1 :
日本@名無史さん:
樺太・千島、果てはカムチャツカまで自国領のつもりでいたなら
キチンと調査して、年貢(魚介類?)の徴収をやれ。
和船での航海が無理ならば、アイヌを仕官に据えるとか工夫しろ。
もしかしたら、ロシアとの密輸で薩摩藩みたいにビッグになれたのに。
この怠慢グータラ藩について語れ。
2 :
日本@名無史さん:03/03/19 02:22
2げとずさー
3 :
日本@名無史さん:03/03/19 07:57
蝦夷地の3分の1は仙台藩の管轄なんだけどね♡ฺ
4 :
日本@名無史さん:03/03/19 08:35
蛎崎氏の末裔が先祖のぬるさを反省して
徹底的に非情に徹して日本の実質支配を目論むマンガが
リバイバルで人気らしい。
松前藩主が“エゾ大王”と名乗ったのは、
誰に対して? 明? 清? 朝鮮? 琉球?
7 :
日本@名無史さん:03/03/19 10:27
松前氏自体、王化した蝦夷。
>>7 そゆ事じゃなくて、松前藩主が自らそういう署名で外交?した
史実があるはず。朝廷・幕府に向かってそう名乗るはずはない
でしょ。どこかで読んだんだけど、書名を忘れてしまったのです。
9 :
日本@名無史さん:03/03/19 11:15
松前崇広が老中になれたのは何故?
世界三大漁場、度重なるロシアからの交易希望。
これらを利用すれば松前藩は莫大な富を築けた(幕府に内緒)はず。
高田屋とかいう船問屋はこの地で大儲けし、結果 アイヌの人々の
生活レベルも向上したらしい。
>>6については何かで聞いたことがあるが・・忘れた!
11 :
日本@名無史さん:03/03/19 12:31
>>6 朝鮮に対して。詳細を書いているサイトはあったと思ったが、検索できない。
なんとも。
12 :
日本@名無史さん:03/03/19 12:42
1482年 「夷千島王」遐叉、大蔵経を求めて、昆布200斤を持たせて朝鮮
に使節を派遣
とされていますね。夷千島王は当時松前氏(蠣崎氏)の殿様であった、
安東政季とされています。
13 :
日本@名無史さん:03/03/19 12:48
14 :
日本@名無史さん:03/03/20 00:43
北海道以北への移住は、当時の日本人としてはやはり無理かな?
衣服も住居も食料も貧弱では北蝦夷での厳しい自然には順応できない?
>>10,
>>11,
>>12 サンクス!
杉並区・下井草の図書館で借りた本で、阿倍比羅夫の時代
から旧土人保護法までの蝦夷・アイヌの歴史を網羅していて
とてもナイスな内容だったんだけど、引越しちゃったからなぁ。
電話で借りた本の履歴、調べてみようかな。
既読でも、タメになる本は買っとかなきゃダメですね。
16 :
日本@名無史さん:03/03/26 14:22
北海道いくと、アイヌの言葉が語源の地名が多いがアイヌの人達の姿なし。
主なしの土地という感じで何とも・・・。
和人もロシア人も、北へ東へ進出しなければ 今頃はアイヌの国もあったかな?
17 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:03/03/26 14:45
妹を和人の族に拉致され強姦殺人されたアイヌの男が、
カムイに祈り、凄まじい腕力・脚力・念力・精力を得る。
そしてシャクシャイン2世と名乗り、和人への復讐を開始していく。
更に樺太(サハリン)にも上陸してロシア人のことも次々と殺戮。
18 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:03/03/26 14:46
北海道出身の森田美由紀はレイプされ、
同じく北海道出身のクレイ・メンバーはカマを掘られる。
19 :
【^▽^】ジーモン@ケー二ヒスベルク:03/03/26 19:25
シャクシャインU世すごーい!
20 :
日本@名無史さん:03/04/01 01:46
>>9 聡明かつ冷静な開国論者だったからじゃないか、とかく外人に評判良かったらしい。
英語も齧ってたらしいし、凡庸人物と早死ばっかの松前藩の産んだ珍しい「アタリ」
軋轢で老中辞めた後もビクトリア女王から家紋入りの時計も貰ってる程の人物。
>>1 薩摩と違って圧倒的武力どころか松前寄りのアイヌに危機救われた経験のある弱小藩じゃ
まあ無理だ、自国領のつもりどころか基本的にアイヌ勢力への外交・監視だったし。
なにより松前藩の士兵は実戦でかなりのヘタ(以下略)
21 :
日本@名無史さん:03/04/01 03:12
松前伊豆守崇広は、老中格だったわけですが、同僚の老中 阿部豊後守正外、
松平周防守康直、松平伯耆守宗秀らと一緒に兵庫開講、大坂開市を勅許なくして
やったため、罷免されます。
阿部正外の場合、白河から棚倉に懲罰的名国がえさせられるし、
松前も蟄居を命じられて。、それが原因で若死にちゃうし、
幕末老中もろくなことが無い罠。
22 :
日本@名無史さん:03/04/04 11:52
23 :
日本@名無史さん:03/04/06 12:55
v
>>12 夷千島王・遐叉について調べてみたのですが、“対馬の宗氏
による騙り”説も有力のようですね。当時、倭寇の巣窟として
疎まれていた対馬が、朝鮮との交易を切願して(この場合は
大蔵経を欲して?)夷千島王を騙った…という。
宗氏は、江戸時代・対馬藩主になってからも、秀吉の朝鮮侵攻による関係
悪化を改善するために、李朝にも江戸幕府にもけっこうウソをついてます。
中間貿易に頼らざるを得ない、石高の低い島国の切実さが伝わってきますね。
このほかにも、ホンモノの松前当主が“エゾ大王”を名乗ったエピソードが
あったと思うのですが… 江戸時代初期に。
25 :
日本@名無史さん:03/04/14 23:55
松前崇広が老中になれたのは何故?
26 :
日本@名無史さん:03/04/15 00:23
将軍から任命されたから。
27 :
日本@名無史さん:03/04/15 07:09
そのたうりでし
(^^)
29 :
日本@名無史さん:03/04/19 22:44
遠く江戸から離れてる蝦夷地なら、幕府に内緒で密貿易や洋船・軍艦の
購入や建造も極秘でできたのでは?
>>29 密貿易は松前藩の主要産業のひとつだが、西洋船や軍艦を
賄えるほどの収入はなかった。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
32 :
日本@名無史さん:03/04/21 04:59
松前藩の藩士って何家いたの?
ひょっとして松前藩士にはアイヌの子孫も居る?
33 :
日本@名無史さん:03/04/22 20:39
ころぽっくる
34 :
日本@名無史さん:03/04/22 22:00
>>29 松前のさらに奥地は、奥州の諸般が分担して警護したんだよね。そんなので
密貿易できんわな。せいぜい、アイヌ錦ぐらいなもんでしょ。
35 :
日本@名無史さん:03/04/22 22:04
「松前は日本ではない」と宣教師に言うた藩主が居た
36 :
日本@名無史さん:03/04/22 22:39
>>34 奥州諸藩の蝦夷地警護の最初は松前藩が領地替で内地に
移され蝦夷地が天領になった時かな。
密貿易というか松前藩の収入はアイヌとの交易によるのだが
実質はアイヌを仲介とした中国、ロシアとの貿易だな。
アイヌ錦×
蝦夷錦 ○
37 :
日本@名無史さん:03/04/25 19:22
蝦夷錦って、中国の官吏などが着用してた布切れだっけ?
SAGE
39 :
日本@名無史さん:03/04/29 21:38
松前地のはるか北の有珠に「善光寺」が中世から存在したというのは本当ですか?
40 :
日本@名無史さん:03/04/29 22:00
>>39 9世紀云々は伝説で、1804年(文化元年)に建立したのが歴史的事実。
41 :
日本@名無史さん:03/05/04 12:12
42 :
日本@名無史さん:03/05/04 15:50
日持が蝦夷地に布教して
さらにそこから中国大陸に渡ったというのは本当だろうか?
蝦夷地樺太経由で中国に行く旅人が中世にはいたのか?
43 :
日本@名無史さん:03/05/05 21:02
満州族とアイヌ民族の接点はあったの
44 :
日本@名無史さん:03/05/05 22:40
黒龍江下流のデレンという場所にあった清朝の派出署みたいなとこに
樺太アイヌが朝貢貿易に行っていた。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
47 :
日本@名無史さん:03/05/31 23:51
松前漬けはウマイぜ!
48 :
日本@名無史さん:03/06/11 23:47
|_|
|Д`) ダレモイナイ・・ヒャッコイスルナラ イマノウチ
|⊂
|
__
♪ /_/|
♪ |__|/ ヒャッ コイ
ヽ(´Д`;)ノ ヒャッ コイ
( へ) ヒャッコ ヒャッコイ
く
__
♪ |\_\
♪\|__| ヒャッ コイ
ヽ(;´Д`)ノ ヒャッ コイ
(へ ) ヒャッコ ヒャッコイ
>
49 :
日本@名無史さん:03/06/12 01:57
北の覇者でも藤原氏や安東氏は魅力的だけどな
松前は好きになれん
50 :
日本@名無史さん:03/06/12 02:57
>>44 蝦夷錦は江南の産物だからね
デレン交易で入ってきた
間宮海峡を渡ったのは山丹人と呼ばれた樺太のオロチョン系
アイヌは宗谷海峡を渡って山丹人から手に入れた
51 :
日本@名無史さん:03/06/12 03:08
俺も松前ぎらい、安部=安東びいき。
松前=蠣崎氏はもとは武田氏の一族だけど、あまりのDQNぶりに甲斐に居れなくなったらしい。
南部でも持て余し、蝦夷地に流れて行ったとか。
それに対し、安東氏は俘囚の長の子孫であることをむしろ誇りにする気骨ある一族。
安部氏の流れを引く近世大名秋田氏も気骨ある家で、長脛彦の兄・安日を祖とする系図を持っていると聞く。
アイヌはもともと東北にもいた。それが、蝦夷地に追われた。
松前藩ができたころはさらに追われ、必死に抵抗した。
激しい戦いもあったが結果的にヤマトが勝った。
南京大虐殺どころでない、多くのアイヌが殺された。
東北にいたころのアイヌは中国とも交易していた。
もっと昔、それ以前は関東、関西もアイヌの土地だった。
そこへ、朝鮮半島からヤマトが稲作の技術と鉄の武器
を持って侵入してきた。これが神武東征だ。
降伏してヤマトと混血した民もいたが、
北へ逃げた。最後に残ったのが北海道だった。それも、江戸時代に
なって、さらに追われた。
53 :
日本@名無史さん:03/06/12 04:36
信憑性の疑わしい南京事件を例に出すのはスレ的に相応しくないと思われ。
54 :
日本@名無史さん:03/06/12 13:20
家祖の武田信広は若狭武田の流れと言うが、実際は疑わしい。
陸奥の南部あるいわ小笠原の一族。
あるいはもともと蠣崎の一族と考えた方がいいらしい。
蠣崎蔵人ももともとは武田の流れらしいし。
55 :
日本@名無史さん:03/06/15 17:04
アイヌの人は松前家のことを今はどう思ってるの。
シャクシャインを騙し討ちしたり、結構、酷いことをしているからね。
56 :
日本@名無史さん:03/06/15 22:52
ヒャッコイスルナラ イマノウチ だぜ!
57 :
日本@名無史さん:03/06/16 00:40
薩摩と違って植民地支配が下手過ぎる。
最上徳内に独裁させていれば、アイヌと上手く協調して今時は全千島、全樺太あたりが日本領だ。
58 :
日本@名無史さん:03/06/16 23:27
高田屋嘉平に大型船の建造を認め、独占させる。
59 :
日本@名無史さん:03/06/17 08:36
>>51 >>54 いや、武田家と関係あるか自体、疑わしい。
江戸大名によくある家系ねつ造にすぎないらしい。
実際は馬の骨みたいよ。
60 :
日本@名無史さん:03/06/17 08:43
>>1 マジレスするが松前藩が樺太、沿海州、千島、カムチャッカなどを抑えようと
所詮はその後の展開で全部、ロシアに取られてたと思う。
それと、樺太はどちらかというと清の方が原住民と交易があり支配権があった。
樺太アイヌは樺太の南部に小数居ただけ。樺太=アイヌでは決してない。
61 :
日本@名無史さん:03/06/17 10:47
ロシアはオランダが独占していた対日貿易に参入する為にあらゆる努力をしていた。
ピョートル大帝など、造船技術を学ぶために身分を伏せ、一介の船大工としてオランダの造船所で働いていた程の熱意だ。
オランダに張り合って日本との交易ルート開拓を望むロシアが、領土問題で日本に対し強気に出る訳がない。
62 :
日本@名無史さん:03/06/17 10:53
松前藩士で一番有名な人物は永倉新八である。
63 :
日本@名無史さん:03/06/17 23:28
幕末の、ロシアによる北方での狼藉は、ロシアの長年に渡る交易熱望を
頑なに拒絶する日本への八つ当たりか。
高田屋はカムチャッツカへ拉致された。
64 :
日本@名無史さん:03/06/20 13:43
当時のロシアにしてみたら、ラッコの毛皮くらいしか獲れない極東の島々を割譲してでも、日本との貿易を確立してヨーロッパに漆器を売りさばく方が美味しいだろうからな。
65 :
日本@名無史さん:03/06/20 22:37
ロシア人のせいで、ラッコは人を恐れるようになった。
66 :
日本@名無史さん:03/06/21 22:42
もしも仮に薩摩が蝦夷経営に着手していたら、ラッコもロシア人も薩摩を恐れるようになっただろうにな・・・
67 :
日本@名無史さん:03/06/21 23:03
無理。
当時の日本人に北方の気候は順応できない。
68 :
日本@名無史さん:03/06/22 00:47
薩摩武士に不可能は無い。
やる前から諦めたりしないからな。
69 :
日本@名無史さん:03/06/22 09:01
薩摩が松前と領地トレードをしていたら、北海道、全千島、全樺太が薩摩の植民地。
その代わり南西諸島は種子島までが今時は中国領。
70 :
日本@名無史さん:03/06/22 22:46
71 :
日本@名無史さん:03/06/25 02:19
hetare
72 :
日本@名無史さん:03/06/25 02:58
外様を遠くに配置するのに辺境防衛の意図を持たせることは考えなかったのかな?
もし考えてたら蝦夷地に松前なんて小さな家を置かなかったと思うが、
新潟できたえた尚武の家名、上杉くらいを持っていったんじゃないのかな?
これって徳川家康の思考の盲点?
73 :
日本@名無史さん:03/06/26 03:00
74 :
日本@名無史さん:03/06/30 22:55
ロシア人が南下して来なければ、北方はいつまでも曖昧なままだったかも。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
(^^)
新撰組二番隊組長・永倉新八(1839−1914)
松前藩出身。
78 :
日本@名無史さん:03/08/15 00:13
>>72 徳川家康の大名配置は内乱に対するもので、当時は外国との問題が起きるなどの
考えはなかったでしょう。
松前藩の成立は蠣崎慶広の外交手腕、政治的工作によるものであり、徳川家康も
米の作れない蝦夷地を領地とは考えてなかったでしょう。
それは、松前藩が一万石以上に格付けされたのは享保四年であり、参勤交代も
三年一勤(のちに六年一勤)になったほどです。
外国との問題が起きた時には松前藩は移封になり、蝦夷地は幕府直轄になったのです。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
81 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:03
ロシアは日本との交易を熱望していた。
松前がこれをチャンスとロシアとの密貿易を事業とすれば
後年の対ロシア人感情も今とは異なっていたかも。
奥州梁川転封は松前の不手際に対する幕府の処分。
転封により実質10万石から5万石に。
このため藩士を半分リストラしました。
ま、最後は本領に復帰したけどね。
83 :
日本@名無史さん:03/09/07 22:44
テメーらが松前の藩主だったら
何やりますか?
84 :
日本@名無史さん:03/09/07 23:00
全樺太、全千島を制圧し、勢い余ってカムチャツカまで占拠。
更にはアリューシャン列島全域に攻め上り植民地とする。
85 :
日本@名無史さん:03/09/07 23:27
無理ッスね。
86 :
日本@名無史さん:03/09/13 22:44
age
87 :
日本@名無史さん:03/09/15 04:43
今でも北海道に蠣崎姓の人がいるのはどうしてでしょう?
88 :
日本@名無史さん:03/09/15 08:40
>>85 お前のように、最初から訳知り顔で諦めてるから駄目なんだよ。
不可能を可能にして来た薩摩を見習え
89 :
日本@名無史さん:03/09/15 08:58
ま、サツマ人は野蛮人だから・・・
90 :
日本@名無史さん:03/09/15 09:01
負け惜しみか?
お前はいつ、どこで薩摩人に出しぬかれたのかな?
>お前のように、最初から訳知り顔で諦めてるから駄目なんだよ。
当時の日本人では到底無理だろがよ。
なにがアリューシャン列島全域だ馬鹿か?
夢想家の馬鹿ですが何か?
93 :
日本@名無史さん:03/09/16 19:32
何で無理なんだよ?
ロシア人の支配もアリューシャンまでは行き渡ってないぞ。
せいぜいラッコを追って毛皮商人が渡る事があった程度だ。
薩摩藩くらいの軍事力があれば楽勝に決まってんだろ。
物理的に可能かといえば、可能だったろう。
問題はなぜ、それを実行することに魅力を感じなかったか。
単純に十分裕福だったからではないかな?
95 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:00
>薩摩藩くらいの軍事力があれば楽勝に決まってんだろ。
琉球行くのと訳が違うだろ。
和船でアリューシャンですか。無理だね。
さすが夢想家の発想。
96 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:25
大黒屋光太夫もアリューシャンまで和船で行ってるじゃないかよ。
薩摩軍が組織立って航海すれば、アリューシャンくらいは楽勝だろ。
お前等みたいな無能どもには、とうてい実現できない夢物語なのかも知れないがな。
薩摩ヲタ氏ね
98 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:31
何だ。夢想家夢想家と随分ポテンシャルの低い奴等だと思えば、
やっぱり薩摩に逆恨みする負け犬どもだったか。
いいか?
歴史上、薩摩は数々の無理難題をその能力によって現実化して来たのだ。
くれぐれも無能なお前等と同列に考えるなよ。
100 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:33
薩摩の人っていまだに昔のことで優越感もってるんですか?
>>99 昔の話だろ?
明治以降は支配層だ。
現代は、大久保利通の子孫にあたる皇族も居る時代なのだからな。
よく分際を弁えておくのだな、負け犬
>>100 何しろ薩摩は歴史が輝かし過ぎるのでな。
自慢のつもりではないが、そう聞こえるか?
本気で鹿児島人が嫌いになれた。
感謝するよ。
104 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:41
無能に好かれようと嫌われようと、どうでもいい。
礼には及ばん
105 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:47
薩摩の殿様は現在鹿児島で細々と観光会社等を経営しておられます。
106 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:48
>>105 負け犬どもの主君たちの現状は、どうなのかね?
107 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:51
一家離散とか?
108 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:52
薩摩ヲタってこんなんばっか・・
109 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:55
大黒屋光太夫ってただの遭難とちゃう?
和船って氷を砕きながら進めるの?
110 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:56
言わんとすることは解るけど、少し松前藩に気の毒です。東北の純朴
な藩から北海に渡ったから苦労も多かったと思います。
私も薩摩隼人の子孫ですけど、戦国時代から修羅場を潜って国を守っ
てきましたね、島津公を守って。西郷さんと、大久保さんを、見たら
薩摩の人間が解ります。外洋も楽々航海し密貿易をしておりました。
111 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:58
>>108 お前等より賢そうだろ。
>>109 遭難だが、単になす術も無く流されて着いた訳ではない。
嵐に遭遇しなかったら、十分航海可能だ。
無論、冬は無理だがな。
112 :
日本@名無史さん:03/09/17 00:10
薩ヲタって、まるで自分が薩摩の名代みたいな態度だよな。
負け犬だの賢いだのって・・
こう言わなきゃ議論できん田舎百姓。
113 :
日本@名無史さん:03/09/17 00:19
>>112 お前はただ単に罵倒してるだけだろ。
議論にすらなってないんだよ。負け犬が。
114 :
日本@名無史さん:03/09/17 00:45
>>112 薩オタって、話の内容は論理的だよ。
もっと議論出来る内容にしないとね。
>薩オタって、話の内容は論理的だよ。
・・・・・・。
116 :
日本@名無史さん:03/09/17 01:35
>>115 論理を理解できる頭脳を持たないようだな。
117 :
日本@名無史さん:03/09/17 23:18
松ヲタはいねーのか?
薩摩厨もアズマ厨もこのスレから出てけよ。
ここは学問板ですよ?思想厨は思想板へ!
>論理を理解できる頭脳を持たないようだな。
もうね、呆れて物も言えませんわ。
周りの冷たい視線も理解できず一人で勝ち誇るダサツマ。
可哀相としかいいようがない。
120 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:36
ヘタレ松前に代わり薩摩が北方進出。
千島の潮の速さと霧の濃さ、天候の激変で船団はバラバラ。
沈没船や航行不能に陥る船が相次ぐが、荒れる波では救助不能。
やっとの思いでシュムシュへ辿り着くも食料・水が極度の不足。
餓えや病を克服する間もなく厳冬期に入り、ラッコに喰われて全滅。
121 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:43
冷たい視線を放っているのは、薩摩に苦杯を喫した無能な負け犬たちだからなあ。
そんなもんを気にして居るようでは、勝利者は務まらんよ。
122 :
日本@名無史さん:03/09/19 00:03
松前藩が千島や樺太に消極的だったのは、単に魅力も価値も無かったからということで。
123 :
日本@名無史さん:03/09/19 00:08
価値は十分あっただろ。
それに気づかなかった松前が無能なだけ。
124 :
日本@名無史さん:03/09/20 15:12
どんな価値が?
和人もほとんど住んでなく、酷寒で農作物の収穫など不可能。
辺境な北方なんか、江戸期の日本には関心も湧かない。
樺太には森林資源や油田、千島には豊かな漁場があるが、そんなのは
後年の人々には価値はあっても、当時としては無価値に等しい。
幕府が北方防衛に目覚めたのは、ロシアの南下以後のこと。
松前藩って評判劣悪でつね…。
>>126 あまり好きじゃないが司馬遼太郎は
「存在そのものが悪」
とか無茶苦茶言ってた
128 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:22
英国は、薩摩ではなく松前にイチャモンつけるべきだった
129 :
日本@名無史さん:03/10/15 20:03
NHKの歴史で見る日本で、アイヌの反乱の話が出てたが、やっぱり松前藩の経済構造自体がアイヌ搾取の上に成り立ってたのはわかる。
130 :
日本@名無史さん:03/11/10 23:10
江戸までの参勤交代って何日かかったのかな?
米は取れないけど、とりあえず1万石待遇だっけ?
131 :
日本@名無史さん:03/11/11 00:59
最高は3万石格
132 :
日本@名無史さん:03/11/18 16:33
日本が満洲を物資・食料・兵員の補給地にしたように
樺太は松前の補給地にはならなかったんだろか?
しかし、目の前にある島に無関心だとは・・・!
樺太とか基本的に米作れない土地はだめだべ。
藩をあげて品種改良を成功させていたら松前は神。
134 :
日本@名無史さん:03/11/18 17:21
>>133 森林資源やその他の産物を密貿易、ロシア製の大砲購入
ひそかに宣教師とか招きいれ、造船技術や航海術を輸入
樺太王を名乗り欧州へ使節を派遣、イスパニア植民地との交易
幕府にバレたら江戸湾に軍艦で乗り付けて脅迫。
・・・・・・ダメかや?
江差の五月は江戸にも無い
136 :
日本@名無史さん:03/12/21 00:57
蝦夷の豊富な材木で大型船を何隻か作り、流氷が去った時期を見計らって
北方の島々や地域を探検・調査するって考えは無かったのだろうか?
あぼーん
139 :
日本@名無史さん:04/01/17 18:19
高田屋と松前藩は仲悪いの?
140 :
日本@名無史さん:04/01/17 18:53
蠣崎氏の出身地って下北半島の北限の猿がいる近くの寒村だよね…。
蠣崎って集落が今でもある。そこから、北海道をすべて管理する大名が
出るなんて…。
松前漬け
142 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:28
松前藩って、北海道全体をくまなく把握してたのかな
143 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:37
違うと思うが。
144 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:40
昔の北海道の生活って暖房もないし、どうやって冬とか乗り切ってたんだろう?
145 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:56
日本式家屋は寒いし、着物も寒いし、暖炉なんてなさそうだしね
146 :
日本@名無史さん:04/01/31 20:11
越冬できずに死んだ連中も多そうだ
148 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:06
この当時の日本人が使ってた暖房器って
火鉢と湯たんぽとネコくらい?
149 :
日本@名無史さん:04/01/31 22:12
>>142 シャコマインの時の北海道地図とか見ると、所々把握していないよう
な岬や海岸線があったり逆に海岸線の町が異様に密集しているような
場所があったりするけど、おおむね北海道全域(海岸線と平野部だけ
だけどね)を把握していたようだ。
150 :
日本@名無史さん:04/02/14 00:40
この藩って、樺太は殆ど放置してたんですか?
151 :
日本@名無史さん:04/02/14 04:02
寒すぎて統治しようがなかったんじゃない?
松前の武家の人って毛皮を羽織るっていう風習はあったのかなあ?
153 :
日本@名無史さん:04/02/14 08:53
154 :
日本@名無史さん:04/03/06 21:25
江戸期の日本にとって、蝦夷地はなんか役に立った?
155 :
日本@名無史さん:04/03/06 22:10
俵物の産地
156 :
日本@名無史さん:04/03/06 22:11
大陸との緩衝地帯
157 :
日本@名無史さん:04/03/06 23:59
ロシアが日本との交易を必要としてなかったら
とっくに奪われていたかもね。
158 :
日本@名無史さん:04/03/27 01:21
江戸期の松前の主たる産業って?
シベリアの白人同様、本来なら和人が住まぬ環境なんでは?
>>158 漁業、及びアイヌとの交易。
先日どこかの遺跡で発見された飯粒は東北地方から輸入したものらしいけど、
幕末までには渡島半島では稲作が始まっていたと聞いたような記憶もある。
160 :
日本@名無史さん:04/04/04 10:08
北前船のこと知らないのかなあ。
松前藩にはいい人材がいなかったのではないかなあ
利用度拡張の意味では。
それとかつてにはできないし、水戸黄門も調べに来るしw
海産物売って米をかつていた。
161 :
日本@名無史さん:04/04/04 10:16
初期の開拓に八王子千人同心
だいぶ損害が多かったようだ。
引き払って一部松前藩に召し抱えられた。
162 :
日本@名無史さん:04/04/10 23:52
松前藩にもっと征服欲があったら
歴史は一遍していたろうに
163 :
日本@名無史さん:04/04/11 00:28
ロシア人やアングロサクソンに北方を押えられたのは、食肉文化の有無が差をつけたような気がする。
高カロリーな獣肉や、ラード、バターをふんだんに使った脂っこい食料を日常的に食ってれば、
低カロリーな和食を食ってる日本人よりも寒冷地に適応しやすい。
その上毛皮を防寒に利用する習慣も同時に定着する。
獣肉を禁忌とする仏教が普及した事により、日本は北方領土で毛唐に出し抜かれる運命が確定した。
まあ、江戸時代でも毎日のように豚の角煮を食ってた薩摩武士なら、その点でも毛唐に張り合えたかも知れないが。
164 :
日本@名無史さん:04/04/11 00:30
ももんじなら普通に食っていたワイ。
165 :
日本@名無史さん:04/04/11 00:53
「普通に」では曖昧だ。
イノシシなんて、狩猟でたまたま仕留めなきゃ食えない。
牧畜で獣肉を安定供給していた文化圏とは摂取する頻度が大きく異なるだろう。
誰か俺にトンカツ食わせろ。
167 :
日本@名無史さん:04/04/25 00:08
自分の下っ腹から肉を切り出して、衣をつけて油で揚げろ。
168 :
日本@名無史さん:04/05/09 13:19
冬の娯楽はあったのだろか?
169 :
日本@名無史さん:04/05/09 15:58
雪合戦
170 :
日本@名無史さん:04/05/09 16:01
健康的だな
アイヌの人々から収奪することばかりしていた。これは問題がある。
172 :
日本@名無史さん:04/05/09 19:01
ほとんどアイヌしか住んでないしな。
173 :
日本@名無史さん:04/05/09 19:18
>>165 肉を切り裂いて、干し肉にして後から酒を飲みながらチビチビ食べれ
ばよかんべ。
174 :
日本@名無史さん:04/05/25 00:43
江戸まで大名行列する為に津軽海峡越えるなら
そのまま江戸湾まで船で来るってダメなの?
175 :
日本@名無史さん:04/05/25 13:46
>>174 金を宿場町に落とすために参勤交代してるんだからダメに決まってるだろ
四国や九州の大名も大阪から船を使ったりはしてるよね
177 :
日本@名無史さん:04/06/30 23:04
大名狙いの山賊や雲助っていたのかな?
178 :
日本@名無史さん:04/07/01 00:50
松前漬けあげ
179 :
日本@名無史さん:04/07/01 19:51
松前には、蝦夷独立やら外国貿易やら幕府転覆やら何やらって
秘めた野望はなかったのか??
180 :
日本@名無史さん:04/07/29 15:16
松前藩に関するオススメの本ってあります?
181 :
日本@名無史さん:04/07/30 21:39
がいしゅつなら悪いけど、
松前藩主が、幕末に老中になってない?
松前藩って外様だと思うけど、どうした訳でしょう。
182 :
日本@名無史さん:04/08/27 23:05
>>181 スレの最初の方で既出だが、家茂が国際感覚を買って抜擢
当然こんな抜擢されれば攘夷派や伝統的幕臣に妬まれるのも当然で
家茂に重用されるも、慶喜と慶喜派に追い落とされる。
183 :
日本@名無史さん:04/08/28 14:05
昆布大尽
184 :
日本@名無史さん:04/09/23 21:57:08
松前藩って怠慢グータラ藩なの?
185 :
日本@名無史さん:04/09/24 02:09:34
>>180 佐藤雅美「主殿の税」。勘定奉行松本秀持が蝦夷地開拓について田沼に
意見具申していた点や蝦夷地調査結果が克明に記録されている。
186 :
日本@名無史さん:04/09/24 03:28:59
松前崇広だっけ?幕末の写真が残ってる人
他の殿様はわりと貴族顔でぼんやり写ってる事が多いが、
この人だけやり手の政治家みたいな顔でニタっとしてるんでインパクトがある
6代邦広は、旗本出身。
ヘタレ藩
190 :
日本@名無史さん:04/09/25 21:58:58
>187 >189 理由を述べよ。
191 :
日本@名無史さん:04/09/26 08:14:13
瀬尾庄蔵ってどうよ?
192 :
日本@名無史さん:04/10/10 23:23:51
松前藩って、千島や北蝦夷にはほとんど関心なかったのかな?
193 :
日本@名無史さん:04/10/10 23:28:39
千島アイヌなんか、ロシア人が結構高圧的にキリスト教に入信させてたんだよね。
でも、後々日本人が領有したときに仏教に改宗させようとしても駄目だった…。
函館にロシア正教の立派な教会があるのはその名残かいな?
194 :
日本@名無史さん:04/11/07 11:35:18
>186
確かに。表情とか写り方を見て、現代のレトロ風写真みたいに見える。
195 :
日本@名無史さん:04/11/07 13:01:46
>>192 ありましたよ。樺太は藩士が17世紀から逐次探検してます。
>>193 北千島アイヌはかなりロシア化していたようですね。ロシア語も堪能
でロシア語からアイヌ語さらに日本語と通訳していたようです。
赤いラシャの洋服を着て、ロシアからさらにヨーロッパに渡ったアイヌ
もいたが、アジア人とは思われず、ロシア人で通ったようです。
196 :
日本@名無史さん:04/11/20 13:52:23
マッタリ進行するスレですな
劣った蝦夷の人間
198 :
日本@名無史さん:04/11/20 16:29:21
蝦夷=原日本人
199 :
日本@名無史さん:04/11/21 20:18:21
200 :
日本@名無史さん:04/11/22 04:20:44
200
201 :
日本@名無史さん:04/11/22 06:47:09
薩摩=アイヌ人
202 :
日本@名無史さん:04/11/22 22:44:11
薩摩も含まれているかもしれんが、もっと南ね。
204 :
日本@名無史さん:04/12/03 22:50:37
松前の五月は江戸にもないってどんな意味?
205 :
日本@名無史さん:04/12/03 23:05:31
5月頃が春盛りで、桜が咲くんだ罠。
江戸では、5月に桜は咲かないな。
206 :
日本@名無史さん:04/12/03 23:19:16
奈瑠保度。
207 :
日本@名無史さん:04/12/04 01:25:25
東海大学グループの創始者で
左翼界の怪物的存在だった松前さんは
この藩とは無関係
208 :
名無しさん:04/12/10 14:39:40
松前正広さんは、昭和時代の戦争で戦死。夫人は綾子さん、
詳しくは分からない。
209 :
日本@名無史さん:04/12/10 23:39:37
210 :
日本@名無史さん:05/01/06 19:46:27
この藩の、輝かしい実績って何かある?
211 :
日本@名無史さん:05/01/06 19:47:07
アイヌを痛めつけたことくらいか?
徳川政権確立時と幕末の2大変動期に政治力の有る藩主が出たこと
213 :
日本@名無史さん:05/01/07 00:17:03
つまり平時は平凡な性格の藩か。
214 :
日本@名無史さん:05/01/07 00:21:35
蝦夷錦をもたらした
215 :
日本@名無史さん:05/01/07 00:26:50
それって中国からの輸入品ぢゃ・・・?
216 :
日本@名無史さん:05/01/10 13:57:19
間宮林蔵が樺太調査する時の拠点になった。
217 :
日本@名無史さん:05/01/11 00:00:30
あれだけ緻密な調査と地図がありながら
松前藩の怠慢で、結局樺太は混住の地、さらには
全島ロシア領という結果を招いた。
218 :
日本@名無史さん:05/01/20 23:19:56
真冬はどんな衣類を着てたのかな。
219 :
日本@名無史さん:05/01/21 23:36:19
鮭の革の靴
220 :
日本@名無史さん:05/01/22 00:05:35
つくづく松前に薩摩くらいの外交センスがあればなあ…
221 :
日本@名無史さん:05/01/23 22:48:54
やっぱり寒冷地にいると何をやるにも億劫体質になるんじゃない?
222 :
日本@名無史さん:05/01/23 23:34:53
それにしては露助の場合、領土拡張に張り切り過ぎだが。
やっぱり肉食文化の高カロリーがモノを言ったのか?
幕末では土方を総督とした旧幕府軍に一ノ渡り、山崎、及部川の戦いで
連敗して松前城を攻略されてるね。
藩主・松前徳広は平館になんとか撤退したものの、持病の肺結核が悪化して病死。
松前の遺臣たちは喪服を着込んで翌年の旧幕府軍との戦闘に臨んでいる。
ちょっと泣ける話。
224 :
日本@名無史さん:05/01/25 22:53:36
>>222 そうかもね。
米と塩辛い漬物や味噌汁に魚じゃ力出ねえよ。
225 :
日本@名無史さん:05/02/18 23:32:20
露助対策はどうしてた?
>>225 東北諸藩が樺太警備とかやってましたが何か?
227 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:07:08
>>221-224 つーかロシアはそもそも樺太を寒冷地と思ってない
日本列島は温帯だと俺らは考えてるがロシアでは
本州はは亜熱帯で北海道樺太が温帯
228 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:20:25
バルチック艦隊のロシア水兵は灼熱地獄を味わって来たんだね
229 :
日本@名無史さん:05/02/19 18:49:45
で、殿様の跡取りは決まったのかね。
松前城って裏から攻めたら、簡単に攻略可能でしょ。
アイヌはどうして攻略しなかったの?
狩猟民族のアイヌの弓矢と、幕藩体制・松前藩の火器との
差は歴然。
十五〜十六世紀まではアイヌに押されっぱなしだったけどなw
蠣崎氏ってのは謀殺以外でアイヌに勝てないのかね。
233 :
日本@名無史さん:05/03/08 00:11:58
勝つ為の手段なんかどうでもいいんだよ
234 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:51:22
なんか寒冷地帯のつまんなそーな藩。
235 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 16:15:20
今の北海道の景気はどうっすか?
237 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:15:20
だったら樺太領有してたとしても一緒かね?
238 :
日本@名無史さん:2005/05/12(木) 22:34:05
かきざきの子孫がきましたよ?
個人的にはこの名前だいっきらい!
239 :
日本@名無史さん:2005/05/13(金) 00:01:05
「かきざき」って発祥の地が、陸奥湾に面した比較的小さな漁村なんだよね。
安東氏なんか移住した先々で、その地の名前を名字に拝借しているけど、エライ違いだ。
つーか、安東氏に反抗したからそうなったのか?
240 :
日本@名無史さん:2005/05/13(金) 01:29:37
陸奥の奥床しくぞ思はるる坪の石文外の浜風 西行
今の地図で見ると内海に見える陸奥湾に面した方が「外が浜」なんだよね
津軽って日本海側が内で陸奥湾が外
241 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 00:20:04
アイヌ人と、その後編入した台湾高砂族に対し
何かしらの保護政策ってあったの?
242 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 00:24:28
台湾高砂族が蝦夷に入植していたの?
243 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 00:35:56
石高の割りに注目される藩ならナンバーワンじゃないか?>松前藩
244 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 00:39:47
してませんな。
ただ少数民族に対する時の政府の対応が知りたかっただけです。
北海道のアイヌと台湾の高砂族。スレ違いスマソ
>>243 10万石格(実質は万石以下だけど)だからそれほど小藩でもない
格式では中の下くらいかな
246 :
245:2005/06/03(金) 10:06:53
訂正
1万石格→3万石格だった
対馬藩と勘違いしてた
そう考えると対石高比ではかなり活躍してるね
最後には老中にもなってるし
247 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 01:16:44
北海道って何で「県」ではなく「道」なの?
南樺太は内地編入後も都道府県が付かないのはナゼ?
明治政府は、当初は北海道を他の県と同様になるまで開発するつもりだった。
その場合、現在の支庁が県庁になる。
北海道とは、東海道とか東山道とか古代律令制で出てくる言葉と同様、
いくつかの県をまとめたもの、という意味だった。
しかし開発はそこまではいかなかった。
いつの間にか開拓使が北海道庁になり、道庁が県庁と等しくなった。
南樺太は、北海道の一部。
249 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 00:27:56
>>248 レスサンキュー。千島も北海道の一部ですよね?
250 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 00:45:00
開拓使が廃されたとき函館県・札幌県・根室県が置かれたが
すぐ北海道に統合された。
251 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 01:12:58
江戸前期・中期の北海道の区分は
松前藩領:今の松前郡より少し広い程度。天ノ川〜知内川のラインまで。
唐子蝦夷:西蝦夷地。大酋長は瀬棚に居住。
日の本蝦夷:東蝦夷地。大酋長は知内に居住。
その後徐々に和人地が拡大したが第一幕領期でも函館奉行所から至近の
亀田に関所があったくらいで、大沼あたりはまだアイヌの天地だった。
松前藩復活期は藩領は御城下(今の松前郡)、西在(桧山郡・爾志郡)、
東在(上磯郡・亀田郡・茅部郡)に三分割されていた。つまり八雲あたり
はまだアイヌの土地と見なされていた。ただし場所請負制の発達などで
海岸沿いに和人の移住が続いており、北海道の和人地化は幕藩体制では
なく個人移住者の増加によりなし崩し的に進んでいた。
252 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 02:19:29
松前町史を読んだけど、松前藩の箱館戦争後の報復措置は酷過ぎるな。
人間のやる事じゃないよ。
253 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 02:52:55
カヒィ萌え
254 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 18:52:59
津軽海峡って公海になるの?
255 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 20:29:33
松前藩重臣はローマ帝国の徴税請負人みたいだな。年貢ではなく、自分でなかば商売し、後に御用商人から高いマージン取って商売させるようになった。石高の呪縛から解き放たれた経済官僚だな。
256 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 21:28:49
>>255 つーか松前ってのは商人が武装してたもので
秀吉が慶広の口車に乗って朱印状を出したり
家康が黒印状を与えたりしたもんだから武士
と錯覚されたわけで
257 :
津軽越中守:2005/07/01(金) 21:35:36
シャクシャインの乱、コシャマインの乱の際、松前伊豆守家中がアイヌの人たちを騙し討ちにしたのは武士にあるまじき所業だと思っていたがそういう経緯があったわけですか
258 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:48:40
冬の時、和式住宅では寒いだろうね。
あれだけ長い間蝦夷地を支配していながら、千島・樺太はおろか
蝦夷地北部の探索すら無関心だったという驚異的なまでの怠惰さを発揮した藩。
260 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 23:50:41
>>254 真ん中の部分は公海。
全部領海にしてもよかったんだけど、そうするといちいち通行許可を出さなきゃいけなくて面倒だから中央部だけ公海にした。
261 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:13:53
だから中国ごときにナメられるんだよな。
たしか中国の調査船が堂々と来なかったっけか?
津軽海峡を通ったのは調査船じゃなくて中国海軍の護衛艦か駆逐艦だったかと
だいぶ前の話で記憶が曖昧なので、このネタに関しては軍板の方が詳しい香具師が多そう。
263 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:10:05
>>261-262 面倒だからと言うのは、要するにそういうこと。
昔は、ソ連の潜水艦が通航しているのが公然の秘密となっていたので、
領海にしているといちいち対処しなくちゃいけなくなる。
264 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:24:11
ことなかれ主義なんだよな。ヘタレなのは松前藩も現代の日本政府も同じ。
265 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:05:06
松前藩は商業都市国家ですから武力はありません。松前か福山と江差及び箱館だけが発展し、各漁場からの莫大な揚がりで潤っているのです。
266 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:26:54
日本国も商業都市(的)国家ですから武力はありません。
>>259 蝦夷地の管轄は幕府だと思うが?
勝手に領土拡張したらさすがにまずいでしょ
268 :
↑:2005/07/05(火) 23:55:13
補足
蝦夷地=アイヌ居住区の意味ね
269 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 21:52:20
どうして幕末になって老中になれたのだ?
270 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 23:11:56
公方から任命されたから
>>248 北方領土が返還されたら、県かな?
まあされんけど
272 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 23:58:39
北海道の一部に戻るだけだよ
273 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:58:29
中国は沿海州返還運動とかやらないの?
274 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 20:52:51
ちっちゃな島で戦争やったら息もたえだえになったから、後やらないんじゃないのか?
275 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 00:16:29
日本は戦後、千島列島と南樺太の主権放棄について
なんら抗議も抵抗もしなかったの?
>>275 日本は戦争に無条件降伏した国ですから抗議や抵抗など出来ません。
でも北方領土にソ連が侵攻してきたのって終戦後なんだよね
278 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:11:29
かきざき将監ひろとし、の調べてみれ。松前藩がどれだけ苦労したかわかるから。
279 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:00:45
もともと松前藩は蝦夷地全体を支配していたが、藩は松前周辺の和人地にしか関心はなく、
その他の蝦夷地・千島・樺太については放置していた。
それどころか、畿内あたりの御用商人に場所の経営に関してある程度の権限を与えて
好き勝手にやらせていたので、アイヌへの人権蹂躙、交易でのぼったくりが横行していた。
松前藩は、それを知っていたが、商人とズブズブの関係で腐敗しきっていたし、
辺境ゆえに山丹人との密貿易など幕府の目を盗んでおいしい思いをしていた。
間宮重蔵、最上徳内などの北方探査も、幕命で行ったにもかかわらず実態を知られるのを恐れて妨害しまくり。
松前藩は、ロシア人の南下は早くから知っていたが、脅威とは思わず、蝦夷地防備を幕府に進言もしなかった。
伝聞で聞いたロシアの脅威を説き、日本の国防を迫った林子平が、なぜか仙台の人間だったことが一つの象徴。
しかし、近藤・最上らの報告によって松前藩の実態とロシアの脅威が幕府の知るところとなると、幕府は蝦夷地直轄を決め、
まずは津軽・南部が、ついで秋田・庄内・仙台が蝦夷地の防備をすることとなり、
蝦夷地の主要地に番屋と、函館奉行所が置かれることとなった。
280 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 19:59:01
南部樺太についての政府見解は?
281 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 20:01:53
日本国としてはサンフランシスコ条約で放棄した土地だから領有権は主張してない。
公式には帰属未定地のはずだが、ユジノサハリンスクに総領事館を設置。
282 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 13:19:53
スレ違いだが、ソ連崩壊のどさくさに樺太が勝手に独立、日本に宣戦布告して
すぐ降伏し、日本に併合されようと目論んだ連中がいたって本当?
283 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:32:13
ガス田や油田でも発見されんかな
284 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 23:28:12
樺太にはあるのにな
日本ってなんできれいに石油資源からずれてんだろ(秋田とかにはないでもないけど)
285 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 22:57:40
松前家の成立を大胆な仮説で書いた海音寺潮五郎の「蝦夷天一坊」という小説
がおもしろいよ
286 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 05:13:04
>284
青森県内及び近海にチョットだけ有望な油田かガス田の存在する可能性
がありそうだというサイトをどっかで見た気がするが・・・ガセかな?
287 :
蛎崎樺太庁長官:2005/10/10(月) 09:46:06
語れ
288 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 23:01:35
>>282 28 :世界@名無史さん :03/02/19 08:03
ソ連崩壊の時、極東部が対日宣戦布告、直後に降伏し日本の管理に入り、
「極東共和国」を作るという本気な案があった。
たしか、ハバロフスクに拠点があったが、そのグループがいまも存在するか
わからない。数年前まではあった。
72 :世界@名無史さん :03/12/07 17:42
ソ連が崩壊、中央アジア諸国などが分離独立した時、東シベリアではロシア革命直後
に一時的に存在した「極東共和国」にならってロシアからの独立がまことしやかに語られた。
沿海州からイルークーツクにいたるまでの広大な地域が、「独立して日本に宣戦布告し、
ただちに日本に降伏する」というシナリオだった。経済が破綻したロシアの下ではロシア
極東の将来はないと判断した指導者たちが「日本円の経済圏」の組み入れられる最短
の道としてそのシナリオがあったという。仮にそうなっていれば、北方領土問題は「新し
い主権国家」との外交交渉で一気に片づいていたはずである。
アメリカ信託統治から独立した旧日本統治領だったある島が
日本への併合を申し入れ、日本政府に断られたってのもあった気が・・
いずれにしても、日本には迷惑な話し。
そーか?二百海里とか考えたらもったいないきもするが
292 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 23:31:01
二百海里を得る見返りの莫大な経済支援は割りに合わぬ。
開発援助や人的交流で良い関係を築いたほうがいいと思います。
293 :
寺社奉行松前伊豆守崇広:2005/10/12(水) 07:28:26
そんな悠長なことではなかなか解決しませんね
294 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 03:53:31
なにが??
295 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 21:03:37
パラオだな
チョン国の手抜き工事で崩壊した橋を日本のODAで援助して立て直し「日本・パラオ友好大橋」とか名付けられた
国民は総じて親日だし、仮に現在そんな話があったら支持するけどな
296 :
定ちゃん:2005/10/13(木) 21:10:20
来年にょお正月に、NHKでスペシャルゃるらすぃデチネ ..
|π・`)
⊂
297 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 22:52:49
パラオの国旗って日の丸みたいなのだっけ?
あともう二国あったな、日の丸デザイン旭日旗デザイン。
蝦夷地最高
300 :
日本@名無史さん:2005/10/15(土) 22:21:14
祝! 300get
☆ ∵∴∴☆※☆∴∵∴ ./
\ ※∵☆☆★☆★☆★☆☆∵※
*∵☆★☆☆*☆*☆☆★☆∴*
※∴★☆☆*°°|°°*☆☆★∴※
*.∴☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∴ *
*∴☆★☆°\°☆☆★☆☆°/°☆★☆∴
.. ※☆☆*°°★°° 人 ★ °°*☆☆※ *
∴☆★☆°°☆ (__) ☆ °°☆★☆∴
∴☆☆*°°☆ (__) ☆°°*☆☆∴
※☆★☆――★ ∩ ・∀・)∩ ★――☆★☆※ ⌒★
∵☆☆*°° 〉 _ノ °°*☆☆∵ *
∵☆★☆°°☆ ノ ノ ノ ☆°°☆★☆∵
※☆☆☆*°°★ し´(_) ★ °°*☆☆☆※ *
*∵☆★☆°/°☆☆★☆☆°\°☆★☆∵
∵☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∵ うんこーーー!!!
※∵★☆☆*°°|°°*☆☆★∵※
*...☆∵☆★☆☆*☆*☆☆★☆∵☆ .ζ
※∴∵☆★☆★☆★☆∵∴※ ☆
∴∵∴☆※☆∴∴∵
301 :
日本@名無史さん:2005/10/15(土) 23:14:21
北海道の独立は無理無理っぽいけど
沖縄が独立したら将来発展しそうだと
思うのは漏れだけでつか?
>>301 そういう「願望」を持っている人は多いけれど
おそらく中国に占領されて終了というのが現実的なところかと。
303 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 19:15:16
>>302 いや、今の時代他国を武力制圧すると、頼まれてもいないのに
国連軍を名乗り張り切って大部隊を派遣する国が最低でも二国あるから
おいそれとは出来ないかもよ。
>>303 しかし、その2カ国の内の1カ国が沖縄に基地を・・・
305 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 01:26:45
基地を抱えたまま独立して、更に経済援助してもらえば安泰ぢゃん
306 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 01:06:42
幕府は出島を長崎と樺太に作ればよかったのに。
樺太の場合は主にロシアに開放、ロシアは切に日本交易を望んでいたから
ロシアが交易に熱心になれば、樺太が日本の主権下にあることも認識され
将来、武力を背景に奪うなんて発想も出なかったのでは?
307 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 11:58:34
松前藩が江戸城に提出した領内地図は、千島と樺太だけ平安時代の僧が
作ったっていう適当地図だったってホントですか?
308 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 06:33:07
松前の防寒衣類ってなんだ?
まさか着流し裸足の雪駄履きじゃないよね?
309 :
nonn:2005/11/22(火) 18:17:05
蛎崎氏は、下北半島の中心地 田名部を、管轄してたんじゃなかったかな?
310 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 20:40:55
蠣崎って集落じゃないのか?
311 :
nonn:
集落もあるけど、役所や先生に蛎崎は多い。