@名無史さん:03/08/12 12:24
でも結果的には、ややこしい仕事からは解放され、好きなことに没頭できたんだから
そんなに悪い人生でもなかろう。
東京市長だか、府知事への就任を断ったくらいだし。
13日本@名無史さん:03/08/13 04:06
隠居してでしゃばらなかったとこは好感もてるな。
14日本@名無史さん:03/08/13 09:05
むしろ歴史の勝者だろ。政治上の敗者ではあるかもしれないが。
15日本@名無史さん:03/08/13 09:15
そして漏れ達は人生の敗北者。
16日本@名無史さん:03/08/13 10:19
同様に、松平容保もヘタレ
17日本@名無史さん:03/08/13 10:22
彼自身は人生の勝利者でFA。
18日本@名無史さん:03/08/13 12:10
なんで大坂から敵前逃亡したのですか?

と聞いてみる厨房きどりの青年
19日本@名無史さん:03/08/13 13:40
慶喜なんかより、家茂公の方が良い。
20日本@名無史さん:03/08/13 13:55
佐幕派って既得権益を頑なに墨守しようとするヘタレなんでしょ?

と聞いてみる厨房気取りの中年
21日本@名無史さん:03/08/13 13:56
家茂が長生きしていれば歴史は変わったかもしれない
22日本@名無史さん:03/08/13 14:01
なんで近臣の武田耕雲斎等を田沼に何もいわず引き渡したのですか?

と聞いてみる厨房きどりの高年


23日本@名無史さん:03/08/13 14:09
>>22
慶喜は頼られて迷惑だったと思うよ。
24日本@名無史さん:03/08/13 14:20
慶喜の為に奔走してきた武田を保身の為見捨てた。
幕臣や会津の連中はこの時点では他人事だと思っていたんだろうな・・・
25日本@名無史さん:03/08/13 14:39
生き延びたから一応勝ちだよな。
まあ歴史に英雄を求める傾向が強いが・・・
14代を家茂なんぞに継がせた時点で幕
26日本@名無史さん:03/08/13 15:05
松平容保は神保修理に責任を負わせて切腹させ、自分は逃亡。
27日本@名無史さん:03/08/13 15:12
一橋派が勝ってたら徳川体制存続してたかもな
28日本@名無史さん:03/08/13 15:17
一橋系の橋本・岩瀬と南紀系の小栗が協調できるか疑問だが、
うまく逝けば無敵状態になると思う。
小栗が水戸浪士に斬られたり、橋本が見廻り組に斬られたりして潰し合いになる可能性も高い。
29日本@名無史さん:03/08/13 15:30
家慶がもっと長命するか、家定が元気だったらねえ。
30日本@名無史さん:03/08/13 18:52
家定が元気って…。
 
あ!しまったネタ!?
31日本@名無史さん:03/08/13 20:41
江戸に逃げ帰ったヨシノブは幕臣に毒殺されることを恐れ、
まともな判断ができないパニック状態だったそうだね。
ヨシノブは徳川家最大の汚点だな。
32日本@名無史さん:03/08/13 20:46
もともと慶喜は幕臣を信頼してなかったんだろ。
あたりまえだよ、一橋時代にさんざんいじめられたんだから。
幕臣のほうだってあれだけいじめておいて、
いまさら将軍になったからって忠実に仕えるはずもない
33日本@名無史さん:03/08/13 20:49
だったら将軍にならなきゃいいだろ。
だいたい慶喜のようなチンカスを将軍にするため大騒ぎをした一橋派ってヴァカ?
34日本@名無史さん:03/08/13 20:49
>>30
つーか、家定が健康な肉体の持ち主で長命して子どもも残してれば、
家茂も慶喜も出る幕がなかったんでは?
35日本@名無史さん:03/08/13 21:34
板倉らが必死こいて慶喜に将軍就任を嘆願して「仕方なく」将軍に「なってやった」。
36日本@名無史さん:03/08/13 22:10
>>35
徳川本家の相続には即座に食いついてるんだよね。
そのうえで将軍職はいやだと言ってゴネたんだから、無責任なわがままボウヤだ。
37日本@名無史さん:03/08/13 22:12
あそこでホントウに将軍職を蹴ってしまえば慶喜も大人物なんだが。(w
38日本@名無史さん:03/08/13 22:14
大阪城からの敵前逃亡はいただけないな。
39日本@名無史さん:03/08/13 22:22
水戸系の家臣と幕臣のどちらからも孤立し、確たる支持基盤を持たなかったのが最大の弱み。
40日本@名無史さん:03/08/13 22:34
そして、その弱みにつけ込まれて、
勝や山岡のような素性の怪しい薩長の内通者達に、
いいように姦されしまう慶喜であった…
41日本@名無史さん:03/08/13 22:40
いがみ合っていた薩長の同盟成立には結構慶喜が武田以下天狗を見捨てた影響もあるらしい。
42日本@名無史さん:03/08/13 23:23
慶喜は家康の再来と言われるほどのできびとなのにな・・・
43日本@名無史さん:03/08/13 23:32
ウーン、結局身代つぶしちまったんだから、バカ呼ばわりされてもしかたないわな。
44日本@名無史さん:03/08/13 23:34
慶喜は独自の政権基盤をまったく持っていなかったのに、
あそこまでやったのはなかなかの努力だと思うよ。
45日本@名無史さん:03/08/14 09:24
頑張ったけどな。
水戸の出だということが思想的にも不幸だった。
46日本@名無史さん:03/08/14 11:37
>>43
いや、あながちそうとも言い切れないぞ。
創立者は続けることには不向きといわれるし。
家康の生まれ変わりだとしても納得出来ないことも無い。
47日本@名無史さん:03/08/14 17:21
江戸幕府を倒して水戸幕府でも開いたら面白かった。
48日本@名無史さん:03/08/14 19:49
写真マニア!!
49@@:03/08/14 19:51
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50日本@名無史さん:03/08/14 19:58
ありえないが、慶喜が新政府に登用されてればさぞかし有能な行政者になっていただろう。
51日本@名無史さん:03/08/14 20:07
>>50
首相も夢ではないね。
52日本@名無史さん:03/08/14 20:28
当人も幕府捨てて公議政体の首長になろうとしていたらしいし。
53日本@名無史さん:03/08/14 23:35
ありえないが、慶喜が新政府で重用されて総理大臣になっていたなら明治国家は破滅してただろう。
54日本@名無史さん:03/08/14 23:39
まあ、でも薩長政権よりはマシだわな
55日本@名無史さん:03/08/14 23:46
本人の意思とは裏腹に攘夷戦争が起る。水戸浪士が横浜を襲撃し外国人を多数斬殺、
不本意ながら慶喜が担がれ関東戦争始まり、政府軍と交戦状態へ。
旧彦根藩士などの活躍で慶喜の乱鎮定。
56日本@名無史さん:03/08/14 23:50
>>53
ありえなくなかったんだよ。
王政復古で成立した新政府の首班は、99.99999999999999999
99999999999999999%の確率で慶喜になる筈だった。
それを自分で潰してしまったんだから。
57日本@名無史さん:03/08/14 23:50
そんな妄想は時代劇板でやってくれ
58日本@名無史さん:03/08/15 00:27
「明治維新」とは狭義では王政復古大号令での新政府成立を指す。
明治という元号は別として
慶喜が「明治維新」後の新政府の中心人物になる可能性は
99.99999999999999999999999999999999999999999999%はあった。
それを自分で潰してしまった。
59日本@名無史さん:03/08/15 01:01
南紀派主導で幕権強化&大改革路線を突っ走ってたら何の問題もなかった。
斉昭・慶喜という史上希に見るヴァカ親子がしゃしゃり出たおかげで日本は大混乱に…
60日本@名無史さん:03/08/15 01:21
たくさん子供作ったんだよね
61日本@名無史さん:03/08/15 05:35
南紀派が改革しようとしたら大奥なんかの支持はなかったろうな。
南紀派は多分に既成権益の関係者に支えられて成立したわけだから。
62日本@名無史さん:03/08/15 06:58
大改革路線って開明派揃いの幕府外国方まで弾圧しといて
改革できるわけないだろ。
井伊は日本のために物を考えていたのではない、
単に幕府の威厳を保とうとしただけの小物。
63日本@名無史さん:03/08/15 08:55
64日本@名無史さん:03/08/15 09:01
>>63
おいおい、そこの記事の内容もさながら、出版関連は
全部「駆ると」「捏造」ばかりぢゃねーかよ(w
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/h_books.html
65山崎 渉:03/08/15 12:09
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
66日本@名無史さん:03/08/15 12:33
>>56
0・00000000000000000000000
00000001%の間隙を突いて倒幕を成し遂げた薩長はまさに神だな。
こんなすれが立つわけでつね。↓

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053262034/
67日本@名無史さん:03/08/15 16:46
士族勢力に担ぎ出されない為にひたすら隠遁してたんだろなぁ。
68日本@名無史さん:03/08/15 17:37
>>56はうそだほんとうは99.9999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999
99999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999
999999999%はあった
69日本@名無史さん:03/08/15 17:44
やめれ、スレが見辛い。
それより慶喜を正当に(客観的に)評価してると言える論文は
どれだ?
70日本@名無史さん:03/08/17 11:29
>>68は有効数字の概念を勉強しる。
71日本@名無史さん:03/08/18 20:01
>>70
そういうことを言うなら「しる」なんて言葉は使わない方がいいでしょうな。
72日本@名無史さん:03/08/23 18:15
mL( ^∇^ )グッチャー!
73日本@名無史さん:03/08/23 18:31
孝明天皇がいなくなってしまったのが痛かったね
74日本@名無史さん:03/08/23 20:58
長州 = キチガイ
薩摩 = そのキチガイに利用されたアホ
75日本@名無史さん:03/08/23 21:03
逃げの人生だったな。ひたすら逃げ。
76日本@名無史さん:03/08/23 21:08
まあ一般庶民の人生はひたすら受けなわけだが
77日本@名無史さん:03/08/23 21:27
なんだかんだ言っても公爵だよ?
息子は公爵と伯爵だよ。
78日本@名無史さん:03/08/23 21:30
ま、今ではただのオッサンなわけだが>子孫
79日本@名無史さん:03/08/23 22:14
慶喜の好物。

牛肉・豚肉、鳥撃ちの獲物、毎朝朝食前に,甘い焼き味噌をまぶした田楽、
ドラ焼煎餅、富士見軒の西洋料理、永坂の更科の蕎麦、鯛の目玉の佃煮、
鯛の塩汁、お菓子は「風月堂」の特製品、ベッタラ漬、「ハマヤ」のふき豆、
お雑煮は小松菜入りの鴨(本鴨)雑煮、春には,土筆ごぜん、雪が降ると雪見豆腐、
刺身は白身か鮪、煮魚は鰈、青魚は嫌い、日曜の朝はパン食、バタートーストと紅茶、
時にコーンフレーク、味噌汁には砂糖を入れる、鯛、鰹、鮃などの刺身、雲丹、海鼠、
鶏卵の半熟、酒はかなり飲んだ、保命酒、少量の白葡萄酒、桑酒などを晩酌に、
煙草は薩摩の刻みを少し…

慶喜が食やセクースの快楽に惚けるために幕府は滅んだ…
この事実を前にすると香具師の怯懦な小市民根性がひどく汚らしいものに思える。
80日本@名無史さん:03/08/23 22:42
 >>79
 鮪が好物とは。今でこそ高級魚の鮪だけど、当時は庶民の魚とされて、
上流階級は食べなかったのに。
 味噌汁の砂糖を入れる味覚って?
 お父さんも、江戸時代にはゲテモノとされた、牛乳を飲む人だったからねえ。
 
81日本@名無史さん:03/08/23 22:44
>味噌汁には砂糖を入れる
不味そう
82日本@名無史さん:03/08/23 22:50
健康・精力増進の為には烈公様はあらゆる食材・薬材を方々から取り寄せ、
好き嫌いも言わずに服用されました。彦根牛も心臓に良いというので
熱心に掃部頭様に所望されていたようです。
こうして22子という偉業を烈公様は成し遂げたのです。
83日本@名無史さん:03/08/23 22:56
高松宮妃喜久子さまのおじいさまですね
84日本@名無史さん:03/08/23 23:05
>>81
 牛肉では井伊直弼と一悶着起こしている。
 彦根藩では正月に寒中見舞いとして、牛肉の味噌漬けを将軍家・御三家に
献上する習慣があったが、直弼が家督を継承してから、「牛の殺生は宜しく
ない」と言うことで献上をやめてしまった。
 それで、牛肉を食べられなくなった、烈公は井伊直弼と仲が悪くなったそうだ。

85日本@名無史さん:03/08/24 00:41
最悪の指導者だよね
こいつは。
戦から逃げる、物事を考えない。
おみこしに徹することも出来ない。
愛人を待って船を待たすなっての!!
86  :03/08/24 02:34
楽隠居って、慶喜は毒殺を恐れて,遠出する際にも、家から持ってきた水しか
飲まなかったんだよ。そんな後半生は、そんなに幸せか?
87日本@名無史さん:03/08/24 11:33
>>85
 慶喜の母親は宮家の姫様。その上、父親(烈公)から尊皇教育を叩き込まれた
訳だから、徳川軍が朝敵になってしまえば、士気を失うよ。
 
88日本@名無史さん:03/08/24 11:36
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Live/2374/zzzzzzzz.html
ここに詳細があったみたいだよ!
89日本@名無史さん:03/08/24 20:00
西上してくる天狗党に対して慶喜は討伐を願い出たが、朝廷は出馬しか認めず
降伏したらそれなりの取り計らいをするようにと勅令が出たが、
朝廷の意向より幕府の嫌疑を恐れた慶喜はさっさと田沼に引渡し、身を引いている。
前歴を考えるとその後の大阪城からの逃走も尊皇というより保身の為の行為と思える。
90日本@名無史さん:03/08/25 10:23
写真のセンスはあったな
91日本@名無史さん:03/08/25 10:40
>>87
なるほろ
そう考えればあの不可解な撤退も納得いく
92日本@名無史さん:03/08/25 11:40
徳川慶喜=豚公方 大のトンカツずき マンセー
93日本@名無史さん:03/08/25 15:22
鳥羽伏見の戦いで幕府軍が負けるとは誰も予想しなかったんだろうな。
薩長は天皇をかついで京都から逃げ出す準備してたんだろ?
慶喜も余裕で勝てると思ってたんだろうな。だから負けたときのショックも大きかった。
94日本@名無史さん:03/08/25 16:34
慶喜が逃げたから負けたんじゃないのか?
95日本@名無史さん:03/08/25 16:38
慶喜は負けたから逃げたんだろ
96日本@名無史さん:03/08/25 16:54
逃げの慶喜
97日本@名無史さん:03/08/25 17:20
あまりにも逃げるのが早すぎた。明治維新の功労者というのは皮肉だろ。
98日本@名無史さん:03/08/25 20:20
第2次長州征伐でもそうだが、引く時はあっさり引くからねこの人。
大阪城脱出も本人的には普通の行動だったんじゃないかな。

父から教えられた尊皇思想、母が有栖川宮の出という出自に+して
やはり内乱の拡大を避ける意向もあったろう。
それまでの超人っぷりからして単にヘタレて逃げ出したとは思えない。
突飛な行動故批判されても仕方ないとは思うが・・・。
99日本@名無史さん:03/08/25 20:34
慶喜という人は事前の根回しなしでいきなり行動する癖があるからな。
大阪城脱出も本人にすれば計算ずくの最善の選択だったんだと思う。
100日本@名無史さん:03/08/25 22:59
>内乱の拡大を避ける意向
>計算ずくの最善の選択
慶喜が将軍としてなすべきことはただ一つ。
戦って逆賊を壊滅させること。
これが「内乱の拡大を避ける最善の選択」だったんだよ。

慶喜の卑怯で無責任な行動に事後的に意味付与するのは無意味。
自己保身に汲々としてただけのヘタレなんだから。
101日本@名無史さん:03/08/25 23:03
天狗党事件ですでにへタレっぷり見事に見せており、土壇場になれば、踏ん張りが利かない
人間であることをなぜ幕府方の連中は理解していなかったのだろうか?
102日本@名無史さん:03/08/25 23:08
ヘタレとか卑怯とか無責任とかいうのも事後的な意味付与だけどな。
103日本@名無史さん:03/08/25 23:29
慶喜様の悪口いうなよエタ・ヒニンども
104日本@名無史さん:03/08/25 23:31
 将軍ではなく、小栗が指揮を取れば負けなかったよ。
 そして、日本はフランスの植民地に。
 初代日本副総督 小栗上野介
 総督はフランス人ね。
105日本@名無史さん:03/08/25 23:34
せめて慶喜が大阪城に引き籠もって震えててくれたら幕府は勝ってたね。
敵に対しては情けないほど臆病でヘタレなくせに、
身内に対しては徹底して小賢しく狡猾だから始末が悪い。
106日本@名無史さん:03/08/25 23:48
まあ慶喜を責めるのは酷かもしれんよ。
慶喜の敵は薩長軍だろうけど味方は?
江戸幕府は慶喜の味方だったのかな?

会津藩の一党は多分味方だったと思うけど
慶喜と容保は相互不信だったようだし。
107A型:03/08/25 23:54
<血液型O型の一般的な特徴>( すべて許していると調子にのってつけこんでくるぞ!! )

■優秀な人間を叩いて安心しようとする。多数対少数のときだけやたら強気。才能ある人間と対峙できない
■場所が変わると手のひらを返すように態度が豹変する ( あの連中の中じゃヘコヘコさせられてきたが、うちに来たら見ていろ! 礼儀を教えてやるぜ。 )
■カッコイイ人に注目したがるが自分を磨こうとしない。なぜか、カッコイイ人は自分にソックリだと信じ込む
■読みが浅い。粘着にからまれる事を言っておきながら全く関係ない人に振り向ける( どうせ>>1さんはヒッキーでしょ? /  大阪人だってジサクジエンしてるぜ )
■早とちりが多く、誤爆と気付いても釈明できない。イイ人を装って忘れる ( そういう土地柄だったのさ )
■毒舌を吐いて場の空気を陰険にする。そのあと自分で耐え切れなくなりご都合主義にあきれる。( いったいこの国はどうなってるんだ? 間違っている! )
■スケールの小さい自画自賛をして小市民的に満足しようとする( 俺んちの車は古いが車も持ってない奴に比べればマシな方だな )
■仲間面していつの間にか恩を貸してるように振舞うが、自分のためであるということを後で見抜かれる。それに気付いて恥ずかしさをごまかすために大袈裟にキレる。相手がキレると今度はビビる。
■マニアックで虐待的。ケチだけつけて批判される所には現れない。自分が観察される側になると極度に焦る
■自分が企んでいるのに相手を悪人に仕立て上げ、己の為に餌食にする。攻撃を誘って自分の憎悪に酔いしれる。人の裏切りを許せないわりに自分の裏切りは覚えていない鈍感さ。
■たいしたこともやってないうちに大物ぶる。 ( 顔が見えないインターネットでは自分の才能や苦労を多めに見積もって書き込む )
■世間に通用しないような事ばかり繰り返して自分に課した目標から逃げる。あげくに人のせいにして相手に伝わらない方法でキレる。
■人生経験未熟なので集団でしか相手を見れない ( 君のような人はウチでは…  / ○さんによく似てるから… )
 
108日本@名無史さん:03/08/25 23:56
とくがわぁ? 穢多出じゃん
109日本@名無史さん:03/08/26 00:11
>106
そりゃ、突然、水戸からだもんな。おかん 有栖川宮出身やし
会津や桑名、越前のほうが血統的には近いのに
110歳三さん:03/08/26 00:22
新撰組だ。斬り込みに行くだけよ。総司、お前は寝てろ。近藤さん、どこにいる、
どこにいるんだー!ドッカーン(官軍の大砲の音)。ここでコーラスが流れる…
111日本@名無史さん:03/08/26 05:34
>>106
幕府も会津も桑名も本当の意味では慶喜の味方ではなかったよ。
慶喜にしてみれば信用できない連中がやっぱり信用できなかったということだろう。
112日本@名無史さん:03/08/26 06:39
正直、フランス領の方がよかった。
113日本@名無史さん:03/08/26 07:35
大日本帝国のみじめな末路を見ると、フランスが多少のさばっても徳川慶喜による大君制国家のほうがマシだったのかもと思えてくる。
114日本@名無史さん:03/08/26 11:12
そしたら俺たちいまフランス語話せたんだね。

フランス領日本県
115勝海舟:03/08/26 16:02
上様、とくせんの棟梁ともあろうお人が・・・。
何ゆえ江戸に戻られましたか?
116日本@名無史さん:03/08/26 19:03
慶応四年正月 小栗作戦が実行された場合の日本の近代史。

1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
     桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
     薩長の乱がおこる。(〜68) 鎖国回帰を主張する
     復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 反乱により、関税率が下がる。
     徳川慶喜氏が大君に即位する。小栗らと連携し反乱鎮圧と近代化に尽力。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。軍制改革がすすむ。
1868 政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が解消される。
     偽帝睦仁こと大室虎之助・・・車裂きの上晒首
     西郷隆盛・・・藁蓑を被せ火を付け焼死
     大久保利通・・内臓を絞り出して処刑

     廃藩が実施される。
1869 四民平等になる。鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。すでに日本は世界屈指の平和国家にして民主主義国家に。


117日本@名無史さん:03/08/26 21:26
鳥羽伏見の戦いのあとも慶喜が大阪城でじっとしていたら、事態はどう変わっていたのだろうか?
みんなはどう思う?
118日本@名無史さん:03/08/26 21:31
 小栗は安城譜代の家柄を鼻にかける門閥主義者。
 当然、検校上がりの勝を見下していた。
 徳川家はフランス支配の邪魔になるので、小栗自ら慶喜と徳川一族を皆殺し
にしていただろう。
 フランスの犬、小栗上野介。
 こいつの子孫は日本国籍剥奪の上、国外追放が妥当。
119日本@名無史さん:03/08/26 21:44
慶喜が大阪城に籠城して徹底抗戦したら薩長が攻め落とすことは不可能でしょ。
ぐずぐずしてるうちに江戸から来る援軍と榎本艦隊に挟み撃ちにされ倒幕派はアボーンだね。
120>113:03/08/26 21:46
フランスがのさばったインドシナの歴史もかなり過酷だが・・・
121日本@名無史さん:03/08/26 21:50
肉弾戦に弱い幕軍では決め手に欠ける。
122日本@名無史さん:03/08/26 21:51
>>113
 小栗が生きていたら、日本は第二のインドシナになっていた訳だが。
小栗を賞賛する奴は、売国奴だね。
 さっさ、斬首した官軍は先見の明があったよ。
123本圀寺党:03/08/26 21:53
源烈の遺志を継いで奸徒を掃除せよという勅を賜った。
今後市川ら奸賊どもに天誅を加える所存。
124日本@名無史さん:03/08/26 22:07
フランス領の方がよかった。
125日本@名無史さん:03/08/26 22:09




毎年、約1万組の日韓結婚。
それに伴なう朝鮮化した混血児。
年間、日本の新生児約100万人のうち、
約1〜2万人の新生児に
容赦の無い朝鮮人の血が流し込まれている。

また、韓国朝鮮人の帰化が年間約1万人も!



126日本@名無史さん:03/08/26 22:11
英語より仏蘭西語のほうがカコイイシルブプレ
127日本@名無史さん:03/08/26 22:13
>124
そうだな。ぬしのような香具師は白人に搾取され農奴としてこき使われるのが似合っちょる。
128日本@名無史さん:03/08/26 22:26
 フランス人と日本人の混血児が、準支配階級になって、総督府の下級官吏
になっている可能性あり。
 そうなると、夏の日の満員列車はすごい臭いがするだろうな。
129日本@名無史さん:03/08/26 22:36
共産政権が成立し、小栗の一族や対仏協力者、南紀派はフランスへ逃亡、
残存した小栗・南紀派一党への血の復讐が行われ人口の20%が死亡・・・・
130日本@名無史さん:03/08/26 22:47
 フランス領ジャポン諸島
人口 1億3千万人
公用語 上流階級はフランス語。一般庶民は日本語
民族構成 フランス人1パーセント。日仏混血族 10パーセント。日本人 89パーセント。
総督   フィリップ・ド・クレソン(総督はフランスからの派遣。任期4年)
副総督  ジャン・ド・オグリ(副総督は混血族の長老、オグリ家の世襲)
(状況)
 富の9割をフランス人と日仏混血族が独占。一般日本人の生活レベルは低い。
 日仏混血族は旧徳川時代の幕臣が多い。
 湿気が多いため、観光地としても人気がない。
 
131日本@名無史さん:03/08/26 23:10
植民地 蝦夷地(フランス人理事長官が統治する直轄領)

保護国 東日本(大君徳川氏による君主国、江戸に理事長官駐在)

保護領 西日本(諸侯領が分立、大坂に日本総督駐在)

保護国 琉球(尚氏による王国、首里に理事長官駐在) 
132日本@名無史さん:03/08/26 23:14
慶喜が小栗に戦費どーするんだと聞いたら北海道を担保にしてフランスから借りるとか言ったらしい。
133日本@名無史さん:03/08/26 23:14
 >>131
 分割するとややこしくなるから、全て直轄地にすると思われ。
 とりあえず、夏の満員列車が地獄になるのだけは確かだな。
 
134日本@名無史さん:03/08/26 23:17
>>132
 小栗はフランスの犬だな。朝敵として殺され。
 しかも、武士として殺していないからな。(切腹ではなく斬首)
 小栗から朝敵の汚名を取り除く勅語はまだ出ていないはず。
 大西郷や江藤は赦免の勅語を賜っている。
135日本@名無史さん:03/08/26 23:18
>>134
日本史における恥部として後世に記憶されるでしょう。
136日本@名無史さん:03/08/26 23:23
 >>135
 官軍が売国奴を斬首するのは当然のことだろうが。
 蝦夷地をフランスに売ったら、日本植民地化の突破口を与える
だけだろうが。
 もしかして朝敵・小栗の脳内では
「どうせ植民地化は避けられない。日本が列強に分割されて植民地化
されるよりも、フランス一国の植民地になった方がマシ」と考えたん
じゃないの。
 
137日本@名無史さん:03/08/26 23:27
>>136
小栗を斬首した連中に思想などない。
138日本@名無史さん:03/08/26 23:28
今となってはフランス領の方が天皇制国家よりマシに思えるがな。
139日本@名無史さん:03/08/26 23:29
名指しで小栗は朝敵になったのか?慶喜や市川は名指しだったが。
140日本@名無史さん:03/08/26 23:31
>138
カンボジアなり、ベトナムなり、ラオスなりに移住されては?
141日本@名無史さん:03/08/26 23:31
>>133
ヴェトナムの例から言っても、全土が直轄領になることはありえない。
蝦夷地のみ直轄地で、あとは親仏徳川政権の大君制国家が存続するだろう。
142日本@名無史さん:03/08/26 23:32
小栗上野介は買弁呼ばわりする人もいるくらいだからなあ
143日本@名無史さん:03/08/26 23:34
ま、今はアメリカ領ジャパンなわけだが・・・
144日本@名無史さん:03/08/26 23:37
大政奉還後に慶喜は小栗に免職を言い渡している。
群馬の領地に隠居した抵抗の意思もない小栗を引き出して
斬首した板垣退助や伊地知正治jは血の気が多すぎであったな。
145日本@名無史さん:03/08/26 23:39
>>143
フッ、小栗が作った横須賀造船所が米海軍基地になってしもうたか。
146日本@名無史さん:03/08/26 23:39
小栗は結局橋本や岩瀬を葬った連中の延長上にいるわけで、
党派的な闘争から抜けきれなかったのだと思う。
147日本@名無史さん:03/08/26 23:40
大政奉還したことは勇気ある撤退
ほめるべきだ
148日本@名無史さん:03/08/26 23:40
>>141
ヴェトナムの例から

それは幕末以前の例か?
149日本@名無史さん:03/08/26 23:41
鹿鳴館をつくって英夷の猿真似をしてた薩長に
小栗を批判する資格はないでしょ
150日本@名無史さん:03/08/26 23:44
小栗は禁裏守衛総督時代の慶喜に対しては敵対的だったらしいし。

151日本@名無史さん:03/08/26 23:47
幕末ならフランスはコーチシナしか領有していない。隣のカンボジアは保護国。
日本全土が直轄化されることはない。
152日本@名無史さん:03/08/26 23:50
一番危険なのはイギリスだった。
そのイギリスも中国が第一で日本には興味薄。
要するに植民地化の危険なんて無かったんだよ。
153日本@名無史さん:03/08/26 23:53
幕府方も薩長方も内戦に外国軍を参加させなかったのが大きい。
154日本@名無史さん:03/08/26 23:54
薩長はパークスの操り人形だったけどな
155日本@名無史さん:03/08/26 23:57
1860年にロシアは沿海州を清国から奪い併合していたが。
156日本@名無史さん:03/08/27 00:00
薩長はロシアに樺太を分捕られてるし
157日本@名無史さん:03/08/27 00:05
152=156か?
「植民地化の危険なんて無かったんだよ」
「薩長はロシアに樺太分捕られてるし」
は矛盾してるが・・
158日本@名無史さん:03/08/27 00:06
満足に実効支配できなかったサハリンなど、失っても惜しくない。
159日本@名無史さん:03/08/27 00:14
薩長は植民地化の危機をつくりだした国賊ってことだろ。
160日本@名無史さん:03/08/27 00:19
江戸期の日本国には欧米列強が植民地化する魅力は港以外には無いし。
161日本@名無史さん:03/08/27 00:23
幕末における国防上の脅威はロシアの膨張主義が根本的な脅威だった。
水戸斉昭などは自ら蝦夷地に移住してロシアの南下に備えたいというほどだった。
162日本@名無史さん:03/08/27 00:24
ウラジオストクはロシアが沿海州を獲得した後、建設された。
163日本@名無史さん:03/08/27 01:06
>>158
でも樺太千島交換条約って最低の条約じゃね?
もともと千島列島も樺太も日本(アイヌ)の居住地なのに交換ってなんだよ。
結局その後樺太からは石油が出るし・・・。
164日本@名無史さん:03/08/27 10:07
>>154
パークスに恫喝されて低関税を国民に押し付けた
日本史上未曾有の売国奴は小栗ですが何か。
165日本@名無史さん:03/08/27 18:45
 日本テレドラマ、「勝海舟」で斬首される小栗は最高。
 売国奴の末路に相応しいな。
 隠棲するとかいいながら、隠居所に大砲持ち込んでいるんだぜこのアホは。
 すきあらば、新政府に反乱をおこすつもりだったんだろ。
166日本@名無史さん:03/08/27 20:32
小栗・岩瀬・橋本と人材捨てまくりの幕府。
167日本@名無史さん:03/08/27 22:01
>>163
「交換条約」とは名ばかりで事実上ロシアに対する卑屈な譲歩。
維新前後の薩長は欧米列強の言うことに何一つ逆らえなかった。
168日本@名無史さん:03/08/27 22:07
幕府が存続していても欧米列強の言うことに何一つ逆らえなかったのは同じだろうけどな
169日本@名無史さん:03/08/27 22:15
最初は樺太買取の方向で話進んでたと思うが…。
なんで交換になったんだっけ

スレ違いか
170日本@名無史さん:03/08/27 22:48
小栗と野中どっちが売国度高い?
171日本@名無史さん:03/08/27 23:02
>>170
小栗だろ。拉致被害と植民地化とでは比べ物にならん
172日本@名無史さん:03/08/27 23:27
>>169
なんで自分のものを買い取るんだよ。アフォか。
173日本@名無史さん:03/08/27 23:28
 小栗の血脈は途絶えた筈だから。めでたしめでたし。
 女子が一人いたが、他家に嫁いだ。
174日本@名無史さん:03/08/27 23:33
フランス領の方がよかった・・・
175日本@名無史さん:03/08/27 23:36
仏蘭西の植民地になるゾという話は勝の法螺なのだが…
176日本@名無史さん:03/08/27 23:58
小栗が必ずしも売国奴であったとは思わないし
少なくとも勝よりは優れていたことは歴史が証明している。
徳川家を潰すために攻撃を実行した薩長は
勝の路線を踏みにじり、内乱で白黒つけるべし
という小栗路線で統一国家を実現した。
勝は薩長に裏切られ、薩長を罵った。
しかし泉下の小栗は間違いなく薩長を褒めている筈だ。
自分がやろうとした事をやってくれたのだから。
ただ犠牲となった人が、西の人だったか、東の人だったかという
瑣末的な違いに過ぎない。
177日本@名無史さん:03/08/28 11:18
>4 :日本@名無史さん :03/08/12 00:42
>少なくとも列強による日本占領を防いだことは確かだな。

薩長による明治維新がなかったら日本は植民地になっていたというのは、
自分らのあやまちを、ごまかすために薩長人が必死になって言っているデマ。

幕末の幕府海軍は、
開陽丸・ストーンウォールジャクソン号(回航中)・富士山丸・回天丸などを中心とした強力な編成で、
ヨーロッパの二流国以上の海軍力を誇り、陸には幕府陸軍をはじめ諸藩の藩兵が数十万いた。
しかも幕末、日本は、
ミニエー銃・シャスポー銃・四斤山砲・四斤野砲・アームストロング砲・ガトリング砲などを、
手当たり次第買いあさって武装強化してた。

しかも日本は島国だから、それを制圧するだけの膨大な兵を船で運んでこなきゃならない。
無理して危険な橋を渡るより他を探すだろ普通。
178日本@名無史さん:03/08/28 11:39
慶喜が最後の将軍なろうが、誰がなろうが結果は同じ。
誰かが幕引かないと!内輪揉めが過ぎてその後の’水戸’は
…。
179日本@名無史さん:03/08/28 11:46
ただの屁垂れに決まってるだろ。
維新の功労者なんていうのは、薩長土肥の明治維新功労者にあぐらをかいた
ていのいい人物美化にすぎん。
180日本@名無史さん:03/08/28 16:37

コソーリ江戸に帰ったりしないで戦って戦死でもすれば人気アップしたかもねん。
181日本@名無史さん:03/08/28 18:23
昔、NHKだったと思うが、慶喜公がメガネかけて、更にチャリに載ってる写真にはワロタ。
182日本@名無史さん:03/08/28 18:25
 慶喜公は明治以降はカナーリ美食三昧だったみたいだね?
 特に豚肉は好物だったらしいけど、やはりトンカツで食べたの。
 明治時代だから、餃子や酢豚はないだろうし。
183日本@名無史さん:03/08/28 20:20
慶喜が謹慎していた弘道館で尊王派と佐幕派の激戦が行われた。
慶喜は佐幕派の水戸到着直前に静岡に移ったが、
遅れていたらどっち方で戦っただろうか。
184日本@名無史さん:03/08/29 03:54
ただのヘタレだったら西郷、大久保、木戸たちがあそこまで恐れるわけがない。
徹底恭順以前の慶喜の活動は凄い。
185日本@名無史さん:03/08/29 11:27
明治政府樹立後、各地で不平武士の反乱があったがついに慶喜は動かず。
神輿に乗せようと企んだ輩は多かったはず。だから、趣味三昧の日々を
送った。
186日本@名無史さん:03/08/29 11:35
一度、水戸に行ってみなさい!弘道館にも!正面玄関奥にある掛け軸。
”尊攘”何かを感じるから!
187日本@名無史さん:03/08/29 11:38
う〜ん、見たこと無いけど、芸術作品として見てしまいそうで、個人思想に係わる何かは感じられそうにはないと思うが・・・。
188日本@名無史さん:03/08/29 12:51
>185
それを見切って韜晦の日々に人生を送ったのなら、
やはり並々ならぬ域の「人生の達人」だったのであろうな
189日本@名無史さん:03/08/29 13:27
結局、慶喜公の真意は公本人にしかわからない。
とはいえ、単純なヘタレ野郎ではないことは確実だろう。
190日本@名無史さん:03/08/29 16:40
ヘタレだよ
191日本@名無史さん:03/08/29 16:43
オマエガナー
192日本@名無史さん:03/08/29 21:49
 慶喜パパこと、烈公は超スパルタ教育だったからね。
 幼少時代、「寝相が悪い武士の子はいない」と言うことで、
 枕の両側にカミソリを立てて、寝相を矯正させられたからね。
 
193日本@名無史さん:03/08/30 10:23
慶喜の真の味方は”坂本竜馬と土佐藩”だけかな。
194日本@名無史さん:03/08/30 10:25
>>121
肉弾戦なら武士主体の幕府軍が、圧倒的に有利。
195日本@名無史さん:03/08/30 19:54
>>193
何で長州に武器援助した香具師が真の味方なんだよ。
196日本@名無史さん:03/08/30 19:58
慶喜のような卑劣漢には「真の味方」なんていないよ。
勝にしてもたまたま利害が一致したから利用しただけ。
ある意味最も哀れな男だよな慶喜って。
197日本@名無史さん:03/08/30 20:12
>194
装備貧弱の天狗党相手にすら幕府軍は肉弾戦では負け捲くりの逃げ捲くりでしたが?
198日本@名無史さん:03/08/30 20:19
>>196
おまえとあんまり変わらない
199日本@名無史さん:03/08/30 20:23
慶喜は童貞
200日本@名無史さん:03/08/30 20:45
199は脳低


201日本@名無史さん:03/08/30 22:09
もし家康公が慶喜のヘタレっぷりを見たら激怒するだろうな
ヘタレ慶喜は徳川家というより武士の歴史上最大の汚点だ
202日本@名無史さん:03/08/30 22:12
徳川慶喜がその武士の歴史に終止符を打ったわけだが
203へタレじゃない慶喜:03/08/30 22:15
慶喜、水戸浪士を率いて横浜討ち入り&異人斬り
204日本@名無史さん:03/08/30 23:28
色々と批判すべき点があるのは当然でしょうが、
旧体制の最高権力者でありながら、維新後も余生を全うし、
一部には慶喜を顕彰する意見もあることを思えば、
なかなかの人物だったのではないでしょうか?
慶喜の周辺の人々が書いている文章を読んでいるとそのように感じます。

205日本@名無史さん:03/08/31 00:09
徳川の歴代の殿様はなぜ自己中で性格暗いの?
206日本@名無史さん:03/08/31 00:38
天皇一族よりはマシと思うがな。
徳川斉昭と楽しい仲間たち
208日本@名無史さん:03/08/31 01:44
>>197
水戸藩は甲斐武田氏の伝統を受け継ぐ精鋭武士団だから。
それに対して長州藩は、禁門の変と高杉晋作の謀反で主要な武士がほとんど
死んで、百姓町人が主体だから。
209日本@名無史さん:03/08/31 03:01
家来のいない殿様は自己中です。
慶喜は、水戸家をついでから将軍職につけばよかった。
少なくとも、1万の家来を自由に使えたろうから
210日本@名無史さん:03/08/31 05:12
徳川慶喜が水戸家を継いでいれば、松平慶永と同じように行動にフリーハンドを確保できたんだろうな。
歴史は大きく変わっていたのだろう。
徒手空拳であそこまで活躍した慶喜は不世出の英主。
211日本@名無史さん:03/08/31 07:42
御三家で将軍を世継ぎに出せないのは、水戸藩だけ。だから斉昭は
一橋に養子に。水戸藩を継いでいたら、内紛に巻き込まれ歴史に名
は残さなっかた。親藩・譜代を持ってすれば、勝とうが負けようが戦は出来たはず。
大政奉還をしたのは、時世を見る判断力があったこそ。
家康が開き、嫡流が幕を閉じる。
慶喜は、英傑です!
212日本@名無史さん:03/08/31 08:47
尾張と紀州に人がいなければはじめて水戸家から出すことが出来た。
慶喜が水戸家を継げば藩内抗争もあそこまでいかなかったと水戸藩家臣で思う者は多い。
213日本@名無史さん:03/08/31 10:34
>大政奉還をしたのは、時世を見る判断力があったこそ。
時期尚早で浮き足だった大政奉還は薩長の謀略と軍事暴発にきっかけを与えただけ。
思惑に反して内乱が勃発した事態を前にして、茫然自失、
全てを投げ出して夜逃げした慶喜は無責任で幼稚極まりない。
井伊直弼−小栗上野介ラインで近代化を行っていれば、
時世を見誤ることはなかっただろうに。
慶喜はクズだね。
214日本@名無史さん:03/08/31 12:13
へ?大政奉還知る前に倒幕の密勅を薩長は作っちゃってるんだから
どっちにしろ武力倒幕する気満々だったろ。
むしろ大政奉還は倒幕の理由を失わせた決断では?
215日本@名無史さん:03/08/31 12:31
>むしろ大政奉還は倒幕の理由を失わせた決断では?
「理由」もなにも結局最後は軍事が決着する。
で、追いつめられた薩長は当然軍事オプションを採った。
こうなったらもう「大政奉還」もへったくれもない。
大政奉還するならきちんと軍事的包囲網を敷いてからすべきなのに、
軍事オンチの慶喜が勝手に突っ走ったのが不幸だったね。
戦争はこちらが望まなくても相手が仕掛ければ始まってしまうんだよ。
216日本@名無史さん:03/08/31 12:45
偽物の錦の御旗が出なければ、鳥羽・伏見の戦いは旧幕府軍の勝利だっただろう。
大政奉還をしなければ、権力を算奪しているものとして正式な錦の御旗が出る
危険もあった。大政奉還をおこない、再度政権を委任されることで、討伐される
口実を完全に封じたのだ。薩長が偽官軍になる事は、誰も想像できなかった事で
しかたのないことだろう。
217日本@名無史さん:03/08/31 12:53
慶喜は短小
218日本@名無史さん:03/08/31 15:00
うんこ以下の将軍だね
219日本@名無史さん:03/08/31 17:09
小栗はともかく井伊は開明派の幕府外国方まで弾圧する肝の小さいそこらへんの親父
220日本@名無史さん:03/08/31 19:20
慶喜は宮中政治ゴッコにはまってしまい現実が見えなくなったアフォ。
上手くいってるときは有頂天だけど岩倉にちょっと裏をかかれると簡単に挫折してしまう。
朝廷への順逆などというくだらない問題に異常にこだわり、
自ら自縄自縛に陥ってパニック状態におちいる。
結局将軍としての任務をなんら果たさず江戸へ夜逃げ、後の人生はひたすら現実逃避の日々。
たしかにうんこ以下だね。
221日本@名無史さん:03/08/31 22:00
慶喜直属の本圀寺詰め水戸藩兵だけを二条城に残し会桑や旗本兵を引き上げ、
水戸藩兵が新撰組や会津藩兵の二条城への入城を拒否したり、
見方によっては水戸だけ汚名を免れれば、後はどうにでもなれと考えていたのではと思う。
222日本@名無史さん:03/09/02 11:46
>>201ってさぁ、びびって家康がウンコ漏らしたの知らないわけ?
それにしてもただ貶すだけの名も無き庶民は分かりやすい英雄じゃねえと理解できないか?
この人物の面白いところはその怪人物ぶりなところさね。
223日本@名無史さん:03/09/05 07:24
平惟盛なみの御仁であるのは確か
224日本@名無史さん:03/09/05 07:30
>>220
「朝廷への順逆」が「くだらない」と言い切れるのはわれわれ現代人の感覚だよ。
当時の感覚からすれば朝敵になることは致命的な政治的失態。
朝敵とされた長州藩がどれだけ虐待されたか考えればそのことは明白。
225日本@名無史さん:03/09/05 07:34
慶喜は すごく高いIQをもっており、2chごときバカの
論じられる対象ではありません。
226日本@名無史さん:03/09/05 14:29
慶喜は案外将軍職を解かれて、自由が謳歌できて喜んでいたかも、どちらかというと
政治にタッチするよりも学究肌の人物のように見受けられる、それにしても物凄い
知識欲だな、しかも何をやっても当時の一流の腕前のところまでいってるし、兎に角
凄い男だ、きっと慶喜は頭が良すぎて先が見えすぎてたんだろう。
227日本@名無史さん:03/09/05 16:07
慶喜公は嫌いでは無いが、この人は”器用貧乏”だと思う。
228日本@名無史さん:03/09/05 23:31
要するに慶喜は決して将軍にしてはいけない香具師だったんだな
慶喜は宦官になって天皇の足の裏でも舐めてるのがお似合い
229日本@名無史さん:03/09/05 23:33
慶喜は確かに無責任だが、もし慶喜が
無責任かつ無能な、井伊直弼程度の人物だったら
幕府は兵庫の違勅開港に追い込まれただろうな。
したら奴のことだ、井伊直弼と同じように
国のために必死で開国進めてる幕臣ら罵倒して責任おっかぶせ
オレだけは尊王なんだと、醜い責任回避にもう必死になって
顰蹙買っていたに違いない。
そのくせ神戸が発展したら、恥知らずな家来が
慶喜公こそ開港の恩人とかウタいだして
神戸市内に銅像立てたかもしれないな。
日本の二大港町にバカ銅像が双立してたかも。
230日本@名無史さん:03/09/05 23:38
要するに慶喜は幕府なんかさっさと見限っておくんだったんだな
幕閣は参勤交代復活だの略服禁止だの大奥様様してるのがお似合い


231日本@名無史さん:03/09/05 23:39
>>229
>国のために必死で開国進めてる幕臣ら罵倒して責任おっかぶせ
>オレだけは尊王なんだと、醜い責任回避にもう必死になって
>顰蹙買っていたに違いない。
てゆーかこれってまさに慶喜そのものだろ
232日本@名無史さん:03/09/05 23:46
>>226
頭がよすぎるのも考え物だね。
たぶん鳥羽伏見で負けたとき、この先どうなるか全部読めちゃったんだよ。
馬鹿なら大坂城に籠城していたはず。
233日本@名無史さん:03/09/05 23:47
慶喜にはすげー超人な面もあれば
醜いカスな面もあるな。
カス面は明らかに井伊直弼の影響だろう。
234日本@名無史さん:03/09/05 23:53
>>230
おとなしく薩摩の操り人形でいればいちばん幸せだったのかもね
235日本@名無史さん:03/09/05 23:56
(岩倉+大久保+西郷)>慶喜>>>大久保>岩倉>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>西郷
236日本@名無史さん:03/09/06 00:04
>>234
むしろ薩摩の縷言に踊らされて慶喜に猜疑心を向けたのは幕閣なんだが。
237日本@名無史さん:03/09/06 00:06
>この先どうなるか全部読めちゃったんだよ
まさかw
慶喜の夜逃げは彼自身の命を深刻な危険にさらす行為だったんだよ。
幕臣を置き去りにして戦線逃亡したわけだから、
幕府内での慶喜の立場は極めて不安定となる。
流れによっては暗殺される可能性が極めて大だね。
仮に幕府内の主戦派を押さえ込めたとしても、
薩長は慶喜の首を要求してるわけだから、
戦わず敗北した場合、慶喜の命の保証はない。
慶喜が助かったのはたまたま運が良かったからにすぎない。
慶喜は気まぐれで脈絡のない言行が多い奇人だから、
例によって錯乱状態となって衝動的に逃げ出したんだろうね。
238日本@名無史さん:03/09/06 06:23
でも「よーし、出陣」とか言って逃げてるだろ?計画的だ。
239日本@名無史さん:03/09/06 15:50
そんなに先が読める香具師だったら、
鳥羽伏見で不意打ちを食らうことなどなかっただろう。
慶喜は頭が悪いんだよ。
240日本@名無史さん:03/09/06 16:19
同じ慶喜の家臣でも水戸系と幕府系の扱いは維新後に差をつけられた。
241世界@名無史さん:03/09/06 16:30
>>239
慶喜の頭が悪いんじゃなくて薩長と岩倉らの公家連中の共同謀議
の方が勝っていたんだよ。慶喜一人で戦っていたわけじゃない。
242日本@名無史さん:03/09/07 20:34
mL( ^∇^ )グッチャー!
243日本@名無史さん:03/09/07 21:18
鳥羽伏見の戦いはべつに不意打ちじゃねえだろ。
244日本@名無史さん:03/09/07 21:45
不意打ちでなくても勝てるような対策もしてないし
結局、慶喜の評価は低くならざるを得ないのかもな
245日本@名無史さん:03/09/07 21:46
錦の旗立てられたら実家の支援はまず受けられない。

246結論:03/09/07 21:47

慶喜はバカ殿。
247日本@名無史さん:03/09/07 21:53
バカ殿……は言い過ぎにしても東京の弱さがあらわれたともいえるな。
248日本@名無史さん:03/09/07 21:53
二条城に残った水戸藩兵は岩倉から奸党(市川ら)の討伐の勅錠を受けて、
勇躍東帰して諸生派水戸藩士らに「天誅」を加えまくった。
249日本@名無史さん:03/09/07 21:54
岩倉が錦旗をでっち上げたら、それは偽錦旗だと主張して薩長を殲滅すれば済む話。
それが本物か偽物かはどうでもいいこと。勝てばいいんだよ勝てば。
目の前で戦争が始まってる段階で天皇への順逆にこだわってる慶喜が究極のお馬鹿。
250日本@名無史さん:03/09/07 22:01
バカ殿はどう考えても家茂。虫歯なのに和宮は砂糖送ってくるバカップルぶり
251日本@名無史さん:03/09/07 22:02
直属の水戸藩兵が諸生派への報復に走ってしまい、慶喜を置き去りにしたことも結構ショックだったかも知れない。
252日本@名無史さん:03/09/07 22:07
ここは徳川幕府を懐かしむスレですか?
253日本@名無史さん:03/09/07 22:21
>>249
それはわれわれ現代人だから言えることだろう。
当時の天皇の権威って意外と強かったんじゃないの?
254日本@名無史さん:03/09/07 22:40
>>253
将軍は天皇以上の権威だった。
また倒幕派にとっても天皇は権威ではなくただの道具にすぎない。
盲目的に崇拝してたのは一橋派だけじゃない?
慶喜のヘタレによって天皇の権威が決定的に強まったといったほうが正しい。
255日本@名無史さん:03/09/07 22:46
将軍は権力は天皇以上だったが、権威は天皇の後ろ盾がひつようだった。
征夷大将軍の称号も形式的には天皇から授けられる形式を採った。
256有紀:03/09/07 22:51
257日本@名無史さん:03/09/07 23:18
慶喜は英明な殿様だった。
でも、時代の流れは止められない。
慶喜もその事は良く分かっていて、最後は自ら幕引きをした。
春嶽や容堂も良く分かっていた。
理解できなかった会津公や近藤勇はちょっと哀れ。
258日本@名無史さん:03/09/07 23:29
>>254
あの当時の尊皇思想の規模をなめてる。
そもそも日本の歴史において「朝敵」という言葉ほど恐ろしいものはなかった、それに加えて幕末は
水戸学やら頼山陽やら平田篤胤やらの影響で尊皇結社がある藩数知れず。

長州もあれだけ公家を操っていたのに8.18政変で朝敵認定された後は完全に京から追い出されるわ捕縛されるわ
グッダグダだろ
259日本@名無史さん:03/09/07 23:58
>>258
薩長が偽錦旗を掲げたからといって幕府が「朝敵」になるわけではないでしょ。
薩長が幼帝を抱えて偽勅を乱発して暴政を行っているという認識は一般的なものだった。
君側の奸を排除するという大義名分をもって薩長を叩くことは尊皇思想になんら反していない。
慶喜のヘタレによってはじめて岩倉の偽錦旗に決定的な効力が生まれたんだよ。
260日本@名無史さん:03/09/08 00:11
>>259
それ以前から天皇は老中を罷免したり実質的な権力も権威も持っていたと思うがな。
それと慶喜が朝敵になったのは薩長の偽錦旗とは関係ない。
幕府軍があまりにも弱体で鳥羽伏見で敗北したのがそもそもの間違い。
敗北したからこそはじめて錦旗が錦旗として機能した。
261日本@名無史さん:03/09/08 00:15
二条城の慶喜直属の水戸藩兵が岩倉らの下した「偽勅」に飛びついて、諸生派への報復に
江戸へ向かった。慶喜が岩倉らの下す勅錠を偽とするとなると、慶喜に付従っていた
これら水戸藩兵をも賊として討たざるを得ない。岩倉らの狙いもそこにあった。
262日本@名無史さん:03/09/08 00:28
>鳥羽伏見で敗北
そもそも鳥羽伏見で戦うはめになったのは、
慶喜が榎本などの軍事部門の忠告を無視して京都から引いたため。
また鳥羽伏見の戦闘は緒戦でこけただけであって幕軍には巻き返す余力は十分にあった。
最悪でも大阪城に籠城し援軍を待てば薩長には攻め落すことは困難だったろうね。
鳥羽伏見の敗北は慶喜の戦線逃亡によってあっけなく決定したんだよ。
263日本@名無史さん:03/09/08 00:30
やっぱり慶喜は頭がよすぎたんだな。
馬鹿なら大坂城で籠城しているはずだ。
264>京都から引いた:03/09/08 00:35
全軍京都から引いたわけではなく本圀寺詰め水戸藩兵だけは残している。
265日本@名無史さん:03/09/08 03:10
やっぱり慶喜はどうしようもない馬鹿だな。
英明なら大坂城で籠城しているはずだ。
266日本@名無史さん:03/09/08 04:00
>>265
北に新政府軍、南に高野山隊、津、彦根、尾張は新政府側にすでに寝返り・・・

となったら徳川海軍が有利な位置にある大阪湾から逃げるしかあるめえよ。

血気盛る会津勢を意気消沈させるのにも効果あったわけだし、
第一そのお陰で徳川勢は全くといっていいほど無傷な状態で江戸に帰還したんだし。
267日本@名無史さん:03/09/08 04:32
慶喜が鳥羽伏見の戦いで戦意を喪失したのは、やはり錦の御旗を官軍が立てたのが
大きかっただろうな、徳川一門でも最も尊王思想の厚かった水戸家の出であり、生母
も宮家の出身ということもあって、彼自身尊王思想は身に着いていたはず、慶喜の目
指したのは公武合体による政治体制だったことは間違いない、彼の身になってみれば
徳川の十五代将軍としての立場と尊王教育で育まれた彼自身のアイデンテティの狭間
で恐らく身を引き裂かれる思いでの公武調和による政治体制を目指したのではなかっ
たのか。
それが思いもよらぬ(青天のへきれきと言ってもよい)朝敵断定の錦の御旗の出現によ
って光圀の流れを汲むものとして「オレがまさか!!」という思いが戦意を急速に喪失
させていったものに相違ない。
268日本@名無史さん:03/09/08 06:03
慶喜は裏では長州と繋がっていると幕府は疑っていた。
269日本@名無史さん:03/09/08 10:42
天子を薩長に確保されているから、鳥羽伏見で勝っても、大阪城に篭っても
どうにもならない。京都から撤退した時点で、慶喜はあきらめていた。
問題は会津や新選組、幕府歩兵をどう説得するか。
270日本@名無史さん:03/09/08 20:28
>>269
 徳川幕府は西国外様に、天皇を奪われた場合を想定して、上野に輪王寺宮門跡を
作り、宮様を必ず一人江戸に滞在させていたよ。
 薩長が天皇を奪い、徳川追討の勅命を発しても、徳川は輪王寺宮門跡を担ぎ上げて
、新皇として担ぎ上げればすむ事。
 そして、親皇より、薩長追討の勅命を発していただく。
 当時の輪王寺宮門跡は、あの中川宮の弟で、バリバリの佐幕派。
 維新後は、当然、新政府から目を付けられ、北白川宮と改称して、台湾で戦死された。
271日本@名無史さん:03/09/08 22:02
>270
天皇廃立を企てたと見なされた安藤を襲撃したのは慶喜の実家の水戸藩士。
そんな土壌で育った慶喜にそんな真ねはできないと思うが?

272日本@名無史さん:03/09/08 22:22
だから慶喜はチンカスなんだってば
慶喜を排除した井伊大老は正しかったね
273日本@名無史さん:03/09/08 22:23
>272
彦根ヲタハケ―ン
274日本@名無史さん:03/09/08 22:30
>>271
じゃあ、水戸藩出身の慶喜公は将軍職辞任。お飾り将軍に、幼少の田安亀之助君
を擁立。(後の徳川家達)
 幕府の実権を小栗上野介が掌握。勝海舟は斬殺。
 陸軍総裁 小栗上野介
 海軍総裁 榎本武揚

 この体制で、東武皇帝輪王寺宮門跡を盟主、田安亀之助君を副盟主として、
東武同盟を結成。
 参加有力諸藩には、会津、米沢、仙台など東国諸藩が中心。
 さらには、会津公の実兄でもある尾張藩も同盟に加わる。
 難攻不落の名古屋城に篭城し、薩長軍を撃破すれば、西国雄藩の中には
徳川に味方するものも現れる。
 名古屋城は西国外様が反乱をおこした際に、食い止めるための城。そう簡単には
落城しない。
 しかも交通の要衝であるから、名古屋城を無視して江戸攻めは不可能。
275日本@名無史さん:03/09/08 22:35
>274
尾張は佐幕派を瞬殺的にアポーンしています。
幕府軍は薩長より遥かに装備が劣悪で少数な天狗党すら討ちあぐね、
夜討ちや奇襲などを受けて逃げ出すような体たらく。
小栗が頭で考えたように幕府軍が戦えるわけではありません。
276日本@名無史さん:03/09/08 22:42
 日本最強の徳川海軍があるだろう。
 東海道を進撃する官軍を艦砲射撃で袋叩きにすればいい。
 中仙道から攻めてくるなら、江戸まで引きずり込んで、艦砲射撃で袋叩き
よ。
277日本@名無史さん:03/09/08 22:49
幕府が本気で戦う姿勢を示したら日和見諸藩は傍観者に徹すると思われ。
薩長の走狗となって幕府を攻撃するようなマヌケはいないよ。
278日本@名無史さん:03/09/08 22:49
港湾設備において満足な補給が出来なければ海軍戦力は干上がってしまいます。
反幕派が港湾設備を破壊・占拠するなどの挙に出れば海軍は無力化されてしまう危険があり、
磐石の信頼がおける戦力ではありません。最後の決め手はやはり強力な地上兵力です。
279日本@名無史さん:03/09/08 22:59
>>278
「強力な地上兵力」は物資の海上輸送が伴ってはじめて成立する。
そして最強の榎本海軍は倒幕派側の脆弱な海上輸送路を自由に寸断することができるんだよ。
長期戦になってたら倒幕派に勝ち目はなかったと思う。
慶喜は倒幕派の神だよ。
280日本@名無史さん:03/09/08 23:12
陸上での幕府軍によって港湾の無傷の確保が保たれることは極めて困難でしょう。
ロシア革命でも白軍は海軍を持ちながらも赤軍に陸戦で敗れ、ロシア艦隊は亡命船となりました。


281日本@名無史さん:03/09/08 23:17
>>280
宮家の母を持ち、父である烈公より、尊王教育を受けている慶喜に錦の御旗を
掲げる官軍と戦うのは不利。
 幼少の田安亀之助をお飾り将軍にして、輪王寺宮を東武皇帝にするのがベスト。
 もしくは、筋金入りの佐幕派である、松平容保を徳川16代にして、官軍と戦う
べき。
282日本@名無史さん:03/09/08 23:24
>>280
ロシアと日本では地理的条件が違いすぎw
つかロシア革命の引き金は海軍の反乱じゃなかった?
たしか赤軍が乗っ取った戦艦が宮殿に艦砲射撃したはず…
283日本@名無史さん:03/09/08 23:35
禁門の変・天狗党事件などで幕府軍は統制力の弱さ・肉弾戦に対する弱さを露呈してしまっています。
そして諸藩に対しては厳しい督戦の姿勢を示し、諸藩の反感を買っています。
幕府は諸藩に対する支持を集める努力を倒幕派に比べ怠っていたといわざるを得ません。

284日本@名無史さん:03/09/08 23:40
 徳川命の会津藩の白兵戦力は日本最強(新撰組含む)。
 会津藩家訓
 会津藩を第一に思い、徳川宗家をないがしろにする藩主は藩主にあらず
 御三家のくせに、官軍についた、尾張藩は何を考えているのか。
 徳川親藩は宗家の盾だろうが。
285日本@名無史さん:03/09/08 23:53
会津藩も新撰組も二条城や列藩同盟時に敵のように見なしていた
水戸藩尊攘派に共闘を呼びかけ、拒否されているというのも
皮肉といわざるを得ません。
286日本@名無史さん:03/09/09 00:05
倒幕派は鳥取・岡山といった慶喜の兄弟が藩主の藩まで丸め込んでいます。
287日本@名無史さん:03/09/09 00:19
>御三家のくせに、官軍についた、尾張藩は何を考えているのか。
>徳川親藩は宗家の盾だろうが。
尾張徳川家からすれば、御三家筆頭の尾張徳川家が、なんで水戸の息子の
面倒をみなければならんのだということだと思われ。

>会津藩も新撰組も二条城や列藩同盟時に敵のように見なしていた
>水戸藩尊攘派に共闘を呼びかけ、拒否されているというのも
>皮肉といわざるを得ません。

>倒幕派は鳥取・岡山といった慶喜の兄弟が藩主の藩まで丸め込んでいます。
烈公からすれば、尊王を貫かず徳川家第一に考える会津・慶喜はクソ。
尾張徳川家にしてみれば、徳川家は尊王を旨とする家なので倒幕も当然。
288日本@名無史さん:03/09/09 00:25
慶勝は朝廷に対して慶喜の弁護はしたが容保に対しては冷淡だったのは何故か?
官位返上の使者として赴いた大阪城で会津藩兵や旗本に罵倒されたらしいが。

289日本@名無史さん:03/09/09 09:39
鳥羽、伏見戦時の幕府海軍は、且つてのペリー艦隊よりも強力なのだ。
艦砲の射程内の地域で薩長軍が優位に立つ事はできない。
290日本@名無史さん:03/09/09 09:49
鳥羽と伏見、勝利者はどっち?
291日本@名無史さん:03/09/09 18:46
慶喜の勝ち!
292日本@名無史さん:03/09/09 20:48
もしも慶喜が岩倉や薩長を本物の「官軍」だと信じてたのなら、
慶喜は観念して一人で出頭して朝敵として斬首されるべきだ。
それですべて丸く収まる。
しかし慶喜は投降するどころか江戸へ逃げ帰り、恭順すると見せかけ、
実は幕府艦隊を護衛にはりつけて「官軍」を武力で威嚇していた。
これが尊皇厨房のやることか?往生際悪すぎ。
もしもパークスが止めなければ、
慶喜の首を狙う官軍と幕府海軍の戦争が静岡あたりで始まってたはず。
明らかに慶喜は朝敵だね。
293日本@名無史さん:03/09/09 21:18
↑ もっと歴史をキチンとお勉強しましょうね(w
294日本@名無史さん:03/09/09 21:21
慶喜が斬首されたら幕軍が黙ってるわけねえだろ
295日本@名無史さん:03/09/09 21:22
ところで鳥羽伏見の戦いの時、幕府軍と薩長軍の両方に錦の御旗が
掲げられていたってホントウのことですか?
296日本@名無史さん:03/09/09 21:24
維新当時の幕府海軍って、本当に東洋一の実力だったの?
297日本@名無史さん:03/09/09 21:25
慶喜斬首に最も拘っていたのは西郷や大久保など薩摩系。
岩倉は在京水戸藩士に対しては慶喜への寛大な扱いを匂わせていた。
298日本@名無史さん:03/09/09 23:21
西郷だか大久保だかの土民フゼイ(下級武士)が公方様を斬首など
おこがましいにも程がある(怒)。
299日本@名無史さん:03/09/09 23:42
>>298
公方様も元は三河の山賊なんだが。
300日本@名無史さん:03/09/09 23:42
>>270
>薩長が天皇を奪い、徳川追討の勅命を発しても、徳川は輪王寺宮門跡を
>担ぎ上げて、新皇として担ぎ上げればすむ事。

アホでつか? そんな天皇を誰が承認するの?
301日本@名無史さん:03/09/09 23:53
>>300
アメリカはもう少しで承認しそうだったじゃん。
302日本@名無史さん:03/09/09 23:59
>>301
それは熊沢天皇だろ。
303日本@名無史さん:03/09/10 00:02
ツオイ方が担いだ天皇が正統な天皇でつ
薩長が敗れたら輪王寺宮が北朝の継承者となり
大室や岩倉は逆賊として磔獄門の運命ですた
304日本@名無史さん:03/09/10 00:06
慶喜が長州と組んで京都から薩摩を追い落とすことで、政局の主導権を執る。
305日本@名無史さん:03/09/10 00:26
慶喜が伊達政宗ばりの演技力があれば
朝敵となったあとは、十字架を背負って京に出頭
余の命で日本が異国から守られるならば、甘んじて死を賜りたいとお涙ちょうだい
西郷どん号泣、久光感激、大久保・岩倉苦い顔で
世論は慶喜まんせー一色
慶喜は謹慎の上、新政府の重鎮におさまるのであった

ちゃんちゃん
306日本@名無史さん:03/09/10 00:30
天狗党処分で既に慶喜の人望は地に落ちているのでそれほどは挽回できないだろう。
307日本@名無史さん:03/09/10 01:03
>>287
水戸的な尊皇扶幕方針を最も貫いた連中こそが一会桑。
尾張は最終的に倒幕派に乗せられたから裏切り者。
308日本@名無史さん:03/09/10 17:12
>>307
その割には水戸藩本圀寺派と会桑は仲悪いが?
309日本@名無史さん:03/09/10 17:17
尾張藩主徳川慶勝は、会津藩主松平容保公の実兄。
 兄のくせに弟を見捨てるなよ。
 もうひとりの兄弟、桑名藩主松平定勝は「会津の兄上を見捨てられない」
と戊辰戦争に参戦した。
 ひどい兄貴だ。
 
310日本@名無史さん:03/09/10 17:21
慶勝は慶喜の弁護は積極的だった。
311日本@名無史さん:03/09/10 17:44
 >>310
 それなら、慶勝はなぜ薩長に味方し、藩内の佐幕派を虐殺する。
 水戸の風下の立ちたくないなら。
 慶勝が徳川16代になれば良い。
 宮家の血が入っている慶喜では薩長撃滅は無理。
 東武同盟
 盟主 輪王寺宮門跡
 副盟主 徳川慶勝
 参与  会津、仙台、米沢、桑名、彦根
 まさか、譜代筆頭の井伊が徳川裏切る訳ないよな?
312日本@名無史さん:03/09/10 17:57
征長総督だった時点で慶勝は反幕になっている。
薩長同盟が成立した段階ではもう幕府に完全に見切りをつけており、
幕府に対しては距離を置いていた。しかし慶喜が徳川宗家の主として逆賊
とされては尾張家も逆賊の一族となってしまう為、慶喜を弁護したのだろう。
313日本@名無史さん:03/09/10 18:05
 同じ兄弟でも、慶勝と容保・定勝はえらい違いだな。
 愚兄賢弟の典型だな。
 三人とも、元は美濃高須藩主の子息だったんだけど。
 高須藩は5万石の小藩なれど、尾張徳川家の分家だからね。
 
314日本@名無史さん:03/09/10 18:13
慶喜自身も将軍になってからは水戸藩の佐幕諸生派に対して蟄居や権限剥奪、
水戸藩御用掛などを設けて水戸藩を自分の直轄下に置こうとした。
京都の慶喜近辺にいる水戸藩士は尊攘派であり、慶喜と対立してる水戸藩士が佐幕派という
皮肉な状況が慶喜の身辺を取り巻いていた。


315日本@名無史さん:03/09/11 00:18
慶勝が長州を滅亡から救ってやったというのに、
長州の土民どもは恩を返すどころか、
長州征伐に加わった件で尾張藩を逆恨みし、
新政府から尾張人を一掃しやがった。
316日本@名無史さん:03/09/11 23:14
お手数をお掛けして大変申し訳ないですが、教えろ。
なぜ慶喜は一橋家の養子になったのだ?
当時一橋家といえば将軍に最も近い家柄、御三卿・御三家の中でNo.1だったはず。
しかも当時は一橋出の将軍家斉の血を引き継ぐ子・孫共がウヨウヨおり、
尾張・紀伊・田安・清水の各家に強制的に養子入りしてたはず。
なのになぜそいつらが一橋家継がず、よりによって独自血統の水戸出の慶喜が一橋に養子入りしたのか・・・
317日本@名無史さん:03/09/11 23:19
>>316
慶喜の前に一橋家へ入った養子がばたばた死んでたのよ
で、剛健で利発だと噂の慶喜が選ばれた。

また、家定が病弱で子供が作れないので後継将軍を考える勢力の影響もあり
318日本@名無史さん:03/09/11 23:26
>>317
いくら一橋でも水戸系が将軍になるのは抵抗あっただろう。
それが南紀派と一橋派の14代巡る抗争か。
319日本@名無史さん:03/09/13 16:29
 ところで、仙台藩はなぜ、外様のくせに徳川方についたの?
 徳川には「百万石のお墨付き」を破約させられた恨みもあるのに。
 関が原の直前、徳川家康は伊達政宗に味方につけば、40万石の加増を約束
した。当時の伊達領は58万石なので、この約束が実現すれば、108万石の
大藩となっていた。
 しかし、徳川は約束を反故にして、4万石の加増しかしなかった。
 それどころか、伊達は「すきあらば徳川に反抗するだろう」と予測し、親藩
の会津藩を設置し、日光東照宮と言う名の城砦まで構築した。
 仙台藩も、幕末には「逆賊徳川を征伐しる」と称して、会津を血祭りに上げ
、日光東照宮を焼き討ちにし、薩長軍より先に江戸城に攻め込めば良かったの
に。
 外様の伊達が徳川に義理立てする必要はない訳だし。
320日本@名無史さん:03/09/13 17:52
>319
仙台藩は決して一枚岩じゃなかったんだよ。
321日本@名無史さん:03/09/13 18:16
 >>321
 白石城主にして、仙台藩筆頭家老、片倉家は佐幕派、討幕派?
 それにしても、仙台藩が江戸城一番乗りをしていたら、仙台藩出身者
を大量に新政府に送り込めたのに。
 最低でも、日光東照宮焼き討ち位はやっとくべきだったな、仙台藩。
 藩祖である独眼竜様も、「落ち目の徳川に味方するとは愚か者め」
と墓の下で嘆いていたはずだよ。
322日本@名無史さん:03/09/13 18:26
>>321
 そう言えば、戊辰戦争の際に仙台藩と米沢藩の代表が、長州藩参謀
、世良修造に「会津藩を助けってやってくれ」と哀願するんだが、自分
たちの監視役(親藩)である、会津を助ける義理なんかあるの。
 「うちは外様ですから、親藩の会津なんかさっさと征伐して下さい。必要
なら軍勢もお金も出します」と言うのが当然の対応と思われ。
323日本@名無史さん:03/09/13 18:31
義公と正宗公に何らかの密約があったとか。

324日本@名無史さん:03/09/13 18:34
>>323
 義公って誰のこと?
 
325日本@名無史さん:03/09/13 18:35
義公=光圀 列公=斉昭
326日本@名無史さん:03/09/13 18:36
 徳川には一度騙されているんだよ、信用する仙台藩って、アホか。
327日本@名無史さん:03/09/13 18:38
 徳川が、東北地方の天領全てを仙台藩にあげると言うなら、徳川方に
つくべき。それ以外なら、薩長方にね。
 政宗公だって、常に有利な方に味方して、仙台藩・伊達家を守ってきたん
だから。
328日本@名無史さん:03/09/13 18:39
ドン五里兵では、会津に敗退して恥の上塗りをするだけかも。
329日本@名無史さん:03/09/13 18:46
 会津が主力を京都に出している隙に攻撃するんだよ。
 薩長と密約を結んでね。
 仙台藩の騎馬鉄砲部隊が白虎隊を蜂の巣に。
 徳川に味方したおかげで、仙台藩は24万石に減らされるし、
爵位は伯爵止まりだったんだよ。
 アホですか、仙台藩。
 戦国時代なら、即、最上家に潰されているな。
330日本@名無史さん:03/09/14 07:12
奥羽越列藩同盟=佐幕って考えって正しいのだろうか?
331日本@名無史さん:03/09/14 07:49
仙台はダメだったが、分家の四国はかなり動いてます。
332日本@名無史さん:03/09/14 11:58
当時は徳川憎しで内紛を起こしてるような時世じゃない。
仙台藩は薩長のように無知無教養な下層民に乗っ取られておらず、
地理的に京から離れているから薩長の狂気に冷静に対処できたんだろうね。
世良がもうちょっとまともな香具師だったらどうなったかわからないけど、
ああいう基地外は首を刎ねて厠に投げ込むしかないだろ。
333日本@名無史さん:03/09/14 19:42
天狗党の大量処刑でかなりの人士が幕府に見切りをつけた。
大久保は公武合体から倒幕に転じたし、(こうなるよう仕組んだのは薩摩だが)
長州の恭順論も、一族である水戸に対してすらあのような殺戮をするのだから
というので、徹底抗戦に変わった。
朝香宮すら幕吏の国を憂えざる行為と断罪している。
慶喜が後に一大痛恨事と述懐した決定的転換点だったのかもしれない。


334日本@名無史さん:03/09/14 21:01
水戸の尊王攘夷派は体制内に生じた悪質な癌だから抹殺するのが正しいんだよ
天狗の連中はいさぎよく彦根藩と激突して散ればいいもの無様な死に様だったね。
335日本@名無史さん:03/09/14 22:33
>>332
 なんで、外様の仙台が徳川のために朝敵にならにゃいけないの?
 薩長と組んで、会津藩血祭り・東照宮焼討ちがベストだよ。
 そうすれば、明治新政府に参議を一人くらい送れたかも知れん。
 摂津の三田藩(九鬼家)なんか、志摩国鳥羽から、徳川の「海賊大名九鬼
を弱体化せよ」の方針で、東軍方についたにも関わらず、山奥の三田に国替
え。幕末では「海を奪われた恨みを晴らす」と言うことで、すぐに官軍方に
ついた。
 最良の選択だね。
 それに比べて、仙台・米沢は。アホですか、徳川は朝敵ですぞ。朝敵に容赦
はいらないね。
336日本@名無史さん:03/09/15 00:03
会津・庄内に対する追討はあくまでも薩長の私怨。
仙台藩がそれにおつき合いする義理はない。
むしろ薩長は輪王寺宮の令旨にあるように朝廷を姦曲し策謀により暴動を引き起こした国賊。
仙台藩としては君側の奸の討伐に立たざるを得なかったんだよ。
しかしこれらは全て本来なら慶喜がやるべき仕事なんだけどね。
337日本@名無史さん:03/09/15 00:06
ヘタレが有力説だな。
338日本@名無史さん:03/09/15 02:50
>>337
倒した政権の長がヘタレという史観、古代中国から続く伝統
大政奉還という形を取ったから、極悪人のそしりは免れている
339日本@名無史さん:03/09/15 03:36
1868 慶喜が抗戦論を採用し一念発起、駿河湾岸で東征軍を壊滅。
     徳川軍が京都を制圧し、幕政復古の大号令。
     薩長芸土など西国諸藩が列藩同盟で対抗するも、慶喜指揮の
     大君政府軍により各個撃破され戊辰戦争終結。
     裏切り者の徹底処分。藤堂家、井伊家などのクズどもを改易
     彦根藩士ら暴発。政府軍に瞬殺され数百人斬首
340日本@名無史さん:03/09/15 03:39
1869 大坂に遷都。江戸市民離散し経済混乱。東日本全体が急速に衰退。
     旗本リストラ、俸禄削減および欧化政策への反発強まる
     永井尚志、大鳥圭介、榎本武揚ら政府要人の斬殺相次ぐ
1870 新撰組ら諸隊の反乱。近藤勇、土方歳三ら斬首     
1871 廃藩置県
1873 徴兵令 地租改正
341日本@名無史さん:03/09/15 03:45
1874 小栗忠順、閣議で大統領制への移行を主張するも(゚Д゚)ハァ? と
     一蹴され下野。帰郷して旧旗本系不平士族に担がれ
     上州の乱を起こして敗走、捕縛され斬首。
1875 讒謗律 新聞紙条例制定
1876 旧譜代、佐幕派系諸藩の士族反乱相次ぐ
1877 会津士族が暴発し、東北戦争が勃発する
     警視庁の薩摩士族が大活躍、会津人(賊軍)皆殺し
     河井継之助陸軍大将の指揮で政府軍が総攻撃。市街戦により
     会津市民数千人が巻き添えで死亡
     西郷頼母ら飯盛山で自刃
     松平容保、ひねくれて終生チョンマゲ切らず笑い者に
1878 徳川慶喜、通勤途上を不平士族(旧旗本)により斬殺。享年42



342日本@名無史さん:03/09/15 05:32
>>334
彦根藩は越前で、天狗の本陣へ突入するのを拒否している。
降服した後の斬首には勇んで首切り人を申し出て、諸藩の失笑をかっている。
343日本@名無史さん:03/09/15 18:22
 彦根は、元今川の家臣だから純粋の三河譜代ではないよ。
 厳密に言うと、駿遠給人。
 こんな家を譜代筆頭にするなんて、徳川幕府はアホですか。
 譜代筆頭は酒井家にすべきだったな。元は徳川とは兄弟の間柄だし。
 松平庶流 酒井氏。
344日本@名無史さん:03/09/15 20:43
>>343
男色の関係にあったとも言われているので、武田にとっての高坂、
上杉にとっての直江みたいなものでしょう。
345日本@名無史さん:03/09/17 20:16
>>345
 お釜掘られて、譜代筆頭35万石。
 井伊はエセ譜代。
 三河譜代には嫌われていたのよな、井伊直政。
 彦根城見に行ったけど、「井伊家は元今川家臣」の説明は書いてあったが、
「なぜ、譜代筆頭になった」かは書いてなかったな。
346日本@名無史さん:03/09/17 20:18
徳川譜代における井伊家の地位
 外様大名の分家旗本=井伊35万石だな
 井伊=準外様と言う訳だ。
347日本@名無史さん:03/09/17 20:28
 仙台・米沢 アホですか。外様大名には徳川なんぞに恩はない。
      独眼竜様も謙信公もあの世で激怒されておるぞ。三河の
      山賊のために朝敵にされてしまうなんて。
 井伊   このエセ譜代が。彦根城を枕に藩主以下、薩長と一戦を  
     交えろよ。でも、鳥羽・伏見以降は官軍だよな。
     井伊家は準外様認定だな。
   
348日本@名無史さん:03/09/17 22:48
>>347
米沢は破産しかけたときに尾張徳川に助けられた恩義がある。
彦根は蛤御門の変では大垣藩と共に、長州藩主力を撃破した。
349日本@名無史さん:03/09/17 22:52
仙台はもしかすると毛利のバカとのと同じように、政権を執れるかもし
れないと、身の程を知らない野心を持っていたのかもしれない。

京極の事を”蛍大名”と言うが、『前田、井伊、高坂、直江』も同じだな。
350日本@名無史さん:03/09/18 21:18
徳川慶喜家は敵前逃亡種族だ!!!!!
なめるなーーーーー!!!!!
351日本@名無史さん:03/09/18 22:24
慶喜公は長州と組んで薩を中央政界から追い落とすべきだった。
352日本@名無史さん:03/09/18 23:57
ちょん州と敵対するからアンチちょんの天皇と仲良くできるのよ。
公武合体にはちょん州との敵対が不可欠です。
353日本@名無史さん:03/09/19 00:01
敵対するのはかまわんが、能力的にどう転んでも勝ち目はない罠。
354日本@名無史さん:03/09/19 00:02
横浜鎖港論では明かにアンチ薩摩なんだが。
355日本@名無史さん:03/09/19 00:19
つーかまず長州を葬ってから、次に薩摩を抹殺する予定だった。
薩長は追いつめられた弱者連合なんだよね。
窮鼠猫を噛むってやつだよ。
356日本@名無史さん:03/09/19 00:58
予定通りいかなかったのは馬鹿で能無しだったからだろうw?
357日本@名無史さん:03/09/19 02:50
>>348
>彦根は蛤御門の変では大垣藩と共に、長州藩主力を撃破した

(フゲラ
358日本@名無史さん:03/09/19 07:15
つーかまず慶喜を葬ってから、次に薩長を抹殺する予定だった。
幕府は被害妄想に追いつめられて自爆したんだよね。
どいつもこいつも敵ってやつだよ。
359日本@名無史さん:03/09/19 20:04
>>350
 米沢藩が貧乏藩になったのは、朝敵・徳川が、120万石を30万石に削り、
その上、30万石を15万石に削ったからだよ。
 徳川は豊臣を滅ぼした時に、秀頼の子供(10歳)を斬首したそうな。
 だから、慶喜が斬首されても文句は言えんだろ?
 鈴が森で斬首して、江戸城の前にでもさらし首にすれば良かっただよ。
 会津中将はのこ引きの上、京都四条河原でさらし首だな。
 豊臣を惨く滅ぼした、徳川が同様に処分されるのは因果応報。
 秋田・米沢・仙台の外様3藩で、「反徳川東北同盟」を作れば良かったのに。
 
360日本@名無史さん:03/09/19 20:13
 井伊は男色で35万石。
 まあ、男色で100万石の前田には負けるが。
361日本@名無史さん:03/09/19 20:15
>>359
お前の妄想はもういいよ。
人間的にも終わってるみたいだし。
362日本@名無史さん:03/09/19 23:15
>>360
米沢藩の元祖、直江も男色で30万石
363日本@名無史さん:03/09/20 12:17
>>359
幼児の国松を斬首したように徳川の後継ぎそうなガキはかたっぱしから殺すべきだったよなw
364日本@名無史さん:03/09/20 13:02
幕府を終わらせる為に将軍になったようなもんだろ。
365日本@名無史さん:03/09/20 13:18
米沢藩もナオエ以降は、ゴマすりのてんけいだよね
幕末はどうしたのかな!?
366日本@名無史さん:03/09/20 13:46
 >>363
 豊臣家の若君を武士として殺さなかった、徳川は逆賊に相応しい
クズだな。
 将来の禍根を絶つために、死刑はやむを得ないとしても、武士らしく
切腹で処刑すべきだった。
 とりあえず、慶喜と会津中将は逆さ磔にして、のこ引きで殺すの
適当と思われ。
 処刑執行人は、新撰組に同志を殺されまくった長州藩士が適当と
思われ。
 逆賊神社、日光東照宮は取り壊しが適当だな。
 
367日本@名無史さん:03/09/20 13:53
>>366
弱者連合の薩長がそんなことしたら破滅してたぞ。
368日本@名無史さん:03/09/20 13:59
>>366

雨の休日は釣りにかぎりますなぁ。
369日本@名無史さん:03/09/20 14:32
 ここですか、逆賊、慶喜を語るスレは。
370日本@名無史さん:03/09/20 14:40
逆賊ほどのものではない、ただのバカ殿
371日本@名無史さん:03/09/20 17:34
>>366
前のほうで誰かが言ってたけど、お前の妄想はつまらないからやめろよ。
どうせ薩長ヲタなんだろうが。
372日本@名無史さん:03/09/20 17:40
逆賊神社といえばやっぱり靖国神社だろ。早く取り壊せ、あんな邪教施設。
373日本@名無史さん:03/09/20 17:46
>>372
 旧幕臣の子孫は黙ってろ。
 近代日本は長州閥が作ったんだよ。
 旧幕臣で首相になった人間がおるか。
 長州は7人も首相を出しているぞ。
 まあ、8人目は安倍先生だがな。
 長州なかりせば、日本はフランス植民地。
 フランスの犬、慶喜、小栗。
374日本@名無史さん:03/09/20 18:55
そういえば会津から首相は出てないよな
375日本@名無史さん:03/09/20 18:59
>>373
公開オナニーは気持ちいいですか?
376水戸ヲタ:03/09/20 19:00
>>372&373
 旧幕臣及び薩長の子孫は黙ってろ。
 天皇中心の日本国家は水戸学が作ったんだよ。
 幕臣や薩長で水戸のご老公様より人気者がおるか。
 水戸は昭和期も政界人や財界人を殺しているぞ。
 まあ、根気の要る事は苦手だがな。
 水戸学なかりせば、日本は西欧植民地。
 小心者の集団、幕府、薩長。
377日本@名無史さん:03/09/20 19:02
政財界で颯爽と活躍する人材を輩出し続ける長州
歪んだひがみと負け犬根性から抜け出せない会津


ハナから勝負にならんなw
378水戸ヲタ:03/09/20 19:07
水戸>>>>>>>>>>>会津&薩長
379日本@名無史さん:03/09/20 19:11
 高杉晋作は人気者ですが何か。
 長州毛利家は始祖大江広元公以来の名門。
 三河の山賊とは知性が違うね。
 300諸侯の中でもトップクラスの血筋ですよ。
380日本@名無史さん:03/09/20 19:12
水戸などメクラの三味線弾きw
381水戸ヲタ:03/09/20 19:14
人気度:水戸黄門>>>>>>>>>>問題外>>>>>>>>>高杉
水戸徳川家:皇室と血縁
382日本@名無史さん:03/09/20 19:19
>>377
会津人を出世できないようにしていたんだろ?
383日本@名無史さん:03/09/20 19:20
>>380
 メクラとは勝海舟のこと?(先祖が検校なので)
384日本@名無史さん:03/09/20 19:21
会津人の被害妄想爆発だなw
385日本@名無史さん:03/09/20 19:21
>>374
会津の伊藤正義は竹下の後に首相候補として押されたけど、
首相の座を蹴ってしまった。
ニュースで映った彼の地元の家はおそろしく古く質素なもので、
ああいう欲の無い政治屋もめずらしいと思った覚えがある。
386日本@名無史さん:03/09/20 19:21
毛利敬親や島津久光よりも徳川慶喜の方が好きだ。
木戸孝允よりも前原一誠の方が好きだ。
大久保利通よりも西郷隆盛の方が好きだ。
山縣有朋よりも伊藤博文の方が好きだ。
岸信介よりも石橋湛山の方が好きだ。
387水戸ヲタ:03/09/20 19:22
会津も長州も水戸のご老公の前には恐れ入るしかなかっぺよ。
388日本@名無史さん:03/09/20 19:22
>>385
伊東正義な。
389日本@名無史さん:03/09/20 19:23
>>379
少なくともお前に知性は感じないなw
390日本@名無史さん:03/09/20 19:23
伊藤正義は確かに良い男だった。
391日本@名無史さん:03/09/20 19:25
>>388

失礼w
392水戸ヲタ:03/09/20 19:26
故梶山先生こそ素晴らしいご意見番だった。
393日本@名無史さん:03/09/20 19:27
>>384
山川浩が少将になったことで山縣有朋が立腹していたぐらいだから、
妄想というわけでもないだろ。
394日本@名無史さん:03/09/20 19:29
>>392
梶山静六?冗談だろ。
395日本@名無史さん:03/09/20 19:32
>>384
なんでも会津人の書き込みに見えてしまうやつは病気じゃないのか?
396日本@名無史さん:03/09/20 19:33
>>392
梶山のどこが素晴らしいんですか?
397水戸ヲタ:03/09/20 19:34
梶山先生の過激な言動はかつての烈公を彷彿させるものがあった。
398日本@名無史さん:03/09/20 19:36
ちょっと違うんじゃないかw
399水戸ヲタ:03/09/20 19:37
慶喜公を頼って京を目指した天狗党の一団に梶山先生の御先祖様も参加していた。
400日本@名無史さん:03/09/20 19:40
小渕優子先生の過激な言動のほうがかつての烈公を彷彿させるものがある。
401日本@名無史さん:03/09/20 19:41
>>399

マインドは分かったw
402水戸ヲタ:03/09/20 19:51
ていうことでやはり水戸の近世における役割と影響は大きかったといえる。
403日本@名無史さん :03/09/20 21:55
慶喜は,有栖川宮の孫なので,簡単に処刑はできないのでは?
まあ,こういう血筋の人は,島流しとか・・・
ところで,このスレは,徳信院のネタが出てこないのだが
404日本@名無史さん:03/09/20 23:35
毛利のバカ殿は、誰が見てもバカ殿。
405日本@名無史さん:03/09/21 02:49
>>404
同じ「そうせい候」でも、ビットル来航よペリー来航を「国難」として宣伝し、
一度は罷免した、水野忠邦の「上知令」を再度施行して実行に移して、
低下していた徳川幕府と征夷大将軍の権威を天皇家なみに高めようとした
12代将軍徳川家慶に比べたら、
毛利のバカ殿様は、誰がどう見てもバカ殿ばかりでつね。
406毛利親敬:03/09/21 03:03
(吐き捨てるように)もうどうとでもせい!!!
407日本@名無史さん:03/09/21 03:23
>>385
伊東は「ならぬものはならぬ」だったっけ
いい意味でも悪い意味でも会津っぽいな
でもって悲しいことに土井たか子のスローガンとほぼ同じw
408日本@名無史さん:03/09/21 12:15
>>403
慶喜処刑論を強硬に唱えたのは薩摩。
 木戸や岩倉は、「処刑は可愛そうだから、配流くらいで勘弁したれや」
だった。
409日本@名無史さん:03/09/21 17:31
>>403
>徳信院のネタが出てこないのだが
慶喜と直子が近親相姦の関係にあったことは日本史版の常識だから
410日本@名無史さん:03/09/21 23:25
禁裏守衛総督時代から慶喜は長州より薩摩を排除しようと躍起だった。
禁門の変時点においてすら長州討伐論に消極的で、薩摩の京における勢力拡大を妨害しようとしていた。
幕府が薩摩の力を借りて長州を排除しようとした路線とは対立し、水戸の激派と長州の決起の裏に慶喜がいると、
薩摩は流言し幕府の猜疑を受けるほどで、長州も会津や薩摩は敵視していたが、
慶喜には「烈公の遺志を慕う」などと攘夷嘆願書まで送っていた。
411日本@名無史さん:03/09/22 22:00
>407
国賊と同じにしては失礼だぞ。
412日本@名無史さん:03/09/22 22:15
>407
同じようなスローガンでも、ニュアンスが全然違う。
伊東が言う「ならぬこと」というのは人倫の道に反する行為の事。
土井が言う「ならぬこと」というのは己のイデオロギーに反する行為の事。
413日本@名無史さん:03/09/22 22:56
>>412
まあ知らない人間が聞けば結局いっしょなんだが
414日本@名無史さん:03/09/22 22:58
>>412
どっちも同じだよ。
415日本@名無史さん:03/10/03 11:42
趣味 刺繍
特技 祖父母と編み物
416日本@名無史さん:03/10/04 01:08
慶喜公伝史料篇…買っちゃった。ものすごく重い。
がんばって読もう
417日本@名無史さん:03/10/04 01:15
慶喜も容保も超尊王派。
418日本@名無史さん:03/10/04 19:21
耕雲斎も小四郎も敬幕派。
419日本@名無史さん:03/10/04 23:27
スレちがいですみませんがもし水戸が反幕なら4代将軍を決めるときに
宮将軍にしてたような。

>417,418
超尊王派、敬幕派ってどんな意味ですか。
420415:03/10/10 23:24
今更だけど自分の間違いに気付いた

×祖父母と編み物
○義祖母と編み物
421日本@名無史さん :03/10/11 23:12
慶喜と徳信院のスレ(不倫板)
http://love.2ch.net/test/read.cgi/furin/1037211670/
422日本@名無史さん:03/10/27 18:57
興山公age
423日本@名無史さん:03/10/29 19:10
>419 敬幕派は尊王敬幕の意だよ。
     
424日本@名無史さん:03/11/03 12:28
そんなことより慶喜家が無くなっちゃいそうだけど・・・
425日本@名無史さん:03/11/03 20:47
>>424
慶喜家に不幸があったの?
426日本@名無史さん:03/11/03 20:55
>>424
日の丸立ててお祝いだな
427日本@名無史さん:03/11/03 21:20
慶喜家直系曾孫 慶朝(ヨシトモ)さん55歳独身(らしい)
まあ分家は有るみたいだし

本は面白いよ 
428日本@名無史さん:03/11/03 21:40
慶朝さんって、子供いたはずだけど。
429日本@名無史さん:03/11/03 23:19
高松宮妃殿下の本には結婚したと書いてあったぞ。
430日本@名無史さん:03/11/03 23:49
419ですが反幕でないということですか。
431日本@名無史さん:03/11/04 00:31
そーなんだ 本読むと独身華族っぽく書いて有ったけど
独身みたいなカゾク持ちなのかw
432日本@名無史さん:03/11/13 23:19
やっぱ独身さんみたい
子供は不明
433日本@名無史さん:03/11/13 23:50
人生の成功者だから徳川慶喜は尊敬できる
434日本@名無史さん:03/11/14 02:34
>>433
確かに
貧困に喘いで慣れないお茶作ってる旧幕臣を見下しながら
毎日自転車乗りまわして遊んでる慶喜は成功者
435日本@名無史さん:03/11/14 08:06
幕臣は生き残っただけましだろうと思っていたのかもしれない。
側近の水戸藩士で生き残ったのはほとんどいないから。
436日本@名無史さん:03/11/15 14:52
>>408
長州人は甘い。謀略王、元就公も滅ぼした尼子氏の嫡流を
家臣として雇っているからね。
 次男の元春「親父は甘い。将来の禍根を絶つためにも尼子一族皆殺し。」
を主張したんだが。
437日本@名無史さん:03/11/15 19:23
>>436

元就は長州じゃなくて芸州人
438日本@名無史さん:03/11/15 20:16
楽隠居な印象の慶喜だけど実際は毒殺を恐れ
遠出する際にも家から持ってきた水しか飲まなかったんだよ。
そんなストレス満開な後半生は幸せではなかったろうな。
439日本@名無史さん:03/11/16 05:03
そもそも徳川って、ラッキー珍将軍だろ。

1590年の時点では、どう見ても
豊臣>後北条>徳川

たまたま後北条が豊臣に臣従しないで、領地没収になっちゃったから、
ラッキーで後々、将軍になれただけ。
後北条が残っていれば、徳川は将軍には、なれなかっただろう。

ついてる奴には、かなわないな。(ワラ
440日本@名無史さん:03/11/16 09:24
>>438
食中毒を恐れて、家からもってった水を加熱して飲んでたんじゃなかった?
キナコを顕微鏡で見たら小さい虫がいっぱいいるのを見て、食えなくなったという人だし。
毒殺もまあ、恐れてたかもしれんが・・・。
そこまで神経質に毒殺恐れてたら、女中に玄米パン買わせたりするかな。
441日本@名無史さん:03/11/16 11:48
清の宣統帝・溥儀の場合、ムショから出てきたあとに
一市民として暮らしながらも、結婚もしたし、
回顧録も出版したし、公正取引委員会の委員長にもなって、
そこそこまともに社会と関わりながら生きていた。

慶喜公とは単純比較できないが、ムショ生活が彼を変えたところはあったと思われ。
442日本@名無史さん:03/11/16 12:00
ムショ生活で共産党体制に適合するように洗脳されたんだよな。
慶喜の場合ははじめっから天皇崇拝だったから
明治国家は彼を洗脳する必要はない罠。
明治国家自体が彼の洗脳がなければ成立しなかった。
443日本@名無史さん:03/11/17 16:59
ただの傍系に過ぎなかった一橋を幕府に取り立てさせた時点から
大久保一蔵の深謀遠慮は始まってたんだよ









間違いない
444金魚:03/11/17 18:45
 徳川吉宗・大岡忠相主従は、自分たちの仕事で、「幕府の栄光=万民の幸せ」
と固く信じることができた。だから、幾たびの困難にも精神的に折れる事が
無かった。
 しかし、慶喜は、自分の仕事が、果たして天下万民のためになるか?国のために
なるのか?そもそも正義なのか?・・・・確信が無かった。確信があれば、ここ一番で
根性を出せたのだが。
445日本@名無史さん:03/11/17 23:51
慶喜って大奥に出入りしてたの?
446日本@名無史さん:03/11/19 11:17
要するに徳川慶喜って人は前田慶次と一緒
単なるかぶき者
人気はある
でも、徳川慶喜の場合は社会に貢献しようとした形跡があるから
かぶき者としても一格落ちるんじゃない
前田のようにかぶいて一生を通せばよかったが
情けなく生き延びてるし
何をやらせても中途半端だね


447日本@名無史さん:03/11/19 16:48
>446
前田さんとこの甥っ子さんは上杉家入り以降は…
448日本@名無史さん:03/11/19 23:13
>>447

そいつはマルチだ。関わるな。
449ガイドライン版よりコピペ:03/11/25 01:46
723 :水先案名無い人 :03/09/02 13:53 ID:ivOAga9Q
徳川慶喜日記
【卯の刻】維新軍の馬鹿騒ぎで起床。うるさい黙れ。俺は将軍様だぞ。
【辰の刻】朝食のかわりに、江戸城を明け渡す。大奥も明け渡すことになる。これは嫌だ。
「大政奉還に行っておいで」勝海舟の言葉だ。うるさいんだよ。俺は将軍様だぞ。
「気をつけて!」うるせぇんだよこの欧米かぶれが。俺は将軍だぞ。
【巳の刻】ダルい大政奉還に出発。庭では民衆がええじゃないかとわめいている殺すぞ。
【午の刻】「助けて〜!」白虎隊が叫んでいる。うるせえ。俺は将軍だぞ。
【未の刻】白虎隊救出。西郷隆盛に芋を無理やり食わされたらしい。うだつの上がらない奴等だ。
【申の刻】今日は曇りだ。気分が盛り上がらない。早く江戸城へ帰りたい。 あ、もう帰れないじゃねえか。糞
【酉の刻】勝海舟がニヤニヤしている
【戌の刻】大政奉還終了。
【亥の刻】とりあえず京都に泊まる。
【子の刻】お腹がすいた。 が京都は殺伐としていて飯食うところが無い。
【丑の刻】みんなで談笑。勝海舟に俺だけが苛つく。
【寅の刻】長州藩 登場。
【卯の国】「将軍!幕府は終わりじゃ!」 相変わらずうるせえ奴らだ。
「やめい!将軍を愚弄するか!」本当はどうでもいい。もう大政奉還しちゃったしな。
【辰の国】高杉晋作に襲われる。何であいつ大砲持ってるんだ。有り得ねえ。
【巳の刻】「将軍〜大丈夫ですか〜!」勝だ。タイミングが良すぎる。どこから見ていたんだ?
【午の刻】「もう幕府は終わったぞ〜!」さようなら、徳川幕府、こんにちは維新政府。だから俺はどうでもいいんだよ。
【未の刻】「いくぞ〜!これこそ大政奉還の証書じゃ!!」ただの紙だ。さっき厠で拾ってきた。
「うぬううう!」どうせ遠目には分かるまい。
【申の刻】戦闘終了。「わが国の未来はお前たちに任せた…」格好つけてみる。どうでもいいからな。
【酉の刻】会津藩が来た。「将軍!援軍に来ました!」遅すぎる。帰れ。うだつの上がらない奴らだ。
【戌の刻】宿を取る。宿の前で公家どもがニヤニヤしている。
いやがらせか?殺すか?
450日本@名無史さん:03/11/25 01:57
>>449
ワラタ
451日本@名無史さん:03/11/25 12:02
将軍職って
以外に民主的まではいかないが
たんなる王様とも違ったんだな。
慶喜以外の最後の2将軍は毒殺の連続だろ
なんかその前の将軍に比べて
寿命が短すぎる。
452日本@名無史さん:03/11/25 12:10
>>451
単純に病弱だったんじゃないの?
徳川家斉の子孫って数ばかり多いけどけっこう病弱な家系だよ。
453日本@名無史さん:03/11/25 14:58
>>451
ひとりは慶喜が殺ったんだがな
454日本@名無史さん:03/11/25 15:16
【戌の刻】宿の前で家茂がニヤニヤしている。
いやがらせか?殺すか?
455日本@名無史さん:03/11/26 02:28
>だから俺はどうでもいいんだよ。
このセリフなんか本質ついてるな
456日本@名無史さん:03/12/02 19:38
>>449
今はこれが流行っとるのか。クラ板でも見たぞ。結構笑えるな。

刑期の旦那の墓は近所にあるので、時折散歩がてら墓前に赴き、この人は
一体何だったのかなーとしばらく考える事がある。
十年近く前になるが、漏れがそうしてぼーっとしとると、歴史ファンらしい
じいさんの集団がぞろぞろ現れるのに出くわした。
そのうちの一人でいかにも老成した紳士と話したが、
「私は日本の将来を見据えた名君だと思っています」
と、真顔でおっしゃるのには反論できなかった。
あれから様々な資料を読み、いろんな意見を聞いたが、まだ判らない。
一体この旦那は何だったんだ。
457日本@名無史さん:03/12/02 22:22
>456
開国 倒幕が時代の必然だったとしたら
この人以外の人が将軍だったら、維新後の
徳川家の地位はもっとひどいものだったでしょう。
458日本@名無史さん:03/12/04 21:04
【週刊新潮】 「徳川宗家」を悩ますハーフの末裔「徳川光康」の正体

15代将軍徳川慶喜の末裔?
NPO法人「徳川葵栄会」理事長・徳川光康 
459日本@名無史さん:03/12/04 21:24
悠々自適、趣味豊かな生活。
どー考えても、こいつは「勝ち組」だ。
460日本@名無史さん:03/12/04 21:34
生涯暗殺を恐れて気ままな外出もままならず、
常に毒殺の危険にびくびくしていた小男・・・
慶喜が多趣味だったのは国を売った負い目から逃れるため。
卑怯者の末路は惨めだね。
461日本@名無史さん:03/12/04 21:42
>>460
なに言ってんだか、国を売ったか?
462日本@名無史さん:03/12/04 21:43
>気ままな外出もままならず
自転車乗って街まで繰り出していましたが何か?
>国を売った負い目
全くそんな気ありませんでした、只暇を持て余していただけですが何か?

463日本@名無史さん:03/12/04 21:48
それはそうと、写真を見る限り
噛み合わせ相当に悪そうだな、特に晩年。
464日本@名無史さん:03/12/04 21:51
30歳にしてご隠居。藁
465日本@名無史さん:03/12/04 21:53
趣味:写真。藁
466日本@名無史さん:03/12/04 21:54
司馬遼太朗の「最後の将軍」によると
慶喜は大奥からは毛虫のごとく嫌われていたらしい.。
467日本@名無史さん:03/12/04 21:57
>>466
大奥を廃止しようとしたからだろ。

雇われ将軍だからな。
468日本@名無史さん:03/12/04 21:58
豚肉食べたから
洋装したから
469日本@名無史さん:03/12/04 21:58
>>466
慶喜の色情狂オヤヂが毛嫌いされてたからな
470日本@名無史さん:03/12/04 21:59
慶喜の親父は男色のほうもいけたことで有名って本当?
471日本@名無史さん:03/12/04 22:01
大奥の予算を6万両ぐらい削った。
472日本@名無史さん:03/12/04 22:02
>>470
穴があいてたらなんでもよかったみたい。マジで。
473ありえない・・・:03/12/04 22:03
>>470
東湖とでしか・・・・
474日本@名無史さん:03/12/04 22:04
慶喜は江戸城に住んでたことあるの?
475日本@名無史さん:03/12/04 22:05
>>470
男色家でも好色家でも有名だったよ。
476ありえない・・・:03/12/04 22:06
東湖と斉昭のプレイなんて・・・
477日本@名無史さん:03/12/04 22:24
フランス軍装のロングブーツだぶだぶなのが気になってしょうがない・・・
478日本@名無史さん:03/12/04 22:36
>>474
ないんでないの。
>>477
確かに、今年は流行していないな。
479日本@名無史さん:03/12/05 00:30
最後の征夷大将軍の子孫

徳川慶喜ー慶久ー慶光ー慶朝ー慶敬
480日本@名無史さん:03/12/06 21:19
徳川光康登場あげ
481日本@名無史さん:03/12/06 21:22
徳川慶喜−−厚−−喜和子−−豊治==光康
482日本@名無史さん:03/12/07 11:06
公開 映画ラストサムライを見る方必見
剣道と日本刀

内容
江戸時代以降の剣道と日本刀
稽古と実戦などを見ると、映画「ラストサムライ」の楽しみが
倍増し感動あたえます。

歴代日中剣道史
(軍刀編を見る事) 
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/index.htm
483日本@名無史さん:03/12/16 01:56
光康、女系の上に養子か
詐欺同然だ
484日本@名無史さん:03/12/24 07:11
>305
如何して、西郷どん号泣、久光感激するんですか?
>313
御三家で出す権利があったにも関わらず将軍を出せなかったが
現在の徳川宗家は出しましたね。
485日本@名無史さん:04/01/01 00:41
どうして鳥羽伏見の後大坂城に逃げ帰ったのか?
486日本@名無史さん:04/01/01 00:46
大坂城じゃなくて江戸城だろ
487日本@名無史さん:04/01/01 01:01
>>486
伏見城→大坂城→江戸城
488日本@名無史さん:04/01/01 10:32
慶喜って伏見城にいたっけ?ずっと大坂城にいたんじゃなかった?
489日本@名無史さん:04/01/01 11:09
二条城→大坂城→江戸城
490日本@名無史さん:04/01/01 11:22
タイトルからして気味が悪い。
何が「歴史の敗北者」だ。
491日本@名無史さん:04/01/01 18:10
>490
まあ良いんじゃない
歴史の勝利者 大久保利通・・・・テロ死
          江藤新平・・・刑死
          西郷隆盛・・・敗戦で戦死
          岩倉具視・・・死後悪い噂が・・・
とかに比べると
492日本@名無史さん:04/01/03 05:07
なかなかに世をも人をも恨むまじ 
時にあはぬを身の科にして・・・
493日本@名無史さん:04/01/16 19:31
井伊に紀州相続を勧められたけど一ツ橋と紀州では
やはり大名である紀州のが格上という認識が一般的だったのだろうか
(紀州のほうが将軍位から遠いのは明らかだが)
494日本@名無史さん:04/01/16 19:39
御三卿はほんらい養子先が見つかるまでの腰掛に過ぎん
495日本@名無史さん:04/01/16 22:36
勝者より長く生きた敗者、、、
運命ってわからんねw
496日本@名無史さん:04/01/16 22:47
>>493
紀州の方が現将軍家に血縁的に近かった。
497日本@名無史さん:04/01/17 02:34
>>496
>>493は儲君問題のことではなく、
儲君問題の後、慶喜が井伊に紀州相続を勧められたことをいってるのだと思う
498  :04/01/17 03:48
慶喜をどう解釈するかを聞けば、その人の歴史観がわかるね。
499日本@名無史さん:04/01/17 06:54
この中に正解ある?

1どいつもこいつも使えんバカばっかりじゃ、もう止めた
2やべ、降参〜
3ああっどうしよう ダメポ
4無血開城を決めた思慮深い名君
500日本@名無史さん:04/01/17 07:00
5ヘタレの卑怯者
501日本@名無史さん:04/01/17 12:07
歴史の勝者より人生の敗北者にならなかったほうが
好感っす。
502日本@名無史さん:04/01/17 12:34
私的な享楽のため天下国家を放り出した香具師。
現代人のひ弱さや無責任さに通ずる部分が多い人物だけに、
慶喜をどう解釈するかを聞けば、その人の人間観がわかる。
503日本@名無史さん:04/01/17 13:10
頭いいけど度胸なし
504日本@名無史さん:04/01/17 21:45
悪口って誰でも言えるよねw
505日本@名無史さん:04/01/17 21:52
>>502
「天下国家」なんて大言壮語してるヤシはキモイw
506  :04/01/18 01:06
まー、ある意味日本人の写し鏡みたいな人だからな。
前に「慶喜の人生は2chネラーの理想(名家に生まれ、いやいやと言いながら
権力の頂点にのぼりつめ、好き勝手に体制を改革。誰しも一度はやってみたい
壮絶なちゃぶ台返しをやったあと30代で楽隠居。あとは政府のお金で
死ぬまで趣味三昧&子作り三昧)」
と書いたら、思いっきり攻撃されたっけ。
507日本@名無史さん:04/01/18 01:23
>>506
底辺ならではのしみったれた考え方に拍手。
自分の号令一下で無関係の人々が苦しむ可能性があれば、
名実ともに捨てて犠牲を最小化するオプションが必ず浮かぶもんさ。
日本が内戦と外国勢力の介入を招く可能性を考えると、
あれ以外に方策がなかったんだろうよ。
ルイ16世が自ら退位していれば、革命に外国介入はなかったんだよ。
陰惨な処刑も少なくて済んだんだ。
そう考えるとやはり名君。
508日本@名無史さん:04/01/18 01:26
徳川らしいバカ殿。
これ以上何の説明がいる?
509日本@名無史さん:04/01/18 01:30
>507
ふつうにやれば絶対勝てた戦を放棄し、
會津藩をぼこぼこにさせたことが果たして名君の決断といえるか?
途中までやる気満々だったのが急にやる気無くして自らの保身を考える。
なじぇ〜?

510日本@名無史さん:04/01/18 02:00
>506
イイ考え方だと思うが。
ちなみに慶喜本人は長州より薩摩が嫌いだったらしい。
維新後、「長州は最初から堂々と倒幕と言っていたから恨みはないが、薩摩は途中まで味方
の振りをしながら土壇場で裏切ったから今でも許せない」だとか。
511日本@名無史さん:04/01/18 02:01
慶喜が外科医だったら…患者にとって恐怖だな
512日本@名無史さん:04/01/18 02:05
構想力
リーダーシップ
強固な意志


このすべてが欠けている慶喜を名君なんて言ってると
オツムの中身を疑われるぞ、マジに。
513507:04/01/18 02:08
>>509
会津一国で日本が救われたんだよ。
俺は会津に感謝したいが、もし君が会津の人なら、先祖の忠君を冒涜するようなレスはやめた方がいい。
514507:04/01/18 02:10
>>512
いずれも江戸将軍には不要のものなんだが。
515日本@名無史さん:04/01/18 02:12
確かに以前は不必要だったかもしれない。
状況判断という言葉を知っているか?
516  :04/01/18 02:14
>512
慶喜にはどれもあったんだよ。どれもあっても、負けてしまうのが幕末の
難しい所。
517日本@名無史さん:04/01/18 02:16
モックンだっけ?フックンだっけ?
518日本@名無史さん:04/01/18 02:19
ほんとに「日本が内戦と外国勢力の介入を招く可能性」を憂慮したなら、
すみやかに倒幕派を鎮圧しただろうね。
慶喜は岩倉がつくった偽錦旗にびびっただけね。
519日本@名無史さん:04/01/18 02:22
>>477
ダブダブブーツは乗馬時にたくし上げるのだよ。
520日本@名無史さん:04/01/18 02:22
慶喜は一応、日本の無駄な戦乱が続くのを避けた名君なんだろ
521日本@名無史さん:04/01/18 02:24
戦乱が短期で収まったのは結果論
522日本@名無史さん:04/01/18 02:26
>>521
違うだろ結果として東日本まで戦線を拡大した、
523日本@名無史さん:04/01/18 02:28
もしパークスが西郷を叱咤しなかったならお江戸は焦土になってた。
迷君慶喜のせいで。
524  :04/01/18 02:28
>522
にとって、近世の騒乱がどれくらいなのが「短期」なのだろう?
525日本@名無史さん:04/01/18 02:31
>>524
いや短期で治まったはずの戦いを膠着・拡大した勢力がいたという事。
526日本@名無史さん:04/01/18 02:33
つまり害悪は薩摩なんだな。
527日本@名無史さん:04/01/18 02:35
慶喜タンは人気者だね
528日本@名無史さん:04/01/18 02:38
自演厨が来てレベルがまたグッと下がったな
529  :04/01/18 02:40
あれ以上の短期は絶対無い
530日本@名無史さん:04/01/18 02:44
小栗案を採用して倒幕派を包囲殲滅してればもっと短期だったはず
531日本@名無史さん:04/01/18 02:45
今度は小栗厨かよ
532日本@名無史さん:04/01/18 02:48
大政奉還をやっただけで 名君にして良いと思うよ
歴史的人物でアレをやれる人をあまり思い浮かばないな
533日本@名無史さん:04/01/18 04:26
厨と言いたいだけのお子様いらないよ。
534日本@名無史さん:04/01/18 04:27
今度はタイセーホーカン厨かよ
535日本@名無史さん:04/01/18 21:32
ちゅうちゅうトレインはどこまでも〜
536日本@名無史さん:04/01/18 21:33
こうして平和が満喫できるのは、慶喜と明治政府のおかげ。
537日本@名無史さん:04/01/18 21:45
維新時における最大の選択肢を、うまく「いま」につながるように選んでくれた人ではある。

そういう意味ではこの人がこの時に居てくれて良かった。
538日本@名無史さん:04/01/19 02:23
薩長にとっては最大級の恩人。
将軍が慶喜じゃなければ薩長政権なんて絶対ありえなかったんだから。
539日本@名無史さん:04/01/19 02:38
>>538 絶対ねぇ〜。薩長が嫌いでしょ?
540日本@名無史さん:04/01/19 02:39
徳川慶喜。不幸な人だよ。
つねに自らは望まない役割を期待され続けた人だ。
541日本@名無史さん:04/01/19 03:55
「よしのぶ」改め「よしひさ」
というのは本当?
542日本@名無史さん:04/01/19 13:02
>>541
「よしひさ」は「よしのぶ」の孫だ
543日本@名無史さん:04/01/19 14:02
>>542
違うよ。
漢字は慶喜のまま、よみを「よしのぶ」から「よしひさ」に改めたらしい。
544日本@名無史さん:04/01/19 20:43
要するに将軍の器じゃなかったってことだな
ただの腑抜け
545  :04/01/19 21:03
日本社会は体制が固まってしまうと、庶民から政治家に至るまで
総保守と化してしまう。体制変革が必要になっても、誰も既得権を
失うのが怖くて、改革に踏み出せない。
そんな時、体制の側から伝統的に現われる天才政治家だろう。
何が天才かというと、権力を支える構図みたいなのが全部見て
取れる事。幕末で言うと、政治は幕府が行うより他に手段は
ないという武士層の長年つづいた思い込みみたいなものが、末期の
幕府を支えていた。軍事的優位は長州征伐の失敗で明らかになっていた。
慶喜は錦旗にビビッたのではなく、錦旗に逆らえない武士という
図式を何よりも恐れたんだろう。(実際譜代のはずの津藩藤堂藩が
あっさり裏切ったわけだし。今後戦闘を続けたとしても、錦旗が
あるかぎり、こういった裏切りが雪崩的に波及していくことは
明らかだった)もう一つの悲劇は、こういった政治家の難しい
立場を理解してやれる人がほとんどいないことだね。小泉を
「対米追従のポチ」「権力を維持しようとやっきになってるだけ」
としか見えない凡人のなんと多いことか。だから
>544みたいな意見が主流を占めるのは、これからも続くだろう。
546日本@名無史さん:04/01/19 21:53
よしのぶ厨の文章は長くて優柔不断で独善的だから嫌い。
547日本@名無史さん:04/01/19 22:24
>>513

519だが。
会津一国で日本が救われたというのはどういう意味か?
会津藩は将軍の身代わりに自ら犠牲になったとでも?
どこをどう間違ったら「先祖の忠君を冒涜するようなレス」になるんだ?
「やる気まんまんだったのに急にやる気をなくした」ってのは徳川慶喜のことだぞ?
548日本@名無史さん:04/01/19 22:31
慶喜の兄弟が藩主の岡山・鳥取が朝廷側に与したし、在京水戸藩兵まで慶喜をほったらかしにした。
心理的ショックは相当なものだったと思われ。
549日本@名無史さん:04/01/20 23:52
目立ち過ぎたオヤジのせいで 
宙ぶらりんにされた英才って感じがするね
550日本@名無史さん:04/01/21 02:18
二条城から大阪城に移らなければよかっただけ。

薩摩を殲滅できてたのに・・・いいかっこしいすると周りが迷惑被る典型
551  :04/01/21 03:50
でもまあ、江戸開城のあと、切腹して果てるべきだった。
それが、幕府の最後の将軍としての責任のとりかただと思う。
552日本@名無史さん:04/01/21 21:16
奥羽列藩同盟と奥越列藩同盟って同じ?
553日本@名無史さん:04/01/21 21:23
本人も最後の将軍になりたくてなったわけじゃあるめえ
554日本@名無史さん:04/01/21 21:31
今トリビアの泉でやってまっせ。
555日本@名無史さん:04/01/21 21:48
>>550
天狗党の奇襲に遁走している幕府軍がどうして薩摩を殲滅できるのかと
小一時間(ry
薩摩が大人しく降伏して斬首されると言うなら別だが。


556日本@名無史さん:04/01/21 21:50
ぜんぜんへぇーじゃないな、写真やってたのなんてこの版の奴なら誰でも知ってるだろ。
557日本@名無史さん:04/01/21 22:10
( ´_ゝ`)つ〃∩ フーンフーンフーン

ただいまのトリビアは69フーンでした
558日本@名無史さん:04/01/21 22:20
勝海舟の後継ぎが慶喜の子供だったとは!
559日本@名無史さん:04/01/21 22:21
嘘をつくんじゃねーよ
この阿呆
逝け
560日本@名無史さん:04/01/21 22:22
【衝撃】勝海舟は生きていた!!【スクープ】
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/bakanews/1074690162/
561日本@名無史さん:04/01/30 23:59
鎖国一辺倒の貴族から兵庫開港を勝ち取った功績は大きい
562日本@名無史さん:04/02/15 00:37
家扶日記って公刊されてないの?
563日本@名無史さん:04/02/15 23:50
慶喜が14代将軍になってさえいれば
薩摩土佐水戸は幕府を支持していただろうし
長州も倒幕一直線になることはなかっただろうに

井伊直弼が大老にさえならなければねえ
564日本@名無史さん:04/02/16 22:11
>563
いくら慶喜支持派でも烈公と島津では意見が合わないのでは?
565日本@名無史さん:04/02/16 22:51
>>561
幕府にとって神風級の僥倖であった孝明天皇崩御のお陰だね。
徳川慶喜は新将軍就任に際して兵庫開港宣言を避けられなかったが
まさしく絶妙のタイミングでの天皇崩御。
幕府は何の障害もなく開国政策に邁進できるようになった。
天皇崩御のお陰で、公武合体の最大の障害が消滅、
まさしく家康の再来なんて事態となり
反幕派は絶対的な窮地に追い込まれた。
566日本@名無史さん:04/02/17 07:40
567日本@名無史さん:04/03/02 05:58
mL( ^∇^ )グッチャー!
568日本@名無史さん:04/03/17 16:50
mL( ^∇^ )グッチャー!
569日本@名無史さん:04/03/17 20:21
写真 狩猟
570日本@名無史さん:04/03/18 00:09
アゲテ
571日本@名無史さん:04/03/18 00:10
アゲマクッテ
572日本@名無史さん:04/03/25 09:12
>558
>559
確か慶喜の十男・精(くわし)が勝の養子になっているはずですが・・・。
573日本@名無史さん:04/03/25 09:36
>>555
幕府陸軍っていっても、ピンキリだろ。

大鳥圭介の伝習隊とかは、鳥羽伏見の戦い時、日本で唯一、薩長も持っていなかった後方装填式小銃を装備していて、日本最強だった。

鳥羽伏見の戦いでも幕府陸軍の最新式の装備の為か、薩長軍は一気に大阪へ攻め込めなかった。

幕府陸軍の指揮官は、薩長に比べると戦下手だったから、最新式の装備を持ちながら幕府陸軍も薩長軍を一気に破れなかった。
574日本@名無史さん:04/04/10 19:21
ああもたやすく幕府崩壊したのは
慶喜が腰抜けだった他ならない
その意味では、日本は幸運だった
575板倉勝静:04/04/10 20:18
まったくあなたは腰抜けですよ。あなたが優柔不断だったせいで、会津・桑名をなだめるのに
私がどれだけ神経をすり減らしたか。また、あなたに戦意がないから、
譜代筆頭の井伊家や譜代格の藤堂家、現職の老中の稲葉家がどんどん寝返ったんですよ。
576慶喜:04/04/10 20:22
>>575
最初から戦争しないと言っていたじゃん。
戦争しなけりゃ新政府議長と岩倉も言っていたのに。
なんの為に大阪にしりぞいたと思ってるんだ。
577西郷隆盛:04/04/10 20:25
岩倉がどういうつもりだったかは不明だが、おいどんははじめからあなたを
挑発ばするつもりですた。
578日本@名無史さん:04/04/10 20:25
あー俺も気ままな隠居生活してー
579小四郎:04/04/11 08:09
慶喜様を陥れようと企む幕閣・薩どもは断固掃除しなくてはならん
580酒井忠惇:04/04/11 12:35
しかし黙って大坂城を抜け出し、会津侯、桑名侯を
半ば拉致するような勢いで江戸に連れかえるのは、
かなり問題でしたな。
581鮎沢伊太夫:04/04/11 12:43
二条城守備を本圀寺党に任せたという時点で慶喜公は武力闘争の意志はなかったのだ。
市川ら奸徒征伐の勅を受け、鳥羽伏見の戦いから離脱して東帰したが、
慶喜公は我等を詰りもせず、慶篤公に勅を奉ずるよう進言された。
582慶喜:04/04/11 12:47
だって戦争したくないんだモン
583井伊掃部守:04/04/11 12:55
鳥羽・伏見の戦いで、薩摩藩から密使が来て、交渉の結果、天皇は彦根藩を
朝敵とはしない、安政の大獄の非は目を瞑る、幕府から受けた10万石減封はいずれ
元に戻すという密約ができたので、裏切って敗走しました。
譜代筆頭なのにごめんねっ
584日本@名無史さん:04/04/11 13:01
彦根は論功行賞で伯爵にしかなれなかったと不平たらたらだったようだが
、相手にされなかったので、いつしか「彦根は佐幕だったから不遇な扱いを受けた」
と吹きまわるようになった。
585酒井左衛門尉忠発:04/04/11 13:15
庄内酒井です。当家は徹底的な砂漠藩で江戸の薩摩藩をやきうちにしたり、
戊辰戦争でも終始長岡や会津を援護しましたが、とうとう薩長に敗北しました。
でも庄内の本間家から臨時に借用した膨大な献金で藩の減封をごく少しに抑えられました。
この点が庄内藩のすごいところです。庄内藩は天保時代にも国替えの危機があったけど
いろいろと根回しをして切りぬけました。
586日本@名無史さん:04/04/11 23:47
>577
その貴方も巡り巡って、西南戦争前夜では政府に
挑発されましたね、すれ違いですがどうして熊本城に
拘ったんですか?
587日本@名無史さん:04/04/12 08:36
思えば慶喜もかわいそうな男だよ
588日本@名無史さん:04/04/27 23:41
ただの腰抜けじゃないの?
589日本@名無史さん:04/04/27 23:49
というより、父親の淫乱が原因で生産された御荷物。
590日本@名無史さん:04/04/27 23:50
>>588
腰抜けじゃないよ
591日本@名無史さん:04/04/27 23:52
慶喜は尊王の家の子だからな。
じぶんがなにをしていたかは理解できているよ。
592日本@名無史さん:04/04/28 00:02
天狗党残党が掌握した水戸に帰ったのは、見方によっては凄い度胸だとも見える。
593日本@名無史さん:04/05/02 21:23
>>589
父親の正室腹の子なんだが。有栖川宮家息女である吉子が生母。
594日本@名無史さん:04/05/03 13:56
正室腹は慶喜と慶篤だけ?
595日本@名無史さん:04/05/03 14:09
因州池田、土浦の土屋、喜連川に養子に入った連中は全部斉昭の妾腹?
596日本@名無史さん:04/05/03 14:23
>>594
男子はそう。女子は知らない。
>>595
両池田、土屋、喜連川、会津松平→守山松平、清水徳川→水戸徳川、
島原松平、浜田松平、は全部側室腹。
597日本@名無史さん:04/05/09 14:37
将軍を辞めて、謹慎して、30才前半で隠居して、政治的には何もせず、
子作りと趣味に打ち込んで、最後は公爵、って完全に勝ち組だと思う。
598日本@名無史さん:04/05/09 14:43
長州征伐の途上で大坂城に没した家茂の後を継いだ慶喜には、もはや
大政奉還によって徳川の命脈を保つ道しか残されていなかった。
599日本@名無史さん:04/05/16 18:08
>598
タイミングが悪すぎる。
600日本@名無史さん:04/05/16 18:09
600get
601日本@名無史さん:04/05/28 05:34
今の徳川さんは百姓してます。
今度は自ら作る。
602日本@名無史さん:04/05/28 06:05
>548
慶喜の兄弟の池田家当主はもともとバリバリ尊王派だったけど
慶喜が将軍になったから渋々佐幕になってたらしいね。
603日本@名無史さん:04/06/03 22:20
桂小五郎が「家康公の再来だ」とか言ったなど、佐幕派より勤王や倒幕側に
好かれていたっていう記述が何かの本にあったと思うんだけど…
何て言う本か、知っている人います?
604日本@名無史さん:04/06/03 22:28
怒濤の幕政改革を進め、孝明天皇を完全に掌握し、
新国家の大統領の地位が慶喜のすぐ目の前にあった。
薩長が同盟し一か八かの武力抵抗を試みたのは、
慶喜に追いつめられたから。
605日本@名無史さん:04/06/03 23:12
>>602
鳥羽伏見の際には在京の岡山・鳥取藩兵は藩の意向を仰がず独断で新政府に加担した。
事後通告だが藩庁も追認したが。本圀寺水戸藩兵の東帰と諸生討伐軍組織も鳥取・岡山
の援助に負うところが多い。これらを慶喜も謀反として処罰する事無く追認した。
606日本@名無史さん:04/06/04 10:12
>>603
木戸の言った「家康が再来する…」は慶喜の人物評価というより、
状況が倒幕派にとって不利なものになっているので
このままいくと徳川氏の支配に逆らうのは不可能になりそうだ、
という政治情勢の事を言っている。
慶喜が好かれていることを示すものでは全くない。
607日本@名無史さん:04/06/04 18:47
鳥羽伏見で本圀寺派水戸藩兵がさっさと慶喜に見切りをつけたのも、
天狗党事件に対する慶喜姿勢への不満があったのが要因らしいし、
尊攘派からはこの段階ではもはや慶喜は失望されていたのではないか。
608日本@名無史さん:04/06/19 12:28
慶喜
よしのぶ
世忍ぶ

晩年はまさにそういう生活だったなあ!
晩年といっても30歳代以降だが
609日本@名無史さん:04/07/04 21:47
慶喜と書いて「よしひさ」と読んだってほんと?
610日本@名無史さん:04/07/16 20:33
俺も30代でひきこもって悠々自適の暮らしがしてみたい
611日本@名無史さん:04/07/16 21:02
30歳でご隠居できるくらい財産があるなら、それもうらやましいと思うけどな。
612日本@名無史さん:04/07/17 09:00
今の徳川さんはNHKしてます
613日本@名無史さん:04/07/17 14:45
西郷や大久保が明治の早い時期に非業の死を遂げたのに対し
大正まで生きたこの人を敗北者とはいえまい。
614日本@名無史さん:04/07/18 10:00
朝敵の汚名を着せられ、
個人の処刑どころか家の断絶まで求められるところだったのを
なんだかんだで公爵にまで復権を果たしたんだから
敗北者どころか立派な勝利者だろう…
615日本@名無史さん:04/07/29 06:23
mL( ^∇^ )グッチャー!
616日本@名無史さん:04/07/29 19:27
>>614
長生きしたし、子沢山だし。
617日本@名無史さん:04/08/05 23:25
薩長の基地外が残虐かつ強引にことを進めたのが悪い
田舎の土人どもより慶喜のほうがうまくやったんじゃないか
618日本@名無史さん:04/08/05 23:46
>>614
お前水戸の子に死ねと
天皇家がいえるか馬鹿
619日本@名無史さん:04/08/06 07:20
>>617
ってか、慶喜はイイんだよ。問題は老中や官僚の方がダメダメ。幕府は体質が悪いのさ。
620日本@名無史さん:04/08/06 11:03
>618
言えますよ馬鹿

天皇が自分で勅書書いてるとでも思ってるのかね
621日本@名無史さん:04/08/06 15:41
極悪非道の薩長とか言うけど、やっぱ日本人なんだよ。偉いさんまでは手を付けない。
松平容保だって生き延びてるだろう。中国だったら慶喜も斬首で一族郎党皆殺し。
確かに下級中級の人々は気の毒だが、そんでも皆殺しよかマシ。
622日本@名無史さん:04/08/08 15:34
榊原きさこさんってのは
慶喜の血はきっちりはいっての?
623日本@名無史さん:04/08/11 01:49
.
624日本@名無史さん:04/08/28 21:27
625日本@名無史さん:04/09/05 19:52
小学校の時からお犬様の将軍と並んで
情けない将軍というイメージしか無いわけだが
626慶喜:04/09/08 22:37
どうせ幕府は腐りかけてたしね、列強の植民地にされずによかったよ。
けっこう長生きしたんだけれど表舞台に上がる気はなかったよ。
最終的には明治大帝に認められて将軍だった時より高い官位に叙任されたしね〜。
島津三郎(久光)ざまーみろ!
家来の大久保利光に官位抜かれてやんの!
627日本@名無史さん:04/09/08 22:56
「先輩、あんたは間違いを犯しましたぜ。」

守谷は先回りしたつもり。どっちも入ってんだよ。

100年以上前、数世代前の世代なら当然混じる。
628日本@名無史さん:04/09/09 20:57
今は亡き高松宮妃殿下は慶喜のお孫さんだぜ。
629日本@名無史さん:04/09/26 21:43:02
そういえば、慶喜の孫で慶光は公爵で議員もやっていたのに、
2等兵で出征したってどういうこと?
630日本@名無史さん:04/09/26 21:44:52
軍の階級に爵位なんか関係ないからさ
631日本@名無史さん:04/09/27 03:52:49
負傷したとき、幕臣の子孫の将軍達がぞろぞろ見舞いに来たらしいが。
632日本@名無史さん:04/09/27 07:12:37
華族は皇室の藩屏。戦死した華族も多くいる中、
慶光は無事戻ってきたと聞いたが‥
633日本@名無史さん:04/09/27 08:41:51
日本の軍隊はほんとに公平だった
世界一のパラダイス
634日本@名無史さん:04/09/27 09:16:08
>>628
まだ生きてるよ
635日本@名無史さん:04/09/28 20:56:37
徳川慶喜家の子孫は今、マンション住まいだっけ?
確かカメラマンだっけ。
636日本@名無史さん:04/09/30 06:59:35
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637日本@名無史さん:04/10/01 07:34:18
ま。江戸を救った英雄だけどな。
638日本@名無史さん:04/10/07 21:31:16
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639日本@名無史さん:04/10/17 23:37:46
個人的な意見だが彼の政治方針好きだな。生き方にも好感が持てる。


慶喜さん大奥が大嫌いだったらしいね、テレビで前見たけど。
将軍就任したらすぐ大奥の女性たちを叩き出したらしい。
640日本@名無史さん:04/10/18 12:26:27
>>639
天璋院や和宮にも嫌われてたらしいな
641日本@名無史さん:04/10/18 13:40:20
慶光って11年前に逝去してるでしょ?
642日本@名無史さん:04/11/07 11:48:30
慶喜はやっぱり勝者だと思う。
幕府の命運に関しては、鳥羽伏見の敗戦で既に見切りをつけてたと思う。
それ以後は、徳川家の存続のみ考え、
蟄居しておとなしくして、政治には一切関わらず、
その結果、徳川家は一定の勢力を保持したまま
生きながらえる事ができたと思う。
その辺りの姿勢は、徳川家宗家を継いだ徳川家達(田安亀之助)にもある。
家達も、何度と無く首相になるよう誘われたが、固辞して、
赤十字総裁などといった政治色の薄い要職にばかりついていた。

現在だって、徳川家といったらいっぱしの名家だよ。
643日本@名無史さん:04/11/09 18:03:32
>>501を見てちょっと感動したなあ。歴史の勝者とされる伊藤とか西郷が人生の勝者とも言えるとは思えないからね

慶喜公って偉人にありがちな、傲慢さとか残虐性を感じさせないから好きだし尊敬している
644日本@名無史さん:04/11/09 22:31:57
禿胴。歴史の勝者になったもののその後も苦労の連続で非業の死に倒れるよか、
奇麗に幕を引いて幕府を終わらせその後の人生を全うした慶喜の方がイイ。
645日本@名無史さん:04/11/09 23:03:53
歴史の勝者ってそれだけで人生の勝者って気がするんだが。
伊藤も西郷も天寿を真っ当して平凡に生きる事なんて望んでないでしょ。
志し半ばにってのならまだわかるが、あの二人は十分達成したといえる。
646日本@名無史さん:04/11/09 23:36:26
「大儀に殉ずることこそ男児の本懐」を旨として多数の志士たちが数々の義挙において
命を捨てた実家の価値観からすれば、慶喜公は不本意な生涯を過ごしたようにも見えるが。
647日本@名無史さん:04/11/10 23:38:22
日本のために私を捨てて公を選んだ徳川慶喜こそ現在の糞政治屋よりも立派
648日本@名無史さん:04/11/10 23:58:57
人生の勝者であっても、男としてはダメダメ。
649日本@名無史さん:04/11/11 05:44:10
>>648
慶喜よりもお前の方が遙かにダメダメだという事だけはハッキリしているw
650日本@名無史さん:04/11/11 05:46:08
真の勝者は勝海舟
651日本@名無史さん:04/11/11 06:07:50
イギリスが薩摩を支援したのは、日本を泥沼の内乱に持ち込んで
隙あらば植民地化って魂胆からなのか?

だとしたら戦争を速く終わらせてよかったね。
おかげで近代化へ素早く移行できたし。
652日本@名無史さん:04/11/11 06:12:55
恥ずかしいぞ…
とりあえず当時の国際情勢を踏まえてから書け…
653日本@名無史さん:04/11/21 11:24:24
慶喜公の孫が、高松宮喜久子妃殿下なんですね。
天皇に対して弓を引いた朝敵なのに、存命中に復権して天皇にも拝謁、
そのうえ皇室と姻戚関係まで結んでしまうとは。
それなりの人物だったことは間違いないでしょう。
654日本@名無史さん:04/11/22 07:18:55
>>629-630
公爵からはだいぶ落ちるが、男爵田健次郎の子息田英夫は特攻隊員だった。
たしか、水雷艇か何かじゃなかったかな?

田は単なる社民党の左巻き政治家のようにしか思われないかもしれないけど、
彼の人生は非常に面白い。
655日本@名無史さん:04/11/23 12:31:36
慶喜が自分や幕府の面子を捨てたのが、不満な意見が多いが、面子を優先して
列国に荒らされて、国民が塗炭の苦しみを味合うことに対する懸念はないのか。
日本が駄目なら、ユダヤや華僑みたいに余所の土地へ引っ越すつもりかな。
引っ越すのが楽なら、新潟なんぞで避難民は苦労しないと思うが。
656日本@名無史さん:04/12/18 13:08:23
>>628
>今は亡き高松宮妃殿下は慶喜のお孫さんだぜ...
昨日までは生存し、本日午前4時24分に逝去されたんだが。
高松宮妃喜久子さまご逝去 紀宮さま婚約内定の発表延期
http://www.asahi.com/national/update/1218/005.html
657日本@名無史さん:04/12/18 14:14:35
逝ってヨシ
658日本@名無史さん:04/12/18 23:48:47
慶喜さーーーーん!お孫さんがそちらに行きましたよーーーーーー!
659日本@名無史さん:04/12/19 00:59:31
喜久子婆って子供いるの?
660日本@名無史さん:04/12/19 02:09:58
>>659
いない
661日本@名無史さん:04/12/19 14:28:36
そっか処女か
662日本@名無史さん:04/12/19 15:17:12
>>661
やっぱり旦那はもーほーだったって噂は本当だったのか。
663日本@名無史さん:04/12/19 15:18:56
>>662
そりゃ秩父宮でね?
664日本@名無史さん:04/12/19 15:34:20
高松宮日記にそれっぽい記述あり
665日本@名無史さん:04/12/19 15:42:20
>>659-664
つーか、結婚してまもなく結核(当時は死病扱い)に罹ってしまい、
なんとか一命は取り留めたものの、
子供が出来ない体質になってしまったと、
徳川慶喜の子孫の一人が言っていたが・・・
666日本@名無史さん:04/12/19 21:30:16
慶喜公っての子ども何人ぐらいいたの?

ちなみに漏れは昔、慶喜公が孫と戯れる写真を見た事があるよ。
ちなみにその孫は、今は亡き喜久子様。
667日本@名無史さん:04/12/19 21:53:32
>>655
「面子を捨てた」のは飽くまで戦術。
その証拠に徳川宗家(徳川家達)と慶喜本人は公爵に遇せられ、
最終的には、最高ともいえる待遇を明治政府から勝ち取る事ができた。
昨日逝去された高松宮妃喜久子さまが皇室に入ったのも、おそらくはその延長線。
皇室との姻戚関係は、戦前の徳川家の地位をさらに確固たるものにしたに違い無い。
668日本@名無史さん:04/12/19 21:59:47
>>666
司馬遼太郎著『最後の将軍』によれば、
成人した者だけで、十男十一女(つまり21人)いたそうだ。
早世した子供も数えたら、30人超えてたんじゃないか?
慶喜はかなりの子沢山だったようでつ。

あと、連カキすまそ。
669666:04/12/19 22:06:45
>>668
いえいえ、お気になさらず。

あと、サンクスね。

ちなみに漏れが見た写真ってのは、慶喜の伝記で(正確にはそれを絵にしただけだがw)。
670日本@名無史さん:04/12/20 22:40:54
慶喜は評価の分かれる人物だが、漏れはなかなかの切れ者だったと思うね。
671日本@名無史さん:04/12/23 19:04:00
下世話の喝采を得るためだけで早死にするのもどうかと思うが、生きていると
いろいろ言う人が出てくる。
672日本@名無史さん:04/12/23 20:29:07
>>656
「今は亡き高松宮」の妃殿下
の意だったんじゃじゃねーの?
673日本@名無史さん:04/12/24 09:31:52
77歳まで生きたが、将軍になった期間は、わずかに1年のみ。この1年間が歴史に名を残すことになってしまった。
674日本@名無史さん:04/12/26 09:22:57
喜久子さまが高松宮に嫁ぐことが決まったのは喜久子さま2歳の時。
その年までは慶喜公は存命していました。
(同じ年[大正2年]に逝去)
675日本@名無史さん:04/12/26 09:23:29
喜久子さまが高松宮に嫁ぐことが決まったのは喜久子さま2歳の時。
その年までは慶喜公は存命していました。
(同じ年[大正2年]に逝去)
676日本@名無史さん:04/12/29 17:08:33
>>668
>早世した子供も数えたら、30人超えてたんじゃないか..
そりゃあ30歳前で隠居生活じゃ、精力の発散先は性欲しかなかったろう。
著名な子孫って、誰がいるんだ?
677名無しさん:05/01/01 13:58:00
徳川といえば、家康公でしょう。
678日本@名無史さん:05/01/02 04:28:20
「龍之介」の間違いでしょう。♪バイバイ、哀愁デート♪ 
679日本@名無史さん:05/01/02 16:48:26
>>2
徳川慶喜公を讃えよう! 02/04/13-02/04/18
http://mentai.peko.2ch.net/history/kako/1018/10186/1018651560.html
680日本@名無史さん:05/01/03 03:07:01
>>635
徳川家の子孫は今何やってるの?
http://mentai.peko.2ch.net/history/kako/1001/10014/1001417876.html
681日本@名無史さん:05/01/17 05:54:34
>>680
どっかの会社の会長だかなんか。代で言えば20代目くらい。
682日本@名無史さん:05/01/17 06:23:56
16代将軍候補の慶昭だか昭慶だかどっちかわすれたけど慶喜の直系じゃなかったの?
683日本@名無史さん:05/01/27 15:58:20
当代の徳川恒孝氏(第18代)は松平一郎と徳川豊子の子。
よって慶喜直系は途絶えました。(保科正之系に移行)
684日本@名無史さん:05/02/25 06:45:52
徳川昭武マンセー
685日本@名無史さん:05/02/25 06:57:09
日本史の中では糞みたいな一族だったな徳川は。
まぁ出自がサンカだからな。
686日本@名無史さん:05/03/07 11:23:47
hoshu
687日本@名無史さん:05/03/07 13:49:59
蛤御門の変の時は一橋兵を率いて自ら采配を振るって戦ったんだよな。
688日本@名無史さん:05/03/07 13:55:33
>>687
実質功があったのは薩摩だがな
689日本@名無史さん:05/03/07 14:10:58
>>683
慶喜の次の宗家は、田安亀の助じゃなかったけ?
それをいうなら慶喜家の方でみた方が…
690日本@名無史さん:05/03/07 15:56:14
>>683
宗家は譲ったものの慶喜直系は絶えていないし、
それに松平容保は尾張家の支藩の高須藩からの養子で保科正之の血族では無いぞ。
691日本@名無史さん:05/03/08 02:47:27
直ぐに下がってしまうぞ。
保守
692日本@名無史さん:05/03/08 03:14:21
だって負け犬、だし
693日本@名無史さん:05/03/15 14:55:10
保守
694日本@名無史さん:2005/03/24(木) 13:48:31
保守
695日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:10:34
慶長410年なのか
696日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 10:46:38
保守
697日本@名無史さん:2005/04/17(日) 08:14:37
何でチョソがこれを持っているのか、すごく謎なのだが……
ttp://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=1185855&work=list&st=&sw=&cp=1
698日本@名無史さん:2005/04/23(土) 23:52:28
保守
699日本@名無史さん:2005/05/05(木) 12:21:00
保守
700日本@名無史さん:2005/05/05(木) 12:27:10
ほも
701日本@名無史さん:2005/05/14(土) 08:42:04
保守
702日本@名無史さん:2005/05/17(火) 22:25:03
age
703日本@名無史さん:2005/05/17(火) 22:36:49
少なくとも、こいつを名君とかいう奴は大馬鹿者だな。
704日本@名無史さん:2005/05/17(火) 22:49:01
徳川幕府を自分の決断で終わらせたんだから、
ただの大馬鹿者ではないよ。
経営者をやった人間ならわかる。
705日本@名無史さん:2005/05/22(日) 08:28:42
    ∧__∧
    (`・ω・´) タタカイモ オワリヲ ツゲタヨウジャ
   .ノ^ yヽ、 ワシモ カエルトスルカ
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"
706日本@名無史さん:2005/05/25(水) 08:18:07
保守
707日本@名無史さん:2005/05/29(日) 22:09:53
age
708日本@名無史さん:2005/06/27(月) 17:09:15
sage
709日本@名無史さん:2005/06/27(月) 17:41:54
口先だけで優柔不断なただのヘタレ。
710日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:29:11
>>709
俺も豚一は嫌いだが、
禁門の変の時は勇敢に陣頭指揮を執っているんだよな。
711日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:08:53
朝廷に開国を認めさせたのが最大の功績だな。
慶喜はその意味で、開国の最大の功労者とも言える。
歴代幕閣の誰もがなしえなかった最大の難事業を遂行し
日本の開国路線を確定させたわけだ。
712日本@名無史さん:2005/07/05(火) 17:54:14
ところで、薩長と全面戦争になってたらどうなってたと思う?
713日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:00:58
>>673
将軍だった1年間だけじゃないよ。
慶喜の存在自体が、1856年頃の将軍継嗣問題から始まって
幕末の中央政局にほとんど絡んでる。
714日本@名無史さん:2005/07/07(木) 05:31:58
やっぱさ〜 徳川は大老就任時に井伊直弼に実権を譲るべきだったと思うよ。
そうすれば直弼も無駄に命落とすことなかったんだよ。
井伊幕府として今も武士による政権が続いていたに違いない。
あぁあ〜 全くやんなっちゃう・・・・・・・・
715日本@名無史さん:2005/07/07(木) 06:21:46
>>714
全く同意。井伊直弼こそが全サムライ中のサムライだ!
716日本@名無史さん:2005/07/07(木) 06:37:37
慶喜の一番の近臣って誰かな?
永井尚志とか?
717日本@名無史さん:2005/07/07(木) 09:57:45
>>714
尭舜の時代じゃあるまいし。んな将軍いたら真っ先に池沼扱いされて幽閉だろ。
家臣もキミ明日から将軍ね!と言われてホントにそうしたら
真っ先に殺されてるがなw
718日本@名無史さん:2005/07/07(木) 17:06:51
井伊直弼は慶喜よりヘタレでない事は確かだ。
719徳川御三家:2005/07/07(木) 20:26:12
徳川慶喜は大政奉還して近代日本をスタートさせた名君である。
徳川家と有栖川宮家の血縁を持った徳川幕府最後の将軍である。功績は永遠に。
720日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:42:59
>>710
まあ基本的に何でも出来る人だったからね

アテにしていた会津が予想以上にへタレだったから
自分でやらないとどうしようもないというのもあったし
721日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:17:12
>>710
「遠いがけ」(作者名忘れた)を読むと、軍事関係には熱心だったらしいな。
722日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:23:17
>>719
豚一は薩長に日本を売り渡した売国奴。
723七郎麿:2005/07/19(火) 08:43:14
徳川慶喜公は偉大な人物!
724日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:47:20
もし、まかり間違って明治政府ではなく、慶喜が政権を執っていても1900年頃には日本もそこそこの列強に序していたと思う。
725日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:09:27
その後の歴史を知っている身としては、
明治政府の樹立が良かったのかは疑問だ。
明治政府というのは、結局、日露戦争も大東亜戦争もセットで付いてくる訳で
ホントに日本民族にとって良かったんだろうかと思うんだ、俺は。
だから、慶喜が踏ん張って徹底抗戦してれば、仮に英あたりの植民地に
なったとしても、英米相手の戦争をやろうとは考えずに、先の戦争での
空襲や原爆とか集団自決とか多くの非戦闘員が死ぬことは
なかったんじゃないのかと思うんだよ。
726日本@名無史さん:2005/07/22(金) 23:11:44
>>75
前半4行はともかく、後半4行はとてつもなくアホだね。

死ねば。
727日本@名無史さん:2005/07/22(金) 23:12:53

>>725ね。すまn
728日本@名無史さん:2005/07/23(土) 15:54:05
>>724
日本が‘そこそこの列強‘になれたのって、日露戦に
勝ったからなんだけど。
どうやって慶喜がロシアに勝つのよ。
729日本@名無史さん:2005/07/24(日) 00:43:48
慶喜公と小泉首相…
どっか似てない?
730日本@名無史さん:2005/07/24(日) 00:45:35
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの百年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
731[729]:2005/07/24(日) 00:55:08
レスキボンヌ‥
732日本@名無史さん:2005/07/24(日) 02:38:56
age
733日本@名無史さん:2005/07/24(日) 14:11:46
慶喜公は維新の功労者。公爵に列せられている。
ただし、島津や毛利と同格扱い。
734日本@名無史さん:2005/07/26(火) 08:03:39
>>725
ヒント:薩長人は、日本民族じゃなくて、朝鮮民族だから、自分らが政権を取れれば、日本民族が、どうなっても、よかった。


HB抗原の北方型の分布は
朝鮮100% 対馬100 福岡92 鹿児島90 鳥取86 岐阜86 岡山85 大阪79
高知75 新潟68 北海道(非アイヌ)68 東京67 茨城64 栃木61 秋田45

分離型耳垂(いわゆる福耳)の出現率は
朝鮮32.6% 山口36.9 山陰地方37.4 四国41.7 九州44.1 近畿50.1
青森63.3 山形70.5 新潟72.8 奄美諸島77.2 アイヌ96.2
735日本@名無史さん:2005/07/27(水) 07:10:13
アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン 
アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン
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736日本@名無史さん:2005/07/27(水) 21:43:57
幸徳秋水
樋口一葉
滝廉太郎
石川啄木
北村透谷
高山樗牛
山田微妙
青木繁
菱田春草
国木田独歩










徳川幕府十五代将軍・慶喜の隠居中に生まれ、隠居中に死んだ香具師
737日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:08:39
>>734
そのデータは縄文人と弥生人の混血率を表わしてるだけだな。
738日本@名無史さん:2005/07/29(金) 23:46:47
皇學館大学に子孫の教授がおられる
上様って呼ばれてたな
単位が厳しいらしい
739日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:39:40
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜 へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
へぇ〜へぇ〜
740日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:40:50
アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン アイン 
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741日本@名無史さん:2005/07/30(土) 22:04:59
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742日本@名無史さん:2005/08/05(金) 07:06:29
>>735
志村さん? ところで志村けんと慶喜似ていない?
743日本@名無史さん:2005/08/05(金) 14:14:54
志村けんはなかなかの美男子だが、慶喜には似とらん
744日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:23:15
>>1
馬鹿かお前は? それでも歴史知っているつもりか
745日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:58:33
55年体制以降、自民党政権第15代総理大臣宮沢喜一で政権終了。
15代目/「喜」の字に慶喜との因縁を感じるな。
746日本@名無史さん:2005/08/10(水) 03:47:45
有能かどうかは、解らないけど、子供の数みると、やっぱり上様だね
特に奉還後はがんばってるよね
747日本@名無史さん:2005/08/12(金) 00:11:40
>>746
40人も子供拵えた家斉も慶喜と同じ一橋家から出てたよな。
まあ、慶喜は血統では水戸家だが。
一橋家では子作りに励む家訓でもあるんだろうか。
748日本@名無史さん:2005/08/20(土) 07:45:50
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜 へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜
749日本@名無史さん:2005/08/20(土) 10:19:02
>>748は28へぇ〜です。
750日本@名無史さん:2005/08/26(金) 20:43:22
要は、御三家というのが名ばかりだと知った、水戸の二代目、光圀が、明から逃げてきた朱舜水にだまされて、
水戸学なんていうトンデモ・イデオロギーをつくってしまったのが諸悪の根元。
水戸藩そのものが、当初から徳川幕藩体制のアキレス腱だったのは明か。
それに比べて、庶子の保科正之の会津はえらい。
751水戸藩:2005/08/26(金) 20:58:38
慶喜公は大政を奉還して近代日本に導いた最大の功労者である。
752日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:03:30
会津藩が徳川幕府を滅亡に導いた。
753日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:13:27
また出たよ 会津会津ウザイ
754日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:26:30
>>753
会津厨は巣に帰ってください
755日本@名無史さん:2005/08/28(日) 05:04:06
「ふっふっふ、大政奉還して幕府を一時的に無くすということにしてしまえば
 倒幕は中途半端になり、そして政府は何百年も政治をしていないからどーせ
 困ってこの私、慶喜に土下座してやっぱり政治してくださいと頼むだろう。
 そしてその時こそ、この江戸幕府がどれだけ重要なものかを民衆が知るときに
 なる。あーさすが俺!俺感激!むしろヒデキ感激!さーて、Yahoo!Newsでも見るか!」

-王政復古の大号令が発令されました-

( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

( ゚д゚)
756日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:36:11
>>755
おもろい
757日本@名無史さん:2005/08/30(火) 03:37:10
>>755
つうか、王政復古クーデタは慶喜方は事前に知っていて放置。
幕府制の廃止は許容範囲だったわけで。

( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

( ゚д゚)


は、鳥羽伏見の敗報の時かと。




758日本@名無史さん:2005/08/30(火) 11:09:07
>>757
慶喜が王政復古のクーデター計画を事前に掴んでいたのはホントだよ。
759日本@名無史さん:2005/09/02(金) 19:03:39
>>751
大政奉還は>>755って事だったと思うが、その後の負けっぷりが良い。

会津など犠牲も出たが、グダグダの内乱を避けられた。
負ける時はスパっと負けないとね。
760日本@名無史さん:2005/09/03(土) 02:06:55
>>758
うん。
ま、会津や桑名が「薩摩討つべし」とかいって言うこと聞かなかったのは計算外
だっただろう。
761日本@名無史さん:2005/09/08(木) 15:33:35
最近、徳川家の末裔の人達がいろいろ本を出してますな。
762名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:20:17
会津はいわば自業自得だから過度に同情しなくてもよい。
763日本@名無史さん:2005/09/13(火) 22:46:00
慶喜も会津も案外自業自得の面がありませんか?
764日本@名無史さん:2005/09/13(火) 22:52:27
薩長にとって慶喜は最大の恩人。
慶喜が好戦的な将軍だったら薩長は破滅してた。
765日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:26:59
>>760
「薩摩討つべし」と盛り上がっていたのは、別に会津・桑名だけでは
なくて、滝川具挙とか幕臣もなんだけど?

慶喜だって慶応四年一月五日まではヤル気マンマンで、松平春嶽が
開戦回避のために中根雪江を送ったが、慶喜は中根の説得に
応じなかった。
東帰後の一月十一日に慶喜が出した布達でも、官軍とは島津と毛利の
私兵であるとし、これら私兵によって徳川は朝敵の汚名を着せられた
と、薩長を断罪している。
つまり、慶喜本人が「薩摩討つべし」だったわけ。
766日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:46:40
>>765
はぁ?。慶喜に戦う意志はないよ。
教徒から大阪に下がったのは戦争回避の意志表明。
767日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:05:28
>>765
春嶽が久光に乗せられているというのを感じて、演技したというのが有力みたいだよ。
薩摩の動きが外国を引き込みそうな時期であり、荒っぽい時期だからね。
水戸の斉昭ですら、攘夷について、民衆鼓舞のために演技するのは得意分野。
その影響を受けてるんだから、そこも加味した方がいいと思うよ。
まあ、幕臣たちにしたら、遣えずらいだろうね。
ちゃんとした見識と信頼感がなければ
768日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:05:42
>>766
大阪に下って開戦準備をしているのに、戦う準備をしているのに
戦う意志がないとはこれ如何に?
769日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:09:24
>>767
>春嶽が久光に乗せられているというのを感じて、演技したというのが有力みたいだよ。

有力みたいって、どこで有力とされてるわけ?
770日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:13:34
>>769
その辺を研究してる研究者。
まあ、俺もその関係者に聞いた程度だけどね
771日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:16:35
>>770
名前を出せない時点で、一研究者の私論であって、
有力な学説でもなんでもないということなんだが?
772日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:19:50
>>771 だから、有力「みたい」と書いた。
私論でなきゃ、断定系で書くよ。当たり前のこと言わすな
そんなことをいちいち確認するようじゃ、こういう場で話なんかする必要ないだろうが
773日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:24:33
>>771
私論でないちゃんとした有名な学説は、ここの住人なら皆知ってるんじゃないのか?
それともそういうことも調べずに文句を書き込んでるの?

文句があるなら、対抗する説を有力でちゃんとした学説から持ってくればいいじゃん
774日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:26:23
>>772
では一研究者の私論で展開された憶測はなく、
もう少し史料に基づいた話にしてくれ。
775日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:33:30
>>773
だから調べて>>765を書いたら、「春嶽が久光に乗せられているというのを感じて、
演技したしたというのが有力みたい」と言い出したのは君でしょ。
仮に慶喜が演技で中根を一顧にしなかったのだとしても、
一月十一日の布達の内容が全てを物語っているわけだが?
776770:2005/09/14(水) 00:41:40
はいはい、無責任な発言ですいませんでした。
これから書き込む時は、推論や学者の意見、地固めができてない新学説については一切書き込まないようにしますよ。
このままだと、話の邪魔になるので、退散しますから、あなたも「一月十一日の布達の内容」について私見無く説明してください。
それと、>>773さんは自分と別人です。冷静にその辺も見てください。
777日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:49:03
>>776>>770>>767
>あなたも「一月十一日の布達の内容」について私見無く説明してください。

え?
もしかして、知らないの?
「その辺を研究してる研究者」に聞いてみれば?

778日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:54:52
>>777-774 荒らしなら他行け。
うまいこと言ってるつもりだろうが、傍から見てて見苦しい。
おまえこそ、分野をちゃんと学んでから来い。部外者がその分野を知ったように語るな。

自分も研究してるが、誰の私見も入らずに説明することはできん。
あんたはできるらしいから、聞かせてくれ。すっごく興味ある。
779日本@名無史さん:2005/09/14(水) 01:02:34
人を貶して、本人だけすごいと思ってる馬鹿がここにも出たか。
最近の流行なのか?
日本史板も質が落ちたな

>>770俺もその説は聞いたことあるよ。
小説家の一部も採用してる考察だったな。それなりに有名な話だと思っていたが・・・・
780日本@名無史さん:2005/09/14(水) 01:06:47
日本史上最後の名君。
後は国民の骸の上に旗立てて喜んでるだけの凡愚。
781日本@名無史さん:2005/09/14(水) 01:16:44
反論できないと嵐扱か。
なるほどね。
782日本@名無史さん:2005/09/14(水) 01:21:24
>>778
見苦しいのなら、具体的に>>765のどこが見苦しいのか、指摘してみれば?
783日本@名無史さん:2005/09/14(水) 01:23:59
>>779
昔の日本史板を知らない人ですか?
784日本@名無史さん:2005/09/14(水) 08:09:36
また慶喜ドリーマーかw
785日本@名無史さん:2005/09/14(水) 08:46:43
>>767
何でも好意的に解釈しすぎ。
慶喜は頭はいいけど、へたれだから、右往左往しただけ。
最後はいい負けっぷりだったと思うけれどね。
786日本@名無史さん:2005/09/14(水) 10:35:22
>>784
慶喜ドリーマーは一人じゃね?
↓と煽り方とか、言い回しがそっくり

36 :日本@名無史さん :2005/09/03(土) 15:07:38
>>34
薩長の裏にはすでに外国勢力が後詰する準備が整えられていた。
本格的に薩長を追い込んだら、奴等は確実にその後詰を日本に導きこむ。
その結果は、中国はじめ東南アジアを見ればわかるよね?
慶喜は朝廷とのかかわりの方が幕府より多いからその辺を孝明天皇から示唆されていたみたい。
明治期になって、西郷とか首脳陣が気付いて慌てていたとか聞いたことあるよ。
追加だけど、慶喜って江戸時代唯一、天皇から請われて征夷大将軍についたというのは常識?
787日本@名無史さん:2005/09/14(水) 10:36:14

43 :日本@名無史さん :2005/09/04(日) 13:40:43
>>42
ヘタレ云々じゃなく、先にフランスが幕府御用になったため、対フランス戦線として薩長についてだけ。
慶喜が入る前に幕府に密着し、軍制について尽力したフランスが邪魔したせいで英国は幕政に参加できなかったんだよ。

>>40
慶喜の母は、有栖川宮織仁親王の娘吉子だというのは有名だよね?
そして、その母の気性と天皇家との血の濃さから、孝明天皇とは近しい親戚関係。
さらに、父の徳川斉昭は幕府よりも朝廷大事であり、吉子をもらえるほどの関係。
つまり、朝廷内部に伝を多く持ち、信頼と期待をかけられて育てられた存在。
将軍になる前に、後見人としてよく朝廷に赴いて孝明天皇らと懇談した記録がいくつかある。
そして、将軍不在の時期においては、孝明天皇と京で実際に政治について相談し、実行係りとして動いてる。
その信頼関係から、完全なる公武合体を目指すため、征夷大将軍に任命される{本人は再三自体するが天皇自らの申し出で}
幕府を崩して朝廷に取り込む刺客と考えるとわかり易いかもね
その任命され、幕政を朝廷とともに変える段で、孝明天皇が崩御{毒殺説あり}
薩長と岩倉が明治天皇を拉致同然に立て、幕府に攘夷断行を迫るなどし、幕府への無理難題
慶喜はそれらに恭順を説くも、老中はじめ大奥らの幕府政府が猛反対の末、討伐論へ傾く{三傑全てが離反}
それを無視して大政奉還するも、薩長が因縁付け、それに幕府政府が激怒し、討伐を断行
責任者として京へ連れて行かれる・・・・朝廷に折衝中に、戊辰戦争勃発
・・・・・・・以上がいくつかの資料とともに授業で習った内容。

首脳陣が慌てたことに付いては、征韓論の出る少し前に海外の動きを調べている時に
イギリスらの手口を知ったらしい。インドの話だったか?その辺は良く覚えてないです。
これ以上は知らないので、補足などお願いします。
788日本@名無史さん:2005/09/14(水) 10:37:41

70 :日本@名無史さん :2005/09/05(月) 16:23:17
なんか、書き込んだ人に対して偏見に満ちた板になってきたな。
自称、優秀な知識者でなく、それぞれの立場にたった意見として
みんな万能の意見なんか言えないんだから、否定や思い込みでなく、もっと建設的な話が聞きたいのだが。
知識不足の俺としては、期待してただけに残念・・・・見てて見苦しいのが大杉
789日本@名無史さん:2005/09/14(水) 10:40:53
↑と>>778は似すぎだっつーの
790日本@名無史さん:2005/09/14(水) 10:41:55

863 :日本@名無史さん :2005/07/26(火) 20:05:05
>>857
松平春嶽にも動いてもらっていました。
下手に慶喜が動くと、会津が暴走しそうだったので慶喜は大阪で彼らを押さえていた。
江戸から主戦派の家臣が着たら、もう止められなかったけど。

878 :日本@名無史さん :2005/07/26(火) 21:51:15
>>872
春獄は徳川家を明治新政府に招くために奮闘しているよ。
無知をさらすだけだから、まずは勉強してから反論してくれ。
ついでに言うが、幕府は会社ではない。どーしよーもなく別の物。
そのたとえ話しは単なる妄想の産物でしかないよ。
791日本@名無史さん:2005/09/14(水) 13:17:12
慶喜が先頭に立って大阪城で徹底抗戦してたら薩長に勝ち目はなかった。
しかし慶喜が逃げたことによって岩倉の偽錦旗が政治的意味を獲得し、
薩長が諸藩を糾合することができた。
明治維新とは岩倉のペテンと慶喜の怯懦から生まれた茶番劇。
792日本@名無史さん:2005/09/14(水) 13:45:44
>>782
何から何まで。
793日本@名無史さん:2005/09/14(水) 14:14:52
>>792
ツマンネ
794日本@名無史さん:2005/09/14(水) 15:26:08
>>791
>慶喜が先頭に立って大阪城で徹底抗戦してたら薩長に勝ち目はなかった。

慶喜に勝ち目はなかったの間違いだろw
795日本@名無史さん:2005/09/14(水) 15:57:06
というか戦う覚悟があったかかなり疑問。
>>768のようなことはあってもね。

>>766>>767のような「思惑あって」という意見じゃないよ。
やはりへたれが原因かと。徹底していたのので結果はよかった。
796日本@名無史さん:2005/09/14(水) 20:37:48
お前ら、岩倉が「戦争しなければ徳川を新政府に入れる」という話しを忘れてないか?。
戦争しなければ徳川の勝ちだったんだよ。
797日本@名無史さん:2005/09/14(水) 20:39:46
誰もソース出さない時点でダメ。
イタイ思い込みと妄想の嵐吹き荒れるw。
798日本@名無史さん:2005/09/14(水) 21:22:06
ではソースを出して話をしよう。

>>766は「慶喜に戦う意志はない」と明言しているが、それは
辞官納地問題が慶喜に有利に片付き、王政復古のクーデター以後、
政権を掌握した新政府に自らのポストが用意された場合の話だった
のではないか?
『丁卯日記』によれば、松平春嶽、徳川慶勝との辞官納地に関する
話し合いでも、結局、慶喜はこれを先送りする方向を春嶽と慶勝に
示唆し、すぐに辞官納地を了承しなかったため、慶喜の曖昧な返答を
西郷隆盛や大久保利通が非難したとなっている。

また『復古記』によれば、慶喜は大阪に退却した後、王政復古の
クーデターを否定し新政府メンバーの感情を逆撫でするような内容の
奏聞書を作って、朝廷に提出しようとしている。クーデター実行者達を
奸賊扱いするような奏聞書を出せば、どういう事が起こるかぐらいの
見当は慶喜にもついただろう。下手をすれば戦争に発展しかねない。
しかしあえてそういうことをしているということは、慶喜的には、
新政府の出方次第では戦争も有り得るという認識はあったと思われる。

また、この奏聞書にある慶喜の薩長観と>>765の「一月十一日の布達」
の薩長観は基本的に同じであると思える。




799日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:36:41
慶喜がやったというが、慶喜にそれをやらせたのは会津桑名そして主戦派の幕臣たちだろw。
勝手な解釈だな。
800日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:57:26
>>798
6ヶ国の代表団と会った時も自分が政権担当者だって言ってるよな
基本的に慶喜はまだそういう考え方だったんだとオモ
大政奉還したこと=薩長に前面的に降参!というわけではないのは明白だわな
801日本@名無史さん:2005/09/14(水) 23:14:10
戦争というものはこちらに戦う意志がなくとも、相手が仕掛けてくれば始まってしまう。
そして当時、京都は薩長によって軍事制圧され、江戸では薩摩が事実上の対幕戦を始めていた。
そしてこの状況を確認したものが「討薩の表」でしょ。

事態は慶喜の主観的で幼稚な思惑を超えて展開し、
それに対し偏狭で猜疑心の強い慶喜は、ますます内に引きこもって行った…
慶喜の夜逃げはあるヘタレの現実逃避にすぎない。
802日本@名無史さん:2005/09/14(水) 23:57:55
>>800
その外国公使への慶喜の発言を大久保利通は問題視して、慶喜非難決議を
しようと岩倉へ建議している。これが一月三日のことで、すでに慶喜追討令
が出る前から大久保らの対慶喜観は最悪な状態になっていたということ。

>>801
>江戸では薩摩が事実上の対幕戦を始めていた。

江戸市中で攪乱工作をしていた益満休之助の身柄を徳川サイドが確保
していたので、薩摩サイドとしては、このこと(攪乱工作)で責任を
追求されると困る状態になったわけだが、一方で、徳川サイドとしては
薩摩が武力倒幕を狙っていることを明確に認識する材料になった。
803日本@名無史さん:2005/09/15(木) 15:58:56
>>791
慶喜が陣頭指揮をしなかった時点で負けは確定。
慶喜自身があやふやな態度では、部下もどうしていいかわからんし。
804日本@名無史さん:2005/09/15(木) 16:52:56
あやふやではっきりしない曖昧さが負けるというのは
今回の選挙の民主党と同じだなw
805日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:27:22
どーでもいいが、敗北の罪を慶喜に押しつけて
会津は悪くないとほざく会津厨や会津研究家に呆れ果てた。
806日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:47:29
祝!会薩厨同盟!!
チョン囚人を2ちゃんから排除するのだ!!
会津をバカにする長州は日本から出て逝け!
807日本@名無史さん:2005/09/15(木) 22:37:00
>>798に出てくる奏聞書は所謂「討薩の表」と別物で、12月18日に
朝廷に提出しようとして、松平春嶽、山内容堂、岩倉具視らに
提出しようとしていたことそのものをもみ消された物。ソースは『復古記』。

>>803
旧幕軍は大坂城から京へ向けて進軍するにあたって、それが本格的な戦争に
なるとは思っていなかったようだ。薩摩軍から発砲を受けてあわてふためいた
のはそのせいだろう。この辺りに、旧幕府側と薩摩側で現状認識の差異が
見て取れる。この差異が何故生まれたかというと、藩を挙げて戦闘態勢の
薩摩に対し、旧幕府側はその棟梁たる慶喜が毅然たる態度を取らなかった
ことも要因と思われる。戦うにしろ、戦わないにしろ、佐幕勢力に睨みを
効かして自らの真意を行き渡らせるカリスマ性が欠如していた。
この点でカリスマ性を有する指導者がいた薩長に水をあけられていたと
言えるだろう。

>>804
小泉劇場ならぬ、薩長劇場の方が一枚も二枚も上手だったということだな。
808日本@名無史さん:2005/10/15(土) 18:56:17
      _  -―- 、,へ -‐‐/\ 、   __
       |「  ̄`ヽ、/ _.. `- ´-― `<´ |              
        |   ┌‐/          \ !二ニ..ヽ,    |
       l   |./ / !  l ,   l  、   ヽ\  l __ノ
         t /.l  l. メ、 / l   l  l.!  l ∨  ,'  ヽ  レッツ  
        ,>、ヽl.  レ_,.ム_ ハ  /! / |_ノ|   ! /    )  ageで
       //〃|.  |〃f「!:!` |/ ,レ-<.! ! イ.l '   /     ございます!!!
       ,'〈/// .|  .l └'┘    |f;_}〉ノ__ノレ   <
      ! 〈/  !  | !. ``` 、_'_  ≡`/ ト、     `ヽ
       |/|    |  l t    {`  /   /  .ト、〉       |/  ̄ ヽ
      ! .レ、__,ヽ、| ,\  `-‐'  , イ l.  ト、\
       /´二_ヽ`ー'7`_ ー__l´  | !  | `'       ,. -/
       / /,. - ― - 、7 ハヽ`ー- 、|  |   _,. -‐ ´ /
      ,'/   ,. -‐- 、 \ ゝ-)  ,.!>-‐ " /_,. - '´
    /´/ ○ /     ヽ ヽ__,. ‐' /  _,. -‐'"  
    ム ,'    {       } l   _,. '‐ ' ‐-`、
-= ニ二.!     ゝ、   ノ  !-‐'  ̄`' ー -┘\
  _ ... l         ̄    l        i     ヽ
809日本@名無史さん
>>807
大阪湾の制海権は徳川海軍が掌握していたからな〜