明治維新とは一体なんだったのか?2

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952日本@名無史さん:04/05/08 20:06
>>950
そんな三度の飯より明治維新が好きそうな会があるんだw
953日本@名無史さん:04/05/08 20:48
>>948
そもそも欧米は日本を軍事力に植民地化しようとする意図がなかったんだよ。
倒幕派は、いたずらに列強の脅威を煽ったあげく、
自分が英国の走狗となって内乱を起こしたんだけど、
もし英国が日本を植民地化するならばこの維新の混乱が絶好のチャンスだった。
維新後の薩長が英米にたいして卑屈な植民地奴隷として振る舞ったことを、
日本人は恥と思わなければならない。
954日本@名無史さん:04/05/08 21:05
>>953
自分の文章が矛盾だらけなのに気づけないほどのお馬鹿さんですか?
955日本@名無史さん:04/05/08 21:10
チョンに矛盾の概念を理解する事は不可能だよ。
インド大反乱や阿片戦争の意味も分からないから、
明治維新の価値も理解できないのだろう。
956日本@名無史さん:04/05/08 21:42
>>953
英国が国際社会で初めて対等同盟を結んだ国は明治日本ですが。なにか?
957日本@名無史さん:04/05/08 21:46
>>952
知らないのか、結構有名だぞ。
958日本@名無史さん:04/05/08 21:48
1943年に英国は蒋介石の国民政府に租界の返還と治外法権の撤廃を認めている。
959日本@名無史さん:04/05/08 21:56
>>928
お前が逆だってw
津藩や淀藩が裏切って、勝ち目が無くなったから慶喜が逃げたんだろ。
鳥羽伏見の戦いが起こる前から、慶喜が江戸に逃げたとほざくアフォw。
960日本@名無史さん:04/05/08 21:57
どっちかつーと反革命だな明治維新は。
961日本@名無史さん:04/05/08 22:01
水戸藩は裏切ったというか、慶喜ほったらかしてさっさと市川らの討伐の為に東帰した。
962日本@名無史さん:04/05/08 22:05
民主主義者は愚民なので、明治維新を革命か反革命かなどと的外れな解釈に結び付けたがる。
維新は維新であって、革命でも反革命でもない改革なのだよ、
愚民ども。
963日本@名無史さん:04/05/08 22:06
王政復古。時代を逆行させる反動だね。
維新当初の薩長は国家神道体制の構築に夢中になってて、
殖産興業や富国強兵なんて意識はまるで無かった。
福沢諭吉のような旧幕府側の知識人が大隈や井上等を指導して、
なんとか近代的な中央政府をつくることができた。
964日本@名無史さん:04/05/08 22:06
世界史的にいえば。
「日本国は王朝連合国家から、王朝統一国家になった。」でしょ。
965日本@名無史さん:04/05/08 22:09
世界史的にいえば。
「日本国は欧州の諸王連合国家の連合に先立て統一国家を作った。」かな。
966日本@名無史さん:04/05/08 22:10
横井や西のような幕府とか薩長といったしがらみに囚われないで仕事ができる人材を
活用できる政府が日本という国家には必要だった。
967日本@名無史さん:04/05/08 22:11
>>964
神聖ローマ帝国→ドイツ連邦→ドイツ帝国の流れに似とるね。
968日本@名無史さん:04/05/08 22:13
幕府の公武合体路線の延長で近代化を進めても、
大枠では明治国家と似た国家になってただろうね。
異なるのは天皇の位置づけと、
チョソと日本人の融合政策を行うか否かかな。
969日本@名無史さん:04/05/08 22:14
どうして王政復古が時代に逆行した事になるのか答えてみろ。
民主化こそ原始への退化ではないか。
970日本@名無史さん:04/05/08 22:18
>>969
(´ _ゝ`)フーン
971日本@名無史さん:04/05/08 22:20
三十年戦争以後の神聖ローマ帝国は国家の体をなしていません。
ウィーン会議後のドイツ連邦も諸君主国の寄合的なものです。
同時期の幕藩制国家と比較するのは、かなり乱暴かと。

国家の統一度の強弱でいえば、こうなのでは?
ドイツ帝国>幕藩制国家>>>(壁)>>>神聖ローマ帝国・ドイツ連邦
972日本@名無史さん:04/05/08 22:21
>>968
長州の反乱も沈められない幕府には纏め役は難しい。
973日本@名無史さん:04/05/08 22:21
天皇を中心とした国家を目指そうと言い出したのは他でもない慶喜の実家水戸なんだが・・・
天皇神格化は確かに達成されたし、廃仏毀釈も全国規模で行われた。
黄泉の烈公もご満悦かもしれない。
974日本@名無史さん:04/05/08 22:22
国内ではお寺や神社をブチ壊し、
海外では岩倉使節団が日本政府のノータリンぶりを晒して回ってたんだから、
明治政府の中核部分がろくなもんじゃなかったってことは事実。
幕府時代の官僚組織と人材が温存されてたことが日本にとって幸いだった。
975日本@名無史さん:04/05/08 22:27
政策決定の全てを多数決に委ねる民主主義は、
人類が万物の霊長たる所以である筈の知性そのものに反逆する愚民独裁体制に他ならないのだよ。
976日本@名無史さん:04/05/08 22:28
幕府が倒れたお陰で出て来たともいえるわけだし、
幕府に人材の温存などという概念があったいうには
人材を潰し捲くりだったし。
977日本@名無史さん:04/05/08 22:30
>>974
その官僚たちが何をするにも賄賂を要求してた事しらんだろ。
幕府の官僚組織なんて腐り果ててるんだよ。
芸州公など記録で愚痴をたれてんぞw。
幕府の人材で使い物になったのは蘭学関係を専門にしていた一部の幕臣のみ。
しかも、その幕臣は先祖代々のご家人ではなく能力で登用された勝海舟らだけ。
978日本@名無史さん:04/05/08 22:33
尚歯会を弾圧した時点で、幕府は単なる改革への抵抗勢力と変わらない事を示した。
倒幕は必然。
979日本@名無史さん:04/05/08 22:34
>>976
てか幕府は人材の宝庫。
キラ星のごとき人材がいくらでもいる。
逆に倒幕派には高度な見識を持った人材が皆無。
船中八策を書いた龍馬を持ち上げるのが関の山だろ。
980日本@名無史さん:04/05/08 22:35
>>977
どうでもいいけど勝は無能だよ。
981日本@名無史さん:04/05/08 22:36
979はネタですよね、もしくは薩長の自作自演。
982日本@名無史さん:04/05/08 22:38
幕臣が人材の宝庫なら、長州軍5000名くらい捻りつぶせよな
983日本@名無史さん:04/05/08 22:39
見定める方向は幕府も薩長も同一だったろう。
984日本@名無史さん:04/05/08 22:40
維新が有能な人材の幕府による圧殺から救ったのかもしれない。
985日本@名無史さん:04/05/08 22:42
>>980
勝は色々やっとるよ。あんたがしらんだけで。
986日本@名無史さん:04/05/08 22:44
>>985
で、あんたは何を知っているの?
987日本@名無史さん:04/05/08 22:46
人材があったが、活用できなかったって事か、やっぱ薩長による維新が必要だな。
人材を活用できる体制こそ必要だ。
988日本@名無史さん:04/05/08 22:49
幕府が外様とかなんだとか難癖をつけずに人材を登用できるように改新するとかできれば別に幕府であっても可能だと思うが。
989日本@名無史さん:04/05/08 22:51
>>988
外様や朝廷はヴァカだらけでまともな人材がいないんだよ。
小栗や川路に匹敵する人材がいたらあげてみろ。
990日本@名無史さん:04/05/08 22:53
>>987
いいねぇ、そういう自意識過剰的な思い込み。現代日本もそんな感じ。
良い人材は沢山いるが、企業に飼い殺し状態。皆、生き残る(勝ち組)
になるのに必死だもんな>スレ違いかな、スマソ。
991日本@名無史さん:04/05/08 22:54
小栗や川路のどこが傑物なんだ。木戸や大久保の足元にも及ばない小物じゃないか。
いや伊藤や大隈にも劣る。
992日本@名無史さん:04/05/08 22:56
次スレはいらないかな。
993日本@名無史さん:04/05/08 22:56
フランスと通じ莫大な借款をし、さらにまた返せる当てもない借款を結ぼうと企んだ小栗。
人材とかいう以前に、日本を亡国の淵に叩きこんだアホですな。
994日本@名無史さん:04/05/08 22:57
>>991
はいはい。伊藤博文は大物でちゅー。
995日本@名無史さん:04/05/08 22:58
極端に言えば大村を陸軍奉行だとか橋本を側用人に登用できるほどの度量が幕府にあれば維新は幕府というか、
この幕府の革新派が握っただろう。
996日本@名無史さん:04/05/08 22:59
>>991
小栗なんかを、日本屈指の名宰相である伊藤と並べないでくれ。
997日本@名無史さん:04/05/08 23:02
>>993
フランスからの借款は横須賀製鉄所を担保とするプロジェクトファイナンスで、
純然たる経済行為。現に借金を引き継いだ明治政府も完済できてる。
こうしたことは日本に産業資本を根付かせるためには不可欠だったんだよ。
ちなみに北海道を担保にしたというのは勝がながしたネタ。
998日本@名無史さん:04/05/08 23:02
薩長藩閥政府は権力基盤が極めて不安定だったため、
民権派などに譲歩せざるを得なかった。
それゆえ明治時代は元勲にとっては全然理想的な状況ではなかった。
帝国憲法義解などを読むと、伊藤は民主主義の実現ではなく、
臣民に与えた権利を自在に剥奪できる体制を構築することに細心の注意を払っている。
国家総動員法や治安維持法によって立憲主義的要素の封殺が完了した昭和の戦時体制こそ、
明治の元勲が夢見た理想国家だっだといえる。
ちなみに明治の元勲の理想が現在でも純粋な形態で息づいてる国は、
もちろん北朝鮮である。
999日本@名無史さん:04/05/08 23:03
1000
1000日本@名無史さん:04/05/08 23:03
>>994
大物というか、比べるべきではなかろう。
小栗ごときとは格が違う。
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