どうやって合戦したのか その戦術と仕組みについて語ろう
がんがれ
>>1
定番のツッコミを早めに・・・
>>1 よ ま ず お 前 が 語 れ !!
足軽は、身分の総称か?
それとも、役割?
それとも、外部の人から見て下っ端身分ということ?
要するに人殺しということ
あまり関係ないけど映画板「クレヨンしんちゃん戦国風雲録」(だった
か?)ではアニメとはいえかなり緻密に時代考証された合戦シーンがあっ
て、ある意味で同アニメの主旨を裏切っていてよかった。それなりに参
考になるかも。
戦国大名は、どうやって兵隊集めするのか。
足軽100人キボーンとか立て札立てて集めるのか?
8 :
日本@名無史さん:03/07/20 14:19
あっぱれ戦国大合戦では?
10 :
日本@名無史さん:03/07/20 15:25
>>1 要するに相手の大将か城をやっつければ勝ち
難しく考えなくていいよ
>>1 説明書をよく読め!最近は説明書も読まないでカキコする香具師が多くて困る。
戦闘自体は年々単純化されているに・・・。
天下創世ではもう少し骨の有る戦闘をキボン
>>12 カーク・ダグラスの映画か、それともチャールトン・ヘストン?
貫高制では、新恩給付についてのみ、動員の義務がある。のこりの本貫には動員がかからないので、本貫から領主が自主的に動員する。
これを「馳走」という。
だから、上司のほうは(戦国大名や重臣たちは)みんなが到着するまで(到着状を提出して人数を報告)、何人くるかわからない(W
豊臣政権になると、太閤検地が行われ、石高制になった。これはある領主の土地のすべてを、石高で表現し、その石高に応じて動員をかける制度。
こうすれば、何人動員できるか、あらかじめ分かるし、動員もサボることができない。合理的な軍勢作成法だ。
軍勢は常に頭(かしら)の直属部隊と それにくっつけられる与力または寄騎の部隊からなる。
戦国時代の軍勢は、下部組織が優先の本質的に寄せ集め。よって兵士や下級指揮官は直属の上司にのみ忠誠心を抱く。
戦国時代に、裏切りが横行しても組織崩壊しないのはこのため。
また、戦闘中もすぐに部隊ごとに、ばらばらになるため、下級兵士の首であっても取ることが求められた。
戦った証であるからだ。逆に討ち死に、負傷も恩賞の対象となる。これも戦った証。
戦国大名は、当てにしにくい寄せ集めの軍勢よりも、近代的な「旗本」の軍勢を強化していった。そのためには直轄領を増やした。
(元同僚的な)豪族出身の重臣にではなく、直属の部下に任せるわけだ。これを中心に軍勢を組んでいく。
大名が大きくなると、重臣たちも旗本的な存在を持ち始める。たとえば織田家。
信長の親衛隊だけではなく、重臣の秀吉の親衛隊(浅野長吉とか)も結成されて、ますます戦力は能率的に発揮できるようになる。
最終的には、馬廻(旗本)が指揮する足軽隊が勝負を決するようになった。最も追撃戦になると、以前の寄せ集めて的な武者集団が活躍する。
補給についても、豊かな後背地より、特に海上輸送で兵糧を運ぶようになった豊臣時代は、従来型の東国戦国大名を圧倒した。
逆に補給がうまくいかなかった文禄慶長の役は失敗する。
こういうのが書かれていないので詳しい人に聞きたいのだが
戦国時代の行軍中の隊形や前方・後方の警戒などはどうしていたの?
(^^)
>>19 露払いが通ったあと大将率いる本隊が行軍、その後に所隊が続く。
露払いって最新参者がやらされている先鋒の事?
それと行軍隊形から戦闘隊形への移行は
どう言う感じで行われたの?
>>22 先鋒にも露払いはいる。戦闘隊形への移行は陣を敷いてから。
24 :
日本@名無史さん:03/08/05 16:15
鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄 鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄 鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄鉄
明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明
玉 供供頭供供 玉
弓弓弓弓弓弓弓弓弓弓
明 明 明 明 明
矢 供供頭供供 矢
槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍 槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍 槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍
明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明 明
供供頭供供
旗 旗 旗
補 補 補 補 補 補
供頭供
鉄鉄 鉄鉄 鉄鉄 鉄鉄
弓 弓 弓 弓
槍槍 槍槍 槍槍 槍槍
侍侍 侍侍 侍侍 侍侍
侍侍 侍侍 侍侍 侍侍
騎 騎 騎 騎
供供 供供 供供 供供
供供 供供 供供 供供
荷 荷 荷 荷
供供騎供供 供供騎供供 供供騎供供
夫夫夫夫夫 供侍供 供侍供 供侍供 夫夫夫夫夫
夫夫夫夫夫 供侍供 供侍供 供侍供 夫夫夫夫夫
夫夫夫夫夫 供侍供 将 供侍供 夫夫夫夫夫
荷荷荷荷荷 供侍供 供侍供 供侍供 荷荷荷荷荷
荷荷荷荷荷 供侍供 供侍供 供侍供 荷荷荷荷荷
25 :
日本@名無史さん:03/08/05 16:20
26 :
日本@名無史さん:03/08/05 17:07
>>16 ただ、当主の信長が暗殺されたら織田家は一諸侯に転落してしまった
いかなる事態が起こっても織田家を守る方法はなかったのかね?
やはり、徳川家みたいに直轄領400万石 部下は最高の井伊家でも30万石
という風に圧倒的に差を付けることが必要なのだろうか
,,,--─===─ヽ/へ
/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
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...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
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iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii|
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iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii|
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>>19 一応 大物見的な部隊が側面を固めるようです。
(ナポレオン時代の騎兵スクリーンみたいなもの。ただし戦国時代の大物見は歩兵ですが)
もっとも、戦国時代の軍事行動は、国境地帯に限定されるので、味方(に強制した)農民たちの情報も集めていたと思われますので、奇襲攻撃はありえなかったと思います。
鉄砲の火薬はどこから持ってくるのか?
戦国時代の合戦って、要するに白兵戦でしょ?
すごくしんどそー。
文字通り、敵の顔を見て必死で殺しあうんだろうなぁ
戦国時代に白兵戦などほとんど無かった訳だが。
>>33 そんなことないぞ。どうやって首を取るのか(w
>>34 死んだ 負傷して動けない 兵士の首を取るんだわな。
戦国やりたい
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
38 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:58
備 ってなに?
あと侍大将と足軽大将のちがいは?
41 :
日本@名無史さん:03/08/24 12:49
侍大将=課長
足軽大将=係長?
>>41 もうちょっとわかりやすく
大将 → 侍大将 → 足軽大将 → 足軽 ?
43 :
日本@名無史さん:03/08/24 12:55
侍が正社員だとすると
足軽というのは現代でいえばアルバイト社員だろ?
すると足軽大将といのはアルバイトのリーダー格ではないか?
足軽は組が戦闘単位で、侍は個人で戦闘単位になる。
いわば駆逐艦と軍艦の違いのようなもの。
駆逐艦は駆逐隊で戦隊を組むが、軍艦は個艦で戦隊を組む。
侍大将の例をあげるとすると山県昌景なんかが有名だろう。
足軽大将としては、賎ヶ岳直後の加藤清正。
総大将―侍大将(備の指揮官)―足軽大将(足軽組の指揮官)
上杉謙信は、備えは7つにすると良いとしています。
先方に3つ、右に2つ、左に2つ、本陣として1つ、後方に1つの計7つです。
この備を、指揮するのが侍大将。
侍大将は、複数の足軽大将を指揮します。
足軽大将は、鉄砲組や長柄組や弓組や先手組(江戸幕府の軍制で鉄砲・弓・長柄の混成組)を指揮します。
江戸幕府の職制では、侍大将は「番頭」、足軽大将は「物頭」と呼ばれるようになっています。
中世の軍勢は、寄親寄子制を基準とし、有力国人に寄子が組み込まれることにより、備えが構成されました。
寄子は、地侍と考えてよく、村を支配し、ほんの数人〜30人ほどの手勢をつれて参陣します。現代風に言えば、班〜小隊ぐらいでしょう。
この寄子の手勢を横に並べて備が作られるわけです。
これに対して、戦国の合戦が進むと、いわゆる足軽組の活躍が見られるようになります。大名個人や有力重臣が蔵入地を増やし、その上がりで足軽組を組織します。
この足軽組に寄親寄子制の軍勢が組み合わされ、備えとなるわけです
48 :
日本@名無史さん:03/08/24 21:31
実は戦国武者というのは、不利となればとっとと逃げる。だから存外に死傷は少ない。 騎馬武者は馬から降りて戦ったとする人もあるが、これはおそらく違うだろう。 なぜ力学的に無理がある馬上戦闘をしたかというと、なんせ逃げやすく、追いやすい。
>騎馬武者は馬から降りて戦ったとする人もあるが、これはおそらく違うだろう。
アホ
50 :
日本@名無史さん:03/08/24 22:12
日本人はナンバ歩きで戦っていたとする人もあるが、これはおそらく違うだろう。
なんで?
さっき武蔵で相手が名乗ってたけど、その時に斬っちゃったら卑怯なの?
>>52 相手の名前が判らなければ手柄の申請が出来ない。
54 :
日本@名無史さん:03/08/25 11:17
あの時点の武蔵には申請する上司もおらんのでは・・・
つーか勝って生き残るためならなんでもする本当の武蔵像からすれば
名乗ってる間に斬るぐらいしかねないな。
名前なんてあとから調べれば十分
>>46の上杉謙信〜のところを見て思ったんですが
一つの備に配属する人数というのは、
その勢力の大きさによってかなり変わる物なのか、
それとも備に加わる人数の大体の上下限みたいなのがあるのですか?
それともう一つ
>>46と
>>47をみて思ったのですが
寄親-与力-手勢制の部隊と侍大将-足軽大将-雇った足軽制の部隊
の混成の備の場合、寄親と侍大将を兼任する事になるのですか?
56 :
日本@名無史さん:03/08/25 18:15
53さん54さん両方納得、どうもです。小早川秀秋も謀反後白い目を向けられた様に
あんな時代でも勝つだけでは駄目だったのでしょうか…
篠原の戦いの時、斎藤実盛が名前を名乗らず、打ち取った手塚光盛が
困ったが、たまたま源氏の軍に実盛の知り合いがいて助かったという
例がある。
戦国時代の合戦で一々名乗りを上げる馬鹿はいないだろうけどな・・・
>なぜ力学的に無理がある馬上戦闘をしたかというと
プッ
60 :
日本@名無史さん:03/08/25 23:40
>>47 >この足軽組に寄親寄子制の軍勢が組み合わされ、備えとなるわけです
100%自分専属の足軽や家臣で備えを編成するわけにはいかないのかね?
与力のよせ集めより訓練し易いはずなんだが。
61 :
日本@名無史さん:03/08/25 23:44
家臣に所領を与えればその家臣独自の小軍団が形成される。
従ってそのようなものは難しい。
>>60 自力で備えを構成できるのは、一万石以上といわれている。
手明とは何? てあき? 徒歩の侍?
>>all
当時の合戦のやり方なんて何一つ分かっていない。
ごく少数の編成や軍勢の人数に関する情報、誇張された戦果の報告書を元に
脳内で妄想されたものが合戦だ。
お前らも適当なことばかり言うのはよせ。
66 :
日本@名無史さん:03/08/27 14:55
昔読んだ本で
「鉄砲は有効射程が50m程度で弓より威力が無く、
実戦では音で相手を驚かせるための武器だった。」
みたいなのを見かけたことがある。冷笑したが。
馬は驚くから騎馬には有効だね。
長篠の戦いもそういう理屈でいわれてなかったっけ?
そういう効果もあっただろうが、それが主目的では無かったろうな
69 :
日本@名無史さん:03/08/27 17:02
>>67 1540年代50年代ならともかく、60年代以降に鉄砲に慣らしていない
馬なぞ戦場で使い物になろうはずもなく。
最近言われているほど、弓や鉄砲は有効ではなかった。
また、足軽の長槍も大して効果がなかった。
最も有効だったのは、やはり昔ながらの定説である日本刀による武士の斬り込みだった。
71 :
日本@名無史さん:03/08/27 22:21
戦国の頃は野戦より城攻めや城付近での合戦が圧倒的に多かったから当然だ
72 :
日本@名無史さん:03/08/27 22:45
突然アホがあらわれたな・・・
73 :
日本@名無史さん:03/08/27 23:20
>>70 ソースキボンヌ
/ ̄ヽ
/⌒⌒⌒ヽ/|
⊂| ◎ ‖
ヽ ゚∀゚丿\| ソースなんてメじゃないぜ!
__ 〃ヽ〈_
γ´⌒´-−ヾvーヽ⌒ヽ-:,,
/⌒ ィ /\ ); `ヽ-:,,
/ ノ^ 、 | 萬 | _人 | "-:,,
! ,,,ノ( \/ ノr;^ > ) \,
.| <_ \ヘ、,, __, 、__rノ/\ /: ヽ,,
|ヽ_/\ )ゝ、__, 、_ア〃 / \
| ヽ、___ ヽ.=┬─┬〈 ソ "-.,
| 〈J .〉、| 亀 |, |ヽ-´ ゝ
.| /"" | 甲 |: | ミ
| レ :| 男 .| リ "-:,,
| / ノ|__| | "-:,,
.| | ,, ソ ヽ ) ,,,-ー"
| .,ゝ ) イ ヽ ノ ,,,-ー"
.| y `レl 〈´ リ ,,,-ー"
| / ノ | | / """"
l ̄ ̄/ l ̄ ̄| ,,,-
〉 〈 `ー-ー-| |-ー"
/ ::| (_ \
(__ノ \___)
投石
75 :
日本@名無史さん:03/08/28 20:57
76 :
日本@名無史さん:03/08/29 10:14
>>70 まあ、今時鉄砲だの弓だのって言ってるのは鈴木信者と日本刀に妬みを持ってるチョソくらい
だからな。
やはり、日本の漢の武器は日本刀だよ。
77 :
日本@名無史さん:03/08/29 12:13
では聞くが、そんなに効果の無い武器を高い金だしてまで
揃えようとした理由はなんだ?
鉄砲がなければ籠城しても戦いにならない。
79 :
日本@名無史さん:03/08/29 12:43
80 :
日本@名無史さん:03/08/29 14:01
>79
鉄砲がない時代で遠戦志向の戦はどんなだったのだろう?
弓で射掛けまくって、敵軍が引いた後に残された負傷兵の首を
脇差などで取り、撤退。
・・・・・・長刀も野太刀も打刀も槍もいらねえじゃねえか?
そういうものなんですか?
81 :
日本@名無史さん:03/08/29 14:08
仮に、たっいま日本国が戦乱になったとして、どういう戦術を取って、天下を取る?
シミュレーションしてみそ
82 :
日本@名無史さん:03/08/29 14:12
>81
石ころをできるだけ遠くから投げて勝つね。
動けなくなった相手の腕時計を取って、資金源とする。
それを30年繰り返せば良い。
それだけさ。
>>79 十五世紀以前は、ほとんど見せ物同然の一騎討ちの戦いで、ウンコや小便
を相手にかけて勝利した楠木正成などは、例外中の例外。
楠木正成の戦い方が具体的に描写されているのは太平記ぐらいしかなかったんじゃないか?
>>79 石の投げ合い。
戦国大名が出てくる前の土豪同士の境目争いなんて
2、30人同士で戦ってたんだろう。
86 :
日本@名無史さん:03/08/30 00:31
源平の戦いとか一族の命運を賭けた戦いで、一騎打ちとか遠戦ですんだ
はず無いと思うんだけど、どう?
87 :
日本@名無史さん:03/08/30 01:55
>>86 実際済んでるじゃん。
突撃して組み付き合うのが合戦だったら
合戦で負けた方の首をもっと取れるだろ。
あんたの考えているようなものが合戦なら
どうして10倍以上の敵に囲まれて奮戦した武将が
もはやこれまでと奥に引っ込んで館に火をかけ
鎧を脱いで切腹したりするヒマがあるんだろう?
光秀が信長の首取れなかったこと、不思議だと思わなかった?
承久の乱で、上洛してくる数万の鎌倉方の軍勢に十数騎で突っ込んで
全員自刃したという話すらある。
刀で斬りあってたらそんなヒマあるわけないじゃん。
俺はなぜ名のある武将が滅多に敵に首取られないで自刃できるのか
小学校の頃から疑問に思っていたから
『遠戦』という概念は非常に理にかなってると感じた。
88 :
日本@名無史さん:03/08/30 02:00
>武将が滅多に敵に首取られないで
戦国は随分と取られているよ。
あなたが知らないだけでは。
89 :
日本@名無史さん:03/08/30 02:07
平安、源平のころまでは、騎馬武者が騎射をしあう一騎打ちが主流で、
南北朝あたりから歩兵集団の徒歩集団戦が主体となったというのが定説。
日本刀が「主武器」でなかったか否かという議論と、「白兵戦」の
頻度とをごっちゃにした意見を散見するが、「白兵戦」というものが
かなり頻繁に行われていたのは、鈴木自身の「槍傷」の%の多さからも
類推できる。
戦国は歩兵集団戦が主体であったのは定説どおりで間違いなかろう。
90 :
日本@名無史さん:03/08/30 02:11
絵巻物で刀を担いで走る武士の姿がよく描かれているよね。
近年、あれを忠実にテレビドラマでも描くようになった。
理にかなっているからだ。
ああいう姿がしばしば絵巻物に登場するのは、あれが常態、
つまり戦場で抜刀し、走り回る武士の姿を今に伝えるものとして
ゆるがせに出来ないだろう。
91 :
日本@名無史さん:03/08/30 02:13
関が原ではあまり戦死者がでていないと思う。
92 :
日本@名無史さん:03/08/30 02:22
>>88 誰が首取られたのか挙げてみなよ。
○○太郎とか、聞いたことないのばかり挙げないでね。
93 :
日本@名無史さん:03/08/30 05:37
>>89 何が定説か知らんが、『今昔物語集』の頃だと弓矢の射撃戦がメインで
一騎討はあくまでイベント的というか、付帯的なものですよ。
94 :
日本@名無史さん:03/08/30 09:08
>>87 白兵戦で槍が主役か刀が主役かは別問題なのでひとまず
置いておいて、おれも素朴な疑問を言ってみる。
南北朝以降〜江戸期初期まで白兵戦が稀で、弓鉄砲で粉砕して
あとは負傷兵の首を脇差で取るだけの戦ばかりあったなら、
長刀、野太刀、鑓、管鑓、打刀、すねまで守る具足・・・は
あそこまで発達するものなのかな?
確かに鎌倉期の大鎧などは白兵戦用には作られてはいないが、
同じ遠戦志向を実践していながら、どうして戦国期の甲冑具足は
大鎧と構造が異なってしまったのか?
鉄砲のせいだけ?
当時の弓鉄砲は近寄る敵を圧倒できるほど、精度の高いものだったのかどうか?
広大な平野ならまだしも、日本の地形的に山あり谷あり海あり川あり・・で
射撃でほとんど対応できたのかな?
戦国時代初期までの戦いなら、おそらく戦いに不利となった方が城に引き蘢る。
籠城してしまえば、戦いにならないので勝った側は略奪して引き揚げていく。
そしてまた次も同じ相手と戦う。こんな感じのわりとのどかな戦いが繰り広げ
られていたんだろうなあ。
>>87 織豊時代になると足軽の防具は、かなり軽いものに変わっている点に注意する必要があります。基本的に射撃戦対応の防具と思います。
織豊時代のいわゆる名のある武士は、鉄炮玉を跳ね除けるような、南蛮胴・最上胴を採用するようになりますので、基本的に射撃戦対応で間違いないと思います。
ただし、白兵戦もかなり行われており、城内への突入時や、突撃戦や、遭遇戦のときに白兵戦が行われたのは間違いないと思います。
鈴木氏は、長柄戦ですら、遠戦ととらえているので、彼の言うところの白兵戦は、日本刀同士の切り合い(チャンバラ)のたぐいを指しているものと思われます。
>>94 鎌倉時代の大鎧は、武士=馬に乗る身分 の着用品です。
つまり、高級品ということになります。
戦国時代の防具は、足軽まで着込むものですから、数が必要となり、必然的に簡易品となったと思われます。
戦国時代において、鉄炮・弓による射撃戦が行われるようになっても、突撃によって白兵戦に持ち込むことは可能であったと思われます。
より高度になったナポレオン戦争期(1802〜1815)ですら、白兵突撃自体は可能だったのであり、それから200年も前の日本の戦国時代に正面突撃が不可能なわけはない。
ただし、敵に行き着くまでに障害物(城そのものや、陣城や、川、急斜面)がないことが必要であり、次に味方の士気が高くなければならない。
戦国時代(それ以前も)に射撃戦が主流なのは、後者(士気)の問題です。基本的に寄せ集めの軍隊である大名の軍勢では、「多少の損害を受けても突撃して大戦果を狙う」ことが事実上不可能なわけです。
無理に「我攻め」(=強攻)すれば、配下の反発を買ってそれ以後の行動に支障が出ます。また、戦国時代である以上、敵は1正面に限らず、「射撃戦でお茶を濁しつつ、味方の損害を減らす」ことこそ戦国時代の合戦と言えましょう。
ようするに武田勝頼はヘタレってこと?
>>99 長篠の戦いにおける武田勝頼は、
1、まず、後方が比較的安全だったこと。(北条氏と同盟中、上杉謙信は織田と疎遠になりつつある段階)
2、手勢のすべてを動員しなかったこと。(三方ヶ原の戦いのときは、信玄は2万5000人以上動員した。長篠のときは1万5000人程度)
3、織田家による天下一統が進行し、武田家生き残りのためには、ある程度の犠牲を必要と考えざるを得なくなったこと。
という立場にあったといえましょう。
また、戦国末期になるほど、全てか無か、の決戦志向は強まっていったと思われます。
姉川の戦いに於ける織田、徳川連合軍の戦死者は七百人だが、
織田信長上洛戦のとき、観音寺城攻めで木下秀吉隊だけで五百人の戦死者が
出ている。これはやはり秀吉の合戦のやり方が不味すぎたと言う事だね。
103 :
日本@名無史さん:03/08/30 12:42
>>95 上杉謙信の関東攻め
厩橋では毎年奴隷位置が立ったそうな・・・
とても
>こんな感じのわりとのどかな戦いが繰り広げられていたんだろうなあ。
戸はいえない。
>鈴木氏は、長柄戦ですら、遠戦ととらえているので
これは違います。
彼は、戦国時代の合戦で槍と鉄砲が併用されていたという観念は間違いで
あくまで鉄砲が主であったと主張しているわけですから。
それから
>>98で言ってることは鈴木の主張と噛合ってません。
臆病とか、士気とか、障害物とか、そういう問題ではなくて
戦国以前の軍隊に「白兵戦」という考え方自体が一般的でなかった、
戦は弓鉄砲を射ち合うものだと当時の誰もが考えていたのではないか、
というのが鈴木の考えです。
>>104-105 合戦がのどかだったと言っている。
戦後の人狩り、人身売買がのどかだったなど誰も言ってない。
アホですか?
108 :
日本@名無史さん:03/08/30 14:14
>>107 そんなのどかな戦っぷりの日本を攻め落とせなかったフビライは
お遊びな戦なのだろうか・・?
と、そんなくだらない突っ込みはさておき・・・
平安鎌倉から江戸初期まで、ずっと遠戦嗜好で、
鉄砲が隆盛しても弓が鉄砲に変わっただけで、それは変わらない。
日本史に白兵時代は存在しない。
ごくごくわずかの白兵戦における主武器は槍。
負傷兵の首取りのために脇差、鎧通しを使う。
すなわち例外的な近接戦。
これが鈴木氏の説のはず。
で、素朴な疑問として、鉄砲以前の鎌倉〜南北朝期の
戦道具の変化はどう説明するのか?
だって時代が変わってもず〜と矢を放って終わりなら、
変化の必要がないんじゃないの?
>>108 > 日本史に白兵時代は存在しない。
> ごくごくわずかの白兵戦における主武器は槍。
> 負傷兵の首取りのために脇差、鎧通しを使う。
> すなわち例外的な近接戦。
> これが鈴木氏の説のはず。
今時そんなデムパにだまされるヤシは、2ちゃんの日本史板くらいにしかいねーし。
やっぱり日本の合戦は日本刀が出てきてナンボだよ。
110 :
日本@名無史さん:03/08/30 14:42
>>108 鈴木眞哉氏の主張すら誤解してる奴も一部いるようだがそれはさて置き・・・
元軍の主武器は、弓。
当時の日本の主武器も、弓。
極論すれば、短弓と長弓で撃ち合ったら長弓が勝ったという話。
>で、素朴な疑問として、鉄砲以前の鎌倉〜南北朝期の
>戦道具の変化はどう説明するのか?
>だって時代が変わってもず〜と矢を放って終わりなら、
>変化の必要がないんじゃないの?
平安の頃に武士が現れて以来、部隊構成から戦術思想から何から何まで
変わらなければ、という前提がなければ全く成り立たない。
例えば『今昔物語集』の頃には徒歩の従者の数は騎馬武者よりも
少ない程度しかいないが、『太平記』の頃には徒歩の兵の比率は
何倍にもなっている。それだけでも戦術や兵器に差が出るのは明白だろう。
>>109 それじゃ誰も釣られんぞ・・・・
ところで所謂『鈴木説』って、鈴木の独創ではなくて
彼が昔勤務していた防衛庁の戦史研究班の見解の焼き直しでしょ?
昔、と言っても10年以上前
図書館で防衛庁の人が書いた武器の歴史に関する本を見たが
「武器の歴史とは、武器をいかにして加速し、
射程距離を伸ばすかについての試行錯誤の歴史である」と銘打っていて
投石器、弓矢、初期の火器、前装砲、火縄銃、ライフル、後装砲、ミサイルなどについて
それぞれ一章を当てて紹介されていたのに対し
刀槍は最初の章で申し訳程度に扱っただけだった。
当時は刀槍の扱いに不満を覚えたが
今となってはこれが妥当かもしれないと思った。
112 :
日本@名無史さん:03/08/30 15:21
何と言うか、火薬の発明で歴史が変わったな。
ヨーロッパで幅を利かせていた重装騎兵は姿を消すわ
攻城戦も様相をガラリと変えるわ
>>106 >>98は、雑賀の研究家である鈴木眞哉氏の意見なのか?
鈴木氏の意見ではないと思うぞ。
ようし、まとめるぞ。鈴木真哉氏の意見
1.日本刀は使われなかった。
2.武田騎馬軍団は存在しない。
3.長篠の戦で鉄砲隊が活躍した事実はない。
4.幕末の一時期を除き、常に日本史の戦いは遠戦だった。
5.白兵戦をやったのは、日露戦争後の帝国陸軍のみ
6.合戦では、槍の使用ですら、まれ。
>>114 三段撃ちがなかったと言ってるだけで
長篠では両軍の鉄砲隊が活躍したと書いてあるようだが
>>114 槍は中心的には使われないと言ってるのであって
稀にしか使われないとまで言ってるかな?
>>114 1.騎馬武者はいたが、近代欧州的な騎兵隊は存在しない。よって騎兵突撃は存在しない。
2.幕末の一時期を除き、常に日本史の戦いは遠戦だった。白兵戦をやったのは、日露戦争後の帝国陸軍のみ
3.長篠・設楽原の戦いで、織田勢に特別なことは何もなかった。陣城も、鉄砲隊も普通である。
よって信長による戦術革命は存在しない。
4.遠戦で崩れた敵を追撃するときに、徒歩武者の鑓が使用された。
5.長柄は無意味
6.日本刀もほとんど使用されない。
118 :
日本@名無史さん:03/08/30 16:30
>>116 負傷理由の2割を占めるのは「稀」とは言わないわな。
勝手に歪曲してる馬鹿が多いようだが。
>>117 それも大嘘じゃねーか馬鹿
>2.幕末の一時期を除き、常に日本史の戦いは遠戦だった。白兵戦をやったのは、日露戦争後の帝国陸軍のみ
日本人が遠戦「志向」だったと書いただけで「白兵戦はやらなかった」とは
書いてないよな。あくまでも「志向」であり、相対的にどちらを好むのか
という問題。
>5.長柄は無意味
は?組織的運用によって相手の突撃を防けると書いてるよね。
で、お互いに長柄を揃えてるから迂闊な突撃もできず、ますます
遠戦を以って敵を制しようということになるんだと。
日本語の読めない中学生が多いなあ
夏休みももう終わりますね。
今年の夏は、どうでしたか。
121 :
日本@名無史さん:03/08/31 03:20
レスピタ
厨質問スマソ。
戦国期には騎上から弓を射掛ける弓騎兵(って呼び方でいいのか)は絶滅したんですよね?
そんな時代のさらに後期になって騎馬鉄砲なるものが現れるというのは如何したことでしょうか
片倉が相当なデムパなのか、実際はそんなもの存在しなかったのか・・・
123 :
日本@名無史さん:03/08/31 17:34
騎射は広く行われるものではなくなっていたが、個人的に行う者はいた
ようだ。
「伊達の騎馬鉄砲」は完全な創作。
馬上で扱える小型の火縄銃などは存在したが、伊達家がそれを「兵科」
として独立させたなどという事実は存在しない。
鈴木式合戦はどの程度事実か?
遠戦遠戦遠戦遠戦遠戦遠戦遠戦
>>124 全部うそ。戦国時代のメインウエポンはやはり定説どおり日本刀。
弓射→長槍のせり合い→取っ組み合い(勝った方が首級を挙げる)
の流れだと思ってたなぁ
127 :
日本@名無史さん:03/08/31 21:16
>126
鈴木氏によるとこうだな。時代は問わない。
弓・鉄砲 → 弓・鉄砲 → 弓・鉄砲 → <省略> → 長柄槍 → 決着付く → 首取り
128 :
日本@名無史さん:03/08/31 21:25
槍なんか必要無い様な感じ
鈴木説をわざわざ大袈裟に書き立てることによって貶めようとする馬鹿も
日本刀マンセー馬鹿も
いいかげんにしたほうがいいな。
足軽にとっていわゆる剣技ってやつと柔術とどっちが重要だったんでしょうか
131 :
日本@名無史さん:03/08/31 21:45
>>130 剣は使う機会はほとんどない。
応仁の乱〜島原の乱の軍忠状201点によると、甘く甘く見積もっても9%ほど
しか刀傷はない。
首取りは弓や鉄砲で動けなくなった敵の首を取るので、柔術の類もほとんど不要。
よってどちらも不要と言ってさしつかえない。
できれば鉄砲を持て。
132 :
日本@名無史さん:03/08/31 21:58
火薬が発明されたのはいつ頃なんですか?
日本の戦国期には鉄砲、大砲にしか使われていなかったのかな?
>>132 北宋時代には製法が記載された書物が登場しています。
殺傷用として最初に実用化されたのは金によって、1221年頃。
幼少の頃の北条氏康が火薬の爆発音が怖くてよく泣いていたそうなんですが
氏康の幼少時というと明らかに鉄砲伝来前なんで、以前から火薬兵器は存在してた事に。
まあいいとこ威嚇用だったんでしょうけど
134 :
日本@名無史さん:03/08/31 22:25
『碧山日録』によると応仁の乱の時に細川政元が「飛砲」「火槍」と
いったものを用意していたらしい。
135 :
日本@名無史さん:03/08/31 22:31
>>131 軍忠状に書かれるのは生き残った人の傷だけで、
討ち死にした人の傷は書かれない。
接近戦で傷を負ったらそのまま討たれる可能性が高いから、
軍忠状に刀傷の記述が少ないのは当然だと思う。
軍忠状に弓や鉄砲の傷が多いのは、遠くからの弓や鉄砲で
やられても生き残れる可能性が比較的高かったことを
示しているだけなんじゃない?
136 :
日本@名無史さん:03/08/31 22:36
>>135 軍忠状には討死は書かれないものなのですか?
そうであれば、確かにそういう見方もあるな。
軍忠状マニアの方、どうですか?
そんな奴いねえか・・
小説の描写でアレなんだが、
斬り合いの末、指が落ちた武者が結構出てくるよな。
138 :
日本@名無史さん:03/08/31 23:00
>>136 討死も書かれるものもあるだろうね。
かの(笑)鈴木氏が集めたものの中にも討死書かれてるのあったはず。
もっとも、戦死者は負傷者に対して1割いないらしいけど。
139 :
日本@名無史さん:03/08/31 23:00
>>136 討ち死にしたことは書かれるけれど、どんな傷で討ち死にしたかまでは
書かれません。一族が討ち死にしたってだけで十分な軍忠だからね。
傷を負った時は、どんな傷を負ったかが軍忠の評価に関係するから、
傷の状態を詳しく書く。
>>139 なるほど。勉強になりました。
では鈴木眞哉氏の『遠戦指向』の要ともいえるの
戦国期で201通の軍忠状を分析したという部分は
どうなるんだろ??
何を信じて良いのか分かりませぬ
141 :
日本@名無史さん:03/08/31 23:18
負傷させるにしても殺すにしても、武器を使う。
負傷理由の分析は戦場でどのような武器がどの程度使われたかの
分析ってこった。
仮に討死が全部刀で斬り殺されていたとしても、「刀は首取りの
道具」説を裏付けるだけにしかならないw
142 :
信長の野望より:03/08/31 23:19
まず1人の武将(家臣)が指揮官として数百人から2千人程度の部隊をもつ。そういった武将が数名いるわけであるから、全体では数千から何万という軍勢となる。
その部隊のすべてを統治するのは総大将である。部隊の構成というのも足軽から長槍、騎馬隊、鉄砲隊、騎鉄とさまざまである。
通常の戦場では各隊が縦横数列に陣形を組んでいる。合戦の合図とともに各隊が進軍する。各部隊は陣形を崩さずに士気を下げずに戦うことが勝利の要である。
また部隊の交替や休息も必要なのである。
143 :
日本@名無史さん:03/09/01 00:41
144 :
日本@名無史さん:03/09/01 00:47
>>134 六角征伐の時に甲賀忍者が大々的に各種火薬兵器を用いて戦っているだろう。
当然昔から、火薬を使った兵器は使われていたと考えるべきだろう。
それに狼煙も火薬を使うし。
146 :
日本@名無史さん:03/09/01 01:20
>>140 鈴木氏は戦死原因が明記している軍忠状を集成したんだからいいんじゃない?
狼煙は多くの場合
藁や木の皮、杉の葉を燃やしていたはず。
何せ奈良時代から使われていた通信手段だから。
149 :
日本@名無史さん:03/09/01 02:01
>>149 ないでしょう。
>>148 あのさ、「主体」ってどういう意味かな?
大体「火薬」って何なのか分かってる?
当り前だけど「火薬」という物質があるわけじゃないよ。
あんたは、室町時代の狼煙は「火薬」の固まりに火をつけて爆発させて起こした
とでも思ってるのかもしれないが、そんなの狼煙にはならないよ。
一瞬弾けて終わりです。
だから長く燃える藁や葉っぱに火薬をちょっと混ぜて煙に色を付けたりしたんだろ?
そんなの「主体」でもなんでもないでしょうが。
せいぜいが、『武田信玄が川中島で使った狼煙には火薬が混ぜられていた』
レベルの話をそこまで誇張しないで下さい。
151 :
日本@名無史さん:03/09/01 02:35
>>146 鈴木氏が使ったのは「負傷理由」が明記してある軍忠状だよん。
だから自分でも「戦死理由が全て刀によるものだったとしても、
それは負傷者に対して5%しかいない」というようなことを
言ってたはず。
152 :
日本@名無史さん:03/09/01 02:40
「狼」煙というぐらいで、煙が風に流されないように狼の糞を
加えていたというのは既出?
153 :
日本@名無史さん:03/09/01 15:10
155 :
日本@名無史さん:03/09/01 22:05
白兵戦はした。でも馬に乗って刀槍振り回すのは不可能。 部下を指揮して戦うのが馬乗り。 白兵戦は馬から降りた武者か郎党衆がする。
もののけ姫の合戦シーンはどだ?
騎射最強なんだが・・・
157 :
日本@名無史さん:03/09/01 23:29
鎌倉武士なら騎射が得意。
158 :
日本@名無史さん:03/09/01 23:29
馬乗って刀振り回すのは可能だよ。
鑓は難しいが。
>158
しかし、それを可能にしてしまうってのも
相当な腕力だよな。
160 :
日本@名無史さん:03/09/02 00:19
片手で2キロの棒を振り回すぐらい、どうってことないだろ。
特に昔の武士にゃ。
普通の弓ですら弓力70kgがあたりまえの世界で生きてたんだから。
(現在の弓道だと5kgから25kgぐらいか)
>160
振り回すだけならな。
162 :
日本@名無史さん:03/09/02 00:25
振り回せたら打ち下ろすのも切り払うのも問題ないだろうに
敵に近づくのが難しいね
それは前提条件が逆だろうよ
165 :
日本@名無史さん:03/09/02 07:58
振り回すことはできるよそりゃ。でもその攻撃が外れた場合、体勢を立て直すまでの間に必ずやられてしまうわけよ。馬上からじゃ一撃必殺の攻撃なんて力入らなくて無理だし。リスク対効果の問題。
166 :
日本@名無史さん:03/09/02 08:02
>>165 格ゲーじゃないんだから、君の考えているような
面白いことはあんまり起こらないよw
167 :
日本@名無史さん:03/09/02 08:22
一撃必殺( ´,_ゝ`)プッ
正直馬上では槍や刀や弓より短筒(短銃)の方が遥かに扱いやすそうだ
>>168 弾込が難しいだろ。
刀が使われていなかったのならなぜ剣術がこの時代大いに隆盛したのかね?
代表的な剣豪を多く輩出したのはこの時代だよな。
170 :
日本@名無史さん:03/09/02 12:15
真剣や居合刀を片手で振り回してた経験のある俺に言わせて貰うと
甲冑付けた相手を馬上という不安定な場所から片手で仕留めるのは
かなり難しいと思われ。
首筋を狙って斬りつけるか突くぐらいしか有効打はないだろうが
これなら馬から降りて戦った方がやり易い。
171 :
日本@名無史さん:03/09/02 16:45
斬り殺すんじゃなくて叩いて脳震盪を起こさせたり打撲傷を負わせたり
するのが馬上の太刀打。
170は何でそんなもん振り回したのか
173 :
日本@名無史さん:03/09/02 18:42
ええかな、剣ちゅうのは両手で持たないと打撃力がないんじゃ。ただでさえ軽い日本刀じゃ、鐙の上でふんばって、片手で脳震盪なんてむりむり。それが証拠に馬乗剣術の達人なんて兵法者がおらんじゃろう
174 :
日本@名無史さん:03/09/02 20:20
剣術が流行したのは江戸時代から。市中での突発的な斬り合いに対応するため。
175 :
日本@名無史さん:03/09/02 20:53
>>172 本格的に居合やってた
>>171 脳震盪を狙って兜に打ち付けるような勿体無い刀の使い方はまずしない
合戦の太刀は消耗品だぜ!知らんのか?
177 :
日本@名無史さん:03/09/02 21:38
剣術は江戸期に多く発生した、とかいう人がいるが、
剣術に限らず、武芸一般が多く勃興したのは戦国末期〜江戸初期。
戦乱のうちに練った業と、幾ばくかの落ち着いた時間。
どちらも両方あって初めて武芸として体系付けられた。
戦国期のツワモノは太刀も槍も戦場での斬り覚え、叩き覚え。
色白ー。こういう清楚な人妻さんもいいですね。
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179 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:10
刀に続いては弓。 これも、有効に敵を殺傷できるのはせいぜい10m強。それ以上遠くなると、命中精度も飛翔スピードもがた落ちになる。 これを解消するには弓の張力をうんとあげてやるか矢を長くしてやればよいが、そうすると引くのに時間がかかり、馬の上ではなお困難。
180 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:20
>>179 だから鎌倉武士は日頃から流鏑馬や犬追物で鍛錬していたんだろうが
騎馬鉄砲なんて命中精度も悪いし、何より耳元で撃ったら馬が驚くし、
妄想なんだろうな。お馬の上はやっぱり槍かね。
182 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:29
そう、流鏑馬だ。 あのようにして猛烈に接近して、 すれ違いざまにひょうと射るわけだよ。 ちなみに馬の上で槍を使うのは、 長い分だけ便利でして、まあ限定的に可能です。
183 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:39
馬上で槍はキツそう・・・西洋騎士のランスってまっすぐ前方に突くしか攻撃出来なさそうだし、フォローする従者が一緒なのが前提なんでしょ?
でも刀ならなんとかなるのかね、足利尊氏だろうと言わている抜き身の刀を肩に担いだ武者の絵があるけど
>>179
弓は直接照準じゃなく、弾道学的放物線で射るみたいですよ、近年の弓道家の試みでは300メートル飛んだとか。
命中率は当然落ちるでしょうけどね
184 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:47
>>183 伝尊氏象だけじゃ騎馬武者が騎乗で太刀を振り回したか判らない。降りて振り回していたかもしれないし。
と言う以前に矢を背負っているジャン。最初は弓を使用して、ゆみが使用不能になった後太刀を使用。
185 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:55
弾道放物でもいいんだが、 それは敵を竦ませる効用を期待して徒歩がやる。 槍は振り回せない。 ランスのように突く。 ただし敵を倒す為でなくて 敵が寄ってきた時の時間稼ぎ。 馬首の向こうまで届くから、 それでズコズコやってるうちに 郎党が助けにきてくれる。
脇に構えてプスプス刺す、と
薙刀なら振り回すぐらいできる、槍も結構使えると思うぞ。
刀は上から打ち下ろす分、馬上の方が有利なんじゃないかなっと・・・
騎馬に突進されたら避けるので精一杯じゃない?走る馬は迫力あるぜ。
ただ、もみあいになったとき馬を狙われたりとかしないのかは気になるところ。
188 :
日本@名無史さん:03/09/02 23:21
槍は敵を馬上から叩き落とすために使ったんだよ。
なるほど
190 :
日本@名無史さん:03/09/03 00:07
振り回すのが目的なら刃は長いほうがいい。
そして刃とは鋼、つまり重たいので、体力、技量、そして戦法を勘案して寸法と身幅が決まる。
ここまでは素人でもわかるんだけど、延文貞治体佩っていう、南北朝時代だけに作られた化け物みたいな大太刀はどんな奴がどんな使い方をしたんだろうか?
戦史に詳しい方、もしくは納得のいく解釈の出来る方のレスをキボンヌ!
191 :
日本@名無史さん:03/09/03 00:22
振り回して馬や人の足を薙いで戦闘能力を奪ったんだよ
俺も居合いをやっていたが、
アレって、小姓が殿様を守るための剣だから
根本的に違うと思う。刀も違うだろうし。
杖(いわば短槍か?)もやっていたのだが
これまた用法が違うだろうなぁ。
大太刀は長船兼光一門もよく作刀していたらしい
日光にある倫光作の大太刀なんか国宝だけあって、覇気溢れる作風、ムラのない鍛えが見事である
まーあ何が言いたいかといえば、名匠も手がけていたんだし、大太刀は葉武者のみならず、名のある武将も使用していた、もしくは使用する可能性があっただろうというのが刀から見た戦さの実情ですか
となると一騎打ちが結構多かったんか
>>193 > 日光にある倫光作の大太刀なんか国宝だけあって、覇気溢れる作風、ムラのない鍛えが見事である
美術的に価値の高い刀が、実用品としても価値が高いかどうかは保証の限りではない。
コレクターの爺様たちは、そこが理解できずに「日本刀は万邦無比の神器」とか平気でのたまう。
そして、「弓、鉄砲などは足軽風情の武具」などと江戸時代の戦士ではなくなった武士みたいなこ
とを言って悦に入っている。
まー、何が言いたいかというと切れ味ならスプリング刀が一番ってこった。(w
195 :
日本@名無史さん:03/09/03 01:41
最後の1行以外は同意
196 :
日本@名無史さん:03/09/03 01:53
>>175 >脳震盪を狙って兜に打ち付けるような勿体無い刀の使い方はまずしない
『今昔物語集』の頃から太刀の使い方のスタンダードとして
何度も出て来ますよ。
>196
だからさ、居合いは鎧着ていない相手を切る剣術だから
根本的に違うんよ。参考意見ぐらいにしてほっといたれ。
198 :
日本@名無史さん:03/09/03 01:58
>>179 戦闘用の弓は弓力50〜70キロ、有効射程80メートル。
もちろん、騎射戦で一騎討ちなどという場合の命中率を確保したければ
10メートルという話になるだろうがね。
>>185 「ランスのように突く」というのは騎兵が密集して突撃するような
場合か、直線コースで一騎討ちする時でないと隙が多すぎ。死にます。
>>187 中世西洋の騎士は確かに馬上で槍を操って白兵戦を演じていたが、
代表的な槍であるウイングド・スピアのような槍の長さは1.8メートル
ほどしかない。そう考えると、馬上の薙刀はかろうじて許容範囲、
馬上の持鑓は完全に無理。短い馬上鑓なら振り回すことも可能だが、
それよりもずっと長い鑓を持った相手には大して有効でもない。
>>198 騎馬は用途しだいだよ。乱れた鉄砲や弓の足軽集団や、追撃に特に有効。足軽なんて農民だし崩れたら弱い。
馬から乗ったり降りたり戦ったりするのは戦況次第。
いろいろな状況考えれば騎馬の鑓や長刀も有効。弓も軽い分、持っていても、まあ損はなし。
そんな事いったら、長い鑓は重いし50メートル離れた弓鉄砲を持った相手には大して有効でもないとも言える。
200 :
日本@名無史さん:03/09/03 14:50
>足軽なんて農民だし
こんな書込みをしてる時点で知識レベルの低さを露呈してるな。
藤木久志の本でも読んでから出直して来て。
藤木久志
↑誤、藤木久志の著書でオススメとかってありますか?
203 :
日本@名無史さん:03/09/03 18:19
>>194
長船兼光は切れ味に関する逸話の質と多さで最上位クラス
試し斬りによる評価でも最上大業物とされる
その一門の作(相伝備前と言われる作風が共通している)も評価は高い、とはいっても>>193の倫光作の大太刀は最初から奉納用だったらしいが
しかしこのような稀有な名刀の存在が刀全般の評価を底上げしてしまい、凡工による凡作であれ、同じ刀だとして評価が上がってしまった、という風潮もあるやも
戦国時代以前は、合戦なんてたま〜にしかなかっただろうし、
参加人数も少ないから、合戦経験のある間自体が希少のはず。
特に明確な「やり方」はなく、その場その場で違ったと思われ。
戦国時代以降は、弓鉄砲部隊が主力(打撃を与える部隊)で、
それを槍部隊が護衛するような形が基本的な戦術になると思う。
もし現代で、刀・槍・弓だけで戦争をしろと言われれば、矢張りそんな形になる。
205 :
日本@名無史さん:03/09/03 18:59
>足軽なんて農民だし
知識レベルの低い私は、
時代、国、領地、場所によって雇用形態がかなり違ってくる。
ただ半農半兵が多くいたし、雇足軽なんてのもあるし、一部を除き完全に戦うだけのプロの武士はかなり少ない。
大いくさで強制的にかりだされた農民もいた。多少なりに訓練はしただろうが。ゆえに下級である運搬や足軽などは農民、農民出、もしくはそれに準ずるものが多い・・・と理解してましたが。
馬上の戦力も敗走追撃など用途次第なのも違う?まあ江戸以降ではかなり役には立たなさそうですが・・・なにぶんわたくし低レベルなもので・・・
206 :
日本@名無史さん:03/09/03 21:21
>>176 最初から脳震盪狙いならわざわざ高価な刀を使わず鉄棒で十分だろ。
真壁氏幹を代表に、鉄棒を得物にしていた人物の話をたまに聞く。
207 :
日本@名無史さん:03/09/03 22:18
>>205 気にすんな。人生足軽だけじゃあるまい。
馬上の太刀技があったとするなら、馬側に捕捉した敵に対する、片手での袈裟斬りがあったと思う。
中央アジアの遊牧民族に、二列に立ち並べた木の棒の間を馬で駆け抜けつつ、∞状に堰月刀を振るい、スパスパと両断していく演武がある。
槍はどうだか知らないが、日本でも騎馬武者の刀による闘いはあったのではないだろうか。
刀、サーベル、堰月刀等、反りのある刀は馬上での使用が多少は考慮されているものだ。
騎馬武者でも戦場で闘う時は馬から降りる、というのはほぼ定説だし、疑う気は無い。
が、例えばいくさに敗れた武将が敵の包囲を突破するのにも馬から降りて敵兵と切り結ぶとは思えん。
矢がハリネズミのように刺さった鎧甲冑姿で、必死に馬上太刀を振るう武者姿が想像される。
>>204 >戦国時代以降は、弓鉄砲部隊が主力(打撃を与える部隊)で、
>それを槍部隊が護衛するような形が基本的な戦術になると思う。
弓鉄砲部隊を槍部隊が護衛するって事は、敵の槍部隊が味方の弓鉄砲部隊に
白兵戦を仕掛けてくるって事になるね。
敵の槍部隊が味方の弓鉄砲部隊に
白兵戦を仕掛けてくるからって事になるね。
211 :
日本@名無史さん:03/09/03 23:49
乃木大将のように兵をいくら死なせても自分の懐が痛まないなら
まだしも、戦国の武士は部下を死なせりゃ全部自腹だから、
敵火力を征圧できてない段階での突撃は好まない・・・
212 :
日本@名無史さん:03/09/03 23:55
>>208 >日本でも騎馬武者の刀による闘いはあったのではないだろうか。
どこかの流派にそんなの有りますか?何処にもないなら最初っからそんな物は無かったと考えるのが自然。
>いくさに敗れた武将が敵の包囲を突破するのにも馬から降りて敵兵と切り結ぶとは思えん。
そんなときに戦闘したら多勢に無勢、むざむざと大将首を棄てていくような物。馬にしがみつき、蹴散らして突破するのが常道。
まあ、馬上戦術、位はあったんじゃない?
最強と謳われた、武田の騎馬隊の連中が律義に降りて戦っていたとは思えないし。
214 :
日本@名無史さん:03/09/04 00:25
>>213 | Hit!!
|
|
ぱくっ|
/V\
/◎;;;,;,,,,ヽそんなエサで
_ ム::::(,,゚Д゚)::| 俺様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U'
215 :
日本@名無史さん:03/09/04 00:31
流派になくとも武芸十八範の馬術は馬上で武器を使いこなすもの。
刀などによる威嚇もなしに馬にしがみつき、当時の遅く小さい馬での
島津の敵中突破は脅威でもなんでもなく、たやすく全滅していたのでは?
下馬はもはや常識だが、馬上も必要あれば刀を振るうんじゃないかな。
少なくとも戦国前ではルールだらけで馬狙いは禁じ手らしいし、馬上の一騎討ちも多々あると思われ
と、他人のレスに横槍してみる、エイッ!
216 :
日本@名無史さん:03/09/04 00:35
必要があれば馬上でも刀ぐらい使うだろ。そういう描写は
平安末からいくらでもあるわな。
>少なくとも戦国前ではルールだらけで馬狙いは禁じ手らしいし、
鎌倉時代に既に嘆いている奴がいるのにんなこたーない。
>馬上の一騎討ちも多々あると思われ
論理的整合性もなく突然んなこと言う奴があるか。
仮にルールがあったからといって「多々」一騎討ちなぞが
起こる理由にもならんわな。
217 :
日本@名無史さん:03/09/04 00:41
>>213 「武田の騎馬隊」なんて懐かしい釣りだな・・・
まあそれはさておき、「武田の騎馬隊」なんてのは庶民の幻想。
江戸時代に武士たちの間で流行った甲州流軍学ですら下馬戦闘を
基本としているのだから・・・
>>212
別スレで柳生但馬守が御前試合において馬上の太刀技を見せたとのレスを読んだので、調べてみました。
諏訪文九郎という馬術の達人と仕合いをした時、文九郎の騎馬の頭を引っ叩いてビビらせた上、側面にピタッと馬を寄せ、勝ち誇ったそうだ。
但馬守は政治力はあるけど実際の剣技はたいしたことはない、って印象があるけど、やっぱりそれだけじゃ将軍指南役にはなれんでしょう、なかなかの使い手だったはず。
また何回か戦場を経験した武将なら単なる剣術自慢の武芸者より、実際のいくさの駆け引きや臨機応変の対処能力があると想定してもおかしくないと思うんだけど。
219 :
日本@名無史さん:03/09/04 01:03
そりゃ「戦の駆け引き」で武将が武芸者に劣ったら目も当てられんわい
220 :
日本@名無史さん:03/09/04 01:16
>>216 >必要があれば馬上でも刀ぐらい使うだろ。そういう描写は
>平安末からいくらでもあるわな。
だからそれを言ってる、馬上での抜刀を全否定する輩に向けて。
騎馬武者が馬上のまま他の武器相手になんてそうそう戦いにくい。ただ戦場では臨機応変だろうと。
>馬上の一騎討ちも多々あると思われ
鎌倉よりもっと前だよ、船の舵取り漕ぎ手を射ることも暗黙のルールだった頃。
やあやあやあ我こそは、って言ってた頃だよ。日本史上は多々だよ。
戦国時代限定スレじゃなかろうに・・・。
221 :
日本@名無史さん:03/09/04 01:20
×射ることも暗黙のルール
○射らないことも暗黙のルール
222 :
日本@名無史さん:03/09/04 02:07
>少なくとも戦国前ではルールだらけで馬狙いは禁じ手らしいし、
鎌倉よりもっと前の話がしたいなら
こんなこと書くな
馬上で抜刀
軍配のように使ってたとか
224 :
日本@名無史さん:03/09/04 15:07
馬の上というのは、移動式の発令所になる。 だから派手。
225 :
日本@名無史さん:03/09/04 16:10
>>224 そして、配下に所在をはっきりさせるとともに、上司に自隊の功績をはっきり見てもらうため
に冑の形状・立物や馬印・幟旗の意匠・色彩は派手になっていった。
しかし、あまりに目立とうとして重くなって肝心な時に遅れを取ったため、それを恥じて絶食
死した武士が、大坂夏の陣の関東方にいたそうな。
226 :
日本@名無史さん:03/09/04 18:51
平安時代末期の合戦のやり方(少年少女 日本の歴史 第六巻より)
1.大勢で「ときの声」をあげる
2.大将が名乗りをあげる
使命や身分、出身地を名乗るほか、一族の優れた家系を自慢する
3.かぶら矢を放つ
矢の音が会戦の合図
4.矢を放って戦う
敵の矢を避けながら前進。両軍は接近し、合戦する
5.馬上の武将が進み出て、一騎打ちを行う
武将同士が名乗り合った後、太刀で戦う
6.勝負がつかないと、太刀を捨てて、組み打ち(取っ組み合い)で相手をしとめる
>>226 死人は出るけど、その後の戦いと比べるとまるでスポーツのような(w
228 :
日本@名無史さん:03/09/04 23:17
馬手差といって刀や匕首を右腰に差しておくのは敵と組み合いになり右手を左腰に延ばせない場合を考えての事だという。
野太刀は習熟すれば槍以上に役に立つ武器なので戦場を渡り歩くいくさ人に使い手が多かったそうだ。
229 :
日本@名無史さん:03/09/05 00:14
>>227 平安時代には武士同士のいざこざを解決するための「ルールある戦い」
だったからね。一騎討ちなんてのも、むしろ両軍の損害を最小限に
押さえて本人同士で解決を図ると言うものなわけで。
230 :
戦国日記(フィクション):03/09/05 02:06
ここに、山中を進軍している(退却中か?)指揮官の日記がある。
------------------------------------------------------------------------------------------
今日、俺が率いる鉄砲・弓、少数の足軽勢は、山中でほぼ同数の敵を
迎え撃つはめになった。この地の地侍どもか。
火力に勝る俺の勝利かと思っていたが、敵は地の利を得てなかなか姿を現さない。
威嚇の雄叫びをしきりにあげて声だけが近寄ってくる。
そしてついに松林の間に姿を現した。
味方は雄叫びを上げてせまる敵への恐怖に負け、十分に引き付けることができずにバラバラに発砲。
無駄玉ばかり撃ちやがった。
そのとき背後から伏兵の斬り込みを受けて、もう滅茶苦茶。
皆うろたえて大切な鉄砲を捨てて逃げ出す始末。
おまけに錯乱した奴が俺を撃ちやがって、俺は大怪我してしまった。
完敗。もはや誰が敵味方か分からない。
俺は馬上で刀を振り回して周りを威嚇しながら、ほうほうの体で逃げ延びた。
糞をもらした。
実戦は聞くのと実際にやるのとでは大違い。
明日はがんばろう。
思うんだが、合戦ってのは大抵両軍の睨み合いと矢戦に終始するんじゃないか。
実際に白刃を交えるってのはまれで、お互いそれほど損害がでない程度に
やりあったら兵を引くって感じで、示威行動に終始する場合がほとんどだったんじゃないかと。
実際に白兵戦が行われるのはそれこそ乾坤一擲のもの位でさ。
やはり基本は遠間から弓鉄砲のやり取りだと俺も思ってる。ほとんどの合戦、小競り合いでは。
ただ飛び道具だけだと、ただの消耗戦になってしまうので、数と武器だけで勝負が決してしまう。
引き際が難しく、絶対に引けない要所ではお互い負傷者は多くなりそう。
「軍の強さは数ではなく将によって決まる」と言っている武将も多いことから、
場面場面で相手の陣を乱すための組織的な突撃はあったのではないかな。
刀を交える場合はお互い命がかかっているため、剣道のように深く踏み込めないから、互いに守りの剣になる(逃げ腰)。
突撃されて混乱、不利そうだから斬られる前にすぐに敗走、逃走ってカンジで、むしろ白兵戦の方が死傷者が少ない場合も多いのでは?
兵が常に恐怖に駆られる状態なので、戦場を主観的に考えるのも逆にいいのかも。
合戦の重要性、地形、数、武器によってそれぞれ全く違う展開をしていたんだろうけど。
233 :
日本@名無史さん:03/09/05 11:42
>ただ飛び道具だけだと、ただの消耗戦になってしまうので、数と武器だけで勝負が決してしまう。
織田信長や武田信玄が優れているのは入念に準備して敵に勝る
戦力をそろえてから戦ったこと。雑賀衆が強かったのは当時としては
異常なまでの鉄砲装備率故。
数と武器で勝敗が決まってしまうというのは、まさに真実。
大軍に奇策は不要である。
>引き際が難しく、絶対に引けない要所ではお互い負傷者は多くなりそう。
お互いに楯を突き並べているため、拮抗状態における矢戦というのは
死傷者も少なくなる。
>「軍の強さは数ではなく将によって決まる」と言っている武将も多いことから、
>場面場面で相手の陣を乱すための組織的な突撃はあったのではないかな。
「火力で勝てぬなら突撃だ!」では乃木大将になってしまうが・・・
火力及び防御兵器が集中しているのは正面であるが故、側背への迂回攻撃は
有効であるが、その場合でも弓矢鉄砲から入らぬ例というのはまず聞かぬ。
反撃手段も防御手段も無い側背から攻められた場合、飛び道具に
よる攻撃の効果は極めて高い。島津の釣野伏などは良い例であろう。
いくら迂回に成功しても、いきなり切り込むようなことはほとんどない。
まして正面同士の局面において火力で勝負がつかぬなら突撃だなどという
のは少なくとも戦国時代にはほとんど有り得ぬ話であろう。
確かに大軍の正面同士では突撃などはほぼありえないし、弓鉄砲が主戦力に近いことも同意してます。
それだけで終わる合戦も多々あったと思います。
しかし、馬防柵の存在が、騎馬部隊などはいないので馬を防ぐものではなく、
ただの突撃防止策や進軍防止であれば、やはり不利な状態で突撃される(槍含む)ことは多少なりとも脅威であったのではないでしょうか。
大軍とはいえ数百人ごとの小隊の集まりであるし、いくつかの合同軍である場合も多い。
そして殺傷が期待できる射程距離も数十メートルであろうし、火力にも限りがある。
夜襲などの特殊な攻撃も想定され、威嚇的な突撃などもありうる可能性も否定できないと。
幾度にわたる川中島の合戦はそのほとんどが、おそらく弓などによる小競り合いだったであろうが、
謙信が信玄に斬りかかった逸話のある、永禄4年の死者1万といわれる合戦では
いくつも残る合戦絵図のような入り乱れた戦いも行われていたと個人的に考えています。
このような戦いも完全になかったとするならば、合印や旗を個々が持つ意味も薄くなりそうなので・・・
鈴木説の説明は終わりましたか?
死者一万人・・・
237 :
日本@名無史さん:03/09/06 00:20
>>234 >しかし、馬防柵の存在が、騎馬部隊などはいないので馬を防ぐものではなく、
>ただの突撃防止策や進軍防止であれば、やはり不利な状態で突撃される(槍含む)ことは多少なりとも脅威であったのではないでしょうか。
不利な状況で突撃されたら、そりゃ負けますなw
自分が有利なら矢戦を制し、つまり敵の飛び道具をほぼ沈黙させた上で、
浮き足立ち崩れかける敵に対して突撃し、蹴散らして戦は勝利で終了です。
ですが、そのような突撃や白兵戦まで否定したことは一度もありませんよね。
こちらの説を勝手に捻じ曲げて話をしないように。
逆に不利な側からすれば防御施設を頑強にすることで、火力に劣っても
押し切られないようにすることが肝要となります。
城の力攻めには三倍の兵が要るとはよく言われますが、城という強固な
防御施設に拠れば三倍の火力と渡り合えるという意味でもあります。
>このような戦いも完全になかったとするならば
そのような主張は一度もしていません。いい加減にしましょう。
『甲陽軍鑑』曰く、「真の戦」は川中島と三方ヶ原しかない。
お互いに柵も結ばず陣地も築かず、真なる遭遇戦を行ったのは
たったの二度しかないというわけです。
そのような稀な例をまるでスタンダードであるかのように語るのは
如何なものでしょうか。
238 :
日本@名無史さん:03/09/06 01:23
いいか
>>231よ、常識的に考えてくれ。
にらみ合うことは『合戦』とは言わんのよ。
また、『合戦』になったら、矢戦なんかでおわるわけないっつ〜の。
飛び道具は有効射程距離が短いし、天候の影響も大きい、
なにより命中率も死傷率もたいしたことない。
当時の軍勢の主力は、織田でも上杉でも武田でも槍隊。
つまり、必然的に『合戦』は肉弾戦になる。
そもそも武将は相手の首とってナンボの世界なんだから、
矢戦は主要な合戦形態になるわけがない。
いや、合戦において肉弾戦がなかったと言ってるわけではないんだが。
ただ双方ともよほど有利な状況でもない限り損害を恐れて仕掛けるのを
ためらうケースが多かったんじゃないかと。
乾坤一擲の場合を除いてって書いてるでしょ。そういう戦の場合はキミのいってる
ような形態になると思うけどね。
240 :
日本@名無史さん:03/09/06 02:02
>>239 甘いな。肉弾戦をやる勢いで突出してゆくと、敵は戦意を失い逃げ出す。
敵を「逃げ出させる」には肉弾突撃が最も有効という側面もある。
ヨーロッパではナポレオンの時代まで行われていた。
矢合わせで同僚が倒れていくのを
すぐそばで見ていたらテンションあがるよな。
んで志気が上がったらつこむのと違う?
まぁ、そこまで単純ではないと思うが
なんか難しく考え過ぎなような気もする。
242 :
日本@名無史さん:03/09/06 02:21
>>241 まあ、当たり前だが実戦は予定通りにはいかないってことだな。
自分が戦闘におけるすべての行動の選択権を持っているわけじゃないからな。
2ちゃんねるは知識量ではハッとすることも多いが、実技にかかわること
は頭でっかちになりがち。
遠戦指向だけで戦を展開したくたってできない局面も多々あるし、
馬上で刀を使って切り結ばなくてはならないこともあるだろし、
槍相手に打刀で対抗しなきゃいけないこともあるだろし、
騎馬のまま突撃することだってままあるだろ。
ただ馬が走って来るだけで、人間には脅威だぞ。
「いける!」と思ったらなんでもありだ。
243 :
日本@名無史さん:03/09/06 03:12
>>238 >いいか
>>231よ、常識的に考えてくれ。
>にらみ合うことは『合戦』とは言わんのよ。
第五次川中島合戦とか、にらみ合ってただけでも合戦って呼んでるけどな。
>また、『合戦』になったら、矢戦なんかでおわるわけないっつ〜の。
矢戦「だけ」で「終わる」とは誰も言ってないだろう。
もっとも小競り合いに終始したような合戦だと矢戦ばかりなんだろうが。
>飛び道具は有効射程距離が短いし、
弓矢で80メートル、鉄砲なら100メートル以上の有効射程が
見込めるな。少なくとも槍よりは長い。
>天候の影響も大きい、
雨の中で伊賀甲賀の弓衆の前に大損害を出した織田軍・・・
244 :
日本@名無史さん:03/09/06 03:13
>なにより命中率も死傷率もたいしたことない。
武田信玄は「槍を省略してでも鉄砲持ってこい」とか言い出すし
朝鮮に行きゃ「槍はいらないから鉄砲送れ」だしな。
伊達政宗に至っては最終的に戦闘要員の過半を鉄砲にしちまった。
>当時の軍勢の主力は、織田でも上杉でも武田でも槍隊。
>つまり、必然的に『合戦』は肉弾戦になる。
極端な例えをすれば、数だけならM16持った歩兵が圧倒的でも
主力はやはりM1エイブラムスなわけよ。アメリカ陸軍は。
槍を持ってる人間の数が多いからってそれが戦の要になるとは限らない。
数が多いつっても結局は長柄だしね。統制の取れた集団が防御的に使えば
極めて有効ではあるが・・・
245 :
日本@名無史さん:03/09/06 03:16
>>240 >甘いな。肉弾戦をやる勢いで突出してゆくと、敵は戦意を失い逃げ出す。
>敵を「逃げ出させる」には肉弾突撃が最も有効という側面もある。
確かに、一揆勢の逆ギレに狼狽して大損害を出した織田軍の例などあるが。
>ヨーロッパではナポレオンの時代まで行われていた。
甘いな。日本では、大東亜戦争の終わりまで行われていた。
そして一つ言えるのは、損害の多さ。
自腹で領民から部隊を編成する時代には、滅多なことじゃ無理な話。
あのさあ、誰もが武田信玄や上杉謙信じゃないのよ。
日本の合戦の傾向について話してるんじゃないの?
上のレスは>>240宛てね。
249 :
日本@名無史さん:03/09/06 10:12
>弓矢で80メートル、鉄砲なら100メートル以上の有効射程が
>見込めるな。少なくとも槍よりは長い。
問題はどの程度の距離で命中するかどうか?殺傷できるかどうか?
80メートル先の相手に発砲したら指揮官に殴られるぞ。
もっと引き付けてから放て!と。
鉄砲放つのも恐怖心との戦いだし、集団の規律は刀槍の集団を
率いるより重要になってくる。バラバラに放っても効果は薄い。
ここで一部の人達が言うように、そんなにお手軽な武器でもない。
>248
集団の心理は怖いぞう。
もちろん指揮官への信頼度も
関わってくるが。
251 :
日本@名無史さん:03/09/06 10:57
今の人間と当時の人間が戦場において全く同じ心理であると思っているのが間違い。
つい半世紀前の日本人と今の日本人が全く違うように。
252 :
日本@名無史さん:03/09/06 11:14
>>251 スレと関係なくて申し訳ないが・・
自衛隊の規律正しさは他の国の軍隊と比較しても際立っている。
今の普通の日本人だって戦場に行ったら、残業するように戦うと思うね。
俺なんか毎日満員の通勤電車で軍事訓練受けているからな。
253 :
日本@名無史さん:03/09/06 11:16
>>252 職業軍人とそうでない徴兵、
昔で言うと武士と農民だが、
今では自衛隊と、市民。
これは、やはり昔と今では違うよ。
ただし、毎日電車で軍事訓練を受けている国民、という意味はある程度わかる。
生き死にの合戦で兵一人一人が恐怖を持っているのは当然で
例えば、将棋でお互い駒すべてが獲られない様に戦うようなもの。
遠戦や見合いが多いのも当然。それにかける時間も多ければ死傷者もそれによるものが多いのも頷ける。
大陸の大勢での平地戦と違い、日本の地理は激しい上、夜襲などの特殊な事態もありうる。
誰もが冷静に判断できない状態であるので、どんな事もありえるし、それを制することができるからこそ戦場でも名将が生まれる。
だから、遠間での戦いばかりに目を置くのも良くないんじゃないかな。
このスレでの反論、揚げ足は勉強になるからありがたいよね。
>>242 激しく賛同。
255 :
日本@名無史さん:03/09/06 20:24
>>242 レス読んで、そうだなとは思ったんだが、ここはちょっと疑問だ。
>2ちゃんねるは知識量ではハッとすることも多いが、実技にかかわること
>は頭でっかちになりがち。
242も合戦の実技経験はないだろう?
実技経験という言葉は変か。
実体験だな。
>>253 >今では自衛隊と、市民。
自衛隊と一般国民。
258 :
日本@名無史さん:03/09/06 20:58
>>255 >242も合戦の実技経験はないだろう?
あたりまえだろ!
でも言いたいことは分かってくれてると思うが。
とある地方の農家の蔵で見つけた
>>230を読んでくれ。
当時の実戦が少しは分かる(?)。
259 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:42
『敵の白目が見えるまで引き付けてから撃て』
という鉄砲衆の心得があったことは
「鉄砲は命中率や射程が低いから槍などに活躍の余地があった」
ということを示すのではなく、
素直に読めば、合戦が『遠戦』主体で行われたこと、
槍で突撃したとしてもほとんど効果がなかったことを示しているだろう。
なぜなら槍部隊の突撃力がそれほど強力なものであると仮定すれば
引き付けて撃った場合、その直後に生き残りの槍衆によって
鉄砲隊の陣は蹂躙され尽くすはずである。
鉄砲隊が一発撃ってから、味方の槍衆がカバーするヒマなどとてもない。
この場合『敵の白目が見えるまで引き付けてから撃つ』などという格言が
生まれるはずがない。
現実には、槍や薙刀をもった集団が数倍の人数で弓鉄砲の陣に突撃したところで
引き付けて弓鉄砲を放てば、突撃をストップさせることは十分に可能だったのだろう。
こう考えることで、はじめて格言が有効になる。
お互いそれを分かっていた戦国武士たちは、無駄な消耗を避け、
射撃戦や交渉で勝負をつけようとしたのだろう。
>>259 >『敵の白目が見えるまで引き付けてから撃て』
>という鉄砲衆の心得があったことは
>「鉄砲は命中率や射程が低いから槍などに活躍の余地があった」
>ということを示すのではなく、
>素直に読めば、合戦が『遠戦』主体で行われたこと、
>槍で突撃したとしてもほとんど効果がなかったことを示しているだろう。
日本刀に続き槍までももはや効果なしか。
刀槍を外して、鉄砲だけで合戦していろ。
とはいえ俺が戦国武将だったら、予算の許す限り鉄砲を買って、家老にまでも
鉄砲を撃ち習わせる。
だが刀槍の装備は怠らないね。少なくとも日本で戦っているうちは。
それに戦いは合戦場だけじゃないからな。
いつ天誅を喰らうか分からん。
なんか近代戦だな。
東海道一の弓取りって、かなりのほめ言葉だったんかな。、
弓ぃ、ヘボいと厨房のころ思ってた。
>『敵の白目が見えるまで引き付けてから撃て』
これってさー、日本の格言じゃないでしょ?古いけど外のお国の話では?
出所教えてほしいんだけど・・・。
鉄砲が有効なのは分かるけど戦場毎にあるじを変えていたような戦国浪人に鉄砲の使い手のイメージは無いな。
やはり足軽等が集団で使っていたんだろうな。
しかしその集団戦術が活かせない場合ってのもあったんじゃなかろうか、それこそ功名に逸った双方の陣借り武者同士、抜け駆けしあって戦端を開いてしまったような場合とか。
塙団衛門的な人間が戦国時代は沢山いたから、大阪の陣で豊臣方も結構な数の兵数を揃えることが出来たんだろうし。
大名にしてみたら自分や傘下の部隊が無事なら良し、浪人が手柄でも立ててくれたらめっけもん、くらいの感覚でいたかもしれんし。
命を削ってでも功名を立てたがる人間の感覚からすりゃあ、鉄砲や弓矢だけで終わるいくさなんて、たまったもんじゃないと思うよ。
首の取り合いになってくれなきゃ。
Don't fire 'til you see the whites of their eyes.
どうやら、259の首、奇襲により討ち取ったぞー。何が起こるかわからない。これが戦ですな。
265 :
日本@名無史さん:03/09/06 23:59
>>249 弓矢は面制圧も想定して使われたのだろうから、80メートルで
バンバン撃ったって文句言われねえだろ。
マスケット銃の話だがW・ミュラーの試算では実戦環境においては
100ヤード(91メートル)で15%の命中率ということだ。
そして聞くが、槍持った人間の数は多かったが、それでどのぐらいの
人間を殺せたんだね?
それは敵の飛び道具を掻い潜ってでも突撃を果たすことで被るだろう
損害に十分に見合うのか?
>>260 雑賀衆の強さは結局鉄砲の数だからな。
>>262 一番有名なのは独立戦争のバンカー・ヒルの戦いだな。
記念塔の横のプレートに「Don't fire 'til you see the whites of their eyes」
と書かれている。
もっとも、この時だけの話じゃなくて当時の銃兵たちにゃよく言われて
いたことらしいが。
266 :
日本@名無史さん:03/09/07 00:00
>>264 洋の東西ぐらいじゃ戦の本質は変わらんけどなw
267 :
日本@名無史さん:03/09/07 00:06
>>263 大坂に浪人がわんさと集まったのは関ヶ原があったから失業武士が
あふれてただけだけどな。
武田家の牢人衆など、浪人雇った部隊の存在は裏付けられるが、
君の「イメージ」は所詮イメージ。
イレギュラーな場面をいくら想定しても、それはやはりイレギュラー。
>>261 武士とはそもそも弓取だったんだから・・・
269 :
日本@名無史さん:03/09/07 00:47
>>265 自軍より敵軍の鉄砲数が上回っているときはどうするの?
都合よく鉄砲を揃えられるとは限らないと思うけど。
同じように撃ち合っていたら敗北必須だが。
>>267
戦に生きがいを求める浪人衆や「傭兵部隊」と呼んで差し支えないであろう伊賀甲賀、雑賀根来(これは鉄砲)衆を使った例は結構ある。
三河物語、信長公記、なんかの資料価値の高いとされてる書でもこれらは例外とはいいきれていない書き方をしている。
特に三河物語は榊原配下の功名を欲しがる浪人が首を奪った話や「城を忍び獲るのに伊賀者を呼んだ」という記述がハッキリとなされている。
イレギュラーな点に思いを巡らせられなければ一手の将は勤まるまい。
271 :
日本@名無史さん:03/09/07 00:55
>>269 局所的に火力を集めるか
撤退して別の作戦を練るか
幸運を期待して突撃するか
ってとこでしょうな。
まあ、そもそも戦が始まる前に敵軍の鉄砲の数なんかそう簡単にわかるはずもないから無意味な心配だけど
272 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:07
>>271 少なくとも鉄砲を満足に揃えられない自分の貧乏さはわかるだろ・・。
で、火力に勝る相手と戦うときには、遠戦指向などと言っていられないんじゃないの?
遠戦指向は結局は弓・火力に勝る軍勢が選択できる戦法だよな。
273 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:08
>>269 基本的に戦力に劣る方が負けます。
信長や信玄が名将たる所以は、何と言っても相手に勝る戦力を
そろえてから戦に望んだからです。
負けるのが嫌なら必死こいて作戦を考えるしかありません。
274 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:10
>>270 ヨーロッパだと傭兵主体の時の方がむしろおっかなびっくりな戦争をしているよ。
主家と運命共同体じゃないから食い扶持が確保できればいいんだよ、傭兵にとっちゃ。
275 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:10
276 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:11
>>270 だから奇襲強襲を得意とした連中だの鉄砲集団だのの存在は
いいとして、それが「戦のやり方」スレでメジャーに語るべき
内容かってことなんだがよ。
277 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:13
>>273 それは正論中の正論、王道中の王道だが、実際はそんなにいつも都合よく
できないのが現実。
戦いは自分から仕掛けるとは限らない。
なんか、
『万一の戦争に備えて軍隊が必要!』VS『戦争する前に外交努力で解決!』
に似ているな。
後者が正論なのは分かるが、現実世界は上手くいかない・・。
278 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:15
>>272 自分も敵も全ての鉄砲を持って戦場に駆けつけるなどとは考えないし
国力で簡単にわかるほど火力の優劣がついているなら
戦場に出ること自体が愚かです。
戦術で工夫して強大な敵に勝って領土を広げようなんて考える領主はそうそういません。
279 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:16
>>272 例えば戦力に劣る側でも篭城して防御に徹すれば相手が兵糧が
尽きたりあるいは情勢が変化したりして難を逃れられる場合が
多いわけだが。
城塞防御の主力は飛び道具ではありませんか?
これって戦力に劣る側が「遠戦志向」を選択しているわけですよね。
戦力に劣る側が「遠戦志向」を放棄して、しかも勝ち残る例って
どのぐらいの割合で発生するんですか?
手持ちの戦力が少なくても有効活用すれば戦うことも可能だが、
単なる「白兵志向」では劣る戦力で敵と白兵戦やらかして
全滅してしまうだけでしょう。
280 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:17
>>276 むしろ装備万全のまともな合戦のほうが少ないんじゃないのか?
281 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:17
>>277 >『万一の戦争に備えて軍隊が必要!』VS『戦争する前に外交努力で解決!』
>に似ているな。
>後者が正論なのは分かるが、現実世界は上手くいかない・・。
前者も正論でしょう。両方やるのがまっとうな政治家です。
短絡的でいけませんね。
282 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:20
>>281 当たり前のことを言われても何もいえません。
教師タイプの人ですね
283 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:20
>>280 「戦国時代の合戦のやり方は?」
と聞かれて
「伊賀衆雇って夜襲させます」
という答えで満足か?という問題だろうよ。
>>277 都合よく行かないのは百も承知ながら
そのようなイレギュラーな状況にならないように手をうって被害を広げないようにして生き残るんですな。
信玄も川中島の遭遇戦のような損害が大きい戦をしても突然勢力が衰えないほど内外に手を打っていたからこそ
順調に領土を広げられたのです。
285 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:21
>>279 古来篭城とは援軍を当てにしたものであり・・・<以下略>
はいはい、ひっこんでますよ
286 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:25
>>284 言いたいことが良く分からん。シンプルにお願い致します。
>>283 大変満足ですが、何か?
戦国時代は、夜襲・奇襲当たり前でした。
その地に詳しい者どもを雇って襲わせました。
おしまい
287 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:47
>>285 それ、よく言う事ではあるけれどね。でも木曽義康は篭城で1回は
信玄を退けたし、長野業正は5回まで退けた。
劣勢だから打って出ろって話はどのくらいあるんですか?
それやった場合ってほとんどそのまんま滅亡してる話ばっかりだと
思うわけなんですが。
もう、鉄砲でしか攻撃手段が考えられない方にお伺います。
戦国時代の火縄銃は大雨でも普通に撃てるんですか。
まだ話題に上ってない気がしたから・・・。
>>283
例えそうだとしても俺は満足だね、ていうか謀略の良し悪し(とそれを支える経済力)が戦に勝つ為には必要だよ。
戦力の強いほうが勝つ、なんてやっと合格点程度の答えだな。
尾張の弱小大名だった織田とその後継者の豊臣、そして更に弱小だった三河の徳川が何故覇権を握ったか答えにならないもん。
織田豊臣徳川の覇権の理由は勿論戦に勝ってきたからだけど、その戦もかなりの謀略が勝算を導いてきたのは疑う余地ないぜ。
関ヶ原は戦争のプロが見たら徳川は負ける布陣だったけど結果は逆だったとか、理詰めで考えたって駄目。
鉄砲の効果とかの話は戦の理論としては面白いが、実態を追求したものにはならないね。
290 :
日本@名無史さん:03/09/07 01:54
>もう、鉄砲でしか攻撃手段が考えられない方にお伺います。
なんじゃそりゃ。どの武器もその使用される局面があることを
否定したことはない。
>戦国時代の火縄銃は大雨でも普通に撃てるんですか。
撃てません。「鉄砲覆い」なるものを挙げる人もいますが、
照準が合わせられません。
当時としては、狙いも付けずにとりあえずぶっ放すという使用法は、
あまりされませんでした。
1573年10月、伊勢長島から撤退する織田軍に対し、追撃する
一揆軍との間で行われた戦いでは双方雨で鉄砲が使えなかったと
『信長公記』にあります。代わりに活躍したのが伊賀・甲賀の弓衆
でした。
>まだ話題に上ってない気がしたから・・・。
既出です。
>>286 イレギュラーなことにいちいち対処を考えるより
イレギュラーなことで大勢が動かない戦略を考えた奴が生き残ったって事
>>289 あんたが誰だか知らないけど
大名外交や政略と忍者で奇襲が同じ次元なのか?
293 :
日本@名無史さん:03/09/07 02:01
「事前に有利な状況を作り出す」
「敵に勝る戦力を投入する」
これ、鉄則。
両方やって負けた今川義元って一体・・・
294 :
日本@名無史さん:03/09/07 02:08
関ヶ原合戦は、明治に政府のお抱え軍事専門家(メッケルだっけ?)が両軍
の布陣図を見て西軍の勝利、と言ったという有名な逸話。
幕末の薩英戦争では、死傷者だけ判断したら火力の劣る薩摩側の勝利だからな。
いやはや実戦とは摩訶不思議なものよ。
特にずっと後から振り返ると特に不思議だ
295 :
日本@名無史さん:03/09/07 02:10
>関ヶ原合戦は、明治に政府のお抱え軍事専門家(メッケルだっけ?)が両軍
>の布陣図を見て西軍の勝利、と言ったという有名な逸話。
西軍8万のうち戦ったのが3万だけという事を置いておけば、ね。
296 :
日本@名無史さん:03/09/07 02:14
>>294 つうかどっちも合戦のやり方で勝敗が入れ替わったわけじゃないじゃん。
前者は合戦前から西軍が切り崩されていて
後者はもともと英軍が被害受ければ退却する戦だっただけのこと
思うに、遠距離攻撃で大損害を受け
さらに敵が突っ込んできたらまず逃げるだろうな。
白兵戦はとどめって事でよいのではないか?
>>298 まあ、そもそも戦国時代に殲滅戦をやる必要があってやる能力があったのって信長くらいだよな。
鉄砲・弓矢だろうと刀・槍だろうと敵を追っ払えばいいわけで
>>290 >なんじゃそりゃ。どの武器もその使用される局面があることを
>否定したことはない。
じゃあ、あんたがわざわざ答えんなよ。
鉄砲が何よりも最強だって言ってる人に向けてんだから。
物には長所も短所もあるってこと言いたいだけなんだからさ。
>既出です。
ないぞ、このスレに。雨の話なんか本当に話題に上ったの?
>じゃあ、あんたがわざわざ答えんなよ。
>鉄砲が何よりも最強だって言ってる人に向けてんだから。
>物には長所も短所もあるってこと言いたいだけなんだからさ。
このスレの「遠戦派」に「鉄砲最強!鉄砲だけで合戦は終わります!」
なんて極端な奴がいたっけか。君が勝手に作り出した妄想の論敵か。
>ないぞ、このスレに。雨の話なんか本当に話題に上ったの?
「天候の影響」を挙げた奴はとっくにいます。
302 :
日本@名無史さん:03/09/07 11:52
>>301 「槍で突撃したとしてもほとんど効果がなかった」とは語っているようですよ。
以下コピぺ
259 :日本@名無史さん :03/09/06 22:42
『敵の白目が見えるまで引き付けてから撃て』
という鉄砲衆の心得があったことは
「鉄砲は命中率や射程が低いから槍などに活躍の余地があった」
ということを示すのではなく、
素直に読めば、合戦が『遠戦』主体で行われたこと、
槍で突撃したとしてもほとんど効果がなかったことを示しているだろう。
なぜなら槍部隊の突撃力がそれほど強力なものであると仮定すれば
引き付けて撃った場合、その直後に生き残りの槍衆によって
鉄砲隊の陣は蹂躙され尽くすはずである。
鉄砲隊が一発撃ってから、味方の槍衆がカバーするヒマなどとてもない。
この場合『敵の白目が見えるまで引き付けてから撃つ』などという格言が
生まれるはずがない。
303 :
日本@名無史さん:03/09/07 11:53
>>259 の通りなら日本刀に続き、槍も限りなく不要ということになるが・・。
>>288 野戦でなくてもいいなら、日本の城に多聞櫓が作られたのはそのためだと聞くがどーよ?
普通に鉄砲狭間がついただけの塀と違って、雨でも火縄銃打ち放題ですが何か?
>>293 よほど運が悪かったんだろ?
やったことは一々理に適ってたわけだし。
例えはどーかと思うが、今年アレだけ強い阪神もアレだけ弱い横浜に全勝しているわけでは
ないわけだ。「勝負は時の運」であって、勝率を高くすることはできるが100%にはできない。
つーか、「窮鼠猫を噛む」で鼠が喰らいついてみたら、たまたま致命傷だったわけだが。
307 :
日本@名無史さん:03/09/07 21:44
>>302 >>303 敵が弓矢鉄砲を並べ、さらにその後ろで長柄が隊列組んでるような所に
槍持って正面から突撃なんてしても効果薄いよ・・・
鉄砲にしても長柄にしても防御的に使った方が使い易いものだしね。
日露戦争の日本軍なら「先頭が一割死んでも突入できりゃOK」と
考えるかも知れないが、戦国武将としての費用対効果の観点からすれば
「こんなことで一割死んだら明日から困るなあ」というわけでね。
槍が必要な場面ってのは、そんなんじゃないだろ・・・
>>306 そりゃ理論上可能であることと実戦で有効であることは違いますよ。
特に
>>288の質問は「大雨でも」だから。
308 :
日本@名無史さん:03/09/07 22:05
>>292
戦に勝つ為にやるということでは外交も政略も忍者の奇襲も同じ次元だ!
敵に戦に強い武将がいるなら、どうやってそいつを倒すかより、どうやって味方にするか、もしくは謀殺するか、という策略のほうが、史書においては強調されてるもん。
鉄砲隊をどう使っていたか、なんてのがそんなに重要なら特筆大書すりゃいいのに、書かれていないもんだから、平成の現在においても推測するしか無い。
江戸時代になって軍学者が戦国大名の陣法をまとめてくれた筈なのだが、それを作り話だとして認めない、ホントの戦は違うんだ、なんて言い出す連中が出てきてる。
首実検の作法なんかが今でも分かるのは軍学者のおかげなのにな。
ハッキリ言うが、理論で遠戦が正しいと結論が出ても、それは当時の戦はこのようであった、というのじゃあ無いね。
ところで鉄砲なんかよりもっと敵に恐怖を与える「火攻め」「焼働き」については意見が出ていないな。
遠戦論者は限界を悟れよ、敵の財産を焼いちまうほうが攻撃法としてはもっと効果的だろ?
火攻めは難しい問題だな。戦って勝ち取り戦利品として得るもの焼いてしまう
可能性があるわけだから、むやみには実行しなかっただろうし。
昔は焼けた事になっていた小谷、佐和山なども実際は焼けてなかったそうだし、
比叡山もほとんど焼けていないらしい(w
310 :
日本@名無史さん:03/09/07 22:30
延暦寺は坂本の町に移転していたのだから
山で焼け跡探してもしょうがない。
延暦寺が焼けた後に坂本城やら坂本の町やら造りまくったから
延暦寺の焼け跡なんてどこ探しても見つかるはずがない・・・
311 :
日本@名無史さん:03/09/07 22:32
>敵に戦に強い武将がいるなら、どうやってそいつを倒すかより、どうやって味方にするか、もしくは謀殺するか、という策略のほうが、史書においては強調されてるもん。
何の史書なんだと・・・
焼き討ちにはロケット兵器が最も有効だろうけど、普及率は低いのかな。
やはりメインは火矢だろうけど。
313 :
日本@名無史さん:03/09/07 22:47
>>307 なぜ鉄砲が構えているその正面から槍がいきなり突っ込むのか?
さすがにそんな奴はいない。
敵よりも火力に劣り、その弱点を突こうとするものは地の利を生かして
夜襲するでしょう。何らかの手段で混乱させてから、斬り込み。
>>301 >「天候の影響」を挙げた奴はとっくにいます。
悪天候の中の鉄砲の話題はありませんでした。
しいていうなら、ただ"天候の影響も大きい"という一言のみ。対するレスは
"雨の中で伊賀甲賀の弓衆の前に大損害を出した織田軍・・・"鉄砲の話じゃない。
他にあるならどこか教えてくれ。素直に非を認める。ないなら変につっかかるな。
>このスレの「遠戦派」に「鉄砲最強!鉄砲だけで合戦は終わります!」
>なんて極端な奴がいたっけか。君が勝手に作り出した妄想の論敵か。
そこまで言ってないし、言葉には言い回しというものがある。
上記の"物には長所も短所もあるってこと言いたいだけなんだからさ。"この言葉で察してください。
鉄砲だからとはいえ、短所はいくらでもある。
もっとも、ごく一部に鉄砲信者はいそうだし、書かずに観るだけの奴もいるから、
すべてが自分だけに向けられていると思わないことだ。
304のほうがずっと良いレスだ。
315 :
日本@名無史さん:03/09/07 23:10
>>313 何故かって、そういう状況でなきゃ「敵の白目が見えてから撃て」とも
ならないし、その効果が云々ともならないからですよ。話読めてますか?
>>314 >悪天候の中の鉄砲の話題はありませんでした。
>しいていうなら、ただ"天候の影響も大きい"という一言のみ。対するレスは
>"雨の中で伊賀甲賀の弓衆の前に大損害を出した織田軍・・・"鉄砲の話じゃない。
ああそうか。『信長公記』でも有名な話だから普通に知ってると思った
俺のミスだね。雨で双方鉄砲が使えなかったと明記しています。以上。
>そこまで言ってないし、言葉には言い回しというものがある。
「言い回し」で歪曲されたらたまりませんな。キチンと理解していれば
議論以前という話が多すぎる。
>上記の"物には長所も短所もあるってこと言いたいだけなんだからさ。"この言葉で察してください。
>鉄砲だからとはいえ、短所はいくらでもある。
ほとんどくだらない言い掛りをつけてるのは誰かということだな。
>もっとも、ごく一部に鉄砲信者はいそうだし、書かずに観るだけの奴もいるから、
>すべてが自分だけに向けられていると思わないことだ。
じゃあ誰がそうか示せ。
>304のほうがずっと良いレスだ。
そりゃ結構なこった。
よく松永久秀が多門櫓を発明したことが大きく取り上げられるが、
多門櫓がどう有効なのか書いた本を見た事が無く何故なのか不思議
だった。十年ほど前、信長の野望シリーズのゲームをしていて櫓か
らなら鉄砲が撃てるルールだったので、ふと「廻りをぐるっと櫓でかこ
めたらな〜」と思ったときに多門櫓はそういう意味だったのかと気が付
いた。ゲームから学んだ私はヘタレですか?
317 :
日本@名無史さん:03/09/07 23:21
>>313 >>259から始まった話だけど、鉄砲で突撃を撃退できるだろうって話は、
当然正面突撃相手の話だと思うんだけど。
背後に迂回した敵を最前列の鉄砲衆が迎撃できるわけないんだからw
それに対して「じゃあ槍はいらないじゃないか」とか絡んだのが一部いた
だけで、あなたのような発想であるなら、どちらの意見も意味がないと
思うわけなんだけどさ。
318 :
日本@名無史さん:03/09/07 23:21
>>316 へタレだが、315よりはマシだからがんばれ。
朝鮮出兵の時の明の記録には鉄砲と日本刀の脅威が書かれて
なかったっけ?
321 :
日本@名無史さん:03/09/08 00:36
>>320
類巣風呂椅子の日本史にも小西行長からの聞き書きとして朝鮮出兵の様子が描かれてるけど日本刀の優秀さは強調されてるよね
戦訓と、遊撃なる将が日本軍から武装を手に入れ、研究した明軍はブ厚い鉄の鎧を使用するようになったので日本刀でもビクともしなくなった、なんて記述があったような気がする
やっぱ日本刀は対策をしなくちゃならんぐれー脅威だったんだろーよ
>>315 敵の白目・・・は外国の格言だって上で言ってました。
自分は話、読めてますか?
『信長公記』を誰もがすべてを知ってる訳ではあるまい。もはや屁理屈です。
それに悪天候で使いづらいことも知らず、俺が、一部の見る人によっては皮肉にも見える、あんな質問したとでも?
既出を指摘され、わざわざスレの上から下まで探したオレがバカだった。それは正直くやしい。
>じゃあ誰がそうか示せ。
あくまで"いそう"なので確定したら、今回みたくまたややこしくなる。それに書かずに観るだけの人は示すの無理でしょうが!
あえて言えるなら鉄砲の短所のすべてを「くだらない言い掛り」で片付けてしまうような人がいれば、その人かな。
もう感情的な揚げ足とりのくだらない論議は俺はやめますからご安心ください。
ちなみに俺は一応は遠戦派です。318は俺じゃないので。念のため誤解のないよう。
あと313も俺じゃないです。
324 :
日本@名無史さん:03/09/08 02:10
そりゃ槍はどこにでもある兵器なんだから、日本軍が攻めてきて始めて
槍対策をする国があったら困るわなw
325 :
日本@名無史さん:03/09/08 02:51
>>322 >敵の白目・・・は外国の格言だって上で言ってました。
>自分は話、読めてますか?
日本人は銃で撃たれても死なないというのであれば、
日本国内では意味の無い格言ですねw
>『信長公記』を誰もがすべてを知ってる訳ではあるまい。もはや屁理屈です。
それはミスだと認めているでしょう。あなたがどれほど無知かを
想定していませんでした。戦国の鉄砲について語る人間が
まさか信長関連の基本的な所をまったく知らないとは思わなかった。
これからはインターネットという、あらゆる人が閲覧可能である場所
の特性に注意して書き込みましょうw
>それに悪天候で使いづらいことも知らず、俺が、一部の見る人によっては皮肉にも見える、あんな質問したとでも?
「気象条件に左右されるものが主武器たりえるのか?」
という問いであるならそのように書くべきですし、
また逃げる敵を追うためには機を逃すわけにはいかない、というような
場合を除けば、「鉄砲が主武器であるがゆえにむしろ雨中の合戦を
避けようとする」のですよ。
長篠合戦がなぜ21日だったか、考えてみればわかることです。
>既出を指摘され、わざわざスレの上から下まで探したオレがバカだった。それは正直くやしい。
はい。馬鹿ですね。
殆どの武器が金属で出来ているから奇襲でもするのならばともかく、
普通は雨はさけたいよな。
327 :
日本@名無史さん:03/09/08 09:44
おまいら。
暗黙知を確認せずに話を進めたり、知識背景の違いを自慢しあったりするのは無意味だからやめろ。
歴史好きならば、世の中の不幸が知識背景/文化の違いを無視することから始まっていることぐらいわかるだろう。
>>325 「鉄砲だからとはいえ、短所はいくらでもある。」
「物には長所も短所もあるってこと言いたいだけなんだからさ。」
いい加減、この文を理解してくれ。3度も言わせるなよな。要点言ってるんだから、至極簡単だろう?これだけ。
あんたにはこれが「主武器たりえない」に読めんのか?変にからむな。日本語学べ。学校行け。
で、偉そうなレスは、雨を避けろって・・・弓使えって・・・短所、くだらん言い掛り・・・云々、もはや月並以下。
「信長公記」は歴史を語る上でかなり参考になるもの。残念、俺はとっくの昔読んだよ。
それともただの基礎知識を訳文片手に自慢なのか?他人を無知呼ばわりまでして。
長篠合戦って、たぶんまたかよ、世の中の歴史すべてが「信長公記」だけじゃないのは知ってる?
あと、なんでもかんでも人の話を勝手に誤解した上、無理矢理やたら大きく誇張するな。
誤解する奴が出てくるじゃないか。こりゃあ感情的になる。
>>327 自慢し合ってないよー、つまらない自慢は一方的で無知だの馬鹿だの言われて今回が初めて、言葉も悪いか。
無意味承知の上の私怨。退こうとしない予想外の返事も意外と楽しい♪ただ今回は無知と馬鹿にかなりムカッ。
荒れたな、ごめん、今度こそヤメっす。
>>328 「読んでいたけど言われても思い出せない」ってのはさみしいね。
ま、学術板だし、『信長公記』くらい必読書と見なしてくれないとな。
331 :
日本@名無史さん:03/09/08 14:08
戦国時代の純粋な戦闘員は、本当に少ないですねえ。
100人いても戦闘員は40人ぐらいだから・・・
帝国陸軍のほうが圧倒的に戦闘要員は多いんですね。
332 :
日本@名無史さん:03/09/08 15:04
ただ戦国時代にゃ後方支援部隊とかそういう部隊分けもなく、
自分の上司にくっついて動いているわけだから、
誰が戦闘要員で誰が非戦闘要員かという区分けは無意味な気もするね。
鉄砲・弓矢・長柄・持鑓など軍役で装備を規定されている人間以外でも
野太刀なんかはめいめい持って行っていたらしいから。
ただ軍役で「旗」とか「幟」とか決められた人間は、戦場で
かなり怖そうなわけだが・・・
333 :
日本@名無史さん:03/09/08 18:32
>>330
信長公記は必読としてもいいくらい、充実した内容だと思います
一級史料だからこれを読んで解釈を語るのなら、いちおうは学者や小説家と同レベルである、とも言えるし
まあ解釈に深みがなければ同格たりえないんだけど
しかしこれを読まなきゃこのスレで語るな、て雰囲気が出るのも変だとも思うけど・・・
ところでそれがしの信長公記読んだ上での合戦観:
「信長軍火ぃ付け過ぎ!」
334 :
日本@名無史さん:03/09/08 22:19
>>328 >いい加減、この文を理解してくれ。3度も言わせるなよな。要点言ってるんだから、至極簡単だろう?これだけ。
>あんたにはこれが「主武器たりえない」に読めんのか?変にからむな。日本語学べ。学校行け。
そんなものは誰でも理解できるわな。いちいち挙げるまでもないことだ。
ところがそういうことをいちいち挙げちゃ難癖付けてんのがオマエラ。
馬鹿なわけでもない、当然のことを聞いたわけでもない、じゃあ何だ。
勝手にコロコロ変わるなよ変節漢w
>で、偉そうなレスは、雨を避けろって・・・弓使えって・・・短所、くだらん言い掛り・・・云々、もはや月並以下。
偉そうに見えるのは君の劣等感の裏返しだなw
>「信長公記」は歴史を語る上でかなり参考になるもの。残念、俺はとっくの昔読んだよ。
>それともただの基礎知識を訳文片手に自慢なのか?他人を無知呼ばわりまでして。
>長篠合戦って、たぶんまたかよ、世の中の歴史すべてが「信長公記」だけじゃないのは知ってる?
とっくに読んでんなら知ってて当然、オマエが記憶力ゼロの能無し
ってことじゃねえかw
他に雨の中で鉄砲で戦ったつう史料でも挙げるんならともかく、
世の中『信長公記』が全てじゃないって?
たかだか一冊の史料相手に、“自称とっくに読んだ”のに中身全部
忘れてるんじゃあ、それ以上のことなんて何もできないじゃないかw
>あと、なんでもかんでも人の話を勝手に誤解した上、無理矢理やたら大きく誇張するな。
>誤解する奴が出てくるじゃないか。こりゃあ感情的になる。
自分が不利になるたびに苦しい言い訳と言い掛り。
君が勝手に自滅しているだけですよw
335 :
日本@名無史さん:03/09/08 22:36
おまいらなら、どういう合戦をする?
・時代は1600年以前ならいつでもよい
・誰を相手に戦ってもよいが、自分の兵は相手と同じ人数
336 :
日本@名無史さん:03/09/08 23:01
日本刀の類を初めとして、槍、長刀、金棒、やがらもがら、陣鎌など
白兵戦用と思われる武器をすべて廃棄して、大鉄砲軍団を組織する。
峰の向こうの隣国の大名、山に立てこもり僧兵を率いる糞坊主ども、
足元で小うるさい地侍たち、舟戦に長けた海賊野郎、そのすべてを遠戦にて
『アンタッチャブル』で鮮やかに勝利を得る。
負傷だけでなく、討死理由にいたるまで軍忠状に事細かに記す。
そしてその勝利を故鈴木眞哉に捧げたい。
・・・・・・・・・下げときます・・・。
338 :
日本@名無史さん:03/09/09 00:14
339 :
日本@名無史さん:03/09/09 00:22
焼夷弾を作って火をつける これ最強!
材料は硫黄と松脂と原油だ!
340 :
日本@名無史さん:03/09/09 00:38
火薬があると簡単に決着がついてしまうな。
火薬無しなら、どう攻める?
341 :
日本@名無史さん:03/09/09 00:55
確かに、火薬使ってしまうとそれで終わりだよな
オレは聖徳太子と知恵比べをしてみたい。
合戦ではなくなるが。
>>342 物部氏に付きたいわけではなく、
聖徳太子ってどれくらいのもんなんだろう?と疑問に思ってるだけ。
アニメの影響だが、一休さんでもいい。
>>335 同数なら合戦しません。
これが鈴木信者正統の答え。
つーか同数の合戦なら全員が火縄銃もつ意味はないでしょ。
圧倒的に数で負けてるならともかく。
火縄銃は最前列に展開しないと使えないし、
最前列に展開できる人数は限られてる。
だから全軍の10%が鉄砲もって
あとは安くて訓練も特にいらない槍を持たせとけばいい。
攻めるよりも守る方を試してみたいな。
楠正成の千早城籠城戦は本当に可能なのかな?
糞尿、丸木、岩、お粥、お湯・・・なんでも落とすぞ!
346 :
日本@名無史さん:03/09/09 03:15
>>344 同数なら戦術を練ります。これが鈴木説正統派の考えですよ。
まあ鈴木説に限りませんが。
もっとも、同数であるなら迂回戦術などもリスクを伴いますから
(例えるなら川中島で本隊同士が遭遇してしまった武田信玄のように)、
よほど成算がある作戦だとかでなければ、ダラダラ矢戦でもしてお茶を
濁そうということになってしまうわけですね。
>>346 ものすごく誤読してるよ・・・
同数なら「戦術」で勝つなんて旧日本軍みたいなこと
旧軍嫌いの鈴木が言うわけねーだろって・・・分かりそうなものだが。
戦略や政略ならともかく「戦術」はほとんど意味ないってこと
「鉄砲と日本人」でも何度も言ってるだろ?
三国志板にでも帰ったら?
>>346 鈴木・藤本ラインは、そもそも同数の場合どうするとか言ってないと思うが?
彼らが信長を評価しているのは、伝説桶狭間での奇襲や伝説長篠の三段撃ちではなく、
桶狭間以外の戦場では相手より多くの兵力を動員してきた戦略的能力の高さだから。
あと、このラインの人だと思われる藤井尚夫とか三池純正とかは川中島の迂回戦術は否定
してる。
特に三池氏は『真説・川中島合戦』で川中島であれだけ乱戦になったのは霧の中で両軍が
いきなり鉢合わせになって白兵戦になったからだと主張している。
>337
鈴木眞哉って亡くなってたっけ。
>>335 同数でこちらに鉄砲が多いっぽい場合は平地での王道的な合戦をめざす。
鉄砲が少ない場合はとりあえず山中に陣取って、敵の守りの鉄砲をできるだけ封じる戦略を考えるかな。
偶発的でも場所によっては霧を予測することはできるのでそれを意識的に戦略に加えることもできるし。
気候や天候を利用したり、少し狭い所で戦ったり、手薄の小城を狙ったり地の理を生かす事に重点を置く。余裕のなんでもあり。
領に近ければ長期戦とか。
戦術ばかり考える武将相手ならあの手この手でどうにもなりそう。で勝ったらやっぱり鉄砲ぶん盗ると。
前田の利ちゃんも数じゃないって言ってるし。あまいかな。
351 :
日本@名無史さん:03/09/09 23:34
山中だと一緒に行軍できないから
個々の指揮官の優秀さが問題になるね
>>350 > 前田の利ちゃんも数じゃないって言ってるし。あまいかな。
利ちゃんは、亡きご主君から何を学び取ったのかと小一時間(ry
353 :
日本@名無史さん:03/09/10 00:23
ま、兵の数を集められればそれに越したことはないよね。
でも分かってはいても、鉄砲を揃え、兵の頭数を揃えるまで
戦は待ってくれないのが現実。望みはいくらでも言えるけどね。
それをあの手この手でやりくりするのがやり手の戦国大名ですな。
>353
待ってくれないって・・・
そこで待たせるのも戦略でしょ。
355 :
日本@名無史さん:03/09/10 01:44
>>344 「合戦しない」は大袈裟で、力に差が無い場合は、お互いリスクを
嫌って小競り合いや矢戦に終始したり、あるいはお互いに陣地を強固に
して完全な膠着状態に陥っちゃうことが多いんじゃないかってのが、
鈴木説から導かれる戦力拮抗の場合の展開なのでは。
だから敵に勝る戦力を整えるだとか、あるいは内部から切り崩すとか、
そういう事を重視するんだってことでしょ。
もちろん、本当に膠着状態に陥ってしまったら、今度は長期戦を
嫌って何らかの戦術的アクションを起こすということも
あるんだろうけれども、それはあくまでもそうなった時の話なのだ
っていうさ。
川中島で上杉武田両軍が、たまたま八幡原で出会ってしまったのも、
お互いにたまたま同じタイミングで、何らかの膠着状態を打破するための
アクションを起こそうとした結果なんだろうね、
>>354 ま、それはそうだけど、やっぱり桶狭間のように、どうにもならん
場合ってのもあるわけでさ。
そうなったら戦術の出番では?
356 :
日本@名無史さん:03/09/10 01:53
>>347 旧陸軍は「同数なら戦術」じゃなくて「劣勢なら戦術」だからw
だから桶狭間が大好きな軍人が多いらしいな・・・
鈴木氏は戦術が意味が無いなんてこたあちっとも言ってないよ。
戦術に意味がなかったら島津あたりはもっと早く滅んでいるわな。
鈴木氏はただ戦略の重要性を説いているだけでね。戦術について
語った書籍はいくらでもあるんだから、そんなことにページを
割かないだけだよ。
357 :
日本@名無史さん:03/09/10 01:58
>>348 わしは謙信の妻女山布陣を否定しているので、迂回戦術も否定してるけど、
海津城と若槻山城(当時は「西条山」だったので、ここが上杉の本陣
だろうとわしは考えておる)にそれぞれ陣取っていた両軍が
八幡原で鉢合わせしてしまうというのは、お互いに何らかのアクションを
起こそうとした結果であるとは思うわけなんだが。
あと『妙法寺記』には郡内勢が背後を衝いたので上杉勢は敗北した
みたいなことが書いてあるから、信玄が何らかの理由で軍を二手に
分けていたんだろうことは、確かだと思う。
358 :
日本@名無史さん:03/09/10 04:32
鈴木という人に会ったことのある者いる?
私のイメージなのだが、あの人は防衛庁に勤めていて、
周りの武人タイプにひどくコンプレックスか対抗意識のようなものを
抱いていて、それでああした説をひねり出したのではないかと思うのだが、
どうでしょうか?
これ(合戦の仕方)は、鈴木氏の身体的、精神的問題に還元されるのではないかと思うのです。
如何でしょう?
>>358 論の内容に具体的な批判を加えるでもなしに
会ったこともない人間に対して人格に問題があると言い切るお前に
精神的問題があることはよく分かるよ。
360 :
日本@名無史さん:03/09/10 06:26
槍でゆっくりゆっくり前進する
最前線は槍でのつつきあい
くづれだすと突入
3メートルもある刀を振り回すものもいる
刀で叩き合って気絶させる
投げたおして組合い 鎧の間に短刀をぶっさす
騎馬隊が神出鬼没に遊撃を繰り返す
敵が固まり突破できていないところに矢をいかける
大将武将に兵が群がり襲い掛かる
斬馬刀で馬の首切られて転げ落ちる武将 四方八方からくりだされる渾身の一撃
死体はめちゃくちゃ 残されるのは首のなくなった素っ裸の胴体のみ
361 :
日本@名無史さん:03/09/10 06:32
「やーやー 我こそは ○○にあらせられる○○の家臣○○である 腕に憶えのあるものは勝負いたせ!」
火炎なげつけられてびびった馬が暴れ落馬
そこにモンゴルの猛者が我先にと飛び掛る
名うての武将は即死秒殺
362 :
日本@名無史さん:03/09/10 06:36
モンゴルの猛者と言えば「蒙古覇極道」だろ?
363 :
日本@名無史さん:03/09/10 07:58
>>361 と、思いきや以外に討ち取られる蒙古兵。副将まで射落とされる。
蒙古兵の首を幾つも腰につける御家人最高!
>>358 >>111でも書いたが、遠戦説は鈴木の独創じゃなくて
防衛庁戦史研究部の公式見解に近い。
もちっと勉強しろ。
>>362 ウイグルはカサンドラへ(・∀・)カエレ!
日本の合戦は弓とか銃での攻撃が主だった、でいいの?
>>356 > 鈴木氏はただ戦略の重要性を説いているだけでね。戦術について
> 語った書籍はいくらでもあるんだから、そんなことにページを
> 割かないだけだよ。
禿同。
戦略で戦術の失策を埋め合わせることは、戦術で戦略の失策を埋め合わせることよりは
容易だからね。
空爆だけではやっぱり駄目で、
地上部隊を投入しなくちゃ本当のケリは付かない。
>>368 何百年か後、コンピューターは復元不能で、当時の状況はあまりわからない。
鈴樹説では、戦争は遠距離ミサイルと飛行機による多種の爆弾が主。
陸戦は歩兵や戦車は存在するがほとんど行われない。自軍の兵が危険であるし地雷で役に立たない。
もちろん戦艦は空母の護衛のみだった。
核が牽制し合い、戦争は表面上にらみ合うだけが多かった。
米軍の領土が侵略されてないこと、有名なイラク戦、そして一部の戦争の死因の割合から見ても明らかである。
これが当時の戦争の見解です、などと言われたりして。
370 :
日本@名無史さん:03/09/11 00:44
>>369 そういう断定的な捉え方をするかも。
中途半端な知識人ほど陥りやすい気がするね。
371 :
日本@名無史さん:03/09/11 00:53
合戦のやりかたもなにも
ジェットリーを味方にひきつけたほうの圧勝だろ ボケが
372 :
日本@名無史さん:03/09/11 00:55
>>368 航空支援がなけりゃ地上部隊投入なんてもってのほかだけどね。
飛行機が無い時代でも制圧射撃もなく突撃なんて戦争はありえない。
矢戦もなくいきなり太刀打ち・組討に及ぶ合戦もなかった。
そういうことなんだけどね。
373 :
日本@名無史さん:03/09/11 00:59
>>369 というとキミの説によると、戦車は卑怯で欠点がある戦車砲をなど使わず、常に体当たりのガチンコだったと?
374 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:01
>>372 それは誰も否定していないと思うよ。
むしろ、鈴木説をさらにパワーアップさせた
「遠戦兵器のみで戦の大半は終始し、白兵戦はほとんど首取りのために
存在する」
という論にある種の胡散臭さを感じる人がいる。
おれもそうだけど。
375 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:01
>373
極論バカ一代
>>374 まあ、刀剣コレクターにとっては地動説が天動説に代わったくらい信じがたいことではある
がね。
377 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:50
@軍忠状で死傷の理由がどこまで分かるのか?
軍忠状に記載された負傷理由の割合が、遠戦指向の重要ポイントであるが
討死した者の理由は軍忠状にはほとんど書かれない(らしい)。
A日本刀の構造的な欠陥についての話は信用できるか?
『刀と首取り』では日本刀の構造的な欠陥として、柄などの問題を
あげてゆき、最終的に日本刀はしばしば一撃で破損する脆弱な武器であるとしている。
その根拠としているのは成瀬氏による破損日本刀の記録。
ただし、破損していない日本刀全体のうちにどれほどあるかは不明としている。
B近代戦争における旧日本軍の白兵突撃の浅はかさを書いているが、安易に話を
近代に結び付けすぎじゃないのか?(これが一番言いたかったのか?)
378 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:51
>>374 そもそも鈴木説を勝手にパワーアップさせてる奴の気がしれない・・・
まあ「弓矢から入らない戦はなく、矢が尽きたり落馬したりした
後に太刀打ちをしていたのだから、平安〜源平の頃の主武器は
紛れも無く弓矢だ」というような主張をしていた近藤好和氏に
対して、川合康氏は「近藤氏の言うように弓矢の撃ち合いだけで
戦が終わるなら、どうしてこんな装備が必要なのだ」といった
ように明らかな曲解・誇張をした反論を書いていたけれども、
結局、読解力の無い奴に反論されるってのが一番の困り物
なんだろうね。
379 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:52
380 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:56
>>377 >1(機種依存文字で書かないほうがよさげ)
軍忠状に死亡理由は書かれていないが、死者は負傷者の5%ほど
しかいないので、仮に全部刀で殺されていても「飛び道具は主武器」
は揺るぎようが無い。
逆にトドメを刀でさされていたなら、鈴木説を裏付けるものとなる。
>2
「刀剣」の中では日本刀は優れた部類かもしれないが、
その事は「兵器」としてどの程度優れているかという問題とは別。
>3
「日本人は大昔から大河ドラマのようなチャンバラばかりやっていた、
それは終戦までそうだった」説というのをまず出してから
「そうではないぞ」という論法で歴史的に順を追って書いているから、
近代に言及することに問題はない。
381 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:59
>380
鈴木眞哉マンセー
382 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:01
中世の戦って割とさくっと短時間で終わったことが多いんでしょ?
383 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:08
さくって・・・
どのぐらいだと短時間なん?
有名な合戦には朝から夕方までとか結構あるけど・・・
384 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:09
2、3年後に鈴木説がひっくり返るような論文が発表されたら面白いよね。
鈴木説を最新の学説として、語っている本が多くなってきているから。
「戦国期、やっぱり多かった白兵戦!」
「鉄砲は意外に当たらない?!」
「日本刀はオールマイティ」
誰かいないのかな?
385 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:14
鉄砲もあたらん(ヨーロッパのマスケット銃で実戦では100ヤード
で15%の命中率とされた)が、刀や鑓持てば確実に一人一殺
なんてこた当然無理なわけで・・・
結局装備数に対する戦果ということではなんとも言えないって
ところじゃあないのかな。
386 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:17
そういやこの間の『バガボンド』でも、ほとんどが鉄砲や弓矢で
殺されている、よくて長槍だ、武芸者の時代は終わったのか!
なんてこと言ってたなあ・・・
387 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:21
ていうかタイに行くと人生観変わるよ
24時間ケーブル放送で動物の捕食生態をずっと流している
30分ごと一時間ごとに変わるのは捕食生物が(ワニかライオンかトラか
チーターかヒョウかハイエナかサメかシャチか、、)違うだけ。
飽きるほど何度も何度も血まみれの捕食風景を映し出している。
しかしある日何気に見てしまってショックだったのは
ライオン→人間(白人ツーリスト)
ワニ→アフリカ現地人女性
南米軍警組織→黒人被疑者
目が凍りついた、、、、、すべて克明に最後まで映し出していた
特に苦渋に絶叫し暴れる被疑者を押さえつけて性器と指一本ずつ切り落とし、
笑いながらそれを誇らしげにカメラに示す男の顔が今でも忘れられない。
結局宮本武蔵からして島原の乱を鎮圧しに行って、投石でケガして
何もできずに帰ったもんな・・・
武芸者って・・・
389 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:35
>>380 近代に結びつける論理の展開が強引で、ご都合主義なのよ。
それが問題。
390 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:40
何が強引?
391 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:42
タイの観光地ではたとえ場末の街だとしても
毎晩毎晩バーやカラオケの美貌の少女たち何百人と
欧米や日韓台湾香港からのツーリストを呼び込んでいる。
最近になってコンドーム使用が義務付けれているが一時はエイズの温床だった
ちょっとした広場にリングが設けられまだあどけない10代の少年たちが
家族への仕送りのためのファイトマネーをこのムエタイの一戦にかけて戦っている
打ち所がまずければ障害者になって廃人生活を送らなければならない可能性もある
タイは国内主要地が60年代70年代ベトナム戦争の米軍基地として使われ
そのご褒美としてその後空前の経済発展を実現し現在では東南アジアで最も富裕な国のひとつだが
なにか資本主義の真実を垣間見たような気がした。
おそらくこれが軍陣のおきてなのだろうとも思った。
それが秀吉の陣でも朝鮮半島でも繰り返されてきたのだろう。
激闘→女→酒→飯→激闘→女→酒→飯、、、
これの繰り返しが人類史の本質かもしれない。
白兵戦で片付けなければ効率が悪すぎるし、問題は傭兵なら駄賃、寄子なら軍忠状にいかにありつくか。
自分が仕留めた証拠を残す手段としては決闘が最善、集団で一人を討ち取るのが無難、
射撃は一番割りの合わない戦闘行為だと思う。
遠戦は無かったと思う
そもそもこのスレで鈴木説の近代部分に期待してる
香具師っているのか?
竹槍でB29は落とせないって当たり前じゃん。
当たり前が通じないのが戦時中の日本、とも言うな。
394 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:56
>393
またそういうことを言う・・。
鈴木眞哉の言葉には、本人の意図とかかわりなく
サヨクもどきが金魚の糞のようについて回っている。
そこが彼を胡散臭く見させてしまう一要因。
事実は事実。サヨクとか持ち出してなんか意味あんの?
396 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:00
つまり「日本人は太古より勇猛果敢、戦場では常に死と隣り合わせ
で奮戦し、並み居る敵を刀片手にバッタバッタと切り倒してきた。
その点アメリカ人などは臆病なもので、我々の抜刀突撃の前に
恐れを成して逃げ出す始末。アメリカ人ごときが我々日本人に
勝てるはずがないのだ」とか主張すればサヨクなんて一人も
よってこなくて、胡散臭さなんて何にもなくて、然るに
信用できる学説だということになるわけか。
398 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:04
>>393 事実といえば・・
市民への大量殺戮を行ったアメリカも『当たり前』がつうじないよね。
で、そういう話持ち出しても、しょうがないでしょ。意味ない。
399 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:05
400 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:06
>>398 違うだろ。「竹槍訓練で近代戦に勝てるはずがない」と言えば
サヨクに受けるが、事実は事実で、勝てるはずがない。
それだと「胡散臭い」のか?
401 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:07
北の将軍様も「アメリカ人は臆病だ。戦争になれば我々に分がある」
って言ってたっけ。
402 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:08
>>397 ぼちぼち。
そんなに『サヨク』という言葉に過敏にならなくても・・・。
403 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:10
戦艦大和=遠戦志向=サヨク=胡散臭い
航空主兵=遠戦志向=サヨク=胡散臭い
ICBM=遠戦志向=サヨク=胡散臭い
404 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:10
392 :日本@名無史さん :03/09/11 02:48
そもそもこのスレで鈴木説の近代部分に期待してる
香具師っているのか?
竹槍でB29は落とせないって当たり前じゃん。
393 :日本@名無史さん :03/09/11 02:53
当たり前が通じないのが戦時中の日本、とも言うな。
くだらんやりとりは止めようぜ。
こうやって近代の戦争に安易に結びつけるところが甘い。
405 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:12
約1名、『サヨク』という言葉がツボにはまってしまったようなので、
しばし放置します。
------------------------------ 終了 ------------------------------
406 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:12
遠戦志向は近代の戦争で普通に通用すると思うが・・・
いかに射程を伸ばすか、いかに命中精度を高めるか。
結果、今じゃ15センチ砲が40キロ先に自己誘導で命中します。
407 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:15
408 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:16
>>406 そういう意味じゃなくて、
鈴木氏が『刀と首取り』などで、チャンバラ幻想〜日露戦争〜太平洋戦争
というつながりを語っているというお話です。
409 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:18
>>408 チャンバラ幻想というより白兵幻想だろ。
実際問題として歩兵の銃剣突撃が何よりも強いと思ってる馬鹿将軍も
いたからな。
410 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:21
>>407 竹槍がB29に通じないなんて当たり前のことを言われても、
これから話をどうやってふくらませればいいのか?
俺はなんと反論すればいいのか?
「B29に竹槍!」は当時(戦争末期)の日本の窮状を自嘲的に
言うときに使う言葉であって、「事実は事実」と言い張ることじゃないから。
411 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:21
>409
ナポレオンですか?
412 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:22
日露戦争あたりから白兵主義になってたのは本当じゃん。
インパールとかヒドイもんだよ。
自動小銃を正式採用してたのはアメリカ陸軍ぐらいだろって、
デフォルトで弾薬も無いのは日本陸軍ぐらいだろう。
413 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:23
>>410 そもそも当たり前すぎて語るような内容じゃないっての。
414 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:24
映画Piretes of Caribeanを見られた方なら納得するはずだが
当時の大帝国の ”Royal Pride”であった英国艦隊も海賊船も
至近距離での主砲の撃ち合いで確実に相手を沈める戦法をとっている。
大和武蔵の主砲圏内に入れば当時理論的にこれに射ち勝てる軍船はなかった。
しかしそれは戦闘行為に至ったらの話。
事実はカリブの小国たちもマレー藩王たちもタイ王も
英国艦隊のその船影を見るだけで戦慄し外交要求に応じた。
要は砲艦外交は抑止力が主であり実力行使は従であるということ。
ということは実力行使が行われなかったということではない。
すべて砲艦外交=遠戦で片がついたわけではない。
415 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:24
>>412 弾薬が無い、というのはもはや白兵主義というよりも、白兵しかできない、
という状態なので少し意味合いが違うような。
軍事版にいけばもっと詳しい人がいるから、そちらで聞いてみたら?
416 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:26
>>414 砲艦外交は遠戦とは違うような。
>>415 それで戦えると思って作戦やる馬鹿がいるってことだ。
417 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:29
プリンス・オブ・ウェールズも大和も武蔵も航空攻撃という
さらなる遠戦兵器の前に破れましたな。
418 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:35
遠戦と白兵戦の違いは、出会い系サイトで恋人と出会うか、
ホントに恋人と出会うか、ということだよな。
鈴木眞哉は『出会い系』重視の学者だったということだな。
意味がわからない・・・
420 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:43
トムフィリップスは退艦を拒否し自主的に溺れ死んだ。
しかしほとんどの乗員は無事退艦しシンガポール港へ帰還した。
ということは日本海軍の攻撃対象はプリンスオブウエールズとレパルスという箱。
つまり人を殺すのが目的ではなかった。
つまり相手方の戦闘能力を著しく抑止するベスト手段をとることに成功した。
これは遠戦ではない。
武蔵は敵大日本帝国の旗艦。
大和は特攻艦。
これらは人間ごと沈めなければならない。
別の次元の問題。
これも遠戦ではなくむしろ確殺。
詭弁だな・・・
422 :
日本@名無史さん:03/09/11 03:52
軍事専門家というのは専門ばか あてにならぬ
パラーメーター設定の前に概念定義で問題のあることを理解出来ない。
だからといって軍事を否定する平和論者もこれまた真実に光をあてようとせぬ困り者。
くそみそに言われている大戴巨砲主義も90%は今でも正しかったと思う
ただ日本が英国式統治原理を理解せずそのアジア地域における過酷な軍政が
かえって反感をよんでしまったことに問題があると思う。
1927年(?)に英米軍艦が南京市内を砲撃し2000人殺しているが
これが後々の国民党政権の南京放棄につながる悪影響を及ぼしていると考えられる。
(資本特権層の代表中国国民党も殖民勢力英米も同じだという南京市民の冷めた態度。)
つまり大艦巨砲主義は海戦で敵艦を海面上で直接対峙して沈めるための直接かつベスト手段。
しかし現地民相手のがちんこ制裁バトルを本気になってやってしまうとネガティブ効果。
詭弁和歌山
・・・スマソ
>>418 ちょっとウケタよ。いいセンスしてるよ、キミ。
もしかしてメールかチャットが主武器でスか?
425 :
日本@名無史さん:03/09/11 22:21
>>418
漏れもウケた
白兵は人間の生理に対応してるのか!
あと鈴木さんは学会向きじゃないな、あんな論の進め方や資料の使い方じゃ失笑モンだよ、ハッキリいって
考えさせる内容である事は確かだし、理論としては納得出来るものがあるけどね
しかし実際はどうだったか?を解き明かすものではないよな、「遠戦は効率いい」と「だから遠戦主体だった」てのは違うよ
軍忠状の解釈で説得力を付けようとしたんだろうけど、軍忠状は戦傷章や従軍章の意味があるんだよね
主家を度々変える牢人にすれば推薦状にもなる
銃創や矢傷に触れた軍忠状の数が多いからって実際の戦闘がそうだった、って結論の補強にするのはハッキリと間違いね
それより「武勲とは首を獲る事」って分かってるのに、白兵を軽視するのが不思議だね
落ち首拾いは軽蔑された、ってのも承知してる筈なのに
いや、君の論理の方が失笑もの。
先に結論ありきじゃなくて
鈴木の「論理」のどこがおかしいのか、説明してみ。
君のレスには内容がない。
しかも鈴木氏は「効率がいいから」とは言ってないしね。
「志向」の問題だから。
428 :
日本@名無史さん:03/09/11 23:40
425ですが、426さんに対する回答をしますね
私は先ず鈴木さんの「論理」には反論はしてないです
ところで「仮説<論理<法則」という科学の基本はご存知ですか
仮説とは言い出した人以外にとって半信半疑
論理とは筋が通ってる分、信憑性が高い
法則とは何人たりとも覆せない真理
鈴木さんは人間の自己保存本能に根ざした、臆病な面から導かれる遠戦志向を上手く説明してるし、論理として傾聴するに値する内容があると思います
確かに遠戦でカタが付くなら良いだろうとは思いますし、戦闘方法も遠戦志向に磨きをかけるかたちで発展したのも事実です
しかし合戦ってものを戦争、つまり軍の勝敗で考えてるから違和感が付きまとってしまう訳です
「戦闘に参加する個人」の視点が欠けてますね
功名を挙げよう、立身出世しよう、という合戦参加者の思惑も見てやらないといけない、と思います
功名とは火中に栗を拾うようなもの、危険を犯すから価値があると考えるのは不自然ですかな?
そしてその結果として「チャンバラ」があったと
「効率的な戦法とは言えない」としても刀槍で闘ったというのが誇りになる、そういう風潮があるのなら白兵戦はもし頻繁にあったとしても不思議な事態じゃない
また大名もリスクを承知で闘う武辺者が、自分に忠義を尽くしてくれるのなら有り難い、頼りになると思い、厚く遇するのも納得がいくでしょう
強調しておきますが、戦法として正しくても実際そうだった、って結論にはならないですよ
イラクの現状を見ていると占領後も戦争だな。
土着の領主が討たれた後の
統治なんてどうだったんだろ?
430 :
日本@名無史さん:03/09/12 00:42
>>429 領民にはそんなに命を懸けるような重大事ではありません。戊辰戦争のとき、会津での戦争中でも会津の領民は農作業をしていたとか。
占領者絵の抵抗などは国民国家の思想が行き渡らないとまずは起きない。
431 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:11
今からスレ始まって以来の画期的な意見をこれから発表する。
「鉄砲の弾がなくなると、仕方なしに白兵戦に移行する。」
「日が暮れると、弾が当たらないので白兵戦に移行する。」
「興奮のあまり近く寄り過ぎて、思わず白兵戦に移行する」
真実はいつも地味なものだ。よってこれが真実。
432 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:16
例えば「一番槍」は功名であるが、味方の十分な援護射撃無しには
ただの野垂れ死にであろう。
結局は火力優位の状況でなければ自分から進んで白兵戦を仕掛ける
ことは難しい。
劣勢の側が破れかぶれという例もあるが、勝率は低いものでしかなく、
また損害も大きすぎる。所詮は破れかぶれなのである。
>>425=
>>428 何だか噛合っていませんね。
あなたの言う『論理』とは『お話』ぐらいのニュアンスなんですか?
私が何を言いたいかと申しますと、
「違和感が付きまとってしまう」というのはあくまであなた一人だけの主観でしかないのに、
まるで「違和感」が鈴木説に客観的に内在しているかのように書いていることです。
あなたは自分の主観・希望に手前勝手な目鼻を付けているだけです。
もし、鈴木説の欠陥を示せというなら、鈴木の論証の進め方、すなわち論理に
どのような飛躍や矛盾があるのか、そこを突かなければ、何ら意味がありませんよ。
もし、あなたが鈴木説の論理の誤りを指摘できれば、私もあなたの意見に従います。
>あんな論の進め方や資料の使い方じゃ失笑モンだよ
>しかし実際はどうだったか?を解き明かすものではないよな、
>結論の補強にするのはハッキリと間違いね
あなたはこのように書いています。
私には論理に反対しているように見えますが,あなたはそうでないと言う。
では、
>>425は単なる中傷と考えて宜しいでしょうか?
>>428の「論理」を検証してみます。
第一に、合戦を軍の勝敗という側面でしか捉えなかったのは、むしろ従来の説でしょう。
自己保存本能から説明することは「戦闘に参加する個人の視点」そのものでは
ないのでしょうか?
第二に、鈴木は参加者の死なないように功名を挙げようという思惑をみているじゃありませんか。
そもそも、敵の侍大将の首でも取るならともかく、
田舎の合戦で一番槍をしたところでどれほどの功名になりますかね?
どんな貧乏で命知らずの足軽にとっても割りが合わないと思いますが?
第三に、「刀槍で闘ったというのが誇りになる、そういう風潮」はそもそも存在したのですか?
存在したとすれば、軍注状に刀疵や槍傷、刀槍をとっての武勇伝ばかり
アピールされるはずですが、そうならないのはなぜでしょう?
その風潮が存在した場合、矢や礫の傷など何のアピール要素にもならないのでは?
第四に、忠義と度胸しか持たない武辺者は本当に厚く遇されたのですか?
兵の指揮の名人や、鉄砲・築城・経理などの技術者に比べたら物の数にも入らないはずです。
反論したいなら「リスクを承知で闘う武辺者」でしかない人物が、
高禄で召抱えられた例を挙げて下さい。
全てあなたの思い込みでしかないような気がしますが。
最後に
>「仮説<論理<法則」という科学の基本
仮説→観察→実証とか帰納→演繹→検証なら知ってるんですけど・・・
これを言ったのは誰です?良ければ教えて下さい。
435 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:21
自己レス?
436 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:31
「戦争」なのにほとんど弓矢鉄砲の撃ち合いに終始して、
我々が期待するような「槍合わせ」「チャンバラ」が起こるのは
追撃戦の段階に入ってからだなどと言われると、俺は「違和感」を
禁じ得ない。
戦場ってのは長柄が隊列を組んで叩き合い、武士は馬上で槍を持って
駆け回り突きまくりで、弓矢鉄砲なんてのは緒戦の露払いぐらいだ
というイメージでこれまで来たし、これからもそうだろうからね。
俺が光栄のゲームやると遠距離攻撃が主になる。
人口が減るのはゲームでも痛い。
武器なら経済力で解決できる。
438 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:37
俺がのぶやぼやると、いつも騎馬突撃ばっかりだな。
440 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:45
俺のイメージでは、
1.弓矢鉄砲
2.撃ち合いを制した側が突撃をかける
3.突撃された方も長柄衆を繰り出して迎撃
4.双方長柄同士の叩き合い
5.数や士気の問題で競り負けた方が崩れ、逃げ始める
6.追撃戦に移り、逃げながら戦う側と追いかけながら戦う側の間で
持鑓や刀による白兵戦が繰り広げられる
「鈴木説」はこの中の1と2の段階で勝負はほぼ決まるとする見方。
俺の考えでは勝負を決めるのはむしろ3から4にかけて。
>>436 一応、吉川英治の『宮本武蔵』にすら
「最近の戦では鉄砲がもっぱら使われ、次いで長槍」と書いてある。
日本刀マンセーが最も激しかった時代の人ですら
それは常識だったわけで、誰も文句つけたりしなかったわけで・・・
君の考えているようなイメージが昔の合戦像のスタンダードだったとは
とても考えられない。
ひょっとしてこういうイメージができたのはテレビの時代劇の影響なんじゃないのか?
442 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:48
>>441 『バガボンド』のこの間の描写は吉川英治のまんまだったのか・・・
いや、これは細川の殿様を家臣が諌める場面の台詞なの。
殿様が弓術キチガイだから
あんまり戦場では意味ないですぞってね。
バガボンドでは弓も積極的に使われていたから、あれは井上が考えたことだよ。
444 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:55
>>441 『雑兵物語』だと弓矢鉄砲で迎撃する側の視点で書いてあるけど、
敵が攻めてきて、遠いうちは飛び道具で迎え撃つけど、近づかれたら
鉄砲衆とかは脇にどいて、長柄とかの出番だって感じで書いてあるね。
問題は、こっちが弓矢鉄砲で迎撃してるのにズカズカ接近してくる(これる)
奴がどれぐらいいたかってことなのかもね。
445 :
日本@名無史さん:03/09/12 02:01
446 :
日本@名無史さん:03/09/12 02:02
>>443 弓が意味ないってのもすごいなあ・・・
鉄砲の装備率が頂点に達した大坂の陣の頃の伊達軍でも弓矢は2%は
残っていたし・・・
もっと時代が前の、例えば武田家の軍役状だと鉄砲8%弓矢7%、
北条家だと鉄砲7%弓矢8%って感じだったね。
例外的なのは上杉家かな。鉄砲5%の弓矢0.2%・・・ホントかよ・・・
織田家(明智光秀)の軍役だと鉄砲が15%(もしくは9%)で
弓の規定は無しってところだったかなあ・・・
って吉川英治に文句つけてもしゃーねーな。俺。
448 :
日本@名無史さん:03/09/12 02:11
なぜ値段も高く、天候にされやすく、さらに命中率も良くなく、使いこなすには高度な技量と訓練を必要とする欠陥だらけの鉄砲を、大名達が血眼になって買い漁り、合戦に投入したのだろうか?
白兵志向なら無駄じゃない?
軍忠状とやらの他にもいくらでも資料残ってるんじゃないの?戦闘についての。
それ調べれば大体雰囲気掴めるんじゃないの?
450 :
日本@名無史さん:03/09/12 23:44
まあ、あれだ。
合戦も恋愛も前に出ないと先に進まない!
ということだ。
だから突撃は必要。
433、434への回答
論理は実証にはならない、過去の出来事について語るのには、こればっかりは承知してもらわなきゃ話にならない
例えば偶発的な出来事を必然的なものとして考えるとしたら、理詰めで考えたところで根本が間違ってる、としか言い様が無い訳ですし
先ず自分にはそういった観点があってレスをつけてみた訳です
方法論としては、当時の合戦とは実際はどうだったのだろうという検証において、各合戦ごとに違った分析があって良かろう、という立場です
鈴木さんは遠戦志向という傾向を見つけ、例を挙げ論を積み重ね、そして傾向には理があるとしています
これは鈴木さんの主張の解釈としてよろしいですかな?
一応尋ねておきます
453 :
日本@名無史さん:03/09/13 18:58
>論理は実証にはならない
>例えば偶発的な出来事を必然的なものとして考えるとしたら、理詰めで考えたところで根本が間違ってる
はあ、鈴木も分かってるんじゃないかと。
戦国時代の実相がどうだったか、実は全く分かっていない。
だから軍忠状研究に頼るしかない、というのが彼の考えでしょう。
どの本だか忘れましたが、平原で両軍が向かい合ってから合戦が始まるという前提すら
そんな整った合戦がスタンダードであったはずがないと言ってましたね。
>各合戦ごとに違った分析
どういう分析でしょう?
>鈴木さんは遠戦志向という傾向を見つけ、例を挙げ論を積み重ね、そして傾向には理があるとしています
>これは鈴木さんの主張の解釈としてよろしいですかな?
その通りだと思います。
また名前忘れました。
455 :
日本@名無史さん:03/09/14 00:45
>>453 >どの本だか忘れましたが、平原で両軍が向かい合ってから合戦が始まるという前提すら
>そんな整った合戦がスタンダードであったはずがないと言ってましたね。
例えば『甲陽軍鑑』は、「真の戦」、すなわちお互いに陣地や障害物を
築くこともなく、真の意味での「野戦」を行ったのは川中島と三方ヶ原
しかない、と書いているんだよね。
武田家三代ですらその二回しか「真の戦」がないとすると、我々が想定する
「一般的な野戦」そのものの頻度が、恐らくは全国的に見ても極めて
低かったんだろうということになるよね。
山崎、姉川
>武田家三代ですら
武田家は天下取ったわけでもないし・・・。全国に当てはめられるの?
458 :
日本@名無史さん:03/09/14 02:05
>>456 姉川はまさに野戦だね。山崎はわしゃよう知らんので・・・
459 :
日本@名無史さん:03/09/14 03:00
では信長・秀吉・家康は野戦ばかり?
関ヶ原でさえ西軍が予め陣を築いていたわけだし、「真の戦」には
当てはまらんのではないか。
大抵攻城戦ばっかだからな。
中富川合戦、戸次川合戦、
瀬川宿付近での赤松円心vs六波羅軍
基本的に、近代の軍隊と戦国時代の軍を一緒に考えてはいかんよ。
戦国時代の軍隊は武将とその郎党、いわば個人参加者の寄せ集めみたいなモンなんだから。
だから大規模な槍組、鉄砲組などの部隊を作ること自体難しいし、それに統制した行動をとらせるのはもっと難しい。
お国のために自分が死んで・・・みたいな行動を取る者は例外的だったろうし
例外的だったからこそ、後生の史書や講談本で大げさに取り上げられたと思われ。
がんばれよ。
465 :
日本@名無史さん:03/09/15 15:47
なにを?
>>453
鈴木さん、最近新著をものしたみたいだけど(自分は未読)、合戦ごとの分析なんでしょ
いくさにおける勝利条件はさまざまだろうから、それが目のつけ方としては正当だと思うね
勝因の分析に遠戦理論がどれほど活かされてるかが興味深々だね、白兵を軽視して成り立たせているのなら大したモンだが
軍忠状の内容が最低限保証してるのが「鉄砲弓矢飛礫槍刀その他によってケガした」という内容なのなら、「その敵武器の殺傷範囲にいた」という事だな
なら飛び道具による負傷を扱ったものが多くなるのが当たり前じゃないかな?
>>453
前田利家、森長可、加藤清正、福島正則、母里太兵衛、後藤基次、本田忠勝、榊原康政、槍自慢の武辺者ならいくらでも思いつくな
将になろうとするにせよ、槍を取っての武者働きで最初の立身のきっかけをつかむものなんでしょうね
鉄砲や弓矢でもいいんだろうけど、何故鉄砲武者は槍武者ほど有名にならないんだろうか?といえば、誰でも、年を取っても槍よりは簡単に扱えるからだと思うんだけど
白兵なんて若くなくちゃ難しいでしょ、老いるにつれ、その戦場経験で将として兵を率いるべきでしょう
これが自分の考える武辺者の重宝された理由、危険に身を晒す度胸と忠義、その後の成長が期待できる点ね
さすがに一兵卒的な働きだけの武辺者なんて何人かの兵法者くらいしか思い浮かばないな、でも先の質問には答えたと思うが
>>453
あ、科学の基本ってのは学生の頃、生物の教授から教わりました
孫引きだし、自然科学と社会科学はまたちょっと違うから、偉そうに書くべきじゃなかったかも
しかし「仮説→観察→実証」「帰納→演繹→検証」ってのは「構造」で、仮説<論理<法則は「格」というか、「重さ」でしょ?
この人の言ってること分かる人いる?
何だか全然分からないんだよね。
言いたいことは分かるんだが、
具体的に言ってることが何一つ意味分からないんだけど・・・。
>>470
私のレスについてかな?
>>471 そうだろうね。
あと、適度に改行した方がいいよ。
余計に読みづらい。
>>470 425を見る限り、鈴木説の弱点(資料解釈における不確定性)に別の仮説をぶつけているだけだな。
まあ、いわゆる批判屋だ。
で、当然彼の方の意見も仮説の域を出てない訳で。
また、468のようなのはもともと鈴木が資料として異を唱えた武勇自慢の講談・物語に基づくものなので
批判している相手が否定している論拠を取り上げただけで議論の進展性がない。
474 :
日本@名無史さん:03/09/15 23:28
鑓働きで名を成した者=多くの首級を挙げた者
一番首級を挙げやすい場面=追撃戦
鈴木説の主張する白兵戦が起こりやすい場面=追撃戦
何の違和感も無く両者の主張が噛み合いました!w
>>469 総体的な科学は全く知らんが
物理の場合アプローチの仕方はまず多様の解釈ができる事実、現象があって、それを不変の数学で後から理詰めしてゆく。
鈴木氏の論は数学者が物理学の研究論を出すようなもので、そういう意味でもアプローチの仕方が少し間違っている気がするかな。
どんなに戦い方が理にかなっても証明はできないことは歴史は難儀だな。戦い方なんぞ大将の思惑一つで変わるし、むずかしいね歴史は。
476 :
日本@名無史さん:03/09/15 23:42
戦国の世の戦の仕方は正確につかめないのが現状であって、そのなかで
かろうじて戦を読み取れそうな証拠である軍忠状を調べて、それに記載
されている負傷理由の比率によって「遠戦指向」を打ち立てたのが鈴木氏。
結論がどうあれ、机上で合戦の刀槍の使い方を語ることは、推測に留めて置くべきかと。
格闘技板のヲタどものような妄想が炸裂しますぞ。
>>472、473
言い訳はあるが、真意を理解されるまでには至らないんだから自分の不明か
悪文ですまない、議論の進展には貢献しないな
批判屋なのも確かだが、鈴木さんほどでは無い
468の内容に473の批判は当たらない、
槍働きの効用を否定する難しさを念頭に置いてのレスですから
「実は槍で有名な武将も鉄砲弓矢で武勲を挙げていた」というのでなければ崩れる内容ではないでしょう
水掛け論かもしれませんが、一応の為
鈴木論の要の軍忠状もどうにもとれる。
遠距離で受けた傷なら戦場から逃げる暇があるが、近距離では逃げきれない。
その他、このスレでもいくつか出てるし。
やっぱこれだけの資料じゃ所詮は推測から出れないよな。肯定派も否定派も。
479 :
日本@名無史さん:03/09/16 00:08
>>478 問題は、すでに確立された説として鈴木説を語る人がいること。
こうやって歴史は作られてゆくのだろうか・・?
>>463なんぞガンダムですぞ
>>448 流されぎみなので拾ってやった。
さらに付け加えるなら、弾の装填時間が掛かる。その間襲って来る敵を前に逃げ出さない人材。
連射はカスが溜まり数回で使用不能。少しも下を向いて撃てない。そして重すぎる。
これだけ性能が悪く多くの欠点を持つ鉄砲は織田の活躍を聞いた、ただの流行w。
弓には欠点が鉄砲ほど思い浮かばん!鉄砲無能、ここに弓が最強論を唱える!!!!なんてな。
でも火縄は絶対的な主戦力とは信じがたいとはちょっと思う。
渡辺亨は鉄砲の弾を槍でたたき落とす。
最強だな。
482 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:02
>さらに付け加えるなら、弾の装填時間が掛かる。その間襲って来る敵を前に逃げ出さない人材。
柵、土塁などを築いたりしての防御的な運用が有効。
また、弓で間隔を埋める、鉄砲衆を二人一組や二組交互で運用するなど、
記録にあるだけでも対策はいくらも取られている。
>連射はカスが溜まり数回で使用不能。
それは俗説。穢土時代の砲術書には「だんだんと小さい弾にする」という
ことが書かれているが、北条氏の城を発掘調査したら、様々な口径の
銃弾がまとめて見つかったというようなこともあった。
>少しも下を向いて撃てない。
それも俗説。毛抜き金の採用以来、俯角を付ける事は可能となっている。
そうでなくちゃ、城の鉄砲狭間が意味ないじゃないかw
>そして重すぎる。
毛利家の調べでは最も多く使われていたのは三匁前後の軽い銃だった。
一匁半程度の火縄銃ですら胴丸を撃ち抜いて人間を殺傷する威力があり、
軽くても十分に実用に耐える。
西洋では戦闘用の銃と言えばマスケットだったが、重いマスケットは
次第に敬遠されるようになり、軽いアルケーブスが多く採用されるように
なった。どこも発想は同じってことだね。
483 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:03
>これだけ性能が悪く多くの欠点を持つ鉄砲は織田の活躍を聞いた、ただの流行w。
流行?w
長篠よりずっと以前に武田信玄は「槍や甲を省略してでも鉄砲持って来い」
とか言ってたけどねw
>弓には欠点が鉄砲ほど思い浮かばん!鉄砲無能、ここに弓が最強論を唱える!!!!なんてな。
破壊力と射程で鉄砲に劣る。
弓は重ねの厚い鎧には阻まれることがあるが、鉄砲は当たれば
より高い確立で殺傷する。
>でも火縄は絶対的な主戦力とは信じがたいとはちょっと思う。
「絶対的な」兵器なんて現代にも存在しない。あるとすれば核ぐらいだ。
相対的な傾向の問題に過ぎない。論理の飛躍はちょっとな。
484 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:06
鈴木厨、必死だな。
どんなにおまいらが力んだって、日本刀が古くから高い評価を受けてきたのは事実。
所詮底の浅い妄想では日本刀の価値を知ることなどできはせんよ。
まあ、おまいら素人は足軽と一緒に火縄銃の稽古でもしてるこった(w
485 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:08
まあ刀の達人・宮本武蔵が鉄砲どころか投石に負けたわけだがw
日本刀なんて蒔絵やなんかと同じ
ただの美術品じゃん
487 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:21
鉄砲が伝来するまでは、やはり槍が一番と思います。槍一筋の家柄と
言いますから。
弓は前哨戦での使用の効果は有りますが、日本の弓は洋弓に比較して
飛びません、70m前後と思います。洋弓はその倍以上飛びます。
刀は駄目ですね、刃がぼろぼろに直ぐなり使い物に成りません、
此は戦中に実験済みです。弓も・・・
ですから、昔は戦場に行くときは、何本も持っていき砥石も持参で
刃を磨きながら使用したようです。
鉄砲が入ってきてからは、主力戦闘器に成りましたが身分の高い武士は
余り使うことが無かったのでは。
白兵戦に成ると、槍も長いものでなく短めの物を使用したと思います。
槍は突きと、ぶん殴るのと、両方出来ますから一番良いと思いますが。
488 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:25
>487
刀は刺す方が主だった使い方だと思う。
でないと、君の言うとおり刃が欠けるは脂は付くはでどうにもならん。
489 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:25
でも一突きの感触が残るのはやはり刀だよ
リーチが短くてても長いボクサーをしとめることが出来るように要は気合でつけば確実に殺すことが出来る。
その点槍は一撃二撃をはずされて内側に飛び込んでこられたときはもうアウト。お陀仏。
490 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:29
>鉄砲が伝来するまでは、やはり槍が一番と思います。槍一筋の家柄と
>言いますから。
鉄砲が入ってからも武士は持鑓で戦ったんだから、関係ないよ。
>弓は前哨戦での使用の効果は有りますが、日本の弓は洋弓に比較して
>飛びません、70m前後と思います。洋弓はその倍以上飛びます。
有効射程80メートル、最大射程300メートルとされます。
>鉄砲が入ってきてからは、主力戦闘器に成りましたが身分の高い武士は
>余り使うことが無かったのでは。
だから武士身分は持鑓だってば。
>刀は駄目ですね、刃がぼろぼろに直ぐなり使い物に成りません、
>此は戦中に実験済みです。弓も・・・
>ですから、昔は戦場に行くときは、何本も持っていき砥石も持参で
>刃を磨きながら使用したようです。
もともと鎧ごと切ったりはできないんだから、打撃武器だよ。
打撃武器。
>白兵戦に成ると、槍も長いものでなく短めの物を使用したと思います。
>槍は突きと、ぶん殴るのと、両方出来ますから一番良いと思いますが。
それはどうかな。だとすると長柄衆なんてただの足手まといに
なっちまう。そんな兵が5〜6割もいたら、逆に戦闘にならんだろ。
叩いて使えるから長くても扱える重さであれば問題はない。
昔は武士道のことを、弓矢の道といっていた。
また武家の事を、弓矢の家とも言っていた。
武士のシンボルとも言える兵器は弓矢なのだろう。
492 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:34
もともと弓矢こそは武士身分の使う武器だったのだが、
結局の所歩兵に集団運用させた方が有効だったので歩兵にシフト。
鉄砲も同じ理由で武士“のみ”の象徴には成り得ず。
結局武士に残されたのは自ら鑓を振るって戦う局面での活躍のみ。
といっても戦国期にはついに全軍の一割以下の人数になってしまった
のだから、それほど意味があったとも思えないが。
足軽=あくまでも集団戦闘向き
武士=個人の武芸で戦える
という意識ではあったのだろうが・・・
493 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:38
しかし時平は抜き身の刀を片手に雷神様に立ち向かおうとした。
権力の頂点に立つ男時平がである。
また公家も武家も神社仏閣に奉納する際に太刀をもって多用した
やはり日本人の権力のシンボルは刀なのだろう。
494 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:41
源頼政は弓で妖怪を殺したが
>>482 ジョークのつもりなのに・・・・
でも、ついでに448の
>値段も高く、天候にされやすく、さらに命中率も良くなく、使いこなすには高度な技量と訓練を必要とする欠陥だらけの鉄砲
ぜひ、ここの欠陥部分すべてにぜひつっこみ入れてください。こっちの方が重要っぽいし。
細かい例を挙げだしたら、白河上皇は源義家の弓を枕元に
置いておいたら妖怪がこなくなったとか、なんでもあるな。
不毛だからやめときや・・・
497 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:47
しかし平忠盛が昇殿したときは刀をめぐってひと悶着
やはり公家を黙らせるには刀の一振りの閃光だった
498 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:50
弓は護身具というよりは完全に戦の道具だろ・・・
昇殿の時に弓まで持ってたらそりゃ謀反だよ・・・
藤原伊周は花山天皇に矢を射かけた。
501 :
日本@名無史さん:03/09/16 01:56
>>488さん。
平安後期から片刃になりまして、そりをつけて斬る事が主目的になりま
したので、其れまでの直剣は突きと斬るのと、両方を兼ね備えましたが
どちらかと言えば実戦は突きが有利と思いますが、片刃は突きには力学
的に不利と聞いておりますが。
502 :
日本@名無史さん:03/09/16 02:00
決定的なのは衣冠束帯だろ
直刀がいつ太刀になったのか忘れたけど
あれだけ高位の面々が一の人の座す建物の中でさえ太刀を腰に帯びた
この歴史的事実をどう見る?
おまいらの合戦に関係ない話も面白い。弓矢含めて続けよ!
504 :
日本@名無史さん:03/09/16 02:05
そういや一の人は摂関で一人が帝だったっけ
最後に便覧みたのはもう大昔のことで忘れた
505 :
日本@名無史さん:03/09/16 02:07
火縄銃は命中率が非常に良いです、手入れも現在のライフルと比べますと
手数が掛かります、薬室の掃除がめんどいですが、火薬をそのまま入れま
すので。現在のライフルでもそれぞれ照準の調整をしないととんでもない
ところへ飛んでいきます。また銃そのものに癖が有りまして、この銃は何
時の方角にどのくらいに標的に合わして頭の中に入れておく必要が有ります
火縄銃の保存会の人は命中率は素晴らしいと言っておりました。私は昔狩
猟にライフルを実際に使っておりましたが、調整しないと使い物に成りませ
んでした。
506 :
日本@名無史さん:03/09/16 02:07
>>495 日本の火縄銃が西洋のマスケットと同程度の命中率を発揮すると仮定
した場合、実戦で100メートル近い距離で15%程度の命中率
ということになりますが、これは極めて脅威ですよ。
命中したら鎧着ててもほぼ死傷ですからね。
それで全て説明できるかと思いますが。
もちろん、あらゆる局面に対応するためには、この時代の鉄砲の
性能では「鉄砲のみ」の軍隊はむしろ不利になってしまいますが、
伊達政宗が最終的に戦闘要員の過半を鉄砲としたように、
経済力と生産力に余裕があれば、戦国大名たちは鉄砲の比率を
相当に高めに設定したかったんじゃないかと思いますよ。
507 :
日本@名無史さん:03/09/16 02:28
多対多の戦闘状況のうちある一特定の状況だけを必死に仮定しているところが
遠戦派のおかしいところだね。当時高貴な武士が何人下人を射殺しようと、
当の下人たちはなんも手出しできなかった。だからといって、めぼしい士分、郎党、伴類が
射戦にかまけている間、下人同士が何も戦闘行為をしなかったわけではなかろう。
下人同士で殴り合ってか、石を投げ合ってたか、集団リンチしてたかなんかしてたはず。
そこまではいい。いい加減それから状況が変わって士分、郎党、伴類たちが突撃やら
ガチンコ勝負やりだしても、馬の口取りは馬の口取り、漕ぎ手は漕ぐのが仕事である事実
は変わらないだろう。たしかにそれは変わらないだろうが、馬の口とるもう片手で
敵の口取り殴ってたかもしれんし、海戦では船同士衝突させて刃物投げ合ってたかも知れん。
そういう事実まで書き残す必要は無かったろうしおそらく誰もしなかったろう。
当時知識があり、文章を書きそれを権門に提出することのできる位階を持ち、
後世に自分の言い分を書き残すことができる連中が軍事衝突当初遠戦をしていたとしても
それがなんらかの政治的アピールにつながる行為であったかもわからない。
つまり言わんとするところがそれだけの矢を持ち合わせるほどの財力を持っていたことを誇示
したかったのか、あるいはそれだけの敵陣への放火努力をわたしはしました、と自己弁護しているのか、とかいろいろ。
長文でツマラナイってのは最低だな。
当時の鉄砲は状況次第で無敵だったり、極端に使えなくなったりするもの。
例外的に最高の状態でも火薬カスの問題は当時は完全に解決されてないと思うが、それでも脅威的な戦力だったはず。
でも使えたり使えなかったり、長所と欠点が大きいからこそ、鉄砲があれば勝てるのではなく、重要度は刀鑓弓と同等であくまで単なる武器の一つと武将は考えていたんだろうって私自身思ってます。
>>506 ここでよく出るマスケットは時代も国も違うし、そもそも基本性能が段違いだから
仮定どころか比べちゃダメよ〜ん。それに"実戦"ではそんなに当たらないよ。
どんな正論も台無しになっちゃうよ。
510 :
日本@名無史さん:03/09/16 05:41
>>506 マスケットよりも'命中率'は遥かに高かったはず。
戦場での有効度はどうか知らないが、それだけは言えそう。
何しろその統計を取った時代の西欧では
歩兵は狙わずにただ敵の方に向けて撃ってたわけだから。
日本の鉄砲足軽は西洋の狙撃手と比べ、狙いは上手だが
動きは極めて鈍いと宣教師の報告にあったからな。
真田丸の戦いの時、彦根藩の侍の中に一人で十七発もの弾丸を受けながら、
無傷だった人がいたらしい。戦国末期にもなると当世具足もかなり強度が
あがって、鉄砲の威力はあまり無くなっていたのではないだろうか。
幕府の定めた軍役も、後の方になると鉄砲比率を下げ、かわりに槍の装備
率を上げているし。
512 :
日本@名無史さん:03/09/16 11:30
>>509 >ここでよく出るマスケットは時代も国も違うし、そもそも基本性能が段違いだから
>仮定どころか比べちゃダメよ〜ん。それに"実戦"ではそんなに当たらないよ。
>どんな正論も台無しになっちゃうよ。
W.ミュラーに文句言えw
それと有効弾率とは別の話だからな。
513 :
日本@名無史さん:03/09/16 11:46
>>511 >真田丸の戦いの時、彦根藩の侍の中に一人で十七発もの弾丸を受けながら、
>無傷だった人がいたらしい。
1.ものすごい遠距離で流れ弾を喰らっただけ
2.そりゃ嘘だ
3.奇跡だな
>戦国末期にもなると当世具足もかなり強度が
>あがって、鉄砲の威力はあまり無くなっていたのではないだろうか。
それは無い。「鉄砲の貫通しない鎧」の類はたくさんあるが、大抵は
火薬を減らすなどして貫通しないようにして実験してみせたものばかり。
>幕府の定めた軍役も、後の方になると鉄砲比率を下げ、かわりに槍の装備
>率を上げているし。
はい嘘。
戦闘要員に対する割合で計算。
慶長19年
五千石:騎馬7、鉄砲10、弓5、槍50、旗3(鉄砲13%、槍67%)
元和2年
一万石:馬上14、鉄砲20、弓10、槍50、旗3(鉄砲21%、槍52%)
寛永10年
一万石:馬上10、鉄砲20、弓10、槍30、旗2 (鉄砲28%、槍42%)
せこい母数だな
鉄砲が貫通できないほど具足の強度があがったら、具足武者相手にはますます刀槍が通じなくなって使われなくなるハズ。
自分に都合よく解釈する例の典型だな(笑)
その場合は「刀槍なら至近距離から隙間を狙えるが、鉄砲で遠距離では
そうもいくまい」と言いますから問題ありませんが何か?
鉄砲の出現によって当世具足が発達し、長刀や太刀などの旧来の武器が通らなく
なったので、札の隙間を通し易い槍や刀が普及した。と考えるべきでは。
518 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:25
>>515 戦国武将は
至近距離から鉄砲で貫通できない甲冑(ありえませんが)を着て
重さでフラフラよろけ、息も絶え絶えになりながら
相手の甲冑の隙間を狙ってお互い斬りつけていたのですか?
笑っちゃうほどのどかな合戦像ですね。
第一ナイフならともかく刀槍で鎧の隙間など狙えるものではありませんよ。
>>517 べきではありません。
発達時期が間違っています。
妄想もいい加減にしましょう。
時代に依って、武器も代わり、戦のやり方も変わってきております。
蒙古軍の来襲で其れまでの戦法が変わったように、鉄砲が入ってき
てから旧来の戦法も様変わりしたのです。それと立派な鎧なんか着
ているのはよほど名のある武将で指揮を取る様な人、足軽なんかま
ともな鎧なんか有りませんよ、これらを集中して鉄砲で倒していき
大将を裸にしてしまい、みんなで掛かって首を取る。その様な戦法
が信長の時代から出来ております。
鉄砲は数がなければちっとも役立たないものだから、
たくさんの鉄砲を持って行く戦場で、頼ってるようにみえるのは仕方がないのかもな。
521 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:52
だからさ、結論がどうあれ「戦場の実際」という記録に残りづらい現場を
断定するのはもう止めようぜ。
どっちにしても推測レベルにまでしか分からない訳で。
あまり机上で捏ねくり回しても、妄想につながるだけ。
522 :
日本@名無史さん:03/09/16 22:26
実際の刀での斬り合いは、スポーツチャンバラみたいにチョコチョコ動き回ってやっていたんだろうな
>522
決闘の記録では、最初に手傷を負わせたほうが負けることが多かったらしい。
相手は自分の傷をみて逆上し、なりふりかまわず攻め立てるから。
中途半端な浅い傷を与えても、実戦ではあまり効果はないどころか、
相手に覚悟を極めさせてしまう恐れアリ。
よって、実戦では大きく踏み込んで一気に斬る。あるいは突く。
これが、慣れた人のチャンバラではないかと。どうかな。
524 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:13
>>518 少なくとも介者剣術では大真面目に刀で鎧の隙間を狙うが・・・
甲の鉢金をぶっ叩いて脳震盪を起こさせるか、隙間を狙うかでなければ
刀で鎧武者を倒すことはできないからね。
だから介者剣術においては大真面目に刀で鎧の隙間を狙う訓練をする。
鑓なら体重を乗せて突くことで鎧を貫くことも可能だが。
あの〜、槍で突き合った、刀で斬り合った、みたいな記録は残ってないんでしょうか?
残ってません。
>>524 >鑓なら体重を乗せて突くことで鎧を貫くことも可能
それは不可能です。
「戦場では武芸など役に立たぬわ」 加藤清正(賤ヶ岳七本槍)
また、有名な清正の虎狩りは、実際は鉄砲で行われたという。
「とにかく、一つでも多く鉄砲を送ってくれ」朝鮮の役での浅野長政
朝鮮の役から関ヶ原の頃には、もはや鉄砲がなくては戦にならないという認識が一般化していた。
また、足軽ならともかく、れっきとした武将クラスの鎧の重さはとてもチョコマカと動けるようなものではない。
>>525 戦国時代の記録はそういった記述であふれています。
太田牛一のように信頼性の高い史料を残した者でさえ、合戦の描写は
「火花を散らし、鍔を割り」といった感じです。
ですが「軍記物特有の表現」「誇張された描写」などを差っ引くと
実態はどうなるのかというと、これがまた難しいのです。
>>526 知ったかぶりはカッコワルイなあw
>>528 装飾表現をされているであろう刀槍での戦闘シーンの描写(大量)をとるか、
鉄砲による負傷理由が挙げられてはいるが解釈に不安ありの軍忠状をとるか。
日本の合戦は遠戦志向のマターリ戦だというほうがイメージに合ってる気がするなぁ。
ヨーロッパとかの戦争だと、相手は異なる民族で、異なる言語をしゃべり、異なる文化を持ち、
異なる宗教を信じている、なんて状況だから、白兵戦での殺伐戦闘がイメージに合います。
それに、戦争に負けると捕まって殺されたり奴隷に売られたりする可能性があります。
また、故郷に攻め込まれて村が焼かれたり、女は犯され、子供がさらわれたりするかもしれません。
そういう状況で戦争しているヨーロッパの戦争では、そりゃあ個々の兵士は必死でしょう。
実際、戦場で包囲されて全員虐殺なんて殺伐な結果になるというのもよく見られますし、
第一回十字軍のようにイスラム教徒の市民がエルサレムで大虐殺されたりとか。
まあ、ヨーロッパでも傭兵戦が主流になった頃はマターリ戦というか八百長戦が主流に
なったみたいですが、絶対王政が確立して国民戦争となってからは、またもや殺伐戦に
なったみたいですし。
日本では、馬廻連中などは必死になって一番槍を目指したり、白兵戦を好んで行ったり
したでしょう。
でも、足軽連中なんかは、なるべくなら白兵戦はしたくない、遠戦で優位に立って、
一気に突っかけて、総崩れする相手側から脱落する負傷者の首でも刈るのが楽でいい、
遠戦で不利になったらさっさと逃げよう、なんてのが基本的な思考じゃなかったのかなぁ。
負けて逃げても、褒美はもらえないのは痛いけど、命がなくなるわけでもないし、
新しい領主様に仕えて再起を図ろう、ぐらいの考えが日本らしい。
531 :
(・∀・):03/09/17 18:37
日本だって略奪・奴隷・殺戮はあったはずだよ。下手に逃げれば落ち武者狩りがあるし♪
532 :
日本@名無史さん:03/09/17 20:36
>>530 一体日本の戦にどういうイメージを抱いているんだろ・・?
イメージ合戦しても意味はないが、遊び半分で聞いてくれ。
俺がイメージする大陸の戦とは、単調な地形のために、数が多い軍勢は
ワーっと攻めて、負けるほうはどんどん逃げてゆく。
地の利を生かした奇襲、夜襲のようなものは行われず、ひたすら大味に
攻め寄せてゆく。
攻めるときは極度に残酷、苦境に陥ると極度に弱気になり、同士討ち。
肉食動物系の行動。
で、なにより特徴的なのは戦の後にまっている虐殺ショー。
多分に中国の戦を思い浮かべております・・。
軍忠状、感状分析も眉唾になってきたなぁ・・・。
フト思ったんだけど、鉄砲とか弓矢には流弾があんだよな、鑓や刀にはねーじゃん。
鈴木眞哉の読んだ176点のうち、どれくらいが悪運の産物だったんだろ?
あと雑兵やペーペー侍の刺撃や斬撃を食らったのに、恥ずかしいからと戦傷を申告しなかった例がどれくらい見積もれるか、てのもあるな。
遠戦傾向が大筋では正しいにしても、バランスはまた変わってくると思うぜ。
まず遠戦ってのを頭に入れてから資料を見るのと、資料を見てから遠戦が導かれるのとは違うからな。
歴史においては、今までもこれからも、固定観念や考えを持って資料を見るのはイカンとは思うね。
>眉唾になってきた
議論以前にそう思っていたくせに、議論を通して妥当性が信じられなくなったような
書き方はやめましょう。
低級な印象操作ですね。
なぜ雑兵の刀疵は恥ずかしくて申告しないのでしょうか?
鉄砲疵、弓疵、石疵と比べて何が恥ずかしいのですか?
>遠戦傾向が大筋では正しいにしても
この時点であなたの発言には意味がありません。
>バランスはまた変わってくると思うぜ
何の根拠もない願望・妄想ですね。
537 :
日本@名無史さん:03/09/17 23:06
意地悪い見方をすれば、軍忠状とは遠くで傍観していたものが、
戦後に必死で戦での働きをアピールするためのものじゃないの?
だからこそ、ばれないように飛び道具の傷と言って水増ししてたりしてな。念のため冗談まじりだから(笑
戦場の功績とか軍忠状などが単なる自己申告だと思ってる奴が多そうだな。
540 :
日本@名無史さん:03/09/17 23:51
>539
よし!
次、お前語れ!
はじめ!
>>536
君も批判屋だな
でも自論、もしくは自身の解釈ぐらい示してくれよ、
文章にケチ付けられた私がいうのもナンだけどさ
>>539
功績が確かかどうか判定する為、検分役が負傷した武者を肌脱ぎにして傷を確認するという話は知ってるよ
見事に首を挙げたのならそれを実検に供するだろうし
手柄に報いるには褒美を呉れなくちゃならんだろうから、検査は思うよりも厳密だろうね
仏さんがどんな表情をしてるか、なんてのも重要だったと聞くし
542 :
日本@名無史さん:03/09/18 00:08
>>537、538、540
軍忠状は証人がいないと発給されません。空中戦の撃墜と同じ。自己申告だけでは発給されません。
もっと文書勉強してこいよ。厨房君。古文書読めるようになってから来い。
543 :
日本@名無史さん:03/09/18 00:15
>>542 冗談だって言ってたのに。まっ不正があるから不正防止って事だろw。
でも古文は多少読めても古文書は直ではなかなか読めんな・・・。筆字がなかなか読めんよ。キミ読める?
>>544 関係ない仕事付いたからだいぶ衰えたけど。一応。
>>542 同意します、証人が必要ですね。みんな素直に聞くことです。
昔戦をしたら、一ヶ月どのくらい費用が掛かるか?。
500人の軍勢だと?。知っている?。
548 :
日本@名無史さん:03/09/18 00:49
飯代+人件費+諸費用+報償費
>>545 左様ですか、なら私は厨房君並だと認めます(笑
うーん、習字でも始めるか・・・
550 :
日本@名無史さん:03/09/18 00:51
>>547 米6合・味噌2勺・塩1勺×500人×30日
大豆1升×馬の数×30日
その他たくさん。
戦闘すれば武具は消耗するし草鞋は擦り切れるし
褒美もやらねばならん。
今の金で、一人一ヶ月30万ぐらい掛かるらしいですよ。
斬馬刀って実際に使用されてたの?
戦国時代にはなかったよね?
>>518=
>>526=
>>536 か?
>>第一ナイフならともかく刀槍で鎧の隙間など狙えるものではありませんよ。
あのー 戦場では刀剣の類は、斬りつける事よりも、首、脇、股間等の甲冑の
隙間を刺す。もしくは打撃による攻撃ってのがスタンダードなのは激しく
ガイシュツなのですが。
>>>鑓なら体重を乗せて突くことで鎧を貫くことも可能
>>それは不可能です。
ぢゃあ喪前がやられてみろ。あっさり氏ねるから。
自分のほうが無知妄想癖のくせに文章が人を舐めまくった書き方だからムカツクな。
あなたこそ妄想もいい加減にしましょう。
554 :
日本@名無史さん:03/09/19 18:42
ろう城している側は、なにやっていたんだろうね。
腹減らないように毎日寝ていたとか?
555 :
日本@名無史さん:03/09/19 19:03
槍でのつつきあい これはゆくりゆっくり攻め合うんだよ
流儀があったくらいだからね
で、槍の前線の一角が崩れれば
そこからいきなり修羅場になるんだよ
もう滅茶苦茶ね。 崩れたところの敵がなだれ込んでくる。 騎馬隊 槍まっすぐ伸ばして突進してくるもの、3メートルもある大太刀を振り回す切り込みの大男
あとはそれぞれ思い思いの武器を手にした足軽たち。 味方同士で間違ってきりつけてしまったり、恨み買ってる奴は戦場でどさくさまみれで味方に串刺しにされたり 一人が脳天に渾身の一撃ぶちこむ もう一人がそいつの足首をなぎはらう 以下略
で、騎馬隊はとりあえず敵陣縦断して、あとは遊撃に役になるんだよ。 敵が押されて固まっていたり、前線突破できていないところに 葉っぱかけていくんだ。 そりゃ騎馬隊も命がけだよ
斬馬刀もった奴らがまぎれてるからね。 それに下から槍でつつかれる危険性がもの凄く大きい。 騎馬隊ってのは殺傷力よりも陣崩しに重点おいてんだ
そりゃそうだろ? 馬の上から刀できりつける? なわけねーだろ それは映画の世界だよ
馬に乗る奴は槍持ってんだ。 重たくて長い奴だ これは相手を狙うよりも振り回すためのもんだい そうだろ? 猛スピードで走ってる馬の上だぜ。
刀もね この時代の刃は堅くて太くて長いんだ でもってどちかってーと直刀にちかいんだ 斬るってよりも叩くためのもんだ
鎧の上からぶちのめして気絶させたり 腕まひさせたり 脚なぎはらったりね。
的に飛びつて地面におさえつけて鎧のすきまに懐刀ぶっさすんだ 脇とか 首とか 顔面とか 足首だとか 関節がおもに狙われるんだ
首かっきる暇なんてないよ 一人倒したらまた次がいる 味方がなぎ倒した敵にとびつくってのもありだ
だから武将なんて悲惨だぜ
敵が群がりつくんだ 八方からくりだされる捨て身の一撃。 文字道理串刺しのめったうちにあって死体は無残なもんだよ
武将の死体なんてね 首のなくなった素っ裸の体しかのこらないの。
価値あるものは全部奪われるからね
本人にとっては「自慢の釣り」といった所ではないだろうか。
558 :
日本@名無史さん:03/09/20 05:03
鈴木の軍忠状統計だけで200年間の戦をトータルに把握できると認識する
こと事体が幻想。
ヨーロッパにせよどこにせよ、白兵戦での死傷者過大な戦いが起きるのは稀。
一般性を日本の特殊性にすりかえてイデオロギー的な結論を得ようとする
詐術にしか見えない。
559 :
日本@名無史さん:03/09/20 05:20
>ヨーロッパにせよどこにせよ、白兵戦での死傷者過大な戦いが起きるのは稀。
なぜ稀なの?
>ヨーロッパにせよどこにせよ、白兵戦での死傷者過大な戦いが起きるのは稀。
白兵戦が一番死傷者が多いのよ、経験ないの。
561 :
日本@名無史さん:03/09/20 12:15
>>560 経験ないの、とか言われても今の日本で白兵戦の実戦経験があるのは、角棒持って機動
隊と一戦交えた団塊世代の連中とか、暴走族とかくらいじゃないの?
経験ないヤシの方が、圧倒的に多いと思われ。(w
562 :
日本@名無史さん:03/09/20 13:21
確か第一次大戦では塹壕相手に突撃やらかしてすごいことになってたが・・・
中世ヨーロッパで騎士たちがやってた「白兵戦」が、殺すためというよりも
捕らえて身代金を取るためにやってたものであったために死者がやたらと
少ないというのは既出の話だな。
563 :
日本@名無史さん:03/09/20 17:26
>562
長篠の武田も似たようなもんでしょうが・・。
織田と徳川の野戦陣地に突撃して。
塹壕戦というのは、幾重もの塹壕を築いて相互の連絡・支援を可能とする
が故に、事前の制圧射撃を入念に行えば行うほど、それは攻撃箇所を
相手に教え、その間に相手が迎撃態勢を固めてしまうだけとなってしまう
ので、むしろ制圧射撃などせずにいきなり突撃を開始した方が、
損害こそ大きくなるが、勝算はむしろ高くなるという第一次大戦の頃特有の
事情によるものなのであって、長篠と同一視するのは無理であるな。
基本的に国民国家と徴兵制の両方があって始めてこのような突撃が
可能となるのであって、戦国時代では有り得ないことでもあるな。
566 :
日本@名無史さん:03/09/24 01:08
この間の武蔵のラストを見ていてふと思ったんだが、武蔵を襲った香具師ども、水戸黄門や暴れん坊将軍みたいに
一人ずつ順番にかかっていったけど、実際にこんな場面あったら一斉に斬りかかった方が武蔵を切れる可能性が高
いのはずぶの素人でも判るわけで、戦でも強そうな奴は数人に囲まれてナマス切りにされていたんだろうね。
武士と従者の組み合わせでグループ行動が基本ですから。
目立つ奴が単独で動けばナマス斬りにされるでしょうね。
遠戦や白兵戦はとりあえずおいとくとして、
当時の命令系統は一体どうなっていたのかな?
結局血族ごとにバラバラに戦っていたのか、
弓や槍ごとに再編成がなされたのか、
その場合、どういう基準で隊を作ったんだろう?
いきなり戦場で編成したところでうまく動けるわけないし。
このスレに乗ってた寛永10年の軍役では
馬上10、鉄砲20、弓10、槍30、旗2とのことだが
馬上の武士が全て指揮者として、一人当たり6人を率いたことになるのか?
どうやって命令するんだろう?
後ろから怒鳴るのか?前に立ってアレを攻撃しろと指差すのか?
指揮する武士にはどこから命令が届くんだ?
全然分からん。まとまらん。
569 :
日本@名無史さん:03/09/24 19:48
上げ忘れた
進め、と言えば進み、退け、と言えば退くような、全軍が機械のように動く軍隊は
戦国時代には実現できなかったのは確かだろうな。
「全軍が機械のように動く軍隊」を実現するためには
どういう工夫が必要になるんだろう?
軍オタか自衛官の方、解説キボン。
>>571 必要なのは
集団としての指揮系統の一本化
一定期間、兵士に専門に行われる訓練。
共通ドクトリンを持った指揮組織の確立
各指揮官同士を結合する命令伝達システム及びその逆のルートになる情報収集のシステム
戦国時代に難しかったのは特に上二つ
いやー、下二つも全然無理でしょ。
ところで、機械のようには動けなかった戦国の軍隊は弱かったと考えるべきか、
あるいはそれでも強かったと考えるべきか。
後者だとするなら、何かそれを補う裏の構造があったはずだが
それはどういうものだったろうか。
比べる相手によるだろ。
575 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:31
信長は突然自ら行動するんで、部下はそれについて行くだけで大変だった
謙信は出陣前、将兵を広場に集め、適当に線引きして部隊割りを決める
なんて話があるけどホントかな?
命令系統も何もあったモンじゃない感じだけど
>>574 ニホンゴ ワカリマスカ?
強い弱いが主題じゃないんですけど。
>>575 『部隊割り』がどういうものだったのか。
部隊の編成や組換えまで適当に決めていたわけじゃなくて
戦術的なユニットをどういう順に配置するか決めていたということなら
命令系統にはそれほど影響しないでしょう。
信長の出陣話は強調されすぎでしょ。
具足と槍と手弁当で戦争できるわけじゃないんだから。
荷駄や人夫の手配をしっかりしなければ、戦争なんてできるわけない。
まあ、当時の軍隊では、細かく命令しなくとも
戦争ができるような暗黙的なシステムが発達していたのは確かだと思う。
577 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:55
10万以上の軍隊で海を渡って外国で戦って首都に入場して帰ってきたんだから
かなりの統率はあったんじゃないの?
入城
『統率』?
まあ言いたいことはわかるし、その通りだと思う。
戦国の軍隊には、現代の組織理論には当て嵌まらない、フォーマルな形を持たない
以心伝心的な組織システムが高度に発達していたのは間違いないと思う。
ただ、現代には日本の戦国時代のような軍隊が存在しないし、
軍隊以外でも、これに類するものは見当たらない。
資料も全くない。
だから、彼らがどのように組織として動いていたか、それを機能させる要素が何だったのか
全然分からないのが悩みだよ。
結局そういうシステムの存在すら推測の域を出ないのさ。
>>580 う〜ん、悪いけど君と話しても何も実りが無いんだよね。
ごめんね。
573 :568 :03/09/24 21:16
いやー、下二つも全然無理でしょ。
ところで、機械のようには動けなかった戦国の軍隊は弱かったと考えるべきか、
あるいはそれでも強かったと考えるべきか。
後者だとするなら、何かそれを補う裏の構造があったはずだが
それはどういうものだったろうか。
574 :日本@名無史さん :03/09/25 00:27
比べる相手によるだろ。
自分で振っておいてその対応か。
583 :
日本@名無史さん:03/09/25 03:42
>ただ、現代には日本の戦国時代のような軍隊が存在しないし、
>軍隊以外でも、これに類するものは見当たらない。
>資料も全くない。
>だから、彼らがどのように組織として動いていたか、それを機能させる要素が何だったのか
>全然分からないのが悩みだよ。
>結局そういうシステムの存在すら推測の域を出ないのさ。
軍役なり着到状なりの存在を知っていて、
封建制の何たるかも知っていて、
江戸時代には一応軍学にまとめられていて、
史料が何も無いとは無知そのものだなw
>>574=580=582=583かな。
悪いが、私がクズで無知だから自分の親切なレスを仇で返したと考える前に
自分の論理力や大意を読み取る力を鍛えてくれ。
>>574のレスは
>>573の問いに対しては全く不適当だったんだ。
>>579でも書いたように、一見無秩序に見える戦国の軍隊を成り立たせた
裏の構造・システムは一体何だったのかということが私の疑問で、
573でもそれについて問うているわけだ。
で、君の「比べる相手によるだろ」というレスは、私の問いに答えていない上、
論理的には「比べる相手により裏の構造が変化したり消えたりする」という意味になってしまうね。
そんなことはありえない。
君にとっては戦国軍が他の軍隊と比べ、どのレベルの強さを持っていたかについて、
非常に関心があるのかもしれないが
私には興味はないし、
>>1の趣旨ともずれている。
よって君の
>>574のレスには意味がない。
言い忘れたが、私は某大学院で組織理論について研究しています。
機能的組織というものについて説明しておくと
組織にはフォーマルな構造(社長→部長→課長→ヒラ)と
インフォーマルな構造(派閥や喫煙者同士のネットワークなど)が存在し、
前者は資料にも残るし、見りゃ分かるが、
後者は資料に残らず、部外者には分かりにくい。
けど往々にしてクリティカルなのは後者の方だったりする。
戦国時代はあの脆弱なフォーマルシステムで戦争を行っていたんだから
それを補う形でインフォーマルなシステムが非常に発達していたはずなんだ。
(論理的には、ね。)
ただし、その実態は全く分からない。
>>583の例はフォーマルシステムそのものでしょ?
で、もしこれ以上言いたいことがあるなら
>>583で挙げたものから
戦国のインフォーマルなシステムに関して一体何が言えるのか、ぜひ聞かせてくれ。
拝聴しますから。
面と向かって話してるわけじゃないので大意を読み取るがどうのといっても無駄ですよ。
揚げ足とりにあうだけで。そして大学院云々も蛇足。反感を煽るだけで。と思うよ。
頭のおかしい人がいまつ!!
>>568 自分の中で疑問点でもないことを疑問文で書くような文章力で研究者とは笑わせる
589 :
日本@名無史さん:03/09/25 16:57
学歴持ち出す奴は馬鹿・阿呆・白痴の類というのが定説だしなw
>>585 >戦国時代はあの脆弱なフォーマルシステムで戦争を行っていたんだから
>それを補う形でインフォーマルなシステムが非常に発達していたはずなんだ。
>(論理的には、ね。)
>ただし、その実態は全く分からない。
>
>>583の例はフォーマルシステムそのものでしょ?
君が如何に無知かは良く分かった。
とりあえず江戸期の軍学書を片っ端から読んでからレスしろ。
隊列の組み方・役割・指揮・伝令、一通り解説されている。
それらを頭に叩きこみ、その上で着到状が必要な時代というものを
リアルに想像したまえ。自ずから見えてくるものがあるだろう。
フォーマルだインフォーマルだ言ってないでなw
590 :
日本@名無史さん:03/09/25 17:14
ほんとに第三者でござる。
戦国時代の軍隊に類する組織ありますよ。
そもそも、どこからが軍隊やね?
農奴兵の寄せ集めでも軍隊だし騎士の集団も傭兵部隊も
国民国家の近代的な軍も、全部軍隊でしょ。
アホの定義に踊らされてるだけだと思う。
えっと 通りすがりですが、
574さんはたぶん573の
>ところで、機械のようには動けなかった戦国の軍隊は弱かったと考えるべきか、
>あるいはそれでも強かったと考えるべきか。
が本筋とみてレスしたんだと思うのですが。
573さんはその後の
>後者だとするなら、何かそれを補う裏の構造があったはずだが
>それはどういうものだったろうか。
が本筋のつもりだったんでしょうけど。
保守
595 :
日本@名無史さん:03/10/06 21:33
ageだ。
おまいらもっと語れ。
sage
597 :
日本@名無史さん:03/10/09 08:38
話が止まったので
難攻不落の天空の城ラピュタの城攻めの戦略を教えて、とageついでに言ってみる
関ヶ原の戦いが一番解りやすいのと違う?。
一人裏切ったら、総崩れになるなんてチト情けない。
600 :
日本@名無史さん:03/10/09 14:02
ばーか!
>>600 GET オメデトウ
島津だけ、最後まで踏みとどまったぞ!!、バ〜カ
602 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:44
関ヶ原は・・・あれだけの規模の合戦でありながら、
内容はあまり面白くないな
それにしても千成瓢箪の馬印立てるだけで、
時代は変わったのにな〜
三成が馬鹿だつた。軍人に任して居れば勝っていた戦なのに。
604 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:48
↑スレ違い。正直すまん
605 :
日本@名無史さん:03/10/09 22:02
ああ、まるでウンコモミも実だな。
>>603 関ヶ原には詳しくないけど、戦端が開いた時点では、戦術レベルで必勝態勢を
築いていたのだから、軍人に任していれば、というのは?です。
小早川に裏切られたという戦略レベルの問題で負けたのではないかと。
というか、山すそに扇形に待ちかまえているところにまっすぐ突っ込むなんて、
よく家康もあんなヤバイ橋を渡ったものだと思う。
小早川吉川が動かないのが前提の突撃じゃないの?
608 :
日本@名無史さん:03/10/11 02:12
毛利・吉川・小早川・黒田といった連中が動かなければ
包囲されていることは何の問題にもならない。
610 :
日本@名無史さん:03/10/11 03:05
どれかに動かれるようなら、家康もそこまでの男だったということだ。
611 :
日本@名無史さん:03/10/12 07:32
>610
結果論だな。つまらん
密約全部反故にされて四方から攻められても
それでも勝てるような兵力で望んでしまったら
三成が出てこないだろw
613 :
日本@名無史さん:03/10/12 10:56
関ヶ原の布陣を見れば
素人でも西軍の勝ちと思うよ。
野戦に老練な家康がなぜあのような愚劣な突撃体制をとったのだろうね。
桃配山に着陣するというのも戦術的メリットはあまり見いだせない。
寝返り組をあくまで信用するという意思表示かね。
614 :
日本@名無史さん:03/10/12 18:57
狸だからいざって時は逃げただろ。
615 :
日本@名無史さん:03/10/12 18:59
計算尺
俺は舎密の計算に使っているよ。
皆は何に使っているの?
616 :
日本@名無史さん:03/10/12 19:01
電卓
617 :
日本@名無史さん:03/10/12 21:17
>614
逃げるにしても秀忠軍に合流出来たかどうか?
遠征だし、敗軍の辛さは身に染みてるはず
618 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:57
やはり、日和見・寝返りの約束があったからでしょう。
家康ほどの狸が、簡単に約束を信用するはずがないが、
そこで尻込みしてる程度の人間だったら、天下なぞ取れるはずがない。
清洲での篭城より野戦を選んで運命を切り開いた信長の心境にも似たり。
刻々と変わる戦況に従ってテキトーにやればいいや、という布陣?
>>613 つうか、「素人でも」ではなく「素人だから」だな
布陣している軍勢を総大将が手足のように動かせるような想定をするから
布陣だけで西軍が圧倒的有利だと考える。
目の前の敵を攻撃させるぐらいしか指揮が取れない時代に愚劣な突撃態勢といってもナンセンス
621 :
日本@名無史さん:03/10/13 08:57
プ ばかだな
目の前の敵を攻撃させるぐらいしかできないのなら
なおさら西軍有利だろうが。
レンズのように動線が東軍に集約されてる。
ちゃんと動けば、の話だがね。
東軍にしてみればまともにやるなら放射状に攻めないかん。
ベイクドケーキの真ん中をつっきって向こうの縁にどんどん突撃する、
これを図上戦術的に愚劣と言わずなんと言うのだ
>>621 関ヶ原方面に放射上に野戦築城してある西軍を東軍はどうやってさらに放射状に攻めるというのだろう。
吉川広家との中立の内役のある南宮山を率先して攻めて敵側に追いやるのが得策か?
情報が人の歩く速さでしか伝わらなかった時代(馬、船、狼煙、鳩等を除く)、
西軍方は秀忠軍が間に合わないと確信出来なかったから家康の陣を攻められなかったとか。
でも家康の配陣は不可解。
ナポレオンがやるのなら分からぬでもないんだが。
>623
馬は使わないの?
走っちゃいけないの?
>>624
「日本固有種の馬はあまり速く走れない」というツッコミをかわす為ス。
馬の機動性を考慮しないわけは無い。
でも駅伝制度がしっかりしてなくちゃ、やっぱ長距離通信は難しいんだろう、とも思う。
>623
攻めるつもりなら、物見を出すだろうなぁ。
んで、単独行動の物見の方が移動が速いだろうから
ある程度の位置は把握できる。
627 :
日本@名無史さん:03/10/18 15:44
追撃戦だからなあ、関ケ原は。
来たもんから、順に布陣したんだよ。東軍は
628 :
日本@名無史さん:03/10/18 23:38
>>625 サラブレッドみたいな速さで走る馬は、まだ世界のどこにもおらんのでは?
和種の馬も近代の馬と比べると見劣りするが、その馬で日清日露を戦い
抜いたぐらいで、伝令に使えないということはもちろん無いぞ・・・
あと戦国時代、伝馬制度は北条や武田など、政治に力を入れたとこなら
大抵整備してるな。
まあ昔の日本人にはぶっ飛んだ奴もごろごろいて、一日に30〜40里
ぐらい走る奴だとかいたらしいけどな。
629 :
日本@名無史さん:03/10/22 06:22
age
630 :
日本@名無史さん:03/11/05 23:44
631 :
日本@名無史さん:03/11/11 05:06
日本刀とかチビ馬の話もういいから兵站のこと教えてよ。
足軽と侍じゃあ配給量違ったの? 料理当番兵いたの?
近所の農家のおばちゃんいくらぐらいで買えたの?
テントとか持ってたの? トイレは? 休暇は?
632 :
日本@名無史さん:03/11/16 19:34
age
633 :
日本@名無史さん:03/11/17 00:25
634 :
日本@名無史さん :03/11/17 00:45
棒火矢の運用方法について教えてください
てか使い道あったんですか?
大塩の乱で大阪を燃やしたぐらいかな。
撹乱ぐらいには使えただろうけど命中精度がなあ。
舟戦で焼き討ち用ぐらいは考えられんでもないかも。
雑兵物語によれば敵が糞を沈めてあって飲むと病気になるから
敵領では井戸水は飲むな、ぐらいの衛生知識はあったらしいので、
穴を掘っただけの簡易厠ぐらいは作ったんじゃないか?
636 :
日本@名無史さん:03/11/17 10:29
>>635 いつからある知恵かしらんが、穴を掘って杉の歯を入れとくと
消臭効果抜群だな。
637 :
日本@名無史さん:03/11/19 01:43
夜な夜な、足軽は出かけていって・・・
639 :
日本@名無史さん:03/11/30 09:34
五寸釘でわら人形を・・・・・・
640 :
日本@名無史さん:03/11/30 22:18
>まあ昔の日本人にはぶっ飛んだ奴もごろごろいて、一日に30〜40里
> ぐらい走る奴だとかいたらしいけどな。
マジかよ?
qならわかるけど…
642 :
日本@名無史さん:03/12/01 05:34
人力車引いて東京から日光まで半日で行ける奴がいるんだから
(これで30里ぐらい)ましてや走るだけなら余裕だろう。
643 :
日本@名無史さん:03/12/01 10:06
人力車は、乗ってる方も重労働。
644 :
日本@名無史さん:03/12/01 10:53
日本人の持久力はすごい。玄米ばっかり食っていたからか、それとも残業精神か。地味だけど戦で重要ですな
645 :
日本@名無史さん:03/12/15 16:35
age
646 :
日本@名無史さん:03/12/15 23:07
648 :
日本@名無史さん:03/12/30 17:30
暴力
649 :
日本@名無史さん:03/12/30 18:26
ヤアヤア我こそは!
650 :
日本@名無史さん:04/01/01 18:07
目にもみよ音にも聞け
清和天皇が
652 :
日本@名無史さん:04/01/02 18:31
刀に意味がないのなら、なぜみんな刀を差して戦場に行くのか?
護身用。
気持ちの問題
655 :
日本@名無史さん:04/01/02 19:34
カッコいいから。
違うな。気持ちいイイから。
馬鹿だなあ。室内で振り回すのに必要なんだよ、刀は。
馬鹿だなあ。つまり日本刀ってのは
狭い室内で馬上から振り下ろすように発達したんだよ。
分かる?
659 :
日本@名無史さん:04/01/02 22:03
661 :
日本@名無史さん:04/01/02 23:15
刀を腰にして槍も弓も鉄砲も使えるが、逆は無理。
また、戦というものは実は戦闘以外の時間のほうが長い。
いま聖徳太子見ているのだが、鎧兜が鉄っぽい。
どういった理由で源平時代は札鎧になったんでしょ?
流行。いやマジで。
664 :
日本@名無史さん:04/01/02 23:35
戦闘は機動を駆使したほうが勝つ。
>>664 がいいこと言った。つまり騎兵戦術の流行に合わせて
大鎧などが発達した。
666 :
日本@名無史さん:04/01/03 00:24
>>662 ただの薄い鉄板一枚では、普通に弓矢で貫通されるよ。
だがクッション製を持つ構造にすれば、貫通されにくくなる。
667 :
日本@名無史さん:04/01/03 09:00
大鎧は当時の一つの完成形だったんですな。
かっこいい!
重い
大鎧の重量を馬に押し付けていたので無問題。
馬がかわいそう。たまには馬を人間が乗せてあげるべき。
671 :
日本@名無史さん:04/01/03 14:24
畠山重忠ですな。
672 :
日本@名無史さん:04/01/03 14:50
673 :
日本@名無史さん:04/01/03 17:32
>>672 平家物語には馬を担いでヒヨドリ超えしたツワモノが・・・
250キロぐらいだから足腰が強ければあるいは。
中国のような「戦車」は無かったのかな?
>>673 馬を担いで逆落とし?
鹿が降りられるものなら馬でも出来ると葛藤した
義経の立場がない。
676 :
日本@名無史さん:04/01/03 19:29
>>660 刀の使い方が、護身用だって?
違うよ。調達のときに使うんだよ。
女をね。
677 :
日本@名無史さん:04/01/03 19:45
馬具の重量も考慮しなければならない。
騎乗者の体重に甲冑、弓矢、太刀、馬具を
加えると軽く100キロを超える重量になる。
当時の在来馬の体重は300キロ未満と推測されているから
馬はとてもしんどかったであろう。まさに暗黒時代。
こんな状態で長時間疾走するのは無理な注文で
実際の戦場では、馬を停止させた状態から射撃することも
しばしばあったそうな。
蝦夷・俘囚や健児・群党がルーツの機動性に富んだ騎兵も
大鎧の発達や弓の進化によってその存在価値を低下させた。
このことは、進化による退化の皮肉として、最新技術を追い求める
現代の我々に、様々なことを訴えているのではないだろうか。
最初は裸同然の兵が乗ってたんだろうな。軽量の革鎧とか着てたかも。
678 :
日本@名無史さん:04/01/03 20:36
679 :
日本@名無史さん:04/01/03 21:01
>>678 おれは女を略奪する時の屋内戦闘のことかと
思ったよ。
680 :
日本@名無史さん:04/01/03 23:44
>>674 山道、こと下り坂で不便そうだ・・・
戦国時代でも、大砲を運ぶのに、人力で担いだり、さらに大きいものは
ソリに乗せて人力で引っ張ったりだったようだし。
そうだね。日本の地形も理由の一つだろうね。
西国は海と山が近くて「戦車」が活躍できないだろうし
東国じゃ騎馬戦術が主流だからね。出番なしってカンジか?
扱いも難しいだろうし。あれってメリットあるのか疑問だよね。
682 :
日本@名無史さん:04/01/04 00:18
山野で機動を確保できない兵器は日本では役立たず。
>>681 中国の戦車は「馬に乗って戦う」が導入されて消えたんじゃないかな?
そんなに馬にのりたくなかったのだろうか
維持費がかかりそう
685 :
日本@名無史さん:04/01/04 04:09
>>683 春秋戦国の頃には騎兵も戦車兵も両方いたんだが・・・
しかも戦車は騎兵10騎に相当するとされていた。
>しかも戦車は騎兵10騎に相当するとされていた。
これは単純に10倍の強さっていう意味じゃなくて
騎兵より戦車の方が強いって意味だね。
習練度などの問題で上手く起用出来なくなったのか?
日本と関係ないな
687 :
日本@名無史さん:04/01/04 08:11
アフリカの奥地の部族の戦い方を参考にしろ
古代中国の戦車、基本は2頭立てで御者一人戦闘要員一人とかで、
戈ですれ違いざまに斬ったり引っ掛けて叩き落すような戦い方だった、
って言う認識でOK?
だとすれば騎乗、戟をもった騎兵の突撃なんかよりは
リーチや突撃力では勝っていたかも。小回り効かないし製作面倒っぽいけど。
騎兵というより、「騎射」が本格的にできる組織が出てくるとまずいかも。
日本の場合は戦国も後期になるまでいわゆる会戦が
地形や動員兵力、城壁都市の有無などの関係で起きにくかったこと
も戦車が使われなかった理由かも。そもそも馬車ですら普及してないし。
そういえば北条流の軍学書に鶴翼魚鱗等の陣形も本朝の実勢にそぐわない、
みたいな事が書いてあったような。ゲリラ戦と奇襲の国なんだなあ。
日本の戦で、戦車があったらそこに乗り込むのは
指揮官クラスの身分の高い人が乗り込みそうだな。目立ちたがり屋の。
そんでもって名乗り上げて、敵の雑兵に囲まれて、御者は逃走。指揮官あぼーん。
アリのように群がってくる雑兵の姿が目に浮かぶ。
日本の戦は首とってなんぼだから格好の標的になるだろうな。
こりゃやってられん、って感じかな。タダでさえ狙われやすい上級者が
そんなデカくて目立つもんに乗ったら地獄直行だと思われ。
細いガタガタの山道を戦車で疾走したら戦車から投げ出されて
即アボーン
2000年も前に本場士那ですら消滅した兵科を最強と思ってる厨の跋扈するスレはここですか?
>>692 欠陥があったから消滅したんだろ。
だれも最強だなんて言ってないけれどな。
夕方から酔っ払ってんなよw
694 :
日本@名無史さん:04/01/04 23:35
>>688 小回りの利かない戦車でそんな戦いできるのかな・・・そもそも。
アームウェポン持っても正面は攻撃できないし、
側面に回りこむのも難しそうだし。
騎兵も戦車も衝撃力を以って敵を追い散らすという用兵だと思う。
その点でデカくて重い戦車がただの騎兵よりも上なんだと。
その分、迎撃態勢を整えられた時の悲惨さも上だと。
小回りが利かないからね。
何故、弩が日本に定着しなかったも考えてみてくだせぇ
696 :
日本@名無史さん:04/01/05 20:05
日本の戦国時代は、結局、歩兵部隊だけだった。
船の上で馬に乗るのがベスト
698 :
日本@名無史さん:04/01/06 00:14
馬に乗っての一騎打ちなんてほんとうにあったのか ?
あぼーん
700 :
日本@名無史さん:04/01/06 00:39
>>698 あったか無かったかと言われれば、事例としては「あった」が、
間違ってもそれが戦の中心ということは無かった。
結局、敵味方入り乱れてウダウダになるのが日本の戦。
それほどいいもんじゃない。
702 :
日本@名無史さん:04/01/10 19:39
ははは 首取りじゃ ははは
703 :
日本@名無史さん:04/01/11 13:24
やはり、今も昔も日本の合戦の中心は日本刀。
だれぞ槍をもて! わし自ら703に槍をつけてくれるわ!!
>>703 あんたとんでもない認識不足ですよ。日本の合戦の中心に
日本刀がなったことなんぞ一度もありませんよ。小牧長久手
の戦いで勇者で有名だった武将が、槍を折られて日本刀だけ
になった時、他の武将に槍を貸してくれるように懇願しまく
り断られたので、取りあえずその場を逃げ出したという話し
がある位です。日本の合戦の中心は古来飛び道具。日本刀は
現在の戦争における携帯用のピストルのような存在で、あく
まで補助的かつ奇襲などの際のとっさにつかう武器にすぎま
せん。
706 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:09
>>705 日本刀が中心かどうかはともかく、それは鈴木眞哉氏の説ですよね。
他のスレでも出ていましたが、氏の説はどこまで信頼できるのですかね?
>>706 は
>日本の合戦の中心は古来飛び道具
に対してです。
日本に限らずどの国でも合戦の主力は飛び道具だと思うのだが。
遠戦思考といいますか、こっちの被害を抑え相手に被害を出そうと思ったら飛び道具が主力になるのは必然かと。
刀より槍、槍より弓、弓より鉄砲、鉄砲より大砲・・・・・・・・よりICBM、みたいな感じで。
709 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:33
>>708 その飛び道具がどこまで当てになるのかな?
現代の小銃ならばまだしも。
>>709 合理的に戦闘を考えた場合、708氏の言った通りに、味方の被害を
最小限にして、相手により多くの打撃を与えるということを目指す
ことになる。そう考えると、刀槍より弓矢鉄砲の方が遥かに当てに
なるでしょ。刀や槍なんてものではそんなに大勢の人間に打撃を
与えることはできないし、接近戦ではどうしても味方の損傷を免れる
ことはできない。その点飛び道具は下手な鉄砲数打てば何とやらで、
地勢や人数に優れば、多少腕が劣っても確実に相手に打撃を与えられ
、かつ味方の損傷も少なくて済む。
711 :
日本@名無史さん:04/01/11 15:47
>>710 それって、ボクシングでワンツーパンチがあればクリンチなしで勝てる、というのと
同じくらいに机上の空論だな。
>>711 机上の空論はそっちだろ。なにも刀や槍の戦闘がない
なんて話をしているのではなく、どっちが主戦かとい
う話をしているんだ。ボクシングでクリンチが主流に
なっているか?それにボクシングでクリンチはレフリー
が分けに入るが、実戦の場合、クリンチをしなければな
らないような場面で、なおかつ先の展望が見えない場合
は逃亡という手段があるんだよ。そう考えると、接近戦
などは、主戦には成り得ないだろ。
>>711 たとえとして全然間違ってるっしょ。
遠戦を志向する、というのであって接近戦はやりません、てわけじゃないんだから。
>>712 >>713 すごいレスポンスだ。
俺も別に遠戦がないと言っているわけじゃないが、
当時の飛び道具しかも日本の環境で、どこまで遠戦指向に徹することが
できるのか疑問だ。
>>714 どう疑問なの?ちなみに、武士の心得はその登場期の平安時代から
弓矢の扱いが中心で、剣術が盛んになったのは、実戦から遠ざかっ
た江戸時代以降だが。
716 :
日本@名無史さん:04/01/11 16:25
>>715 南北朝の頃には足軽雑兵による接近戦が盛んになったはずだが。
槍だろうと刀だろうと、きちんと体系付けられたのは多くは戦国末期以降。
剣術の場合は竹刀防具が広まった後に特に流行。
それと剣術の話はややこしくなるのでこの際どうでもいいかと。
>>716 足軽雑兵の役割の増大と接近戦の増大とはイコールでは
ないのでは?集団戦思考が高まったからと言って、即ち
接近戦の比率の高まりではないでしょ。軍事的合理性か
ら見て、接近戦の優位さが認めれれない以上主戦にはな
らないと思うよ。
かのモンゴル軍でさえ重騎兵の突撃でトドメをさしたのだから、
平原のほとんどない日本で接近戦が軽視されるのはおかしい。
>>718 かのモンゴルは、その前に散々軽騎兵を用いた弓矢などの攻撃を
機動的に行ない、その戦闘の機能的合理性が、モンゴル軍の強さ
の秘密ですが。あんたの論法だと、モンゴル軍は重騎兵突撃が主流
の軍団だということになりますが、モンゴル軍の特徴はあくまで、
軽騎兵の機動的遠戦攻撃にあるはずですよ。
それに、平原のほとんどない日本だからこそ、接近戦より、遠戦が
重視されておかしくないでしょ。接近戦だと、大軍の方が有利です
が、数が少ない方が大軍を奇襲するには、山や谷などの入り組んだ
地形を利用して、隙を見て、弓矢を打ちやすく逆に射かけられ難い
場所から飛び道具で攻撃するのが最も有効な戦い方でしょ。
籠城戦などではまさに飛び道具が一番有効だし。
軍忠状の統計から飛び道具による死傷が大半というのは一応首肯できるけど、
銃弾・矢・石・礫による死傷率が高いのは、双方が遠戦による合理的な戦い方
をしていたからじゃなくて、飛び道具の射程に無謀に飛び込むマヌケな戦闘員
が多いせいじゃないかとも考えられる。
逆説的だが、遠戦が有効であるのは、相手が接近戦を志向してくれている場合。
双方が遠戦を志向すれば互いに相手の射程に入ってしまうのだから、どちらも
安全ではなくなる。
別に軍事的合理性とやらでは接近戦は否定できないと思うけどね。
スウェーデン軍はカール11世の時火力全盛の中縦隊突撃を主とする改革をして
それがナルヴァでの8000で4万のロシア軍を打ち破ることになるわけだし。
壊乱させればその後の被害は多くないでしょ。
遠戦志向とやらの主因は弓矢の威力に対し効果的な突撃をするほどには
士気や規律が一般兵にはなかったんじゃないの。
それが出来るくらいになるほどの規模になると鉄砲が出回るし。
一向宗とかはどうなんだろうね。
>>721 あなたの言う通りだと思うよ。軍事的合理性というのは、その環境
ごとに違うのだから、軍隊の規律が十分に確立していなかった戦国期
後期までは、接近戦のように自らの損害を覚悟するような戦闘は合理的
ではなかったということでしょう。なにせ、各種記録を見ればわかるけど、
日本の雑兵というのは危険になるとすぐに逃げちゃう兵隊だし、そもそも、
農村から徴集された兵隊が多くて、高度な訓練が必要と思われる密集突撃
などの能力はないのが普通。それに、農村からの徴集兵の戦死者に対して、
領主は保障しなければならなかったから、兵の損害を少なくするような
作戦をまず考えるのが普通。そうすると、接近戦などがまっ先に選択肢
になる確率は高いはずがなく、それは、即ち接近戦が主流にはならない
ということになる。
飛び込んでしまえば、飛び道具は役に立たないでしょ。現代の飛び道具とは性能が違うんだから。
危険を覚悟で突出するかどうか、この機を見るのが難しい。
>それに、平原のほとんどない日本だからこそ、接近戦より、遠戦が
>重視されておかしくないでしょ。接近戦だと、大軍の方が有利です
>が、数が少ない方が大軍を奇襲するには、山や谷などの入り組んだ
>地形を利用して、隙を見て、弓矢を打ちやすく逆に射かけられ難い
>場所から飛び道具で攻撃するのが最も有効な戦い方でしょ。
平原のほうが数的優位を生かせるはず。
それと奇襲するなら地形を生かして突撃じゃないの?じゃないと敵を混乱させることができない。
あなたが言っているのは『奇襲』というより『待ち伏せ』という言葉のほうが
ふさわしいかと。
>>723 飛び込む飛び込むって簡単に言うけど、鉄砲はさておき、
弓の威力ってのは半端じゃないんだよ。ろくに鎧もつけて
いない雑兵なんてのは一発当たるだけで簡単に即死か戦力外
になるよ。そんなのが雨霰と降り注ぐ中で簡単に無傷で飛び込
めるとでも思ってんの?
軍勢の過半を占める飛び道具を持たない人たちは何してたんですか?
案山子代わり?
>>724 そんなに上手くいくのなら刀槍は全く不要だな。
>>722 むしろ接近戦の方が打ち合うよりも被害は少なくなる可能性があると思うし、
それに違う文化の敵が出てきたらもっと接近戦してたかもと思う。
だから、一向宗とかはどうだったのかなと思ってさ。
武士は弓が誉れなんでしょ。彼らは訓練された一級の兵科なわけで。
槍とか持つ雑兵は武士をいかすための盾になるわけだ。追撃も重要だけど。
そういう文化みたいなものがあったんじゃないの。
もし苛烈な意思と才能がある主がいれば突撃も大いに推奨されたかもしれない。
>>725 まずは、それこそ奇襲を受けた際の防備を充実させる
ために、槍部隊を多数そろえることは有効だろう。それ
が実際に戦闘の雌雄を決するかどうかとは関係なく。
なにせ、当時の戦闘は死傷率が数%でも多い方で、
相手を完全に殲滅するような戦闘は稀。そのような戦闘
が行なわれたらそれこそ戦史に残った(川中島や厳島の
ように)。
それと、遠戦だけで埒が明かない場合に、戦局を打開する
ために接近戦を用いることはもちろん行なわれただろう。
それに、そもそも、軍勢の過半を飛び道具以外が占めていた
というのも言い過ぎ。ちなみに、九州の薩摩勢などは、騎乗
身分の者も鉄砲一人一丁と言うくらい飛び道具を備えていたし、
大阪の陣の伊達勢はなんと2/3が鉄砲隊だった。
>>726 ちなみに、刀は戦場ではほとんど役にたたないと思うよ。
大体、鎧を貫けないし、人を斬ったとしても精々2〜3人
で脂が刀身について斬れなくなるそうだから。
それに、槍は柄の部分で殴るのが主要な用い方だったらしい。
それで殴って相手を気絶させた所で群がって首をとるという
ような。
で、このような刀と槍の性能と弓矢鉄砲の性能を考えて、
武将なら、どの武器を中心に戦術を考えるかということだよ。
>>727 >もし苛烈な意思と才能がある主がいれば突撃も大いに推奨されたかもしれない。
意思と才能があっても戦国時代は間接指示だから戦法の劇的変化はできない。
>>730 戦場ではなくその前の段階においてってことです。
>>728 ありがとうございます
> まずは、それこそ奇襲を受けた際の防備を充実させる
> ために、槍部隊を多数そろえることは有効だろう。
これは奇襲においては敵が白兵戦を挑んでくると考えていいんですか?
>>731 同じことです。
大将は部将に大まかな移動地点を示すのが精一杯です。
物理的にも統治機構の上からも
>>729 脂ですべって2〜3人で切れなくなるというのは、一時期流行った電波説。
刺身包丁じゃないんだから、そんなにデリケートに刃を付けているはずがない。
とはいえ槍が白兵のメインであったことは事実。
鉄砲というのはよく考えて戦術的に使わないと効果が薄いどころか危険。
当時の鉄砲は連射ができないため。これを乗り越えて有効活用するには
火薬の調整といった事前準備はもとより、よく指揮官の意思を反映するよく
統率のとれた部隊をつくることが大前提。
打てばいいというものではないどころか、刀槍を用いるよりも格段に組織的な
運用が重要になってくる。
こうしたノウハウが蓄積されてはじめて鉄砲が戦場で威力を発揮する。
>>732 奇襲ですから、それこそ、なんでもありでしょう。相手の
意表をつくのが奇襲なんですから。だから、接近戦白兵戦
が主流の戦法であったか否かにかかわりなく、奇襲において
白兵戦が行なわれることは十分にあり得るし、そのことは、
当然相手側も想定していたでしょう。
>>734 じゃあなんで足利義輝は、わざわざ名刀をとっかえひっかえ
用いたの?それこそ名刀だから?(w)
まあ、仮にあなたのいうことが事実だとしても、刀は結構簡単に
折れたりまがったりすることは間違いないですよ。そんなのを、
鎧を着ている相手にメインで用いることは普通は選択しないと
思いますよ。
それに、そもそも、刀で相手を殺すこと自体凄く体力をつかうんで
すから、仮に刀がいつまでも切れて、なおかつ折れたりしなかった
としても体力的に限度がありますよ。ですから、いずれにしろ、
補助的武器の範疇を超えるとは思えません。
>>736 まず俺は刀が戦のメインだとは言っていないので、あなたの言葉は別の人に伝えてくれ。
刀の折れやすさは刀の質(実用品としての)と持ち手の腕に拠るところが
大きいから俺には断定できない。
戦国期の刀は蛤刃に仕上げているし、中には刃引きの刀でぶん殴るツワモノも結構いた。
鎧ごと斬れたら鎧の意味がないので、スパッと斬ることはさすがに無理。
結局ぶん殴るのが主流となるわけだが、それなら槍などの長得物振り回すほうが
格段に有利。集団戦の戦国では槍に代わられたが、薙刀も威力抜群。
それらを振り回している最中も、刀は腰に付けていられる携帯性に優れた兵器。
ともかく合戦では長得物がメインとなる。
>>737 そうですね。接近戦なら間違いなく長得物がメインでしょうね。
で、問題は、戦国時代までは、合戦でそもそも思われているよう
に接近戦(白兵戦)が行なわれていなかったのではないかという
ことですよね。おそらく、飛び道具を用いた打撃戦がメインで、
白兵戦は、打撃戦の決着がついたあとの追撃戦か、打撃戦を打開
するために用いられたもので、やはり主戦ではなかったのではない
かというのが私の考えですが。白兵戦が主戦なら、激戦と言われた
関ヶ原で死傷率が数%というのは少なすぎると思いますし。
>>738 関ヶ原が激戦かどうかは各説があるので正直俺には判断できかねる。
ただ734に書いたように、鉄砲というものは戦術的な運用がなにより重要であるし、
そのためにも指揮官の意思ひとつで発砲できる組織としての訓練が必要不可欠。
てんでんばらばらに撃っていたのでは何の効果もない。
逆に言えば指揮系統が混乱・破壊された鉄砲(が主力の)隊というのは脆いもの。
このせめぎ合いが戦国末期の戦ではなかったかと。
接近戦なら死傷者が多いというのは誤りだと思う。
百年戦争とか見ると長弓によって損害が増えてるし。弓は威力あるからな。
同じ損害でどちらが敗走させやすいといえば接近戦の方が上じゃないだろうか。
接近戦で損害が多くなるには近代の国民軍くらいの士気が必要じゃないかと。
弓が主力なのは確かだろうが損害が少ないのはむしろ小競り合いと
機動戦みたいなのが多かったせいではないか?
接近戦というのは敵も味方も疲れるから、死傷者が少ない!
というのは駄目?
>>739 そのせめぎあいの結果日本の鉄砲運用はかなりのハイレベルに
なっていったのではないかと思うんだけどもね。宣教師も日本
の鉄砲の数について散々報告しているし、朝鮮出兵では、日本
の主力武器が鳥銃(鉄砲)だと相手側が認識していたのは有名
な話だし。もともと遠戦思考(当時は弓や飛礫)だったところ
に、鉄砲が来たので、わりと早くに鉄砲に乗り換えたというの
が分りやすい考えなのだけれどもね。そして、鉄砲の欠点を補
う運用がとれるようになったので、それが主流になったのだと
思う。
>>741 だから、ここ一番の時しか使えないというのが、接近戦の
現実では?合戦といったって、一日中やる合戦も結構あり、
そのほとんどが接近戦だったとは、人間の体力から考えて
も無理がある。遠戦で相手を追い詰めて、とどめを刺す時
か、逆に不利な方が乾坤一擲の逆襲を仕掛ける場合に接近
戦を挑むと考えるのが理に適うと思う。
>>743 そらそうですな。
時間をかける=主戦、なのか、(敵を敗走させる)効果がある=主戦なのか、
という言葉の定義の問題にもなるな。
>>744 たぶん、接近戦は、いわゆるパワープレイなんだと思う。
その性質上長時間は使えないが、いざと言う時の切り札
として用いるという点において。そして、それは派手で、
見た目も華やかなので、合戦の花形的に見られてもいた
と思う。しかし、パワープレイがゲームの戦術の中心で
はあり得ないように、接近戦も戦術の中心ではなかった
のではないかと思う。
748 :
日本@名無史さん:04/01/11 20:36
鈴木信者、必死だな。
その戯言を、刀剣展なんかで目を血走らせて刀を見ている刀剣ヲタの爺に言ってみな。
本気で怒鳴られると思うから。(w
>>748 別に信者じゃない。おれは剣道初段なので、かねてから
合戦がちゃんばら中心だってのが信じられなかった所に
鈴木説が登場したので、理に適っていると思うだけ。
あんた、鈴木説がおかしいというなら、竹刀で素振りを
1時間もやってごらんよ。素人ができるだけで凄いと
思うぞ。ましてや、多少の甲冑をつけて何時間も刀や
槍を人間が振れるとでも本気で思ってんの?刀剣ヲタ
の爺だって、多少なりとも刀剣を実際にふったことがある
なら、戦国以前の合戦が白兵戦中心だったなんて考えない
と思うぞ。
>>749 え、そういう問題なの?
1時間弓を射続けても疲れるけどそれはいいのか?
>>750 そりゃ疲れるだろう(w)。だけど、白兵戦とでは体力の損耗度が
段違いだって言いたいんだよ。体力の損耗度が高く、死傷率も高い
白兵戦を、兵の損失をなによりも恐れた(金がかかるため)武将が
安易に白兵戦をやると思うのかということだよ。
>>751 安易かどうかは分からないが、勝負時には接近戦を行うと思う。
それに接近戦(突撃)が弓矢に比べて死傷率が高いかどうかは疑問が残る。
というのは、突撃すると不利な敵勢は散り散りになって敗走するから。
この敗走スピードの早さが殲滅戦の近代戦争と異なるところかと思う。
大将の首を刈れば目的は達する。
いわば敵勢を敗走させるために白兵突撃を敢行する。
遭遇戦の場合
一般兵:石を投げて近づいたら刀で身を守る
騎馬兵:事態に応じて突撃する
武将:安全圏まで下がって威張る
奇襲戦の場合
一般兵:弓で近づいたやつを一方的に狩る
騎馬兵:敵を回り込む
武将:かかれーと叫ぶ
掃討戦
一般兵:刀で倒れている奴から略奪
騎馬兵:敵将を追撃する
武将:えらそうな敵将を追撃する
撤退戦
一般兵:とにかく逃げる
騎馬兵:将を守りつつ逃げる
武将:真っ先に逃げる
>>750 弓矢の打ち合いは休んだり交代したりできるけど、斬りあいじゃ無理だろうな
>>752 ちゅうことは
突撃するときはすでに味方有利な状態でないの
>>752 勝負時に接近戦を行なうことは誰も否定していないよ。
だけど、その勝負時までの勝負の進め方が、白兵戦の
積み重ねかそれとも遠戦の積み重ねかといったら、後者
だろうということだよ。それに、突撃するにしても、
相手の飛び道具陣に相当な打撃を与えてからでないと、
その突撃部隊は壊滅する確率の方が高いと思うよ。
そして、飛び道具陣に打撃を与えるにはまず、味方の
飛び道具陣で優勢に立つのがもっとも効率的な戦い方
だと思うけどね。もっともそう簡単にいかないから、
合戦の多くは膠着戦になっているのが現実でしょ。
鮮やかに決まっているのはほとんど戦史に残るような
上手くいった戦いだよ。
>>754 なんでやねん。俺の経験上、結構休めるぞ。なんにでもコツがある。それが経験というやつだ。
柔道の試合、三分するだけでばてる人間は失格ですか。
759 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:00
討死確定。
>>757 そうだね。だけど、斬り合いということは、比較的近くに
敵がいるということで、休みたくても休めない状況に陥り
易いというわけで。その辺が、基本的に周りは味方ばかり
の遠戦とは決定的に違う。
>>756 誰も弓矢鉄砲なしで戦を進めるとは言ってないのだが。
ただ極端な人になると、接近戦は首刈りのためのおまけ、とまで言い切る人が
いるから、さすがにそれは机上の空論だろうと。
見渡しの良い平原ならば、会戦で飛び道具だけで近寄らせないことも可能だろうが
さすがに山々に囲まれているとそんなに綺麗に戦は展開しない。
むしろ、奇襲やゲリラ戦的展開に遭遇する可能性のほうが高い。
こういう環境では、遠近新旧すべての兵器が共存するのではないのかな。
そして飛び道具、接近戦用兵器問わず、複雑な地形で機動が確保できるものでないと
うまく運用できない。弓矢鉄砲もあまり大掛かりなものは日本では発達しなかった。
763 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:14
>>747 襲われたときのことを考えろ。自分の館に火を放つことはできない・・。
>>762 まあ、あなたのいう通り、極端にどちらかと決めつけるのは
間違いだろう。だけど、弩や大砲などは確かに普及しなかった
が、鉄砲以前は相当弓矢の比重が高かったのは事実だし、
鉄砲の数が関ヶ原時点で全欧州を遥かに凌いでいたのも事実
だ。だから、遠戦が中心だったのはほぼ間違いないと思うよ。
小回りの効かない飛び道具は普及しないが、逆に小回りの効く
飛び道具を主として用いるなどは、いいとこ取りの日本人ら
しいと思うよ。
765 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:24
素人がうるさいこっちゃw
常識的に軍勢の全員を最初から一度に投入することなんてありえないだろう。
一人一人が一日中戦場を駆けずり回る必要なんて最初からないのだから、
体力的に無理があるというのは疑問だ。
第一、鈴木氏が大好きな雑賀衆が織田軍に対して善戦し、部将クラスの
戦死者が続出したり、関ヶ原で東軍が西軍の野戦陣地に強攻をしかけて
立ち往生したといった事実は、遠戦が有効だった反面、遠戦に徹しきれずに
白兵に傾くこともありがちだったことを示しているのでは?
あ、ちなみに漏れは剣道三段(w
>>766 さすがに、三段の方にはかないません(w)。中学でラグビーに転向
した下手れなもんですから(w)。で、ラグビーもやった経験から、
集団の揉み合いの体力も知っているつもりです。で、おれが武将なら、
遠戦中心に戦術を組み立てますよ。
それに関ヶ原は小早川の裏切りまでは少数の実働部隊の西軍が、二倍
近い東軍を圧倒していたのは周知の事実です。それに当時は野戦築城
が流行していたことからも、野戦で遠戦が主流だったことを裏付ける
と思いますけどね。
768 :
日本@名無史さん:04/01/11 23:37
>>764 おそらくほとんど同じ意見だとは思うのだが、遠戦中心というのがひっかかる。
確かに平安〜鎌倉期は騎射こそ武士の表芸。鎧もそれに合わせた究極の観がある
(ちなみに薙刀なども隆盛)。それでも首は取る。
仮に遠戦指向であったとしても、それが可能な環境(地形・首取り等など)
ではなく、嫌でもなんでも接近戦を意識しなければならなかったのではなかろうか?
鉄砲が伝わってからも弓矢がいきなり廃れたわけじゃなく、結構鉄砲と共存
している期間が長い。戦闘では槍がメインでも刀をなかなか捨てない。
複雑な地形は武器の共存を生んだ、と想像している。
>>767 ええと、なぜ東軍は合理的な遠戦を試みないのか、ということなんだけど
(東軍が飛び道具を使わなかったということではなくて)。
おそらく、野戦陣地を遠戦だけで制圧することは不可能で、確地のためには
否応なく近戦も行なわなければならなかったのではないの?
もちろん飛び道具との連携のうえで。
段位はお気になさらず(w 私は中学時代は1級ですた
>>769 そりゃもちろんそうでしょうな。だから、例えば小牧長久手
の戦いのように、大軍同士での膠着戦が結構多かったわけで。
とすると、野戦に積極的に接近戦を試みて短期決戦をいどむ
方が異例だったのでは?例えば関ヶ原の時の上杉も、西と東
の決戦は大軍同士で長期戦になると考えたのでその時間に、
まず背後を固めようと最上攻めを行なったのだと思われるし。
同じ時期に九州で蠢動した黒田如水も関ヶ原がまさか1日で
終わるとは思わなかったといっていたそうだし。
771 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:22
時 期 年 使用鉄砲数 鉄砲装備率
信長 長篠合戦 1575年 3000挺 10%
信長 天下統一期 20%(槍40%)
文禄の役 1592年 60000挺 30%
慶長の役 1597年 50000挺 30%
関ヶ原合戦 1600年 80000挺 40%(槍40%)
大坂の陣 1614年 100000挺 30%
俺も剣道、杖道、居合をやっていたが
どれも戦国期の実戦では関係ないぞ。
ゆえに剣道の段位は、ここでは関係ないな。
773 :
日本@名無史さん:04/01/12 00:28
時 代 鉄砲の種類 1挺の値段 1挺の値段の換算
種子島時堯 1000金 1155万円
永禄年間(信長) 5〜60万円
秀吉 6匁銃 9石 54万円
30匁銃 40石 240万円
寛永10年 20匁玉12挺 9085石/100挺
慶長〜元和 50匁玉筒 75石
300匁玉筒 640石
寛永14年 50匁玉筒 32石
300匁玉筒 249石
明暦3年 50匁玉筒 32石9斗4升7合
30匁玉筒 21石7斗7升9合
20匁玉筒 13石9斗3升4合
10匁玉筒 2両1分
6匁玉筒 1両2分
一貫斎 気砲 2匁玉筒 35両
>>770 うーん、どうだろう。
大軍同士の膠着戦も短期決戦も、大軍を動員した戦争行為自体が少ないので、
どちらがありふれていて、どちらが異例かというのはあまり有意に論じられ
ないのでは?どの戦争にも固有の事情はあるわけだし。
城攻めにしたって、月単位での攻囲戦もあれば、数日で落城するような強攻
もありふれているわけで、どちらが正道とはいえないように思う。
事実として遠戦が有効であったことを認めるのに吝かではないけど、
合理的だからといってそれが貫徹しているはずだとして論を立て、
事実として見うけられる非合理的な選択は愚かしい行為として切り
捨てる傾向が鈴木氏の議論にはあるような気がする。
誤解なのだろうけど。
実際には当初から遠戦と近戦を組み込んだドクトリンであるのに、
従来強調されすぎた一面を批判するあまり、もう一面を持ち上げすぎて
いるのではないか、と思われ。
>>770 そんなとこが妥当な線かもね。でも、映画やテレビでは
接近戦が主流になるのはやむを得ないね。遠戦中心では、
余程金をかけてリアルにしないと退屈になるので。
777 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:20
てか、遠距離攻撃の一番ポピュラーなのは投石だろ…
まあ今回の議論は
703 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/01/11 13:24
やはり、今も昔も日本の合戦の中心は日本刀。
と言ういささかネタ臭い書き込みへのアンチテーゼからスタートしてるけんね。
ちなみにいまさらだけど708の「遠戦思考」を「遠戦志向」に訂正ね。
>>777 金は全然かからんしな(w)。でもって以外に効果抜群。
確か武田の最も得意とする戦法が騎馬戦なんかではなく、
飛礫攻撃だったのは有名な話。北條家なんかはこれをとて
もいやがり、支えることができたのは上杉勢だけだったと
か。
>>778 あ〜、でも刀剣コレクターの爺と雑談した時に鈴木説を「最近は、こんな説もありますよ」
って紹介したら
>>703みたいなこと言ってキレられちったよ。
こっちはこっちで、信者みたいだよ。
>>780 信者はどっちも極端なもんですな。まあ、このスレの結論が
妥当な線でしょ。
782 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:45
遠戦“志向”なので、射撃戦闘と白兵戦闘のどちらが損害が多いか
という合理性の問題ではなく、敵に向かって突撃したいかしたくないか
という性格や士気の問題。
上手く兵士を「突撃したい」状態に持っていった信長が、
「突撃したくない」状態の今川軍に攻撃をしかけて
見事壊乱させたのが桶狭間の戦い。
逆に信長が長島で「突撃したくない」状態で砦から出て来る一揆勢に
鉄砲を浴びせかけていたところ、やぶれかぶれの突撃を受けて
壊乱し、大損害を被ったり。
全体的な傾向として「突撃したくない」状態の方が多かったので、
「突撃したくない」同士で戦うと否応無しに射撃戦になってしまう
という話ではないか。
射撃戦に撃ち負けて崩れ始める敵を見れば、首取りが手柄となるが故に、
優勢な側は「突撃したい」気運が高まり、突撃して敵を完全に追い散らし、
逃げ損ねた敵の首を取って手柄を確保する。
だとすれば軍忠状の統計を挙げて受傷率を議論する意味がないではないか。
>>783 なんで?全体的な傾向は分かると思うけど。
むしろ統計ではそれ以外は分からないでしょ。
日本の中での争いだから縦深がなく故にもし大敗をしたら致命的になる可能性が高い。
そのため大きな単位の戦いで正面から即決戦と言うわけには行かないでしょう。
前段階で少しでも相手より有利な位置を相手の裏をかくことしようと
機動戦がおこっていた可能性が高いし兵も小出しにしてたとも思う。
日本は地形の利用とか築城の技術はあったから完敗しなけりゃ
近場の砦に逃げ込んで耐えることができたんだから。
更に対陣してからも野戦築城とかしてればそこから出てすぐ決着をつけようとは思わない。
略奪でなく土地の奪い合いが日本での主目的だから時間もかかったはず。
遠戦中心というのもリスクの問題じゃないかな。
突撃がないと組織的戦闘力を奪うのは難しいが軍団として致命傷にはならんから。
大砲が普及してたなら地方の城塞の力も衰えるはずだから接近戦も増えたかも。
キミは作戦担当には向いてない。
787 :
日本@名無史さん:04/01/12 15:38
日清・日露戦争であった。これは軍隊で、戦国時代から江戸時代初期における戦闘要員の育成がなされた時と同じ現象が起きたと言える。
民俗学者フリードリッヒ・クラウスが当時の日本の軍隊についてこう述べている。
男子同性愛が兵士や士官の間に非常に蔓延していることは、他のことから裏書された。
皮相な観察者さえも、日本の兵士たちが、われわれ一般人よりもはるかに情愛がこもり、
友情的な態度でお互いに付き合っているのに、驚くだろう[氏家1995年]。
実は日清・日露の二つの戦争が、軍隊の間だけではなく、若者とくに学生に影響を与えたのかもしれない。
これは国中が"戦う"意識が高揚し"勇ましく愛し合う"という風潮が高まったためであると仮定できる[氏家1995年]。
788 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:42
猫パンチ
ミッキーローク
>>785 > 大砲が普及してたなら地方の城塞の力も衰えるはずだから接近戦も増えたかも。
そこで、万邦無比の神器日本刀ですよ。
大砲が普及していたトルコ軍は、ヨーロッパの連中に
野戦で鉄砲の普及の遅れため敗れ去った。
そりゃ技術格差が開いたからね。同レベルで論ずるのはいくないと思うよ。
793 :
日本@名無史さん:04/01/15 11:17
鈴木説って決して新説ではなく、末永雅雄氏(日本武器概説)の指摘を裏付けたものって
理解してますけど。
>>791 普及してても無駄に大きくて扱いにくいものばかりでヨーロッパの大砲とは
雲泥の差があるんですよ。
機動性にかけるすぐ壊れる発射間隔が長い集中運用できないと言った具合に。
トルコ軍って使い捨て感覚で大砲作る者まで随伴してたから。
それに鉄砲はトルコの方が大量にあったはず性能は引き離されたけどね。
>>793 つーことは、そもそも裏付ける前の説に決定的誤りがあるから「鈴木信者、必死だな
(プ」とか言われてしまうんでないか?(w
朝鮮出兵の時日本は大砲で遅れをとったとか言われていますが明の大砲は
従来の粗悪な大砲と仏朗機と呼ばれるヨーロッパコピーのものがありました。
しかし、その仏朗機はトルコにさえ到底及ばず操作するごとに味方に被害が
及ぶような代物で数量も限られてたため野戦では使い物になりませんでした。
なんか論争になっているが、いっそ武器の分類を
ショートレンジ:サブミッション
ミドルレンジ;カタナ、槍、弓、鉄砲、投石
ロングレンジ:呪殺等
として、戦はやっぱりミドルレンジの武器が効果的だねぇって事で
みんな仲良くすれば良いんじゃないのかな?
大分遅れをとりましたが…
>688
>古代中国の戦車、基本は2頭立てで御者一人戦闘要員一人とかで、
>(cut)
>騎兵というより、「騎射」が本格的にできる組織が出てくるとまずいかも。
戦国時代の趙の武霊王(主父)がおこなった「胡服騎射」が有名ですね。
799 :
日本@名無史さん:04/01/15 23:55
日本刀とその威力は、明〜清にも知れ渡り軍隊にも採用されたり、民間武術家にも
影響を与えたりしているらしいですが、日本史板によると戦国日本の白兵戦では槍が主役で
日本刀はサブウェポン。出番は少ないとのこと。
このギャップは何ですか?他国に影響与えるなら日本刀より槍の気がするのですが。
長槍、鎌槍、管槍・・などなど威力抜群の槍は話題にならなかったのか?
槍は中国にもいっぱいあるからじゃね?
それも変態的なほどいろんな種類が。
801 :
日本@名無史さん:04/01/16 00:19
>>800 俺が見た数少ない中国の槍はよくしなり軽やかだった。年代不明。
でもあれで甲冑武者をぶっ飛ばすのは素人目には厳しそうに見えたが・・。
>>799 > 日本史板によると戦国日本の白兵戦では槍が主役で日本刀はサブウェポン。
> 出番は少ないとのこと。
それは、全てあなたの思い込みです。
>>801 それを言ったら日本の長柄もよくしなる打柄なんだが・・・
柄が鉄棒製の槍とかってファンタジー?
さすがに全部鉄だったら実用性は皆無だろうね。
威力はあっても重くて使ってらんない。
807 :
日本@名無史さん:04/01/16 04:14
直径2センチ、長さ180センチの鉄棒を作ったら、
だいたい重さが4キロぐらいかね。
普通の持鑓の重さが2キロぐらい、大型の大身鑓でも5キロぐらいに
抑えられていることを考えると、力持ちならオール鉄製の長物も
使えたかもしれない。
鬼真壁だね。棒でぶん殴ると言うと。
809 :
日本@名無史さん:04/01/16 13:11
>>803 やたらと柄の長い長槍は確かにしなるが、あれは戦の序盤で集団でバシバシと敵長槍衆を叩いたり、槍襖を組んだりするためのものなので恐らく中国の槍がしなる(?)のとは意味が違うかと。
810 :
日本@名無史さん:04/01/16 14:43
三戦版じゃないけど関羽の持ってた長柄の武器は
結構重かったんじゃないの?
関羽は実際に何使ってたの?
矛じゃないか
もしくは戟とか。
青龍刀も出土例はすくないにしろあったはあったらしいけどね。
業物のオーダーメイドができるような身分になってから
俺も大身になったな、とかいいながら
工房から届いたばっかの青龍刀撫ぜまわしてたのかもとか思うとかわいいな。
三国時代には鐙が無いから、馬上で長物は無理だろう。
赤兜から下馬して戦う関羽萌え
816 :
日本@名無史さん:04/01/20 11:03
>>814 当時の馬はモンゴル系で小型だから、闘う時には片足を地面に付けた。
だから長物も大丈夫。
「遠戦"志向"」というからいけないんだよ。
言葉が。
「遠戦」なんてのは「志向」の問題じゃなくて、
自然の摂理、人間=生物の本性だ。
自分を安全な場所において一方的に有意に攻撃する。
それをあたかも「日本固有のもの」と強調的に(ジャーナリスティックに、
マスコミ受け的にetc)表現した御仁がおかしい。
御仁はイデオロギー的な結論が先走っているから、余計な就職に満ちて
書いた本の論理が最終的に破綻して見えてしまうわけだ。
818 :
日本@名無史さん:04/01/20 13:41
>自分を安全な場所において一方的に有意に攻撃する。
米軍の戦法が最先端だな。
遠戦志向というとどのくらいの矢を持っていったんでしょうか?
>>817 修正主義者、必死だな。(w
いくら言辞を弄ぼうと、日本における合戦の決戦兵器が日本刀であることは覆す術
がないことは明々白々だ。
821 :
日本@名無史さん:04/01/20 17:46
自衛隊も弾に名前を刻んで、恩賞にあずかろうとするのかな?
>>821 ライフルで誰が撃ったかわかるからその必要はない。
いちいち線条痕チャックするのかよw
チャックはしません。
チャック、チャック、チャック…( ´∀`)σ)゚д゚,,) ツン
>>816 いくらモンゴル系の馬でも、そこまで小さいか・・・?
少なくとも現在の蒙古馬はそこまで小さくないけど。
それにそれじゃ武装して乗ったら5秒でへばるのでは。
827 :
日本@名無史さん:04/01/23 08:21
>>826 大きければ持久力があるとは限らないだろ
828 :
糞スレイマン大帝:04/01/23 13:36
829 :
日本@名無史さん:04/01/23 13:46
まず、大将が前に出て、剣を振り上げ、怒鳴る。
「やあやあわれこそは・・・」
敵の兵隊は、冷静にピストルを眉間に打ち込む。
「ぱんっ!」
で、合戦は終わる・・・
>>829 毛利元就が安芸守護の武田某を殺したのと一緒だな。
一騎駆けの武田某を弓矢の集中攻撃であぼーんしたやつ。
831 :
日本@名無史さん:04/01/23 13:53
漏れは元寇をイメージして書いたよ。w
う〜ん、元寇の時は剣じゃなくて弓だなぁ。
それに、我が大将が討ち死にしたら従者も玉砕覚悟で
突っ込んでくるから、合戦は終わらないと思うんだけど。
833 :
日本@名無史さん:04/01/23 14:08
>>832 元寇に対して、大将が「やあやあわれこそは・・・」ってやったら、
爆弾が飛んできて「どかん!」だったらしいよ。w
もし、大将(家康や秀吉クラスならなおさら)が死んだら、合戦は終わるよ。
信長の例をみるまでもない。
大将が死んだら、誰について戦うということもない。
降伏して終わりだろうよ。
時代が違い過ぎる。
そして大将(家康や秀吉クラス)は鎌倉でのんびりしてたんだが・・・。
死んだりしたのはあくまでも九州を中心に動員された御家人。
戦国時代とごっちゃにしちゃ駄目よ。
そもそも元寇の時でもそんなに名乗りとかやらないってどっかのサイトが言ってた
836 :
日本@名無史さん:04/01/23 15:36
やったみたいだよ。w
837 :
日本@名無史さん:04/01/23 16:01
すでに集団戦が行われていたから、絵に描いたような名乗り、一騎打ちはありません
838 :
日本@名無史さん:04/01/23 16:06
>>837 物語に書いてないか?
元寇の書かれた物語。
839 :
日本@名無史さん:04/01/23 16:38
北条時宗でやってたじゃん。
絵物語ってーと竹崎季長の奴?
一騎打ちの実例はあまり残ってないんじゃないのかな?
竹サマの絵物語?は、恩賞クレクレだからなぁ・・・
そうとう誇張あるんじゃないの?自分を主人公にした
ヒーローものってとこでしょ。
842 :
日本@名無史さん:04/01/23 19:17
一騎駆け、抜け駆けはまだしも、やあやあ我こそは!はない
843 :
日本@名無史さん:04/01/23 20:22
言葉が通じないことは予め判ってただろうから名乗りは無いにしても、
一騎打ちスタイルはやろうとしたんじゃないかなぁ?
集団戦をやったにしても、敵に合わせて自然とやるようになったとか。
844 :
日本@名無史さん:04/01/23 20:37
そのような元軍に対し、日本の軍勢は、古来と何ら変わらぬ戦闘法で挑みかかった。
強い戦闘力を持つ代表者がまず出てきて、相手の代表者と刀槍を合わせるというものである。
戦いあう者同志の理解があって初めて成立する、このような戦闘様式は、
同民族内の勢力争いという枠を出なかった日本の戦においては、
無為な殺戮を防いで勝敗の趨勢を決するという点で、よく機能していた。
農耕を主に、領内の生産物による自給自足経済の上に立脚した権力者にとって、
生産者の減少は常に避けられるべきであり、戦に駆り出された下級兵士の生命までを
奪い去ることは無用だとする気分が、戦闘を代表する者にはあって、
それが雑兵と武人を差別化し、やがてある種の美意識を伴って様式化し、
武者たちに重んじられるようになったのだと、筆者は思う。
戦闘法というよりは、むしろ作法と言ってよく、しかしながら、襲来した元軍にとって、
そのような戦闘様式は、滑稽であったに相違ない。
「遠からん者は音にも聞け、目にも見よ。我こそは……」と名乗りをあげて単騎突入する日本の将は、
元軍の集団に押し包まれて、他愛なく殺されてしまった。
北九州の上陸戦において、圧倒的な勝利を得ていた元軍であるが、
何故かそのまま留まるということをせず、日没前後に全軍が船へと引き揚げてしまった。
容易ならぬ気象の変調あるを予測して、早々に引き揚げて避難しようとしたためなのか、
或いは、無謀と知って単騎突入してくる日本軍の戦振りを不気味に思ったためなのか、
彼らが引き揚げていった理由は、よく分からぬ。
博多の沖で碇泊中に、たまたま吹き荒れた大嵐に遭って、艦船のほとんどが転覆してしまい、
その結果、侵攻戦は頓挫し、元軍は帰国を余儀なくされた。
この中にうどん屋スレに誤爆した人がいます。
846 :
日本@名無史さん:04/01/23 22:45
>829
インディ・ジョーンズ?
848 :
日本@名無史さん:04/01/25 02:47
849 :
日本@名無史さん:04/01/25 03:44
幕末の小倉藩は戦わずに逃げ出したそうだ。
>>844 元軍の副将だったかがたしか戦死してたよな。
852 :
日本@名無史さん:04/01/25 08:41
日本軍としての組織的な集団戦は無理でも、各御家人単位の
集団戦は当然やるでしょう。
眼の前で平安以前の一騎打ちの作法どおりにやった武士が蒙古兵に取り込まれて
討死しているのに、まだ名乗りを挙げようとしていたとしたら別の意味で鎌倉武士
を尊敬する・・・。
刀伊の入寇の頃の日本の武力ってどんな感じだったんだろうね。
資料がほとんど日本側には残ってないし、研究も進んでないっぽいんだが。
854 :
日本@名無史さん:04/01/25 13:11
>眼の前で平安以前の一騎打ちの作法どおりにやった武士が蒙古兵に取り込まれて
>討死しているのに、まだ名乗りを挙げようとしていたとしたら別の意味で鎌倉武士
>を尊敬する・・・。
最初のニ、三人が名乗り中にやられて「こりゃダメだ」ということで、集団戦に切り替えたのでは?
855 :
日本@名無史さん:04/01/25 21:05
d
夜襲の際は定法どおりでもないしね。
857 :
日本@名無史さん:04/01/26 01:27
江戸時代はとても野蛮なイメージがあります。しかし、実際に調べてみると冤罪(えんざい)を防止するために簡単ではありますが、
裁判の下調べをする等「体裁」を重んずる傾向がとても強く、『拷問』も余程のことがなければ用いられなかったようです。
なぜなら当時の人は、拷問にかけなければ自白がとれない、と言うことを『恥ずかしいこと』と考えていたからです。
従って、武士の横暴や幕府の恣意的な政治、と言うイメージはあまり現実とは合致しないようです。
一見残虐なようにも見えますが、その残虐さにはそれなりの理由と配慮があったんですね。
858 :
日本@名無史さん:04/01/30 19:48
まあ拷問すれば、自白するしね。
自白したら死刑でいいでしょ。
859 :
日本@名無史さん:04/01/31 07:11
>>854 『今昔物語集』など読んでも、平安時代ですら、意味も無く名乗りを上げて
突撃する奴なんておらんと分かる。
武士同士の私闘において、軍勢を率いては来たものの、ここは一つ
一騎討ちで決めようだとか、そういうのはあるが。
言葉の通じない相手ではそういう前提条件が起こらんからね。
860 :
日本@名無史さん:04/01/31 15:24
『今昔物語集』は歴史書じゃないからな。
つまらんな・・・
862 :
日本@名無史さん:04/02/01 10:37
信長の野望のゲーム厨からの質問なのですがご回答願います。
信長の野望には鉄甲船なる船があります。
ゲーム内では恐ろしく強く、史実も毛利水軍を撃破したとかなんとか説明文がありますが、
幕末の諸藩では利用されなかった所を見ると鉄甲船は運用に問題があったのだとおもいます。
ゲーム性をもたせようとした光栄や信長を賞賛する信長信者が過大に吹聴して
武田騎馬軍団みたいに誇張されたものかも知れないと思います。
戦国時代の鉄甲船って本当は役に立ったのかどうか
海戦とかに詳しいお方はどうぞおしえてください。
重たいから勝てなきゃとんずらこけばいいだけ。要所に配置するくらいしか使い方が思い浮かばん。
>>862 運用云々よりもそのような鉄製装甲船は無かったといった所だな。
まさに
>ゲーム性をもたせようとした光栄や信長を賞賛する信長信者が過大に吹聴して
>武田騎馬軍団みたいに誇張されたものかも知れないと思います。
なんだよ。
事実を積み重ねれば、
・信長が大船を作らせた
・その大船を含む九鬼水軍が木津川河口で毛利水軍を追い払った
・本願寺・毛利とも兵糧の搬入に成功したと言っている
・九鬼家の家譜によればその時の戦果は数隻を乗っ取った程度
といった話が出て来るわけで、後世に脚色されているほどの
大戦果というのは無かったと推理できる。
村上水軍も変わらず勢力を保っているしね。
また装甲の元ネタも多門院日記に書かれている噂話だけで
確証は何も無い。
秀吉は朝鮮出兵の折に二隻の鉄板を貼った船を作らせたとされている
が、それで朝鮮水軍に勝てたわけでもない。
結局
・鉄の装甲など無かった可能性が高い
・装甲があった可能性はゼロではないが、その事自体はあまり役に立たなかった
といったところだな。
865 :
日本@名無史さん:04/02/01 11:14
>>864 さすが博識!
やっぱり幻想なんですね
すばやいご回答ありがとうございました
信長の鉄甲船と朝鮮の亀甲船、どちらが真実味がありますか?
867 :
日本@名無史さん:04/02/01 12:40
>信長の鉄甲船と朝鮮の亀甲船、どちらが真実味がありますか?
亀頭船
868 :
日本@名無史さん:04/02/01 12:45
実際の戦闘の手順・方法は時代によって変化した。
大きくは、応仁の乱を境とする変化である。
即ち、個人戦から集団戦への変化である。
応仁の乱以前は戦闘に入ると、各々が敵を見つけ互いに名乗りをあげ、系譜を言い、戦歴などを披露したうえで戦闘に入る。
名乗りもせず、後から切りつけるなどということは卑怯とされた時代である。
戦闘の単位も多くとも数千という程度で、個人戦が主であるため大将の命令で臨機応変に陣形を変えるような統制はとれなかった。
応仁の乱後は次第に戦闘が大規模化し、武器も鉄砲の登場で大量殺戮が可能となり、死傷者の割合も大きくなっていくのである。
また、戦の大規模化の当然の結果として戦を行うための準備期間も長くなり、費用も格段にかかるようになる。平時においていかに金を集め、
いつでも兵を投入可能な状態にしておくかというようなシステムを構築しておかなければならない。
このことが兵自体の強さから言えば「三河兵一人に尾張兵三人」といわれ、その三河兵も甲州兵には全く歯が立たなかったといわれながら、
信長が戦国の覇者となった所以である。
ここで戦国時代の標準的な戦闘の手順についてであるが、前から鉄砲隊、弓隊、槍隊、騎馬隊の順で構え、敵が近づいてきたところを鉄砲隊で狙い、
鉄砲隊が打ち終わったら弓隊が前に出て矢をあびせる、ひるんだ敵に槍隊が隊列を組んで突撃し、最後に騎馬隊が勝負を決める、という具合であった。
869 :
日本@名無史さん:04/02/01 13:04
http://jpnkiryaku.hp.infoseek.co.jp/histo2.html 「遠矢」とはいうものの、両軍の距離は五十〜七十メートル程度で、走れば十秒もかからないほどの至近距離である。(『平家物語』延慶本、倶利伽羅峠の合戦など)。
これは、矢の有効射程距離による制約であるか、または楯の向こうにいる敵を射るために山なりに打ち上げたものであろう。
十分に弓を引き絞るため、兜を脱ぐこともある。
矢による狙撃を行いながら接近していき(急所や鎧の空き間を狙う)、敵を圧倒しながら接近戦に移行していく、と考えればよい。従って、騎馬を使用するのは、
逃げていく敵の追撃が主となる(『三河物語』大阪夏の陣の部分)。その接近戦にしても、一騎打ちとは限らない。「轡を並べて駆け入る」「敵を中に取り籠める」という表現がある。
元寇当時の日本において接近戦の比重がさほど高くないことは、『蒙古襲来絵詞』に描かれている武装を見れば分かる。南北朝時代・戦国時代とは異なり、
小具足(諸籠手・脛当・膝鎧など鎧兜で保護できない部分の防具)が発達していないからだ。南北朝時代においても、主力武器は依然として弓箭であった。
鈴木眞哉氏が(1333-1387)の軍忠状百八十点(のべ五百七十四人分)の戦傷を調査したところ矢疵が86.4%,切疵9.2%,石疵/礫疵2.8%,鑓疵/突疵1.4%という結果だった(『謎解き日本合戦史』講談社)。
こんな具合だったから、形勢は楯突戦においてほとんど決定してしまい、絵に描いたような一騎打ちはなかなか発生しなかったらしい(『平家物語』延慶本第二末。小壺坂合戦における和田義盛の言葉)。
『蒙古襲来絵詞』(後世の加筆部分を除く)を見ると、よく分かる。三井資長は、名乗りもあげず馬上から射掛けて敵を追い散らし、逃げる者には容赦なく矢を浴びせて射殺している。
白石通泰以下百騎もまた同様で、旗持ちを先頭に、各人が弓をつがえて蒙古に射掛けている。
だが、困ったことに、この「楯突戦」は、軍記物語には簡単にしか記されていない。「矢戦をする」という表現がそれである。一方で、一騎打ちの場面は詳細に描かれている。
手柄を得るには、敵の首を持ち帰らねばならないからだ。
>>862 鉄甲船が信長の野望に取り入れられるようになったには鉄甲船が
話題になってから随分と年数がたってからだ。
871 :
スーパーロウな俺様#:04/02/01 18:48
test
872 :
日本@名無史さん:04/02/02 11:51
873 :
日本@名無史さん:04/02/02 12:35
>>864 毛利水軍の戦い方は火矢や手榴弾みたいなものを投げるくらいだった。あとは切り込み。
だから海戦はかなりの接近戦ばかり。だから鉄鋼船も早く動かなくてもいい。
それに大砲をつんでいたし、高さもあるのだから射程的にも有利だろう。
これと似たものが亀甲船だ。これも補給船を迎え撃つという戦い方で勝ってる。
それにルイスフロイスは城砦のような船と言っている。
迎撃専門の船と言う意味で最強だろう。
雑兵たちの戦場―中世の傭兵と奴隷狩り藤木 久志
を読め。合戦したときは討ち取った首より、生きたままの捕虜を売って金に替えていたほうが金になる。
領主も恩賞を与えるより財政的に楽なので許してた。だから上杉謙信も武田信玄も人狩りの記録が残ってるし
朝鮮の役でも何人も生け捕りにして故郷に送ったり商人に売ったりしてる。
秀吉がポルトガル商人に日本人を東南アジアに売りさばくのはやめろと言ってるのは
合戦で奴隷になった人たちだ。
たしかイスラムもコンスタンティノープルで同じことしてたし。
どこも同じような感じだな。
875 :
日本@名無史さん:04/02/02 22:31
>雑兵たちの戦場―中世の傭兵と奴隷狩り藤木 久志
一冊の他人の著作の鵜呑みはいかんな。
876 :
日本@名無史さん:04/02/03 06:15
>>873 その火矢を相手に200隻全滅させてるけどな、信長w
信長の大船と亀甲船では全然コンセプトが違うしな・・・
それにフロイスだって?・・・・オイオイ
>一冊の他人の著作の鵜呑みはいかんな。
こう言えば批判した気になる馬鹿発見。
大体『他人の著作』って何(w
>>862 ゲームで無視された鉄工船の最大の弱点は外洋に出て行けないこと
879 :
日本@名無史さん:04/02/03 13:25
>>878 機動力を犠牲にした船っていうのは
本来の船としては欠陥品ですからね
880 :
日本@名無史さん:04/02/03 21:38
>こう言えば批判した気になる馬鹿発見。
批判される覚えがあるのか?
>大体『他人の著作』って何(w
君の書いた本かね?
藤木先生を馬鹿にするなよぅ
>>876 ところがよく似てる。
切り込みさせない。(天井を覆うor高くする。)鉄貼り。大砲積み。鈍重。
>>879 外洋に出る必要が無い。海戦は全て近海で行われてたのだから。
>>879 兵糧を運ぼうとよって来る敵を追い返すのが第一目的で
そのために作られた船なので追撃しなくて良い。つまり動かなくていい。
>>881 藤木は正しい。
単目的のためだけだとすると費用対効果が引き合わんのでは?
884 :
日本@名無史さん:04/02/04 03:20
効果は十分あっただろ。本願寺が屈したんだから。
それに鉄張り船くらい鉄砲がんがん作ってた信長なら簡単に作れただろう。
886 :
日本@名無史さん:04/02/04 04:39
藤木先生のどこが正しいんだよぅ
888 :
日本@名無史さん:04/02/04 07:26
>>882 亀甲船は鉄板なんて貼ってません。
近代になってから電波が言い出したことに過ぎません。
また鉄板を貼っても言うほど機動力は落ちない。船のサイズ・重量と
必要な鉄板の量を計算すれば分かること。
秀吉は鉄板で飾り立てた船を二隻作らせて朝鮮に向かわせている。
海戦では何の役にも立っていないがw
で、一番の問題はそもそも信長は鉄の装甲なんてさせちゃいない
可能性のが高いことだがw
打鮑、勝栗、昆布を食べて出陣。
890 :
日本@名無史さん:04/02/04 12:11
16世紀の西洋では
ラムっていう船の頭をぶつける肉弾戦?とか
乗り込んで白兵戦をするとか
あまり命中しないようだけど砲撃戦?とか考えられますが
どれが主流だったのでしょうか?
>>888 幕末の頃の船でも、木造船よりも鉄船のほうが軽く作れたらしい。
>890
ラムは日清戦争当時まで使われていなかったか?
>>888 燃えないように鉄めぐらせたのでは?
>>892 あれは珍しいパターン。
日清戦争が初めての鉄鋼船同士の海戦だったけど
その初めてでラム体当たりしようとした清は結局失敗。
むしろ体当たりで自爆しようとしたのだから特攻だな。
894 :
日本@名無史さん:04/02/05 09:37
>>892 >>893 船って日清戦争のあたりですらそんな低性能(失礼か?)だったのですか・・・
どっちかっていうと沈まなければ良いという
防御重視だったということでしょうか?
895 :
日本@名無史さん:04/02/05 10:00
>>890 砲撃戦。現在の砲撃戦に比べりゃ照準は目視だし砲弾は球形だしで
命中率は格段に悪いと思われがちであるが、砲撃戦を行う距離が
現在より格段に近いので恐らくさほど問題にはならなかったのでろう。
ラム戦が主流になるのは、砲弾はまだ炸裂しないものなのに船の装甲が
厚さ50センチのオーク材といった状況になってしまったからで、
この頃のガレオン船はそこまで頑丈じゃない。
>>893 >燃えないように鉄めぐらせたのでは?
それは、多分に空想ですな。火矢は曲射できるから。
>>894 そのちょと前に欧州(地中海)で行なわれたリッサ湾海戦で、砲力に勝り単縦陣形
を取るイタ公海軍をオーストリアハンガリー海軍が単横陣による突撃・ラム戦で破
ったことが、清海軍の顧問を務めたドイツ人の頭にあったという説もある。
所詮はイタリアってことか…
898 :
日本@名無史さん:04/02/05 23:30
明治37年6月23日東郷は「三笠」「朝日」「富士」「敷島」の第一戦隊に「日進」「春日」を合流させて、
単縦形の敵艦隊(戦艦6隻、巡洋艦4隻)を丁字作戦にて撃破しようと敵前方を圧迫しようとするが失敗し、逃がしてしまった。
8月10日、皇帝の勅命を受けた旅順艦隊がウラジオストックに向けて出撃し、東郷はそれを撃破しようとするが、
敵を旅順に寄港させない進路を取るが、勅命の旅順艦隊はウラジオストックに真っ直ぐに向かう。
東郷は、先頭を逆にした縦陣形で追いかけ、距離10000で砲撃戦が始まり、丁字作戦遂行の為に先頭を圧迫しようとするが、
旅順艦隊は戦闘を避けて第一戦隊の後方に逃げ、2回目もも失敗した。
その直後、「三笠」を先頭とする縦陣形で敵の戦列に戦策通りの丁字を描き敵先頭艦に集中砲火を浴びせ丁字戦法が成功するかに思えたが、
敵は左転し第一戦隊後方に逃げようとし、東郷は右転し敵の先頭を圧迫しようとするが、距離が遠いとわが方の針路と反対方向に逃げられ、丁字戦法は失敗する。
追撃に長時間を要した後、三笠の12インチ砲が敵旗艦の艦橋付近で爆裂し、敵の司令官・幕僚が戦死し、思いがけない勝利をしたが、
これは丁字戦法の成功によるものではなく、幸運によるものであろう。
3回の実戦で失敗した丁字作戦だが、日本海海戦前に成功した事例は一つだけある。
第二艦隊司令長官上村彦之丞中将が座乗する装甲巡洋艦「出雲」以下4隻の第二戦隊(加藤友三郎参謀)が8月14日、
対馬海峡方面に南下してきたウラジオ艦隊を撃退した蔚山沖海戦です。
899 :
日本@名無史さん:04/02/06 11:38
日露戦争になったらもう砲撃戦しかやってないんですね。
ところで幕末の長州征伐の大島海戦は長州が奇襲したということですが
砲撃戦だと幕府が圧倒的に優勢におもえますが
実際は幕府は負けています。
長州はどのような戦術を行ったのでしょうか?
900 :
日本@名無史さん:04/02/06 13:01
戦いはまず、この内の大島口から始まりました。
東洋一の陣容を誇る幕府艦隊は、長州藩最大の島である周防大島を占領して、
ここを戦略拠点としようと計画し、艦砲射撃を加えた後に、陸兵を上陸させてきました。
これを知った高杉普作は、小型軍監一隻を以って幕府艦隊に夜襲をかけ、これを大いに撹乱させます。
思わぬ伏兵に驚いた艦隊は、大島海域から撤退してしまうのです。
これによって、幕軍の上陸兵は孤立してしまい、林半七率いる第2奇兵隊を基幹とした部隊のゲリラ的な反撃を受けて、
これも島から撒退していくのです。
続いて、芸州口での戦闘が開始されます。 幕府は、芸州口を戦場と想定して、ここに最大兵力を結集していました。
6月13日、先鋒となった彦根藩と越後高田藩の3000人が、長州領内へ進撃を開始します。
この2藩は幕府の譜代大名でしたが、その装備と戦法は、戦国時代とほとん変わらぬ旧態依然たるもので、
到底近代戦を戦えるものではありませんでした。
一方、長州側は新たに、軍事の最高指導者となった大村益次郎が、兵制を徹底的に西洋式に改めていました。
芸州口でも、新式の施条銃を装備し、洋式訓練を受けた農民兵を中心とする1000の部隊が、幕軍先峯を待ち受け、
これを完膚なきまでに打ちのめすのです。
しかし、幕府は旧式装備の先鋒軍が敗れると今度は、紀州、美濃大垣、幕府歩兵という、
いずれも洋式の最新装備を施された5000人の兵を、芸州口に投入してきました。
そして、1000に満たない長州勢はこれと互角に渡り合い、一進一退の攻防を展開することになるのです。
901 :
日本@名無史さん:04/02/06 15:51
m
902 :
日本@名無史さん:04/02/06 16:43
>>900 サンクス
なるほど奇襲で戦わずして敗走しただけなんですね。
それにしても高杉と大村はすさまじい名将だな
幕府歩兵最強
904 :
日本@名無史さん:04/02/06 20:44
天保12年5月9日、高島秋帆・浅五郎父子が指揮して、砲隊24名・銃隊99名による大規模な演習が行われました。
演習には、柏木以下9名の韮山代官所関係者も参加しています。この日の演習では西洋式大砲の実射、銃隊による突撃・斉射などが披露されました。
演習は成功裡に終了し、幕府は秋帆から大砲を買い上げ、かつ西洋砲術を旗本一名に伝授すること決定しています。
そして、その伝授を受ける人物として選ばれたのが、江川坦庵でした。坦庵は早速正式に秋帆に入門し、高島流砲術(西洋砲術)を皆伝かいでんされます。
翌天保13年6月には、他者への高島流砲術伝授も許可され、これ以後坦庵のもとには、
坦庵が高島秋帆から習得した西洋砲術を学ぼうと する幕臣や諸藩の藩士が、数多く集まってくるようになりました。
その中には、佐久間さくま象山しょうざん(兵学者・松代まつしろ藩士)をはじめ、幕末維新期に活躍した人物の名を見いだすことができます。
坦庵は、自らの屋敷(現在の江川邸)を家塾として開放し、入門者たちに西洋砲術の技術を伝授しました。
これが通称「韮山塾にらやまじゅく」と呼ばれているもので、天保13年10月から坦庵が死去する安政2年(1855)正月までの間に、およそ280名が学んでいます。
なお、この塾には正式名称がなく、「韮山塾」というのは、塾生たちが便宜的に使っていたものと考えられています。
坦庵は、入門者に砲術を伝授するにあたって、講義で理論を学ぶのはもちろんのこと、実地訓練をも重視していました。
そのため、韮山では実際に大砲や小銃を使っての試射が頻繁に行われています。
韮山代官所手代長澤鋼吉が記録したカノン砲の試射記録には、砲弾の重量や火薬の量、射角と着弾の関係などの数値が記されており、
きめ細かい訓練が行われていたことが窺われます。
905 :
日本@名無史さん:04/02/06 21:58
>>896 それは、全てあなたの思い込みです。
>>897 思い込み厨に釣られてるんじゃねーよ。(w
906 :
日本@名無史さん:04/02/07 18:41
馬鹿ばかりだなあ。日本史板は・
世界史板だって同じだよ。
所詮文系のオタの巣窟。
908 :
日本@名無史さん:04/02/08 18:46
まあ忍者最強と言うことで
909 :
日本@名無史さん:04/02/08 18:50
>まあ忍者最強と言うことで
男忍者もケツで誘惑。
910 :
日本@名無史さん:04/02/08 22:15
43年間放浪の男性、「社会復帰」 25年ぶり住民登録
北関東と周辺の山や川で小動物や魚を取って自給自足の放浪生活をしてきた群馬県出身の男性(57)が30日、
茨城県岩井市で25年ぶりに住民登録をした。中学2年で家出して以来、社会にほとんど無縁の生活を43年続けたが、
小さな罪を犯した末の思わぬ「社会復帰」だった。今はもう、山や川に戻る気はない。
男性は昨年9月、茨城県つくば市で自動販売機から小銭を盗もうとしているところを、窃盗未遂容疑で逮捕された。
あまりの空腹で耐えられなくなった末のことだった。
刑事裁判の冒頭陳述や男性の法廷供述などによると、男性は8人兄弟で、家は貧しかった。
14歳の秋、おばの元へ行こうと家を出て、栃木県足尾町に向かった。肩掛けの学生カバンに干し芋や塩を詰めこみ、足尾銅山を目指した。
しかし、おばの家は見つからず、放浪が始まった。まず銅山の洞穴に住んだ。
持って来た食料は底をつき、キノコやヘビ、ウサギも食べた。「削った丸太を仕掛けた落とし穴でイノシシも捕った。
家を出たときと同じ学生服で過ごし、ウサギの皮で簡易の靴も作った」という。
4、5年して新潟、福島などの山野を歩いた。川で魚も取った。キノコや魚を売り、金を得た。親切な人に衣服をもらったこともあるという。
魚を追って栃木から茨城へ。5、6年前、つくば市境の水海道市に住み着いた。小貝川の橋の下に茅(かや)の小屋を造った。
家に帰ろうと思ったことはなかったという。
起訴されて、12月に土浦簡裁で猶予付き判決を受けた。裁判官に「まじめに働くように」と諭された。
現在は、釣りを通じて知り合った岩井市の内装業古矢和夫さん(52)の家に住んでいる。
古矢さんは身元保証人になってくれた。内装業の手伝いをして、生まれて初めて給料をもらった。自分の部屋にテレビを買った。
1月、43年ぶりに群馬の故郷の家を訪ねたら、両親はすでに亡くなっていた。戸籍は残っていたが、住民登録は79年、職権で抹消されていた。
155センチ、52キロ。裁判中は70歳ぐらいに見えたが、少し太り、肌のつやもよくなった。心を通わせる女性もできた。
住民登録したのは「保険証やバイクの免許がほしいから」だという。
「今が人生で最高に幸せ」。市役所を出ると、男性はそう語った。
日本@名無史さん :04/01/15 23:55
日本刀とその威力は、明〜清にも知れ渡り軍隊にも採用されたり、民間武術家にも
影響を与えたりしているらしいですが、日本史板によると戦国日本の白兵戦では槍が主役で
日本刀はサブウェポン。出番は少ないとのこと。
このギャップは何ですか?他国に影響与えるなら日本刀より槍の気がするのですが。
長槍、鎌槍、管槍・・などなど威力抜群の槍は話題にならなかったのか?
中国武術では槍は武器の王と呼ばれていました。
913 :
日本@名無史さん:04/02/20 13:57
だから日本の槍を模倣する必要を当時の中国人は感じなかったってことだろ?
行間読めばそんな感じ?
915 :
日本@名無史さん:04/02/20 18:21
>>911 >日本刀とその威力は、明〜清にも知れ渡り軍隊にも採用されたり、民間武術家にも
>影響を与えたりしているらしいですが
これ、最初に書き込んだの
>>911?
だったら、いつものヤシをお見舞いしまつ。
それは、全てあなたの思い込みです。
916 :
日本@名無史さん:04/02/20 18:57
ワコウに斬り折られるような中国の槍がそんなにスゴイとは思えん
917 :
日本@名無史さん:04/02/20 20:25
1300年前後から1800年前期まで中国〜朝鮮半島で作られていた日本刀で、倭刀という独自の名称を持つ。
日本刀を研究、改良した大陸版の曲刀で、オリジナルの日本刀を凌ぐとも劣らない殺傷能力を秘めた武器である。
上記の年代、日本海沿岸は「倭寇」という日本の海賊によって荒らされていた。明国も軍隊を配備しこれに備えたが、
倭寇の振るう日本刀の威力の凄まじさの前に総崩れとなる。明国軍の装備は木製の柄の槍であった。
日本刀はその柄ごと相手を叩き斬るのである。
日本刀の破壊力に勝てる武器は無く、武装の面で大きく劣る明国軍は各地で敗走し、以後、長らく海賊の跳梁を許すことになる。
日本刀の能力に目をつけた将軍達は日本刀を輸入し、独自に研究を重ねた。そして大陸の技術を用いてこの「倭刀」を生み出したのである。
918 :
日本@名無史さん:04/02/21 02:08
荒木又右衛門は木刀相手に刀を折られたけどねw
919 :
日本@名無史さん:04/02/21 08:44
>>918 じゃあ、木刀>>日本刀か?(w
世の中広しと言えども、まがい物の方が強力なのはこの組み合わせくらいだろ。
920 :
日本@名無史さん:04/02/21 15:45
荒木又右衛門は新刀を使ったから
折られた。
古刀であれば無問題アル。
921 :
日本@名無史さん:04/02/21 17:35
日本の刀って鉄として輸入されてたとか聞いたけどな。
性能のいい鋼だから溶かして使うんだよ。
922 :
日本@名無史さん:04/02/22 05:16
>>919 刃や峰で受ければ折れなかったのだろうが、
横殴りにされたのを刀の腹で受けたのが原因のようだ。
横方向に見れば日本刀と言えども薄い鉄板に過ぎんので。
芯に軟鉄が云々とかいう話以前の問題だな・・・
>>920 古刀なんて数ねえじゃん・・・
923 :
日本@名無史さん:04/02/22 07:31
刀の背で受けると刃がかける
924 :
日本@名無史さん:04/02/24 21:59
兵隊のことで質問なんですけど
当時って大名から知行を貰っている侍は少数で
大多数の兵士は農民が徴兵されて合戦に赴いていたんですよね。
足軽兵などの武器は大名がこいつには槍・こいつには鉄砲という具合に
合戦ごとに貸し与えていたのでしょうか?
それとも各足軽たちは所持している武器を持ち寄って戦っていたのでしょうか?
(´-`).。oO(それだと貧乏な足軽はクワとかで戦う奴もいたのかも・・…)
925 :
日本@名無史さん:04/02/24 22:14
>>924 > (´-`).。oO(それだと貧乏な足軽はクワとかで戦う奴もいたのかも・・…)
正解。本当に貧乏な足軽は道に落ちていた木の枝を使ったり、体を鍛えて素手で戦ったり
していた。
926 :
日本@名無史さん:04/02/24 23:00
>>926 悪いことは言わない。他人を容易く信じるな。
騙し、裏切りは戦国の世の習いじゃ
928 :
日本@名無史さん:04/02/25 00:15
足軽などの集団が、持たせられた武器は、藩から貸し与えられる長柄の槍や鉄砲、弓です。
とくに足軽部隊は、一般の武士の持鑓よりさらに長い5、6メートルもの槍を持っていました。
これらの武器は藩の直属の管理であり 、足軽の人々は槍や鉄砲を自弁していた訳ではありません。
929 :
日本@名無史さん:04/02/25 00:20
>>926 赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際の武器一覧を調べてみれば。
それで全て理解出来るよ。足軽が一名いるから。
中世的な軍制と近世的なそれとの差だな
一領具足はすべて自弁だね。
933 :
日本@名無史さん:04/02/25 03:52
>>932 一領具足の連中は下級武士にあたる連中だから自弁が当然なのだよ。
>>924 マジレスしておくと
豊臣秀吉の刀狩以前は全ての成人男子が腰に刀を差して歩いていました。
最悪の場合でも脇差一本ありましたので。
935 :
日本@名無史さん:04/02/25 20:26
>豊臣秀吉の刀狩以前は全ての成人男子が腰に刀を差して歩いていました
考えてみれば、銃刀法のない時代だしな。
ま、江戸時代も脇差はけっこう差していたけどね。
二本差しは武家だけだけど。
937 :
日本@名無史さん:04/02/26 08:13
二本差しが禁じられたというだけだからね。
三本はどう?
三本も使えるんならすきにしたがよかろう。
打刀、脇差、合口で三本もありじゃないのか?
941 :
日本@名無史さん:04/02/28 03:59
合口って「父の仇」とかいって挑んで返り討ちにされてレイプされる時の刀ですよね。
あれって懐にいれるものでは?
942 :
日本@名無史さん:04/02/28 10:18
レイプが関係あるかどうかは知らんが、
匕首を腰に差す人はあまりいないかもね。
943 :
日本@名無史さん:04/03/01 04:23
当時戦場で戦っていた人たちは、どれぐらい体力があったんだろう・・・今と比べたら段違いかな。
関が原の戦いは西軍が前夜、徹夜で移動してたらしいけど、それで翌朝あんなによく善戦できたなぁ。
島津勢は、国許から京都まで馳せ参じたのが大勢いたらしいが。
まあちゃんと訓練してる自衛官には劣るんじゃねーの?
当時鉄砲隊以外はまともに訓練なんかしたとは思えねーからな。
945 :
日本@名無史さん:04/03/01 18:09
>>944 昔の日本人の持久力は半端じゃ無い。
現代人がどんなに訓練しても、人力車を引っ張って一日で東京から
日光まで行くことはできまい・・・
946 :
日本@名無史さん:04/03/01 20:40
幕末の百姓の写真見たら、スゲー筋肉質だった。
>>945 ツール・ド・フランスに出るような人は
一日で自転車で800キロ走れるそうだが
そっちの方がずっと凄いと思うぞ。
戦国時代は甲冑着て道路もないところを一日に50キロとか歩いたんだぞ。
実例は?
>>946 実家にある昭和初期の農村の写真を見ると
一見皆すごく筋肉質で頑健そうに見えるが
実際徴兵検査で甲種合格を勝ち取ったのは村でたった二人だけだったそうな。
そんなもんです、はい。
>>947 現代競技の方がノウハウが蓄積されているのだから、競技種目なら現代の方が
大概優れているに決まっている。
比べるなら当時の日本人と他の国の持久力。
ただ現代日本人は一部のサラブレッド志向の人を除けば、体力無さ過ぎ。
生物として機能退化している。
952 :
日本@名無史さん:04/03/01 22:02
>>950 身長がたりないからだろ。あと、病気もっているか。
しかし、持久力は無茶あると思う。
>>950 みんな肉体労働だし、余計な食べ物もないからみんな筋肉質。
とりあえず、30分の朝礼で倒れるような奴はいないと思われる。
ちなみに不合格理由は?
>>953 さあ、理由までは存じませんが。
不合格じゃなくて、皆乙種・丙種で合格したと思われ。
>>954 徴兵検査で、体力まで見ていなかったような・・。
身長とか視力とか、健康状態とかじゃないのかな?
957 :
日本@名無史さん:04/03/01 22:41
徴兵の時は、身長とかんじゃなかったっけ?見てるのは。
ガタイのデカイデブが体格が良いからって甲種で合格したけど
めっちゃ苦労したとかね・・・
>>947 自転車で800キロ走れても、人間乗せた人力車を
140キロ引っ張れるかな・・・?
>>957 人間乗せた人力車を140キロ引っ張れても、
自転車で800キロ走れるかな・・・?
刀スレで出たんだが、刀の話題と離れて聞きたかったのでこちらで質問させてくれ。
鈴木眞哉氏の話が出るとどこでも軍忠状の話がでてくるのだが、
そもそも軍忠状には戦での死傷者についてどこまで詳細に書かれるものなのか?
負傷者中心なのか、討ち死にまで書かれるのか?
日本刀の存在理由や白兵戦の頻度等の荒れ易い話題はとりあえず脇に置いてくれ。
>>958 明治初期の人間は自転車乗れないから無理。
>>959 刀スレで負傷者も討死も書かれると出ていたような
討死の割合が少なくないか?
もともと戦国合戦は境目の小競り合いみたいなのがほとんどだから、
討死は少なくて当然じゃない?
応仁の乱なんかでも、終日矢戦なんてのばっかりだし。
バタバタ人が死ぬような大合戦の割合なんてごく低いものだよ。
三方ヶ原みたいな派手な合戦でも、死んだのは300人ぐらいのようだし。
965 :
日本@名無史さん:04/03/02 01:11
>>964 刀も槍もいらねえな。弓矢と落とし穴で戦国の世を勝ち抜けるとみた!
だめ?
軍功や味方の損害を申請した文書を便宜的に軍忠状と呼んでるわけだから
一口に軍忠状といっても記述内容は様々。
ただ、戦死も負傷も恩賞の対象になるから、どちらかを中心に記録するって
ことはないだろう。どの程度詳しくというのはケースバイケース。鈴木氏は
統計を取れる程度に詳しいものを選んで使っているはず。
軍忠状についての解説は、
佐藤進一『新版・古文書学入門』(法政大学出版局、1997)。
が基本的なもので、これを批判した
漆原徹『中世軍忠状とその世界』(吉川弘文館、1998)。
も必読。どちらも南北朝中心だが、考え方自体はそれ以降の時代も大きくは
変わらないと思う。
ところで、鈴木氏の軍忠状統計には漏れも多大な関心を抱いているのだが、
使用した文書の典拠の一覧ってどこかに載ってる?
>>965 特定の兵科をゼロにすると、ある条件ではすごく強いけど、
ある条件ではものすごく弱いということになるから、無理ぽ。
武田の足軽と新庄と比べた場合
肩はどっちが強い?
969 :
日本@名無史さん:04/03/02 08:06
970 :
日本@名無史さん:04/03/02 12:12
971 :
日本@名無史さん:04/03/02 12:15
_
\\
\\ ≪OVER KILL≫
\\ 999999
\\ 斬鉄剣!
\\ Λ_Λ
\ 〆> Λ_Λ ( ゚ Д゚)
∠/⊂(∀` ) ___;:・  ̄ ̄
ヽ( )ゝ __ (
>>969)
(_\ \ | | |
(__) (__)_)
972 :
日本@名無史さん:04/03/02 12:16
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>>970─―/ヽ────―─‐
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973 :
日本@名無史さん:04/03/02 12:33
徴兵検査では性病検査があった
検査官がいきなり一物をぎゅっと握る
健康であれば、おおっという感じであろうが
淋病などの罹患者は痛みで悲鳴をあげて飛び上がる
現在の防衛大学校の身体検査では痔持ちか否かの検査がある
肛門にガラス棒が突っ込まれる
健康であれば、おおっつという感じであろうが
痔持ちは痛みで飛び上がる
しっとったかな
974 :
日本@名無史さん:04/03/02 12:38
し! _ -── ‐- , -‐───_ノ
幼 性 // ̄> ´  ̄  ̄ `ヽ / ヽ,. ´ ) 病 え
稚 病 L_ / ヽ / ヽ 気 |
園 が / ' ./ / / / ' i 持 マ
ま 許 / / ,/ / i ヽ / く ち ジ
で さ l l l ! l i! /i! i l!,l .厶, !?
だ れ i l| il /| j ハ ハ l/ /| l |!/l l ト ヽ
よ る l | |_|_|_l ! l / !__!_| トi/ | l! j!/ i l! レ、⌒Y⌒Y⌒ヽ
ね の _ゝ|// l_/-」_ヽ /_ /__|_」 !、Nl-‐┼! ,イ./ ̄`iリ``! |! i! l
l は 「 l Lンナ二` 、 /─ァ‐-、l| |! | _「_ヽ / ソ __リ │' / / | l
ヽ | イ´ ひ、 ヽ, / ソて!⌒ト、 ト iYひり! ヽ/ '´!7 ヾァi /-、 l! !
-┐ ,√`lヽ ! !l i! |! i! }ヽl | |! l! j!丿 / | 7l !
レ'⌒ヽ/ ヽ, ヽ 、_ノ , ヽ_从__人ノ_! ヽ ' , `ー‐シ ,イソ / /! /
人_,、ノL_,iノ! ヽi! r─- 、 「 L_ヽ r─‐- 、 /, ´,.┬ ´// l! /
/ \ ヽ,. -┤ ノ キ 了\ ヽ, -‐┤ ´ // l /
ハ キ { 人ヽ/!/`hノ ) モ |/! 「ヽ,`ー /) ヽ //
ハ ャ ヽ. r-、‐' // //.l-‐く | > / / `'//-‐、 ノヽ ソ
ハ ハ > /\\// / //ヽ_ ! イ ( / / // / `ァ-‐ ' 〉、
ハ ハ / /! ヽ レ'/ ノ > ' ∠ -‐  ̄ノヽ / 丶
{ i l ! / フ / -‐ / ̄/〉 〈 \ /! \
975 :
日本@名無史さん:04/03/02 15:40
軍事においては痔持ちは最悪
ナポレオンしかり
穴山梅雪しかり
976 :
日本@名無史さん:04/03/02 15:49
こないだ入院した時、看護師のおねえさんに
浣腸を施してもらった。
めくるめくとろけるようなひとときでした。
漏れは入院中合計4回もやられたが全然蕩けなかったぞ。
相当美人な看護婦さんだったのに。976にはその方面の才能があるに違いない。
978 :
日本@名無史さん:04/03/02 20:46
触診でイカされた奴いる?
979 :
日本@名無史さん:04/03/03 01:22
(´・ω・`)
980 :
日本@名無史さん:04/03/03 01:25
最後にクソスレに昇華して散りましょうぞ!
>973
ガラス棒差されて飛び上がると危険でねえか?
982 :
日本@名無史さん:04/03/03 01:58
去年二回性病を患いました(鬱)
984 :
日本@名無史さん:04/03/03 02:59
同じ火縄銃でも1560年頃と1580年頃じゃあ、
格段に性能が違うということはないのか?
1560年頃までに配備されたのが、少しずつ広まったプロトタイプで、
1580年頃織田や羽柴の中央勢力が持っていたのは実用度UPの新型とか。
取引のある生産者によっても性能が違うと思うし。
東南アジアでほぼ同タイプの銃が作られていたから、
それはないだろうな。
種子島は中国の銃より品質がよくて命中率も高かったそうだよ。
現代の古銃競技会でも種子島はいい成績だとか。
現代のライフル刻んだ銃に比べればもちろんずっと精度は落ちるけどね。
987 :
日本@名無史さん:04/03/03 12:03
チンコの内壁はライフル刻んでるらしい。
生命の神秘。
988 :
日本@名無史さん:04/03/03 15:24
日本製は外国製より性能がよかったぞ
外国製は何発か連続してぶっ放すと銃身が焼けて曲がったりした
国産はそういうことがなく格段に品質がよかった
もともと刀鍛冶職人のハイテク技術が生かされたわけだ
火薬や火縄も工夫が凝らされていていった
989 :
日本@名無史さん:04/03/03 16:49
刀鍛冶職人の技術はすごかったらしいっすね
説得力あります
990 :
日本@名無史さん:04/03/03 17:06
国友や堺の鉄砲鍛冶は専用の試射場を持っていて新製品の開発にしのぎを削っていた
飛距離、命中率、破壊力、弾込め操作の改善、火縄の火持ちなど年々改良されたんよ
でないとその後の戦闘では採用されんよね
992 :
日本@名無史さん:04/03/03 21:24
内池町の南、田をへだてて小高い丘があり「一本松」または「玉受山」と呼ばれている。
ここは日野城下町の頃、鉄砲町「今の上鍛冶町」鍛冶町「今の下鍛冶町」で製作された火縄銃「日野鉄砲」を、
この対岸より試射して丘にある的に弾丸が届くかどうかの、性能をテストした場所である。
試射した日野鉄砲の弾を受ける山という意味で「玉受山」と名がつけられた。
当時の新兵器「火縄銃」の性能をうかがい知ることができる。
993 :
日本@名無史さん:04/03/03 22:48
995 :
日本@名無史さん: