赤松円心とか赤松政則とか語ってくれ。 話題がなくなったら一門の有馬・別所、家臣の浦上・松田・小寺・上原なんかもよろ。
2 :
日本@名無史さん :03/04/17 04:46
赤○はチョソ
(^^)
4 :
日本@名無史さん :03/04/17 20:54
赤松スレって初のような気がするんだけど。なぜ再興?
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
6 :
日本@名無史さん :03/04/20 23:52
赤松氏は好きなのでageておく。 有馬・別所・浦上・松田・小寺と有力家臣に独立されまくりの大名だが、赤松<刀工大名>政則は大好きだ。
7 :
日本@名無史さん :03/04/20 23:57
悪党の裔/北方謙三 は面白かった。
8 :
日本@名無史さん :03/04/24 18:22
赤松満祐の背が異常に低かったってほんと?
9 :
日本@名無史さん :03/04/24 23:59
>6 政則は「赤松小判」まで作ったもんね。 俺も子孫の一人として赤松マンセーです。 >7 俺は円心の活躍を書いた「播磨燃ゆ」が好き。 地元の作家さんの作だけどね。 あと、最後の赤松一族を書いた「花盛りの城下で」も 内容は大した事ないが、数少ない後期赤松の小説なんで読んでみ。
赤松家って朝倉と因縁が深いんだよな。 浦上宗景は守護代訴訟で世話になってるし 魚住・宇野は、分派が朝倉家臣に転身してるしね。
12 :
日本@名無史さん :03/04/27 00:00
加賀半国守護にもなってるしね>政則 もう片方があの富樫政親とゆうのが面白い。
13 :
日本@名無史さん :03/04/27 16:55
そして野々市から追い出された
赤 松 は 戦 国 の 負 け 組
15 :
日本@名無史さん :03/05/05 10:40
>10 知らなかった。 何で転身したんだろう。
16 :
日本@名無史さん :03/05/05 11:14
赤松は朝敵。つうか大逆犯
17 :
日本@名無史さん :03/05/05 23:44
谷崎潤一郎の「乱菊物語」を読んでみたら?
18 :
日本@名無史さん :03/05/06 20:59
浦上の野郎こそが大反逆者だ。 義村を室津で軟禁して、殺害するしよ。
>>15 「魚住氏」…赤松氏族・大中臣氏族など諸説あるけど、
播磨明石郡の魚住明貞が建武年間に赤松に属して、その四世孫景貞が嘉吉元年に
越前下向(赤松没落のため)。
朝倉東軍寝返りのとき浦上則宗との間を取り持ったのが景貞。
「宇野氏」…勘違いみたいですソースがでてこなかった。スマソ。
「山崎氏」…赤松氏範の孫次郎某の裔山崎長時が朝倉家臣に伝承してます。
20 :
日本@名無史さん :03/05/07 00:13
19>> なるほど。 加賀には小寺藤兵衛(名前がわからない)という者を派遣して治めていたみたいだね。 子孫が残っているみたい。 詳しいことを知ってる人います?
21 :
日本@名無史さん :03/05/07 08:48
小寺藤兵衛ってあの黒田如水が仕えてた御着城主の小寺藤兵衛の先祖?
22 :
日本@名無史さん :03/05/07 22:48
黒田如水仕えていたのは小寺政職。 赤松氏の守護代・小寺藤兵衛は長禄2(1458)年10月、加賀に押し入り、冨樫氏被官の岩室氏と合戦して北加賀への入国を果たしました。 加賀は冨樫泰高と成春という叔父甥の両家に加えて、外来の赤松氏守護代・小寺藤兵衛が三つ巴となったらしいのだが、名前がわかりません。
23 :
日本@名無史さん :03/05/08 15:27
24 :
日本@名無史さん :03/05/10 00:10
赤松氏は、常陸国(茨城県)にも飛び領があったらしい。 つくば市の手子生城の城主が赤松則実という人物だったという伝承が ある。 戦国時代に入ると、常陸赤松氏は近隣の有力者の小田氏の配下に入っ たらしい。
25 :
日本@名無史さん :03/05/10 01:31
>>24 直接関係ないでしょう。
手子生城も築城は小田氏らしいし。
26 :
日本@名無史さん :03/05/11 21:55
今の茨城県八千代町の若というところに赤松祐弁なるものが土着し多賀谷氏の家臣として活躍していた。 祐弁は観応の擾乱の際に直義に味方し敗れて逃げてきたとも、嘉吉の乱の際に逃れてきたとも言われている。 つまりよくわからない。 赤松円心の一族だと名のっていたそうだ。 和歌城跡に墓があるらしいが、見に行ったけど見つけられなかった。
>>22 「小寺氏館跡」…石川県小松市小寺町
郡代小寺藤兵衛則識(職か?)の館というが詳細不明。
(日本城郭体系6より)
この人物のことかな?
29 :
日本@名無史さん :03/05/17 01:13
>>27 ありがとうございます。
いつか行ってみます。
ところで、和歌山県日高郡に赤松山城というのがあります。
赤松氏が築城したとの言い伝えがあるそうですが、どなたか
詳しいこと知っていたら教えてください。
30 :
◇TX.Dz2qTUo改め ◆ASAQA/tg8U :03/05/19 21:08
>>29 ただ
>>27 に関して疑問だったのは、赤松家が領したのが加賀北半国であって、
小寺屋敷跡とされる加賀南部という地域がそれに該当しないということなんですよね。
飛び地として小松市周辺も充てがわれていたのか、その辺は機会があったら調べてみます。
31 :
日本@名無史さん :03/05/20 00:18
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 赤松は負け組みなのに未練がましいね \____________ _______ V ,――、 ,――、 / ヽ \ | _.ム | ,――、 ,――、 \ ――  ̄\ノ / ヽ | / \ | | _.ム ノ / ー ー | | \/ ̄  ̄ ̄\ | (・) (・) | | / ,-―――-ヽ | __ ● __ | | / / / \ | |=__ = | | | / ,(・) (・) | /_ \ 》 / \ | | __ ● __ | \  ̄ \ | | =__= | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ /__// < 負け組みらしく黙っててくれ /| \ /\ \______________
32 :
日本@名無史さん :03/05/21 18:36
赤松満祐の弟、則繁は倭寇になったってほんと?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
34 :
日本@名無史さん :03/05/22 02:54
>>32 本当。
嘉吉の変の後、日本にいられなくなったので朝鮮半島に渡って、
「清水将軍」と自称して倭寇の大将になった。
朝鮮半島や中国の沿岸を荒らしまわったあげく、密かに帰国した
が、幕府の隠密に見つかって国内を逃げ回った。
河内国(今の大阪府)に隠れていたところを発見されて、殺された。
兄の満祐が将軍義教を殺した時は、義教が動かないように腕を掴んで
いたらしい。
なんで詳しいかというと、漏れの母の実家が兵庫県加西市で、赤松則繁
の居城の善防(ぜんぼう)城のすぐ近くだから。
35 :
日本@名無史さん :03/05/22 03:00
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 則繁って日本の恥さらしなんだね \____________ _______ V ,――、 ,――、 / ヽ \ | _.ム | ,――、 ,――、 \ ――  ̄\ノ / ヽ | / \ | | _.ム ノ / ー ー | | \/ ̄  ̄ ̄\ | (・) (・) | | / ,-―――-ヽ | __ ● __ | | / / / \ | |=__ = | | | / ,(・) (・) | /_ \ 》 / \ | | __ ● __ | \  ̄ \ | | =__= | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ /__// < 救いようがないDQNだな /| \ /\ \______________
36 :
日本@名無史さん :03/05/23 18:15
37 :
日本@名無史さん :03/05/23 18:38
>>6 有馬は赤松一族だけど、家臣ではありません。
摂津有馬郡守護。
赤松有馬元家は義政初政期の側近で、いわゆる「三魔」の一人。
ちなみに当時まだ赤松本家は逼塞中。
38 :
日本@名無史さん :03/05/23 19:35
でも元家は政則に頃されたんだよね
39 :
日本@名無史さん :03/05/25 01:49
>>30 なるほど。ありがとうございます。
小松市は加賀の南部なんですか。
調べてみる価値がありますね。
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
加賀の小寺氏について補足。 やはり加賀南部に勢力を持っていたようですね。 江沼郡作見城(別名藤丸砦)を拠点に小寺(藤丸)新介という人物が居たみたいです。 「加賀藩給帳」に見える「六百石 小寺杢右衛門某とあるは、その後裔なるべし」とありますです。
42 :
日本@名無史さん :03/06/19 01:41
小寺って「おでら」「こでら」?
43 :
日本@名無史さん :03/06/19 01:53
義則の時に明徳の乱での軍功で美作を獲得したものの、嘉吉の乱で山名持豊に旧領回復どころか、大半の領地を奪われ、山名は中央政界に進出… しかし、満祐ってかなり短気・頑固な所があって、義持や義教から疎まれ、両将軍の庇護にあった傍流系に取って代わられそうになった。 ある意味悲惨ですね。満祐って・・・ あとなぜ、直冬の子冬氏を擁立したんですかね?
44 :
日本@名無史さん :03/06/19 17:47
梨華ちゃんといっしょに44
そーいや、将軍義教の男妾赤松貞村と争った赤松満祐の入道名って「性具」だよな。。。 ホモvsバイブかよ!!! 一応突っ込んどく。。。
46 :
日本@名無史さん :03/06/20 01:48
>>43 >あとなぜ、直冬の子冬氏を擁立したんですかね?
単純に、追討軍をおくる幕府に対抗するため、
名目だけでも神輿を担いだほうがいいからでしょ。
47 :
日本@名無史さん :03/06/20 02:43
「性具」とは書くが「しょうぐ」とよむ。
48 :
コーヒーと夕方 :03/06/20 18:29
>>9 赤松小判は一枚400万円もするぞ。一度で良いので見てみたいものです。
>48 たったの400万で買えるのか。安いな。 どこで買えるのか教えてくれ。 家宝にするよ。
>>41 禿同
話変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
53 :
日本@名無史さん :03/07/22 00:26
別所長治なんか、NHK大河の題材にならないかな
(^^)
55 :
日本@名無史さん :03/08/06 21:08
>53 合戦シーンが最後しかなく盛り上がらんぞ。それも持久戦だしな。 若くして死んでるから、ストーリーも短いしな。
赤松健は赤松氏の子孫。 漫画をやめて、なんかしよう。
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
58 :
日本@名無史さん :03/09/06 20:01
浦上を婚礼の日に虐殺した赤松政秀最高!!
赤松政秀はもうちょっと評価されてもいい武将だな。 息子の漢学ヲタ広秀も。
血筋的には龍野赤松家が惣領家にもっとも近い。 そういう意味で龍野赤松家の滅亡は痛い。 しかも、取り潰し・切腹の理由が 「関が原で勝敗決まった後に鳥取城下に火をかけて無益な事をしたから。」 だから割り切れない。 関が原前後では、もっと酷い事した武将が大勢いたのにな。 家康のクソ野郎が。
61 :
日本@名無史さん :03/10/15 20:55
>>60 しかもあれは他の大名がやったのをその大名が責任逃れのために罪をなすりつけたと言う説もある。
62 :
日本@名無史さん :03/11/27 21:36
一月以上、動きがなくてもかまわない。 なんたって赤松スレだから。復活の話題は 赤松則英でどう?
則英ってほんとに則房の子?
64 :
日本@名無史さん :03/12/07 12:53
赤松則英 ?〜慶長五(1600) 上総介。則房の子。阿波板野郡住吉一万石を領す。 関ヶ原の戦いで西軍に属し、佐和山城の守備についていたが 敗れて京都戒光寺で自害した。
65 :
日本@名無史さん :03/12/07 12:59
赤松家、則英で断絶。スレ終了。
66 :
日本@名無史さん :03/12/07 22:52
健で再興。スレ再開。
その赤松だと違う話題になるぞw
村上源氏なんだろ?赤松 てことは公家の中院や北畠、信濃の村上とも同流なんだよな
69 :
日本@名無史さん :04/01/25 05:33
age
雷電
幕臣の赤松はどの系統でつか?
同級生に赤松姓の香具師が結構いたんだが まぁ地元だし末裔かなぁとも思っていたのだけど やはり明治新姓が大半なのだろうか?
>72 捏造が大半。
>71 赤松庶流の別所氏の一族。 途中で赤松姓に戻したが、血統的には嫡流には程遠い。
最近、赤松円心の子孫だという家に嫁に来ました。 で、私の実家は元祖江戸城の大田道灌の子孫なんですけど 旦那と「どっちがスゴイのか」で言い合いになりました。 私は赤松円心を知らず(失礼・・)旦那は大田道灌を知りません。 そこで、皆さんの判定をお願いします。 歴史好きに加えて古典文学好きの私としては、失礼を承知で道灌を推したいでつ。
赤松円心の方が格上。 赤松は天皇に拝謁したことがあり、室町幕府の重臣でもある。 太田道灌は地方の地侍であり、将軍から見れば陪臣のその又 家臣でしかない。また赤松円心は築城の名人でもあり、戦の 名人でもある。六波羅探題攻略の最高の功労者。
77 :
日本@名無史さん :04/02/28 13:26
77
78 :
日本@名無史さん :04/02/28 13:36
79 :
日本@名無史さん :04/03/04 12:48
俺赤松円心の子孫なんだよ。75の家は遠い親戚になるのかな。 ちなみに、ちゃんとした系図もあるよ。居間に掛軸として飾ってある。
80 :
日本@名無史さん :04/03/04 13:20
あのー、赤松満祐は、忠臣蔵で有名な播州赤穂の領主だったとどこかで読んだ記憶があるのですが ほんとうでしょうか。
81 :
日本@名無史さん :04/03/04 23:07
最近は松喰い虫に喰われて、赤松は絶滅の危機だね〜 え?そう言うスレじゃない?
家臣団のうちのひとつの子孫です。 山名氏ね!持ち城を3つ(全部)落としやがって! その後、先祖はひたすら没落じゃ!ショボーン・・・ 山名めぇえ!! でも、はつこひの人が山名さんだった・・・ 何かの縁?振られたけどw
>80 播磨・備前・美作の3カ国の守護でしたから、赤穂も領地の内ですね。
84 :
日本@名無史さん :04/03/30 22:05
平成の手打ち式アゲ
85 :
日本@名無史さん :04/03/31 00:37
>>83 いや。赤穂は浅野家の領地でしたよ。
大石家は赤松家の家老ではなくて浅野家の家老でした。
86 :
日本@名無史さん :04/03/31 02:17
>>83 播磨の守護であっても、赤穂の領主である確証はあるのか?
87 :
日本@名無史さん :04/03/31 02:18
小寺って赤松一族出身じゃないの?
88 :
日本@名無史さん :04/03/31 02:44
>>56 ねー知ってる?
愛し合う二人が一緒にトーダイに入ると、シアワセになれるんだって。
大きくなったら二人で一緒にトーダイに行こうね。
89 :
日本@名無史さん :04/03/31 03:01
age!
90 :
日本@名無史さん :04/03/31 06:47
おまえら、赤松氏族の子孫か?
91 :
日本@名無史さん :04/03/31 06:49
赤松健?
92 :
日本@名無史さん :04/03/31 14:36
自称村上源氏
93 :
日本@名無史さん :04/03/31 14:40
>>88 恋人同士で東大に入るってのは
大変だと思うぞ。
94 :
日本@名無史さん :04/03/31 14:56
>>93 マジレスするほどのことでもなかろうに・・・。
レスをどうも。 >83 浅野は常陸笠間からの転封ですね。内匠頭までわずか3代。赤松はそれよりずーと前です。
96 :
日本@名無史さん :04/03/31 16:33
だから、守護=領主なのか?
いちいち相手にすんなよ。バカなんだから。
98 :
日本@名無史さん :04/03/31 19:26
(゚д゚)ユエー
みなさんのレスを読むと、赤松満祐は播州を含む播磨の守護だったけれど、 赤穂の領主だったとか、赤穂が赤松の拠点だったという記録なんかはないようですね。
100 :
日本@名無史さん :04/04/01 01:09
まあ、本来的に守護=一円領主ではないからね。
基地の外の人が多くて困るね。 まず、あいまいな質問を80がしているのが悪い。 室町時代は、赤松家の領土だったから、83の答えは正しい。 江戸時代の元禄期は浅野家の領土だったから、その他の方の答えも正しい。 80が時代を特定して質問してれば良かったのに。 それと領主の考え方も色々だから。 例えば戦国時代の尾張国は、織田家の領土と言えるが細かく見ると荒子は前田家の領土。 荒子は尾張の国の一部だから織田家の領土と考えるのも正しい。 あくまで織田家に従ってはいるものの前田家の領土だから、織田家のものじゃないと主張する考え方も正しい。 要は、解釈の違いという事。 それを判らずに、ぐちゃぐちゃ書いてる奴らはウザイ。
101 信長オタ光臨
103 :
日本@名無史さん :04/04/24 14:15
所詮赤松なんて、良くて四職どまり
104 :
日本@名無史さん :
04/04/27 00:20 赤 松 は 戦 国 の 負 け 組 み