河井継之助は最高の志士だよな?

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1・・
香具師は、英雄だな!! 長岡藩の!!
2.:03/05/22 15:00
ああ
3日本@名無史さん:03/05/22 15:11
ガトリングガンを乱射してれば最高の志士認定かね?

何も成し遂げてないに等しいのに?

4日本@名無史さん:03/05/22 15:53
破綻寸前の財政を、立て直した所は、すごいよね!
5日本@名無史さん:03/05/22 15:59
最後の最後に自分で台無しにしたのだから、何も成し遂げていないのと同じ。
6日本@名無史さん:03/05/22 16:13
永世中立国を作ろうとしたのに、無脳の官軍の若い大将が、悪いよ
7日本@名無史さん:03/05/22 16:48
新政府か旧幕府かってときに武装中立は、ど〜考えても無理だったろう。と、言ってみる。
8山崎渉:03/05/28 11:12
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
9日本@名無史さん:03/06/04 03:24
age
10日本@名無史さん:03/06/04 07:39
非武装中立だったら可能だった。
河井は平和憲法の敵です!長岡は軍国主義のメッカ。
河井や山本を称えるのは軍国反動勢力の策謀です!!
共和国への敵視政策はやめましょう!!!

日本海の海岸はデートに最適ですよ。
11日本@名無史さん:03/06/04 11:48
理想に生きた人っぽい。
歴史の敗者に成るべくして成ったかんじ。
12日本@名無史さん:03/06/04 13:03
非戦闘員も撃ちまくったクズ
13:03/06/04 14:42
もうちょっと現実見ながらハンドリングできなかったのかね。
14薩摩軍外城一番隊士:03/06/04 15:27
自ら勝手に選択した中立を維持出来ないのは、
出来なかった奴の責任。
中立勢力をどう扱うのかは、その周囲の勝手。
従って、非武装中立は寝言
15日本@名無史さん:03/06/04 17:18
今でこそ評価されてるが
地元民には鬼のごとく嫌われてたんだろ?
16日本@名無史さん:03/06/04 21:18
只のガトリングフェチ


=================収量=================
17日本@名無史さん:03/06/04 23:59
知っている人は知っている、知らない人は知らないネタです。
司馬先生の「坂の上の雲」を読まれた方は多いと思います。
その小説の中において、日露戦争で秋山好古の部下として
厳しい戦線で耐えに耐えるキャラとして描かれている豊辺大佐
という男がいます。黒溝台の会戦において「沈旦堡」を3個中隊
でロシアの1師団の攻撃を防ぎきって退かなかった将校です。

その豊辺大佐は河井継之助の縁者なんです。

河井継之助の父代右衛門秋紀の弟で豊辺家(80石)に養子に
入った輔三郎の嫡孫が「豊辺大佐」こと豊辺新作なのです。

彼は後に陸軍中将・樺太守備隊司令・騎兵監までなりました。
樺太の守備隊司令って越後出身の「守り屋」らしい役職ですね。

戊辰戦争によって勝利者になった者、様子見で中途半端な立場
になった者、敗者として苦しい立場で歯をくいしばった者、いろ
いろありますよね。その時代に生きた人物はそうした環境なりに
精一杯生きて明治国家建設に関わっていったのでしょう。
18日本@名無史さん:03/06/05 00:16
>>17
通称「ばか豊辺」
但し、日露戦後は
「騎兵の豊辺」
19日本@名無史さん:03/06/05 00:33
長岡藩は奥羽越列藩同盟に加盟したのよね。負けたよね。で何故
河井継之助が志士なの?志士って薩長土肥でないの?
20日本@名無史さん:03/06/05 00:45
藩士、幕臣、浪士、町人…、志がある人物なら、全て志士って言って良いんじゃないのかな?
21日本@名無史さん:03/06/05 00:48
>>19
し-し【志士】
高い志をもつ人。国家・社会のために自分の身を犠牲にして尽そうとする志を有する人。
「勤皇の─」
22 :03/06/05 02:27
司馬の峠でしか知らないから多分フィクションだろーけど
その河井継之助はかなり好きだ。
23日本@名無史さん:03/06/05 08:34
うん 峠の河井継之助は好き しかし勤皇派ではなかったと思うが・・
24日本@名無史さん:03/06/05 17:30
ガトリング機銃の基本原理は河井翁の頃と大して変わっておりません。
25日本@名無史さん:03/06/05 21:54
なんだかyahoo!の諸恥が降臨しそうだな。
26日本@名無史さん:03/06/06 16:16
やつは、すばらしいよ・・・
27日本@名無史さん:03/06/06 19:41
司馬遼太郎「殉死」に河井継之助が陽明学を学んでいたと書いてあるが
本当?

陽明学のせいでこういう傾向性が出てきたの?
28日本@名無史さん:03/06/06 19:48
小説になったから、よかった。


29日本@名無史さん:03/06/06 23:57
諸恥マンセー!

とか書いていると、ここの書き込みYAHOO!に
コピーアンドペーストされそうだ。
30日本@名無史さん:03/06/06 23:59
過去、河井スレが立っても「諸恥」の痴的行為が元で最後には全て
粉砕されてしまっているぞ。

ここもいつまで持つやら。
31日本@名無史さん:03/06/07 00:00
>陽明学のせいでこういう傾向性が出てきたの?
王陽明は軍人。儒者の中では少数派。
http://homepage2.nifty.com/hi-rose/ijinden/9gatu/0920.htm
32日本@名無史さん:03/06/07 00:50
牧野け〜家訓!
嫁や娘差し出しても大名になれ!!(恥でも美味い汁吸え)
家訓に沿わない狂った事するな糞河合!!!
33日本@名無史さん:03/06/07 07:00
>>32
なつかしいネタだな。
34日本@名無史さん:03/06/07 20:46
おみしゃん
35日本@名無史さん:03/06/08 00:13
すいません「諸恥」って誰ですか?
36日本@名無史さん:03/06/08 22:00
age
37日本@名無史さん:03/06/08 22:05
ただの下級武士だろ
38日本@名無史さん:03/06/08 22:06


  ダ サ ツ マ 氏 ね や


39日本@名無史さん:03/06/13 23:14
age
40日本@名無史さん:03/06/13 23:52
諸恥うぜえからyahoo!で遊んでいろ!
41日本@名無史さん:03/06/15 08:58
>>40
諸恥関連は別スレでやれ!!
42日本@名無史さん:03/06/19 00:29
阪神ファンは河井継之助様を讃えろ!!
43日本@名無史さん:03/06/19 00:52
>>42
何故
44日本@名無史さん:03/06/19 00:55
阪神の設立者は河井の弟子
45日本@名無史さん:03/06/19 23:22
強えーな阪神、凄いぞ。
でも河井の地元新潟県はほとんどが巨人ファン
46日本@名無史さん:03/06/22 16:44
河井の遺言が阪神タイガースのきっかけになった。
47日本@名無史さん:03/06/22 17:41
>>46
その辺詳しくオセーテ
48日本@名無史さん:03/06/23 01:34
ガトリング2つ位持っててもどもならんと大藪春彦が言ってました。
49日本@名無史さん:03/06/24 00:21
河井が会津の只見で死ぬ直前に弟子の外山寅太に「もうすぐ武士の時代は終わる
これからは商人になれ」と言い残した。
その外山寅太(のちの修造)が阪神電鉄の創始者になった。
阪神タイガースの「タイガース」は創始者の旧名が由来である。
ついでに素プロテニスプレイヤーの松岡修造の「修造」も外山氏の名が由来である。
50日本@名無史さん:03/06/25 21:06
奥が広いなこのスレは・・・
51日本@名無史さん:03/06/25 22:20
漏れは長岡出身だが、河井好きですよ。でもさ、彼は軍人つーより商人とか
おーくら大臣みたいな印象がつえーな。武士ってかんじもしないな。
よく山中しかのすけ←変換メンドクね?と、比べられたりする美談を聞くんだが
俺はそうおもわねーなあ。彼は長岡の番頭さんなかんじ?そこは有能だった。
52日本@名無史さん:03/06/26 00:04
>>51
なんで比較の対象が中山鹿助なのかわからん?
53日本@名無史さん:03/06/26 00:34
中山鹿助って誰やねん?
54日本@名無史さん:03/06/26 17:52
>>52
お家すべての忠君の志って意味でですよ。
5552:03/06/26 18:50
>>53
スマソ山中鹿助だった。
>>54
ナトーク
56日本@名無史さん:03/06/26 19:04
河井にしろ、山中鹿之助にしろ表の業績は皆無だが隠れた業績は多いに評価すべきだ。
57日本@名無史さん:03/06/26 21:55
二人とも評価は高いが知名度が低いだけでは?
山中鹿助の地元での知名度ってどーなんだろ?
58日本@名無史さん:03/06/26 21:59
山中鹿之助は都合が悪くなると主君に腹を切らせて自分は生き延びようとした。
はっきりいってクズ。
59日本@名無史さん:03/06/26 22:08
>>58
上月城の話か?鹿助はその後毛利に降伏したが謀殺されたんだっけ?
ウロ覚えなもので・・・
60日本@名無史さん:03/06/26 23:20
そう。降伏して助命されたんだけど、連行中にアボンヌ。
61日本@名無史さん:03/06/27 01:56
山中君の弁護をすれば、河井クンと違って殿様よりも家が大事だったのではと言ってみる
テスト。
62日本@名無史さん:03/06/27 02:20

河井継之助は弟子の外山修造を介して阪神電鉄に功績を残し
山中鹿之助は子孫を介して鴻池財閥に功績を残した。
ちなみに私の故郷(兵庫県伊丹市)では山中鹿之助の評価は高い。
63日本@名無史さん:03/06/27 15:05
戦国武将ってのは実に男クサイからなあ。主人ぶち殺しても上に行く根性があったように
思うよね。それを幕末の状況から差し引いて考えてみれば、山中は家が大事であって、殿様
が大事ではないって事だと思うんだ。
自分が奔走して行けば再興は叶うと信じれば、擁立する殿様なんて血縁ならいいわけだしね。
64日本@名無史さん:03/06/27 16:33
山中が大事だったのは尼子家じゃなくて、
「自分が活躍できる主家」だろう。没落した旧主・尼子は当にうってつけ。
65鹿(マゾ):03/06/27 16:50
七難八苦(・∀・)キボンヌ!!
66日本@名無史さん:03/06/28 01:00
河井を戦国武将にたとえると誰になるのだろう?
67日本@名無史さん:03/06/28 01:24
河井継之助の墓は、地元民によって破壊され、
未亡人は、北海道へ逃亡したそうですな。

なぜ、そうなったかを考えてみよう(笑
68日本@名無史さん:03/06/28 22:33
>>67
長岡市民最低だな。
河井に対する逆恨みしかできないのか?
悔しかったら薩長の奴(特に岩村)に報復するぐらいの度胸もないのか?
そもそも長岡を焼いたのは薩長だろうが!!
69日本@名無史さん:03/06/28 23:00
>>68
( ´,_ゝ`)プッ
河井は新政府の命に従わず、世迷いことをぬかして長岡を焼亡させた大愚人。
お前は親兄弟が悪事を働いて死刑になったら、逆恨みして死刑執行人に報復するのか?
70日本@名無史さん:03/06/28 23:05
時代が河井に味方しなかっただけじゃないかな?
大愚人ならそもそも何もできないだろ。
71日本@名無史さん:03/06/28 23:14
>>70
時代が味方しない?意味不明。
時代を変えることの出来ないやつは時代に合わせるべき。
72日本@名無史さん:03/06/28 23:26
>>71
どこが意味不明なんだ?
時代が味方しなかったから負けたのだろ。
73日本@名無史さん:03/06/28 23:27
河井は負けたけど長岡藩の名誉は守ったことについては評価をするべきだ!!
小林の米百俵精神も北越戦争を薩長と互角に戦えたこそ達成できたのだ。
74日本@名無史さん:03/06/28 23:28
>>71
時代ってのは、そう簡単に読めるものじゃないようだけどね。
75日本@名無史さん:03/06/28 23:32
新潟に榎本艦隊がきていたら時流が河井に向いていただろう。
北陸方面の制海権を握ってたら長期戦に持ち込めたし補給面でも有利だった。
76日本@名無史さん:03/06/28 23:33
有能な志士かも知れないが、最高の志士ではないだろ。
77日本@名無史さん:03/06/28 23:34
if論を述べる事自体が負け犬の遠吠えだっつーの(w
78日本@名無史さん:03/06/28 23:36
>>77
勝ち負けなんか競ってないだろ。
79日本@名無史さん:03/06/28 23:46
>>71
時代が味方しなかった!?
日和見しただけじゃん。香具師の読みが甘かった原因なのに、時代のせいにするのかよ。
80日本@名無史さん:03/06/28 23:47
日和見だったら薩長につくだろ。
河井は正義のヒーローだな。
81日本@名無史さん:03/06/29 00:01
>>80
新政府軍に面と向かって日和見を主張。「漏れ中立。入ってくるとぶっころすぞゴルァ!!」
結局アボーン。はっきりいってバカです。
どうせなら奥羽越列藩同盟に加わって譜代の意地でも見せてみりゃよかったのに。
そのほうがマシ。
82日本@名無史さん:03/06/29 00:01
坂本龍馬より偉大であることを認めなければならない。
83日本@名無史さん:03/06/29 00:02
俺は坂本よりは中岡や河井の方が好きだな。
84日本@名無史さん:03/06/29 00:03
>>81
奥羽越列藩同盟には加わっているんですが・・・
その「越」の代表が長岡藩なんだが
85日本@名無史さん:03/06/29 00:04
中村半次郎のほうがかっくいい。
86日本@名無史さん:03/06/29 00:05
>>81 は真性のアフォだなw
87日本@名無史さん:03/06/29 00:06
>>84
中立なんていってないで最初っから戦えよ。
88日本@名無史さん:03/06/29 00:09
薩長も岩村のような小僧を出さずに
もう少し理解がある人物を派遣してしてくれば
河井の意見も軟化してたのにな。
89日本@名無史さん:03/06/29 00:15
>>88
世良にも似たようなことが言えたりして。
90日本@名無史さん:03/06/29 00:16
小栗と河井を失ったことは明治維新最大の汚点だね。
91日本@名無史さん:03/06/29 00:22
>>81>>84
奥羽越列藩同盟については岩村との交渉が決裂してから加盟したはず。
92日本@名無史さん:03/06/29 00:26
>>91
やばくなったので慌てて加盟した。
93日本@名無史さん:03/06/29 00:31
何代にもわたって禄もらってたんだもん。
主家筋に対して奉公するのは当たり前。
そこから一歩も出てない普通の武士
94日本@名無史さん:03/06/29 06:10
河井の実績なんか語っても意味なんかないよ。実績なんか日本って意味ではないだろ?
そうじゃなくて、彼が描いた絵を評価する人は多いだろ?中立である事で時代のイニシアチブ
を得ようとした考えは先見の目はあっただろうに。財務的才能も有能だろうしね。
彼が生きたまま、榎本のように官軍に取り込まれていたら、大きな足跡を残したかもしれない。
時代においてこういった人材を失った事が日本の痛手にもなってるだろうしな。
95日本@名無史さん:03/06/29 12:04
河井の考え方は先進的過ぎて岩村や長岡市民には理解出来なかった。
96日本@名無史さん:03/06/29 12:16
先進的なら薩長に楯突く理由がない。
戦いになったら負けるだけの奴に中立を宣言する資格が無い事にも気づいてない阿呆。
97日本@名無史さん:03/06/30 00:48
1868年5月の段階では長岡藩が勝てるチャンスはあった。
榎本艦隊の一部を新潟に派遣できてたら勝ち目はなくとも長期戦に持ち込み
長岡藩の有利な講和に持ち込めることができた。
98日本@名無史さん:03/06/30 00:50
>>95
徳川家の”御恩”に殉じることのどこが先進的なんだべ?

本人はとにかく、長岡市民にとっては大迷惑。
99日本@名無史さん:03/06/30 01:16
>>97
そのイフには仮定が何個あるんだ?
100日本@名無史さん:03/06/30 02:29
おいおい、河井ってのは万国こーほーを持ち出したトコが先進的なんだろ?
101日本@名無史さん:03/06/30 02:38
河井が榎本艦隊に期待していたとは
とても思えないね
102日本@名無史さん:03/06/30 02:42
万国公法が弱者にとって空念仏にしかならない現実に気づいていれば、
大久保利通以上に先進的だったと言えるだろうね。
103日本@名無史さん:03/06/30 02:44
河井が万国公法云々って
何を根拠に言ってるんだ?
でも、大久保よりはエライと思うぞ
河井は。
104日本@名無史さん:03/06/30 13:36
徳川家の御恩ねぇ・・・
徳川家にとっては迷惑極まりない話だっただろう(w
105日本@名無史さん:03/06/30 17:04
日本を列強の座にのし上げる基盤を築き上げた大久保と、
その足を引っ張って皆に迷惑をかけただけの河井とを比較するなよ。
106日本@名無史さん:03/06/30 19:49
お前らは河井がおとなしく恭順しとったらいいのか?
逆に恭順してたら「なんで恭順すんねん、会津みたいに抵抗しろよ!!」
と河井批判するくせに
何もせずに恭順しているどこぞの藩よりも立派だと思うぞ!!
107日本@名無史さん:03/06/30 20:16
>>106
訳の分からん妄想をほざくな。
先進的な薩長に恭順すると言う事は、他に何をしなくても、
それだけで先進的な態度なのだよ。

河井ごときなど、結局は単に藩レヴェルの忠誠心を克服出来ずに薩長主導の改革を妨げた、
「抵抗勢力」の一員に過ぎない。
108日本@名無史さん:03/06/30 20:56
>>107
お前みたいな薩長妄想主義者がこの国をダメにするんだ!!
河井こそ神だ!!
109日本@名無史さん:03/06/30 21:10
>>108
釣れますか? 餌が悪いようですが
110日本@名無史さん:03/06/30 21:16
>>107
107に質問 仮に107が長州の家老の立場として
もし仮に長岡や会津が先進的で薩長が遅れていたとする、
長岡・会津が官軍となり長州に攻めてきたとして、先進的な長岡・会津
におとなしく恭順するかな?
111日本@名無史さん:03/06/30 21:19
>>110
俺が先進的という条件なら、当然薩長に加勢する。
それが先進的な判断だからだ。
112日本@名無史さん:03/06/30 21:22
>>111
うまい!!
座布団全部上げますw
113日本@名無史さん:03/06/30 21:22
>>111
???
114日本@名無史さん:03/06/30 21:25
>>111-112
その場合、家老の>107が先進的でなくても「遅れた」薩長に味方する事になるのでは?w
115日本@名無史さん:03/06/30 21:27
111は110の質問をよく読んでね。
116日本@名無史さん:03/06/30 21:30
>>113
唯の言葉遊びだから気にしないように。

仮に長州が遅れていたなら、先進的な勢力に恭順するのが先進的な態度というものだ。
それが出来なかったから、河井は抵抗勢力に堕する愚を犯した。
117日本@名無史さん:03/06/30 21:34
>>115
>111は、どこの藩に所属していても、先進的な家老なら先進的な判断を下すに決まってるだろうというツッコミだよ。
118日本@名無史さん:03/06/30 21:39
河井の場合は先進過ぎただけだろ。
小栗ぐらいしか理解できないと釣ってみる。
119日本@名無史さん:03/06/30 21:43
>>118仮に河井が先進的だとしたなら、実際に先進的だった薩長に逆らう理由が無い。
つまり現実には、藩に対する帰属意識から脱却できない時代遅れの人間だったという事だよ。

120日本@名無史さん:03/06/30 21:57
オレはこう考えている。
河井は東国の小藩には珍しく先進的な考えの持ち主だったと思っている、
薩長におとなしく恭順するのが長岡藩にとっても日本にとっても最良だと考えていたと思う、
しかし、心の隅に「外様の薩長に譜代の長岡が頭を下げるのはイヤだ」「会津を撃つのは私闘だ、加担
したくない」「十分戦えるだけの戦力はある。一戦交えれば薩長も俺の存在に気が付き、長岡を新政府
の片隅にでも参加させることができるかも?」という考えが小千谷会談の直前まであり、岩村の態度で
冷静さを失いぶち切れたのだと思う。
現代のオレ達には、ばかげた事をやったと河井を笑うだろうが、実際河井の立場になってみればいくら
先進的な考えの持ち主でも抵抗勢力になったと思う。

長岡に生まれたのが河井の不幸、河井を生んだのが長岡の不幸
121日本@名無史さん:03/06/30 21:59
>>119
結果的に薩長が勝ったから言えることだろ。
122日本@名無史さん:03/06/30 22:00
>河井を生んだのが長岡の不幸

いや、唐突過ぎて意味判んないっす、先生!(;´Д`)
123日本@名無史さん:03/06/30 22:01
>>121
薩長が先進的だったから、薩長が勝ったんだろうな。
124日本@名無史さん:03/06/30 22:01
>>120スマソ訂正

>抵抗勢力になったと思う

抵抗勢力になる可能性はあったと思う
125日本@名無史さん:03/06/30 22:02
>>123
現在は後進的な山口と鹿児島は負け組みかな?
126日本@名無史さん:03/06/30 22:02
>>123
どのあたりが先進的なんだい?
127日本@名無史さん:03/06/30 22:05
>>120
あの時代に先進的であるという事は、日本の存亡を視野に捉えて行動する事に他ならない。
結局河井は藩レヴェルの存亡という観点から脱却出来なかったのだが、そういう所が薩長ほどには先進的ではなかった事を意味する。


128日本@名無史さん:03/06/30 22:06
>>126
>>127に先進的である事を説明している。
129日本@名無史さん:03/06/30 22:07
>>127
藩閥を展開した薩長だって、藩レベルじゃないの?
130120:03/06/30 22:08
>>120
いやね、河井が西国雄藩に生まれていたなら、長岡の家老が他の東国小藩の様にマイナー
だったら・・・なんてね。
131日本@名無史さん:03/06/30 22:08
>>127
会津を攻めたのは日本のためでつか?
132130:03/06/30 22:10
あー130は>>122に対してですスマソ
133日本@名無史さん:03/06/30 22:11
河井は小千谷会談じゃかなり高飛車な態度だったそうだ。
岩村がキレるのも無理はない。
俺は河井の行動には彼の武士としての美学がかなり反映してると考えている。
134日本@名無史さん:03/06/30 22:13
>>129
薩長の人間は藩の利害からは脱却していた。
藩閥というのは、藩の利権とは関係なく、
単に政治的発言力を確保するの為の人脈構築に過ぎない。

日本の存亡よりも藩の存亡を重んじた河井とは次元が異なる。

>>131
薩長の改革に楯突いたからな。
135日本@名無史さん:03/06/30 22:16
>>134
>薩長の人間は藩の利害からは脱却していた
そう考えていたのは一部の上層部だけだよ
136日本@名無史さん:03/06/30 22:17
>>134
長州や薩摩出身じゃなければ出世が難しかったようだが、
それでも藩とは関係ないのか?
137日本@名無史さん:03/06/30 22:19
>>135
藩閥の指導者が藩の利害から脱却していれば、日本の存亡を第一に考える政策は実現する。
長岡は指導者が藩の利害から脱却できなかった事が、悲劇の結末に至る原因となった。
138日本@名無史さん:03/06/30 22:20
>>134
先進的なら小栗を殺しはしない
139日本@名無史さん:03/06/30 22:20
>>137
長州の人間は、藩にとらわれていたから会津や東北を冷遇したんじゃないの?
140日本@名無史さん:03/06/30 22:20
南紀閥か薩長閥かという選択肢。
141日本@名無史さん:03/06/30 22:22
>>136
あくまで諸改革をスムーズに進める為に、発言力の維持は必要だった。
政治的発言力は、有能な人材がどれだけ味方につくかで決まる。
従って、藩の人脈に依存する時期が存在するのは当然の話だ。

142日本@名無史さん:03/06/30 22:23
>>137
政界には今も長州閥が残っているようだけど、
それも日本のためですか?
143日本@名無史さん:03/06/30 22:23
>>137
藩の利益を考えていたら恭順していたでしょ?
河井は最後の最後に武士の意地の火が付いただけ。
144日本@名無史さん:03/06/30 22:24
>>141
つまり、藩から脱却しきれていなかったんだね。
145日本@名無史さん:03/06/30 22:24
>>138
小栗が幕府を打倒するほど先進的ではなかったから、生かしては置けなかったのだよ。
小栗が薩長に帰順していたなら、殺す理由が無い
146日本@名無史さん:03/06/30 22:25
>>145
違う、小栗が大金隠しているとおもっていただけ。
147日本@名無史さん:03/06/30 22:27
>>143
ならば個人的な感情で藩を振り回して災いを齎した大馬鹿者という事になってしまうな。

>>144
藩閥は藩の利害からは脱却している。
薩長の藩閥は、あくまで日本全体の為に構築されたもので、
河井の藩に対する帰属意識とは次元が違う。
148日本@名無史さん:03/06/30 22:27
>>145
幕府を倒すことが先進的なんですか?
日本政府を倒そうとしたオーム真理教は先進的ですか?
149日本@名無史さん:03/06/30 22:27
>>137
西郷隆盛の場合はどうなんでしょう?
脱却していた?していなかった?
150日本@名無史さん:03/06/30 22:28
小栗も又殺し殺されるという闘争の中で逝った一人に過ぎない。
151日本@名無史さん:03/06/30 22:28
>>142
長州閥以外にも、現代にいたるまで色々な派閥が残っているぞ。
一例をあげると、吉田茂や麻生太郎は大久保利通の子孫だしな。
152日本@名無史さん:03/06/30 22:29
>>145
小栗を危険視したから殺したのだろ。
153日本@名無史さん:03/06/30 22:31
>>147
>ならば個人的な感情で藩を振り回して災いを齎した大馬鹿者という事になってしまうな
そのとうり。

でも147が河井の立場なら冷静に判断できたかな?
河井も人間だからねえ。
154日本@名無史さん:03/06/30 22:31
>>151
その派閥づくりは日本のためなんですか?
維新のある時期だけ必要だったんじゃないの?
155日本@名無史さん:03/06/30 22:31
藩の利益を考えていたから戦ったんだろ。
特権階級でなくなるのは嫌だからな。死んでも守りたかったんだろう。
156日本@名無史さん:03/06/30 22:32
>>146
帰順していたら、始めからそんな誤解を招く筈がない。

>>148当時は幕府を倒す事が先進的だった。
諸制度の改革を妨げていたのが、幕府だったからだ。
オウム真理教が現政府を倒す事は、別に先進的とは言えない。

>>149
朝鮮に維新を輸出する為に死のうとしていたんだから、藩とは関係なかろう。


157日本@名無史さん:03/06/30 22:33
>>147
日本全体の為ならわざわざ東北諸藩を攻める必要なかったと思うんだが、
改革とやらに反対したのかい?
158日本@名無史さん:03/06/30 22:34
>>156
小栗は無抵抗だったそうじゃないか?
159日本@名無史さん:03/06/30 22:34
西郷なんか鹿児島で英雄扱いされていてしかも誰も悪口言わないのか?
結局河井と同じような死に方をしてるのに・・・
160日本@名無史さん:03/06/30 22:35
>>157
奥羽は協力的じゃなかっただろうが。
世良の「奥羽皆敵」は間違ってない。
161日本@名無史さん:03/06/30 22:35
>>156
そもそも、その改革の原案とやらはいつ頃つくられたんだい?
162日本@名無史さん:03/06/30 22:37
>>153
薩長の人間は冷静に藩への帰属意識から脱却を果たしている。
彼らは実際に西洋の軍隊と交戦した体験があったから、藩にこだわっていられる訳がない事に気づいていたのだろう。

>>154
政治的発言力は人脈に依存する。
どんな人脈であろうと、実際に発言力を支えるなら問題ない。
肝心なのは、誰が発言力を持つべきなのかだ。

163日本@名無史さん:03/06/30 22:37
>>160
協力的じゃなかったら攻めてもいいのか?
結果的に薩長が勝ったから正しいみたいになってるけど。
164日本@名無史さん:03/06/30 22:38
>>156
小栗を中心に十分改革できてたし、このまま近い将来民主化に移行できていた。
165日本@名無史さん:03/06/30 22:39
長岡藩兵は会津降伏後、何故か水戸諸生党と合流して尊攘派の支配する水戸へ攻め逝って敗退。
天狗党大量処刑といい、戊辰戦争における水戸攻撃といい、長岡は水戸尊攘派に恨みでもあるのか?

166日本@名無史さん:03/06/30 22:41
>>162
今でも山口県民は維新への憧憬があるようだけど、
昔の人は脱却して、現在は脱却していないのか。
167日本@名無史さん:03/06/30 22:44
>>157
奥羽は薩長に敵対的だったからな。

>>158
誤解を解くには、薩長に対して非協力的な態度が顕著だったのだろう。
それ自体は三河譜代の名門出身として無理もない事だが、それでもなお薩長に協力的ならば、
勝海舟や榎本武揚同様に死ぬ事もなかった。
小栗は薩長に協力するよりは、死を望んだのだろう。

>>159
藩の利害だけの為に決起した訳ではないからな。
戊辰戦争で敵だった庄内藩士が、私学校軍に加勢した事でもそれが分かる。

168日本@名無史さん:03/06/30 22:44
>>166
それが維新をやった人達の矛盾だったんじゃないか。
藩をなくした本人達が一番出身藩にこだわってしまった。
萩は今もそれしか誇れるものなさそうだし。
169日本@名無史さん:03/06/30 22:47
>>162
>薩長の人間は冷静に藩への帰属意識から脱却を果たしている。
倒幕の段階では全然脱却してないよ。
木戸にしろ大久保にしろ自分の藩の利益しか頭になかった。
170日本@名無史さん:03/06/30 22:47
>>167
その割には会津を朝敵にしているね。
日本のためなら、わざわざそんなことする必要ないと思うが?
171日本@名無史さん:03/06/30 22:49
会津を攻めたのは京都での恨みをはらしただけ、私闘だよ。
認めちゃえよ。
172日本@名無史さん:03/06/30 22:49
>>163
幕府を倒す姿勢を明確にしない勢力を放置していれば、いつ薩長に対して牙を剥くか分からない。
幕府権力に挑戦した薩長には、万に一つのリスクも見逃す事が出来なかったんだよ。

>>164
小栗が何よりも改革を重んじていたのなら、薩長に進んで協力していただろうよ。

>>162
地元から偉人が輩出していれば、見習いたいと志すのは自然な感情だ。
173日本@名無史さん:03/06/30 22:51
>>172
その見習っている人が派閥をつくって政治に影響力をもつのは、
必ずしも日本全体の利益になるとは思えないが?
174日本@名無史さん:03/06/30 22:52
いま173が良いこと言った。
175日本@名無史さん:03/06/30 22:53
会津は江戸総攻撃が中止になったから兵の暴発を防ぐためと恨み。
新政府に逆らったらという見せしめ的にも必要だったんだろ。
176日本@名無史さん:03/06/30 22:53
会津や西郷は地元で英雄になってるのに河井だけ不当な扱いを受けてるのか
納得できない。
長岡駅前に銅像を設立すべきである。
あと長岡市にも河井記念館を設立すべきである。
郷土資料館程度じゃ納得できない。
河井関連の土産を増やせ!!
177日本@名無史さん:03/06/30 22:53
>>172
「長州は人材が豊富だ」とか自慢している人を見かけたりするけど、
確かにそれはそうだが、日本全体のために?頑張った人々が、
今や山口県民のお国自慢のネタになっているような気がする。
178日本@名無史さん:03/06/30 22:55
毛利家って山口が本拠かと思ったら、もとは広島だったんだってね。
179日本@名無史さん:03/06/30 22:55
>>166-168
地元から偉人が輩出していれば、見習いたいと志すのは自然な感情だ。
藩の利害とは関係ない。

>>169-171
藩の利益だけが目的なら、幕府を倒す理由が無い。
幕府に外交を任せていたら日本全国共倒れとなるのが明白だったから、
強制退場させたのだ。
その際邪魔立てする勢力は放置しておけない。
明確に敵対している相手を放置すれば、唯でさえ不安定な新政権が見くびられるだけだからだ。


180日本@名無史さん:03/06/30 22:56
>>156
>当時は幕府を倒す事が先進的だった。
>諸制度の改革を妨げていたのが、幕府だったからだ。
>オウム真理教が現政府を倒す事は、別に先進的とは言えない。
ヴァカでつか?
開国近代化に向け一連の改革を行っていたのは幕府。
理不尽な難癖をつけて改革を妨害したのは薩長。
将来への展望をもたず「王政復古」しか頭にない薩長はオウムと同じ。
181日本@名無史さん:03/06/30 22:57
>>179
声高に攘夷を叫んでいたのは長州だったね。
危うく日本全国共倒れでしたな。
182日本@名無史さん:03/06/30 22:59
>>181
そういう急進的なのは早いうちに死んでる。
183日本@名無史さん:03/06/30 22:59
>>173-174
それは、発言力を持たせる奴の選定が不適切だったというだけの話だ。
実際に発言力を持っている人間が、発言力を持つべき人間と一致するとは限らない。
それは人脈ごとの良し悪しの問題であって、人脈が発言力の基盤を形成するという現実の是非とは関係ない。

184日本@名無史さん:03/06/30 23:00
>>179
開国路線はもともと幕府の考えじゃなかった?
185日本@名無史さん:03/06/30 23:02
幕府が本格的に改革を始めたのは慶喜になってから。
家茂の時代は旧勢力の力が強く、改革をことごとく潰していた。
186日本@名無史さん:03/06/30 23:02
>>183
それが日本全国のためなんですか?
187日本@名無史さん:03/06/30 23:02
>>179
>幕府に外交を任せていたら日本全国共倒れとなるのが明白だったから、
>強制退場させたのだ。
高度な外交能力を発揮した幕府の遣米使節団と、
世界の笑い者になった薩長の岩倉使節団を比較してみろ。
薩長のお馬鹿が権力を握ってもなんとか国政を運営できたのは、
幕府が残した遺産と人材のおかげ。
188日本@名無史さん:03/06/30 23:04
>>180
馬鹿はおまえだよ。
実際に西洋と激突した体験を経た薩長は、幕府の改革では駄目だと見抜いたんだよ。
それを将来の展望と言わずして何だというのだ。

>>181
速やかに過ちを認め、路線を改める事ができた長州が、藩にしがみ続けた長岡よりも優れていた点だ。
189日本@名無史さん:03/06/30 23:04
薩摩、土佐、佐賀は先進的、長州は木戸以外はただの戦争好き。
190日本@名無史さん:03/06/30 23:05
>>186
その人脈が日本全国の事を考えている人脈なら、そのとおり日本全国の為になるよ

191日本@名無史さん:03/06/30 23:06
>>188
その西洋との戦争で、日本全国が危うくなってたらどうするんでしょ?
結果的には乗り越えたけど。
192日本@名無史さん:03/06/30 23:07
>>188
てゆーか、英国に叩きのめされてパークスの犬になっただけ。

>幕府の改革では駄目だと見抜いた
幕府の改革のどこが駄目なのか、及び、
それに対して薩長が提示した改革案を、
400字以内で説明せよ。
193日本@名無史さん:03/06/30 23:08
>>187
岩倉使節団は外遊で大いに外交を学んだ。
生まれながらの外交手腕などというものはない。

幕府の外交は、所詮不平等条約を締結するのが関の山だった。
その枷を噛み破ったのは明治政府だよ。
194日本@名無史さん:03/06/30 23:09
>>190
郷土意識が強い派閥が、単純に日本全国の事なんか考えないだろ。
実際に長州閥は特定地域を冷遇したでしょ。
195日本@名無史さん:03/06/30 23:11
>>193
外交を学んだってより、欧米の工業力に圧倒されたんじゃないの?
日本の外交下手は昔からのようだし、外国を訪れただけでそう簡単に
外交力はつかないだろ。
196日本@名無史さん:03/06/30 23:12
>>193
明治政府に幕府の「不平等条約」を批判する資格はない。
卑屈なまでに欧米にすり寄って「不平等条約」を丸飲みしたのが薩長なんだから。
197日本@名無史さん:03/06/30 23:12
幕閣も参勤交代を復活させたり、衣服の旧制を復活させていた連中なんだが。
198日本@名無史さん:03/06/30 23:13
現代においても、九州人には参勤交代をさせるべきだろ。
199日本@名無史さん:03/06/30 23:14
>>188
日本国内のある地方に禍根を残すという過ちもおかしてしまったね。
まあ、日本全体のためらしいから本望だろうけど。
200日本@名無史さん:03/06/30 23:14
>>191-192
単なるパークスの犬に過ぎなかったなら、今時日本は英国植民地だよ。
幕府には諸藩から兵権と徴税権を取り上げて中央集権化するような改革が不可能な程弱体化していた。
西洋の軍隊に対峙する為には、地方分権的な封建体制では各個撃破されるのがオチで限界がある。
だから幕府は倒れなくてはならなかったのだ。
201日本@名無史さん:03/06/30 23:18
>>194
それが改革に楯突いた代償というものだ。
>>195
英国が薩摩と同盟したのは、薩摩の外交手腕を見込んだからだ。
後日征台の役でも、大久保が清朝の李鴻章を圧倒している。

>>196
幕府が結んだ不平等条約の責任は薩長にはないぞ。
それは幕府の無能の現れであり、明治政府は多大な犠牲と引き換えに解消せざるを得なかった。
それは明治政府の落ち度ではない。


202日本@名無史さん:03/06/30 23:21
>>201
日本全国のためという美名のもとに、私怨を晴らしたかっただけだろ。
203日本@名無史さん:03/06/30 23:22
>>201
だったら徳川家が勝手に結んだ条約を追認せず、
新たな条約を結び直せばいいだけ。
幕府が締結した条約を完全遵守することを、
自主的に各国に通告してる薩長は腰抜けもいいとこ。
204日本@名無史さん:03/06/30 23:23
>>201
利用して儲ける気だっただけだろ。
世界の大英帝国が日本の一つの藩をそんなに重要視するか?
205日本@名無史さん:03/06/30 23:24
>>202
安政の大獄が公儀の名を借りた私怨の復讐ともいえるが。
206日本@名無史さん:03/06/30 23:26
>>204
>>201は英国がインドを植民地化していった過程をしらないんだよ。
207日本@名無史さん:03/06/30 23:26
>>205
井伊直弼が誰に私怨をもっていたの?
208日本@名無史さん:03/06/30 23:27
>>200
英国には日本を植民地にしようとする意欲がなかったからね。
しかし、英国の手先となって内戦を勃発させた薩長が、
植民地化の危機をつくり出したことにかわりはない。

また、薩長が英国の犬となったのは、
幕府による中央集権化への動きに危機感をもったため。
その薩長を改革の騎手のごとく錯覚してるとしたら痛すぎ。
209日本@名無史さん:03/06/30 23:28
>>202
私怨なんか無いよ。
現実から目を逸らして妄想に耽ってばかりいるから、先祖ともども負け犬なんだよ。

>>203
現代と当時は違う。
西洋と対峙する実力を備えていない有色人種国家が植民地化されなかっただけでも、
奇跡的な努力の成果だ。
幕府は日本を危険に晒したが、薩長が実力をつけたから不平等条約は解消された。
薩長がいなかったら、不平等条約はいつまでも残り続けていただけだ。

210日本@名無史さん:03/06/30 23:31
>>209
私怨がないなら会津を朝敵にするはずがないだろうし、
冷遇する必要もない。
第一、当時の薩長の指導者層でもないあなたが、
私怨が無いと何故言えるの?
211日本@名無史さん:03/06/30 23:32
>>201
現地人同士を争わせるのは英国の植民地政策のセオリー。
幕府が英国の利権を閉め出そうとしてたから、
パークスは反幕テロ勢力に軍事援助をして、
内紛を勃発させたんだよ。
212日本@名無史さん:03/06/30 23:33
>>209
薩長も十分日本を危険に晒している気がするけど?
不平等条約は薩長がいなければ残りつづけたのですか。
これはこれは薩長様様と言った所ですな。
213日本@名無史さん:03/06/30 23:35
>>204-206
英国がフランスから利権を奪って儲けたかったのは当然で、薩摩が西洋に立ち向かえる軍事力を備えたかったのも当然だ。
両者は協力できる関係だった。
だがインドとは異なり、つけいる隙は与えていない。
倒幕も英軍にたよらなかったからな。

>>208
薩摩が実際に交戦した事もある英国に対して、そんな隙を与える程油断する訳がないだろう。
薩摩が英国の犬だったなら、どうして今の日本は英国植民地ではなかったんだ?
当時の英国は、植民地化できる国を放置するほどお人よしではないぞ。



214日本@名無史さん:03/06/30 23:35
>>209
あんた、未だに官軍・賊軍にこだわっているんですか?
現実から目を逸らしているのはどっちだろうね。
215日本@名無史さん:03/06/30 23:36
>薩長がいなかったら、不平等条約はいつまでも残り続けていただけだ。
誰が政権を握っても不平等条約を解消を目指すよ。たとえ幕府でも

216日本@名無史さん:03/06/30 23:38
>だがインドとは異なり、つけいる隙は与えていない。
そう。しかしそれは薩長ではなく慶喜のおかげ。

217日本@名無史さん:03/06/30 23:39
>>213
七つの海を股にかける海軍をもつ英国から見れば、
薩摩は無防備もいい所だろう。
隙云々の話じゃないよ。
218日本@名無史さん:03/06/30 23:39
>>210
不安定な新政権に楯突いた見せしめだと言ってるだろう。
楯突いてなければ冷遇されなかっただけだ。
どうして単なる見せしめに対して、私怨があったなどと思うんだ?

>>212
不平等条約は明治政府の努力でようやく解消された。
明治政府に幕府の失策をフォローする実力があった証拠だ。

219日本@名無史さん:03/06/30 23:40
>>213
大いに英国を頼っただろ。
寝ぼけたことを。
220日本@名無史さん:03/06/30 23:40
てか、薩長は不平等条約を全改定するのに40年以上かかってる。
陸奥がいなかったら100年はかかってたはず。
これは明らかに薩長政府の愚かさの証だと思う。
この問題の根底には明治政府の欧米屈従姿勢があるんだけどね。
たぶん幕府系政権だったらもっと短期間で解決してたね。
221日本@名無史さん:03/06/30 23:41
>>213
英国は植民地化する意志が無かったと自分で言ってなかったっけ?
222日本@名無史さん:03/06/30 23:41
>>220
それはやってみなければわからん気がする。
223日本@名無史さん:03/06/30 23:42
薩英戦争でボロ負けした薩摩が英国にデカイ口たたけるわけがないだろ。
224日本@名無史さん:03/06/30 23:43
>>213
当時、英国には日本を植民地化する意図はなかった。
225日本@名無史さん:03/06/30 23:43
>>214
おいおい、薩長に的外れなイチャモンをつけているのはそっちだろう?
俺には賊徒に対する遺恨などはないぞ。

>>215
中央集権化もままならない幕府には無理だったね。

>>216
確かに、敵のオウンゴールは敵チームのおかげだわな。

>>217
薩英戦争後の停戦交渉で、英国が薩摩から領土的譲歩を引き出せなかった理由を説明してみてくれや。

226日本@名無史さん:03/06/30 23:43
幕府なら鹿鳴館のようなアフォな施設はつくらなかっただろうな
227日本@名無史さん:03/06/30 23:45
>>218
日本全国のためなれば見せしめなどにせず、
寛大な処置を行っていれば現在までの禍根も無かったことだろう。
私怨がないと何故言えるんだよ?
あんたは幕末の薩長人?それともその子孫?
228日本@名無史さん:03/06/30 23:46
>>218
幕府の開国路線が失策だったのか?
それならば、先に誰かも言っていたように、
幕府の路線を踏襲する必要はなかっただろう。
229日本@名無史さん:03/06/30 23:46
>>219
寝ぼけのはお前。
利用した見返りに国を奪うのが西洋のやり方だった。
それをさせなかったのは薩長の実力

>>221-224
隙を見せたら、たちまち植民地化の意思を持つよ。
植民地化を断念するのは、コストが割に合わない時だけだ。
230日本@名無史さん:03/06/30 23:46
幕府には薩長みたいにあそこまで露骨な汚職をする奴はいない。
231日本@名無史さん:03/06/30 23:47
>>225
そんならレスすんなヴォケ。
薩長の代表でもなんでもないくせに。
232日本@名無史さん:03/06/30 23:47
幕府内ですら一橋慶喜派と南紀家茂派で足の引っ張り合いをやっているような幕府に危惧をもったのはわかる。
233日本@名無史さん:03/06/30 23:47
薩長の努力で不平等条約を解消したなんてほざいているけど、
薩長は明治になっても外交に関しては全くの音痴で旧幕臣や幕府譜代出身の人材に頼りっぱなし。
多くは書かないが>>220にでた陸奥は紀伊藩の出身だし、日英同盟の立役者は旧幕臣の林。
薩長閥のなかで最も英語が得意といわれた伊藤も実際の語学力には片言程度。
妄想もイイカゲンにしてください。
234日本@名無史さん:03/06/30 23:49
>>229
植民地にするよりも武器を売って儲けようとするのが英国の戦略なら、
まんまと薩長は踊らされていたことになるね。
それが実力なんですか?
235日本@名無史さん:03/06/30 23:50
>>227
武士道を身につけていない香具師がおこした粗野な暴動に多くを期待してはいけない。
戦争を始めることは簡単でも適切に終わらせることは非常に難しい。
236日本@名無史さん:03/06/30 23:50
陸奥は紀伊藩に冷遇されていたし、足尾銅山では利権がらみで醜聞もある。
237日本@名無史さん:03/06/30 23:51
>>217
薩摩の領土にウマミを感じなかっただけだと思うが?
火山灰土の土地だし。
238日本@名無史さん:03/06/30 23:51
>>226
幕府には出島みたいな阿呆な施設があったからな。

>>227
自分が体験していない事に遺恨を持つような馬鹿など、単なる放置で問題ない。

>>228
幕府がやっていた適切な政策を受け継ぐ事には何の問題もない。
明治政府が考えるべきなのは、幕府がやっていなかった政策が適切かどうかだ。

>>230
汚職など幕府でも横行していたに決まってるだろ。
寝ぼけるな


239日本@名無史さん:03/06/30 23:53
>>238
自分がやったことでもないのに功績を誇る馬鹿も放置だなw
240日本@名無史さん:03/06/30 23:53
そろそろ寝るわ。
お前ら賊徒どもの屁理屈は、また暇をみて粉砕してやるとしよう
241日本@名無史さん:03/06/30 23:54
>>238
幕府の外交は失策だと言ったくせに、路線踏襲は肯定するんだね。
242日本@名無史さん:03/06/30 23:55
>>238
あれ?日本全国のために維新を成し遂げた人達が汚職なんかするはずないよね?
243日本@名無史さん:03/06/30 23:56
>>238
>幕府がやっていた適切な政策を受け継ぐ事には何の問題もない。
不平等条約の不平等な部分は適切とは言えないよ。
そもそも、適切か否か以前に、
そんな問題が潜んでいるとは全く気づかなかったんだよ。
244日本@名無史さん:03/06/30 23:57
>>236
冷遇されていたから何?
醜聞といったら、伊藤の異常なロリコン趣味に勝る醜聞はあるまい。
245日本@名無史さん:03/06/30 23:58
>>233
薩長の努力じゃなくて明治政府の努力。
叛意をあらわにした長岡や会津を征伐したのも明治政府。
246日本@名無史さん:03/06/30 23:58
>>238
>幕府には出島みたいな阿呆な施設があったからな。
出島はそこそこの施設だと思うけど?
>自分が体験していない事に遺恨を持つような馬鹿など、単なる放置で問題ない。
世界ではそういう遺恨が結構あるよ。
247日本@名無史さん:03/06/30 23:59
今夜は>>240が粉砕されちゃったな。
まあ次回はせいぜいがんばってくれたまえ。
248日本@名無史さん:03/07/01 00:00
>>245
明治政府が長岡や会津を征伐?
おもしろい冗談だな。
249日本@名無史さん:03/07/01 00:00
紀伊出身なだけで、幕府側の人間というわけではない。
250日本@名無史さん:03/07/01 00:01
>>240
日和見の藩なんだけど、官軍や賊軍にこだわりはないよ。
251日本@名無史さん:03/07/01 00:02
>>245
戊辰戦争の前に明治政府があったの?(プ
252日本@名無史さん:03/07/01 00:03
幕府なんぞが続いてたら、陸奥のような陪臣は一生埋もれたままだっただろうな。
253日本@名無史さん:03/07/01 00:06
>>251
ほ〜、じゃあ誰が錦の御旗を授けたんだ?
254日本@名無史さん:03/07/01 00:07
日本を数百年も停滞させた暗黒時代が江戸時代だからなあ。
255日本@名無史さん:03/07/01 00:08
>>253
明治政府はいつ成立したんですか?
256日本@名無史さん:03/07/01 00:11
>>1
長岡の英雄だね
257>255:03/07/01 00:12
「王政復古の大号令」が一応発端となっている。
258日本@名無史さん:03/07/01 00:16
錦の御旗というものはそもそもなかった、岩倉と大久保がかってに作ったもの
259日本@名無史さん:03/07/01 00:19
>248,251
君たちは明治政府の成立をいつと考える?
260日本@名無史さん:03/07/01 00:20
>>259
まずは245の意見を聞きましょう
261日本@名無史さん:03/07/01 00:22
>>258
ヴァカだなあ
262日本@名無史さん:03/07/01 00:23
>>260
もう出てるじゃん。
263日本@名無史さん:03/07/01 00:26
山口東京理科大学ってあるの?
264日本@名無史さん:03/07/01 00:27
yes
265日本@名無史さん:03/07/01 00:28
あるんじゃない?もし今はなくってもそのうちできるとおもわれ。
266日本@名無史さん:03/07/01 00:38
個人攻撃や、単なる煽り合いは見ていて面白くないですよ。
痺れる様な冷徹な議論を見せてくれ。
267日本@名無史さん:03/07/01 00:43
>>266
ぜひ御手本を見せてください。
268日本@名無史さん:03/07/01 07:27
賊軍が勝利宣言を発して敗走しますた。

たかが地方政権に過ぎない薩長に鎧袖一触で粉砕されたようなヘタレ幕府に、一体何が成しえたと妄想してるんだろうね〜?

269日本@名無史さん:03/07/01 08:08
河井継之助は最高の志士だよな
270日本@名無史さん:03/07/01 08:17
思考実験にもならない、ルサンチマンに満ちた仮想戦記を好む奴等だな。
そんな事では生涯負け犬で終わるばかりだ
271日本@名無史さん:03/07/01 09:04
河井が生きた時代ってのは、上の連中が書いてるような時代だとは俺は思わん。
歴史ってモンを学ぶのに地域差やおかれた立場ってのは不可避だろ?長岡の立場
って、絶対に官軍に簡単に恭順できる立場ではないよ。地理的にも、官軍が優勢で
時勢に乗ってる事がわかり、その未来も予測できたとしても、薩長の先進性を説いてる
連中の言うように、それを妨げない事がどうという話しは結果論です。与えられた立場、
置かれた状況の中で起死回生の生き残りに賭けた策が中立であって、それは国際法とも
言える万国公法を持ち出す事によって正当性のある物であるという彼の主張は、薩長
の先見性の無さによって壊されただけだろ。現在、もしクーデターがこの国で起きて、
その仲介をする都道府県が中立を唱えれば、その行動は国際的に評価され、実現は可能に
なると思うぞ。現在と過去は違うのだが、そういった考えで見れば、河井の評価はもっと
見直されるべきだ。政治的判断として、状況的に不利だから中立なんてバカな事を言ったとか、
官軍が維新を起こし、その時勢に乗っている妨害をしたから悪いというのでは、歴史や政治
や人物を語れないだろ?
272 :03/07/01 09:05
●●●マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html

515 名前: 投稿日: 02/03/01 12:13 ID:p3m8shmo
<盗用訴訟>早坂暁さんの謝罪掲載で和解 京都地裁 (毎日新聞)
2002年2月21日(木)21時0分
 作家の早坂暁さんに著作を盗用されたとして、京都市の男性医師が早坂さんに謝
罪広告掲載と慰謝料100万円の支払いを求めた訴訟は、無断引用した小説が掲載
された新潮社発行の雑誌「新潮45」に早坂さんが謝罪文を載せることで、京都地
裁で和解が成立した。これを受け、18日発売の同誌3月号に謝罪文が掲載された。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
盗作事件がつづくということは、今日も誰かの私生活がネタとして盗聴されている
と言うことだ。早坂暁は才能のある部類のライター。彼が盗作事件を起こしてしま
うほどだから、才能のない連中は、生き延びていくために盗聴/盗撮/盗作にすが
ってしまう。「一発屋」と言われるミュージシャンがいる。特に「パクリ」で大ヒ
ットを飛ばしたアーチストは一発屋が多い。パクリで当てても、もともと才能がな
いから2発目3発目が続かずに、忘れられてしまう。他人のアイディアを盗んで
成功したアーチストを待っているのは、頭を絞っても絞ってもアイディアが湧き
出てこない凡才を隠しながら続けていかねばならない、苦痛に満ちた地獄の創作活
動だ。才能はほんの一握りの人間にしか与えられず、凡才は才能の不足分を盗聴で
補おうとする。凡才にとっての盗聴は不良債権のための低金利に似ていて、無関係
の個人の平穏な生活を乱し、やがては、社会や文化全体を蝕んでいく。
273日本@名無史さん:03/07/01 09:27
弱者が中立を貫けば滅びる。

弱者が滅びたくなければ、強者に味方するしかない。
中立を貫きたいなら強い軍事力が不可欠となる。

非武装中立は幻想。

河井は弱者の癖に中立を保てると錯覚した愚か者
274日本@名無史さん:03/07/01 09:53
河井継之助って誰よ?
275日本@名無史さん:03/07/01 10:07
そもそも薩長は追いつめられた弱者連合なんだけどね。
276日本@名無史さん:03/07/01 10:16
>>271
最初から奥羽列藩同盟に肩入れしているので、厳正中立ではない。
それなら攻撃されるのは当然。
東北に遠征している最終に裏切られたらたまらんからね。

そして中立とは、中立を維持できるだけの力がない限り、認められる事はない。
たかだか10万石程度の小大名が、宣言して認められるわけもなし。
277日本@名無史さん:03/07/01 10:17
>>275
戊辰戦争の勝利は万馬券が当たったようなもんだわな。
鳥羽伏見の戦いのときは天皇を都落ちさせる用意をしていたそうだし。
278日本@名無史さん:03/07/01 10:20
勝った場合、負けた場合も、それぞれ最初から想定して動いていた薩長。
行き当たりばったりで、なんも計画してなかった幕府。
279日本@名無史さん:03/07/01 10:22
>>278
鳥羽伏見の戦いで幕府が負けたのは、立場が有利すぎたせいだな。
慶喜の入閣工作はほとんど成功しかけていたし、軍隊も薩長軍より数的に有利だった。
どう転んでも負けるはずがないと楽観していたのだろうな。
280日本@名無史さん:03/07/01 10:36
某所征伐も、んな事言って、ボロ負けだった幕府もありましたな。
何処とはあえて言いませんが。
281日本@名無史さん:03/07/01 12:17
>>279
だいたい京を離れて大阪に引いた慶喜の判断が誤り。
薩長の暴発は榎本などの軍事参謀の意見を無視した慶喜のミス。
さらに慶喜が夜逃げしなけりゃ鳥羽伏見だって巻き返してた可能性大。
あるいはいったん大阪城に陣をかまえ江戸からの援軍を待ってたら、
どう転んでも負けるはずがない。
薩長は慶喜の失点でまぐれ勝ちしただけ。
282日本@名無史さん:03/07/01 17:16
当時の長岡藩は中立を維持できる経済力と、軍事力はあったと思うぞ。でなきゃ、あれだけ
の悲惨な戦いにはならんだろ。非武装な藩だと誤解してるわけじゃないよね?
中立を言う藩が、後に裏切ったらたまらんとか言う276の言う事が理解できない。
なんの為の中立だ?調停する為の中立だろ?幕府によい顔したい中立ではないだろ。
ただ、それがうまく行ったとか行かないは別次元で語るべきだと思ってる。
歴史なんだから、結果はもう出てるわけだしね。ただ行った行動や考えは評価すべきだ
と言ってるだけだ。負けた連中は全て悪で、無能だという評価なら歴史なんか面白くも
なんともなく小学校の教科書レベルで充分だろ?
283日本@名無史さん:03/07/01 17:44
領民にとっては武士の勝手な理由で街を火の海にした河井はどう考えても悪。
284日本@名無史さん:03/07/01 17:47
先週の土曜日、中大で中央史学会の大会があったんで行ってきたけど、ありゃ
駄目だったなあ。俺は幕末の海防をやってるんだけど、岡部っていう見るから
に馬鹿そうな椰子が「弘化期における異国船来航と島津斉彬」っていう報告を
してたけど、あの不気味な面といい斜に構えた態度といい、実に不愉快だった。
しかもレジュメは雑だし、史料のピックアップを見ても恣意的なものを感じる
し、中大の質が下がったことを感じるよ
285日本@名無史さん:03/07/01 18:28
>>284
おまいの悪文もなかなかの水準だがな
286日本@名無史さん:03/07/01 18:43
ガトリング2門だけでは、屁の突っ張りみたいなものだ。

たとえ百連発の新式銃でも、単発銃を撃つ歩兵百人の斉射には勝てない。
百人の歩兵は同時に100発の弾丸を浴びせる事が出来るが、
一挺の百連発銃が一度に発射出来るのは、一発ずつだからだ。

河井は、長岡の兵力を過信する愚を犯した。

287日本@名無史さん:03/07/01 20:08
>279・281
数で圧倒的だった長州征伐で長州一国に幕軍は敗退したのだが。
288日本@名無史さん:03/07/01 21:45
ガトリング砲よりも全藩士にミニエー銃を配備させた事を評価すべきだ
289日本@名無史さん:03/07/01 22:11
長州は三家老の首を斬って泣いてあやまったのだが。
290日本@名無史さん:03/07/01 22:26
>>288
最終的に奮戦したのは槍隊だったらしいな。
291日本@名無史さん:03/07/01 22:43
グラバーVSスネルの戦いでもある。
南北戦争が終わってだぶついた武器を、
極東のお猿に与えて消費させようと考えた欧米人は、
なかなか賢いね。
292日本@名無史さん:03/07/01 23:04
グラバーもスネルも武器商人としては三流でつが何か?
293日本@名無史さん:03/07/01 23:09
スネルは悪徳商人じゃない
明治政府のでっちあげだ!!
294日本@名無史さん:03/07/01 23:13
グラバーと坂本は死の商人
295日本@名無史さん:03/07/01 23:22
坂本はグラバーの手下
296日本@名無史さん:03/07/01 23:37
スネル兄弟は典型的悪徳商人だろ。
ヘンリーは和装して平松武兵衛、エドワルドはオランダ領事を詐称。
他イタリア、プロシア、イギリス、ロシアと国籍使い分け。
普通に胡散臭過ぎ。
河井のガトリングも中古の粗悪品を法外な値で売却。
目詰まり、焼け爛れですぐにガラクタ。
297日本@名無史さん:03/07/02 00:24
>>282
経済力なんてないよ。
もともと長岡藩の経済を支えていた港を幕府に取り上げられているからね。

>なんの為の中立だ?調停する為の中立だろ?幕府によい顔したい中立ではないだろ。

つまり、もう負けがほぼ決まっている奥羽列藩同盟を救う為じゃないか。
それ以前に河井は、朝廷に過激な上申書を送っているし、口実を伺っていた新政府軍からすれば、当然の成り行き。
298日本@名無史さん:03/07/02 01:22
「薩長の姦賊、暴威を逞うし、幼沖の天子を欺奉り、
私意を縦にし、不正の乱を起し、万民を塗炭に苦しめ…」
「今に於て決せずんば国内の形勢、困難に至るべし。
不倶戴天の難敵眼前に至り、直ちに賊軍を追討し、
御城下を回復し、両者を奉迎し、万民の塗炭を救うの外、
吾輩今日の勤め他事これなく候」
…長岡城奪回の際に河井継之助が全軍に送った書き付け。

薩長なんて天皇を欺いて私欲のために乱を起こした賊軍じゃん!
河井がこのような情勢認識をもっていたことがわかる。
そして河井は正しい。
299日本@名無史さん:03/07/02 01:38
激しく同意
300日本@名無史さん:03/07/02 05:39
共に正しくなかったんだよ。っつーか、正しい行動って何さw
301日本@名無史さん:03/07/02 21:33
正義とは主観なり。
302日本@名無史さん:03/07/02 21:57
幼沖の天子を欺奉り、私意を縦にし、不正の乱を起し、
万民を塗炭に苦しめてる薩長の姦賊を追討することが、
日本人として正しい行動。
303日本@名無史さん:03/07/02 22:05
長岡藩自体の戦力は会津よりも実戦経験が無い分かなり劣ると思うが。
304日本@名無史さん:03/07/02 22:52
思想の数だけ正義あり。
305日本@名無史さん:03/07/02 23:34
つーか正義の為とはいえ、戦火に見舞われた長岡民にとっちゃ迷惑な話だよ。
306日本@名無史さん:03/07/02 23:39
全然正義のためじゃないけどな。
307日本@名無史さん:03/07/02 23:45
会津よりも武装度が高かったし、河井という有能な指揮官がいた長岡藩だから戦闘経験が低くても三ヶ月も薩長相手にねばれた。確かに会津や桑名の増援もねばれた一因だが長岡藩の実力を示せたのよかった。
308日本@名無史さん:03/07/02 23:53
三ヶ月粘ったっつーか、
あっさり長岡城落とされてトンズラ→奇襲で奪還→あっさり取り返される
じゃなかった?
309日本@名無史さん:03/07/03 00:21
>>308
今町の戦いを知らんのか?
長岡城の落城後、いったんは加茂まで撤退した後
今町で陽動作戦で勝利したのち一長一短の膠着状態が2ヶ月近く続いた。
そのあとに伝説の長岡城奪還作戦が決行された。
長岡城が再び取られたのは河井の負傷で戦線離脱後だろ
河井さえ無事ならあと1ヶ月は粘れていた。
310日本@名無史さん:03/07/03 00:34
>>309
馬鹿だなあ
新潟が落ちた時点で終わってるよ
もっとよく考えて書き込め
でも、俺は河井は好きだよ
志士という表現には抵抗あるけどな
311日本@名無史さん:03/07/03 00:46
北越戦線では立見の雷神隊や佐川の朱雀隊が強かった。
ちなみに河井は桑名藩主や立見と同じ船で横浜から柏崎へ帰国してる。
河井は最初から佐幕派と共闘する考えだったんだよ。
中立姿勢は単なる時間稼ぎ。
312日本@名無史さん:03/07/03 00:52
共闘は当然、考えていたでしょう
ただし、桑名はともかく
会津の佐川は弱かったぜ、実際
会津、米沢が弱いとは河井もわかってたけれど
あんなにも弱いとは思っていなかったのが
河井の誤算でしょう
313日本@名無史さん:03/07/03 00:55
共闘は当然、考えていたでしょう
ただし、桑名はともかく
会津の佐川は弱かったぜ、実際
会津、米沢が弱いとは河井もわかってたけれど
あんなにも弱いとは思っていなかったのが
河井の誤算でしょう
314日本@名無史さん:03/07/03 00:59
新潟が落ちたのは河井の負傷後だろ
315日本@名無史さん:03/07/03 01:02
>>311
立見は陸路で柏崎に向かったんだよ。
ちなみに桑名公は河井と一緒に海路で柏崎に向かった。
316日本@名無史さん:03/07/03 01:07
314
おまえ、本当に、河井ファンか?
河井が負傷しようがしまいが
新潟は落ちただろう?
どうかしてるぜ
新潟が落ちれば、河井も降伏したに決まってるじゃん

317日本@名無史さん:03/07/03 01:13
河井は足を切れば助かったのに、
痛いからヤダと言って氏を選んだんだよね?
318日本@名無史さん:03/07/03 01:16
>>309
城を攻略したその日に城を捨てているから、それはないかと。
つか意地で取り返したんじゃないかな?
気持ちはよく分かる。

負傷といえば、長岡城を奇襲により落した三好が、
その後すぐの六月一日に負傷したのは政府軍としては痛手だったろうなあ。
二人とも五体満足なら、戦いがもっと面白くなったかもしれない。
319日本@名無史さん:03/07/03 01:20
河井は負傷してようがいまいが
もう戦えなかったでしょう
そこから、どうするか?
それが彼の評価を左右する点なのですが
結局何もしなかった(できなかった)
怪我はしてても指示くらい出せるはずなのに
もう、やけっぱちになってたんじゃないかな?
320日本@名無史さん:03/07/03 03:36
「峠」が司馬作品の中で一番面白いっていう意見多いよね。
そんなに面白いの?
321日本@名無史さん:03/07/03 06:40
>320
面白いよ、ただ前半がダルイ!だるすぎる!もー、読むのイヤになるほどダルイ。
そんで後半ものすげー加速度で面白くなるわけだが、その後半の為にはあの前半
のダルイ説明がないと面白くないようですと、司馬が言ってました。
322日本@名無史さん:03/07/03 10:47
河井は直接的には何も残していないが
間接的には弟子の外山修造氏を通じて
大阪の経済界に多大なる功績を残している。
河井が臨終時に外山修造氏に
「武士の時代は終わったこれからは商人になれ!!」
と遺言を残した。
その後、外山修造氏は遺言どうりに実業家になり
大阪経済界のトップになった。
323阪神優勝は河井継之助のおかげです:03/07/03 10:53
河井が外山修造氏に「商人になれ」と遺言
        ↓
外山修造氏が遺言どうりに大阪経済界の
重鎮になり、阪神電鉄を設立
        ↓
   阪神タイガース設立 
        ↓
       阪神優勝
324日本@名無史さん:03/07/03 13:16
外山が有能な商人だったという話で、河井は関係ないべよ。
325日本@名無史さん:03/07/03 21:12
外山修三氏が河井にかなりの影響を受けたのは事実だし、会わなければ栃尾の庄屋で終わっていたはずだ。そうなると阪神タイガースは存在していない事を考えると河井の偉大さを再評価しなければならない。
326日本@名無史さん:03/07/03 22:16
とりあえず阪神タイガースを応援しようよ。
しかし、阪神の産みの親が栃尾出身てのは以外だったなあ、
ヤパーリ油あげ食って育ったのかなあ?
327日本@名無史さん:03/07/03 22:37
イヤだね(・∀・)
328日本@名無史さん:03/07/04 01:47
age
329日本@名無史さん:03/07/04 01:55
だからどうしたんだよ?
河井と、阪神タイガースは関係ないべよ。

外山は、河井なんかと一緒に死ななくてよかった、と言っていますがーー。
330日本@名無史さん:03/07/04 16:59
age
331日本@名無史さん:03/07/04 18:00
ひさしぶりに覗いてみたら結構な展開ですな。
現代の我々とは思想も教育も生活も違うし一概には言えないでしょう。
動乱の時代によくもまああそこまで懸命に行動したのは
評価出きると思います。結果は悲惨でしたが、身分制度の崩壊を
予測しておりながら、自らは滅び行く武士としての気概を
みせたところがかっこいいのでは?
一般市民の犠牲が酷いのは何時の時代もですね。
その点と切り離して考えられないゆえに
彼の評価が決まらない。まだまだ後の世に問いますか?
332青島:03/07/04 18:03
やっと始まる映画「踊る大捜査線2」の青島刑事って格好良いですよね。私はコー
ト、靴、時計など小物を揃えて映画を見に行きます。ただコートは暑いですよね?
333日本@名無史さん:03/07/04 19:33
>331
面白い人物だよな、現在でも世論で騒がれる反戦や平和の論争でも民衆の犠牲を言われる
が、こういったテーマは結論が出ないよね、俺も何が正しいのかはわからんよ。
ただ言えるのはいつでも勝者の論理だけが正当化されてる気がすんだよね。だが、
判官贔屓って言葉があるように、時を重ねた結果悲劇的な末路をたどった人物が再評価
される場合が日本では多いので、河井が最近になって評価が見直されつつあるんだろう。
だが、時をもっと進めなければまだまだ戦乱の部分での犠牲を言われ、彼の行った身分制度
にとらわれない藩政改革や、未来を見据えていた経済能力、さらに軍事指揮能力は見直され
ないだろう。今はまだ負けて多大な犠牲を出した部分のみ、愚とされているからね。
歴史を見る時、どうしても小説や物語から入って行くわけだが、僕らはそれを読み欠片に触れる
だけである。興味を持ち、あらゆる側面から読み、聞き、そこで得た結論はいつでも借り物なの
だから誰がどうという事はない。ただ、僕が思うに発掘され日の目を見る人物という物は、
それなりの意味があり意義のある人生を送っていると思う。長岡出身の私は彼をよく知っていた
が、一般的には司馬以降によく知られたのだろう。司馬も彼を過大評価しているわけではない。
ただ、視点を変えて見れば峠のような作品が産まれてきたんだろう。歴史が好きな連中ならこれ
はわかるだろう?人物を否定的に見れば、全ての話しは変化するし肯定しすぎても同じだ。
334日本@名無史さん:03/07/04 21:16
>>333は正しいよ。
歴史上の人物に心酔しすぎたり、しつこく非難するアンチ君は子供だね。
335日本@名無史さん:03/07/04 21:17
☆頑張ってまーす!!☆見て見て↓↓↓↓↓↓
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336日本@名無史さん:03/07/04 21:52
スレの流れぶった切ってスマンが、
桜飯っておいしい?
337日本@名無史さん:03/07/04 22:33
331ですが333の方の御意見よくわかります。司馬氏も短編では彼の奇才ぶりを取り上げて描いていますね。334の方のいうとおり
どちらにかに傾きすぎているのは人を見る時に危ぶみますね。自分のことでもわからないこと
多いのに時代の違う他人を理解するのは難しいですが、考察するのは楽しいですし、
河井継之助という人はそういう点でも人を刺激する人物でしょう。

自分でつくった人の話では美味しかったとか。(桜飯)
338日本@名無史さん:03/07/04 22:52
いずれにせよ結論はひとつ。
>>333は長すぎて読みづらい。
改行せい。
339日本@名無史さん:03/07/05 00:37
「峠」は河井のいいところをクローズアップしてるが
短編の「英雄児」は負の部分も書かれている。
340日本@名無史さん:03/07/05 21:34
age
341日本@名無史さん:03/07/06 02:09
河井よりも
すががええなあ
342日本@名無史さん:03/07/07 22:16
age
343日本@名無史さん:03/07/07 22:20
河井継之助って誰?
344日本@名無史さん:03/07/09 02:54
>>1
イタイイタイ病
345日本@名無史さん:03/07/09 03:39
>>343
> 河井継之助って誰?

誰も知らないようです。
346日本@名無史さん:03/07/10 00:56
age
347日本@名無史さん:03/07/10 02:05
河井が会津に攻め込めば
いまごろお札になっていたであろう
348日本@名無史さん:03/07/10 22:50
河井いまいち知名度低いなあ。
349日本@名無史さん:03/07/10 23:42
入り込まれてた会津にビビッってその後来た官軍に切れただけ。
先に脅したもの勝。実際は何も無い肝の小さい奴。
350日本@名無史さん:03/07/12 01:08
age
351日本@名無史さん:03/07/14 18:07
age
352山崎 渉:03/07/15 11:37

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
353日本@名無史さん:03/07/15 17:42
奴は偉大だよ!!
354日本@名無史さん:03/07/15 18:01


    ダ  サ  ツ  マ  氏  ね  や




355日本@名無史さん:03/07/16 15:13
岡部年敏和クン、アフォ・ヴァカ2時間目
356日本@名無史さん:03/07/18 03:11
河井継之助は最高の志士ではない!という結論が出てしまったようですにゃ
357日本@名無史さん:03/07/19 00:47
河井は志士ではありません
英雄です
358日本@名無史さん:03/07/19 00:55
やっぱ岩村がガンでしょう
河井は不運だ
相手が西郷ならば
小千谷談判は成立したかもしれない
会津戦争も避けられたに相違ない
359日本@名無史さん:03/07/21 00:09
そうだ!そうだ!
360日本@名無史さん:03/07/21 00:14
長岡の三大偉人といえば、
@河井継之助
A山本五十六
B田中角栄らしい・・・
361日本@名無史さん:03/07/21 00:44
言っちゃあ悪いが…
カスばっかりじゃあん。
362日本@名無史さん:03/07/21 01:26
>>360
角栄は長岡じゃねーだろ
>>361
おまえよりはマシじゃ
363日本@名無史さん:03/07/21 01:27
新潟の唯一の偉業
それはお菓子のブルボン

あとは存在意義なし
364日本@名無史さん:03/07/21 01:30
>>361
カスばかりだと言えるお前の方がおかしいだろ。
あんたの故郷はどれだけ素晴らしい人材を輩出しているの?
365日本@名無史さん:03/07/21 01:51
結論から言うと、あの状況で中立なんて不可能。河井は甘すぎる。
会津の外交政策のまずさをよく知ってたのだから、官軍に就くべきだったね。

でも武士は損得だけじゃない。
四十七士だって切腹覚悟で吉良邸に突入した。損得ではない。
「武士の意地」を天下に知らせ、名を惜しみ命を軽んじる事が武士の行動規範。
そういう意味では、立派な武士だ。
366日本@名無史さん:03/07/21 21:37
>>365
禿同
367日本@名無史さん:03/07/23 01:30
どこのスレにも、禿同、としか言えない阿呆がいるよね。
368日本@名無史さん:03/07/23 01:37
禿同
369日本@名無史さん:03/07/23 02:17
age
370日本@名無史さん:03/07/23 11:46
あの状態で、中立は不可能に近い! 河井は、榎本と同じくらい有能な
人物であると思う。
371366:03/07/23 19:40
>>367
禿同、禿同、禿同!!
372日本@名無史さん:03/07/25 13:39
まったくだ・・・・
373日本@名無史さん:03/07/25 13:40
http://www.fumi23.com/hprank/rank27/ranklink.cgi?id=01234
投票から入ると思わず興奮
374日本@名無史さん:03/07/28 00:53
河井の長岡共和国構想が実現していれば
いまの中央集権お化け国家とは異なる
国の形、アリストクラシーのようなものが
この国にできていたであろう
375日本@名無史さん:03/07/28 00:56
殿様や武士がいるのに「長岡共和国」のわけがないでしょ。
むしろ「長岡自治公国」とでもいうべきものです。
376日本@名無史さん:03/07/28 00:57
そのものズバリ「藩王国」かも。
377日本@名無史さん:03/07/28 00:58
共和国です
入れ札構想は河井の中にありました
378日本@名無史さん:03/07/28 01:00
でも、殿様の牧野氏を否定したわけじゃないでしょ。
小栗や榎本そうだけど、現代でいう「共和」ではないと思います。
379武器商人:03/07/28 02:12
>>331さん。おっしゃる通りだと思います。僕は河井継之助は素晴らしい人物だったと思います。
380日本@名無史さん:03/07/31 09:08
age
381日本@名無史さん:03/08/01 22:02
河井継之助って素晴らしい人物か?
たんなる人殺しじゃないか!
長岡藩が完全中立の独立国?まったく人をバカにした時代錯誤のあほ。
382日本@名無史さん:03/08/01 22:09
何かのはずみでリヒテンやモナコのような独立国で残ったら面白かったのに・・・
383日本@名無史さん:03/08/01 23:17
河井継之助は無謀な戦さで部下を巻き添えにして犬死にした、
戦況判断の出来ない史上最高のクズだな!!
384日本@名無史さん:03/08/01 23:30
>>383
長岡市民ですか?
385_:03/08/01 23:31
386山崎 渉:03/08/02 01:02
(^^)
387日本@名無史さん:03/08/02 01:07
もし官軍に味方していたら、会津相手に大勢の戦死者が出ていた。
官軍相手に闘って、戦死者も満足したのではないかな?

それに官軍に味方して、東北まで転戦して、破産した藩も多い。
どっちみち長岡は破産していた。
華々しく破産した方がカッコイイじゃん。
388日本@名無史さん:03/08/02 01:30
墓が破壊されるのも、当然。
未亡人が逃亡するのも、当然。
ということだな。
389日本@名無史さん:03/08/04 00:57
河井を批判する前に
河井に抵抗できずに
河井と一緒に崩壊した先祖を恨め!!
河井が死んだからって死人に鞭を打つ貴様らが最低だ!!

390日本@名無史さん:03/08/05 00:54
河井の他がみんな近代的とか言ってる奴いるか?
>河井に抵抗できずに
>河井と一緒に崩壊した先祖を恨め!!
ようは、逆いきれない前近代的思考だからこそ河井に責任が帰すと
思うんだろ。
391日本@名無史さん:03/08/05 01:07
薩長の掲げた旗が本当に日本の将来のためになるものだったなら河井は薩長側についたよ。
しかし薩長の実態は、
「薩長の姦賊、暴威を逞うし、幼沖の天子を欺奉り、
私意を縦にし、不正の乱を起し、万民を塗炭に苦しめ…」
なんだから、
「今に於て決せずんば国内の形勢、困難に至るべし。
不倶戴天の難敵眼前に至り、直ちに賊軍を追討し、
御城下を回復し、両者を奉迎し、万民の塗炭を救うの外、
吾輩今日の勤め他事これなく候」
となるのは当然。
大局を見ず自己保身のため薩長になびいた日和見藩が多いなかで、
河井の真っ直ぐな態度は実にカコイイ。
後になって河井に恨み言をもらす地元の小市民は、
結局河井の言う姦賊の屁理屈に丸め込まれたわけで、
河井に代わって「オマエらはヴァカか恥を知れ」と言ってやりたい。
392日本@名無史さん:03/08/05 01:29
河井継之助ほど最高な志をもった武士はいない。
その河井を批判する奴は糞
393日本@名無史さん:03/08/05 02:03
だったら直接言えよ。
河井マンセーのキティーが怒鳴り込んで来ましたとか
格好のヴァカネタだから面白い。
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
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397日本@名無史さん:03/08/07 03:13

河井継之助は歴史のカス、という結論になりますた。
398日本@名無史さん:03/08/07 03:36
せめてチンカスにしてやれ
399日本@名無史さん:03/08/08 08:59
あいつはすばらしい!!!!!
400武器商人:03/08/08 12:45
若いころに長崎にいってそこから親戚におくった手紙の中で幕藩体制の崩壊をすでに予見していますよね。(たぶん)。。それだけでも水準以上の人物ということがいえると思います。長岡藩執政は彼には役不足かなと思います。惜しい人物だと思います
401日本@名無史さん:03/08/08 13:08
列車で長岡に停車した時、ああここが
薩長を苦しめた藩かあ。小さな町だなあ
と感慨に耽ったのを思い出した
402薩摩:03/08/08 15:35
天下の才、天下の度量をもちながら
ただ侠の道義に殉じようとするのは間違っておる!

欧米列強が今やアジア各国を食いかからんとしておる時代
あまりにも成長がないぞ!河井!
403日本@名無史さん:03/08/08 18:20
>>402
それを言うなら、西南の役はなんなんだ?
西郷は維新後口グセのように「まだ、いくさなし足りもはん」と言ってた。
当然ながら佐幕藩がもっと多くて苦戦すると思っていたけど、無気力で風見鶏の
藩が多く本気で官軍で向ってきたのは会津・長岡など僅か。
敵ながら情けなかったのだろう。
やはり長岡は、武士の意地を見せた数少ない藩だったと思う。
404日本@名無史さん:03/08/08 22:05
西郷は、階段で転んで頭を打って、パーになっていたからなあ。
パーの妄言を真に受けてもしようがない。
内戦が続けば、欧米に付けこまれ、
日本は統一国家として近代化するのは困難になっていっただろう。

片々たる“武士の意地”のために、無益な戦争を起こし、
百姓町民を巻き添えにし死なせた。
河井は、歴史のチンカス(w
405日本@名無史さん:03/08/09 00:51
>>404
武士ってなんだ?って問題になるね。
ロクに働きもしないで家禄は保証されている。
斬り捨て御免とか苗字帯刀とか様々な特権がある。
もし武士に意地や気概がなければ、ただのムダ飯食い。
実に250年もムダ飯を食ってきた事になる。
繰返すけど、意地や気概があるから武士。
それを忘れてはいけない。
406日本@名無史さん:03/08/09 03:19
いつしか観たテレビのドキュメンタリー番組で、今の長岡の消防本部が出ていた
のだが、隊員達の詰所の一角に、「錠剤洗浄」の掛軸がデカデカ写ってた。

廃藩されてから既に100年以上経ってるのに…
407日本@名無史さん:03/08/09 11:12
武士の意地は犬にでもくわせろ。そういう気質が明治以後も戦争を招いた
408日本@名無史さん:03/08/09 11:33
町人が一番です。
409日本@名無史さん:03/08/09 20:08
>>405
大部分の武士は、意地も気概もない無駄飯食いですた。
武士の意地や気概なら、弱いものを守るためにこそ発揮しろよ。
徳川の“恩”に報いるためなどと、
大多数が共感できない、古臭い倫理を振り回されては迷惑なんだよ。
そんな馬鹿馬鹿しいことのために、
町を破壊され、生命を奪われるのは、迷惑を通り越して犯罪。
領民によって墓を破壊されたのは、領民に支持されていなかった明白な証明。
共感や支持を集めていたら、敗死しても尊敬され崇拝される、そゆうものだ。

まあ、河井にあんまり能力や魅力がなかったので、追随者や賛同者が少なくて、
簡単に敗北、戦争が小規模で収まったのは、不幸中の幸い。
日本中から支持者が集まるような、英雄でなくて、よかったよかった。
410日本@名無史さん:03/08/10 22:33
河井よりもクーデターを起こす気もなく薩長に寝返った
門閥の稲垣メンバーの方が最低だ!!
411 :03/08/11 01:53
戊辰当時はまだ長岡ではなかったが、
昭和の大合併などで長岡市に組み込まれた土地の者です。

ココは、長岡攻撃の際には政府軍の拠点となり、現在でも本陣とした場所や、
公家さんの宿舎などが残っているけど、個人所有の民家だったりして
地元でも知る人は極少数と思われます。(当然それらしい看板などなく
観光ガイドなどで見かけることはないです。)
いつか日の目を見る時が来るんでしょうか・・・。

・・・河井は好きです。
412日本@名無史さん:03/08/11 02:43

地元でも、なかったことにしたい歴史なんだろう。
413日本@名無史さん:03/08/11 09:51
>>411
関原の人ですか?
414日本@名無史さん:03/08/11 13:45
河井家の家紋って何?
415日本@名無史さん:03/08/11 14:52
何時の時代でも支配者層が嫌われるのは当たり前
好かれた支配者なぞいない。歴史的評価にあてはまない
416日本@名無史さん:03/08/11 15:00
敗軍の将やしな
417日本@名無史さん:03/08/12 20:25
負け犬だしなあ。
418日本@名無史さん:03/08/13 14:48
どうでもいいが「負け犬」って言うのに「勝ち犬」って言わないな。
419日本@名無史さん:03/08/13 20:05
喧嘩に負けた犬の、みじめっぽさが笑えるからだよ。
420山崎 渉:03/08/15 13:11
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
421日本@名無史さん:03/08/15 16:22
揚げ
422日本@名無史さん:03/08/16 00:51
命日age
423日本@名無史さん:03/08/16 11:02
え?!今日命日なの?
424日本@名無史さん:03/08/22 01:15

河井は負け犬って結論で終了ました。
425日本@名無史さん:03/08/22 19:40
まだまだじゃ〜〜〜〜〜〜〜
426c:03/08/22 19:40
毎回期待を裏切らないこのシリーズ。
今回の出演は女子高生で何とパイパン女です。
何故マン毛がないだけでこんなにいやらしくなるのでしょう。
ツルマンのドアップ映像は売るほどあり、超大満足間違いなし。
アナルにも指を入れられますがまんざらではないようでよがり始めます。
多少画像は荒れ気味ですが内容からすると文句なしの作品です。
完全素人!!無料動画を即ゲット。
http://members.j-girlmovie.com/main.html
427日本@名無史さん:03/08/22 20:34
元祖・ガンおたく
428日本@名無史さん:03/08/23 20:19
│長岡藩ガトリング砲の威力うけてみよ!
 \__ ____________/
      ∨  薩摩長州史ね
   Λ_Λ ドルルルルルルルルル!!!!!            ∧_∧∩
   ( ´∀`)___。  \从/      _ _  _  ⊂(゚д゚*) |     _
  ミ(  つ【〔ロ=:(∈(二(@ > ‐― ‐  ― _ - ̄ )_ ̄/ ‐―
   人 ヽノ B ̄゛  /W'ヽ        ̄       /  /     ̄
  (__(__) B   、、、  ,,,
429日本@名無史さん:03/08/26 15:51
うひゃ〜
430世界@名無史さん☆:03/08/26 18:39
足撃たれるって壮絶・・・ガドリングに守りはないのかぁ??
431日本@名無史さん:03/08/30 05:08
足を撃たれたくらいで、ヘタレるくらいなら、
最初から危ないオモチャをもてあそぶでない!

腰抜けめが!
432日本@名無史さん:03/09/04 23:49
★★★★★★★★☆☆☆☆新潟県長岡市33☆☆☆☆☆★★★★★★★
http://203.192.159.251/bbs/read.pl?BBS=kousinetu&KEY=1062277712&LAST=50
433日本@名無史さん:03/09/05 16:09
ガトリングって欠陥兵器だったみたいだよ。
冷却機構ないし弾詰まり防止もない。
射撃位置が高くて防御面の配慮もない。...血税をそんなものに
434日本@名無史さん:03/09/06 04:18
我ら新撰組こそ勤皇の志士だ。

命を賭して聖都の奸賊どもを討ち、
武門の棟梁たる徳川家と共に天皇様を守護し、たてまつっている。

我らにたてつく奴どもこそ逆賊だ!!!
435日本@名無史さん:03/09/06 06:52
まさに乱世に咲いた一輪の仇花
436日本@名無史さん:03/09/06 07:04
只のホモ親父。
437日本@名無史さん:03/09/07 15:34
ホモ?
438日本@名無史さん:03/09/10 18:46
なんでホモなんだよぉ〜
439日本@名無史さん:03/09/10 20:32
河井継之助って、今風の官僚みたいな人だった。
出来るだけ自分を高く売りたい気持ち解らんでもないけど、
内戦で武装中立なんてなモノは存在しないし、最後は両方から
攻撃されてしまう。
  会津と薩長が街の郊外で小競り合いを始めているのに
なお、勝った方に、自分を高く買ってくれた方に付きたいと思いながら
右に左に動いては、最後はババを引くことに。
440日本@名無史さん:03/09/11 04:43

要するに、アフォーてことですな(w
441日本@名無史さん:03/09/13 03:07
んなこたあない
442日本@名無史さん:03/09/13 09:07
武装中立を実際できると考えていたのだろうか?
個人的には薩長の時勢と武士としての意地に挟まれていたのだと思う。
443日本@名無史さん:03/09/13 13:23
アフォの考えることはわからんよ
444日本@名無史さん:03/09/13 20:43
あんな小藩が薩長を苦しめたこと自体に感動する
庄内藩もいい線逝ってるが
445日本@名無史さん:03/09/16 21:30
ティンコがでかいからさ!
446日本@名無史さん:03/09/19 14:41
桑名藩松平越中守様の飛地、柏崎も参戦します。

鯨波で薩長のバカどもを迎撃します。
447日本@名無史さん:03/09/19 20:17
名藩松平越中守様 だってよ。
アフォーのオナニー見ているのも、楽しくて笑えまつね。
448日本@名無史さん:03/09/19 20:22
 アフォというより、自信家なんだろうね。ジコチューと言いたくなるほど
強烈な自信家。
449日本@名無史さん:03/09/19 20:22
>>448
お前も含めてな
450日本@名無史さん:03/09/19 21:26
自分のオナニーを第三者として見てみたい気はするが、
他人(♂)のオナニーを見てみたいとは一切思えねぇな。
451日本@名無史さん:03/09/19 21:34
鯨波の戦闘は桑名軍が勝った。
452日本@名無史さん:03/09/27 17:51
ほしゅ
453名無し募集中。。。:03/09/28 18:49
キタ━━━(^▽^)━( ^▽)━(  ^)━(  ;)━(^  )━(▽^ )━(^▽^)━━━シナイヨ!!!!!
454小四郎:03/09/28 18:54
会津で敗れた諸生と長岡の輩が水戸まで攻め寄せ、遺棄死体200余を出し敗走した。
455日本@名無史さん:03/09/28 23:48
連戦連勝の奇兵隊をやっつけたんだから戦争はやはり薩長より強かったんだろう
只いかんせん小藩で1000人足らずでは支えきれなかった
それと、同盟藩の会津や米沢の動きが鈍いのに足ひっぱられた。
会津の弱さと米沢の逃げ足の速さは犯罪的だな

それでも他はほとんど戦争になっていないのに長岡だけは互角に戦ったのは事実。
鬼玄蕃の庄内と隣接していたらもっとやれたかもしれないな。
456日本@名無史さん:03/09/29 01:20
朝日山緒戦の勝利は桑名藩の働きが多かったようだが。
会津藩のように、農民の義勇兵が組織されて藩内がまとまっていれば、
もっと強かったと思うよ。なんせ杉謙信の古志衆の中核地域だから。

ただ、その上杉時代のまとまりの良さが仇になって在地性の全くない牧野が領地替えで
きたわけだが、高校レベルの年表に長岡藩内の強訴・打ち壊しが頻繁に見えるのは、
牧野が幕藩体制の忠実な実行者であって、地縁を結び領民を理解して徳政をひくよ
うな領主では無かったと言うことだろう。

地元でいまいち、河井の評価がぱっとしないのは、峠の最後にも解説があったと思うが
時代の変わり目にあって、最後まで幕藩体制と言う枠内の武士階級の代弁者であり、
敗走する城下に火を放ったのはまだしも、八丁沖渡河のさい周辺農村部でおよそ組織
された兵隊にあるまじき狼藉を働いたことが原因となっている。

457日本@名無史さん:03/09/30 04:59
>>およそ組織された兵隊にあるまじき狼藉を働いた

指揮官が、アフォーで、ホモで、負け犬の、チンカス野郎だったんだろうなあ。
その指揮官の名は、河井…(ry
458日本@名無史さん:03/09/30 13:43
河井継之助のお墓実際に見た人または、其の写真を見たことのある人は
解ると思うが、長岡の人達が河井の事をどう思っていたのか一目瞭然だと
思う。
459日本@名無史さん:03/09/30 19:23
>>1 は、是非その墓を見に行くべきだな(w
460日本@名無史さん:03/10/01 13:11
>>458
観光資源なのだからそんなことがるわけは無い。
地元で河井についてはいろいろ意見はあるが、
いまだに恨みに思っている人間などいるわけがない。

いろいろな問題を差し引いても、河井があの時代に
傑出した人物だったことに変わりは無いと思う。
その問題の多くは、牧野の統治に起因しているもので、
河井一人の問題ではないし。
461日本@名無史さん:03/10/01 15:07
>10
てめえ朝鮮労働党日本支部の人?

>12
それって薩長軍にも言えるのでは。
462日本@名無史さん:03/10/05 15:16
>>460
>>いろいろな問題を差し引いても、河井があの時代に
>>傑出した人物だったことに変わりは無いと思う。

いろいろを差し引いてみたら、

チンカスしか残りません。 (笑
463日本@名無史さん:03/10/15 22:53
まぁ、「塵壷」だしね。
464日本@名無史さん:03/10/15 23:38
男には、まして武士には、
負けると判っていても
闘わなければならない時があるのさ。

それが判らん奴は、しょせん百姓。
465日本@名無史さん:03/10/16 12:40
今の現代社会では考えられないが、当時武士はいかに綺麗に死ぬかを考えていた、面目や意地をつらぬきとうしていかに後世にたたえられるか、そのことだけを思っていたのでは。
466日本@名無史さん:03/10/16 14:03
これらの古語を訳しなさい

ぼんこ
べと
てぼ
ぐぁた
くぁんじん
467日本@名無史さん:03/10/17 05:17
ちょんぼ
468日本@名無史さん:03/10/17 05:56
ぼんこ=466
べと=466
てぼ=466
ぐぁた=466
くぁんじん=466

466=いたか=ささら
469日本@名無史さん:03/11/03 12:10
その通り。
470日本@名無史さん:03/11/04 19:06
乙!
471日本@名無史さん:03/11/09 06:25
あげ
472日本@名無史さん:03/11/10 10:45
城下に放火とか敗走中略奪(まぁ食い物ないしね。接収)とか
いかにも武士至上主義で
473日本@名無史さん:03/11/29 18:18
司馬も短編の「英雄児」では、長岡藩の戊辰戦争における負の側面を書いているようだ。
士農工商の崩壊を日本で誰よりも早く予測していたにもかかわらず、何故最後まで武士や藩の面子
にこだわったのか理解できない。
たかだか数千の武士だけで藩の武装中立が実現出来ると本気で考えていたのだろうか。
会津では農民志願兵が武士の正規軍より奮戦したのは有名な話だ。

長岡藩の負の側面は河井の責任もあるが、長岡藩の代々の苛政に起因している。
474日本@名無史さん:03/12/01 11:42
>>473
まあ、河井のそういう夢想的なところ、現実離れしたヒロイックな志向を、
司馬は陽明学の影響と見ているわけだけどな。

果たして、内面はどうだったかというのは、計り知れないよなあ…。

ただ、河井もその辺の限界を感じ取ってはいたんではないかな。
戦争をあくまでも武士だけでやろうとしているようだし。
市街地が焼けちまったり、北部国境の戦闘でも戦災を生じさせて
民政に大きく影響を出してしまったのは、大失敗だろうがね。
475河井:03/12/01 12:55
城下を囲んで撃って撃って撃ちまくれ!!!!!








領民なんか人間じゃないからいくら殺したってかまわんぞ!!!!!!!!!!!
476日本@名無史さん:03/12/27 22:01
河井がいなくても会津の圧力or武力で同盟側に入れられて西軍と敵対。
結果は大して変わらなかったんじゃないかと。
477あぼーん:あぼーん
あぼーん
478日本@名無史さん:04/01/21 22:10
age
479日本@名無史さん:04/01/23 18:51
河井が大河ドラマの主人公となったら、
長岡人は昔から河井マンセーだったような顔をして誉め称えるはず。
そういう土地柄なんだよ。
480日本@名無史さん:04/01/24 17:57
>>479
長岡は危険な土地だな。
河井、山本五十六、角栄。
犯罪、もしくは日本にとって負の遺産を作り出す達人の産みどころ。
そんな、己の立身出世、地元の利益しか考えない英雄を輩出する土地の民は、選挙権を剥奪して、しかるべし。
481日本@名無史さん:04/01/26 15:25
>>479
お前、何にも知らんのな。
NHKの大河ドラマ「花神」は、「花神」+「峠」ということでドラマ化されている。
全く半分とはいかんが、かなりの部分が「峠」。
河井マンセー基調はその当時はあったよ(当時、長岡在住)。
でも、すぐに小林マンセーに戻るのが、あそこの土地柄。
482日本@名無史さん:04/02/02 16:49
峠!
483日本@名無史さん:04/02/28 02:52
age
484日本@名無史さん:04/02/28 03:09
そもそも、一人で何でもしようという所に、日本では受け付けられない歪がある。
研究だけで済めばよかったが、それが藩の政治に機能したことに河井の難しさがある。
485日本@名無史さん:04/03/01 13:48
栃尾市出身の実業家、外山脩造(一九一六年死去)はニューヨークの公園で見た電気鉄道の模型に強い感動を覚えたと伝えられる。
日銀の初代大阪支店長を辞した後の商工業視察での体験だ。
百十年以上も前の話である
▼「これこそ日本の交通の主流とするべき」。そう心に決めた脩造は帰国して阪神電気鉄道を興す。十八年ぶりにリーグ優勝を決めた阪神タイガースの親会社である。一八九九年から六年間、初代社長を務めた。阪神グループの礎を築いた一人といえる
▼社史が脩造のリーダーシップをたたえている。「実験段階の電気鉄道を日本に持ち込み、実現を図ろうとする進取の精神は注目される」。
葬儀の日、弔意を表すために社員がすべての電車を止めたという語り草も残っている。
幼名を「寅太」といい、もともと猛虎とは縁があったのかもしれない
486日本@名無史さん:04/03/01 13:54
▼「外山脩造伝」を著した郷土史家の深滝純一さんによると、
士魂の実業家でもあった。長岡藩家老河井継之助の知遇を得て、
戊辰戦争をともに戦った。継之助が会津で没する前
「時世は一変する。お前は商人(あきんど)になれ」
と諭されたという。
遺言通り、日本初の興信所や、現在のアサヒビール、
各種銀行の創立にもかかわった
487日本@名無史さん:04/03/01 14:01
長岡藩がせめて数十万石の大名家だったら
講和なり武装中立なりも可能だったのかな?・・・と思わなくもないのですが。

七万余石の小藩であそこまでやれたのはそれなりにすごいのかなと思います。

>>485-486
最近某新聞に紹介されてましたね
488日本@名無史さん:04/03/06 14:56
小林が正しいものなぁ・・・。
489日本@名無史さん:04/03/16 18:17
山本五十六の実父とは幼馴染だったのですね。
490日本@名無史さん:04/03/16 18:35
坂本竜馬にしても河合にして司馬が史実無視して持ち上げたもんだから
どうにもならない賛美者生んでしまった
なにしろ峠と英雄児だけ読んで河合は凄いって手合いが9割だからな
まぁ司馬が書かなかったら知名度ゼロだから
功罪相半ばしてるっちゃそうかもしれんが

維新回天の志士に匹敵する逸材だとか五百年に一人の軍事司令官だとか
でっちあげた司馬は気持ちよくてニヤニヤしてたろうが
真に受ける馬鹿あとたたないのは罪深い
491日本@名無史さん:04/03/16 19:32
外山が阪神で渋沢が京阪か・・・
旧幕臣も鉄道界では頑張ったんだな。
492490:04/03/16 19:32
× 旧幕臣
◎ 佐幕派
493日本@名無史さん:04/03/16 21:02
>>490
結局たいしたことない奴なん?
あと司馬って小説でしょ。史実とか関係あるの?
494日本@名無史さん:04/03/17 12:23
>>49
>阪神タイガースの「タイガース」は創始者の旧名が由来である。
>ついでに素プロテニスプレイヤーの松岡修造の「修造」も外山氏の名が由来である。

タイガースの由来は社員からの公募。
外山脩造氏とは関係ないらしい。
阪急の総帥小林一三も今西や片岡など歴代の阪神電鉄社長とは喧嘩してたみたいだけど
外山氏には一目おいてたんだな。
495日本@名無史さん:04/03/25 04:29
今日初めて日本史板に来た(fromニュー速
>>490
司馬遼が書くと島左近でも誰でも途端に魅力的になっちゃうからなぁ
俺も「峠」の河井に魅せられた一人です
尊敬はしないけどたまらなく魅力的な人物像
(領民にしてみれば「たまったもんじゃない」が)
でも、山本56が河井を敬慕していた、ってのは事実だったの?
496日本@名無史さん:04/04/01 21:52
事実だった
497日本@名無史さん:04/04/01 22:27
山本と河井って一発勝負好きだよな。んで負けるとこもいっしょだったり。
498日本@名無史さん:04/04/02 23:56
映画『米百俵』が完成して
長岡で試写会やった時、舞台挨拶の製作者に河井シンパの市民から
ガトリング砲の模型が送られたんだよな。
499日本@名無史さん:04/04/03 01:32
    ,>-、_       `ー、;;;;;;|::... `ヽ,
   /:::..{ ̄`ヽ,_ |      }_ノ ̄`、  ヽ
  ./:::...,ri   |::`~'  〕 _,,,-一!    :i   i
  {:::....{;;;\_ノ}    ´~|:.{ `、 i     :i   l
   !:...(_);;;;;;ノ.:i     |:r!、_ハi   ..::}  :i
  _}_::...`ー´、ノ     |:|;;;;ノ.:! i::.....:::ノ  :i
   `ー-、;;;ム     |0-'.::i ト--'´  ..::/
 ´"''~゙゛、、,r-一ー、   !、;;;;/ i ゙゛   ::ノ
      /:     'v´ ̄`ヽ 、L_;;;-ー´
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`|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`、;-、_;-´;;;;;;`i´ <ふもっふ
 !;;;;;;;;;;;;;;;;;;;へ;;};;;;;;`i;;;;;;;;;;;;;}\
500日本@名無史さん:04/04/03 04:48
500get
501日本@名無史さん:04/04/03 12:11
長岡藩にボンタくんとボンタくん量産型があれば・・・
502日本@名無史さん:04/04/15 23:44
長岡人ですが、今どき地元で河井継之助を悪く言う人はほとんどいないよ。
ましてや山本五十六は大英雄だし。角栄は少しはいるけど、ほれ、あのババア
がまだ当選できるぐらいだからシンパも大勢いるし・・・。ま、色々利権も絡んで
るんだろうけどw
長岡で河井を悪く言うのは、ほとんどよそもんの香具師だよ。
でも、先進的で強大な敵に対し、恭順せずに戦って負けて滅びたものはアホ
ですか。すると、開国した幕府に対し逆らって死んだ薩長の攘夷派志士なんて
ものはクズ同然ですな。ましてやその仲間で、勝って生き残って位人臣を極め
ながら、後進的な幕府の政策を引き継ぎ開国し、それに反対するかつての同志
である河上彦斎を無実の罪で殺し、農工商の隊で編成された奇兵隊を使い捨て
にした薩長閥なんかは、さしずめクソ虫同然。
まあ、「強大で先進的なアメリカ様」に、山本五十六が反対したにもかかわらず
に、戦争ふっかけて負けた薩長閥なんかは、とっくの昔にアホ確定してんだけど
ねw
503日本@名無史さん:04/04/18 19:08
司馬氏が書いたもの以外でよい書物はありますか?
東洋文庫の塵壺とかどうですか。
504日本@名無史さん:04/05/02 12:23
長岡城奪還後すかさず敵を追討して山縣をコロシておくべきだった。
505日本@名無史さん:04/05/02 12:41
>>504
長岡城奪回作戦行動中に負傷しなかったら追い討ちしたろうな。
あと、奥羽列藩同盟の連携がもっとしっかりしていたら勝機は
あったろう。ただし、局地的にはね。
506日本@名無史さん:04/05/02 12:43
>>503
旧長岡藩士今泉タクジロウの「河井継之助伝」
507日本@名無史さん:04/05/03 01:12
幕末に彩りを添えてくれたよ>河井継之助
歴史の神様がこういう人物を生むのかもね。
功罪はともかく、歴史の奥深さを感じるよ。
508日本@名無史さん:04/05/03 14:23
長岡藩士は・・・最終的に水戸の走狗となって
水戸藩士の内ゲバ戦が最終戦暦。

何の意味があるんだって最後で最終的に離脱した。
509日本@名無史さん:04/05/04 13:51
時勢を背負って向かってくる敵軍に対して敢然と反抗し、一時的に大打撃を与えた
っつう点では真田幸村にやや通ずるものがあるようにも思えるが。
河井の場合は地元に甚大な被害をもたらしたことがジモティの反発を永らく招く結果に
なってしまったなー。
510日本@名無史さん:04/05/05 16:06
そもそも明治政府ってクーデター政権なんじゃないのか?
511日本@名無史さん:04/05/13 22:06
もし加賀藩とかに生まれていたら
100万石なら正規兵2〜3万は動員できたはずだから
官軍の北陸侵攻部隊では勝てなかったとおもう
ましてや総督があの山形デスカラ・・・

歴史に「もし」は〜、とか言いますけど
こういうこと考えるのって楽しくありませんか?
512日本@名無史さん:04/05/14 21:30
>>493
「峠」は小説である以上、フィクションではある。
ただし、司馬は新聞記者上がりの書き手なので嘘は書かない。
きちんと取材をして事実に近いことを著してるよ。
限りなくノンフィクションに近いフィクションだと言っていい。
513日本@名無史さん:04/05/14 21:35
>>512
ワラタ
514日本@名無史さん:04/05/15 02:25
>>512
お〜ま〜え〜は〜あ〜ほ〜か〜
515日本@名無史さん:04/05/15 08:44
>>512
嘘だらけやん。
516日本@名無史さん:04/05/15 08:59
河井は郡奉行時代
おとり捜査をしてた。
遠山の金さんみたいだ。
517日本@名無史さん:04/05/15 14:44
>>515
どこが嘘なのか具体的に提示してくれ。
518日本@名無史さん:04/05/15 19:45
河井は自分の生き方・死に方を常に追究してたんだ。
519日本@名無史さん:04/05/15 22:32
>>513
>>514
>>515
どこが嘘でなにが事実かすら理解してないお前らに、司馬の「峠」や
河井継之助のことを批判する資格はない。このスレから出ていけや!
520日本@名無史さん:04/05/16 01:22
>>519
「峠」のことではないけど司馬遼の「幕末」に収録されている「花屋街の襲撃」は
誤りだらけだよ。彦六は新撰組など斬っちゃいない。
521日本@名無史さん:04/05/16 03:29
前から疑問に思っていたのですが
河井って結構女遊びをしていたのに
子供がいないのは種無しだったのですか?
それともどこかに隠し子がいたのですか?
522日本@名無史さん:04/05/16 08:40
>>520
後家鞘彦六(通天閣をつくった土居通夫)のこのころの経歴が不明なので、
司馬さんが創作したフィクションですね。

後家鞘彦六という名前は本当なのかな?
523日本@名無史さん:04/05/16 10:16
>>522
大塚万之助→松村保太郎(5歳)→松村彦六(17歳)→土肥真一郎→土居通夫

後家鞘彦六は土肥真一郎のときだね
524日本@名無史さん:04/05/16 18:22
河井の生き方は理解しがたい面がある。
なぜ崩壊した幕府側についたのか?
陽明学を学んでそう決心したのか?
525日本@名無史さん:04/05/16 21:06
河井は動乱期に長岡藩の独立化を図ろうとし、規模は小なりといえども富国強兵を推進し、
日本最高水準の洋式部隊を組織するまでに至るのだが、所詮は7万石の小藩。
せいぜい2〜3000人の兵力では官軍には相手にされず、
かといって会津藩と戦うつもりも無く、
結局は官軍を迎え撃つことになったのであります。
526日本@名無史さん:04/05/16 21:09
当初、官軍の北陸派遣部隊は長岡の状況と、
河井継之助という人物を知らず、一捻りで粉砕して
後に控える会津と雌雄を決するつもりだったのだが、長岡藩の抵抗凄まじく
「太政官政府はこのまま倒れるのではないか?」
と、横浜の各国要人たちが危ぶんだほどの負けっぷりを呈するのです。
527日本@名無史さん:04/05/16 21:12
最初は優勢だった長岡藩だが、結局は官軍の人海戦術と
長岡藩と同等の洋式装備を施した長州奇兵隊の戦線参加により、
長岡は落城、一度は取り返すも河井は負傷し、会津への退却中に死亡。
528日本@名無史さん:04/05/16 21:19
できれば戦争は避けたい、しかし避けられない戦いならば、
それが勝つ見込のない戦であったとしても、死力を尽くして戦う。

かつて上杉謙信の領国であった長岡藩の藩風、陽明学、江戸300年の間に培われた武士道倫理、
あるいは河井自身の思想、そういったものが総合して導き出したのが
この結果なのではないでしょうか。
529日本@名無史さん:04/05/16 21:25
ちなみに、このときの河井と、おそらく同じ気持ちであったのが、
河井を終世尊敬した海軍大将山本五十六。

アメリカへ留学経験のある山本は、
アメリカと戦っても勝てる見込の無いことを知りながらも、
「それが日本帝国の生きる道であるならば、
小国なりの戦い方で、アメリカに一矢報いるてやろう。」

何かで読んだ山本大将の心情
大体そんな感じだったと思います・・・
どこか、通じるところがあると思いませんか?
530日本@名無史さん:04/05/16 21:33
>>529
ついて行かされる人間はえらい迷惑だけどな
毛沢東の政策で餓死した中国人みたいなもんだ
531日本@名無史さん:04/05/16 22:06
>何かで読んだ山本大将の心情

┐(エー`)┌
532日本@名無史さん:04/05/17 01:11
レイプされたんですか? 長岡藩士の妻や若い娘は。

 武士の妻・娘萌え〜
533日本@名無史さん:04/05/17 02:17
>>529
日本人として言わせてもらうと
>「それが日本帝国の生きる道であるならば、
>小国なりの戦い方で、アメリカに一矢報いるてやろう。」
スゲエ迷惑だわ。その心情とやら。
せめて、幕末の長州の大村・高杉、日露の山本権・児玉のように
最低でも勝ちにもっていく心情じゃないと嫌だよ。

長岡市民の気持ちがわかるよ。
534日本@名無史さん:04/05/17 18:48
長岡市民は河井のことは何とも思ってないよ。
昔は恨みがあったようだが、今でも覚えてる人なんかいない。

ただね、いくら戦上手で時代を読んでいたかもしれないけれど、
結果的にはばりばりの佐幕派だったことには変わりない。
たかだか数千の武士階級だけで武装独立を本気で考えていたとしたら
狂人の部類だろう。

河井の悪評は、幕藩体制下の牧野の苛政に遠因があると思う。
牧野は徳川の忠実な執行人であり、徳政をするために長岡に来たわけではなく、
むしろ、放っておけば昔からまとまりがよく、何をするか分からない地域を
分断・疲弊させるために派遣されたと考えた方がいい。
535日本@名無史さん:04/05/17 20:33
官軍の総司令官山県狂介は将来新政府で邪魔になる人間を片っ端から抹殺した。
河井しかり、小栗しかり、土方しかり・・・
そんな中フランス留学中だった渋沢が生き残れたのは奇跡に近い。
536日本@名無史さん:04/05/17 20:38
河井は長岡藩をスイスにしたかったのか?
537日本@名無史さん:04/05/17 20:55
さすが山縣先生じゃ
538525-529:04/05/17 21:24
ごめん、最後ちょっと余計なこと書いた。

でも言わせてもらうと、
山本自身も大本営の決定に反対する気持ちはあったが、
それ以上に故郷を大事に思う気持ちが強かった思うのです。
勝てないまでも、先手必勝の奇襲作戦でアメリカの戦意を挫き、
早々に講和に持ち込む・・・。
無論、失敗すれば一般市民が迷惑を被るのは言わずもがなですが、
職業兵に限っていえば、開戦直後は嫌がるやつは居なかったそうです。祖父の談。

河井の場合も、長岡藩士として藩主・牧野家の存続を第一に考え、
東西どちらにも属さず中立し、中立を維持するために
兵寡少なりといえども、官軍に負けない洋式装備を施し
中立が認められないならそれを勝ち取るために取った行動の結果が北陸戦争。
江戸期に成立した一般的なイメージの武士道がこれ。

こういう武士道的倫理や愛国などの思想を無視しては、
維新志士や特攻隊員の行動を理解することはできませんが、
幸か不幸か、これらはアメリカの占領政策のせいで失われつつあります。

長々と失礼
539日本@名無史さん:04/05/17 21:51
>>538
勝手な感情移入しすぎw
540日本@名無史さん:04/05/17 23:40
榎本艦隊が新潟に来ていたら長岡藩が勝った可能性はあったはずだ。
日本海の制海権を押さえ薩長の進軍を絶ち
しかも奥羽越列藩同盟軍の補給を円滑に行えたはずである。
河井先生もそれを見越して開戦したわけだと思う。
だから無謀な開戦ではないのだ。
541日本@名無史さん:04/05/18 01:02
こう言っちゃ何だが河井がこんな目にあったのも慶喜の優柔不断にあったんだな。
542日本@名無史さん:04/05/18 07:03
上杉謙信→河井継之助→山本五十六
543日本@名無史さん:04/05/18 12:56
河井が言うには

「銭相場は新潟相場と江戸相場は随分違う。
金一両にして銭三貫文違う。」
一貫は一両の4分の1。

新潟相場  江戸相場 
1.25両=1両

こう言う計算かな?

544日本@名無史さん:04/05/18 14:00
>>542
同じ越後でも謙信のいた上越と長岡では全く異なる
上越は戊辰の折には政府軍に味方している。
545日本@名無史さん:04/05/18 14:06
渋沢は元々尊攘派だったのに対し、土方・小栗などは最初から幕権派だった。
渋沢は攘夷派に人脈を持っていたが土方・小栗にはそれがなかったのが待遇の差になったのかもしれない。
546日本@名無史さん:04/05/18 22:46
>>543
スルーされてるなw
誰か相手にしてあげなよ
547日本@名無史さん:04/05/19 00:08
>543
今でもこうやって簡単に儲けられたらいいのに。
548日本@名無史さん:04/05/19 00:35
>>544
謙信というより、御館の乱で勝利した
景勝の影響のほうが大きいだろう。
最終的に上中下越を掌握したのだから、
会津封入前は県下は同じ条件だったはずだ。

549日本@名無史さん:04/05/19 23:22
河井は孤軍奮闘。
よくがんばったよ。
550日本@名無史さん:04/05/20 00:48
ちょっと前の非指定対指定の抗争レベル。
こういうのカコイイ!的なDQNの英雄。
越後、草莽隊北辰隊等最強装備。単に今も昔も裏日本の窓口。
大藩にいても地の理が無けりゃ凡人。
551日本@名無史さん:04/05/23 22:54
川越藩士河井継之助だったらどうだったのだろう。
552日本@名無史さん:04/06/02 18:28
ヘタレはどこに生まれてもヘタレ
553日本@名無史さん:04/06/04 00:03
薩長に恐れて逃げた稲垣メンバーよりまし。
554日本@名無史さん:04/06/04 12:11
>>553
尊皇非戦派の藩校教授達は戦死者も出している様だが。
いずれにしても、藩の武士階級のことしか考えていないことは同じ。
同じ談判するにも町民のことも考えた勝海舟の江戸開城とはレベルが違う。
555日本@名無史さん:04/06/07 22:04
今年の大河ドラマへの出番は無いの?
このまえ「花神」のビデオ見たけど、最後のほうは河合特集みたいだったな。
新撰組は北越戦争で戦わなかったの?
556日本@名無史さん:04/06/08 02:10

土方が宇都宮で負傷してなかったら来ていたかも・・・
557日本@名無史さん:04/06/09 19:44
土方&河井ってすごいのかそうでないのか分からないコンビになりそうだ。
558日本@名無史さん:04/06/12 00:31
たった一人の存在だけでこれだけの歴史になるんだから
河井ってすごいな!!
559日本@名無史さん:04/06/12 00:40
土方&河井&立見 これ最強!!
560日本@名無史さん:04/06/12 00:56
やっぱり土方&河井&立見&小栗でしょう
561日本@名無史さん:04/06/12 01:20
小栗>>>河井>立見>>>土方
562日本@名無史さん:04/06/12 01:46
佐川官兵衛をお忘れなく!!
563日本@名無史さん:04/06/12 02:31
佐川・山川は山本帯刀クラス
564日本@名無史さん:04/06/12 11:34
>>563
クラスというのは何を基準にしてるの?(何のクラス?)
私は河井も佐川も同じ家老で片や長岡の軍時責任者、片や会津の軍時責任者(いづれも戊辰時)
という意味で「お忘れなく」としたのだが、>>563是非とも教えていただきたい。
長岡藩が奥羽列藩同盟に加わったのも佐川の力に拠る所が大きいし、北越戦にも
参戦している、そこら辺はどう考えてるの?
565マス大村:04/06/12 18:00
佐川・立見・山本は指揮官クラスでは有能であります。
566日本@名無史さん:04/07/17 14:57
薩長の姦賊、暴威を逞うし、幼沖の天子を欺奉り、
私意を縦にし、不正の乱を起し、万民を塗炭に苦しめ…
今に於て決せずんば国内の形勢、困難に至るべし。
不倶戴天の難敵眼前に至り、直ちに賊軍を追討し、
御城下を回復し、両者を奉迎し、万民の塗炭を救うの外、
吾輩今日の勤め他事これなく候。

河井継之助
567日本@名無史さん:04/07/17 21:39
藩主と前藩主の遁走ぶりが「見事」だった。
568日本@名無史さん:04/07/18 01:33
小千谷会談の時点で河井を勾留していれば北越戦争は避けられたはずだった。
569日本@名無史さん:04/07/18 01:46
何の志士なんだ
570日本@名無史さん:04/08/10 15:27
AGE
571日本@名無史さん
英雄