江戸260年の歴史を終わらせた、明治維新
果たして明治維新とは一体なんだったのか?
薩長連合を組んでまで、無理矢理尊皇攘夷で倒幕して、
明治維新を起こさなくても、当時の歴史的な流れから見
たら、必然的に明治維新的なことが起こっていたはずだが?
田舎者の喧嘩
4 :
日本@名無史さん:03/02/20 17:49
後南朝奇兵隊革命
6 :
日本@名無史さん:03/02/20 23:32
まぁとりあえず、今維新は必要なんじゃねーかと思うな。
7 :
日本@名無史さん:03/02/20 23:42
明治維新とはタチの悪い冗談ですた
>>1 薩長連合を組まず、無理矢理尊皇攘夷で倒幕しないで必然的に起きたであろう
明治維新的なものがどのようなものであるのか、何一つ提示していない。
君の頭の中で漠然としたイメージだけで語られても困る。
ちゃんと具体的に説明してくれ
9 :
日本@名無史さん:03/02/21 01:20
>>1 鹿島昇「裏切られた3人の天皇 明治維新の謎」新国民社よんだら
岩倉、薩長、慶喜の呉越同舟プレーで明治維新が成功したことがわかる。
天狗の党の決起は熊沢天皇を玉にして失敗し鳥羽伏見の戦いは大室天皇を玉にして成功したといえる。
前者は藤田東湖の筋書き。後者は松蔭の筋書きで死後、木戸、高杉、伊藤らによって成功したのが明治維新=後南朝奇兵隊革命
そもそも鎖国してなきゃ
あんなに急いで維新起こさなくてもよかったのに
11 :
ちょっとだけ専門家:03/02/21 01:27
難しいことを考える必要はない。
薩長の貧乏侍達が『うまいもんを食いたい。いい女抱きたい。』で起こした騒動だよ。
後からいろいろこじつけただけ。
在日の坂本竜馬のおかげで維新が成功したね。
>>11 専門家なら、ぜひ証明して欲しいものです。
14 :
ちょっとだけ専門家:03/02/21 01:41
>>13 古今東西革命なんてのはみんなそんなもんだろう。
まあ、なかには崇高な使命をもっていたやつもいたろうけど。
現状に満足していら革命なんておきやしない。
それと俺は『ちょっとだけ専門家』だからあまり責めないでね。
マジに討論したい人はスルーして頂戴。
15 :
日本@名無史さん:03/02/21 01:42
長州人が会津や新選組を憎むのは、
祇園から追い出された恨みが大きい。
京女を抱けないなら御所に放火してやる〜!
という下半身の衝動で勃起したのが禁門の変。
>>14 ほほう、長州では100石やら200石どりの上士も陣頭に立ち、何度も命を狙われ、
多くの人達が死んだわけだが、彼等が『うまい物食いたいとかいい女抱きたい』という理由だったというんだね。
>>16 違うって。そういうことは分かっている上で
あえて悪態をつき合うスレッドなんだよ。
そういう趣旨を(あくまでネタとして)理解してね。
多少説明不足でしたね。つまり、明治維新(革命)を無理やり
起こさなくても、世界的な歴史の流れや当時の日本の状況から考
えて、現在とあまり違わない世の中になっていたのでは?という
こと。現に徳川慶喜は尊皇攘夷が造った明治政府と同じよう構想
を持っていたと言うし。
19 :
日本@名無史さん:03/02/21 14:46
>>18 明治維新は「無理矢理」だったのか?
封建制による支配の限界と
航海術と船舶製造技術の向上による対外関係の変化という
二つの要素を考えるのであれば幕藩体制という支配の形は
不可能になっていた。
明治維新は版籍奉還であり廃藩置県という形での
私有地・私有民の否定であり、
中央政府による国政の一本化だったんだぞ?
その点を理解してるのか?
>現在とあまり違わない世の中になっていたのでは?
どういった点で?
お前は意見は具体的なことが示されないので、
それに対して賛意も異論も唱えることができないよ。
>現に徳川慶喜は尊皇攘夷が造った明治政府と同じよう構想
>を持っていたと言うし
…。
慶喜の構想をもう少し理解しようぜ。
慶喜はあくまで世襲的な私有地・私有民を持つ封建領主による日本統治を前提とした
郡県体制には意慾的だったということだぞ。
私有地・私有民を否定した公地公民による新体制に移行したら、
慶喜の発言力・地位の低下は免れない。
つまり公地公民制は封建領主としての慶喜の存在を許さない。
そんなことを慶喜が積極的に行うと思っているのか?
3年ぐらい勉強してから出直して恋。
20 :
日本@名無史さん:03/02/21 15:05
武士(士族)を全員解雇にしただけのこと。
時代が明治となっても、小作農の子弟には、
何の変りもなかった。
明治となって四民平等といっても、
旧大名・公家には、華族(新しい貴族)
武士を士族の身分が残って、平民を馬鹿にしていた。
官吏や軍人教師などの仕事も士族出身者が占領していた。
小作の子弟達が、出世し始めたのは、大正・昭和になってから。
21 :
日本@名無史さん:03/02/21 18:04
明治維新は近代化・民主化としては不徹底だからたいしたことない、といいたいのかな?
漏れは幕府支持だから、警察や軍人は士族の優先採用を明確に唄った方がよかったと思うけどな。
22 :
日本@名無史さん:03/02/21 18:40
明治維新が、半封建的・半ブルジョワ的中央集権革命としても、
私有地・私有民は否定されてないよ。
むしろ逆に、各地の藩の束縛から自由になり、資本制社会に
再編成されていった。
城や藩主を形骸化し、藩の意識を取っ払い、
伝統ある寺院を破壊した。
ある意味では、革命的であると思う。
ただし、中途半端性は否めない。
慶喜が大統領になっても、廃藩置県はできたかなぁ?
連邦制国家になったんじゃないか。良し悪しは別として。
23 :
日本@名無史さん:03/02/21 18:48
>>21 初期の軍隊・警察は士族ばっかりじゃないか。
平民が大挙して軍隊・警察に入るのは西南戦争以後でしょ。
封建制を否定して憲法に則った議会政治を明治期に実現したことは、
凄いことだと思うね。
英・仏・独・米の政府お抱え顧問達が
「日本で選挙制度を行うには早すぎる」と反対するなか、
政府はそれを実現した。
直接税15円以上を納める25歳以上の男子にしか選挙権を認めなかったので
有権者は全国民の1.1%だったと非難する人がいる。
しかし、同時期のイギリスの有権者は確か5%未満。
当時、最も民主化の進んでいたイギリスがどれほどの年月を
かけてそこまでたどり着いたを考えれば、
日本政府の決断の大きさと先進性は評価できる。
24 :
日本@名無史さん:03/02/21 18:55
>>10 :日本@名無史さん :03/02/21 01:25
>>そもそも鎖国してなきゃ
>>あんなに急いで維新起こさなくてもよかったのに
ふぅ こんなこといってるやつていまだに存在するんだね。
鎖国してないよ。 以上
戦国時代より江戸時代のほうが貿易量多い。貿易制限したのは秀吉。人身売買と宗教
の関係。秀吉が九州討伐した際一部の地域がすでにロ−マに寄進されていた。
普通そういうことがあれば貿易相手選ぼうと思うけどね。
25 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:06
>>22 >むしろ逆に、各地の藩の束縛から自由になり、資本制社会に
>再編成されていった。
これはどういう意味かな?
それとあなたの私有地・私有民の定義は?
私が考える私有地・私有民の定義は、
「土地・民がその土地の領主の私法・私刑により支配される。
また、領主がその土地・民に対し課税し、
その税収により土地・民を支配する」。
私が考える公地公民の定義は
「土地・民は中央政府の法律によって統治される。
民は中央政府の法律と中央政府が認めた地方自治体の法律によって
保護される権利とその法律に従う義務を持つ。
また、民は中央政府と地方自治体への納税の義務を負う。
中央政府と自治体はこの税収をもとに運営される。
土地は中央政府の法律の範囲内での私有権を認められ売買も
可能である。
しかし私有地内での私法・私刑は認められず、
中央政府の法律からは自由ではない」。
私の定義でいくと版籍奉還・廃藩置県の段階で
概ね公地公民が実現していたことになるし、
私はそう思っている。
27 :
ちょっとだけ専門家:03/02/21 19:11
>>16 お宅がいうようにそのまま江戸時代が続いてもいい暮らしができた連中がいた
のも事実だな。彼らは多分崇高な使命を持っていたんだろう。
でも、ほとんどの連中はどうかな?
幕末のころって、武士階級とはいえ経済状態ひどかったんだろう。
そういう連中がこれを機会に成り上がってやろうと思っても不思議じゃない。
そういう人間のエネルギーは半端じゃないからねー。
28 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:15
>慶喜が大統領になっても、廃藩置県はできたかなぁ?
>連邦制国家になったんじゃないか。良し悪しは別として。
この点については疑問。
慶喜が公地公民を否定することはまずできなかったはず。
なぜなら慶喜のポリティックス・パワーは幕府の領地の資源(人・モノ・金・土地)に
支えられているから。
封建制から公地公民制へ移る段階で、
慶喜のポリティックス・パワーは失われる。
そうなると慶喜が大統領になれるだろうか?
最初の思惑がどうであれ、
明治維新は封建領主であった将軍・藩主を否定して
初めて成立する。
公地公民制を実現する為には将軍・藩主を否定し、
日本全体を中央政府が支配しなければならない。
連邦制にしても封建領主による支配が残っていれば成立し得ない。
つまり雄藩連合による政治運営では公地公民制は成立しない。
29 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:15
>>25 公地公民と私有地の存在は2者択一ではないよ
30 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:16
31 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:22
>>30 ある場所や人間に対する裁量権がどこにどれだけあるかの話だから
統一的な公的政権がある程度介入しようと私有しているという状態もある。
32 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:25
>>31 なるほど、そういうことでしたか。
日本史に当てはめると、薩長土肥だけが版籍奉還・廃藩置県をおこなって
他の藩はまだしてない時の状態ですね。
中央政府と藩が共存しているという。
33 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:34
>>32 いえいえ規模の問題に帰着するということがいいたかったわけですよ。
私有するのは藩主や領主だけの特権ではないですから。
現在だって私有地という存在はあるけど公的機関の徴税や支配から無縁ではないでしょ。
公的機関と一個人や組織における裁量の程度とその地理的範囲が変動していることが議論になっているのだから
定性的な話しても極端な事象以外はまとまらんでしょ。
34 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:42
>>33 確かに。
ただまだ大きな問題があると思います。
それは明治維新の定義です。
これを倒幕と捉えるのと、
公地公民制の実施までと捉えるのと、
さらには議会の成立までと捉えるのとでは、
かなり見方が変わってくると思います。
このスレで議論が噛み合わない一つの原因として
明治維新の定義をしていないことがあるのではないでしょか?
35 :
日本@名無史さん:03/02/21 19:49
>>34 >それは明治維新の定義です。
ええその問題はあります。
これについての一般的な定義があいまいなのは
1868年を明治維新の年と教えられてきた人間が多いせいなんでしょうけど。
だからそれ以外の年の変革が明治維新に入らないという見解が多いですから
個人的には廃藩置県とそれによって生じた矛盾が一段落した明治10年ごろまでを維新の事例と考えています
36 :
日本@名無史さん:03/02/21 20:00
版籍奉還は薩長土肥の4藩主が願い出たんだよな?
37 :
日本@名無史さん:03/02/21 20:02
旗本八万騎みたいな、無知でヘタレな奴等を一掃してくれて良かった。
あんな奴等に、政権を任せていたら植民地化確実。
38 :
日本@名無史さん:03/02/21 20:07
>>35 そうですね。
1867年10月の大政奉還で幕府が公儀ではなっくなった(政権を失った)。
同年12月王政復古の大号令で朝廷が公儀となった。
1868年五箇条の御誓文・五ボウの高札で朝廷の方針を示し、
政体書で公儀としての支配体制を発表。
1868年の段階では倒幕は実現していても、
藩主・幕府による封建領主支配はそのままですからね。
その後政体書に沿った形で1869年版籍奉還、
1871年廃藩置県が実施される。
この段階で日本全体に公儀としての太政官政府の支配が実施されます。
中央政府による日本全土の掌握という点ではこれで完成ですね。
明治維新の定義に一歩近づいた感じです。
40 :
日本@名無史さん:03/02/21 20:09
>>37 明治政府の官僚には大量の元旗本がいましたが?
41 :
日本@名無史さん:03/02/21 20:17
世界的な流れのなかであの時代をとらえて行くなら、
あの当時の日本は外国権益を入れる・入れないの二者択一だったことだけは確か。
国民投票をしたわけじゃないが、それについて国民の大多数は「ノー」という答えを出したわけだ。
それがいわゆる攘夷思想なわけ。
そのエネルギーの帰結が体制崩壊である以上新政府の発足は必然的に起こるし。
だって、幕府の他にある?
攘夷エネルギーを一大放出する相手。
42 :
日本@名無史さん:03/02/21 20:30
>>40 官僚ならイイさ。政治家(国の方針を決める。)軍人(国を守る。)に少なくて良かった。
明治国家っつのは、この国未曾有の官僚国家だったわけだが
44 :
諸葛孔明二世:03/02/21 20:45
【アメリカを日本のモノにする法】
1.独立を捨てアメリカの51番目の州になる
2.2億人のアメリカ社会に1億人の日本人が入り込むのだから、当然、政治・
経済・文化・・・あらゆる面においてアメリカ社会は日本化される 勿論、
日本もアメリカ化されるわけだが、これは仕方がない 大事(アメリカ占領)
の前に小事は捨てねばならない
3.総仕上げ アメリカ大統領候補に日本人を送り込み、日本人アメリカ大統領
を出す これで完全にアメリカは日本人が統治する国となる
45 :
諸葛孔明二世:03/02/21 20:47
何か質問ありますか?
>>45さん、大変感銘を受けました.
質問ですが,
アメリカの日本化の度合いが、日本のアメリカ化の度合いより少ないと、日本列島
出身者がアメリカ大統領になったとしても,それはアメリカ人がアメリカ大統領に
なっただけとなりますが,日本のアメリカ化を極力押さえ,アメリカの日本化を促進
する対策はあるのでしょうか.
47 :
日本@名無史さん:03/02/21 21:05
48 :
日本@名無史さん:03/02/21 21:06
>>41 開国要求と租界地要求は違うと思うけどね。
49 :
日本@名無史さん:03/02/21 21:34
>>45 アメリカの51番目の州は、イギリスなんだが・・・
50 :
日本@名無史さん:03/02/21 21:35
明治維新は、江戸時代の特権階級だった下級武士が主体となったものであり、
近代天皇制を確立したという点で絶対主義的な変革に過ぎなかった。
元々勤皇派志士達には明確な近代国家建設の理念やプランなどはなく、
佐幕派との旧態依然の派閥的対立のせめぎ合いを通じて、
西洋文明の流入による急速な時代環境の変化により、
結果として近代国家へと移行したものに過ぎない。
だいたい勤皇派志士達の当初の主張が、「尊皇攘夷」であったことからも、
その愚かな時代錯誤性は分かるだろう。
後世時代錯誤の馬鹿者扱いされている幕府が「開国和親」で、
先覚者に祭り上げられた勤皇の志士が「攘夷」では、まるで筋が通らないではないか。
逆なら理解出来るんだけどね。
まあ、明治維新は所詮その程度のものに過ぎないから、過大評価は禁物だ。
>>40大量では決してありません.官僚の数自体少なかったし,幕臣出身者で
時の官吏になれた人物は、それだけ力のある能吏でした。
そして、この新政府の官僚と言うのは,現在のへたれ官僚とは大違いの、
気合も実力も備わった人々です.この人達の腹切る覚悟の決断の積み重ねが、
日本を1等国に押し上げました.自省や身内の利益やプライドの為に、国益を損ねてなんとも
思わないような官僚が蔓延したのは、昭和に入ってからだと認識します.
52 :
日本@名無史さん:03/02/21 22:00
尊攘派は幕藩体制下の封建的社会構造そのものには少しも手をつけようとせず、
ただ、幕府に代える権威として朝廷を仰ごうとしたのみ。
尊攘派が目指したのは幕藩体制に代わる朝藩体制であって、
封建制を否定しようとする意図はさらさらなかった。
53 :
諸葛孔明二世:03/02/21 22:10
>>46 日本州の公用語を日本語とし、無宗教(または神道・仏教)さえ固守すれば
日本人としてのアイデンティティは保たれると思われます
それ以外の面は食い物から衣服・娯楽に至るまでアメリカの影響を受けて
いまして、日本国がアメリカの州になったところでさほど劇的な変化は
ないと思われます むしろ今後は大量の日系人がアメリカ社会の中に入り
込み、日本文化を普及させる番ですね
54 :
日本@名無史さん:03/02/21 22:28
>>47 意味不明。
ロシアの人口密度は古代はもとより中世から現在に至るまで決して高くないが、
あそこなどは伝統的に重官僚国家。
55 :
日本@名無史さん:03/02/21 22:41
昭和ごろになると戊辰の敗戦国からあがってきた連中が軍部や国の中枢に浸透してくる。
そうするとなぜかみな馬鹿ぞろいになり、おかしなことになりはじめる。
俺は東北出身だが、こればかりは認めざるを得ん。
ただ東北人として弁護しておきたいのは、
国全体がまあおおよそ薩長風である中で、異質の思想的土壌からあがってきた東北の連中が、
中枢に入るために薩長風の思想(戦前国家の傾向)に同化迎合しようとした場合、
どうしても形骸的にならざるを得ない部分はある。
奥州には、古代のむかしのことを持ち出せば尊皇思想などほとんどなかったわけで、
仮に後にそれを得たとしても日が浅いから。
江戸〜明治初期の洋学かぶれが西洋にバランスの欠いた信仰を寄せたように、
どうしてもごく自然な尊皇ということがわからず、形骸化してしまう。
56 :
日本@名無史さん:03/02/21 23:10
>>1を置き去りにしてしまうほど熱くなってきているスレはここですか?
57 :
日本@名無史さん:03/02/21 23:18
>>55 幕末の尊皇思想のルーツは水戸と会津なんですが何か?
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59 :
日本@名無史さん:03/02/21 23:22
尊王攘夷と倒幕は別だけどな
60 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:10
>>44 アメリカの大統領選挙制度を学ばれよ、
人口では一億人いても、一州だけでは無理。
>>50 >元々勤皇派志士達には明確な近代国家建設の理念やプランなどはなく、
中央集権国家の建設を目指していたのだが???
まだ戊辰戦争が終っていない時に、廃藩置県の構想を推進したのはなんだったと思ってんだよ。
>先覚者に祭り上げられた勤皇の志士が「攘夷」では、まるで筋が通らないではないか。
攘夷とは、拝外主義ではないぞ、
欧米からの独立を意味している。
その独立の為なら、欧米の力も積極的に受け入れる姿勢だ。
だから攘夷の総本山の長州藩では、砲撃される前に欧州に人を送っていたし、
欧米の技術の受け入れも盛んだった。
それに比べて幕府は、開国と口では言っていても、近代技術の受け入れをあまり許容せず、
常に保守的に行動していた、
どっかの首相が口では、構造改革言いながらも、ちっとも進んでないのと同じだ。
61 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:14
>中央集権国家の建設を目指していたのだが???
誰が?
どんな国家像をもち、どうそれを実現しようとしていた?
「廃藩置県の構想」が最初に「推進」されたのは何年?
62 :
>>60じゃないけど:03/02/22 00:20
>>61 最初はわからんなあ。
しかし、鳥羽伏見の勝利後、
東へ遠征して朝廷(太政官政府)に下った幕府領に
役人を派遣して府・県を設置している。
木戸孝允、広沢がこれを主導したみたいだ。
東北に戦場が移ってからは、大久保利通も加わり
太政官政府に下った藩に府・県を設置している。
63 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:30
>>18 無理、利権でがんじがらめで動けないよ。古い体制のままだと。
清国とか朝鮮見ればわかるだろ。
64 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:30
皆さん色々ご意見はあるでしょうが、「明治維新」は
皆さん自身にとって、日本史における変革期としては、ベスト5
の内のおよそ何位ですか?
65 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:32
革命まではいかなくてクーデターだな
66 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:34
クーデターまではいかなくてテロだな
67 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:34
>>44 朝鮮が戦前、日本にやろうとしてた事だな。
まあ、彼らの場合、意識してというより本能的にやってたんだろうけど。
でも、大日本帝国は滅びたから、未遂で終わったね。
まあ、今でも、在日は見果てぬ夢を見ているようだが。
68 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:35
>>63 確かにな。
結局、大老・家老なんかもなれる家格が決まってるしな。
そんな決まりを幕府自身が破壊できるわけがない。
明治維新によって日本が国としての独立を保てたのは、多くの偶然による
幸運の所産だと思う。運のせいにして悪けりゃ、「みんなが頑張ってあきら
めなかった」からだよね。
尊皇攘夷の非現実的な思想・行動は、積極的な外国との交戦(当時の代表権
たる幕府が認めていないのに)は、迅速な国力増強の必要を理解させたし、
その必要を身を持って知った薩長中心の政府であったからこそ、版籍奉還を
始めとするラジカルな政策を実行できた。「無血革命」とはいえないまでも
維新事業の規模と犠牲者を比較すれば、奇跡的に少ない犠牲だったと思われ。
・・・・っていうのはどうでしょう。
北朝鮮も参考にしてホスイものだ。
70 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:37
人間は正しいだけでは動かないです。
今でも、間違ってるけど放置されてるものはたくさんあります。
北の拉致事件も、実際に動いたのは、被害者家族と一部の協力者だけでした。
被害者家族も、問題を認識していたとしても、自分の家族が誘拐されなければ動かない当たり前だけど。
「思想・行動による積極的な外国との交戦」
「身を以て」
でした。
72 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:43
>>63 つーか新しい体制を目指したのが幕府。
律令時代への復古を妄想したのが薩長。
古くさい遺物にしがみついてるのは誰でしょう?
薩長は経済を破綻させたため、
幕府が行おうとしていた改革を進めざるを得なくなっただけ。
73 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:52
>>69 アナタが読んだ本は司馬遼太郎ですか?
>>72 >律令時代への復古を妄想したのが薩長。
>古くさい遺物にしがみついてるのは誰でしょう?
天皇を持ち出したことかな?
>薩長は経済を破綻させたため、
>幕府が行おうとしていた改革を進めざるを得なくなっただけ
この点は半分そうだろうと思う。
戊辰戦争に参加した藩はとんでもない戦費と、
太政官政府への献納金で財政破綻していた。
王政復古による徳政令(借金帳消し、鎌倉・室町時代しばしば行われた)を期待し、
版籍奉還を政府の予想より積極的に受け入れたからね。
74 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:59
>>61 明治元年で、すでにその事について議論されてる、
国家のグランドデザインをすでに構想していたということだ。
75 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:01
これの推進者木戸ね。
それと最初に廃藩置県に関して出された建白書は伊藤だったかな。
76 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:02
幕府が政権保ったままで、統一国家出来たと思う人レスしてくれ
77 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:03
過程もそれなりに大事だが、明治維新に限っては結果に留意したい。
当初華士族は残ったがのち士族は消滅、華族は残ったが裁判権徴税権統治権行政権等を失い、年金を貰うだけの存在となる。
廃藩置県を行い中央統治とする。
軍役は義務であり権利でもあるが、皆兵化による国家と市民の形態の変化。
国主導によるブルジョワジーの育成。及び資本主義化。etc...
78 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:07
>>72 経済を破綻させたのば、幕府。
貿易と長州征伐で、米価をはじめ物価を7、8倍に高騰させ日本を混乱させた。
たが幕府だけは貿易での上がりで潤っていたという最低の屑。
79 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:09
>>72 幕府の改革で結果を結んだ者があったら、教えてくれ。
80 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:18
>>78 戦争行為の結果に片方側の原因しかないことはまずありません
81 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:20
幕府の権威回復のため、長州征伐を実行したのは、幕府だが?
82 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:21
廃藩置県は全国的な収税の前提であり、
これなくして中央集権的な近代国家はありえない。
全国的な収税の必要性を説き廃藩置県への流れをつくったのは大隈だけど、
大隈、井上などの「開明派」を導いたのは福沢などの幕府側の知識人。
明治当初の経済危機を薩長は超緊縮財政で乗り切ろうとしていた。
大久保の馬鹿げた節約論を押し通していたら明治政府はアボーンしてた。
83 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:23
混乱の原因は長州だけどな
84 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:25
>>81 日米戦は日本にだけ原因があるというのと同じ論理ですな
85 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:28
>>77 倒幕派は近代国家建設のプランをもってなかった。
結果的に近代国家にたどり着くことができたのは、
すべて幕府の営為のおかげだね。
86 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:29
>>82 廃藩置県が実施されたのは結構後だけど、
その方針が確立したのは、大隈や井上などが大蔵などに基盤をもつずっと前の話だゾ。
87 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:31
>>85 だーかーらー廃藩置県に代表される、中央集権国家。
88 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:32
史学科日本史専攻(古代・近現代志望)の場合、奈良大と佛教大どっちがいいと思いますか?
さんざん悩んだけど決まりません>助言してください!!!
89 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:32
維新直後の薩長は幕府に成り代わっただけの存在。
幕府直轄地から収奪し、幕府財産の奪い合いに熱中していた。
国家財政が破綻しかかってるのに、戦功賞典(島津10万石、毛利10万石等)や復古功臣賞典(岩倉、木戸、大久保等)やらの大盤振る舞い。
当然、あっという間に財政破綻、通貨暴落等により破滅寸前まで追い込まれ、
しぶしぶ廃藩置県を行うことになる。
90 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:34
91 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:35
結局天皇の名を借りて、権力を握りたかっただけなのか・・・
幻滅だな
92 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:36
93 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:41
>>89 得た領土はたったの10万石。(実は正確に言えば、もう少しある、陸奥に島津一万石、毛利3万石)
けど戦費にも満たない僅かな金額。
また幕府は内外から莫大な借金を背負っており、奪い合う資産もない崩壊寸前だった。
また長州も薩摩も財政的には磐石であり、廃藩置県をすることによって最大の損をした藩と言える。
(なかでも長州は100万両も貯めてたそうな)
94 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:42
95 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:42
96 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:45
>>93 要するに幕府が進めていた近代国家建設事業を乗っ取っただけ。
97 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:51
>>95 んな膨大な量一々かけるか。
とりあえず、これ→『廃藩置県の研究』松尾正人著
でも読んでくれ。
98 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:51
>>75 そうそう。
伊藤も兵庫県知事だっと時に建白書を出してる。
その後、一時版籍奉還をするしないで
木戸・広沢・大久保・岩倉と保守派の公家が対立して
進展しなかったので伊藤は辞表を提出している。
でも、伊藤が最初だったかどうかはわからん。
100 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:56
93をどう要したらそうなるのか96に問い詰めたい。
101 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:56
>>97 いつものコピーアンドペーストで何とかしてくれ
102 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:58
>>82 >廃藩置県は全国的な収税の前提であり、
>これなくして中央集権的な近代国家はありえない
正にこれだろうね。
幕府も800万石の直轄領だけでは2400万石と言われた
日本全土に対する中央政府としての役割
(国防、政治機構の整備、対外交渉等)を果たせず行き詰ったからね。
小栗はそれを解決する手段として郡県制を構想していた。
>全国的な収税の必要性を説き廃藩置県への流れをつくったのは大隈だけど、
>大隈、井上などの「開明派」を導いたのは福沢などの幕府側の知識人
外交や貿易の実務に携わると、どうしても中央政府による一貫した対応が必要だった。
また、混乱する経済状態を安定させるためには信用のある政府が
信用のある通貨を流通させることがひつようだった。
103 :
日本@名無史さん:03/02/22 01:59
104 :
日本@名無史さん:03/02/22 02:03
>>89 >国家財政が破綻しかかってるのに、
>戦功賞典(島津10万石、毛利10万石等)や
>復古功臣賞典(岩倉、木戸、大久保等)やらの大盤振る舞い。
確かにこの負担は当時の政府にとっては大きかった。
しかし、版籍奉還・廃藩置県を断行するにあたって
大藩の支持は何としても獲得しておかなければならなかった。
岩倉・木戸・大久保らに渡ったこの特別ボーナスは、
太政官政府での給与体系が整っていなかったので
給与を一括して払ったようなもの。
彼らは政治資金を藩に頼っていたけど、
それだと版籍奉還や廃藩置県の方針と反するので、
太政官から政治資金を提供した形になった。
105 :
日本@名無史さん:03/02/22 02:07
>>82 つまり早稲田より慶応がエライということでつね
106 :
日本@名無史さん:03/02/22 02:17
いや、薩長より幕府がエライということでつ。
107 :
日本@名無史さん:03/02/22 02:18
>>1は置き去りのまま、数人の乱入者によって進むスレはここですか?
108 :
日本@名無史さん:03/02/22 02:38
確かに官僚は幕府系と長州系が主だな。
109 :
日本@名無史さん:03/02/22 02:54
>>1が物凄い勢いで置き去りにされているというスレはここでちゅか?
110 :
日本@名無史さん:03/02/22 11:01
三条も岩倉も五摂家と同じ公爵になるなど論外。
島津と毛利も公爵なんて、奥ゆかしさのカケラもない。
どいつもこいつも、成り上がりたかっただけだろ。
徳川政権のまま中央集権のうまみだけを得ればよかったのではないか、
何も薩長政府を作らなくとも近代化はできたのではないか、
と仰る人がいるが、これはいかがなものか。
いちばん直近の例をあげれば、
それは共産党政権のまま資本主義経済(正確には自由主義経済と表現すべきだろう)のうまみだけをとろうとするに等しい。
ペレストロイカのわけだが、むしろそれによってゴ大統領は自滅を招いたわけだ。
ただ、これを言うと「中国の例はどうなんだ」ということになるわけだが。。。
112 :
日本@名無史さん:03/02/22 14:46
1よ
歴史の流れとして必然的に明治維新が起こったというふうには考えないのかね?
必然かどうかはともかく、蓋然性があったことは誰にも否めまい
114 :
日本@名無史さん:03/02/22 14:58
外圧への脊髄反射の部分もあるわけだが・・・。
115 :
日本@名無史さん:03/02/22 15:11
幕藩体制の終焉は必然だけど、
薩長が新体制のトップになったのは単なる偶然。
慶喜という稀代の阿呆が将軍じゃなければ、
薩長の天下はありえなかった。
116 :
日本@名無史さん:03/02/22 15:37
明治維新なんて極東における米英仏の利権獲得の代理戦争だよ
薩摩長州という地方藩、しかも攘夷を実行してボロボロに負けた藩が
徳川に勝てた理由を考えて見ろよ。その外国から高値で買わされた新式装備
(とはいってもアメリカ南北戦争の中古品など)があったから勝てたんだからな。
尊王攘夷が薩長の武力革命のスローガンだったのに徳川を倒す力は英に依存してたわけだ。
成り立ちに矛盾と欺瞞が満ちていたからこそ明治新政府とその後の軍国化日本の
迷走があったといっても過言ではないだろう。
117 :
日本@名無史さん:03/02/22 16:01
1へ
天皇の関東制圧。
118 :
日本@名無史さん:03/02/22 16:02
吉村昭の生麦事件は名著
ぜひ読むべし。
119 :
トーシロー:03/02/22 16:26
龍馬の考えた通り、慶喜が参議として残ったらどうなってたのかな?
薩長と拮抗し得る大勢力として王政復古による絶対主義を飛び越えて、
二大政党性的な民主国家が形作られ、現在にいたってアメリカ並の国力
を持ち得た、って幻想を粉砕してくれよ。
120 :
日本@名無史さん:03/02/22 17:25
121 :
日本@名無史さん:03/02/22 21:06
>>115 > 幕藩体制の終焉は必然だけど、
あなたはなぜ必然だったと思いますか?
> 薩長が新体制のトップになったのは単なる偶然。
> 慶喜という稀代の阿呆が将軍じゃなければ、
> 薩長の天下はありえなかった。
薩長土肥という雄藩が比較的早い段階で
西洋の技術を取り込めたのは、
それぞれが外海ルートでの交易を行っていたことが理由として考えられる。
薩摩が琉球貿易を通じて清とのパイプを持っていたこと、
長州の下関は廻船ルートの重要拠点であった為周辺の治安情報に詳しかった、
土佐は遠洋漁業や四国を周回する商船ルートを通じて欧米の船舶が日本近海に
現れていることを知っていた、
肥前は出島の存在があった。
形は違ったもののそれぞれが海を通じて日本近海の状況を把握していた。
そして海防という概念が芽生えつつあった。
幕府内でも老中となった水野忠邦は太平洋に面する浜松藩の藩主であり、
海防への関心が高かった。
忠邦は蘭学者達と接触を持ち、様々な意見書の提出や洋書の翻訳を要請し
国際情勢をつかもうとしていた。
忠邦は上知令によって幕府内部の反発を受け失脚したが、
彼が老中であり続けていれば幕府の西洋技術導入は早い段階で
進んでいた可能性があったと思われる。
122 :
日本@名無史さん:03/02/22 21:08
>>119 慶喜が参議として新政府に参加する為の必要条件は?
そして参議として新政府に残った後、
彼は新政府内でどのような政策を提案・実行していくのか?
民主国家が形成される可能性がどこにあったのか?
何一つ提示されない状況で何を粉砕しますか?
123 :
日本@名無史さん:03/02/22 21:31
>>118 徳富蘇峰の近世国民史の解釈を
そのまま小説にしただけだけどね。
124 :
日本@名無史さん:03/02/22 21:41
>慶喜が参議として新政府に参加する為の必要条件は?
>そして参議として新政府に残った後、
>彼は新政府内でどのような政策を提案・実行していくのか?
>民主国家が形成される可能性がどこにあったのか?
基本的には維新後の体制で。薩長側が武力でなく政策的に出してくる
提案を、実行手段とともに対案を出さねばならない。初期においては、
調停に対する忠誠心あらそいになって廃藩置県も我々我も版籍奉還する。
俸祿については身分別に残すことを固辞するも、「労働の対価としての
報酬」という考えを(龍馬あたりが)(信者じゃないけどさ)徹底させ
て「今より収入が増える、働いただけ増える」と騙して返納させる。
三井あたりの大商人には能力主義の賃金も徹底してたので、「商人に
などなれるか!」と意地を張った連中が没落するのは実歴史と同じ。
慶喜、勝、小栗も死なず、容保あたりが大陸へ先駆けて、ロシアにも
もうちょっと勝つ。勝の構想通り融和としての三国同盟(日、朝、中華)
も成り、世界は東アジア・アメリカ、しかたなくヨーロッパとくっついた
中東の三代勢力が天下を三分し、武力ではなく商業力、理想的には文化力
によって競う平和な世界が・・・・(誰か止めてくれ〜)。
調停>調停、な
・・・いや、朝廷・・・でした・・・ナニヤッテンダカ
>>125 妄想だけか。
もう良いよ。
ごめんな手間掛けさせて。
129 :
日本@名無史さん:03/02/22 23:41
>128
>>122 >何一つ提示されない状況で何を粉砕しますか?
提示されても何も粉砕できないとはね。
武力で決着をつけず、政策を示して、政策提言能力で政権担当者を決めるなら
その時点で実質民主主義じゃないか。
つまり前提から判断して日本の民主化はもっと早かったというのが合理的推測。
ただし民主化が進むことと国力の増大は同じではない。
民主化が早過ぎて混乱が起こり、西洋の植民地にされるかもな。
130 :
日本@名無史さん:03/02/22 23:53
131 :
>>128:03/02/23 00:00
>>129 >>122は都合の良いところだけを拾って繋げた妄想。
となると
>>119は
>>122の妄想が前提になって述べられている。
武力で決着をつけず、政策を示して、政策提言能力で政権担当者を決めるなら
その時点で実質民主主義じゃないか。
つまり前提から判断して日本の民主化はもっと早かったというのが合理的推測。
ただし民主化が進むことと国力の増大は同じではない。
民主化が早過ぎて混乱が起こり、西洋の植民地にされるかもな。 歴史的経緯を全く無視し、実際の歴史が動いた時の
様々な対立をある程度知っていれば
>>119や
>>125のような意見はまず出てこない。
私は
>>119と
>>125と議論する価値がないと判断した。
あなたにレスしているのは、あなたが議論する価値のある相手だと判断したから。
132 :
日本@名無史さん:03/02/23 00:04
>>129 >武力で決着をつけず、政策を示して、政策提言能力で政権担当者を決めるなら
>その時点で実質民主主義じゃないか。
すごい民主主義の定義だ
134 :
>>128:03/02/23 00:09
>武力で決着をつけず、政策を示して、政策提言能力で政権担当者を決めるなら
>その時点で実質民主主義じゃないか。
>つまり前提から判断して日本の民主化はもっと早かったというのが合理的推測。
>ただし民主化が進むことと国力の増大は同じではない。
>民主化が早過ぎて混乱が起こり、西洋の植民地にされるかもな。
↑に関しては私もほぼ同じ見解です。
135 :
日本@名無史さん:03/02/23 00:25
125です。
つまり「明治維新は理想的に遂行された」ってケツロンでよろしいのでしょうか?
だって、民主化には早すぎたわけだし。やはり日露戦争以後が間違いっていう司馬
シカンに落ち着きますた。
136 :
日本@名無史さん:03/02/23 00:55
世界史的視点からは、
日露戦争と大東亜戦争はワンセットです。
日本史的・局地的視点でいいトコ取りしようッテのが司馬史観。
だから面白い小説になって売れる。
チミも小説書きたまえ。
>>136 君の解釈がトンデモだよ、世界史的にはね。
138 :
日本@名無史さん:03/02/23 01:47
明治維新は平成3年5月に終わったと聞いていますが…
今も、続く地域もあるデヨ。
140 :
日本@名無史さん:03/02/23 06:22
141 :
日本@名無史さん:03/02/23 07:35
明治維新とは日本人全体が享受するべき日本の近代化の恩恵をを
薩長が独り占めしてようとした犯罪的行為です。
142 :
日本@名無史さん:03/02/23 08:38
当初攘夷なんていう反動思想をほざいていた連中が
いつのまにか先覚者に摩り替えられている点に明治維新の胡散臭さがある。
143 :
日本@名無史さん:03/02/23 08:38
↑どしたらそんな発想できるの?
鹿児島 山口いまでも田舎です。
>138
平成3年6月からは何が始まったの?
145 :
日本@名無史さん:03/02/23 19:57
薩長土肥が政権をとったのは偶然?
海防意識についての指摘はすでに出ているわけだが、
薩長土肥をはじめとする所謂「雄藩」は江戸後期も人口が伸び続けていた。
逆に江戸以外の東国は横這いか減少。
秘訣は密輸や流通といった商経済にあったようだ。
人口だけに偏るつもりはないが、これである面での東国と西国の国力比較ができる。
他にも、大小さまざまな、薩長が政権を獲る必要条件はいくつか揃っており、
蓋然性は認めてやらねばならない。
146 :
名無的発言者:03/02/23 20:10
堺事件
147 :
日本@名無史さん:03/02/23 20:30
>>145 「必然条件」とやらは後付で何とでも言えるんだよ。
薩長が密貿易や琉球収奪によって多少潤ったからといって、
単独で幕府に戦を挑む力量はない。
幕府に追いつめられたため、苦し紛れに孝明天皇を暗殺し、
玉を握って大博打を打ったところ、想像以上に壺にはまったってのが実態。
そして、薩長の猿芝居も、慶喜以外の者が将軍だったら、
引っ掛かることはありえなかった。
というように、明治維新の一連の経過は偶然の要素に大きく依拠している。
薩長土肥が政権をとったのは偶然のまぐれだよ。
↑デムパ
反論がなかった(または虫された)ので、「明治維新は日本の近代化
のために不可欠な通過儀礼であった」「必然的に明治維新的なことが
起こっていた、という1の疑問は、<ひかり>に乗って京都に着く
か<のぞみ>に乗って京都に着くか、ほどの違いもない愚問」てことで。
150 :
日本@名無史さん:03/02/23 22:32
>>136 日清戦争と日露戦争はセットと言えるが、「世界史的に」見るなら、日露と太平洋の間には第一次大戦があるぞ。
日本史的事象を縦軸に、周辺極東地域の利権問題を横軸に置くなら、アヘン戦争から終戦までを数珠つなぎに並べることは無論可能だろうが・・・
151 :
日本@名無史さん:03/02/23 22:41
>>150 第一次大戦と第二次大戦は通底している。
日露戦争と太平洋戦争は帝国主義日本の台頭から破局へ至るエピソードであり、
>>136の言うとおりワンセットとしてとらえるのが正しい。
152 :
アズマ厨房:03/02/23 23:56
明治維新は必然でもなんでもない。
だが明治維新的なことは必然である。
明治維新的とは明治維新後に攘夷派だった薩長が開国派に変節したことだ。
攘夷のまま突っ走ったら政権が倒れた、ヘタをすると日本が丸ごと倒れたのだから変節は必然であり、開国は必然である。
佐幕が勝っても開国、倒幕が勝っても開国。
その点で何の違いもない。
違いは誰が開国をやるか。
幕府はあまりにも早く開国を言い出した。
明治維新でも変節しなかった頑迷攘夷派はその後次々に士族の反乱を起こし潰れていった。
薩長は偶然なのか立ち回り方がうまかったのか絶妙のタイミングで変節した。
何も変節が悪いと言っているのではない。
幕府自身、もともと(いわゆる)鎖国をはじめたのは幕府で、その意味で変節している。
だが、より早く開国派に変節した者達はそれだけ先見の明があったわけで、その事を忘れた議論には賛成できない。
>>151 日露戦争、(西国人主導)
戦争開始前から戦争目的と限界を計算し、
国際世論を見方につける事をわすれず、
戦争開始前から、金子をアメリカに送り終戦の準備をしていた。
第二次大戦(東国人主導)
戦争目的もろくに決まっておらず、常に場当たりてき。
国際的に孤立。
末期までろくに講和の準備をしておらず、戦争の終らせる時を誤った。
ここまで違うのにねえ。
155 :
日本@名無史さん:03/02/24 00:57
>>144 一般に言う明治維新とは政治・国家レベルで欧米主導による文明社会に組み込
まれた過程を言うと思います。
しかし実際に国民生活全体に明治維新が起きるのは、都市部は戦後の高度成長
期に、地方や農村はバブル経済期だったようですね。
バブルが弾けた平成3年5月をもって、日本の明治からの「欧米に追いつけ
追い越せ」式の成長の歴史は終焉を迎え、これにて明治維新は終わったとい
う説があるのです。もう間もなく日本人の人口も減に転じるようだし。
156 :
日本@名無史さん:03/02/24 01:42
>>155 文明論的な解釈ですな。
近現代という枠だけで考えるとそういう意見はなかなかでません。
157 :
日本@名無史さん:03/02/24 07:28
>>155 その視点は有効だと思うが、それなら1980年頃が境目なのでは。
ローマ以降の歴史を見るかぎり経済がバブルに突入した時にはすでに文明的な成長は止まっているとみていい。
158 :
日本@名無史さん:03/02/24 07:41
細かくいえば1979年
159 :
日本@名無史さん:03/02/24 13:52
日本の近代化の一つの象徴としてのプラザ合意。
160 :
日本@名無史さん:03/02/24 13:53
近代化じゃなくて近代化の完了だった
161 :
日本@名無史さん:03/02/24 14:09
山城とか武蔵とかの旧国名を捨ててしまうことに抵抗がほとんど無かったことが
よく考えれば不思議なんだけどな。
>>161 国名かあ。
版籍奉還して太政官政府が全国の戸籍を獲得したことで、
徴税とか行政が藩から太政官に移ったから、
もう国名なんてどうでも良かったのかな?
一国に一藩しかないなら、色んな抵抗があったかも知れないけど、
天領やら複数の藩が混在している状況では国名へのこだわりは少なかったのでは?
てか、「〜藩」とか「〜の国」じゃなく、「○○家中」というのが
アイデンティティーだったから出羽?
164 :
日本@名無史さん:03/02/24 17:45
江戸時代、地勢的な枠組みとは別個の「行政区」という概念は強かったぐらいだからね。
165 :
日本@名無史さん:03/02/24 18:30
>>161 今だって地方の町や村が自分の町名をなくそうとしていますから別に不思議はないでしょう。
公的なもの以外だったら旧国名は結構あちこちに残ってますし(JRの路線名とか)
「鎖国」によって、防衛や外征の費用を節約できる。力ずくで農民を
搾取する必要もない。こりゃ、武士は楽チンだ。農民の脱税も黙認。
これで、私も立派な君子人と崇められる。
・・・・というワケで文治政治が始まったが、貨幣経済の発達とともに、
幕府も諸藩も財政難になっていく。幕府のエリートは、薩長よりも、西洋事情
に通じていたが、永年の財政難で、近代化派=積極財政派は出世できない
システムが成立してしまっていた。また、君子人化していた幕府の武士達には、
とても容赦なき搾取などできっこない。
だから、幕府を倒して、容赦なく搾取と近代化を進められる、非君子人達による
強権政府が必要であった。戦国以来、農民を容赦なく搾取し続けた薩摩人政府が
どうしても必要だった。
純粋に経済的な観点から江戸時代を俯瞰した本・論文てありますか?
168 :
日本@名無史さん:03/02/24 22:58
169 :
アズマ厨房:03/02/24 23:53
>>153 >お前こんなにまともな奴だったっけ?
しまった、せっかく作った厨房キャラなのに、つい馬脚を現してしまった。
隠しても隠し切れない自分の知性と教養を恨めしく思うぜ。
しかし失望させたままにしておくのは折れのファンに申し訳ないから、、、、
121なども指摘するように南西雄藩はかなり早い時期から攘夷の無謀さに気が付いていたわけだよ。
それなら、なぜその時点で転向しなかったんだ?
転向してしまうと開国派の幕府を利することになるからだ。
つまり国家存亡の危機の中で薩長は日本全体の利益より、幕府対自藩の政治的駆け引きの方を優先したわけだ。
薩長にとって攘夷は政争の具。
国家存亡の危機を自派の利益のために弄ぶ無責任な行為はほとんど売国奴と呼んで良い。
薩長逝ってヨシ。
(このぐらい煽っておけば期待に応えることができたかな?)
170 :
日本@名無史さん:03/02/24 23:55
だからイギリスの武器商人が新式の武器を蛮地の日本のさらに端っこの
潰れそうな藩に売りつけて内戦起させたのが明治維新だっつーの
おめーらなに偉そうに貨幣経済だの開国派攘夷派だの知ったかぶりしてんのよ
少数派が有力な軍事力を握ったから革命が起きたっていうありふれた出来事だろうが
171 :
日本@名無史さん:03/02/25 00:10
トム・クルーズの新作「ラストサムライ」で当時の日本がどのように
描かれているかが、早くみたい。
172 :
日本@名無史さん:03/02/25 00:16
>>169 >121なども指摘するように南西雄藩はかなり早い時期から攘夷の無謀さに気が付いていたわけだよ。
>それなら、なぜその時点で転向しなかったんだ?
>転向してしまうと開国派の幕府を利することになるからだ。
幕府・及び諸藩が列強の日本接近を知ったのは1780年前後から。
漁師・廻船業者・蘭学者や所謂北方探検家(最上徳内等)達の報告などが、
その情報元だった。
特に蘭学者は西洋の医学や物理書物を翻訳し、
実験を行ったり色々していたのでその分野の進歩があった。
諸藩は財政再建のアドバイスや新技術導入のアドバイスを
蘭学者などから受けていた。
当然、海外の情勢などもある程度知っていた。
中には軍事技術や兵制の導入をした藩もあった。
しかし、外国との窓口はあくまで幕府だった。
幕府は将軍・旗本・御家人・親藩で構成されており、
外様は加わっていない。
薩摩・長州・土佐・肥前も外様で当然幕政に参加することはなかった。
外様は開国・攘夷を考えていても、
日本国の政権担当者ではなかったので、
それが幕政に影響することはなかった。
外様が幕政に関与しだすのは1853年のペリー来航後である。
幕府が開国か鎖国か二者択一を迫られ、
婚姻関係のあった外様の意見を聞きはじめた。
それから外様でも幕政に関与する可能性が出てきたので、
開国と攘夷の議論が出始めた。
また、藩政の中枢にいる人物と下級藩士では持っている情報が違うので
意見が異なっていても不思議ではない。
最初はDQNな攘夷運動をしていた下級藩士が、
出世して藩政の中枢に参画しその後様々な情報を得て
開国の方向へ考えが変わってもおかしくはない。
攘夷運動家を薩長が利用したことについては異論ないけど、
議論が極端になりすぎだね。
174 :
日本@名無史さん:03/02/25 00:17
>>170 >少数派が有力な軍事力を握ったから
それは必要条件であって十分条件ではない。
175 :
日本@名無史さん:03/02/25 00:27
外交問題を国内の政争の道具として悪用した尊攘派は、
どう屁理屈をこねようと、日本を危機に陥れた売国奴だよ。
>>175 さすがに2行の煽りレスに長文のレスをつけようとは思わん。
元気な人たのもう。
177 :
日本@名無史さん:03/02/25 00:29
幕府も仏第二帝政と共に、こければ悲惨な歴史が待ってたと思う。
ぎりぎり間に合ったって感じだな。
178 :
日本@名無史さん:03/02/25 00:39
イギリスは南北戦争時の武器の在庫処理と
無資源国家日本及び中国大陸を含む極東での既得権益保持、拡大を同時に
達成する方法として明治維新を後押ししたのである。
その為には幕府と諸藩に無理難題をふっかけて開戦の口実を作らねばならなかった。
ナショナリズムに触発された長州や薩摩の攘夷活動はまさに彼らの計算どおりであった。
攘夷に失敗した長州による被害の賠償を幕府に求めたのも、日本国内で
大内乱を起こさせようとの思惑であったが幕府は長州を討伐する方針を固めた
すると今度は長州側に話を持ちかけた。藩を潰すのは藩主に絶対の忠誠を尽くす
ことが使命である高杉ら武士階級には耐えられないことである。ついに長州はイギリスの支配化におかれたのである
これは薩摩を取り込んだのと同じ方法であった。七つの海を股にかけ世界を支配しつつあるイギリス武器商人にとって
この程度の謀略は日常茶飯事であった。上層部に反して平和的倒幕を唱えた坂本を
大久保経由で暗殺させた(武力革命でなければ在庫解消にならない)のもまた彼らだったのである。
179 :
日本@名無史さん:03/02/25 00:57
明治維新というと聞こえは良いが、その内実は権力者が
薩摩長州と傀儡の天皇が徳川将軍に取って変わっただけのことであった。
しかも、その動機が外国によるマッチポンプであり、大義名分である
攘夷は元より虚構に過ぎず、徳川がいかに悪の存在であるか。に論理をすりかえ
反比例して天皇を神格化することで明治新政府の正統性を保とうとした。
これが為に後の敗戦まで日本という国家の根本に歪みが残ったといえる。
明治維新は決して憂国者の志によって起された民族の覚醒現象などではなかったのだ。
コピペはいらね
181 :
日本@名無史さん:03/02/25 01:02
>>179 江戸幕府連合王国が天皇一国の国家になってる。
>反比例して天皇を神格化することで明治新政府の正統性を保とうとした。
>これが為に後の敗戦まで日本という国家の根本に歪みが残ったといえる。
なんか、とてつもなくチューボーな意見に見えるんだけど、間違ってるかな?
183 :
日本@名無史さん:03/02/26 13:54
184 :
日本@名無史さん:03/02/26 16:01
明治の世の中は、今と違って欧米の帝国主義の時代だったわけでございます。国の軍隊が弱いと舐められて、植民地にされたり不平等条約を結ばされたりしたわけでございます。
強い軍隊を作るには、やはり国民皆兵制が一番良かったと思う。それには、やはり明治維新の四民平等が不可欠だったし、版籍奉還、廃藩置県も的を得ていたと思う。
幕府主導でも出来たという人もあろうけど、漏れとしては幕末の戦乱で幕府軍がほとんどなす統べなく惨敗していったところをみて、やはり明治政府が主導でやった方が良かったと思うのでふ。
>>184 封建領主による地方政権連合国家の限界と、
中央集権国家による統一政府の必要性についてはスレ内で随分語ってあるね。
>>185 基本的にこんなものでしょ。軍隊が弱くちゃ国は守れない。
他の話題にうつりたいなーって思ったんだけどね。
188 :
日本@名無史さん:03/02/26 17:08
そなの、素マンコ。
189 :
日本@名無史さん:03/02/27 22:40
190 :
日本@名無史さん:03/02/28 14:09
そもそも何故薩長なのか?他にも藩が有った筈なのに。
191 :
日本@名無史さん:03/02/28 18:08
>190
関が原の合戦後の論功行商で、薩長は大幅に領地を削減されて、幕府に対する恨みが強かった。
幕府も、領地を大幅に削ってもなお強大な薩長に対して絶えず土木事業などの負担を強いて、豊かにならないようにしていた。
だから薩長の人たちは反幕府の気運を強く持っていた。
192 :
日本@名無史さん:03/02/28 20:34
>>191 長州(毛利)はともかく薩摩(島津)は関が原のときに大幅に領地を削減などされてはいない
193 :
日本@名無史さん:03/02/28 20:48
>>191 薩摩から将軍の正室が2人もでている。
しかも1人は幕末である。
194 :
日本@名無史さん:03/02/28 21:51
薩摩の助力がなければ長州なんて幕府に潰され消滅してた。
薩摩に感謝しろよ。
195 :
日本@名無史さん:03/02/28 23:29
まあ薩摩は幕府に危険視されてなかったから、領土を保全されたんだろうね、
その上日本の端の端だったのが幸いした。
196 :
日本@名無史さん:03/03/01 00:07
>>191 司馬遼太郎の受け売り?
>>193 阿部正弘が斉彬に意見を求めた背景にもなってるね。
斉彬の養女は13代将軍家定の妻。
>>194 長州、特に木戸孝允は維新後も愚痴ってたね。
「あいつらは絶対なんかたくらんでる」と。
>>195 危険視されてないんじゃなくて、
危険だからこそ懐柔しようとした。
それが密貿易の容認であり、婚姻関係を結ぶという形になった。
危険視はされてたよ。
日本の端っこにしたまま参勤交代や治水事業などで定期的に力を殺いでいた。
それに薩摩という土地が非常に特殊で、島津の他に治められそうな
適当な人材がいなかったというのもある。
198 :
日本@名無史さん:03/03/01 00:31
>>197 薩摩までの遠征費とその間の江戸の安全保障を考えると、
懐柔した方が安くつく。
薩摩も必要以上に江戸を刺激しても得るものはないので、
幕府と薩摩には双方に大きな利益のある妥協が可能だった。
199 :
日本@名無史さん:03/03/01 00:44
>>196 それは違うね、
徳川は、初期には反乱するかもしれない大名(主に豊臣恩顧の大名)
の殆どを無茶苦茶な理由で改易している。(潰された大名はすべて恩顧の大名)
秀頼を鐘の銘で攻撃した家康が、もし薩摩を危険視していたなら、どんな理由があろうと潰している。
>長州、特に木戸孝允は維新後も愚痴ってたね。
ああこれにはそれなりの理由がある、地租改正などの明治新政府の改革案が薩摩だけ後回しにされてたり、
実施されてなかったりして、実質独立国家たらんとしてたんだよ。
長州はいいだしっぺってこともあったのか、地租改正などの改革案の殆どを率先して実行していたのだから、
その薩摩の行動が気に入らなかったのだろうね。
流石にあんまりやりすぎて、薩摩出身の大久保も後に我慢ならなくなったなったそうだよ。
200
201 :
日本@名無史さん:03/03/01 00:49
薩摩が幕府に恨みを持つようになったのは、関が原以上に、木曽川土木工事かなんかだ、って聞いたことがあるけど。
>>199 >秀頼を鐘の銘で攻撃した家康が、もし薩摩を危険視していたなら、
>どんな理由があろうと潰している。
豊臣家以外の大名家を改易したのは、
徳川幕府の基盤安定のためだろうね。
でも豊臣家に関しては意味が違うね。
豊臣家は公卿の頂点である関白家として存在していた。
徳川家は武家の頂点である将軍家となって存在していた。
関白も将軍も共存できると考えられていた。
これは鎌倉期(承久の乱以前の)に西は朝廷が掌握し、
東は鎌倉が掌握するという前例を元に関ヶ原以降、
豊臣家やそれに近い人達が志向した。
加藤清正や福島正則は「畿内だけでも豊臣家の実権が確保できれば良い」と
考えていたかも知れない。
徳川家が豊臣家を滅ぼすことは、
武家が完全に実権を掌握することを意味し、
さらにその実権は全国に及ぶことを意味した。
この話題はかなりスレ違いなので、話を続けるなら↓でしよう
【東軍】関ヶ原の戦いを語れ!【西軍】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1024048153/
>>199 長州VS薩摩・会津で、長州が敗れ一時にせよ賊扱いを受けたことと
長州征伐の時に薩摩が介入する度合いが、
長州が期待していたより小さかったことが元もとの原因かな?
倒幕後、薩長土肥の支持を背景に成立した明治政府は大変だったみたいだね。
長州は最後の藩主だった元徳が木戸の考えを基本的に支持していたので、
木戸は旧主に対して必要以上に配慮せずに済んだ。
薩摩はその反対で、久光は鹿児島で厳しく政府を批判し、
大久保や西郷などの薩摩藩士を苦しめた。
政府から諸藩県府に出される改革案を、
薩摩は無視して1万人以上の常備軍を備えていた。
これは当時の政府軍より大きかった。
この為、大久保・西郷は久光に対し大変な気遣いをした。
木戸が愚痴っていたのは大久保・西郷のことではなく、
久光のことだったと思う。
だからこそ明治4年に廃藩置県が行われる前に、
大久保と頻繁に意見交換し、
西郷に廃藩置県への合意を求めた。
明治10年、11年に西郷・大久保・木戸という所謂「維新の三傑」が死んだ。
それ以後政府の実権を握った伊藤・大隈・山縣は三傑に比べ旧主との関係に苦慮しない。
廃藩置県によって旧主との関係が絶たれ、西南戦争を最後に封建制へ決別していたという事実はあるけど、
更に中央集権化を進める段階ではより封建的性格の薄い人達が必要だったからなかとも思う。
三傑の死は完全に封建制が終わったことが象徴されており歴史を感じる。
204 :
日本@名無史さん:03/03/01 23:44
>203
>更に中央集権化を進める段階ではより封建的性格の薄い人達が必要だったからなかとも思う。
>三傑の死は完全に封建制が終わったことが象徴されており歴史を感じる。
倒幕に参加した下級武士は結局経済的に没落し、大名は秩禄公債をもらい一種の金融資産家になった。
また、三井を筆頭とする大商人と新興の経済人が台頭してきて、政府に大きな影響を与えるようになった。
明治維新で日本の封建制は終わったが、政治家と経済人、一部の旧大名が
結婚により融合して閨閥を形成していった。同様の現象はフランス革命でも見られる。
色々皆様のご意見を拝聴させて貰いましたが、簡単に言えば
尊皇攘夷派は、半島人気質だった。ということですか?
エゲレス製の最新式装備で幕府を倒し天下を取ったが、内紛が発生。
結局、幕府がかつてより推し進めていた、政策を乗っ取り、自分たちの
手柄にしたと。
よくも、お隣の半島みたいに、外国勢力同士の争いで分断に
ならなかった物ですね。
206 :
日本@名無史さん:03/03/09 22:29
幕末の薩長は、攘夷といいながら、近代技術の輸入は幕府より積極的だったから、
幕府の政策を乗っ取ったってのは、大きな間違い。
元々薩長で行われていた政策が、拡大して行われただけだ。
207 :
日本@名無史さん:03/03/09 23:51
>幕末の薩長は、攘夷といいながら、近代技術の輸入は幕府より積極的だった
つまり権力を奪う前から攘夷は口実だったと
何の口実?
政争の具?
208 :
日本@名無史さん:03/03/10 00:20
倒幕の理由で関ヶ原の恨み云々などある訳ないだろ。
>>208 それは後からのこじ付けだろうね。
万が一あったとしても、それが倒幕の理由の第一ではなかっただろうし。
210 :
日本@名無史さん:03/03/10 02:05
攘夷は拝外主義を示す物でも、国粋主義を示す物でもないよ>207
独立とか対等な関係を意味している。
だから欧米へ屈辱外交をしたことを責めているが、後に伊藤などは拝外主義になってはならんとは言葉を残しているんだよ。
211 :
日本@名無史さん:03/03/10 10:33
>>210 長州が実行した攘夷とは、関門海峡で、
異国船に対し宣戦布告もなくいきなり大砲をぶっ放したこと。
そこには対等な関係という理念があったとは到底思えない。
212 :
日本@名無史さん:03/03/10 16:12
>>211 つーか当時の欧州人が日本人に対して対等だと思ってたわけなかろう。
差別してるのはお互い様さね。
213 :
日本@名無史さん:03/03/10 17:37
高杉晋作は上海で中国の悲惨な状況を実見しているのだから、
攘夷が無理なんてわかりきっていたろうに。
ここにも長州の欺瞞がある。
214 :
日本@名無史さん:03/03/10 22:43
だから攘夷とは近代文明を受容し、対等な関係を築く事なのだが。。。
高杉も、アメリカはイギリスに攘夷してどうたら、とかいってたらしいし。
215 :
日本@名無史さん:03/03/10 23:36
>異国船に対し宣戦布告もなくいきなり大砲をぶっ放したこと。
>そこには対等な関係という理念があったとは到底思えない。
他に外交使節の宿舎に寝込みを襲って切り込んだりとか
216 :
日本@名無史さん:03/03/11 10:53
>>211 宣戦布告なしの攻撃と対等の扱いとは関係ないよ。
平和主義も宣戦布告の徹底も確立してない時代だ。
217 :
日本@名無史さん:03/03/11 19:12
218 :
日本@名無史さん:03/03/11 23:42
>216
ヨーロッパでは17世紀には普通に宣戦布告して戦争してますよ
全然平和主義じゃないけど、戦争が一般的過ぎてルールも明確だった
219 :
日本@名無史さん:03/03/12 01:07
>だから攘夷とは近代文明を受容し、対等な関係を築く事なのだが。。。
それは幕府や公武合体派の立場だろ。
開国派と攘夷派の争点は
幕府が結んだ通商条約を認めるか、認めないかってことなんだが。
西洋側の勝手で日本にやってくるのだから
一般論として、攘夷論の方が正論だった。
幕府が結んだ条約を認めないなら、それでもいい。
しかし長州はある時点でそれを認めた。
転向したんだよ。
ちなみに、外国船に発砲した長州のやり方は
まったくテロリストそのもので、いかようにも正当化できない。
220 :
日本@名無史さん:03/03/12 01:12
>>219 その通り。
あえて攘夷をさせて無謀さを思い知らせるのが
周布や高杉の思惑だったんだな。
この戦争を通じてイギリスとの親交が深まった
のだから、長い目で見れば良かったわけだ。
221 :
日本@名無史さん:03/03/12 02:23
>>219 幕府の屈辱外交を批判してるんだけどね。
外国と貿易することだけなら反対してないよ、
てか砲撃する前から、欧州に人を派遣していたし、
下関では攘夷といいながら、欧米と貿易してた。
222 :
日本@名無史さん:03/03/12 02:31
>>219 >ちなみに、外国船に発砲した長州のやり方は
>まったくテロリストそのもので、いかようにも正当化できない。
アメリカは砲撃によって開国させましたが何か?
224 :
トーシロー:03/03/12 11:22
おひさ。
>>223 アメリカの砲弾は下田では誰一人殺してませんが何か?
空砲と実弾ではブラフと宣戦布告くらいの差があると思いますが何か?
>>224 艦砲の距離に驚いた幕府は湾口防備に莫大な費用を掛けましたが何か?
ペリーが持参した親書等で「開国しないと非常の事態になる」と脅していますが何か?
無理矢理開国させて無知な幕府首脳に租界・治外法権・関税権を認めさせましたが何か?
その後条約改正を40年にわたって認めませんでしたが何か?
長州人は馬鹿の集まりだから仕方ない
227 :
日本@名無史さん:03/03/12 16:06
まあみんな、きょうの「そのとき歴史が動いた」を見よう。
吉田松陰と高杉晋作だから。
228 :
日本@名無史さん:03/03/12 18:11
>>227 そういえば、今日それやるんだったな。
長州人のオナニーがうざそうだ。
229 :
明治日本は第二のプロイセンである!:03/03/12 18:17
私見ですが、明治維新は世界史抜きでは語れないと思います。
板違いであることは重々承知していますが、『近代日本史≒近代世界史』であるため、ちょっとだけ世界史
にお付き合いください。
幕末の頃(19世紀から20世紀にかけて)は、言わば『全世界規模の戦国時代』であり世界は大きくわけ
て二つの勢力に分かれていました。
即ち、『支配する国(宗主国=欧米列強)』と『支配される国(植民地国)』です。
そして数少ない中立勢力の一つが我らが日本でした。
当時の国際法において、日本は『半植民地化は合法』という立場でした。
これは当時の白人社会に蔓延していた社会進化論、つまり
「この世でもっとも優れた生物は白人男性であり、白人国家はこの世でもっとも優れている。だから有色人
種を支配してやることは、彼らが白人に追いつけるのだからむしろよいことだ」
というイデオロギー(=考え方)がバックにあったのです。
はっきり言って白人国家超有利な不平等な法律ですが、アジア最強の中国はアヘン戦争でイギリスにやぶれ
、中東最強のオスマン帝国もナポレオン戦争やエジプト独立で傷つき、アフリカ・南米は言うまでもないよ
うに、もはやこの時点で有色人種がこの平等な法律を覆すことは事実上不可能でした。
白人国家としても、植民地を増やして国を強くしないと自国が滅ぶので、植民地支配は世界規模の戦国大名
として当然の選択だったのです。
このあたりは、信長や秀吉の時代を想像してもらえれば容易に理解していただけると思います。
〜続く〜
230 :
明治日本は第二のプロイセンである!:03/03/12 18:19
幕末のはじまりであるペリー来航ですが、その目的は友好などではなく
「戦争するか? 開国するか? 好きな方を選べ」
という脅迫そのものでした。
そもそもペリー提督は外交官ではなく、提督(ようするに軍人さん)なので、友好なんてものが在り得ない
のは言うまでもありません。
当時の日本の兵隊はチョンマゲ生やしたお侍さんであり、実戦経験なんて在る人間はほとんどいません。
戦国時代の戦法が260年経って近代化したアメリカ軍に通用するはずもなく、『戦えば必ず負ける』とい
う戦力差を理解していた当時の幕府はしぶしぶ開国を承諾し、不平等条約を受け入れました。
こうして日本は半植民地化にされ始めました。
この不平等条約を武力で撤廃しよう、というのが攘夷派の考えです。(このへんは、この板の人たちの方が
詳しいと思います)
この攘夷思想は世界中で似たようなものがありました。
しかし、勝てない喧嘩を売っては返り討ちにあい、その結果、さらに酷い不平等条約を結ばされるのがオチ
でした。
これはトルコや中国、李氏朝鮮に通じることで、日本の攘夷派も同じ結果を招いていました。
そこで福沢諭吉をはじめとする当時のオピニオンリーダー達は、
「勝てない喧嘩を売っても国が荒廃するだけだ!
従来の日本文化を捨てて近代化をし、国を強くしなくては日本は滅びる!
中国や李氏朝鮮を見てみろ!
人心は荒廃し、治安は悪化し、人々は餓えと病と重税に苦しみ、もはや死を待つだけしかない悲惨な国々を
!あれが日本の未来の姿だ!」
という思想を広めます。
これが明治維新の原型でした。
〜続く〜
231 :
明治日本は第二のプロイセンである!:03/03/12 18:20
このまま日本が幕藩体制をとっていたら、いつまで経っても欧米列強は日本を一流とは認めてくれない。
ヨーロッパの文化を血肉として日本のものとし、日本が国際社会において一流と認めてもらえなければいつ
まで経っても『合法的に』植民地にされてしまう。
こうして開国派、天皇派、反幕府派(薩摩、長州)などが利害の一致から幕府を倒し、近代国家として日本
をスタートさせたのが明治維新のはじまりです。
明治日本は必死で西洋化をすすめ、「日本も白人文化を理解できる立派な国だ」と必死でアピール(例・鹿
鳴館など)をし、徐々に不平等条約を撤廃させていきました。
しかし、隣国の李氏朝鮮や中国は相変わらず、勝てない喧嘩を売っては返り討ちにあい、その結果として国
は荒廃するという悪循環を繰り返していたのです。
明治政府は李氏朝鮮に「お前らも近代化しろ!でなくと国が滅びるぞ!」と何度も何度も警告したものの、
「清に皇帝がいるのにも関わらず天皇を名乗るとは何事か!この日本人め!天皇を名乗るだけでも万死に値
するのに、白人の文化にまで汚染されるとは恥を知れ、恥を!」と、まるで相手にされません。
中華思想、すなわち「世界の中心は中国である」という思想にかられた朝鮮人にとって、日本が近代化を歩
み始めた『明治維新』はただの愚行に過ぎなかったのです。
同時期、ベトナムがフランスの植民地にされました。
日本政府の想像を遥かに超えたスピードで、西欧列強はアジアを侵略してきます。
もしこのまま朝鮮が植民地化され、対日本の前線基地にされたら・・・。
日本は焦り、その中で強硬派が「武力で開国させて無理矢理にでも近代化させるべし!」と征韓論を唱えま
す。(元ネタは一万円札の人が考えました・・・)
これが韓国併合の始まりとなります。
〜続く〜
232 :
結論!日本は第二のドイツである!:03/03/12 18:23
明治維新の真髄は単なる日本の近代化のみを示すものではありません。(・・・と思う)
まず日本が近代化を成功させ、朝鮮を近代化させる。そのあとは東南アジア、中国を含めた独立アジア連合を結成し、ゆくゆくはアフリカ・中東をも含めた全て
の有色人種国家の完全独立。支配する国も、支配される国もいない平等な世界の建設。
つまり、明治維新の最終目的とは、『大航海時代から続く500年間の植民地時代にピリオドを打つこと』
に他なりません。日清戦争も日露戦争も、太平洋戦争でさえも結果でなくプロセスに過ぎないのです。
明治維新は日本史では単なる江戸時代の終わりですが、世界史では後の※白黄百年戦争のプロローグです。
『太平洋戦争でどちらが悪いかを問うならペリーを連れて来い』と石原莞爾が東京裁判で言ったのはそうい
う意味だと思います。これが現在の日本が中東やインド、支配していた東南アジア諸国や台湾からさえも「昔の日本は偉かった」
と言われる理由です。だからトルコ人は「日本人とトルコ人は元は同じ人種である」とかよくわからないことを言ってくれたり、
イラクのサダム=フセインも「湾岸戦争のとき、どうして日本は手伝ってくなかったんだ!」とかよくわか
らないことを言ってくれたりするのです。
太平洋戦争が終わり、ドイツが四分割されたように日本もまた四分割されそうになりましたが、それを止め
てくれたのは他ならぬ、日本に植民地化された東南アジアの国々でした。
それは日本にだって正義はあったことの証拠だと思います。
形ばかりの明治維新は確かに140年前に達成しました。
しかし、その目的は今もなお達成させておらず、現在進行形であります。(・・と思う)
明治維新が必然的という言い方は、日本だけでなく、全世界の黄色人種国家に対する暴言だと思います。
もし明治維新が必然ならば、それすらできなかった他の国は一体・・・となってしまうからです。
日本人は、自国の歴史にもっと誇りを持ってもいいとおもいます。
長い文章にお付き合いくださってありがとうございました。
ではでは、失礼いたします。
PS 白黄(白人 対 黄色人種)百年戦争は造語です(汗
233 :
日本@名無史さん:03/03/12 18:37
ペリーの話は東京裁判では言ってないよ。
資料収集段階で、病院で話しただけ。
>終戦の翌年の一九四六(昭和二十一)年初頭、
>入院中の満州事変の主謀者石原莞爾元陸軍中将は、
>東京裁判の資料収集にやって来たアメリカ人検事にこう言った。
234 :
井尻神力坊:03/03/12 18:54
>>229-232 私見ですがと書きだしてる割りに内容はコヴァヤシが言ってる事の受け売りだな
武士は日本の将来の為、自ら髷を切り落とし日本を近代化させた!みたいな論法
実態は利権の奪い合い。八方塞がりの薩長が仕方無しに組み近代武器で政権取っただけのことだろ。
確かに一面を見ればおまえの言う通りの部分もある。しかし白黄百年戦争は極論だろ。大義名分なんて後から作ってんだよ。
アジアの為、日本の為長州薩摩が幕府を倒したとか脳内電波発しすぎ。薩長はイギリスに利用されただけだ
>明治維新の最終目的とは、『大航海時代から続く500年間の植民地時代にピリオドを打つこと』
に他なりません
のあたりなんかは聖戦思想そのもので美化しすぎだな。大政奉還して一大名に過ぎなくなった徳川や函館政府を飽くまで滅ぼしたのをどう説明する
後々には中国にも侵略してるし。「支配する国も、支配される国もいない平等な世界の建設」とかよくいえるな
ようするにおまえは世界史と併せて語るべきといっておきながら
客観視できず武力で強引に樹立された全体主義国家側に立ちすぎってこった
235 :
日本@名無史さん:03/03/12 19:23
清朝がアヘン戦争で敗北し亡国の憂き目にあっているのをみて、
薩長が急速に大変革を起こした。江戸時代学問の主体は漢学だったがその
おおもとが崩れ去ったので、もはや漢学を捨てて、欧米の学問にきりかえ
た。
しかしながら逆説的だが、そうした変革の思想は幕末までに江戸は自力で
つかむまでになっていた。自力で変革する準備は整っていたのである。
>>234 >薩長はイギリスに利用されただけだ
「だけ」とは思わないけど、
>実態は利権の奪い合い。
>薩長が仕方無しに組み近代武器で政権取った
>大義名分なんて後から作ってんだよ
はその通り。
>後々には中国にも侵略してるし
明治政府が帝国主義的性格を持っていたのは間違いないし、
それは明治政府に限らずヨーロッパ列強も同じ。
それが明治政府のした事を正当化するものではないが、
同時代の各国の政策も視野に入れておくことは歴史を知る上で欠かせない。
近代化のイニシアティブを誰が取るのかを争ったのが明治維新だった。
その中で固定身分では現状対応ができないので、
士族を廃し能力のある者が出来る限り活躍できる体制を作った。
自由民権運動が民衆の間で熟成する前に明治政府から追い落とされた元士族達の
利権獲得運動として成功し議会が出来た為、
衆議院が機能せず政党が自ら政党政治を破壊したのは悲劇だろうね。
237 :
日本@名無史さん:03/03/12 21:07
>213
>高杉晋作は上海で中国の悲惨な状況を実見しているのだから、
>攘夷が無理なんてわかりきっていたろうに。
>ここにも長州の欺瞞がある。
高杉のように攘夷の不可能を悟っていたのは一部のものだけで、
大多数の下級武士は単に思想的なものだけでなく、経済的な理由からも、
攘夷に賛成していた。開国して貿易が行われるようになると、
商人たちは利益の上がる貿易に力を入れて、国内が物不足、つまりインフレになった。
もともと下級武士の生活は貧しかったが開国して貿易が行われるようになると、
攘夷思想を強く持つようになり、一方で開国による貿易で利益を上げる商人たちを憎むようになる。
238 :
日本@名無史さん:03/03/12 21:14
インフレは通貨制度の整備がされていなかった事も
239 :
日本@名無史さん:03/03/12 21:37
>232
>もし明治維新が必然ならば、それすらできなかった他の国は一体・・・となってしまうからです
明治維新は日本における市民(ブルジョア)革命で、前近代社会においては領主や地主などの
大土地所有階級が権力を構成している。(自治都市、都市国家は局地的例外とする)。
この状態が壊れて、それ以外の階級(普通は市民階級=ブルジョア、または労働者)
が権力を得るのが近代国家であり、国民国家である。
「それすらできなかった国」とは具体的にどこの国のことか。
21C現在、領主や地主などの大土地所有階級が権力を握っている国はない。
遅かれ早かれ、すべての国は近代国家への転換(日本においては明治維新)
を達成しているのだ。
240 :
日本@名無史さん:03/03/12 21:57
>236
>近代化のイニシアティブを誰が取るのかを争ったのが明治維新だった。
236さんはもっとも大事な要素を見落としている。大商人たちすなわち日本における市民階級である。
幕末に幕府も近代化の必要を理解し、産業を起こそうとしたり軍備を整えようとしたが、
幕末の財政は極端に悪化していた。その主な理由は、旗本、譜代、親藩などに
現在の常識からすれば国家の維持に無用の官職を与え、高い給料を与えていたことにある。
その一方で幕府は商人たちから御用金、借入金を徴発していたが、
幕末の近代化を進めるにあたってそれが増大した。幕府に逆らえば懲罰が加えられる。
かといってこのままズルズルと幕府の過大な要求に応えつずけることも不可能である。
こうして三井を筆頭とする大商人たちは反幕府の気運を強く持つようになった。
また、尊王攘夷運動をやっている者の中にも、本音では開国継続/倒幕を考えている者が
少数ながらいた。後に維新の志士と呼ばれる人たちである。この時点で維新の志士たちと大商人の利害が一致し、
倒幕の資金が彼らから与えられた。
近代化のイニシアチブを握ったのは、大商人と新興の経済人そして彼らとつながった政治家たちである。
241 :
日本@名無史さん:03/03/12 22:02
>239
明治維新が市民革命、という説は初めて聞いた。
あれは時の支配層たる士族による自己革新だと思うが。
江戸時代末期のブルジョワ層とはどの階級を指すのだろう?
242 :
トーシロー:03/03/12 22:40
>太平洋戦争が終わり、ドイツが四分割されたように日本もまた四分割
>されそうになりましたが、それを止め>てくれたのは他ならぬ、日本に
>植民地化された東南アジアの国々でした。
・・・これって、世界史的には常識なのでつか?
あと、コヴァは単に自分より優位な肉体を持った白人がキライな「だけ」
からはじまっていると思う。オレもキライだが。
243 :
日本@名無史さん:03/03/12 23:11
>>242 それ、嘘です。
もう一つは、蒋介石がソ連による日本の分割占領を阻止したという神話である。
一九四五年八月十六日、スターリンはトルーマンに電報を送り、ソ連軍
が北海道の北半分と千島列島を占領するという意思を伝えた。
二日後、トルーマンはスターリンに次のように回答した。
「ソ連が全千島列島を占領することには同意する。しかし、
北海道と本州、四国、九州はマッカーサー元師が占領する」
スターリンは北海道占領のための部隊を乗せた艦隊をすでに
発進させていたが、やむなく艦隊に引き返すように命じたのだ。
蒋介石が介入する余地などまったくなかったのである。
http://www.wufi.org.tw/jpn/munakata11.htm
244 :
日本@名無史さん:03/03/12 23:15
>>242 日本に対してスリランカ国(当時・セイロン)は賠償請求を放棄
することを宣言した。
さらに「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本が必要である」と強調
して一部の国々の主張した日本分割案に真向から反対して、これを退けた。
スリランカ代表がこういっただけです。
スリランカありがとう。
246 :
日本@名無史さん:03/03/12 23:22
>>242 スリランカは東南アジアでなく南アジアで、
日本の殖民地にもされてなかったような・・・。
247 :
日本@名無史さん:03/03/12 23:31
スリランカの発言は、1951年の講和条約に向けての発言だから、
日本の分割反対とは、ほとんどいえないと思われ。
マッカーサーの占領声明は1945年。
248 :
日本@名無史さん:03/03/12 23:44
市民革命と見てやることも可能だよ。「結果どうなったか」を見れば。
どこかの模倣であれ、維新の結果、市民革命を経たにやや近い(それ以前と比べて)政体となったことは確か。
ブルジョアではなく下級武士だったとか、王政打破どころか王政復古しただとか特権階級である華族は残っただとかいうが、
そこは日本の特異性であって固定的にとらえず柔軟に見ていきたいところ。
あまり固定的に見すぎると「市民革命はフランスにしか起こらなかった」ってな話になってしまう。
それこそマルクス的歴史観w モデル以外はみな奇形の歴史、みたいなw
249 :
名無的発言者:03/03/12 23:46
開国要求→幕府開国→尊王譲位→倒幕
ここまではその時代の人なら誰でも考える。
倒幕後の新国家の構想を考えていた人は少ない。
臨時政府は近代国家の見学をする。
留学した官僚は列強各国みたいな国にしないと日本が植民地かされると感じる。
臨時政府は名ばかりで藩を潰さない限り実質的な統治能力はない、
政府直属の軍隊もない(薩摩の上武士が臨時政府の軍隊になるが少ない。)
廃藩置県などで武士階級が臨時政府に怒る、特に薩摩藩など倒幕したのにも
関わらず、激怒。内乱が起こる政府鎮圧、これで明治維新は終わる。
250 :
名無的発言者:03/03/12 23:48
>>249 特に薩摩藩などは倒幕したのも関わらずおとり潰しになる、よって激怒
251 :
日本@名無史さん:03/03/12 23:49
>>248 市民革命と見る必要がどこにある?
それはお前の願望じゃないのか。
>結果どうなったか
・・・についてだが、藩閥政治になった。
これは市民政権と言えるのかな。
253 :
日本@名無史さん:03/03/13 01:44
>252
藩閥政治と見えるものも、個々の政治家たちは幕末からの大商人と振興の企業家たちと癒着していた。
井上馨は三井の番頭さんと言われ、大隈重信は岩崎弥太郎、大久保利通は五代友厚と深い関係にあった。
西南戦争では海上輸送を三菱が一手に引き受け大もうけした。
表向きの権力者が実際にはどのような勢力と結んでいるかに目を向けなくてはならない。
254 :
日本@名無史さん:03/03/13 01:52
明治維新によって国家統一を早く済ませた日本は、
東欧やロシアに先んじる事ができたわけだ。
255 :
日本@名無史さん:03/03/13 12:07
>>251 一度そのように大雑把な置換をしてみることで、
色んなことが見えてくる。色んな問題意識が持てる。
幕末の本当のブルジョアたちがどんな行動をしたのか、フランス革命と比べてどこがどう違うのか、
フランス革命後にフェードインしてくるナポレオン席巻のような現象が日本で起こったかどうか。
よく調べてみた結果、当初の置換に妥当性が見いだせないこともあるわけだが、
少なくとも考察の糸口にはなるわけだw
256 :
名無的発言者:03/03/13 13:03
>>255 お前バカだな、
フランス革命は国の政策に圧迫された市民が国を倒すため起こした。
倒幕など徳川から薩摩藩の政権交代でしかないだろう。
新政府は逆に
市民革命を恐れ、軍隊を市民革命が起こったとき、天皇の名のもと鎮圧できるようにするだろう。
このせいで第二次世界大戦が起こった時、軍の暴走
を引き起こす。
するだろう。
明治維新の功績は倒幕よりも、日本を一つの国にしたことのほうが大きい。
258 :
日本@名無史さん:03/03/13 16:27
日本を一つにしようとした薩長肥が、それぞれ分裂して内乱起こしているのだから、
世話ないな。
259 :
日本@名無史さん:03/03/13 17:00
>256
>フランス革命は国の政策に圧迫された市民が国を倒すため起こした。
フランス革命以前に権力を握っていたのは誰か。
国王を中心とする宮廷貴族(領主)である。
「国の政策に圧迫された市民」とは具体的にどういうことなのか。
それは、革命直前、政府の財政赤字がひどく、その多くの原因は、
宮廷貴族(領主)が納めるべき税を納めず、社会の発展に無用の官職に就き、
法外な財政特権を得ていたのである。
それを改めるためにチュルゴーやネッケルなどの改革派を財務大臣に当たらせたが、
その改革は宮廷貴族(領主)の反対にあって実現しなかった。
結局財政赤字を市民(ブルジョア)の負担によって解決しようとして、
市民(ブルジョア)は反体制=革命側にたった。
260 :
日本@名無史さん:03/03/13 17:13
>256
>倒幕など徳川から薩摩藩の政権交代でしかないだろう。
それならなぜ島津幕府にならないのだろうか。
幕藩体制は譜代、親藩、旗本などの領主が権力を支配していた。
倒幕によって、大名たちは領地を没収され秩禄公債をもらい、金融資産家に転じた。
また、倒幕のための資金は三井、小野、島田などが出していた。
明治政府は表向きは薩長を中心とする維新の志士が権力の座に就いたが、
彼らは領主でも地主でもない。そして彼らと密着し、
経済政策を自分たちに有利に運んでいたのが市民(ブルジョア)である。
261 :
日本@名無史さん:03/03/13 17:17
>257
市民革命=国民国家の形成=近代国家の成立
262 :
日本@名無史さん:03/03/13 20:34
>>257 明治維新を市民革命に試しに置き換えてみたところで、
「倒幕の功績が大きい」という結論には至らないでしょ。
それはあなたのフィルタがかった思い込み。
>>256 後段はわけがわからないからレスしない。
前段について、
ここでは試しに
>>259の流れを踏まえて言うと、
じゃあ明治維新を市民革命と置き換えて考えてみたときに、
幕藩体制の頃、公家や武家は税金を払っていたのか、
払っていたとすればどのような税をどのような形で払っていたのか、明治維新後はどうか、
と言ったことが検証できるというわけ。
もちろんあなたのように「維新などただの政権交替」という暫定的な置き換えもできる。
これをたとえば
>>259と
>>260の流れに沿って考えていくなら、
じゃあ島津や毛利の殿様は維新後どのような地位についたか、
華族のなかでもとりわけ特権的な地位についたのか、それは法制的に保証されたものなのかどうか、
島津や毛利にだけ許された免税措置などはあったのかどうか、
太政官政府とブルジョアとの繋がりは濃密だったか、むしろ反目していたか、
など、本当に色々なことに興味を持ちうる。考察のテーマが得られる。
歴史学は政治決議ではないのだから、どちらか一方の結論を出すことには何の意味もない、
これはあなたにも理解できるよね。
263 :
日本@名無史さん:03/03/13 22:10
>262
>歴史学は政治決議ではないのだから、どちらか一方の結論を出すことには何の意味もない、
だってフランス革命が市民革命なのは常識でしょ?
一般的な歴史区分として、古代-中世-(近世)-近代というのがあり、
それとは別に封建社会というのがあるが、私には近代とそれ以外の区別はつくのですが、
例えば古代と中世、封建社会のそれぞれの違いが分かりません。
前近代社会や封建社会では、権力は領主や地主など大土地所有階級が握っているが、
近代社会ではそれ以外の階級(普通は市民階級=ブルジョア、もしくは労働者)が権力を握っている。
262さんの言うことはそれ以外のほとんどすべての歴史的事件については賛成だが、
ある国がいつから近代の段階に入ったかということは、世界史でもっとも重要なテーマ
といっても過言ではなく、この争点に関しては明確な結論を出すべきだと思います。
264 :
日本@名無史さん:03/03/13 22:35
>>263 イギリスは、たぶん世界でも最も早い時期に「近代化」した国のひとつだろうと思うのだけど、
いつイギリスが近代化したのかということに対しての明確な答えなんてなかなか出せない筈だよ。
「維新=市民革命」主義者さんへ
確かに明治維新により藩閥とはいえ島津幕府はできていない。
この理由は「これが市民革命だったから」ではなく、
そんなことしてられない状況におかれたのが実体ではなかろうか?
一言で言えば外圧。軍事的圧力も勿論だが、鎖国→開国・・・文明開化
の精神的ショックと焦りが、富国強兵及び殖産政策につながり、
結果、身分や出身にとらわれない人材登用に結びついていったと思うのだが。
それと大商人が背後にあったからという趣旨についてですが、
彼らは実質その前からも支配層であって、彼らの関与をもって
市民革命と呼ぶのはちょっと違うような気がする。
>>265 藩主が主体になっての倒幕じゃなかったからね。
雄藩の下級藩士と一部の公家が中心になって新政府が組織された。
下級武士は従来の封建体制を越えて藩の実権を握った。
当然、幕藩体制のような封建体制は否定される。
江戸期の大商人は支配層ではないし、
明治以後の大商人も支配層ではない。
大商人は「利益」を求めるのであって権力は二の次。
財閥が政党のスポンサーとなっていたことは事実だけど、
国策の決定は議会と政府が行った。
大商人は有権者として投票することと、
スポンサーとしての影響力を行使するにとどまった。
ということは、市民革命説に大商人はあまり意義はないと?
まあ、それはおいておいて、順番として
1,下級武士が志士化
2,志士が藩の実験を握る(幹部)
3,明治維新
4,明治政府
ならば、やはりこれは市民革命とは言えないような気がするよ。
下級武士が下級武士のまま暴れて政府が変われば市民革命にも
うなづけるが。
そもそも江戸時代末期における「市民」はどの層を
中心とするんだろう?
>>267 市民の定義は?
それがないと何とも…。
ところで「明治維新」は「革命」の一種という
前提になっているが、一応形式的にはそうではない。
維新はあくまで天皇(朝廷)から政権委任を受
けていた幕府の消滅であり、委任した側(形式的には主権者)たる
天皇は消滅していない。厳密には「組織変更」=「維新」と
なる。むろん、江戸時代において実質主権は幕府にあったのだが。
>>267 ちなみに俺は明治維新は市民革命だと思っていないよ。
俺の明治維新の定義。
倒幕は徳川家主宰の幕藩体制から雄藩連合への権力の移行。
版籍奉還・廃藩置県は封建制の否定と中央集権国家制度の確立。
憲法の公布・発効は立憲君主制の確立。
衆議院設立は民主主義導入の第一歩。
明治維新を倒幕からどこまでにするのかによっても、
明治維新が市民革命なのかそうでないのかの議論は変わってくると思う。
まずは明治維新を定義することが必要だと思う。
271 :
日本@名無史さん:03/03/14 00:20
明治維新を現在の西洋的な政体論で判断すると大きな過ちをおかすとおもう。
当時は伝統的な思考の枠組みの中で変革がなされたのである。ブルジョアだの
市民革命などととぼけたことを抜かしてはならない。
だから、当時の儒学思潮などをよく学んでいないと解明は不可能。
>268
わかりません(w
が、なーんとなく経済的地位及び知識において「中階級」
みたいなイメージで、国家を構成する最多数の階級、、、
という感じでは?となると当時の日本に列強諸国で言う
ところの「市民」そのものが存在しなかった、ということに
なるような気がするんですわ。
>>272 まあ「市民」という概念自体が西欧のものだからね。
>>271の言う
>明治維新を現在の西洋的な政体論で判断すると大きな過ちをおかすとおもう。
>当時は伝統的な思考の枠組みの中で変革がなされたのである。ブルジョアだの
>市民革命などととぼけたことを抜かしてはならない。
こととも通じるんだろうね。
西欧からの借り物で日本史を見るのではなく、
日本の近世から近代に何が起きてどのような考えが生まれたのかを
把握して考えないといけないだろうね。
>>271は儒学について相当詳しいようだけど、
室鳩巣の思想についてどう思う?
彼の思想はその中に封建制を否定しかねない部分がある。
それは幕藩体制の否定にも繋がり幕府からすれば相当な危険思想だったと思うんだけど。
太宰春台も武士が家禄を無条件で貰える事に対して批判的で
これも幕藩体制の否定に繋がる恐れがあったと思う。
14代将軍を巡って血筋より能力を重視した人々が慶喜を担いだ。
これも血筋を重視する封建制からすれば大変な事だった。
だからこそ封建制の権化たる幕府を守ろうとした井伊直弼は、
慶喜を担ごうとした人々に厳しい弾圧を加えた。
幕府内部に封建制を否定する人々が現れた思想的背景はどこにあったのか。
儒学の事はあまり詳しくないですが、273氏の言われるところは
「水戸学派」というものに関連するのかな?
ものすごい素人問答
ん、まあ、実際素人だから。。。
278 :
日本@名無史さん:03/03/14 13:29
>264
イギリスは周知のとおり1642年から1688年までの、ピューリタン革命から
名誉革命を経て市民革命が達成され、近代国家になりました。
イギリスの場合は領主制が残りましたが、私の考えでは、
権力を誰が握っているかが基準なので、たとえ領主制が残っていても、領主はそれ以降
権力機構の中では二流の座に引き落とされ、市民階級(ブルジョア)が権力機構の中心に立ったので、
この時期がイギリスの近代国家への転換だと規定できるのです。
279 :
日本@名無史さん:03/03/14 14:48
>266
>財閥が政党のスポンサーとなっていたことは事実だけど、
>国策の決定は議会と政府が行った。
>大商人は有権者として投票することと、
>スポンサーとしての影響力を行使するにとどまった。
スポンサーとして国策に影響力を行使することが、まさに市民階級(ブルジョア)
が権力の座に就いたことを意味しているのではありませんか。
>268
>市民の定義は?
この言葉はブルジョアの翻訳なのだが、ブルジョアとは「都市に住む金融、商工業者の上層部分」
を意味する。したがって、ブルジョアを日本語に訳す時に「町人」と訳すべきだった。
これを「市民」と訳してしまったがために、市民革命のイメージとして、
貧民たちが決起して民主的な体制を作るような固定観念ができてしまった。
280 :
日本@名無史さん:03/03/14 14:53
>270
>まずは明治維新を定義することが必要だと思う。
明治維新を狭義に捉えるならまず第一段階として倒幕。
これによって、旧幕領において市民革命が達成され、
第二段階として廃藩置県によって残りの地域にも市民革命が達成された。
281 :
日本@名無史さん:03/03/14 14:56
>273
>市民」という概念自体が西欧のものだからね。
市民という概念が生まれたのは西欧であっても、
これは世界史的に普遍性をもっていると思います。
282 :
日本@名無史さん:03/03/14 17:36
>>280 >明治維新を狭義に捉えるならまず第一段階として倒幕。
>これによって、旧幕領において市民革命が達成され、
>第二段階として廃藩置県によって残りの地域にも市民革命が達成された。
「市民革命が達成され」とあるけど何をもって市民革命とするの?
アホな俺でも分かるように具体的に教えてくれ。
283 :
日本@名無史さん:03/03/14 17:51
>282
前近代社会では領主や地主などの大土地所有階級がその社会の支配階級だった。
ただし、都市国家、自治都市は局地的例外とする。
彼らの権力が打倒され、市民階級(ブルジョア)が支配階級の座に就くことが市民革命である。
日本の明治維新では、三井や島田、小野といった人々が志士たちに資金を提供し、
維新政府は大商人と新興の企業家の意向を踏まえながら経済政策を行うようになった。
経済政策の問題なの?
スマンいまいち分からん。
279さんの言う内容だと数えるほどの大商人、財閥候補者
たちが市民であり、革命を起こした、または策動したということになるが。。。
というより、明治維新に思想は関係なかったという説はやはりいただけない。
286 :
日本@名無史さん:03/03/15 00:08
大商人達は二股かけて徳川にも出資してただろ
287 :
日本@名無史さん:03/03/15 14:44
>284
>経済政策の問題なの?
まさしくそのとおりです。江戸時代の商人たちは経済的に豊かになってきたとはいえ、
まだ権力の座に達していなかった。そのことは幕末に如実に現れる。
幕末になって幕府が近代化を進めようとする時の資金を、大商人たちの御用金、貸付金でまかなおうとした。
その一方で、権力の中心にある譜代、親藩、旗本などの経済特権には手をつけなかった。
倒幕の際、新政府軍に真っ先に資金提供に応じた三井、島田、小野らは
官金為替御用達という特権を得た。
維新政府は殖産興業を進めるが、その過程で新興の企業家が台頭してくる。
もっとも有名なのは三菱だが、佐賀の乱のとき、三菱は政府所有の船を借り受け、
海上輸送で大儲けし、しかもその船をただ同然で払い下げてもらった。
>286
>大商人達は二股かけて徳川にも出資してただろ
倒幕戦の初期の段階では二股をかけていた商人もいたが、すぐに幕府の命運は尽きていることが分かり、
多くの大商人たちは徳川を見放した。
288 :
日本@名無史さん:03/03/15 14:50
>285
>279さんの言う内容だと数えるほどの大商人、財閥候補者
>たちが市民であり、革命を起こした、または策動したということになるが。
もちろん、実際に革命に参加し、新政府で大きな影響をもつものはその中の一部の有力者ですけど。
>明治維新に思想は関係なかったという説はやはりいただけない。
倒幕のためのスローガンは尊皇攘夷でしたが、維新政府は開国和親を宣言しました。
289 :
日本@名無史さん:03/03/15 15:00
尊皇攘夷のスローガンは、下級武士を倒幕に駆り立てるための大義名分だったのです。
290 :
日本@名無史さん:03/03/15 15:14
>288
やはり、思想は革命のためのスローガンにすぎなかったと思いますが。
多くの民衆を一つの思想で纏め上げないと革命はうまくいきませんし、
その証拠に強く尊王攘夷を唱えた藩ほど近代化(西洋化)という反攘夷
的活動が活発だったではないですか?
291 :
日本@名無史さん:03/03/15 20:24
>290
>強く尊王攘夷を唱えた藩ほど近代化(西洋化)という反攘夷
>的活動が活発だったではないですか?
薩摩や長州は実際に外国軍と戦って一部のものは攘夷の不可を悟った。
ここで藩の指導者たちが藩内での近代化を進めていく。
しかし下級武士の多くは依然として攘夷論を持っていた。
それは、彼らは、開国によって商人たちが商品を貿易に回して国内が物不足になり、
インフレが進み経済的にますます落ち込んでいったからである。
292 :
日本@名無史さん:03/03/15 20:28
ついでに人減らしと棄民も兼ねて女性も外貨獲得のために
外国に売られました。
移民した人もいます。
293 :
日本@名無史さん:03/03/15 20:31
>倒幕のためのスローガンは尊皇攘夷でしたが、維新政府は開国和親を宣言しました。
別に矛盾する内容ではないが。
欧米への屈辱外交を正したかっただけだし。
だから明治新政府の外交の一大方針は条約改正だったのだろう、
294 :
日本@名無史さん:03/03/15 21:02
維新政府は本物の攘夷派、例えば神風連などを弾圧している。
尊王攘夷運動は、平和的な外交努力によって条約改正するというものではなかった。
そ
りゃそうだ
296 :
日本@名無史さん:03/03/15 23:00
大事なのは身分制度は廃止するが、階層制度は残したままで
新体制に移行させたかったから、基盤となる天皇制
を憲法で確立するまでの外国に対しての茶番が維新だろ
では、市民革命主義さんの言うことをまとめると、、、
明治維新は市民革命だった。維新は一部の大商人(これが市民)が
策動し、天皇・志士から水戸思想、尊皇思想までを利用し、
裏でこの国を動かしたからである。
でよろしい?
とりあえずどれがどの人の書き込みかわからんから
何が言いたいのか、理解しにくいんですよ。
なんか趣旨が一貫してない人がいて解りにくいよ。
299 :
日本@名無史さん:03/03/16 00:39
明治維新の一つの側面として、官軍VS幕府・東北列藩の内戦だとする。
そうした上で前者が勝利した理由は?
戦力の質と量、まさに戦場における戦略、あるいは資金源。
そういう比較データを提示できませんかね?
300 :
日本@名無史さん:03/03/16 01:08
300get!!
301 :
日本@名無史さん:03/03/16 14:31
>299
戦死者の数
新政府=4638人
幕府軍=8507人
302 :
日本@名無史さん:03/03/16 14:52
長州力は会津若松体育館で試合に出れるの?
303 :
日本@名無史さん:03/03/16 17:13
>302
出られると思います。
304 :
日本@名無史さん:03/03/17 00:30
>倒幕戦の初期の段階では二股をかけていた商人もいたが、
>すぐに幕府の命運は尽きていることが分かり、
>多くの大商人たちは徳川を見放した。
これって結局、商人たちは勝ち馬を見付けるのが上手かったってことでしょ
>>302 そのネタ最初に考えた人、ちょっと面白い
306 :
日本@名無史さん:03/03/17 02:13
>>304 大商人とはそいいうものです。
WW2においても連合運ドイツ軍両方に荷担していた商人は大勢いる。
307 :
日本@名無史さん:03/03/17 12:15
なぜ、今更、講座派−労農派論争みたいなことをやってんだ??
>>307 アームストロング砲とかミニエー銃の数が知りたいのかな?
スレ違いじゃなかな。
310 :
日本@名無史さん:03/03/18 14:49
>308
かつての講座派-労農派論争では、明治維新の主体は下級武士にあるという点で
両派とも一致していて、
大商人(日本における市民=ブルジョア)の存在はほとんど考慮されていなかった。
しかし私の考えでは、明治維新においては大商人の役割を重視するという点で、
従来の日本資本主義論争とは視点が異なる。
311 :
日本@名無史さん:03/03/18 15:02
>304
単に勝ち馬に乗るだけではなく、幕府の体制の下で近代化が進めば自分たちが滅んでゆく。
幕府は商人たちから御用金、借入金を徴発していたが、
幕末の近代化を進めるにあたってそれが増大した。幕府に逆らえば懲罰が加えられる。
かといってこのままズルズルと幕府の過大な要求に応えつずけることも不可能である。
こうして三井を筆頭とする大商人たちは反幕府の気運を強く持つようになった。
もちろんなかにはぎりぎりまで幕府についていた商人もいたが。
312 :
日本@名無史さん:03/03/18 23:55
>幕府の体制の下で近代化が進めば自分たちが滅んでゆく。
誰の下で近代化が進もうが前近代的な大福帳型の商人は滅んで行ったと思うが
生き残ることが出来たのは家計と資本を分離できた商人だけ
313 :
日本@名無史さん:03/03/19 00:45
>312
それは同感です。
明治維新以降、前近代的な体質の商法をしていた商人たちは没落し、
新興の近代的な経済人が台頭してきました。
314 :
日本@名無史さん:03/03/19 03:47
>倒幕の理由で関ヶ原の恨み云々などある訳ないだろ。
いや、それこそ根元的な動機だろ。
国難に際してここぞとばかりに幕府の足を引っ張った連中が
長州、薩摩、土佐勤王党であったのは決して偶然ではない。
>戦力の質と量、まさに戦場における戦略、あるいは資金源。
>そういう比較データを提示できませんかね?
薩長が天皇毒殺によって玉の奪取に成功したこと。
将軍の慶喜が腑抜けだったこと。この2点につきる。
薩長にまともな「戦略」がなかったことは常識だよ。
>>314 毒殺の根拠は何なの?
そう言う人が多いけど俺はネタだと思ってる。
あと関ヶ原の恨みが根源的な動機ならなぜ慶喜の首を取らなかった?
倒幕に動いたのは下級藩士が中心であって、
関ヶ原の恨みが根源的な動機になるとは思えないんだけど。
藩主が中心となっての倒幕ならわからなくはないけど。
薩摩に関しては関ヶ原の恨みなんてないと思うけどね。
316 :
日本@名無史さん:03/03/19 22:43
>>314 >薩長にまともな「戦略」がなかったことは常識だよ。
あなただけの脳内常識ですか?
317 :
日本@名無史さん:03/03/19 23:22
>>312 >>313 日本の場合、政治の近代化、明治維新が先にあって、近代的資本家は後から出来たということ?
そういえば、明治維新後も政商なんて香具師がいて経済の近代化は政治の近代化に遅れたよね。
明治維新は下部構造の資本家が軛となった上部構造を打倒した革命じゃなかったんだね。
319 :
日本@名無史さん:03/03/19 23:26
>薩長にまともな「戦略」がなかったことは常識だよ。
戦略はあったよ
やる気のない攘夷をやると言ってドキュソな攘夷派を味方につける
やる気のない年貢半減をやると言って民衆を味方につける
権力を手に入れたら平気で約束を破る
320 :
日本@名無史さん:03/03/19 23:27
>>317 下部構造が成熟して、上部構造が浮いて剥離した感じでないでしょうか。
幕府は、軍事においても、行政機関としても時代遅れ。
武家という枠組みのままでは、進化出来なかったのだと思う。
321 :
日本@名無史さん:03/03/19 23:27
>>309 それなら新政府側だけだけど、出せない事もない。
322 :
日本@名無史さん:03/03/19 23:31
>>319 つまり、多くの国民を求心する方法熟知し、
なおかつ現実主義者だったということか。
幕府が負けたのも当然かな。
役者が違う。
323 :
日本@名無史さん:03/03/20 00:43
>>314 薩長と一くくりにするところが厨まるだしやな。
薩摩と徴収じゃ全然違う。
324 :
日本@名無史さん:03/03/20 00:44
325 :
日本@名無史さん:03/03/20 00:45
>>324 聴衆よりは、幕府側の方がよっぽど現実主義だったし
326 :
日本@名無史さん:03/03/20 00:58
長州は攘夷と唱える過激派のみ目立つけど、書簡を多くの諸大名に送り、
地道に支持を稼いで行ったというもう一つの面がある。
また宮中を始め、資金をばら撒き支持を取りつけることも忘れてない。
この辺りを統括してたのが広沢。
>>326 広沢がもう少し長生きしていたら三傑は四傑になっていたかも。
328 :
日本@名無史さん:03/03/20 23:49
>>320 >下部構造が成熟
幕末の大商人達は大福帳的な商人が多く、明治維新の急激な変化についていけず没落したもの数知れず。
下部構造は未成熟の間違いでは?
329 :
日本@名無史さん:03/03/23 15:24
>328
>幕末の大商人達は大福帳的な商人が多く、明治維新の急激な変化についていけず没落したもの数知れず。
旧来のいわゆる日本資本主義論争では、講座派.労農派いずれも大商人の連続という点では一致していたが、
実際は多くの大商人が断絶し、いくつかの大商人が生き残ったと考えるべきだろう。
>下部構造は未成熟の間違いでは?
下部構造という言葉は抽象的なので、具体的に市民階級(=ブルジョア=大商人=町人)
を念頭において考えるなら、彼らは開国-貿易によってますます経済力をつけていたが、
幕府は幕末に軍備、産業の近代化をしようとしたものの、財政赤字がひどく、
そのための費用を大商人たちの御用金や貸付によってまかなおうとした。
幕府の経済力との関係で言えば、下部構造は相対的に成熟していた。
>>329 日本経営史では「断絶」とはされていないよ。
もちろん数多くの商家が幕末維新期に破産したのは確かだけど、
江戸期に作られた流通網や商慣行は基本的に継続した。
住友・三井というとてつもないコンツェルンを除いても、
生き残った商家は多い。
331 :
日本@名無史さん:03/03/23 23:35
> 戦略はあったよ
やる気のない攘夷をやると言ってドキュソな攘夷派を味方につける
やる気のない年貢半減をやると言って民衆を味方につける
権力を手に入れたら平気で約束を破る
こんなの戦略なの?
これが戦略なら戦略目標は?
332 :
日本@名無史さん:03/03/23 23:42
明治維新は「時代遅れの武士階級廃止」というスローガンで戦われました>妄想
明治維新は時代錯誤の「王政復古」というスローガンで戦われました>史実
王政復古のスポンサーが前衛階級とはとても思えん。
333 :
日本@名無史さん:03/03/23 23:50
維新は倒幕が目標。天皇はただの玉。
富農層は倒幕シンパだったぞ。
334 :
日本@名無史さん:03/03/23 23:58
>>331 人心掌握は最も大事な政策なんですけどね。
>>332 おまえ、約定の大綱の内容知らないの?
ちょっと知識不足だな。
このスレで語るにはキツイだろう。
336 :
日本@名無史さん:03/03/24 00:48
337 :
日本@名無史さん:03/03/24 23:33
>331
戦略目標は権力奪取
ただしそれを露骨に言うのは馬鹿
人心の掌握とか、国内の統一とか言っておくのが賢い
338 :
日本@名無史さん:03/03/25 15:14
明治維新自体が、上手く言えないが、すごい胡散臭いんですよね。
例えば、東日本と西日本の県の面積。東はすごい大雑把だが西は、
細かいでしょ?
徳川財宝発掘で再現していたが、討幕派が幕府の財産を根こそぎ
持っていこうとしたとか。
廃藩置県や四民平等や王政復古を掲げていた割には、その思想に
反した行為とかね。
339 :
日本@名無史さん:03/03/25 22:33
幕府のような連合国家ではなく、統一国家を必要としたのは
歴史の必然だ。
340 :
日本@名無史さん:03/03/25 22:41
ドイツ第二帝国は連邦国家だったわけだが。
342 :
日本@名無史さん:03/03/26 02:33
三条実美を筆頭とするクソ少壮公卿長袖連中と長州のアフォどもが結託して起こした革命もどき。
と、会賊と罵られて下北半島に転封され極寒を耐え抜いた我が家では伝えとります。
343 :
日本@名無史さん:03/03/26 02:35
344 :
日本@名無史さん:03/03/26 02:38
345 :
日本@名無史さん:03/03/26 02:46
346 :
日本@名無史さん:03/03/26 02:49
>>339 その統一国家への脱皮を具体化しようとしてたのが幕府。
幕府による体制改革に恐怖し既得権を守るため抵抗したのが倒幕派。
倒幕派が掲げた「王制復古」という標語は、
時代の変化を押しと留めようとする愚かさを示してる。
日本の近代の中心に無知蒙昧な前近代を据え付けたのは、
薩長が犯した最大の犯罪だね。
347 :
日本@名無史さん:03/03/26 04:20
>>346 つまらない言葉遊びだな
おまえさぁ、煽りも何もかも下手過ぎ
ま、せいぜい自作自演でスレ保守しろや
がんがれがんがれw
348 :
日本@名無史さん:03/03/26 05:23
349 :
日本@名無史さん:03/03/26 05:43
なんか大政奉還→小御所会議→明治維新って
なだらかに行きすぎた気がするなあ・・・
ただ”お上”が徳川家→薩長を中心とする明治政府に変わっただけで
庶民にとっては全然インパクトがなかったのでは・・・?
フランス革命みたいに旧体制側の人々をギロチンにかけたりしたほうが良かったのかも
350 :
日本@名無史さん:03/03/26 07:16
身分制が否定されたことが大きいね
幕府が郡県制への移行を達成していれば、
身分制は残ったままだっただろう
もし身分制を捨てるなら幕府が郡県制へ移行させてまで権力の座にとどまる理由はない
351 :
日本@名無史さん:03/03/26 20:20
>>350 薩長は身分制を否定なんかしてないよ。
それどころか封建的身分制を必死で守ろうとしたけど、
近代化の流れに押し流され、
いつの間にか身分制は換骨奪胎されてしまっただけ
。
もしも幕府主導で近代化を進めた場合でも、
資本主義的な生産様式を導入し、租税や通貨を統一し、
中央集権国家に移行したならば、
幕藩体制時の身分制は必ず解体されたよ。
>>351 >もしも幕府主導で近代化を進めた場合でも、
>資本主義的な生産様式を導入し、租税や通貨を統一し、
>中央集権国家に移行したならば、
>幕藩体制時の身分制は必ず解体されたよ
政権を自ら放り出したのにできるの?
できないから放り出したんじゃないの?
>薩長は身分制を否定なんかしてないよ。
>それどころか封建的身分制を必死で守ろうとしたけど、
>近代化の流れに押し流され、
>いつの間にか身分制は換骨奪胎されてしまっただけ。
薩長政府が身分制を否定していないという具体的な根拠は?
まさか官爵制度の事じゃないよね?
そもそも身分制って理解してる?
353 :
日本@名無史さん:03/03/26 23:19
> 339 :日本@名無史さん :03/03/25 22:33
幕府のような連合国家ではなく、統一国家を必要としたのは
歴史の必然だ。
340 :日本@名無史さん :03/03/25 22:41
ドイツ第二帝国は連邦国家だったわけだが。
341 :日本@名無史さん :03/03/26 01:19
>>340 ダカラ崩壊シタロウガ
日本も崩壊したという罠
世界史的に見れば崩壊を免れた国は二つだけ
アメリカ合州国と大ブリテン及び北アイルランド連合王国
354 :
日本@名無史さん:03/03/26 23:47
355 :
日本@名無史さん:03/03/27 15:46
>>352 薩長政府はエタ・ヒニンという差別された身分を廃止し、
新たに「新平民」という身分を与えました。
356 :
日本@名無史さん:03/03/28 00:11
明治維新は政体のみをとらえて語るべきなのかな?
文明開化と明治政府の果たした役割も重要でしょ?
357 :
日本@名無史さん:03/03/28 05:56
>>352 薩長政府は華族制度をつくって旧大名の俸禄はそっくりそのまま維持した。
江戸時代は貧困層だった皇族や公家は特別待遇に。
士族を切り捨てたのだって国の財政が破綻したためであって、
目的意識的に身分制を否定したわけではない。
「維新」なんて卑しい身分の薩長の猿が爵位にありつくために起こした茶番なんだよ。
358 :
日本@名無史さん:03/03/28 12:05
煽りのレベルが低いと乗れない…
359 :
日本@名無史さん:03/03/28 12:50
維新は天皇制ファシズム国家の創業ということでいいよね。
360 :
日本@名無史さん:03/03/28 13:08
3月28日は遷都記念日>みのもんた
361 :
日本@名無史さん:03/03/28 22:31
>>357 おいおい、秩禄処分は華族にも行われたんだぞ、
佐幕派は基礎知識もないのか?
362 :
日本@名無史さん:03/03/28 23:46
363 :
日本@名無史さん:03/03/28 23:59
アホか、お前?
パンツを脱いだ包茎は、挿入資格がなく、手コキされても文句は言えないということで
あり、その過程で風俗嬢が不幸にして脳溢血になっても、その責任はお店側にある
と言ってるんだろ。
363みたいな程度の低い奴がカキコする時点で、
このスレも終わりだな。
365 :
日本@名無史さん:03/03/29 00:18
チョンコが再び日本の元首に返り咲いたクーデター。
国学のあほんだらが チョンを日本の伝統と錯覚したために
おこった倭人にとって忌まわしい出来事。
マッカーサーのあほぉ〜!
366 :
日本@名無史さん:03/03/29 00:25
卑しい身分ってことなら徳川だって江戸時代で言えば名主・庄屋階層
の譜代名子程度の奴が成り上がっただけだな。
367 :
日本@名無史さん:03/03/29 00:33
てか徳川様はBでしょ
チョンとBに支配される日本て 今も昔も一緒やなぁ
368 :
日本@名無史さん:03/03/29 00:35
松平ってBじゃないだろ?
369 :
日本@名無史さん:03/03/29 00:50
370 :
日本@名無史さん:03/03/29 00:58
371 :
日本@名無史さん:03/03/29 01:07
363=370だな。
氏ねよ。
372 :
日本@名無史さん:03/03/29 01:18
>>371 あなたも基地外です。間違いない。氏ねよ。
373 :
日本@名無史さん:03/03/29 01:22
ジサクジエンはほどほどにw
374 :
日本@名無史さん:03/03/29 01:55
>>363ってわけわからんこと書いたくせに粘着だな。
375 :
日本@名無史さん:03/03/29 21:49
すっかり荒れたな。
薩摩に関する限り、武士が存在を否定されて反乱を起こした。
クーデター首謀者が時代に不要として切り捨てられたのだから、
明治維新は近代国家を志向した大改革であることは間違いない。
佐幕派の人間は
「徳川の士農工商制度を温存すれば戦争がなかったので良かった」と言ってみたり、
「幕府でも近代化は可能だった」と言っているが、両者は矛盾している。
「エタ非民を新平民に書き換えただけだ」と言っているが、
書き換えただけでも現状に問題があると認識したわけで評価できる。
なにせ江戸時代は、早乙女貢のように他人を誹謗することで
精神の安定を保つ生き方が主流だったのだから。
376 :
日本@名無史さん:03/03/30 17:36
>「徳川の士農工商制度を温存すれば戦争がなかったので良かった」
そんなことを言ってる「佐幕派の人間」がいるか?
ちなみに徳川抜きの士農工商制度の温存を主張したのが倒幕派ね。
薩長ヲタは薩長が無知蒙昧な反動だった事実を直視したほうがいい。
>「明治維新は近代国家を志向した大改革であることは間違いない。」
すべて幕府がお膳立てしたからこそ「近代国家」が建設できたんだよ。
薩長は成果を掠め取っただけ。
薩長は江戸中期から藩政改革を行い産業を振興したり、
人材登用の面でも請負制の導入などの試みをした。
しかし、あくまで規模は「藩」。
幕府は元禄期ごろまでに官僚制が整備された。
これは寛政期ごろまで機能していたが、日本を取り巻く環境の変化と
商品経済の熟成により徐々に対応できなくなっていく。
最末期になってようやく幕府は様々な取り組みを大規模に行う。
幕府が日本の「内」支配をするだけでなく、
外国との間で通商・外交をするようになると
政府としての幕府は財政基盤・法令施行の面で機能しない。
幕府による郡県制がその成立過程からなし得ないことは明らか。
正当性があるかどうかは別として薩摩長州が幕府に代わる政府を作る必要はあったと思う。
378 :
日本@名無史さん:03/03/30 21:41
>幕府による郡県制がその成立過程からなし得ないことは明らか。
いつ明らかになった?きちんと証明しる。
379 :
日本@名無史さん:03/03/31 21:44
樋口論文と野田論文
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暴力未遂・脅迫で強引に勧誘
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381 :
日本@名無史さん:03/04/01 13:33
と、とにかく、海外からの開国要求で日本が3回目の
対外侵略の危機と言う事になりますが・・・
少なくとも、幕藩制度の終焉は目前に迫ってきている
のは、誰の目にも明らかであった。
ご先祖の恨みニダと言う感じで、討幕派は幕府の足
を引っ張ったのか?それとも崇高な使命で改革をしよう
としたのか?それとも、地元の金庫は破綻寸前なのでし
ょうが無いので、幕府を倒そうとしたのか?
382 :
日本@名無史さん:03/04/01 17:34
>351
>もしも幕府主導で近代化を進めた場合でも、
>資本主義的な生産様式を導入し、租税や通貨を統一し、
>中央集権国家に移行したならば、
>幕藩体制時の身分制は必ず解体されたよ。
身分制が解体された後、誰が権力の座に就くんですか。
幕藩体制化における支配階級である譜代、親藩、旗本たちが、
無抵抗のまま権力を手放すとは考えられない。
権力を握っているものは、国家財政から少しでも多くの利益を手に入れ、
負担は小さくしようとする。
身分制が解体されればそのような経済特権はなくなってしまうのだから、
仮に幕府主導で近代化を進めても限界がある。
383 :
日本@名無史さん:03/04/01 22:12
384 :
日本@名無史さん:03/04/01 23:23
>身分制が解体された後、誰が権力の座に就くんですか。
>幕藩体制化における支配階級である譜代、親藩、旗本たちが、
彼等に華族という新称号を与え、政商とつるんで甘い汁を吸える制度を与えてやれば旧来の特権など喜んで手放すだろう
385 :
日本@名無史さん:03/04/01 23:31
>>376 思うんだが、「幕府がお膳立てをした」というのは語弊があるのでは?
幕府という組織そのものは、薩長に対する抵抗勢力化していたのが
実状だし、特に幕府の官僚機構そのものは徳川という家に固執していたはず。
一部の先見の明のある人が幕府とは違う視点でお膳立てと呼べる行為を
やったのが正解と思う。肝心の慶喜あたりもそっちの側にたったので
幕府=大人、薩長=我が儘坊主に見えるが組織としてはどっちもどっち。
386 :
日本@名無史さん:03/04/02 00:17
tu-ka幕府がおぜん立てしてってのがそもそも間違いだろ。
薩長が明治初期に行った近代化は、薩長の領地内ですでに実施されていた事だ、
それを政権を取ったから、全国規模で実施しただけ。
ただそれだけのこと。
387 :
日本@名無史さん:03/04/02 00:18
>384
>彼等に華族という新称号を与えてやれば旧来の特権など喜んで手放すだろう
維新後、旧大名には秩禄公債が与えられ、一種の金融資産化に転換した。彼らはその資金を利用して商売を始めたが、
うまくいくものもいればうまくいかないものもいた。その一方で新時代の支配階級に上り詰めた市民階級(一部の旧来の大商人と新興の企業家)
は、権威を身につけるべく、旧大名たちと結婚などで融合していった。
その流れに乗って市民(ブルジョア)や有力な政治家たちと姻戚関係などを結んだ旧大名は
新時代も政治、経済に影響力を維持した。しかし没落したものも多い。
つまりこれは個々の努力、先見性の問題であって、「政商とつるんで甘い汁を吸える制度」
などというものはなかった。
388 :
日本@名無史さん:03/04/02 00:24
>>387 そうそう、それに、
明治初期は華族には、資本家としての役目を期待されたそうな。
んで、大正期に民間資本が育ってくるとお役ごめんにされ、そこから一気に没落していったそうな。
時は江戸末期。日本は鎖国のまっただ中。徳川幕府のもと、
完全なピラミッド型の体制を強固に持っている。当時のメーソンは、
まだ四か国の実権しか握っていなかった。英・米・仏・オランダである。
ロシアはいちおうメーソンの手には落ちていたが、他のヨーロッパ諸国
同様、思うようには動かなかった。このときメーソン指導部は、上海で
日本征服の会議を開いたと伝えられる。その時期や場所、
内容はわかっていない。おそらく、日本と接触を続けていたオランダ結社が
その主導権をとったものと思われる。
武力による日本制圧はまったく討議されなかっただろう。
英、米、仏、オランダの海軍力では、日本に攻め込めない。
本国から遠すぎるのだ。だいいち、彼らの流儀「自らの手を汚さず」に反する。
では、どのような作戦がとられたのか。それは、幕末から明治維新に至る
歴史を見れば明らかだ。
まず、長崎の橋頭堡を利用して、日本人内部にメーソン思想を流し込む。
ついで、日本に二つの勢力を作りあげ、それを戦わす。──これが基本的戦略
だったろう。
具体的にはどうしたか。アメリカが正面から開国を迫る。フランスは徳川幕府を
援助する。そしてイギリスが薩摩・長州を支援する。主導権を持っていたオランダは、
徳川幕府の金をそっくり頂く──こんなものだった。
話は少し外れるが、徳川幕府が膨大量の金を保有していたことは事実である。
それが幕末に江戸城を開城したとき、金は全然なかった。このため赤城山の
埋蔵金伝説などが生まれたのだ。もちろん、僅かな量はほんとうに隠されたか
もしれない。だが、かつて徳川幕府が持っていた大量の金は、オランダのメーソン
によって海外に運び去られてしまったのだ。
話を戻そう。イギリスに支援された薩長を中心とする官軍と、フランスの応援を
受けた幕府は当然対立する。そこに正面から開国を迫るアメリカがいる。
このままいけば、日本は内乱で崩壊し、インドやフィリピン、中国のように、
フリーメーソン支配の国になってしまったはずだ。
ところが、メーソンの計画は思わぬところで破綻した。薩摩の西郷隆盛と
幕府の勝海舟のためである。この二人は、フリーメーソンやその謀略を知
っていたわけではないだろう。だが、日本という国家とその未来を見通す
能力があったのだ。勝海舟と西郷隆盛の会談で、江戸城無血開城と
いう大英断が行われ、日本はその後、わずかの戦乱だけで、明治新政府へ
と変わっていったのである。
393 :
日本@名無史さん:03/04/02 01:22
394 :
日本@名無史さん:03/04/02 01:43
明治維新・・・・近代西洋科学に基づいた産業革命
西洋文化・思想・宗教の流入
が、日本人のみではできなかったことでは?
>>394 外国の影響は受けた、それが幕府的な連合国では米国のような
大国には勝てないという事。
いまだ英国以外の欧州は連合国家であったが日本は統合国家になった。
396 :
日本@名無史さん:03/04/02 02:29
>特に幕府の官僚機構そのものは徳川という家に固執していたはず。
日本は上から近代化を進めるしかなかった。
そしてそのためには目的意識を持った強力な権力が必要で、
当時の日本には幕府以外にその責務を担える機構は存在しなかった。
井伊直弼のラインから小栗上野介をはじめとする改革派が育ったことは偶然ではない。
幕権強化路線と日本の近代化は表裏一体だったんだよ。
>薩長が明治初期に行った近代化は、薩長の領地内ですでに実施されていた事
ハァ?「薩長の領地内ですでに実施されていた事」って何だよ?
近代的な生産システムが存在した?不換紙幣が流通していた?
株式会社や商工会議所が存在した?陸海軍は?新聞は?…
これら明治初期に行われた近代化事業のほとんどは、
すでに幕府が着手した事業の延長だろ。
薩長が江戸期に藩内ですでに実施していたというなら証拠をダセ。
>>396 仏国とて王制には固執したし、ナポレオンも新王制を復活させたし。
日本の明治システムのほうが欧米より新しかったよ、
>>396 横レスだけど、一言。
深夜にそんなにムキにならなくても。
幕末に志向された株式会社は明治後のそれとはかなり違うよ。
幕末の株式会社は株仲間の仕組みを流用して、
専売権を商家(企業って言った方が良いかな)が権利として買う。
それを「出資」とした。
「ライセンス」の購入を自由化した、つまり株仲間をより開放した。
明治後の株式会社は専売会社としての株仲間を原則として否定した。
つまり権利を買う形での出資ではなく、事業への直接投資を目的とした出資になった。
これにより、ある商品を生産・販売するのは一つの株式会社(株仲間)だけでなく
いくつもの株式会社が他の株式会社と競争する形で市場参入することが可能になった。
商工会議所は基本的に町方の寄合をより拡大して作ったもので、
人と人を繋ぐ場にはなったけどこれが産業の近代化に直接貢献するものではなかったよ。
飽くまで懇親会的性格だった。
渋沢栄一や五代友厚はこのあたりの事に多く絡んでいるね。
一度、イギリスあたりの植民地になったほど良かったのではないかと思う今日この頃です。
>>399 それはまた極論だね。w
そう思うのはなぜ?
明治維新とは、日本史において一番おもしろい時代です。
402 :
日本@名無史さん:03/04/02 16:03
>396
>>薩長が明治初期に行った近代化は、薩長の領地内ですでに実施されていた事
>ハァ?「薩長の領地内ですでに実施されていた事」って何だよ?
長州では高杉晋作が奇兵隊を編成した。これは身分にとらわれずにやる気と能力のあるものなら誰でも参加できた。
つまり軍隊において身分制を否定したのである。そしてこの組織が功山寺の挙兵で長州の正規の武士からなる
軍事力を(人数においては圧倒的な差があったにもかかわらず)打倒したのである。
高杉はその活動資金を長州の商人から得ていた。これもまた後の維新の時に戊辰戦争やその後の新政府における
商人と政治家との関係を先取りしていたことになる。
>>396 当方が言いたかったことを理解できなかったようで。
幕府が組織的に大政奉還を目指して幕府の後に来る政体のために
幕政改革したかのように言われてますが、ちゃんちゃらおかしいよ。
井伊は公武合体で外圧を乗り切ることを考え幕府温存志向だったし、
小栗に至っては幕府再興を目指しいた。
それらが明治政府に少なからず役立ったのがある意味偶然だよ。
彼ら幕府という組織の主体である官僚連中に自己犠牲による次世代への
移行なんて高邁な意識はなかったと思うよ。
404 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:45
>>396 まず藩営の重商業主義、これは幕府にはないもの。
(幕府は商業の許可程度で、直接的に介入することは稀)
石井も辺境型の西南雄藩は、領主の領民に対する統制が強く、
逆にいえば領民の力が、東国に比べ弱く、
これらの行動に介入する力の違いに差があったことも認めている。
教育も、幕末の長州では寺小屋などを1村に一つ作るような体制を作り上げていた。
また藩校も規模を拡大し、その上分校を増やし、藩内へ教育と思想を普及させつつあった。
長州が長州征伐で、封建体制のまま挙国一致体制とでも言うべき状況を作り出したのは、この事が大きい。
幕府は教育などには力を全然入れていなかったのと対称的。
んで大型の反射炉の早期建設、西洋学問の導入、近代兵装への早期転換などなど、
これらは幕府になかったとは言わないが、西南雄藩が積極的に実施していたのを否定するものではない。
>近代的な生産システムが存在した?不換紙幣が流通していた?
>株式会社や商工会議所が存在した?陸海軍は?新聞は?…
どうでもいいけど、幕府はどれもこれをなしあげてないだろ。
それに明治期でなしあげたものとは、影も形も違うぞ。
とうかどこ押せば、こんな妄言が出てくるんだ?
405 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:48
406 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:55
>>405 反論する能力が無いので煽りレスですか?
無能ですねw
405のような一行レスはアホウの証明。
以後スルーということにしませんか?
408 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:42
同レベルなんだからみんな仲良く、な。
409 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:46
>389
どっかからのコピペ?
411 :
日本@名無史さん:03/04/03 01:13
明治金貨大好き
412 :
日本@名無史さん:03/04/03 05:52
>>387 >「政商とつるんで甘い汁を吸える制度などというものはなかった。
政商とつるんでいた汚職藩閥を本気で取り締まった江藤新平はあっさり殺されてしまいましたが何か?
>>412 話の前後があってない。
江藤が取り締まってたのは大名連中じゃなくて長州閥だろ。
それに実質殺したのは金には清廉だった大久保だし。
414 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:20
っちゅかね、メーソンって何よ?
415 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:44
幕末になって寺子屋づくりに必死になるまで、長州は教育が劣っていたのか。
416 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:48
>彼ら幕府という組織の主体である官僚連中に自己犠牲による次世代への
>移行なんて高邁な意識はなかったと思うよ。
ただの憶測。
>幕府は教育などには力を全然入れていなかった
証拠は?
417 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:59
>>404 重商業主義ってなんのことだ?
重商主義のことか?
重商主義の意味がわかっていってんのか?
418 :
日本@名無史さん:03/04/03 15:36
>412
>政商とつるんでいた汚職藩閥を本気で取り締まった江藤新平はあっさり殺されてしまいましたが何か?
これは明治維新がまさに市民(ブルジョア)革命であることを示している。
維新後、志士たちの間で分裂が起こった。
正義感が強く、幕藩体制で苦しんでいた下級武士や貧民たちの生活を救済しないといけないと思っていたものたちと、
俗物的で、新時代の支配階級に上り詰めた市民(ブルジョア)と癒着して、
政治献金をもらい、贅沢な生活をするようになるものたちである。
前者は、貧困を解消したいと願っていたが、倒幕の時に資金提供していた商人たちとは当然敵対することになる。
そこで、倒幕のために軍事力を提供しながら維新後も貧しいままであった
下級武士の反乱に祭り上げられて、政府と対決し、滅んでいったのである。
419 :
日本@名無史さん:03/04/03 16:39
>金には清廉だった大久保だし。
大久保は金には清廉ではなかったよ。
伊藤や井上ほどひどくはなかったけど、
まあ、新政府の中では中間くらいじゃないかな。
伊藤や井上じゃなくて、山縣や井上じゃないの?
伊藤はどっちかというと清廉なほうだと思われ。
421 :
日本@名無史さん:03/04/03 19:22
そうだね。
伊藤は金よりむしろ女遊びが派手だった。
422 :
日本@名無史さん:03/04/03 20:18
>>402 薩長にとって必要だったのは変革への理想ではなく、
不満分子を煽動して社会を騒乱状態に陥れること。
奇兵隊や赤報隊はさんざん利用されたあげく、
戦争終息と同時に薩長によって抹殺されてしまう。
とんだピエロだ。
「身分制の否定」や「年貢半減」といった理想を、
裏切り絞め殺したのは他ならぬ薩長だった…
しかしこのことは別に驚くべきことではない。
薩長は時代の進歩ではなくその逆行を指向してたんだからね。
423 :
日本@名無史さん:03/04/03 20:30
っちゅかね、メーソンって何よ?
424 :
日本@名無史さん:03/04/03 20:36
>>415 寺小屋の数は全国でもトップクラス、(四番目か五番目)人口比で出せばもっと上じゃないかな。
また寺小屋以外の教育機関の数も全国で同じくトップ争いしているね。
>>416 >証拠は?
幕府の公的な教育機関っていったら、昌平黌かな。
質は兎も角、規模は大した事ないんだよね。
幕府という巨大な統治機関を維持するのに対し、小さすぎる。
それに幕府は西南雄藩などと比べ、寺小屋などの普及に力を入れていない。
これは西南雄藩が商業に力を入れていたため、庶民の学力向上が必須だったからなんだけどね。
>>417 あんまり使われないから、知らないのかな。
幕府の農業重視の政策を重農(業)主義といい、その対比として使われる事がたまにある。
西洋での重商主義とは意味がちと異なる。
425 :
日本@名無史さん:03/04/03 20:41
>>422 それが薩長が幕府に勝っている所だよ。
新たな時代の邪魔になると判断したなら、自らの手足だって切り落とす。
今の日本に自らの支持基盤を切り捨ててでも、改革を実行しようというヤツが何人いることやら。
勿論これは非道な行いだろう、だが同時に新政府の強さも評価されてしかるべきだね。
426 :
日本@名無史さん:03/04/03 21:02
>>425 おひおひ、
>>402を読め。
奇兵隊は新たな時代を切り開いた改革者じゃなかったのか?
とすると薩長は「新たな時代」の萌芽を自ら切り落としたことになる。
理想をもたず自分の意見すら口にできない今の日本の政治屋の原型は、
薩長の俗物根性がつくり出したってことだね。
維新後の征韓論者を見ると、西郷や福沢といった、理に明るそうな人たちだ。
彼らが朝鮮侵略を唱えなければならなかったのは、九州人だからではないか。
彼らから見れば、朝鮮は江戸や会津よりずっと近い。
水戸人の攘夷思想は理念に過ぎないが、薩長を始めとする西日本諸藩の危機感は、
それの比ではなかっただろう。
428 :
日本@名無史さん:03/04/03 21:33
429 :
日本@名無史さん:03/04/03 21:37
というか402を見てみたら、新時代を切り開いた改革者なんて言ってないじゃん。
430 :
日本@名無史さん:03/04/03 21:39
続き
実際、江戸幕府にとって、九州諸藩が外国の勢力下に置かれようと、
浦賀から江戸に砲撃されるほどの危機感はなかったと思われる。
薩摩がそれを実感したのは薩英戦争の時だろう。
彼らの対外的な危機感が、明治維新の原動力となった。
そして、強い危機感を持つ地域の人たちが指導者となることは、
薬にも毒にもなった。
日本が独立を保ったのはその薬がよく効いたということであり、
韓国併合は違う文化圏を近いということだけで、
引きずりまわした毒の部分だろう。
432 :
日本@名無史さん:03/04/03 22:52
433 :
日本@名無史さん:03/04/03 22:58
西日本諸藩て征韓論に反対してたの?
434 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:02
危機意識という視点でみるなら、日清日露は明かに危機意識が基盤にあった、
また確かに西国主導だ。
だが昭和期は危機意識ではないな、あれは生活苦や貧困が基盤にあった。
また指導層も東国人主体。
つまり明治=西国
昭和=東国
という図式がなりたつ。
もっと言えば、成功と失敗が明らかに分かれているな。
435 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:06
「危機意識」とやらの定義が不明確すぎ。
用法的には「貧困に対する危機意識」でもなりたってしまう。
もうちょっとイメージを的確に言語化する能力が必要だな。
436 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:06
アメリカ相手なら西主導でも東主導でも戦争すれば負けるだろうな。
437 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:09
>貧困に対する危機意識
ま、昭和期はそゆことだね。
438 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:10
そもそも西主導なら戦争しないような?
439 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:14
>>438 なんで西主導だと戦争しないんだ?
つか、国連脱退したのは西のやつじゃなかったか?
440 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:18
>>439 国連脱退と戦争は直接関係ないよ、それに松岡は脱退には反対だった。
441 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:21
>>440 というか、国内で東の奴に主導権を奪われた西の奴が有能なの?
442 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:28
>>441 確かに東国人の暴走を止められなかった責任はある。
443 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:30
当時の西国人も戦争に反対していたわけじゃないと思うが?
444 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:34
>>442 米内・山本・東条らは戦争を望んでいなかったようだけどね。
445 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:38
>>444 別に彼等は非戦派というわけじゃないよ。
実際対米戦を決意したのは海軍だし、彼等も反対しなかった。
446 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:46
>>445 それで、悪いのは東国人だという結論なのか?
447 :
日本@名無史さん:03/04/03 23:51
敗戦責任の問題だよ、
君だって、日清日露で負けていれば、東国人が無関係だと言わないまでも、
責任は西国にあると思うだろ。
まあ、思わない日本全体の責任だと考えているなら、それはそれで立派な考えだと思うがね。
西も東もあるか
アホばっかりだから負け戦なんぞやったんじゃい
賢い奴ばっかりなら負ける戦なんぞやるかい
449 :
日本@名無史さん:03/04/04 01:02
なんか趣旨がスレタイからずれてきてるので修正キボン。
450 :
日本@名無史さん:03/04/04 02:36
負け戦に突っ込んでいった責任は西国人の松岡洋右にあるんだよ。
独白録で昭和天皇がそうおっしゃってるんだから間違いない。
征韓論政変は征韓論自体は重要じゃないだろ。
その後の江華島事件や台湾出兵見てもいわゆる内治派だって
アジア侵攻そのものを否定してたわけじゃない。
あれは征韓論をきっかけにした単なる権力闘争。
おおまかには使節団組VS留守政府組、薩長閥VS土肥閥。
政変は佐賀の乱に始まり西南戦争に終わる士族反乱をもたらし、
自由民権運動の芽をもたらした。
そして士族による大久保暗殺を最後に、明治維新は終わった。
452 :
日本@名無史さん:03/04/04 15:19
>451
>あれは征韓論をきっかけにした単なる権力闘争。
征韓論の本質は政治路線の対立があったと思うよ。
維新の中心人物の中でも正義感が強く、
倒幕のための軍事力となった下級武士に報いるために、
彼らを正規の軍隊に編入して生活が成り立つだけの給料を与える。
逆に俗物的な人たちは、倒幕の資金を提供した大商人、そして新興の企業家たちと癒着していった。
彼らからすれば旧下級武士はお荷物なのである。
この対立が、征韓論という形であらわになった。
そして後者が勝った。
確かに武士という非生産的階層の解体は、幕府にはできなかっただろう。
徳川家の存立基盤がうしなわれるのだから。
それが出来たのは外圧を直接受ける周辺部の勢力だけだったのだ。
政権を取ったのち彼らは、自らを中心に持っていくために、
中心をずらすのではなく、周辺を押し広げるという方針をとったということだろう。
454 :
日本@名無史さん:03/04/04 23:34
>453
幕府は旗本の俸給削ったりしてましたが
455 :
日本@名無史さん:03/04/04 23:43
>江藤が取り締まってたのは大名連中じゃなくて長州閥だろ。
華族の虚名を貰い、借金を棒引きにして貰ったのが元大名。
政商とつるんで私腹を肥やしたのが藩閥。
藩主を玉に担いで藩内でやってた御家騒動の全国版が明治維新。
456 :
日本@名無史さん:03/04/05 03:49
>確かに武士という非生産的階層の解体は、幕府にはできなかっただろう。
武士が非生産的階層というのはどういう意味でいっているのかわからんが、武士階級が存続していたら悪いのかな。
なんだか 身分制度=悪 みたいなわけのわからん暗黙の了解があるみたいだが。
私はエリート主義者なので、「エリート階層を破壊することは良い」みたいな前提には賛成しかねる。
457 :
日本@名無史さん:03/04/05 05:25
?????????????????????????????????
458 :
日本@名無史さん:03/04/05 05:26
よくもわるくも,社会構造の変化を停滞させる一要因にはなるだろうね.
>456
武士はエリート階層とはいえない。
江戸時代のエリートは各階層にそれぞれいた。
豪農(大地主)、豪商、はては非人頭。
各藩の下級武士は、半農、あるいは他の業種の内職でもしなければ、
生活できなかった(藩財政の破綻により、俸禄が削られた)ので、
必ずしも非生産的階級とはいえないが、
幕府の旗本、御家人はまさに非生産的もいいところだろう。
また、私はエリート主義者ではない。
幕末の幕閣にはかなり優秀な人材が揃っていたが、彼らではその後の国際社会を
切り抜けることは出来なかったと思う。
エリートの立場を尊重することが、国益にかなうとは限らない好例だろう。
460 :
日本@名無史さん:03/04/05 12:06
>>453 >確かに武士という非生産的階層の解体は、幕府にはできなかっただろう
>徳川家の存立基盤がうしなわれるのだから。
論点が錯乱してる。
幕府と薩長の対立は武士階級内での抗争。
薩長は反徳川であっても反幕藩体制ではない。
薩長が意図的に「非生産的階層の解体」を行ったと思ったら大間違い。
また、幕藩体制の「存立基盤」つまり封建的な社会構造は、
既に幕末期には財政的に維持不可能になっていた。
このことを幕府側は的確に理解していたけど、薩長は全く理解していない。
幕府は、欧米に国を開き、近代的な生産様式を導入し、さらに、
封建的な秩序を中央集権的な国家へ止揚することを模索。
このような一連の改革策に誤りはない。
逆に、薩長は当時日本が置かれていた現状を全く理解せず、
将来を展望できる人材も皆無。
近代化の動きに逐一敵対し英国の手先となって内乱を起こす。
薩長は幕府を乗っ取った後に、かつて幕府を悩ましていた問題にぶち当たり、
自己変革を余儀なくされただけ。
461 :
日本@名無史さん:03/04/05 12:26
>>460 激しく同意。ここで薩長を持ち上げている奴らは結果論でしか語ってない。
462 :
日本@名無史さん:03/04/05 12:32
>>459 エリートって言葉理解してなさそう。
最後は、
> 幕末の幕閣にはかなり優秀な人材が揃っていたが、彼らではその後の国際社会を
>切り抜けることは出来なかったと思う。
おもいっきり憶測だし。
463 :
日本@名無史さん:03/04/05 13:20
学校では、幕府側=悪・倒幕側=善と言う風に習ったのだが、
実際は違うの?また何故そういう認識が出来たの?(ま〜勝てば
官軍と言う言葉もあるが・・・)
464 :
日本@名無史さん:03/04/05 13:37
倒幕側はテロ集団であり、放火や強盗、幕府の役人を殺したりして
社会を混乱させていた。
そのような集団が作った明治政府は侵略国家となり、
太平洋戦争にまで暴走した。
>>463 実態は
幕府側=改革派(開国近代化推進)
倒幕派=反動クーデター派(尊皇攘夷)
466 :
日本@名無史さん:03/04/05 13:54
>454
>明治維新を起こさなくても、当時の歴史的な流れから見
>たら、必然的に明治維新的なことが起こっていたはずだが?
明治維新は革命なんです。民主主義社会の政権交代と違って、
これまで支配階級の座にあって、特権を得ていたもの(譜代、親藩、旗本)
が、少しずつ権力の座から退いて市民階級(ブルジョア=大商人)やその立場に立つ政治家と、
段階的に入れ替わるなどということは考えられません。
ある短い時期に一気に対決し、権力のイスに座るものが交代するんです。
467 :
日本@名無史さん:03/04/05 15:00
>>360 >薩長は反徳川であっても反幕藩体制ではない。
幕藩体制の解体は薩長(正しくは長州)の初期からの思想です。
だから君のいっているのは間違い。
468 :
日本@名無史さん:03/04/05 15:06
469 :
日本@名無史さん:03/04/05 15:12
>幕藩体制の解体は薩長(正しくは長州)の初期からの思想です
それは君の捏造性人格障害的な妄想です。
だから君はただの気違い。
470 :
日本@名無史さん:03/04/05 15:33
>>469 廃藩置県関連の著書をあたってみな。
まあこの関係の学者総てキチガイと思っているのなら、君の妄想を否定するつもりはない。
471 :
日本@名無史さん:03/04/05 15:51
煽りにマジレスしてる馬鹿発見!
怒りに震えるブサイク面が目に浮かぶ。w
472 :
日本@名無史さん:03/04/05 16:09
>>464 確かにキチガイ長州の英国公使館焼き討ちなどはアルカイーダを彷彿とさせるね。
こんなのをたたえているのは危ない奴らだよな。
473 :
日本@名無史さん:03/04/05 16:20
倒幕(徳川)と幕藩体制解体を混同してはいけない。
薩摩も長州も禁門の変までは公武一和論で動いており、
当時開設予定であった等族議会政府内でのヘゲモニーを握ろうとしただけで。
廃藩置県や身分制廃止は維新政府成立当初に実権を握った西郷を首魁とする勤皇主義者らが
王制復古による中央集権制を目指しただけで近代国家のそれとはちょっと違う。
西郷体制で辣腕を振るった江藤も元々は君臣一体論を説いた枝吉神陽(副島種臣の兄)の
薫陶を受けた勤皇主義者であり、他の勤皇党と違って攘夷開国派(和魂洋才とでもいうか)
だった点が近代民主義者だと誤って後世に伝えられているだけで、
基本的には法家思想と勤皇主義の人です。
474 :
日本@名無史さん:03/04/05 16:28
>>467 おまえさ、頭悪いんだよな。「初期からの思想です」の「初期」ってなによ?
自分ではわかってるつもりだろうけど。
能なしで内容がないのをごまかすのにワッフルを用いてわざと分かり難い文章を書く売文屋か?
このスレってたまに思いこみの強いヤシが現れるな。
前に明治維新=市民革命論を無理矢理唱えているバカがいたが。
476 :
日本@名無史さん:03/04/05 16:34
>幕藩体制の解体は薩長(正しくは長州)の初期からの思想です。
素朴な疑問なんだけど、「初期から」って何時のこと?
そして、その「思想」において、
1.幕藩体制とはなに?
2.なぜ解体されなければならないの?
3.誰がどうやって解体するの?
4.解体後はどのような体制をつくるの?
5.幕藩体制解体へ向けた綱領となる宣言文はある?
4年前まで奇兵隊の足軽でした
478 :
日本@名無史さん:03/04/05 17:09
初期とは明治政府の初年度を指す。
漠然とした構想としては倒幕前から、木戸日記などに書かれているそうだが、
まだ具体的な形になってないから、判断の分かれるところ。
>>473 木戸と西郷は考えが全然違うよ、西郷は倒幕いがいろくな仕事をしていないが、
木戸はそこからが彼の本来の仕事、んで実行が大久保と。
西郷の考えだけを追っているところが、貴方の落とし穴だね。
つーか西郷は武官の筆頭であって、明治新政府の首魁じゃないよ。
最初に首班に指名されたのだって、木戸だしね(まあ西郷に譲ると断りましたがね、また西郷も断ってます)
その後も病気で引篭るまで、筆頭参議として辣腕を振るっていた。
>>476 1 これは書かれてなかったなあ、辞書的な意味でいいんじゃない?
2 天皇というか中央集権国家への移行に邪魔になるから、また財源の問題が明治新政府が断行した一番の理由。
3 方法論は明治以後に出来あがったわけで、それを事前にあったわけじゃない。
4 だから中央集権国家。
5 宣言文になると、新政府発足後になるね。
>422
>奇兵隊や赤報隊はさんざん利用されたあげく、戦争終息と同時に薩長によって抹殺されてしまう。
>とんだピエロだ。
奇兵隊を組織した高杉晋作は、身分制を否定し、近代化のために倒幕が必要だと思っていた。
そしてその活動資金を商人から得ていた。
しかし多くの奇兵隊員は、そこのところを理解していなかった。
もともと攘夷の為に作られたものだから、尊皇攘夷意識が強かった。
奇兵隊やそのほかの下級武士を倒幕のための軍事力として利用するために、
一部の維新の志士が尊皇攘夷をスローガンに使った。
その志士たちは大商人から資金を得ていた。
維新政府は一部の志士たちと旧大商人、新興の経済人たちが中枢を担った。
あくまで攘夷を求める奇兵隊や下級武士は、利用されたのである。
480 :
日本@名無史さん:03/04/05 17:37
>初期とは明治政府の初年度を指す。
最初からそう書こう。
だったら君は
>>360氏が何をいわんとしているのか理解していない。
467 :日本@名無史さん :03/04/05 15:00
>>360 >薩長は反徳川であっても反幕藩体制ではない。
幕藩体制の解体は薩長(正しくは長州)の初期からの思想です。
だから君のいっているのは間違い。
↑のレスは甚だしい見当違いだということになる。
もう少し行間を読む能力を身につけよう。
>422
>身分制の否定」や「年貢半減」といった理想を、裏切り絞め殺したのは他ならぬ薩長だった…
しかしこのことは別に驚くべきことではない。薩長は時代の進歩ではなくその逆行を指向してたんだからね
薩長を中心とする維新政府は身分制を否定しました。
確かに新たな華族制度ができましたが、これは旧大名や公家たちとともに、大商人、新興の経済人も
華族になれたのです。華族制度における上下が、実際の政治権力とは一致しないのです。
例えて言えば、世襲の勲章みたいなもんです。
482 :
日本@名無史さん:03/04/05 17:41
廃藩置県とか版籍奉還に一番反対してたのは薩長だもんなー。
他の藩、特に「朝敵」に回った藩はむしろ
これ以上の朝敵になることを恐れて積極的に協力した。
でも薩長も抵抗してたのはいわゆる下級武士だけどね。
そりゃあ自分たちが頑張って倒幕に持ち込んだという自負があるのに
「もうキミらは用無し」言われたら反対するだろう。
しかし上層部が私欲だけで動いてたとも思えない。
そりゃあそういう奴もいっぱいいただろうけど、
当時は欧米帝国主義の真っ只中なわけで。
あの一連の急な改革には、国を守ろうという純粋な意思も多分に含まれてたと思うよ。
初期は確かに薩長は攘夷キティだった。
幕府が思い通りに動かないから自分たちがやっちまえという身勝手さ。
でも実際彼らが政権を取ったとき、そこにきちんと責任感が生まれてきたと信じたい。
484 :
日本@名無史さん:03/04/05 18:27
>でも実際彼らが政権を取ったとき、そこにきちんと責任感が生まれてきたと信じたい。
もともとの薩長の目標は、天皇を担いで徳川家を追い落とし、
自分たちが幕府の主になることだった。
しかしいざ幕権を簒奪したところその内情は経済的に破綻寸前、
権力の座を死守するためには、
かつて自分たちが反対した改革路線を実行するしか選択肢はなかった。
歴史の皮肉だね。
485 :
日本@名無史さん:03/04/05 18:29
廃藩置県および版籍奉還は各藩が抱えた赤字を中央政府が一括処理するのが目的で、
その後の華族制度による恩典で旧藩主および上士の生活は保障された。
このドサクサに紛れて貸し剥がし等で荒稼ぎをしたのが勝海舟や井上馨、山縣有朋
といった軽輩連中とそれに群がる政商どもだった、という事で
キレイ事だけでは済まされない。
だからこそ、斬って捨てられた士族階級、刑吏、中小金融業者らの不満が爆発した。
これが明治6年の政変から初期帝国議会までの流れだろう。
廃藩置県の話は前にしたじゃないか。
その時も結局、罵り合いで終わった。
今回も罵倒するばかりで話が噛み合ってない。
一生懸命レスするだけ無駄なので、賢い人はもうレスしてないよ。
その後の時代の流れを決めたのは、明治六年政変だろね。
明治維新を前体制の破壊ではなく新しい時代の創造として見たら
最も重要な事件。
488 :
日本@名無史さん:03/04/05 20:28
>あの一連の急な改革には、国を守ろうという純粋な意思も多分に含まれてたと思うよ。
まあ、一般論として、政治家の行動は、自分の利権と社会の利益を絡ませながら、
決まっていくんじゃないかな。いわゆる清濁併せ呑むってやつ。
489 :
日本@名無史さん:03/04/05 20:42
>483
>初期は確かに薩長は攘夷キティだった。
薩長の中でも一部の指導者は攘夷の不可能を悟っていたが、
倒幕のために下級武士の軍事力を結集するための大義名分として
尊皇攘夷を掲げていた。
そして一部の指導者たちは大商人から活動資金を得ていた。
維新政府が開国和親を宣言したのは当然のことである。
攘夷の実行がそもそも不可能だと思っていたし、
開国して貿易をするのは倒幕のための資金提供をしてくれた大商人の利益にもかなう。
490 :
日本@名無史さん:03/04/05 21:56
明治のお間抜けなお方々がやったことって
小栗が考えていたことばかりだよ。あんなに雁首そろえても
小栗一人にかないもしない。小栗が明治に生きていたとしても
まぁ権力の中枢にいることは1000%なかったと思うが
もしあったとすれば、大久保も木戸もいらんだろうな。伊藤も
いらねえよ!小栗一人で十分だよ。
8回目の失職の後、故郷の権田村に帰った後に、無実の罪で斬首だよ。
えっ!だれか言ってみろよ!小栗の罪をよぉ!
奥羽越列藩同盟に走られては堪らんと考えたヘタレ薩長どもが殺したろ?
だいたい、尊王だと?どこの薩長倒幕派にそんな奴がいた?帝を「玉」等と
考えて、貧乏公家共をそそのかして、「偽勅」の連発!帝をないがしろにしてな!
尊王というのはなぁ!会津藩のことをいうんだよ!
禁門の政変(とは呼びたくはないね。なんせ長州は朝敵だからな!)
の後に孝明帝が会津になにを送ったか知ってるか?
ここを読んでみな!良く分かるぜ!
ttp://www.denkaisui.com/tubuyaki2/index70.html まぁ金で買おうとしたなんて笑わしてくれるぜ!あさましい奴だな!
あんな奴でも後世の人の評価を気にしてたんだな!へっ!
まぁ歴史はなぁ、とかく勝者がキレイに繕いたくなるもんだしな。
大久保にしても木戸にしてもみんな、権力の中枢にたどり着いただろ?
新しい国を作るとか、危機感があったなんてウソだよ。自分達が権力の
頂点に立ちたかっただけなんだよ。市民革命なんてウソだよ!
「王政復古」という言葉の意味をよく考えてみろ!1000年も昔の平安の世が
戻ってくるわけないだろ!
維新なんてものはないんだよ。あったのは王政復古のクーデターだけ!
491 :
日本@名無史さん:03/04/05 22:03
>>480 政府発足と同時に議論されているので、思想的にはもっと前からというのは間違ってないよ。
>>483 いつ長州が反対したのか知りたいね。
薩長土肥の中で、反対していのは薩摩のみ、そして長州は推進派。
492 :
日本@名無史さん:03/04/05 23:32
廃藩置県のアイデアは小栗のパクリ
493 :
日本@名無史さん:03/04/06 00:45
>幕藩体制の解体は薩長(正しくは長州)の初期からの思想です。
でもって、その初期が明治初年か?
明治初年にはすでに幕府はないのだが。
無茶苦茶矛盾しまくってるの自分で気が付いてる?
>>490が一番キティな感じがするんだが。
あ、釣られてる?オレ?
495 :
日本@名無史さん:03/04/06 08:40
........................木戸 大久保 西郷
↓ ↓ ↓
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
< `∀´ >-< `∀´ >- < `∀´ >ヽ
(_) (_)大室寅之祐| | (_)
| | | | ↓ | ∧_∧ | |
| | | | ∧_∧| < `∀´ > |
.| |∧_∧ (´・ω・`)/´ (___)←伊藤博文
| <ヽ`∀´>∪(↑明治天皇) ヽ|/ )
岩倉具視→(_/ ヽ | |___.(⌒\___/ /
| ヽ、\ ~\______ノ|
____| |ヽ、二⌒) \
|\ .| ヽ\..|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
| \ヽ、__ .|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
※明治天皇は伊藤博文の操り人形。天皇だってチョソの伊藤にこき使われるのはもうウンザリだったろう。w
496 :
日本@名無史さん:03/04/06 09:02
幕藩体制そのものを批判する思想は,けっこう早い時点からあったはずで,
それも後期水戸学の中にはっきりある.
たとえば会沢正志斎の『新論』(1835年)とか.
もちろん,薩長も影響を受けていたし,幕府側もそのような動きに敏感だったはず.
このような思想における影響関係を無視して
薩長と幕府とどっちがすすんでいたかを言い合っても,無意味な議論でしょう.
495の言うところ我らチョパリはチョン未満ね
>>494 でも明治初期ぐらいまでの首脳陣は天皇をそこまで神聖視してなかったのは確かだよね。
宮中某重大事件だって山県が昔からの人間だからあそこまで皇族を道具にできたんだろうし。
天皇の権限暴走化、神聖化が始まったのは早く見ても明治後半だろうと思う。
499 :
日本@名無史さん:03/04/06 10:37
でも,伊藤と山県じゃ,天皇を政治から遠ざけるアプローチがちがいますよね.
伊藤のは,天皇をあくまで終始「猿回しの猿」として扱うやりかただけれど,
それだけ天皇が政策決定の機密に関与するのを警戒していたといえる.
もっとも,近代的な発想でそう考えたのかどうかあやしい.
宮中・府中の別がくずれれば「シナの宦官政治と同じになってしまう」という程度の
ものだったかもしれない.
一方,山県は,いってみれば宮中政治家でしょ.
宮中・府中の分離にはそれほどこだわっていたようにはみえない.
天皇が神聖な存在にみえるように荘重な儀式で天皇を飾ることを好んだ.
明治天皇としては,自分をサル廻しのサルあつかいする伊藤よりも,
それなりに存在意義をみとめてくれていた山県のほうに余程好意的だったのじゃ
ないかな.
500 :
日本@名無史さん:03/04/06 10:49
明治維新のことだったら中央大学大学院の岡部敏和に聞けば。彼は高崎
経済大学で原理研運動の中心人物だった男で、逃げるような形で中大に
進学した男。統一教会から見た明治維新史を聞くことができる。
502 :
日本@名無史さん:03/04/06 16:17
>490
>大久保にしても木戸にしてもみんな、権力の中枢にたどり着いただろ?
>新しい国を作るとか、危機感があったなんてウソだよ。自分達が権力の
>頂点に立ちたかっただけなんだよ。市民革命なんてウソだよ!
彼らは権力の頂点に立って何がしたかったのだろうか。実際何をしたのか。
彼らは政治資金を大商人から得ていた。権力の頂点に立って、大商人と新興の企業家たちと癒着して、
かつての領主は権力の座から滑り落ちた。生き残った旧領主は、有力な政治家や大商人、新興企業家と結んだものだけである。
この意味で、明治維新は市民革命といえる。
革命に限らず政治抗争においては、謀略は付き物である。
私は、維新政府を別に美化するつもりはないが、明治維新は市民革命だと思っている。
490氏は、市民革命を過度に理想化していて、実際の権力闘争がどろどろしたものであるとは思っていない
ナイーブな歴史観を持っている。
503 :
日本@名無史さん:03/04/06 16:25
明治維新は市民革命だ!!
でも、外国勢力に煽られたんだよ!!知ってんの?
木戸は権力の中枢にたったら逆に鬱になった人物だと思うけど。
彼は自ら長州閥の頂点に立ち腐敗官僚を庇いながらも、
その事実と自らの良心の呵責に耐えきれなかったんじゃなかろうか。
大久保はその点凄いね。全てを切り捨ててる感じ。
大久保は江藤の殺し方が屑すぎる。
佐賀の乱の詳細知ったら具合悪くなるよ。
506 :
日本@名無史さん:03/04/06 17:12
>>504 木戸・・戦中は手を汚さず大村&高杉に丸投げ。
新政府では長州閥の長として手を汚した
大久保・・何事にも厳しく嫌われていたが、自分にも厳しく
死後の遺産は借金しかのこっていなかったという
伊藤・・たなぼたでトップに躍り出て贅沢三昧
井上・・三井と結託して私服を肥やす
山縣・・暗殺された大村益次郎の跡をなぜか継ぎ
元老となって暗躍
実際のところ
嫌われている奴の方がいい奴だね
507 :
日本@名無史さん:03/04/06 17:27
>506
西郷隆盛...倒幕と廃藩置県の最大の功労者。
大隈重信...有能な政治家ではあるが、三菱をはじめとする経済人との癒着、腐敗もひどかった。
板垣・・・軍人としての才能しかなかったが自由民権運動を始め一躍ヒーロー。
後藤・・・気のいいバカ。
江藤・・・司法や教育の元を築いた極めて優秀な実務家だったが大久保に葬られた。
副島・・・高い教養と理知を持った政治家であり貴重な人材。
大木・・・東京遷都を主導。日和見な印象。
岩倉・・・黒すぎる。
三条・・・お飾り。
509 :
日本@名無史さん:03/04/06 21:47
>>493 だから具体化していない思想としてなら、もっと前からあったんだってば、
ちと古い本だが、『明治維新と郡県思想』を読め。
んで木戸は参与になると同時に、版籍奉還の必要性を説いているわけ。
510 :
日本@名無史さん:03/04/06 21:48
んで、維新に際して徳川埋蔵金がオランダに行っちゃったってーのは
本当かい?
511 :
日本@名無史さん:03/04/06 22:41
512 :
日本@名無史さん:03/04/06 23:09
金銀交換比率が
日本では金1対銀4
外国では金1対銀15
江戸幕府は開国するのはいいが、為替に無知過ぎで大量の金が
日本から消えてしまうことになる。
513 :
日本@名無史さん:03/04/07 02:07
国内的には江戸が金本位制で大坂が銀本位制だった。
江戸政権は銀高を抑止するために何度か貨幣改鋳を行ったが、
幕末期に小栗上野介の献策で貨幣(金)の精度を3倍にした。
これが命取りだったとも言える。
維新後もこの事が問題になったが、パークスと繋がりの深い
井上や大久保は黙殺し、特に井上は一緒になって私腹を肥やした。
こういった経済失政が回復に向かったのは松方デフレ以降で
その際には弾役所管轄下の金融業者の資産が巻き上げられたとも言われている。
514 :
日本@名無史さん:03/04/07 10:45
考えかたを変えると300年も続いた江戸幕府は凄い。結果はどうあれ。
とんでもない統率力。北やフセ○ンどころじゃないよ。
515 :
日本@名無史さん:03/04/07 12:44
維新を一言で言うなら
”祭り”
516 :
日本@名無史さん:03/04/07 13:36
>>512 為替に無知だったのは,ハリスも同様.
要するに,双方とも無知だったが,より無知だった奴(ハリス)の主張が
通ったというのが正解.
517 :
日本@名無史さん:03/04/07 13:41
>>514 そりゃ、江戸以前と比べたら最も豊かな時代だったんだから長く続くべ
518 :
日本@名無史さん:03/04/07 16:10
>>514 あのさ、ただでさえ極東で他所から攻められにくい島国が鎖国までしたら
政権が長く続くのは普通なことぐらい気付けや
地続きで周りを敵に囲まれたイラクや北鮮と比べること自体が間違い
519 :
日本@名無史さん:03/04/07 16:19
>518
あほ。
敵に攻められる事なんて誰が言ってんだよ。
自国の政権がクーデターも起こらず
300年続くのがスゲーって言ってんの。
520 :
日本@名無史さん:03/04/07 16:33
>>519 あわてて無理しなくていいってw
それとも地政学のセンスもないバカかな?
521 :
日本@名無史さん:03/04/07 16:37
>520
でた。笑える。あんた。
言われたらやり返す。センスとかいう資格なし。
面白い。もっとやり返せ!!
522 :
日本@名無史さん:03/04/07 16:39
>>521 まともな反論できなかった時点でおまえの負け
523 :
日本@名無史さん:03/04/07 16:55
>522
勝ち負けとは!
しかもあんた、まともな反論してないじゃん
そもそも514は地理的なことではなく
内政のことを514で言っていたと519で説明しているわけであって、
520はまず論点からして間違っている。
(・∀・)イイヨーイイヨー
525 :
日本@名無史さん:03/04/07 21:09
黒船が来なければ、江戸時代はもっと続いたでしょ。
桜田門外の変も起こらないし、攘夷なんてスローガンもあり得ない。
大名が破産して、幕藩体制が揺らいだかもしれんが。
526 :
日本@名無史さん:03/04/07 21:39
一つの体制が長年続くと必ず政治は腐敗する。
江戸時代が長年続いたのはスゴイと賞賛するような事柄ではないと思うな。
どちらかというと日本人の政治に対する無神経さが歯がゆい感じがする。
527 :
日本@名無史さん:03/04/07 21:58
李氏朝鮮は500年続いているわけだが。
528 :
日本@名無史さん:03/04/08 00:07
金銀の交換比率そのものが大きく乖離してた訳じゃない。
貨幣価値としての交換比率が乖離してただけで。
田沼は良質な2朱銀を作ることで重商主義に移行しようとした。
その後はこの二朱銀より粗悪な一部銀を発行した。(貨幣価値は倍)
メキシコドル銀と一部銀の品質価値はそれほど違わないが
等量交換できたので一部銀に変えてから一両小判にして国外に持ち
出せば三倍以上のドル銀が手に入り、これを繰り替えすだけで富が
築けた。
幕府は小判の価値を三分の一にする事でこれに対応し本来なら
金の流失によりデフレ傾向に行くところをインフレにした。
同じ事を同じスレで何度も繰り返し議論してるな。
530 :
日本@名無史さん:03/04/08 00:11
>だから具体化していない思想としてなら、もっと前からあったんだってば
いつからと聞かれて初期からと答え、
初期とはいつと聞かれて明治初年と答え
明治初年じゃ倒幕の理由にならないと指摘されたら
もっと前かよ
じゃいつからだよ
初期からってのはやめてくれよ
それじゃ堂々回りだぞ
531 :
日本@名無史さん:03/04/08 17:14
>525
>黒船が来なければ、江戸時代はもっと続いたでしょ。
逆に言えば、黒船が来なくてもいつかは江戸時代は終わるということですよね。
>桜田門外の変も起こらないし、攘夷なんてスローガンもあり得ない。
>大名が破産して、幕藩体制が揺らいだかもしれんが。
大名というより幕府が幕末において大幅な財政赤字だったんですよ。
その主な原因は幕藩体制を支えている譜代.親藩.旗本などが
贅沢三昧の生活をして国家財政を食い荒らしていたから。
*1 現実の幕末では、黒船の来航以降開国し、幕府も政治体制や軍備の近代化の必要性を認め、
小栗などが努力した。しかしそのための財源がない。
*2 この穴埋めを大商人の借り入れ、御用金で乗り切ろうとした。
それに大商人が反発し、一部の下級武士と結んで倒幕の資金を提供した。
例え黒船が来航しなくてもオランダを通じて海外の情勢を知り、いつかは
近代化に向けた努力を始めたであろう。そのためには自発的に開国せざるを得ない。
つまり*1 の段階が相当遅れ、それに伴って*2 の段階もまた遅れたはずである。
倒幕のときに下級武士が尊皇攘夷の大義名分の下に軍事力となったのは、
単に思想的な問題ではなく、開国によって貿易が始まり、商人たちが物の輸出で儲け、
国内が物不足になりインフレが起こり、ただでさえ貧しい下級武士の生活がいっそう
苦しくなったという経済的背景がある。
しかし実際の倒幕よりも時代を大きく下れば、もはや誰の目にも攘夷は不可能だと分かるだろう。
そうするといったいどんな大義名分で明治維新が行われていたのだろうか。
532 :
日本@名無史さん:03/04/08 20:06
薩長は密貿易によって多額の利益を得ていた。
そして密貿易はあくまでも幕府の鎖国政策を前提に成立する犯罪。
もしも幕府が欧米と通商条約を結び積極的に横浜港や兵庫港を開港したならば、
薩長は欧米から相手にされなくなり密貿易による利益も消し飛んでしまう。
したがって薩長の立場からは当然「開国反対」という方針が出てくる。
薩長が日本全体の変革を考えていたと言う香具師もいるけど大嘘だね。
薩長という矮小な犯罪者集団が開国政策に反対したのは、
あくまでも自藩の利益を守るため。
533 :
日本@名無史さん:03/04/08 21:53
>532
じゃあ、薩長にとって攘夷はただの大義名分だったわけ?
それだけじゃない気もします。
下級武士が攘夷を大義名分にしてたって解釈もしてる方もいますが
それこそ国を動かす力になるんじゃない??
まぁ、みんなが倒幕!って大義名分たてたから集団思想もありで維新回天に
結びついたとは思いますけどね。。
534 :
日本@名無史さん:03/04/08 23:22
>533
下級武士を二つの勢力に分けて考えてみたら、分かりやすいと思うよ。
尊皇攘夷の大義名分を心から信じていた多くの下級武士と、
攘夷の実行は不可能と知りながら、倒幕のための軍事力として下級武士をまとめるために
口先で攘夷を唱えていた一部の下級武士(後に維新の志士と呼ばれる人たち)。
後者は大商人から活動資金を得ていた。大商人はもちろん開国−貿易に賛成で、攘夷等歯牙にもかけなかった。
だから維新政府は開国和親を宣言し、大商人と結び(後には新興の企業家とも)、
下級武士を見殺しにした。
535 :
日本@名無史さん:03/04/09 01:00
>>530 廃藩置県が倒幕の理由などと言った覚えはないんだけどねえ?
倒幕の理由は、幕府の屈辱∩下手糞外交と、無茶苦茶な国内政治と、
長州に対する侵略や非主流派の弾圧。
つまりこれ以上政権を任せたら、自分も危ないし、国が滅ぶと判断したんだよ。
そもそも思想だけが理由で、藩が動くかアホ。
536 :
日本@名無史さん:03/04/09 01:27
う〜ん、薩摩は際南の外様として、関ヶ原の昔から
綿々と幕府への怨恨を育ててきた下地があるんではないのす・・?
脇からスマソ・。
537 :
日本@名無史さん:03/04/09 08:37
>屈辱∩下手糞外交
岩倉使節団や鹿鳴館のことでつか?
538 :
日本@名無史さん:03/04/09 09:05
>>536 西国外様は今の北朝鮮と同じ。
日本政府のやることはなんでも反対。
日本を転覆するためならどんな謀略でも平気でおこなう。
539 :
bloom:03/04/09 09:09
540 :
日本@名無史さん:03/04/09 13:04
>535
侵略?
朝敵がなにふざけたこといってんだYO!
国が滅ぶ?なにいってんだ!志士と称する不逞浪士の方が
よっぽど国を滅ぼしかねんことをやっていたんだYO!
単に自分達が権力の頂点に立ちたいからやっていただけなんだろ!
541 :
日本@名無史さん:03/04/09 18:18
>538
>日本を転覆するためならどんな謀略でも平気でおこなう。
政治闘争に謀略は付き物。謀略したからといって非難するのはナイーブですよ。
542 :
日本@名無史さん:03/04/09 22:46
>536
長州はそうだけど、薩摩はそんなことおもっとりゃせんやろ。
543 :
日本@名無史さん:03/04/10 00:38
>>542 参勤交代だけで毎年相当な額になったそうだから、怨むなというのは無理だろ。
544 :
日本@名無史さん:03/04/10 00:51
勘違いしてない?
参勤交代で莫大な出費を迫られる、幕府に260年間エラソーに振る舞われる、
その直接の被害者である筈の藩主は、
長も薩も別に倒幕論者じゃないよ。
明治になってからの徳川さんは薩は嫌いだったみたいだけど、長は別に嫌ってない。
だけどその薩も、いくらかテロ支援したかも知れないけど長ほど派手にはやってない。
善悪非難や感情論とは別個のシロモノってことだろうね。
545 :
日本@名無史さん:03/04/10 00:54
薩摩って貿易とか琉球経営でもうけていたらしいけど、
どのぐらいの収入があったんだろう?
546 :
日本@名無史さん:03/04/10 02:25
>無茶苦茶な国内政治と、長州に対する侵略や非主流派の弾圧。
京都放火を計画したり御所に大砲打込んだりしたのは長州ですよ。
つまり逆恨みってことですね。
547 :
日本@名無史さん:03/04/10 04:01
木曽川の治水普請での薩摩の幕府への怨恨は一例、後々まで尾を引きずる
強烈な幕府に対する不信の根。
ただそれは薩摩に限らず、西国外様であればどこも同じような事件はあったと
思われ・・・・
結局、薩摩藩が中央に乗り出していくためには斉彬という気鋭な存在があった
からだと思います。 もちろん外国の侵入というきっかけあっての事ですが。
お前ら話題をループさせてばっかりで、コンセンサスの形成をしようとは思わんのか?
つまらん揚げ足取りばかりだ。
549 :
日本@名無史さん:03/04/10 04:23
>参勤交代
要するに薩摩や長州って日本の端っこから江戸まで定期的に歩かされてた訳ね。
たしかに一種のおしおきだなw
>547
>木曽川の治水普請での薩摩の幕府への怨恨
これどうなんだろうなぁ。
うち、元薩摩藩に仕えてた人間だけれども、木曾三川の普請を誇りに
思うことは多々あれど、幕府に対して恨みを持ったことないよ。
ていうか、そういう”恨み節”な話、生まれてこの方聞いたことないな。
怨恨のソースってある?
もう30年も前のことになるが、名古屋で小学生だった俺は木曽川普請の跡、
千本松原に社会見学に連れていかれた。
そして薩摩の義士たちのエピソードを聞かされた。
当時から俺は歴史好きだったが、郷土の英雄たち(信長、秀吉、家康ら)
の物語に比べると退屈に思えた。
が、より広く歴史を学ぶうちにそのすごさがわかるようになり、尾張人は、
鹿児島の人に足を向けらないと思った。
薩摩のすごさはやはり、圧倒的な実行力だと思う。
それがなくしてはあの工事は成功しなかっただろう。
幕末においても、薩摩が動いて収束に向かった。
あの不安定な時代が続いていれば、日本はどうなっていたかわからない。
薩摩の行動にケチをつけようと思えば、いくらでも出来る。
しかしそれは、競技者に観客がブーイングするのに似ている。
実行し成し遂げた者に対し、何かを失った者は大きな声でクレームをつける。
が、与えられた者は何も言わない。
人は奪われることに敏感で、与えられることには鈍感だから。
>550
怨恨のソースは自分たちの怨恨を規準にしているのです。
あなたのその誇りに自信を持ってください。
鹿児島の人に足を向けて
552 :
日本@名無史さん:03/04/10 12:11
>550 鶴丸城、江戸藩邸の火災と東叡山本堂の工事に相次ぎ
木曽川治水言付については幕府の見積りでは10〜15万両、
実際は30万両の巨費になったと・・・理不尽な命令に幕府と一戦
との激論もあったらしいですが、家老の平田以下15名は
多くの犠牲者と藩の財政を圧迫した責任をとって自刃・・・・。
「木曽川を忘るっな!」は合言葉のようになっていたと・・・・
書持でのソースではないので・・・こんなとこですが、他にちゃんとした
資料あれば、また書き込みします。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
557 :
日本@名無史さん:03/04/10 12:45
スレ読んでないkedo必然的に起こることで笑った(’▼’)
558 :
日本@名無史さん:03/04/10 20:21
鹿児島人は跪いて尾張人の足をお舐め!
>552
理不尽な普請命令で、幕府と一戦すべしという空気になったのは知ってるし文面でも残ってる。
薩摩藩は既に大阪の商人達に多額な借金があった(約70万両)ため、普請にかかる当初の予算の
工面すらつかず、加えて難工事によって当初の見積もりよりも増えてしまい、更なる借金の工面に
奔走したが、商人達に蔑まれ自刃した人もいた。幕府の役人の度重なる嫌がらせに対し、抗議の
意味での自刃をした人もいた。加えて赤痢で病死した人もいた。
この辺は幕府に対し怨恨を生んだだろうな、とは容易に想像がつく。
でも、誰かがやらなきゃならんかった工事であったことは確かで、幕府と一戦交えたところで
鹿児島が戦場になることは必至であり、これは何も生むものはないわけで、それなら一戦交えた
つもりで木曾三川流域の住民たちに喜んでもらえる仕事をした方が良い、それが薩摩武士だろう、と
みんなを説得した平田靱負公の姿勢にまず尊敬する。
で、中学生の時に大垣市に招かれて実際その土地に行ってみたことがあるのだけど、
自分達の先祖の偉業にただただ驚くばかりだった。
話で聞いたり本を読んだりして知って想像してたレベルとスケールがあまりにも違う。
仮に怨恨なんかを抱いていたとしても、そんなちっぽけなものはどこかに吹っ飛んで
いくような雰囲気を持ってたね。
まー、結果として幕府はその薩摩藩によって倒されてしまうのだけれど、これは歴史の
流れでたまたまそうなっただけで、木曾三川工事の恨みがちびっとの要因には
なったかもしれないけれど、原動力にはなってないと思うよ。
薩摩藩が起こしたのは不甲斐ない幕府に対するクーデターであって、恨みによる謀反ではないからね。
>552
ゴメン、
>「木曽川を忘るっな!」は合言葉のようになっていたと・・・・
これを聞いたことないのよ。ウチにも伝わっていない。
ソース見つかったら教えてね。
561 :
日本@名無史さん:03/04/11 15:49
参勤交代で幕府を恨んでいたなんて、被害妄想ですね。
参勤交代で貧乏になったのは、薩長に限らず当時の外様大
名全員でしょ?むしろ、薩摩は密貿易で稼いでいたじゃな
いですか。幕府だってそれを知っているから木曽川の工事
を命令したんではないですか?
自分達が行っている事を棚に上げるのは、良くないよ。
563 :
日本@名無史さん:03/04/11 23:41
木曽三川の工事は今に至っても度重なる増水災害に耐え、
しっかりとその役を担ってる・・・ 感慨深いな。
>552 うん、怨恨が薩摩の中央進出に左右したというより、
それさえ乗り越えて、どうにかせにゃならんと斉彬を思わせたほど、
幕府が弱体化していた・・・・と考えるべきかもね。
「木曽川を・・」の下りはたしか、池波か津本かの小説のなかに
引用されてただけなんだよね・・・ちょっと調べてみるよ。
564 :
日本@名無史さん:03/04/13 00:28
>政治闘争に謀略は付き物。謀略したからといって非難するのはナイーブですよ。
共産主義者が喜びそうな理屈だな
ポルポトもスターリンも批判できなくなるぞ
565 :
日本@名無史さん:03/04/13 00:31
ポルポトやスターリンが批判されているのは、謀略を駆使したからじゃあるまいに。
ポルポトはよく知らないけど、
スターリンは謀略と粛清によって権力を握ってる。
他人の成果を謀略で略奪した点、
権力掌握後、徹底的な歴史の偽造を行った点などで、
スターリンと薩長は酷似してるよ。
567 :
日本@名無史さん:03/04/13 10:45
歴史の偽造というか、自分の都合のよい部分だけ誇張したり、
そうでないところ隠蔽したりというのは、江戸幕府もさんざんやったし、
現代でもおこなわれている。
というよりも、権力=正当化された暴力とすれば、全ての権力は正当化のために、
歴史の改ざんを行っている。
薩長はスターリンと違って、粛清の名のもとに大虐殺を行ったわけではない。
現に薩長に不満をもっている人の子孫が生き残って、
こうしていまだに文句いってるのだから。
あなたにもたぶんスターリンに酷似している部分があると思うが、
そんなことはとるにたらないことなので、誰もいわないだけだよ。
568 :
日本@名無史さん:03/04/13 10:49
そうだよな、世界の歴史と見比べてみても日本の革命である
明治維新はほぼ100パーセントの大成功例じゃないかな?
569 :
日本@名無史さん:03/04/13 11:27
小栗
570 :
日本@名無史さん:03/04/13 13:28
>>568 軍国主義に突っ走って、なんで大成功なんだよ。
571 :
日本@名無史さん:03/04/13 13:46
>>570 ドイツ、イタリア、ロシア、日本、
近代化が遅れた国は果然そうなる。
>>568 名誉革命が名誉だとすれば明治維新も結構名誉。
572 :
日本@名無史さん:03/04/13 16:46
維新での流血がすくないのは、新政府成立に松平春嶽や徳川義勝、慶喜が協力
したからだろう。薩長のおかげではない。
573 :
日本@名無史さん:03/04/13 17:47
>>570 軍国主義の国なんて存在しないよ。
そんな米国の宣伝を信じてしまっているお馬鹿が未だにいるんですね?
574 :
日本@名無史さん:03/04/13 19:01
明治維新が大成功な革命であるからこそ、バーク狂信者且つ、エリート主義者の私にとって許せない出来事である。
明治維新によっておこなわれた徹底的な階級破壊は現代、否これからも、日本全体に害毒を垂れ流していくのである。
575 :
日本@名無史さん:03/04/13 19:15
全ての高貴なるもの、高貴なるものを敬うものにとって、明治維新などという茶番は吐き気を催すもの以外の何物でもないのだ。
明治維新、それは決して、高貴なるものの内裏に入ることの許されない賤しい俗物どもが嫉妬でひきおこした高貴なるものを貶めようとし、国家全体を静かに破壊しようとする負の運動である。
明治維新を賛美するカルト信者の低レベルな俗物どもに「理解する」などということは不可能である。そのように生まれついていないのだ。
俗物どもは云う
「俺はたくさんの本を読んでいる」
「俺は一流大学卒業だ」
だからなんだというのだ?そんなものは全くの無駄にすぎない。
雑草にたくさん且つバラエティに富んだ肥料を与えても、所詮雑草にすぎない。
どんなに背伸びしたところで雑草は雑草、俗物どもは俗物なのである。
576 :
日本@名無史さん:03/04/13 19:21
高貴なるものの使命は雑草どもが所詮雑草にすぎないことを理解しなければならない。
そして、彼らに多くの養分をあたえることを否定し、停止することに全力をそそがなければならない。
彼らが肥沃な土地に生えること、肥沃な土地に占めることを許してはならない。
そのようなことは彼らにとって「分不相応」である。
そのようなことを許していては高貴なるものはしっぺ返しをくらうのである。
577 :
日本@名無史さん:03/04/13 19:23
乞食坊主の子孫である徳川家康が造った幕府が高貴なるものとは思えないが
578 :
日本@名無史さん:03/04/13 20:03
>576 それを現代社会で実践するには、また維新並のクーデター
が必要なんじゃないのかな がんばれよ・・・・
579 :
日本@名無史さん:03/04/13 20:09
>572
>維新での流血がすくない
戊辰戦争における戦没者数---13000人
西南戦争の戦没者数---14000人
日清戦争の戦没者数---13000人
上の数字を見て、維新の流血が少ないと思うかどうかはそれぞれの主観だけど、
近隣の外国が軍事介入したフランス革命と比べると、おそらく少ないでしょうね。
>日清戦争の戦没者数---13000人
はぁ?
>>574 金で爵位を買ったバークがエリートとは思えないんだが。
というか、イギリスや江戸幕府に共通した封建身分階層の崩壊が
維新を招いたとは思わないのかい?
「世事見聞録」の記述によると享保年間には御家人株の売買で
金貸しの子弟が武家の子弟を押しのけて与力や同心になっていたそうじゃないか。
だからこそ卒族や神人といった階層の人間が窮乏化した足軽と組んで
天皇親政による自身の復権を企図したんだろうが。
途中で欧米派が主導権を握ったので近代革命と捉えられがちだが、
元々は建武の中興に比すべき復古劇なわけだ。
どちらかというと非人身分出身者や民間人でも幕吏の職を与えた江戸政権の方が
身分制の観点でいえば余程近代的だったわけで。
明治政府も人材がいないので渋々こういった幕府の路線を踏襲しただけ。
582 :
日本@名無史さん:03/04/13 21:45
全ての高貴なるもの、高貴なるものを敬うものにとって、明治維新などという茶番は吐き気を催すもの以外の何物でもないのだ。
明治維新、それは決して、高貴なるものの内裏に入ることの許されない賤しい俗物どもが嫉妬でひきおこした高貴なるものを貶めようとし、国家全体を静かに破壊しようとする負の運動である。
明治維新を賛美するカルト信者の低レベルな俗物どもに「理解する」などということは不可能である。そのように生まれついていないのだ。
俗物どもは云う
「俺はたくさんの本を読んでいる」
「俺は一流大学卒業だ」
だからなんだというのだ?そんなものは全くの無駄にすぎない。
雑草にたくさん且つバラエティに富んだ肥料を与えても、所詮雑草にすぎない。
どんなに背伸びしたところで雑草は雑草、俗物は俗物なのである。
583 :
日本@名無史さん:03/04/13 21:46
高貴なるものの使命は雑草どもが所詮雑草にすぎないことを理解しなければならない。
そして、彼らに多くの養分をあたえることを否定し、停止することに全力をそそがなければならない。
彼らが肥沃な土地に生えること、肥沃な土地に占めることを許してはならない。
そのようなことは彼らにとって「分不相応」である。
そのようなことを許していては高貴なるものはしっぺ返しをくらうのである。
明治維新が大成功な革命であるからこそ、バーク狂信者且つ、エリート主義者にとって許せない出来事である。
明治維新によっておこなわれた徹底的な階級破壊は現代、否これからも、日本全体に害毒を垂れ流していくのである。
584 :
日本@名無史さん:03/04/13 21:54
585 :
日本@名無史さん:03/04/13 23:30
>567
西郷やら何やら粛清しておいて良く言うよ(藁)
586 :
日本@名無史さん:03/04/13 23:34
>>566 謀略を駆使したことはマイナスじゃあるまい。
むしろ美点といっていい。
酷似しているというなら、それは誉め言葉だよ。
587 :
日本@名無史さん:03/04/13 23:34
>>581 >>574のどこに「バーク=エリート」と書いてある?読解力のない馬鹿ですか?
それにエリートの定義がわかってないことが垣間見えるね。
588 :
日本@名無史さん:03/04/14 00:15
>>586 謀略といえばナチスや北朝鮮もそうだね。
そしてナチの第三帝国もスターリンの国家も、
薩長の「帝国」同様にみごとに破滅してる。
北チョソもいずれ必ず破滅するだろう。
謀略はその政権に力や正統性を与えるわけではない。
謀略に頼るのは美点ではなくむしろ弱さの裏返しなんだよ。
589 :
日本@名無史さん:03/04/14 00:32
>>588 アメリカもイギリスも二枚舌外交と謀略を駆使しましたが?
その結果昭和期の日本は負けました。
謀略が下手糞なのは、自らの政治能力不足しているだけで、力や正当性があるわけじゃない。
無能者がいいわけしているだけだね、情けないったらありゃしない。
590 :
日本@名無史さん:03/04/14 00:36
>572
>維新での流血がすくない
沖縄戦、広島・長崎の原爆、東京大空襲等々の流血もある意味維新の産物。
近代日本の出発地点において、
カルト集団に安易に権力を投げ出したことの影響は、
もっと長期的視点で計測すべき。
591 :
日本@名無史さん:03/04/14 00:38
世間では頭を使わない人間を馬鹿といいます。
謀略を使えない香具師=馬鹿。
592 :
日本@名無史さん:03/04/14 00:50
>>590 それは極論的結果論だ。その論法だと、維新の産物として
大東亜戦争が起こり、それに敗北したから高度経済成長が
あったとまで言えてしまう。ナンセンス。
593 :
日本@名無史さん:03/04/14 12:23
国内の謀略家がそのまま国際社会の謀略に通用するとはいえないぞ。
国内で手段を選ばない人間は、外国の謀略家の手先になって売国的所業に
及ぶ事が多い。ドイツのビスマルクは外交で辣腕を振るったが、国内では
節度ある行動を取っている。イギリスと勝手に手を組んで権力を握るのは
売国行為だろう。
594 :
日本@名無史さん:03/04/14 21:59
>>590 世界が帝国主義経済で動いていたのも明治維新のせいにするんですか?
まったく軽薄過ぎるよ、オマエ。
もっとよく考えてから文章を書くように。
これは命令です。
595 :
日本@名無史さん:03/04/14 23:11
>カルト集団に安易に権力を投げ出した
つまり徳川十五代将軍が一番悪いという結論でつね
596 :
日本@名無史さん:03/04/15 00:50
>>593 それはちょっと違うね薩長は外国に利権を殆ど譲ってない。
それどころか、幕府が借款で近代化させようとしていたものも、半植民地化の恐れがあるとして、
政府や民間資本に切り替えている。
どっちかといえば、力だけ借りて、利権を渡さない汚く、そして非常に上手い手法かと。
597 :
日本@名無史さん:03/04/15 00:53
近代天皇制イデオロギーの根幹を成す皇国史観は、薩長土肥の明治政府によって悪質なプロパガンダに利用されましたが、その本質は「西日本=善玉、東日本=悪玉」という構図にあります。
それは、日本史が朝廷を中心とした近畿とそれに反抗して来た関東との対立抗争の歴史だったからです。
皇国史観で忠臣あるいはよく言われる人物で西日本と関係が深い人物には、中臣鎌足、和気清麻呂、坂上田村麻呂、日野資朝・俊朝、名和長年、楠木正成・正行、豊臣秀吉、大石内蔵助、吉田松蔭、桂小五郎、高杉晋作、坂本竜馬、大久保利通などがいます。
それに対して、皇国史観で逆賊あるいは良く言われない人物で東日本と関係が深い人物には、アテルイ、平将門、源頼朝、北条政子、北条義時、北条高時、足利尊氏、徳川家康、柳沢吉保、近藤勇、土方歳三、松平容保、河井継之助などがいます。
高慢な西国人(西日本人)がつくった明治政府は、皇国史観によって、我々東国の先人達を悪人として宣伝し、国民にそう吹き込みました。我々東国人(東日本人)も、いつのまにかそれに洗脳され、郷土の偉人達を悪人だと思い込まされて来ました。
これは我々東国人(東日本人)を侮辱するものに他なりません。これを読んだあなたが東国人(東日本人)であるならば、こんなデタラメな歴史観の復活を、絶対に許してはいけません。
戊辰戦争の頃、清水港に漂着した幕府軍戦死者の遺体収容を官軍が禁じ、そのまま晒しておくようにと命じたとのこと。
会津城下じゃ、本当に晒したのですよね。一ヶ月くらいでしたっけ。
しかし、身内の屍が、犬に食われカラスにつつかれ、朽ち果てていくのを毎日見るのは、どんな思いでしょう?
我らアズマにとって、サイゴク人が明治簒奪によって作った国民国家日本と日本近代とは、自虐の屈辱的歴史でしかないのです。
アズマ過去ログ保存所
http://www.interq.or.jp/www-user/hhpk/
599 :
日本@名無史さん:03/04/15 00:59
>>596 明治政府も外国から借金をし外国人技師を雇って、
鉄道や軍隊を整備したんだよ。
明治政府が行ったことは全て幕府の二番煎じ。
600 :
日本@名無史さん:03/04/15 01:00
>597
千島をロシアからもらった。
601 :
日本@名無史さん:03/04/15 01:02
領土としての価値
樺太>>>>>>>千島
602 :
日本@名無史さん:03/04/15 01:16
>599
幕府の目指す近代化は、譜代.旗本などの財政特権には手をつけなかった。
これを削減すれば財政に余裕ができたはずだ。
幕府は大商人に目をつけ、御用金や貸付の増加で近代化の費用を捻出しようとした。
これが進めば、大商人は破滅するか、それが嫌なら幕府に反抗するしかない。
こうして討幕運動に大商人はひそかに資金を提供するようになった。
603 :
日本@名無史さん:03/04/15 01:24
>>599 銀行からの借金で政府間の借款じゃないんだけど。
604 :
日本@名無史さん:03/04/15 01:38
明治政府は幕府の2番煎じかもしれないが、
だからそれの何が問題なのかと。
幕府の最大の問題点は身分制に立脚した人材登用の仕組みであり、
明治政府は藩閥政治も現出したが、「勉強すれば農民でも出世できる」
という側面があったのも事実。これだけで維新は価値あるものと言える。
605 :
日本@名無史さん:03/04/15 01:43
>>603 例えば幕府のフランスからの600万ドルの「借款」も、「銀行からの借金」。
英国オリエンタル・バンクと仏国ソシエテ・ジェネラールから借り入れたもの。
薩長は担保としてフランスに国土を差し出したとデマをながしたけど、
これは事実無根。
606 :
日本@名無史さん:03/04/15 01:48
>>605 借款と借金の本質的な違いも理解していない厨房ですか?
607 :
日本@名無史さん:03/04/15 01:54
608 :
日本@名無史さん:03/04/15 02:11
金の流れは
フランス銀行→フランス政府→日本
イギリス銀行→日本
金の出所は基本的に問題ではないんだよ。
問題は金を借りた相手がどこかという点に尽きる。
当然鉄道建設の費用を、英政府からの借金ではなく、英国銀行から借り入れたのには理由がある。
借款の場合利息が低い場合が多いが、その変わり返済不能にならずとも、
代償として何らかの利権を融通しなくてはならない。
銀行から直接借り入れる場合、銀行がリスクを背負う為、
利息こそ高いが、政治的な圧力をかけられる心配がなく、植民地化されるリスクは減る。
どちらがいいかは判断の分かれる所だが、新政府が植民地にされるのを極力恐れていた事を示すものだね。
また戊辰戦争の最中でも、長州は一切外国から金を借りていないし、薩摩も僅かだが。
旧幕府よりの諸藩は、そんな事気にせず借金を重ねていたのも、明かな差として残っている。
だから確実に政権を握った明治新政府は、すぐに外国からの借金禁止している。
609 :
日本@名無史さん:03/04/15 02:55
幕府が殖産興業のためイギリスの銀行から借金をしたとたん、
パークスにそそのかされた薩長が内戦を起こす。
展開次第では資産差し押さえを口実に英仏に軍事介入されてもおかしくない事態だ。
「新政府が植民地にされるのを極力恐れていた」どころか、
最大の植民地化の危機をつくり出してる。
610 :
日本@名無史さん:03/04/15 02:58
そして維新後も律儀に返済した、と。
これは確かに評価出来る点だ。
611 :
日本@名無史さん:03/04/15 03:52
>>608 >英政府からの借金ではなく、英国銀行から借り入れたのには理由がある
政府借款も民間借款も本質は同じ。
金融資本と国家は表裏一体なんだよ。
>戊辰戦争の最中でも、長州は一切外国から金を借りていない
戊辰戦争期が膠着して長期化したら、
薩長は英国の資金援助を受けてただろうね。
>確実に政権を握った明治新政府は、すぐに外国からの借金禁止している
明治政府は鉄道敷設などの社会資本整備ため外債(つまり借金ね)を発行してる。
さらに日露戦争などは戦費の半分をイギリスからの借金で調達してる。
実態は借金禁止どころか借金しまくり。
612 :
日本@名無史さん:03/04/15 03:53
>>610 もともと十分返済可能な借金だったんだから、
薩長の功績ではない。
むしろ幕府が残した巨大な経済的遺産を評価すべき。
水かけ論、不毛なロジック遊び、堂々めぐり、
コンセンサス形成能力の欠如、小局的な党派争い、
もはや筆にも墨にも及びがたい。
614 :
日本@名無史さん:03/04/15 09:51
>490
小栗の罪は一言で言えば幕府を「天下様」から関東の一地方政権に、
自ら貶めたことにある。
小栗の経済政策は国際相場に近づけるためとはいえ、銀の暴落を誘うもので、
それによって起こる西日本経済が受けるダメージへの配慮はなされていない。
いう事を聞かない奴らはどうなってもいいというのであれば、
それは政治とはいえまい。
有能であり、無念の死を遂げたというだけで、美化し過ぎるのは、
どうかと思う。
>政府借款も民間借款も本質は同じ。
厨房決定
616 :
日本@名無史さん:03/04/15 13:04
薩長は粛清を行ってはいないが
会津藩丸ごと下北半島のどえらい地に斗南藩として
一藩丸ごと流罪としましたよね。
あれは綺麗な行いですか?
実石50万石といわれた会津藩を実石5千石以下の
場所に送り込むんですからねぇ。
明治時代に鉄道を敷設したときも、わざと会津若松を
外していますし、会津戦争後、会津側戦死者に手を触れること
を禁じていましたからね。さすが維新の英傑達だよ。へっ!
617 :
日本@名無史さん:03/04/15 14:18
廃藩置県は偉業だ。幕府には絶対にできない。
ただ、明治政府が私利私欲に走る政治家を排除できなかったことは汚点。
大久保と江藤が組めれば最強だったであろう、残念でならない。
618 :
日本@名無史さん:03/04/15 14:48
四民平等政策による身分撤廃を謳っておいて
結局、華族や士族など名前を変えただけに終わった。
広く会議を起こし・・・と議会制度を訴えているのに結局
藩閥政治が長く続いた。
廃仏毀釈運動で多くの文化遺産が喪失した。
619 :
日本@名無史さん:03/04/15 15:52
>618
>四民平等政策による身分撤廃を謳っておいて結局、華族や士族など名前を変えただけに終わった。
政府の役人はいろんな人たちから成り立っていた。かつての大名や上級武士が権力の座から引きずりおろされ、
華族や士族と名を変えて残った。
>広く会議を起こし・・・と議会制度を訴えているのに結局藩閥政治が長く続いた。
フランス革命でも、恐怖政治の時期があったり、ナポレオンの帝政下で一種の軍事独裁政治が行われ、かつての貴族が一部復権してきたり、
いろいろと紆余曲折があるんだよ。
620 :
日本@名無史さん:03/04/15 17:12
>617 江藤の首級はプロマイドにされ売り出されたらしいけど
需要があっての事なんだろうか・・どれだけの人があれを買ったのか
気になる。
621 :
日本@名無史さん:03/04/15 18:44
>廃藩置県は偉業だ。幕府には絶対にできない。
いまどきこんなこと言ってる馬鹿がいるのか
623 :
日本@名無史さん:03/04/15 19:57
>>606 はやく借款と借金の本質的違いを説明しる
624 :
日本@名無史さん:03/04/15 21:06
>617
>明治政府が私利私欲に走る政治家を排除できなかったことは汚点。
戊辰戦争の時に大商人から資金援助してもらってたからね。
井上は三井、大隈は三菱との関係が深かったけど、ただただ大商人や新興企業家
におもねっていたわけではなく、癒着しつつ彼ら政治家なりに天下国家を考えて、
政策を実行していった。まあ、清濁併せ呑むって感じかな。
625 :
日本@名無史さん:03/04/15 23:44
日本が何百年もの年月をかけて培ってきた、世界に誇る無形の財産である、公家文化や武士階級を破壊した明治維新を賛美する輩は日本に嫉妬する在日朝鮮人か、キチガイ全体主義者、共産主義者、薩長の俗物,
卑しい賎民どもだけであろう。
これらを失ったことによって日本が被った損失は計り知れない。
昨今の不景気などこれにくらべたらなんでもない。
明治維新という間違った出来事のために、我々は自らの先祖から断絶した忌まわしい未来を歩まざるを得ないのだ。
626 :
日本@名無史さん:03/04/15 23:59
>>596 >樺太をロシアに明け渡した
>>597 >千島をロシアからもらった。
ハァ?
千島はもともと日本領だよ。
千島列島の一番北の端まで幕末には日本の守備隊がいた。
その日本領の千島をなぜ日本領の樺太と交換なんだよ。
明治政府が樺太割譲の失態を誤摩化すために「交換」と呼んだだけだろ。
しかもこの時「交換」と呼んだために後に千島まで「もともとロシア領だった」という事実無根の言い掛かりで奪い取られることになった。
薩長は私怨から謹慎している会津藩を無理矢理内戦に引き出して、その間にロシアに国土を奪われた。
廃仏毀釈は別に政府主導じゃなく神道派が暴走しただけだろ?
政府が出したのはあくまで「神仏隔離令」なはずだが。
628 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:02
馬鹿な質疑だ、双方とも
629 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:07
>626
薩長は売国奴だね
630 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:20
>627
そもそも神仏を分離しなければならない理由がない。
民衆が神仏習合を信心したければ、それを無理に分けろというのは大きなお世話。
631 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:22
>>629 売国なら切り売りした代金が日本に入るはずだが、樺太、千島の場合、薩長の不手際で全くタダでロシアに取られた。
632 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:31
>626
えっ、じゃあ樺太も千島も元々日本のものだったんですか。
633 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:35
驚愕の新事実!!
能 無 し 薩 長 の た め に
日 本 は 領 土 を タ ダ ド リ さ れ た !
634 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:45
日本の歴史とは切り離せない仏教を徹底的に破壊したのが徳川(幕府)
口の悪い人は現在の本山末寺制を「やくざと変わらない」とか言うが
これを作ったのは幕府。末端の寺院まで政権の手先なんてのは
極めて特殊な例。
すでに本来の仏教は破壊されてた。
徳川狂信者って仏教なんてどうでも良い癖に持ち出すなよ。
廃仏毀釈はね、神仏分離令が発端とは言え別物として捉えた方がいいと思うよ。
政府が神道を国教化したかった理由はまあ天皇の権威づけですな。
神仏分離令によって確かに寺院は滅亡の危機にたった。
でもそれだけじゃ寺院や仏像破壊にまではいかない。
そうなってしまったのは寺院や僧侶の贅沢傲慢、民衆に対する収奪も理由の一つ。
廃仏毀釈運動には神官だけではなく民衆も多数加わっていたことを忘れてはならない。
636 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:50
>>634 徳川が何をしようが、神仏を分ける意味はなかったんじゃないか?
637 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:50
>>623 あれで理解できなかったの?
政府と民間資本の違いが分からない人はちょっと救いようが無いなあ。
>政府借款も民間借款も本質は同じ。金融資本と国家は表裏一体なんだよ。
アフォだなあ、なんで態々事前にあった各国からの借款を断ってまで、
銀行から直接借りたと思ってんの。
>戊辰戦争期が膠着して長期化したら、薩長は英国の資金援助を受けてただろうね。
借りていないという事実に対して、長期化したら借りたかもという仮定で答えられても、答えようがないです、
というかこれってトンデモ論理じゃなかったっけ?
>さらに日露戦争などは戦費の半分をイギリスからの借金で調達してる。
これも全て銀行に国債を買ってもらったのであって、英国政府に買い支えてもらったわけじゃないよ。
638 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:53
日本最古の足利学校も明治になって廃校になったな・・
639 :
日本@名無史さん:03/04/16 01:10
廃仏毀釈は元禄年間に制定された寺壇制度への反動。
結局は本願寺派の巻き返しによる神道勢力の政権追放と
密教系寺院の没落あるいは神社化という結末に相成った。
いうなれば、維新政府内での内ゲバですな。
640 :
日本@名無史さん:03/04/16 01:15
廃仏毀釈は徳川と懇意だった仏教勢力の打倒とも聞いたが?
だから新政府よりの宗派(西本願寺だったかな?)には影響がなかったらしい。
641 :
日本@名無史さん:03/04/16 02:10
>>606 >>637 「借款と借金の本質的な違い」=「政府と民間資本の違い」
と思いこんでるけど、おまえ救いようのないヴァカだろ。
借款も借金の一種。国際間の借金を借款と呼んでるだけ。
政府であろうと民間であろうと借款は借款だ。
>これも全て銀行に国債を買ってもらったのであって、英国政府に買い支えてもらったわけじゃないよ。
だからなに?
外債も借金であり、明治政府は借金まみれという指摘し対する反論になってないよ。
「銀行」が「英国政府」の植民地政策とどうかかわったかを勉強して出直してこい。
642 :
日本@名無史さん:03/04/16 02:30
薩摩は真宗御法度の地で、真宗の本願寺派との繫がりが深いのは
僧月性が活躍し、江戸幕藩体制下でも本願寺を擁護し続けた長州。
密教系でも幕藩体制下では分断政策で互いに反目させられた。
だから修験僧を中心に勤皇運動が展開されたが主流たりえなかった。
この辺が維新政府内における密教系勢力の発言力の弱さと
その後の停滞の最大の原因。
643 :
日本@名無史さん:03/04/16 07:11
イギリスの阿片戦争の手口を考えたら、民間資本だから安心などと思うのは
おめでたすぎる。
644 :
日本@名無史さん:03/04/16 20:02
645 :
日本@名無史さん:03/04/16 20:07
>>631-633 なぜかこの事実は一般にはあまり知られてないね。
もしも、薩長ではなく幕府が樺太を手放してたら、
薩長やそのお抱え歴史屋は鬼の首を取ったように騒ぎ立ててたはずなんだけど、
薩長が行った売国行為については巧妙に隠匿され、
白を黒と言いくるめる歴史の偽造がまかり通ってきた。
646 :
日本@名無史さん:03/04/16 20:11
647 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:05
>>641 >と思いこんでるけど、おまえ救いようのないヴァカだろ。
違いが理解できないお前がバカ、
また借款は基本的に政府間の場合にのみつかう。
>外債も借金であり、明治政府は借金まみれという指摘し対する反論になってないよ。
今度は国債も借款も同じというつもりか?
壊れたとしか思えないねえ。
それも戦時国債だしなあ。
>「銀行」が「英国政府」の植民地政策とどうかかわったかを勉強して出直してこい。
それなら銀行からの借金で、領土を租借された事例でも出してみな。
648 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:07
黒衣運動って何?
649 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:13
なんだ江戸時代に結ばれた条約で
千島列島はロシアのものとされてるじゃん。
しかも樺太は日本の領土でもロシアの領土でもないじゃん。
まるでデタラメばかりだね
>>626
650 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:16
651 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:19
>>647 なんか見苦しいよ。
はやく借款と借金の本質的違いを説明しろよ。
652 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:25
>>650 >>626の文章
>ハァ?
千島はもともと日本領だよ。
これは何?嘘じゃん。
江戸時代には
千島列島はもともとロシアの領土
樺太はどちらの領土でもない
↓
明治時代
千島列島は日本の領土
樺太はロシアの領土
別に日本は損してないじゃないか?
↓
その後
樺太南部も日本領土
653 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:28
>>650 文意を読み違えましたね。
アンタの方が低脳決定w
654 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:34
>>651 政府と民間の違いと何度も説明しているだろうが、記憶力も欠如しているのか?
まあまあ。俺が仲裁してやるよ。
両方とも低能
656 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:39
>>626は千島に関して錯覚してるみたいだけど、
問題は千島ではなく樺太の権利の扱い。
そして樺太に関しては
>>650が正論。
問題の本質は
領土としての価値
樺太>>>>>>>千島
657 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:40
現代のEEZを考慮すれば、千島>>>>>>樺太だろうがな。
塞翁が馬というやつだな。
658 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:43
>>655 キミはきちんと説明してないんじゃない?
借款…政府、借金…民間、だそうだけど、
じゃ民間借款ってのはなんなの?
659 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:44
>>656 樺太がもともと日本の領土で
千島と交換したなら、とんでもないと思うが
樺太はもともとどちらの領土でもないのだから
>>650が正論とは思えないな
どうも
>>650は樺太千島交換条約という言葉に錯覚しているように感じる。
660 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:49
>>659 違うよ。
日本の立場では日本の領土だよ。
ただ、同時にロシアも領有を主張していたため、
日露通好条約のような玉虫色の暫定措置をとった。
無駄な軋轢は避けつつ筋は曲げないという幕府の高度な外交は見事。
薩長が出しゃばったとたんロス家になめられ樺太を奪われてしまった。
残念としか言いようがない。
661 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:52
>660
ん? ということは、やはり・・
「能 無 し 薩 長 の た め に
日 本 は 領 土 を タ ダ ド リ さ れ た !」
ということですね?
662 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:54
温暖な地出身の薩長閥にとっては
樺太なんて極寒の地に価値があるとは思えないんだよ。
663 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:57
サハリン=サティアン
664 :
日本@名無史さん:03/04/16 21:58
薩長が無能だったのではなく、ロシアと事を構える時期ではない事を正確に判断していただけ。
あえて言うなら無能なのは、国力を眠らせていた幕府だ。
665 :
日本@名無史さん:03/04/16 22:01
ほうほう
666 :
日本@名無史さん:03/04/16 22:03
667 :
日本@名無史さん:03/04/16 22:04
幕府が有能ならロシアに樺太を日本領と認めさせておけよ。
それを玉虫色な言葉で誤魔化すから将来に禍根を残してしまう。
幕府のやり方って現代政治の先延ばし手法みたいで肌に合わないな。
明治政府のようなキッチリと領土分けする方が良いと思う。
668 :
?A^?@?@?{:03/04/16 22:04
同意!
669 :
日本@名無史さん:03/04/16 22:05
>>658 民間借款は政府間の貸し借りとは違うんだけど。
公的な機関である場合にしか使われないし。
670 :
日本@名無史さん:03/04/16 22:11
カラフトなんて言うな。サハリンと言え。
671 :
日本@名無史さん:03/04/17 00:19
ttp://homepage2.nifty.com/itayan2/histj04.htm 黒田のミスと明治6年の政変以降の対露軟化政策が争点だろうな。
だいたい、伊藤・山縣といった面子は対外軍事政策には消極的で
初期帝国議会でも軍事予算の増減が争点だった。
民間右翼や国権論者の軍事費増額の圧力に応じきれず
政権が崩壊したのは有名な話だ。
まぁ、赤字財政や民生を重視する民権派の圧力もあったわけだが、
金で民権派を篭絡した経緯か推測すると
彼らの圧力に屈したとは言い切れないな。
672 :
日本@名無史さん:03/04/17 00:25
>>660 幕府の外交手腕も誉められたものではないが薩長のは最低。
実質的には幕末から明治にかけて日本は樺太を強奪された。
この時、強奪された事実を認めて、樺太割譲条約と呼んでおけば、後に千島まで取られることにはならなかった。
673 :
日本@名無史さん:03/04/17 00:45
>666
完璧な負け惜しみとしか読めませんが。
674 :
日本@名無史さん:03/04/17 00:51
>>672 やはり・・
「能 無 し 薩 長 の た め に
日 本 は 領 土 を タ ダ ド リ さ れ た !」
675 :
日本@名無史さん:03/04/17 00:54
負け惜しみを言ってるのは、アズマだか何だかという連中だろう?
薩長は当時のベストを尽くした。
古今東西どこを見渡しても、薩長程の成果をだした者たちは居ない。
じゃんけんの後出しよろしく無い物ねだりみたいな批判をしても無意味だ。
建設的な批判と言うのは、具体的な代案を伴わなくてはならない。
676 :
日本@名無史さん:03/04/17 01:27
負け惜しみを言ってるのは、勤王だか何だかという連中だろう?
幕府は当時のベストを尽くした。
古今東西どこを見渡しても、幕府程の成果をだした者たちは居ない。
じゃんけんの後出しよろしく無い物ねだりみたいな批判をしても無意味だ。
実際幕府に代わって明治新政府がロシアと交渉してもロシアがやった侵略の追認しか出来なかっただろ。
677 :
日本@名無史さん:03/04/17 01:35
>薩長は当時のベストを尽くした。
>古今東西どこを見渡しても、薩長程の成果をだした者たちは居ない。
さりげなく大嘘をつくな。
678 :
日本@名無史さん:03/04/17 01:38
幕府がベストを尽くして薩長に負けたのなら、薩長に劣っていたという事の証だろう。
679 :
日本@名無史さん:03/04/17 01:49
>>677 どこがどう大嘘になるんだ?
英露のグレートゲームを阻止した有色人種国家である大日本帝国を築いた偉人達だという事は世界史上の常識だぞ。
この事実を知らない、あるいは知らないフリをしているのは反日工作員だけだ。
680 :
日本@名無史さん:03/04/17 02:10
>>679 だからいまどきそんな大嘘を真に受けるのは真性厨房かおまえのような低脳だけだ。
681 :
日本@名無史さん:03/04/17 02:13
パークスにしたいほうだいされ、関税を引き下げられた幕府はアフォ
682 :
日本@名無史さん:03/04/17 02:22
だから、どこがどう大嘘なのかを説明して見せろよ。
ウソだウソだと喚くだけなら幼児でも言える。
683 :
日本@名無史さん:03/04/17 02:26
まあ、内戦で薩長土肥に敗北するような幕府が
対外的に強硬姿勢で臨めたとは思えないな。
徳川慶喜及び東側の錦の御旗による萎縮説も
奥羽越列藩同盟による白石公擁立劇を考えれば素直には頷けない。
一説によると幕府軍の火薬は湿気っていて全く使い物にならず、
イギリス経由で南北戦争の在庫を手に入れた官軍が勝利を収めたらしい。
弁は立つが間抜けな幕府が腕が立って抜け目の無い官軍に敗北しただけだろう。
単純にMIGHT IS RIGHTとも言えるが、
当然の事ながらそれだけで内政や外交を切盛りできるわけもない。
維新政府が広く人材を集めたのもそれだけの人材が政府内にいなかったからで、
誇るべき長所というよりは短所だろう。
たまたま博打(日露戦役)に勝ったからといって手放しで称賛出来るものでもない。
684 :
日本@名無史さん:03/04/17 02:40
人材を広く求めるのは長所だろう?
いくらいても足りなかった激動の時代に何を言ってるんだ?
685 :
日本@名無史さん:03/04/17 03:15
でも、初期の実務派官僚は旧幕臣や幕府恩顧の士ばかりだったからねぇ。
洋務派というのは基本的に幕府にしかいなかったわけだよ。
だから慌てて人材育成に乗り出した、と。
686 :
日本@名無史さん:03/04/17 08:43
人材は居ても活かし切れないのが幕府の欠陥
687 :
日本@名無史さん:03/04/17 10:49
−
688 :
日本@名無史さん:03/04/17 15:00
>>683 維新前後の薩長はパークスの従順な下僕でしかなかった。
英国の貿易利権を圧殺しようとしていた幕府を牽制するため、
日本国内の反対派を利用して内乱を勃発させたイギリスの行為は、
たしかに野蛮で抜け目がない。
しかしイギリスに踊らされて日本を危機に陥れた薩長は、
愚かとしか言いようがない。
689 :
日本@名無史さん:03/04/17 15:14
それでも江戸で市街戦が行われなかったんだから、
最後は理性的に対処した.......といいたいところだが
これもどうやら勝が事前にパークスを通じて薩摩に
江戸を攻撃しないように進言するよう根回ししていたんだね。
690 :
日本@名無史さん:03/04/17 16:45
イギリスの従順な下僕だったと言う言い草が事実なら、とっくに第二の香港が出来ていたワイ。
それを必死で食い止めていたのが明治政府だろうがよ。
691 :
日本@名無史さん:03/04/17 18:23
勝にしてやられたと・・・
692 :
日本@名無史さん:03/04/17 18:35
勝は、そう言っていたらしいな。
生き残ると色々な事を言えるから何かと得だね。
アーネストサトウが偶然日本人みたいな名前だったから成功した。
英国のアーネストサトウが若い時偶然、日本の本を読んで文化に感銘
を持たなければ彼が日本語を勉強する気にもならなかったでしょう。
日本史的に言うと、明治天皇の東征。東京遷都。律令制の復活。
696 :
日本@名無史さん:03/04/17 19:52
律令制なんか復活してないよ。
>>696 憲法ができるまでは律令体制だよ。
太政官政府による支配も同じ。
ただ、上古とは性格が違う。
698 :
日本@名無史さん:03/04/17 20:33
うおおおお
699 :
日本@名無史さん:03/04/17 20:33
うっ
700 :
日本@名無史さん:03/04/17 20:34
うんこ
701 :
日本@名無史さん:03/04/17 20:34
癒されたか?
702 :
日本@名無史さん:03/04/17 21:32
>697
王政復古から憲法ができるまで一時的に律令制が復活したってことですか。
形式だけで言えば古代から明治憲法ができるまでずっと律令制だと思うんですが。
703 :
日本@名無史さん:03/04/17 22:05
令外の官である征夷大将軍に実権を認めて官位を与えていたなら、
律令は空文と化したと見なすの妥当だろう。
官途受領名も乱発されている訳だが、取り締まりはされていない。
704 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:32
えっ、征夷大将軍っていう官職はなかったんですか。
705 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:33
>幕府がベストを尽くして薩長に負けたのなら、薩長に劣っていたという事の証だろう。
幕府は国土の保全にベストを尽くしました。
その結果、長期に渡る内戦は不可能として政権を犠牲にしました。
薩長は国土の保全より内戦の勝利を優先して、政権を手に入れました。
樺太の喪失はその結果。
706 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:36
>薩長が無能だったのではなく、ロシアと事を構える時期ではない事を正確に判断していただけ。
ロシアと事を構える時期ではなく、東北諸藩と事を構える時期だと判断したようです>薩長売国奴
707 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:40
>英露のグレートゲームを阻止した
日本は英と手を組んで露を阻止した、つまり英のグレートゲームの手伝いをしたわけだが。
708 :
動画直リン:03/04/17 23:41
709 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:45
今、
>>707によってシンガポール陥落は八百長だったという珍説が唱えられますた。
710 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:45
>イギリスの従順な下僕だったと言う言い草が事実なら、とっくに第二の香港が
日本が丸ごとイギリスのポチになるのなら第二の香港など必要ないだろう。
戦後の日本が丸ごとアメリカのポチになり、反抗の意志が無いことを何年も示した結果、アメリカも沖縄を占領しておく必要が無いと返還した例を見ろ。
711 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:48
>>704 律令にはないよ
検非違使なんかも令外官。
荒事系は本来兵部(軍)や刑部(警察)が担当するのが律令制だが、
本来の兵部や刑部は早々と形式化してしまい、検非違使や征夷大将軍に実権が移った。
712 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:50
>>710 あんな基地だらけの返還を真に受けてるのか?
植民地化が継続してるだけじゃんw
713 :
日本@名無史さん:03/04/17 23:52
>>706 今で言うと、抵抗勢力というやつだからなぁ・・・
714 :
日本@名無史さん:03/04/18 00:00
>712
>あんな基地だらけの返還を真に受けてるのか?
でもその功績が認められて佐藤栄作はノーベル平和賞もらったんでしょ。
715 :
日本@名無史さん:03/04/18 00:09
恥ずべきノーベル賞もあるという事だな。
金大中と変わらん。
あれはアメリカの忠犬が御褒美を貰ったようなもんだ。
716 :
日本@名無史さん:03/04/18 01:22
因みに東京遷都案は江藤の新首都構想と
勝の旗本物件叩き売りという両者利害の一致による。
これをパークスが仲介して西郷に飲ませた。
勝は本当に狡賢いな。
で、「藤田東湖には赤心(まごころ)がなかった」
「小栗は三河武士の鑑だが頑迷であった」と放言するか…
こんなのが幕臣として折衝に当たったら幕府瓦解も当然だな。
717 :
日本@名無史さん:03/04/18 13:50
じゃあ慶喜は誰に西郷との談判を当たらせたらよかったの?
718 :
日本@名無史さん:03/04/18 15:23
>>717 西郷は天皇を毒殺し江戸を火の海にしようとしてる基地外。
こんな逆賊と「談判」すること自体がとんでもない誤り。
慶喜が江戸に夜逃げした怯懦を挽回したければ、
小栗が主張したように倒幕派殲滅戦を行うべきだった。
719 :
日本@名無史さん:03/04/18 15:39
それじゃあ江戸が火の海になっちゃうジャンか。
実際は、勝と西郷の談判で江戸が無血開城したんだから、
めでたしめでたしで良かったんじゃない?
もし討幕派殲滅戦をやって負けたら、徳川家や幕臣は史実よりもっと悲惨な運命
をたどったと思うよ。
720 :
日本@名無史さん:03/04/18 17:41
慶喜が夜逃げさえしなけりゃ、函館くんだりまで訳も判らず下がらなくても
どーにかなったんじゃ???? と今さらながら思うのです・・・
721 :
動画直リン:03/04/18 17:46
722 :
日本@名無史さん:03/04/18 20:19
高杉晋作の奇兵隊が藩兵を破ったのを見て、封建体制の軍隊はイザという時役に立たないと、
見切りをつけていたのでしょう。
723 :
日本@名無史さん:03/04/19 00:21
>709
シンガポール歓楽は政権が薩長を離れて東国人に握られた時のこと
724 :
日本@名無史さん:03/04/19 16:12
薩摩も長州もない、うちら日本人ぜよ!!!!
725 :
日本@名無史さん:03/04/19 21:11
なんだ?
ま た 薩 長 派 惨 敗 か?
何度目だよ?w
さわやかに大室寅之祐が明治天皇になったと言える
>>725 >何度目だよ?w
スマン、何が面白いのか教えてくれ。
唐突に笑われても俺にはわからん。
他の人はわかるの?
明治維新に江戸東京から武士が国許に帰ったら。
人口が1番多いのは新潟県でした。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
731 :
日本@名無史さん:03/04/21 20:38
>728
農民たちも今で言う「民兵」として戦争に参加していたってこと?
>>727 よくいるんですよ、ロムパされても勝ったと言い張る馬鹿がね。
>>731 新潟県地方は昔も今も米産地なので、人口が元々多かったのです。
江戸の人口の半数は地方武士だったので維新後に人口が激減しました。
734 :
日本@名無史さん:03/04/22 01:06
735 :
日本@名無史さん:03/04/22 01:08
732も734も逝ってよし!
736 :
日本@名無史さん:03/04/22 01:12
マァ、薩長派を代表して今回は素直に負けを認めるよ。武士は潔くしなきゃな。
負け惜しみをいってるヤツは賎民だから、ほっといて。
737 :
日本@名無史さん:03/04/22 01:22
>>736 薩長派などというものはない。
幕府派から見れば薩長派だが、薩摩からでも長州からでも、
薩長派など断じてない。
738 :
日本@名無史さん:03/04/22 07:30
江戸城攻撃が中止になったのは、安定した貿易を望む
イギリスが薩長に圧力をかけたからでしょう。
739 :
日本@名無史さん:03/04/22 16:58
イギリスが圧力をかけなかったら、薩長は江戸城を攻撃してたかな。
私はどっちみち江戸城攻撃はなかったと思います。
740 :
日本@名無史さん:03/04/22 17:02
>>732 論破されても勝ったと言い張る馬鹿・・・
・・・明石町?
741 :
日本@名無史さん:03/04/22 19:39
>741
江戸に入城するとき、西郷は少人数のものを従えて、徳川家臣を刺激しないように配慮している。
西郷を平和主義者などとは言わないが、軍事力の差を実戦で証明すればそれでよかったんじゃないか。
彰義隊が結成された時、西郷は勝や山岡とともに説得して解散させようとした。
彰義隊との戦闘では、西郷は第一線から退き、大村益次郎が指揮を執った。
>>1 「歴史学博士の俺様」氏によれば、
『我が国歴史学の根本命題のひとつ』だそうだ。
なるほどって思うよね。
744 :
日本@名無史さん:03/04/22 21:18
武田にやられて拾われた譜代こと奥平&小笠原は
明治維新では戦場から逃げたり
真っ先に寝返ったりした恩知らず
745 :
日本@名無史さん:03/04/24 17:20
>744
しょせん人間なんてそんなもんよ。
746 :
日本@名無史さん:03/04/27 04:28
都道府県別・外国人に占める朝鮮人の割合(2000年)
1 大 阪 府 78.38% 17 石 川 県 34.94% 33埼 玉 県 23.42%
2 京 都 府 77.69% 18 青 森 県 34.61% 34島 根 県 23.07%
3 山 口 県 73.44% 19 滋 賀 県 33.89% 35熊 本 県 20.96%
4 兵 庫 県 67.28% 20 佐 賀 県 32.81% 36香 川 県 20.00%
5 和歌山県 61.21% 21 山 形 県 31.46% 37福 島 県 19.99%
6 福 岡 県 59.45% 22 愛 媛 県 29.43% 38富 山 県 19.63%
7 奈 良 県 57.57% 23 神奈川県 28.65% 39山 梨 県 17.52%
8 岡 山 県 51.31% 24 宮 崎 県 26.54% 40茨 城 県 15.62%
9 広 島 県 46.80% 25 三 重 県 26.14% 41徳 島 県 14.06%
10 鳥 取 県 43.22% 26 長 崎 県 25.41% 42栃 木 県 12.77%
11 大 分 県 42.93% 27 高 知 県 25.23% 43長 野 県 12.19%
12 北 海 道 38.08% 28 千 葉 県 24.89% 44静 岡 県 11.16%
13 福 井 県 37.92% 29 岩 手 県 24.48% 45鹿児島県 11.09%
14 愛 知 県 36.86% 30 岐 阜 県 23.80% 46群 馬 県 9.78%
15 東 京 都 35.86% 31 新 潟 県 23.76% 47沖 縄 県 5.18%
16 宮 城 県 35.14% 32 秋 田 県 23.67%
>>746 大阪、京都、山口は、日本人(自称)に占める朝鮮人の割合も、
80%を超えてるんじゃない?
もともと渡来人の巣窟だったエリアだし。
>>747 朝鮮人が何百万人居る事になるんだよ?
いくらなんでも大杉
749 :
日本@名無史さん:03/04/28 19:37
750 :
日本@名無史さん:03/04/28 20:28
うんこ
751 :
日本@名無史さん:03/04/29 20:03
>748
外国人に占める朝鮮人の割合
752 :
日本@名無史さん:03/04/29 20:09
753 :
日本@名無史さん:03/04/29 21:20
山口では朝鮮人が多いというか、ほとんどの人は朝鮮人の子孫だからな
754 :
日本@名無史さん:03/04/29 21:22
755 :
日本@名無史さん:03/04/29 21:35
山口に百済姓が多いのは本当だ。
でも、日本民族が成立したのは江戸中期以降だからねぇ。
756 :
日本@名無史さん:03/04/29 21:43
山口=チョンなのは周知の事実
チョン臭人を馬鹿にするな
758 :
日本@名無史さん:03/04/29 23:26
>>754 外国人に占める朝鮮人割合と、朝鮮人の数の違いも分からんのだろ、ほっとけ。
759 :
日本@名無史さん:03/04/30 13:47
なんで朝鮮人スレになってんだ?
761 :
日本@名無史さん:03/04/30 15:46
薩長が手を結んだから幕府を倒せた。
762 :
日本@名無史さん:03/04/30 16:39
どこからやり直しましょうか。
763 :
日本@名無史さん:03/04/30 20:00
長州人の先祖はチョンというところからやり直しましょうw
764 :
日本@名無史さん:03/04/30 20:24
フ ラ ン ス 領 き ぼ ん ぬ
765 :
日本@名無史さん:03/04/30 20:39
フランス領はどこも割りと不幸だよ。
植民地にされるなら、エゲレスの方がマシかも。
766 :
日本@名無史さん:03/04/30 21:19
チョン臭い顔が多いのは山口県、福岡県。
この両県民はチョンの子孫
767 :
日本@名無史さん:03/05/01 18:31
日本はチョンである長州人により、伝統文化を徹底的に破壊され
西洋の猿真似をさせられた!
これは江戸時代を通じて、日本人から疎外され続けられた朝鮮民族である
長州人による醜い復讐であったのだ!
768 :
日本@名無史さん:03/05/01 18:46
フランス人から見れば、どっちも黄色いサルなんだYO!!
769 :
日本@名無史さん:03/05/04 16:16
パリ講和会議で日本は人種差別禁止を提案しましたが拒否されました。
その後、日本で関東大震災が起こり、多数の朝鮮人が虐殺されました。
日本が言っていたのは人種間の差別の廃止であり、有色人種の中で、
差別があるのはかまわなかったんだね。
>>769 ハァ?関東大震災の虐殺を政府が主導しとでも思ってるのかい?
771 :
日本@名無史さん:03/05/05 14:57
>770
警察や軍隊による意図的なデマが流され、内務省から各地方長官宛に、
朝鮮人の暴動に備えるようにとの通達が出され、戒厳令が施行された。
772 :
日本@名無史さん:03/05/05 20:07
明治維新とは日本が近代国家になるための革命である。
773 :
日本@名無史さん:03/05/05 20:11
ダサツマ必死だなw
774 :
日本@名無史さん:03/05/05 21:56
幕府の無策無能の政治に民衆の怒りが爆発!どか〜ん。
江戸城めがけてアームストロング砲が発射された。
幕府は人間の盾で対抗。そして敗北。桜が門外。
やがて江戸は東京となった。
775 :
日本@名無史さん:03/05/06 06:33
>774
庶民は戦見物してたんだが
むしろ上野戦争の時は庶民のほとんど彰義隊応援してたそうだが。
777 :
日本@名無史さん:03/05/06 08:19
言うなれば、
薩長軍=米英軍
幕府軍=フセイン政府軍
江戸庶民=バクダード市民
778 :
bloom:03/05/06 08:21
779 :
日本@名無史さん:03/05/06 09:51
>>777 違う
薩長軍=ナチスドイツ軍
幕府軍=フランス軍
江戸庶民=パリ市民
第2次大戦ではパリは野蛮なドイツ軍から解放され、自由、正義、文明が取り戻された。
一方で戊辰戦争では野蛮な薩長がそのまま政権を樹立。日本は、野蛮、猿真似、卑賎支配の最悪の時代を迎えた。
その結末として広島長崎に原爆が投下され、日本の諸都市は焼き払われ、女はパンパンになった。
農民層も尊皇派と佐暴派に分裂して流血していたとか。
薩長軍:ソビエト軍
幕府軍:ナチスドイツ軍
782 :
日本@名無史さん:03/05/06 16:26
戊辰戦争後、王政復古がなされた。
小栗と慶喜の構想では、徳川家が大統領となって、天皇は京都の一領主になるはずだった。
つまり、王朝の交代が起こっていたかもしれない。
>782
それでは慶喜は水戸藩士に「テンチュー」食らっちゃう罠。
784 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:52
長州 ナチスクーデター政権
薩摩 中世暴力団の汚物
幕府 ユンカー政権
こうも解釈できる。
785 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:58
だれかがイラク戦争を長州征討に例えとったなー
786 :
日本@名無史さん:03/05/06 23:42
征長の役などで物資を買い上げていたから、江戸庶民には幕府は嫌われていたらしい。
というか打ち壊しと一揆が多発していたからねえ。
どれだけ幕府が嫌われていたか分かるってもんだ。
787 :
日本@名無史さん:03/05/06 23:46
言うなれば、
薩長軍=米英軍
幕府軍=フセイン政府軍
江戸庶民=バクダード市民
幕府の代官所を襲撃したのはテロリストであり、
憎まれていたのは世の苦境をよそに巨利を上げていた商人を襲撃したのであって、
幕府が嫌われていたなら全国規模で代官所が襲撃されていたはず。
789 :
日本@名無史さん:03/05/07 06:02
幕府代官にも隠れ勤皇が数多くいたんじゃないか。
>>789 勤皇というのは思いの差はあれど幕府・志士のどっちにも共通している感情かと。
ただしお偉いさんたちは「コマ」としてしか見ていなかったということね。
791 :
日本@名無史さん:03/05/07 10:41
「尊皇攘夷」
今の時代にぴったりの言葉だね
夷=在日だけど
792 :
日本@名無史さん:03/05/07 15:52
じゃあ皇=アメリカですか。
錦の御旗=日米の信頼関係
794 :
日本@名無史さん:03/05/08 01:57
>>786 それは初耳。
江戸庶民は明治になっても幕府びいき。
成り上がった薩摩や長州の田舎者を様々な隠語で侮蔑していた。
漱石でも読んでごらん。
795 :
日本@名無史さん:03/05/08 02:12
>>794 おいおい、小説ソースに説教垂れてるよ
幼稚でいいねぇw
相変わらずの糞っぷりだな
一言レスばっかだ
木戸孝允・西郷隆盛・岩倉具視・大久保利通らはいずれも下級武士
だったから、大名や自分達よりも身分の高い武士たちを抑えるために
天皇を「玉」(美しい宝石やなんかの意味だったら聞こえが良いでしょ。
でも彼等は取り引きに使える商品道具としての意味で)って呼んじゃってた
のよ。
しかも一八六七年明治天皇が即位した時、天皇は14歳と3ヶ月よ。
京都の宮中で育ってたから真っ白いお化粧して、麻呂眉書いてたんだって。
翌年成人したときはお歯黒も上等だったぜ。
そんな少年を権威付けるために、そんな時代にまた天皇を現人神と
(神格化)しちゃいました。
そして誰も神には逆らえないのでした・・・。現在に至る。
798 :
日本@名無史さん:03/05/09 00:38
薩長はオウム。
これほどピッタリの比喩はないと思われ。
799 :
日本@名無史さん:03/05/09 01:19
>誰も神には逆らえないのでした・・・。現在に至る。
1946年に天皇は人間宣言してるよ。
800
>>797 山縣にサーベルで小突かれたり軍靴で蹴っ飛ばされたりして、
挙句の果てには大津事件で怒って駆けつけた
ロシア軍艦に単身で乗り込まされて土下座まがいの事までさせられたけどな。
本格的に神格化されたのは帝国憲法発布以降で
民権運動の闘士の批判をかわすため。
天皇自身はこういった事情による心労から酒量が増えて、
成り上がり者の医者が保身から止めもせず、それが原因で急死。
野心的な下郎と直情的な民の尻拭いをさせられる構図は
維新以来変わりませんなぁ。
802 :
日本@名無史さん:03/05/09 14:41
昌子さんが浩之宮と結婚せずに、あのまま外務省にいてくれたら今頃さぞかし活躍してくれてただろうなといまだに思ってます。
雅子ね。
804 :
日本@名無史さん:03/05/09 17:26
慶応2年に行われた第二次長州征伐によって
萩城は落城し、毛利家が改易されたのは有名だ。
その後、長州に籠もっていた志士狩りが行われ
坂本龍馬等が処刑された。
これで倒幕の動きは抑えられたかに見えたが
恭順の立場を示しているはずの薩摩藩の元に
尊王論者の残党が終結しており、
これを口実に薩摩もまた幕府に征伐されたという。
805 :
日本@名無史さん:03/05/09 17:29
>>1 竜馬の「公議政体論」が通っていれば、そうなっただろう。
それがために竜馬は薩長に消されたという見方もできる。
慶喜の側近で公儀政体派に近かった原市之進が旗本に消され、
薩長土肥側では坂本が倒幕派にけされて、
幕府と薩長土肥は互いに対決姿勢を固めたというわけか。
「政権奪取クーデター、しかしその後の改革は凄まじい」
てことでもういいじゃん。
幕府が存続してても改革できた、全部幕府の受け売り、と思う人もいるかもしれんが
それはしょせん妄想にすぎない。
日本を近代化した人達に感謝しましょう。
808 :
日本@名無史さん:03/05/09 20:35
不幸にも無能でアナクロな薩長がクーデタで政権を奪取したのだが、
幸いにも幕府の優秀なブレーンが背後で馬鹿どもを操作したため、
日本は近代化に成功した。
評価出来るのは廃藩置県ぐらいかな。
幕府だとあそこまでは出来なかった。
810 :
日本@名無史さん:03/05/10 16:25
幕府も小栗と慶喜が、郡県制による全国統一を目指してたんだよ。
でも実体は、領主階級の整理統合。
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812 :
日本@名無史さん:03/05/10 21:31
所詮は領主階級の統合レベル
というなら、勝や坂本なんかの、公議なんたら派の方。
内乱を嫌い、雄藩も徳川もと、妥協的な統合を主張。
だからこそ、それを踏みにじった薩長の「不正義」を批判し
徳川の抗戦を主張したし、また徳川に対しては
没落の責任を負った。
一方の小栗らは
長や薩ら雄藩もぶっ殺しての、絶対的覇権者の創出が
大改革の前提であり、正義だった。
同じことを薩長がやった。
薩長が会津なんかをぶっ殺しての、覇権者創出→廃藩置県
という結果、泉下の小栗はどう思うだろう。
悔しさはあるだろうが、よくやったと褒めてるだろうか。
慶喜に対しては、如何に呪詛してもしきれまいが。
813 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:49
>812
>長や薩ら雄藩もぶっ殺しての、絶対的覇権者の創出が大改革の前提であり、正義だった。
{絶対的覇権者}って何なのよ。意味不明。
薩長は{絶対的覇権者}を創出したの?
814 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:49
軍国主義時代のはじまり
天皇制は反対ですから
いやな時代だと思います
816 :
日本@名無史さん:03/05/11 01:31
>814
明治維新で日本は近代国家に生まれ変わった。
814さんはずっと幕藩体制が続いたほうが良かったと思ってるんですか。
817 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:13
薩長が天皇を持ち出したのは統一国家では無かった日本を
統一国家にするため。
近代化するには、まず統一国家になる必要があった。
そのために天皇を持ち出した。
よく薩長は天皇を持ち出したので近代化とは逆の方向性の運動していたと
主張が見られるが、それは甚だ見当違いもいいところ。
というか「天皇制に反対」とはそもそもなんぞや?
象徴天皇制(立憲君主制)に反対なのか?
専制君主制に反対なのか?
天皇家とは別の将軍家みたいな存在による政治がいいのか?
ていうかお前天皇制に反対なんじゃなくて天皇の存在自体に反対なんだろうと小一時間(略
819 :
日本@名無史さん:03/05/11 02:58
天皇なんてものは封建領主のお飾りにすぎなかった。
ほんとうに薩長の目指すところが日本全体の国益にかなうものなら、
天皇を祭り上げる必要などどこにもない。
薩長が天皇を神格化しカルト的崇拝を他人に強いたことは、
彼らが特殊で犯罪的な利権集団にすぎいなかったことの証左。
たぶん直接的な動機としては、
孝明天皇を毒殺した犯罪行為を隠匿する必要があったんだろうね。
国学や水戸学の普及により日本の元首は天皇であるという認識が社会通念になりつつあった。
821 :
日本@名無史さん:03/05/11 04:30
外圧に対する非常権の行使
822 :
日本@名無史さん:03/05/11 04:38
東北蔑視の大元は京都や奈良である。これは畿内から見て、東北方向という鬼門にあったためなのだ。
当時の東北地方は、畿内とは別の文化があったのであるが、大昔は蛮族の住む場所とされていた。
当時何度かあった蝦夷征伐は、当時の朝廷が中華思想や占術を猿真似した害に他ならない。
その後は源氏による奥州平泉の滅亡があり、江戸時代は伊達藩を恐れ且つ搾取している。
近代以降は、薩長新政府による意図的な開発の遅れにより田舎の代名詞になる。
新政府に反抗した地域だったからなのだ。
植民地であった朝鮮半島や台湾、北海道に投資する事情もあったようだが
もしかしたら反抗した見せしめのために、植民地より開発を後回しにされた事も多かったかもしれない。
ただ、仙台市が「第2都市」と呼ばれる程、第2師団や東北帝国大学等の国家機関が東京の次に優先配置された動きもあった。
これは新政府内や大久保利通の影響による、国内開発派の影響による者かもしれない。
しかし結局、東北地方は、首都圏等における労働力供給源・食料供給地という位置付けとなり、本格的な開発は戦後を待たなければならなかった。
現在は、県民所得や高速交通網等、九州や四国を上回るほど経済的に発展したが、未だに政府は東北地方に、歴史的に見ても負い目やツケがある。
それは豊かだった東北地方が、歴史的に相当搾取され、衰退したからだ。
日本政府は、一時期を除き日本の歴史おいて相対的に豊かであった、東北地方の現状と名誉を回復すべき義務がある。
戦後から現在まで、不況にも関わらず、東北開発を優先する理由がここにあるのである。
823 :
日本@名無史さん:03/05/11 04:40
急迫不正且つ一方的にして差別的な外圧に対して、
征夷大将軍としての任務を果しきれなかった将軍家による政権の返上と、
日本がインディオやネイティヴアメリカンの二の舞を演じない為の改革、
及びそれに伴う不幸な混乱の総称。
824 :
日本@名無史さん:03/05/11 05:38
むしろ幕府こそ、もっとずっと早い段階で
大迷惑な排外馬鹿の孝明帝を消し去るべきだった。
俊英の開国担当らをいじめ、できもしない攘夷派ぶって
めんどくさくてしたくもねー征長お祭りでまくしたててのハリボテ公武合体。
一方じゃ、幕府も薩摩も仲良くねなんて妥協的統合論。
だいたいこんなバラバラの解決には対外戦争やるもんだが
それができねーから困ってたわけで、その代償が内戦。
ほんとは長州や薩摩がボコにされる筋書きなのに
孝明殺されて、断固たる会津人ぶっ殺し祭りの開催運営を
手段としての薩長土肥の軽輩が天皇政権おったててなんて
一体誰が予想できただろうか。
825 :
日本@名無史さん:03/05/11 05:47
>日本がインディオやネイティヴアメリカンの二の舞を演じない為の改革、
>及びそれに伴う不幸な混乱の総称。
それをやろうとしたいたのが幕府
でも薩長土肥だって維新から70年であぼーんして
メリケンに一時占領されちゃ浮かばれないよな。
827 :
日本@名無史さん:03/05/11 13:01
自業自得という。
浮かばれないのは、一般庶民である。
828 :
日本@名無史さん:03/05/11 13:05
孝明は毒殺されたんじゃなくて、伊藤博文(当時は林利助)
らの長州忍者に便所で刺殺された。
829 :
日本@名無史さん:03/05/11 13:13
小栗は喜んでるよ。自分のやろうとしたの
薩長がやってくれたんだから。
勝の公議云々は薩長に裏切られてバカみたけど。
ずっと思ってるんだがなんで「薩長土佐」じゃなくて「薩長土肥」なんだろう。
肥前つーのはあくまで地名で藩名じゃないのに。
831 :
日本@名無史さん:03/05/11 14:15
>819
>薩長の目指すところが日本全体の国益にかなうものなら、
>天皇を祭り上げる必要などどこにもない。
260年続いた幕府に取って代わって、新たに権力の座に就いたんだから、
幕府を超える権威として、国民をまとめるために天皇の存在を全面に出す必要があった。
>東北蔑視の大元は京都や奈良である。これは畿内から見て、東北方向という鬼門にあったためなのだ
畿内から見て東北にあるのは北陸。
東北なんてはるか遠方のよくわからない土地でしかない。
>>833 そうだったね(つД`)
薩長土がそのまんま藩名みたいに言われるのに対して
肥前佐賀はよく使い分けられるから勘違いしてたよ。
835 :
セミナー主催者:03/05/11 15:40
836 :
日本@名無史さん:03/05/12 00:50
>近代化するには、まず統一国家になる必要があった。
アメリカもドイツも連邦国家で立派に近代化してますが何か?
837 :
日本@名無史さん:03/05/12 00:52
>>836 西洋の国と西洋から文明を学んだ国の事情をいっしょにするなよ、厨が!
明治憲法はプロイセンドイツがモデルだが。
839 :
日本@名無史さん:03/05/12 07:15
>814さんはずっと幕藩体制が続いたほうが良かったと思ってるんですか。
幕藩体制の解体は幕府自身がやろうとしてたことなんだけど、それに藩籍奉還
も最初に建議したのは姫路藩。しかしこれを無視して薩長の功績にしてしまった
のが木戸孝允なんだよ。薩長はただの功績泥棒。
たいせいほうかんは土佐藩がさせましたがなにか?
841 :
日本@名無史さん:03/05/12 07:34
大政奉還案は幕府側の大久保一翁や松平春嶽がすでに持っていたんだよ。
土佐藩の功績にしたのは政治上の問題。内部案だと反対派を説得しにくい。
外様の土佐藩を表にだしたほうが都合がよかっただけ。
>>839 主導権を握る為に玉を握ったからな。
玉の有効性に気付いた薩長の政治眼こそイカす。
>>841 土佐は土佐で薩長に出遅れていたのを
大政奉還で主導権を奪おうと考えてたので都合が良かったしな。
結局、武力衝突になって薩長優位が続いたことが
後の土肥の自由民権運動や普選運動になっていくんだから笑う。
もし土佐派の工作が成功していたら薩長が自由民権運動をやっただろう。
844 :
日本@名無史さん:03/05/12 09:43
薩長がそんな大人しい分けないじゃん。
力ずくで政権を奪取するよ。
ップ
846 :
日本@名無史さん:03/05/12 10:25
>>843 844の云うように薩長が黙ってはいまい。歴史的経過から見ても関ヶ原
で西軍に属して苦杯を舐め長く臥薪嘗胆の時代を味った薩長と東軍に
付きさほど手柄を上げた様子もないのに掛川3万石から土佐24万石に
大抜擢された準譜代格の山之内家にそんな気概なんてあるもんか、ただ
山之内によっていじめ抜かれた旧長宗我部の家臣である郷士が動いただけ。
847 :
日本@名無史さん:03/05/12 12:31
長井雅楽や徳川慶喜のように、見識で政治をリードできない
連中には、玉は便利な存在だったのでしょう。
848 :
日本@名無史さん:03/05/12 13:55
>847
政治闘争では、見識だけで政治をリードできないこともある。
見識+軍事力+資金+策略 をもってないとだめ。
>>844>>846 同意。薩長は自分たちが政権握れなかったらクーデターやる奴らだよ。
六年政変も薩長が大久保の犬岩倉使って閣議決定を勝手に覆すとかいうクーデターだしな。
十四年政変もクーデター。
851 :
日本@名無史さん:03/05/12 17:19
薩摩と長州と別の藩だから別にいったら?
風土も政治体系もまったく違いますけど?
そうせい公 長州
天下三百諸侯並ぶものなし 薩摩
酔っ払い 土佐
オランダオタク 佐賀
徳川 家康公再来
852 :
日本@名無史さん:03/05/13 15:43
>839
>幕藩体制の解体は幕府自身がやろうとしてたこと
小栗と慶喜は幕藩体制を解体して郡県制による全国統一を志向していた。
もしこれが実現していたら、フランスの絶対主義のような体制になっていただろう。
いずれにしても、領主が権力の中枢に居座ることには変わりはない。
これじゃあ近代化しようとしても限界があるよ。
853 :
日本@名無史さん:03/05/13 17:19
高杉の行動はよくわからない?
清の惨状を見てなぜ攘夷活動をしたのだ?
ふつうはああいうのを見たら佐幕開国の
路線で良いと思うが・・・・・
>>853 開国するにしても日本が自主的にするべきで、
押し付けられてするべきでないと思ってたのでは?
治外法権や関税自主権がないのを屈辱だと考えていた同時代人は沢山いる。
855 :
日本@名無史さん:03/05/13 22:21
高杉にとって攘夷とは独立を意味していたようだ。
アメリカはイギリスに攘夷してとかいう発言がのこっているらしい。
856 :
日本@名無史さん:03/05/13 22:35
そうだね。ただ、上海のビルジングを見た瞬間、「攘夷はダメだな」と
力の差を実感したとの発言もあったとか。
当時、開国を臭わせたら殺されたからねw。
857 :
日本@名無史さん:03/05/13 23:49
高杉はイギリスの力を知ってイギリスの手先になるのが出世の近道と考えたんだろ。
で、イギリスのスパイとして攘夷派に送り込まれた。
858 :
日本@名無史さん:03/05/14 12:26
>いずれにしても、領主が権力の中枢に居座ることには変わりはない。
これじゃあ近代化しようとしても限界があるよ。
もし幕府側が勝っていたら、薩長ほど大胆な改革にならないことは
容易に想像できるが、大改革であるほど優れていると決め付けることは
できないよ。イギリスの政治制度が優れているのは、貴族政治の伝統の継承に
よるもの言う意見もある。
859 :
日本@名無史さん:03/05/14 15:47
>858
イギリスはピューリタン革命から名誉革命の時期に、
市民(ブルジョア)革命が達成された。貴族が多く残り、領主制も続いたが、
権力の中枢は市民(ブルジョア)が握った。この時点でイギリスは近代国家になった。
その後の近代化のための諸改革は漸進的だったが、そのイギリスでさえピューリタン革命で国王は処刑された。
フランスの絶対王政の時期にも、近代化は進んだが、ある時点で限界に達し、
フランス革命が起こった。
貴族政治の伝統というとなんか高貴な響きがするが、要するに門閥社会で、
行政機構や軍隊の主要な地位を、貴族が占めていたのである。
優秀な人材でも、平民の家に生まれればその能力を発揮する場がなく、
埋もれていくだけだ。貴族の良い家柄に生まれれば、その範囲での競争はあるだろうがともかく重要な地位に就き、
高い給料を得ていた。
アメリカ視察から帰って来た勝海舟に老中が「アメリカで見てきたことで特に気がついたことを述べてみよ」
と問いかけ、勝が「アメリカでは高い地位についている人はみな相応の能力を持っていますが、
日本はそうではありません」と答え、「控えおろう」と老中が怒ったという有名な逸話がある。
860 :
日本@名無史さん:03/05/14 17:24
>もし幕府側が勝っていたら、薩長ほど大胆な改革にならないことは
>容易に想像できるが、
それをちゃんと論証してごらん。
薩長の「改革」は目的意識的なものではなく、
あくまでも冷徹な経済の歯車に振り回されて行ったこと。
近代化の諸プロセスは、薩長であろうと幕府であろうと
似通ったものとなることは容易に推察できるだろ?
薩長が無知で復古趣味に凝り固まった馬鹿ぞろいだったことを
忘れてるの?
861 :
日本@名無史さん:03/05/14 18:19
イギリスも19世紀の段階では貴族や郷紳中心の社会だったんだが・・・
862 :
動画直リン:03/05/14 18:20
863 :
日本@名無史さん:03/05/14 18:54
>859 権力の中枢は市民(ブルジョア)が握った。
そのイギリスの市民は貴族の仲間入りをするために、土地を買い、息子を
パブリックスクールにおくったんだよ。市民革命と産業革命による社会の
大変動は保守反動をよんで、中世騎士的浪漫主義が当時のイギリスで流行
し、結果的に後の議会制民主主義を支える人材の主たる供給源になったん
だよ。日本でも渋沢栄一や福沢諭吉のような開明的市民と言えるような人物
は元武士でしょう。封建制度には弊害ももちろんあるが、そこから生まれた
美徳も多々ある。それと、アメリカについてだが、アメリカは建前は民主平等
だが、現実には階級社会を形成している。このことはケネディについて書かれた
本を読めば、アメリカの階級のことがよく理解できる。アイルランド系のケネディ
家はワスプの東部本流層の仲間入りをする為、彼らの価値観を身に付けることに
相当の苦労をしている。その価値観というのがイギリスの貴族の価値観なんだよ。
そこから生まれたのがケネディ大統領のリベラルな政治。民主善玉、封建悪玉みた
いな見方はどうかとおもう。
864 :
日本@名無史さん:03/05/14 19:54
>>860 実現も出来てないのに幕府が革命的改革を行えたというその信念は、まるでカルト宗教の信者なみに気味悪いなw
865 :
日本@名無史さん:03/05/14 20:22
しょんな事いったってしょーがないよ。
幕府が勝とうが薩長が勝とうが、武器消費して
ほしかったんだもん。余りものの。諸外国・・・・。
866 :
日本@名無史さん:03/05/14 20:41
>>864 幕府は明治以降の諸改革の青写真をすでにもっていた。
薩長は幕府が行おうとしていたことを後追いで行ったにすぎない。
867 :
日本@名無史さん:03/05/14 20:47
>863
>そのイギリスの市民は貴族の仲間入りをするために、土地を買い、息子を
>パブリックスクールにおくったんだよ。
市民革命後、市民と旧体制の支配階級(貴族=領主)の一部が融合していく現象は、
フランス革命においても、明治維新においても見られる。
新しく権力を握った市民は、家柄を良くする事に興味を示した。
権力からふるい落とされそうになった貴族(領主)の一部は、家系を残し権勢を維持するために、
市民との姻戚関係を結ぶことを選んだ。
こうして、旧支配者(貴族)の一部と、市民が融合していった。
彼らは、あえて表現するなら「ブルジョア貴族」とでもなろうか。
868 :
日本@名無史さん:03/05/14 20:53
867続き
>民主善玉、封建悪玉
狭義の市民革命が達成されてから、民主主義が根付くまでは時間がかかる。
旧支配階級の巻き返しがあったり、市民同士での主導権争いがあったり。
ところで「封建」という用語は私は使いたくありません。
この用語の正確な定義を考えましたが、わからなかったのです。
だから私は859で、封建制度といわず門閥社会といったのです。
もし、「封建制度」の定義を言える方がいらっしゃれば、
ぜひ教えてください。
870 :
日本@名無史さん:03/05/14 21:05
>>864 薩長にしか「革命的改革」を行えなかったという信念のほうが、
カルト宗教の信者なみに気味悪いよ 。
>>866 実際の権力を保持している主体が青写真を持っていたから何?
青写真は青写真にしか過ぎない。
それを実行して初めて意味がある。
君はアホだな。
872 :
日本@名無史さん:03/05/14 23:36
>>870 薩長以外でも出来たかもしれんが、幕府には絶対無理。
もし実行したとしても、旧ソ連みたいになるのが落ち。
873 :
日本@名無史さん:03/05/14 23:51
>>872 「絶対」だってさw
ちゃんと証明できるんだろうな?
874 :
日本@名無史さん:03/05/15 00:15
>829
>小栗は喜んでるよ。自分のやろうとしたの
>薩長がやってくれたんだから。
小栗は死んでしまっていて、喜ぶも悲しむもない罠
875 :
日本@名無史さん:03/05/15 00:18
>837
>西洋の国と西洋から文明を学んだ国の事情をいっしょにするなよ、厨が!
西洋って何か特別なのか?
西洋諸国だってイギリス以外はイギリスから産業革命を学んだんだけどね
876 :
日本@名無史さん:03/05/15 07:32
独裁政権が強引に近代化を推進した点では、ソ連に似ているのは幕府では
なく薩長でしょう。幕府は専制体制だったけど、大政奉還による公儀政体
への移行を画策していたのだから、民主的とはいえないけれど、武士の世論
を反映した真っ当な政権になっていた可能性のほうがたかかったでしょう。
877 :
日本@名無史さん:03/05/15 08:25
あれだけの尊王思想の高まりの中で、幕府がそのまま政権を取って小手先の改革で
近代化を推し進めても途中で頓挫するんじゃなかったかのかな、勝海舟が喝破して
るように幕府の人間じゃだめだ、あなた達でおやりなさいと西郷に言ってるように
幕府主導の近代化は形は近代化への改革でも従来のしがらみにとらわれて、薩長の
ような思いきった改革は到底出来なかったと思われる。
版籍奉還、廃藩置県、地租改正、徴兵制、学制、鉄道開通、電信開通、新貨条例、
警察制度創設、司法制度改革、太陽暦採用、国会開設の準備、エタヒニン名称廃止、
職業選択自由、神社の女人禁止令廃止、百姓解放、キリシタン禁制高札撤去、人身売買禁止、
娼妓解放令、敵討ち禁止令・・・etc
これ幕府ができたか?
>>878 あと明治初期に行われた改革としては
東京遷都・戸籍整備・秩禄処分・廃刀令・郵便制度創設あたり?
是非はともかく、幕府にゃ無理だな。
880 :
日本@名無史さん:03/05/15 15:33
>>878-879のような改革を「幕府もできた」「全て幕府の後追い」と妄想するのは
基地外アズマ早○女貢の本でも読んでるような奴だろ。
まあ新政府は新政府でも改革はほとんど留守政府がやってるけどな。
882 :
日本@名無史さん:03/05/15 19:59
>>878 幕府ではなぜできないの?
それを証明しなければ、
オマエが言ってることはほとんどカルト宗教と同じだぞ。
883 :
日本@名無史さん:03/05/15 20:09
884 :
日本@名無史さん:03/05/15 20:20
東京遷都はなかった。あったのは東京奠都。
885 :
日本@名無史さん:03/05/15 21:42
悪魔の証明を求められてもモナ―
郡県制、大統領制、横須賀製鉄所、横須賀造船所、
火薬・大砲製作所、洋式陸海軍、鉱山開発、天然資源保護計画、
近代的会計制度、株式会社、国益会所、商工会議所、
外国語専門学校の設立、郵便制度の建議、電信事業の建議、
鉄道(江戸−横浜)建設の建議、新聞発行計画…
幕府の構想をざっと並べただけでも、その先見性に驚かされる。
これに対し薩長側に一体どんな将来構想があった?
唯一、龍馬の「船中八策」があるのみだろ。
そしてその「船中八策」もまた幕府の思想のパクリにすぎない。
887 :
日本@名無史さん:03/05/15 22:24
横から口だしてすまんが、
>横須賀製鉄所、横須賀造船所
に関しては幕府が実現していたとみてよろしいね。
888 :
日本@名無史さん:03/05/15 22:30
886>そんなもの並べたところでなんになる・・・
歴史は結果にすぎない!
その時代の「生き方」をまなんだほうがいいだろ!!
と言ってみる
(・Α・)
889 :
日本@名無史さん:03/05/15 22:57
890 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:11
>>886 火薬、大砲、製鉄所、鉱山開発、洋式陸海軍、などなどは薩長ですでに行われている。
んで実績を残していない建議や計画などになんら意味は無い。
それに実態↓とかけ離れている実績が述べられているのは気のせいか?
>近代的会計制度、株式会社、国益会所、商工会議所、外国語専門学校の設立、
891 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:13
そもそも幕府に郡県制や大統領制が出来る訳無いし。
892 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:14
まあ薩長にすらできることで幕府にできないわけがない罠
893 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:14
妄想爆発だな。
894 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:16
>384
東京遷都はないよ。
東京は行政府所在地で、所謂"皇居"は、東京行在所(行宮)。
皇居は、高身座のある京都御所であり、首都は、形式化しているが法的にも正式には、今も京都。
895 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:19
ま、薩長に簡単に潰された幕府程度に改革案が実行出きるわけも無し。
896 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:27
>>890 近代的会計制度:幕府は横須賀製鉄所経営に近代的な複式簿記や工業簿記を導入
株式会社:兵庫商社のことじゃない?
国益会所:構想があったのは事実
商工会議所:諸色会所は商工会議所の前身
外国語専門学校:横浜仏蘭西語伝習所だろうね。メルメ・ド・カションを知らないのか?
はっきり言えば明治維新とはテロリストが幕府の近代化事業を乗っ取った事件。
日本が近代化できたことをテロリストの業績とする意見には賛同しかねるね。
897 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:34
898 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:43
>>896 会計 簿記が翻訳されたのはもっと後。
株式会社 無理ありすぎ
商工会議所 いずれ座とかも含めるつもりですか?
899 :
日本@名無史さん:03/05/15 23:53
幕府が勝てば政教分離ができただろう。
そうなれば後日の神州不滅の神風のと言ったドキュソ思考とも無縁だったろうに。
>>899 同意。
幕府なら天皇をカルト的に神格化する必要はまったくない。
東照大権現様バンザーイ
天皇の変わりに将軍を神格化するだけだね。
西洋の立憲君主国家を模倣するなら、避けられない道。
>>898の指摘通り
当時の「株式会社」構想と「商工会議所」構想はその後の形態と大きく異なっていました。
これは以前指摘しましたが、日本経営史では常識なんです。
会計についても仕訳項目などは基本的に江戸時代と同じで
明治以後も日本は欧米諸国とかなりことなる形です。
そしてそれは現在においても続いています。
>>898 >会計 簿記が翻訳されたのはもっと後。
すると稲垣喜多造は造船所で何をしてた?
大福帳を記帳していたとでも言うの?
>株式会社 無理ありすぎ
兵庫商社は20人の関西商人の出資によるコンペニー。
出資額に応じて配当を受け取る仕組みだった。
兵庫商社が日本初の株式会社であることを認めないのは、
お馬鹿な龍馬ヲタだけ。
天皇の神格化が水戸の斉昭や藤田東湖の究極の構想なので、
慶喜本人は天皇の権威から独立した国家機構を作ろうとしていたらしいが、
斉昭や東湖に感化された手足の水戸藩連中が慶喜の構想どおりに動くかどうか疑問だし、
家茂が死ぬまでは、幕府の人事に朝廷の権威をかさに着て介入したりして
山口・小栗ら幕府官僚との関係も険悪だったし、そんな慶喜を将軍として
擁立せざるを得なかった幕府ではどっち道先は長くないような。
>>903 近代的諸制度の萌芽形態が現在と差違があるのは当然だろ。
ここで重要なのはその導入に着手したのが誰かということ。
>>906 いえ、幕末に志向されたものと明治期に実際にできたものの差を指摘したつもりですが。
ちなみに株式会社化や商工会議所の設立に尽力した渋沢は
「幕藩体制のままではここまでの事はできなかっただろう」と述懐しています。
入門者向けの渋沢の本や日本経営史の本でもこれらのことは書いてありますよ。
>>907 もしかして幕府主導で近代化することを、
「幕藩体制のままで」何かをすることと思ってる?
近代化とは幕藩体制の基礎である封建的諸関係を解体することだから、
「幕藩体制のままではここまでの事はできなかっただろう」というのはただの同語反復。
>>904 簿記の本が始めて翻訳されたのは1873年だよ。
どうやって西洋式の簿記を実施するんだよ。
910 :
日本@名無史さん:03/05/16 10:30
どう贔屓目に見ても、幕府主導での近代化は無理がある、幕府中枢にいた役人達が
おいそれとコペルニクス的180度転換したような改革についていけたと思う?やはり
薩長の有無を云わせぬ強権で推し進めなければ、あのような近代化への改革は出来
なかっただろう。
この前の敗戦でも占領軍という強権でなければ民主主義的改革が出来なかったこと
でも判るじゃないか。
>>906 結果を残したのは誰よ?
着手しただけで褒められるなら世の中楽なもんだ。
912 :
日本@名無史さん:03/05/16 12:25
結果でしか判断できない人間が多いから、薩長のようなマッチポンプ
が不当に高い評価を得てるんだろう。
913 :
日本@名無史さん:03/05/16 12:33
>おいそれとコペルニクス的180度転換したような改革についていけたと思う?
出来たと思うぞ。鎖国を開国に転換したのも、大政奉還により政権を
放棄したのも幕府自身でしょう。プロイセン王家のように、そのまま
近代国家に脱皮した例もありますし。欧米という手本があるのですから
難しいことではない。
914 :
日本@名無史さん:03/05/16 13:07
軍艦に旗本を乗せたら、拙者は300石、おぬしが250石、おぬしが働け。
漏れは本百姓、おまえ小作、漏れ小作おまえ否認、徳川で国民国家無理だろ。
>>912 結果は誰の目にも明らかだからね。
経緯や経過なんて本人の妄想次第でどうにでもなるからね。
916 :
日本@名無史さん:03/05/16 18:01
>幕府主導での近代化は無理がある
なんで薩長派ってこういう根拠のない断定しかできないんだろ?
ほとんど信仰に近いね。
そもそも明治初期に西欧文化を導入しようと啓蒙活動を行ったのは、
福沢や西周のような幕府系の知識人。
薩長は復古思想をまき散らして混乱を深めただけ。
>>916 じゃあ「できた」という証拠を見せろ!
と言われてもできないだろ?
そりゃそうだ、結果が出てないんだもん。
もしかしたら幕府がやっててもできたかもしれない、可能性はある。
でも、歴史の流れはそれを許さなかった。
キミの気持ちはよく分かるよ。幕府にも人材はいたもんな。
しかし幕府にとって変わった新政府にも人材はいた。
そしてそいつらは近代化をやった。
今の時代から見りゃぉぃぉぃてなこともやってるが
それでも日本を50年もしない内に西欧列強と渡り合える国家に変えてしまった。
その史実だけは受け止めねばなるまいよ。
新政府が作った歴史の上にいるキミが史実を受けとめずに何を言ってもね、説得力がない。
>>916 おめえが根拠のない妄想を唱えてんだよ。
出きるというならさっさと証明してみろ。
なんか朝鮮の自主近代化論を見ている気分だ。
小さな芽を見つけて、これが順調に育つという仮定(妄想)を前提にしている所がまさに同じ。
920 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:02
921 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:04
なんというか、日本が薩長のおかげで近代化したと素朴に信じてる香具師が
いまだに存在するなんて驚きw
922 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:09
>論点が錯乱してる。
>幕府と薩長の対立は武士階級内での抗争。
>薩長は反徳川であっても反幕藩体制ではない。
>薩長が意図的に「非生産的階層の解体」を行ったと思ったら大間違い。
>また、幕藩体制の「存立基盤」つまり封建的な社会構造は、
>既に幕末期には財政的に維持不可能になっていた。
>このことを幕府側は的確に理解していたけど、薩長は全く理解していない。
>幕府は、欧米に国を開き、近代的な生産様式を導入し、さらに、
>封建的な秩序を中央集権的な国家へ止揚することを模索。
>このような一連の改革策に誤りはない。
>逆に、薩長は当時日本が置かれていた現状を全く理解せず、
>将来を展望できる人材も皆無。
>近代化の動きに逐一敵対し英国の手先となって内乱を起こす。
>薩長は幕府を乗っ取った後に、かつて幕府を悩ましていた問題にぶち当たり、
>自己変革を余儀なくされただけ。
923 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:10
歴史にIFを語るのは厳禁。
そんなものはくだらない妄想でしかない。
妄想は一人きりでやってくれたまえ。
君のキモイオナニーを他人に見せ付けないでくれたまえ。
以上
924 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:14
>>923 ヴァカな薩長ヲタが登場したおかげで
話がループしてるぞ
歴史のifが妄想なら、独善的な薩長史観も妄想
925 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:17
>>924 それならそれで結構!
お前の醜いオナニーも下らないし
薩長独善史観とやらも醜いならやめればいい
お前のような馬鹿には消えてもらいたい
926 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:23
927 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:47
928 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:51
929 :
日本@名無史さん:03/05/16 21:58
>>920 もうすでに散々反論してます。
幕府が成し遂げた事(成し遂げ様としたもの)と、明治政府が成し遂げた事は、似て非なる物。
幕府では出来なかったことの証明に他なりません。
930 :
日本@名無史さん:03/05/16 22:17
>>929 なんか痛々しいからもういいよ
厨房は大好きなオナニーでもしてさっさと寝ろ
931 :
日本@名無史さん:03/05/16 22:21
>>930 だからさっさと反論したら?
まとも以前に反論すらないよ。
つーか兵庫商社が日本最初の株式会社ですとか試験にかいてみろ、
試験官全員に苦笑されることは間違い無いから。
932 :
日本@名無史さん:03/05/16 22:25
まあ佐幕派という人達は、歴史小説と現実の区別すらついていない人達ですから。
933 :
日本@名無史さん:03/05/16 22:30
記念パピコ
934 :
日本@名無史さん:03/05/16 22:43
>>932 それが事実であることを証明しれくれよ。
証明してくれよ
だな
936 :
日本@名無史さん:03/05/16 22:55
徳川家を担ぐ体制派(現支配層)と天皇家を担ぐ革新派(下級層出身で妬み心の強いヤシら)
連中の権力争奪戦でせう。あの時点までくれば、どちらが権力奪取しようとも
内外の情勢で開国、近代化は避けられない。もとはといえば、革新派は攘夷が旗印だったが
自分らが権力握ると、何時の間にやら開国、近代化に変身(心)。
937 :
日本@名無史さん:03/05/16 23:07
自民党橋本派と小泉の差ぐらいやろ、徳川幕府と明治政府の違いなんて。
938 :
日本@名無史さん:03/05/16 23:27
野中と阿部の考えは180度違うかと。
そういや森派は元々岸佐藤に連なる、長州閥だな。
939 :
日本@名無史さん:03/05/16 23:42
福地源一郎によると「薩長幕府」だそうだ。
内閣総理大臣 徳川慶喜
外務大臣 勝海舟
内務大臣 榎本武揚
大蔵大臣 山田方谷
陸軍大臣 板垣退助
海軍大臣 西郷従道
司法大臣 江藤新平
文部大臣 副島種臣
農商務大臣 西郷隆盛
逓信大臣 前島密
内閣書記官長 大久保利通
法制局長官 西周
これが実現してればこんな喧嘩もしなくてすんだのにな。
941 :
日本@名無史さん:03/05/16 23:58
長州系が一つも入っていないような?
わざといれてないの?
現実には、総理大臣を始め外務内務大蔵司法陸軍は長州閥の傘下で、
文部逓信農務省枢密院あたりも強い影響下におかれてるのに。
「可能性」と「実現」というところで紛糾しているように思うが?
「幕府による近代化は可能だった」という人と
「実現したのは薩長を中心とする新政府だ」という人。
もう少し厳密に言うと前者の主張は
「幕府は近代化の準備を行っており一部は実行されつつあったので、
倒幕されなければ近代化できた可能性があった」というもの。
後者の主張は
「近代化のアイデアや準備は幕府から頂戴したものがあったが
実際に近代化したのは新政府だ」というもの。
基本的にこの二つは矛盾しないと思う。
そのぐらいのことは幕末・維新のことをある程度勉強している人ならわかるんだろうけど。
たまに面白い書き込みがあるけど、話題がループしてばかりなので
ちょっと議論の仕方を変えてみてはどうだろうか?
「幕府による近代化の可能性があった」と主張する人は
「何があれば幕府による近代化が可能であったのか」を考えてみてはどうだろう。
反対に「近代化したのは新政府だ」と主張する人は
「新政府が近代化できたがその要因はなんだったのか」を考えてみてはどうだろう。
そうすることで罵りあいや話題のループは避けられるのでは?
944 :
日本@名無史さん:03/05/17 00:02
幕府がすでに行った改革や幕府系の人材がなかったら明治の日本はイギリスかどこかの植民地にされてただろ。
945 :
日本@名無史さん:03/05/17 00:03
その人材を全く生かせず滅んだのが幕府なんだが。
>>942 大村は陸軍大臣にしてもいいかな〜と思ったけどね、早く死にすぎたので除外。
長州が入ってないのは意図的じゃないし
あげた人物もあくまで自分の理想と妄想の産物。現実無視(w
947 :
日本@名無史さん:03/05/17 00:08
新政府は馬鹿じゃないんだから、幕府の改革や人材の中で使えるモノだけは使ったのだよ。
意固地になって前政権を全否定している、アフォな政府ではないのだからな。
じゃあ、総理は俺で良いよ
>>947 割り込むなよっ!
恥ずかしいじゃないかっ!
新政府マンセーでも幕府の人材自体は肯定してる人が多いんじゃね?
945の言うとおり、いくら最新ソフトを持っていても
ハードが20年前のボロPCで読み込み不可だったら何の役にも立たない罠。
実際947の言うとおり新政府は旧幕府の人材も登用してるし。
952 :
日本@名無史さん:03/05/17 00:11
>>946 木戸のように病死じゃないんだから、入れてあげなよ。
彼がいないと徴兵制が施行されんよ。
953 :
日本@名無史さん:03/05/17 00:12
>>940 勝に外務大臣は無理。
>>943 おきまりで「幕府では近代化できっこない」と言い張る香具師が
でてくるからループになる。
じゃあ、俺が外務大臣で
それで決着じゃ。
955 :
日本@名無史さん:03/05/17 00:18
明治新政府はそこにある材料で、明治維新を成し遂げた優れたコックって所かな。
幕府というか日本という材料は、決して劣ったものではなかったが、
いい材料があれば、国が必ずしも発展を遂げるものではない。
料理人が下手糞なら、北朝鮮のようになっているだろうしね。
そして明治政府はいい材料を作る為の努力も怠ってはいない。
じゃあ、お前は悪魔ちゃんということで。
958 :
日本@名無史さん:03/05/17 00:28
「できっこない」という主張もまた歴史のイフじゃん。
じゃあ、お前はEHUで
960 :
日本@名無史さん:03/05/17 02:35
やっぱ明治の土台を築いたのは
大久保なの?
木戸と大久保って所だろ。
木戸は違うだろ。
俺としては江藤を押すが。
あ〜でも江藤は明治の土台築いたとは言えねーな。
今の時代から見ると業績は凄いけど。
大隈でしょ
大久保→伊藤山縣大隈黒田ライン
江藤は可哀想だったね。能力が先走りすぎた。
>>963 病気で引篭る前の木戸の業績は無視できないよ。
木戸が頑張っているいる間は、大久保も一行政官の1人に過ぎなかった。
由利公正→広沢種臣→木戸孝允・大久保→西郷→大久保→伊藤・山縣・大隈
次のスレ立てる?
969 :
日本@名無史さん:03/05/18 07:29
>>943 近代化というのは工業の発達とか商業の発達以前に
政治形態の変革が必要だろう。
幕藩体制のままでの近代化はあり得ない
明治政府の行ったような廃藩置県が幕府により可能だっただろうか?
廃藩置県は幕府の存在自体が崩壊してしまうような改革だと思うが
そんなことを幕閣が実行し得ただろうか?
また明治政府が四民平等をなし得たのは、敵(幕府)に対する強烈なアンチテーゼという
側面もあったので、早い時期に身分制度を撤廃させることが出来たように思われる
身分制度の撤廃も幕府による実現は難しいだろう。
またこれらの重大な政治改革は強力な中央政府がなければ成し得なかった
当時の力の衰えが目立つ幕府には到底なし得なかっただろう。
倒幕が遅れていたら、重大な決断を迫られる事項はズルズルと先延ばしにされ、
それだけ近代化は遅れ、日本は先進国入りどころかいずれ西洋の植民地にされただろう
そうなるとアジア・アフリカの希望の星であった有色人種の先進国はこの世に存在しなくなり
有色人種は白人には敵わないという強迫観念に陥り、21世紀になっても白人帝国主義が世界を
覆って、有色人種はすべて白人の奴隷という可能性もあっただろう。
まさに明治維新こそは世界を救った一大事業だったと思う
970 :
日本@名無史さん:03/05/18 09:24
>>969 正にその通り。
遅かれ早かれ、ぶっ倒れる運命にあった幕府を薩長が幕引きを行っただけ。
武士の頭領の征夷大将軍としての各大名への締め付けはあったものの、その
実300諸侯といわれる各大名は独立した自治国家のようなもの、完全な中央
集権でないための自己矛盾は、幕府の威光という形で外圧(ペリー来航)まで
は何とか押さえられていたが、時代の波に乗り西洋列強の足音が肌身に感じ
出してからは、一挙にその矛盾が表面化し倒幕へと傾斜していった。
もし倒幕が遅れていれば、それだけ近代化は遅れ西洋列強(特にフランス)の
餌食(植民地)になっていた可能性もある。
また慶喜や御用学者が考えていた徳川保身の虫のよい大君制もナンセンス。
971 :
日本@名無史さん:03/05/18 11:29
幕府が行っていた、全国の人口調査の資料、
ペリー来航以後は、数字がでたらめになってしまう。
各藩が正確な数字を、幕府に出さなくなったから。
それ以前から、すこしいい加減にはなってきているのだが。
それを考えると、幕府だけ見れば改革ができたようにも思えるが、
各藩に改革を強制することは、「倒幕」「戊辰戦争」という軍事的勝利を
背景にした新政府でなければ無理だったとも思う。
事実、鹿児島・山口県庁に他府県出身の官吏が赴任できるようになるのは、
西南戦争以後。この期間に、近代化が遅れたことが
両県が現在「田舎」になってしまった原因の一つだとも言われていますよ。
>>696-670 またループだw
幕藩体制が経済的に行き詰まっていたからこそ、
中央集権化に向けた政治形態の変革は不可避だった。
これが復古の立場に立っていた反動的な薩長ですら、
「廃藩置県」や「政治改革」に踏み切らざるを得なかった理由。
オマエの理屈は「幕府は幕府を否定できない」という勝手な仮定を繰り返してるだけ。
妄想もいいかげんにしろ。
973 :
日本@名無史さん:03/05/18 12:18
開国した以上幕藩体制の維持が出来ないのは必然だった。
そもそも幕府は「令」を下すことは出来ても、「法」を発することが、
出来ない。
諸外国と交易するにあたって商法、民法がないままでは、
向こうの思うがままだろう。
通貨の統一も急務だった。
金、銀、銭の3貨を統一しようとする動きは、
田沼時代に見られたが、利権を侵されると見た両替商らが、
松平定信を支援することで失敗した。
鎖国が続くならば、抵抗勢力であった彼らだが、
開国となれば逆に通貨統一の推進者となった。
そして維新後、複雑な国際為替相場にも容易に適応できたのだ。
他のアジア諸国に比べ、経済戦争において善戦できたことの、
功績は軍隊以上のものがあると思われるが、
いつも悪徳商人よばわりされている。
974 :
日本@名無史さん:03/05/18 12:26
696のような意見が典型だけど、
「幕府主導で近代化する」ことと「幕藩体制のままでの近代化」を、
意図的に混同してるんだよね。結論はガイシュツでしょ↓。
>論点が錯乱してる。
>幕府と薩長の対立は武士階級内での抗争。
>薩長は反徳川であっても反幕藩体制ではない。
>薩長が意図的に「非生産的階層の解体」を行ったと思ったら大間違い。
>また、幕藩体制の「存立基盤」つまり封建的な社会構造は、
>既に幕末期には財政的に維持不可能になっていた。
>このことを幕府側は的確に理解していたけど、薩長は全く理解していない。
>幕府は、欧米に国を開き、近代的な生産様式を導入し、さらに、
>封建的な秩序を中央集権的な国家へ止揚することを模索。
>このような一連の改革策に誤りはない。
>逆に、薩長は当時日本が置かれていた現状を全く理解せず、
>将来を展望できる人材も皆無。
>近代化の動きに逐一敵対し英国の手先となって内乱を起こす。
>薩長は幕府を乗っ取った後に、かつて幕府を悩ましていた問題にぶち当たり、
>自己変革を余儀なくされただけ。
>>971 >各藩に改革を強制することは、「倒幕」「戊辰戦争」という軍事的勝利を
>背景にした新政府でなければ無理だったとも思う。
そのとおりだと思う。
しかし倒幕派の勝利は一種のまぐれだからな〜
慶喜が夜逃げするようなヘタレじゃなかったらどうなっていたか。
倒幕派はギリギリのところで様々な幸運に助けられて勝利できたけど、
逆にいえば、幕府が長州や薩摩を壊滅させ、
その勢いで一気に中央集権化という流れもありえたってことだね。
976 :
日本@名無史さん:03/05/18 12:46
身分制度の撤廃は歴史の流れだよ。薩長だろうが幕府だろうが
関係ない。旧幕残党の蝦夷共和国では選挙がすでに行われている。
お手盛りで貴族に成りあがって四民平等とはなんだ。
977 :
日本@名無史さん:03/05/18 13:17
箱館政権は「共和国」でも四民平等でもないんだが。
いちいち説明するのも面倒だが、徳川脱藩武士団領とでも言うべきもの。
念願どおり徳川の公子を擁立できたら、「蝦夷徳川藩」になってた。
978 :
日本@名無史さん:03/05/18 13:46
>>975 まぐれだろうと旧体制側を壊滅させたからこそ改革ができた。
もしも幕府側が勝利して中央政権化したとしても、明治政府のように急激な改革は不可能だったろう
頭でわかっていても政権を担当する人間が変わらないとなかなか改革なんてできないものだよ
979 :
日本@名無史さん:03/05/18 13:49
ま、今となってはどっちでもいいこと。
980 :
日本@名無史さん:03/05/18 14:04
幕末の幕府=現在の自民党政権
ま〜、改革なんて無理。
能力も気概もないし、政官財の癒着がひどいからがんじがらめ
981 :
日本@名無史さん:03/05/18 17:11
明治初期はまだ武士の時代だから、今の自民党と一緒にするのはナンセンス。
人口調査とか石高は外様大名は偽ってたからな。
外様の領地はかなり開墾されていて石高はかなり高くなっていた。
さらに開墾地は事実上豪農の物になっていたので大名など取るに足らない存在
になっていた藩が多数あった。商人も豪農も表向きは殿様に従っていたが
いざ薩長につくか徳川につくかという問題になったら彼らの利益になりそうな.
薩長を選ぶことになった。
984 :
日本@名無史さん:03/05/18 23:49
そういや人口調査で思いだしたが、戸籍の発祥は実は長州藩だったりする。
長州藩で行われていた戸籍が、明治日本のスタンダードになったのは興味深い。
その他にも、学制、徴兵制などは長州藩で行われていた事の拡大再生産っぽい。
長州藩が馬関戦争の時、庶民が自主的に差し出した金物や、
寺の鐘を溶かして大砲を鋳造していたのを知ったときは、ちと笑った。
新スレどうする?
986 :
日本@名無史さん:03/05/19 00:37
>>978 >頭でわかっていても政権を担当する人間が変わらないとなかなか改革なんてできないものだよ
倒幕に成功した薩長も武士の寄せ集め。頭でさえ分らずに明治政府に対して反乱起こした元維新の功労者をどう見る?
たまたま明治政府はそういう薩長のわからず屋に勝利できた幸運があった。
同じ幸運が新生幕府勢力にあれば幕府内の闘争で改革派が勝って同じ結果になろう。
987 :
日本@名無史さん:03/05/19 00:58
>981
>明治初期はまだ武士の時代だから
表面上は下級武士出身者(尊皇攘夷を大義名分として、実際は開国を続けるつもりだった一部の指導者)が役人になったが、
彼らは大商人から活動資金をもらっていた。
尊皇攘夷を心から信じていた多くの下級武士は、商人が貿易で利益を上げていることによって、
国内が物不足になりインフレになって、ますます生活が苦しくなり、商人を敵対視していた。
だから大商人たちは目立たぬように一部の開国派下級武士と組んでいた。
988 :
日本@名無史さん:03/05/19 01:05
989 :
日本@名無史さん:03/05/19 17:58
>>986 まだオナニーしてるのかこの低脳は。
無意味なことをよく飽きもせずに、本当の馬鹿のすることには感心するなw
990 :
日本@名無史さん:03/05/19 19:47
どっちも不毛なことやってるなw
991 :
日本@名無史さん:03/05/19 19:57
>>989 おまえ公共の場で「オナニー」を乱発して恥ずかしくないか?
一度お医者さんにアタマを診察してもらえ。
で、しんすれは?
議論に負けてヒステリーおこしてる薩長ヲタは見苦しいねw
新スレキボーヌ
994 :
日本@名無史さん:03/05/19 20:17
うんこスレは不要
恥ずかしいオナニースレを立てた露出狂は精神病院に入るべき
オナニーを見せつけることが議論に勝ったと思い込んでいるキチガイは氏ね
佐幕派は変態
1=佐幕派=露出狂オナニー狂いの変態
妄想は一人でやってろ!アホが
オナニーキチガイの佐幕派は追放しよう
もうオナニースレは立てるなよ、
見苦しいからなw
1001 :
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