天皇陵の指定を見直そう!

このエントリーをはてなブックマークに追加
186日本@名無史さん
◆伝・仁徳陵出土の品
 アメリカ・ボストン美術館には仁徳陵から出土したと伝える環頭太刀の柄頭,
獣帯鏡,三環鈴,馬鐸の四種の品がある。同美術館の所蔵となったのは1908年
(明治41年)のことである。
 これらの遺物が世に出て,海を渡るまでのいきさつについては,「百舌鳥耳
原洪寶録」(『考古学』9−1)にくわしく記されている。
 それによると,明治25年の秋に,この品を百舌鳥村の老人が携えてきたので,
たぐい稀な豪華さから,これこそ百舌鳥の仁徳陵にふさわしいものと思ったと
いう。
 「仁徳陵出土」というのはここからはじまったのである。したがって,この
報告どおりだとすると,仁徳陵古墳の副葬品であった根拠はないのである。
 しかし,金象嵌の環内に単鳳を飾り,柄を銀線で巻いた環頭大刀と,繊細な
文様と銘文を鋳出した獣帯鏡はきわめて優品であり,これと同様の環頭太刀と
鏡が,百済の武寧王陵(523没)から発見されていることからみても大王墓の
副葬品としてふさわしいものであり,おそらく,百舌鳥野の,5世紀後半につ
くられたいずれかの古墳から出土したものであることは間違いないであろう。

堺市博物館『大王墓の時代−百舌鳥古墳群・よみがえる五世紀−』(1996年)より
※1 引用にあたって漢数字を算用数字にあらためた
※2 2ヶ所の「環頭太刀」は原文のママ