【ノモンハン】本当は日本軍の大勝利だった!第2戦

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946日本@名無史さん:04/07/04 19:56
無敵赤軍の前には日本軍国主義もドイツファシストも手も足も出ず、
赤軍は優々楽勝で勝利した。
勝ったんだからソ連の損害とか督戦隊とか戦車の扉を溶接したとかそんな話は価値無し。
947日本@名無史さん:04/07/04 21:55
>>945
つまり日本軍より多い大損害をだして、日本軍を破ったけど、
結局領土は獲得できず、骨折り損の草臥れ儲けだったということですか。
ボロ負けじゃないっすか、ソ連軍は。
948日本@名無史さん:04/07/05 21:36
>>919
亀レスだが信長・秀吉は戦は兵士の数で決まるっつうんで、剣術とか兵士個人の
能力はほとんど気にしなかったらしいね。
そのかわり指揮官の能力にはそうとうきびしかった。関東軍とは反対だね。
949日本@名無史さん:04/07/05 21:44
>948
信長秀吉が兵の量を優先したのは、
経済的に優位に立っていて、相手より多くの傭兵を雇えたことが大きい。

日本陸軍の場合、兵士の総量で正面敵である中国・ソ連に互角で居ることが不可能なので
どうしても質的向上を叫ばざるを得ない情勢になっていた。
950日本@名無史さん:04/07/05 22:38
>>949
逆に言えば、ソ連、中国は国内の教育制度等が末端まで行き届いて
いなくて、底辺層のレベルが低かったから、結局人海戦術に
頼らざるを得なかったんだよな。

まぁ幾ら鍛えても兵士皆がランボーになれるワケじゃないんだし、
銃撃戦なんて結局は銃とそれを撃つ兵隊の頭数で決まっちまうのだから
(ソ連陸軍のドクトリンなんてモロに物量思想だものな)
大局的には常に少数精鋭を意地出来なかった日本は、人海戦術に敗れる
べくして敗れたと言う事か。
951日本@名無史さん:04/07/06 09:06
          ,,.-―――- .、
         /         丶、
       r'"   _,,......_       \
       l  ,.ィr‐ァ-.、 `ヽ、      ヽ、
        〉" / /ト、 ミヽュ、ヽ、     i     
        // l! /|l|ヾヽヽヽヽ `ヽ、    |   英霊のご冥福をお祈り致します
      レ! ! :l! lr=, `ヾ,rf==ミ ヽ \  ノ     
      |!| l、 |' i::;;!   l !: ;リ|ト、ヽ ヽ
        |ハゞ;! `´,   `~´ ;! | |l ヽ ヾミ;、    
         |l ト、ゝ、 ー   ,,.ィ | |トl ヾ、 ヽ   
       ハ'; \ト` ーr‐ ",./''^!ノl l!\、!ヾヽ、
      "  `  ,レ((y'´  ,.イ' \
        ,rク´,.ィ~;V^ヽr'´   ,.==\
          / < "ノく: ミヽ  ,:;'"    ヽ
952日本@名無史さん:04/07/09 20:50
宮崎繁三郎
http://book.okigunnji.com/book/4769809700.htm
大東亜戦争でもっとも悲惨な戦場となったビルマ(現ミャンマー)のインパール作戦において、敵将からも絶賛されるほどの見事な戦闘を繰り広げた知られざる名将がこの、宮崎繁三郎中将です。
ノモンハン事変から敗戦に至るまで、宮崎将軍はついに不敗でした。
ノモンハン事変では彼の指揮する歩兵第16連隊のみが戦闘に勝利を収めました。
953日本@名無史さん:04/07/09 22:45
>>947
日露戦争の日本もですか?
954日本@名無史さん:04/07/09 23:02
>>1
お前は、夢みてるのか?
955日本@名無史さん:04/07/10 00:07
>>952
皇軍は不敗。転進しただけ。
956日本@名無史さん:04/07/10 22:16
赤魔が誇るロスケイ16戦闘機の欧州戦線に於る仇名は蠅だった
ハエはえ蚊カか、弱蟲ロスケ
キンチョールで澤山だ
957日本@名無史さん:04/07/20 21:21
蠅はえ蚊かカ、キンチョール!
958スレ題にワロタ:04/07/23 09:41
 ノモンハン戦は日本陸軍の圧勝です
 敗戦だとゆーのは戦後左翼のプロパガンダ
 ソ連崩壊で公開された機密資料でソ連軍の大損害が明らかになった今、もうフテブテシイ
嘘は通らないぞ
959日本@名無史さん:04/07/23 09:45
損害の多寡は何とでも言えるが、国境線などはソ連の言いなりに
なったのだから、日本の勝利とは言えんがな。
960大學教授:04/07/23 10:12
国境線は隣域で大きく前進し、領土はかへって拡大してゐます
961日本@名無史さん:04/07/23 10:50
最近の報道では、厚労省がノモンハンの遺骨収集に乗り出すとあった。
60年以上も放置していたとは、驚くというかあきれたわい。
962日本@名無史さん:04/07/23 11:07
>>959
残念ながら、領土もソ連の言いなりにはなってません。
963日本@名無史さん:04/07/23 20:00
領土っつても日本にとってはなんの価値もない草原だろ。
逆にモンゴルの住民にとっては大事な家畜の餌場なのにね。
せこいことするよなあw
964日本@名無史さん:04/07/24 00:39
停戦ラインは日本軍が敗退しソ連主張の国境線。休戦条約ではチョン東郷の粘り勝ちで日本主張の国境線。
但し、日本が獲得した地域は>>963の言うように何の価値もない草原。ソ連は早期に東部国境を安定させてポーランド半分とバルト3国獲得。
どちらが徳かな?
965日本@名無史さん:04/07/24 01:52
そもそも停戦ラインの段階で、ソ連が主張する領土の半分は日本が獲得しています。
休戦条約でのラインはこの時の停戦ラインのまま。

ついでにポーランドやバルト三国の獲得は、干渉地帯を失った事を意味し、
ドイツとの全面戦争への突入のカウントダウン、大損といえる。
966日本@名無史さん:04/07/24 07:47
一応ソヴィエトはドイツに勝ったから、それだけみれば得といえなくもない。
数千万単位での戦死傷者を無視すれば。
967甲種幹部候補生:04/07/28 21:16
ノモンハン戦は日本陸戦史の華と言ふも過言ではありません
父祖の智謀と勇戦に、改めて頭が下がります
968日本@名無史さん:04/07/31 22:04
>>966
ソ連とドイツの衝突は、ヒトラーが政権を取った時点で不可避であった。ドイツの勢力圏に入る前にソ連の支配地になったことで、独ソ戦でのドイツ軍のスタートラインは大きく西にずれた。
結果的にはこのことでモスクワ、レニングラード攻略の日程は大幅に遅れることとなり、ソ連は独ソ戦に勝利を収めることが出来たのだ。
969968:04/07/31 22:21
訂正
>>966 → >>965
970日本@名無史さん:04/07/31 22:41
ちょび髭の伍長野郎ももうちょっと我慢して、筆ヒゲに先手を打たせればよかったのに。
その方が補給、地形の面で圧倒的に有利に立てる。
971日本@名無史さん:04/08/01 10:23
■■ Japan On the Globe(355)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

地球史探訪:ノモンハン 〜 大平原での日ソ激戦

 日本軍は侵入してきた数倍のソ連軍を痛撃して、スターリンの野望を打ち砕いた。
■■■■ H16.08.01 ■■ 33,204 Copies ■■ 1,250,485 Views■
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■1.独ソのポーランド分割■

私のとってきた政策は、これで完全に目的を達した。私のために火中の栗を拾わされたのは、
ヒトラーばかりではない。チェンバレン(イギリス首相)もダラディエ(フランス首相)も、
そしていまにルーズベルト(米国大統領)も・・・

スターリンはこういうと、壁面に飾られていた世界地図の前に歩み寄って、ポーランドを真
っ二つにわける赤線を、力強くぐっと引いた。そして「ジューコフは命令を守っているだろう
な」といい、さも愉快そうに安楽椅子に深々と身を沈めた。

1939(昭和14)年9月1日未明、150万のドイツ軍が南北からポーランド国境を越えた。
3日にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告。第2次大戦の始まりである。この後、
9月17日にはソ連軍がポーランドに東から侵入した。8月23日に調印されたばかりの独
ソ不可侵条約には、ポーランドを半分ずつ占領するという密約が含まれていたのである。

 得意満面なスターリンにただ一つの気懸かりがあったとすれば、満洲国とモンゴルとの国
境ノモンハンに対峙するソ連軍と日本軍の停戦が守られるか、という点であった。ジューコ
フとは7月以来、日本軍と激戦を展開していたソ連軍の指揮官である。そのジューコフにス
ターリンは停戦命令を出していた。ドイツと組んで欧州に勢力を伸ばすという戦略を成功さ
せるためには、日本との全面戦争はどうしても避けなければならなかったのである。
972日本@名無史さん:04/08/01 10:27
■2.スターリンの東西戦略■

 蒙古では1921(大正11)年にソ連が後押しする貧民政府が成立していたが、何度も反ソの反乱が
起きて、政情は安定しなかった。1937年には満洲の蒙古人や日本軍を招き入れて一斉蜂起する計画
が立てられたが、事前にソ連軍に漏れて、閣僚や軍部高官、ラマ僧侶を含む2万6千人もの処刑が
行われた。

 一方、日本軍の方は日華事変で広大な中国大陸に24個師団50万人もの兵力を投入せねばなら
ない事態に追い込まれており、満洲・朝鮮には11個師団残すのみであった。それに対して、急速
に増強しつつある極東ソ連軍は30個師団。さらに日本軍の戦車200両に対してソ連軍2200
両、飛行機も560機対2500機と数倍の戦力を国境線上に展開していた。

 この優勢な戦力で日本軍に一大打撃を与えることによって、蒙古共和国での覇権を強化し、満洲
国との国境を安定させる事がスターリンの戦略であったようだ。同時に西側では対立しつつあるド
イツと英仏を天秤にかけて、漁夫の利を占めようという魂胆だった。
973日本@名無史さん:04/08/01 10:32
■3.第一次ノモンハン事件■

 5月12日、約700のモンゴル兵がハルハ河を渡河し、日本軍との小競り合いの末、
撃退された。ハルハ河は以前からソ連側の地図でも国境とされていたが、1932(昭和7)年
に至って、ソ連は清国時代の行政区分を根拠に、一方的にハルハ河東岸13キロに国境線
を変えていたのである。

 5月20日、ソ連機2機が飛来したのを日本機3機が撃墜。最初の空中戦である。22
日にはノモンハン上空に侵入したソ連機5機のうち、3機を撃墜。日本側の被害はなかっ
た。その後の6日間でソ連機175機が撃墜され、以後、ソ連側は日本機を見たら逃げる
ようになった。ソ連のイ15戦闘機は最高速度360キロの複葉機で、単葉で460キロ
と高速軽快な日本の97式戦闘機にはまったく敵わなかった。

 5月27日、ソ連軍の工兵隊がハルハ河に頑丈な橋をかけ、多くの戦車や砲兵を含む約
1千が進出。遭遇した日本軍の約200の捜索隊が包囲され、過半数が死傷する損害を受
けた。しかし、日本側が約1600人の部隊を出して反撃すると、ソ連側はハルハ河西岸
に退却した。日本側の戦死約30、戦傷約70と損害は少くなかったが、ソ連側は遺棄死
体だけで2百、破壊された戦車10と大きな被害に浮き足だって、本格的な戦闘を避けた
ものと見られる。これが第一次ノモンハン事件であった。
974日本@名無史さん:04/08/01 10:56
他人の言葉を丸写ししなければ口を開くことすら出来ないような輩が
故郷を遠く離れた地にて眠る先祖の足跡を云々するなど百年早い。
975日本@名無史さん:04/08/01 14:43
■4.スターリン、再侵攻の命令■

 6月にはモンゴル各地で再度、反革命蜂起があり、約1千名が人民革命党や政府機関を襲撃した。
スターリンは離反する民心を押さえ込むためにも一層の制圧が必要と考えたのだろう。また日本に送
り込んでいたスパイのゾルゲから「日本はソ連と大戦争をやるような準備は進めていない」という情
報もあった。ここで一度、日本軍を叩いておいて、軍事的に押さえ込んでおけば、後顧の憂いなく欧
州で始まろうとしている戦争に備えることができる。ドイツ、英仏のどちら側につくにしても。

 スターリンは、司令官をジューコフ中将に替え、戦車旅団、砲兵連隊、飛行旅団など大幅に戦力を
増強して、再度の攻撃を命じた。6月17日にソ連空軍は満洲国側の数拠点への爆撃を行った。ソ連
側の主張する国境であるハルハ河東岸からさらに20キロも内部に入った完全な越境攻撃であった。

 ソ連の空襲には大きな損害はなかったが、日本軍はここで黙っていてはさらに大規模な侵犯を招く
と考え、6月27日、ソ連のタムスク飛行場を爆撃機30、戦闘機77で急襲。撃墜99機、爆破2
5機、基地の半分を破壊するという戦果をあげた。日本側の未帰還機は4機であった。しかし、ロシ
アとの全面戦争を懸念する東京の参謀本部は以後の越境空爆を禁止した。
976日本@名無史さん:04/08/01 15:20
■5.激突■

 ソ連軍は、ふたたび大兵力をハルハ河東岸に展開した。対する日本軍は二手に分かれて、
一手はソ連軍を直接迎撃する一方で、もう一手は大きく北側を迂回してハルハ河を渡り、
背後からソ連軍を襲うという作戦をとった。北側に迂回した一手は、7月3日にハルハ河に
鉄舟を並べてその上に板を敷き、幅2.5m、長さ60mの橋を架けた。渡河に成功した部
隊に、西岸を守っていたソ連軍が襲いかかった。須見大佐はこう語る。

 広漠たる曠野(広野)では遥か地平線上に現出した時から敵戦車は
    之を望見し得る。二千、千五百、千、射撃しない。唯敵重砲の思うが
    まま撃たれっ放しだ。八百米に接近するのを待って(戦車分隊は)第
    一発を放った・・・
 射撃開始は遅かったが、一度射撃開始するや実によく命中した。敵
    の戦車はつぎつぎと擱坐(動けなくなり)炎上する。[1,p229]

 当時のソ連の戦車隊は技量が低く、停止してからでないと射撃が出来なかった。それに対して
日本軍は走行射撃の技術を持ち、停止している敵戦車を容易に撃破できた。またソ連戦車は火炎
瓶を投げるとすぐに燃え上がった。こうして2百両近いソ連戦車がたちまち撃破された。破壊さ
れた装甲車からは足首を鎖で縛られて逃げないようにされたモンゴル兵の死体が見られた。

 しかし午後にいたって、日本軍も渇きに苦しめられた。気温は40度近く、照りつける太陽を
避ける日陰もない。あちこちでは2百両近いソ連戦車が燃え続けている。ハルハ河渡河の時に満
たした水筒も今は空だ。弾薬も残り少ない。日本軍はついに撤退を始め、5日午前5時に最後の
兵が渡り終えると、仮設橋を爆破した。
977日本@名無史さん:04/08/01 16:58
負けた戦争を負けたと認めないから国を滅ぼすことになったんだよ。
978日本@名無史さん:04/08/01 17:58
■6.二人の独裁者■

 8月初旬、スターリンは日本軍の頑強な抵抗に危機感を覚へてゐた。このまま日本との
戦線が拡大し、一方でドイツが攻撃してきたら、ソ連は二正面で戦はねばならなくなる。
日本軍への大攻勢の準備を急がせる一方で、8月12日にはヒトラーに、独ソ間の問題を
論議する用意がある旨の電報を打った。「ドイツは日本に圧力をかけ、ソ連に対して別の
態度をとれと説得するつもりはあるのか」と外相を通じて、ドイツに尋ねさせた。

 ドイツ外相リッペントロップは日本に影響力を使うことを約束し、「総てはヒトラーが
約束する。文句があるなら、日本の攻撃は止められない」と脅した。[2,p32]

 しかし、その実、ドイツの方も日本との同盟提案に見切りをつけ始めていた。すでに1
年以上も前にヒトラーは軍事同盟の締結を提案してゐたが、東京では米内海相らの頑強な
反対で一向に閣議は纏まらなかった。日本との同盟がダメなら、ソ連と結ぶしかない。

 ドイツからの同盟申し入れに対する日本海軍の反対、そしてソ連からの侵攻に対する日
本陸軍の抵抗が、奇しくも二人の独裁者を結びつけたのである。
979日本@名無史さん:04/08/01 20:08
ノモンハンでの軍事的大敗北を挽回できたのは、チョン東郷の八面六臂の大活躍によるところがおおきい。
それに対し軍部は反日分子に牛耳られ、失敗の体質を温存し、日本を崩壊に導いた。
980日本@名無史さん:04/08/01 21:56
チョン東郷って誰ですか?
981日本@名無史さん:04/08/01 22:42
■7.ソ連軍の総攻撃開始■

 ソ連軍は8月中旬までに兵員5万7千名、戦車498両、装
甲車385両、航空機515機、火砲・迫撃砲542門の大兵
力を、東岸74キロに兵力を展開した。対する日本軍は2万以
下であった。

 8月20日午前5時45分、ソ連軍は日本軍を包囲殲滅せん
と、総攻撃を開始した。まず数百機の編隊による爆撃、続いて
2時間45分に渡る砲撃。

 しかし日本軍は頑強に防戦した。北辺のフイ高地はわずか
759名の日本兵が守っていたが、ソ連軍はここを突破すれば、
日本軍の後ろに回り込んで包囲できると集中攻撃をかけた。し
かし激戦の中で第601連隊長スダク少佐は戦死し、敗退。さ
らに5日間に渡って装甲車旅団、機関銃2個大隊、戦車大隊、
空挺旅団と次々に3万の兵力を投入したが、それでも占領でき
なかった。
982日本@名無史さん:04/08/01 22:46
■8.「わが国論は領土侵犯にたいし怒りを燃やしております。」■

 その頃、モスクワではソ連の外相代理ロゾフスキーがクレム
リンの応接間で日本大使・東郷茂徳と会って、「停戦について
の交渉に入りたい」と申し入れていた。東郷は答えた。
「交渉開始には同意します。しかし、わが国論は領土侵犯
にたいし怒りを燃やしております。そのことを十分にご承
知おきいただいた上で、交渉にのぞまれることを望みます」
 ロゾフスキーの目が怒りで赤くなった。
   「大使閣下、ご存じかと思いますが、20日いらいソ連、蒙古
軍は、戦場に於て明らかに優勢を保ちつつあるのでありますぞ。」
 東郷も負けてはいない。
    「辺境の紛争に、日本軍は満洲国軍のために、貴国のよう
な大兵力を投入しなかったまでです。もし必要なら中国お
よび朝鮮から大部隊をただちに北上させるでありましょう。
しかし、それでは日ソ戦争になる。和平交渉は望むところ
です。いま申し上げたことを十二分にご配慮いただくこと
を要望したします。」[1,p384]

 ソ連側はそれまでにも和平交渉を申し入れてこない日本側の
態度に、なにか尋常でない気配を感じていた。もしかしたら、
本気で全面戦争を考えているのではないか。

 同時に、日本が内地、朝鮮、中国から満洲に10個師団を集
結中という情報がもたらされた。当初の総攻撃を食い止めて時
間を稼ぎ、10個師団を投入して決戦に出るという戦略か? 
1個師団だけでもこれだけてこずっているのに、10個師団も
来られては大変だとスターリンは震え上がった[2,p33]。

 9月16日、日ソの停戦協定が発表された。ソ連軍がポーラ
ンドになだれ込んだのは、その翌日であった。
983日本@名無史さん:04/08/01 22:49
>>981 ソ連軍はここを突破すれば、
日本軍の後ろに回り込んで包囲できると集中攻撃をかけた

実際、日本軍はあっというまに包囲されたんだが・・
984日本@名無史さん:04/08/01 22:55
>>980
外務大臣の東郷茂徳こと李茂徳。日本人はヘタレばかりで朝鮮人が国士だったとはあまりにもお粗末。
985日本@名無史さん:04/08/01 23:28
■9.ノモンハン事件の真相■

 ノモンハン事件はスターリンにとって手痛い失敗であったので、長らく真相は伏せられ
ていた。だからソ連のプロパガンダにのせられた日本のある高校歴史教科書には次のよう
に描かれている。

 ソ連に対しても、1939年9月にソ連・モンゴル軍と国境を巡る軍事衝突をおこして、
近代装備をもつソ連に惨敗した。

 欄外注 関東軍は火力・機動力にすぐれたソ連・モンゴル軍に敗
     北し、1万数千名が死傷した。

 「ソ連に対しても」という一節で、日本軍の侵略性を印象づけ、さらに近代的兵器も
なく精神力だけで兵を戦わせて、1万数千名もの犠牲者を出して惨敗したというのであ
る。しかし、ソ連崩壊によって当時の資料が公開され、事実が明らかになってきた。そ
れによってノモンハン事件を通じての損害を比較すると以下のようになる。[2,p51]

兵員死傷  日本 17,405名  ソ連 25,655名以上

航空機損害 日本    179機  ソ連  1,673機
    
戦車損害  日本     29台  ソ連    800台以上

 「惨敗」したのはどちらの方か、これらの数字が雄弁に物語っている。特に航空機や戦車の損害を
比較すれば、ソ連軍の近代兵器のレベルがどの程度かは、言わずもがなであろう。日本軍は少数なが
ら、優れた近代兵器と旺盛な戦闘精神で、数倍のソ連軍を敵に回してよく国境を守ったのである。

 ノモンハン事件はソ連側の侵略によって始まり、これを日本軍が痛撃したことで停戦となった。こ
の国境の平和が再び破られるのは、ドイツが降伏して欧州戦線が片づいた後、ソ連軍が日ソ中立条約
を破って、再び満洲になだれ込んできた時であった。[a]
                                   (文責:伊勢雅臣)
986日本@名無史さん:04/08/01 23:29
■リンク■
a. JOG(099) 冷戦下のヒロシマ
 トルーマンは、ソ連を威圧するために原爆の威力を実戦で見
せつけた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog099.html
b. JOG(203) 終戦後の日ソ激戦
 北海道北部を我が物にしようというスターリンの野望に樺太、
千島の日本軍が立ちふさがった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog203.html
b. JOG(239) 満洲 〜 幻の先進工業国家
 傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以
上の中国人がなだれ込んだ理由は?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog239.html
c. JOG(007) 国際派日本人に問われるIdentity
 日露戦争の世界史的意義
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog007.htm

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 半藤一利、「ノモンハンの夏」★★、文春文庫、H13
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167483106/japanontheg01-22%22
(読みやすいノンフィクションだが、関東軍を激しく批判する一方、
そもそも侵略を始めたソ連側については冷静なのはいかにもバラン
スを欠く)

2. 小田洋太郎他、「ノモンハン事件の真相と戦果」★★、
有朋書院、H14
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4897131103/japanontheg01-22%22
987日本@名無史さん:04/08/01 23:33
>これらの数字が雄弁に物語っている。特に航空機や戦車の損害を
比較すれば、ソ連軍の近代兵器のレベルがどの程度かは、言わずもがなであろう。

兵器のレベルや損害比が戦争の勝敗なんですか?
じゃ独ソ戦はドイツが大勝利ですね
988日本@名無史さん:04/08/01 23:35
「こ臭い破日本人講座」か・・・・
989日本@名無史さん:04/08/01 23:41
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「道徳力と経済力」について 

gankosushiさんより

> キリスト教徒に対しては契約万能の「市場原理」をとり、同じ
> ユダヤ人どうしなら「正直、信頼、助け合い」の「共同体原理」
> を教えている。一種のダブル・スタンダード(二重基準)である。

 とありますが、見過されている部分があるのではないでしょうか?
それは、ヨーロッパ社会・並びにイスラム社会の中でユダヤ人は異端者
として扱われキリスト教会や、王侯貴族によってスケープ・ゴートとし
てしか生存するすべを持ちませんでした。彼らとの契約は全てではなく、
いとも簡単に反故にされてきたのです。それをダブル・スタンダードと
いうのは、少々少々外れている気もするのです。

 日系アメリカ人の中に多くの庭師さんたちが居られますが、一様にユダヤ
人はケチだけれども、きちんと仕事がされていれば、期日をたがわず支払い
がしっかりしているのであり難いと言われます。仕事をきちんとしていても
難癖をつけて、まけさせようとするお客が多い中で長く付き合って良いのは
ユダヤ人だということを聞いております。
990日本@名無史さん:04/08/01 23:42
■ 編集長・伊勢雅臣より
 ダブル・スタンダードというのは、通常、悪い意味に使われますから、そうとられたか
と思いますが、このあたりは短い文章で意を尽せなかった面があります。共同体の外に対
しては、契約を中心とする市場原理であたり(日系人の庭師の話はこれにあたります)、
共同体内では、契約万能ではなく、「ユダヤ人なら返金してやれ」という契約以上の思い
やりを示す共同体原理をとる、という二つの原理を使い分けしているという事です。

 ただ、キリスト教徒側が共同体の外の人間に対して、いとも簡単に約束を
破ったりする事に対する対応としてユダヤ人側から市場原理を要求したことを、
付け加えないと、市場原理が「ユダヤ・スタンダード」と呼ばれる理由がもう
一つピンと来ませんね。ご指摘ありがとうございました。

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991日本@名無史さん:04/08/02 10:21
ノモンハンの夏空に轟く凱歌、万歳の声‥
992日本@名無史さん:04/08/02 21:14
ところでソ連軍の損害のなかで、モンゴル兵の数はどんぐらい?
993日本@名無史さん:04/08/03 10:13
蒙古の総人口は日露支それぞれの陸軍兵力に満たない
994日本@名無史さん:04/08/03 15:51
そなの?じゃあ日本が一億の人口に百万人の陸軍として・・・
蒙古兵は多くみて五千〜一万人くらい?
995日本@名無史さん
いえ、おぞましい共産国なので根こそぎ動員かけてきます
でも、所詮満蒙両軍はおまけにて、日ソ両軍の大激突です