足利と新田 その2

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837日本@名無史さん
>>835
仁木じゃなくって渋川。
渋川氏祖足利兼氏は『尊卑分脈』などによれば
板倉義顕と名乗っていたというし、
実際に渋川氏は足利庄板倉郷を所領としていた。
天正本『太平記』などには、渋川氏被官に板倉氏が見える。

でも、板倉勝重は胡散臭い。
838日本@名無史さん:04/02/04 00:28
>>835>>837
渋川氏は、系図上では、康暦政変で失脚していた細川頼之の復権後に没落し、中央政界から消えた後、九州で名ばかりの九州探題として存続した家系と、関東の本領に残った家系とに別れ、後者がのちの近世大名板倉氏につながるとされる。
なお、徳川譜代で仁木氏支流を名乗っているのは榊原氏。
但し、こちらは板倉氏より信憑性が低い。w