71 :
日本@名無史さん:03/05/24 16:43
668年の時点で既に和・百済双方で正体不明になってたのか。
さなき【鐸】
鉄製の大きな鈴。ぬりて。ぬて。古語拾遺「鐸、古語、佐那伎」
[広辞苑第五版]
↑
となっているのだけど、「鐸」との記述があると言う事は
当時、「これ、伝え聞く「佐那伎」じゃネーノ?」となったのかな?
俺も知りたいな。まだ定説の類は無いのかな。
ところで当時の発音は「さなき」でイイのかシラソ?
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
sanagi
伊賀の佐那具という地名は、発音でも意味でも、銅鐸発見、古代氏族の多さからも
典型的な住宅地と思う。なお、伊賀の意味は渡来人が喜んで住む所、という。
古代氏族が多く、天皇の安息地としても有名。
74 :
日本@名無史さん:03/05/28 17:26
鐸を、古代日本では、佐奈伎(さなき)と呼んでいた
75 :
日本@名無史さん:03/05/28 20:54
76 :
日本@名無史さん:03/05/28 21:45
77 :
日本@名無史さん:03/05/28 21:46
海流さかのぼって南に南下するのはキツイ。
実際稲の伝播ルートともかさなるからね。
78 :
日本@名無史さん:03/05/28 21:50
それに、そもそも高床式は南方でないと説明がつかない。
79 :
日本@名無史さん:03/05/28 21:59
80 :
日本@名無史さん:03/05/28 22:03
81 :
日本@名無史さん:03/06/07 07:34
狗奴國系:狗・佐奈伎→草薙(クサナギ)
伊都國系:伊・佐奈伎→イザナギ神
82 :
日本@名無史さん:03/06/15 04:16
伊都國っていうと、邪馬台國の首都だったところですな。
83 :
日本@名無史さん:03/06/15 04:27
伊賀阿拝 敢國神社[あへくに]「大彦命、少彦名命、金山媛命」祭神は記紀にはない敢国津神であったが、中世以降諸説があり現在になった。
伊賀国一の宮 神体山は南宮山、大岩明神の磐座が元の祭祀地であるが、採石により消滅している。銅鐸出土。付近地名に佐那具。
三重県上野市一之宮877
84 :
日本@名無史さん:03/06/15 13:23
>83
これどこで調べたの?
85 :
日本@名無史さん:03/06/26 23:17
地名に佐那具とあるのが、かなり重要だね。
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | < 呼んだ?
\| \_/ / \_
\____/
/ l (銅) l_ つ
. U( )つ
(__(___)
87 :
日本@名無史さん:03/07/06 19:43
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
90 :
日本@名無史さん:03/07/17 05:06
狗奴國系:狗・佐奈伎→草薙(クサナギ)
伊都國系:伊・佐奈伎→イザナギ神
91 :
日本@名無史さん:03/07/17 21:50
以前、物部スレで紐(ちゅう)が薄いという話がでた。吊りひもが切れるとか。
薄いのは、照準するためだろう。
@目印となる山を真東に見る土地に、銅鐸を立てる。
向きは扁平な側、鰭・紐のある側を山に向く様にする。
手前に人が立ち、人の目→紐→山 と見透かして、紐で山を照準する。
これで、銅鐸が東西南北に対して正置された事になる。
A銅鐸の周囲に土で低い土手を作り、水を銅鐸が中ほど漬かるくらいに張る。
銅鐸には何ヶ所か横方向に線模様が入っている。
それと水面が一致する様に、銅鐸の傾きを調整する。
これで、銅鐸の水平が出たことになる。
B春分あるいは秋分の日、太陽が上り出すとあら不思議、
太陽光が銅鐸の側面にある子穴を真っ直ぐに抜けるのである。
小穴は対角の位置に、鰭から23.5度の角度で開けられているからだ。
小穴は、鋳型の中子(内型)を支持する部分に金属が回らない為にできるものだが、
意味を持って計算されたものなのだ。
銅鐸は、太陽信仰に用いられた可能性がある。
↑ 誤り
春分あるいは秋分の日 → 夏至あるいは冬至
↑↑ 誤り
23.5度 → 緯度によって異なり、大和地方でおよそ30度
94 :
日本@名無史さん:03/07/24 19:46
釣り下げでも良いからageときます。
95 :
日本@名無史さん:03/07/24 20:04
剛力招来はサナギマン
96 :
日本@名無史さん:03/07/31 20:49
捨てられたのか埋められたのかというのは決着がついていない
わざわざ遠くに穴掘って捨てる香具師はおらん
(^^)
99 :
日本@名無史さん:03/08/07 21:38
ふむ。とすると、その地のものと考えてよいのですね?
100 :
日本@名無史さん:03/08/07 22:14
埋め方にも拘りがあったみたいですね。
ヒレを上下方向にして、全体を寝かせて埋めるとか。
101 :
日本@名無史さん:03/08/13 13:05
ヒレってなんですか?
102 :
日本@名無史さん:03/08/13 18:54
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
104 :
日本@名無史さん:03/08/16 03:33
105 :
日本@名無史さん:03/08/19 01:34
三遠式と狗奴国
106 :
日本@名無史さん:03/08/30 22:41
音色はどうだったのでしょう??
107 :
日本@名無史さん:03/08/30 22:49
>>106 銅鐸は「さなき」と古語では呼ばれたらしい。
その語源を思うに「細鳴」あるいは「清鳴」ではないかと思われ。
巨大な銅鐸がそのような音ではあるまいがまあ参考までに。
108 :
日本@名無史さん:03/09/21 07:29
物部が三輪王朝を受け入れた時、石上神宮の土地に鉄剣を埋め禁足地とし
109 :
日本@名無史さん:03/09/21 07:54
>>106 橿原考古学研究所の付属博物館で復元した銅鐸の音色が聴けますよん。
110 :
日本@名無史さん:03/09/23 04:47
鏡より銅鐸の方が高い技術力が要求されると思うのだが、鏡の方が難しいと言う人がいる。
だが事実、鋳物は大きく薄くなるほど難しい。
精巧な画文帯神獣鏡は輸入であり、国産は三角縁神獣鏡の様な低レベルであった事を考えると、
銅鐸を作った人達の方が青銅鋳造の技術は上だった様にも思える。
これも謎である。
111 :
日本@名無史さん:03/10/03 02:44
剣などの武器をまとめて埋めるのは、征服と言うより、和平協調??
112 :
日本@名無史さん:03/10/17 22:32
板ではないのかと小一時間
114 :
日本@名無史さん:03/11/11 04:44
「さなぎ」の語源というのはただしいの?
115 :
日本@名無史さん:03/11/11 07:44
ゴーリキショーライ
>西方(朝鮮?)
無理せんで、九州で良いでしょ。そこから先は擦違い。
>「細鳴」あるいは「清鳴」
鳴き=凪:波静か ・ 波穏やか ・ 無風 ・ 静海 ・ 和波 って連想してしもた。
117 :
日本@名無史さん:03/12/07 08:09
さなき=きよらかなおとがでること
ぬりで=ぬるりと手が出ること
119 :
日本@名無史さん:03/12/28 09:09
銅鐸は古代日本(原住民)に元々あった宗教の象徴物
銅鐸は玉の替わり。半島の影響だろう。