大友宗麟に関するネタきぼーん♪

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1日本@名無史さん
超マイナーなキリシタン大名大友宗麟に関するネタを探しています。貿易に関すること、土地(大分)に関すること。
何でも書き込んでくだしゃいw
2日本@名無史さん:03/06/07 03:56
haget!
3日本@名無史さん:03/06/07 03:58
大友氏は案外金持ちだったとか…
4日本@名無史さん:03/06/07 04:42
大友宗麟のどこがマイナーなんだよ!
5日本@名無史さん:03/06/07 08:50
大友宗麟は変態の好色だろう。
6日本@名無史さん:03/06/07 13:08
>4
マイナーでつ
7日本@名無史さん:03/06/07 14:00
チンコがザクロのようになって死んだのさ
8日本@名無史さん:03/06/07 21:23
宮崎県中北部では、悪魔のように言われている。
自分の理想王国建設のために、神社仏閣を潰しまくった。
武将としても、アフォ。高千穂の三田井氏を滅ぼしただけで喜んでる。
島津にボロ負けして、宣教師すら置いてきぼりにした小心者。
9日本@名無史さん:03/06/07 21:30
ザクロなチンコ?その話シラネエ・・・
10日本@名無史さん:03/06/12 07:43
初代・大友能直の母・利根局って実は伊勢平氏の平貞能の娘(波合記より)
波多野四郎経家-利根局(養女・三女)-大友能直-・・・略-大友宗麟
(波多野二郎義通弟・頼朝兄・源朝長母の兄)

11日本@名無史さん:03/06/12 13:19
金髪とエッチしたらしい。それでたぶらかされてキリスト教に…
12日本@名無史さん:03/06/12 17:14
大友宗麟の子が大坂の陣に大坂方として参加したという説があるけどホント?
他に高山右近の子も。
13日本@名無史さん:03/06/14 00:56
大友氏って家の名跡はころころ養子に入ってかわってるけど血筋は藤原長良-国経流なんだね。

藤原鎌足-不比等-房前-真楯-冬継-長良-国経-忠幹(母・在原棟梁娘・棟梁は業平の子)-文信-
-惟忠-則経(藤原利仁四世藤原伊博の子・後藤公則へ養子に入る、公則弟・為延、則光から斎藤氏
が出る。又公則は文徳源氏・源章経の養子になり備後肥後河内守歴任。則経自身は坂戸判官といい
前九年役に従軍し後藤太と称す)-則明(源頼義7騎の1、猛将、前九年役従軍)-行景(秀郷流近藤脩行へ
養子、島田権守惟峯、後藤三、信濃住。兄政明は肥前塚崎後藤氏祖、弟後藤公広は実は秀郷流佐藤公
清の子の公郷の子)-景親(惟重、駿河権守)-貞成(近藤武者)-能成(近藤太)-☆大友能直(母方の
祖父・波多野四郎経家の大友郷継ぐ)-親秀(母の風早禅尼は畠山<高山>四郎重範女)-頼泰(母・
三浦佐原家連女←家連は三浦義明十男の義連<佐原祖7尺5寸>の三男、叔母は畠山重忠母で重忠
はいとこ)・・・略・・・大友宗麟◎
14日本@名無史さん:03/06/14 17:32
age
15日本@名無史さん:03/06/17 14:29
でいつドラマ放送すんの?
16日本@名無史さん:03/06/17 23:20
>>15
詳しく知らんが、NHKのPが取材旅行を4月にしている。
17埼玉県民jp:03/06/18 23:29
>>5
それはたぶん俗説(マジデ
大友氏が豊後からいなくなった後「大友記」などが編纂されたけど、
根も葉もない俗説がわんさかあったりするようでつ。外山幹夫って人が人物叢書に書いてるよ。
何で俗説を流したかというと、新藩主が来たときに「昔はよかったなぁ…」等と
領民が思ったら後々困るから(笑)
18日本@名無史さん:03/06/19 00:29
>>17
それだけじゃなくて
宗麟の時代(だけじゃないんだけど)は
バブリーに一気に大きくなった領国や家臣団の
組織再編成、強化を進めていて
そうした中で家臣団の反発を招き
有力家臣の反乱、離反を招いてしまった
で、組織を再編成できずにポシャってしまったから
肝心の庶家の家系にアンチ宗麟、義統が多く
悪い評価ばかりが残されてしまった模様

たとえば、キリシタン狂いの件にしても
冷静に見れば『日向の国にキリシタンの国を作る』と言っていて
決して本国豊後をキリシタンの国にするとは言っていない
つまりキリシタンも自勢力の一部として取り込もうとしているだけで
言われているように、キリシタン狂いをしていたわけじゃなく
逆にかなり冷静に計算高くキリシタンと付き合っていたことが伺われるんだけど
なぜだか後世には『キリシタン狂い説』が定着しちゃって・・・

他にも引き篭もりの件や、一万田の妻女の件なども有るんだけど
書き始めると長くなるんでこれくらいに・・・
19日本@名無史さん:03/06/19 00:51
変態の好色というのは有名だよね
20日本@名無史さん:03/06/19 07:05
>>18
藻前は豊後工作員だな(藁

侵略された日向は迷惑なんだよ。自国でオナーニしててくれたほうがマシ>宗麟
豊後で出来なかったことを、伊東旧領回復を名目にし、キリシタン国を作ろうとした。
21日本@名無史さん:03/06/19 08:08
和辻哲郎の『鎖国』では魅力的な人物として書かれていたな。
22日本@名無史さん :03/06/19 15:20
上の系図みると平安時代一のプレイボーイ在原業平の血が入ってるね。
やはり相当な女好きとみた。
23日本@名無史さん:03/06/19 15:52
>>22

実際の宗麟は
恐妻家でどちらかと言えば女嫌い
側室どころか、やっと作った若い妾と
本妻の奈多氏の軋轢からエスケープしたりして
だから庶腹の子がいなかったりする
離婚した後も元妻奈多氏から影響を受けていたりする
24日本@名無史さん:03/06/23 16:18
大友万歳!右大将・頼朝公に感謝感謝!!
25日本@名無史さん:03/06/25 00:41
26山崎 渉:03/07/15 12:01

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
27山崎 渉:03/08/02 01:46
(^^)
28山崎 渉:03/08/15 14:32
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
29日本@名無史さん:03/08/30 19:55
ドラマの話がNHK大分放送局に出ていたよん。
大友宗麟=松平健
正妻奈多=財前直見
ジュリア=宮本真希
楓(宗麟の愛人)=麻生祐未
秀吉=片岡鶴太郎
千利休=林与一
大友義鑑=細川俊之
臼杵鑑速=田村亮
30日本@名無史さん:03/08/30 20:02
>>29
ネタかと思ったらほんとにあった。
http://www.nhk.or.jp/oita/drama/index.html
31日本@名無史さん:03/08/30 20:02
松平健かあ。
がっかり。
32日本@名無史さん:03/08/30 21:07
道雪、紹雲、宗茂は、
登場すんのかな?
出るならば、誰が演じるのか、大いに興味有る!
33日本@名無史さん:03/08/30 22:12
松平健は道雪の方がふさわし。
34日本@名無史さん:03/08/31 00:10
子孫はどうなったの?
秀吉に取り潰されて以降
             
35日本@名無史さん:03/08/31 07:14
財前直見が「宗麟の妻役」ていうから後妻の方かと思ったら奈多氏かよ!

ちなみにこのドラマ原作が「王の挽歌」らしいぞ。
36日本@名無史さん:03/09/03 15:00
「王の挽歌」で描かれているちょっとストイックな宗麟のほうが、
実像に近かったりするわけですな。ちょっと驚き!
37日本@名無史さん:03/09/11 00:45
38日本@名無史さん:03/09/11 01:48
>>34
宗麟の長男・吉統は関ヶ原の合戦に乗じて領地を回復しようとするが、
黒田如水軍に破れ、この行動が徳川家康への反逆行為とされ、出羽→常陸宍戸
と閉門の処罰を受ける。1605年失意のまま死去。
子供は高家になったようでつ。

次男・親家は田原親実の養子となりますが、
兄の吉統とは非常に仲が悪かったようで、なんと島津氏に味方しちゃいます。
で、大友の家には帰りづらかったのでしょう、その後各地を転々とし、
1609年に小倉に転封された細川家の家来となり、そこで81歳でお亡くなりに。
「大友」の名前を憚って「利根川」という苗字に改姓されています。

三男・親盛は叔父・田原紹忍の養子になりますが、
大友氏没落後在地して後の領主・中川家に従った紹忍には従わなかったようで、
兄・親家を頼って細川家の家臣となられたようです。
この人も「松野」という苗字に改姓されているようです。

娘の子孫の方については煩雑で追っかけられず。スマソ。
39日本@名無史さん:03/09/11 05:39
>>34
吉統(義統)には二男三女の子があった。男子は義乗(よしのぶ)と正照。
義乗生母は吉弘鑑理(よしひろ・あきまさ)女。つまり吉弘鎮理(高橋紹運)の妹。
正照生母は小納言。伊藤甲斐守女。いづれも吉統正妻。

吉統幽閉後、利発ということで二人は秀吉から五百人扶持を与えられていた。
この伊藤甲斐守女は後陽成天皇に乳母として仕えていて、吉統の助命嘆願をした
結果、秀吉没後二年目の慶長四年、吉統は赦免された。吉統の処断に批判的だ
った家康の口利きがあったようだ。

それからは関が原の戦い前後のあれこれで吉統はアポーン。
能乗(徳川に仕えてから義乗より改名)は三千三百石の知行を食んだが、その子義親
には継嗣なく断絶。一方の正照には能増、親冬、義孝の男子がいて、三男義孝が義親
の養子になり千石の高家として再興した。

能乗(義乗) - 義親 = 義孝(正照三男) - 義閭 - 義武 - 義珍 - 義方 - 義智 - 義路 - 義敬 - 義達 - 義一 - 義介
40日本@名無史さん:03/09/11 11:09
大友宗家は現在も存続しているのですか?
どこかで断絶したと聞いたような気がするのですが。
41日本@名無史さん:03/09/11 11:32
宗麟軍 vs 耶馬溪羅漢寺の大蛇
ttp://www.d-b.ne.jp/siga/panora/honyabakei/rakanji2.html


42日本@名無史さん:03/09/11 13:06
臼杵城攻防戦萌え

道雪って今山合戦の時本陣の脇を固めてハズだけど
何も出来ずに壊走してるよね
生涯戦で遅れを取らなかったっての大嘘じゃん
43日本@名無史さん:03/09/11 20:13
>>40
以前、大分で大友家の菩提を弔う報道がなされていたが、
そのときに頭首という方が出た。存続しているんでしょう。
44日本@名無史さん:03/09/19 18:52
45日本@名無史さん:03/10/01 08:40
46日本@名無史さん:03/10/10 01:16
島津と大友は、初代を頼朝の落胤と吹聴していたが、
すると両氏の初代は兄弟かW
47日本@名無史さん:03/10/16 21:02
48日本@名無史さん:03/10/16 21:06
ホントはね国東半島〜佐賀関の間を荒らし回ってたの海賊だったんだよ。
49日本@名無史さん:03/10/16 22:01
>>46
マジレスすると

島津は詐称。
江戸時代初期までは「藤原氏」後裔を名乗っており
室町中頃から「源氏」も併用するようになった。
現在は近衛家に使えていた惟宗氏の後裔という説が有力。

大友も詐称。
鎌倉幕府で重職を勤めていた中原氏の後裔という説が有力。
50比企能員:03/10/16 22:36
>>49 大友能直は中原親能の猶子、近藤氏では?
51日本@名無史さん:03/10/16 22:56
>>49-51
ここによると
ttp://www2.harimaya.com/otomo/html/ot_roots.html
まだ大友氏の出自について決着は付いてないようでつ
源氏ではないことは確かなようだが

しかし利根局やら丹後局やら頼朝は何人隠し妻を持たされて
いたことになっているのやらw
5251:03/10/16 22:58
おや、自分も含めてレスしてるわw はずかしっ
53日本@名無史さん:03/10/17 12:13
アイムソーリン
54くの一忍法帳:03/10/21 00:01
大友忍法、お●んこからめ取りの術。
55くの一忍法帳U:03/10/22 01:09
マリア天姫たん、ハァハア・・・。
56日本@名無史さん:03/10/23 02:52
この中原親能の妻(能直の義母)は頼朝の娘の乳母をやっていてね。
頼朝にとっては「家族同然」だったんだ。だから頼朝と縁が無いわけじゃない。
「能直=頼朝庶子」説もここに由来するらしい。
57日本@名無史さん:03/10/23 09:44
遠藤周作の原作に登場するフランシスコ・ザビエルは、
宗麟に終生忘れがたい感銘を与えた人格者として描かれているので
それなりの役者をあててほしいね。
ザビエルとは対照的な小人物として描かれているのが
フランシスコ・カブラル神父だが、これはデーブスペクターでもいいw
58日本@名無史さん:03/10/23 11:47
「大谷吉継は、実は大友宗麟の息子だった」
というトンデモ説を聞いたことがある。
59日本@名無史さん:03/10/23 13:42
>>58
それは確かにとんでも説だw
大谷吉継自体は近江出身の可能性が高かったのでは?
60日本@名無史さん:03/11/06 20:00
61日本@名無史さん:03/11/06 21:08
>>42
こんなのも。

>休松合戦。秋月種実vs戸次鑑連。
>永禄10年(1567年)筑前の国、休松(安見ヶ城)。
>毛利の直接・間接の支援を受け、種実は高橋氏、筑紫氏と
>連携を取りつつ「父の仇・大友」打倒の旗を挙げる。
>大友勢は戸次軍を先鋒に休松にある秋月勢を一蹴。
>古処山城に追い詰め、兵糧攻めの態勢を採る。
>しかし、毛利援軍の風説が流れ、大友勢が動揺。
>鑑連は一旦、兵を引くことを決意するが、
>その一瞬の機を種実は逃さず、夜襲を決行。
>地理に暗い戸次軍は同士打ちの醜態をさらす大敗を喫し、
>敗走。鑑連の5人の実弟も討ち取られる。

>この時、鑑連の縁者が数多く討ち死にしてしまったため、
>跡継ぎに困った鑑連は僚友の高橋紹運の嫡子に目をつける。
62日本@名無史さん:03/12/03 16:37
大友宗麟が作ろうとした無鹿(ミュージックから?)って
どこにあったんだ。繁栄の可能性はあったの?
63日本@名無史さん:03/12/05 21:18
>>62
無鹿(むしか)。
イスパニア語の音楽(Musika)の音訳。元はラテン語(Musica)。
もちろんMusicもこれが由来。

無鹿は宮崎県延岡市にあります。
http://www1.sphere.ne.jp/mmnobe/kanko/musika.htm

繁栄の可能性についてですが、この無鹿は天正八年(1578)九月に
家督を嫡男吉統に讓った後に宗麟が移り住んだ、言ってみれば隠遁
の地です。

西洋にカブレた宗麟は既に家臣団の支持を失っており、またここは
周辺諸国との交流には不便すぎる所でもあります。いや、隠遁の地
ですから、敢えてそのような所を選んだと思われます。

もし仮に、二ヵ月後の耳川の戦いに大友が敗れなかったとしても、
宗麟が歿したら大友家からは無視され、最終的には禁教によって
衰退していったことでしょう。

初めから、繁栄など約束されない地だったのです。
64日本@名無史さん:03/12/30 00:18
正月のドラマはこのスレ使ってね。
65日本@名無史さん:03/12/30 00:26
遠藤周作『無鹿』
66名無死のリア厨:03/12/30 14:45
大友宗麟って関ヶ原出てたっけ
67日本@名無史さん:03/12/30 15:24
>>66
宗麟は1587年に死亡。
宗麟の子・義統は、文禄の役のとき、
敵前逃亡したとして豊後国を没収され、大友本家はほろびた。
江戸時代には、支族の1流が江戸幕府の高家になった。
68日本@名無史さん:03/12/31 16:23
もうすぐドラマ放送なのに、NHKが全然番宣してくれないage

>>67
支流じゃなくて、義統(吉統)の子供が高家になったんじゃなかったっけな。
69日本@名無史さん:03/12/31 17:06
>>67
>>68
最初は大友義統の義乗の二男・義親が高家となり、
今川範以の娘を妻に迎えていたが、嫡子なく早世したため、
義乗の妹で女三宮女房となっていた女子の尽力で、
義統の二男・正照の子・義孝が名跡を継ぐ事になった。

ちなみにこの大友義孝は同僚の畠山基玄とともに
先輩である吉良上野介の儀式作法を見習っていたようだ。
70日本@名無史さん:04/01/02 08:22
漏れん家にはBS無いから関係無い
71日本@名無史さん:04/01/02 09:13
二度もお取り潰しにあうなんて、珍しい人生だな。>吉統
人物像としてはどういうモノだったのか知りたい。
宗麟より吉統主人公のドラマきぼんぬ。

72日本@名無史さん:04/01/02 09:16
なんにせよ、BS持ってるヤシは、
自慢げにネタバレする権利があるなw
73日本@名無史さん:04/01/02 11:36
>>67
義統は関ヶ原の主戦場には出ていないが家名再興を条件に九州の東軍大名の討伐にあたる。
が、黒田官兵衛に言いようにやられてしまった。
74日本@名無史さん:04/01/02 12:29
>>73
黒田厨は「関ヶ原が長引けば黒田官兵衛は九州を支配化においていた」
なんて大げさに騒ぐが実際やったことといえば大名でもない大友義統を
たたいただけなんだねw
75日本@名無史さん:04/01/02 12:31
かんぴょうえが島津を潰していれば・・・
76日本@名無史さん:04/01/02 13:03
大友のドラマに島津は出ないんだろ?
だったら、つまらんから観ないよ
77日本@名無史さん:04/01/02 13:43
耳川の惨敗は描かれないの?
78日本@名無史さん:04/01/02 13:56
>>76
それ以前に原作の『王の挽歌』が
ひどい代物だから
大友ファンとしても期待できない
遠藤周作は豊後や大友に対して
殆ど研究していないんじゃないかな
79日本@名無史さん:04/01/02 13:57
遠藤はキリスト教だったら何でもいい
80日本@名無史さん:04/01/02 15:37
つまらないキリスト教的なヒューマン・ドラマなんだろうな。
81日本@名無史さん:04/01/02 15:39
実は海賊。
82日本@名無史さん:04/01/02 15:40
平和を求めた大友宗麟!!! ゲゲゲって感じだな。吐き気がするよ。
83日本@名無史さん:04/01/02 15:41
耳川の大合戦はちゃんと描いてほしいね。
84日本@名無史さん:04/01/02 15:42
>>83
無いよ
島津氏そのものがドラマには出てこないそうだよ
85日本@名無史さん:04/01/02 16:13
俺の先祖の一人は大友宗麟とずっと争って最後は殺された。
平和主義者だなんてちゃんちゃらおかしいよなあ。
他の戦国武将となんら変わらないと思うが?
86日本@名無史さん:04/01/02 16:28
「宗麟個人の意思で全てが行われたわけでもないだろう。」
  ↑これを叩きたがるヤシは天皇スレにも
   喜んでアンチなレスしてるんだろうな。
87日本@名無史さん:04/01/02 17:31
個人の意思ですべてが行われたわけではもちろんないが、
「平和を追い求めた」みたいな形で宗麟の生涯を総括することは
無理がありすぎ、というか滑稽ですらある。
88日本@名無史さん:04/01/02 17:45
キリシタン=平和主義者
と決め付けたんだろうね
というか、ここのみんなは宗麟って聞いてどんなイメージ浮かぶよ
オレは破天荒なドキュソというイメージなんだけど
89日本@名無史さん:04/01/02 18:15
宗教は毒だ!
とくにキリスト教とイスラム教は。
聖戦というものより怖いものはない。
90日本@名無史さん:04/01/02 23:57
NHKドラマ、つまらんかったニダ

宗麟の心の変遷だけを描写しただけ。
大河できっちりやれよ。
91日本@名無史さん:04/01/03 00:04
>>90
は特権階層。六本木ヒルズに在住。
92日本@名無史さん:04/01/03 00:25
刀狩じゃ
93日本@名無史さん:04/01/03 00:41
大友宗麟−平和を求めた戦国大名(仮題)
http://tv2.2ch.net/test/read.cgi/kin/1046614321/

リンクさせとくわ
94日本@名無史さん:04/01/04 18:35
新スレ立てる必要ないからね
95日本@名無史さん:04/01/04 18:38
島津厨が、NHKドラマ化で先を越され悔しがっています

大河ではないが大友宗麟NHKドラマ、本日放映!
島津はダメですね。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
1月4日(日)19:20〜20:50 NHK総合 Gコード(9441029)
正月時代劇 「大友宗麟・心の王国を求めて・戦国の世において平和な国づくりを目指した武将宗麟の波乱の人生」
 群雄が割拠する戦国時代のさなか、ひたすら平和を追い求めた大友宗麟の半生を描く。遠藤周作原作、古田求脚本、
 望月良雄演出。後に「宗麟」と名乗る義鎮(松平健)は、21歳で豊後国以下6カ国を治める大友家当主となった。
 だが、お家騒動があったため、なかなか領内は安定しない。そんな中、彼は豊後へ布教にやってきた宣教師の
 ザビエル(ラズ・ブレザー)の活動に興味を覚えた。同じころ、妻の矢乃(財前直見)の侍女、露(宮本真希)を
 見初める。しかし領国は北の毛利勢、南の島津勢の猛攻にさらされる日々が続いた。折しも心中でザビエルの影が
 大きくなっていくのを感じた彼は、48歳で洗礼を受ける。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
96日本@名無史さん:04/01/04 20:08
立花道雪(戸次鑑連)イメージちがいすぎ
97日本@名無史さん:04/01/04 20:15
>>96
地上波で見てるお前は負け組
98日本@名無史さん:04/01/04 20:16
>>97
ここの人意外と金持ち多いな
ハイビジョンなんてフツー見れるかよ
99日本@名無史さん:04/01/04 20:19
財前くるったw
100日本@名無史さん:04/01/04 20:19
>>96
>>97
>>98
何で見てようが内容は一緒。
101日本@名無史さん:04/01/04 20:20
NHK板行くノシ
102日本@名無史さん:04/01/04 20:25
>98
最近のテレビや周辺機器にはBSデジタルチューナーが
最初からついている場合が多い
103日本@名無史さん:04/01/04 20:32
スゲエ。
道雪の輿の両脇に銃がついていて、子連れ狼の手押し車みたいだw
104日本@名無史さん:04/01/04 20:49
あんまし面白くなかった。
105日本@名無史さん:04/01/04 20:50
漏れは、結構面白かったYO。
106日本@名無史さん:04/01/04 20:52
1時間30分のドラマではあれくらいがいいところかも。
でも、一般の人にはわかりにくかったんじゃないかな。
107日本@名無史さん:04/01/04 20:52
九州のほうあんまり興味無かったんで、
朧気ながら事情がわかったのは収穫。
信長の野望でこんど大友でプレイしてみよ。
108日本@名無史さん:04/01/04 20:54
島津が主人公の小説って「島津奔る」くらいだが
これは例の事件によって絶版だからねえ
ドラマ化はあり得ないだろうね
109日本@名無史さん:04/01/04 20:55
大友宗麟の改宗は

(1)貿易による領内繁栄
(2)家庭内不和から来る厭世観

この2点が原因とされている。
大友宗麟が平和主義者だったなんて
まともな本には一切載ってないよ。
110日本@名無史さん:04/01/04 21:01
それはそうと、毛利元就は鬼畜。
大内義長の豊後亡命くらい認めてやれよ。
111日本@名無史さん:04/01/04 21:10
>>110
宗麟のほうが受け入れ拒否したんだよ
大内義長を見殺しにして
毛利氏が旧大内領のうち防長二カ国を併呑
旧大内氏の九州の領地を大友氏が併合ってことで
話がついていたんだな
112日本@名無史さん:04/01/04 21:11
毛利元就は謀略謀殺ばっかで卑怯
113日本@名無史さん:04/01/04 21:15
>>112
そのぶんだけ味方の被害を最小にしたわけで、
部将たちにとっては最高の主人。
114日本@名無史さん:04/01/04 21:15
>>111
断った後毛利から茶器の名器をもらって喜んでたとあるね。
まぁ今日のドラマはクリスチャンなら
どんな奴でもいい人に書く人の原作だから仕方ない
115日本@名無史さん:04/01/04 21:20
ここまで読んでみると欲が深く信じるものがなくなり異教にすがった
現代の政治家並に見えてきたぞ>大友宗麟
116日本@名無史さん:04/01/04 21:36
合戦の途上関係のない神社仏閣を破壊しまくった大友宗麟が平和を愛する大名なんですかね
117日本@名無史さん:04/01/04 22:17
ドラマでは大内の事を「おおうち」って言ってたけど、
ザビエルとかの文書には「おおち」ってローマ字で書かれてあるので、
大内義隆は「おおちよしたか」と読むのが正しいんじゃなかった?
118日本@名無史さん:04/01/04 22:29
>>116
当時の神社仏閣ってのは
平和な宗教施設じゃないんだけど
平安時代以来の土地制度の矛盾の隙間を突いて
貴族から独立していった勢力で
貴族から武士へと土地支配が変わってゆく
橋渡しなんだな
当然武士達との軋轢も有ったわけで
例えば宇佐神宮に関しては
大友氏以前の豊後の領主大神氏も焼き討ちしていたりする
119日本@名無史さん:04/01/04 22:34
>>116
狂った(?)奥さんだって、本当は宗麟に神社仏閣への破壊行為を諫めていたまともな人だったのに。
120日本@名無史さん:04/01/04 22:34
>>117
現代日本語に翻訳の上おおくりしております。
121日本@名無史さん:04/01/04 22:35
>>117
昔の大和言葉は途中にア行が入らんからな
122日本@名無史さん:04/01/04 22:37
>>117
その線で行くと
筑紫も『ちくし』じゃなくて『つくし』だし
松浦も『まつうら』じゃなくて『まつら』だしね
123日本@名無史さん:04/01/04 22:59
大河ドラマ北条時宗では
名越「なごえ」とか
松浦「まつら」とか、ちゃんと読んでたな。

大友頼泰も後編で結構出てたし。
124日本@名無史さん:04/01/04 23:46
>>4
戦国武将の中で大友は前頭ぐらいだって。
125日本@名無史さん:04/01/05 00:00
最近の戦国もののドラマって、秀吉も宗麟もみんな平和主義者に
なっちゃって、なめとんのかと思う。
126日本@名無史さん:04/01/05 05:04
むねりん、ベッキー
親しみがわいてきたぞ。
127子孫ですが何か?:04/01/06 00:31
ネタ提供。
ちなみに、詳しい歴史はな〜んにも知らないよ。
128あぼーん:あぼーん
あぼーん
129日本@名無史さん:04/01/06 22:24
>>127
大聖院宗心、大友三大庶家、大友三党
この辺りから検索してみそ
130日本@名無史さん:04/01/07 00:27
アフォデスカ?ウザイ
131_:04/01/13 05:07
まぁあくまでゲームだが、信長の野望だと普通に強いんだよな……

吉弘鑑理、一万田鑑実、立花道雪、高橋紹運、志賀親次
など、戦闘軍団もいるし。
政治面でも臼杵鑑速、田原親賢とかいるしね。
北条より人材多いし。
132日本@名無史さん:04/01/13 21:10
>>131
天下統一2だと田北鑑生、問註所鑑豊、立花鑑載
蒲池鑑広、五条鑑量、溝口鑑資、斎藤鎮実、臼杵鎮庚、
田北鎮周、木付鎮秀などテンコ盛り。
鑑、鎮、親の名の付く武将だけで統一できる。
133日本@名無史さん:04/01/14 01:47
>>131-132
まぁ実際、一時は九州一の勢力で毛利の進行も駆逐したんだから強くて当然かと。
しかし立花道雪は過大評価過ぎる。
あいつ結構負けてるべ?
134日本@名無史さん:04/01/15 02:41
うぃ、むっしゅ
135日本@名無史さん:04/01/15 12:07
義鑑以降の大友氏って一字名あげすぎ。
少身でも外様でも、なんか大友氏近辺の武将なら誰でも貰ってる気がする。
136日本@名無史さん:04/01/15 12:22
>>135
それだけ戦国期の大友氏が必死だったってことでしょ。
一字を与えて統制を取ろうとするのは足利将軍家だってやってることだし。
もっとも、それが大して効果がないのも将軍家は証明してくれてるわけだがw
137日本@名無史さん:04/01/15 13:15
>136
>一字を与えて統制を取ろうとするのは足利将軍家だってやってることだし。
だからそれが「過ぎる」という話しなんだけど…
138日本@名無史さん:04/01/15 17:40
大友近辺で「鑑」、「鎮」、そして「統」の何れも入っていない名前を持つ人物って、かなり少ない気がするよね
139日本@名無史さん:04/01/17 00:14
確か一門衆、同紋衆辺りは
元服の時点で『親』の一時字を貰うんだよね
で、何かの折に当主からへんきを受けて鑑、鎮、統等を貰う
でさらに、宗麟の時代に出家した者は『宗』の字を貰う

大友氏の政策だね
現代風に言えば
トヨタグループの会社の多くにトヨタの名を関しているような物
実態も似ているかな
大友グループ本社があって
志賀、木付、田北、田原、蒲池、門注所、宗像・・・
それぞれが社長であり、かつ大友グループの構成員って感じか
偏キを受けるのは大友グループ会員証のような物
140日本@名無史さん:04/01/17 02:26
>139
>偏キを受けるのは大友グループ会員証のような物
だからそれが「過ぎる」という話しなんだけど…
141日本@名無史さん:04/01/17 15:09
大友治世下でも
大友氏以外はそれぞれ対応が違っている
大友の偏諱が見られないのが大神氏族
大神氏族『加来(賀来)氏』『佐伯氏』『阿南氏』等は
『惟』を通字として使っていて大友氏からの偏諱は見られない
同じく日田の大蔵氏族も『永』を使っている模様
(一族の誇りか?)
玖珠の清原氏、国東の紀氏は良くわからない(w
佐賀関の若林水軍は『鎮』『統』を受け入れている
佐伯の薬師寺水軍は良くわからない(w
国東の浦辺浦手水軍は上記紀氏と大友氏庶家の連合体で
結構偏諱が見受けられる(詳細は御免なさいです)
142日本@名無史さん:04/01/17 23:27
若林鎮興カコイイ!(;´Д`)
143日本@名無史さん:04/01/18 03:39
松浦鎮信もそうだよね
松浦隆信は大内義隆だけど。
144日本@名無史さん:04/01/19 21:35
そういや、豊後の水軍ってあんまり有名じゃないな
最盛期には毛利水軍をも凌駕してたんだけどな

佐賀関水軍、臼杵水軍、薬師寺水軍、浦辺水軍、浦手水軍
豊後国内の水軍だけでもそうそう足る物なんだが
さらに豊前、筑前、筑後、伊予まで加わって
水上兵力は半端じゃないはず
南蛮、大陸交易も盛んだったし瀬戸内交易も盛んだし
大友の財力を支えつつ制海権も確保してたんだから
もちょっと評価されてもいいと思うんだが

豊前の水軍は特に影が薄いんだけど
どうなってたのだろうか
145日本@名無史さん:04/01/19 23:28
>>144
船数、兵力でどんなもん?

146日本@名無史さん:04/01/20 00:05
>>142
( ・∀・)ノフォラァヨ!!---===≡≡≡ω シュッ>>!http://www.e-obs.com/heo/heo50.htm
147日本@名無史さん:04/01/20 00:08
間違えた
( ・∀・)ノフォラァヨ!!---===≡≡≡ω シュッ!>>http://www.e-obs.com/heo/heodata/n773.htm
148日本@名無史さん:04/02/06 01:09
149日本@名無史さん:04/02/06 01:26
結局あの正妻が全部悪いのよ
150:04/02/06 11:06
そうかな?
彼女の実家は豊後有数の神社だったのだから
宗麟の後ろ盾を得て実家の権力を奪おうとした
キリスト教に反発するのは当然じゃん

とカキコしてみたりするテスト
151日本@名無史さん:04/02/06 21:12
彼女がキリスト教に反発するのは当然なので、そのことを悪いとはいいませんが、
宗麟は彼女(とその後ろ盾)が嫌になったからキリスト教に逃げたとも取れるので、
彼女は宗麟の正妻としては、少なくとも宗麟にとっては、悪い人だったと言えます。
152日本@名無史さん:04/02/07 20:59
横綱 織田信長・豊臣秀吉・武田信玄
大関 上杉謙信・毛利元就・伊達政宗
関脇 北条氏康・斎藤道三
小結 今川義元・浅井長政・島津義弘
前頭 大友宗麟・長宗我部・三好・佐竹・大内
十両 南部・竜造寺
三代目若乃花 徳川家康
高見盛 真田幸村
153日本@名無史さん:04/02/08 11:28
>>111
宗麟の弁護をするとすれば、大内滅亡の数年前に実の兄弟でありながら兄弟の義鑑と争い続けた叔父の菊池義武を捕らえて斬ったばかり。
わざわざ帰国させて「第二の義武」になり得る火種を残す必要なしということ。
154日本@名無史さん:04/02/12 00:38
>>150
当時の神社仏閣というのは宗教施設という面よりも
在地領主、在地勢力のシンボルといった意味合いが強く
例えば、肥後阿蘇氏、信濃諏訪氏などが良い例かな
だから、キリスト教を導入したから在来の宗教と
激しくバッティングして勢力争いをするという事は
少なかったと考えたほうが良さそうです
現に、奈多の方(宗麟正妻)の兄、親賢は
豊後にキリスト教が広まるのと同じ時期に
大きく勢力を拡大して、国東田原氏(親賢の母方?)の
領地の内から安岐、武蔵などの有力領地を得ている他
宗麟からの信任も厚く
件の高城川の合戦の際の総大将まで拝命している

ムジカ近隣の神社の破壊が時々話題に上っているけど
これも、キリスト教を布教するために神社を破壊したというより
当時残っていた土持党の残党達が拠り所としていた神社を破壊して
土持党の残存勢力を一掃したと言う方が意味合いは大きいように思う
155 :04/02/12 01:23
でもキリスト教王国を作ろうとしたってロマンチックだよね
156日本@名無史さん:04/02/12 02:31
大友宗麟(1530年〜1587年)の生きてた時代ってのは
ルネッサンスと同時代なんだが、おそらく日本人で初めて
西欧文化の真髄に触れた人だと思う。
157日本@名無史さん:04/02/12 13:07
安室奈美恵にチンポ、ビンビンだよ。
158日本@名無史さん:04/02/15 09:50
俺は、宗麟の息子の義統の意志薄弱、優柔不断、失敗の連続、
寂しい晩年の死
というさえない一生に惹かれるものがあるな。

人間社会では大半はそういう人たちじゃないか。

詳しくは知らないんだが、
若い頃キリシタンを支援し、その後は意志を翻して弾圧。
秀吉の島津攻めのときは、戦略眼がなく島津の進攻を許し、
戦では独断で味方救援をしたために大敗。

そのトラウマがあってか、朝鮮の役の時には小西救援の命を受けながら、
陣を引き払い、平壌から後退する小西勢に協力せず腰抜け侍の汚名。

汚名をそそごうと関が原では西軍側につき、九州で黒田軍と戦い、これまた敗北。
幽閉の身となって東北、関東のド田舎で寂しく没した、という人生。
彼の胸中やいかん。

http://www.e-obs.com/heo/heodata/n114.htm
159日本@名無史さん:04/02/15 11:25
>>158
確かあれは志賀親次が作戦が無謀だと反対したからじゃなかったか?
160日本@名無史さん:04/02/15 19:59
宗麟に側めはいっぱいいたんでつか?
確か家臣の美人の奥方を横取りするために謀殺までしたとか聞いたが
161日本@名無史さん:04/02/15 23:24
>>160
一万田の奥さんの話は後世のでっち上げ
女性に対しては潔癖症に近い
正妻の侍女を愛人にしていたが
離婚後も奥さんの目を恐れて
こっそり遭っていたほどの恐妻家
確認されている子供三人共に本妻の子で
側室を置いた形跡もない

大証院宗心、二階崩れの変、菊池義武、大内義長
と続く、家内の骨肉の争いに嫌気が差したのかな
162日本@名無史さん