さわやかに大室寅之祐が明治天皇になったと言える7

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365日本@名無史さん
● 明治維新史の背景には、八切・鹿島・松重でも気付いていない もう一つ大切な事実があります。

  それは、昭和天皇の母の存在です。勿論、九条節子ではありません。宮中で、「さる方」と呼ばれ、1912年に、
   孫文が中華民国を建国した時に、日本で、三教会同を時の首相に開催させた人物です。 名前は、朱貞明。 
   1860年生まれで、実は、明を建国した朱元璋の末裔です。

  ボルネオ島の現在のブルネイ近くに拠点を持ったいましたが、禁門の変のあとに日本に亡命し、一旦は、
   孝明天皇に幼女に迎え入れられました。
 
  しかし、 維新の後、一旦は、中山忠能が預かり、この客家グループとの関係が必要な明治政府は、
   今度は、皇太子嘉仁の妃として、抱えなおします。

  よって、大正妃は、二人いることになります。昭和天皇の、中華民国に対する姿勢を考えますと、
   この貞明の影響があったとしか考えられません。

  ちなみに、大正妃は、生前から、貞明皇后と呼ばれていました。