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日本@名無史さん:
● 明治維新史の背景には、八切・鹿島・松重でも気付いていない もう一つ大切な事実があります。
それは、昭和天皇の母の存在です。勿論、九条節子ではありません。宮中で、「さる方」と呼ばれ、1912年に、
孫文が中華民国を建国した時に、日本で、三教会同を時の首相に開催させた人物です。 名前は、朱貞明。
1860年生まれで、実は、明を建国した朱元璋の末裔です。
ボルネオ島の現在のブルネイ近くに拠点を持ったいましたが、禁門の変のあとに日本に亡命し、一旦は、
孝明天皇に幼女に迎え入れられました。
しかし、 維新の後、一旦は、中山忠能が預かり、この客家グループとの関係が必要な明治政府は、
今度は、皇太子嘉仁の妃として、抱えなおします。
よって、大正妃は、二人いることになります。昭和天皇の、中華民国に対する姿勢を考えますと、
この貞明の影響があったとしか考えられません。
ちなみに、大正妃は、生前から、貞明皇后と呼ばれていました。