[なんでだろう]日本兵は何故死を恐れなかったか

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134ほほう「菊と刀」か
第二次大戦中,アメリカ合衆国は,戦況が自国にとって好ましかったにもかかわらず
対日戦を戦う中で,敵国日本の出方が終始理解できなかった.もちろん,日本の出方が
でたらめであったのではなく,むしろ首尾一貫しており,事後的に思い知らされるばかり
でなく事前にも予知できたのだが,その行動を納得することができなかったのである.
ルース・ベネディクトは,その点について,つぎのようにいっている.

「 一般人の生活においても、日本の当局者は物質的環境に対する精神の優位を文字どおりに
理解していた。例えば国民は工場の24時間労働と終夜の爆撃とで疲労その際に達していた。
だが、「われわれのからだがつらければつらいほど、ますますわれわれの意志、われわれの精
神は肉体を凌駕する」、「へとへとになればなるほど、よい訓練になる」のであった。国民は
また、冬、火の気のない防空壕の中でぶるぶる震えていた。するとラジオで大日本体育会は、
防寒体操をやるように命令した。この体操は暖房設備やふとんの代わりになるばかりでなく、
さらに結構なことには、もはや国民の普通の体力を維持してゆくことのできなくなった食糧の
代わりにもなる。「現在のような食糧不足な時に、体操をやれなんてとんでもない話だ、とい
う人がむろん必ずあるだろう。だがけっしてそうではない。食糧が不足すれば不足するほど、
ますますわれわれは自分の体力を他の方法で向上させねばならない」。つまりわれわれは自分
の体力を余分に消費することによって、逆に体力を増進させなければならない」というのであ
る。」
135ミスター・スポック:03/04/03 20:22
「へとへとになればなるほど、よい訓練になる」
「食糧が不足すればするほど、ますます体操をして体力を向上させねばならない」
およそアメリカ人には理解不能で非合理というほかはない考え方に基づいて,
日本人は行動する.アメリカ人が終始一貫して物量の増大に専念したように,
日本は非物質的手段を利用する点において完全に首尾一貫していた.サイパンや
硫黄島の敗北のころ戦争指導者たちは物力に対する精神力の優位を必死に説いて
敗北の現実を糊塗していたが,日本が勝っていたときでさえ,この戦争は軍備と軍備の
戦争ではなく物力は精神力に負けることを繰り返し説いていたと,ベネディクトは
鋭く指摘する.
136ミスター・スポック:03/04/03 20:32
このようなベネディクトの問題提起は,なるほど鋭いと感じざるをえないが,
「で,結局それは何故なのだ?」という問いへの回答は,彼女の著書を
読んでも結局は示されていない.むしろ,この問題提起は,それだけに日本文化の
説明しがたい異質性への根源的な問いなのであり,ふだんは隠されている日米文化
の異質性が軍事衝突という極限状況の中ではじめて露呈したということができる.
137日本@名無史さん:03/04/03 21:02
ベネディクトの「菊と刀」は1946年刊行だから、戦争中は軍人の対日観に関係なかったんだよな。
>>134-135の引用については、彼女は文化人類学の手法を使用しつつも、日本人を二面性をもつ
矛盾人間と解釈しているのでとくに不思議ではないと思う。
138日本@名無史さん:03/04/03 21:33
>>137
いやいや,戦争中も,「日本人のやることは,よくわからない」というのが,
アメリカ人たちの共通した日本人観としてあったと思う.ベネディクトは,その
わからなさの正体を日本的な「精神優位主義」であると指摘してみたわけですが,
そう指摘してみたところで「よくわからない」ことに変わりはなく,むしろますます
戦時中の日本人の行動に納得がいかなくなったりもするのではないかと.