1 :
?@?@?@?@?@:
「韓国の歴史」 国定韓国高等学校歴史教科書(明石書店)より引用
(注)文中多用される「あげた」の部分は本の訳者が「原文に忠実」に
訳した結果だそうです。 訳者のあとがきより
三国時代には、文物交流ど交易が活発になった。三国は大陸から中国文化を受け入れて、独自の文化をつくりあげ、
発達した三国文化を「日本へ伝えて」日本の古代文化の発達に「大きな影響を与えた」
百済は日本と政治的に緊密な関係を維持したので、三国中、日本文化に「一番大きな影響を与えた」
近肖古王のとき、阿直岐と王仁は日本にわたり、漢文・論語・千字文を「伝えてあげ」、武寧王の時には段陽爾と高安茂などが、
漢学と儒学を「教えてあげ」、日本に政治思想と忠孝思想を「普及させてあげた。」つづいて、聖王の時には「仏教を伝えてあげ」
そのほかに天文・地理・暦法などの科学技術も「伝えてあげた」高句麗も、たくさんの文化を日本に「伝えてあげた」
高句麗の僧侶慧慈は聖徳太子の師であり、曇徴は紙、墨、硯をつくる技術を「教えてあげ」
「法隆寺の金堂壁画も彼の作品として知られてる」
「高松古墳の壁画は、高句麗の影響を受けたものである」新羅は船をつくる技術、ならびに堤防と城郭を築く技術を、伽耶は土器を作る技術を「日本に伝えてあげた」
このように三国は発達した文化を「日本に伝えてあげ」、日本の古代の飛鳥文化を生み出すうえで「大きく貢献した」
日本教えてもらい過ぎ!
しかしこれだけ「伝えてあげた」と書いてるのに、自分達が中国から「教えてもらった」文化は、
大陸から中国文化を「受け入れて」独自の文化をつくりあげ、
の一文ですまして、しかも「〜から教わった」と書かないところなんかは
韓国の愛国的な教育方針がにじみでてますな。
ちなみにこの後の日本が作った文化は、中国文化から独自文化を作った(らしい)
韓国人からみると、独自の文化とは認められない様です。
>>2-7 ■剣道の起源は韓国にあり!?
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6963/ ■その他の日本文化も韓国起源だそうです
http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/
2 :
?@?@?@?@?@:03/04/21 15:42
3 :
?@?@?@?@?@:03/04/21 15:42
4 :
日本@名無史さん:03/04/21 15:45
刺身やトロロといった生食文化は古代にさかのぼる固有日本文化?
7 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:11
こういう暴挙を止める奴は韓国にはいないのか?
・・・。
磁器=China
漆器=Japan
9 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:19
こんな本がある
韓国民芸の旅�
高崎宗司編著
2001年2月 A5判 87頁 草風館 1,200円
陶磁器をはじめ木工品や「漆器」など、「朝鮮半島の手仕事」に
美と用を見出した3人の日本人−柳宗悦、浅川伯教・巧兄弟に導かれて、民芸旅行を試みてきた著者たちによる韓国各地の「民芸世界」へのガイドブック。
10 :
日本@名無史さん:03/04/21 16:33
11 :
アメリカが侵略されとる:03/04/21 16:56
異なる競技となったkarateとtaekwondo。同じ競技であるはずのkendoとkumdo。
一概に比較できないと思いますが、アメリカ、フランスそれぞれでサイトを検索してみました。
アメリカ フランス
karate 1380000 45400
taekwondo 393000 19600
kendo 204000 9220
kumdo 6620 14
kumdoなる英単語が何故普及しているのでしょうか?
剣道の世界組織加盟国で、kendoを用いないのは韓国だけです。
12 :
?A?????J???N???3?e^?AE?e´:03/04/21 17:02
ふざけてるな・・・
13 :
日本@名無史さん:03/04/21 17:22
14 :
日本@名無史さん:03/04/21 18:44
真実から目をそらす民族か
15 :
日本@名無史さん:03/04/21 18:54
つか、半島起源のものなど何も無い。中国文化を経由した経由地に
過ぎないだろう。
虎の威を借るとはこのことだろうに。
それに、やたら半島の影響力を言いたいみたいだが、人質出して
文化伝えたとは笑い話ではないのか?
さらに、新撰姓氏録中渡来系帰化人の半数以上は中国人。
百済、高句麗の滅亡による移民が無ければ半島系はいったい
どれほど居たものか。
16 :
日本@名無史さん:03/04/21 18:56
数については失念したが、記録で百済滅亡時に2700人、高句麗が1700人だった
と不確かだが記憶。
17 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:34
まあ、同時期の共通の文物を比べると
すべからく朝鮮の方が勝っているからな。
日本起源がないといわれてもしかたない。
18 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:35
1は右翼
19 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:49
極東アジアだと起源を誇っていいのは中国だけじゃないか?
なんで韓国が日本文化の起源になるのか不思議だ。
20 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:51
21 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:55
22 :
日本@名無史さん:03/04/21 19:59
23 :
日本@名無史さん:03/04/21 21:43
20はへタレだからしょうがないよ
24 :
日本@名無史さん:03/04/21 22:23
25 :
日本@名無史さん:03/04/29 19:34
大和言葉の起源は縄文1万年の長き間に培われてきたものです
26 :
日本@名無史さん:03/05/05 10:54
北方や南方より様々な技術と文化が伝来してもなお、
10000年の日本語の重みは大きく崩されなかったと言うわけだね。
28 :
日本@名無史さん:03/05/16 00:05
やはり、西日本縄文語の1万年の歴史は重いと思う。
29 :
日本@名無史さん:03/05/16 02:02
扇子って日本から中国だっけ?
障子はどこ?
31 :
日本@名無史さん:03/05/16 04:09
土師器だって
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
35 :
日本@名無史さん:03/05/24 02:25
縄文土器が朝鮮半島南部に出現するのは、縄文後期?
縄文最前期
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
38 :
日本@名無史さん:03/05/29 00:03
大和言葉の起源は縄文1万年の長き間に培われてきた
国ぐるみでストーカーか!
いいかげん日本を羨ましがるのはやめてくれ!
半島になんの文化も無いからって・・・。
40 :
日本@名無史さん:03/06/07 07:34
新撰姓氏録中渡来系帰化人の半数以上は中国人。
百済、高句麗の滅亡による移民が無ければ半島系はいったいどれほど居たものか。
41 :
日本@名無史さん:03/06/07 08:59
日本の神道もほとんど中国の道教からなっていて、神道から道教的要素
をとりさったらほとんど何も残らぬという。ラッキョウの皮を剥いて
いったら何も残らぬのと似ているという。
もともと、日本に固有の文化などというものはほとんどなかったといえる。
文化は何かという定義にもよるが、中国や朝鮮からの文化的影響を受ける
中で、やっと文化が始まり、そのうちにそれら外国の文化に日本独自の
解釈を加える中で日本的な文化が形成されてきたというほうが正しかろう。
だからといって日本文化がだめだなどといっているわけではない。
42 :
日本@名無史さん:03/06/07 14:49
ほとんど道教系というなら違うと思う。
祖霊信仰、巨木巨石信仰、修験、政治的儀式など、道教とは異質なものが基本にある。
43 :
日本@名無史さん:03/06/07 14:56
日本の文化はすべて朝鮮人が作りました。
日本は朝鮮の植民地でした
44 :
日本@名無史さん:03/06/07 14:59
「日本」「日本文化」なるものは実際は多くのコリア系、チャイナ系の渡来人が
「日本」列島に渡ってきて作り出した、いわば本来なら「東朝鮮(チョソン、コリア
韓国)」とでも呼ぶべき代物でしょう、別に古代だけの話ではない、ヒデヨシに
拉致されてきた多くのコリアン(後の日帝時代のもそうだが今過剰な騒ぎになっ
てる「行方不明」事件なるものとは信憑性も被害の度合いも全く違います)は
当時かなり遅れていた「日本」文化を豊かにするのに大きく寄与しました、「日本」
歴史を眺めてみればコリアンのきた時期に急激に文化や社会の発展が進んで
います(今は民族差別が酷く多くのコリアンが「日本」行きを躊躇せざるを得ない
時期ですね、「日本」は自分で自分の首を絞めているようなものでしょう)これは
事実です。
私自身も「日本」などというありもしないものにアイデンティティを求めないように、
ちゃんと存在する「コリア」に対して自分のアイデンティティを求めるよう教えられ
てきました、必死で「日本」なる幻想にしがみつく連中は恐らく古代コリアでレベ
ルが低すぎて追い出された連中の子孫なんでしょうね(ちなみに日王もコリアの
凶悪犯罪者の子孫なのはコリア史では常識です、それゆえにコリアでは日王を
同族でありながら嫌悪し軽蔑する風潮があるのです)
45 :
日本@名無史さん:03/06/08 05:58
>>44 >ヒデヨシに拉致されてきた多くのコリアン
おいおい。
その人たちは日本に協力したために、朝鮮に残っていたら
生命に危険があったので、大名たちに保護されて
日本に移ってきたんだぞ。
後百済が滅ぼされたとき、すさまじい虐殺とそれを逃れるための
集団自殺があったじゃん。そういうムチャクチャは朝鮮の伝統だろ。
もともと、李朝の圧制の下、奴隷的な境遇にあった人々が
日本を解放軍として受け入れ、率先して反乱に加わり、
ソウルを燃やしたりした。
開戦から短期間にソウルに入城できたのは、
朝鮮人の協力があったから。
その後の外交的解決により、日本が撤退すると、
報復が予想されたわけだな。
で、保護を求め、日本に逃げた。
拉致じゃねーよ。適当なことをぬかすな。
江戸時代に朝鮮通信使が、文禄慶長の役で日本に渡った朝鮮人たち
とその子孫にあったが、誰も帰国を求めなかったじゃねーか。
北朝鮮の拉致とは本質的に違うのよ。
46 :
日本@名無史さん:03/06/08 06:59
河姆渡遺跡から縄文土器が出ている。
中国に初めて焼き物を教えたのは実は縄文人だと思うね。
やがて時が過ぎ、それが陶磁器になっていった。
縄文と言えば縄文だけど、ちょっと古代日本のものとは違うんじゃないか?
焼き方も違いそうだし
48 :
日本@名無史さん:03/06/18 23:39
南米のも同じ縄文式らしいよ
49 :
日本@名無史さん:03/06/18 23:40
7/X 単位取消違憲訴訟口頭弁論 実質的差し戻し.単位取消は瑕疵を有
する.大学設置基準32条単位制条項に違反する.学習権保障が信託され
た教授独立単位認定権の学長による侵害,権限のゆえつ濫用?M大が最低
に堕落したのは落第型学年制にある.前回和解にもちこむも被告が再審理
を要望した.高校学年制でも一度取得した単位は有効である教育法規に明
記されている.宮崎地裁にて違憲判断飛躍上告中
50 :
日本@名無史さん:03/06/19 00:03
>>41 >日本の神道もほとんど中国の道教からなっていて
ネタにマジレス。
全然違うんだが、分かって言ってるのか?
>>50 貴殿はまともそうなのでお聞きしますが、
越族などとの関連性については、どうお考えでしょう?
しめ縄なぞ、日本の神道との関連が疑われますが。
52 :
日本@名無史さん:03/06/25 01:34
保守age
53 :
日本@名無史さん:03/07/06 02:09
>>51 越族あるいは、当時の中国大陸の東方に住んでいた東夷とされた諸民族が、
倭人の源流の一つであることは間違いがないでしょう。
>>1 は、怪しい日本古代人の言うがままを鵜呑みにして困ったもんだが
江戸期に朝鮮通信使によって朝鮮(朱子)儒学が伝わってきたが、これは教えを請うていた
と当時の文献にもある様で、これは朝鮮(で発展した)起源で「伝えられた」確かなものだろう。
ただ、不思議な事に、これがさっぱり普及せんのだな。
なぜかと云うと、どうも葬式の仕方に力を入れていたらしい。所謂、泣き女が居ないとか
喪は何年とか、儀式をしっかりせにゃと、煩雑なわけよ。
こりゃ、政治的に利用しようとした輩もうんざりだし、食あたり(批判)を起こすわけだわ。
こんな所にも、学者は糞、お祭り大好きの日本人の基本があるわな。
まぁ、選り好みというか、そんなもんがあるんだろう。
例えば、仏像など、飛鳥大仏や百濟観音とか、確かに半島系の物が伝わっては来たが、
どうも流行にしか過ぎず、唐風に変化してしまった。で、鎌倉系の仏像に変わるわけだが、
面白い事に、民間では地蔵に代表される縄文の土偶に似た抽象的な物になっていくんだな。
つまり、素材の質感が好きなんだな縄文からね。もち、漆、鉱物系などの表面を覆う物もあ
るが、機能追及か非日常上流一部のステータスだろう。
今でも舶来信仰はあるんだが...香港製や韓国製もあるわけで。
という事で、古代人は韓(カラ)と唐(カラ)が良く分からなかった訳で、分かったトタン(奈良平安)
に新羅を通さず大陸から直接輸入した訳だ。
詐欺だと分かったか、出先機関(百濟)が無くなったからだろう w
ゴミ屋敷とは言わんが、よく修復しながら小奇麗に残したもんだ。神仏に関連の物だけだが。
ところで、鵜飼は、何時どっから来たんだろうね。
かなりな特殊(マイナー)技術だし、ヤタガラス、鴨、稲作との関連を考えても面白いな。
55 :
日本@名無史さん:03/07/12 16:51
ヤタガラスっていうのは古代日本の物?
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
57 :
日本@名無史さん:03/07/17 04:36
新撰姓氏録中渡来系帰化人の半数以上は中国人。
百済、高句麗の滅亡による移民が無ければ半島系はいったいどれほど居たものか。
ましてや、移民してきた百済、高句麗の人々は夫余系であり、
朝鮮族や韓族とは全く別のもの。
58 :
日本@名無史さん:03/07/22 11:36
日本の相撲は、韓国相撲シルムが起源、もしくは影響を受けていると言って聞かない奴が暴れています。
「朝鮮半島から色々文化や人が渡って来てるんだから、影響を受けたと考えるのが当たり前の感覚。
そう思わない奴は普通の感覚ではない、世間は広いんだよ、たまには外へ出てみなさい」などと言う始末。
あくまでも「韓国の影響」に拘わりたがっているのが見え見えです。
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/sumou/1043229110/l50 的確な論破の出来る自信のある方のみどうぞ。
くれぐれも決して単なる荒らしはしないようにして下さい。
ただし、この板から乗り込んできたとは言わないように。
できれば、しばらくこのスレの動向を見守っておく必要があるかと思います。
(結構面白い事になってます…)
またこのスレの感想なんかもくれると非常に嬉しいです。
唐辛子
日本→半島
J-POP→K-POP
草木を植える文化
国民教育をする文化
サツマイモで荒地や飢饉をすくう文化
>>59 大事ですね
62 :
日本@名無史さん:03/08/01 22:40
柔道とか剣道はどうなの? あと相撲とか?
(^^)
>>62 どっちを言ってるかわからんが、
DQN人は、強弱の手段としてそれらを学ぶが、それ以外の人は精神として学ぶ、または、気づく。
武術の精神性を重要と考える国では、型が発展する。
強弱勝敗しか考えない、洗練性が(封建制、約束事)発達しなかった国では、
例え伝わったとしても、型の精神性は理解不能。あった言ったとしてもマネ事。
柔術からスポーツになった柔道ではあるが、基本は受身と自然体を重視させる。
剣道の元の武士道は、滅私、死ぬ事、究極の内向性への美学。
もともと村の力比べの相撲は、強弱を競うスポーツ(競技)ではあるが、
神社への奉納、祭り事として洗練し、横綱の位置づけとし、神の化身に祭り上げている。
これは多神教の素地の無い人間では勘違いを起こしやすい。
「道」とはスポーツ(競技)ではなく日本固有の美学、哲学、宗教観だといえる。
先祖崇拝の精神性の強い、かの国に伝わったとしても、
空手のタコ踊りのようなものと同じような変形をしたし、
剣道も餓鬼のチャンバラと大して変わらないものとなってるわな。
そして泣き女のように、精神性の代わりに、延々と起源マンセー説をわめいているのが見える w
かの国の崇高さは、彼らの先祖供養の姿勢、抽象(空)論を論じる時に感じるんだが、
残念な事に、真の両班(自負-担ってきた-心)は消え、浅はかな白丁(自尊心)の時代になったんだろう。
65 :
日本@名無史さん:03/08/09 06:45
済州は朝鮮王朝の衰亡と同時に日本の植民地となり,
1914年には植民地の基本資料として土地測量を始めた。
済州はその時に標本の地区になり細部測量をすることになる。
この年の5月15日から9月15日まで道民たちに所有した土地を申告するようにし,
漏落した土地は日本の官吏たちが横領または公有化までしてしまった。
66 :
日本@名無史さん:03/08/15 00:01
縄文式土器が朝鮮半島南部にもみられるのはどうして?
67 :
日本@名無史さん:03/08/15 00:30
ウリが日本に来たから
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
69 :
日本@名無史さん:03/08/17 02:02
縄文時代の稲作が、日本列島から半島南端までなのは、どうして?
あるわけねーだろぼけ、くだらないコンプレックスで駄スレたてんな
71 :
日本@名無史さん:03/08/28 20:36
まず、三国時代という表現はおかしい。
任那はどうなる?
しかし、高句麗は元々半島内に領土を持たず、侵略の結果、北部を得ただけ。
72 :
日本@名無史さん:03/09/12 02:14
やはり、西日本縄文語の1万年の歴史は重いと思う。
73 :
日本@名無史さん:03/09/12 02:45
伝えてもらったっていうのもあるけど、
大陸での闘争に敗れた人が大陸の文化を
もって亡命してきたのもあると思う。
74 :
日本@名無史さん:03/09/12 03:24
お抹茶粉は日本独自なのでは?
ケーキの生クリームなどに入れて伝えてみよう、世界に。(^^;
75 :
日本@名無史さん:03/09/12 03:35
っていうか、豆腐とか味噌とか日本ブームで日本食として
海外にセンセーショナルに紹介されたのが面白くないのかなって
いう気がしてきた・・・豆腐とか日本食だと思ってるけど
普通に中国にあるし。中国人の人が豆腐は中国から伝わったの!
ってちょっと強調してたから。
76 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:10
そりゃ麻婆豆腐に入ってるんだから、豆腐は中国発祥だろうな。
問題は「健康ブーム」と「中華料理」が全く相容れないものだった
ということなわけで・・・
77 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:14
確かに、日本食はベジタリアンのイメージで健康食で
広まったんだろうね。油分も低いし。
78 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:20
中国の味噌じゃ味噌汁にはならんだろうな・・・
79 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:27
和三盆糖は日本独自じゃないかな・・・
ここで気になるのは唐三盆っていう砂糖なんだけど・・・
どういうものか見たことないからわからない・・・
80 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:29
でも、そもそもいろんな争いを歴史的に経験した民族は
民族のアイデンティティーが強くて食文化も用意に変えない
らしいって聞いたんだけど・・・ホントかな〜?
81 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:30
用意に→容易に
82 :
日本@名無史さん:03/09/12 07:04
味噌といえば八丁味噌なわけで
だから、伝えても用いられなかったとおもうな。
84 :
日本@名無史さん:03/09/12 16:03
ちなみにいうと、東南アジア、インド、中東、西洋から伝わったものも多いんだぞ。
>>1
古代においてもそうではないかな?
海洋ルートがあるから。
85 :
日本@名無史さん:03/09/12 16:25
ポリネシアもなー。
中国の豆腐って日本のモノと同じだっけ?
もっと形の崩れたヤツだったような。
87 :
日本@名無史さん:03/09/12 20:33
>>86 多分、日本人のある種強迫神経症なみのA型特有の潔癖性と
適度な降水量と急な河川から得られる澄んだ水がそういう
豆腐を作ったんだろ。
88 :
日本@名無史さん:03/09/27 01:35
三国は発達した文化を日本に伝えてあげ、日本の古代の飛鳥文化を生み出すうえで大きく貢献した
89 :
日本@名無史さん:03/09/27 01:39
日本は中国からでなく韓国から全て教わった。
日本文化は全て韓国起源。
だから現在の日本の繁栄は韓国のおかげ。
韓国人の妄想力はすごい。
90 :
日本@名無史さん:03/09/27 02:19
半島から縄文式土器が出土していることを必死に隠しているくせにな。
櫛目文土器は縄文の半分の歴史もない事実を説明汁w
91 :
日本@名無史さん:03/09/27 05:34
白村江を引っ張り出すまでもなく、百済は日本の軍事援助を仰いでいたんだが。
半島は日本の政治情勢の強い影響下にあった歴史は無視できんだろうに。
隣の国なんだから当たり前の話なんだが。
一方通行で話すからオカシクなるわけで
92 :
日本@名無史さん:03/09/27 17:02
韓国の人に聞きます。
日本人の美意識、「謙譲の美徳」 はどこから伝わったのですか?
日本人のマナー、 「犬食いするな」 はどこから伝わったのですか?
93 :
日本@名無史さん:03/09/28 07:14
百済
おい、チョン。
半島の旧馬韓地域には、前方後円墳が、たくさんあるが、それは無視かよ?
95 :
日本@名無史さん:03/11/02 07:55
てゆっか、もともと、縄文土器も南部にのみ出土してるんだけどね。縄文圏。
96 :
日本@名無史さん:03/11/02 08:37
半島に広く分布する櫛目文土器と縄文土器との類似性もあるな。
>92
日本も江戸時代まで犬を喜んで食べてたんよ。東南アジアでも犬食いは全く普通だった。
犬は、食肉用家畜としては、牛豚鶏などについで世界中で食されている動物
らしい。だからむしろ、韓国文化が突出しているのは、犬を食べているその
行為そのものではなく、犬を「今でも」食べている、という伝統墨守しすぎ
みたいな問題だと思う。
98 :
日本@名無史さん:03/11/21 01:26
犬将軍はどうですか
99 :
日本@名無史さん:03/11/28 07:50
そんじゃ何で日本人は犬を食わなくなったんだろう。
100 :
日本@名無史さん:03/11/28 11:54
勾玉は?
縄文時代からあるらしいし。
101 :
日本@名無史さん:03/11/28 12:52
日本人全員が犬食ってたってのは間違いだろ
日本の一部で食われていたとかいうべきでない?
当時の日本人のほとんどは犬を食い物だと思っていないだろ
江戸時代四つ足をほとんど食ってなかったはずだが。
たべてたのなら猪=オカクジラとか隠語があるはずだが、犬に相当する隠語はあったか?
103 :
日本@名無史さん:03/11/28 13:30
紀元前7000年から8000年くらいの縄文時代の犬の骨が、愛媛と神奈川の
遺跡で見つかっている。当時の犬が人間と同じように埋葬されていたこと
から、縄文時代人は犬をとても大事にしたらしいことがわかる。縄文犬は
狩猟犬として扱われていたようであるが、狩猟中に怪我をして骨折した犬
も多く役に立たなくなっても大切に飼育されていたらしい。
しかし、弥生時代になると犬に対する扱いは激変する。犬の種類も代わり、
ほとんど埋葬されなくなり、骨もバラバラの状態で出土し、解体痕が認めら
れる。要するに食料とされていたのである。このことからも、弥生人が
縄文人とは別の民族であったことが推測される。弥生人は、水田稲作農耕
の技術だけでなく、食犬習慣も持ってきたのである。狩猟民には貴重な存在
であった犬も、農耕民にとっては番犬か、食用犬としてしか役に立たなかっ
たのであろう。
大道寺友山の『落穂集』には、「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、
犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。若したまさか見當り候へは、
武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、冬向に
なり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、見つけ
次第撃ち殺して食べたからである。)と記されている。「犬が居たとすれば、
『これ以上のうまい物はない』と人々に考えられ、直ぐに食われてしまう」
ような状況であったのである。
漏れは讃岐人の血を引く大阪生まれである。
大阪人な犬食いのチョンなどと誹謗されているが
明治時代犬を食べていたことは明白(NHK隣の歴史博物館の展示
・商家跡から食われた犬の”新しい”骨出土)
それを見ていた大阪のおばちゃん(会話から船場の商家関係者とわかった)
が、戦時中食べたと衝撃の告白。
犬食いは戦中も行われていた。一般的かどうかは知らないが。
「赤犬はうまい!」というのは、大阪人なら誰でも聞いたことは有ろう。
誰(大阪人OR在日)が話の発端かはわからないが。
おそらく明治になって、かつて禁止されていた牛がおおっぴらに
食えるようになって、犬食いは廃れたのであろう。
日本人にとって、犬より牛の方が好みに合ったのでしょう!
また、薩摩における食犬は有名であったらしく、大田南畝(蜀山人)
(1749-1823)の『一話一言補遺』には「薩摩にて狗(いぬ)を食する事」
という項があり、「えのころ飯(犬ころ飯)」が紹介されている。犬の腹
を割いて米を入れ、蒸し焼きにするもので、島津藩候も食べたという。
108 :
日本@名無史さん:03/11/28 13:58
豊織政権時代に日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスは
「日本人は野犬や鶴、大猿、猫、生の海草などを食べる」と書いており、
当時の日本では肉食は普通のことであったらしい。また特に犬肉食について
は「われわれは犬は食べないで、牛を食べる。彼らは牛を食べず、家庭薬と
して見事に犬を食べる」とも言っているので、日本人は薬喰いと称して犬を
食べていたようである。
109 :
日本@名無史さん:03/11/28 18:05
先、書かれている犬食の犬と言うのは野生の犬のようだが、食用として飼育されてはいなかったのだろうか。
食文化と言う見方をするならば、食用飼育が条件ではないだろうか。
何故なら犬は元々家畜なので、猪や海産物と同列では無い。
なるほど。勉強になりまつ。
111 :
日本@名無史さん:03/11/28 18:55
>食文化と言う見方をするならば、食用飼育が条件ではないだろうか
>何故なら犬は元々家畜なので、猪や海産物と同列では無い。
意味が良くわからない。
鯨を食用飼育していたという話を聞いたことがなない。
112 :
日本@名無史さん:03/11/28 19:03
町中から野犬が居なくなるほど
みんな争って食べたのですね。
113 :
日本@名無史さん:03/11/28 19:47
スレタイ
古代「日本から伝えられた文化」は存在しないのか?
漆器は縄文時代からあるね。三代丸山からも出土。
で 英語では JAPAN
114 :
日本@名無史さん:03/11/28 20:17
亜細亜にはインドと中国とその衛星諸国しかない
115 :
日本@名無史さん:03/11/28 21:15
>>111 海産物は狩猟採集によって得るものです。ですから除外してといってるわけです。
陸上のものに限ってと言う条件をつけての発言ということを理解していただきたい。
元々家畜である犬が食用にされるのは当然の事と考えますが、日本人の一時期において
普遍的な食習慣とするならば、食用犬の飼育、あくまで食用目的食肉の為の家畜の飼育
という事がされていたのだろうか?という事です。先の書き込みでは、野生又は野生化
した犬の狩猟により食用されるという事なので、あえて質問形の書き込みをしたわけです。
日本においての使役、食用の両面から家畜の存在を知りたいと思うのです。
「四足は食ってはいけない」と宗教上の理由から食用獣が発達しなかったという
話を私は疑問に思うわけです。宗教の縛りが他民族と比較し薄い民族が何ゆえ宗教上の
理由で食肉用家畜の飼育をしなかったのか?宗教上という説明が間違っていると考えるのです。
農耕からみたら、家畜の糞尿は重要な肥料であるし活用するのが当然といえるし、労働力と同時
栄養源ともいえるわけです。
日本の農村における豚の役割というか解説している資料がありましたら御紹介ください。
宜しく御願い致します。
豚に限って言えば
仏教流入以前には普通に家畜として飼育されていたが、
食肉という風習が蔑視されるようになって野生化し、
猪に戻ったというのを仏教関係の本で読みましたが。
117 :
日本@名無史さん:03/12/22 23:46
勾玉の素材であるヒスイ(堅玉)は日本の新潟県糸魚川周辺と東南アジアの一地方しか取れません。
また、ヒスイ製品(主に勾玉や首飾り、装飾など)ですが、これらの生産場所も
糸魚川周辺のかなり大規模な工房跡が確認されました。
この地方の縄文人は、このヒスイ製品を用いて畿内や出雲地方、九州沿岸と交易までしていたらしいです。
詳しくは「糸魚川 ヒスイ」で検索でもしてみてください。
後、中国内部で取れるヒスイは(柔玉)といって構成原子の組織成分が日本のそれと微妙に異なります。
したがって一般に朝鮮半島でヒスイ製品と呼ばれるものは中国製の文物を指します。
ちなみに半島には中国製のヒスイ製品の発掘が数多く確認されましが、
日本製の勾玉などの装飾品類はいまだに出てきてないようです。
たぶん見つけたとしても人目に触れないよう厳重に封印すると思われますが。
最後に朝鮮半島では両方とも工房跡はおろか、鉱物としての出土例すらありません。
追伸、上の文は
>>100の質問に提出しました。
あしからず。
119 :
日本@名無史さん:03/12/23 00:06
>日本製の勾玉などの装飾品類はいまだに出てきてないようです。
ここはウソ。日本製かどうかは不明だが硬玉製の勾玉の出土はある。
朝鮮まで日本産の硬玉が輸出されていたという主張と
糸魚川産はミャンマー産に質が劣る点から日本国内の出土品も
ほとんどミャンマー産という主張まで諸説入り乱れている。
120 :
日本@名無史さん:03/12/23 00:08
日本刀の条件は、「折れず」「曲がらず」「良く切れる」ことだと言われます。
しかし、この条件には矛盾があります。つまり「折れない」と言うことは鉄が柔らかくなくてはいけません。
また「曲がらない」と言うことは鉄が堅くなくてはいけません。
1本の刀に柔らかくもあり、堅くもある鉄と言う矛盾する条件を解決するため、
比較的柔らかい鉄を、堅い鉄で包み込むと言う手法を用いました。
つまり、もなかのようにあんこを皮でくるむような形です。
これにより、外側の鉄は堅いので曲がらず、中には柔らかい鉄がくるまれてるので、衝撃を吸収して折れないのです。
外側の鉄を「皮鉄(かわてつ)」、内側の鉄を「芯鉄(しんてつ)」と呼びます。また、刃の部分を別に鍛え刃鉄として組み合わせることもあります。
また、「銃砲刀剣類等所持取締法」によると、「日本刀とは武用または観賞用として、
伝統的な製作法によって鍛錬し、焼き入れを施したものをいう」とあります。
つまり、和鉄を使って折り返し鍛錬で鍛えた堅い鉄と柔らかい鉄を組み合わせて制作されたものとなります。
従って、洋鉄で作られたもの、戦時中などのスプリング刀、鉄を打ちのばして刀の形にしただけのものは日本刀とは言えません。
また、基本的に所持出来ません。
朝鮮刀と日本刀の製法を比べたら真似かどうかわかる。
朝鮮刀の製法は?
121 :
日本@名無史さん:03/12/23 00:49
1300年前後から1800年前期まで中国〜朝鮮半島で作られていた日本刀で、倭刀という独自の名称を持つ。
日本刀を研究、改良した大陸版の曲刀で、オリジナルの日本刀を凌ぐとも劣らない殺傷能力を秘めた武器である。
上記の年代、日本海沿岸は「倭寇」という日本の海賊によって荒らされていた。明国も軍隊を配備しこれに備えたが、
倭寇の振るう日本刀の威力の凄まじさの前に総崩れとなる。明国軍の装備は木製の柄の槍であった。
日本刀はその柄ごと相手を叩き斬るのである。
日本刀の破壊力に勝てる武器は無く、武装の面で大きく劣る明国軍は各地で敗走し、以後、長らく海賊の跳梁を許すことになる。
日本刀の能力に目をつけた将軍達は日本刀を輸入し、独自に研究を重ねた。そして大陸の技術を用いてこの「倭刀」を生み出したのである。
倭刀は広く大陸に伝わり、軍隊の主兵装として取り入れられた。倭刀を用いた剣術も生まれ、倭刀は東アジア地方を代表する武器になったのだ。
また、倭刀や日本刀は西欧に持ち込まれ「アジアのベラボーに良く切れる剣」として様々な文献に登場している。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/two_wa-to.htm
あぼーん
123 :
日本@名無史さん:04/01/16 05:10
お抹茶粉
豆腐
味噌
124 :
日本@名無史さん:04/01/16 16:46
江戸時代は野菜や魚中心の食生活のはず。
飢餓の時だけでは。
125 :
日本@名無史さん:04/01/16 19:51
昔っから日本は、外来の文化を磨き上げてオリジナル以上に仕上げてしまうというのが得意だったそうだから、
あまりにレベルが高すぎるがために、逆輸入不能になっちゃったんじゃないかな。
「伝えた」はずの原文化が、日本で磨き抜かれて輝くのに、肝心のご当地ではろくに発達せずに廃れちゃうのはどうしてなんだろう?
126 :
日本@名無史さん:04/01/16 20:02
新幹線で言うなら朝鮮は静岡駅
のぞみ(文化)の単なる通過駅に過ぎない
前にNHKで江戸時代には犬を食べる人もいたと紹介していた。
何の文献かは覚えていないが料理関係の本だったと思う。
ただし、そこでは「かぶきもの」が犬を食べ庶民はそれを嫌っていたとある。
またそれらの人たちは朝鮮系の人たちが犬を食べるので
それを真似していたと紹介していた。
同じ番組ではさんまの脂は少ないほうがおいしいとされていたとか
寿司はご飯ではなくおやつ(銭湯に行くついでに食べる?)だったとか紹介していたと思う。
128 :
日本@名無史さん:04/01/17 11:12
> 曇徴は紙、墨、硯をつくる技術を「教えてあげ」
> 「法隆寺の金堂壁画も彼の作品として知られてる」
曇徴は610年に渡来。法隆寺は670年に焼失。のち再建。
おいおい(笑)
ちなみに、日本にはそんな説はありません。
韓国だけです。
>>1 昔から日本は、文化にもならない原文化を輸入して、高度に磨き上げるのが得意だったからね。
半島から伝わった文化はいっぱいあったんじゃない?
「文化」とも呼べないような状態のものであったとしても。
で、そうやって高度に磨き上げられた文化は、もはや半島の人にとっては輸入不可能なほどレベルが高すぎてしまったのかもしれない。
>74
亀だが。抹茶の飲み方は宋代に臨安で発生したはず。
かの地の水質が悪く水がまずかったので茶葉を粉状にして
拡販することにより風味で水の味をごまかしたそうな。
寺で精神と身体にいいという触れ込みで、一種の薬として普及。
禅僧メインで伝わり室町初期には貴族や上級武士の間で流行に至った。
宋代の飲み方はいわゆる天目茶碗に各自抹茶の粉を入れてもらって
小間使いの坊主が一人一人にお湯を注ぎ、順に点てるような感じで
濃茶風にどろっとたてたらしい。
水滸伝で魯智深が出家させられる辺りの描写でも当時の
お茶の飲み方とかが正式、略式の茶店風なんかで色々出てくる。
お茶がらみでいえば、焼き物とかは高麗、朝鮮の、個人的には好きだけどな。
中国の焼き物は完璧手技というか文字通り技術と能力の粋をつぎ込んで、
みたいなのが多くて、日本のは抽象的というか、厳しかったり遊んでたり、
作者の作為を楽しむような部分が大雑把に言って大きい。
高麗手のはちょうどその両者の中間というか、
完璧すぎず作為も強すぎず、適度に個性があって
他の道具との取り合わせがしやすいものが多い。
茶道の起源なんぞ捏造せんでも、かの地の無名の陶工の作った井戸茶碗が
幾つも日本の国宝になってることなんかは普通に誇っていい事だと思うけどなあ。
飯茶碗を見立ててそこに新しい価値観を見出した茶人も偉いけど、
それだけの美を内包した品を作った功績は当然陶工に帰せられるもんだろう。
132 :
日本@名無史さん:04/01/29 14:11
半島から縄文式土器が出土していること
133 :
日本@名無史さん:04/02/09 03:22
東南アジア、インド、中東、西洋から伝わったものも多い
134 :
日本@名無史さん:04/02/09 04:21
織田信長だって、イタリヤの甲冑つけてたんだぜ。
家康だって、ヨーロッパの甲冑だぜ。
あの時代だって、日本人はヨーロッパ文化が好きだったんだよ。
こぎたない中華なんか、もういらなかったのよ。
大体、信長はワイン飲んでただろ?
臭い小康酒なんて飲んでいなかったでしょ?
韓国の歴史 国定韓国高等学校歴史教科書 明石書店
P410 対日宣戦布告と韓国光復軍の活躍
太平洋戦争が始まると、臨時政府はすぐに対外活動を展開し、
対日、対独宣戦布告文を発表、韓国光復軍を連合軍の一員として
参戦させた。韓国光復軍はビルマ、インド前線にまで派遣され、
イギリス軍との連合作戦を遂行することもあった。・・・
中国駐屯のアメリカ軍と連合し、国土修復作戦の任務を負った
国内挺進軍の特殊訓練を実施し飛行隊まで編成した。しかし
1945年8月15日の日本の無条件降伏によって、韓国光復軍は
その年の9月に計画していた国内進入作戦計画を実行することなく
祖国の光復を迎えたのであった。
そもそも,「起源」だの「土着の文化」だのに拘泥する思考法をこそ改めるべきだと思ふよ.
文化には伝播性があり,移植されうる.起源がどこであれ,伝播され移植され根づいたもの
だけが,そこでのホンモノの文化になる.
起源が外来のものだといふ理由で,箏や三味線や尺八を日本文化ではないなんていふ人は
ゐないでしょ.
>>50 附近のひとへ
道教と神道の関係は,一方が一方の起源といふよりも,同根のものといふべきでせう.
東アジア全体に古代においてひろがってゐた霊信仰(タマ信仰やカミ信仰)がもともとの信仰
で,それが経典をもち体系化されたのがシナの道教ってわけです.もちろん,道教成立後の
影響関係はあるけれど,それ以前の原始宗教の段階ですでに共通性があったといふべきでせう.
スレの本題から大きくずれてるようなんだが
日本から伝えられた文化 だろ
~~~~~~~~~~
139 :
日本@名無史さん:04/02/28 06:07
櫛目文土器は縄文の半分の歴史もない事実
>>138 わたしに云はせれば、日本は三味線の国であり、三味線がなければ日本ではない。
つまり、「日本のはじまり」は、安土桃山時代。それ以前は、プレ日本。
したがって「古代に日本から伝へられた文化」も論理的に存在しえない。
141 :
日本@名無史さん:04/02/28 09:02
チョンはただの通り道であって
伝わったものは中国やさらに西のものだろ。
チョンを通った事で逆に粗悪になったから
わざわざ遣隋使、遣唐使を遣わして
中抜きしたわけだし。
142 :
日本@名無史さん:
半島の旧馬韓地域には、前方後円墳が、たくさんある