西郷隆盛の真意

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1日本@名無史さん
西郷は明治6年政変時
何を考えていたんだろう?

2日本@名無史さん:03/07/09 02:38
うわわぁぁぁぁぁぁぁん
。   ∧_∧。゚
 ゚  (゚ ´Д`゚ )っ゚
  (つ   / 
    |  (⌒)
   し⌒^

誰からも反応がないよーーー
3日本@名無史さん:03/07/09 13:35
西郷の気持ちはわからないか

4日本@名無史さん:03/07/09 13:51
>>3
おいドンをのけ者にしおっとでごわしたのがけしからんでごわす。

これだけで戦争をはじめました。
5日本@名無史さん:03/07/09 13:55
朝鮮と同盟結んで

ロシアやっつけるんでごわす

そのための偽征韓論でごわす

6日本@名無史さん:03/07/09 14:00
うな重まだでごわすか?
せごどんはこれを考えてました。
7日本@名無史さん:03/07/09 14:06
ワイの愛犬食うてしまいよった。アッタマきたので朝鮮打つというて何悪いねん!
8日本@名無史さん:03/07/09 17:39
死んでいった同志に申し訳ないでごわす
(横山安武君とか)
9真相:03/07/09 21:10
ケツが痒くて痒くて辛抱できんでごわす。
人目をはばかる事無く、年がら年中ケツを掻きまくりたかとでごわす。
じゃっどん、毎日毎日廟議ん席ばつかんとならんのが億劫でごわす。
あげん畏まった席に座り続けてケツの痒みんコツばかい考えちょっとでごわす。
ケツを掻きたくて掻きたくて、最早維新も征韓もどうでん良かコツと思うちょります。
じゃっどん、じゃっどん・・・
皆にケツが痒いち言うても、参議ば辞めさせちくいもはん・・・
一蔵どん、オイを助けちくい・・・
オイは、オイは・・・もう国元に戻って、いつでん好きな時にケツば掻きむしるコツが出来れば、
思い残すコツはごわはん・・・
一蔵どん、後生じゃっち、オイを助けちくいや・・・
10直リン:03/07/09 21:11
11日本@名無史さん:03/07/10 01:20
チェストー〜〜〜!!!
でごわす
12日本@名無史さん:03/07/10 01:28
西郷は思慮が浅すぎます
江戸でテロリズムを起こして
倒幕に持ち込んだあげく
自分がつくった政権に失望して
下野して、戦争をしかける
西郷の存在自体が明治維新史の汚点だよ
月照と一緒に逝ってればよかったんだ
そうすれば会津の悲劇はなかった
13日本@名無史さん:03/07/10 01:37
西郷の存在自体が明治維新史の汚点というか
西郷がいなければ明治維新自体があったかどうか・・・。
14日本@名無史さん:03/07/10 01:39
西郷に戦争をしかける意志があったのなら
佐賀の乱の時に江藤に助けを求められた際
なぜ立ち上がらなかったのか?

西南戦争は西郷の部下に
押されてやむなくじゃないのかな。

私学校の生徒が
政府の弾薬庫を襲撃したときの西郷の第一声は
「しまった」らしいですよ。
15日本@名無史さん:03/07/10 01:43
もっと準備してから仕掛ければ良かったのに・・・
という「しまった」では?
16日本@名無史さん:03/07/10 01:45
江藤が西郷のとこにきた時
「おいどんの言う通りにせんとアテが違いますぞ!」
何話してたんだろうな。
17日本@名無史さん:03/07/10 01:58
>>15
じゃあ、何で西郷は
西南戦争でいっさい指揮を執らなかったのか

全国に触れ回れば全国各地の不平士族が
立ち上がったはずなのにどうしてそれをしなかったのか

18 :03/07/10 01:59
世紀の大患
19日本@名無史さん:03/07/10 02:03
>>17
西郷は軍人のような印象があるけど
実際は軍人ではないからね。
御輿にはなっても指揮はとれません

全国に触れ回らなかったのは
西郷はもちろん、桐野や篠原の慢心と無能故でしょう


20日本@名無史さん:03/07/10 02:18
>>19
西郷が御輿なら
明治維新は誰が指揮を執っていたのだろうか?

大久保は西郷を頼っていた反面
大変怖れていたので
西郷を暗殺しようと鹿児島に密偵を
送ったという話もあるほどです

西郷は相当な戦略家ですよ
幕末時代は

21日本@名無史さん:03/07/10 02:21
西郷も信長も時代変革期にだけ、必要な存在。
22日本@名無史さん:03/07/10 02:22
頭をぶつけて
西南戦争時は単にお馬鹿になっていたという説もあるね
23日本@名無史さん:03/07/10 02:27
西南戦争時の西郷は
ひたすら無責任に思えるなあ
24_:03/07/10 02:29
25日本@名無史さん:03/07/10 02:36
>>23
薩摩に限らず新政府側の反明治政府戦はあったが、
まさか西郷まで。
26日本@名無史さん:03/07/10 12:44
江藤の佐賀の乱にしても
西郷の西南戦争にしても
政府(大久保)にしかけられた感が強いな
27日本@名無史さん:03/07/10 13:53
西郷に征韓の意志はあったのかなかったのか?

学者によって意見が正反対っていうのは
どちらの可能性も高いって事だよね
28日本@名無史さん:03/07/10 14:06
>>27
チョンがいつもと同じく変な電波を飛ばしてるだけ。

西郷の真意は、常に斉彬が唱えるアジア大防衛構想の実現にある。
つまり、征韓論の目的とは維新の輸出なのだ。
29日本@名無史さん:03/07/10 14:27
>>28
西郷曰く
「真の文明国とは弱き国を助けるべきであって
 侵略を繰り返す欧米諸国は文明国ではない」

この発言から征韓論の真意は
維新の輸出であることを裏付けることが出来ますね
30日本@名無史さん:03/07/10 15:37
>>28
斉彬が唱えるアジア大防衛構想って何?
31日本@名無史さん:03/07/10 15:58
亜細亜大学防衛構想?
32日本@名無史さん:03/07/10 16:05
日本、韓国、中国が手を組んで南下するロシアに対抗しようというもの
33日本@名無史さん:03/07/10 16:46
西郷も大久保も
国のため、民のため

それは変わらなかっただけに明治六年政変は残念
34日本@名無史さん:03/07/10 17:32
シビレるねえ・・・
35日本@名無史さん:03/07/10 17:56
チョンと手を組もうとしたから、征韓論は例の法則が発動したものと思われ。
日本最強の薩摩武士さえ一蹴する、あの法則の恐ろしさよ・・・
36日本@名無史さん:03/07/10 17:57
西郷隆盛と大久保利通は
ジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係に似てるね

岩倉使節団はプラスチックオノヨーコバンドだな
37日本@名無史さん:03/07/10 18:11
いえしたでぃでごわ〜す
38日本@名無史さん:03/07/10 18:13
↑大久保利通の本音
↓西郷隆盛の本音
39日本@名無史さん:03/07/10 20:15
もう、ここらでよか
40日本@名無史さん:03/07/10 21:59
江藤の真意は?
41七篠権兵衛:03/07/10 23:13
躁鬱病では?
安政。(躁) 殿のおん為 タタッ。ヘ(;・・)ノ 
文久。(鬱) ┃Ф|(|゚|∀|゚|)|Ф┃
元治・慶応。(躁) 討幕キタ━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!!!
明治。(鬱) (・A・)新政府イクナイ!

42日本@名無史さん:03/07/10 23:15
西郷の征韓論についてだけど、
浪人武士のガス抜きと、
ロシア南下に対抗するため朝鮮を開国したい、
と両方で(ま、通論だけど)間違いないんじゃない?

明治政府は征韓論はつぶしたけど、
結局朝鮮に侵略して総督府を作ってる。
西郷は犬死だな、かわいそうに。
43日本@名無史さん:03/07/11 13:09
結局西郷の死によって、
大久保も暗殺さえてしまうわけなんだよね。
日本にとってこの二人の死は、
大きいよな。

生き残ったのが伊藤や山県のような欲だらけの
奴らじゃなかったら韓国の
日本に対する評判も変わっていただろうに

44日本@名無史さん:03/07/11 13:38
ところで、
朝鮮と組むと発動する例の法則とは、いったい何の事ですか?
45:日本@名無史さん:03/07/11 14:20
>>43
伊藤・山縣・井上などロクでもない奴等が後継者だっただけに
その死が惜しまれるな。
五代・岩崎・田中も同様逝ってよし。
46日本@名無史さん:03/07/12 01:28
>>45
人物多き幕末
この人が生きていれば・・・
って人多いですよね

討幕派、佐幕派、開国派、鎖国派に限らず
47日本@名無史さん:03/07/12 01:39
うむ
48日本@名無史さん:03/07/12 01:48
久坂玄瑞
高杉晋作
吉田松陰
坂本竜馬
中岡慎太郎
吉村寅太郎
武知半平太
西郷隆盛
大久保利通
江藤新平
佐久間象山
橋本左内
横井小楠

志士だな
49_:03/07/12 01:48
50日本@名無史さん:03/07/12 01:55
生き残った香具師は悪く言われる。
早く死んだ香具師はよく言われる。
おまいらホント単純だな。
51日本@名無史さん:03/07/12 03:17
戦国時代の最新武器保有量は日本国であった。
明治維新の最新武器保湯量は日本国であった。
52日本@名無史さん:03/07/12 03:23
ほんとの志士は長井雅楽
松陰や弟子どもはただの犯罪者
53日本@名無史さん:03/07/12 03:33
>>52
松陰を犯罪者扱いするんじゃねぇ!
54日本@名無史さん:03/07/12 04:32
>>35
「例の法則」って、何?

…3年くらい前も同じ質問を同じ板でしたような既視感が…
あのときも回答なし
55山崎 渉:03/07/12 11:28

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
56日本@名無史さん:03/07/12 14:06
>>50
死んだからいい人とは限らないが
生き残った人がどのように生き残ったのかに問題がある。
要領よく誰かの陰に隠れ生き残ったものと
自ら危険な地で命張っていた人とでは
想いの差が大きいと思うがどうだろう
57大久保利通:03/07/12 18:51
大西郷
天に散る
58勝海舟:03/07/12 20:06
「俺は今までに天下で恐ろしい者を2人見た。それは小楠と西郷だ」
59日本@名無史さん:03/07/12 20:37
まともな人が聞いていたら「ずいぶん狭い天下ですね」とツッコミが入る言葉だね
60日本@名無史さん:03/07/12 20:47
>>54
誰とくむかという話じゃないの?

>>51
>明治維新の最新武器保湯量は日本国であった。
南北戦争のお古だよw
>戦国時代の最新武器保有量は日本国であった。
意味不明。
61勝海舟:03/07/14 05:30
「天下といっても日本ね」
62_:03/07/14 05:31
63日本@名無史さん:03/07/15 01:36
西郷は下野後、頭ぶつけて呆けてしまった
だから、西南戦争ではろくに指揮ができなかった
64日本@名無史さん:03/07/15 01:40
例の法則というのは、朝鮮半島と手を組んで戦争に臨んだ勢力は必ず負けるという恐怖の法則。
2ちゃんねるの常識。
最近ではベトナム戦争の米国や、第二次世界大戦の日本などが有名な例。


65日本@名無史さん:03/07/15 01:42
西郷と勝が江戸で勝手な相談したことが
この国をダメにしたニダ
66日本@名無史さん:03/07/15 01:45
>>65
ニダ使うと言うことは・・半島の人ですな。
67日本@名無史さん:03/07/15 01:48
西郷は征韓論をとなえた!
そこに侵略国家の臭いがするニダ
68日本@名無史さん:03/07/15 01:51
>>67
清国に盗られるか欧米の蹂躙に遭うか状態だったでしゅ。
69日本@名無史さん:03/07/15 01:53
日本に併合されるくらいなら
清国、欧米のほうがマシだ
ニダニダ
70日本@名無史さん:03/07/15 02:39
最初に唱えたのは吉田松陰で
西郷の場合はその路線を継承しつつ、
武力侵攻に歯止めを加えようとした。
当時、国際的には大陸における露仏勢力と英米勢力との覇権争いがあり、
国内的には維新政府内部における長州とその他諸勢力との主導権争いがあった。
この中で中間派或いは穏健派に属した西郷は両者の間で股裂き状態になった。
大久保、岩倉はどちらかといえば長州寄りで急進的だった。
71山崎 渉:03/07/15 11:34

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
72日本@名無史さん:03/07/15 15:15
西郷は素晴らしいダニ
73西郷隆盛:03/07/15 16:52
「敬天愛人でごわす」
(天を敬い人を愛せよ)
74日本@名無史さん:03/07/15 17:22
西郷隆盛を神に祀った神社を建てたクズがいるそうだね。
本人がそんなことされて喜ぶと思ってるんだろうか。
75日本@名無史さん:03/07/15 17:40
ていうか西南戦争の時も
大村益次郎みたいな戦略家や
板垣退助のような名司令官が
薩軍にいたら状況はかなり違ったんじゃないのか?
鎮台兵の弱さを考えると薩摩隼人で構成される
薩軍のほうが強そうだし
熊本城を攻めたり九州で野戦したりしたから
人員の絶対数の多さや補給能力や火力で勝る
官軍に苦戦を強いられたわけで。
長崎で汽船を強奪して直接
横浜に上陸して東京でゲリラ戦やれば
かなり違っていたと思う。
桐野や篠原のようなDQNが西郷の側近で
なおかつ最終決定権も持っていたことが薩軍の敗因だろうね。
76日本@名無史さん:03/07/15 18:08
西郷そのものがDQN
77日本@名無史さん:03/07/15 20:08
所詮は、薩摩のイモ侍
長州の方が合理的
78日本@名無史さん:03/07/15 20:12
ダサツマ=直情的 長州=理性的

ダサツマがいなくても維新は長州だけで為し得た
逆に長州なくして維新は不可能であった
79(;´Д`):03/07/15 20:12
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80日本@名無史さん:03/07/15 20:26
薩摩抜きでは幕府は倒せなかったと思うよ。
なにぶん長州は勅勘をこうむった藩。
新政府成立後の政策展開については長州だけでもできたかもね。
81日本@名無史さん:03/07/15 20:40
そして薩摩の兵は分はが悪くなると鬼のような速さで退却しやがる
82kazu:03/07/15 20:42
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83日本@名無史さん:03/07/15 20:45
四境戦争で戦力同等になるように武器だけ与えて、
有利になったほうに付いた

理念も理想もなし、それだけでしょ?利口といえば利口だが

   反 吐 が 出 る 卑 劣 さ だな

84日本@名無史さん:03/07/15 20:54
薩摩は、上が黒と言ったら絶対、黒
みたいなとこあるけど、
長州は、皆が喧喧諤諤して物事決めて羨ましいと
薩摩藩志士が言っていたらしい。
85日本@名無史さん:03/07/15 21:59
>83
としいくつ?
86日本@名無史さん:03/07/15 23:52
薩摩は狡猾な外交だな。ある意味立派なもんだよ。
いっけん武力一点張りのように見えながら頭をつかっている。
長州はいっけん怜悧ではあるが、無計画に暴走するところがある。

薩摩は西郷や大久保のように権謀に長けていても私財蓄積に淡白な
やつが頭目だったが、長州は木戸以外の頭目は金の亡者ばかり。
それで好みが分かれるだろうな。

87日本@名無史さん:03/07/15 23:58
>>86
統率が取れてないだけだよ。
そしてだからこそ、強かったのだろ。
誰もが自分の意思で戦ったのだからね。
88日本@名無史さん:03/07/16 00:29
兵法では、統率の取れない軍は弱いとされっているが。
まあ、それ以上に幕府が弱かったということなんだろうな。
弱い奴に勝って味をしめる。
きっと日中戦争時まで引きずったんだな。
89日本@名無史さん:03/07/16 00:34
>83
鹿児島の人にいじめられたのか?
90日本@名無史さん:03/07/16 11:55
>>86
資財蓄積に淡泊な西郷、大久保、木戸は
常に国のことを考えていただろうし
武士という制度をなくした張本人である
彼らこそ真の武士だね

幕末に死んでいった人たちの中にも
立派な武士は多かっただろうね
金の亡者は命がけで戦ったりしないだろうからね

91:日本@名無史さん:03/07/16 12:03
>>90
>金の亡者は命がけで戦ったりしないだろうからね

いや、亡者だけに成功時の報酬を求めて命をかけるケースもあるのでは。

西郷・大久保・木戸型なら、天下を制したからといって王侯貴族のような
振る舞いをしては、志半ばで死んでいった者に申し訳ないという思考。

金亡者(伊藤・山縣・井上・五所・後藤・大隈)型なら、天下を制した以上
王侯貴族のように振舞うのは当然という思考。

後者の伝統が現在の政治権力者に残っているのは残念に思う。
少なくとも、江戸時代に山縣・井上あるいは鈴木宗夫のような悪事がばれたら
切腹だろうに。
92日本@名無史さん:03/07/16 16:38
伊藤が金の亡者?
あまり聞かない説だが、誰が言ったんだ?
彼は色魔で酒と煙草が好きで、自己顕示欲の権化かもしれないが、金の亡者というのは聞かないな。

ついでに江戸時代ならあのくらいの賄賂は、教養であり礼儀だよ。
切腹にはなんかなるわけない。
江戸時代の感覚で、色々したから叩かれているだけだ。
93日本@名無史さん:03/07/16 19:45
長州派は自分の私利私欲のために政府の金に手をつけたり(山県)
民間人から不当なやり方で財産を奪い取り自分の物にしていました(井上)
汚職をかばっていたのが伊藤でした
なぜならば伊藤にも金が動いていたからです

色魔で酒、煙草が好きなら
金が必要でしょう
94日本@名無史さん:03/07/16 19:53
 あのさあ、明治時代の男子喫煙率は9割だよ。
 ヘビースモーカーは今ほど、白眼視されなかった。
 女好きは、確かに有名だけど、徳川11代将軍徳川家斉に比べたら、かわいいもの。
 家斉は50人以上も子供を作ったからね。
 伊藤が本妻・愛妾に生ませた子供は15人くらいだろ。
95日本@名無史さん:03/07/16 20:16
明治時代
煙草は高価だったので
9割も吸っていません
96日本@名無史さん:03/07/16 21:12
あの〜〜庇ったらその人も同罪になるっていうのなら、木戸も大久保も部下の汚職を揉消していますよ。
つか井上は兎も角山縣が伊藤に金を渡すわけないだろ。
つか誰がそんな電波とばしたんだ?
97日本@名無史さん:03/07/16 21:35
>>96
誰も山県や井上が伊藤に金を渡すとは言っていません
井上、山県同様、伊藤も財界と癒着して資財を蓄え巨万の富を築いてるので
自分も彼らのように攻められたらやばいので江藤の追放を画策したのですよ

98日本@名無史さん:03/07/16 21:40
>>97
伊藤が巨万の富?
誰がそんな珍説を?
通説では大久保同様金には清廉だったとされているんだけどねえ。

つか江籐?
てことは、6年の政変以前という事になる。
絶対にありえない。
99日本@名無史さん:03/07/16 22:05
100日本@名無史さん:03/07/16 22:15
>>98
6年の政変以前に巨万の富を築いていたとは誰も言っていません
後に巨万の富を築くための準備でしょう
それに伊藤は女遊びに莫大な金をつぎ込んでいたので
残していなくても金は持っていたはず
大久保や西郷とは違い
101日本@名無史さん:03/07/16 22:15


  い い か ら ダ サ ツ マ 氏 ね よ


102日本@名無史さん:03/07/16 22:16
あの〜それって、天皇からの功労金で建てられたものだったと思うけど?
103日本@名無史さん:03/07/16 22:18
功労金も金だろうが
104日本@名無史さん:03/07/16 22:19
伊藤は、明治天皇から一番
慕われていたしな。
105日本@名無史さん:03/07/16 22:20
>>100
なんだその無茶苦茶な解釈は。
つか誰かそういう電波を主張している、学者の名前を教えてください。

ついでに女を数人囲うくらい、景気のいい時代なら中小企業の社長でもらくらく出来るぞ。
政府役職をずっと歴任していた伊藤なら、そのくらいの金らくにある。
106日本@名無史さん:03/07/16 22:20
>>101
まぁまぁ落ち着いて
107日本@名無史さん:03/07/16 22:21
>>103
ってことは、企業から賄賂を受けていたというのは、嘘だったという事でいいね。
108日本@名無史さん:03/07/16 22:25


   ダ サ ツ マ 氏 ね  !!!




109日本@名無史さん:03/07/16 22:27
>>107
企業からも貰い
功労金も貰うこともあるだろ
110日本@名無史さん:03/07/16 22:30
>>108
まぁまぁ落ち着いて
111日本@名無史さん:03/07/16 22:33
>>109
で、どの企業から貰ったわけ?
112日本@名無史さん:03/07/16 22:37
>>109
幕末時代から伊藤は女遊びしたい時や飲み代が欲しいときは井上に頼っていた
その井上は維新後は三井の番頭さん
113日本@名無史さん:03/07/16 22:38
>>111
それじゃ三井か
114日本@名無史さん:03/07/16 22:40
>>101>>108
あなたたちのように
熱い男たちがこの国を
夷敵からまもったのでしょうね
115日本@名無史さん:03/07/16 22:45
>>105
学者に頼らないで自分の頭で考えることも必要ですよ
逆に伊藤が清廉な人であったと主張する学者の名前を
教えてください
まぁ無理でしょうが
116日本@名無史さん:03/07/16 22:52
 大英帝国並びに日本国のサムライ達に告ぐ 我々は薩摩藩である!
 いわゆる修好通商条約と呼ばれた不平等条約が偽りのものであることは誰の目にも明らかである!!
 なぜならば協定は日本国の名を語る幕府の売国奴によって結ばれたからだ
 我々はいささかも戦いの目的を見失ってはいない! それは間もなく実証されるであろう!!
 我々は日々思い続けた! 亜細亜諸国の自主独立を信じ、戦いの業火に焼かれていった者たちのことを!
 そして今またあえてその火中に飛び入らんとする若者のことを!
 亜細亜諸国の心からなる希求である独立に対し白人国がその強大な軍事力を行使してささやかなる
 その芽をつみ取ろうとしている意図を証明するに足る事実を私は存じておる・・・!
 見よ! これが我々の戦果だ! このエンフィールドの銃剣は亜細亜人を弾圧するために開発された
 このエンフィールドの銃剣が亜細亜人の血を吸い続けた事実をもってしても呪わしき白人国の悪意を否定できる者がおろうか!!
 顧みよう! なぜセポイ独立戦争が勃発したのかを! なぜ我らが鎌倉武士と共にあるのかを!!
 我々は3年間待った・・・ もはや我が軍団にためらいの吐息を漏らす者はおらぬ!
 今、若人の熱き血潮を我が血としてここに改めて私は大英帝国に対し宣戦を布告するものである!
 繰り返し心に聞こえてくる祖国の名誉のために!! 薩摩藩、万歳!!
117日本@名無史さん:03/07/16 22:55
>>116
長い
118日本@名無史さん:03/07/16 22:56
>>117
おまけに内容が・・・・情けない。

>>116よ語先祖様の謝れ。
119日本@名無史さん:03/07/16 23:07
>>105
伊藤の清廉を主張する
学者を挙げるのは
当然のことながら無理みたいですね
自分の無知を棚に上げて
人にあれこれ言うのはやめろ
お前が「ださつま」だろ。
先祖に謝れ
120105:03/07/16 23:13
>>119
ごめんなさい
探したけど見つからなかった
伊藤は清廉な人物ではなかったことを認めるわ
121日本@名無史さん:03/07/16 23:17
>>105
当時「今太閤」と呼ばれた人物の晩節は誰もが周知の事だよ。
115は素直でいい子だ。もっと勉強しろよ。
122日本@名無史さん:03/07/16 23:17
>>112
だから金を貰ったことを証明してみろ。
>>115
つまりあんたの脳内電波だったのね。

彼が清廉だったと主張する人は。
直接あった人だと金子堅太郎、平塚篤。
伊藤博文研究会などもあって、そのどれもが女性関係は兎も角、金銭に関しては清廉だったと主張している。
三好も同じ事を言っていたな。、(資料を参考にしているが、この人は作家)
123日本@名無史さん:03/07/16 23:19
119−120
自作自演してる、まあ、伊藤が賄賂を貰っていたと主張する馬鹿はこの程度か。

124日本@名無史さん:03/07/16 23:22
http://www.iwakura-mission.gr.jp/group/g_hist-26.htm
手繰ったらサイトも見つかったね。
125日本@名無史さん:03/07/16 23:24
>>121
うん誰もが、色魔でちょっとロリコンだったが、
金銭に関しては、清廉だったと知ってるね。
知らないのなら、120の馬鹿と同程度。
つか自作自演ですか?
126日本@名無史さん:03/07/16 23:26
伊藤のような大金持ちは何処から金を得ていたんだろう。
127日本@名無史さん:03/07/16 23:28
自作自演指摘厨は2ちゃんでは初心者と認定されるよ。
多勢のROMもたまに書き込むしさ。
128日本@名無史さん:03/07/16 23:34
>>126
当時の大臣などは莫大な給料を貰ってた。
ついでに天皇から何度もお小遣いを貰ってた。

>>127
105は俺なんだから、自作自演以外のなにものでもない。
129日本@名無史さん:03/07/16 23:36
莫大な給料っていくら〜。
天皇から何度もお小遣いっていくら〜。
130日本@名無史さん:03/07/16 23:42
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/J022.htm
丁度いいサイト発見。
131日本@名無史さん:03/07/16 23:43
またまた全部みせちゃうよ☆
http://angely.h.fc2.com/page001.html
132日本@名無史さん:03/07/16 23:48
>>130
は給料のサイトね。
広告が入ったからといって間違えないでね。
133_:03/07/16 23:48
134日本@名無史さん:03/07/17 00:04
下賜された金額や回数のサイトは見つからなかった。
俺が記憶している中では3、4回はある。
維新と明治初期の功労として、海外に出張した時、
政友会を作ったとき、日清日露での勝利の時。他にも色々あったと思うがそこまでは知らん。
後屋敷や別荘などを何回かくれたりもした。
135115:03/07/17 02:18
なるほど
べんきょう
になります
136日本@名無史さん:03/07/17 02:24
みなさん詳しいですね

西郷が西南戦争で死んだと聞いたとき
あの大久保が泣いたと何かに書いてあったんですけど
出典わかる人いますか

大久保はその時どのような気持ちだったんでしょうね
137日本@名無史さん:03/07/17 12:58
>>96
「あの〜〜庇ったらその人も同罪になるっていうのなら、木戸も大久保も部下の汚職を揉消していますよ。
 つか井上は兎も角山縣が伊藤に金を渡すわけないだろ。」
汚職をかばったら同罪でしょ。
それに君も井上は伊藤に金を流していた可能性高いって認めてるじゃないですか
それでも伊藤は金に関しては清廉だったといえるのでしょうか・・・
138日本@名無史さん:03/07/17 13:06
>>122
「彼が清廉だったと主張する人は。
 直接あった人だと金子堅太郎、平塚篤。
 伊藤博文研究会などもあって、そのどれもが女性関係は兎も角、金銭に関しては清廉だったと主張している。
 三好も同じ事を言っていたな。、(資料を参考にしているが、この人は作家)」
って、学者をあげろっつってんのに作家あげてどうすんの?
あなたにとっては作家も学者なのですか。
それに金子みたいに伊藤の部下が伊藤をけなすわけないじゃん


139日本@名無史さん:03/07/17 13:33
伊藤は有能な政治家だと思います
人より優れた人というのは、むしろ欠点もあると思います
伊藤の欠点も認め、そして伊藤の良さを探した方がいいのでは?
西郷は「欲がない人ほど始末に困ることはない」と言っています

>>130
伊藤が莫大な財産を持っていたのは事実
大久保は国の事業のために個人的に借金していたので
彼の死後、遺産はなかったらしいです
140日本@名無史さん:03/07/17 14:02
伊藤は生き残った連中の中では一番上等な部類だと思う。
分限程度に贅沢してたのは責める事じゃないでしょ。
そりゃ大久保流の清廉さと比べりゃ俗っぽいけど、
役職で貰った金で贅沢するだけなら充分清廉さね
141日本@名無史さん:03/07/17 14:16
伊藤は賄賂代わりに処女貰ったんだろ?
鹿鳴館でもゴカーン(・∀・)もどきやってたんだろ?
142日本@名無史さん:03/07/17 17:21
>>140
なるほど
現代人の目から見れば当たり前だね
自分で稼いだ金を国のために使う人の方が変わりもんだ
143日本@名無史さん:03/07/17 18:36
おまいらとりあえずいっぺん死んでから出直してこい
144日本@名無史さん:03/07/17 19:28
ここは西郷スレではないのか
145日本@名無史さん:03/07/17 20:16
>>142
>現代人の目から見れば当たり前だね
>自分で稼いだ金を国のために使う人の方が変わりもんだ

米国の大富豪は金の亡者だが、自分で稼いだ金を
慈善事業に多額寄付しているぞ。税制もあるけどな。

142のような馬鹿が増えてこの国がアホばかりになった。
長州の子孫ともども死ね!!
おれは会津でも薩摩でもないが、チョンの子孫を自称する
大名が治めていた領国のやつらが死んでも心は痛まん。
山口に原爆が落ちなかったことは誠に残念だ。
146日本@名無史さん:03/07/17 20:56
>>145
>大名が治めていた領国のやつらが死んでも心は痛まん。
>山口に原爆が落ちなかったことは誠に残念だ。

145のような馬鹿が増えてこの国がアホばかりになった。
人が死んでも心が痛まない145のような奴が
同じ時代にいることが誠に残念だ
147日本@名無史さん:03/07/17 21:06
>>145
>米国の大富豪は金の亡者だが

なぜ米国の大富豪に断定しているのか疑問に残ります
それに金の亡者なら多額に寄付死ね〜だろ
するとしてもそういうのは偽善って言うんじゃね〜か
148日本@名無史さん:03/07/17 21:44
>>137
>汚職をかばったら同罪でしょ。

つまり木戸や大久保と何ら変わらないって事だが、御理解頂けましたか?

>それに君も井上は伊藤に金を流していた可能性高いって認めてるじゃないですか

はあ???
仲が良かった=金を渡していたと結論つけるわけですか?
バカボンのパパも驚きの2段論法ですね。
149日本@名無史さん:03/07/17 21:48
>148
>仲が良かった=金を渡していた

馬鹿がまた新しいことを言い出したよ

木戸や大久保、伊藤。
彼らに追放された西郷、江藤。
150日本@名無史さん:03/07/17 21:57
>>138
>って、学者をあげろっつってんのに作家あげてどうすんの?あなたにとっては作家も学者なのですか。

ついでに上げただけだが?
だからわざわざ作家と断っている。
あと岡なども伊藤に関してかいてたっけな。
つかさっさと、伊藤が金に汚かったという資料上げたら?

>それに金子みたいに伊藤の部下が伊藤をけなすわけないじゃん

陰謀論者ですか?
伊藤の女好きなども伊藤の部下によって広められたものですよ。
つーか部下などを排除した場合、その人のエピソードの大半はなくなります。
つか金子の伊藤博文伝は間違いだったとか、主張している人誰かいるの?
151日本@名無史さん:03/07/17 21:59
>>149
だからとっとと金を貰っていたという資料あげたら?
お馬鹿ちゃんは日本語も読めないようだから、無理かもしれないけどねえ。
152日本@名無史さん:03/07/17 22:05
>>150
金子の伊藤博文伝に限らずみんな後世の目を気にして文を残しているので
史料に当たるときは気をつけなさいと学校で教わりませんでしたか

>伊藤が金に汚かったという資料上げたら?

ちなみに資料じゃなくて史料ね
もう一度勉強なさってはいかがですか
基本的なことを

153日本@名無史さん:03/07/17 22:09
証拠もないのに、汚職政治家と抗弁する奴等は、
頭の螺子が何本かとれてるんじゃないのか?

そして6年の政変は、伊藤が将来汚職をする予定だから、邪魔な江藤を追い出したと。。。。
キチが入ってますな、自分の妄想と現実の区別がついていない。

この理屈がなりたつなら、江藤が長州閥を追い込んだのも、自分が将来汚職をする為だった!
と解する事も可能。あほらし。
154日本@名無史さん:03/07/17 22:10
>>151
確か山県有朋が言っていたな
しかし山県は伊藤と仲悪かったから
あてにならんかもしれんが
155日本@名無史さん:03/07/17 22:13
>>153
>6年の政変は、伊藤が将来汚職をする予定だから、邪魔な江藤を追い出したと。。。。

またまた馬鹿が新しいこと言い出したよ
だから〜〜〜もう一度勉強してこいって
基本的なことを
156日本@名無史さん:03/07/17 22:16
>>153
>江藤が長州閥を追い込んだのも、自分が将来汚職をする為だった!
と解する事も可能。
んなわけね〜だろ。
だから今すぐ勉強し直してこいって
「史料」を「資料」とか言い出してるアホの言ってる
ことは誰も信用死ね〜ぞ
157日本@名無史さん:03/07/17 22:20
>>152
>史料に当たるときは気をつけなさいと学校で教わりませんでしたか

あの〜批判されているから、未だに歴史資料として使われているのですよ。

>ちなみに資料じゃなくて史料ね

歴史資料という言葉は普通に使います。
158日本@名無史さん:03/07/17 22:22
>>155
まーた意味のない事言っている。
基本的な勉強からやりなおされては?
>>156
おめえの言った伊藤が賄賂を貰っていた説は、これと同じだ。
自説がどれだけアフォな事か、おわかりか?
159日本@名無史さん:03/07/17 22:24
少なくとも自分の事は考えていなかったようだ。
馬鹿は馬鹿だが大馬鹿で国の他には何も無し。
敬天愛人そのものの人生だな。
160日本@名無史さん:03/07/17 22:26
伊藤が金と女に汚い事は残っても、
山縣が金と派閥に意地汚かった事は残っていないという不思議。
161日本@名無史さん:03/07/17 22:29
史料と資料で、食い下がるのもなんだか哀れだなあ。
先生か講師が、薀蓄たれてそのまま区別する癖がついたようだが、
現実にはどちらも使われる。
そして俺の言っているのは、学者の説だからむしろの「資料」の方がが正しい。
「史料」だと、文献になってしまうからねえ。
162日本@名無史さん:03/07/17 22:32
西郷隆盛くらい純粋だったら食い下がられるネタも無いだろうが、
流石に海千山千の有名人全てに其れを求めるのは酷だろう。
それを指差して嘲笑うに至っては気持ち悪いだけだ。
話のネタにしても書いている人の人格が知れる。
それに第一、資料が残った状況を考えないと。
163日本@名無史さん:03/07/17 22:34
まあ色々言ったが、俺の場合変換したら資料になったから、そのままかいただけなんだけどな。
まさか2ちゃんで、こんな事一々突っかかってくるアポがいるとは思わなかったがな。
164日本@名無史さん:03/07/17 22:36
>>161
『資料』と『史料』の区別がつかないのだと思われ。
歴史なら全て『史料』になるのだと思っていたのだと思われ。
165日本@名無史さん:03/07/17 22:44
江藤は気の毒だね。
166日本@名無史さん:03/07/18 09:47
>>160
山縣いきなり汚職事件起してるから金の方は残ってるだろ。
167日本@名無史さん:03/07/18 11:53
>>161
学者の説なんかじゃなくて
実際の史料をあげろよ

司馬遼太郎を見習え
168日本@名無史さん:03/07/18 11:57
>>162
確かに。
伊藤や山県をかばう奴の人格が疑われる
169日本@名無史さん:03/07/18 12:00
>>164
>『資料』と『史料』の区別がつかないのだと思われ。

普通は区別するだろ。

>歴史なら全て『史料』になるのだと思っていたのだと思われ。

全て史料なわけね〜だろ。誰もそんなこと思ってね〜
170日本@名無史さん:03/07/18 12:07
>>122>>161>>163
必死だな〜、お前

>変換したら資料になったから、そのままかいただけなんだけどな。

お前馬鹿ですか。
171日本@名無史さん:03/07/18 12:19
>>163
>まさか2ちゃんで、こんな事一々突っかかってくる〜

大学では当たり前の様に注意受けますよ
有名な教授ほどね
172日本@名無史さん:03/07/18 12:27
伊藤や山県をけなせるほどご立派な人間はまずいないと思うね漏れは
173日本@名無史さん:03/07/18 13:10
>>172
それなら歴史上の誰についても批判できなくなりますね
連日2チャンネルに書き込みしている人の中に歴史に名前を残す人などいないのだから
こんなところで歴史上の人物の批判する時間がある奴など何をしても大成するはずがない
自分ももうこういうのに書き込むのはやめようと思うので
君も今後一切歴史上の人物の批判をしないように
174日本@名無史さん:03/07/18 13:23
うむ、今川氏真など蹴鞠の天才なのだから我々が批判するなど論外ですな
175日本@名無史さん:03/07/18 13:33
今川氏真をけなせるほどご立派な人間はまずいないと思うね漏れは
176日本@名無史さん:03/07/18 13:35
>>173
「批判」と「けなす」のとは違うと思われ。
まあ、あなたのなかではどっちも同じなんでしょうけど。
あなたには確かに2ちゃんは向いてないみたいですな。正しい選択です。
177西郷隆盛:03/07/18 14:16
>>176
2ちゃんに向いている人というのは人間のクズでごわすな〜

178大久保利通:03/07/18 14:18
>>176
向いてない人とは私のような人をいうのでごわすな
179江藤新平:03/07/18 14:21
うむ、皆の衆
こんなところで無意味な憂さ晴らしで無駄な時間を使わないで
勉学に励みなさい
180伊藤博文:03/07/18 14:25
自分の中の悪に立ち向かえ
このような場所では自分の中に悪魔を作ってしまう
もっと自分の人生を大事にしなさい
181日本@名無史さん:03/07/18 14:42
ジサクジエン(・∀・)イクナイ!
182日本@名無史さん:03/07/18 15:10
>>181
お前が自作自演
183日本@名無史さん:03/07/18 15:13
西郷隆盛直系ではないけど実は親戚だった罠
田舎は鹿児島
母方の姓は西郷
家紋も同じ
江戸時代階級も同じ
自分でもビックリ
184日本@名無史さん:03/07/18 21:04
やることやってれば、
金や女に汚くても関係なし。
185日本@名無史さん:03/07/18 21:41
>>167
馬鹿?
伊藤博文が汚職をしていませんって、学者の説はあっても「史料」があるわけないだろ。
「悪魔の証明」ってなんの事だがわかる?
>>168
そんな人はいて捨てるほどいると思いますが、なにか?
そして歴史上の人物を擁護する事で、人格批判されるとはいやはや、
おそらく素晴らしい、史学の講師に教わられたのでしょう。
>>170-171
あ、「史料」と「資料」の区別すらつかない人ですね。
自分で指摘しておきながら、恥ずかしくないんですか?
それとも日本語も読めなかったのですか?
186日本@名無史さん:03/07/18 21:46
>>184
だね。
むしろ伊藤や山縣などには、数千万円くらいは功績としてプレゼントしても、
おつりがくるだろうね。
187日本@名無史さん:03/07/18 21:48
>>185

うわわぁぁぁぁぁぁぁん
。   ∧_∧。゚
 ゚  (゚ ´Д`゚ )っ゚
  (つ   / 
    |  (⌒)
   し⌒^

誰からも反応がないよーーー
188日本@名無史さん:03/07/18 21:49
逃げ出したか。哀れなヤツ。
189日本@名無史さん:03/07/18 21:51
そろそろ152は釣り宣言でもして、「釣れた!」とレスいれて逃げ出すに、100ペソ。
190日本@名無史さん:03/07/18 21:54
井上からの汚職便宜をされた文書なら残ってるよ<伊藤
191日本@名無史さん:03/07/18 21:57
>>185=>>188
誰もお前のことなんて相手にしてくれないよ〜^〜^
今日も一日辛かったんでしょうね
ここで憂さ晴らしも結構ですが
相手になるのもくだらないのでもうお前とは遊んであげません
192日本@名無史さん:03/07/18 22:07
>>190
伊藤が直接関わった事件とかはないの?
193???:03/07/18 22:47
194日本@名無史さん:03/07/18 22:49
>>192
伊藤を辱めたい朝鮮系のかたですか?
195日本@名無史さん:03/07/21 14:27
西郷の取り巻きがどうしようもなか。
196日本@名無史さん:03/07/21 17:17
薩摩士族が男色を好むことは土佐に次いで有名であります。
勇猛な戦士の集団における同性愛は幕末維新期によくみられる傾向です。
197日本@名無史さん:03/07/25 12:39
復活!!!
198日本@名無史さん:03/07/26 18:59
199日本@名無史さん:03/07/27 20:10
>>186
>むしろ伊藤や山縣などには、数千万円くらいは功績としてプレゼントしても、
おつりがくるだろうね。
こねーよ。伊藤や山県は小物。大物の影に隠れて生き延びた臆病者です。
伊藤は罪のない非力な学者を一人闇討ちしたことによって名が売れたそうです
200西郷隆盛:03/07/27 20:15
>1〜199
伊藤博文は金の亡者だろ
よく聞く説だろ

201日本@名無史さん:03/07/27 20:16
山県は長生きしただけ。
202日本@名無史さん:03/07/27 20:22
早く死んでれば名前も残らないのが伊藤博文、山県有朋なのであり
早く死んでも名前が残ったのが西郷隆盛、高杉晋作、坂本竜馬らなのであります
203日本@名無史さん:03/07/28 01:35
>>201
禿同!
足軽が貴族になったり、軍にサロンを作ったりとロクなことをしていないが、
大正時代まで生き残った。他に生かしておきたい人物は山ほどいたのに…。
204日本@名無史さん:03/07/28 01:37
>>202
名前も残らないのは長州人ばかりだなw
205日本@名無史さん:03/07/28 02:09
>>1
案外本当に隠棲したかったんじゃないか。
時勢と理想との乖離にさいなまれていた時期だと思うよ。
2061:03/07/28 03:42
なるほど。
207日本@名無史さん:03/07/28 03:51
伊藤のことをヤケに弁護していた人がいたが逃げたか
208日本@名無史さん:03/07/28 03:58
伊藤博文や山県有朋はあんまり好きじゃないな。
もし西郷隆盛が長生きしていたら、もっと輝いた時代になったかも。
209日本@名無史さん:03/07/28 06:50
伊藤博文が金の亡者?
それはチョンがそう言ってるのか?
井上馨あたりと混同したのか?

伊藤は炉だが、金銭的には清潔な方だぞ。
210日本@名無史さん:03/07/28 13:17
>209
伊藤の井上から汚職便宜をされた文書なら残ってるよ。
もっと勉強しなさい。
211日本@名無史さん:03/07/28 13:23
>>209
>金銭的には清潔な方だぞ。

誰に比べて清潔なんだ?井上とかと比べたら当たり前だろ
西郷、大久保クラスの人物と比較して見ろ
伊藤の小ささがわかるから
212日本@名無史さん:03/07/28 13:31
長州閥を擁護するのは大変だね
213日本@名無史さん:03/07/28 13:31
>>210
なにに載ってんの?
214日本@名無史さん:03/07/28 13:34
大久保はあの伊藤の若い頃の上司として辣腕を振るった、大政治家。
西郷?
ああ、いたねヤクザの親分程度の小物が。
215日本@名無史さん:03/07/28 13:36
伊藤博文関係文書
216日本@名無史さん:03/07/28 13:38
>>214
お前や伊藤より大物だろ。無学な奴にはわからないと思うが
維新時の西郷の活躍を知ったらやくざの親分とは言えない
217日本@名無史さん:03/07/28 13:39
>>215
関係文書の書名およびその何項かキボン、文章をもっているならすぐに出せるよね。
218日本@名無史さん:03/07/28 13:40
長州閥は金や名誉に汚いからな〜
その功名心も維新には役に立ったんだが
俺は好きじゃないな
219日本@名無史さん:03/07/28 13:41
>>216
今は手元にないのでわからん
常に関係文書持ち歩く奴なんているのか?
220???:03/07/28 13:42
告白したいけど、自分に自信がない。それでも胸の奥が苦しくて・・・
そのような方、諦めないで。
ここでは、異性に効果を発揮する香水、合法ドラッグなどがおかれています。
小売価格一万円以上の品が、半額以下の値段で取引されています。
是非ここでゲットして、貴方の気持ちを打ち明けて下さい。
相手の方も、きっとそれを待っていますよ。

http://www.adultshoping.com/index.cgi?id=1057809839
221日本@名無史さん:03/07/28 13:42
>>216
伊藤の活躍と、世界的な盛名に比べたら、ヤクザの親分でも誉めたつもりなんですがね。
その上反乱起こして、日本に迷惑をかけてますから、評価対象外が妥当だな。
222日本@名無史さん:03/07/28 13:55
井上から伊藤への手紙(明治6年11月1日)

「...早速ながら我侭がましく候えども、工部郷(伊藤)御職へ対し候て申し上げ候、
諸鉱山の税御免と○○(破損)鉱山だけは是非とも生(井上)へ仰付けられ度く願い奉り候、
また飛騨高山鉱山の義は小民稼ぎに従来の弊多くこれあり候えども、
充分見込みもこれあり候山に候あいだ、一応鉱山寮のものに御引き揚げなし下され候て、
我が会社へ御任せ下され候わば有り難く存じ奉り候、
当時のの勢いにては往々不始末山も衰え候様成り行き候あいだ御配慮下され度く候.......」

職権乱用キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
223日本@名無史さん:03/07/28 13:57
井上の汚職は有名な話だが?
224:日本@名無史さん:03/07/28 13:57
>>221その上反乱起こして、日本に迷惑をかけてますから

日本にかけたというより日本を食い物にする亡者どもにだろ。
伊藤は幕末、英国公邸を焼き討ちにし、その仲間は馬関で外国商船に
いきなり砲撃をして、連合国から反攻されている。
ともかく長州人とその子孫は朝鮮に追放しろ!!
225日本@名無史さん:03/07/28 14:00
ダサツマこそ、日本の癌だろ。
明治維新後でも新政府の方針に従わなかったクソ。
大久保や木戸もあのダサツマの反政府的な行動に呆れていた。
226日本@名無史さん:03/07/28 14:04
大久保には同情を禁じえない。
ドキュソとはいえ友人が、日本を蝕む癌になってしまったのだから。
227日本@名無史さん:03/07/28 15:03
>>226
西南戦争までの流れを勉強しなさい。
戦争を引き起こしたのは西郷というより
大久保だというのが妥当でしょう
228日本@名無史さん:03/07/28 19:41
伊藤は金の亡者ということが確定したわけだし負けを認めなさい
伊藤をかばっていた209よ
229日本@名無史さん:03/07/28 19:44
大久保はなぜ西郷の征韓論を退けたのでしょうね?
単に西郷を政界から追放したかっただけでしょうか?
230:03/07/28 19:48
大久保は欧米のようになるのが日本の取る道だと考え
西郷はアジアの提携を強め欧米に対抗することが日本の取る道だと考えた

その違いからの対立であったと自分は思う
231日本@名無史さん:03/07/28 20:44
>>230>>1
同感。
二人の対立はあくまで政見の相違によるもの。
動機が純粋なだけに妥協の余地がなかった。
悲劇の原因はここにある。
232:03/07/28 22:39
>>231
同感していただいてありがとうございます
もともと西郷と大久保は国の指針に対して同じ路線にたっていたが
大久保が岩倉使節団で渡欧し欧米の進んだ文明を目の当たりにして
2人の道は大きくずれたのだと思います

233日本@名無史さん:03/07/28 22:58
>>232>>1
231です。
弟の西郷従道や従兄弟の大山巌が大久保についたことを考えれば、ご賢察のとおりと考えます。
欧米を見たもの、そうでないもの。歴史の転轍機とはそういうものかもしれませんね。

234日本@名無史さん:03/07/28 23:04
>>199
小物か大物かは主観の差だが。
功績で考えれば伊藤=山縣>>>>>>∞>>>>>>西郷
くらいに埋められない差がある。

>>210
222の事か?
これは井上の汚職であって、伊藤の汚職ではない。
235日本@名無史さん:03/07/29 16:14
西郷も大久保も、考え方こそ違えどそれぞれ高邁な理想に対して命がけで、
私欲に狂って権力を濫用したりはしていない。
伊藤もそんな大久保達に感化されてか、私欲に狂って晩節を汚した長州閥の面々とは一線を画して、
派閥の利害を超越した言動が目立つ。
泣かせるねえ・・・

236:03/07/29 16:32
>>233>>231
遙かに文明の進んだ外国を実際に見た大久保の考えもわかるし
帝国主義に基づく植民地化を進める欧米国へ対する西郷の怒りもわかる
そしてお互いの考えがわかるからこそ激突した西郷と大久保
歴史の流れは無情ですね
かつては親友同士だった二人
そして私利私欲のうごめく政府部内で常に清廉であった二人

237日本@名無史さん:03/07/29 16:33
毎日、ご苦労さん。
年号、人物名、事件名・・・・・・・・・・

写経と同じだね・・・・ぷっ
何か悪いことでもしたのかな?


暗記ばかりしてないで、思考能力をつけろよ!
サル暗記野郎ども・・・
238日本@名無史さん:03/07/29 21:31
>>230
そのテーマは永遠なものなんじゃないですか?
私は、所詮日本人は東洋人であり、アジア人なので、欧米化しても
根っこは変えられないという考えですが。。。
小泉さんも、アメリカに媚びすぎだと思います。
難しい問題ですが。
239日本@名無史さん:03/07/30 00:18
>>236>>232>>1
征韓論決裂後、廟堂に背を向け鹿児島へ去る西郷がただ一人暇乞いをした人物。
その名は大久保利通。
このぎりぎりの段階になっても、西郷が誰よりその力量を買い
かつ友として信じていたのが大久保ひとりであったこと。
そしてその西郷に誰にも見せない無遠慮な怒りを叩きつけた大久保。
過去の歴史においても、いや今でさえも
これほど信じあった友がいるでしょうか。
これが二人の永遠の別れとなりました…。
240日本@名無史さん:03/07/30 00:34
>239
それはあなたの思いこみです。
241日本@名無史さん:03/07/30 07:35
ふむ、大久保が謀略を致して西南戦争を起こさせたようなものだからな。
もっとも、幕末は西郷が江戸撹乱を行い、鳥羽伏見を起こさせたわけであるが。
242:03/07/30 12:13
>>239
西郷が自害した報を聞きつけたとき
常に冷静な大久保が動揺し涙を流しながら部屋を歩き回っていたと
大久保の子孫は伝えていますよね

西南戦争の終結を喜んでいるという説もありますが
自分には悲しい涙にしか思えません
243_:03/07/30 12:13
244:日本@名無史さん:03/07/30 12:55
>>242 と大久保の子孫は伝えていますよね

子孫としては、そう言うしか手はないだろう。
そうは思わなかった人間にテロられてしまったわけだから。
天誅を加えたのが薩摩系でなく金沢士族というのが当時の
難しさを現しているね。


245日本@名無史さん:03/07/30 13:04
大久保が暗殺された時、その手元には西郷からの書簡があったという・・・

泣かせるねぇ・・・
246:日本@名無史さん:03/07/30 13:21
本当ならその通りだが、それも噂でしょ。

そもそも、それほど西郷を信頼しているのなら、どうして西南戦争に
なってしまったんだ。私学校の生徒が火薬庫を襲った段階で単身鹿児島に
行けばいいのだよ。西郷も殺したりはしないだろうに。

同時期に、勝海舟は岩倉に西郷翻意の特使を頼まれた際、大久保と岩倉が
廟堂を去る条件なら、特使を引き受けると言ったとか。(まあ、これも
海舟の癖で膨らまして言っているのかもしれんが)
247日本@名無史さん:03/07/30 13:57
>>246
んだんだ。
お互いそんな信頼しあってたのなら
腹を割って話し合えば良かったんだ。機会はあったんだから。
それができなかったというのは2人の間の溝が国家を巡ってと言えど
もう修復不可能な状態になっていたことに他ならん。
248:日本@名無史さん:03/07/30 15:34
西郷が維新後は、ただのいい人だったのか峠を過ぎた過去の人だったかわからん。
しかし、そんな取るに足らない存在なら、大久保があそこまで徹底的に排除しようと
したことが理解できなくなる。おそらく大変な存在感だったのだろう。
大久保が排除しようとしたのは西郷と江藤とか存在が自分を脅かしそうな奴ばかり。
その点、山縣、板垣、伊藤、後藤などは格下だったんだろう。
249おすすめ:03/07/30 15:37
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250日本@名無史さん:03/07/30 16:08
大久保を暗殺した加賀士族の斬奸書を見ると、
民権派を弾圧し国家を私し(たように思われていた)、
西郷はじめ有意の志を殺した奸賊であると言っている。
またリーダー的存在だった島田一良は
佐賀の乱の際の江藤の処置を不当とする建白を書いている。

結局お互いにお互いを殺しあったようなもんだな。
251日本@名無史さん:03/07/30 20:37
>>242
明治6年政変時には、西郷は参議・陸軍大将・近衛都督を兼ねていました。
文武の最高権力を保持していた西郷は、反対勢力を容易にひねりつぶせる環境下にありながら
その権力を不当に行使しませんでした。
大久保も廟堂に立つにあたり、己が死を想定し子息に遺書と呼ぶべきものを残していますが
自分の刺客に西郷の意思を想定してはいなかったでしょう。
己の持つ圧力を一切使わず大久保に対した西郷。
命の危険を顧みず西郷の前に立ちはだかった大久保。
二人の間を誰も調停できなかったのは、この二人のような透明度の高い情熱を
当時ほかに誰も持っていなかったからではないでしょうか。
252日本@名無史さん:03/07/30 22:21
>>252
誰も持っていなかったわけではないだろう。
副島とかは清国の大官を威圧するほど仁義を持っていたらしい。
しかし如何せん、副島などは薩長の高官にとっては飾りのようなもの。

西郷・大久保を調停しうる立場にあった薩長要人が持っていなかった
というべきだろう。
253日本@名無史さん:03/07/30 22:28
木戸にやる気があればなあ。
一応名実ともに文官筆頭。
あと宮中には絶大な発言権を持っており、政治的な権力は彼に勝る人物はいなかった。
だが部下の不祥事潰しや、病気で引篭り。
254日本@名無史さん:03/07/30 22:41
木戸はやかましくグチグチと
「鹿児島は何やってんじゃゴルァ大久保どうにかしろよあの独立国状態」
と言い続けるだけだったな。
てか幕末からの恨みが積もりに積もって最期まで薩摩人嫌いだったからな。
病気もあるし鬱病気味だしで調停は無理ぽ。
255日本@名無史さん:03/07/30 23:14
あの時代、木戸の理論は優れていたな。五箇条の御誓文の理想を
追うような発言が見られる。民権に理解もあったようだ。
惜しむらくは、理論だけで終わってしまい実行が伴わなかったことか。
その点、山縣・井上・伊藤は理想や志は無さそうだが、利欲を達成する
ための活動意欲は木戸の百倍!
現在の日本の与党政治家たちの原型だな。
256_:03/07/30 23:14
257日本@名無史さん:03/07/30 23:17
↑こういう手に誘い込まれて入り浸る馬鹿もいるんだろうな。
258:03/07/31 00:04
>>251
二人の絆の深さゆえ、周りの者達は傍観しているか
あるいは両雄の思想のどちらかに賛同して対立に参加するかで
二人の思想を理解した上で、その間に入れる者はいなかったと思いますね。

幕末、長年いがみ合っていた長州と薩摩の間を駆け回った
坂本竜馬、中岡慎太郎のような人物が
西郷、大久保の間を駆け回って二人を再び結びつけていたら
その後の日本の歩む道も違っていたんじゃないかと思いますね。
259日本@名無史さん:03/07/31 00:34
あそこで戊辰戦役時の官軍急先鋒薩摩が悪役にならなければ、
日本は本当に一つに纏まったかどうか分からない。
260日本@名無史さん:03/07/31 01:04
ふと疑問。
大久保や岩倉はテロリストに狙われたのに
なんで西郷は狙われなかったんだろう?
261日本@名無史さん:03/07/31 07:09
狙われているぞ!
幕末では新撰組や見廻組。維新後は反薩摩閥に
262_:03/07/31 07:18
263山崎 渉:03/08/02 01:16
(^^)
264日本@名無史さん:03/08/03 18:09
西郷伝説再び
265日本@名無史さん:03/08/05 02:57
西南戦争の時、うちの地元は西郷軍の通り道になりました。
百姓達に 西郷を官軍に売ったり抵抗したりさせない為、
一人の巡査が河原に引きずり出され
「西郷に援軍が来ると百姓共に言え。」
と強要されました。
彼は声を振り絞って
「官軍が来るぞう―!!!!」
と叫び、その場で斬り殺されました。

とゆう話を昔年寄りに聞いたYO。小学校近くの河原に、確かにお墓の様なのが
あります。 
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|
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269日本@名無史さん:03/08/11 18:07
誰これ?
270日本@名無史さん:03/08/11 18:18
ぼるじょあの自画像だろ
271山崎 渉:03/08/15 13:09
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
272日本@名無史さん:03/08/20 03:12
あげ
273名無し募集中。。。:03/09/28 19:01
キタ━━━(^▽^)━( ^▽)━(  ^)━(  ;)━(^  )━(▽^ )━(^▽^)━━━シナイヨ!!!!!
274日本@名無史さん:03/10/25 22:11
西郷が征韓論の首領であるがごとく誤解されているのは、何とも不幸なことだ。
彼は丸腰で朝鮮にわたり、平和的交渉で韓国を開国させようと考えていた。
275日本@名無史さん:03/10/25 23:35
関係ないけど、なんかの本で伊藤が彦島を通ったとき泣いたのを読んだ。下関戦争のとき四ヶ国が彦島の祖借を求めたのに対し高杉は日本書記の故事をえんえんと説き事なきをえたそうだ。
276日本@名無史さん:03/10/28 22:41
伊藤は小物
277日本@名無史さん:03/10/28 23:00
>>276
西郷と比較できるような人物ではないな。
278日本@名無史さん:03/10/29 17:42
西郷さんは激動期にはいいけど、大久保のように着実に事を進めていくのはどうかな
279日本@名無史さん:03/10/29 17:44
276小物って・・・じゃあてめぇがあの難局あたってみろ
280日本@名無史さん:03/10/29 18:58
伊藤博文が小物だとしたら日本史上に大物なんてひとりもいないな
281日本@名無史さん:03/10/29 19:24
>>274
自分は必ず殺されるだろうからその時は軍を率いて攻めればよいと
板垣退助に書き送っているのだが
282日本@名無史さん:03/10/29 21:27
>西郷は明治6年政変時
>何を考えていたんだろう?


「オイドンの名前は本当は隆永でゴワスのに・・・」
283日本@名無史さん:03/11/02 12:50
話それるが、南洲神社ってHPないんだな。
ところで南洲神社って奉賛会とか賛助会みたいのはないのか?
284日本@名無史さん:03/11/03 17:27
トリビアで「西郷隆盛の本名は隆永だった」やっていたな。
285日本@名無史さん:03/11/03 19:17
そう私分に拘らぬあっさりとしたところが男らしいぞな。
286日本@名無史さん:03/11/11 21:52
>>279>>280
罪のない国学者を暗殺したことで名前をあげ
木戸の影に隠れ大久保の影に隠れうまく生き延びただけ
伊藤はたまたま運が良かっただけとしか思えないな〜
287日本@名無史さん:03/11/11 21:56
>>279>>280
伊藤博文なんて小物だろ
まぁお前らはもっと小物だけどな



288日本@名無史さん:03/11/16 08:19

お前はどうなんだよ
289日本@名無史さん:03/11/16 17:02
山県有朋も痛いよな〜
汚職がばれてクビになりかけたとき
西郷に助けられたのに
西南戦争では西郷に死を勧告する手紙を送ったんだよね〜
恩を仇で返すとは武士としてあるまじき非道

290日本@名無史さん:03/11/16 17:23
>>289
それが長州人なんだろ
291日本@名無史さん:03/11/16 18:54
>288
言うまでもなくもっと小物なんだよ。w
292日本@名無史さん:03/11/16 19:24
お前の事なんてどうでもいいんだよ。
293日本@名無史さん:03/11/21 10:05
>>1
ちょん氏ね!
294日本@名無史さん:03/11/28 07:46
本題に戻るけど「征」韓論じゃないんだよね。
西郷という日本の最高代表をきちんと派遣して改革を催す、
話し合いをしてそれでもダメなら兵を送れ、というのが西郷の意図だから。
295日本@名無史さん:03/11/28 11:26
西郷が非業の最期をとげたときから、
日本のDQN街道一直線が始まったのであった・・・
296日本@名無史さん:03/11/28 18:14
天皇が、西郷に朝鮮外交は一任すると言っていたという話がある。

8月には使節派遣で天皇の裁可も得ていた。
10月の閣議の際は大久保や岩倉も満場一致で派遣賛成という結果だった。
数日後、岩倉が天皇に奏上する際に閣議決定とは違う内容を奏上した。
天皇が予め閣議決定事項を知らないわけもないだろうし、
とにかく、その奏上には即答せずに、西郷を呼ぼうとした。

西郷は岩倉が自分の意見を奏上したのを知っていたので、
怒って辞表を出した。
潔ぎ良過ぎて話にならん。
297日本@名無史さん:03/11/28 18:27
>>295
あながちハズレでないね。
中央政府の独裁は、地方の声を全く聞かない体質へと変貌していった・・。
主婦が米騒動起こすほど、無頓着だった。
国勢調査的なものは、やってたのかね、戦前は?
298日本@名無史さん:03/11/30 02:29
トムクルーズのラストサムライは
西郷隆盛がモデルになってるそうよ
みんなみみるべし
299日本@名無史さん:03/11/30 03:11
「みみる」とするかのん。
300日本@名無史さん:03/12/08 15:53
>>298
真田は桐野をやってるの?
301日本@名無史さん:03/12/08 16:05
西郷は明治6年政変時
何を考えていたんだろう?


 ウリ専
302日本@名無史さん:03/12/09 01:42
>>301 
征韓論自体に思い入れがあったのか怪しいと思います。当時の旧薩摩藩出身
の士族達からの不平が凄まじかったのだと思います。
 国内に目をやっても既にこの当時には幕府の残党の整理も粗方メドが付き
武士としての存在価値自体は最早ない筈なのに、当事者である維新を成功さ
せた側の士族達に、そもそも何故維新を行ったのか、根本的な意味を理解し
ていない連中が沢山いたのだと思う。西郷さんは、旧藩のそういった連中の
取り巻きが沢山いて、結局かれらの不満の捌け口に国内ではなく当時混迷を
極めた朝鮮を選び、士族達の働き口を斡旋しようとしたんじゃないでしょうか。
303日本@名無史さん:03/12/09 02:15
西郷の考えは基本的にロシア防衛(恐怖症)で、北海道に屯田兵を置いたり
していることでも明らか。
これは冷戦終結まで、旧帝国陸軍〜陸上自衛隊共通のいわゆる”仮想敵国”として
引き継がれていくことになる。

西郷は、朝鮮と中国と組み、連合を組んでロシアの侵攻を食い止めようとする、
その防人役に武士を使おうとしていたフシがある。
いわゆる征韓論で西郷は朝鮮に死に場所を求めたとする人が多いが、
西郷が死に場所を求めたのは朝鮮や中国との連合を組んでロシア防衛線を張ろうと
していた旧満州ではなかったろうか、と思う。
304日本@名無史さん:03/12/09 02:34
大久保利通の血液型はO型(3本の遺髪から判定)。
西郷隆盛の血液型はB型(愛加那が所有の遺髪から判定)。

・・・・・空気嫁!>>304
305日本@名無史さん:03/12/09 02:45
306日本@名無史さん:03/12/09 02:52
>>304
愛加那って、いつまで生きてたの?
307日本@名無史さん:03/12/20 18:30
先週末、鹿児島に行ってきました。
以前から見たかった「西郷隆盛さんに関係する場所」は大体見ました。
終焉の地が住宅街の中にあったのは驚きました。
関係無い内容で済みませんでした。
308日本@名無史さん:03/12/20 19:30
西郷隆盛は持病がフィラリア。健康面からみて海外視察どころではない。
フィラリアの治療法などができたのは戦後らしい。
http://www.workers-net.org/liberarysyakai.html#%8B%A4%90%B6
309日本@名無史さん:03/12/21 00:30
>>298 漏れはみみたよ。

>>300 いちおうモデルらすぃよ。

伊藤は、身長は「小物」。
310日本@名無史さん:03/12/21 15:33

2008年

 I O C

北京オリンピック開催記念 
 
中国武術専門の中国国宝映像によるホームページですので皆様でご利用下さい。

(世界の格闘家、武道家が驚嘆する威力を持った初動の速い世界最速スピードと
思われる戦術を映像により公開しています。)

套路有害説 http://www.ne.jp/asahi/tfz/tys/index.html

歴代日中剣道史

 ※映画ラストサムライを見る方に必見 
内容 日本剣道と日本刀(軍刀編を見る事)
 http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/index.htm

311日本@名無史さん:03/12/22 20:41
ロシア防衛(恐怖症)って、イギリスに何か吹き込まれたんじゃないの?
312日本@名無史さん:03/12/25 21:51
薩摩「へこ組」の男色
313日本@名無史さん:03/12/26 18:59
欧米の歴史を知る上で、重要なのは古代ギリシアである。まずはそこから検討していきたいと思う。
古代ギリシアでは同性愛は嫌悪の対象ではなかった。逆にむしろソフィストたちの間で、真剣に討議されるテーマだった。
特にソクラテスは『饗宴』[プラトン1952年]のなかで、男性同性愛の倫理を統制するために、哲学的根拠を与え、その基礎固めを行った[ハルプマン1995年]。
当時のセクシャリティは三つに分類されていた。一つは男性に惹かれる男性。もう一つは女性に惹かれる女性。
そして三つ目は、女性に惹かれる男性と男性に惹かれる女性(つまり異性愛)である。
この中で男性同性愛は一つ目のカテゴリーに属し、さらに二つのサブカテゴリーに分かれていた。
一方は成人男性が少年を愛すること(ペデラスト)で、他方は、少年が成人男性を愛する(フィレラスト)である。
しかし、現在でいう男性同姓愛とは違い、若いころはその傾向がある少年であり、年がいっては少年を愛するものとして定義していた。
つまり同年齢間の同性愛ではなく、互いに違う年代によって営まれるものであった[ハルプマン1995年]。
またこれは、ソクラテスにより、制度として確立していた。

314日本@名無史さん:03/12/29 18:16
おまえら、いま、時代劇チャンネルで「田原坂」やってるぞ!
315日本@名無史さん:03/12/29 18:26
奄美では西郷は嫌われ者
316薩摩兵児:03/12/29 18:29
>>314
ありゃ西郷マンセーのドラマだから大久保閣下がへタレに描かれている。
個人的には良作とは言えねえ。
317日本@名無史さん:03/12/30 01:14
西郷
318日本@名無史さん:03/12/30 01:28
(゚д゚)ハッ。
Last Samurai⇒最後の侍⇒西郷の侍
319日本@名無史さん:03/12/30 01:53
(・∀・)
西郷の侍⇒最後の侍⇒Last Samurai
320あぼーん:あぼーん
あぼーん
321Saigou Samurai:04/01/12 21:31
西郷隆盛について書かれた小説で、オススメは?
「翔ぶが如く」以外で。
できれば、生まれてから、城山で自決するまで。
322日本@名無史さん:04/01/12 21:33
>>321
海音寺潮五郎
「西郷と大久保」
323日本@名無史さん:04/01/12 21:39
>>321
コミックならば横山まさみち「西郷隆盛」
324ジパング:04/01/15 20:57
西郷は山本権兵衛が訪ねた来たときこういったという。「おいどんについてこんでええ。
おんしにはこの西郷よりも大事な物がありもんす。海軍でごわす。日本のため、アジアのため
よろしくたのみもんす。お願いしもっす」
325勝元:04/01/17 16:03
>321
海音寺潮五郎が「西郷隆盛」っていうタイトルで小説書いてたと思ったが・・・。
326日本@名無史さん:04/01/17 18:27
西郷の飼っていた犬は非常食だったに違いない
327日本@名無史さん:04/01/18 20:12
匿名リサーチでせごどんの写真出てるけど嘘くせー
328日本@名無史さん:04/01/18 20:14
痩せた西郷かよ!特命リサーチ
329日本@名無史さん:04/01/18 20:19
西郷は本当はもっと痩せていたんだよ
分かったか、お前ら
330日本@名無史さん:04/01/18 20:22
本当の西郷は渡辺謙みたいなのに違いない
あんな薄らハゲであるはずがない
331日本@名無史さん:04/01/18 20:23
つうか俺の友達に似てんだけど
332日本@名無史さん:04/01/18 20:23
「新撰組!」の遙か上をいく糞番組だな>特命
333日本@名無史さん:04/01/18 20:23
じゃあ、肥満のせいで外国人医師に下剤の毎日の服用や運動を義務付けられた
事実はどうするんだ?
334日本@名無史さん:04/01/18 20:25
ほら、尾崎忠治だろ?
335日本@名無史さん:04/01/18 20:27
最後まで見てから考えましょうね(笑)
先走りすぎ。
336日本@名無史さん:04/01/18 20:27
なんじゃ、そりゃ。
30分近く引っ張って。地方の自称歴史家の電波かよw
337日本@名無史さん:04/01/18 20:28
大分で発見された西南戦争直前の自画像はデブとも痩せとも違う!
が結論
338日本@名無史さん:04/01/18 20:36
いや、むしろ特命リサーチは西郷特集のあとにやっている、オナラ臭
吸収パンツこそがメイン
339日本@名無史さん:04/01/18 20:41
伊集院・石塚・西郷といえば、日本三大デブ
340日本@名無史さん :04/01/18 20:44
あれ?
新聞に天皇かだれかの護衛しているときの写真
が最後Uだったじゃないかってのを見たけどな
341日本@名無史さん:04/01/18 20:44
隣国韓国に対して恥しいんだけど<日テレ
よりによって「征韓論」を唱えた軍国主義者西郷を「英雄」だmんな・・・┐(´〜`;)┌
342日本@名無史さん:04/01/18 20:45
>>341
釣れますか?
343日本@名無史さん:04/01/18 20:50
おいおい、西郷が征韓論唱えたのは事実だろ、事実はさすがに認めないと嫌韓厨と一緒だよw
344日本@名無史さん:04/01/18 20:56
「西郷が征韓論唱えた」と「 隣国韓国に対して恥しい」は等価ですかw?
345日本@名無史さん:04/01/18 21:45
>>336
あんな電波歴史家の単行本を出してんのかよ。>新人物往来社。
歴史読本も地に堕ちたもんだな・・・。
346日本@名無史さん:04/01/19 06:19
正規の外交ルートに対して暴虐無尽の無礼をはたらき
日本国を辱めた国はどこの国
347日本@名無史さん:04/01/20 11:04
桐野が暗殺されてさえ居たら、西郷の運命は違ったろうなぁ。
348日本@名無史さん:04/01/20 11:54
篠原はともかく、桐野は反乱を起こす気なんてなかっただろ。
京都時代の日記や、鹿児島退隠後の周辺者の証言を見るに、
桐野が粗暴な好戦主義者だったという説は間違いだと思う。
349日本@名無史さん:04/01/20 16:03
西南戦争へ至る経緯と西南戦争での言動や指揮から
桐野こそが元凶だとわかる。
350日本@名無史さん:04/01/21 21:06
昔の電報が(まぁ今もだが)かたかなじゃなきゃ殺されなかったかも、。。
351日本@名無史さん:04/01/21 22:05
リサーチ見てたけど、結局西郷の写真は一枚も無いって事?
352徳川慶喜:04/02/01 19:58
西郷殿は「性感論」を唱へてはいない。
353日本@名無史さん:04/02/02 23:14
>>348

逆じゃないのかな?
篠原は、西郷が帰郷する際、同調しようとする連中を
止めたらしいし・・・。

桐野は真っ先に、国帰ろうとしたんだよね。
354353:04/02/02 23:18

>.国帰ろうとしたんだよね。×

国に帰ろうとしたんだよね。○



355日本@名無史さん:04/02/02 23:22
やっぱり、永山弥一郎が最強だろ?
356日本@名無史さん:04/02/02 23:23
>>353-354
細かいなあ(w
病気になるよ、そんな細かいと。

意味が通じればOK。
357日本@名無史さん:04/02/03 08:09
>347
あれは永山弥一郎らしい、西南戦争中、代わりに訓示を垂れてた。
>355
冷静な判断をした幹部の一人だろ
358日本@名無史さん:04/02/07 22:41
池波正太郎の「人斬り半次郎」っておもしろいの?
359日本@名無史さん:04/02/09 22:44
>>358

池波らしく、作り話満載だけど・・・

講談と考えたら、おもしろいかもね。

もちろん、好き嫌いはあるだろうけどね。


360日本@名無史さん:04/02/16 11:29
西郷は結局周りに押され止む無く征韓論を唱えただけ。
そうしなければ国内の不平士族が暴発し抑えきれないと思ったからだ。

で、後半大久保等の反対でそれも難しく成り それなら下野して彼等と一緒に死ぬ覚悟を決めた。
西南の役で西郷が先頭に立たず最後までお飾りで居たのはその為。
一緒に居た桐野などは心中を察して居た事だろう。

元々西郷って男はは官僚向きの人間では無かった。大宰府に居た時も
長州閥の我欲を剥き出しにした低レベルな争いにホトホト愛想が尽きていたのだろう。
1時期ノイローゼだったとも言うし 彼は自分の棒給すら一銭も受け取らなかったぐらいだからな。

結局西郷は無念だったろうが彼等(不平士族)を沈め殺す事で日本の近代を開いた。
彼はその役回りを自覚していた。だから自らが目立った抵抗や大規模な扇動などはせずに死んだのだ。
その後出た伊藤や山県などとは器が違うんだよ。器の大きさがな。
361日本@名無史さん:04/02/17 22:50
>>360
>西郷は結局周りに押され止む無く征韓論を唱えただけ。

う〜ん、止む無くでしょうか?
西郷さんにとっては、晩年のライフワークみたいなものだったのでは?

もちろん、まず「征韓」ありきでは無く、
自らの交渉に赴くことによって、韓国の近代化を促し、
日本と同盟関係を結ぶことができると真剣に考えていたのでは?

島津斉彬公の影響をモロに受けたのであれば、
このようにも考えられると思いますが・・・。
362日本@名無史さん:04/02/17 23:02
西郷って人は、時流に乗ると能力を遺憾なく発揮するタイプではあったけど、
反面、ひとたび時流から外れると、非常に危険な自暴自棄を起こすタイプだった。
月照と心中してみたりね。
そういう性格のもろさが、征韓論敗北後の自暴自棄っぷりに表れてると思う。
も〜ど〜でもいいや〜的な成り行きは、確かにあったと思う。
桐野のような三流以下の武人に軍を任せるようなところは、
以前の西郷にはなかったことだ。
西郷は、桐野の統率力には一目置いていたろうが、
それは現場指揮官レベルでしかなく、指令長官的な能力や資質に欠けていることは
西郷の目にはっきり写っていたろう。
にもかかわらず彼にすべてを任せたこと自体、西郷の覇気のなさを如実に物語っていると思う。
363日本@名無史さん:04/02/17 23:19
>西郷は、桐野の統率力には一目置いていたろうが、
>それは現場指揮官レベルでしかなく、指令長官的な能力や資質に欠けていることは
>西郷の目にはっきり写っていたろう。
>にもかかわらず彼にすべてを任せたこと自体、
>西郷の覇気のなさを如実に物語っていると思う。

桐野や篠原を重用したこと自体、もうやる気が無かったんだろね。
永山あたりを側近に置いていたら、展開は変わっていたかもね?
364日本@名無史さん:04/02/17 23:22
篠原冬一郎をバカにすんなっ!
365日本@名無史さん:04/02/18 22:06
>>363

冬どんも、やる気が無かったのでは?

桐野はマンマンだったかもしれないが・・・。
366日本@名無史さん:04/02/18 22:14

西郷隆盛は自分が野球選手としてはすでに時代遅れだってことを知っていた。
攻守に渡ってハイレベルとなった現代野球においては、トリプルスリーを達成するような
マルチプレイヤーが必要とされており、西郷のようなパワーには優れるが器用さに欠ける
プレイヤーはもはやおよびではない。

西郷はそれを知っていたからこそ代表チームの韓国遠征への参加を辞退し、
シーズン途中での引退を表明したのだ。
367日本@名無史さん:04/02/18 22:18
「官軍なんか、いらさ棒一本で蹴散らしてみせる」と言ったのは
桐野?それとも篠原?
368日本@名無史さん:04/02/18 22:21
>>366

>西郷はそれを知っていたからこそ代表チームの韓国遠征への参加を辞退し、
>シーズン途中での引退を表明したのだ

辞退したんじゃなくて、させられたんだろ?
369日本@名無史さん:04/02/18 22:27
膝の故障が原因だという説も流れたよね。
でも俺は>>368の言い方が正しいと思う。

昨季、監督として復帰したときは、俺も昔を思い出して大いに熱狂したけど
夏の熊本死のロードでの采配のまずさには目を覆ったなあ。

370日本@名無史さん:04/02/18 22:28
篠原も死んで、桐野も死んで、西郷も死んで
大久保も死んだ。


最後に笑ったのは「川路利良大警視」だな。
371日本@名無史さん:04/02/18 22:35
360さん・元々西郷って男はは官僚向きの人間では無かった。大宰府に居た時も
長州閥の我欲を剥き出しにした低レベルな争いにホトホト愛想が尽きていたのだろう。
1時期ノイローゼだったとも言うし 彼は自分の棒給すら一銭も受け取らなかったぐらいだからな。

うーん、大宰府落ちした三条実美をいただいて、高杉晋作や坂本竜馬
と薩長同盟薩長同盟の協議してたころから、長州閥を嫌ってたんですか
ね。明治政府の陸軍の大将・太政官の参議になってからじゃないですかね。
薩摩藩の家禄・役料も1銭も受け取ってないというと、ずっと家族総出で
畑仕事してたのか。あれ、征韓論敗れて、私学校にひっこんでからの
話だと思ってた、さすが西郷さん。
372日本@名無史さん:04/02/18 23:11
>>370
実は川路も、大久保暗殺後胃癌ですぐ死ぬ
373日本@名無史さん:04/02/19 14:42
やはり大山巌かな?最後は公爵にまでなったし
西郷従道も大山に負けないぐらいの実績を残しているが
知名度という点では兄のおかげでだいぶ損をしていると思う
374日本@名無史さん:04/02/19 22:49
薩人は「有馬新七」につきる。
375日本@名無史さん:04/02/19 23:22
有馬ほど薩人じゃない奴も珍しいんだが。
376日本@名無史さん:04/02/19 23:28
>>370
最後に笑ったのは黒田清隆だろ。
妻殺ししてもこの国の頂点を極めた漢だ。
377日本@名無史さん:04/02/20 00:20
日本版フロンドの乱。
日本版ドン・キ・ホーテ
378日本@名無史さん:04/02/20 00:27
最後に笑ったのは長州
山縣・伊藤
379日本@名無史さん:04/02/20 23:30
ある意味、最強は五代友厚だと思う。
380日本@名無史さん:04/02/20 23:33
>>375
ないごてでごわすか?
381日本@名無史さん:04/02/21 00:18
川村景明大将
382日本@名無史さん:04/02/21 00:36
>>380
気性がね。オセンシに従わないことおびただしいし。
383日本@名無史さん:04/02/21 02:49
実は現・衆院議員の海江田万里が一番笑ってる。
384日本@名無史さん:04/02/21 14:43
有馬新七って人は薩摩人には珍しく「議」をいってはばからない人だったし
オセンシには従わないし、どっちかっていうと水戸や長州人に気性が似ている気がする。
剛胆さは薩人そのものだったけどね。
つまり、オセンシがものを考えニセは彼らに従う、という薩摩的姿勢を否定し
自分の議で行動して死んでいった。そういう意味で薩人らしからぬ、といってるわけで。
385日本@名無史さん:04/02/21 15:28
なんで、ここに海江田万里が出てくるんだ?
言っとくが、「カイエダ」万里は「カエダ」信義とは何の関係もないぞ。
386日本@名無史さん:04/02/21 21:48
国会議員で維新劇上演した時に
海江田万里は嬉々として西郷演じてはしゃいでたよ。
387日本@名無史さん:04/02/21 21:50
あいつ西郷ヲタだったのか・・・
388380:04/02/21 22:34
>>382>>384

勉強になりもんした。
あいがとごわした。
389逸見十郎太:04/02/21 23:00
つ〜か、俺ってどうよ?
390日本@名無史さん:04/02/21 23:35
>>389

アホですな・・・。
391日本@名無史さん:04/02/22 00:11
>>389
勇猛果敢で凄いよ。
392日本@名無史さん:04/02/22 00:12
海江田万里は有村俊斎とは血縁関係ないかもしれないが、
とりあえずルーツは薩摩らしい。
393日本@名無史さん:04/02/22 00:21
大村先生をバカにしやがって。
394日本@名無史さん:04/02/22 00:28
>>393
大村が西郷を馬鹿にしたんだよ。それがきっかけ。
395日本@名無史さん:04/02/22 02:48
>>393
西郷さんが無能であるから仕方ないでアリマス。
というか大村は基本的にバカを平等に馬鹿にしてた。
396日本@名無史さん:04/02/22 12:43
>>395
学問で得た知識を知恵にできない性質の人格だったんだね。
自分が偉く思えて、周囲が馬鹿に思えてしょうがなかったんだろうね。
そりゃ殺されるわ。
397日本@名無史さん:04/02/22 13:43
まるでヒキコモリの2ch常駐者のようだw
398日本@名無史さん:04/02/22 14:13
>>396
知識を持ってて他が馬鹿にみえる
ってよりあの時代にあれだけ合理的な思考を
持った人だから薩摩に多い非合理人間が馬鹿に
見えたんじゃないかな。
今の時代でも合理的思考だけで物事判断する人間は
非合理的なこと言う人間は理解しがたいし。
大村にしても西郷にしても両極端だと思う。
399日本@名無史さん:04/02/24 22:32
>352
上様、正確に申しましたらそう取られても
しかたないようなことを言ってました。
400日本@名無史さん:04/02/24 22:33
400
401日本@名無史さん:04/02/25 12:52
>>362
これはチト言えてるかもね。
ただそう見せ掛けてって事だったのかも知れない。

結局、あの頃の士族は行き場が無かったんだよ。
西郷はその捌け口の為に征韓論を唱えた訳だが無理だった。
それ以前に西郷って男は薩摩藩士の殻から抜け出れなかったと言うかな。
まず「お上ありき」とゆう江戸武士としての立場を捨て切れない男だったって事。

版籍奉還など開化政策で久光に面罵された時などは切腹も考えた程だったと言うし
彼のノイローゼはこの頃から始まった。「もうどうでもイイや」って面も確かに有ったな。

まあ大久保ほど酷薄で鉄面皮な性格では無かったという事だが
西南でまた西郷は自分の立場を見付けてそれに殉じた。
ココでマジに西郷が全国へ糾合し先頭に立って戦ったとしたら寝返る藩も出たかも知れないし
また相当に日本は疲弊しただろうな。

ともかく大久保も何処まで本意だったかは知らないが 立場上西郷を追い殺した後は早々に暗殺されている。
西南以後不平士族から付け狙われているのは分かっていたはずなのにまったく護衛無しだったそうだ。

こうゆう所を見ても彼もまた建前とは裏腹に複雑な心中抱えていた男だったんだろう。
402日本@名無史さん:04/02/25 12:59
>>371
太宰府では無く太政官だったスマソ。
西郷や山岡鉄舟は明治材府から受け取った給料を版籍奉還で禄が無くなって食い詰めてた藩士に全部分け与えてたんだって。
大久保も自分の給料ばかりか家財まで抵当に入れてカネ作って政府の資金にしてた。

ナンツウかなぁ。この2人死んだ後に出てきた長州の奴等のレベルの低さとか見ると萎えちゃう訳よ。俺は。
そう思わんか?
403日本@名無史さん:04/02/25 19:02
>>402
西郷・大久保が私財を困窮者に分け与えたり、国費として使ったことは立派だ。
しかし、国政の中枢に携わる者全てがそんな立派な事ができるだろうか?
能力のある者が金銭的欲求を満たそうとすると民間企業にしか行かなくなる。
政府や行政には民間企業に行きたくとも行けない様な能力のないものが集まってしまわないだろうか?

政府の財政が立派な人の助けを借りなければ成り立たないなら、
その政府は既に破綻している。
西郷・大久保は明治政府創設間もない時期にその中枢を担った為、
その政府を維持する為に私財を投じた。
明治政府の財政(徴税システムや国債発行など)が整備されていく
明治中期以降に西郷・大久保が生きていれば彼らの立派な行いは果たして行われただろうか?

長州に限らず当時の政治家は金にまみれている。
衆議院ができて、自由民権派の党と選挙を戦わねばならない。
政府の行う公共事業には民間企業も参入したいので、この方面から入ってきた金を
選挙資金・買収資金として使った。

カエサルが莫大な借金や献金を受け、元老院の議員を買収したのは紀元前1世紀だ。
鈴木宗男がロシア開発援助団体や地元企業と結びついたのは21世紀の出来事だ。
そして今アメリカの大統領選挙予備戦で資金のばら撒きが行われている。
選挙という仕組みができれば、様々な方面の様々な思惑が絡み汚い行為が多々行われる。
これはどうしようもない事だ。


長州という藩閥勢力を庇うわけではないが以上の現実を認めないものは愚か者でしかない。
>>402が愚か者であるというつもりはない。
しかし、西郷・大久保の立派な行為が常に行われるような国家は決して健全なものではない。
404402:04/02/25 22:55
>>403
視点が違うなあ。君とは。
手段としてのカネ集めや富国強兵は大久保の方が1枚も2枚も上手だよ。伊藤や山縣よりもね。
彼等は大久保が超人的に急造した近代を受け取っただけだ。
俺が言いたいのは心持の問題。
西郷にしろ山岡にしろ高々自分の給料を施した所で大局は何も変わらん事は百も承知だよ。

しかしそれを愚かと笑うか軌範の人として敬えるかで人間の価値は決まるし
現状を鑑みて「やらなきゃならん!」と、感じたんだろうな彼等は。
その点は大久保もまったく同じ。ヤラザロ得なかったと言う所か。
そうゆう気概の問題を言っただけ。

それが長州が出てきてからは私利私欲の政治行政に変質して行った。完全にエセ官僚国家化して行く。
江戸期は分国統治だったから徹底されて無かった官僚組織がこの時期飛躍的に大きく成った。
国民は馬鹿らしいぐらい鈍感だったが。まあ、民主主義なんて今も無いけど。

ともかく政閥軍閥を完全に手段と割り切っていた大久保に比べ伊藤、井上、山縣は明らかにそれを国政の為では無く
特に井上や山縣などは自分の周りに出来つつ有った私権益の為に行使し賄賂を取った事。
政商に利を食らわせながら無意味に軍隊権限を大きくしたのはその為だよ。

山縣の基本的な考え方は日本に民主主義は早過ぎるだ。これは大久保も同じ考えだったが
決定的に違う所は大久保ならあんな早々に外征なんぞは絶対にしなかっただろうと言う事。
富国と国内諸機関の整備に重点を置いて何が何でも専守防衛の路線で行ったはずだよ。
なぜなら外征の軍需で政商共は得をするが「日本にはなんの益にも成らないから」 だ。

ヨーロッパに200年も遅れて帝国(皇国)主義はじめちまったのはそうしなければ国内的に収まりがつかなったから。
演出者の大久保はそれを良く知っていた筈だよ。少なくとも日本の大きさぐらい量れる政治家だったはず。
あくまで建前のはずだった皇国主義を真に受けたフリしてその後亡国に導いたのは誰か?原因は何か?
よーく考えれば俺の言ってる事も分かるだろう。
405日本@名無史さん:04/02/25 23:43
>>404
>視点が違うなあ。君とは。
まあ、これは仕方ない。
同じである方が珍しいんだから。

>少なくとも日本の大きさぐらい量れる政治家だったはず。
欧米視察に行った時にイギリスの貿易立国を見て感銘を受けたらしいね。
イギリス本土は大きくなく、資源も豊富とはとても言えないのに大帝国となり得たのは
貿易によって金持ちになったからだと。
それを可能にしたのは産業を興したことだと。
殖産興業政策で紡績業が中心におかれていたのは、イギリスの影響が強かった事の表れだ。

>ともかく政閥軍閥を完全に手段と割り切っていた大久保に比べ伊藤、井上、山縣は明らかにそれを国政の為では無く
>特に井上や山縣などは自分の周りに出来つつ有った私権益の為に行使し賄賂を取った事。
>政商に利を食らわせながら無意味に軍隊権限を大きくしたのはその為だよ。

>あくまで建前のはずだった皇国主義を真に受けたフリしてその後亡国に導いたのは誰か?原因は何か?
長州が中心になって作った官僚制がその原因と考えているのかな?
406402:04/02/25 23:57
長く成って申し訳無いが>>404の追記。
なんか>>403で議会制民主主義が整いつつ有る様な言い回しだったがそれは間違ってるよ。

自由民権派は伊藤、山縣の作った内閣官制と帝国憲法でかなり封じ込められたよ。
まあ、この頃のドイツを元に作ったんだから無理も無いが。しかしその後に出来た現役武官制なんかは相当に酷いな。
その後10年以上コレでやってたんだからさ。
まあ、イギリス型導入したら余程変わってたんだろうが ともかくだ。

日本はこの頃も立派に民主主義国家などでは無かった。官僚政閥軍閥に政治が独占されたほぼ独裁国家に等しい。
これは現代の流れにも通じるんだけどね。経済か軍事力かの違いは有るが。
こうゆう事考えても明治維新がいかに武官(侍)革命だったかって事を象徴している。
決して市民(商人)革命では無かった。
つまり当時の日本ツウのは百姓商人層が武装して封建制を倒しって所に行く前に
啓蒙的な思想や人権倫理に関しての考え方が「民主主義」って物からかけ離れて居たって事。
一足飛びで革命(?)まで逝ったのがソモソモおかしい話なのだ

もっと言えば外圧(欧州列強)に恐怖し既成政権側と半ば相互合意の下に出来た政権なんだよ。明治政府ってえのはね。
だから歴史的に奇跡とも言える死傷者の少ない革命だった訳よ。

つまり江戸幕府その物がもう弱体、形骸化して商人が主役の世に成っていたんだが
なぜか彼等は自分達の権利権益拡大の為の革命を起そうとはしなかった。
鎖国と分国統治ってゆうのがそれだけ効いてたんだよなぁ。

だから国民はホント蚊帳の外ってゆう国なんだよ日本は。政治無関心国家、精神的途上国?
とでも言いましょうかね。
まあ、それで官僚、政治家、最後は軍部連中が独走しちまったって訳だが。
407日本@名無史さん:04/02/26 00:17
>>405
そうだな。しかしイギリス型帝国主義はもう時代遅れに成りつつ有ったのも大久保は分かってたんじゃないの?
産業革命の有利もアメリカが出てきてから無くなりつつ有ったし。
100人やソコラの近代遠征軍派遣して占領統治するなんてもうこの時代は無理だからな。
インド、マレーシアやアフリカなんかはそうゆうやり方でこの当時も統治していた。

また山縣、伊藤の様にアジアにはまったく適さないドイツ型の帝国主義持ってくる事もしなかったと思うよ。

資源を背景にしての圧倒的な国力、単一ではない多様な人種から成る合衆国。
勝や竜馬はソッチだったな。

ともかく大久保は「日本は遅すぎた」って事を自覚できていたからこそ征韓論に反対した。
つまり後々も外征はしなかった。 ココが大きいな。
408日本@名無史さん:04/02/26 01:16
西郷の薩摩改革は途中までは成功したんだがなぁ・・・。

久光の武装上京を「疎漏極まる」と断固反対した切れ者が
暴発的に旧世代の装備で陸路で北上を目指したというのはなんとも・・・。
密偵が西郷を殺そうとしたことよりも
政府がさまざまな挑発を仕掛けてきたことに絶望を感じたのかもな。


いずれにせよ避けられない戦争だったし
その後の日本軍の強大化に大きく寄与した犠牲だと思う。西郷は。
409日本@名無史さん:04/02/26 23:24
>>407

征台は、大久保の指示じゃなかったの?
410日本@名無史さん:04/02/27 08:42
>>409
だね。
411日本@名無史さん:04/03/02 06:14
mL( ^∇^ )グッチャー!
412日本@名無史さん:04/03/09 23:16
西郷輝彦
413日本@名無史さん:04/03/09 23:21
その娘が  えみりタン
414日本@名無史さん:04/03/09 23:35
その、おかんが「辺見マリ」
415日本@名無史さん:04/03/11 23:05
>>414

辺見まりの先祖が逸見十郎太。
416日本@名無史さん:04/03/31 14:04
西郷隆盛の肖像、銅像は本人のものではない。
彼は被写体となることを非常に嫌ったため。
今で言う写真嫌い、神経質なタイプの人間だったのかもしれない。
417日本@名無史さん:04/03/31 14:38
西郷従道の顔をCGでぷっくりさせると
隆盛の顔になる。
418ひかる ◆bodgOoQOHA :04/03/31 21:24
薩摩隼人について
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・ 彼らは原理的である。儒教、禅宗仏教があるが、禅宗においても野狐禅は嫌う。宇宙の法則を見極める為の禅である。真理を好み混沌を廃す。ニーチェ曰く、「真理から離れていれば離れている程人は美しくなる。」


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・ シラス台地によって貧しいのだが反骨心が育つ。努力家。
建築物も無いがそれによって人を強める。「人は城、人は石垣」 しかし建築物は長年に渡って人を啓蒙する。今の鹿児島の下らなさはその事に起因するとも言える。熊本は素晴らしいもの。
ホームに降り立った時からのあのアットホームさ。大都会で健康的で個性的でアットホーム。それに比べて鹿児島の雰囲気。何だか洗脳されているような、ゾンビのような。
しかし私学校的理念を保っている一部の人には相変わらずの、剛毅さ、優しさが伺えるのである。

419ひかる ◆bodgOoQOHA :04/03/31 21:26
・ 原理的であるのでホメロス的ギリシャ人に似ている。激烈さは彼らより上。愛の元に勇ましい。
示現流を見よ。(開祖東郷重位) 奇声を上げながら突進し一撃で相手を袈裟切りにする。刀で防げば刀ごと十文字に。防ぎは無い。攻め太刀だけである。
薬丸(野太刀)自顕流となるとさらに激烈である。使い手に桐野利秋(中村半次郎)、田中新兵衛、辺見十郎太などがいる。彼らは西南戦争で活躍した。
田原坂の戦いでは抜刀隊として兵児達が突っ込んだ。それとステガマリという関ヶ原の退却戦の時に用いた自己を捨石にする戦術があるのだが、それらは後の大東亜戦争の時の神風特攻隊に影響を与えているとも言われる。
民族主義はどうかと思うが、理念が何であれ勇敢さは素晴らしい。

420ひかる ◆bodgOoQOHA :04/03/31 21:26
・ 男色を重んじる。同性で性交渉をする。仲間を大切にし裏切らない。戦場で命が危険に晒されている時でも決して仲間を見捨てない。


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・ 芸術もある。薩摩琵琶という琵琶曲である。勇ましい雰囲気である。仏教的な優しさも持つ。勇猛心を育てる。情操を育てる。


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・ 記憶力がいい。一度知り合った人は忘れない。そして下郎の侮辱も忘れない。

421ひかる ◆bodgOoQOHA :04/03/31 21:28
・ 西郷隆盛は薩摩理念の頂点である。彼は類型を重んじ、しかし自立を重んじた。薩摩剣術が薬丸流ということに関係している。薬丸流の稽古は一人で横木を(立ち木)一万回近くも打つということをする。
実戦では真剣だが練習には木刀を使う。真剣で兜を袈裟切りに叩き割るか、生竹を逆袈裟に切り上げることが出来れば免許皆伝である。大抵は山奥などで独り隠れて修行する。よって個性的な人間になりやすい。
そしてそれらには立派な男が多かったのだろう。
  南州は優しかった。至誠。そして果断だった。しかし僕が思うには彼は優しい余り果断さが足りなかったと思う。だから村田や野村より、桐野、辺見を好んだ。だから西南戦争で負けるのだ。
上策の野村案を取らず、下策の桐野案を取った。熊本城攻めである。仇名を付けよう。杏仁豆腐である。(言い過ぎ。しかし僕や信長に比べれば。)

422ひかる ◆bodgOoQOHA :04/03/31 21:30
・ 西南戦争とは何だったのか。僕が思うには思想の相違である。
富国強兵は同じく必要だがその背景である。法治的対人治的。法治的な社会は国民を堕落させるが、人治的な社会は人を育てる効果がある。あるシナ人が言うところによると、「多くの法が敷かれる時、国家は没落に瀕するであろう。」
 外国への体面を重んじる余り悪い模倣をした。愛をどれだけ重んじるかいうことが相違を生む。大久保利道ら明治政府は武士を否定する政策を取った。
又は富国強兵を第一にする余りその長所を見ず、武士の軍事的古さや経済感覚の無さだけが目に付いたのだろう。しかしそれは決定的な短所である。新しい時代に対応出来る薩摩人、島津斉彬の夭折が(毒殺説もある)後の日本の命運を決めた。
現代の日本は法治的な社会であり、宮台真司の相対主義的リベラリズムがまかり通るが如く真のモラルに欠ける。民主党の鳩山由紀夫は薩摩武士道の復興である。期待したい。しかし望み得るのは法治の中での改善であるが。
もう一つの道は宮台主義である。相対主義は大衆に最低限の常識を守らせることが出来る。相対主義は形而上学的にいって無茶苦茶なのであるが。
423ひかる ◆bodgOoQOHA :04/03/31 21:31
歯車対感情の古典の戦争。
大久保利通が積極的に導入しようとした西洋文明はソクラテス以後、行動や情熱や感性を滅却させ、人間を平静に冷ややかに感性を潰してきた。
知識膨れで博識を重んじる、非芸術的状態を進ませてきた。また西洋近代に入ってからの官僚制化は学問を専門化し、仕事も細分化し、人間を感性の欠けた非人間的な歯車にして来た。
又フランス革命による民主主義は、人間の高さを認めないことによって高貴な人間を苦しませたり(ダンディー)、社会を卑俗なものにして来た。
そのようなものを受け入れる大久保派(彼は真性の薩摩隼人からは嫌われていた)と対立したものは何か。ニーチェが「反時代的考察」の中で反近代を当然含み、そして人間の理想像として挙げたソクラテス以前ホメロス的ギリシャ人にも匹敵する、
感情の古典(彼らの絶対理性主義、狂気の誠意をこう呼ばせて貰う)、我らが薩摩隼人達である。1877年(明治10年)、とんでもない戦いが起こったのである。同年9月末、西郷隆盛自刃。
古代的な健康さ、素朴さ、力強さ、美しさ(容姿など)が、集団としては、そこで世界史から消えた。 ..........僕はその貴重な残存である。
424ひかる ◆bodgOoQOHA :04/03/31 21:33
・ 薩摩の教育はアテナイの教育と類似している所がある。教養は最低限で良い。大切なことは博学であることなどではない。血肉化していること。人間に欠けていてはならない。真の教養とは日々証明されているものでなければならない。
また戦場で遅れを取ってはならないからである。まあ現代では白兵戦など大切な事ではないし、(おそらくは戦争自体。あるのは小規模紛争だけである。)せっかく学問も精緻に発達しているので良く勉強し精神的であるべきだろうが。
  学問は己の高貴さへの自信を失わせる。又、行動力を奪う。一々証明して貰わねばならないものになど大した価値はない。高貴な人間は本能的に行動する。刀を振り上げて甲高い叫び声と共に突進する。威嚇、気合を込める、「自分は正しい!!!」。

425ひかる ◆bodgOoQOHA :04/03/31 21:48
426日本@名無史さん:04/03/31 23:42
さむ
427日本@名無史さん:04/04/01 22:56
ひかる ◆bodgOoQOHA

誰?

伊集院?
428日本@名無史さん:04/04/22 22:50
薩摩隼人の女性蔑視が激しいのはホモだからですか?
429日本@名無史さん:04/04/23 22:36
結局、西郷は大久保の根回しに負けたって事
430日本@名無史さん:04/04/23 22:54
西郷=長嶋監督みたいなもんか
431日本@名無史さん
切りかぶに頭ぶつけてから馬鹿になったんでしょ。