直轄地 好きなだけ 問わず語り。
2 :
日本@名無史さん:03/07/04 20:43
|┃三
|┃ 、))
|┃, --" - 、
|┃〃.,、 ヽ
|┃ノ ノハヽ、 i
|┃l'┃ ┃〈リ
|┃|l、 _ヮ/从 わたすの出番?
|┃/∀_ヽ.
______.| (ゝ 〈、つ
|┃/___ゝ
|┃/-/-|
|┃二) ニ)
ガラッ
3 :
日本@名無史さん:03/07/04 20:43
さ、さくらタン・・・
4 :
日本@名無史さん:03/07/04 20:48
5 :
日本@名無史さん:03/07/04 20:50
徳川家直轄領って関ヶ原後に400万石+旗本1200万石
になったの?
6 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:08
俺の住んでるところ周辺は字ごとに天領、旗本領、大名領の飛び地が混在してて
しかも時期ごとに領有者が異なる。
7 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:09
飛騨高山はなんで直轄領にされたの?
>>6 うちもだ。(静岡県中遠《遠江中部》)
中泉代官所の管轄になったり
譜代がころころ入れ替わる浜松藩・掛川藩の所領になったり
はたまた旗本の飛び地だったりで 全然領主が安定しない。
従って現代に至るまで「国」「地域」のまとまりが実に狭い。
国持大名家の支配地に比べて 広域的なまとまりがない。
10 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:27
奈良県南部十津川地方は生産性が極端に低く、年貢が取れないため
誰も領有しなかったので形式的に天領扱い。
住人は免税だった(御赦免所)が、そのため灌漑・治安維持などの公共サービスも
無かった。
それらを住人自らでなんとかしなくてはならなかったため
「広範な自治権を持つ『十津川共和国』が存在した」なんて後年言われたこともあるが、
実態は貧しすぎて税をとれないから為政者がほったらかしにしてただけ。
11 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:32
>8
ウチは中河内地方。同一小学校区内でも
A町は天領、B町は狭山北条家の飛び地領、C町は旗本領、てな感じ。
俺も天領育ちだけれど、同感。
>従って現代に至るまで「国」「地域」のまとまりが実に狭い。
>国持大名家の支配地に比べて 広域的なまとまりがない。
仙台や岡山で暮らしたことがあるけれど、雄藩に連綿と続く文化というものが無いし
地域の歴史的深みに欠けるのが天領だった地域なのだと知りました。
13 :
日本@名無史さん:03/07/06 00:24
私も天領出身ですが、同感。
県(県庁所在地)との対立が版権分離の影響も手伝って著しくあります。
藩屏が建ったり潰れたり再建されたり、
しかも代官がころころ変わり年表がややこしくなっています。
14 :
日本@名無史さん:03/07/06 07:33
天領って江戸期を通じて公式的に四公六民、実際は二公八民くらいと税の負担が軽く、
また殿様が身近にいないせいか順法意識にとぼしく現在でも歩行者の信号無視なんて
あたりまえ、てな土地柄のところが多いな。
15 :
日本@名無史さん:03/07/06 08:01
俺の村は天領になったり藩領になったり旗本数人の相給になったり。
16 :
日本@名無史さん:03/07/06 08:06
だいたい天領と藩領と仲悪いところが多いな。
天領の権威を傘に来て、水争いで好き放題にやったとか。
17 :
日本@名無史さん:03/07/06 08:46
>16
川挟んで天領と藩領、なんて所では藩領側の堤防が低く、
しかも「いざ決壊か!」てなときは藩領側の堤防が破壊されたりした。
18 :
日本@名無史さん:03/07/07 06:03
ウチも歴史地図みると、「諸小領混在地」となってるな。
19 :
日本@名無史さん:03/07/07 11:52
天領の名主だった家系ですが・・・・。結構な地主だったらしいが天領だった
ので、泊まるのは高僧ばかりだったそうな!!これが藩領なら殿様とかが泊まって
金をせびりつつ何かおいっていっただろうに。郷士ぐらいにはなれてたかも!
20 :
日本@名無史さん:03/07/07 13:16
>>10 十津川は、太閤検地で年貢無し決定。でも、それ以前から、政権が変わるたびに、
味方につく動きを見せ、無税が多かったらしい。
江戸開始期には、幕府につく姿勢を見せ、また無税。その変わり、
材木を運上している。全郷、郷士に任じられ、明治には士族になった。
幕末には、朝廷側につき、南朝のからみもあるが、また勝ち馬についてる。
ようするに、勝ち馬に乗り、いつも無税を手にしてきたのを慣例として、
代々の支配者の認めさせてきた。
やせた土地だった分、頭を使ってたんだね。
21 :
日本@名無史さん:03/07/08 04:32
十津川郷士は自称という話も!維新での功績により士族の班に列したと司馬遼太郎
の十津川街道だっけ?そんなような本に書いてあったような気がする。
俺は石見の旧天領出身だ。
1685年それまでの浜田藩領から大森銀山への
ルート(江の川)確保として所属換えになった。
税負担が比較的安かった上に大概の農民は
公式に苗字を名乗ることができたので、
領民の評判はよく、穏やかでのんびりした
性格が生まれた。
23 :
日本@名無史さん:03/07/08 05:10
幕末の十津川郷士は天誅組の乱に巻き込まれたり戊辰戦争で大損害を出したり大変だったんだよ。
24 :
日本@名無史さん:03/07/08 08:10
石川県の白峰村も天領だが、住民は誇り高いとか良い評判が多いけどね。
また、加賀藩よりも越前の天領との交流が深かったため、方言に越前の言葉が入ってたり、
越前までの長距離輸送が発達してたりした。
25 :
日本@名無史さん:03/07/08 08:16
神奈川県の横須賀は幕府直轄地ですか?少し住んだけど城下町という感じ
ではなかったので。歴史、素人なのでお願げーしますだ。
26 :
日本@名無史さん:03/07/08 09:05
>>25 関東あたりは天領というより、徳川宗家領とも言えるから除外した方が良いと思う。
27 :
日本@名無史さん:03/07/08 09:05
28 :
日本@名無史さん:03/07/09 20:17
ァげぇてぇもォィいでぇすゥくァ?
29 :
日本@名無史さん:03/07/10 00:07
天領では本百姓に名字が許されたとか無いとか!!帯刀の方もあまかったのかな?
30 :
日本@名無史さん:03/07/10 00:25
岡山市のヤシだが、隣市の倉敷は天領天領とうるさいですね。
見栄え良いのは美観地区だけで、天領は身分差別が厳しかったのか
○落差別が尾をひいて今でも町が形成できるくらいの
そういう地域が数箇所ある。
少し前に小学生が餓死したしなぁ・・・・。
○島の方は再開発が進んでいるが、DQNの珍がうるさい。
住民の質がバラバラ。
31 :
日本@名無史さん:03/07/10 00:28
関八州は徳川の天領で、現在の東京周辺県が該当するね。徳川幕府の
収奪に晒された地で、現在も続く東京周辺県の東京依存と、それによ
る地場産業育成の遅れが決定づけられたのも、ここが天領だったとい
う状況によるものだろう。
32 :
日本@名無史さん:03/07/10 01:01
なるほど層化が強いのはそういう理由か
33 :
日本@名無史さん:03/07/10 17:15
>>32 層化が強いのは大阪
東京はそこまでじゃない。
34 :
日本@名無史さん:03/07/11 19:28
日田
35 :
日本@名無史さん:03/07/12 02:13
飛騨
36 :
日本@名無史さん:03/07/13 00:16
しかし歴史地図みると、江戸周辺を含む関東地方は「諸小領混在地」となってるな。
37 :
日本@名無史さん:03/07/13 04:05
>>36 江戸、京都周辺は諸大名の在府料や在京料の飛び地が多いからでは
旧高旧領によると関八州内の旗本領は石高ベースで全体の4割。
39 :
日本@名無史さん:03/07/14 07:07
関東・近畿の諸小領混在状態を天領に一本化しようとして
失敗したのが水野忠邦だっけ?
40 :
日本@名無史さん:03/07/14 21:04
たしか勝海舟が、
「家康は幕府が潰れるときに一気に潰れるように、
わざと天領を小分割しておいたのだ」とか言ってたな。
本当か知らん。
御三家の連中は天領の役人に対して高飛車な態度を取ったらしい。
特に幕末なんか関東では水戸藩の連中が跋扈しても役人は怖がって逃げまくってたそうな。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
43 :
日本@名無史さん:03/07/16 20:19
四郡代ってどこ?
水戸は今も昔も素行が悪いな。
45 :
日本@名無史さん:03/07/17 19:34
第二次長州征伐後の石見銀山ってやはり長州藩に占領されたんですか?
46 :
日本@名無史さん:03/07/20 22:26
四国って天領ないの?
47 :
日本@名無史さん:03/07/20 23:01
自分がおぼえている限りでは塩飽諸島とか小豆島が天領だったと
思うが。
48 :
日本@名無史さん:03/07/20 23:07
愛媛県川之江市が天領だよ。
江戸期に人口5千人いて当時は伊予国川之江村。
50 :
日本@名無史さん:03/07/21 02:07
漏れの出身も信州の天領だが、付近の大名領に比べてのんびりしているよ。
税が安く、勤労動員もなかったから、豪商が多い。
でも明治維新後は産業革命に乗遅れた。大学や高専もない。
のんびりしているからなー、仕方ないけど。
51 :
日本@名無史さん:03/07/21 13:42
>>49 天領云々はともかく、徳川幕府の崩壊で子孫が絶えないように
水戸家のみは幕府と朝廷が対立した自体を予測してか
勤皇優先にしておるのー。
家康はそういう所が絶妙。
52 :
日本@名無史さん:03/07/21 14:53
53 :
日本@名無史さん:03/07/21 15:17
>>51 水戸学ってそこまで先見的でもないんでないの?
水戸が反徳川なのは尾張、紀伊より低い扱いしかされない
事に対する僻みだ。
55 :
日本@名無史さん:03/07/21 16:26
家康のころは水戸家は御三家扱いではなく紀伊家の分家みたいな扱いだろ。
(紀伊家と水戸家の始祖の生母が同じだから)
56 :
日本@名無史さん:03/07/21 16:29
まあその先は御三家スレ行って読み書きしろ
尾張もバリバリに反江戸で尊王だったが・・・・
58 :
日本@名無史さん:03/07/21 18:00
それはすべてDQN家光がわるい。
吉宗が尾張藩主を暗殺したから。
ところで元々紀州藩は駿府だったはず。その後国替えになった
あと駿府は幕府領になったと思うが、家康の駿府時代に仕えて
いた家臣はそのまま紀州藩士になったのだろうか?
悪いが吉宗が尾張藩主を殺したというのは嘘。
確かに宗春が若くして死んだのは事実だが。
ていうか尾張が尊王なのは理由は分からないが始祖義直がそう決めたから。
62 :
日本@名無史さん:03/07/21 19:58
駿府城や名古屋城が二条城張りな訳がわかるね?
篠山タイプだから。
64 :
日本@名無史さん:03/07/21 21:47
幕府の認定する知行石高と、朝廷の下す官位なら、官位の方が権威があるだろうし、
血統の尊卑も、「家康から何代目」とか「今の将軍とどこまで血が近い」よりも
「皇祖の源氏の一族」の方がアイデンティティの拠としては確かなものではないの?
特に、尾張藩も水戸藩もそこそこ以上の大藩で、困窮していたわけではないから、
余計に、知行の多寡や将軍との血縁なんかは重く見る必要がなかっただろうし。
65 :
日本@名無史さん:03/07/21 22:01
天領って税金が高かったんだろ
66 :
日本@名無史さん:03/07/21 22:13
>65
吉宗が将軍になるまでは安くて、年貢の高い土地では領主が取り潰され、
天領になることを目的の一揆が多発した。
67 :
日本@名無史さん:03/07/21 22:29
>61
義直が尊王を藩是としたのは江戸とトラブルがあった時のことを考えてのこと。
京都に近いことを利用しようとしたのだろう。
実際には御三家筆頭を鼻にかけ、幕末には何も出来なかった。
俺は名古屋の人間だが情けないと思う。
隣の美濃は天領だったが薩摩に木曽三川治水工事をしてもらうまで、
洪水が起きると美濃側が浸水するようになっていた。
だいたい薩摩に工事をやってもらうこと自体情けないのだが、
尾張藩ではあんな立派な工事は出来なかっただろう。
68 :
日本@名無史さん:03/07/21 22:31
じゃあ吉宗以降は重税で苦しんだのか
70 :
日本@名無史さん:03/07/21 22:32
>>67 薩摩の力を殺ぎたかったんだろう。
その甲斐なく薩摩の連中に徳川は後世つぶされちまうのだが。
71 :
日本@名無史さん:03/07/21 22:58
>70
というよりああいう大事業を成功したことで自信を持たせてしまったのだと思う。
72 :
日本@名無史さん:03/07/21 23:01
>68
年貢を上げたら天領で一揆が多発したので、その調整に苦労した。
吉宗が米将軍と呼ばれた所以。
73 :
日本@名無史さん:03/07/21 23:05
ダ サ ツ マ 氏 ね や
>>71 いやそうでもない現に幕末の頃薩摩藩の財政は逼迫していた。
外様への天領の治水などの賦役はそれなりに効果あった。
あったんだが、薩摩の連中は借金を強引にチャラ同然に
してしまうという荒業をつかって貧乏国から一転、雄藩へと・・・
あれだけの天領を抱えていたのに幕府の連中無能すぎ。
スレ本筋の話題ではないのでサゲ。
>67
それよりも、なぜ尾張藩が他領の治水工事をする必要がある?
77 :
日本@名無史さん:03/07/23 20:23
>63
それを言うなら藤堂高虎メイド
78 :
日本@名無史さん:03/07/24 21:23
大和川の付け替え工事に60%の費用を負担したのは姫路藩だったな。
20%は幕府の負担で残り20%は地元負担。
79 :
日本@名無史さん:03/07/25 01:34
今の日本と似たような予算編成じゃノー
80 :
日本@名無史さん:03/07/26 09:13
>78
中甚平マンセー。大和川付け替え自体は7ヶ月ほどのスピード工事。
だが、甚平は20代前半から70代まで約50年に渡って
幕府に付け替え工事を陳情しつづけ、やっと実現。
工事では事実上の施行責任者に。我が郷土の英雄。
81 :
日本@名無史さん:03/07/26 09:25
日本死の勉強は楽しいやね。
毎日、暗記すればいいんだから・・・・
人物名、年号、事件名・・・・・
82 :
日本@名無史さん:03/07/26 09:29
>81
まあ、暗記は日本史に限らん罠。
英語、国語、数学、物理、、、少なくとも高校レベルまでは
全て暗記。センター試験では数学の参考書丸暗記で乗り切った思い出がある。
83 :
日本@名無史さん:03/07/26 09:43
81の日本史は厨房・工房レベルってことか(w
82の数学も。
暗記すらできなくて液便レベルの国立大にもいけない香具師が多数派なわけだが。
>76
尾張藩は立派な堤防を持っていたから宝暦治水とは縁がない。
そういえば来年は大和川付け替え300年。記念式典ってあるの?
86 :
日本@名無史さん:03/07/27 06:03
>85
中甚平を英雄視している付替の起点となった柏原市あたりが何かやりそう。
・・・元々柏原村は付替反対派の村だったけど。
test
(^^)
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
90 :
日本@名無史さん:03/08/30 14:04
あげておく
91 :
日本@名無史さん:03/08/30 16:57
おおきに
92 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:25
天領には部落民がいないと聞いたが、本当?
93 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:37
住民税は岡山市(池田藩ほか)よりも倉敷市(天領)の方が安い
財政力指数は倉敷>岡山
将軍様万歳
天領万歳
94 :
日本@名無史さん:03/10/02 00:59
代官 蓑笠之助 伊賀出身
96 :
日本@名無史さん:03/11/08 00:15
age
97 :
日本@名無史さん:03/11/08 00:31
天領在住以外の先祖は田舎者
98 :
日本@名無史さん:03/11/09 13:39
↑そーか?
99 :
日本@名無史さん:03/11/09 19:22
大坂周辺の村だと
私領だったり、幕領だったり、役知だったり、預所だったりと
コロコロと変わる村があるので
「ここは天領だからどうのこうの」という議論は馬鹿らしく思えるが。
100 :
日本@名無史さん:03/11/10 12:31
代官所の会った九州の日田は風格のある町という噂ですが、
幕府の九州総督府のような位置付けだったのですか?
広瀬淡窓のカンギエンは、幕府学問所ショウヘイコウへの進学校でもあったそうですし。
101 :
日本@名無史さん:03/11/10 22:06
>>九州総督府
九州を朝鮮や台湾といっしょにすんなよ。
>>日田
西国郡代だそうだよ。関東郡代、飛騨郡代、美濃郡代とか四つあるらしいよ。
郡代は勘定奉行の支局。つまり現代に直せば、財務省の支局。
税収はもち、裁判もやってたってさ。
102 :
日本@名無史さん:03/11/10 22:10
天領にあらずば人にあらず
国賊どもに天誅にあらずば水戸にあらず
104 :
日本@名無史さん:03/11/10 22:23
「総督」の語は
官軍が仙台に進駐したときに設立した
「東北総督府」がさいしょだったと思うが。
鎌倉・室町の「探題」というのは
総督府と言う意味なのでは?
105 :
日本@名無史さん:03/11/10 22:27
「大宰府」もはじめは、筑前のそれだけではなく、
朝廷の総督府みたいなものだった?
106 :
日本@名無史さん:03/11/11 15:40
代官所あったとこは風格ある
倉敷、日田、本島(ほんじま)
107 :
日本@名無史さん:03/11/11 15:50
例えば大坂にも代官がいたわけだが
大阪生まれの私が見ても、大阪は風格があるとは言い難い。
畿内近国に限定しても、パッと思い浮かぶだけで
大津・信楽・五条と代官所は各地にある。
>>106のように一概には言えないと思う。
>>107マジレスお骨折りはん
大坂にも代官
あれは城代だっせ。代官より格上。
大津・信楽・五条と代官所は各地にある。
陣屋と勘違いしてはんのとおまへんかい?
109 :
日本@名無史さん:03/11/11 20:07
>>108 大坂代官というのがありまして
谷町と鈴木町に役所があります。
もう少し勉強してから発言して下さいね。
110 :
日本@名無史さん:03/11/12 00:10
大坂町奉行に勤めているものは江戸から単身赴任してきたの?
111 :
日本@名無史さん:03/11/12 00:59
>110
役職によって違います。
それから赴任の場合、基本的に単身赴任はありません。
112 :
日本@名無史さん:03/11/12 01:34
大塩平八郎は大阪生まれ?
>>112 代々大阪町奉行所与力の家だからYes、じゃないかな。
114 :
日本@名無史さん:03/11/12 19:58
115 :
日本@名無史さん:03/11/12 20:57
大阪町奉行の与力は大坂に代代居住?
大塩家は先祖が今川家臣だったそうです。
116 :
日本@名無史さん:03/11/12 22:01
>>115 >大阪町奉行の与力は大坂に代代居住?
基本的に江戸時代の役人は役所の敷地内か役所のすぐ隣に居宅を構えていたと思いますです。
大阪町奉行の与力達は奉行所の近くに(天満?)に固まって住んでいたんじゃなかったっけ。
与力町ってのが大阪にあったはず。
>大塩家は先祖が今川家臣だったそうです。
今川氏の一族で姓も今川。後に大塩に改姓。
117 :
日本@名無史さん:03/11/12 22:13
>今川氏の一族で姓も今川。
本当なら源だろうが・・・徳川よりまっとうな源氏
>>117 はいはい、苗字(名字)でしたね。し、つ、れ、い
119 :
日本@名無史さん:03/11/13 00:01
大塩家は全員処刑されて絶滅か?
某漫画じゃ平八郎は派手に自爆死してるけど実際は普通に自刃でしょ?
121 :
日本@名無史さん:03/11/13 20:01
>>108 >陣屋と勘違いしてはんのとおまへんかい?
陣屋とは何を言いたいのかよくわからないところがありますが
天保10年、あるいは文久3年段階で
大津・信楽・五条、そして
>>106があげている倉敷は、代官所です。
122 :
日本@名無史さん:03/11/14 02:07
陣屋というのは、小大名と旗本でしょ?
123 :
日本@名無史さん:03/11/14 02:14
四日市は家康の脱出に一役買ったから天領なの?
125 :
日本@名無史さん:03/11/14 19:07
>>123 四日市は享保9年から享和元年まで大和郡山藩領となっている。
家康との関係で幕領となったのなら
私領になることはないと思うのだが。
江戸っ子なんですが、天領に住んでるって言っていいですか?
127 :
日本@名無史さん:03/11/15 04:46
江戸は天領とはいいません。
128 :
日本@名無史さん:03/11/15 06:49
>>127 「府内」?
長崎や大坂や兵庫や新潟は?
>>128 どうでも良いことだが
新潟はもともと長岡藩領、上知されるのは幕末の天保14年(1843)。
兵庫も明和6年(1769)に上知されるまでは尼崎藩領。
130 :
日本@名無史さん:03/11/15 12:56
131 :
日本@名無史さん:03/11/15 13:19
>>130 史料には「御料」あるいは「御蔵入」と出てくる。
ただ
>>126は現在東京に住んでいて
倉敷とかに住んでいる人が天領に住んでいると言っているのと同じように
天領に住んでいると言っていいのかという質問だと思う。
近世にどう呼ばれていたかという問題ではないと思うが。
132 :
日本@名無史さん:03/11/15 15:20
>>131 意味不明だよそれじゃ。
もともと「近世にどう呼ばれていたかという問題」なんて言ってないし。
東京に住んでても「江戸に住んでる」とか、
奈良に住んでても「平城京に住んでる」とは言わない。
ましてや現在の東京すべてが当時幕府領とは限らない。
すいません 質問させてください。
天領(約400万石)=直轄地ですか?
旗本の知行地(約300万石)これは、天領といいますか?
全国の4分の1。47カ国に天領をつくる。これはあっていますか?
134 :
日本@名無史さん:03/11/15 17:15
天領(400万石)=公領(御料)
旗本領(300万石)=私領(知行所)
天領、旗本領を合わせて全国の総石高の4分の1
135 :
日本@名無史さん:03/11/15 19:46
「御料」は天皇御料地じゃないの?
136 :
日本@名無史さん:03/11/15 19:51
>>135 皇室領は禁裏御料あるいは禁裏領と言う。
単なる御料は幕府領。
137 :
日本@名無史さん:03/11/15 20:20
禁裏御料 約3万石
院御料 約1万石
きびしー
138 :
日本@名無史さん:03/11/15 21:34
旗本領の行政は最寄の幕府代官所管轄ですか?
預かりというのは、行政責任だけ諸藩で、年貢は幕府に上納ですか?
139 :
日本@名無史さん:03/11/16 03:13
>138
旗本領は幕府領ではないので、代官所は無関係。
基本的には旗本が統治する。
140 :
日本@名無史さん:03/11/16 08:49
>>139 基本的にはご指摘の通りですが
火急の際は幕府機関の指示を受けることもあったようです。
摂津国嶋上郡高浜村の史料に
御地頭様遠路之御事故、無據臨時急変等出来候節ハ、
兼而御頼有之候ニ付、大坂御奉行様江御断申上、
御下知次第取斗申候
このようにあります。
大雑把な話ですが・・・
標準的な幕府代官所の管轄は五万石とされています。
所属する吏員は下っ端の中間までいれて約30名です。
そして30人全員が現地につめるわけではなくて
約半数近くが江戸詰めですので実質十数人〜二十人程度が現地支配に当っていたそうです。
このような小人数のために既存の村の自治機構などを通じた間接統治とするしかなかったようです。
実質的には徴税機関的な役割が主でした。
また一揆などが発生してもこのような小人数では鎮圧などは不可能なために
なるべく一揆が発生しないように配慮して税率を低めにする傾向があったそうです。
また現地の代官所も管轄する地域に直接設置されるわけではなく
甲府や駿府などの要地に周辺の代官所を集約配置するようなケースもあったそうです。
142 :
日本@名無史さん:03/11/18 07:12
甲府勤番は悪い役回りだったの?
143 :
日本@名無史さん:03/11/18 19:22
甲府や駿府は幕領なのか格が上だけど
144 :
日本@名無史さん:03/11/19 15:08
日向の綾も天領?
145 :
日本@名無史さん:03/11/19 15:09
加賀前田家領に飛び地として
旗本領無かったの?
>>145 加賀の領地の中には旗本領は存在しない。
その質問はアメリカ領の中に日本領は無いの?というのと同じ。
147 :
日本@名無史さん:03/11/20 04:09
>>146 イタリア領の中にバチカン領がありますね。
148 :
日本@名無史さん:03/11/20 09:30
越中領内に旗本領が
幕府のクサビとしてあったのでは?
網野先生の本で読んだような・・・
本多家自体が・・・
150 :
日本@名無史さん:03/11/21 01:22
>>147 間違い
バチカン領は「バチカン領」であってイタリア領ではない。
君は本当のバカ?
151 :
日本@名無史さん:03/11/21 01:55
152 :
日本@名無史さん:03/11/21 10:42
>>150 旗本領は旗本領であって、前田領ではありませんなw
153 :
日本@名無史さん:03/11/21 10:43
154 :
日本@名無史さん:03/11/21 13:02
前田家領内の越中に旗本・土山家領?能登に天領?と半独立的な長(ちょう)家領?
155 :
日本@名無史さん:03/11/21 14:17
だから、それは前田領じゃ無いって。 あと白山の方に天領。
156 :
日本@名無史さん:03/11/22 04:47
>>154 だからしつこいね。
バチカン領はバチカン領でありイタリア領ではない。
このバカチンが。
前田領は前田領であり旗本領ではない。
わかったか、このバカチンが。
157 :
日本@名無史さん:03/11/22 04:49
>>156 「の中に」という記述を意図的に外してますねw
158 :
日本@名無史さん:03/11/22 05:22
薩摩や長州には飛び地はありますか?
159 :
日本@名無史さん:03/11/22 05:24
160 :
日本@名無史さん:03/11/22 06:16
大塩平 八郎
161 :
日本@名無史さん:03/11/22 07:47
天領は太閤蔵入地を徳川が没収したのが起源?
162 :
日本@名無史さん:03/11/22 09:04
世襲代官を全部列挙せよ
(龍谷大学)
163 :
日本@名無史さん:03/11/22 09:10
>162
龍谷ってマニアックな出題多いよな。
俺が受験したときは
・1945年10月決行予定だった米軍南九州上陸作戦の作戦名は
・1946年8月決行予定だった米軍相模湾上陸作戦の作戦名は
164 :
日本@名無史さん:03/11/22 09:43
165 :
日本@名無史さん:03/11/22 09:51
>163
・オリンピック作戦
・コロネット作戦
166 :
日本@名無史さん:03/11/22 13:22
>162
伊豆韮山の江川家だけ?
167 :
日本@名無史さん:03/11/22 22:10
>>166 韮山の江川家って、卓ちゃんの祖先なの?
西国代官の小堀家もな
つかさ何時代のどこに所属する代官って話なんよ?
江戸時代の天領代官って話しでおkなんだろうが。
169 :
日本@名無史さん:03/11/23 09:26
>>168 小堀家って小堀遠州?
世襲の代官て徳川に従属した旧領主なのですか?
170 :
日本@名無史さん:03/11/24 19:01
>>169 京都代官を世襲したのは、小堀遠州の弟、正春家。
なお小堀氏はもともと近江の国人、浅井氏の滅亡後豊臣氏に仕え
関ヶ原の後に徳川家康に仕えている。
171 :
日本@名無史さん:03/11/25 16:31
日向綾も天領か?
172 :
日本@名無史さん:03/11/26 12:20
綾は鹿児島藩領。
173 :
日本@名無史さん:03/11/26 12:26
綾は延岡藩領
174 :
日本@名無史さん:03/11/26 19:55
綾は佐土原藩領
175 :
日本@名無史さん:03/11/26 20:31
176 :
日本@名無史さん:03/11/28 23:21
宮崎県東諸県郡国富町本庄は天領
幕府が薩摩藩へのクサビにする為か?
177 :
日本@名無史さん:03/11/28 23:29
本庄は近世初期には延岡藩領。
有馬康純の代、寛永18年に弟純政に分知されたが
正保2年純政の出家によって上知され幕領となった。
したがって薩摩へのクサビという評価は妥当でないと思う。
178 :
日本@名無史さん:03/11/29 13:51
参考文献は江戸幕府役職集成ですが・・・
江戸幕府天領の農村部担当の地方官としては郡代/代官があります。
これらの役職は職制上は勘定奉行に属します。
ちなみに勘定奉行は老中に属します。
都市や要地を担当する地方官には所司代や城代、奉行などがいます。
京都、大坂などの最重要地を統括する所司代や城代は将軍に直属します。
それ以外の長崎、日光などの要地は各奉行が担当し、奉行は老中に属します。
奉行や郡代、代官の部下には基本的に文官しかいませんが
城代、所司代については現地に派遣されている幕府正規軍の番組をも配下としており
軍権を持っている点が他の役職と異なる点です。
179 :
日本@名無史さん:03/11/29 15:40
預かり領って何?おとりつぶしされた武士の領地?
「押領」「欠所」「没官」というのは武士をとりつぶしにして、領地没収すること?
180 :
日本@名無史さん:03/11/29 15:54
>>179 預かり領とは幕領の支配を大名に委ねたもの。
2行目に出てくるのは中世の用語のような気がするが。
181 :
日本@名無史さん:03/12/09 16:19
上杉家が本間氏から奪った佐渡の支配はいかなる経緯で徳川に移ったのですか?
182 :
日本@名無史さん:03/12/10 02:22
>181
関ヶ原
質問
〜府中=天領
ですか?
184 :
日本@名無史さん:03/12/10 23:34
>>182 佐渡は誰から奪い取って天領にしたのですか?
185 :
日本@名無史さん:03/12/10 23:35
東北地方は
会津南部のほかにどこに天領あるの?
186 :
日本@名無史さん:03/12/11 02:46
>>183 初歩的な質問ですか?
それならば府中というのは=国府ということ。
天領とは関係ない。
>>184 上杉
>>185 出羽その他、沢山あるけど。
187 :
日本@名無史さん:03/12/11 11:18
佐渡を上杉景勝から奪い取ったのは秀吉では?
188 :
日本@名無史さん:03/12/13 10:42
秀吉は景勝を越後から会津に移したけど
佐渡はそのまま上杉領。
189 :
日本@名無史さん:03/12/13 21:30
甲州と佐渡は金山の為、代官による恐怖政治だった?
190 :
日本@名無史さん:03/12/14 10:43
塩谷大四郎と大塩平八郎が被る。
191 :
日本@名無史さん:04/01/01 05:24
八王子は「誰が支配?
192 :
日本@名無史さん:04/01/01 05:57
天領って結構あったように思うがどうよ?
ウチの近くの地域は、当初地元の殿様の領地だったが
後天領になってるし。
193 :
日本@名無史さん:04/01/01 06:42
194 :
日本@名無史さん:04/01/01 12:50
>191
代官
>>192 幕末だと、逆に天領の石見銀山なんかが長州藩に占領されてるな。
>>195 領地替えと軍事的な占領は意味合いが違うよ。
197 :
日本@名無史さん:04/01/01 22:05
埼玉の三芳町上富と所沢市中富下富は川越藩によって 一緒に開かれた土地だったけれど上富だけが天領に なったのが現在も別の自治体である原因になっている
あぼーん
199 :
日本@名無史さん:04/01/22 21:29
200 :
日本@名無史さん:04/01/22 22:18
>>191 宮○勤のご先祖様
(20日も後の遅レスの内容ではないが(w
201 :
あげ屋さん ◆P1AWcg9OTs :04/02/08 18:40
(・∀・)age!
202 :
日本@名無史さん:04/03/28 18:00
あげてやるか。
関東郡代のおかれた地域は天領なの?
204 :
日本@名無史さん:04/03/28 21:56
徳川幕府の直轄地をなぜ天領と言うか知ってる?
江戸時代には天領という言葉は存在せず、御料・御料所などと言った。
天領というのは読んで字の如く天子領、つまり天皇の領地のことで、
明治時代になって幕府直轄地が没収されたことによって、旧徳川直轄
領を天領と呼ぶようになった。将軍のことを「天」と呼ぶことはあり得
ない。
205 :
日本@名無史さん:04/03/28 22:06
天朝御領の略と聞いたことがある。
206 :
日本@名無史さん:04/03/28 23:49
京は幕府直轄地ではなかったな。
207 :
日本@名無史さん:04/03/29 21:08
>>206 代表的な高校日本史教科書である山川出版社『詳説日本史』には次のようにある。
幕府の財政は, 400万石(17世紀末)にもおよんだ直轄領(幕領,俗に天領という)からあがる年貢のほか,
佐渡相川・伊豆・但馬生野・石見大森など主要鉱山からの収入があった。また,江戸・京都・大坂・長崎・堺
などの重要都市を直轄にして,商工業や貿易を統制し,貨幣の鋳造権もにぎった。
208 :
日本@名無史さん:04/03/29 22:08
サヨク山川出版
209 :
日本@名無史さん:
右翼扶桑社
或いは真の愛国社とも言う