【ノモンハン】本当は日本軍の大勝利だった!

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33日本@名無史さん
489 :世界@名無史さん :03/01/27 18:45
「ノモンハン事件の真相と戦果 」によると、日本軍は実質的に勝っていたようだ。
日本軍は2万以下なのに、ソ連軍は、表向きは5万以上、真相は23万以上も動員していた
そうだ。おまけに、失った戦闘機は1500機以上。ソ連戦闘機は150機体制でも数機の
日本戦闘機に勝てなかった。ソ連軍は「日本の戦闘機に出会ったら逃げろ」と指令していた。
豪州沖でのゼロ戦VSスピットファイアーでも、英国軍は同じような指令を出していた。
ロシア側は少しずつ情報公開しているが、今後の調査でさらにソ連側の被害の規模は大きく
なると認めている。
ソ連軍参謀の証言も漏れていて、少なくとも死者は日本軍の2倍以上。戦車はすべて破壊
され、ディーゼル燃料への交換で、火炎瓶攻撃が効かなくなったというのも疑問とのこと。
シベリア鉄道は、治療所へ運搬される負傷したソ連兵で満杯。
ソ連軍は土壇場まで追い詰められ、もはやこれまでというとことで停戦が成立して命拾い。
しかも、日本軍は国境線を越境しての空爆を禁じられるなど、手枷足枷をはめられていた。
しかし、日本軍の戦略では、少数の兵力でソ連軍の進撃を食い止め、その間にシナ・朝鮮・
内地から援軍を集め、一ヶ月で10個師団、さらに第2次動員で23個師団に増強し、30個
師団の極東ソ連軍と全面戦争をする予定で、その実行を開始していた。関東軍特殊演習も
この戦略構想でやったんだろう。それを知ったソ連は、1個師団の日本軍に苦戦しているの
に10個師団も来られてはたまらんと、ドイツに停戦の仲介を依頼。ドイツが提案し、ソ連が拒
否していた独ソ不可侵条約の締結に応じることに方針転換。一方、現場に無知な日本政府
は不拡大方針の下、勝手に停戦に応じやがった。「昭和史の論点」(文春新書)によれば、
日本外務省は「軍には負けたという意識がないので困る」というように嘆いていたそうだが、
本当に日本軍は負けてなかったんだ。秀吉の朝鮮への出兵と同じで、戦闘には勝ってるの
に文人の外交交渉の稚拙さで負けたことにされてしまっただけ。もっとも国境線の確定では、
必ずしも日本が一方的に譲歩させられたわけではなかったけど。
34日本@名無史さん:03/05/23 22:30
ノモンハンの勝敗ですが、参謀次長の中島(鉄蔵)沢田(茂)が敗北だと認め、とくに後者は
帝国陸軍開闢以来の大敗北だと表現しています。これにより中島は予備役へ稲田は転出
したのですが、処分であることは疑いありません。一方ご指摘の通りジューコフも従来説の
ようにキエフ軍管区への転出はザバイカル軍管区の重要性からみて栄転ではなく左遷と
すべきでしょう。ただ同時に大将に昇進しており、お咎めなし程度でしょう。北集団の
シュブニコフも左遷されています。

ジューコフは「一生涯で最も苦しかったのはノモンハンだ」としており、またソ共極東副部長
コワレンコも「戦車は全滅し飛行機は半減、戦死者は日本軍の2倍出て、捕虜も同数だ。
ヨーロッパに送らねばならないウラル越えの鉄道は負傷者の阿鼻叫喚のウメキ声で埋まった。
本当によい時期に日本は停戦の申し込みをしてくれた」としています。
http://ww1.m78.com/past/log7-1.html