「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか11)

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645銀河 秋彩
   邪馬台(やまと)国(連合)の都 〔1〕

『魏志倭人伝(通称)』を正しく解釈しても、邪馬台(やまと)国(連合)の都は
判りはしない。
なぜならば、そこに書かれているのは、邪馬壹(やまいち)国(連合)の都だからである。

西暦247年、邪馬壹(やまいち)国(連合)側の俾弥呼・壹与(→伊予)政権は崩壊し、
248年、邪馬台(やまと)国(連合)の女王・台与(→豊)政権が誕生した。

それが247年3月の日の入り時の日食で以て、俾弥呼・壹与(→伊予)没を、
248年9月の日の出時の日食を以て、女王・台与(→豊)政権の樹立を表す、
「天の岩戸」伝説として語られているのだ。
史書は「俾弥呼<物部系>」と「天照大神〔蘇我系〕」を同一人物として、
「万世一系の建前」としているのだ。
それはのちにも、同様の事柄がある。
皇極<物部系>、重祚して、斉明〔蘇我系〕を同一人物としているのだ。

邪馬台(やまと)国(連合)の女王・台与(→豊)の都は、
現福岡県田川郡(今は京都郡の西)香春町である。
天の岩戸は香春岳(鏡山)である。
そこから、二度の日食が見えたのだ。ステラ・ナビゲーターで確認済み。
香春神社が東遷し、九州豊国王朝〔蘇我大王家〕の祖廟・宇佐神宮に。