銅鐸スレ

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1日本@名無史さん
銅鐸については、過去の幾つかのスレッドで散見出来ますが、
今回は単独でスレ立ててみました。
既出の話題の繰り返しになっても結構だと思います、
まとめの積りで書いてください。
2日本@名無史さん:03/03/07 22:43
小林、梅原の争いの情報キボン
3:03/03/08 00:08
大阪府立「近つ飛鳥博物館」には、手に取って触って良い銅鐸が置いてあります。
同じ組成の合金で作った模造品で、高さ40cmほど、鈍い黄金色でした。
学芸員の人の話では、東大阪の町工場が再現に協力したそうです。
博物館のはその初期型で、肉厚は出土品よりも厚くなったそうです。
砂型では冷え易く、薄くしようとすると末端まで溶湯が流れない、
型の精度を要求される等の問題があるそうです。
何処かで石型が発見されたとの事で、石型にもチャレンジしたところ、
今度は熱衝撃で石が割れたそうです。
古代人の技術レベルに追い付くには、現代でも四苦八苦の様ですね。

少なくとも、大和盆地においては銅鐸の方が先なのです。

4日本@名無史さん:03/03/08 00:12
最多出土は、現在のところ島根県加茂岩倉遺跡の39個です
5道灌 ◆71Qb1wQeiQ :03/03/08 00:42
梅原の講義は聴講したことがある、梅原は嫌いじゃないがもっと宗教に徹して欲しい。
6日本@名無史さん:03/03/08 01:44
いいねぇ!
http://hkwr.com/
7日本@名無史さん:03/03/08 03:12
ヌリデなのか、サナギなのか。?
8日本@名無史さん:03/03/21 05:28
銅鐸文化は元祖縄文人によるものですか?
9日本@名無史さん:03/03/28 23:18
それよりも物部と銅鐸って、同じなのか敵なのか?
10日本@名無史さん:03/04/04 22:28
たしか、掘り出された銅鐸をみて、意味不明なものが出てきた、
という記録があったはず。
11日本@名無史さん:03/04/06 10:18
>>10
出土した銅鐸が「呂律にかなう」=「音階が正確である」って言ってるね。
12あぼーん:03/04/06 10:23
  ∋8ノノハ.∩
   川o・-・)ノ <先生!こんなのがありました!
__/ /    /   
\(_ノ ̄ ̄ ̄\
||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄||
 ...|| ̄ ̄ ̄ ̄||
http://saitama.gasuki.com/shinagawa/
13日本@名無史さん:03/04/06 12:51
14日本@名無史さん:03/04/06 13:03
銅鐸一つで音階が分かるわきゃない。あほか。
15日本@名無史さん:03/04/06 15:31
ぼくの知り合いのおじさんから聞いたんですが、
岩手県花巻市の、おじさんの知り合いの人が
家を増築するときに
土台の工事をしていたら、
地面から銅鐸が出てきたんだそうです。
申告すると、家が建てられなくなると言って
内緒にしていたそうで、
知っている人はあまりいないとのこと。
歴史には詳しくないのですが、
銅鐸といったら、大和朝廷とかその前の話ですよね?
こちらのほうまで銅鐸って流れてくるものでしょうか?
16日本@名無史さん:03/04/14 03:26
でもさ、たとえば、江戸時代に銅鐸がはやっていたとして、
紙や文字がなかったとしたら、我々は、銅鐸をみて、なんだこりゃ、と思うんじゃない??
17日本@名無史さん:03/04/14 04:16
大倭國宇太郡波坂郷の人、大初位上村君東人、銅鐸を長岡野地に得て獻ず。
高三尺、口徑一尺。其の制常に異なり、音は律呂に協ふ。

律呂は音階のことではない。
18日本@名無史さん:03/04/14 04:30
天智天皇七年(668)戊辰正月十七日。於近江国志賀郡。建崇福寺。始令平地。掘出奇異宝鐸一口。高五尺五寸。『扶桑略記』

元正天皇和銅六年(713)七月丁卯(6日、大倭国宇太郡波坂郷人大初位上村君東人、得銅鐸於長岡野地而献之。高三尺、口径一尺。其制異常、音協律呂。勅所司蔵之。『続日本紀』

聖武朝(724-749)地中得五尺宝鐸。『元亨釈書』巻第二十八、寺像志、石山寺条

嵯峨天皇弘仁十二年(821)五月丙午(11日)。播磨国有人。掘地獲一銅鐸。高三尺八寸。口径一尺二寸。道人云。阿育王塔鐸。『日本紀略』『日本逸史』

仁明天皇承和九年(842)六月辛未(8日)。若狭国進銅器。其体頗似鐘。是自地中所掘得也。『続日本後紀』

清和天皇貞観二年(860)八月十四日辛卯。参河国献銅鐸一。高三尺四寸。径一尺四寸。於渥美郡村松山中獲之。或曰。是阿育王之宝鐸也。『日本三代実録』
19日本@名無史さん:03/04/14 05:01
「天智天皇御宇七年(668)正月十七日、近江京、崇福寺建立の時、
 一人の工人によって高さ五尺五寸(1m66cm)の宝鐸が発見された。
 しかし、その場に居合わせた百済人の設計・施工技師らには、それが何で
 あるか全く判らなかった。」
20日本@名無史さん:03/04/14 05:09
1984年7月、島根県簸川郡斐川町の荒神谷遺跡では、358本の銅剣が発掘されている。
これだけでも常識はずれなのだが、翌年には、考古学者等を震撼させる発掘が
なされている。本来一緒に埋められるはずがない、銅鐸六個と銅矛十六本が
並べられて発見されたのである。考古学者等の驚きは、想像を絶するものであった
と思う。なぜなら、「銅剣・銅矛文化圏」と「銅鐸文化圏」は、
別なものと考えていたからである。 このようにして、両文化圏説は崩れさった。
21日本@名無史さん:03/04/14 05:24
>>19
日本独特の銅鐸を、百済人の技師が理解できるわけないのは当たり前すぎ。
22九州王朝大好き:03/04/14 05:49
>>3
青銅を鋳込む時のガス抜きが、難かしいのです。
鋳込み温度を上げると型が割れたり、
鋳込み温度を下げると湯流れが悪くなります。
湯流れをよくしガス抜きの為に糠を使ってする方法で試作したのでしょうか?
23日本@名無史さん:03/04/14 06:14
「古語拾遺」の中で天岩戸の前での踊りに出てくるのが銅鐸でないの?
「鐸(さなき)着けたる矛を持ちて、」
24日本@名無史さん:03/04/14 06:28
続日本紀によると、和銅6年(713)7月6日、大倭国宇太郡波坂郷の人、
大初位上の村君東人は、長岡野の地で銅鐸を得て献上した。
高さ三尺・口径一尺で、その造りは普通と異なっており、音色は律呂にかなっている。
そこで担当の宮司に勅して収蔵させた。と、あります。
25日本@名無史さん:03/04/14 06:31
>>23
鐸を、古代日本では、佐奈伎(さなき)と呼んでいたってことでしょ?
26日本@名無史さん:03/04/14 06:31
追記
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)をして雑(くさぐさ)の刀・斧
又鉄(くろがね)の鐸〔古語に、佐邪伎(さなき)といふ。〕を作らしむ。

岩波文庫「古語拾遺」p19より
27日本@名無史さん:03/04/14 06:33
>>26
「さなき」とも「ぬて」とも呼ばれているらしいが、どう違うのかは、その注釈に書いてあります。
28日本@名無史さん:03/04/14 06:35
ぜひ、どなたか、ここで、その注釈の解説を!
29日本@名無史さん:03/04/14 06:37
銅鐸=湯沸器説はどうよ?
30日本@名無史さん:03/04/14 06:41
どうして、各記録において、なにであるか不明であるように書かれているのに、
『鐸』という表現をしているのですか?

『鐸』の文字を用いているということは、それが鈴であることを理解しており、
しかもどういう利用がなされていたかは理解していたにも関わらず、
それを語ることがタブーとされていたからではないでしょうか?
31日本@名無史さん:03/04/14 06:43
>>30
それは考えすぎではないの?
単に忘れ去られたものだからでしょう。
32日本@名無史さん:03/04/14 06:46
鈴?銅鐸が鈴とは思わないけど、少なくとも鈴にしては
でかすぎるな。
33日本@名無史さん:03/04/14 06:50
>>32
鐸という字の意味は、鈴なわけで、
どうして不明なものに対して、そろいもそろって、
鐸という字を用いているのかは不思議ではある。

さらに、鐸(さなき)という訓まで伝わっている?
34日本@名無史さん:03/04/14 06:54
後世のひとがその用法・意味する内容等を正確に理解していた
かは不明。
単に鈴に形状が似ていたからその文字を用いたのかもしれない。
当然、使われていた時期は呼称はあったでしょうが、それにあてる
文字はありません。
35日本@名無史さん:03/04/14 07:00
天智の時の出土が668年で、
銅鐸の埋葬推定時期で最新のものが250年くらいでしたっけ?

約400年たったますね。
36日本@名無史さん:03/04/14 07:02
これは予想にすぎないけど「さなき」か「ぬて」の一方かあるいは
両方の呼称は当時から伝わっていたものだと思います。
37日本@名無史さん:03/04/14 07:06
その、大和言葉での「さなき」とか「ぬて」とかってのを、
漢字で充てると鐸(あるいは銅製なら銅鐸)ってことなん?

呼称も、漢字への対応も伝わっていたなら、
存在や用途も伝えていた家があったってことなん?
38日本@名無史さん:03/04/14 07:09
呼称は伝わっていただろうけれども、用法等まで
伝わっていたかは疑問だということです。
したがって、鐸と言う文字にはあまり縛られないほうが
いいかと思っただけです。

これは私の感想でとくに根拠はないです
39日本@名無史さん:03/04/14 07:11
一義的に意味があるのは日本語としての呼称であろう
「さなき」ないし「ぬて」だということです。
40日本@名無史さん:03/04/14 17:21
当時の人が「さなき」ないし「ぬて」ないし「鐸」と性格付けした根拠を知りたいね。
41日本@名無史さん:03/04/14 17:31
銅鐸は現代日本語にいう鈴ではないけれども、
中国での分類にしたがえば、鈴になる。
42日本@名無史さん:03/04/14 18:45
>>41
漢和辞典引けば分かるんだろうがその鈴というのは
いわゆる銅鑼みたいなやつのこともふくむのか?
43日本@名無史さん:03/04/14 19:12
風鈴と銅鐸は似てる
44日本@名無史さん:03/04/14 19:19
>>40
「さ(指示)」+「鳴き」ですな。
「さなき」は鳴り響くものであったと思われ。
45日本@名無史さん:03/04/14 19:23
草薙=狗+佐奈伎 説
46日本@名無史さん:03/04/14 19:26
日本を作った伊佐奈伎(イザナギ)との関係は?
47日本@名無史さん:03/04/14 19:27
蛹「さなぎ」の語源ではないかと言われたりするね。
その逆もありうるか
48日本@名無史さん:03/04/14 19:44
蛹(さなぎ)は古語ではその呼び名を見かけないので、
銅鐸(さなき)→蛹(さなぎ)と思われ。
49日本@名無史さん:03/04/14 19:47
サナギマン
50日本@名無史さん:03/04/14 19:56
狗奴國系:狗・佐奈伎→草薙(クサナギ)
伊都國系:伊・佐奈伎→イザナギ神
51山崎渉:03/04/17 13:40
(^^)
52日本@名無史さん:03/04/19 01:37
佐奈伎の謎が2ちゃんねるで解決
53日本@名無史さん:03/04/19 02:41
>>35
現代に直せば、関が原の遺物が見つかるようなものか。
奈良時代の人も正直、なにもわからなくても全然不思議じゃない。
54日本@名無史さん:03/04/19 05:51
「ぬて」じゃなくて「ぬりて」だろ
55山崎渉:03/04/20 01:52
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
56日本@名無史さん:03/04/24 12:09
またもや吉野ケ里に銅鐸!
こんどは流水文だ!!!

www.yomiuri.co.jp/national/news/20030423ic27.htm
57日本@名無史さん:03/04/24 14:13
最大級だな。重さは量ったのか。
58日本@名無史さん:03/05/01 00:53
音色はどうだったのでしょう
59日本@名無史さん:03/05/01 17:03
>>49
サナギマンからイナズマン

ゴーリキショウライ,ショウリキショーライ!
60日本@名無史さん:03/05/02 01:59
>>59
剛力招来、超力招来。
ショウリキじゃなくてチョウリキだろ。
61日本@名無史さん:03/05/02 21:55
銅鐸といえば、どうた君。
62日本@名無史さん:03/05/03 19:17
ハニワ幻人
63日本@名無史さん:03/05/07 05:13
>>19は、百済人以外は何であるか知っていた、と解釈出来ると思う。
>>24だと、「普通と異なっている」なんて概念があるらしいし。
64日本@名無史さん:03/05/07 13:02
剣などの武器をまとめて埋めるのは、征服と言うより、和平協調のメモリアルプレイス。
物部が三輪王朝を受け入れた時、石上神宮の土地に鉄剣を埋め禁足地とした。
再び武器を持って争いを始めない為に禁足地にして、掘り出さない事としたのだろう。
65日本@名無史さん:03/05/07 13:32
朝鮮式小銅鐸がルーツだと言うが…画像ある?
66日本@名無史さん:03/05/11 22:47
67日本@名無史さん:03/05/11 22:54

現在のところ最多出土は島根県加茂岩倉遺跡の39個
68山崎渉:03/05/22 03:29
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
69日本@名無史さん:03/05/24 15:18
銅鐸でどう叩く?
70日本@名無史さん:03/05/24 15:30
私が、一番真実に近いと思ってる学説は、

銅鐸は、古代日本(原住民)に元々あった宗教の象徴物だった。
そして、西方(朝鮮?)から押寄せてきた宗教勢力の象徴物が
トリイ(神社の入口の建造物ね)だった。
そして、その両勢力が、対立して戦って、
結局は、「トリイ」が勝って、「銅鐸」が負けたわけです。

実際、西にいくほど銅鐸は、より破壊された形で発見されています。
まぁ、色んな学説があるでしょうから、・・・責めないでね。
71日本@名無史さん:03/05/24 16:43
668年の時点で既に和・百済双方で正体不明になってたのか。

さなき【鐸】
鉄製の大きな鈴。ぬりて。ぬて。古語拾遺「鐸、古語、佐那伎」
[広辞苑第五版]

となっているのだけど、「鐸」との記述があると言う事は
当時、「これ、伝え聞く「佐那伎」じゃネーノ?」となったのかな?
俺も知りたいな。まだ定説の類は無いのかな。

ところで当時の発音は「さなき」でイイのかシラソ?
72山崎渉:03/05/28 11:02
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
73日本@名無史さん:03/05/28 17:11
sanagi

伊賀の佐那具という地名は、発音でも意味でも、銅鐸発見、古代氏族の多さからも
典型的な住宅地と思う。なお、伊賀の意味は渡来人が喜んで住む所、という。
古代氏族が多く、天皇の安息地としても有名。
74日本@名無史さん:03/05/28 17:26
鐸を、古代日本では、佐奈伎(さなき)と呼んでいた
75日本@名無史さん:03/05/28 20:54
>70
>西方(朝鮮?)から押寄せてきた宗教勢力の象徴物が
>トリイ(神社の入口の建造物ね)だった。
うーん、・・・・かな?
考古ファンと言えるかどうかの私ですが、
大阪の民博で、こんなの見付けちゃって驚いた次第です。
1と2は、東南アジアの村落の入り口に見られる鳥居だそうです。
実際に鳥を乗っけてますね。3は千木(ちぎ)ですね。
4は今でも韓国の農村の入り口に立てられる、ソッテと呼ばれる物です。
鳥竿(ちょうかん)とも言われ、本邦の即位の大礼の時にも立つみたいです。
あちらは水鳥のよう、こちらは八咫烏だったかも知れません。
1.http://homepage1.nifty.com/okobano/kamigami/trii1.jpg
2.http://homepage1.nifty.com/okobano/kamigami/trii2.jpg
3.http://homepage1.nifty.com/okobano/kamigami/chigi.jpg
4.http://homepage1.nifty.com/okobano/kamigami/sotte.jpg

おっしゃる様に、西方(朝鮮?)が起源で、日本と東南アジアに伝播したのかも知れませんね。
76日本@名無史さん:03/05/28 21:45
>>75
朝鮮起源ではなく、江南起源でしょ。
77日本@名無史さん:03/05/28 21:46
海流さかのぼって南に南下するのはキツイ。
実際稲の伝播ルートともかさなるからね。
78日本@名無史さん:03/05/28 21:50
それに、そもそも高床式は南方でないと説明がつかない。
79日本@名無史さん:03/05/28 21:59
>>75
それとの関係は鳥越憲三郎氏がいろいろ書いている。
中公新書など。
「古代中国と倭族」「古代朝鮮と倭族」etc

すべては肯定しかねるが一部については同意する面もある。
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-72.html
80日本@名無史さん:03/05/28 22:03
81日本@名無史さん:03/06/07 07:34
狗奴國系:狗・佐奈伎→草薙(クサナギ)
伊都國系:伊・佐奈伎→イザナギ神
82日本@名無史さん:03/06/15 04:16
伊都國っていうと、邪馬台國の首都だったところですな。
83日本@名無史さん:03/06/15 04:27
伊賀阿拝 敢國神社[あへくに]「大彦命、少彦名命、金山媛命」祭神は記紀にはない敢国津神であったが、中世以降諸説があり現在になった。
伊賀国一の宮 神体山は南宮山、大岩明神の磐座が元の祭祀地であるが、採石により消滅している。銅鐸出土。付近地名に佐那具。
三重県上野市一之宮877
84日本@名無史さん:03/06/15 13:23
>83
これどこで調べたの?
85日本@名無史さん:03/06/26 23:17
地名に佐那具とあるのが、かなり重要だね。
86日本@名無史さん:03/06/27 17:14

     ____
    /∵∴∵∴\
   /∵∴∵∴∵∴\
  /∵∴∴,(・)(・)∴|
  |∵∵/   ○ \|
  |∵ /  三 | 三 |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |∵ |   __|__  | < 呼んだ?
   \|   \_/ /  \_   
     \____/
     / l (銅) l_ つ
.    U(     )つ
     (__(___)


87日本@名無史さん:03/07/06 19:43
88山崎 渉:03/07/12 12:27

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
89山崎 渉:03/07/15 11:48

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
90日本@名無史さん:03/07/17 05:06
狗奴國系:狗・佐奈伎→草薙(クサナギ)
伊都國系:伊・佐奈伎→イザナギ神
91日本@名無史さん:03/07/17 21:50
以前、物部スレで紐(ちゅう)が薄いという話がでた。吊りひもが切れるとか。
薄いのは、照準するためだろう。
@目印となる山を真東に見る土地に、銅鐸を立てる。
 向きは扁平な側、鰭・紐のある側を山に向く様にする。
 手前に人が立ち、人の目→紐→山 と見透かして、紐で山を照準する。
 これで、銅鐸が東西南北に対して正置された事になる。
A銅鐸の周囲に土で低い土手を作り、水を銅鐸が中ほど漬かるくらいに張る。
 銅鐸には何ヶ所か横方向に線模様が入っている。
 それと水面が一致する様に、銅鐸の傾きを調整する。
 これで、銅鐸の水平が出たことになる。
B春分あるいは秋分の日、太陽が上り出すとあら不思議、
 太陽光が銅鐸の側面にある子穴を真っ直ぐに抜けるのである。
 小穴は対角の位置に、鰭から23.5度の角度で開けられているからだ。
小穴は、鋳型の中子(内型)を支持する部分に金属が回らない為にできるものだが、
意味を持って計算されたものなのだ。

銅鐸は、太陽信仰に用いられた可能性がある。

9291:03/07/17 21:56
↑ 誤り
春分あるいは秋分の日 → 夏至あるいは冬至
9391:03/07/17 22:02
↑↑ 誤り
23.5度 → 緯度によって異なり、大和地方でおよそ30度
94日本@名無史さん:03/07/24 19:46
釣り下げでも良いからageときます。
95日本@名無史さん:03/07/24 20:04
剛力招来はサナギマン
96日本@名無史さん:03/07/31 20:49
捨てられたのか埋められたのかというのは決着がついていない
97日本@名無史さん:03/07/31 22:09
わざわざ遠くに穴掘って捨てる香具師はおらん
98山崎 渉:03/08/02 01:13
(^^)
99日本@名無史さん:03/08/07 21:38
ふむ。とすると、その地のものと考えてよいのですね?
100日本@名無史さん:03/08/07 22:14
埋め方にも拘りがあったみたいですね。
ヒレを上下方向にして、全体を寝かせて埋めるとか。
101日本@名無史さん:03/08/13 13:05
ヒレってなんですか?
102日本@名無史さん:03/08/13 18:54
103山崎 渉:03/08/15 12:40
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
104日本@名無史さん:03/08/16 03:33
またもや吉野ケ里に銅鐸!
こんどは流水文だ!!!

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030423ic27.htm
105日本@名無史さん:03/08/19 01:34
三遠式と狗奴国
106日本@名無史さん:03/08/30 22:41
音色はどうだったのでしょう??
107日本@名無史さん:03/08/30 22:49
>>106
銅鐸は「さなき」と古語では呼ばれたらしい。
その語源を思うに「細鳴」あるいは「清鳴」ではないかと思われ。
巨大な銅鐸がそのような音ではあるまいがまあ参考までに。
108日本@名無史さん:03/09/21 07:29
物部が三輪王朝を受け入れた時、石上神宮の土地に鉄剣を埋め禁足地とし
109日本@名無史さん:03/09/21 07:54
>>106
橿原考古学研究所の付属博物館で復元した銅鐸の音色が聴けますよん。
110日本@名無史さん:03/09/23 04:47
鏡より銅鐸の方が高い技術力が要求されると思うのだが、鏡の方が難しいと言う人がいる。
だが事実、鋳物は大きく薄くなるほど難しい。
精巧な画文帯神獣鏡は輸入であり、国産は三角縁神獣鏡の様な低レベルであった事を考えると、
銅鐸を作った人達の方が青銅鋳造の技術は上だった様にも思える。
これも謎である。
111日本@名無史さん:03/10/03 02:44

剣などの武器をまとめて埋めるのは、征服と言うより、和平協調??
112日本@名無史さん:03/10/17 22:32
考古学スレッドができたらしいね・・・
ttp://academy2.2ch.net/archeology/subback.html
113日本@名無史さん:03/11/05 10:41
板ではないのかと小一時間
114日本@名無史さん:03/11/11 04:44
「さなぎ」の語源というのはただしいの?
115日本@名無史さん:03/11/11 07:44
ゴーリキショーライ
116日本@名無史さん:03/11/12 21:26
>西方(朝鮮?)
無理せんで、九州で良いでしょ。そこから先は擦違い。
>「細鳴」あるいは「清鳴」
鳴き=凪:波静か ・ 波穏やか ・ 無風 ・ 静海 ・ 和波 って連想してしもた。
117日本@名無史さん:03/12/07 08:09
さなき=きよらかなおとがでること
118日本@名無史さん:03/12/07 12:55
ぬりで=ぬるりと手が出ること
119日本@名無史さん:03/12/28 09:09
銅鐸は古代日本(原住民)に元々あった宗教の象徴物
120日本@名無史さん
銅鐸は玉の替わり。半島の影響だろう。