はあーい、新宮寺さくらでございます。
大正時代全般について語るスレを立てました。
政治、軍事、文化について、なんでも語ってください。
間違っても、某ゲームのFCのことでは、ございません
ことよ。
ちなみに、私は、同人厨房女です。
山本権兵衛
妹に恋愛感情を抱くことと、妹とセックスすることって、
まるで違うことだと思うのだが。
妹になんて発情しないと言ってる連中は、おおむね
恋愛感情を抱けないというニュアンスが強いような
気がする。
たとえ大恋愛の末に結婚した夫婦でも、数年一緒に
暮らせば恋情はなくなる。
でも、セックスはし続ける人も多いわけでしょう。
妹になんて発情しないと言ってる人たちは、
いざ妹とセックスに及んでも、勃たない自信があるのでしょうか?
当然、妹が自分に(密かに)欲情している、ということが
前提としてある。
ラブホの書き込みなんか、かなヤバあり。
兄貴とやってイッちまった妹のとか。「また来るね〜」とか。
妹にムラムラはあり得るが母親には間違ってもありえん
そういう事を考えるのもはばかりたい
母の女子高生時代の写真にドキドキしました
欲情はしなかったが
しかし俺的に考えると、男は本能的に
長期間特定の女と付き合ってると「飽きる」ものであるゆえ、大抵の男は
性的に成熟した頃には妹や母に対しては、他の女ほどの性的魅力を感じなく
なっているからだと思う。
つまり近親者との性交が「アブノーマル」という思いが一般的であることから
共同体の視線によってタブー化されたと。
何このスレ・・・・・・・?
/ヽ /ヽ
/ ヽ / ヽ
______ /U ヽ___/ ヽ
| ____ / U :::::::::::U:\
| | // ___ \ ::::::::::::::|
| | | | | U :::::::::::::|
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| | | ├―-┤ U.....:::::::::::::::::::/
| |____ ヽ .....:::::::::::::::::::::::<
└___/ ̄ ̄ :::::::::::::::::::::::::|
|\ | :::::::::::::::::::::::|
\ \ \___ ::::::
僕は高3。姉を我慢できず押し倒してしまいました。
23歳、美人でスタイル抜群、いつも優しい姉です。
ある日、家族が留守で義姉と二人きりの日、姉はミニスカートに薄いブラウス姿
で、ピンクのブラジャーが透けて見える格好。たまらず、ソファーに押し倒して
しまった。突然で驚いていたが、「健君、慌てないで、服を脱ぐから待って」と
僕が押し倒すのを予想してたような発言。「健君、私知ってるよ、私の下着で
エッチなことしてたでしょ」とビックリ発言、何も言えず頷いた。
義姉は下着姿になり、「健君も脱いで気持ちいいことしてあげるから」と言い
ズボンを脱がし、既に大きくなったペニスを取り出し「もう、こんなに大きくして
健君の大きいね」と言いながら口に含んだ。数分後口の中に射精し、「私も気持ちよくして
」と言われ、憧れの姉のオッパイ、そしてオマンコを念入りに舐め
遂に挿入、その日、夕方まで5回やれせてもらった。姉は今日、僕を誘惑する
計画でわざとセクシーな格好をしたらしい。その後も家族の目を盗んでSEXしている。
竹内久美子タンが社会生物学の観点から似たようなことを言ってたね。
遺伝子の繁殖戦略として男は同じ女と長くいると「飽きて」浮気を
したくなると。
結婚して年月が経つに連れ夫婦の性交渉の回数が減るのは一般的だか
らその考察は当たってるかも。
飽き云々というのは、タブーとは関係ないでしょ。
まあ、したいという本能があるからこそ禁止する、
というフロイト先生もどうかと思うけど。
飽きるからタブーと言ってるんじゃなくて、アブノーマルな性交が
共同体の視線によってタブー化されるということ。
だってそれだと長い間連れ添った夫婦のセクースが
タブーにならんのもおかしいじゃん。
共同体によってタブー視されるのと、そういった性交渉が
アブノーマルだと判断されるのとどっちが先なんだろう?
禁忌となるには何かしら、当人達のみならず周囲にまで
悪影響があったと考えなくちゃだよね。
・・・畸形くらいしか思いつかん。
だとしたら何が理由になると思う?
未開の地って言っちゃ何だけど、他のコロニーと隔絶されていて
外部との接触があまり無い地域では近親婚が慣習化されてるよね。
その集団自体かなり血縁度が高いだろうから遺伝云々はおいとくとしても
それでも姉と弟とか兄と妹とかは聞かない。創世神話は兄妹が多いのに。
なんでなんだろね?
だからレヴィ・ストは女性の一般交換の問題から考えたわけだけど。
もちろんこれは未開社会限定の話で。
ドゥルーズ=ガタリはそういう伝統的な慣習を、
資本の自己増殖と平行関係にある、
限りなく前を目指す近代的主体を確立するために、
資本の論理が利用したと考えた(のかな?うろ覚え)。
近親相姦で畸形が生まれるということ自体、フェイク。
ここは、日本史板だよな?
20 :
日本@名無史さん:03/05/04 14:20
みなちゃん。生物学・動物学の最近の研究を勉強ちまちょう。
こんなのは人流学・民俗学の問題ではありまちぇん。
一般に生物は、同じ場所の同じ環境の元で交配を続けた種は環境の大きな変化に対応できず絶滅しやすくなります。
環境と闘うための遺伝子の力が弱まるのですね。だもんで、生物はある程度以上に近親交配しないものが生き残ってきました。我々人間もその結果なんでちゅ。遺伝子的に多様性を維持したものが生き残って今に続いてきてる、と言い換えてもいいでちょお。
インブリーディングについては、あいつらはもう野生ぢゃなく、単なる人間の金儲けの家畜なので、ああいう可哀想なことをさせられてます。カワイイ可愛い、ペットの犬猫もいっちょでちゅ。
ま、カ○ワな生き物でカワイチョウなんでちゅ。
んで、人間も文明が進んで飼育されてるところでは家畜化傾向が見られ、ココロのカ○ワな人も多く見られまちゅもんね。
それ、館淳一の官能小説に書いてあった。
だから、1-2世代の近親相姦は
大丈夫だって。
一応でも、交差従姉妹婚が奨励
される部族ってあるわけでしょ。
ざっとこのスレ読んだが実際、まっとうな意見は生物学的見地に立っている
>>22くらい。
まああとはどこかででてた、劣性遺伝の畸形をかいひするためとか。
人の持つ生物的形質として、「近親者(幼少より環境を同じくする異性)」に対し、魅力を感じなくなるようになってる。
このことは生物行動学的にもかなり研究されてると思う。
もっとも、近親相姦のタブー自体は近親婚で畸形が多く生まれてしまったことに対して生じたと思うが。ここら辺は社会学の領域か?
いまの近親相姦制約って、ほぼ法律上のできごとなんだよね。
だから、親同士が再恋愛して、再婚する場合、
男=夫にも子持ち、女=妻にも子持ちの再婚例だと
たとえ血が繋がっていなくても、同籍なので、
その兄妹/姉弟は結婚できない。
んで、このねたがよく禁断の結ばれない愛として
よくドラマや小説でネタとして使われる
爆笑(てなわけでもないけど)
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アリストテレス先生が、自書の倫理学で
「男性に肛門を突き出す成人男性の欲望」を語っていたことが判明。
初めてオナニーした翌晩、ママは「今夜はタンシチューよ。大人の味
だけど大丈夫よね」と含みのある笑みを浮かべて言った。
動物での回避と人間での禁止という風に別けれるでしょ。
そうすると人間の文化的なことに根ざした事柄なんじゃないの
やっぱ親族とか社会の拡大の為には近親姦ダメーてなったんじゃないのかな
王族はそんな社会とは関係ないし、逆に自分たちの社会守るため
日夜妹たちとハァハァ
ところで近親結婚OKな宗教はゾロアス以外にある?
プト朝エジプトも宗教的にOKだたーの?
>近親結婚OKな宗教
アメリカの新興宗教に近親相姦以外を認めないのがあると聞いたことがある。
真偽は確かめてないけど。
あ、近親相姦じゃなくて近親婚か。まちがえた。
動物は本能によって近親相姦をしない、そうプログラムされてるわけでしょ。
逆になぜ人間にはその本能が備わっていないのか?
なぜ文化によっていちいち禁止しなければ「やってしまうのか」が問題かも。
人間だって生物なんだから、近親相姦が遺伝子的にまずいんだったら最初から本能で
できないようにしときゃいいのに。
動物だってやる時あるだろ。
「動物は本能によって近親相姦をしない、そうプログラムされてるわけでしょ。」
これは、本当ですか。例えば、マウスは、近親相姦をしないのですか。
「遺伝子的にまずいんだったら」
近親相姦以外で異常や奇形が生まれる頻度が1000分の1に対して
近親相姦では、1000分2ぐらいであると聞いたことがあります。
データもとを示せないのは、忘れてしまったからですが、2倍ですが、
頻度が少ないからこのことをもって、つまり、近親相姦は遺伝的にま
ずいからタブーになる理由にはならないと思います。
よくわからないんだな。
遺伝子中の悪い因子が濃くなって奇形児として出てくるんなら
よい因子も濃くなって、天才が生まれる可能性も高くなるんじゃないか?
「遺伝子中の悪い因子」とはなにを指しているのでしょうか。
メンデルの法則の優勢と劣勢は、発現しやすいか、しにくいかであった
のだと思います。
優勢と劣勢は、わかります。
とりあえず奇形児を生む因子を「悪い」と呼んでみました。
動物は、何をもって近親と判断するのだろうか?
例えば、日本の場合、兄弟姉妹、直系尊属・卑属間の婚姻は法律で
禁止されているが、
いとこ同士の場合、結婚は許されている。
ということは、日本の場合、いとこ同士は、近親相姦にあたらない
ことになる。
だが、動物の場合どうなのだろうか?
また、例えば、Xは、制度上AB夫妻(A:夫、B:妻)の間の子供であるが、
実は、CB間の子供(つまり、不倫の子)であり、
そのXがCD夫妻の子供Yと結婚することは、
日本の法律では可能であり(この場合、不倫の子供であること
はばれていない、ことを前提とする)、XYは近親相姦をしていると
思っていないが、実際には近親相姦をしている。
このような場合でも、近親相姦は禁止されているといえるのだろうか?
40 :
日本@名無史さん:03/05/09 15:37
41 :
日本@名無史さん:03/05/09 17:32
3レス目にして既に大正浪漫でなくなってるのにワロタ。
42 :
日本@名無史さん:03/05/11 16:43
連続誤爆だったんだろか? 近親相姦ネタ。
43 :
日本@名無史さん:03/05/11 17:02
>>42 いや、カキコのスピードからして、連続コピペだろ。荒らしの一種。
44 :
新宮寺さくら:03/05/12 23:45
ふう〜、なんか凄いことになってますね。
私は兄弟姉妹いないので、よくわかりませんが。
まあ、その前に30代半ばで独身なので、なんとか
しないと・・・・・。
親から、早く嫁行けといわれて10年・・・・。
結婚相手見つけに31のとき、コミケに来て、
カメコはつくが、彼氏はできず・・・・・。
某女性誌には、どんな女でももてる世界だと
あったのだが。
45 :
新宮寺さくら:03/05/13 03:03
なんかアホらしいんで、まじめに進めていきましょう。
最初に、大正時代って、いつから、いつまででしょうか?
年代ではなく、歴史区分としての「大正期」ということ
ですね。
司馬先生は「日本海海戦で、最後の艦が沈んだときから
始まる」といっておられましたが、実際、どうなんでしょうか?
私が、昔読んだ百科事典には、韓国併合から金融恐慌までとあり
ましたが、みなさんは、どう思われますか?
ここは、日本史板だよな?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
48 :
日本@名無史さん:03/05/23 18:20
半島人、自作自演に厭きて人集め。(藁
50 :
日本@名無史さん:03/05/26 19:50
大正ロマンが味わえるいい小説ないですか?
谷崎潤一郎の「痴人の愛」とか戦前期日本の雰囲気を
味わえて面白かったです。大正期というより
昭和初期だったかもしれませんが
51 :
新宮寺さくら:03/05/26 23:44
>50
大正というと、明治、大正、昭和の三代の中の
いスポットという感じですね。
有名な人物が大正期、どのようにすごしたか、とか。
「石狩平野」の中盤も、大正ですけど、結構、
大正デモクラシーとかの雰囲気を伝えていたような。
里中満智子さんの「あすなろ坂」も、大正編は、結構
大正浪漫の感じが出てましたよ。
昔、斎藤由貴さんが出演していた「パッパからの贈り物」
でしたっけ?
これも大正の雰囲気を、うまく伝えていました。
みなさんも、いい小説があったら教えてくださいね(^^)
>>51 レスどうもです。
「あすなろ坂」は少女マンガみたいですね。
これは買うのが恥かしそう…w
漫画で大正浪漫が味わえる物として高見まこの「ロマンス」をお勧めします。
これはスーパージャンプコミックスですので男性コミックです。
大正時代って護憲運動で民主主義運動が盛り上がった時代。
現代の感覚に近いようだけど、江戸生まれの人たちが主流だから
やっぱり今の人間とはだいぶん価値観も考え方も違ったでしょう。
西洋的なのに日本的。なんか妖しい魅力があります。
大正時代の西洋館とか、なんとも言えない魅力ありますよね。
ではみなさんもお勧めの小説・マンガ等ありましたら教えてください
53 :
日本@名無史さん:03/05/27 20:27
永井荷風「むきたまご」
54 :
新宮寺さくら:03/05/28 01:14
>50
あすなろ坂は、当時、高校生だった私が古本屋で
見つけたコミックで、5巻目が大正ファッションだったので、
ピキーんときた私は思わず買ってしまいました。
大正の民主主義というと、やっぱり大正デモクラシーという
ことになりますが、実際の大正デモクラシーの気分は、もう
日露戦争直後に出ているんですね。
日比谷焼き討ち事件は表面的には、ポーツマス講和条約反対
でしたが、あの根底には、当時の桂内閣の重税路線への反発も
あったと思います。
終戦後、幣原首相が、マッカーサーを訪問して口頭で五大民主命令
を受けたとき、「日本には大正デモクラシーの伝統があるから大丈夫」
といったのが印象的ですね。
55 :
日本@名無史さん:03/05/28 01:28
大正時代の内閣総理大臣
西園寺公望・桂太郎・山本権兵衛・大隈重信・寺内正毅・原敬・高橋是清・
加藤友三郎・清浦奎吾・加藤高明・若槻礼次郎
56 :
新宮寺さくら:03/05/28 01:48
>55
顔ぶれを見ていると、みんな日露戦争で活躍した
あるいは重要な地位にいた人ばかりですね。
いかに、当時の大正天皇や摂政宮裕仁親王が日露戦争
生き残りの軍人や政治家、官僚に重きを置いていたかが
わかりますね。
この中には、昭和に入っても活動する第一線の政治家がいた
わけで、これだけの人たちがいながら、なぜ、あんな戦争を
起こしてしまったのか、残念ですね。
57 :
日本@名無史さん:03/05/28 01:50
軍部は大正時代に軍縮でいぢめられたから
昭和になって爆発したんだよ
58 :
日本@名無史さん:03/05/28 01:50
永井荷風は「四畳半襖の下張」
59 :
新宮寺さくら:03/05/28 02:47
>57
いわゆる、山梨軍縮と宇垣軍縮ですね。
それで陸軍に兵備が縮小されて、一部の軍人に
不満が勃発したわけなんですよね。
大正末期は、それがひどくて軍人は、軍服で
電車にも乗れなかったとか。
シベリア出兵の失敗から、軍隊への風あたりがつよくなって、
当時、霞ヶ関にいた山本五十六は、土浦で暴力団とのトラブルが
多くなった将兵を休日も外出させず、相撲大会とかやったくらい
ですからね。
最後は、兵隊がお金を落とさなくなって困った地元の商工関係者が
頭を下げ一件落着したそうですが。
>>59 いつまで起きてるの!もう寝なさい!母より
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
62 :
日本@名無史さん:03/05/28 20:55
「大正時代を訪ねてみた」
著 者 皿木喜久
発 行 産経新聞ニュースサービス
定 価 1400円(消費税込み)
元は産経新聞だけれど
世相とからめた政治史が分かりやすいです
63 :
新宮寺さくら:03/05/28 20:58
>62
ありがとうございます。
探してみます。
>>45 新宮寺さくらさん
マジレスして良いのかな?
すこし理解できない部分があるのですが…。
>最初に、大正時代って、いつから、いつまででしょうか?
>年代ではなく、歴史区分としての「大正期」ということ
>ですね。
という部分。「大正」はあくまでも年号であり、それ以上でも以下
でもない。どうやら「大正デモクラシー」という歴史用語とも
違う視点で言っているようだし。
それに
「大正時代」は、「日本海海戦で、最後の艦が沈んだときから始まる」
とか「韓国併合から金融恐慌まで」だとか…それら画期の歴史的意義が
よくわからぬ。
例えば司馬はいったいどういう指標で「大正時代」というのを述べて
いるのですか?
65 :
新宮寺さくら:03/05/30 20:28
>64
マジレスありがとうございます。
>韓国併合から金融恐慌まで
これは、私が読んだ百科事典の歴史編で「大正時代」を引いたら
こういうふうに書いてあったのです。
年号でいう「大正」は、たしかにありますが、実際の「大正」らしい
時代というのは、当然、この範囲内におさまらないと思いますので、
ちょっと、「大正」らしい時期は、いつからいつまでか、といったような
論議をしたかったので問題提起してみました。
私自身、確固たる史観が、この問題に対してあるわけではありませんので、
みなさんの意見を伺いたくて書きました。
よくある明治維新の始期終期説、戦国時代はいつからいつまでだとか、
それと似たような論議だと御考えください。
>日本海海戦で、最後の冠が沈んだときから始まる
これは、昭和について司馬先生が語ったNHK教育テレビの番組の中で、
先生が実際にいわれたことです。
先生が大正をどのようにとらえていたかは、勉強不足で分かりませんが、
「坂の上の雲」の時代が、急速に、その実を失い始めた時期ととらえられて
おられたようです。
67 :
新宮寺さくら:03/05/30 20:38
>66
そんなにアダルトがお好きなんですか?
よかったら、私のCD−ROMあげましょうか?
きわどい写真もありますのでマニアによろこばれて
ますよ。
ブルマ、水着もありますし。
ハウススタジオとかで撮影したのもあるのですごいですよ!
68 :
新宮寺さくら:03/05/30 20:44
イベントは、このコスネームで出てるので、
すぐ分かります。
いちゃもんつけたい方は、ご遠慮なく。
ナンパもOKです。
もうオバチャンですが。
大体、「サクラ大戦」の真宮寺さくらちゃんやってます。
あとは、ときどきアイリスやってます。
みなさん、よろしくね。
69 :
日本@名無史さん:03/05/30 20:53
↑つか業者にレスやめよ
>>65 新宮寺さくらさん
このスレが単なるネタ板になるので変なレスをしないでね。
ぶっちゃけ、「大正」はいつからいつまでか、という議論は
あまり生産的ではないのでは?
というのは、この時代は、視点によって大きく異なる。
司馬氏は明らかに政治史(あるいは軍事も含めて)中心。
しかし、この視点だけではこの時代の特徴は決して見えてこない。
大正期はいわば教育の「大衆」化によって人びとがあらゆる主張をし出した
時代であり、また都市文化の時代であったし、それによって引き起こされ
る都市と農村の対立…。そして、思想状況で言えばマルキシズムやそれを乗り
越えようとする試み。これらの視点からみれば、それこそ「大正」は多様
なのだから。
71 :
新宮寺さくら:03/05/31 20:32
>70
教育の大衆化というと、この時代の末期、特に大正10年代は、
現在と同じような中学、女学校受験が激しくなった時期で、都市部
を中心に、いわゆる名門校を目指す傾向が強くなったんですよね。
当時は、6・3制の義務教育じゃなかったので、中学の段階で受験
しなければならなかった時代だったという違いはありますが、いわゆる
華族や地主とは異なる都市の勤労世帯が、そういう名門校を目指したと
いうのが、この時代の大きな変化かもしれませんね。
ただ、今日と違って、文部省の認可がゆるかった当時は、裁縫学校や
職業学校も含めて、多種多様な学校があって、今のように大学で4年、
短大で2年という型にはめられた一列方式じゃなく、修業年限やカリ
キュラム編成が異なる、いろいろな学校を選べた利点があったわけです。
とくに大学令の改正によって、慶応や早稲田などが公の認可大学になった
のは大きかったと思います。
ただ、これは都市部に限ったことで、地方なんかでは、殆ど学校へ行かなかった
人も多いし、貧富の差も激しかったので、地主や一部自作農の子弟だけが、中学
へあがるケースが多かったようです。
中には、農村で優秀な子供がいると、地元の有力者が養子扱いにして中学や女学校
へ入学させるケースもあったようです。
今、本宮ひろしさんの「国が燃える」というマンガがあるのですが、ここでも
当時の農村のことが詳しく書かれています。
当時の日本は、既に先進国の仲間入りをしていましたが、こと農村にかぎっては
それほど恵まれていたわけでもないようです。
72 :
新宮寺さくら:03/05/31 20:44
農村と都市の対立ということですけども、
当時は農村人口が圧倒的で、都市の住人はさほど
でもないんですよね。
都市の人口が増えるのは、昭和10年代に軍需産業が
盛んになって人が集まるようになってからで、大正は
それほどでもないんですね。
一部の高学歴階層を除いて、都市で働ける職種って、
そんなに多くはなかったのです。
農村を出てきた人が、すぐに働ける職業といえば、やっぱり
土木建築関係か、工場関係で、それも季節的あるいは期間的な
ものが大半で、一生働けるような内容じゃなかったんですね。
明治40年代に工場法はできていましたが、現場の労働条件は
劣悪で、長く勤続できる仕事はなかったようです。
大方の都市労働者は、何年か働いて、お金をためて商売をはじ
めるか、でなければ田舎に帰って田畑を買って、自作農になるかの
道しかなかったようです。
もしムリして残ると、貧民街のようなところで一生を追えるような
ことになったようです。
私は亀戸の学校に通ってたんですが、昔は貧民街があってひどかった
ようです。
都市と農村の対立についても、それが顕著になったのは昭和30年代
になってからではないでしょうか。
大正では、まだ、農村の圧倒的な人口と慣習に対抗できるでけのものが
都市にはあったとは思えません。
73 :
新宮寺さくら:03/05/31 21:31
ふふふふ。
みなさん、明日はPIOでお会いしましょう。
74 :
日本@名無史さん:03/06/01 15:10
>>71 72
あの…教育の大衆化といった場合、中学以上の学歴をいうのではないのですが。
小学校の就学率の問題であり、それは日露戦後から伸びはじめ第一次世界大戦
後には、農村部でも90%を占める事態をいうのですが。
>大正では、まだ、農村の圧倒的な人口と慣習に対抗できるでけのものが
>都市にはあったとは思えません。
都市と農村の対立は現在の近代史研究者ならば常識。問題なのは恐慌による
農村の疲弊であり、農村の側から反都市感情が出てきた。これは歴史的事実。
日本の地域を都市と農村に区分して両者を対立的にとらえたり、都市化が
農村に及ぼす影響を論じる文献があらわれたのは日露戦後だった。一例を
あげれば、永井柳太郎「地方農民の都市集中」(1911年)、水野錬太郎
「都市集中と農村の荒廃」(1914年)など、その他多数ある。
第一次世界大戦による大戦景気は工業化・都市化の有力な契機となり、
そのため、農村から都市に向けて、労働力移動が旺盛に展開した。労働力移動
の中心となったのは、都会熱、教育熱をもった農村青年であった。これ以降、
経済・文化・情報の発達した都市と遅れた農村という構図が盛んに論じられる
ようになった。
そういう流れをうけて産業組合が結成される(千石興太郎「余輩は農村に向
かって『農村より都市の勢力を排除せよ』なる標語を提示する」と述べている)。
この産業組合は反都市主義・反資本主義・反社会主義の産業組合主義を掲げ、
のちに農村が戦時体制に組み込まれていくうえで、それを先導するイデオロギー
の役割を果たしたのです。
ちなみに戦前において農村から都市への流入が一番盛んだったのは第一次大戦後
です。戦時期の農村では、兵隊にとられ、労働力不足が深刻になるほどだったし、相互監視のシステムができあがっていたから、
移動はそれほどではない。
>都市の人口が増えるのは、昭和10年代に軍需産業が盛んになって人が集まるようになってからで、大正は
>それほどでもないんですね。
ソースは?
75 :
74 75 70:03/06/01 15:32
>>71 >>72 >農村を出てきた人が、すぐに働ける職業といえば、やっぱり
>土木建築関係か、工場関係で、それも季節的あるいは期間的な
>ものが大半で、一生働けるような内容じゃなかったんですね。
>明治40年代に工場法はできていましたが、現場の労働条件は
>劣悪で、長く勤続できる仕事はなかったようです。
それはそうです。しかし終身雇用なんてシステムができたのは戦後の高度成長期
以降です。労働条件は劣悪でも、都市に出ざるをえない農村の状況をご存知か?
家制度で優遇されていた長男を中心に小作農を相続し農村にとどまるのみ。しかし小作農。
当然暮らし向きなど良くない。食うや食わずだ。
次男以降の男子、女子は都市へと流れ込むことは少なくなかった。農村にとどまる
よりは日雇いの仕事ではあるが、仕事はあった。現在の農村からは想像もできませんがね。
>もしムリして残ると、貧民街のようなところで一生を追えるような
>ことになったようです。
そう、そのことは、「農村を食い尽くす都市」という観念が生まれてきた、ひとつの理由
になりました。
>>71 >>72 突っ込みどころ満載なわけだが・・・
あんまり適当なこと言わないほうがいいよ。信じる人もいるんだからさ。
77 :
新宮寺さくら:03/06/01 19:16
都市人口が増えたのは昭和10年代云々というのは、
昔、教育テレビでやっていた昭和史の番組でいってました。
都市と農村の対立という点では、すでにいくつかの文献で、
その問題が指摘されていたのは知っていましたが、私がいう
のは、それは一部の学者やサロンでの話であって、実際に
農村に生きる人たちには、都市がどうのこうのという意識は、
あまりなかったのではないでしょうか?
産業組合についてですが、当時は、対都市の問題よりも、農村
運動ー特に後の社農党の運動へとつながる、小作争議などの方が重要
だったのではないでしょうか?
食うや食わずで、都市へ出てくる男子、女子、ということですが、
結局、何年かで仕事をやめて地方へ戻るケースが多かったようです。
今と違って、昔の人は、何かあると、すぐ田舎に戻って、大家族制度
の庇護の下、次の方途を探る、ということが多かったようです。
農村の就学率の問題については、もう少しお話をうかがいたいです。
78 :
新宮寺さくら:03/06/01 19:24
大家族制度についてですが、農村と都市の対立について
意見を譲るとすると、戦前は、都市で失業しても、田舎に
戻れば、大家族の庇護を受けられるため、失業というものが
顕在化せずにすんだといわれています。
昭和恐慌になると、都会で仕事にあぶれた人が線路をあるって
まで、田舎をめざしたという話からも、そのことがうかがえます。
この大家族制度の庇護がくずれたのは、戦後も40年代くらいに
なってから。
高度成長によって製造業を中心に雇用が増えた結果、都市で自立する
次男以下が増えたため、出身地へ戻る必要がなくなり、自然、親や長男
などと疎遠になるケースが多かったようです。
所謂、団塊の世代の方でも、もう20年とか、ご自分のご両親とお会いし
ていないという方も多く、兄貴が継いでいるので帰りづらい、という方も
いらっしゃるようです。
80 :
日本@名無史さん:03/06/01 20:21
>それは一部の学者やサロンでの話であって、実際に
>農村に生きる人たちには、都市がどうのこうのという意識は、
>あまりなかったのではないでしょうか?
もちろん、最初は学者から。しかし、都市に出た人々が農村に帰ってきたり、
「ルンペン」になって帰ってきた人々を現実に農村で見かけるようになると、
学者の意見を捉え返すようになる。当時の青年団(会)の史料には反都市の
言説は山ほどある。郷土史料を有する資料館や図書館にでも行かれて、
青年団報などを閲覧してみれば、それほど苦労せず見つかるはずですよ。
>産業組合についてですが、当時は、対都市の問題よりも、農村
>運動ー特に後の社農党の運動へとつながる、小作争議などの方が重要
>だったのではないでしょうか?
ご存知のとおり小作争議というのは地主に対しての闘争ですが、それは主に
不在不耕地主に対するもの。かれらは都市に住み(東京とは限らない)、小作人
たちを経済的に支配していた。その意味で「反都市主義」というのは合理性が
あります。都市は資本主義の象徴でした。
>食うや食わずで、都市へ出てくる男子、女子、ということですが、
>結局、何年かで仕事をやめて地方へ戻るケースが多かったようです。
>今と違って、昔の人は、何かあると、すぐ田舎に戻って、大家族制度
>の庇護の下、次の方途を探る、ということが多かったようです。
そのとおりです。現実には農村と都市を行ったりきたりというのが
本当のところだったでしょう。話はずれますが、満州移民というのは
こうした農村の余剰人口を回収する意味が大きかったのです。
81 :
日本@名無史さん:03/06/01 20:53
それと言いわすれたけど、産業組合は小作争議を指導しているわけではないよ。
82 :
新宮寺さくら:03/06/01 20:55
>資料館や図書館にでも行かれて
あとで行ってみます。
ちなみに、私は東京都江東区在住なので、ちょっと
農村関係の資料があるかどうかわかりませんが、
あたってみたいとは思います。
アドバイスありがとうございます。
>不在不耕地主に対するもの
そういえば、そうでしたね。
不在地主について、すっかり忘れていました!
彼らは地元の小作料の上がりを、地方の中核都市に送らせて
それで生活していたんですよね。
それが、農村の搾取と封建化を招くというので、戦後の農地改革
では、真っ先に不在地主の土地がすべてとりあげられたのですね。
不在地主が、どのようにして、小作民を支配したのか、そのあたりの
話をお願いします。
>満州移民は農村の余剰人口を
昔、「戦争と人間」という小説と映画で、日清戦争のとき、遼東半島が
日本の領土になっていたら、農村の人余りはなかった云々とありましたが、
当時は、とりあえず満州をとれば、なんとかなる、という考えが強かった
ようですね。
ただ、実際、満州をとる前に、アメリカ、ブラジルなどへの移民が、その
代わりとなって機能していたのは間違いないようです。
満州事変後、実際に移民した人々の生活が楽ではなかったのは事実ですが。
83 :
日本@名無史さん:03/06/01 21:16
>>82 江東区ですか…
アジア・太平洋戦争における空襲が最も激しかった地域ですね…
おそらくそうした史料を見つけるのは絶望的でしょう。
東京都中央図書館か国会図書館、青年関係に絞るのであれば日本青年館が良いかと。
ちなみに私は神奈川県横浜市在住ですがこちらにはたくさんあります。
84 :
新宮寺さくら:03/06/02 20:01
>83
ありがとうございます。
昨日イベント行ったんですが、知り合いのカメコさんから、
大正政変についての話をうかがいました。
その人は「海は甦る」の愛読者で、いろんなことをしって
おられました。
「海は甦る」の大正政変について、どのように思われますか?
85 :
日本@名無史さん:03/06/02 23:08
>>84 すみません…実は読んだことがなくて…
面白いのですか?司馬遼太郎ですか?
86 :
日本@名無史さん:03/06/03 00:19
産業組合って一部は農協になっているのかな?
>>86 農協の前身です。産業組合→農業会→(戦後)→農協。
で、いま自分のレスを読み返してみて、大きな間違いが…
>>74>そういう流れをうけて産業組合が結成される
ではなく、「そういう流れをうけて産業組合が拡充される」、に。
ゴメソ
89 :
日本@名無史さん:03/06/03 16:50
>84
「海は甦る」は、文芸評論家の江藤淳さんがお書きになられた
小説で、日本海軍育ての親として知られる山本権兵衛を主人公に、
近代日本の歩みを描いた作品です。
全五巻で、
一巻が、幕府海軍黎明期から薩英戦争を経て、日清戦争まで。
二巻が、三国干渉から日露戦争まで。
三巻が、明治天皇崩御から、第一次護憲運動による第三次桂内閣
の誕生と瓦解、山本内閣の成立まで。
四巻、五巻が、シーメンス事件の顛末を描いています。
所謂、大正だけに焦点をあてたものではないですが、当時の憲政の
裏側、政党と藩閥の駆け引きが描かれておもしろいです。
昔、テレビドラマにもなりましたので、これもよかったです。
90 :
日本@名無史さん:03/06/03 16:56
このスレをたててから、また、大正時代の本とか
読んでるんですが、「太陽のない街」とかいう本が
きになりました。
共同印刷争議とかが描かれているそうですが、
お読みになった方いらっしゃいますか?
私は亀戸の学校に通っていて、あそこは、共産党委員長の
事務所があったので、結構、共産運動とかの話を聞かされます。
学校に行く途中にお寺があって、そこに正木ひろしのお墓があったん
ですね。
「ちかきより」とか読まれた方いますか?
あのあたり、私がすんでる東砂もそうですが、左翼、労働運動、
社会問題の匂いが濃紺です。
>>89 どうもありがd
ふだん小説を読む機会はありませんが、これは読んでみようかなと思います。
>>90 記憶は定かではないけど、戦前の東砂周辺には、社大党の浅沼稲次郎が住んで
いたんだっけかな?同潤会アパートがあったりして。
その他、ここではいえませんが、あの辺にはいろいろ…
92 :
日本@名無史さん:03/06/03 21:43
大正前後はストーカーが多そう。
リビドーが溜まってるかんじ。
>>92 じっさい、多い(かな?)。統計とったわけではないけど。
ただし新聞記事の報じ方は、現在のストーカーのように、怖いイメージ
で報じられるものではないね。笑い話のひとつとして報じられたな。
ノゾキも多かったしね。
94 :
新宮寺さくら:03/06/06 20:46
>91
ぜひぜひお読みくださいな!
「海は甦る」は、結構、おもしろいですよ。
うちの近くに浅沼稲次郎が住んでいたんですか。
でも東砂って広いから。
ストーカーですか。
昔、イベントスタッフやってたとき対応してましたけど、
結構、ストーカーで悩んでる女の子は多かったです。
イベント帰りに着いてくるとか、学校の前で待ち伏せてるとか。
恋愛感情が絡んでるんで、単純にやめてくれとかいっても無理なん
ですよね。
嫌がらせ、怨恨関係だったら、いくらでも対処できるんですが。
まあ、最近は、いろいろ効果のある対処法も考えましたんで、
なんとかおさまってきましたが。
私自身は、もうオバサンなんで、そういう話はないですね。
というーか、撮られたなんで、かえってそういうのはつかないような。
ただ一度だけ、うちへ来ようとした人がいて、あのあたり、工場やマンション、
団地がごちゃごちゃしてるので、つきとめられずかえったそうです。
携帯に電話すれば迎えに行ったのに。
95 :
新宮寺さくら:03/06/06 21:41
「サクラ大戦 活動写真」見てたら、さくらちゃん、
大神さんのこと好きだったんですね。
今更ながら気づいた私って・・・・。
97 :
新宮寺さくら:03/06/06 21:52
>96
ごめんなさい!
89、90は、私です。
98 :
日本@名無史さん:03/06/17 14:56
100 :
新宮寺さくら:03/06/17 19:54
98のサイトは、私も見ています。
ちょっと勿体無いですね。
101 :
日本@名無史さん:03/06/17 19:58
昭和に変わっても
レコードだと電気録音になるまで
映画だと音が出るようになるまで
ラジオがコンセントから電気を採るようになるまで
.....それまでは大正だよなと思う今日この頃
102 :
名無し転がし:03/06/17 21:08
華宵好みの 君も行く〜♪
103 :
日本@名無史さん:03/06/17 21:10
よっ!あんたが大正!
104 :
日本@名無史さん:03/06/18 17:52
>>100 掲示板にカキコしてあげてください。
お願いします。
105 :
日本@名無史さん:03/06/21 12:38
皆様もおかげで時定屋が再始動しました。
ありがとうございます。
106 :
新宮寺さくら:03/06/23 19:29
>105
おめでとうございます。
ここも、再開、再開!
大正に浪漫がついてしまうのはなぜでしょうか..っと
くどい絵柄の美人画やイラストのイメージでしょうか
108 :
新宮寺さくら:03/06/26 18:27
>107
語源はわかりませんが、おそらく、当時の自由主義的な雰囲気と
西洋に影響を受け、日本文化と巧みに折衷した文化が「浪漫的」
に思われるため、後世、軍官僚の国政壟断によって苦しんだ人々が、
この時代を懐かしんで呼んだのではないかと思います。
竹久夢二の美人も、名前に影響があるかもしれませんが。
109 :
日本@名無史さん:03/06/27 20:11
1俺の祖父:1915(大正4)年11月15日生まれ
2祖父の弟:1922(大正11)年08月11日死去
3祖父の弟:1923(大正12)年10月14日死去
4祖父の妹:1926(大正15)年09月02日死去
5祖父の兄:1916(大正5)年03月25日死去
6祖父の姉:1919(大正8)年03月14日死去
7祖父の妹:1932(昭和7)年07月10日生まれ
89祖父の兄:1913(大正2)年07月26日死産(双子)
10祖父の姉:1909(明治42)年05月04日死去
成人したのは1と7だけだったが、大正期も幼児の死亡率は高かった
ようだ。
さくらさんはどう思われますか?
110 :
新宮寺さくら:03/06/29 18:17
なんか、10人とは凄いですね。
私なんぞ一人生めるかどうかという瀬戸際なのに(ToT)
大正で幼児の死亡率が高かったのは、ひとつにはスペイン風邪
の流行も大きかったと思います。
大正の景気動向は、おおまかにいって、三つの時期に分けられて、
日露戦争後の不景気が続いていた大正三年までの時期、
第一次大戦景気に沸いた8年までの時期。
9年の反動不況に始まり、大震災、そして金融恐慌へと続く長期低迷期。
対戦景気の時期は、比較的、経済が良かったようですが、後期から、
子供の体位低下が始まっていますね。
その一方で、結核予防協会が発足し、最初の結核療養所ができるなど、
医療と衛生の整備と改善が急速に進んだ時代でもあったわけですが、
結局、当時、健康保険制度がなかったことが手遅れになった原因だと
思われます。
111 :
新宮寺さくら:03/06/29 18:24
それと、車が普及してなかったので、子供を病院へ運べなかったのも
原因かと思われます。
前にきんさん、ぎんさんの話で、病気の子供を負ぶって病院へ行く途中、
死んでしまったという話を聞いて、唖然としました。
今日のように検診制度が完備している時代では考えられない事態ですね。
今は妊娠がわかった時点で、やれ母子手帳つくってこいだの、つくりに
役所へ行くと、定期健診から母親教室の予定まで、殆ど強制的に組まされる
らしいです。
死産とありましたが、今は、相当の未熟児でも死なない世の中ですから
隔世の感がありますね。
112 :
新宮寺さくら:03/06/29 18:44
昨日の「海のオルゴール」は感動しましたね。
やっぱり結婚相手は、自分で選ばなければ、ということでしょうか。
>>110、
>>111 どうも。
>>109です。俺も大正という時代には興味があります。
15年しかなかったこと、明治と昭和という激動の狭間にあって、
なんとなくゆったりしたイメージがあることなどが理由かな。
ちなみに母方の祖母は5人兄弟でしたが、全員成人したそうです。
父の実家は山陰の農村、母の実家は九州の都市部ですから、
やはり都市部のほうが生活水準は上だったのかな、と思いました。
114 :
新宮寺さくら:03/07/12 20:58
一概に都市部の生活がよかったとはいえませんが、
大正も後半になると、内務省に、後の厚生省につながる
福祉部門ができたりして、行政からの支援も影響があると
思います。
九州も北九州なんかは製鉄と海運で賑わっていましたから、
あるいは給与水準も高かったのかのしれません。
朝鮮から外米も入ってきましたしね。
私は、大正が最も活気があって、デモクラシーとモダニズム
に象徴される「大正らしさ」があったのは、大正4−7年頃
だと思います。
明治の決着がついて、まだ昭和の悲劇が準備されていなかった
ということで、この時代は、今日の我々が昭和末期のバブル期
の繁栄を懐かしむような響きが感じられます。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
(^^)
118 :
日本@名無史さん:03/08/13 07:23
あの〜、大正時代のお金の単位って何でしょうか?
1銭なんて貨幣は流通してたのかなあ?
他にも、服装とかも知りたいんだけど、
そういう風俗や世相のわかる書物で何か良いのある?
竹久夢二なんかも素敵だし、大正ロマンに目覚めてしまいました・・・。
119 :
(* ̄д ̄)y─┛〜〜:03/08/13 07:25
120 :
日本@名無史さん:03/08/13 08:43
大正時代に興味があるなら、鈴木清順の大正三部作「チゴイネルワイゼン」「陽炎座」「夢二」も見てください。
>>120 貴重な情報ありがとうございます。
鈴木監督さんって、「ピストルオペラ」の方ですよね。
まだまだ大正情報募集します。
122 :
日本@名無史さん:03/08/13 11:57
大将の情報を集めているスレは
ここですね?
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
124 :
日本@名無史さん:03/08/18 12:15
あげ
125 :
日本@名無史さん:03/08/20 09:28
大正時代というと、自分は結構いいイメージがありますが、現代に比べて
きっと貧富の差が大きかったのでしょうね。
126 :
日本@名無史さん:03/09/15 00:26
大正の建築物などを見学できる博物館などはありますか?
検索して調べてますができたらこのスレの方の意見も聞きたいです
127 :
日本@名無史さん:03/09/15 00:29
古き良き時代
128 :
日本@名無史さん:03/09/16 00:26
ひどいスレ・・・
ロマンは何処へ・・・
ロマン や〜〜〜い!
鳩山邸や小笠原邸は大正じゃなかったっけ?
130 :
日本@名無史さん:03/10/31 00:30
新宮寺さくらさんカムバック!
131 :
神崎すみれ:03/10/31 21:20
ほーほっほっほ。スレを放り出してどこかへ逝ってしまうとは、さくらさん無責任ですわね。
132 :
日本@名無史さん :03/11/01 00:35
>131
さくらさんは先ほど雷が鳴ったせいか、現在、意識不明で医療ポットの中にいます。
大正時代の女優さんでいきてるひといる?
澤蘭子って100歳ぐらいでしんだよねくら。
134 :
日本@名無史さん:03/12/13 01:14
小津安二郎の映画がBSで特集されてるけど、初期の無声モノだけ
録画した。
大正、昭和初期の世相が垣間見えて萌え〜〜
135 :
日本@名無史さん:03/12/31 07:43
大正時代の医療について調べてますが、どんな感じでしたか?
136 :
日本@名無史さん:03/12/31 22:46
137 :
日本@名無史さん:03/12/31 23:24
>>135 立川昭二「病の人間史」文春文庫
「家庭看護の秘訣」通称・赤本
くらいは押えておくべきかと。
日本史なのかコレ?
139 :
日本@名無史さん:
>137
ありがとござまいす。
とりあえず調べてみます。