411 :
日本@名無史さん:
>408
摂津源氏の嫡流は、多田という苗字ではなく、源姓のまま。
多田を苗字とした多田明国に対して源姓のままの源仲政の系統が摂津源氏嫡流。
412 :
日本@名無史さん:03/06/27 08:07
明国が苗字を多田と名乗ってる同時代史料は見たことない。
百歩譲って、明国が多田を号したというのなら、
仲政は馬場を号したといわれてるだろ。
413 :
日本@名無史さん:03/06/28 03:16
>412
仲政の馬場は号であって苗字ではない。源頼政も馬場を号している。
しかし、苗字ではないから仲政も頼政も馬場仲政とか馬場頼政と呼ばれることはない。
多田を苗字とした最初は、多田頼盛。
明国が多田を称したというのはたぶん何かの系図からだろう。
414 :
日本@名無史さん:03/06/28 03:43
でた
多田オタ
415 :
日本@名無史さん:03/06/28 03:45
>>413 >多田を苗字とした最初は、多田頼盛。
前も聞いたような気がするんだが、これのはっきりしたソースある?
あと、源姓のままなのが嫡流の根拠になるのだろうか?
416 :
日本@名無史さん:03/06/29 02:34
>415
源姓のままなのが嫡流の根拠なのか? ではなくて、逆。
嫡流だからこそ源姓だった。
河内源氏も源姓で苗字ではなかったが、これは東国へ進出したから。
東国土着の平氏系の苗字武士団に対して源姓のままであることが、
指導権確立の重要な精神的要因でもあったから。
義家的な武力だけでは東国土着の平氏系の苗字武士団の棟梁にはなれない。