父子国盗り物語―長井新左衛門と斎藤道三

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1 ◆v38X7SPpro :03/04/05 21:50
油売りから一代で国持ち大名になった梟雄と言われる斎藤道三だが
現在の歴史研究では、父子二代掛かりの事業だったという説が有力である。

参考サイト
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/6772/
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/6772/kunitori.htm

漏れのイメージはこう。
「油売りから、陪臣とはいえ美濃の有力者に成り上がった
松浪庄五郎改め長井新左衛門。しかし、その実力を恐れた
主・長井長弘と美濃守護・土岐政頼の粛清に遭い、窮死する。
息子・利政は復讐のため政頼の弟・頼芸に接近、助力を得て仇を討つ。
やがて、新たな守護となった頼芸との間に対立が生じ、長井利政改め
斎藤秀龍は、恩をあだで返さざるを得なくなる……」

喪前らはどうですか?
2日本@名無史さん:03/04/05 23:02
北条五代とは違って、意外としょぼいよな。
3日本@名無史さん:03/04/06 19:25
道三が生まれたのはいつだったのだろう?
油屋である奈良屋(山崎)庄五郎の子としてか
長井家に仕える陪々臣・西村勘九郎の子としてか
斎藤家に仕える陪臣・長井新九郎の子としてか……

長編の小説かドラマを書くとしたら
どの設定を取るかによって書き起こし方が違ってくるな。
4日本@名無史さん:03/04/13 17:01
つうか、平凡社の世界大百科でも小学館のニッポニカでも
「親子二代」が明記されてますな。もう「説」じゃない。

>>1
道三の、長井氏時代の実名は「規秀」。斎藤氏を名乗ってから利政→秀龍と改めた。
5日本@名無史さん:03/04/14 16:52
>>4
長井時代は「正利」、齋藤を継いでからは「利政」じゃないの?
秀龍とか規秀というのは俗説でしょ?
6日本@名無史さん:03/04/14 17:49
義龍、長龍、龍興など子孫が通し時にしてる
「龍」は秀龍から始まったのでは?
7山崎渉:03/04/17 13:43
(^^)
8山崎渉:03/04/20 02:13
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
9日本@名無史さん:03/04/30 00:02
司馬遼太郎がその説は違うと言っているらしい。草葉の陰から
10日本@名無史さん:03/04/30 00:06
司馬が『国盗り物語』を書いた頃、すでに六角氏文書の件の
問題に関する物は見つかっている筈だが・・・
11日本@名無史さん:03/04/30 00:07
国盗り物語は歴史小説だろ…
12日本@名無史さん:03/04/30 14:40
>>6
それは道三の子
一色義龍
からでしょう。
13日本@名無史さん
「ふたり道三」はフィクションが多すぎて不満だったなあ。
出来るだけ史実に忠実で、事実と事実のスキマをフィクションで
埋めるのが俺の好み。
フィクションの部分もそのキャラや時代背景を考えた上で
いかにもありそうなこと、言いそうなセリフで構成して欲しい。