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六十六部
正しくは日本回国大乗妙典六十六部経聖(ひじり)といい,江戸時代には
おとしめられて六十六部または六部の略称でよばれた回国聖。
今も各地にこの回国供養碑を見ることができる。江戸時代には単なる
回国聖または遊行(ゆぎよう)聖になってしまったが,中世には法華経
六十六部を如法(によほう)に写経し,これを日本全国の霊仏霊社に納経
するために回国したのである。西国三十三所観音霊場の巡礼納経になら
って,六十六部納経したとも考えられるが,日本全国六十六ヵ国をめぐ
ることによって,より大きな功徳を積もうとしたものであろう。
六十六ヵ国の霊場については,《塩尻》(第七十六)に記すところでは
神社と仏寺と相半ばしている。その起源には諸説があるが,六十六ヵ国
の国分尼寺が法華滅罪之寺だったので,《法華経》書写と納経によって,
滅罪と豊穣を祈ったものと思われる。そのために江戸時代には,故郷で
罪を犯して滅罪のために六十六部となって回国に出て,一生を旅の空に
送る者があった。その終焉の場を提供したのが京都東山鳥辺野の宝福寺
(時宗)であり,六部墓というものがあった。しかし信仰のために六十六
部回国に出る者もあって,回国の途中で信者ができれば,その村の堂や
庵に定着して一生を送った。このような者が村人に勧進して建てたのが
回国供養碑である。回国の霊場では実際の《法華経》よりは納経札を納
めるようになったが,これは三十三所観音巡礼や四国八十八ヵ所遍路に
踏襲された。 五来 重