★★★籤将軍足利義教★★★

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1日本@名無史さん
明石散人ご推奨。
「無類の上」だそうな。
2ぼるじょあ ◆yEbBEcuFOU :03/07/10 21:07

  ぼるじょあ兄弟がムーンウォークで2ゲットォー!!
  ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
       ∧ ∧     ∧ ∧
       ( ・3メ)    ( ・3・)
      ⊂ ⊂ヽ    / つ つ
        /⌒_)〜(_⌒ヽ
;;⌒´)≡≡≡し´ヽ(     .)ノ `J≡≡≡(´⌒;;
  ;;⌒´)⌒´)         (´⌒(´⌒;;
 ズザザーーーーッ        ズザーーーーッ
3日本@名無史さん:03/07/10 21:11
Q 「籤」はなんと読むでしょう

1 いかだ
2 ぜいちく
3 しなちく
4 かご
4日本@名無史さん:03/07/10 21:20
>>3
5の「さじき」に決まってんだろ!馬鹿!!
5日本@名無史さん:03/07/10 21:32
明石散人てしらんけど、
現代の義教の評価は確かに不当過ぎるほど低いな。
南朝完全に滅ぼしたってだけでどの足利将軍より功績あると思うけど。
6日本@名無史さん:03/07/10 21:46
>>5
ここが一番わかりやすいな。
http://members.tripod.co.jp/mituhide_akechi/yosinori.html
7山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/10 21:54
>>6
参考文献が・・・というかそれで「考え」られるんですか。
8日本@名無史さん:03/07/10 21:59
>>7
っていうか単なる引き写しだろ。別にいいじゃん。
9日本@名無史さん:03/07/10 22:01
10日本@名無史さん:03/07/10 22:04
義教とはどんな人物なのか。
「比叡山攻め」「南朝殲滅」「関東平定」「宗教界制覇」「九州平定」を成し遂げ、わずか13年で奥州から琉球まで制圧した。
これが彼の業績である。

どれをとっても偉大なことだがこれをひとりの人間が成し遂げたのである。
業績だけを聞いただけでも彼が日本史史上屈指の英雄であったことが分かる。
だが義教が偉大なのは結果を残しただけだからなのか。
では、義教のもっと深いところを見てみることにする。天魔王と呼ばれた義教である。 
http://okasemi07.fc2web.com/hyou11.htm
11日本@名無史さん:03/07/10 22:22
>>10
「足利義教による琉球制圧」なんて事実はないんですが。
12日本@名無史さん:03/07/11 14:48
>>11
意味不明
13日本@名無史さん:03/07/11 15:48
須きたはらきけkじゅ;あいhなななえ
14日本@名無史さん:03/07/11 16:02
いきなり電波に乗っ取られてるなこのスレは・・・
15日本@名無史さん:03/07/11 16:16
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16日本@名無史さん:03/07/11 16:41
厨房な質問ですんません。
足利義教が島津氏に琉球の支配権を認めたとされる「琉球付庸文書」って
あれは本物なんですかね?
17日本@名無史さん:03/07/11 16:42
足利義教が琉球国王に宛てた御内書が残っているそうだね。
18日本@名無史さん:03/07/11 16:48
>>16
ニセモノでしゅ。サツマは平気で嘘つくでしゅ。
19日本@名無史さん:03/07/12 08:51
なかなか面白そうな人だね。
ドラマティック。
20日本@名無史さん:03/07/12 08:52
この人が日本で始めて天下統一を成したって本当なの?
21日本@名無史さん:03/07/12 09:00
明石散人のたわごとを真に受けてるんじゃねえよヴォケ!
22日本@名無史さん:03/07/12 09:13
23日本@名無しさん:03/07/12 10:24
それにしても不当に評価が低いというのはわかる。
24日本@名無史さん:03/07/12 10:30
今谷明がその不当に低い評価の尻馬に乗った本を出したのには失望した。
25日本@名無史さん:03/07/12 13:07
>>24
へ〜。
キン肉マンの人がねえ・・・。
26日本@名無史さん:03/07/12 13:27
本の名前は忘れたが…
 政敵(義教に反逆行為)の弟・大覚寺義昭が逃亡の末に日向に落ち延びた。
 最初は匿っていたものの、当時これも義教の政敵で永享の乱で滅ぼされた鎌倉公方・持氏の遺子を擁立して
反旗を翻した結城氏朝をようやく鎮圧(結城合戦)でき、義教の権力が絶対的な状況下では、匿う余地が
なくなってしまい、ついに島津が義昭を討った。
 そして義昭の首を義教に送ったのを義教が大いに喜んだ。その喜び様は半端ではなかったと
公家などの日記にも書かれていたそうです。

 そこに後の島津氏の琉球併合の正当性を持たせる為に、義教が恩賞として琉球支配権のお墨付きを
得たと改竄した。

 だそうです…
27日本@名無史さん:03/07/12 13:33
 徳川家光しかり、自分に劣等感を持っていた事が絶対権威を得ようとする野望が強いのだろうか?
 家光=才気あふれる弟・忠長
 義教=運で選ばれた将軍
28日本@名無史さん:03/07/12 13:39
>>25
それは神谷明。・・・て言ってもらえれば満足か、おい?
29日本@名無史さん:03/07/12 14:11
>>28
風車の弥七は?
30日本@名無史さん:03/07/12 14:33
信長公と似てるよね
31日本@名無史さん:03/07/12 15:04
籤引将軍。足利義教はそう言われる。そしてその扱いは極めて不当だとしか言いようが無い。
後世の信長は高く評価されているが義教は芳しくない。
「オリジナルを考え付いた人間とそれを模倣した人間どちらが偉いか」と聞かれれば「オリジナルを考え付いた人間」と答えるであろう。
有る物を真似て改良する事はやろうと思えば誰でもできる。
しかしオリジナルを考え付くことは常人にはできない。それは天才のみが行える行為である。
されば何故信長は天才と称され義教は評価されない?余りに不当な事ではないか!!
信長は義教の「真似」をしたに過ぎない。かの「比叡山焼き討ち」でさえ義教の行為を踏襲したまで。
しかも義教は断固として処置したにも関わらず信長は祟りを恐れて躊躇している。
どちらが上かは言わずもがなであろう。
今回はその辺りの誤解を解く一石になればと思う。
http://members.tripod.co.jp/mituhide_akechi/yosinori.html
32日本@名無史さん:03/07/12 18:22
>>31
足利義教「比叡山焼き討ち」って言っても幕府軍に包囲された比叡山の坊主どもが、
あてつけに根本中堂に火を放って「火定(焼身自殺)」をやらかしたしたのが真相なんですが。
33日本@名無史さん:03/07/12 19:32
>>32
よく知ってるね。
そんな事。
34山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/12 19:35
>>32
その前に金輪院らをだまし討ちにしたのが原因でしたね。それだけで
も大したものでしたが。
35日本@名無史さん:03/07/13 01:24
義教の周囲の側近達が比叡山への軍事的圧力にかかわるのを敬遠した為に、
義教の思うが侭に動かせる軍隊を持っていない以上、攻撃が出来ず。
 義教の腸は煮え繰り返り、何とかして懲らしめる機会をうかがってたんでしょうね。
 そして、自陣に引っ張り出して討ち取った…

 しかし、坊主達の自殺が世評に響く事を恐れて、緘口令をしいたのが…
36日本@名無史さん:03/07/13 07:54
結論!
義教は韓国人と言う事でよろしいか?>ALL。
37日本@名無史さん:03/07/13 07:57
義教が韓国人ということは親父の義満も韓国人なのか?
38山崎 渉:03/07/15 11:41

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
39日本@名無史さん:03/07/16 00:50
 
403:03/07/16 21:09
「籤」なんて漢字 今時使わねぇだろなぁ と思ってたら
今日街角で「抽籤箱」を見た。 
旅行会社のキャンペーンなんだけど 今時使うもんだねぇ
41日本@名無史さん:03/07/16 22:42
そういや籤で選ばれて皇位についた天子様もいましたね。
42日本@名無しさん:03/07/17 09:41
>>41
後鳥羽か?
43日本@名無史さん:03/07/17 10:01
後鳥羽は上皇に決めてもらってる。
北条泰時は籤で後嵯峨天皇を皇位につけたといわれているが?
44日本@名無史さん:03/07/17 10:06
後南朝の討伐や、宮廷への干渉、宮廷有力者の処罰など
かなーりの独裁ぶり。足利最大か?
勘合貿易の復活。
籤は恐ろしきものかな。
45_:03/07/17 10:08
46日本@名無史さん:03/07/17 13:05
>>43
一応、かたちだけ籖は引いたようだけど、後嵯峨を帝位につけることは
最初から決めてたんじゃない? 倒幕派だった順徳院の皇子(忠成王)を
天皇にするわけにはいかないし。
あと、後鳥羽も実質的には後白河院の意志で帝位についたけど、義仲が
以仁王の遺児・北陸宮を帝にしろと口出ししたりいろいろあったもんで、
ご託宣やら籖やら、いろいろややこしい手続きを何度もふんだ上で即位
させられてる。
47日本@名無史さん:03/07/17 13:56
>>46
43。幕府は京都の望んだ天皇を断固拒否して、皇位継承権をし遂げた。
ってのは、後嵯峨だっけ?後鳥羽の孫なんだが。順徳系を否定できれば
良かったのかな?
48日本@名無史さん:03/07/17 14:15
土御門院はすでに死去していたが、順徳院はまだ健在だったというのも大きいな。
49日本@名無史さん:03/07/17 15:38
>>47
1.>>48氏も書いてるように、順徳院が健在のため(その年のうちに
亡くなるけど)、忠成王が即位すると順徳院を都に戻さなければなら
なくなる場合もある。
2.順徳院は倒幕に積極的だったが、土御門院は消極的だったため、
土御門院の血筋の方が幕府にとっては好ましい。
3.朝廷における忠成王支持派の九条道家は将軍頼経の実父だが、
後鳥羽院を都に戻そうと言い出してから北条氏との関係が悪化して
いたのに対し、後嵯峨支持派の土御門定通は北条泰時の妹の夫で、
北条との関係は良好。
といった理由が重なったものと思われ。
50日本@名無史さん:03/07/18 10:55
>>48-49
サンクス。よく理解できた。鎌倉幕府は、だんだんと朝廷に対し強くなっていったようだね。
51日本@名無史さん:03/07/18 11:28
実際、承久の乱以後、個別に説明することはしないけど、天皇の任免はほぼ幕府の思いのままです。
52日本@名無史さん:03/07/18 20:48
「任免」とは言わんだろ
53日本@名無史さん:03/07/19 00:29
そういや義教が籤で選ばれるのもあらかじめ決まってたって説もあるな。
確かに順当な継承位置だし。
54日本@名無史さん:03/07/19 12:19
本人は喜んだのか、ビビッタのか?
専制を目指すという心理構造が不可解というか、籤のせいなんだろうか?
55日本@名無史さん:03/07/19 16:39
たとえば、鎌倉府を六波羅短大みたいに任命制にしてたら違ったのかな? それとも関東は京からでは制御不能なのかな。
56日本@名無史さん:03/07/20 01:01
義満の権威が生きてる頃だし、足利幕府の守護制が幕府の権力を弱めてるのは
後の戦国期でわかることだしね。
専制の方が統制が堅くなったのは確かだと思う。
57日本@名無しさん:03/07/20 23:06
>>51
後嵯峨以後の皇統分裂については
鎌倉幕府が皇位継承について及び腰だった
(反幕府的な人以外についてはあまり干渉しなかった)点が大きい

積極的に介入してどちらか一本に決めていれば
後醍醐の即位もなかったし、鎌倉幕府の滅亡もずっと遅れていたか、
全く別の形で行われていただろう
58日本@名無史さん:03/07/23 21:59
 
59日本@名無史さん:03/07/25 23:20
明石散人=高橋克彦と聞いたけどマジ?
60日本@名無史さん:03/07/25 23:39
>>59
大嘘。
61日本@名無史さん:03/07/25 23:50
明石の以外にこの人の事を知れる本で面白いのありませんか?
62日本@名無史さん:03/07/25 23:58
>>61
井沢(ry
63日本@名無史さん:03/07/26 15:03
よしりんは足利餅氏を葬った時点で得意絶頂の極みに達した。
そのエクスタシーを赤松貞村にぶつけたら、蜜助が妬いた、とこういうワケで。
64日本@名無史さん:03/07/26 21:47
カッコいいよね。
天台開闢以来の逸材とか言われて・・・。
くじで選ばれて、天魔の所業で・・・。
結局、部下に首をはねられて死ぬ・・・。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/9109/hitatare-ashikaga.jpg
65日本@名無史さん:03/07/27 09:58
よしりんて……歴代将軍のうち14人に相当しちゃうじゃねーか。
のりりんにしようぜ。
66日本@名無史さん:03/07/27 10:26
>>65

いや、小林「よしのり」と同じ音なのは義教だけ
67日本@名無史さん:03/07/27 10:28
>>66
は?
ヴァカでつか?

「よしみつ」だって「よしりん」
68日本@名無史さん:03/07/27 10:33
>>67

小林よしのり=「よしりん」のパロなんだが…。
まあわからん奴はええわ。
69日本@名無史さん:03/07/27 10:35
パロにもなっていないんだけど…
70日本@名無史さん:03/07/27 10:37
間違える人も出るからやっぱ「のりりん」で
71日本@名無史さん:03/07/27 10:38
足利義教スレは前にもあったが、そこではよしりんの愛称は通ってたがな。
一気にクソスレ化してきたなw。まあ好きなようにやってくれや(^^)/~
72日本@名無史さん:03/07/27 12:30
ヴァカでつか だって
73日本@名無史さん:03/07/28 02:24
>72
やっぱりヴァカでつね
74日本@名無史さん:03/07/28 02:53
じゃあ、まんなかとってしのりん
75日本@名無史さん:03/07/28 03:00
信長の行動は義教と似ているが、彼は足利義教をある程度意識してたのだろうか?
76日本@名無史さん:03/07/28 06:44
どうかんがえてもパロになってない
「よしあき」だって「よしてる」だってよしりんだろ
77日本@名無史さん:03/07/28 06:54
レベルの低い言い争いが続いているな
7865:03/07/28 09:58
……俺が悪かった……誰だちょっとしたネタに粘着してるのは。

↓以後何もなかったかのようにどうぞ。
79日本@名無史さん:03/07/28 11:40
わかればよろしい
80山崎 渉:03/08/02 01:30
(^^)
81日本@名無史さん:03/08/02 21:52
 
82日本@名無史さん:03/08/14 19:44
 
83山崎 渉:03/08/15 12:27
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
84日本@名無史さん:03/08/15 18:41
小林よしのりの愛称を知らないのがここでは普通ということか
85日本@名無史さん:03/08/16 14:00
 
86日本@名無史さん:03/08/16 18:20
コヴァなんかどうでもいいし。あんな啓蒙野郎。
いいから中央集権を目指した義教公の偉大さについて語ろうぜ。
87日本@名無史さん:03/08/18 08:09
俺も小林なんてどうでもいいな。
アカ日新聞よりはましだが。
88日本@名無史さん:03/08/18 08:11
で、義教公は禅の修業をした結果
「悟り」に達していたのかどうかがちょっと気になるわけだが
89日本@名無史さん:03/08/18 17:46
>>88
禅修業なんかしたの?
元坊さんなのは知ってるけど。
90日本@名無史さん:03/08/18 21:34
してないだろ(笑
もし悟りを開いて、その結果が比叡山焼き討ちだったら……ちょっと面白いかもな。
91日本@名無史さん:03/08/18 22:00
まあ常識的に考えて、
元僧侶であり、あれだけ禅に熱心な父や兄を持ちながら
一度も坐禅をしたことがない、という方がおかしいと思うが。
本人もかなり禅寺に寄進しているようだし。

悟っていたかどうかは誰にもわからん。
92日本@名無史さん:03/08/19 00:33
>>59
処女作に写真載ってるyo
93日本@名無史さん:03/08/19 23:18
中世・近世の人って、その前の時代の人のことを詳しく知っているのかな?
信長って、義教のことを具体的に知ってたのかな?
知っているとしたら信長って、二番煎じになってしまうな。
94日本@名無史さん:03/08/29 19:29
95日本@名無史さん:03/09/02 16:18
義教に処罰された人一覧表
みたいなもの誰か持ってる?
96日本@名無史さん:03/09/02 22:22
>>95
当時の公卿・中山定親の記録によると、処罰されたのは公卿59(近衛忠嗣・
九条満輔の両関白歴任者を含む)、神官3、僧侶11(永助・弘助の両法親王
を含む)、女房7(称光天皇の生母光範門院を含む)。
ただし、これは永享6年(1434)までの記録で、嘉吉元年(1441)
までの処罰者はたぶん倍以上。また、武家・庶民の処罰者はもっと多い。
97日本@名無史さん:03/09/03 01:21
>>96
サンクス!
斯波義淳・畠山満家・三宝院満済といった
当時の実力者が亡くなった後、義教の暴走が始まった
みたいですな。この辺りは堀田正俊が亡くなった後
の徳川綱吉に似てる気がする。
98日本@名無史さん:03/09/06 02:28
age
99日本@名無史さん:03/09/06 10:02
>97
いっしょにしないように、義教に失礼でつ。
100日本@名無史さん:03/09/06 16:06
1○○
101日本@名無史さん:03/09/06 16:15
どうも義教って、信長とダブるんだよな。
最大の敗因は、子供が小さかったことじゃないか。
義永って子供もいたんだよな。
102日本@名無史さん:03/09/07 02:24
つまるところ義教が革新的過ぎて誰もついてこれなかったんだよな。
ちょっと不憫。
103日本@名無史さん:03/09/07 08:50
>>102
でもすごいね。足利家の将軍って、義満以外、ぱっとしないなぁと思ってた。
このスレ読んで、すごいと思ったYO
104日本@名無史さん:03/09/08 22:42
足利義教は典型的な専制君主だな。初代尊氏と3代義満も有力だったが
それでも数ある有力者の一人でしかなかったし、その他は飾り物に等
しい存在だった。混迷の時代、人々は一時的に専制君主を歓迎したが、
その恐怖政治は次第に嫌われるようになる。

赤松光祐の反乱だが、彼個人の私怨に周りの支持が加わったものだろう。
105日本@名無史さん:03/09/08 23:49
でも、その専制君主に憧れるんだよな。
「天魔の所業」と言うらしいが・・・・。







106日本@名無史さん:03/09/09 06:15
赤松が義教を殺した時、誰も義教のために身をたてにして守ろうとする人がいなかったって本当?
もしそうなら、信長とはやっぱえらい違いだと思うんだけど。
107日本@名無史さん:03/09/09 11:06
山風の「室町の大予言」が好き。
信長ネタでもあるよ。
108日本@名無史さん:03/09/09 11:07
室町幕府は一貫して政権基盤が非常に脆弱で、これは事実上の戦国時代。
朝廷にしても南北朝で分裂しており、大変な混迷と戦乱の時代だった。
「日本」という国自体がまだ出来上がってなかったのかもしれない。

それと比べると江戸時代はなんと安定した長期政権だったのだろう。
百姓一揆や打ちこわしも頻発したが、専ら地方代官と大商人が標的。
109日本@名無史さん:03/09/09 11:50
尊氏は政権建設期。
義詮は南朝との争乱期。
やっと足利政権が確立したのは義満期。
しかしその後は、義持〜義量は三管領に圧迫され、傀儡化。
義教が独裁体制を奪回するも、赤松光則に討たれ、
その後義勝〜義晴は完全に細川の傀儡。
義輝によって、将軍権力向上が図られるものの、
義輝が松永久秀に討たれ、その後の義栄は三好三人衆の傀儡。
そして義昭は信長の傀儡で、倒幕。
要するに、室幕ってのは、守護大名や戦国大名に、
中央権力を認めずに、地方分権の統一の神輿として、
担がれてただけなのね。
つまりは将軍らしい将軍など、義満と義教しかいなかったと
いうわけ。
110日本@名無史さん:03/09/09 19:30
義輝は傀儡じゃないし入れていいんじゃないかな?
111日本@名無史さん:03/09/09 19:55
>>109
将軍らしい将軍って言うけど、実際のところは、鎌倉以来、徳川将軍家も含めて、将軍とはほとんどの場合「神輿」的存在であるケースの方が圧倒的に多い。
神輿である分を超えた「独裁者」は、よっぽどカリスマ性とか指導力が無いと好まれない傾向にある、というのも同様。
天皇もそうだけど、将軍も大名統合の象徴的存在として機能していた、ということではないか。
いうなれば「将軍機関説」?
まぁ日本という国は、よかれあしかれ、そういうものが必要な国なのかもしれないが。
112日本@名無史さん:03/09/09 22:15
ここだとよしのり信者が多くても仕方ないのかな。
なんか義満と義教の間の義持が傀儡とは思えないんだけど。
113日本@名無史さん:03/09/10 18:19
>>112
義持って、もっと評価されてもいいと思うがな。
彼がいなければ、ひょっとしたら、我々、「中華民族」にされてたかもしれないんだから。
義満のせいで、天皇の承諾抜きとは言えども、半分くらいは中華の冊封国であったわけだから。
「我が国は、古来から外に向かって臣と称せし事なし。向かい来るなら、刀を持ってお迎えする」
みたいなことを義持が大明に向かって、言ってくれたおかげで、今の日本があるのかもしれないし。
114●のテストカキコ中:03/09/10 18:22
http://ula2ch.muvc.net/ (このカキコは削除しても良いです)
115日本@名無史さん:03/09/10 19:13
義持のもみあげがやだ。
116日本@名無史さん:03/09/11 10:56
>>111
漏れは>>110
君の言うとおり。
漏れの言った「将軍らしい将軍」とは、
最低限のリーダーシップを保持していた。
少なくとも、誰かの傀儡じゃないという程度の意味。
むしろ、義満&義教が例外。
鎌倉の頼朝も政子の傀儡。
それ以下は将軍らしい香具師は不在。
室町は義満と義教くらい。
江戸も家康と家光と吉宗くらいだろう。
(秀忠は正室お江の方には頭が上がらなかったとか)
117日本@名無史さん:03/09/11 14:32
いや妻に頭が上がらなかったところでお江の方が政治に口出ししてた訳じゃないし。
秀忠は別にいいんじゃね?
118日本@名無史さん:03/09/11 18:05
>116
頼朝や秀忠を傀儡というなら家光だって同じようなもん。
幼少の頃は春日局や土井利勝、成人後は松平信綱とか阿部忠秋といったブレーンたちの傀儡。
まぁ、側近たちの意見をよく聞いたからって傀儡とは言わんと思うがね。
もしかして君のいう将軍らしい将軍って、我が儘で迷惑な独裁者のこと?
それならあの「偉大なる将軍様」こそ最強のry
119日本@名無史さん:03/09/20 00:35
義政が政治に無関心だったのは、本人の性格もあるんだろうけど、父親の
義教が強権振るった挙げ句に殺されたから「ああはなりたくない」と考えた
せいもあるんだろうか?
120日本@名無史さん:03/09/20 11:08
義持が三管領に圧迫されて傀儡化というのは、どっから沸いた妄想なんですか……??
121日本@名無史さん:03/09/28 00:50
足利義持の評価も低いよな。
日本国の恩人と言っても良いくらいなのだが・・・。
122日本@名無史さん:03/09/28 01:03
>>121
日本国の恩人?なんで?
123日本@名無史さん:03/09/28 01:22
>>122
義満の中国への朝貢を辞めたから。
というか「我が国は古来より外に向かって臣と称せし事なし。向かい来るなら武力をもって迎え撃つ」みたいなことも言ってる。
義満の政策を踏襲してたら「一時的な半冊封」では済まなかったかもしれない。

124日本@名無史さん:03/09/28 02:49
>>123
あほか。そんなわけねーじゃん。
125日本@名無史さん:03/09/28 05:00
まあ、確かに義持はもっと高く評価されてもよいかと。
特に政治的なセンスと言うかバランス感覚のようなものは、正直、義満や義教以上。

だいたい義持は、やろうと思えば義満や義教のようなことができるくらいの権力は持ってた。
それにもかかわらず、敢えてそれをしなかった点が義持の政治の特徴。
126日本@名無史さん:03/09/28 05:21
まあ、確かに義政はもっと高く評価されてもよいかと。
特に政治的なセンスと言うかバランス感覚のようなものは、正直、義満や義教以上。

だいたい義政は、やろうと思えば義満や義教のようなことができるくらいの権力は持ってた。
それにもかかわらず、敢えてそれをしなかった点が義政の政治の特徴。
127日本@名無史さん:03/09/28 06:19
>>126
そうか?
なんだかんだ言っても、応仁の乱の一因は義政の失政にあると思うが。
128日本@名無史さん:03/09/28 09:30
義教の暴走は、義持時代からの幕臣が死んで始まってる。
義持の造りあげた三管四職の合議制が潰れて始まった。
義持が将軍としてぱっとしないのは、義教や義満ほどには独裁的な将軍ではなかったからだが、
……なんというか、いい意味でも悪い意味でも、非常に日本人らしい将軍だと思う。
129日本@名無史さん:03/10/01 23:07
あの・・・
 義材(義稙)はどうかな?
 義尚の果たせなかった六角征伐を成功し、将軍権威の回復に努めようとする熱意は多いにあったと思う。

 しかし、政元に疎まれて結局クーデターで失脚。
 もし政元を失脚させる事ができても、畠山政長がかわりに顔を出してくるのか?
 その後は大内義興を頼って将軍復活。細川高国達に専横されてたが・・・その後は細川内紛と義興の帰国で
うやむやになったが・・・
 
130日本@名無史さん:03/10/17 20:00
131日本@名無史さん:03/11/06 23:58
132日本@名無史さん:03/11/07 01:05
唐揚大王スレ認定記念age
133日本@名無史さん:03/11/07 04:26
>>123
結果的に攻め込まれずに済んだからねw。
義持の断交に永楽帝は激怒して、遠征軍の準備まで指示してるんだよね。
「元寇の二の舞はイヤ」って周囲に諫止されて思いとどまったけど。

思いっきり結果論のにおいがするんですが…。
134日本@名無史さん:03/11/16 01:16
漫画日本の歴史で結城合戦の春王丸兄弟の悲劇が印象的。
あれを小説に出来たらヒットすると思うんだけど。
図書館で、結城合戦絵巻ってのがあって、少しのみの現存なんだけど、

天下無双の武士たちが若君たちを守って戦い抜く。しかし、多勢に無勢。
ついに、女子供だけでも逃がしてくれと頼む。許可され、逃げ出す女官たち。
「待てい、中に若君たちが潜んでいるやも知れぬ」しらべしらべ・・・・・
「ぬ、なんだ、その言葉使いは、おぬし、女官ではないな!」(若様言葉だからw
(乳母が止めるんだけど・・・)「ばれたか、もはやこれまで!!」
わーーーーーーー・・・・全滅(つД`)

大体こういう筋。資料さえ揃えられば、小説に書いてみたい。
135日本@名無史さん:03/11/16 21:23
小説あるぞ。主人公は結城親子だけど。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101100144/ref=sr_aps_b_/250-0067244-3721870
136日本@名無史さん:03/11/20 22:38
天下の旗に叛いて 南原 幹雄 (著)
おぉ、ありがとうΣ(゚∀゚) !!今度読んでみるよ
137日本@名無史さん:03/12/15 21:51
もう少し残しておきたいのでageます。
138日本@名無史さん:03/12/28 14:11
age
139日本@名無史さん:03/12/31 03:28
>>133
永楽帝が日本遠征を考えていたって本当なの?
140日本@名無史さん:03/12/31 04:59
明にとっては一大事なんだろうね。
冊封体制は東アジアの安全保障に関わる
重要事項だし。やっと冊封してくれた日本が
為政者が代替わりしただけで拒否してくるなんて…。

結果的に後世、日本は朝鮮に攻め入って東アジアの安定を
崩してるし。しかも倭寇の取締りを正式なルートで依頼できなくなっちゃうし。
明が、もしこの冊封体制からの独立が他にも飛び火してしまったら
マズイって考えたとしても不思議ではないよね。
141あぼーん:あぼーん
あぼーん
142日本@名無史さん:04/01/30 00:48
 
143日本@名無史さん:04/01/30 00:48
あげ
144日本@名無史さん:04/01/30 05:33
>>140
漢人の考え方は昔も今もおんなじ。
よその国(ただしアジア)はみんな自分たちに頭を下げ、貢ぎ物を捧げてくるのが当然。
そうしない国は武力で制圧されるのも仕方がないって考え。
実に度し難い連中だよ。秀吉でなくたってこんな奴らは征伐したくなるね。
145日本@名無史さん:04/02/03 00:55
146日本@名無史さん:04/03/06 20:57
 
147日本@名無史さん:04/03/25 00:15
 
148日本@名無史さん:04/04/06 22:34
149日本@名無史さん:04/04/23 20:17
もう何もないの?
150日本@名無史さん:04/04/26 21:35
何もないよ。
151日本@名無史さん:04/04/26 21:45
>>144
まあ、元以降の支那の歴代は皆日本と直接武力衝突して
酷い目にあっているわけだが。偉そうにしていても日本
には勝てないw

元       元冦
明       秀吉の唐入り
清       日清戦争
中華民国    日中戦争
中華人民共和国 ?
152日本@名無史さん :04/04/27 07:39
なんか頭悪そうなスレになってきましたね
153日本@名無史さん:04/05/01 23:44
日本史板の住民もレベルが低いなあwwwwww
足利義教に関する論議が実質100レス程度で打ち止めかい?

引き出しが少ないなあwwwwwww
154日本@名無史さん:04/05/02 16:36
>>153
大河ドラマの主役にでもなれば、もっと
盛り上がるんだがな。

ストーリー的には盛り上がる話は、信長級なんだけど。
155日本@名無史さん:04/05/15 20:28
もいちど
156日本@名無史さん:04/05/15 20:55
>>154
姉妹を側室にしてたシーンやっちゃうの?
ちょっと見てみたい。
157日本@名無史さん:04/06/13 01:10
このスレ消さないで下さい。

学会での評価は芳しくない義教ですが、司法権の徹底的な独立を図った最初の為政者である点を評価をする人は結構います。
袖の下もしくは有力者とのコネが全てであったこの時代に、公正さの概念を持ち込み、最後の調整のための規準を自らの絶対的権力に求めた彼は、ある意味では天才的な政治家と言えると思います。
158日本@名無史さん:04/06/15 20:49
つまり学会での義教の評価は
比叡山制圧・関東平定・九州平定・南朝打倒をやってのけ
室町幕府としては最大の支配圏を実現した
空前絶後のろくでもないバカ殿ダメ政治家ってことですか
159日本@名無史さん:04/06/15 21:47
 「籤引きで選ばれた」イコール「神から選ばれた」と中世では考えられていたから、自分の権威を神聖視するのもおかしくはなかったのでは?
 そして「神から選ばれた」と考える人間が将軍である以上、誰も彼の暴走を止められなかったのではないのか?
 (多分彼に反抗すれば即刻命がなくなるというテロ政治でしたから。)
160日本@名無史さん:04/06/15 22:21
悪御所
161日本@名無史さん:04/06/16 05:05
籤引きで選ばれなくても
古代や中世の支配者連中は自分の権威を神聖視していただろ。
162日本@名無史さん:04/06/16 23:17
>>159
彼の人気の前半は、有力守護大名にブレーキかけられてたんだが。
守護大名の世代交代でブレーキかけるやつが軒並みいなくなったんだが。
163日本@名無史さん:04/06/17 10:11
つか征夷大将軍なんて
他の誰かの傀儡じゃない香具師の方が珍しいんだが。
テロ政治やりたい放題の絶対権力を手にするまでこぎつけるなんて
すげえ政治能力がないとムリ。
164日本@名無史さん:04/06/17 14:05
>>163
その権力を維持し続けることが出来たんならともかく、結局アボンヌされちゃったじゃん。
すげえ政治能力なんてねぇよ。
165日本@名無史さん:04/06/17 15:51
暗殺されたといっても
なかなか付け入る隙がなくて排除の順番が最後になった赤松が
ヤケクソなってテロ敢行したようなものだし。
義輝や信長のケースよりは
江戸時代の堀田暗殺や井伊暗殺に近いんじゃないか。

築いた権力が死後に崩壊したのは
個人のカリスマに頼りすぎたからだろうな。
166日本@名無史さん:04/06/17 17:33
彼がいなければ室町幕府はもっと早くに滅んでいたかもしれないし。
167日本@名無史さん:04/06/17 22:08
結局あぼんぬされた椰子に政治能力なんてねえ

義教から信長から直弼から利通から犬養から是清からラビンまでみんな
168日本@名無史さん:04/06/17 22:41
>>166
確かに室町幕府は長続きしなかったかもしれないが
戦乱も長続きしなかった気がしないでもない。
政敵になりそうなのを次々粛清したから
信長死亡時の秀吉
秀吉死亡時の家康のような
ちゃんと天下を治められる実力者が残ってなかった。
169日本@名無史さん:04/06/18 18:31
石井議員も
170日本@名無史さん:04/06/19 23:54
義教の政治能力は、やはり天才的だと思います。

守護大名の力が増大したこの時期、その力を削ぎ、幕府の統制を著しく高め、
その機能を非常に堅強なものにした。
守護の国替え、相続への干渉及び強制で、守護大名は幕府の一機関と成り下がった。
その一方で守護に対する、下位の者の下克上はほとんど許さずに、秩序を維持。
裁判などの調整機関の独立と、透明性の向上で、コネと賄賂で動く政治を徹底的に排除した。

この仮定での強権政治が恐怖政治と呼ばれてしまうのは、時代に先行しすぎたため。

徳川家康が江戸幕府において、その体制と組織を作る際にコピーしたのは、
鎌倉幕府でもなく、織田信長・豊臣秀吉の組織でもなく、
紛れもなく、義教が作り上げた室町幕府後期のシステムである。

171日本@名無史さん:04/06/21 00:41
>>168

何か矛盾しているような・・・・

室町幕府という、血統からも覆ることなく、政治システムとしても
完成された組織がある以上は、
政敵は殲滅した方が、政治は安定する。
彼の不慮の死後も、暗殺者の満佑は、天下を取ることなど
微塵も考えられず、播磨に逃げ帰った。

その後の戦乱というのは、義政・富子夫妻の私欲政治が原因で、
実力者云々という話ではない。
もし、この時期に、後南朝や強い関東公方が存在していたら、
もっと戦乱は収拾がつかない状況になっていたのでは。

信長死後、秀吉死後は、組織も確立しておらず、まだ混沌した状況。
実力者が天下を狙うように動くということは、
まだ戦乱が続いていると言うこと。
実力者を残しておいてよかった、と言う話にはならないのでは?
172日本@名無史さん:04/06/26 03:40
明石散人説で既に出ているが、
そもそもの将軍選びの籤引きは、三宝院と義教の陰謀ではなかろうか。

20代の若さで天台座主に登りつめたのは、将軍家の力によるものではない。
義教の弟は、義教の強引な押しで天台座主を継いだが、
義教については、将軍家はそのような横槍を延暦寺に入れていない。
つまり、義教の人物としての傑出度は当代随一であり、
長幼の順からしても、次期将軍は義教が順当であったので、
籤引きなどをせずとも、管領をはじめ有力守護に擁立されることは、
まず間違いなかった。

しかし、義教は守護たちのロボット将軍になることを絶対に避けたかった。
そのため、わざわざ源氏の氏神の八幡宮(石清水)で、
神意を問う籤引きを行い、神の意志で選ばれた将軍として立った。
八幡と言っても、関東公方下の鶴ヶ岡で籤引きを行わなかった点や、
籤引きの実行者の三宝院が、その後勢力を増強させた点を見ても、
この籤引きは、やはり出来レース。

というか、日本の歴史上での籤引きというのは、神意を問う行為であって、
祭事の根幹である。マツリゴト=政であって、ある意味では、
籤引きは、為政者の統治行為正当化のための政治的パフォーマンスである。

卑弥呼に遡るまでもなく、和気清麻呂の宇佐八幡託宣による道鏡排斥、
後鳥羽・後嵯峨天皇即位への神意確認の籤引きなど、全て当てはまる。

義教が籤引きで有名になったのは、その籤引きによる神意を強力に演出し、
絶対権力を得ることに成功したためである。
173日本@名無史さん:04/06/27 02:55
でも青蓮院の歴史からは抹殺されてるよね
去年行った同所の観光用パンフにも「青蓮院門跡・義円」とか「足利義教」といった名前は全くなかった・・・
174日本@名無史さん:04/06/29 01:36
>>173

まあ、延暦寺を追いつめて、それまで誰も手を出せなかった根本中堂を、
結果的に燃やしてしまったわけだから、義教は天台宗の最大の敵。
おまけに直前まで天台座主の地位にいたのだから、
延暦寺側から見れば、史上最大の裏切り者ととなるのでしょう。
(実は、そこが義教の一番偉いところだと思いますが・・・)

天台五箇所門跡の青蓮院からしたら、
憎き義教がここに居たと言う事実も含めて、
わざわざ紹介はしたくないっつうことですな。
175日本@名無史さん:04/07/04 23:51
>>174
なんか凄い男だな。ヨシノリって。
176日本@名無史さん:04/07/10 10:35
まさに和製イワン雷帝というか先駆者。暗殺されてなかったら応仁の乱もなかった。
雷帝自ら殺めた息子がイワン5世になってたら動乱もなかった。
177日本@名無史さん:04/07/12 21:14
>>174
つまり、宗教界の頂点と武家の頂点を極めた男か・・・。
しかも、その宗教界を容赦なく焼き討ち・・・。

これ、ヨーロッパに例えると、ローマ法皇だった男が、ローマ皇帝になって、バチカンを焼き討ちしたってことだろ・・・。

凄いな本当に。
178日本@名無史さん:04/07/12 21:15
>>177
追加。

史上最年少でローマ法皇になった男が・・・。
って事だな。さらに凄い。
179日本@名無史さん:04/07/30 23:33
 
180日本@名無史さん:04/08/02 20:54
山田風太郎の短編でも扱われてるね。
織田信長のそっくりさんというパロディ仕立てだったけど
義教の評価自体は公正だったかな。
181日本@名無史さん:04/08/02 21:43
182日本@名無史さん:04/08/05 23:26
将軍此の如き犬死、古来その例を聞かざる事なり。
183日本@名無史さん:04/08/06 20:07
>将軍此の如き犬死、古来その例を聞かざる事なり。
実朝の例を知らなかったのか。
当時の教養人の知識レベルって
そのぐらいだったのね。
184日本@名無史さん:04/09/08 22:17
185日本@名無史さん:04/09/08 22:20
なんか蓮池兄と似てね?
186日本@名無史さん:04/09/08 22:21
くじびきと言えば、こんなアニメも放送されるわけだが…日本人って籤引好き?

http://www.kujian.info/
187日本@名無史さん:04/09/28 00:42:18
age

よしりん萌え〜

っちゅうヤツは出てこんのか?
188日本@名無史さん:04/09/29 13:32:27
この人は、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康
と並び賞されるほどの人物と考えていいね
しかし、レス伸びないなw
189日本@名無史さん:04/09/29 15:06:10
島津氏の琉球侵攻の口実作った足利将軍って義教でしたっけ?

厨な質問でスマソ。
190日本@名無史さん:04/09/29 15:10:13
しかし不当に評価低いよな、義教って。急激に世の中を変えるってのが
日本人には合わないんだろうな。
191日本@名無史さん:04/09/29 15:14:06
>>190
面白い漫画か、小説が出れば注目されるだろう
それがでるまでは、この状態が続くかと
192日本@名無史さん:04/09/29 15:18:21
島津忠国、将軍 足利義教より義教暗殺に失敗し日向に潜伏していた
義教の弟・義昭を討つよう命ぜられこれを果たす。
義教はこれを賞して忠国に琉球を加俸する。(名目だけ)
193189:04/10/09 22:35:06
>>192
あがとう。
194日本@名無史さん:04/10/11 23:40:15
>>192
義昭って名前の奴の末路は悲惨だな。
まあこっちは「ぎしょう」だけど。
195日本@名無史さん:04/11/06 22:40:01
僧か
196日本@名無史さん:04/11/16 02:05:40
>>190
織田信長の評価は高いのに…
197日本@名無史さん:04/11/16 09:33:04
>>196
似た者同士だからな。
殺されたとこまで一緒。
ただ、決定的に違うのは、
義教には信長にとっての秀吉的存在がいなかった事。
義教は、自分の跡を受け継ぐべき人材を育てる事が出来なかった。
198日本@名無史さん:04/11/28 09:41:12
あげ
199日本@名無史さん:04/11/28 17:14:07
これは名スレだな
200日本@名無史さん:04/12/23 21:02:55
201日本@名無史さん:04/12/24 20:42:24
嘉吉の乱のあとに後南朝が神器盗んだ事件があったのに、
義教は南朝を滅ぼしたって言えるの?
202日本@名無史さん:05/01/02 22:11:55
>>104
>赤松光祐の反乱..
**嘉吉の乱**
http://mentai.peko.2ch.net/history/kako/1002/10024/1002481917.html
203日本@名無史さん:05/01/24 23:01:18
小学館の「漫画・日本の歴史」では結構大きく扱われていた。

町人たちが「今度の将軍はクジビキだってよ プゲラッチョw」
とか言い合っていて、どんなにショボい人なのかと思ったら、
ものすごいヒステリックなオッサンだった。
赤松光祐が本気でびびってた。
204日本@名無史さん:05/01/24 23:11:31
満祐
205日本@名無史さん:05/01/29 20:43:04
>>180
書評なんかでは信長のパロという筋仕立てが風太郎の諧謔だと
わかってないのが多いな。
事績自体は史実なのに。
206日本@名無史さん:05/02/03 18:31:52
義教主人公の面白い小説ある?
207AA作ってみた:05/02/06 22:21:50
       /;;;;;;;;;;;;;:::::::.   ..::::.|
      /;;;;;;;;;;;;:::::::.   ::::::..|
      ,i;;;;;;;;;;;;:: .....,,,,,....  ::::|
      /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::''.... ::.|
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      |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;__ヽ
    〔___________〕
     l::||::::              |l    
    / ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′||    
  r┤    ト::::: \___/     ||    
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   
|   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
|   _)_ノヽ\  ハ // /    ヽ   
 ヽ____)ノ      ̄ ̄ ̄   /     ヽ、
208日本@名無史さん:05/02/27 23:01:41
209日本@名無史さん:2005/03/31(木) 01:02:52
だれだYO
210日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 03:43:17
嘉吉の変
211日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 03:42:48
集英社の漫画日本の歴史に出てくる義教と信長は顔が似ている。
義教は7巻、信長は9巻に載ってる。
212日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:07:54
大河ドラマでやればいいのになあ
213日本@名無史さん:2005/04/04(月) 10:56:27
クライマックスはくじ引きで
214日本@名無史さん:2005/04/04(月) 19:26:25
工エェェ(´д`)ェェエ工
215日本@名無史さん:2005/04/20(水) 08:54:35
似たような性格だからね
216日本@名無史さん:2005/04/27(水) 17:14:45
明石散人の本読んだけど、トンデモ史観一歩手前って感じがする。
217日本@名無史さん:2005/04/27(水) 23:18:37
ゲームだから
218日本@名無史さん:2005/04/28(木) 16:07:50
ただ織田信長が評価されすぎというのは至言。
219日本@名無史さん:2005/05/03(火) 17:34:22
僕らよしりんファミリー

足利義教
山名義範
赤松義則
畠山義慶
大友義乗
220日本@名無史さん:2005/05/05(木) 20:22:09
明石散人と井沢元彦は足利義教の高評価という点では一致してるのに
織田信長評は真反対だな。
221日本@名無史さん:2005/05/10(火) 14:58:16
人物としての面白さ重視と実績重視の違いと思われ。
222宣伝アゲ:2005/05/24(火) 20:53:39
      (  ト /     /        \     ヽ /  /
        \ \     |      ; |      /  /       ゲッチュ!!
    __   /\_ `‐- \__;;/_/  /ヽ / ̄\   
  ./ ○ ヽ、/    `-___________________,,,_/  /  ○  \
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   |   _)_ノヽ   「足利義教と共に苦難を乗り越えるスレ」
   ヽ____)ノ    >>http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108995407/
            ・・・・シナリオ職人さん、誰か助けて〜!!(宣伝スマソ)
223日本@名無史さん:2005/05/28(土) 04:17:59
愛知県一宮市の妙興寺に重要文化財の肖像画がある。
妙興寺に隣接した一宮市博物館で展示されることがある。
この4月の「一宮市の文化財」展でも出陳されていた。
224日本@名無史さん:2005/06/12(日) 01:05:32
>>219
佐竹義憲
義教に同音ヤメレって言われて義人に改名したのはいいが
人って天皇家の通字と同音やんけという

こいつがさっさと持氏ぶっ殺しとけば、佐竹与義・大掾満幹・宇都宮持綱が殺されずにすんだ
こいつが赤松なんかにぶっ殺されたせいで、佐竹が上杉に乗っ取られた
225日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:48:21
3人が殺された時期と義教は関係なかった
226日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:41:59
マジ?
227日本@名無史さん:2005/06/26(日) 17:21:41
初めてかも知れないけど、
曹操と義教の関連性はどう?

もしかしたら、義教は魏の曹操のやり方を模倣したかも。
228日本@名無史さん:2005/06/26(日) 17:30:15
なんで愛知県の寺に肖像画があるんだろう?
229日本@名無史さん:2005/06/26(日) 19:29:21
男色のもつれから殺された将軍第一号か。
彼の他に男色や衆道の鞘当てによって非業の死を遂げた歴史上の
著名な人物には誰が居る?
230日本@名無史さん:2005/07/02(土) 19:47:03
大和の乱(越智惟通と大覚寺義昭を担ぐ、川上村の後南朝と連帯)と同時期に持氏が上杉憲実を追討できたとして、
さらに義教の家督相続干渉に抵抗のあった守護家(赤松満祐や廃嫡・畠山持国)が呼応・・・

これらの勢力が同時期に立ち上がったら・・・って、不可能かな?
鎌倉の持氏は上洛(戦)可能だったのかな?大きな障壁は、駿河の今川と越前尾張の斯波(武衛家)か?

痛い妄想ですが・・・持氏が京へ進軍できるチャンスがあったのなら、
どのようなタイミングであったのか?教えてくださいませ。
231日本@名無史さん:2005/07/07(木) 21:06:59
一応、age!
232日本@名無史さん:2005/07/11(月) 01:30:26
籤将軍足利義教は売り上げ減少に悩むtotoのマスコットに選ばれました。
233日本@名無史さん:2005/07/11(月) 15:55:33
でもくじ引きで決まったおかげで義満依頼の権力をゲットしたし・・・。
234日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:52:00
足利義教のやったことは織田信長のやったことと似ているし性格とかもにている。
もっと高く評価されるべきだと思うな。
235日本@名無史さん:2005/07/12(火) 07:09:28
実は魏の曹操という前例がいるから、曹操にも似ている。
236日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:23:33
>>234
明石大先生様で御座いますか?w
237日本@名無史さん:2005/07/30(土) 14:49:33
【ゴールデンレス】
  ∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩  このレスを見た人はコピペでもいいので
   〉     _ノ 〉     _ノ10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
  ノ ノ  ノ  ノ ノ  ノそうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
  し´(_)   し´(_) 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
238日本@名無史さん:2005/08/08(月) 10:36:21
age
239日本@名無史さん:2005/08/27(土) 16:34:15
信長と違って義教には自分の事業を受け継いでくれる人間が誰もいなかったのも、
評価が不当に低い理由だと思う。
240日本@名無史さん:2005/08/27(土) 23:25:38
241日本@名無史さん:2005/09/02(金) 19:23:17
蜷川新右衛門親当(生年不詳〜1448年)は義満ではなく
義教に仕えてたのか。
新右衛門さんも大変だったんだね。
242日本@名無史さん:2005/09/02(金) 22:17:10
本物のしんえもんさんは新ザエモンだったと聞いたが。
243日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:03:43
そうだね。
244日本@名無史さん:2005/10/23(日) 00:42:58
別に「蜷川新右衛門」なら歴代将軍に仕えてるがね。
245日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:41:14
ホント?
246日本@名無史さん:2005/11/18(金) 02:11:20
嘘にきまっとるだろうが
247日本@名無史さん:2005/11/18(金) 05:27:15
新右衛門という名は蜷川氏当主が代々名乗っていたものっていう意味じゃないのか?
248日本@名無史さん:2005/11/18(金) 06:36:29
え?新右衛門じゃなくって新左衛門じゃないの?
249日本@名無史さん:2005/12/10(土) 01:57:58
250日本@名無史さん
age