438 :
日本@名無史さん:04/02/15 18:33
>>8 が正解。
>>11 のようなタイプが「その時点の常識に染まって急先鋒に走りやすい」タイプ。
439 :
日本@名無史さん:04/02/15 18:57
日本女は世界の公衆便所、これ定説
村社会における恥の概念がキーだろうね。
後、国家存亡の防衛戦と思ってた奴が多い。
神風特攻隊の連中とかの遺書っつーの?を見たけど
家族や友人たちを救う為に死地に赴く、っていう意気込みが良く見える。
当時の日本はイラクと違ってそこそこまともな社会を形成してたわけですよ。
それを守らなければいけない。
ってところからくるんじゃないかと。
イラクはフセインとその出身民族による独裁支配体制なわけで。
国民がそれに殉じる必然性がないじゃない。
441 :
日本@名無史さん:04/02/15 19:24
日本オタ、必死だな
人民のファシスト兵に対する決死の肉弾攻撃は世界史上最も大規模かつ勇敢なる戦戦士の叙事である。
ファシストになる前から日露戦争でも肉弾だったけどな。
それは論点が曇ってるよ。
444 :
日本@名無史さん:04/03/17 00:25
自分が戦わないと自分の家族と友人がみんな奴隷にされるか殺される
と思い込まされていたんだと思うよ。
当然自分が捕まったら殺されると思ってただろうしね。
人がそういう行動にでるのは、難しい理想とかのためじゃなくて結局
一番身近な人のためなんだと思う。
445 :
日本@名無史さん:04/03/21 11:48
はげ
446 :
日本@名無史さん:04/03/21 11:50
降伏したら軍の機密をペラペラしゃべるのも日本人。
日本軍捕虜の写真集がある。それによれば
大平洋の島嶼地域の日本守備軍はアメリカ軍が攻撃もしないうちから
部隊ごと降伏してくるケースがほとんだったという。
しかも捕虜になってからも飯がマズいだの少ないだの傲慢な不平を
漏らすのが日本軍卒の特徴でドイツ軍とはえらい違いだったという。
玉砕なんてのも一部であったのだろうが、そんなのは戦争だったら
古代から現代まで普遍的にみられる現象だ。
カミカゼ特攻なんてのも昨今の自爆テロと同義で日本軍の専売特許
では無い。アメリカ海軍機が日本の空母や基地に特攻した例もたくさんある。
味方がやられたから頭に来て玉砕上等で特攻をかけるのも
戦争なら古代から現代まであたりまえの現象。
ジャワ島には20万人以上の日本軍がいたが、開戦時から終戦まで
あそこでは戦闘行為はゼロで、兵器や弾薬は新品のままだった。
住民も友好的で食料や娯楽も豊富だったという。
ジャワからタイに転戦した俺のじいさんは兵隊生活は極楽だったという
じいさんはタイで捕虜になったが、収容所はイギリス軍が管理しており
完全な自治が認められており、
「世の中が全てあの収容所みたいだったら天国なのに」
と言っていた。
ごく限られた一部のラッキーな兵隊の話だろうと無視するわけにはいかない
ジャワといえば日本軍の最重要拠点で日本全軍の1割強があそこには集結していた
そういう戦争体験者が日本軍全体の何割かいたのだが
そういう記録が残る事はほとんど無い。
恐れていたがNOと言えない日本人なので、「一億総火の玉」という風潮に逆らえなかった。
449 :
日本@名無史さん:04/03/21 13:34
>>443 日露戦争がファシストによって戦われた、いや、近代日本の存在自体がファッショであったという証明。
>>447 一応、情報源の写真集の名前をお願いいたします。
451 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:59
米軍による日本兵捕虜写真集
山本 武利/編 青史出版2001
という本です。捕まって開き直っている奴とか
喜んでいる奴とか、超生々しいきれいごとぬきの写真満載です。
日本軍卒が特殊でも狂っていた訳でも無く、現代の我々と同じような
感性を持っていたんだなと実感できます。
453 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:08
そりゃ1945年8月15日以降になれば降伏したろうな。
>440
実際西洋人に攻め込まれたら
絶滅させられるかも
と思っても不思議はねーよ。
現に南北アメリカ大陸でおなじモンゴロイドは
絶滅させられてるんだから。
455 :
インディアン:04/03/21 21:14
>>455 おまえ自分の言葉話せるのか?
酒ばかり飲んでいるなよ。
そのうち良いことあるって。
457 :
日本@名無史さん:04/03/21 22:31
>>456 間違いを指摘されたからってそんなに興奮するなよ。
>>454 おまえ、植民地スレでもバカにされてたやつだなw
>>457 俺?多分、人違いですよ。454じゃないですよ。
インディアンはアルコールで駄目になる人が多かったから、
自分の言語を失ってしまう部族が多いから、
ちょっと乗ってみたんですけどね。
通じなかったようですな。
ていうかつまらないからね。
ていうかつまらないからね。
ていうかつまらないからね。
463 :
日本@名無史さん:04/03/22 01:57
米軍が捕虜を殺しまくるから、捕虜が少ないように思われるのではないか?
というか、日本兵の投降を受け入れないという話も聞いた。
464 :
日本@名無史さん:04/03/22 02:49
日本兵は降伏するふりをして近付いた米兵に隠し持った銃や手榴弾で攻撃するDQNが多かったから捕虜にしたがらなくて当然だろ。
465 :
日本@名無史さん:04/03/22 02:55
守るもの、っていうか信念が強ければ、人は勇敢になれるんじゃないの?
イラクの場合、それが希薄だったんだろ、きっと。
サダム・フセインが、マジで国民に慕われる偉大な指導者だったなら、
もっとマトモに戦ったよ、イラク兵。
イラクは部族群の連邦国家だからな。
部族の利益が第一で、国歌としてのまとまりは案外もろい。
戦場の現場ではいろいろあっただろう。
典型的といえる行動なんてものは存在しない。
ひとそれぞれだ。
今「日本兵ならこうしただろう」とか思ってるような奴こそ
いざ戦争になれば状況に流されて特攻隊に志願してしまう奴に違いない。
現場では色々あるだろが、本土の日本市民の反応は特異だよ。
死ぬことを誉とする風潮がまかり通っていた異常さ。
469 :
日本@名無史さん:04/03/22 13:13
山本七平 空気の研究
470 :
日本@名無史さん:04/03/22 14:21
逆に死ぬのが怖くない人間であれば、十人やそこらのテロリストでも全米を
震撼させられる。自爆テロが続く限り、イスラエルだって先進諸国の仲間入りは
できない。アラブ諸国すべてが親米、親イスラエルになったところで死ぬのが
怖くないイスラムの狂信勢力がいる限り、イスラエル人は安心して眠れない。
アメリカだって、私の予想通り、フセインもイラク人も死ぬのが怖い人たちだった
からあっというまに戦争を終わらせることができたが、これがイランのシーア派の
政権のように死ぬのが怖くない国との戦争になって、泥沼化して、多数の米兵が
死んだ場合、世論がもたなくなって戦争を終わらざるを得なくなるかもしれない。
ベトナム戦争に負けたのだって、現実にはそういう理由で、別にアメリカの本土が
攻められたりしたわけでないのだから。
http://www.melma.com/mag/76/m00018676/a00000064.html
471 :
日本@名無史さん:04/03/22 14:49
時代が望むならば敢えて狂ってみせよう。 いつだって生き残るのはカスばかりさ。
私はな〜んで このよう〜な
つら〜いつとめを せにゃなあらぬ
これもぜひない 国のため
473 :
日本@名無史さん:04/03/22 16:01
白虎隊!!!!
現代でも国の為に死んだら、そいつは英雄だろう。
戦争中に限らないよ。
戦死したら恩給という形で具体的な金銭がもらえるというメリットもある
もちろん名誉という目に見えないメリットもある。
そのことを知らない人はひとりもいなかった。
アメリカ軍は死傷者が40%を超えたらその作戦は中止という方針だった
40%という数値にはなんら根拠が無かった。ただ慣習となっていただけらしい。
日本軍はたまたま作戦中止の限度が死傷者100%だったというだけだろう。
>>474 日本軍のバンザイ突撃は
「作戦中止の限度=死傷者100%」じゃなくて「目標=死者100%」
なわけですが。
死を恐れるのは武士の恥。
士族以外もそんな感じだったのかな。
ホントは怖かったんだろうなぁ。
一般的に陸上戦闘の場合、部隊構成員の3分の1が死傷すれば、“大損害”
って言われているらしいけどね。
>>477 それだけの損害出たら基本的に戦力維持できないからね。
8割がたの日本兵は死を恐れましたが何か?
なぜ「日本兵は何故死を恐れなかったか」って一般化するの?
死を恐れなかった日本兵は死んでますよ。
19世紀南米パラグアイの独立戦争では全国民の8割が戦闘で死亡した。
兵隊じゃないですよ。女子供まで含めて国民全員が特攻しました。
それに比べると我が国では・・・。
実際巷間言われているほど戦時中ってのは極限状態ではなかったわけでして、
終戦の日にも銀座でビールが飲める店があって、撮影所ではエノケンの喜劇
撮影していましたし。電車も時刻表どおり動いていました。
俺のばあちゃんは終戦の日は箱根に遊びに行って馬に乗ったり温泉に入ったり
してたそうです。
焼け野原になった東京でさえこうなのですから、地方では戦争をやっている
という実感とは程遠い生活でした。食料は豊富だし、四国の宇和島の親戚の話では
山に爆弾が落ちたので村人全員でお弁当を持って爆発で開いた穴を見物に
いったそうです。
日本全国が「蛍の墓」や「はだしのゲン」状態だったわけではありません。
当時の普通の市井の人々の感情とか生活はあまり語られません。
語っても誰も得しないからです。
山本夏彦の「誰か戦前を知らないか」という本、新書判で出ててどこの
本屋や図書館にもありますから、読んでみて下さい。目からウロコが落ちます。
我々は「戦前戦中真っ暗史観」といういかに偏光した教えを真に受けて
教育されてきたかがわかります。
非国民の開き直りか
全国民の8割って...極端な例を持ち出すなよ。
俺が戦前戦中の話で目から鱗が落ちた最初は、「僕達の好きな戦争」読んだ時だな。
うちの爺さん婆さんの口から出る戦中の話も呑気な話ばかり。
勿論、俺が沖縄や広島出身だったり、大陸に派遣された陸軍兵の孫だったりしたら
全く違う生きた話を聞いたんだろうけど。
非交戦時に前線で物々交換の船が行き交ってて、敵の将校と酒飲んでたりしたり、
常に船に大量の食料を抱えてて、腐った物を処分する名目で宴会したり、
クリスチャンの上官が「天皇陛下の為に闘う日本兵と家族の為に戦うアメリカ兵と
どちらが幸せか?」と説いたり、「戦争勝てますか?」と尋ねられた憲兵が
「もう無理じゃないかな」と答えてたり。
重要なのは、皇国史観が浸透してたのは7年ぐらいの期間に初級教育を受けた
ほんの限られた世代の間のみだったっていう事。
それより上の戦前を知るものにとって、天皇陛下はパロディーの対象でさえ有ったし、
戦争は何でも良いから早く終わって欲しいものだった。
皆、戦争が早く終わって、洋画を自由に見る事が出来るようになるのを望んでたんだよ。
憲兵でも軍人でもね。
486 :
日本@名無史さん:04/04/23 20:08
日本人は世界一優秀なり
487 :
日本@名無史さん:
伊勢丹化粧品バイヤーの弓気田みずほさん、かわいい