乃木を語れ! その2

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1日本@名無史さん
日露戦争百周年迫る今 改めて 乃木希典 の功罪を語る。

参照スレ
>>2-5あたり
2日本@名無史さん:03/02/15 19:02
ここにいたるまでの死闘の記録

「二百三高地」
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/army/1040045964/

「乃木を語れ!」
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1024412885/

「二百三高地ってどうなの?」
http://yasai.2ch.net/army/kako/1008/10080/1008063435.html

「二百三高地パート2」
http://yasai.2ch.net/army/kako/1011/10116/1011605091.html

「続・乃木さんて、どういうひと?」
http://academy.2ch.net/history/kako/1000/10003/1000326922.html
3日本@名無史さん:03/02/15 21:06
新スレ 一応立ててみました。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1045303325/l50
よろしければどうぞ。
4日本@名無史さん:03/02/15 21:12
命イタダキ ( --)o-( *゚ロ゚)- プス…!!
http://hkwr.com/
5日本@名無史さん:03/02/15 21:14
6嶽原:03/02/15 21:32
>>1 初代スレを追加させてもらいます。

「乃木さんて、どういうひと?」
http://mentai.2ch.net/history/kako/979/979984185.html
7日本@名無史さん:03/02/15 23:56
太平洋戦争時のどうしようもない提督・将軍
(誰とは言わんが某インパールの人とか)
に比べると挙げた戦果も人間性もはるかにましだと思う。
しかし、旅順第一次総攻撃や白襷隊で兵を無駄死にさせすぎたのは
確かだと思うのでとても名将とは思えない。

それほど成果が上がっていないものに対してまで
強引に評価しているのはさらし上げの一種ですか?



8奇兵本営:03/02/16 00:28
いつも楽しく読ませて頂いております。
自分は皆様程乃木さんの事はしりませんが当方の専門は西南戦争ですので
植木〜木の葉前後の薩軍将兵の日記を一部現代文で抜粋させていただきます。
戦役中に書いた物、後日談を中心といたします。
初めに断っておきますが、日記に書かれてる事、後日談は又聞き、過大評価の傾向も
強いので全部が本当だとはおもわないで下さい。
それから嶽原さんに御質問ですが乃木さんの秋月〜西南戦争期の行動については
何を読まれて発言されているか教えて下さい。
この時期の14連隊、乃木さんに関する詳細な資料が少ないので参考にしたいのです。
9奇兵本営:03/02/16 00:50
私学校生徒随行に付日記 野田實雄
旧正月10日 晴天
朝7時より合戦が始まり植木町へ東兵差入に相成模様、植木へ5の3(小隊)
、私共の隊の2小隊で差向にいくも東兵引取りに付大久保迄引揚る。
その後5の3一戦あり勝利。
同11日 半天
大久保より木の葉へ4小隊、正面に2小隊5の3、5の9各隊横に相掛り木の葉
の本営まで切付、分捕り針打200挺、騎馬1頭分捕り大勝利、当所守り悪く
木の葉町より植木へ夜に引揚夜道に付き大変難儀。
10奇兵本営:03/02/16 01:07
>>9補足
2月23日木の葉の戦いに参加した5番大隊9番小隊の兵士の日記です。
この時期の薩軍は1個小隊200名(軍夫、給養等を含めると240前後)
5の9はその後山鹿へ移動14日の山鹿方面の戦いで敵108名討ち取り
と日記に書いているがこれは割り引く必要がある。(過大評価の例)
2月23日木の葉の戦い14連隊戦死者
当日死亡24名
後日死亡 1名
吉松少佐戦死(第3大隊長)

11奇兵本営:03/02/16 01:18
丁丑の役余談 財部興之進他
木の葉の町にて我右列の兵と戦いが始まり我等はこれらに応援して、官軍を
木の葉より追払いたり。
我隊は官軍の所持する銃、弾薬を奪い取り国許より携えてきたミニへ−ル銃
とスナイドル銃と悉く取り替えたり。
12奇兵本営:03/02/16 01:24
>>11補足
4番大隊9番小隊兵士財部氏(18才)の回顧談です。
日時のずれはありますが、木の葉の戦いに参加した時の回想です。
13日本@名無史さん:03/02/16 01:25
乃木は負け犬
14嶽原:03/02/16 01:59
>>8
 「新編西南戦史(原書房・陸上自衛隊北熊本修親会)」には、十四連隊に
ついての事がけっこう詳しく書かれていました。
15嶽原:03/02/16 03:11
 もう一つ、「研究 西南の役(三一書房・山下郁夫)」を、とても参考に
させてもらいました。
16日本@名無史さん:03/02/16 03:25
逆に多数の戦死者を出しても、前へ進む無能な乃木だから、ロシアは逆に怖かったんじゃなかろうか?
17奇兵本営:03/02/16 03:29
嶽原さん有り難う御座いました。
新編西南戦史は当方も所持しておりますが、戦役全般を通じての14連隊の
詳細な足どりを知りたいです、戦史室で調べるしかなさそうですね。
旅順戦の時みたいに皆様の多数の御意見にくらべ、西南戦争14連隊緒戦、
植木、木の葉、安楽寺の戦いについて意見がでないのはいかに情報が少ない
かですね!


18嶽原:03/02/16 03:36
>>16
 日本軍は、そうせざるを得なかったという事です。
 金州攻略も、結局は突撃で取ってますね。別に乃木だけの得意技ではあり
ません。
19嶽原:03/02/16 03:46
>>17
 そう言われてみると、征討軍指揮下以後は詳しく書かれていなかったように
記憶しています。北九州市の14連隊跡地に資料館があるそうですが……。
20奇兵本営:03/02/16 04:05
「研究 西南の役」は戦後の本にしては相場が高いので購入してませんが
内容はよさそうなので気にはとめていました。今週にでも買いにいきます。
明治9年秋月〜萩の乱では乃木さんなくして語れません実弟、玉木文之進
しかり、小倉14連隊に乃木さんを任命した理由も解ります。
又、機会があればお邪魔いたします。

21日本@名無史さん:03/02/16 21:33
話が逸れますが、河出文庫・岡本綺堂『江戸っ子の身上』という
本に、日清日露の従軍記者体験が、ちょろっと載っています。
22日本@名無史さん:03/02/16 22:26
>>18
問題はそれをどのタイミングで使うかということだが・・・。
23嶽原:03/02/17 01:17
>>22
 事前砲撃の後に使ってますよ。
24日本@名無史さん:03/02/17 06:38
>18 金州がべトンで固められた旅順と同じなのか?
ようやく次スレが立てられたか。まずはめでたい。
少なくとも>>5の糞スレよか伸ばしたいもの。
さっそく>>24が素晴らしい代案聞かせてくれそうなので期待sage。
26嶽原:03/02/17 21:21
>>25
 あっちに続くのかな、と思ってました。次スレどうするか聞いといて良かった(笑)。
27日本@名無史さん:03/02/17 21:53
第二軍による南山の戦いや第三軍自身による旅順の前哨戦
で損害が出ているのに、何も考えてないかのような
第一回総攻撃での大損害。
第二回総攻撃の失敗。
白襷隊の全滅。
・・・有能とはいえんだろう・・・

結果論言ってもしょうがないが、203高地に気付かなくても
水師営付近の陣地をまずは集中攻撃すべきでは?
旅順の出丸的存在だし。

28嶽原:03/02/17 22:00
>>27『>水師営付近の陣地をまずは集中攻撃すべきでは?』
 08月の総攻撃で要塞自体を陥落させるつもりだったので、08月に攻撃しな
かったんだろうと思いますが。
 前衛陣地を目標とする09月攻勢の時に陥落させてますね。やはり出丸のよう
な、邪魔な存在だったんでしょう。近くの龍眼北方堡塁は水源地でもあるし。
29嶽原:03/02/17 22:08
 伊地知第三軍参謀長は、第九師団や砲兵部隊の到着を待って攻撃を始めよう
と考えていたそうです。
 ところが、そこに児玉満州軍総参謀長が訪れ、かなりに切迫したスケジュー
ルを要求したのです。
 何も考えていなかったのは、この場合どちらなんでしょうか。
30日本@名無史さん:03/02/17 22:19
>29 とっくみあいまでして止めるべきですが、日露戦争自体を
昇進のための切符としか考えていない連中にとっちゃ、やりませんわな。
31嶽原:03/02/17 22:47
>>30
 私は、伊地知も児玉も、色々考えていたと思います。
 伊地知はかなりに慎重路線だったそうですが、急かした上級司令部にも戦局
全体を見た上での要請であり、「刻下の情況、第三軍に少しく無理押しを望は
実に已むを得ざるべし」というところでしょうか。
 戦争は既に始まっており、旅順の迅速な陥落が重大視されている状況です。
とっくみあいしても仕方ないと思います。
32日本@名無史さん:03/02/17 22:55
>>31 第一回攻撃前、井口と伊地知は取っ組み合いをする勢い・・(実際したかもしれないが)
だったそうで。自分の意見に自信があるのであれば、また戦争に勝とうという
気力があるならば、児玉の意見に対し取っ組み合いをしてでも自分の意見を
通すべきでしょう。
 慎重路線というより伊地知本人が迷走していたと考えるべきでしょうね。
33嶽原:03/02/17 22:55
>>30『> 日露戦争自体を昇進のための切符としか考えていない連中』
 勝つことが判っていれば「昇進切符」なんて余裕もあったかも知れませんが、
当時、そんな事を考えていた人がいたとは思えません。
34日本@名無史さん:03/02/17 23:01
>>33 官僚的組織というのは勝ち負けはそんなに関係ありません。
負けても日本本土が攻め取られるわけでなし、満州での権益が
なくなるだけです。
それよりかは、肥大化している軍組織の中で重要な位置に就くこと
が重要となります。

35日本@名無史さん:03/02/17 23:02
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36sexyQ:03/02/17 23:04
ともかく結果なんじゃないのかな?児玉が来て戦況は好転したんだから
37嶽原:03/02/17 23:22
>>34『>負けても日本本土が攻め取られるわけでなし』
 そうですか?
38日本@名無史さん:03/02/17 23:28
>>32に同意
太平洋戦争のキスカ撤退作戦時、木村昌福少将の第一水雷戦隊は
一度目はキスカに突入しなかった。
そのために相当非難を浴びたが、二度目で成功させた。

作戦を成功させるには「待つこと」も必要だろう。

39嶽原:03/02/17 23:39
>>32『>自分の意見を通すべき』
 上級司令部に「第三軍は、全般作戦上なるべく速やかに旅順を攻略せよ」と
言われて、自分の意見を通す……更迭されたりして。
 井口との論点は主攻方面問題という、現地軍の裁量に関わる問題であって
「全般作戦上」の問題ではありませんから、激論の余地があると思いますが。
40嶽原:03/02/17 23:47
>>38
 その時艦上にいた指揮官の判断は、正しかったと思います。ところで、
その時木村少将の判断に反対した人は、少将の部下ですか?上司ですか?

 満州軍総参謀長と、第三軍参謀長とで判断が分かれたら、どちらがどちらに
従うべきなのでしょうか。
41嶽原:03/02/17 23:51
 児玉の要望は「全般作戦上」を考えてのものですから、隷下の軍の参謀長と
しては、それに従わざるを得ないでしょう。
 当時、両者共に旅順要塞をあれほどに頑健なものとは考えていなかったですし。
42日本@名無史さん:03/02/18 06:56
>>40 大本営参謀と第3軍参謀での判断が分かれたら
どちらがどちらに従うべきなのでしょうか?
あなたがいつも反対意見としていることと同じこと。

児玉は全般の作戦を述べているだけであって、1戦場に
こまごま言う物でなかった。
児玉来順時、第7師団長は攻撃不可という意見具申をして
認められてますね。
43日本@名無史さん:03/02/18 07:01
>>40 部下、5艦隊司令部、連合艦隊司令部、大本営からも非難され、
少ない燃料状況から一回で成功させろという命令もあったよ。

貧乏な国の名将というのはこういものさ。
44嶽原:03/02/18 08:43
>>42・43
 いえいえ、決断のその時の反対者ですよ。その時その場に居た最高指揮者で
ある木村少将の決断だったのでは。
 旅順についていえば、満州軍総参謀長の考えが、それに当たるものでは。
しかも、その考えは「全般作戦上」を考えてのものですし。
45嶽原:03/02/18 08:48
>>42
 全般作戦上、旅順強襲が求められたという事ですね。

 満州軍総司令部の、その要請はやむを得ないものであるし、それを受けて
強襲した第三軍の選択も、やむを得ないものであると思いますが。
46日本@名無史さん:03/02/18 08:59
アゲてまでばかいってるな。
47嶽原:03/02/18 09:17
>>46
 アゲる時ぐらいは意味のある書き込みをどうぞ。
48日本@名無史さん:03/02/18 09:53
現場の最高指揮官は児玉か 。

ホントに馬鹿だな
49嶽原:03/02/18 20:44
>>48『>現場の最高指揮官は児玉か』
 私はそんなこと言ってませんよ。
 戦闘の始まる前に、満州軍総参謀長と隷下軍参謀長との話し合いが行われ
た場合、満州軍総参謀長の考えが優先される事に、何の問題があるのか?と
いうことです。

 そういう話をしている時に、38氏が木村少将の決断を例を持ち出したのは、
何の意図を以て持ち出したのかは、知りません。
50日本@名無史さん:03/02/18 21:27
>>44
その時その場に居た最高指揮者である木村少将の決断だったのでは。
 旅順についていえば、満州軍総参謀長の考えが、それに当たるものでは。
 
 この文を読む限り、その場の最高指揮者の決断は満州軍総参謀長の考えにつながるが?
参謀長の考えと第3軍の考えが違う場合、木村少将の如く、第3軍側が説得すべき
でしょと述べているに過ぎない。
51日本@名無史さん:03/02/18 21:29
だいたい、満州軍総参謀長の考えがその時の現場最高指揮官の判断となるなんて
アホな事言っているのが全然解ってないのがイタイヨォ。
52嶽原:03/02/18 21:43
>>50

 キスカ撤退作戦時、中止決断が行われた場所(艦上)での決定者は「木村少将」。
隷下艦長の「本日突入至当」「決断を待つ」等の意見具申よりも、この決断は優先
されますね。何の問題もありません。

 遼東半島西進時、旅順攻撃着手が決断された場所(会議)での決定者は「児玉参
謀長」。隷下軍参謀長の「第九師団、砲兵などの到着を待って」等の意見よりも、
この決断は優先されますね。何の問題がありますか?
53嶽原:03/02/18 21:46
>>51
 だいたい、大連付近に居た頃の会議での児玉−伊地知のやり取りの
話をしているのに。
 突然、キスカ撤退の現場ギリギリでの決断例を出すのは、好例とは
言えないと思います。
54嶽原:03/02/18 21:53
>>50『> 第3軍側が説得すべきでしょと述べているに過ぎない』

 「全般作戦上、無理押しやむを得ず」と満州軍総司令部に言われれば、
それに従うのは当然だと思います。

 この時期はまだそれほど状況が切迫していた訳ではなかったのですから、
尚更です。そんな状況で隷下軍司令部が、総司令部を説得した例など、
ありますか?
55日本@名無史さん:03/02/18 21:59
>>52 隷下艦長の本日突入至当? 駆逐艦長が阿武隈の艦上にいたのか?
56日本@名無史さん:03/02/18 22:05
>>53 燃料事情も逼迫し、第5艦隊司令部よりの天気予報では
突入に最適とし、駆逐艦長より本日突入ヲ至当ト認ムとの信号も
あるなかでの第一次作戦の判断と、バルチック艦隊が近づいて、
諸事情による逼迫もあり、満州軍司令部より急かされている状況は
極めて似ていると思いますが?
57嶽原:03/02/18 22:13
>>52
 駆逐艦長が旗艦に居る訳がないでしょう?意見具申が「伝えられた」に過ぎません。
>>53
 状況として完全に異なっているのは、「その決断の場」がどれほど切迫して
いたか、です。
 旅順のケースでは旅順の堅固さが不明確な時期であり、「無理押しを望むは
止むをえない」という判断に、反対するまでの状況ではありません。
58嶽原:03/02/18 22:15
57訂正。
 57で、52・53宛ての様に書いてますが、これは55・56宛てのものです。
59日本@名無史さん:03/02/18 22:19
>中止決断が行われた場所(艦上)での決定者は「木村少将」。
>隷下艦長の「本日突入至当」「決断を待つ」等の意見具申よりも

さも阿武隈艦長が艦上にて本日突入至当と述べたように書いてますが?
60日本@名無史さん:03/02/18 22:21
不明確だから、無理押しを望むは止むを得ないと考えるのですか?
普通は不明確だから、要塞の状況を確認しつつ、状況に合わせて
対処するということを考えますが・・。
61嶽原:03/02/18 22:23
>>59
 では、誤解の無いように改めて。
 「隷下駆逐艦長から伝えられた意見具申」よりも、木村少将の決断
の方が優先される事に、なんの問題もありません。

 駆逐艦長が旗艦上に居るのか?だとか、訳の分からない突っ込みなど
予想もできませんでしたよ。
62日本@名無史さん:03/02/18 22:29
>>61 後方の司令部が予報よりもう少し辛抱してそのまま進んでいけば
霧がかかるはずだ、と述べているのに対し、実施部隊の方では、現に
霧がかかってないので、と反発している。

この状況は極めて初期の旅順の状況に似ていますが・・。
63嶽原:03/02/18 22:30
>>60『>普通は不明確だから、要塞の状況を確認しつつ、状況に
     合わせて対処するということを考えます』

 要塞だけが相手なら、ですね。満州軍は、旅順要塞だけを相手にして
いるわけではありませんから。だから『全般作戦上やむをえない』と
なるのです。
64日本@名無史さん:03/02/18 22:35
要塞の状況が不明確ですから、もし一撃で落ちなかった場合の
事を考えるのも当然です。満州軍司令部は全体のことを把握する
のは当然ですが、第3軍としては要塞だけを考えておけばいいはずです。

当然、第3軍の現場の意見が最優先されるはずですが?実際されて
ましたし・・。あまりにも偵察不行き届きとしかいえませんが?
65日本@名無史さん:03/02/18 22:38
>>63
何のために第3軍に司令部があるのですか?
児玉は旅順攻略に際して具体的な指示を出しましたか?
旅順を包囲した際少なからず損害が出ましたが、
あえて悪名をかぶって計画の練り直しを行う手もある筈ですが?
66嶽原:03/02/18 22:42
>>62
 ああ、そういう事例なら、旅順の時もありましたね。
 第一回総攻撃開始日は既に決められていたのに、それをギリギリで一日
延期してます。
 前線に配置した突撃部隊をはじめ、準備を終えた部隊や、早期陥落を
待ち望んでいる大本営・満州軍総司令部には、けっこうヤキモキさせた
そうです。
67嶽原:03/02/18 22:45
>>64『>第3軍の現場の意見が最優先されるはずですが?実際されてました』

 いつの話でしょうか。
 初期については、児玉の例に限らず、早期攻略を言われ続けています。
 後にも、二百三高地主攻案などで干渉され続けています。
68日本@名無史さん:03/02/18 22:46
有近参謀がいいんですか?と聞きなおしてますね。
第5艦隊司令部はなんとしてでも突入せよと命令を
送ってくるし、アメリカ軍は既にアッツを攻略しているし、
こういう状況下でよくあの決断をして、撤退が成功したあと
も文句を言われつづけているんだけど・・。

第3軍首脳部は老朽変則の人事ですから、融通が聞かなかったの
でしょうね。

69嶽原:03/02/18 22:48
>>65『>何のために第3軍に司令部があるのですか』

 満州軍総司令部の隷下軍として、旅順要塞を陥落させるためですね。
 その満州軍総司令部が、「無理押しやむを得ず」と言っているのですよ。
その意向に従って計画を立てるのが、当然です。
70日本@名無史さん:03/02/18 22:49
>>65 11月になっても敵堡塁の強度も解らなかったような電文を
送るくらいですからね。榊原工兵大佐以外、まともに第3軍首脳部は
前戦偵察を行ってないですから・・。
71日本@名無史さん:03/02/18 22:53
>>69 現在の状況よりも上からの命令を重視するのがおかしいってぇの。
まぁ、野戦でない要塞戦で現場視察を怠っている第3軍では仕方の無いこと
だがな。
72嶽原:03/02/18 22:53
>>68
 融通がきかない司令部だったら、決定済みの総攻撃日を延期したり、
強襲法失敗後に日を置かず正攻法を選択したり、マニュアルもない正攻
法のマニュアルを即製したり、とても出来ませんよ。
73嶽原:03/02/18 22:55
>>71 その時の「現在の状況」とは、大連からさほど戦線が離れて
いない頃ですよ。
74日本@名無史さん:03/02/18 22:56
>>69
あなたの言っている事は正しい。
で、その結果第一次攻撃で大損害を出したわけですが、
その責任はどうなる訳でしょうね。
75日本@名無史さん:03/02/18 23:01
大連からさほど戦線が離れていない状況を引きずって旅順も同じと
判断したのですか?

それこそバカの固まりですか・・第3軍首脳部は。
76日本@名無史さん:03/02/18 23:01
>>72
「融通がきかない司令部だったら、決定済みの総攻撃日を延期したり、
強襲法失敗後に日を置かず正攻法を選択したり、マニュアルもない正攻
法のマニュアルを即製したり、とても出来ませんよ。」

延期したり→延期して
なら乃木を今すぐ名将と認めます。
77日本@名無史さん:03/02/18 23:05
>>76
決定済みの総攻撃日を延期して、強襲法前に正攻法を選択したり、
マニュアルもない正攻法のマニュアルを即製して、満州軍を説得、
大本営も説得したならば、名将でしょうね。
78嶽原:03/02/18 23:05
>>70
 09月時点で、既に敵堡塁の調査を行うように、具体的に教示されて
おりますが。

『堡塁突撃に関する教示 明治37年09月10日
第一章 突撃準備
     二・敵堡塁の偵察
…部隊長は為し得る限りの手段を講じ、絶えず敵堡塁の偵察を行うべし…
(堡塁の経始、断面複廓の有無、咽頭部の形状、外壕側防の有無、
 掩蔽部大小口径砲および機関砲の位置、並びに地雷の有無など)』

 また、軍参謀は、08月攻勢で占領した盤龍山東西堡塁の状況を視察しています。
 榊原工兵大佐以外……というのは、第十一師団の方面、しかも志岐氏
の観察の及ぶ範囲の話ではないのでしょうか。
7976:03/02/18 23:06
延期したり→延期して(以下削除)、マニュアルもない
に訂正
80嶽原:03/02/18 23:07
>>76
 延期してますよ。
81日本@名無史さん:03/02/18 23:07
>>77 そりゃ台湾経営で失敗したように、人間を扱うのが下手な
乃木は無理だろう。
82嶽原:03/02/18 23:09
>>77『>強襲法前に正攻法を選択』
   『>満州軍を説得、 大本営も説得したならば、名将でしょうね 』

 そりゃ、名将じゃなくて神様でしょうね。
83日本@名無史さん:03/02/18 23:10
教示しても徹底を欠いてますが?師団長クラスは傍観者と化してましたが?
また取った堡塁ではなくて、攻撃坑道を長時間視察していたのは
榊原大佐だけだが?
84日本@名無史さん:03/02/18 23:15
スプルーアンスというアメリカ海軍の提督がいる。
この人は大艦巨砲主義でしたが、ミッドウェイ海戦時、
航空兵力を用いて、圧倒的な日本軍に対し、勝利を
修めましたが?
また山本提督は大艦巨砲主義全盛の日本海軍の中で
機動部隊の集中運用を戦う前に実施しましたが?

嶽原氏の脳内には名将と神様しかいなさそうですね。
8576:03/02/18 23:19
>>78
「軍参謀は、08月攻勢で占領した盤龍山東西堡塁の状況を
視察しています。」

第一次総攻撃が始まる前の大孤山とか大頂子山の状況視察から
始めて欲しい気がするのは俺だけ?
86日本@名無史さん:03/02/18 23:19
 秋山提督と東郷提督も神様ですか?あの当時、乙字戦法や
7段階の戦いを編み出していったのですから。ネルソンタッチ
全盛の時代にねぇ。新しい発想に切り替えていく人って
結構いるよね。
87嶽原:03/02/18 23:19
>>83
 旅順の戦線は、実に長いですよね。
 西から友安・山本・中村・平左・一戸・山中・神尾と三個師団七旅団長が責任者
となっていました。
 その最も東端の神尾地域を担当する、歩兵第22旅団の、更に隷下の第12連隊の、
更に隷下の第三大隊長である志岐少佐が見ていないからと言って、どうして全体が
そうだったと言えるのでしょうか。
88嶽原:03/02/18 23:22
>>86『>新しい発想に切り替えていく人』
 正攻法を採用したのは、かなりに評価できるという事ですね。
89日本@名無史さん:03/02/18 23:25
そりゃ、11/27の電報で今払暁迄に得たる報告を統合するに、
敵の堡塁砲台はわが想像以上の強度を有し・・・・、将校下士
以下相手を見ずして、空しく小銃大砲爆薬の犠牲になり・・
などという報告を送るからさ・・。

少なくとも想像以上・・・と述べている以上、強度を把握してません。
相手を見ずして空しく・・犠牲に為りと言っている以上、対策を
講じているように見えません。
90日本@名無史さん:03/02/18 23:27
>>88 ボロボロに負けた後にね。戦う前に偵察とか研究とか、
自分の目を信じることができなかったんだろうね。
91日本@名無史さん:03/02/18 23:33
乃木は漢詩がうまい。
詩吟が趣味という方からテクストを借りたのだが、
いくつか乃木の作があって、詩吟用の訓み下しながら、格調があってうまいと感じた。

ただその詩想は東行(高杉晋作)のような、格調高いときもあれば屈折していることもあり、ときに洒脱で俗で、ときに青い、というような具合には行かず、
つねに至って真面目な詩想をよんでいる。
言うなれば、詩の腕はよいが、ハートは真面目で格調高いことぐらいが取り柄の凡人が書いた詩と言う印象で、
これは乃木の本質を露骨に露呈している。
92嶽原:03/02/18 23:35
>>89
 児島氏は、その11月の電報は「本攻撃中止の理由」として述べたものだ、
と指摘していますね。
 ここで初めて堡塁の状況が判って、それを報告した、という性格のもので
はないと思います。

 それよりはるか前に、敵堡塁を幾つか陥落させているわけですし。また
東鶏巻山北堡塁では、10月末に既に穹窖部に突入しているのですから。
93日本@名無史さん:03/02/18 23:47
>>92
逆に言えば、それまで東正面攻撃を続けていた理由に、敵堡塁が想像上では
もっとたやすく落ちるはずだと思い込んでいたとなるんですが?

いずれにせよ、敵堡塁の状況を把握してなかったと考えるべきでしょう。
想像上なんて言葉を選んでいるんだから。10月に正攻法すら失敗しているに
も関わらず。
94日本@名無史さん:03/02/19 00:01
>>92
突入だけでしたらそれ以前にもなされていたかと思います。
死体の山をかきわけてたどり着いた先で、
集中砲火の洗礼を受けたでしょうが。
95嶽原:03/02/19 00:02
>>93
 目標堡塁の状況を把握していても、周辺堡塁からの援護射撃や、粘り強い増援
など、そういうものが複合した結果の攻撃失敗ですよ。

 いずれにせよ、旅順攻囲戦の東端を担当していた一大隊長の観察の及ぶ範囲
をもってして、全体がそうであったようには言えません。
 また、言葉遣いよりも実際の行動がどうであったかを見てみれば良いと思い
ます。11月08日の乃木の日記には、「山岡は盤龍山、岩村は二龍山、白井・
磯村は幡龍山?、豊島は陣地偵察、参謀長・齊藤は大狐山へ」と書かれている
そうです。
96嶽原:03/02/19 00:04
>>94
 突入して、壁一枚を距てて対峙するような状況になっています。
その後、攻撃中止によって撤退していますが、状況の把握・報告は出来
ますね。生きて帰って来ているんですから。
97日本@名無史さん:03/02/19 00:16
>>95
・・・なんちゅうか、この・・・上の2行については
他の人に任せます。

戦場は日々変わっていくものです。
当然参謀はほぼ連日にわたって偵察にいくわけですね?
乃木さんの日記には毎日そういうことが記載されているわけですね?
98嶽原:03/02/19 00:25
>>97
 日記の当該部分を抜粋したもの(何だったか忘れました)を読んだだけです
ので、毎日記載されているかどうかは知りません。
 軍参謀が前線を視察するような事は無かった、とは言えないという資料です。
99日本@名無史さん:03/02/19 00:30
>>95 いずれにせよ、想像上という言葉を用いている限り、具体的な堡塁の
強度も把握していないと考えるべきでしょうに。
幽霊屋敷と呼ばれた堡塁もあったそうで・・。
100日本@名無史さん:03/02/19 00:36
>>98 把握してないとは書いてますが、ここのスレでは視察していないとは誰も
述べてない。ちょっと視察したからといって戦場を把握しているとは限らない。
乃木の日記は11月24日から27日に限れば、首脳部が戦場視察にいっているような
ことは書いてない。豊嶋山に24日と26日に本人自ら行っているくらい。
だったら、司令部を豊嶋山にせぇっちゅうに。
101日本@名無史さん:03/02/19 00:41
乃木さんって
203高地で
たくさん犠牲を出した人
という認識しかないなあ
102嶽原:03/02/19 00:44
>>83『>教示しても徹底を欠いてます』
 そんな事はないと思いますよ。
 この教示は、以下に示すように攻撃築城作業に関連するものなのですから。

『堡塁突撃に関する教示
 第一章 突撃準備
   一 突撃陣地の編成
   二 敵堡塁の偵察
   三 突撃陣地より前進する攻路
   ……』

 攻撃築城作業は、目標堡塁の形状や備砲種類、位置などが偵察によって判っ
ていないと出来ない作業です。一例として、雷光形の塹壕を掘る際に前方の地
面にまず目印を付けに行くのですが、偵察無しには出来ない事です。

 09月から攻撃築城作業が始められていたということは、それと平行して敵塁
の偵察も行われていたということです。
103嶽原:03/02/19 00:51
>>100『>ちょっと視察したからといって』

 当初は「榊原しか行っていない」としていたではないですか。視察している
という資料が出た後に「ちょっと視察したからといって」と言われても。

 こちらは、榊原以外にも視察しているという根拠を出しました。そちらにも
根拠を示して戴きたいですね。
 さしあたり、新しい主張である「ちょっと視察した」だけだという点の、
根拠を挙げて頂けますか。
104嶽原:03/02/19 01:01
>>99『>幽霊屋敷』
 10月に部隊が穹窖部にまで突入し、機関銃まで持ち込んだのが、その幽霊
屋敷と恐れられた東鶏巻山北堡塁ですが。結局後退しましたがね。この時は、
既に「誰も生きては帰れない」なんていう状況では無かったのです。
105日本@名無史さん:03/02/19 01:06
>>102
兵糧攻めで城(要塞だが)を落とすならともかく、
強襲で落とすことが既に決まっているわけです。
・・・そういうことは8月中に始めなさい・・・
城攻めに攻撃用築城することなど基本的なことです。


106日本@名無史さん:03/02/19 01:12
やっぱ、乃木は大将の器とはいえませんね
軍旗を賊にとられたような人物ですからね
107日本@名無史さん:03/02/19 01:13
>>103
・・・ですから視察したしないを根本的な論点にしても
仕方ないんです・・・して当たり前。
それすらしてないんじゃないかということで
論点になっているんでしょう。
108嶽原:03/02/19 01:20
>>100
『>乃木の日記は11月24日から27日に限れば、首脳部が戦場視察にいっているよ
うなことは書いてない。豊嶋山に24日と26日に本人自ら行っているくらい』

 「本人が豊島山に行っているくらい」と書いていますが、そこが26日以降は
軍司令部となっています。勿論参謀も居るでしょうね。

『>だったら、司令部を豊嶋山にせぇっちゅうに』
 『軍司令部は26日1000より鳳凰山東南高地にあり』という軍命令がありますが。
109嶽原:03/02/19 01:24
>>107
 そうです、してて当たり前。してるという論拠として教示・日記などがあります。

 では、していないという通説の論拠は何か、とお尋ねしているんです。
110日本@名無史さん:03/02/19 01:26
>>103
「ちょっと視察しただけ」の根拠ならあなたが>>104に書いています。
なんで機関銃まで持ち込んだ東鶏冠山北堡塁から
後退しなくちゃいけなかったんですか?
ロシア側の砲火におびやかされてでしょう?
ロシア軍の逆襲に対抗できなくなったからでしょう?
日本軍の砲弾が不足したからでしょう?

ちゃんと見て見るだけじゃなく考えていれば
なけなしの砲弾かき集めて
東鶏冠山とその周辺に集中するって考えは出てきませんか?
111嶽原:03/02/19 01:27
>>105『>そういうことは8月中に始めなさい』
 強襲法で駄目だから、正攻法となるのです。
 08月中に正攻法を採るというのは、第三軍に与えられた「早期攻略せよ」
という命令に反するものであり、採用出来ません。
112嶽原:03/02/19 01:38
>>110
『「ちょっと視察しただけ」の根拠ならあなたが>>104に書いています』
 機関銃を持ち込んだ場所は、最前線部隊すら初めて飛び込んだ場所です。
そんな所の状況を記した当方の書き込み(104)が、どうして対論者の主張
である「ちょっと視察しただけ」の根拠となるのですか。

『>なけなしの砲弾かき集めて東鶏冠山とその周辺に集中するって考えは出て
 きませんか?』
 要塞の一箇所だけに集中するという考えは、出るたびに否定されています。
児玉参謀長が旅順要塞攻略について具体的に示した案として「二龍山に攻撃を
集中する」という案がありますが、これも否定されています。
 そういう一点突破の攻撃法は、要塞攻撃には向かないということです。
113日本@名無史さん:03/02/19 01:48
>>111
あのね、満州の総司令部と海軍は「急いで獲れ」
といっているだけなの。
別に攻撃用の塹壕を掘るなとか、
銃剣突撃で落とさなきゃいけないとか
そんなことは言ってないの。
なんでキスカの話題が出てきたと思う?
どんなやり方でやるかというのは
実施する側が決めること、決められること、よ?
114嶽原:03/02/19 01:56
>>113『> 満州の総司令部と海軍は「急いで獲れ」といっているだけ』
 「八月の幾日かまでに取れ」と言われた時点で、正攻法は選択できません。

『……大本営と総司令部とが我が軍の総攻撃を急にせよと督促したことは、
実に予想以上である。故に将軍にしても、もし最初から尋常一様の手段(正攻法)
を執られたならば、おそらくその更迭は旬日を出ずして実現せられたであろう
(斜陽と鉄血)……』
 というのが、当時の実状でした。
115嶽原:03/02/19 02:03
 甚だしきは、海軍軍令部長ならびに連合艦隊司令長官からの要請電報では、
「08月10日頃までに攻略するように」となっていたそうですね。

 確かに、攻撃用の塹壕を掘るなとか、銃剣突撃で落とさなきゃいけないとか、
そんなことは言ってませんけどね……。現実、他に方法が?
116日本@名無史さん:03/02/19 07:18
>>115 11月の電報で乃木は、催促されている状況にも関わらず、
過去及び現況においては第3軍が他方面に転用することは日がかかると
述べていますが?
 8月の段階で敵を舐めて損害を受けるのは乃木なのに・・。
現場での偵察の不徹底は罪的ともいえます。
 
 キスカ撤退で非難轟轟を受けつつ、成功させた木村少将とは
全く違いますな。我慢が足らない人なんでしょう。

>現実に他に方法が?

11/27の電報で今払暁迄に得たる報告を統合するに、
敵の堡塁砲台はわが想像以上の強度を有し・・・・、将校下士
以下相手を見ずして、空しく小銃大砲爆薬の犠牲になり・・

この電報のあと、二百三高地への正攻法と強襲法の両方でもって、
また児玉が来順してから落ちましたが?
そして二百三高地攻略後、敵艦隊が壊滅的打撃を受けたと日本海軍
陸軍が認識できましたが?二百三高地の重要性は東京のうわさとして
持ちきりでしたが?
117日本@名無史さん:03/02/19 07:21
>そういう一点突破の攻撃法は、要塞攻撃には向かないということです。

あのぉ・・。二百三高地へは一点突破なんですが・・。
118日本@名無史さん:03/02/19 07:26
>おそらくその更迭は旬日を出ずして実現せられたであろう

それでも現状の状況を把握して作戦目的を達成させるために
どうすればいいかを徹底して行っているとは11月の電報を
見る限り考えているとは思えません。
119日本@名無史さん:03/02/19 07:39
 当初から決まったこと、乃至、教えられたことを現況より優先して戦争
を行うというのは軍人にとってもっとも無能なこと。
ましておや、働き者であったら、間違ったことを繰り返す。

『無能な働き者? それは処刑するしかあるまい。(フォン・ゼークト)』

そういった点で乃木は無能な怠け者であったといえるかもしれない。


120日本@名無史さん:03/02/19 07:43
121日本@名無史さん:03/02/19 07:50
>『軍司令部は26日1000より鳳凰山東南高地にあり』という軍命令がありますが。

それって攻撃開始時でしょ?せめて攻勢準備のために11月初旬から遷すべき
でしょうに。攻撃開始の時にいい観客席を用意したとしか考えられん。
122mm:03/02/19 08:23
 しばらく見なかったんだけど、盛り上がってますね。
123フォーク将軍:03/02/19 16:24
>>116
>現場での偵察の不徹底は罪的ともいえます
佐藤鋼次郎、志岐守治ら旅順戦従軍者で第三軍司令部批判を行っている人の証言をまとめると、
ロシア側の堡塁は実に巧妙に偽装されていて、
東鶏冠山北堡塁は「赤土の小山」、二龍山堡塁は「西洋家屋」程度にしか見えなかったそうだ。
ましてや中にいる守備兵の数や損害に対する彼らの修理能力、
またその地区を担当する司令部がどの程度増援を派遣してくるかなんてどうやって知れというんだ?
事前偵察がなってなかったなんて結果論以外の何物でもない。

あと後段だが、旅順にいるロシア太平洋艦隊と旅順要塞と何の関係が?
艦隊を全滅させても要塞が降服するとは限らんでしょう。

>>117
二百三高地の両方の山頂はもちろん、隣接する老虎溝山にも攻撃が加えられ、
西北正面にあって高地を援護するロシア側砲台のほとんどすべてに砲撃が加えられてますがね。

>>121
・・・移してどうするの?
124日本@名無史さん:03/02/19 19:25
>123
 現在の時点では、結果は明白になっていて、詳細な経
 過報告や地形図もあるので、それらを丸覚えにした上で、
 「今の時点で自分が知っていることは、当時にも分かり
 切っていた」かの如く錯覚している輩が、少量、紛れ込
 んでいる、ということですね。
 そのように錯覚する輩は、それが錯覚であると気がつく
 だけの客観性が欠落していると、「それだけのこと」なの
 でしょうね。

 それの典型として、203高地は、「堅固な旅順要塞に
 ポッカリと開いたままで放置されていたバカ穴だから、
 最初から集中攻撃していれば、アッサリとカタが付いた」
 かの如くに錯覚している輩もいる…ということでしょうか。
125日本@名無史さん:03/02/19 19:56
>>123
世に難攻不落の名城と称えられた城の多くは
本城だけでなくたくさんの支城との連絡網が緊密で
一つの城を落とそうとすると、まわりから援護が出てくるので
攻撃が難しいわけです。
(例)上州箕輪城、明の山海関城

これを落とそうとすると、一見手間そうでも支城を
一つ一つつぶしていくのが一番確実なのです。

目標とする城は限定されますが、
他の支城や本城からの援護を防ぐために
攻撃部隊とは別に抑えの兵力が必要となります。

一点攻撃という言い方にも語弊があるのかもしれません。
児玉が203高地で行ったのはそういうことでしょう。

あくまで最大の攻撃目標は203高地です。
そしてその他の攻撃は203高地方面の日本軍の攻撃を妨害する
ロシア軍を制圧するために行われています。


126日本@名無史さん:03/02/19 22:19
>>123
威力偵察とかの方法ありません?

あと制海権って言葉知ってます?


127日本@名無史さん:03/02/19 22:28
 現在の時点では、(中略)
 客観性が欠落していると、「それだけのこと」なの
 でしょうね。

 それの典型として、203高地は、「堅固な旅順要塞に
 ポッカリと開いたままで放置されていたバカ穴だから、
 最初から集中攻撃していれば、アッサリとカタが付いた」
 かの如くに錯覚している輩もいる…ということでしょうか。

>>124
確かに客観性は忘れちゃいけませんね。反省
でもこのスレになってからでは
203高地最初から攻めてりゃ終わってたなんて議論は
無いと思うのですが。
128日本@名無史さん:03/02/19 23:44
>>127
 あの〜〜〜、「他のメッセージからの引用」と「本文」を明確
 に区別できて、どこからどこまでが誰の分なのかハッキリす
 るように、一般の例にならって、「引用部分の行頭にマーク
(いわゆる引用符)を付加する」ようにしてもらえませんか。
 2ちゃんねるのばあいは、特有のリンクとバッティングしない
 ように「半角大なり記号プラス半角空白」とか。

> でもこのスレになってからでは
> 203高地最初から攻めてりゃ終わってたなんて議論は無いと思うのですが。
 念のために書いただけです。
129日本@名無史さん:03/02/19 23:44
>128
 訂正:誰の分 → 誰の文
130日本@名無史さん:03/02/19 23:51
>126
> 威力偵察とかの方法ありません?

 それは一体、攻撃のいつの時点で、どういった規模で、どこを
 どうするという話のつもりですか?

> あと制海権って言葉知ってます?

 過去スレを全然読んでないのでは? あ 今の時点だと
 dat落ちで読めないものが多いかな?
131日本@名無史さん:03/02/20 00:07
おびただしく面白い
132嶽原:03/02/20 00:35
>>116
 八月中に陥落させよと言われれば、おのずと手段・準備は限られてしまう、
という事です。
 なんで二百三高地の話が混じりますか?八月の段階の話なのに。
 さて、八月の段階で、強襲法以外に方法がありますか?

>>117『>あのぉ・・。二百三高地へは一点突破なんですが』
 >>110で対論者が「東鶏巻山とその周辺に集中」と言われたので、児玉が提
案した「二龍山」の話も含め、『一点突破の攻撃法は要塞攻撃には向かない』
と述べたのですよ。
 二百三高地は、主防御線を構成する陣地ではありません。

>>118
 児島氏の考え『11月の電報は方針変更の予告の意味であり、敵塁状況の説明
は本攻撃中止の理由である』に、私は同意いたします。
 その時になってようやく判った状況が書いてあるのではないと思います。

>>119
 第三軍に与えられた「早期攻略」という作戦目的は、「全般作戦上」求めら
れたものです。これに向けて努力するのが当然です。
133嶽原:03/02/20 00:41
>>121
 攻勢準備期間は、満州軍総司令部などとの連絡などもしなければなりませんし、
人員装備弾薬などの補給事務などを始めとして色々に行うべき事があるわけで、
柳樹房を離れる事は、利よりも不利が多いのではないでしょうか。
 それにしても『>観客席を用意したとしか考えられん』とは……マジですか。

>>125
 旅順要塞のように、『各堡塁が正面・斜・側射によって、相互に支援できるよう
に「火網」が構成されているような状況』と、あなたが例に挙げた『上州箕輪城、
山海関城』との共通点はあるのでしょうか。

 特に、旅順要塞主防御線の「相互支援砲火」の点に於いて、あなたの挙げた
二例の場合、何が相当するのか?疑問です。
134日本@名無史さん:03/02/20 07:32
世に難攻不落の名城と称えられた城の多くは
本城だけでなくたくさんの支城との連絡網が緊密で
一つの城を落とそうとすると、まわりから援護が出てくるので
攻撃が難しいわけです。
(例)上州箕輪城、明の山海関城


 旅順要塞のように、『各堡塁が正面・斜・側射によって、相互に支援できるよう
に「火網」が構成されているような状況』と、あなたが例に挙げた『上州箕輪城、
山海関城』との共通点はあるのでしょうか。


共通点ありありが見えないらしい。
135日本@名無史さん:03/02/20 07:34
>>130 黒木は色々やってますが、乃木は効果的な威力偵察はやってないようですな。
 少なくとも旅順では。
136日本@名無史さん:03/02/20 07:52
>>123
>あと後段だが、旅順にいるロシア太平洋艦隊と旅順要塞と何の関係が?
>艦隊を全滅させても要塞が降服するとは限らんでしょう。

旅順にいる艦隊を全滅できれば、旅順要塞は意味がない。それこそ
陸軍は大連付近で防御ラインを引いておけばよい。
要塞が要塞たる理由は守るべき物があるからです。守るべき理由が無い場合、
軽視すればよい。

137日本@名無史さん:03/02/20 07:56
『一点突破の攻撃法は要塞攻撃には向かない』

白襷隊って一点突破しようとしていますが・・。あぁた、乃木をバカに
してるのか?
138日本@名無史さん:03/02/20 08:00
> 第三軍に与えられた「早期攻略」という作戦目的は、「全般作戦上」求めら
>れたものです。これに向けて努力するのが当然です。

そうそう早期攻略ね。8月で大損害を起して、攻撃方法を変えて、その後失敗
して挙句の果てに主攻面まで変えて落ちなくて、総参謀長がその方面を落す
ことではない。
 攻略を早くするのは当然でそのための努力を怠っていると皆疑問に
思っているの。
139日本@名無史さん:03/02/20 08:06
『>だったら、司令部を豊嶋山にせぇっちゅうに』
 『軍司令部は26日1000より鳳凰山東南高地にあり』という軍命令がありますが。

8月から司令部はずっとそこですが・・。
140日本@名無史さん:03/02/20 08:14
>>132
>八月中に陥落させよと言われれば、おのずと手段・準備は限られてしまう、
>という事です。

持久して戦機を掴んだ木村提督と現状より予定を優先し、
急かして戦機を失い、8月で大損害を蒙った乃木提督を比較している。

急かされてというのは言い訳。現場での責任は全て乃木にある。
結果が悪ければ現場責任者が全て悪いと考えても良い。なぜなら殆どの
間違いは現場でしか解らないのだから。

社会でまともに働いていたらこのくらいは直ぐにわかるが・・・。

141日本@名無史さん:03/02/20 08:16

というか乃木は社会でまともに働いてないね。スマネ。

仮病で休職ばかり。休職中にハイジャックした
エリートがいたな。彼も時代が時代なら名将だったろうな。
142嶽原:03/02/20 08:32
>>134
 共通点を具体的にどうぞ。

 「共通点はどこですか?」という疑問に、「ありありなのが見えないか」と
いうだけでは答えにならないというのは、社会では常識と思います。
143日本@名無史さん:03/02/20 08:34
名城は本城だけでなくたくさんの支城との連絡網が緊密で、

旅順は堡塁と堡塁の間の連絡網ないし、火力の援護が緊密ですな。
144bloom:03/02/20 08:36
145嶽原:03/02/20 09:25
>>143
 火力援護というのが、旅順の例と提示二例との決定的な差ですね。
146嶽原:03/02/20 09:26
>>137『>白襷隊って一点突破しようとしていますが』
 白襷隊の攻撃は、歩兵による奇襲攻撃です。作戦の性格上一点突破になり
ます。こういう風に一部隊だけに限って見るならば、全部一点突破ですよ。
 そうではなく、「総攻撃のプランとして一点突破は不可」なのです。

>>138
 時期も限られ砲力も限られでは、現地軍にはどうにもなりません。

>>139『>8月から司令部はずっとそこですが・・』
 鳳凰山東南高地と柳樹房は全然違う場所ですが……。

>>140
 キスカ撤退戦に、砲力は必要でしたか。敵兵力と衝突しましたか。
 旅順攻囲戦には、砲力は必須のもので、敵兵力と衝突して奪い取る戦い
です。
147日本@名無史さん:03/02/20 13:34
>>140
そもそも陸軍の将官を提督呼ばわりは無いんじゃない?
恥ずかしくないの( ´,_ゝ`)クスッ
148日本@名無史さん:03/02/20 15:18
>>147
 ガッコで教わらないことなど知らないし、自分で調べよう
 とする気もないようなのにかぎって…
> 社会でまともに働いていたらこのくらいは直ぐにわかるが・・・。
 なんて利いた風な口をききたがるようで。やれやれ。
 ここですかさず確認して訂正するなら、見込みはあります
 が、どうでしょうか。
149日本@名無史さん:03/02/20 18:37
最大の疑問は、典型的いじめられっ子タイプである(乃木の顔写真参照)乃木が、
なぜよりによって軍人なぞになったのか、だ。
自分に合わないことは本人もよく分かってたろうに。。。
150日本@名無史さん:03/02/20 21:29
>>143>>145
>>123でフォーク将軍氏が
>またその地区を担当する司令部がどの程度増援を派遣してくるかなんて
どうやって知れというんだ?
と述べております。AからBへ、BからAへ
こういう増援を派遣できる状態を称して連絡網といっております。
分かりにくくて申し訳ないです。
旅順攻撃の日本軍は火力の援護とロシア歩兵の増援、逆襲
に悩まされています。
151日本@名無史さん:03/02/20 21:45
>150
 あれ? 何か話がすこ〜しすれ違っているような?
 増援や補給が、安全かつ確実に行われていた点に注
 目しておられるわけですよね?
 例示された(ですよね?)時点では、遠距離砲による直
 接的な相互支援は存在していなかった、という点に異
 論はありますか???
152日本@名無史さん:03/02/20 21:47
>150
 あれ? 別のかた…なんでしょうか? あれれ?
153日本@名無史さん:03/02/20 22:00
>>146
>>137に対するレスについて
そりゃあ二百三高地のみに、一点突破攻撃をするのなら
うまくいかないでしょうね。第三軍はどのようにして二百三高地
を占領したのでしょうか?

>>138に対するレスについて
時期や砲力を限定されては確かにどうにもなりませんね。
第三軍は現実には無理な事を要求されたわけです。
で、その無理な事を無理やり成功させるのが名将でしょうね。
(ビザンチンのべリサリウスについて調べてみてください)
で、無茶な事を要求されているのに、いろいろ対策をたてて
少しでも要求の線に近づける。せめてそこまでいけば
評価に値するでしょうね。
(零戦の開発の話とかが例になるかな?)




154153:03/02/20 22:15
>>139
8月に司令部は柳樹房にあった筈ですよね?

>>140
キスカ撤退時、米艦隊がキスカを包囲しており、
木村艦隊突入の前日に霧の中レーダーで幻の艦影を見つけて攻撃、
木村艦隊突入の当日は補給のためにキスカを離れていました。
敵兵力と衝突の可能性は十分にありました。
155153:03/02/20 22:19
>>154
>>139
>>140
というのは、>>146のそれぞれに対するレスについて
さらにレスしてみたものです・・・。
回線切って(以下略)・・・


156日本@名無史さん:03/02/20 23:23
一連の流れとは違うんだけど、
日清戦争で旅順で虐殺があったって話があるけど、
それは交戦国相手だから何らかの事があったのかもしれないと思う。
でも日露戦争でも虐殺があったという話が少し出てきているのだけど
実際どうなの?
個人的にはそんな話今まで聞いたことなかったし、
信じられんのだが。
乃木擁護派、批判派に関わらず、誰か教えてください。
157嶽原:03/02/20 23:34
>>154
『>8月に司令部は柳樹房にあった筈』
 兵站などの後方任務を行うには、柳樹房が良かったのでしょう。
 攻撃期間中は、司令部は柳樹房にはありません。八月の総攻撃中は、柳樹房
から前進して団山子山に位置していました。

『>敵兵力と衝突の可能性は十分にありました』
 キスカ撤退作戦は、敵との衝突をむしろ避けなければならない作戦ですね。
対して旅順戦は、敵拠点を占領しなければならない作戦です。敵との衝突は
避けられません。
158嶽原:03/02/20 23:45
>>153
 零戦開発はかなりの時間を掛けていますね。例えば、空中分解事故の原因を
調査し解決するまで、開発を止めるような余裕がありました。
 旅順陥落はかなり慌ただしく決められた事で、およそ全てが泥縄です。
 第三軍は現実には無理な事を要求されたわけで、様々な経過を通して何とか
陥落開城させたわけです。世界的にも早期陥落と評価される時期に。
159嶽原:03/02/20 23:56
>>156『>旅順で虐殺……日露戦争でも虐殺があった』
 戦死体の凌辱行為があったというのは、何かで読みました。
160日本@名無史さん:03/02/21 00:43
>>157
ちょっと待ってくれ。
キスカが例に出てきたのは、
キスカ島を放置しておいたら、アッツ島みたいに玉砕してしまうから
少しでも急いでキスカ守備隊を救出しないといけない。
しかしアメリカ軍の艦隊が待ち受けている可能性が高いから、
霧がかかるのを待たなくちゃいけない。
急がなければならないけど、霧も待たなくてはいけない
中で非難を覚悟で木村提督は霧を待った。
 
 対して乃木将軍の側は急がなければならない事は同じで、要塞を落とすには
いわゆる「正攻法」しかない。
(1)乃木将軍と第三軍司令部は「正攻法」を思いついていなかったら
 近代戦に暗すぎる。少なくとも名将と呼ぶに値しない。
 乃木は西南戦争で薩摩軍が熊本城を強襲したが落とせなかった
 のを知ってるはずだよ。
 それにウォーバンの要塞攻略法も陸大卒業レベルの人なら
 していてもいいと思う。
(2)「正攻法」を知っていたなら、なぜ職を賭してでも
 「正攻法」に固執しなかったのか。
 あまりに従順すぎる。部下の命と国家の運命
 がかかっているんだぞ。

 乃木無能説を否定するだけならまだしもだが
「名将」ではないだろう。




161嶽原:03/02/21 00:51
>>160
 「全般作戦上無理押しやむを得ず」という状況で、尋常の戦法を取ろうもの
なら更迭されていただろう、というのが当時の空気でした。
 誰が軍司令官でも、一度は強襲法を選択したろうと思います。

 強襲法による08月の総攻撃が頓挫した後で、攻撃法を変更すべきだという提
言が出されて会議が行われましたね。その会議での正攻法案支持者は工兵大隊
長一名のみ、他の参謀長ら出席者は揃って反対しました。
 その状況で正攻法選択を決断したのは、乃木軍司令官なのです。
162日本@名無史さん:03/02/21 00:51
>>159
レスサンクス。
でも俺が聞きたかったのは、旅順の中国人のこと。
戦死体の陵辱行為というのは、日露のどちらかの兵士のものだろう?
日露戦時の旅順ならまあ全くのスレ違いでもないだろう。
・・・いやもしそんな話なんか知らんというのなら別にいいんだ。
163嶽原:03/02/21 01:00
 戦後発行の「日本陸軍工兵史(昭和33年・九段社・吉原矩)」では、この時
の説明をしている場面で、乃木をこのように評価しています。

『…ひとえに乃木将軍の名将軍であった事は、この一事をもってしても窺う
ことが出来る…』
164嶽原:03/02/21 01:04
>>162
 すいません、知りません。
 ただ、乃木が攻撃部隊に憲兵を付ける命令を出していますので、占領時に
起こるだろう虐殺などの不祥事を警戒していたろう、とは思います。
165日本@名無史さん:03/02/21 01:23
>>161
上の過去スレの中で乃木肯定派の主張の中に
乃木が第三軍の指揮官に選ばれたのは、その経歴、能力から
いって当然の事であるという意味のカキコがあったと思う。
また乃木は明治天皇の信任が厚かったのは事実だ。
もし、乃木が肯定派の言うとおりの有能な人間なら、
それだけの人物を簡単に更迭できるか?
第三軍が発足してまだこれといった目立つ失策の見当たらない
第1次攻撃直前にいきなり司令官更迭なんかしたら国民全体の士気に
関わる大事件だぞ?
日露戦のプランナーの児玉と親密な、それだけの能力の高い人物が
もし職を賭して言ったとしてもそれは省みられないものなのか?

それに第1次攻撃失敗後、攻撃法を変えることを
決めたのは乃木と書いているが、
あれだけの悲惨な失敗の後だぞ?
そりゃ、そういう発想の転換しようという奴の一人や二人いるだろう。

166嶽原:03/02/21 01:54
>>165
『>もし職を賭して言ったとしても』
 児玉総参謀長は、大本営からの横やりに対して「これ以上言うなら、俺は坊主に
なって引退するぞ」と言って退けましたね。こういう方法もアリだとは思います。
 ただ、「あっそう」なんて風に本当に更迭される可能性もあるわけで。

『>発想の転換しようという奴の一人や二人いるだろう』
 あれだけの悲惨な失敗の直後でも、会議の大勢は「強襲法継続」でした。
少数意見の「正攻法へ変更」を選択したのは、評価できると思います。
167日本@名無史さん:03/02/21 02:23
>>166
児玉にできたことが、何で乃木にできない訳?
肯定派の言い分を信ずれば、乃木は日本陸軍のエースでしょう?
それこそ優れた見識と深い洞察力を持った。
そいつが日本軍のやり方に警鐘を鳴らしたとしても、
「あっそう」?昭和天皇でもいるのか?
それはともかく、それで更迭される奴って、いくらでも替わりのいる
そんなに大した人物じゃないってことじゃないか。

それと後半部分、きわめて低いレベルの中で、多少
まともな事いったとしても、それをもって乃木の価値を
決定するには早計すぎる。
ドキュン高校のテストで高得点とったとして、
そいつを秀才ときめつけられるのか?
168日本@名無史さん:03/02/21 02:36
まあ乃木はとにもかくにも明治期を代表する人間の一人であるし
当時有数の漢詩人だ。
人間としての出来はここでカキコしている連中よりも上だと思うよ。
ただし軍人としては俺自身は評価は高く出来ない。

個人の意見だから乃木を好きになろうと評価しようと自由なんだけれど、
(ましてここは2ちゃんだし)
なんか小笠原長生が東郷を駄目にしたのを
見ているような気がしたのでね。
169嶽原:03/02/21 02:51
>>167
『>肯定派の言い分を信ずれば、乃木は日本陸軍のエースでしょう』
 誰がエースなどとは言っているのでしょう。
 当方嶽原は、「乃木の他に適任者が国内に居た」という論に対して、「当時
の大将・古参中将クラスでは、野津と乃木以外に適任者は居なかった」と反論
した事はあります。エースなどとは言っていません。

『>それで更迭される奴』
 当時は、旅順要塞の堅固さは不明瞭でしたから、強襲法でなんとか攻略しよ
うと考えていたのでしょう。一万の死傷で陥落させる算段だったらしいです。

『>それをもって乃木の価値を決定するには早計すぎる』
 戦後に発行された旧軍史において、このように評価されているのですから、
早計とは言えないと思います。
『…ひとえに乃木将軍の名将軍であった事は、この一事をもってしても窺うこ
とが出来る…』
170嶽原:03/02/21 03:04
>>168『>小笠原長生が東郷を駄目にしたのを見ているような気がした』
 主旨は了解致しました。

 当方としては、無根拠な誹謗中傷言は、本当に批判しなければならない箇所
を覆い隠してしまうという事を、懸念するところです。
171日本@名無史さん:03/02/21 06:53
>>169 当方嶽原は、「乃木の他に適任者が国内に居た」という論に対して、
「当時の大将・古参中将クラスでは、野津と乃木以外に適任者は居なかった」
と反論した事はあります。エースなどとは言っていません。

>>169 『ひとえに乃木将軍の名将軍であった』 
 前スレで乃木は名将軍とか、ひたすら主張していますが?
エースというのは一人だけじゃないよ?軍司令官になれる人は
皆、当時の日本ではエースだよ。だが、エースが名将とは
限らない。
172日本@名無史さん:03/02/21 07:10
>>167 そうそう名将と呼ばれる人は途中の努力とかは関係なく
    結果がいいよね。

神風連の乱でも大軍を持ちながら、援軍を待って、
結果的に殆どなにもしなかった失態、
連隊旗を取られて待罪書を待つほどのこともないのに、
そうしてしまい、
台湾経営に失敗し、人を使うのは下手。
軍司令官の報告が添削されるほどですし、文が綺麗
なのと内容は一致しない。

そもそも人を使うのは下手だよな。第一次総攻撃中に
指揮下の部隊長が急病してもそれを認めて損害を
増やす位だから・・。

第3軍全体が沙河会戦時の第5師団と同じ現象が起こったと
考えるのが普通だな。
173日本@名無史さん:03/02/21 10:50
単に吉田松陰の遠縁の親戚・門下で長州閥だっただけで
出世した男に能力や結果を問うのは本人にも酷と思われ。
174日本@名無史さん:03/02/21 15:37
>>169
 一部に、ものごとを単純二値でしか判断出来ない、中
 間がすっぽ抜けた輩がいて、「いわゆる乃木愚将論」
 を否定する材料が提供されると、闇雲に、「乃木名将
 論だ」と決めつける習性があるので疲れますね。

 幼少の頃から「○×式」に飼い慣らされてしまったせい
 なのか、はたまた、単なる本人の資質なのか。はあ、
 やれやれ。
175日本@名無史さん:03/02/21 16:57
でわ、改めて。乃木は人間としては、高潔で尊敬に値する
人物であった。戦争指導者としては、功績が少なく、後世
高い評価を得る事が出来なかった。
176嶽原:03/02/21 21:04
>>171
 当方は、「第三軍司令官になるのに適当な人材は限られていた」という
意味の書き込みをしたわけで、「乃木がエースである」などという意味の
事は書き込んでおりません。
 また、名将といわれるに相応な判断、活躍があるという意味の書き込み
もしておりますが、同様に「乃木がエースである」などという意味の書き
込みはしておりません。

>>172『>途中の努力とかは関係なく結果がいい』
 秋月の乱の結果は、「大過なく鎮圧」です。
 旅順の結果は、「世界的に見て評価されるほど短期間で陥落」です。
177日本@名無史さん:03/02/21 21:06
>>176 世界的に見て評価されるほど短期間で陥落

完全包囲された要塞戦を旅順戦以外にあげてみな?
178嶽原:03/02/21 21:22
>>175
 では、改めて。
 戦争指導者としては、日清戦での旅団長としての活躍、台湾征討での師団長
としての活躍、日露戦での軍司令官としての活躍と、功績は非常に大きいと
思います。
 現在では愚将として評価されていますが、その論拠は疑わしいものです。
179嶽原:03/02/21 21:27
>>177
 類似例を挙げるつもりはありません。
 当時の欧州の評判を挙げるのが妥当と思います。

『旅順の強堅はセバストポールに六倍し、セバストポールもなお一年の間、
英仏連合軍を悩ましたり。然るに日本軍は僅かに八ヶ月を以てこの大要塞を
陥れたり。しかも直接防御線に迫りしたる時より算すれば、僅かに五ヶ月を
要したるのみ。(英国タイムズ)』
180児玉神社:03/02/21 21:32
乃木将軍は、戦争指導が不得でした。指揮官の罪として、戦下手ほどの大罪が
あるでしょうか。乃木さんは軍神では無く、神社に祭るのも良くありません.
乃木さん自身、自分の戦下手で万に上る人々を死なせた責任を、生涯忘れようとは
しませんでした.これが人間としての高潔ということでしょうが,危なく祖国を、
滅ぼすところだった戦下手は、はっきりと認識しなければなりませんし,こういう
無能な指揮官を、重大場面に起用しない様にする事こそ,日露戦争の重要な教訓と
思います.大東亜戦争では、無能な指揮官の起用は更に加速し,児玉さんのような
尻拭いしてくれる、後見人も居ないまま、敗戦に至りました.近代戦においては,いかに
人格高潔だろうが,作戦指導が出来ないものは、指揮官の役割を果たしません.
乃木神社は、プロの仕事が出来ない役人(乃木さんも)を、のうのうと生かしておく装置と
化しておりませんでしょうか。公人の仕事に対しては,人情に反するようでも,シビアでなくては
いけないと思えます.
181嶽原:03/02/21 21:59
 正攻法採用決断・二百三高地主攻転換など、乃木は戦争指導面の功績も
残していると思います。
 尻拭いと言われますが、むしろ戦争が始まる前からの不手際、不準備等
の尻拭いを現地軍が負わされたように思います。
182日本@名無史さん:03/02/21 22:02
>>179 補給がまだ繋がって、ロシア側に有利なセバストポリ要塞と完全包囲が
出来上がっていた旅順要塞とを一緒にするのがおかしいよ。
183嶽原:03/02/21 22:06
>>182
 他に、タイムスが報じたように、旅順要塞と比べられた要塞戦がありますか?
184嶽原:03/02/21 22:09
 旅順要塞も、補給の道を絶たれていたわけではありませんが。
 密輸船の往来を防げなかった海軍の不手際でもあります。
185日本@名無史さん:03/02/21 22:15
>>180 戦下手というのは本人も認めるところであって、日記や
知人への書簡でも、それは現れています。そういった実直とも
愚直とも言える彼の性格は尊敬に値するでしょう。
しかし、乃木の統帥術というものは、付いてくる者のみであって、
乃木に付いていかない人物に手を差し伸べようとはしない。

乃木の旅順における不幸は新参の学閥参謀、師団長による。
参謀達がもっと、予定より状況に応じた作戦を立てられれば、
もっと損害は少なくて済んだであろう。
しかしそういった参謀達の性格を見抜き、現状を把握し、
よりよい予想図に導くために、指導しなければならない。
そういった点で乃木は参謀達に利用されて、指導できなく
なっていたのではとも思える。


186日本@名無史さん:03/02/21 22:15
しかし本人が戦下手と認めているのになんだかな、と
思えるな。日露戦後、公刊戦史も含めて乃木を持ち上げた
論をいまさら持ち上げていてもね・・。
しかも乃木中央会の本を論拠としているんでしょ?

布教活動は他でしろよ。
187日本@名無史さん:03/02/21 22:15
これだけはさすがにビックリした。^^;
まああんまり気にしないようにした方がいいけど。。。

http://pakopako.misty.ne.jp/enter.cgi?id=fdeai
188日本@名無史さん:03/02/21 22:16
>>184 あのさ、密漁船如きと汽船で補給とを一緒にするなよな。
189日本@名無史さん:03/02/21 22:18
>>183 つーか完全に包囲された状況での近代要塞戦は旅順が
最初です。その後は青島要塞戦がこれにあたります。

補給路が繋がっている要塞と繋がってない要塞をさも一緒
に騙るのはアホだよ。
190日本@名無史さん:03/02/21 22:21
軍旗が奪われたことだって、待罪書を書くほどのこともなかった筈
当時はそんなに軍旗が重要視されてなかった。乃木はバカだよ。

191児玉神社:03/02/21 22:22
203高地主攻転換は,バルチック艦隊回航が間近になり、危機感を持った海軍からの
強硬な要請を入れてしぶしぶ行ったものでありました。ご存知のように、要塞をバイパスして、旅順港の
極東艦隊を砲撃する為でした.そもそも旅順要塞奪取の目的が、ロシア極東艦隊の撃滅のためで,現地で
敵正面に釘付けにされていては,申し訳ありませんが,やはり功績には程遠いと思われます.
203高地は、交戦当初はロシア側もその重要性に気づかず,防御は手薄でした.乃木さんの主攻転換がなされたのは,
ロシアが完璧に防御陣地を構築した後です.残念です.
192日本@名無史さん:03/02/21 22:27
>>191 9月の段階でもっとも正攻法(坑道)が進んでいたのは
西南方面だったことですし、線路沿いを攻めるのは補給を優先
するのはよくわかりますが、敵の一番強いところ(要塞の強度が
不明という言い訳があるが、津野田氏や第3軍自体東北正面が
一番強いことは第一次総攻撃前に把握している)を攻めつづけた
のはやはりアホでしょうね。その攻撃方向を3月も続けたのは
どうかと思います。
193日本@名無史さん:03/02/21 22:29
そもそも戦で勝つというのは相手の弱点を攻めるべきであって、
相手の有利な場所で戦うことではない。
194嶽原:03/02/21 22:33
>>191
 申し訳有りませんが、そもそも旅順要塞攻撃の目的は、要塞を占領するため
です。
 極東艦隊撃滅後、大本営からも満州総軍からも、それで良しなどという事は
言われていないでしょう?
195日本@名無史さん:03/02/21 22:39
>>194 あのさ、第3軍の目的が旅順要塞の攻撃、極東艦隊撃滅、
要塞の攻略、後方の安全の確保、北方への参戦です。

史実と予備案として極東艦隊を撃滅して2個後備旅団で後方の安全を
確保して北方への参戦も考えられています。
少なくとも第一次総攻撃後、早期攻略案が絶たれた以上、西南方面
に主攻面を切り替えてもよかったと思いますが。
196日本@名無史さん:03/02/21 22:41
そして敵艦隊の被害は南山からでは確認できないので二百三高地よりの観測で
確認する。実際、児玉の役目はそうだったと思いますが?

嶽原は、南山からの砲撃で大損害を与えているから十分という
史実の日本軍の苦悩とはかけ離れた思考をお持ちですから、話しても無駄
ですが・・。
197日本@名無史さん:03/02/21 22:46
>>194
おい、なぜ旅順に要塞があると思っているんだ?
旅順のロシア軍撃破も大きな目的だったろうが、
極東艦隊の撃滅が最大の目的だろう?
198嶽原:03/02/21 22:50
>>195
 極東艦隊撃滅後、大本営からも満州総軍からも、それで良しなどという事は
言われていない事から見ても、艦隊撃破は副次的な目的です。
 旅順要塞自体を陥落させなければなりませんでした。

 また、西方面は、以下の理由で不利なのです。
 西北方面:本防御線に近接するまでに、半永久築城を以て堅固に守備せる
縦深ある地帯を攻略するを要する。かつ我が重砲の展開には交通不便。
199日本@名無史さん:03/02/21 22:51
>>197 もし旅順にいる極東艦隊を撃滅し、2個師団と数個旅団でもって
満州軍に合同できれば満州平野での戦いも早期に解決できたかもしれません。
200嶽原:03/02/21 22:53
>>197
 艦隊を撃破させても、第三軍は旅順を離れられませんでした。
 この事からも、旅順要塞陥落が主目的です。
201嶽原:03/02/21 22:55
>>199
 大本営や満州軍総司令部は、そうしませんでしたがね。
 あくまで、旅順要塞の陥落を第三軍に求めたのです。
202日本@名無史さん:03/02/21 22:56
>198
如何にも二百三高地付近の敵の防備は薄弱であったが、コノ方面は
山又山の地形で交通網の関係は重砲の配置と弾薬の補給とに多大な
不便を感じ、到底短時日の作戦を以って敵の死命を制することは
出来なかった。(斜陽と鉄血)

第一次総攻撃で旅順要塞が早期陥落というのが困難だから
西南方面に主攻面を変えてみたらと述べているのですが?
203日本@名無史さん:03/02/21 22:58
>>200 結果論だな。もし2月初旬までロシア軍が持久するなら
第3軍を分派させただろうな。奉天での会戦が第一だからね。
204日本@名無史さん:03/02/21 22:59
>>200
旅順要塞攻略が主目的とこだわりたいのならそれもいいが、
極東艦隊の撃滅はそれでもセットではずすことができんぞ。

205日本@名無史さん:03/02/21 23:03
>>198
結局鍵となったのは旅順西北部、
二百三高地とその近辺の制圧でしょう。
206嶽原:03/02/21 23:04
>>202
 早期陥落せよという命令が続いている以上、西方面に変える事は適当で
ないと思いますが。
207日本@名無史さん:03/02/21 23:05
第3軍の機密作戦日誌より(機密日露戦史より)

二十八サンチ榴弾砲の大連湾到着後、運搬及び据付などに少なくとも
3週間を予定せざるをべからず。然るときは之を使用得べきは早くも
十月上旬なり。軍は縦令い正攻法を併用して爾後の攻撃を継続せんと
するも、長時間日を期待するの意無し。然れども尚次回攻撃後の状況
特に港内敵艦船に対する顧慮を以って返電を発せり。

まぁなんだな、甘い見通しってのはこういうのを言うんでしょうな。
208日本@名無史さん:03/02/21 23:11
>>206 そっか?一番高低さの少ない線路のライン(東北正面)
はロシア軍の防御が一番固いと第3軍も認識していましたが?
悲しいかな、敵の一番強いところに攻め込んでいって、落ちる筈
がないんだが・・。

余談ですが 台湾において日本の権益を守るために高圧電流を
流した鉄条網や地雷など野戦築城を行ったりしています。
なぜ乃木はこれらの対応法も考えていたんでしょうか?
第一回総攻撃にはあまり見られませんな。
209日本@名無史さん:03/02/21 23:11
もし日本海軍が敗れ、
制海権をロシア側に奪われてしまったら、
それまでに例え仮に名将・乃木が連戦連勝で勝ち進んでいっても
補給が出来なくなってしまい、日本陸軍全体が
インパール状態になってしまうわけだ。
ただでさえ文豪のせいで脚気が蔓延していた日本陸軍、
そうなったら戦争どころじゃなくなってしまう。

210日本@名無史さん:03/02/21 23:13
なぜ乃木はこれらの対応法も考えていたんでしょうか?

訂正
乃木はこれらの対応法を考えていたのでしょうか?
211日本@名無史さん:03/02/21 23:15
>>209 日本海軍が決戦に敗れなくても、制海権が犯されたら
陸軍の奉天での勝利は怪しいでしょうね。
212嶽原:03/02/21 23:17
>>203
 旅順を陥落させて北方へ行くという目的は達成されたわけです。
>>204
 セットではずすことは出来ませんね。
 しかし、どちらが主目的だったか、という事は重要な事です。
213日本@名無史さん:03/02/21 23:21
>>212 だから結果論だねと述べているでしょ?

結果的に児玉が来順して指導してから二百三高地が落ちたように。
結果的に第一回から第3回までで乃木が失敗したように。
214日本@名無史さん:03/02/21 23:21
結果的には旅順艦隊は二百三高地占領後の日本軍の
砲撃によって壊滅し、バルチック艦隊は日本海海戦で消滅した。
これだけ見ると海軍は楽勝だが、8月の時点では
まったくどうなるか分からなかったわけである。
黄海海戦では旅順艦隊を結局取り逃がしてしまったが、
バルチック艦隊の来航を控え、海軍があせったのはいうまでもない。
215日本@名無史さん:03/02/21 23:25
乃木を名将として擁護するのは別に構わんが、

>>207の機密作戦日誌に見られるように、大損害を
受けた後でも驕りや舐めてかかっている風潮が
第3軍首脳部にはあったと考えるべきでしょう。

乃木がいくら悲観的に考えていたとして,なぜ、
彼らに危機感を植え付けなかったのかは不思議なことです。
216嶽原:03/02/21 23:33
>>208
『>線路のライン(東北正面)はロシア軍の防御が一番固いと第3軍も認識し
  ていましたが?』
 そう認識していた事は知っています。しかし。

『>敵の一番強いところに攻め込んでいって』
 と言われてますが、あなたの言われるラインは、東北正面ではありませんよ。

イ:東方正面(東鶏巻山以東)
ロ:東北正面(二龍山−東鶏巻山)
ハ:北正面(二龍山−椅子山)
ニ:西北正面(椅子山以西)

 線路街道のラインは、『ハ:北正面(二龍山−椅子山)』に含まれます。
217日本@名無史さん:03/02/21 23:35
日本海海戦の海軍の圧勝は、旅順艦隊の消滅によって
後顧に何の憂いもなくなったことにより、
訓練に訓練を重ね、艦船を整備し、戦術を練った事により
なしえた訳である。

218嶽原:03/02/21 23:38
>>213
 児玉が来た時には、既に旅順は力つきて陥落する時期だったに過ぎません。
219日本@名無史さん:03/02/21 23:40
>>218
と決め付けることもなかろ。

 児玉が来順して二百三高地を落したという説を取るかどうかは
人による。
220日本@名無史さん:03/02/21 23:43
>>218
あなたコンドラチェンコを舐めてない?
旅順の開城には彼の戦死の影響が極めて大きいと思うよ?
221日本@名無史さん:03/02/21 23:45
>>216 あのね二龍山が戦略寄託点というのはわかるでしょう?
二龍山から旧市街のラインは何重もの山がありますよ。

乃木が考えたのは白襷隊からみて、二龍山からの支援火力を防ぎ、
線路沿いを上がることと思いますが?まさか山を幾重も越えるのが
主攻面ならまさしくあほだよ。
222嶽原:03/02/21 23:45
218訂正。
 児玉が来た時には、既に『露軍』は力つきていて、『二百三高地』が陥落す
る時期だったに過ぎません。

>>219
 まあ人によりますね。
 私は、色々読んだ結果、上記のように思っています。
223嶽原:03/02/21 23:48
>>221
 あなたが書かれた通り、『ハ:北正面(二龍山−椅子山)』の部分が
旅順最強の地域だと、第三軍も認識していました。
 そして、第三軍が選択したのは、『ロ:東北正面(二龍山−東鶏巻山)』
なのです。
224児玉神社:03/02/21 23:48
>>200
旅順港内の極東艦隊とセットになっているために、旅順要塞の戦略的価値が
有ったのではないでしょうか.実際に極東艦隊殲滅後,要塞のロシア軍が持久せず、
早期に降伏したのは、自らの戦略的価値が失われた事を、プロとして自覚した
為ではないかと思います.
これも、全く私見ですが,乃木さんと児玉さんのありかたが、以後の日本史の展開を
暗示しているように思うのは,
・能吏の児玉さんは、全精力をつぎ込んで仕事をやり遂げ,江ノ島で神様になる
・無能な乃木さんは、自分の仕事が出来なかった無念を生涯抱き、伊地知さんのように凱旋将軍の美名に酔うこともなく、その人柄で六本木で神様になる
上記,どう考えても、乃木さんはしおれた神様です。
児玉神社は、台湾総督時代の恩義を感じる台湾人有志が寄付した台湾の良木で建てられています.
乃木神社はご存知のとおり、少し安っぽい、作り物の資料館です
児玉さんは、その仕事振りによって、本当に人々に神様にまつられました。
乃木さんは,国の都合で、神様にされました。
仕事の出来ない吏員を、情によって擁護することは、弊害のほうが大きいと思われ,
乃木さんの扱いを誤った為に,昭和の特に陸軍の、仕事は出来ないが愛国心は誰にも負けない、という
様な、不気味な軍隊が出来あがったのではないかと思えてくるのです.プロとしての仕事振りこそが、
国のためになるかならないかの主たる評価でありましょう。
日露戦後の国内的な情報操作の必要から、乃木さんの軍神化と、そんなに無能ではなかった風の挿話が
広まったのでしょうが,普通に考えて、乃木さんの無能は軍法会議もので,その自省を生涯持ちつづけた
事でかろうじて同情を得られる、明治の苦い思い出の人と言うのが妥当では有りますまいか.
的外れな事を申してすみません。
225日本@名無史さん:03/02/21 23:50
>>215
植えつけようとしても誰にも聞いてもらえなかったとか。
それだと統帥能力に問題があるわけだが。
226嶽原:03/02/21 23:53
>>220
 すいません、222の通り「旅順陥落」ではなく「二百三高地陥落」に訂正です。
 私もコ少将の戦死の影響は、多大だと思います。
227日本@名無史さん:03/02/22 00:00
>>223 あぁ白襷隊はバカの極みと為りますな。
228日本@名無史さん:03/02/22 00:04
>>223
東北正面を選んだから偉い、てなものでもないでしょう。
(そういう意味のレスではないのかもしれないですが)

築城する側は攻撃されたら危険な部分から強化するのが
普通でしょう。その意味からも、線路などで大陸に通じている
東部から強化していき、敵が陣を引きにくい山の多い西部は後回し
にしたわけです。で、別に第三軍は西部から攻撃しちゃ
いけないなんて事はない話であって。
229日本@名無史さん:03/02/22 00:17
>>221
日清戦争の旅順攻略戦に参加した人物がやることだから
なおさら深刻なんだよ・・・。
230嶽原:03/02/22 00:32
>>228
『>東北正面を選んだから偉い、てなものでもないでしょう』
 ええ、そういう意味の書き込みではありません。
 「東北正面(二龍山−東鶏巻山)」と「北正面(二龍山−椅子山)」とを
混同されている書き込み(>>208)に、そうではないと言ったまでです。
 
『>敵が陣を引きにくい山の多い西部は後回しにしたわけです』
 そうでもないですよ。
 西方面の主防御線各陣地(椅子山・小案子山・大案子山・太陽溝南・オウコ嘴)
は、ほぼ完工しています。また前進陣地である二百三高地は、05月に南山陥落の直
後に工事が開始されています。
231日本@名無史さん:03/02/22 00:34
でも、自分が一兵卒として、乃木と牟田口どちらかの下で
出征しなくてはならないことになったら、3日ほど考えた後に
逃亡を図るが、参謀として働くなら乃木だな。
好き勝手しても許してくれそう。
232嶽原:03/02/22 00:41
>>224『>要塞のロシア軍が持久せず、早期に降伏したのは、自らの戦略的
    価値が失われた事を、プロとして自覚した為ではないかと思います』

 ロシアの小説を読む限り、要塞のロシア陸軍は「艦隊は出ていってくれないか」
という態度だったそうです。

 また、確かに艦隊なきあとどうすべきか、という議論はあったそうですが、
防衛するという結論になったそうです。その後、コ少将が戦死して東北面主
要塞が陥落し、開城となったわけです。
233嶽原:03/02/22 00:48
>>188 『>あのさ、密漁船如きと汽船で補給とを一緒にするなよな』

 麦粉820トン・缶詰・腸詰を積んだ英国汽船「キングアーサー号」が、
鳩湾から密輸を成功させています。
 旅順要塞は、補給の途を絶たれていたわけではありません。これは
密輸船の往来を防げなかった海軍の不手際でもあります。
234児玉神社:03/02/22 01:06
>>233さん
お付き合いいただきまして,有難うございました。
また覗かせていただきます。失礼します。


235嶽原:03/02/22 01:36
>>234
 江ノ島の児玉神社、行ってみたい所です。
 乃木神社は安っぽいのですか?行ったことないので知りませんが。

 乃木は国の都合で神になったと書かれていますが、全国初の乃木神社は、
愛知県内の一個人によって建立されました。江ノ島の児玉神社の設立経緯
と、似たようなものですよ。

 現地軍が無能というより、大本営の根本的なミスを現地軍が背負わざる
を得なかったというのが実状と思います。
236日本@名無史さん:03/02/22 02:23
>>235
>現地軍が無能というより、大本営の根本的なミスを現地軍が背負わざる
>を得なかったというのが実状と思います。
立見尚文、秋山好古のことですか?

黒溝台のやばさは、その切迫度合いでは
旅順より上かもしれないですよ?

237日本@名無史さん:03/02/22 08:30
>あなたが書かれた通り、『ハ:北正面(二龍山−椅子山)』の部分が
>旅順最強の地域だと、第三軍も認識していました

8月の攻撃時・・東北正面 即ち二龍山、東鶏冠山両砲台間は
「コノ正面は全正面中において比較的最も堅固なるものならん」
なのですが?どこに椅子山と書いてますかね?
238mm:03/02/22 11:44
>222
「まあ人によりますね。
 私は、色々読んだ結果、上記のように思っています。」
嶽原氏のいうところも結局、「思う」なのである。
乃木の愚将論、非愚将論ともこの思うからなかなか抜け出せない。
私には乃木には愚直さのみで応用力に欠けていたいとように「思う」。

できたら自衛隊の分析を知りたいな。乃木の作戦がどう評価されてるのか。
現役の自衛官の意見求む。まさか研究されていないなんてことないよね。
239https://mokorikomo.2ch.net/:03/02/22 11:47
千葉県43歳
240嶽原:03/02/23 00:25
>>237
 208にて、『>線路のライン(東北正面)はロシア軍の防御が一番固い』
と言われていますね。
 「線路のライン」と言いながら、「(東北正面)」としている事が、そもそも
おかしいのですが、それは置いといて。
 第三軍が最も堅固だと認識していたのは、208にても言われていたように、
線路のラインが含まれる『ハ:北正面(二龍山−椅子山)』でしたよ。
 そして第三軍は、そこではなく『ロ:東北正面(二龍山−東鶏巻山)』を
選択した、と言っているのです。
241嶽原:03/02/23 00:27
『イ:東方正面(東鶏巻山以東)』
 その後方に諸峰高くそびえ、敵の第一線を奪取するために重層の火力を受ける。
かつ奪取後もなお敵の瞰制を蒙り、最後の目的達成までに数回の努力を要する。
『ロ:東北正面(二龍山−東鶏巻山)』
 一種の凸角を形成し、攻者の近接動作他方面に比して容易。また団山子および大
狐山東側付近の地区は我が多数の攻城砲の展開に適し、かつ有利なる観測所を有する。
『ハ:北正面(二龍山−椅子山)』
 旅順街道付近に堅固なる前進陣地あるのみならず、その後方の諸砲台の応援を受
け、かつ我が軍を庇護する地物少なく、要するに敵の主なる正面として工事堅固か
つその砲数もまた最も多数なり。
『ニ:西北正面(椅子山以西)』
 要塞の本防御線に近接するまでに半永久築城を以て堅固に守備せる縦深ある地帯
を攻略するを要し、かつ重砲の展開には交通不便。
242嶽原:03/02/23 00:46
>>238『>結局、「思う」なのである』
 そうですね。断言するのは難しいです。
 「現役の自衛官」は、どう「思っている」のでしょうか。

 自衛隊での研究……「旅順要塞攻略戦・日露戦争史(陸戦史普及会)」と
いう本が、自衛隊関連の書物だったと記憶しています。
243日本@名無史さん:03/02/23 02:50
>>238
自衛官といっても幹部クラス(かその候補)でないと意味が無いわけで、
そういった人がどこまでこういうところ見ているかは何ともいえない。

欧米では一般の大学で戦争に関する学部・講座を置いているところ
があるだとか。
日本でもそういうのがあったらいいのかもしれない。
244日本@名無史さん:03/02/23 07:40
>>241
えぇ その観測の後、攻撃に際して、
8月の攻撃時・・東北正面 即ち二龍山、東鶏冠山両砲台間は
「コノ正面は全正面中において比較的最も堅固なるものならん」
というコメントを出して、攻撃するのですが??
245日本@名無史さん:03/02/23 07:50
>>243そうですね。断言するのは難しいです。

>>218 児玉が来た時には、既に旅順は力つきて陥落する時期だったに過ぎません。

決め付けてますが?
246日本@名無史さん:03/02/23 07:54
>>206 早期陥落せよという命令が続いている以上、西方面に変える事は適当で
ないと思いますが。

あの、第一回総攻撃が失敗に終わったあとの話なんですが??
徹底を欠いているのですが・・。
あとね、永沼隊案を許可した奥と違って第3軍は満州軍司令部の責任
ばかり言っているね。乃木は現場での責任をあまり認識してなかったんだろう。
247日本@名無史さん:03/02/23 07:58
>>241 その第3軍の報告がマジなら、バカだと思うが・・。
それこそ偵察不行き届きかつ、各首脳部の意見を聞いてない。

西北方面には 有利なる観測所が無いらしいからな。
248日本@名無史さん:03/02/23 10:09
なほ伊藤(整)氏はロシア側にとつて二〇三高地陷落がもう一息
といふところで、日本軍がこれを休止し、12月1日から4日間休止
状態に入つた事實を注意深く記録してゐるが、ロシア側からすれば
、この4日間は謎の休止期であつたらう。この休止はいふまでもなく、
兒玉將軍來順の爲で、それが無くとも、或はそれが無ければ、
二〇三高地は12月1日か2日には陷落してゐたかもしれぬといふ見方
も出來ないではない。谷中將を始め、司馬、福岡兩氏は兒玉將軍の
演じた活躍を鞍馬天狗のそれになぞらへ、少々話を面白くしすぎて
ゐる嫌ひがある。兒玉將軍の來順如何に拘らず、二〇三高地は既に
熟柿の如く落ちるべき時期に達してゐたのではないか。(同書)
249日本@名無史さん:03/02/23 10:10
そこで乃木將軍は白井参謀を總司令部に派遣し、協議せしめてゐる。
その詳細は省略するが、第三軍は新鋭の第7師團を主攻方面にではなく、
遊動豫備軍として使ひたい事を申入れてゐる。後にこの師團が二〇三
高地を占領した事を想ひ合せれば、乃木將軍より兒玉將軍の方が東北
正面主攻作戰に捉はれてゐたと言ふべきであらう。……(同書)
250嶽原:03/02/23 10:51
>>244
 上記イロハニ各面を比較しているように、攻手側にとって最も好都合なのが
東北正面だということです。

>>245
 二百三高地攻防戦の経過を見る場合、児玉来順に関わらず陥落していたとい
う見方は妥当なものだと思います。
 「児玉が来順したから陥落」などとは、経過を見ない者の言うことです。
251嶽原:03/02/23 10:52
>>246
 西方面は、縦深ある前進陣地を突破したのちに漸く主防御線が出てきます。
 東北面は、既に前衛陣地は一掃されていて、しかも既に主防御線の一角であ
る盤龍山東西堡塁が占領出来ています。

 西方面に変える事は適当でないと思います。
252嶽原:03/02/23 10:52
>>217
 報告で言っている観測所とは、08月総攻撃における砲兵のための観測所です。

 東北面の望台について述べていないのと同様に、二百三高地についても述べて
いません。まだ取っていない所の観測所について云々しても仕方ないでしょう。
08月総攻撃のための観測所なのですから。
253日本@名無史さん:03/02/23 11:33
ちょっと質問
>>249-250は嶽原氏の意見?

まあ多分違うと思うけど、嶽原氏は氏の言うところの東北方面
を第三軍が選択したのは適切ないしはやむをえないと
しているわけだよね?
249-250氏の引用(原典不明だが)部分だけ見ると
『乃木將軍より兒玉將軍の方が東北
正面主攻作戰に捉はれてゐたと言ふべきであらう。』
とあって児玉が戦術的過誤を犯していたと
解釈できるが如何?
254日本@名無史さん:03/02/23 11:38
あと、>>252>>217の反論?
>>217のどこにも観測所も二百三高地も望台も出てきてないが?


255日本@名無史さん:03/02/23 11:38
>>250

>>238『>結局、「思う」なのである』
 そうですね。断言するのは難しいです。

断言するのは難しいのに断言してますが?
256嶽原:03/02/23 11:41
>>253『> 249-250は嶽原氏の意見?』
 250は記名とおり当方ですが、248-249は当方の書き込みではありません。

 また、当方が書き込みしているのは、08月当時の状況での判断についてで
して、11月末の攻勢時の状況での判断についてではありません。
257日本@名無史さん:03/02/23 11:43
>>251 盤龍山東西堡塁が占領出来ています

盤龍山新堡塁はいつ陥落したかご存知で?
258嶽原:03/02/23 11:46
>>254『>252は217の反論?』
 すみません。217ではなくて>>247でした。

>>255『断言』
 既に露軍の奪回余力が尽きていた事や、それまでの攻撃の成果など、様々な
要因を考えれば、より確度の高い推測は出来るという事です。
259日本@名無史さん:03/02/23 11:49
>>258 しかし、日本軍も児玉来順時は攻撃力が尽きていましたが?
有効でない攻撃を東正面でかなり行なっていましたが?
260嶽原:03/02/23 11:50
>>257
 この時期、東北面では主要塞線の一角が確保できている状況だという事です。
 同じ時期、西方面では縦深ある前進陣地の駆逐すら出来ていない状況です。
261日本@名無史さん:03/02/23 11:57
だけど満州平野に損害を少なく展開するには迂回しても
よかったのではという意見がでたでしょ?

乃木自身それが出来たはずですが、しなかった。
262嶽原:03/02/23 12:00
>>259
 児玉来順による指導が、二百三高地攻略に貢献したことは疑いません。
しかし、それが陥落の主因ではなく、それまでの主因はそれまでの経過に
よって二百三高地の維持が既に限界に達していたのだと思います。
263日本@名無史さん:03/02/23 12:02
>>250-251
28cm榴弾砲が旅順、特に二百三高地で有効だったのは
二百三高地がべトンで固められていなかったからと聞きます。
椅子山から西太陽溝にかけてのラインは、その上部に二百三高地
等の陣地がある限り攻撃は極めて難しいでしょう。

しかし、その北方にある二百三高地、赤坂山、海鼠山等は
どうだったわけでしょうか?


264日本@名無史さん:03/02/23 12:03
嶽原氏は>>249-250の書き込みについて疑問がありませんか?
265嶽原:03/02/23 12:04
>>261
 「しかし」「だけど」と言われておりますが、前レスのどこを受けての
書き込みなのか、判りません。
 あなたは、なにを受けて「だけど」と述べているのでしょうか。こういう
書き込みをされる以上、記名にてお願いします。
266嶽原:03/02/23 12:08
>>264
 08月総攻撃の主攻方面選択についての話をしていたのに、どうして
11月末の事が出てくるのだろう、と疑問に思いました。
267日本@名無史さん:03/02/23 12:09
嶽原は東正面しかできなかった理由(第三軍の言い訳)を
そのまま書いているだけ。自己評価というのはあまり
意味がないな・・。
268嶽原:03/02/23 12:12
>>267『>第三軍の言い訳』
 大本営で地図だけ見ていた人の言い分を書いても、そんなに意味がないとも
思いますが。
269日本@名無史さん:03/02/23 12:17
>>268 現場で偵察不行き届きの軍首脳部の言い訳はもっと
見苦しい。
270嶽原:03/02/23 12:26
>>269
 現場の意見を妥当とするか、内地の意見を妥当とするか。やはり現場の意見
の方が妥当だと思います。

 第一回来順時の児玉も、東北面の攻撃を妥当と判断していますから。
271日本@名無史さん:03/02/23 12:28
永沼隊案を許可した奥と違って第3軍は満州軍司令部の責任
ばかり言っているね。乃木は現場での責任をあまり認識して
なかったんだろう。
272嶽原:03/02/23 12:33
>>271
 野戦に比べて、そもそも要塞戦は攻撃プランに自由度が乏しいと思います。
まして早期陥落などといわれては、尚更に。
273日本@名無史さん:03/02/23 12:34
>>270 その児玉が第三軍に対し攻撃修正の電報を送ってますが?
274日本@名無史さん:03/02/23 12:35
>>272 攻撃側は攻撃方向でかなりの自由度がありますが?
早期陥落、損害減少のために迂回するのも手の一つですが?
275253:03/02/23 12:37
>>256
>>248-249>>249-250に打ち間違えた。スマソ。

そしたらこちらも8月の話で、
攻撃側が防御側に対して有利なのは、攻撃側はどこを
攻撃するか自由に択べることです。

東北正面は攻撃側にとって>>241の様な利点が
あったとして、ロシア側はそれに対して築城時に
それに対する対応をしていてもいいわけです。

三国志の蜀漢が滅亡する際のケ艾の奇襲のような例もあるわけです。
こちらが陣地を置きやすいところから行くよりも
相手が予想していないところを突くのが戦術の基本でしょう。
(いや、別に白襷隊を老鉄山に派遣せいというんじゃないですよ)

例えばこれも下衆の後知恵ですが主攻撃を
水師営南方の陣地から二百三高地のラインに置くというのは
どうでしょうか?
276日本@名無史さん:03/02/23 12:37
東正面への攻撃は広正面であり、一斉に攻撃する愚は第1回で
解っているはずだが、君も乃木も第三軍首脳部は解ってない
ようだね。
何のために攻撃壕を作ったのか。
277日本@名無史さん:03/02/23 12:38
嶽原氏は>>249-250の書き込みについて疑問がありませんか?

そうではなくてその記述の内容についてです。
278嶽原:03/02/23 12:43
>>273
 児玉が旅順から烟台に戻っている時の電報ではありませんか。
 児玉は第一回来順時、第三軍の東北面主攻案を支持していました。
279日本@名無史さん:03/02/23 12:47
>>278 だから?児玉がすべてにおいて正しいと言うの?
だれも児玉がすばらしいとは述べてないよ?

永沼隊を出すのに児玉は一蹴しましたが?
奥は許可を出しましたが?
280日本@名無史さん:03/02/23 12:49
 ボーバンのタイムテーブルを紹介してみると

 第1ステップ 要塞包囲、資材の集結、連絡線の確立  9日間

 第2ステップ 塹壕構築から城壁遮蔽路までたどりつ  9日間

 第3ステップ 城壁遮蔽路への攻撃とその確保     4日間

 第4ステップ 半月堡の前の堀を越える  3日間

 第5ステップ 坑道作業、臼砲の設置        3日間

 第6ステップ 半月堡の破壊と占領、確保       3日間

 第7ステップ 正面の2個の防御塔への攻撃     4日間

 第8ステップ 坑道作業と遮蔽路への大砲の設置   4日間

 第9ステップ 城内への突破口の確保

      2日間

 第10ステップ 要塞内の都市の占領       2日間

 第11ステップ 要塞内の秩序回復

     6日間

281280:03/02/23 13:01
>>280>>272に対するレスのつもりでした。

「急がば回れ」、この言葉を第三軍と嶽原氏に捧げます。
282日本@名無史さん:03/02/23 13:03
あと当時、天皇から命令を受けた軍司令官が戦意不足で更迭されることは
前例がない。正当な理由が現場からあれば時間をかけられるでしょう。


283嶽原:03/02/23 13:04
>>274
 要塞戦の攻撃方向は、砲兵の配備の点でかなりに制限されます。
 イロハニ例でも、その点が重視されているのです。

>>275(253氏)
 上に書いたことと重複しますが、攻撃側は、砲兵布陣によって攻撃方向を制限
されます。
 また、相手が予想していないところを突くと言われますが、相手は半円形に繋
がった要塞でして、どこも準備はしております。
 08月攻勢時、露軍は西方面からの攻撃も予想していたそうで、しかもその想定
は、コ少将によるものだったそうです。西方面からの攻撃はすべきではなかったと
思います。
284日本@名無史さん:03/02/23 13:04
>>274-275
ケコーン
285嶽原:03/02/23 13:05
>>276
 攻撃築城をするにあたり、一個師団の攻撃箇所は二箇所となっておりますが。
地域としては広いのですが、攻撃箇所は限定されています。
286嶽原:03/02/23 13:06
>>277『>記述の内容についてです』
 熟し柿の如くだったという点は、同意する所です。
 しかし別の部位では異論があります。四日間の休止期間は、児玉来順によるもの
では無かっただろうと思います。
287日本@名無史さん:03/02/23 13:07
どこも準備はしております.
準備している=満遍なく強固ではない。

それで? 第三軍はもっとも堅固なところを攻めに逝ったのですが?
288嶽原:03/02/23 13:09
>>281『>急がば回れ』
 それは、「第三軍に無理押しを望はやむを得ない」という作戦指導を行った
上級司令部に捧げて下さい。
289嶽原:03/02/23 13:12
>>287
 猛将として知られるコ少将が想定していた方面を選択しなくて、幸いだった
と思います。思う壺に填る格好ですね。
290日本@名無史さん:03/02/23 13:14
>>289 は?どうしようもないですね。

第三軍はもっとも強固な陣地(要塞強度が不明ではなく)
に突っ込んでいったんですよ?
291日本@名無史さん:03/02/23 13:16
>>283
でも二百三高地付近は、鉄条網やら何やらはあったでしょうが、
カポニエール・・・だったかな?ああいう類の城郭構造は
無かったと思うが・・・。
予想はしていても準備はできていないのでは?
それと椅子山には砲兵を布陣させられなかっただろうが
二百三高地にはとにもかくにも12月に砲兵を移動させていますが?
292嶽原:03/02/23 13:16
>>279
 児玉に反対されても、奥は挺身隊を出した。それでいいんではないですか。
 現地軍の判断ということで。
 旅順でも同様に、児玉の一点集中案は受け入れられませんでした。
293日本@名無史さん:03/02/23 13:21
>>288>>292
もしもし、第三軍には、作戦指導に対して「現地軍の判断」
はなかったのですか?
294嶽原:03/02/23 13:22
>>290
 砲兵の配置が出来ない西方面は、主攻方面になりえないということです。
295嶽原:03/02/23 13:27
>>293
 第三軍も、約一万で陥落させる事ができるだろうと判断しています。その上
での強襲法選択でした。

 旅順の実状は誰も知ることが出来ない状態であり、「上級司令部が無理押し
を命じたこと」も、「第三軍が強襲法を選択したこと」も、やむを得ない事だ
ったと思います。
296日本@名無史さん:03/02/23 13:40
>>295
ずいぶん第三軍の判断に対して寛容ですね。
南山は約4000もの死傷者をだして攻略しましたけど、
南山はまだ大連・旅順と撤退する先があるんですよ?

それに対して旅順は海上はすでに封鎖されていて、
満州のクロパトキン軍とは相互援護ができず、
ロシア軍にとってもはや撤退する先も無い「死地」と
なっているんですよ?

総司令部の判断の甘さも責められるでしょうが、
第三軍は旅順に進撃する際の戦いで判断できない
のでしょうか?
297日本@名無史さん:03/02/23 13:45
>>292 その判断で攻撃が有効であったかどうかは
史実が語っています。やはり判断は誤っていたとしか
思えませんが?
298日本@名無史さん:03/02/23 13:47
>>295 
>旅順の実状は誰も知ることが出来ない状態であり,

>>241で現場の判断が出ていますでしょ?
>>244
8月の攻撃時・・東北正面 即ち二龍山、東鶏冠山両砲台間は
「コノ正面は全正面中において比較的最も堅固なるものならん」
とも述べている、現状を知っていなければならないのは第三軍
首脳部だが?



299日本@名無史さん:03/02/23 13:58
・・・で、壁に生卵を投げつけたような結果に終わったと・・・・
300嶽原:03/02/23 13:59
>>296
 遼東半島を西進する前、第三軍参謀長は慎重論を以て考えていました。
「第三軍は第九師団、野戦砲兵第二旅団の到着を待って、07月25日から前進を
開始……要塞攻撃開始時期はまだ確定していないが、前進開始後約一ヶ月の予定」
 これに対して、満州軍総参謀長はより速攻すべき、と指示したのです。

 半島西進中の頑強な抵抗に逢って、軍参謀長はかなりに悲観的な考えであっ
たそうです。「旅順攻囲秘話(佐藤鋼次郎)」よりその状況が窺えます。
『軍司令部では一般に前進陣地の攻略はなかなか容易でないと考えている』
『この夜は軍司令部殊に幕僚では頗る悲観的であった。参謀長は就中一番悲観
論者で、この模様では旅順の攻城どころか、前進陣地の攻略も難しかろうと頗
る悲観して居られるらしかった』
301嶽原:03/02/23 14:10
>>297『>その判断で攻撃が有効であったかどうか』
 二龍山一点集中という児玉案よりも、第三軍案が妥当だと言うことです。
302嶽原:03/02/23 14:11
>>298『> 現状を知っていなければならないのは第三軍』
 期限を切られ、弾丸も限られ、しかし要求は「迅速陥落」。
 砲兵の援護は必須です。ならば東北正面強襲となります。
303日本@名無史さん:03/02/23 14:13
>>300 それだけ現状を把握し悲観的になっているのに、
第三軍が満州軍総参謀長を説得できないのは乃木の
無能を物語っている。

>>57 不明な時期であり
>>169 当時は、旅順要塞の堅固さは不明瞭でしたから、強襲法でなんとか攻略しよ
うと考えていたのでしょう。
というのは虚偽ですね。

その上 8月の攻撃時・・東北正面 即ち二龍山、東鶏冠山両砲台間は
「コノ正面は全正面中において比較的最も堅固なるものならん」
として、強襲するのは愚かのきわみ。

強襲法で行なってきた損害が前哨戦でわかっているにも
かかわらず、現況より予定や上の命令を優先させた第三軍首脳部と
乃木は逝っていいよ。

ゼークト曰く、間違った命令を延々とこなすの無能な努力家は
死んでよし。
304日本@名無史さん:03/02/23 14:15
>>301 総攻撃は成功したの?失敗して妥当とはこりゃいかに。
>>302 弾薬は多きに過ぎとは第三軍の電報ですが?
   最終的な期限を決めたのは第三軍ですが?

   だから満州軍に責任を押し付けすぎ。そこまで乃木が
   無責任だったと述べたいわけ?
305日本@名無史さん:03/02/23 14:45
>>300
うん、伊地知達がそう考えても無理ないと思う。
上からの実情を知らないのに繰り出される厳しい要請。
身につまされる勤め人はたくさんいると思う。
ただ、同情はできても、評価は出来ない訳。

上層部は現場の実情をいちいち考慮して作戦を立てるわけには
いかない訳で、全体のために時として一部の現場を見殺しにするような
作戦だって立てていかなくちゃいけない。
もし要請通りいかなかった場合あらためて
作戦を練っていく訳だ。

上層部の要請に対して現場が求められていくことは、
「結果」を出していくということだろう。

要塞攻撃に選択肢があまり無いのは確かだが
一つしか無い訳でもない。
(嶽原氏言われるところの正攻法があったわけで)

言われた通りにやって失敗したから、責任は言った側にあるというのは
小隊〜連隊クラスの人間はそれを言ってもいいと思うが、
少なくとも司令部を設置し、スタッフを抱える立場の人間が
それを言うのは問題あり、だ。






306嶽原:03/02/23 14:59
>>303
 当方が>>300で述べているのは、遼東半島西進中の状況です。その時期、そして
それ以後も旅順要塞の堅固さは不明瞭だったのです。

 「遼東半島の前進陣地攻略戦での状況」の書き込みを指して、「旅順要塞の状況」
だと混同しています。
 貴方が勝手に「混同」している事を、当方の「虚偽」とするのは理解に苦しみます。
307嶽原:03/02/23 15:02
>>304『>失敗して妥当とはこりゃいかに』
 児玉案(二龍山一点集中)だったら……
 「盤龍山北堡塁を奪取」
 「東鶏冠山北堡塁では穹窖の上部が露出し、内部に兵が突入するまでに進展」
 こういう戦果はあげられませんでした。

 児玉案でも失敗したろうし、その場合、何も得るものがなかった。
 第三軍案でも失敗しましたが、得るものは有った、その差です。
308嶽原:03/02/23 15:03
>>304
 あなたが挙げられた「弾薬は多きに過ぎ」とは、時期が全然異なります。ご存じ
でないならまあ良いですが、ご存じで敢えて混同させるとしたら、何の意図あっ
ての事ですか。

 08月(強襲法選択当時)の弾薬が、どれほどだったかご存じですか。
 第三軍は、動員時に要求した弾薬の半分しか持たされていません。その後に不足
分を後送するという大本営との約束は果たされませんでした。
 であるのに、大本営等上級司令部は「早期陥落」などと要求しているのです。
責任は重大だと思います。
309嶽原:03/02/23 15:09
>>305
 第三軍に責任が無いとは思いません。
 大本営等上級司令部の責任は、それ以上に重大であると思いますが。
310日本@名無史さん:03/02/23 15:27
>>309
うん、第三軍、大本営、満州総司令部それぞれに
責任があった。それは俺も同意する。
ただ、その過失割合(交通事故みたいだが)が
どうだったかってことだね。
>>308-309を見ると嶽原氏は大本営と満州軍総司令部
により責任があると主張されている。
できれば、もう既出だから省いたのかもしれないが
大本営と満州総司令部、それぞれの問題点について
明確にして頂きたい。(もし既出なら過去レスのおよそ
どの辺かだけでも書いてくれたら感謝
311日本@名無史さん:03/02/23 16:03
>>308-309

だから大本営との約束が果たされて無い以上、第3軍としても
守る必要はない。第3軍が必要と思われる弾が手に入り次第
攻撃すればよい。このくらいの交渉は誰だってするが・・。
乃木や第3軍首脳部はしていません。
312日本@名無史さん:03/02/23 16:09
たしか豊島少将は1門辺り、300発で事足りると判断してなかったか?
313嶽原:03/02/23 16:12
>>310
 あちこちに論点が飛んでしまうように思いますので、まず一点だけ。

『攻城砲・砲弾・攻城材料などの準備不足』
 旅順要塞の実状が判明していない状況ではやむを得ない事かも知れませんが、
28糎砲でも貫徹させることが難しい陣地を相手に、最大の砲力が15糎砲では、どう
にもなりません。
 第三軍は、出発にあたり一門当て800発の携行弾薬を要求しましたが、陸軍省の当
局者は必要性を疑い、さらに「第三軍の攻城計画案は全てにおおげさ過ぎる」と非
難しています。結局、15糎臼砲砲弾は300発、その他各種砲に400発の交付と要求は
半減され、残りの砲弾は追送するという約束となりましたが、その約束は果たされ
ませんでした。
 坑道用資材も、旅順攻城計画案から削減された状態でした。
314日本@名無史さん:03/02/23 16:13
>>306 あのね。前進陣地が主防御線と同じと考えるか、それ以上と
考えれば、悲観的状況はあてはまり、警戒して敵情をもっと詳しく
知ろうとするでしょう。
あまりにも第3軍は楽観視しすぎているし、乃木はそれに対し危機感を
植えつけるべきでしょうに。
315日本@名無史さん:03/02/23 16:31
>>313 損害を出すのは現地軍であり、現地で間違いを確認したならば、
是正すればよい。是正できなかったのは乃木が無能だからさ。

実際兵士からの手紙はかなり楽観的な空気が流れています。
316嶽原:03/02/23 16:32
>>314
 当方は、第三軍が楽観視などしていない根拠として、「旅順攻囲秘話(佐藤
鋼次郎)」の描写を挙げます。

『軍司令部では一般に前進陣地の攻略はなかなか容易でないと考えている』
『この夜は軍司令部殊に幕僚では頗る悲観的であった。参謀長は就中一番悲観
論者で、この模様では旅順の攻城どころか、前進陣地の攻略も難しかろうと頗
る悲観して居られるらしかった』

 そちらの、楽観視していた、という説の根拠は何ですか。
317嶽原:03/02/23 16:34
>>315
 どの兵士なのでしょうか。前線?後方?場所によって全然感想は
違うでしょうね。

 佐藤綱次郎は、攻城砲兵司令部員ですが、彼の著書によれば、
軍司令部に楽観の気配は見えません。
318310:03/02/23 16:49
>>313
過去スレの時点で既に論点は飛びまくっていたりする。

それはともかく、第三軍、満州総司令部、大本営
三者に共通する問題点としては、旅順要塞を甘く見ていたというのが
あると思う。
世界一と称される陸軍国ロシアが作った、
(クリミア戦争セバストポリ要塞で過去にも実績を挙げている)
難攻不落の要塞である。
それに対して大本営は確かに準備不足だろう
(乃木愚将論派の立場だと、あんな愚将やスタッフを配置した責任
も極めて大といえる)

満州総司令部の見通しも甘かった。
しかし、満州軍総司令部の責任はそれほど大きいとは言えない。
クロパトキンとの決戦を控え、また海軍からの要請もある。
作戦遂行を急がせるのは当然だろう。



319日本@名無史さん:03/02/23 17:00
>>317 第9師団 富田氏の手紙より

ついては当師団は防御のために旅順口より一里半のところなる
高山を占領いたし、この高地いかなる場合なりとも固守する
責務を持って当地を固くまもりおり候
ついては旅順なる露兵も第一師団方面は続々降参人数十名ずつ
くらいはこれあるとの噂あり・・。

320319:03/02/23 17:05
また第3軍の予定計画は総攻撃開始より8/22日には旅順入城が可能と
考えていましたが?これを楽観視といわずしてなんでしょうか?
321嶽原:03/02/23 17:07
>>319
 どうもありがとうございます。しかし、これでは前線なのか後方なのか
判りません。どういう方なのでしょうね。
 ところで、この文面内からは論点である「軍司令部は楽観視していたか」
という事は、判りません。
 対して、佐藤氏の方からは、ストレートに「軍司令部は楽観視していない」
事が、よく判ると思います。
322319:03/02/23 17:10
第9師団 森下氏の手紙より

・・また露兵も糧食欠乏のため、日々降伏を乞うものあり、これらの
実情を聞き実に愉快なり・・・

第3軍に蔓延とした楽観視の風潮が目に浮かびます。
323嶽原:03/02/23 17:16
>>320
 攻撃スケジュールは、計画そのままに順調に行った場合の事を書くものです。
324310:03/02/23 17:16
一方乃木第三軍、不足しがちな弾薬で「東洋一」の要塞に
向かう訳である。また、旅順要塞の実態も不明だった。
旅順攻囲の際には少なからず損害も出ている。
悲観論が飛び交ってもごく自然である。

ここで問題になるのは>>314氏が言っていることと同じ。
(連隊以下のレベルで楽観視するのは問題ないと思います)
敵情の視察は出来なかったか、強襲する以外の手はないのか
部隊の配置に問題は無いかetc・・・
満州軍総司令部や海軍が何を言おうが、計画実施するのは第三軍。
総司令部や海軍は「言う」ことしかできないのである。

急かされるままに攻撃を行って失敗した第三軍。
なぜ悲観論を作戦に結実させられなかったのか?




325319:03/02/23 17:17
ちなみに8.12に森下氏の居られた場所は敵堡塁から3000m
ほどのところです。

>>320は第9師団第19連隊 松井中尉の手記より
「第一回総攻撃の予等の予定計画は誠に痛快なものであった。
19日竜眼北方堡塁占領。
20日突撃準備。
21日払暁盤龍山堡塁突撃。
22日旅順入城・・・。 」
326日本@名無史さん:03/02/23 17:20
確か大江氏の本に「日露戦争における兵士の手紙」
みたいな本があったと思いますが、>>319氏の
出典はそれですか?それとも別の本ですか?
327日本@名無史さん:03/02/23 17:20
>攻撃スケジュールは、計画そのままに順調に行った場合の事を書くものです。

その計画が余りにも楽観視しすぎていると述べているの。
328嶽原:03/02/23 17:20
>>322
 最初はそちらの方から「軍司令部は楽観していた」と言いながら、出てくる
のは兵士の手紙ばかりですか。「軍司令部は楽観視していた」という根拠は
ないのですか。
329嶽原:03/02/23 17:23
>>324
 満州軍総司令部から「全般作戦上やむを得ず」と言われている以上、
実行するしかないと思いますが。
 全般作戦上必要だと言われれば。
330日本@名無史さん:03/02/23 17:27
>>328 特派員にも3日で落すと宣伝してますが?

331日本@名無史さん:03/02/23 17:30
ヴィリヤースの所見では鳳凰山より強固な堡塁を50個は数えたそうな・・。

要塞強度が不明なんてことはない。
332310:03/02/23 17:30
>>328
すまんが軍司令部が悲観視していたところで
それを作戦計画に反映させられなかったら意味がないんだが。
つーか、それが有能でない証拠になると思うが。

それを否定しようとするなら、第三軍から満州軍に対して
正攻法の是非について質問し、拒否されたという
電文でもないことには・・・・。
(あったとしてもそれを主張しきれなかった問題は残るが)

333日本@名無史さん:03/02/23 17:39
例えば第9師団の第一回総攻撃時の敵情偵察状況はかなり楽観視しており、
砲撃の成果は顕著、砲撃の後の観測で敵兵は堡塁より退却す など楽観的な
対応をしております。

第3軍司令部がいかに悲観的になっていても、その悲観的現状に対し、
前戦部隊に対し、危機感を植え付けるどころか、楽観視させてしまって
は損害を倍増させるだけです。

つまり空手形を乱発しすぎなのです。だからこそ第3軍司令部の威信
地に落ちたのです。

334嶽原:03/02/23 17:41
>>332
 前段、「軍司令部は楽観視していた」という論点について、そうとは言えない
証言がある、と述べているのみです。

 後段、否定するためには斯様な電文がないと、と述べつつ、あったとしても……
というのは、既に結論を持っているという事でしょうか。
335嶽原:03/02/23 17:42
>>331
 もちろん、相当の永久陣地であることはほぼ判明していたので、攻撃方針を
『強襲法(徹底した砲撃で陣地を破壊、そのあと歩兵部隊が突入して占領)』
としたのです。
336日本@名無史さん:03/02/23 17:43
いじめっ子の児玉君がいじめられっ子の乃木君に
交通量の激しい道路の向こうにあるコンビニ「旅順」へ
「急いでパン買って来い!」と言った場合。

乃木君が少し離れたところにある信号を渡っていけば、
まあ時間はかかるが無難に往復できます。
しかし、乃木君はあまりに急かされたので怖くなって
横断歩道の無い道路を突破しようとしてしましました。
そしてその結果車に轢かれて大怪我をしてしまったのです。

この場合まず怒られるのは児玉君だけど、
「乃木君ももっとしっかりしないと!!」
と言われますよね。無論、乃木君が知能障害等
抱えていたら話は別ですが。
337日本@名無史さん:03/02/23 17:47
第一回総攻撃前の砲撃の成果において 大庭少佐は「堅固なる構築
と聞けども、砲撃によるときいかなる形状物が飛散するかを了知
せず。故に効果不分明なり」
 伊地地参謀長
「老婆心に過ぎるに非ずや、砲撃は成功と認む。右翼の戦況も
進展すべければ、明朝突撃は期して待つべきものあり」

アホである・・。
338嶽原:03/02/23 17:49
>>333『>第3軍司令部がいかに悲観的になっていても』

 「第三軍司令部は楽観していた」という主張はどうなったのでしょうか。
339日本@名無史さん:03/02/23 17:53
>>338 計画は3日で陥落させようとしている時点で楽観視しておりますが?
というか舐めてますが?伊地知も「老婆心に過ぎるに非ずや、砲撃は成功と認む。
右翼の戦況も 進展すべければ、明朝突撃は期して待つべきものあり」
といって舐めてますが?

危機感がありますか?
340日本@名無史さん:03/02/23 17:56
>>336 乃木信者にそのような言い方をしても無意味だと思われ。

いじめッ子が悪いの一点張りなんだから。
341嶽原:03/02/23 17:57
>>336
 あまり品のない例えですね。まあ、「要求が過酷に過ぎた」という主旨は、
そうだと思います。
 そういう過酷な要求をするのなら、要求する側として調査を含め準備を行い、
砲弾薬もせめて実行部隊が要求するだけの分は持たせるなどの措置をするべきです。

 しかし、実際はどうでしたか。持たせた地図は日清戦争当時のもの、砲は
力不足のもの、弾薬は半分、しかも残り後送の口約束は果たさず、です。
342日本@名無史さん:03/02/23 17:58
>>338
>>337
まあそれはともかく第三軍が楽観視してようが悲観視してようが
導き出される結論は同じだな・・・。
343日本@名無史さん:03/02/23 17:58
>>338  「第三軍司令部は楽観していた」という主張はどうなったのでしょうか。

ビリヤースなどの特派員には3日で落すとか計画も3日で落すとか
第3軍は対外的には楽観的な振る舞いをしてますが?

特派員達はほんとかよ・・という感じだったそうで。
344日本@名無史さん:03/02/23 18:02
>>341
>しかし、実際はどうでしたか。持たせた地図は日清戦争当時のもの、砲は
>力不足のもの、弾薬は半分、しかも残り後送の口約束は果たさず、です。

それが嫌なら、初めからロスケと戦争なんかしないがいい。
当時の日本の物理的国力なんて、所詮そんなもん。
345日本@名無史さん:03/02/23 18:02
>>341 だったら第3軍が必要と思える量まで待てばよいだけのこと。

前哨戦で1万の損害を出しているのですから、主防御面を攻撃した
ときはそれ以上というのは安易に予想できるところ。
新聞記者でさえ、露土戦争時の砲撃というのがあまり当てにならない
というのを知っていたくらいなのだが・・。
しっかり説明して交渉するのも軍首脳部の任務だよ。

念を押しての対応が足りなさすぎ。
346嶽原:03/02/23 18:03
>>340
 もちろん、いじめっ子が一番悪いに決まってます。まあそのキャスティング
が児玉というのは疑問ですが。
347日本@名無史さん:03/02/23 18:05
>>341
>要求する側として調査を含め準備を行い、
第三軍の職責です。

>砲弾薬もせめて実行部隊が要求するだけの分は
>持たせるなどの措置をするべきです。
砲弾薬の不足は大本営の責任としても
その影響を被ったのは日本陸軍全体です。


348嶽原:03/02/23 18:07
>>344『>それが嫌なら、初めからロスケと戦争なんかしないがいい』
 第三軍が云々、という問題ではないという事です。
 大日本帝国の戦争指導の問題です。
349日本@名無史さん:03/02/23 18:08
いじめっ子の児玉君はまさか、乃木君が左右確認を怠って
行くとは思わなかったのです。車にぶつかってもあまり
怪我をしないと信じていたようです。

すごい素直な子だったのです。
350日本@名無史さん:03/02/23 18:08
>>346
いじめられっ子がいじめっ子に対抗する能力が無い場合、
その通りですね。
351嶽原:03/02/23 18:10
>>347『>職責』
 事前に日清戦の地図を持たせるなど、大本営が調査の点で職責を果たした
とは思えません。

 また、要塞を攻めるにあたり、相手側の強度を調べずに現地派遣軍に
適当な装備をさせるなど、大本営が職責を果たしていないのは明らかです。
352日本@名無史さん:03/02/23 18:13
乃木君は車にぶつかってもあまり怪我をしないと信じていたようです。
乃木君は車というものがどんなものかあまり知りませんでした。

某君は乃木君のような素直な子に対してバカなことを教える方が
悪いといいます。自分で判断できない子に対してはバカなことを
教えないのが一番なのですといいます。

というかそんなお使いを言いつける方が悪いんであれば、
乃木君はお使いにすら役に立たない人物になるんだが・・。

バカとはさみは使いようというが、本物のバカは使えない。
バカな命令を考えずに実行する。
353日本@名無史さん:03/02/23 18:15
>>351
ということは、日清戦争当時の地図は持っていた訳だな。
それと南山等のロシア軍の布陣。
そこから少しでも解答を導き出そうとする努力を
第三軍はしなかったのか?
全ての準備は大本営がしなくちゃいけないのか・・・。
354日本@名無史さん:03/02/23 18:18
日清戦争当時の砲台すら 結構ベトンで固められたりしてましたが?

>>353 しなくちゃいけない・・らしいよ。乃木の責任は皆無らしいから。
乃木を任命した天皇が最終的に問題になるんだけどね・・。
山県は推挙したからそれを防ごうとしたらしいが・。

天皇から任されているんだから、自分の判断である程度できるわな。
大山司令も第3軍は独立部隊として認識していたらしいし。
355日本@名無史さん:03/02/23 18:19
やめろよ!352君!
乃木君をいじめるな!
乃木君はかわいそうな子なんだ!
そんな子をいじめるなんて!よくないよ!
(NHKのミニドラマ風)
356嶽原:03/02/23 18:22
 おかしな例え話が出ると、こうなりますか……。
357319:03/02/23 18:24
第9師団の清水軍医の手紙より・・

11月26日以来の第3回総攻撃にあたっては、聖旨に副いたて奉らん
が為に、どうしても敵塁を奪取せねばならない決心から、遮二無二
堡塁や”旧シナ囲壁”に突撃したが、その成果は空しくて全滅に
近い部隊さえあった。

日清当時の囲壁でも苦戦しておりますが??

358日本@名無史さん:03/02/23 18:25
>>354
・・・そうか、大本営の責任は重大だな・・・
乃木第三軍は傀儡政権だったんだな・・・・
それなら責任はないや・・・
359嶽原:03/02/23 18:27
>>353-354
 大本営の職責以上の事を非難するつもりはありません。

「地図の準備も不備」「必要な砲の手配も不備」
「砲弾薬の手配も不備、かつ約束は果たされない」

 これらは、大本営の非難されるべきところです。
360嶽原:03/02/23 18:31
>>357
 旧囲壁が、シナ時代のままだったとお思いですか。
361日本@名無史さん:03/02/23 18:36
>>359 あのぉ。地図の準備も不備といいますが、日清当時も
地図の準備は不備でしたよ。それに対し周到な偵察を行っています。
必要な砲、弾薬の手配も不備で約束が果たされないなら、攻撃して
早期陥落させるのは無理と言えばいいこと。
 軍隊から離れていた乃木にはそんな交渉は無理なこったけどな。

交渉能力があれば、ことある事に休職してヒキコモラナイわな。
362日本@名無史さん:03/02/23 18:39
>>359
「地図の準備も不備」
日清戦争時と比べて陣地は強化されているでしょう。
が地形は多分、おそらく、そんなに変わっていないと思うのですが。
で、実際に偵察してみて敵の築城の様子を把握したらよろしいかと。


「必要な砲の手配も不備」
「砲弾薬の手配も不備、かつ約束は果たされない」
だからこそ第三軍は攻撃地点の選択、攻撃方法の選択に
慎重であって欲しかったと思います

363嶽原:03/02/23 19:18
>>362
 もちろん偵察しています。攻城砲兵隊の偵察はこんな感じだったそうです。

『各隊から偵察将校数名を攻城司令部に出さしめ、これら将校に、その偵察すべき
敵陣地の区域を分担し、十数日に渡り偵察させ、各偵察将校から各偵察の結果を報
告せしめた。その提出した報告を総合、判断して、その結果を図上に記しつつ、
更に偵察を遂げたのであるから、結局敵陣地の形状、之に備え付けてある火砲、
陣地前にある障害物等は、大体において殆ど大差なき状況を確認し得るに至った。
斯くの如くに調整した敵陣地一覧図は、各隊より観測専任の将校を攻城司令部に出
さしめて之を写さしめた(旅順攻囲秘話)』

 相当の永久陣地であることや、どこに何があるのか、ほぼ判明していたので
すが、その強度などは知るべくもなかったのです。
364日本@名無史さん:03/02/23 19:28
>>363 軍司令部首脳部が偵察に出ていないといわれるのがよく
わかる資料ですな。
365日本@名無史さん:03/02/23 19:36
>>364 日清戦争の時は参謀自ら偵察に出てました・・。
偉い違いですな。
366日本@名無史さん:03/02/23 19:54
>>363
そりゃ参謀も忙しいだろうけど、陸大出ていて
それ相応の訓練されているのはやはり参謀なんだから、
参謀も行ってやれよ・・・。
367日本@名無史さん:03/02/23 19:55
で、偵察した結果が東北正面攻撃で、結果があれですか。
368日本@名無史さん:03/02/23 21:23
>>352 乃木君や後輩達は勉強しました。車の移動速度や、
最新型の黄色い旗を持ってきて横断することに成功しました!
でもコンビニ『旅順』で買ってきたのはパンじゃなくてパンツでした。
児玉やオヤビンは怒りました!もう一回いってこい!
しかし、交通量はますます多くなります。乃木君は黄色い旗を
上げて一番激しいところで横断しようと思いますが、
吹き飛ばされたりしてどうしても渡れません。
後輩達もそんな乃木君に愛想をつきはじめています。

おやびんはお前は横断歩道を渡れといいます。
でも乃木君は今までやったことが無駄になるからといって聞きません。
最後は横断歩道にたどり着きます。でも乃木君は赤信号のまま
渡ろうとしてまたもや怪我をしてしまいます。
最後に児玉君がやってきました。乃木君の手を引いて青信合の横断歩道を
渡りました!やっと渡れたのです。
感動の一瞬!乃木は英雄となったのです。車に跳ねられ、怪我をなんども
しつつ、間違いをおかしつつも努力をすれば人間は報われるのです。
夜になって交通量も減ってきました。
交通量が減ったのは乃木がいままで努力をしたからです。怪我をしたからです。
そして横断歩道以外でも渡れました!乃木はやっとコンビニ旅順で自由にパンを
買えるようになりました!めでたし、めでたし。
369嶽原:03/02/23 21:49
>>368『>めでたしめでたし』
 乃木愚将論者である貴方の下品振りがよくわかって、本当にめでたいです。
 こういう人が愚将論をぶつのか……。なるほど。
370日本@名無史さん:03/02/23 21:55
>265
 2ちゃんねるで時々見かけますね。
「ボクちゃんの書き込みがどれなのかはボクちゃんが分かってる
 んだから他の人も分かってなくちゃ嫌なんだ」式の「困ったちゃ
 ん」。

 普通なら、それでは他人には通じないということが分かるわけ
 ですが、気の毒ながら、肝心の所がすっぽりと欠落していると
 いうことでしょうね。やれやれ。
371日本@名無史さん:03/02/23 21:58
>>369 オマエモナーって言われたいの?
372日本@名無史さん:03/02/23 22:00
>369
 そういうことでしょうね。
 何のことはない、この人物の中身が知らずのうちに噴出してい
 るだけのことでしょうが、やれやれ。
373日本@名無史さん:03/02/23 22:07
>>148
>>174
>>372
>>370
人格攻撃にしか参加しない貴方のレスもねぇ。
やれやれ
374日本@名無史さん:03/02/23 22:50
>373
 一部の方にレベルを合わせると、そうなりますな、どうしても。
 困ったことですね。
375日本@名無史さん:03/02/23 22:55
一回目の総攻撃のとき、たとえば乃木に日本海海戦のときの東郷ほどの、
将軍としての不退転、決死の意志さえあれば旅順はとれてた。
ロスの大きさにひるんで退却させたから長引くわ余計に犠牲出すわ。
この辺りが乃木が司令官に不向きである一番大きな要因。
クロパトキン将軍にも言える部分だが。
376嶽原:03/02/23 23:02
>>375
 貴方は「不退転・決意の意志さえあれば」と言われていますが、砲弾が無け
れば、どうにもなりませんよ。
377日本@名無史さん:03/02/24 17:49
さんざん言われた事ですが、連帯旗事件でさっさっと詰腹切らせて
いれば、あたら万余の兵を失わずに済んだのに!長州の軍閥共め!
擁護派は必ず大した事じゃないと言い張るが、
1)連隊以上の旗は陛下よりの下賜。学校の校旗なんぞと同じ感覚で語るな。
  「錦の御旗」ってことだよ。明治10年頃なら推して知るべし。
2)休養十分の小倉連隊を率いてきたが、連日の激戦で消耗しきった
  1個小隊にも満たない薩軍兵士に切り込まれ壊走。連隊旗を奪われる。
3)連隊>大隊>中隊>小隊 .....激弱!
4)どうしましょうなどと処分待ちなどせず、侍の子ならばとっとと
   自裁するのがあたりまえ。
どうよ?逝ってヨシじゃない?台湾・日清での戦功等語るに及ばず。
弱敵をいくら屠っても大した評価に値しないのは当たり前。
378日本@名無史さん:03/02/24 20:24
>>376
3手詰か5手詰ぐらいのとこまで行ったんだよ、一回目の総攻撃で。
角飛車失うほどのダメージにひるんだために詰まなかっただけで。
379嶽原:03/02/25 00:04
>>378『>3手詰か5手詰ぐらいのとこまで行った』
 そこで砲弾・弾薬が尽きてしまったのです。
 第三軍の当初の弾薬要望が「全てがおおげさ」と非難され削減され、また
弾弾追送の約束が履行されなかった事の影響が、ここで出たということです。

 「ひるんだ」などと言われますが、砲弾が無ければどうにもなりませんよ。
380嶽原:03/02/25 00:06
>>377
1)『>連隊以上の旗は陛下よりの下賜』
  ・以上も何もありませんが。
   歩兵連隊と騎兵連隊のみがいわゆる「軍旗」を親授されます。
  『>明治10年頃なら推して知るべし』
  ・明治10年頃は、それほど重要視されるものではありませんでした。
   軍旗が重視され出すのは、ずっと後のことです。
2)『>休養十分の小倉連隊』
  ・小倉からの強行軍でしたが。
  『>1個小隊にも満たない薩軍兵士に切り込まれ壊走』
  ・参加兵数は、薩軍は400名・連隊は200〜300名と言われています。
3)『>連隊>大隊>中隊>小隊 .....激弱』
  ・薩軍には中隊はありませんので、名称での比較は意味がありません。
   参加兵数で比較すると、上記の如くです。

 これほどに情報を誤られていては、評価が誤るのも当然の事かと思います。
381日本@名無史さん:03/02/25 00:19
>>379 砲弾がなくなったから第一次総攻撃は中止になったのですか。
382嶽原:03/02/25 00:54
>>381
 攻城砲兵司令部から、「このままいけば25日中には砲弾が底をつく」という
報せがあったそうです。
 これだけが総攻撃中止の理由とは言いません。
 しかし、砲弾が無ければどうにもなりません。
383日本@名無史さん:03/02/25 08:05
>>382 同司令部より歩兵、工兵の前進によって勝ち取る以外ありえないという
意見具申はなしですか?あーたの意見は余りにも偏りすぎ。

>>380 
>軍旗が重視され出すのは、ずっと後のことです。

 そうそう。軍旗喪失にかこつけて、植木での失戦をごまかそうとした
に過ぎないと思いますよ。待罪書を出すまでのことはない。

>参加兵数は、薩軍は400名・連隊は200〜300名と言われています。

あのぉ。小倉連隊が200名程度しかいなかった事実を認めなさいな。
兵力を分散しずぎ。戦力の集中と分散の用法が欠けてます。
384日本@名無史さん:03/02/25 08:16
報告があった、というのと、実際になかった、というのは厳密に言えば違うからそこんとこハッキリされたい。

総司令部・大本営ともに旅順を軽視していたことは事実だな。
その点当初の乃木軍司令部も同じだが。
結果的に見れば兵站面から言って弾薬・人員の逐次投入になり、いたずらに損傷を増やしたのも事実。
勿論乃木軍司令部のオペレーションも悪いわけだが。
片一方に責任をなすりつけるのが間違い。
385日本@名無史さん:03/02/25 19:52
>>384
おおよそ同意だが、弾薬については当時の生産力から
逐次投入もやむをえないのでは?
生産計画に問題ありということだと一言も無いが。
386日本@名無史さん:03/02/25 21:23
生産計画に問題あり、なんて酷なことは俺も日本人だけに言えんわw
「日本が弱小で、貧乏国家だからこそこんな風に尻に火がついたようにして戦争しているのです」
みたいなことを小村寿太郎が言ったっていうエピソードがあるね。
ネズミはまったくいいことを言ったよ。

弾薬の生産、というところへ話が行くと、
日本の生産能力の限界地点が旅順だったのかなという気もする。
たとえ乃木がもっと正統的な軍人らしい男で、「もっと寄越せ」と言い張ったとしても、
兵站部は乃木軍に言われるままの数量を出したかどうかとなると、if論だがひどく疑問。
満州主力も弾薬には難儀してたわけで。
387日本@名無史さん:03/02/26 00:07
>384
> 報告があった、というのと、実際になかった、というのは厳密に言えば違うからそこんとこハッキリされたい。
 自分で手間をかけて確認する気などないにしては横柄な
 言いぐさですな。こういった、行儀の悪い常識の欠落した
 お子さんが一人前のような顔で口を出すのが流行ってい
 るので困りますね。
388嶽原:03/02/26 01:03
>>383
『>>軍旗が重視され出すのは、ずっと後のことです。
 >そうそう。』
 そうです。>>377の「>明治10年頃なら推して知るべし」というのは、
全く誤った認識です。

『>>参加兵数は、薩軍は400名・連隊は200〜300名と言われています。
 >小倉連隊が200名程度しかいなかった事実を認めなさいな。』
 上記の通り、私は200〜300名程度だったという認識です。
389嶽原:03/02/26 01:05
>>383
『>歩兵、工兵の前進によって勝ち取る以外ありえないという意見具申はなし
 ですか?』
 「砲弾が無くなった後は、歩工兵のみので前進する以外に方法なし」という
報告なので、貴方の言われる事とは意味合いが違うと思いますが。
390嶽原:03/02/26 01:06
>>384
『>報告があった、というのと、実際になかった、というのは厳密に言えば
 違うからそこんとこハッキリされたい』
 攻城砲兵司令官は、以下のように報告しています。
『現状のままで推移すれば、明25日中に砲弾は底をつく。従って今後は歩・工
兵だけで前進する以外に方法なし』
 こう言われて、露軍近代要塞への攻撃を続行する人は居ないと思いますが。

『>片一方に責任をなすりつけるのが間違い』
 これまでは、乃木愚将論が突出し過ぎていたように感じます。

 第三軍が当初要求した弾薬数が「大げさに過ぎる」と非難され半減されなけ
れば……せめて、約束通り追送されていたら……と思うと残念です。
391嶽原:03/02/26 03:00
 攻撃中止後の26日に砲弾薬の残数を調べた所、野砲は一門に付き約100発、
重砲は僅か15発を残すに過ぎなかったそうです。
392日本@名無史さん:03/02/26 08:04
>『現状のままで推移すれば、明25日中に砲弾は底をつく。従って今後は歩・工
>兵だけで前進する以外に方法なし』
>こう言われて、露軍近代要塞への攻撃を続行する人は居ないと思いますが。

総攻撃3日目 
豊島少将8/22
『主トシテ我ガ攻撃諸隊ニ”危害ヲ加フル”敵砲台ノ射撃動作ヲ防碍シ、
敵砲台沈黙セバ直ニ射撃ヲ停止セヨ』
弾薬はほとんど供給しがたい状況としてこういう命令を出してます。
この後、
8/22上の報告の後、乃木の第9師団への命令の一部
『攻城砲ノ弾薬将ニ之欠乏に垂トス・・・速ニ突撃スベシ』
と弾薬も欠乏しているのに突撃させようとしています。

8/22の夜の段階で一発も砲撃できず、集中射も無理な状態であった。

8/23 伊地知少将は弾薬も無い事情を知っていて周辺の陣地を完全征圧
して新鋭の増加兵力を求める大島中将の意見を中止としたが、
大庭中佐は『今一息ナレバ強襲続行ノ決意ヲ明ラカナシタルモノナラン』
と解釈し、乃木も攻撃続行を決意した。

豊島の報告状況と大島の報告と伊地知の意見にも関わらず、乃木は
露軍近代要塞への攻撃を続行しましたが。
8/22の時点で砲撃は殆どマバラであり、敵の防御射撃に対して
その砲台を制圧できなかったのですが?

嶽原は乃木愚将派なのか?




393日本@名無史さん:03/02/26 12:07
連隊旗持ってかれて乃木本人が腹を切ろうかどうしようかって
悩むぐらいだから、「大した意味が無い」とは、言い切れないと
思うけどなあ。それとも切り込んだ西郷軍兵士は50に満たない
数だったのでそれを恥じてのセプーク志願だったのかな?
394嶽原:03/02/26 21:46
>>392
 貴方は『8/23 伊地知少将は弾薬も無い事情を知っていて周辺の陣地を完全
    征圧して新鋭の増加兵力を求める大島中将の意見を中止としたが、大 
    庭中佐は『今一息ナレバ強襲続行ノ決意ヲ明ラカナシタルモノナラン』
    と解釈し、乃木も攻撃続行を決意した』
 としていますが、「日露戦争(児島)」によれば、上記の事が生じたのは24日
です(文庫版第3巻325P)。
 私は貴方のあげられた事例は24日の出来事だと思うのですが、これを23日の
出来事だとする貴方の根拠は何でしょうか。

 08月22日は盤龍山東西堡塁を占領した日ですね。1600に東堡塁陥落、次いで
1900に西堡塁も陥落しました。その後の露軍の奪回攻撃は凄まじいものであり、
日本軍側も十一師団をこの地点に転用しようと画策、望台攻撃を企図する行動
を取ります。23日は終日同様な状況であり、総攻撃を中止する状況ではないと
思います。

 24日、午前中に貴方の言われた「伊地知の中止案−大庭の続行案−乃木の続
行決意」となり最後の攻撃が行われ、失敗します。そして午後1530の会議で
『現状のまま推移すれば翌25日には砲弾が底をつく』という報告を受けた事で、
総攻撃を中止したのです。
395日本@名無史さん:03/02/26 22:12
日付は間違いがあったかも知れませんね。すみません。

しかし、8/22は乃木が弾薬欠乏という状況にも関わらず、突撃させようと
している状況がよくわかると思いますが?

>その後の露軍の奪回攻撃は凄まじいものであり、
>日本軍側も十一師団をこの地点に転用しようと画策、望台攻撃を企図する行動
>を取ります。23日は終日同様な状況であり、総攻撃を中止する状況ではないと
>思います。

 奪回行動が激しいのに、攻勢をかけるのですか?普通防御に入りますよ。

 砲弾は其の前から欠乏気味でしたし・・。予備兵力がなくなったので
総攻撃は頓挫したと思いますが?その損害は22日の段階で読めているものと
思いますがね。
 8/22上の報告の後、乃木の第9師団への命令の一部
『攻城砲ノ弾薬将ニ之欠乏に垂トス・・・速ニ突撃スベシ』
この命令は児島氏によれば戦況の真相から乖離していると述べていますな。

砲弾が足りないのは解りますが、用兵は余りにも拙劣だといわざるを得ません。
396日本@名無史さん:03/02/26 22:18
>午後1530の会議で『現状のまま推移すれば翌25日には砲弾が底をつく』
>という報告を受けた事で総攻撃を中止したのです。

山中少将の攻撃中止の発令はなしですか・・。現状を理解していない8/24の
軍命令は全く実行に移すことが不可能に近かったですが?
無意味な戦いを最後まで強制したのはバカだと思いますね。

397日本@名無史さん:03/02/26 22:56
ちなみに各種砲弾は旅順ロシア要塞に対して
一通りの効果をあげたが、ロシア側の対策が適切だったので
日本軍は攻め切れなかったのか?
それともべトンにその多くが跳ね返されたのか?
それによっては若干変わってこないか?
398日本@名無史さん:03/02/26 23:11
>>397 両方でしょう。ベトンといっても全部が全部そうではなし。
399嶽原:03/02/26 23:44
>>395
 私が24日ではないか?と申しましたのは「日露戦争(児島)」に拠るのです
が、貴方が23日としていたのは、何を論拠としていたのでしょうか。参考に
された資料などお知らせ下されば幸いです。
 もしかしたら、そちらの資料の方が信憑性があるかも知れませんし。
400嶽原:03/02/27 00:41
>>395(392氏)
『>児島氏によれば戦況の真相から乖離していると述べています』

 第九師団への命令について、児島氏が「戦況の真相から乖離している」と述べて
いるのは、貴方が前略している部分『第一、第十一師団の突撃準備既に成り、独り
第九師団の前進を待つのみ……(命令文)』の箇所についてではありませんか。

 児島氏はこう述べています。
『この指示は、戦況の真相からは乖離している。第一師団は……いずれもが動
けず、夜襲の機会を待つのみであった。第十一師団の場合は……前進前に大隊
長が負傷して中止された。第三軍司令部では、これら各師団の実状を把握でき
ぬまま、また第九師団の攻撃状況の報告を受ける前に、以上の督戦命令を発出
したのである(文庫本3巻263P)』

 児島氏は、「第一、第十一師団と比べて第九師団は遅れている」という督促
に対して戦況の真相から乖離していると指摘しているのであって、貴方が言わ
れている如くに、「砲弾薬欠乏云々」の部分について乖離していると指摘して
いるのではありません。
401嶽原:03/02/27 00:44
>>392(395氏)
 貴方は『豊島少将8/22『主トシテ我ガ攻撃諸隊ニ”危害ヲ加フル”敵砲台ノ射撃
動作ヲ防碍シ、敵砲台沈黙セバ直ニ射撃ヲ停止セヨ』弾薬はほとんど供給しがたい
状況としてこういう命令を出してます』としていますが、「日露戦争(児島)」
によれば、上記のことが生じたのは21日です(文庫第三巻259P)。

 同様に、貴方は『8/22上の報告の後、乃木の第9師団への命令の一部『攻城砲ノ
弾薬将ニ之欠乏に垂トス・・・速ニ突撃スベシ』』としていますが、「日露戦争
(児島)」によれば、上記の事が生じたのも、21日です(文庫版第3巻262P)。

 先刻(>>394)にも、『貴方が23日の事だと言われる出来事は児島著作によれば
24日だが?』という旨の指摘を致しました。
 そのレス(395)内容から察するに、貴方が参考にされているのも児島著作のよう
ですが……貴方が、児島著作の内容を「把握」しておられるかどうか、上記の状態
を見るに及び、甚だ疑問に思わざるを得ません。
402日本@名無史さん:03/02/27 07:52
日付に関しては間違ってますね。すみません。
と何度ものべるのか・・。

だからといって、其の時点で砲弾が欠乏してなかった訳ではありませんし、
真相と乖離した命令を発したり、最後の山中少将の攻撃もほとんど目的を
達成できる能力もなかったのに、行いましたが?

また大庭中佐は砲撃の確認のため、突撃をさらに1日遅らせる進言をしましたが、
伊地知の砲撃効果十分と受け、21日突撃命令を出します。
悲観的な意見は全て退けられてますね。この辺りの乃木の判断はなぜか、
結果的に最悪な方に向っています。
403日本@名無史さん:03/02/27 07:56
だれも弾薬の欠乏に関して真相と乖離しているとは述べてないよ。
それじゃ弾薬が欠乏してないことになる。

問題は弾薬が欠乏しかかっている。とこの時点でわかっていたこと。
欠乏というより目標が予定弾数を使っても破壊出来てないということだが。

404日本@名無史さん:03/02/27 13:58
得意の人格攻撃がはじまっている
405z:03/02/27 13:58
↓↓↓↓↓★ココだ★↓↓↓↓↓
http://www.pink-angel.jp/betu/index.html
406日本@名無史さん:03/02/27 19:13
392氏が言いたいのは要は
「乃木は、第三軍に既に弾薬が無くなりかけているのに、
攻撃を続行させたのは無茶だろう」
てことだろう?
国語のテストをしているんじゃないんだから
児島の本の把握云々は蛇足だな。


407日本@名無史さん:03/02/27 21:54
そろそろ軍事検証から離れろよ、
ここは乃木を語る場なんであって軍事板ではない
軍ヲタが日本史板に来るのは俺は歓迎するが
豊富な知識はやはり貴重だからね
ただいつもやりすぎるのが軍ヲタの難点だ
408日本@名無史さん:03/02/27 22:05
乃木は名将だから軍事検証しているんだが・・・。
409日本@名無史さん:03/02/27 22:23
>>407
乃木は軍人であって萩の乱、西南役、日清日露戦争
における行動がその主な事蹟であるので軍事ネタが多いのは
やむを得ないかと。
別に学習院時代の話をされても別に構わないが。
410日本@名無史さん:03/02/28 10:45
軍事検証を含む、総合的な話をしよう、
そういう提案だよ
411日本@名無史さん:03/03/01 07:30
>>391 
>攻撃中止後の26日に砲弾薬の残数を調べた所、野砲は一門に付き約100発、
>重砲は僅か15発を残すに過ぎなかったそうです。

 一門につき300発用意したと書いてあったから、1/3残っていたんですね。
412嶽原:03/03/02 01:15
>>411
 300発というのは、攻城砲についての用意だと思いますが。
413嶽原:03/03/02 01:20
>>402
 「日露戦争」該当部は概ね、時刻推移に従い記述も推移しており、「日時時刻の
把握」については極めて容易です。であるのにこの錯誤、驚きました。
 当初は「日露戦争」を参考にしているんではないのだろうな、と考えていた程で
す。まさか「日露戦争」を参考に書いているとは、とても思えませんでした。

 また、08/21〜24の四日間の記述を、斯様(22日の事→実は21日の事、23日の事
→実は24日の事)に誤って把握しておられては、とても全体について、また細部に
ついては尚更、貴方が問題なく把握しておられると考える事はできません。
414嶽原:03/03/02 01:56
>>406『>国語のテスト』
 まあ、把握力をテストしてみて頂きたいな、と思います。この有様では、
対論者の言うことを素直に信じる事ができません。 
415日本@名無史さん:03/03/02 08:01
得意の人格攻撃がはじまっている
416日本@名無史さん:03/03/02 08:10
>>413 下記のようないい加減なことをいう貴方の旅順全般の意見は
素直に信じることができません。

218 :嶽原 :03/02/21 23:38
>>213
 児玉が来た時には、既に旅順は力つきて陥落する時期だったに過ぎません。
417嶽原:03/03/02 11:56
>>416
 「旅順」というのは「二百三高地」の間違いと既に訂正しました(>>222)。
 また、それまでの攻城経緯を見ると、「二百三高地陥落」と「児玉来順時期」
とは時期が重なっただけであるという意見は、別に当方嶽原のみの意見では
ありません。

 児玉来順効果は、陥落が一〜二日早まったかも知れない、という程度のもの
だと思います。
418日本@名無史さん:03/03/02 13:48
自分の訂正は認めてもらおうとし、相手の訂正は認めないとは
なんと尻の穴の小さい男だろうか。
419嶽原:03/03/02 13:57
>>418『>相手の訂正は認めない』
 400で指摘した事について、まだ訂正がありませんが。
 児島氏は、「第一、第十一師団と比べて第九師団は遅れている」という督促
に対して戦況の真相から乖離していると指摘しているのであって、>>395
(392)が言われている如くに、「砲弾薬欠乏云々」の部分について乖離して
いると指摘しているのではありません。

 また、395氏が認めた日付の誤りも、現在までは一箇所だけですね。
 氏は合計三箇所を間違っています。これだけ間違っておいて、それを指摘
したら『>間違ってますね。すみません。と何度ものべるのか・・(402)』
……これが訂正の名に値する物言いですか。呆れます。
420日本@名無史さん:03/03/02 14:04
自分の訂正は認めてもらおうとし、相手の訂正は認めないとは
なんと尻の穴の小さい男だろうか。
421日本@名無史さん:03/03/02 14:16
>395氏が認めた日付の誤りも、現在までは一箇所だけですね。

どこに1箇所でけ認めると書いているのか?
落ちるところまで落ちて逝ってるな。
422嶽原:03/03/02 14:41
>>420『>相手の訂正は認めない』
 当方が>>400で指摘した事について、まだ訂正がありませんが。

 相手の訂正が未だ無いのですから、認める認めない以前の問題です。
423嶽原:03/03/02 15:00
>>421

>>392(三箇所の間違い)
   『>豊島少将8/22……8/22上の報告……8/23伊地知少将は……』
>>394『8/23伊地知少将云々は、24日では』(嶽原)
>>395(394の間違い指摘への返答)
   『>日付は間違いがあったかも知れませんね。すみません』
>>401『豊島少将8/22云々、また8/22上の報告云々も、23日では』(嶽原)
>>402(401の間違い指摘への返答)
   『>日付に関しては間違ってますね。すみません。と何度ものべるのか・・』

 誤りの指摘に対し、「何度ものべるのか・・」には呆れました。
 まあ、そういう態度の方だと認識させて頂きます。
424日本@名無史さん:03/03/02 17:13
>>421 日付が間違っていることしか突っ込めないんだから気にするなよ。
どんどん糞スレ化していってるのに気づかんらしいし。
425日本@名無史さん:03/03/02 17:17
392氏が言いたいのは要は
「乃木は、第三軍に既に弾薬が無くなりかけているのに、
攻撃を続行させたのは無茶だろう」
てことだろう?
国語のテストをしているんじゃないんだから
児島の本の把握云々は蛇足だな。
426日本@名無史さん:03/03/02 17:38
>415
 資料の読み方が杜撰で、記憶も不正確で、しかも、誤りを素直
 に、かつ明確に訂正することもできない者のどこに、「人格」と
 いえるものがありますか?
427日本@名無史さん:03/03/02 17:40
>418
 それが、あなたの姿です。
428日本@名無史さん:03/03/02 17:43
>>426
君、それはさすがに言いすぎだろう。
429日本@名無史さん:03/03/02 17:45
392の言いたいことは嶽原氏自ら訂正しているから問題ないんだけどね。
 児島の日露戦争に書かれていることも嶽原氏も認めてますし、弾薬欠乏が
>>401で突っ込まれている通り、8/21の攻撃直後に乃木が認識している
事実が問題なんだが。
430日本@名無史さん:03/03/02 17:50
>>426-427 というか嶽原が突っ込まれたことに対して乃木の命令でなく、
日付だけ突っ込んでいるのが痛いよ。

395 :日本@名無史さん :03/02/26 22:12
日付は間違いがあったかも知れませんね。すみません。

と素直に間違いあることを認めていますね。
431日本@名無史さん:03/03/02 17:54
>>424
 世の中にはよくいるんですよ。誤りを指摘されると、奇妙な具合に
 感情的になって、訂正が出来なくなる輩。
 記憶力も判断力も薄弱にもかかわらず、根拠のないプライドに凝
 り固まっている、ということでしょうか?
 まさに、「○×式乃木愚将論者のいう愚将乃木希典像」の生き写
 しですね。以て他山の石としたいところです。
432日本@名無史さん:03/03/02 17:59
>>431 オマエモナー というか痛すぎ。
433日本@名無史さん:03/03/02 18:34
乃木の命令 『攻城砲ノ弾薬将ニ之欠乏に垂トス・・・速ニ突撃スベシ』

これは嶽原氏でさえ愚かだと思う命令だということで落着ですな。


434嶽原:03/03/03 02:08
>>433『>嶽原氏でさえ愚かだと思う命令』
 私は別に愚かとは思いませんが。この時点で旅順要塞の堅固さというのは不
明確であり、元々死傷一万を覚悟していたそうです。そういう状況であれば、
事前砲撃の成果を無為にしない為にも突撃、となると思います。

 また、この時期の砲弾残存状況は「攻撃諸隊に危害を加える敵砲台の射撃を
妨害し、沈黙せば直ちに射撃を停止せよ」との事ですから、突撃部隊を掩護す
るだけの砲弾はまだ残っております。このうちに突撃を開始しなくては、後々
になればなるほど不利になる、速やかに突撃せよ、という事でしょう。

 攻撃命令が実行された結果、二日間の事前砲撃が全くの無駄とならず盤龍山
東西堡塁の攻略が成ったのですから、それほど愚かな命令ではないと思います。
435日本@名無史さん:03/03/03 13:44
>>426
禿しく同意。
伊達と同様に人格も含めてその思い込みを指弾されるべき態度だと思われ。
436日本@名無史さん:03/03/03 17:58
>434
刻々と変わる状況を正確に把握し、その時点では判明してい
ない事柄は、正しく、判明していないとして、客観的かつ公平
に判定するなら、おそらく、そういうことになると思います。

ごく一部に、「後知恵に基づく無理難題」を、あたかも「客観的
な判断」というものであると思いこむが如き、非常に根本的か
つ致命的な誤りを犯していて、しかし、そのことに気がつかな
い輩がいるようで、疲れますね。

もう一つ、重要なポイントとして、そういった輩は、事実関係
を正確に探求することではなくて、「形の上での責任者」を糾
弾することにしか目が向かない、という習性を持っているよう
で、時間軸に沿って交錯している事実関係を、交錯したまま
で素直に受け取ることができず、「形の上での責任者」につい
てマイナス(もしくはプラス)に働くような事象を、多分に時間
軸を無視して掻き集めて、「数を集める」ことで足れりとしたが
る特性も持っているようです。

それが即ち、物事を単純二値でしか判定できないように飼育
されてきた輩の末路でしょうか。あるいは、単なる「元々の資
質」でしょうか。引き続き興味深く観察したいところです。
437日本@名無史さん:03/03/03 18:03
>>434
> 東西堡塁の攻略が成ったのですから、それほど愚かな命令ではないと思います。
 そうですね。単純に「愚かな命令である」と断定するのは、その
 時点までの推移から考えて、公平を欠くと考える余地が充分に
 ある…というか。

 >>436と関連して、この文言を、「単純二値タイプ」がどう受け取
 るか、観察してみると面白そうですね。
438日本@名無史さん:03/03/03 18:07
>435
> 伊達と同様に人格も含めてその思い込みを指弾されるべき態度だと思われ。
 その「伊達」ってどなたですか? そちらさんの仲良しのお友達
 の方とかですか?
439日本@名無史さん:03/03/03 20:08
んじゃまあ、野次も入ったんで、第一次攻撃の時間軸整理。
ただし、あまり細かい部隊の動きまでは捉えてません。(師団単位)
児島『日露戦争』は持ってないんで、歴史と旅『近代日本戦史総覧』
の旅順要塞攻略戦を元ネタにしています。
明確な誤りがあれば、突っ込んでください。

では、次のレスから・・・。
440439:03/03/03 20:26
8月19日 0600 砲撃開始

       0800 1D(第1師団の事以下各師団この略称で)
            大頂子山突撃(翌20日昼過ぎ占領)

       不明  9D、水師営南方堡塁、竜眼堡塁攻撃(21日まで攻撃)

8月20日 未明  1D、水師営方面攻撃。
            107高地、徐家屯西方堡塁占領、その後の進撃は阻まれる。

8月21日 未明  11D、東鶏冠山北堡塁攻撃。
       
       0800 同第一、第二堡塁奪取。その後の進撃は不能。

       不明  豊島の敵砲台沈黙後即砲撃中止命令。
            乃木、9Dを水師営方面より盤龍山方面に転用。突撃命令。

     
441439:03/03/03 20:35
8月22日 2000 9D、盤龍山東西堡塁共に占領。
            乃木、戦果拡大を狙い、11Dを東鶏冠山方面から盤龍山方面に転用。

8月23日 夜   11D、望台攻撃。(〜24日早朝まで続くが失敗)

8月24日 午前  伊地知の中止案−大庭の続行案−乃木の続行決定
 
       1530 第一次旅順攻撃、中止。

以上、簡単ではありますが。
442439:03/03/03 21:05
うーん感想としては、8月21日の乃木の命令自体は妥当かもしれないな。
盤龍山取れたんだし。

ただ少し気になるのは>241嶽原氏分類による所の攻撃範囲について、
ロ〜二にかかる広い範囲になっているんだよね。
広いといっているのは、攻撃終盤には1、9、11Dが水師営から
盤龍山方面に初期に比べて集中的に配備されている様に思えるため。

実際の細かい部隊の展開がわからないのでアレだが、
もう少し始めから、担当正面を縮小気味にして始めてもいいんじゃないかい?
それなら、多少は不足気味の弾薬もより有効に使えたのではと
後世の人間はその強みを持って勝手に言わせてもらう。
443日本@名無史さん:03/03/03 22:45
8/20 午後3時突撃準備射撃開始、豊島少将、目標堡塁は全壊、乃木大将 多少破壊。
   大庭中佐 効果疑問。
同日午後3時40分乃木大将情勢判断を試みる。
   大庭中佐 堡塁 砲台の原形なお依然として存せるが故に堡塁の堅否と
   我が命中段数とを対照するときは或いは未だ突撃の奏行望み十分なりとする能はず
   突撃の一日延期を進言

   伊地知少将 砲撃続行は望ましい。しかし弾薬補給が期待できぬ以上、砲兵の
   有効弾数による予定砲撃計画を変更することはできない。
   第9、第11師団の突撃準備はすすみ、ここにいたっての延期はすでに一日延期を
   行なっていることもあり、士気に悪影響をおよぼす。

同日午後4時 乃木大将 伊地知の意見を認め、明朝午前4時からの強襲命令を出す。

8/21  突撃開始前、第11師団第2大隊長 本郷少佐付近を偵察 一挙に突撃すること
   は不可能突撃縦隊路開設隊により鉄条網に通路数条を開設したが大損害を蒙る。
   東鶏冠砲台はなお健在を誇り、武富少佐は報告より砲兵は何を為したりヤと
   述べいてる。

   乃木大将の指示で実施された砲撃はほとんど効果ないし、また大庭中佐による
   砲撃成果を待っての突撃という進言を無視し確認を怠った上で攻撃させます。
444日本@名無史さん:03/03/03 23:00
>>434
>そういう状況であれば、
>事前砲撃の成果を無為にしない為にも突撃、となると思います。

 事前砲撃の成果を無為じゃなくて、成果の確認すらまともに
していません。余りにも安易な考えより命令を出しております。

あと盤竜山東堡塁に突入した後も、その前の判断で継続して
攻撃不可能と判断していたにも関わらず、二竜山まで攻撃
可能といきなり判断するところなど、あまりにも自軍の現状を
把握して命令を出していない。

>>436-442 
>刻々と変わる状況を正確に把握し、その時点では判明してい
>ない事柄は、正しく、判明していないとして、客観的かつ公平
>に判定するなら、おそらく、そういうことになると思います。

正確に把握してから突撃を開始すべしという進言を無視している
以上、把握しておりません。よって 436-442の意見は論外。


445日本@名無史さん:03/03/03 23:04
つまり弾薬補給の”予定”が立たない, また陥落の”予定"が
立っているので攻撃ということです。
そして攻撃失敗はその”予定”を押し付けたのが原因だそうです。

戦争が予定通りいくとは限らないのに、予定を優先させているのが
よくわかると思います。
誰かの意見も予定が悪いから失敗したらしいですが。それ以前に
敵状を把握していないのが大問題なのです。
446日本@名無史さん:03/03/03 23:35
>>336の意味がよくわかる。
447日本@名無史さん:03/03/04 00:02
>>443
まずはどこの堡塁か明確に。

>>444
日本語になってない>>436を相手にしても仕様が無いと思う。
448嶽原:03/03/04 01:50
>>444『>436-442の意見は論外』
 436から442までを一括りにする事こそが、論外と見えます。

 そもそも、
>>436-442
 と、していながら、引用している以下三行は、436だけではないですか。
 それでいて437〜442まで一括りに「論外」とは、意味が分かりません。
449日本@名無史さん:03/03/04 07:25
>>434
>二日間の事前砲撃が全くの無駄とならず盤龍山東西堡塁の攻略が
>成ったのですから、それほど愚かな命令ではないと思います。

二日間の事前砲撃の目的が盤龍山東西堡塁の攻略であればいいんだけどね。

450日本@名無史さん:03/03/04 07:30
>>436 >形の上の責任者

総合的に見て、形の上の責任者は明治天皇のことだが・
ほぉほぉ軍司令官には責任がなければ、天皇にすべてに責任があることになるな。
そんなことは流石の乃木も考えないと思うがな。
451日本@名無史さん:03/03/04 19:00
惨憺たる状況になりつつあるんで
>>436(他にもあるんだが)にマジレスしておく。
乃木の肯定派否定派どちらにせよ、
乃木(と第三軍)の行動を捉えることで乃木を(それがどういうものになるかはともかく)
理解しようとしている。
しかし、個々の理解であるから、そこには主観しかありえない。
例えば嶽原氏の見解についても、氏はいろんなデータを
持ってきているが、最終的に判断を下すのは氏の主観である。(否定派も同じ)
基本的に歴史というのは、過去の様々な事象をただ連ねることではない。
(それはただの年表)
過去の事象を後世の価値観で持って見ていく事なのだ。

この人の7行目までの文章を見ると、何か非常に勘違いしてるみたいなので、
書いてみた。
452日本@名無史さん:03/03/04 19:06
つーか、煽ってるのは明白なのに、
釣られてもしゃーないんだがな。
よー釣れとるわ。

乃木の話せーよ。
453日本@名無史さん:03/03/04 21:05
>447
 なるほど、そういう仕掛けになっていたわけですね。

 この人物は、何かお気に召さないことが書いてあると、
 そこから先の文字が読めなくなって、何と書いてある
 のか理解できなくなる、という特性を持っていると。

 時々いますね。そういうの。ごもっともごもっともの茶坊
 主に傅かれてご満悦。何か気に入らない報告書とかが
 来たら破り捨てて顧みない。 それでは、客観的かつ
 冷静な判断など不可能なのは当然ですね。

 興味深い対象なので、引き続き観察するといたしましょ
 うか。
454日本@名無史さん:03/03/04 21:07
>450
> ほぉほぉ軍司令官には責任がなければ、天皇にすべてに責任があることになるな。
 単純二値タイプのよくある症例。
455日本@名無史さん:03/03/04 21:12
>449
> 二日間の事前砲撃の目的が盤龍山東西堡塁の攻略であればいいんだけどね。
 みごとなまでに○×式に蝕まれ尽くした硬直思考の実例。
456日本@名無史さん:03/03/04 21:26
>>453-455 プッ まともな反証もせずに何を言っているのか。
457日本@名無史さん:03/03/04 21:44
>451
> 乃木の肯定派否定派どちらにせよ、
> 乃木(と第三軍)の行動を捉えることで乃木を(それがどういうものになるかはともかく)
> 理解しようとしている。
 はい、そうですね。
 一部に、「最初に結論ありき・我思う故にそうなんだ」式の粗
 雑な思考を旨としている輩も混入していますが、そういったゴ
 ミは問題外として、事実を正確に把握しようと努力しておられ
 る方がいらっしゃることは確かですね。

> しかし、個々の理解であるから、そこには主観しかありえない。
> 例えば嶽原氏の見解についても、氏はいろんなデータを
> 持ってきているが、最終的に判断を下すのは氏の主観である。(否定派も同じ)
 いや、そうとは限らないでしょう。
 主観といっても、客観的な根拠など全く欠いた単なる思
 い込みの羅列レベルから、当時の記録なり、現時点で
 も決定的な差は発生していないはずの地勢(地形では
 ない)などを傍証として、状況を公平に観察した結果に
 基づく、蓋然性の高い推論まで、千差万別でしょう。
 それらを、一律に、「単なる主観の問題」とする考え方に
 は同意しかねます。

 誤解のないように添えますが、二者択一ボケ思考の輩
 と違って、たとえば○○さんの主張がすべて正しいとか
 いった具合に単純に割り切る粗雑きわまりない思考方
 法は、持ち合わせていません。

 つづく
458日本@名無史さん:03/03/04 21:44
>451:つづきです
> 基本的に歴史というのは、過去の様々な事象をただ連ねることではない。
> (それはただの年表)
> 過去の事象を後世の価値観で持って見ていく事なのだ。
 歴史の問題は、すべて、証明不能の問題なので、価値
 観などといった不明確な要素が混入する余地がない証
 明可能の問題とは、本質的に全く異なる、という意味で
 あるなら、その通りでしょう。

> この人の7行目までの文章を見ると、何か非常に勘違いしてるみたいなので、
> 書いてみた。
 その「勘違い」というのは、もしかすると、上述のような
 認識の相違のことではありませんか?
459日本@名無史さん:03/03/04 21:45
>456
 へらへら笑ってるヒマがあったら、内容のある発言をどうぞ。
460日本@名無史さん:03/03/04 21:58
>>457-458 これのどこに内容があるのだ?
461451:03/03/04 22:59
>>457-458
貴下の言わんとしている事は理解したつもりだが、
貴下が嶽原氏のジサクジエンでないのなら、
(嶽原氏以外擁護派で具体論を為す者はこのスレでは存在せず)
乃木について述べていないのはどう説明すべきか?

貴下は「乃木について述べている人について述べている」だけであって、
このスレの主題であるところの乃木の功罪については、
何ら述べていない。

貴下が乃木批判派を批判する方法は、貴下の言わんとするところの、
乃木批判派のやり方と全く同じなのである。
そのくせ、自ら高みに立ち、人を嘲弄すること甚だしい。
倫理的であった乃木がこれを見れば呆れ果てるであろう。

462日本@名無史さん:03/03/05 07:13
ジサクジエンだったのか >>459 >>47 とかやりかた似てますものね。
463日本@名無史さん:03/03/05 17:39
>460
 そちらさんの姿を鏡に映してあげただけですよ。
 あんまり手間を掛けさせないでね。
464日本@名無史さん:03/03/05 17:42
>461
> 貴下の言わんとしている事は理解したつもりだが、
> 貴下が嶽原氏のジサクジエンでないのなら、
 まず第一に、そういった卑しい憶測をするような性格
 を、根本から改めることが必要ですね。

> (嶽原氏以外擁護派で具体論を為す者はこのスレでは存在せず)
 嶽原さんが擁護派? 「乃木擁護派」ということです
 か? さすると、「乃木擁護派」と「乃木糾弾派」の対
 決ですか…。
 ヤレヤレ その、絵に描いたようなスイッチング回路式
 思考を何とかしないといけないですね。

> 乃木について述べていないのはどう説明すべきか?
 で、そちらは? そちらが、これまで、何か「乃木につ
 いて述べてきた」ものかどうか、客観的に確認できる
 方法が存在しますか?

> 貴下は「乃木について述べている人について述べている」だけであって、
> このスレの主題であるところの乃木の功罪については、
> 何ら述べていない。
 ゴミを散らかす人がいるので、ゴミ掃除をしているだ
 けです。
465日本@名無史さん:03/03/05 17:44
>462
 相も変わらず、卑しい憶測ですね。初志貫徹ですか。
466日本@名無史さん:03/03/05 18:10
と、話がこじれたところで…

>391 「攻撃中止後の26日に砲弾薬の残数」
> 野砲は一門に付き約100発、重砲は僅か15発を残すに過ぎなかったそうです。
 …とのことですが、消耗品である弾薬の残量もさることな
 がら、耐久消耗品であるはずの砲身の消耗の度合いも
 重要なような?

>410
 軍事的な意味において、いかがでしょうか? 闇雲に撃
 ち続けると、破裂するなどの危険もありそうに思われます
 が? 少なくとも、弾と炸薬さえあれば撃ち続けることは
 可能ということはありえないはず。いかがでしょうか?
467日本@名無史さん:03/03/05 19:27
変わった荒らしだな

第三軍が代えの砲身を求めたか?
後期総攻撃の時、何発撃ったかも調べないのか?

意味ないな
468日本@名無史さん:03/03/05 20:06
>>411-412
重砲と攻城砲というのは違うものなのか?
それとも同じもの?
469日本@名無史さん:03/03/05 20:24
>>443
これを読むと大庭は「堡塁はまだ生きてる」と判断したわけだな。
伊地知もそう思ったわけだ。
伊地知と乃木は何とかなると判断したわけか?
それとも実情より予定を優先させたのか?

470日本@名無史さん:03/03/05 20:51
>>469 砲兵隊の報告では目標破壊とか派手な報告があったそうです。
 それを信じたんでしょうね
471日本@名無史さん:03/03/05 20:58
いいじゃん。
203も落としてもらったし。
奉天でも右往左往してがんばってたよ
472日本@名無史さん:03/03/05 21:15
乃木君は頑張りました・・・以上。

で、終わりかよ!!
473嶽原:03/03/05 21:18
>>462
 当方嶽原は、常に記名しております。
>>466
 陸戦重砲隊の一門の砲身が、数発(初弾?)で破裂した事例もありますし、
砲身も消耗品と考えてよいと思います。戦史中に、攻撃後に使用不能となった
砲数が記載されている場合もありますが、全てに渡って記されているかどうか
は不明です。
>>468
 攻城砲は、もちろん重砲の範疇に入ります。
474日本@名無史さん:03/03/05 22:17
>467
 当時の大砲に関する蘊蓄に期待。
475日本@名無史さん:03/03/05 22:37
>>474 また荒らしにきたの?
476嶽原:03/03/06 01:35
>>442
 攻撃範囲として見ると確かに広いのですが、砲撃目標は限定させています。

 「日露戦争(児島)」には、一日目(19日)の砲撃では計141門を使用し、うち
122門が『二龍山−盤龍山−東鶏冠山の地域』に集中されたと書かれています。
 次いで二日目(20日)の砲撃では、『盤龍山−東鶏冠山の地域』と上記から更に
限定され、使用した182門のうち152門がここに集中されています。
 一日目の目標の詳細は書かれていませんが、二日目の目標は書かれていました。
これによると、集中使用されていない30門は、松樹山・二龍山・椅子山・白銀山に
11〜06門あて割り振られていたようです。

 砲撃は目標を限定して与えられているのですが、しかしながら、攻城砲兵部隊が
射撃できる砲弾数が「一門あて一昼夜に60発」では、如何せん不足と思います。
477日本@名無史さん:03/03/06 07:41
>一部に、「最初に結論ありき・我思う故にそうなんだ」式の粗
>雑な思考を旨としている輩も混入していますが・・

最初に乃木は名将と結論づけて、乃木は名将ゆえにそうなんだと述べている
粗雑な思考を旨としている輩も混入しているという事ですね。

478日本@名無史さん:03/03/06 07:50
>嶽原 ジサクジエーンじゃなかったら、>>448のような意見をするなよ。


479嶽原:03/03/06 12:08
>>478『>ジサクジエーンじゃなかったら、448のような意見をするなよ』
 同一人の書き込みではない、436から442を一括りにして扱う行為に対し、
「その行為こそが論外」という感想は、至極真っ当のものと思いますが。
 また、436の一部のみを引用して反論しただけなのに、それを根拠として他の
437〜442までも論外とする行為の意味が判らないというのは、当然の疑問です。
480日本@名無史さん:03/03/06 12:39
なぜ同一人でないとわかるのかな?

不思議だね
481嶽原:03/03/06 13:25
 439氏が、記名にて439〜442を書き込みされてますね。444氏はこれに全く
触れず、436の一部(三行)を引用して反論されているわけです。

>>436-442             ←七つを一括りにしていながら、
 >刻々と変わる状況を正確に把握し、 ←引用箇所は436の一部のみ。
  その時点では判明していない事柄は、
  正しく、判明していないとして、客
  観的かつ公平に判定するなら、おそ
  らく、そういうことになると思います。
 正確に把握してから突撃を開始すべしと ←引用した436への反論をしてい
いう進言を無視している以上、把握してお  るのみであり、437〜442の反論
りません。                はない。
 よって436-442の意見は論外。』    ←であるのに、437〜442も一括
                     して論外と否定。

 反論されているのは436の一部であるのに、他の437〜442までも一括りに
して論外とする意味が判らないというのは、当然の疑問です。
482日本@名無史さん:03/03/06 16:15
何を必死に弁護してるの?
他人の意見に対するレスなのに?
483日本@名無史さん:03/03/06 18:01
>477
 当然あり得ますね。
484日本@名無史さん:03/03/06 18:06
>482
 誰にでも分かりやすいように解説しておられるだけでしょ。
 いや、誰にでも、というのは、ちょっと言い過ぎかもしれま
 せんね。
485日本@名無史さん:03/03/06 18:18
プッ
486日本@名無史さん:03/03/06 19:22
っで、乃木を両手ばなしで褒め称える奴はいるのか?
487日本@名無史さん:03/03/06 20:48
乃木神社の人
488日本@名無史さん:03/03/06 21:10
>485
プップップ プップップ プップップップップップップ
489日本@名無史さん:03/03/06 21:33
しかし乃木は自分の人生だから、どう歩もうが自分自身納得してるかもしれないが、
乃木夫人は本当に悲劇といっていい人生だな。
490嶽原:03/03/07 00:14
>>482『>他人の意見に対するレスなのに』
 「他人の意見に対するレス」に対し、疑問に思う事はおかしいですか?
>>481で述べたように、「論外」とする根拠の提示が全く無いのです。
491日本@名無史さん:03/03/07 07:26
疑問じゃなくて自分の意見の弁護をしているしか見えないが?

そもそも>>448>>444の意見の前半部分の嶽原氏へのレスに反応せず、
後半部分の436-442しか反応していないのはなぜかね?
自分の意見にレスを書き込まれたときにしつこく反応する
もんだよ。例>>479 >>481 >>490 


492(´-ω-`):03/03/07 07:27
エッチなアップローダーですよ
http://homepage3.nifty.com/digikei/ten.html
493日本@名無史さん:03/03/07 08:48
前のスレは自作自演どころかオナニースレだったな
494嶽原:03/03/07 13:13
>>491
 当方は常に記名しております。437〜442は当方書き込みではありません。
 また、「他人の意見に対するレス」に対し、疑問に思う事はおかしいとは
思いません。
 436の一部のみを引用し、それを以て437-442も一括りにして「論外」と
する事には、疑問を感じざるを得ません。
495嶽原:03/03/07 13:48
 437-442を「論外」とする根拠が、未だ提示されていない事を確認しておきます。

 では、444前半について。
>>444
『>成果の確認すら』
 鉄条網の破壊など、ある程度の効果は認められています。また、盤龍山東西
両堡塁は、東鶏巻山北堡塁のような永久築城堡塁ではありませんので、相応の
効果はあったでしょう。それらすら無為にすることはありません。
『>東堡塁に突入した後も、その前の判断で継続して攻撃不可能と……』
 盤龍山東堡塁の確保によって状況は激変したわけです。その前の判断「20日
の地点まで後退」とは異なる判断が生じてくるのは当然と思います。
496日本@名無史さん:03/03/07 13:49
>>436は嶽原が書いたのか?なんだかな
497日本@名無史さん:03/03/07 16:34
ああだから 同一人でないと解ったんだな。
498日本@名無史さん:03/03/07 19:44
>ある程度の効果は認められています。・・・相応の効果はあったでしょう。

 どの程度の効果?工兵部隊が”鉄条網”の突破坑を開くのに大損害を食らう
ほど、敵堡塁からの攻撃はあったのですが?実際相応の効果はなかったと
考えるべきですし、大庭中佐の進言も軽視して確認を怠っているとしか
思えません。

>盤龍山東堡塁の確保によって状況は激変したわけです。

自軍の状況は変わってないのですが・・。担当師団は大損害を
食らっていますが?攻勢限界点を見極めてないな。
499日本@名無史さん:03/03/07 19:46
>>494 >437〜442は当方書き込みではありません。

>436が嶽原の書き込みと間接的に認めている以上、
信用できませんね。
500日本@名無史さん:03/03/07 20:54
>499
 蟹さんが今日もせっせと穴を掘ってますね。ご苦労なことです。
501日本@名無史さん:03/03/07 20:55
>500
 おっとっと キリ番でくだらないことを書いてしまった。
 よけいな手間を掛けさせないで欲しいところです。
502日本@名無史さん:03/03/07 21:05
>>500-501
オマエモナー
5037th:03/03/08 00:10
 午後の4時頃になりますと、我が重砲の効力は、益々現れて参りまして、
砲台によりましては、城壁の壊けたものも見へる、塹壕の掩蓋の飛散するの
も見へる、望台の頂上にあった敵の大口径の大砲はこわれてひっくりかへり、
其他、鉢巻山、盤龍山東西要塞の砲台の如きも日本軍の砲の威力の為に鮮か
らぬ損害を被ったらしく見へる……中略……
 愈ゝ午後4時30分を以て大島師団長は右翼隊長に龍眼地方にある角面堡
に向つて攻撃前進を命ぜられますと右翼隊長平佐少将は、角面堡の付近にあ
る防御工事を偵察せしめられ、午後4時45分鉄条網破壊の目的を以て、工
兵隊を前進せしめられた処が、工兵隊は爆薬を以て角面堡前面を繞らしてお
った、鉄条網を三カ所約7mばかり宛、破壊しましたから今度は突撃の時期
を待つのみとなった。

 明治38年12月15日発行「第九師団凱旋記念帖」
 本派本願寺第九師団従軍布教使佐藤巌英 演「第九師団従軍見聞談」より
504嶽原:03/03/08 00:11
>>496『>436は嶽原が書いたのか?』
 いいえ。
>>499『>436が嶽原の書き込みと間接的に認めている以上、信用できません』
 「どこで誰が、何を間接的に認めている」と言われるのでしょうか。

 明確に申しておきますが、当方嶽原は常に記名しております。
5057th:03/03/08 00:11
 我第九師団右翼隊の一部鯖江の歩兵第三十六連隊長三原大佐は平佐少将の命
を受けて、八月十九日午後六時第二、第三大隊を以て攻撃前進を起されると丁
度、第一線部隊は破壊せる鉄条網を通過して両方より、中隊は日の丸の国旗を
振り立てて角面堡の突角に向つて「パラ/\パラ。」と進んでいった有様と云
ふものは、実に勇ましいもので此を見て居った、攻囲軍の右縦隊なる東京の第
一師団も、左縦隊の四国の第十一師団、第九師団の左翼隊及び予備隊は其の勇
しき動作に感激して、己を忘れて山の頂上や、谷合から万歳の声を唱えました
が、
 暫くすると今まで緘黙して居った敵兵は忽ちにして、角面堡の胸牆上に現は
れ、猛火を以て我を迎へ、これと同時に本防御線の各砲台即、松樹山、二龍山、
鉢巻山、盤龍山、P砲台、鶏冠山北砲台、吉良砲台、東鶏冠山砲台、白銀山砲
台、望台、H高地、盤龍山新砲台、烏帽子山等の左の方十五の砲台から砲弾を
送り、右の方からは、案子山、椅子山の砲台から砲撃される、それから水師営
南方の各砲塁から側防火を送ると云ふ事になったから斯く勇ましく突貫した諸
兵は角面堡の外斜面に真っ黒になって集まって居ると、敵の砲弾の破裂する度
毎に、兵隊の腕はちぎれて空中に飛び上がり、足はきれて空中に飛び上がり、
体は砕けて肉は飛び、骨は飛ぶと云ふ有様になった。然れどもこの角面堡は地
中に穴を掘り、大きな(角材)俗に云ふ枕木で、天井を張り、これに鉄板を以
て覆ふて居りますから、内部に侵入することも出来ず、実に哀れなものであっ
た。此の光景こそ真の悲絶惨絶と申すものでありましよ。為に此を観戦して居
った攻囲軍は最初万歳を唱へたにも拘らず、皆目と目とを見合わせて、如何に
なるだらふと大きな声さへも得せぬ様になって仕舞った
506嶽原:03/03/08 02:02
>>498『>実際相応の効果はなかったと考えるべき』
 実際、と言われますが、実際に盤龍山東堡塁ではほとんどの備砲が被害を受け、
また胸檣数カ所が崩壊、掩蓋三箇所が飛散という被害を受けています(20日)。
 観戦記者は「堡塁よりは土塊」という印象を受けたとのことです(21日)。
 また堡塁の守備兵に言わせれば「我らの守備する所は、既に堡塁にあらずして、
掘返されたる地面に異ならず」という状況でした(22日)。

 これらは、いずれも攻城砲砲撃の効果を示すものです。
 「攻城砲一門当て一日60発」ではいかんせん不十分であったとは思いますが、
相応の効果はあったのです。
507嶽原:03/03/08 02:03
>>498『>攻勢限界点』
 22日1100に盤龍山東堡塁へと第九師団の部隊が突入します。この時点で、東北面
で唯一攻略が成った東堡塁を確保するのみならず、そこからの占領地域拡大を狙う
意図を持つのは、当然の事と思います。その意図に基づく行動が、第九師団による
東堡塁占領確保(1600)へと繋がり、更に西堡塁占領(1900)という成果に繋がり
ました。
 この二堡塁を確保するために、この時点で何をしなければならないか?という事
は、大島第九師団長の言葉「現状のままにて推移せんか、二堡塁は自滅の他無かる
べし。速やかに軍命令に基づき周辺堡塁を攻略するを要す」にて明白です。

 この時点で、ここが攻勢限界であったとは思えません。

 結局はこれ以上の占領地拡大は果たせず拡大意図は挫折しましたが、それは結果
論であろうと思います。
508日本@名無史さん:03/03/08 09:57
>>498 相応の効果はありました。攻城砲が弾薬不足になるほど、盤龍山東西堡塁に
集中射を行いました。その結果両堡塁はかなり破壊されています。しかし
その結果攻城砲部隊は弾薬不足に陥り、これ以上の支援砲撃は至難という状況
でした。この砲撃の成果もあり盤龍山東西堡塁は陥落しました。
しかしロシア側の防御射撃を制圧できるほど、弾薬も残っておらず、また
連絡線も制圧される以上、維持が困難と考えるのは仕方ないと思えます。
しかし大島中将の命令は軍命令を下達するのみで状況に応じての命令でない
ことは下記の状況より明らかです。

盤龍東西堡塁は標高117から118mの両堡塁に比べ 望台は185m、東鶏冠山北堡塁
120mあり、側射、瞰射が可能な状況でした。
つまり盤龍山東西堡塁は未だ外郭陣地であり、目前にはまだ東鶏冠山新堡塁があり、
また、例え望台を制圧しても二龍山他が残っている以上、露出している後方連絡線
はロシア側に制圧されるのがわかっている。つまり突入した部隊は全滅することが
目に見えている。
また盤龍山東西堡塁が落ちたとき、第9,11師団ともに弾薬、食糧不足に陥り、
休養と再編が必要と判断を下しております。つまりこの時点であなたの言う
攻勢限界点を第3軍は見極めていたと思います。

大島中将など当時の師団長の数多くは軍命令を下達すれば任務が終わりと考え、
戦闘開始後は傍観者に成り下がる傾向がある。つまり軍の命令を下達するのみで
あとは部下に任せるだけなのである。
また土屋師団長は総攻撃中に下痢のため師団を離れる失態を犯しており、この
ような師団長を作戦中ほぼ全般に渡って使い続けた乃木軍司令官も非難は免れない。
509日本@名無史さん:03/03/08 10:02
>>507 >>498の述べている事は自軍の攻勢限界点であり、第9,11師団は
弾薬、食料不足に陥り、連絡線は制圧され増援もままならない状況で
11師団に至っては3個連隊中攻撃能力を維持していたのは2.3大隊という
状況が ”この時点で、ここが攻勢限界であったとは思えません。”
と思われるのは自由ですが、それじゃガダルカナルにおける辻正信
と同じですね。
510日本@名無史さん:03/03/08 11:40
>>509 ワロタ
511中央乃木会:03/03/08 17:48
乃木将軍の御高徳を一語に表すならば、忠誠に尽きる。
明治という光輝ある時代の忠誠の象徴として御祭神は祀られている。
乃木将軍の、自らに対し、父母に対し、そして国に対し、誠を貫かれた
御事蹟は、日本とは、日本人とは、我々一人々々の精神(こころ)の中に
あるのだという御神訓(みおしえ)として生きつづけている。
乃木将軍が神とし祀られている由縁がここにある。乃木将軍は文武両道の神である。
武に於いては、西南の役、日清、日露戦争での武勲や、数々の御事蹟が示す
如く、一太刀振り下ろせば全てを打ち払う、王者の剣であり、文に於いては、
学習院々長に任ぜられ昭和天皇の御養育にあたられるなど、教育者としての
御事蹟や、数多くの遺詠・遺墨に接して明らかな如く、教行両全の真の学問の
神でもある。明治天皇に殉じられる迄の三十有余年の間、常に将軍の意を体し、
忠孝・質素・仁愛の志厚く、内助の功を尽くされ、妻として良夫に殉じられた、
静子夫人の淑徳清操の御生涯もまた世の尊崇を集め、共に神として祀られている。
512日本@名無史さん:03/03/08 18:50
>>508
>また盤龍山東西堡塁が落ちたとき、第9,11師団ともに弾薬、食糧不足に陥り、
>休養と再編が必要と判断を下しております。つまりこの時点であなたの言う
>攻勢限界点を第3軍は見極めていたと思います。

22日に盤龍山東西堡塁が落ちた翌日に、望台に向けて最後の夜襲
をかけているけど?まあとれたところで、確保できない可能性のほうが
高いと思うのは同意。
513日本@名無史さん:03/03/08 19:08
これは結果論だけど、3個師団全部をそれぞれ要塞に貼り付けて
攻撃させるのではなく、1個師団を予備兵力として戦局が変化した際
に投入するという方法はとれないのかな?
例えば、盤龍山東西堡塁陥落時において、第1師団はそこの局面とは
関係ない水師営以西の攻撃を担当していたんだよね?
もし第1師団が予備兵力として存在し、疲弊した第9師団にかわって
攻撃主力となったら少しは展開は変わらないか?

その場合ロシア軍も、西部の兵力を予備戦力に使えるから
日本側即有利というつもりもないが。
514日本@名無史さん:03/03/08 22:03
>>513 予備兵力に回したら第一師団が可愛そうだからね。みな公平に
戦争に参加させることに意義があると思う。
515kk:03/03/09 17:51
>511
 こういう合理的思考を失った輩がいたから大日本帝国は滅亡したのだ。
516日本@名無史さん:03/03/11 11:17
アケ
517嶽原:03/03/12 02:13
>>361『日清当時も地図の準備は不備でしたよ。それに対し周到な偵察を行っ
    ています』

 「大山巌(児島襄)」にて、日清戦争当時の旅順戦では参謀が前線に偵察に出て
いたという箇所を読みました。しかし、『>周到な偵察を行っています』とはとて
も思えませんでした。
 偵察に出ていたというのに、命令を出す側の大山軍司令官また藤井参謀が、攻撃
を指示した山頂を明確に指示出来なかったという、下記のようなエピソードが、
同書には書かれていましたので。
518嶽原:03/03/12 02:15
『直ちに命令が下達された。
『軍は明日敵を攻撃せんとす……第一師団は……但し、まず椅子山に在る旅順西方
の堡塁団を占領することを勉むべし……』
 命令の下達が終わると、第一師団長山地中将は、荘重な声で大山巌に質問した。
「当師団の攻撃目標たる椅子山とは、何れでありますか」
 ……中略……椅子山といい、案子山といい、それがはるか見える山のどれかも、
第二軍司令部にはわかっていなかった。当然に大山巌も知らなかったが、山地中将
の質問を受けると、同じく荘重に藤井少佐に声かけた。
「ただ今、山地師団長より質問があいもした。実地にご指示してあげやんせ」
 いわれても、藤井少佐は当惑した。少佐自身も確認していない。それでも、とに
かく地図と望遠で見当はつけてあるので、斜め右前方に聳えてみえる椅子山に右手
をさしのべて、「あの山であります」「確かにあれか」「間違いありません」
 藤井少佐は、山地中将の再問に確言した。
(なあに、間違っていても、戦には勝つから、そのときは爾今この山を椅子山と命
名するとやればよい)
 藤井少佐は、内心でそう想っていたと記述しているが、椅子山の指摘に関しては
間違いはなかった……(『大山巌4・P80〜81』)』
519嶽原:03/03/12 02:16
 幸い、藤井少佐の「あれが椅子山です、間違いありません」という指摘は間違い
なかったそうですが、実は、そもそもの命令文中の「椅子山に在る堡塁団」という
のが間違いで、実際は堡塁があるのは案子山だったそうです(これはこれで凄い間
違いですが)。

 軍参謀が偵察に出ても、こんな塩梅のようです。「要塞の偵察」というのは、
それだけ難しいということでしょうか。

 「大山巌(児島)」を見る限り、『>周到な偵察を行っ(361)』たとは、とても
思えません。361氏が参考にされた書物は何ですか。それには、具体的に、どのよう
に「周到な偵察を行った」と記されているのでしょうか。
520嶽原:03/03/12 02:21
>>365『日清戦争の時は参謀自ら偵察に出てました』

 大山第二軍(日清戦争)は、総攻撃前に各部隊へ攻撃目標を明示した命令を与え
なければならないのですが、総攻撃前日の11月20日までに、地形を把握出来ていな
かったそうです。そういう状況で、その日の朝参謀達が手分けして前面の各地域を
偵察した……と「大山巌(児島)」に書かれていました。

 「参謀の偵察」というのを、切羽詰まった事態に於ける非常手段として描いてい
るように感じられます。

 乃木第三軍(日露戦争)は、上記と異なり隷下部隊から既に偵察情報を収集して
いたのですから、それでよしとしたのではないでしょうか。
 大山第二軍の例と比較して、第三軍の軍参謀が偵察に出なかったという事を特別
な失態とする事はできないように思います。前日になっても敵陣地の地形を把握出
来ていないという非常事態ではなかったのですから。
521日本@名無史さん:03/03/12 07:25
 日露戦争時の作戦における情報収集は参謀の役目だよ。
 
情報を分析するに当たって、他人からの情報と自分の目の情報等々
あらゆる角度からの視点を確保しなければならない。とくに敵の
堡塁は運動しないのだから、偵察という行為はたやすいが?
522日本@名無史さん:03/03/12 07:26
しかし久しぶりに来て、長々と過去レスを穿り返して去っていくのか。
523嶽原:03/03/12 08:01
>>521
 偵察という行為がたやすいのなら、日清戦争でのこの不具合はどういう事です?
 実際はたやすい事ではない、という証左と思いますが。
524日本@名無史さん:03/03/12 08:15
日清戦争でも参謀による偵察は行っていますよ。
地理、相手の陣地の確認のためにね。
日清戦争の時 不具合があったから参謀自身が情報収集
を怠っていいなんて論理が働くのか?
525嶽原:03/03/12 08:27
>>524
 日清戦争で参謀による偵察が行われたというのは、判っています。

 しかし、その状況は「総攻撃前日になっても敵地形が判明しない」という
非常事態での出来事が生じたからであり、日露戦争時はそういう事態ではな
かったのではないか、という事です。
 また、日清戦争での参謀偵察の実状は、「大山巌(児島)」を見る限り、
『>周到な偵察(361)』というものではないようです。その成果は、椅子
山と案子山の区別もおぼつかず、また攻撃目標である「堡塁のある山」を間
違えている、その程度に過ぎないようです。要塞の偵察というのは、それ程
に難しいのだと思います。
526日本@名無史さん:03/03/12 08:51
ロシア陣地が未知なる以上 偵察が不徹底なのは免れない
527日本@名無史さん:03/03/12 19:14
>526
 だからといって、しっかり確認できるまで近寄ろうとしたら・・・と。
528日本@名無史さん:03/03/12 20:51
>>527 九連城の攻略の時のように威力偵察とかすればよろし
529日本@名無史さん:03/03/12 21:06
児島襄か・・・十年ぐらい前はどこの本屋にも灰色の背表紙の
文春文庫が置いてあったんだけどな・・・・。

『大山巌』『参謀』『将軍』『日中戦争』とか・・・
いまやどこの本屋にも見当たらない・・・。
530嶽原:03/03/12 21:18
>>528『>威力偵察とかすれば』
 露軍が黙って見ている筈はないので、全滅でしょうね。
531日本@名無史さん:03/03/12 22:55
>>530 威力偵察すらわかってないのか・・・。
532嶽原:03/03/13 03:21
>>531
 要塞に威力偵察を行えば、まず全滅すると思いますが。

 また、その成果はいかほどのものでしょうか。露側の機関砲・軽砲は陣地内
を移動可能です。
533日本@名無史さん:03/03/13 06:11
>>532 第一次総攻撃のように全師団で不十分な威力偵察のようなことをするより
小部隊でしたほうが遥かにまし。
534(´-ω-`):03/03/13 06:34
話題のここです
http://homepage3.nifty.com/digikei/
535嶽原:03/03/13 06:43
>>533
 「九連城の威力偵察」とは、「敵は退却したのではないだろうか」という疑問を
解決するためのものでした。

 旅順では、九連城のように「敵は退却したのでは?」という疑念を抱くこと
は有り得ませんね。
 旅順で威力偵察を行う理由は何でしょうか。
536日本@名無史さん:03/03/13 07:04
>旅順では、九連城のように「敵は退却したのでは?」
>という疑念を抱くことは有り得ませんね。
>旅順で威力偵察を行う理由は何でしょうか。

ww
537日本@名無史さん:03/03/13 07:19
>>531 ああいう知識で物事を見るとどうなるか好くわかります
538嶽原:03/03/13 13:04
 攻囲完成以前の鳳凰山南方高地周辺の戦いに於いては、露軍が第三軍の攻撃
を威力偵察と誤認して接近を許すという事態が生じました。このため、第三軍
はさほどの抵抗を受けずに鳳凰山及び周辺を占領出来ました。それでも死傷
1250名の損害を蒙っていますが。

 このような前例がある事から、主防御線に拠った後は露軍の警備は厳重だったと
考えられます。主防御線への攻撃にあたり威力偵察を行ったとしても、鳳凰山での
ような幸運は無かったでしょう。おそらく近づくことも出来ずに全滅したのではな
いでしょうか。それと引き替えに得られる情報は、いかほどのものでしょうか。
539日本@名無史さん:03/03/13 13:15
>>519
椅子山にも堡塁はあります。峻険な地形を利用しているので外壕などはありませんが。
そして先にこれを取れば案子山堡塁は眼下なので案子山攻略には有利だったでしょう。
「堡塁団」とあるからには椅子山、案子山等をひっくるめた西部防衛線の要衝を
意味したのではないでしょうか。
540嶽原:03/03/13 15:12
>>539
 「大山巌」では、案子山の陣地として『案子山砲台群』という名称を用いていま
す。これによると『案子山に東、西、低砲台がきずかれ、西砲台と低砲台の間は胸
檣で連結されている』という陣地で、各種の砲09・機関砲03を備えていました。
 椅子山の堡塁の規模は全く示されていなかったので判りませんが、『案子山堡塁
団』の根幹は、この案子山にあったのだと思います。前面の椅子山堡塁もその一部
と認められていたかも知れない、とは思いますが。

 
 椅子山を取れば案子山攻略に有利だろうというのは同意ですが、実際の進撃路は
二百三高地を降り北太陽溝を経て低砲台へ、というコースでしたから、やはり案子
山を攻めるつもりが椅子山と間違えていた、というのが実状だろうと思います。
      ▲二百三高地   ▲椅子山
                 西┏ 
                ┏━┛東
               ┏┛▲案子山
     北太陽溝○    低┗━
        太陽溝○
541日本@名無史さん:03/03/13 21:41
>>540
レスありがとう。
「案子山が根幹」というのはそのとおりだろうと思います。
案子山堡塁は外壕が深く、10基ほどの砲台もあり、実に整然とした
ものです。
大山巌にまつわる話は背景などよくわからないので一度本を読んでみます。
542日本@名無史さん:03/03/13 22:08
要塞に威力偵察をかければ全滅するからする必要がないのですか?
543嶽原:03/03/14 21:36
>>542『>全滅するからする必要がない』
 成果に、いかほどの事が望めるのでしょうか。
544日本@名無史さん:03/03/15 06:36
>>530 >>532 >>543 威力偵察部隊が全滅するので、成果が望めないのですね?
それで威力偵察なぞ無意味ということですかね。
545嶽原:03/03/15 06:45
 九連城の例が出されていましたが、この時は「敵は撤退したのだろうか?」
という疑問を解決するために行っていますね。こういう場合、威力偵察の意味
はあると思います。

 しかし、旅順ではどうでしょうか。
 旅順で威力偵察して機関砲や軽砲の位置が判明したとしても、それらは変更
出来てしまうものです。
 要塞主防御線への威力偵察、というのは、どのタイミングで、何の目的で
行われるのでしょうか。その成果は、いかほどのものでしょうか。
546日本@名無史さん:03/03/15 07:35
つまり偵察部隊は全滅するし、ロシア軍の火砲は移動できるから
成果は望めないので無意味と述べたいのですね?
547日本@名無史さん:03/03/15 08:04
 知識も無く強弁をする香具師
548日本@名無史さん:03/03/15 11:57
参謀長は砲兵屋の伊地知でなく工兵屋の上原の方が良かったのかな〜。
549嶽原:03/03/16 03:12
>>546
 貴方の言われる「偵察部隊」は、どのタイミングで、何の目的で出撃する
想定なのでしょうか。規模はいかほどのものを想定しているのでしょうか。
550日本@名無史さん:03/03/16 06:06
>>549 質問に対し、質問で返さないで下さい。あなたのおっしゃることを
確認しているだけです。何がいいたいの?威力偵察部隊は全滅するんでしょ?
それで成果は期待できないのでしょ? ロシア軍の火砲は移動するんでしょ?
551嶽原:03/03/16 11:58
>>550
 「質問の想定が不明確」なので、お尋ねしているのですが。
 貴方の言われる「威力偵察部隊」は、どのタイミングで、何の目的で出撃
する想定なのでしょうか。規模はいかほどのものを想定しているのでしょうか。
552日本@名無史さん:03/03/16 12:36
 
530 :嶽原 :03/03/12 21:18
『>威力偵察とかすれば』
 露軍が黙って見ている筈はないので、全滅でしょうね。

532 :嶽原 :03/03/13 03:21

 要塞に威力偵察を行えば、まず全滅すると思いますが。

 また、その成果はいかほどのものでしょうか。露側の機関砲・軽砲
は陣地内を移動可能です。

質問に対し、質問で返さないで下さい。あなたのおっしゃることを
確認しているだけです。何がいいたいの?威力偵察部隊は全滅するんでしょ?
それで成果は期待できないのでしょ? ロシア軍の火砲は移動するんでしょ?


553(´-ω-`):03/03/16 12:47
554嶽原:03/03/16 13:17
>>552
 要するに、「現実的にどういう威力偵察を想定しているのか」という事を
お尋ねしているのです。
555日本@名無史さん:03/03/16 13:32
両方とも手を出してきたらカウンターを合わせようというのがよくわかる。

556嶽原:03/03/16 14:50
『>威力偵察部隊は全滅するんでしょ?それで成果は期待できないのでしょ?』
『>ロシア軍の火砲は移動するんでしょ?』

 旅順要塞への偵察は、こんな感じだったそうです。
『敵の陣地前は素より陣地内部に如何なる設備を施しあるあるや、攻撃前に於
いては之を予知する事能わずして…それはその筈です、当時敵の陣地偵察に出
したる斥候の殆ど大部は生還しその状況を報告し得ざる悲惨の状況なりし…
(「戦陣叢話(軍事討究会)」より「日露戦役に従軍中の断片的感想」)』

 威力偵察部隊を出したとしても、まず全滅したろうと思います。また、それ
と引き替えにしての成果ですが……。
 機関銃掃射による被害が大きいと思うのですが、『機銃座の破壊を試みたが
塁壁が堅く失敗しかも機銃座が移動している事情が判明(「日露戦争(児島)」
207P記述要約)』というように、陣地内で機関銃座は移動可能です。

 威力偵察により機関砲の配置が判明するかも知れませんが、それらが移動し
てしまえば「在った所に無く、無かった所に在る」と状況も変わります……威
力偵察の成果は、あまり期待できないと思います。
557嶽原:03/03/16 14:56
 こちらの質問にも答えて頂きましょう。

 貴方の言われる「威力偵察部隊」は、どのタイミングで、何の目的で出撃する
想定なのでしょうか。規模はいかほどのものを想定しているのでしょうか。
558日本@名無史さん:03/03/16 15:55
自衛隊の野外令の第4編第2章「攻撃」には、情報活動という記述のなかに、次のような文章がある。

『敵情・地形に情報中、敵の配置と兵力特に敵陣地の前縁及び翼、集結部隊、敵陣地の弱点の所在は特に重要である。
また、接近経路、築城構造物の位置、種類、強度特に地雷原の位置、規模、形式、砲迫の位置、指揮、通信中枢等に関する情報が必要である。
秘匿良好で周到に準備した敵陣地の配備及び弱点を暴露させるため、威力偵察を実施することがある』

要塞に配備されているのは機関砲・軽砲だけじゃないよ。
仮に第一次総攻撃以前に威力偵察部隊を送ってそれが帰ってこなかったら
旅順要塞が「お化け屋敷」ということが事前にわかるかと。
(まあ人を捨石にしていいかという問題もあるが)

ときに威力偵察云々については俺は関わっていないんだが、
>>557はそれは人によりけりだろう。
例えば>>513みたく予備として1個師団おいといた場合
前衛の部隊というのはまるまる威力偵察部隊みたいにならないかな?
559日本@名無史さん:03/03/16 17:25
>>558
>(まあ人を捨石にしていいかという問題もあるが)

捨石にされた本人たちにとっては許容しがたいことではあるが、それを怠っ
てその数倍の戦死者を出すことに比べたらやむを得ない。
同様の条件下で同じ目的を達成した場合、1個連隊を潰した司令官と1個師
団を潰した司令官では前者の方が評価されるのは当然かと思われ。
で、N将軍は差し詰め後者の仲間だと思われ。まさか第3軍を丸々威力偵察
に供したわけではなかろう。

>前衛の部隊というのはまるまる威力偵察部隊みたいにならないかな?

師団単位で威力偵察はしないと思われ。連隊戦闘団(日本流に言えば支隊)
くらいが限度じゃないかな?
特に、日本では師団のことを戦略単位と位置づけていたから、丸々磨り潰す
のは心理的抵抗があると思う。
560日本@名無史さん:03/03/16 18:46
 捨石にされた部隊が、損害1万人の一部になることでしょう。
561日本@名無史さん:03/03/16 19:09
>>559
なるほど
そうすると秋山旅団なんかは、『坂の上の雲』の記述を
信ずると威力偵察的な役割を果たそうとしていた様に思えるが。

乃木の話じゃないのでsage
562日本@名無史さん:03/03/16 20:09
>>561
騎兵旅団に支援部隊を加えた「秋山支隊」だし、そもそも騎兵自体が威力偵
察兵科だからあれはあれでいいのでは?
歩兵師団内の騎兵連隊の後身が、支援部隊を加えた威力偵察部隊である捜索
連隊であることから考えると用兵思想上の矛盾はないと思うが。
まあ、他に使える兵力がないからと言って騎兵中心の支隊に陣地戦をやらせ
たのはもったいない気もするけど。
563嶽原:03/03/17 00:22
>>558
 まあ、人によりけりですね。当方は、こう思います。
 時期としては、敵陣地を事前砲撃によりある程度破壊した後、前進支援砲撃
と共に行うのが妥当だと思います。規模としては、九連城威力偵察と同程度と
考え、一旅団につき二〜三個大隊を威力偵察部隊と想定します(九連城の威力
偵察では、第三旅団は第四・第二十九連隊の各第一大隊を、第十五旅団は第十
六連隊が威力偵察部隊として前進)。
 この場合、露軍も黙ってみているわけではなかったろうし、鉄条網の位置も
しくは銃眼前数百mで掃射を受けてしまっただろうと思います。おそらく史実
の突撃と同じように損害を蒙ったのではないでしょうか。

 威力偵察を行った場合、一個旅団毎に半〜一個連隊の兵力を損したのみで、
敵陣地の攻略は一つとして成らなかったと思います(もともと偵察ですし、露
軍も退却できないし)。
 それで旅順要塞攻略は至難として攻撃中止となった場合、たしかに人員の損
害は史実よりも少なくなるでしょうが、事前砲撃二日分+前進支援砲撃の砲弾
薬は無為となったあげく、敵塁の奪取は一つとして出来ていません。

 威力偵察ではなく、初めから「強襲法で攻略」という意図で攻撃を行ったから
こそ、二堡塁の奪取が成り、わずかでも攻略の地歩が進展したのだと思います。

 捨石の存在については、「していい」というか、「やむを得ない」ものだと
思います。
564嶽原:03/03/17 00:23
>>559
 第三軍は威力偵察の目的で08月攻勢を行ったわけではありません。攻略の目的
で行い、15000名を損し、盤龍山東西堡塁を得たのです。

 威力偵察を実行した場合、一個師団あて一個連隊以上(威力偵察部隊が一旅団
あて二〜三大隊の場合)を損し、敵塁占領は無かったでしょう。
565嶽原:03/03/17 04:40
 ちょっとスレの流れから外れますが、「大山巌(児島)」の日清戦争での旅
順戦の所の記述について。

 乃木について書かれているのは、かなり少ないです。
 第一師団の行動として描かれているのは、主に第二旅団(西部隊)であり、
『第一師団長山地中将は、作戦の焦点である案子山攻略を第二旅団長西寛二郎
少将に命じ、残りの部隊を直率してその後を進むことにした』
 とのように、第一旅団については、師団長直率の部隊(予備)としてしか紹
介していません。

 状況が推移した後、ようやくに乃木の名が出てきます。しかし、
『第一師団長山地中将は、西部隊の苦境を推察して、第一旅団長乃木希典少将
に救援を命じた。
 乃木少将は、第一連隊第一、第三大隊、第十五連隊第三大隊に前進を命じ、
自身は先頭の第十五連隊第三大隊に追及すべく、馬を走らせた。
 だが、途中で案子山堡塁が陥落したことを知り、乃木少将は馬にひと汗かか
せただけで戦闘に参加することはできなかった。』
 というように、第一旅団(乃木隊)は戦闘に参加していない事が記されてい
ます。

 要するに、乃木は日清戦旅順攻略戦では、さほどの活躍をしておりません。
乃木の日清戦歴は、旅順戦翌年一月からの乃木混成旅団結成以後の戦闘(蓋平
や大平山の戦闘など)が主なのだと思います。

 『(日清戦時、旅順口の)攻略部隊の指揮官が当時の歩兵第一旅団長乃木希
典少将であり、乃木はその経験を買われて旅順攻略軍の軍司令官に任命された』
という文章をよく見かけます(これは大江氏の例ですが、多くの人が書いてい
る事ですね)が、これは実状とはかけ離れた説明なのだと思います。
566日本@名無史さん:03/03/17 06:20
>時期としては、敵陣地を事前砲撃によりある程度破壊した後、前進支援砲撃
>と共に行うのが妥当だと思います。

なぜ威力偵察をする前の敵陣地や敵火線があまりわからないのに事前砲撃をする
のが妥当なの?


567嶽原:03/03/17 08:31
>>566
 威力偵察を行うのが前提の話ですから、目視などでも確認できている敵陣地
を、まず破壊すべきだと思います。

 砲撃による破壊を全く与えていない状況に、威力偵察させるのでしょうか。
568嶽原:03/03/17 08:35
>>566
 貴方の言われる「威力偵察部隊」は、どのタイミングで出撃する想定なので
しょうか。
569日本@名無史さん:03/03/17 12:25
よく隠蔽された陣地をさらけ出す為の偵察なのに総攻撃並の
砲撃をする必要があるの?威力偵察解ってる?
570日本@名無史さん:03/03/17 21:01
>>562
了解しますた

>>563
折れ的には、「捨石」部隊にそこまで大兵力をつぎこみたくないな。
かなり非人道的な気もするが、偵察部隊が攻撃を受けて壊滅する様を
後ろで参謀クラスの人間が観察する事で>>558に書いたようなこと
が少しでもわかるんじゃないかと思ったわけだが。
>>533は第一次総攻撃が威力偵察程度の成果だったと
揶揄しているんだし。
こういうのって、個々の軍事知識だけでなしにセンスまで
(折れは軍人でないから別に無くてもいいんだけれど)
問われているわけで、難しすぎる質問だ。

571日本@名無史さん:03/03/17 21:15
>>565
しかし旅順を知っている人間なのは間違いないと思われ。

>>163-164など見ると、日清戦争の旅順虐殺騒ぎは、
実際どうなのか知らんが、乃木も知ってはいたらしいっぽいな。
572日本@名無史さん:03/03/17 22:30
>571
> しかし旅順を知っている人間なのは間違いないと思われ。
 知っているというより、「旅順絡みでゲンが良い」と見られた、
 という感じとか?
573日本@名無史さん:03/03/17 22:35
>569
 後に28センチ砲が投入されて、初めて、有効な打撃
 を与えることが出来たような強固な部分もあったはず
 ですが、どこを偵察するという話ですか?
574日本@名無史さん:03/03/18 06:31
後に28センチ砲が投入されて、初めて、有効な打撃
を与えることが出来たような強固な部分もあったはず
ですが、そういうところを偵察もせずに攻撃するという
事ですか?
575aa:03/03/18 12:28
イラクが攻められようとしている今、もう何発撃ったなんてどうでもいい。
乃木はあほで決着しよう。
576日本@名無史さん:03/03/18 20:54
>574
> そういうところを偵察もせずに攻撃するという 事ですか?
 え? 「偵察もせずに」? そういう事実はないはずですが、
 根拠は何ですか?

 確かに「見学」はしてないはずですね。
577嶽原:03/03/19 02:28
>>569『>よく隠蔽された陣地をさらけ出す為の偵察なのに総攻撃並の砲撃を
     する必要があるの?』

 歩兵突撃をする前に、破壊のための砲撃が行われますね。
 その時と同様の状況下に於いて威力偵察を行うのが妥当と思います。

 破壊のための砲撃を行うより以前の状況下において威力偵察をした場合、砲撃
によって破壊されて然るべき敵陣地からも反撃を蒙ってしまいますから。

 このタイミングで威力偵察を行って、砲撃に堪えて生き残った敵陣からの反撃
を受けた場合、その情報は役に立つものとなると思います。
578嶽原:03/03/19 02:30
>>570『>折れ的には、「捨石」部隊にそこまで大兵力をつぎこみたくない』
 少数過ぎても効果が無いだろうし大勢過ぎたら勿体ない、という所ですね。

 偵察のつもりで行ったら、何も得るところなく全滅だったと思うのです。
陥落させるつもりで行ったから、なんとか二堡塁奪取という成果が得られたの
だと思います。
579嶽原:03/03/19 02:31
>>571
『>しかし旅順を知っている人間なのは間違いない』
 それは間違いありません。
 しかし乃木をして「日清戦時の旅順攻略部隊指揮官」と説明するのは間違い
ですね。こういう言い方をしている本は、けっこうあったと思います。
580日本@名無史さん:03/03/19 06:10
普通は敵情がほとんど解らなければ全正面において、威力偵察を敢行し、
敵の防御陣地、強度、火線を確認し、弱点をさらけ出したうえで攻撃方向
を決めるのだが?
時間がないからといって、正面だけに威力偵察なんてするもんじゃないよww
ましておや、敵情不十分で総攻撃をかけるアホなぞ論外
581日本@名無史さん:03/03/19 08:26
>576 確かに「見学」はしてない「はず」ですね。

アホカ


582日本@名無史さん:03/03/19 19:38
>581
 自分のことをいっているという自覚がないようですね。

 とレベルを合わせる暇人が約一名
583嶽原:03/03/19 21:50
>>580『>全正面において威力偵察を敢行……した上で攻撃方向を決める』
 なるほど、貴方の言われる威力偵察はこのタイミングで行うのですね。攻撃
方向を決めるための威力偵察、ですか。
 『>全正面において』では、威力偵察をかなりの広範囲に行うことになります。
「東正面(東鶏巻山以東)−東北正面(二龍山−東鶏巻山)−北正面(二龍山
−椅子山)−西北正面(椅子山以西)」に対して全て、ですからね。

 大狐山・小狐山を占領して旅順攻囲網がほぼ完成、本要塞への直接攻撃が可
能となったのは08月09日ですね。それから全正面に対して(斥候などによる偵
察ではなく)威力偵察を行うというのは、時間的にも戦力的にも、非現実的な
プランだと思います。

 現実として、時間的(全般作戦上、迅速な陥落を求められた。海軍は08月上
旬の陥落を要望)・戦力的(攻城砲部隊展開上、主攻方面は限られる。前進陣
地攻略の時点で、既に少なからぬ戦力を損耗)その他の制約に縛られながらの
作戦行動となるのはやむを得ません。
 時間的・戦力的制約が無いという「仮定の条件下」での話でしたら、貴方の
意見にも同意できます。しかし「現実の旅順」はそうではなかった、と思います。
584日本@名無史さん:03/03/19 22:01
 敵の強度が不明だから威力偵察をし、敵の火線、陣地の弱点を
さらけ出すのですけど?それが一番早い道なんだけどね・・
敵を舐めてかかって、一番強い正面を攻撃するなぞ愚かのきわみ。
585日本@名無史さん:03/03/19 22:05
 南山の攻撃に際しては、大本営の理想どおりに行なっておりません。
最初のレスでありましたが、かなりガマンが足りないと思えます。
586嶽原:03/03/19 22:07
>>584『>陣地の弱点をさらけ出す』
 貴方がいわれている『旅順要塞の陣地の弱点』って、何ですか?
587日本@名無史さん:03/03/19 22:10
>>586 あなたは第一次総攻撃に際してなぜ失敗したかという
原因を追究する態度に欠けていますね。敵情不明というのが
第一だと私は考えますが?
588嶽原:03/03/19 22:22
>>587『>第一次総攻撃に際してなぜ失敗したか』
 「攻城軍派遣以前の準備不足」が第一だと、私は考えます。
 もちろん「敵情不明」というのも一因だと思います。
589日本@名無史さん:03/03/19 22:24
>>588 それは日本軍全体においてそうですね。南山での戦いにより
準備不足というのは予測できます。敵の強度が強いであろうという
ことも予測できます。

しかし 予定通りのことしかしてませんな。第3軍は。
590日本@名無史さん:03/03/19 22:28
台湾において失政するくらいの乃木に軍クラスの官僚操作というのは
無理なこった。
591嶽原:03/03/19 22:30
>>584『>敵を舐めてかかって、一番強い正面を攻撃する』
 舐めて、敢えて一番強い正面を攻撃したわけではありません。

・東正面(東鶏巻山以東)の、敵の陣地・強度・火線
 :第一線奪取後もなお、敵の瞰制を蒙る
 :第一線奪取のために重層の火力を受ける
 ……よって主攻方面として不適。
・北正面(二龍山−椅子山)の、敵の陣地・強度・火線
 :旅順街道付近に堅固な前進陣地があり、かつ後方の諸砲台の応援を受ける
 :我が軍を庇護する地物が少ない
 :工事堅固かつその砲数もまた最も多数
 ……よって主攻方面として不適。
・西北正面(椅子山以西)の、敵の陣地・強度・火線
 :要塞本防御線に近接するまでに半永久築城を以て堅固に守備せる
  縦深ある地帯を攻略するを要する
 ……かつ重砲の展開に交通不便なため、主攻方面として不適。

 上記三正面に対して、
・東北正面(二龍山−東鶏巻山)の敵の陣地・強度・火線
 :一種の凸角を形成し、攻者の近接動作他方面に比して容易
 ……かつ多数の我が攻城砲の展開に適し、また有利な観測所を有する。

 というように、敵の陣地・強度・火線を確認したうえで、我が攻城砲の展開
の点でも有利なので、東北正面が主攻面として選択されています。
592日本@名無史さん:03/03/20 05:59
>>591 それは第3軍の判断でしょうに。

それでその判断のもとに予定通り8月末には旅順が落ちていたら、
だれも乃木や第3軍などは研究しませんが?

敵正面の最も強固なる箇所に攻撃をしているのですから。
また攻囲前哨戦ですでに予定損害の1万に達しようとしているのですが?
南山での砲台陣地や10丁程度の機関銃による損害など・・そして、
それまでの野戦陣地での損害より、主正面はかなり損害が出ることは安易に
予想できます。
南山での戦いにおいてはその戦いの前に松川大佐の危惧が当たったのである。


593日本@名無史さん:03/03/20 06:01
>>591 二龍山には永久陣地がさも無いような論ですな。ww
このような杜撰な観測では第一次総攻撃で死んだ人間は浮かばれない。

>西北正面(椅子山以西)の、敵の陣地・強度・火線
>:要塞本防御線に近接するまでに半永久築城を以て堅固に守備せる
> 縦深ある地帯を攻略するを要する
 ……かつ重砲の展開に交通不便なため、主攻方面として不適。

>東北正面(二龍山−東鶏巻山)の敵の陣地・強度・火線
>:一種の凸角を形成し、攻者の近接動作他方面に比して容易
>……かつ多数の我が攻城砲の展開に適し、また有利な観測所を有する。


594日本@名無史さん:03/03/20 09:53
第一次攻撃で現実に盤龍山東西堡塁という二つの岡が取れた、
ということが攻撃方向が正しかったことを証明している。
この二つの拠点が取れたことによって最高地点の望台は危機に
瀕し、実際に陥落寸前まで行った。
いま望台に登って見渡せば、永久堡塁のない
盤龍山東西堡塁〜望台という三角地帯が防衛線の弱点
だったことがよくわかる。
595嶽原:03/03/20 11:36
 主防御線の敵陣地は、どこを攻めても堅固な堡塁が存在していると思います。
松樹山−二龍山−盤龍山−鶏冠山−白銀山と。

 その中で、「一種の凸角を形成し、攻者の近接動作他方面に比して容易」
という箇所が、旅順要塞の弱点と思います。
 また加えて、その正面に「多数の我が攻城砲の展開に適する」地域があり、
また「有利な観測所を有する」という攻め手側の利点が重なったと思います。
596日本@名無史さん:03/03/20 12:26
第一次攻撃で部隊の戦闘能力が壊滅状態になるなんてな
無能以外の何者でもない
597日本@名無史さん:03/03/20 16:09
>>595
>主防御線の敵陣地は、どこを攻めても堅固な堡塁が存在していると思います。
松樹山−二龍山−盤龍山−鶏冠山−白銀山と。

そのなかで盤龍山(東西堡塁)だけが永久堡塁ではない。
塹壕陣地に過ぎない。だから取れた。
しかもそれが、これも塹壕陣地に艦砲が置いてあるだけの
望台につながっている。
望台を取ればその向こうはもう防衛線の内懐で、市の中心まで
重要な防御物はない。
以上が「弱点」という意味だ。
598嶽原:03/03/20 18:16
>>597
 ほぼ同意です。

 当方書き込み595は、>>593の『>二龍山には永久陣地がさも無いような論』
という書き込みについて『どこを攻めても堅固な堡塁がある』(つまり、東北
正面(二龍山−東鶏巻山)にもあるよ、と)いうことを述べたものです。
599嶽原:03/03/20 18:24
 やや同意ではない点は以下に。

 望台を得たのち、かなり多数の砲台が置かれた地域(教場溝や劉家溝など)
を越えて、いわゆる第二線の防御線(教場溝南堡塁や五家屯堡塁など)を突破
したのち、市街地に手が届くことになります。

 まあ、当方も望台突破が最大のハードルだと考えておりますので、その後は
内懐の戦いといってもよいと思っていますが。
600日本@名無史さん:03/03/20 22:02
>>591
実際の旅順攻防の鍵となった二百三高地は
西北正面の主防御線より北にあるが?

また
>・東北正面(二龍山−東鶏巻山)の敵の陣地・強度・火線
>:一種の凸角を形成し、攻者の近接動作他方面に比して容易
> ……かつ多数の我が攻城砲の展開に適し、また有利な観測所を有する。

略図しかない状態でいうのもあれだが、凸角と断定できる程のものでもないのでは?
それをいうなら二百三高地以北の陣地や、水師営付近の陣地の方が
よほど突出している気がする。

また攻撃側の近接行動が容易というのは、
防御側からは容易にその行動をつかみえるということにもつながる。
601日本@名無史さん:03/03/20 22:16
あと12月に望台を日本軍が攻略できたのは、
それまでの攻防戦でロシア側の戦力が枯渇しつつあったこと
コンドラチェンコの戦死により効果的な援護・指揮を行えなくなっていたこと。
東鶏冠山北、二龍山、松樹山などの周辺陣地を攻略したことで
ロシア側の火網が薄くなっていたことが要因だと思う。

仮に第一次攻撃の段階で望台を落とせても、その周辺を併せて
抑えることができなければ、望台を維持するのは難しいのではないだろうか。

602嶽原:03/03/21 01:09
>>600
『>二百三高地は西北正面の主防御線より北にあるが?』
 二百三高地は「要塞本防御線に近接するまでに攻略しなければならない、縦深
ある地帯に設けられていた前進陣地」の一つです。
 八月攻勢は前進陣地を攻略する攻撃ではないし、加えて重砲の展開に不便なの
で、八月攻勢では、西北面は主攻方面として不適とされたのでしょう。

『>凸角と断定できる程のものでもないのでは?』
 「激闘旅順奉天(学研)」の90Pの略図など、凸角らしく見えると思いますが。
 明らかに突出しているのではなく、防御線の曲がり角という具合ですか。他の
防御線と比較して凸角という事だと思います。

『>二百三高地以北の陣地や、水師営付近の陣地の方がよほど突出している』
 この時点で直接攻撃が可能な要塞主防御線(松樹山−二龍山−盤龍山−鶏巻山
−白銀山)の内で、という事だと思います。
 
『>防御側からは容易にその行動をつかみえる』
 露軍は山上から俯瞰しているのですから、見易さはどこでもあまり変わらない
ように思うのですが。
 凸角への攻撃の利点として「近接容易」としているのは、「周囲敵陣地からの
射角が制限される」という事が重要なのではないでしょうか。
603日本@名無史さん:03/03/21 07:46
>>595 もう一度いいます。

二龍山には永久陣地がさも無いような論ですな。ww
このような杜撰な観測では第一次総攻撃で死んだ人間は浮かばれない。
貴方の論は敢えて乃木名将論の為に資料の読み方を改竄しているとしか
思えませんね。(>>241でも同じ意見が出てきてます)

「コノ正面は、全正面中にオイテ比較的最モ堅固ナルモノナラン」
なのですが?そしてさも永久陣地がないような論を展開しているのは
なぜ?

>西北正面(椅子山以西)の、敵の陣地・強度・火線
>:要塞本防御線に近接するまでに半永久築城を以て堅固に守備せる
> 縦深ある地帯を攻略するを要する
 ……かつ重砲の展開に交通不便なため、主攻方面として不適。

>東北正面(二龍山−東鶏巻山)の敵の陣地・強度・火線
>:一種の凸角を形成し、攻者の近接動作他方面に比して容易
>……かつ多数の我が攻城砲の展開に適し、また有利な観測所を有する。
604紺碧総統:03/03/21 08:15
ヒトリ息子ト泣イテハナラヌ、フタリ亡クシタ方モアル…。
605日本@名無史さん:03/03/21 08:44
>>601
盤龍山東西堡塁を維持できたことを考えれば、望台の維持は不可能ではない、
というか互いに維持が容易になる相互作用があるでしょう。
それと望台を取ることによって制高点と、望台の下を通る補給線を押さえた
ことになり、二龍山など他の堡塁の維持を困難にさせる意味がある。
12月頃の露軍戦力の枯渇には同意だが、一方では8月攻勢のときに
露軍内部に混乱があったことが一つのチャンスとしてあった。
606日本@名無史さん:03/03/21 10:23
乃木って匈奴遠征の時の李広によくにているね。
607日本@名無史さん:03/03/21 12:42
>>602
第一次総攻撃の際の推移が>>439が正しいならば、
第1師団の担当は大頂子山付近から水師営付近にかけてで、
>八月攻勢は前進陣地を攻略する攻撃ではないし
は事実と異なると思います。
第三軍は各方面から圧力をかけて旅順を攻略するつもりだったのでは?

また、「凸角云々」については、せめて10万分の1クラスの地図が
あるのでないと断定は出来ないと考えます。

山の地形は(これも地図なしで言うべきことではないですが)
尾根があったり沢があったりで、複雑になっている場合があります。
その場合防御側にとっての死角が生まれる場合もあるでしょう。

それと、もし明確に凸角を形成しているなら、要塞を築城する側も
それに対して対応策は考える筈だろうと思います。
608607:03/03/21 12:47
>>439
>>440-441の誤りです。失礼しました。
609日本@名無史さん:03/03/21 12:58
>>605
望台の一時的占拠だけなら何かのきっかけで可能だったかもしれません。
しかし、望台の戦術的価値はロシア軍も知っているはず。
その総力を挙げて逆襲をかけてくるはずです。

二百三高地攻撃の際でも日本軍は援軍・補給を送り込むのに
相当苦労しています。
それと同様の事態が望台でも起こりえる筈だと思うのですが。
610嶽原:03/03/21 20:48
>>603
『>もう一度いいます』
 ほとんど593と同様の書き込み内容ですね。593への返答の、>>595へどうぞ。

『>改竄している』
 どの点についての指摘でしょうか。
 ちなみに当方書き込み(イロハニ各正面についての記述)は、ほぼ資料記述
のままに書き込んだものです。
611嶽原:03/03/21 20:50
>>607
 八月攻勢は、第三軍としては要塞の陥落を目的とした攻撃でした。なので
『八月攻勢は前進陣地を攻略する攻撃ではないし』と書き込んだわけです。
 確かに第一師団としては前進陣地を攻略する攻撃といえますね。しかし軍として
はそうではなく、為に「八月攻勢では西方面は主攻たりえなかった」と思います。

 攻城砲の射撃は、東北正面の特に盤龍山−東鶏巻山の地域に集中され、それ
と同時期に西方面の第一師団が前進陣地を攻略して行く……という動きでした
ので、第一師団はいわば牽制、助攻として参加したのだと思います。

 16800分の1の公刊戦史付図を見ると、「ああ、凸角だな」と見えなくもない
です。特に盤龍山東堡塁が、そう見えます。
612日本@名無史さん:03/03/22 00:56
なるほど、重砲の配置を見ると確かに第三軍は旅順東北部に
攻撃の重心をおいていますね。
また、東北部が旅順の凸部をなしているかということも
こちらは公刊戦史を容易に閲覧できないので肯定もしませんが否定もしません。

しかし>>595にあるように堅固な要塞が存在するのも確か。
そして東北部の主要な堡塁群で12月以前に陥落しえたのは
盤龍山東西北の各堡塁と一戸堡塁ぐらいです。
重砲の展開に困難はありますが第三軍が第一次総攻撃において
西部方面に主攻していれば様相は変わっていたのでは?と考えます。

二百三高地あたりでも日本軍の損害はかなり出たであろうとは思いますが、
べトンで固められていない陣地においての攻防戦は
実際よりももっと早期にロシア軍に消耗戦を強いることが出来たのでは
ないでしょうか?





613日本@名無史さん:03/03/22 06:40
>>610
>ほぼ資料記述のままに書き込んだものです。
 
ww それで?その資料を読むときに疑問に思わなかったんでしょうね。
ある結論に導かれるようになっていることを・・ww
なぜその資料の中ではさも、東北正面が弱点のような書き方をされているか?
貴方が勘違いしているか?

6147th:03/03/22 12:42
 露軍の戦力を公刊戦記附図から類推すると、北部に主力を集め、西部に深
く、東部には極端に薄いという状況にあると思います。
 松樹山以東は主防御線に露軍25連隊が12個の中隊単位で各砲台を守り、海
兵などがこれを補っています。また、露軍7連隊、13連隊の一部が後方にあ
ります。
 8月21日から22日未明までの6旅及び歩19一部、第4後旅全力の強襲自体
は壊滅しますが、その直後に少数の兵の機転によって盤龍山東砲塁及び西砲塁
が陥落したのは、露軍の戦力配置が極めて少なかったことによります。
 さらに22日夜の偵察で支那囲郭に達したのも、囲郭にも稜線上にも露兵がわ
ずかしか配置されていなかったからで、24日の11師による望台攻撃に至って
います。このあたりから、露軍の再配置が進んだと考えれば11師が挫折したこ
とも辻褄があいます。
6157th:03/03/22 12:44
 第9師団の偉功にして無謀なる攻囲軍第一回強襲の名誉を維持し敵の逆襲
突出を防止したる奏効の大なる開城の後に至って知られたり、
 蓋し二十四日我が正攻法に変じたるの時の敵は五万以上の兵力を有し攻囲
軍は兵力一万に充たず砲弾既に尽きて攻囲線の薄き殆ど危険の境に在りしも
敵は東西盤龍山を奪還する能わざるを以て逆襲に転ずる能わざりしものの如
くなればなり
  第九師団征露記念戦闘日記付録第九師団戦歴

 第九師団は以上の記述で第一回旅順要塞総攻撃の成果を述べています

 一方西部は案子山から太陽溝までの主防御線に露軍26連隊、その西に27連
隊の一部、203高地方面に28連隊、5連隊、3連隊の一部、13連隊の一部、海
軍増援隊、その他特殊部隊があり、さらに旧市街方面に27連隊の主力が予備と
なり、非常に厚く、しかも第1後旅と1旅に大損害を与えながらもゆっくり後
退しています。
 そして、二龍山付近で主防御線にもかかっていますが、中央に14、15、16
連隊、その他特殊部隊と大兵力を有しています。ですから露軍が当初中央から
の大規模な反撃作戦を考えていたとしても不思議ではないと思うのですがどう
でしょうか。
616日本@名無史さん:03/03/22 17:59
>613
 だから何だといいたいのか? 他人にも分かるように明確にどうぞ。
617嶽原:03/03/22 19:43
>>613
 「改竄している」などといわれるのは、どのような根拠あってのことで
しょうか。当方書き込みを「改竄」と指摘した根拠の提示を願います。
618嶽原:03/03/22 20:46
>>612
 西部方面主攻案は、まず重砲配置に不便(場所がない、運搬が難しい)という事
と、後方連絡線が延びてしまうというのが、目立つ欠点として指摘されています。

 総攻撃に於いては重砲を使用する、というのが前提だったのかも知れません。
また、逆襲を受ける可能性を考慮すると、採用し難いと思います。

 「消耗戦を強いるという目的」ならば、西方面の前衛陣地で戦闘を行うのが適当
だと思います。しかし八月攻勢は「要塞の陥落という目的」で行われたわけで、
やはり八月の時点では西部方面の選択は有り得なかったのでは、と思います。
619嶽原:03/03/22 21:06
>>614-615(7th氏)
『>当初中央からの大規模な反撃作戦を考えていたとしても不思議ではないと思う』

 露軍の動静という視点で旅順戦を考えたことはこれまで無いので、興味深く
読ませて頂きました。
 大規模な反撃を行う目的での行動だったかどうか、という点では、果たして
そういう意図的な行動だったか、未だ疑問に思うところです。そういう証言が
露軍の将校によって行われていれば面白いのですが。
620日本@名無史さん:03/03/22 23:47
>>609
盤龍山東堡塁では占領した日本軍が機関銃を据え付けて、逆襲の露軍に
数百人の損害を与えた。
もし望台を占領したとしたらもっと大規模にこれが再現されただろう。
つまり日本軍としてはまともな戦闘としてこれしか望み得ない塹壕陣地
争奪戦に持ち込んで、露軍に出血を強いることができたと思われる。
621日本@名無史さん:03/03/23 01:22
>>618
第一次総攻撃で西部方面の選択は有り得ないと決め付けるのは
どうかと思われます。

重砲陣地は設置は困難でしょうが、不可能ではありません。
二百三高地攻略の際は、高崎山から203高地前面に重砲陣地の移動がなされました。
また、適切な観測所さえあれば、射程的には団山子あたりからでも
二百三高地付近の砲撃は可能です。(死角の問題はありますが)

あと「消耗戦を強いる」と書いたところは、日本軍が旅順を陥落させるには
東西どちらからでも両軍の消耗戦に持ち込まないと陥落は有り得ないと
考えたからです。
こちらは「消耗戦」は旅順陥落の必須の条件と考えているのですが
そちらは、>>618では完全に別のものと捉えています。
その辺注意願います。






622日本@名無史さん:03/03/23 01:39
>>620
>>611では盤龍山東堡塁は旅順要塞の凸部にあると言っています。
永久堡塁ではないことは>>597にあります。
盤龍山が落とせたのはこれらの要素が大きいでしょう。

二龍山や東鶏冠山を落とせない場合、望台への日本軍の攻撃隊
あるいは占領部隊がロシア軍に対して凸部になります。
これにたいして当時の機関銃を持ち込むのは困難だと思われますし
銃砲火で補給線を絶たれる可能性は高いと思います。
623日本@名無史さん:03/03/23 07:51
>>622
盤龍山東堡塁は防衛線の凸部にあるというよりも防衛線の上にある、という
印象が強い。防衛線じたいが盤龍山東堡塁のとことで大きく折れ曲がっている、
というだけだ。扇形の防衛線だからどこが凸部ということもできない。
そして重要なのは同時に西堡塁も取れているということだ。
東と西は数百メートル離れている。
だから東堡塁−西堡塁−望台の三角形は防衛線に打ち込まれた巨大な楔をなす。
そのなかに露軍の連絡壕が走っている。補給は困難ではなかったろう。
624日本@名無史さん:03/03/23 09:14
>>616-617 二龍山には永久陣地がさも無いような論ですな。

・東正面(東鶏巻山以東)の、敵の陣地・強度・火線
 :第一線奪取後もなお、敵の瞰制を蒙る
 :第一線奪取のために重層の火力を受ける
 ……よって主攻方面として不適。
・北正面(二龍山−椅子山)の、敵の陣地・強度・火線
 :旅順街道付近に堅固な前進陣地があり、かつ後方の諸砲台の応援を受ける
 :我が軍を庇護する地物が少ない
 :工事堅固かつその砲数もまた最も多数
 ……よって主攻方面として不適。
・西北正面(椅子山以西)の、敵の陣地・強度・火線
 :要塞本防御線に近接するまでに半永久築城を以て堅固に守備せる
  縦深ある地帯を攻略するを要する
 ……かつ重砲の展開に交通不便なため、主攻方面として不適。

 上記三正面に対して、
・東北正面(二龍山−東鶏巻山)の敵の陣地・強度・火線
 :一種の凸角を形成し、攻者の近接動作他方面に比して容易
 ……かつ多数の我が攻城砲の展開に適し、また有利な観測所を有する。

625日本@名無史さん:03/03/23 09:25
>>623 盤龍山東堡塁占領当時の日本軍は増援を送るのに
難儀しておりますが?
626嶽原:03/03/23 11:25
>>624
 また593の再掲ですね。593への返答の、>>595へどうぞ。

 再度お尋ねしますが、当方の書き込みを『捏造』とした根拠は何ですか。
これで三度目ですので、これで根拠を示すことが出来ないのならば、根拠なく
『捏造』なる誹謗中傷言を用いたものと見なします。
627嶽原:03/03/23 11:28
>>621
『>両軍の消耗戦に持ち込まないと陥落は有り得ないと考えた』
 私も、為し得れば、「消耗戦の後に陥落」という筋書きが妥当と考えます。
 東北正面でベトン壁に潜む敵を相手にするよりも、西方面で前進陣地の攻略
戦を行いつつ敵にも相応の出血を強要し、敵が弱体化した折りを見計らって満
を持して総攻撃……というように。
 しかし実際は迅速な陥落、いわば「一気に陥落」を命令されていたわけで、
そうなると東北面を撰ぶことになるな、と考えました。
628嶽原:03/03/23 11:31
>>621
『>重砲陣地は設置は困難でしょうが、不可能ではありません』

 当方も、困難と言っているだけで、不可能とは申しておりません。

 佐藤綱次郎氏(攻城砲兵司令部員)の著書に『西方正面の如き小起伏の多き地形
には、15珊臼砲の運用は比較的軽易である』『小起伏地を利用して、この種臼砲
(15珊臼砲・09珊臼砲)を躍進的に使用するのは最も有利』との記述があるので、
私も西方面への攻城砲展開は不可能、というわけではないと思っています。ただ、
この二種臼砲は『鋳鉄製であって、悪く言えば鍋鉄大砲(佐藤)』というものです。
ちょっと力不足は否めません。
 ある程度破壊力の見込める重砲陣地の展開が、西方面地域にて行えるようになる
のは、八月攻勢後に最前線が進み、更に九月攻勢によって占領範囲が拡がるまで待
たなければならないと思います。観測所の問題もありますし。
629日本@名無史さん:03/03/23 12:39
>>627
戦意を持った勢力がしかるべき城郭に立てこもった場合、
力攻めというのは案外労力ばかりかかって成果は少ないものです。
(大戦末期の日米戦みたいに隔絶した戦力差があるのならともかく)
西南戦争の熊本城攻防戦や、大阪冬の陣を考えてもらえれば分かると思います。
力攻めするならするで、段階を踏んでやらなければ成功は難しいです。

また、東北面において、各堡塁を落しえたとしても、北斗山あたりからの
砲撃の中、望台や教場溝付近の陣地を攻め落とさなくてはなりません。
一瀉千里とはいかなかったと思います。
そして現実には東北部方面の攻撃が成功したのは12月に入ってからです。


630日本@名無史さん:03/03/23 13:01
>>628
第1師団が第一次総攻撃の際に使用できた砲兵力は、
おそらく師団直属のものだけでしょう。
ならば、7.5cmの野砲だか山砲だかぐらい。
それならば、たとえ15珊臼砲・09珊臼砲といえども大きな戦力だと思います。

そして、二百三高地近辺の陣地は永久要塞ではありません。
たとえ臼砲でもそれなりの効果をあげえた筈です。
631嶽原:03/03/23 13:10
>>629
 そうですね。
 当時の日本軍の準備・装備・兵力では、早期陥落の望みは無かったと思います。
であるのに早期陥落を要請されたという所が、旅順の悲劇だと思います。
632日本@名無史さん:03/03/23 13:13
>>626 捏造なんて誰もしてないよ。

>>616-617 二龍山には永久陣地がさも無いようなこの意見のすぐ後に
強固な要塞があるなんていわれても、この意見を出した意味が解らなくてね。
なぜ?こんなややこしい出し方をしたの?もともとの資料は何?

・東正面(東鶏巻山以東)の、敵の陣地・強度・火線
 :第一線奪取後もなお、敵の瞰制を蒙る
 :第一線奪取のために重層の火力を受ける
 ……よって主攻方面として不適。
・北正面(二龍山−椅子山)の、敵の陣地・強度・火線
 :旅順街道付近に堅固な前進陣地があり、かつ後方の諸砲台の応援を受ける
 :我が軍を庇護する地物が少ない
 :工事堅固かつその砲数もまた最も多数
 ……よって主攻方面として不適。
・西北正面(椅子山以西)の、敵の陣地・強度・火線
 :要塞本防御線に近接するまでに半永久築城を以て堅固に守備せる
  縦深ある地帯を攻略するを要する
 ……かつ重砲の展開に交通不便なため、主攻方面として不適。

 上記三正面に対して、
・東北正面(二龍山−東鶏巻山)の敵の陣地・強度・火線
 :一種の凸角を形成し、攻者の近接動作他方面に比して容易
 ……かつ多数の我が攻城砲の展開に適し、また有利な観測所を有する。

633日本@名無史さん:03/03/23 13:14
>>631 早期陥落が出来ると考えていた前線司令部はどこかな?9月でも
10月には陥落すると考えてましたが?

634嶽原:03/03/23 13:31
 準備不足についての一例です。
 弾薬補充については、内地で攻城計画を立てた時にこういうやり取りがあった
そうです。
『先ず砲一門の携帯弾薬を幾らとするかの問題を考えてみた。独逸の攻城輜重が砲
一門一千発宛の携行弾薬を有するので……その八割即ち800発もあれば十分であろう
と考え、その半数即ち一門400発宛を攻城砲廠が携行し、半数を野戦兵器廠で携行し
たらよかろうと考え、陸軍省へ要求した。
 ところが陸軍省の当局者は非常に驚いて、そんなに沢山の弾薬が果たして要るか
と疑い、吾輩(佐藤攻城砲兵部員)の攻城計画案は一体に全てがあまりに大げさ過
ぎるとの非難の声甚だしかった……
 ……結局15珊米臼砲の弾丸は在庫品が少ないからという理由で二門に300発宛、
その他の各砲種は要求通り400発宛差し当たり交付することとし、残余の弾薬は攻城
着手の時期までに必ず大連まで追送するとの誓約を吾輩に与えた。
 しかるに攻城砲兵の展開を終らんとするに際しても、少しも追送して来ない。
以下に催促しても平気なものであった。攻城砲兵の展開を終わってもまだ到着しな
い。とうとう追送弾薬の来ないのに第一回総攻撃に着手する事となった。
 第一回総攻撃は非常に散々な目にあったが、しかし今一押し頑強に攻撃したら或
いは性交したかも知れなかったのに、何分にも弾薬が尽きんとしたので攻撃を中止
すべく余儀なくされた。しかもなかなか容易に追送し来るべき模様もなかった。
 ……とにかく陸軍省当局はただ安請け合いの気休めを言っただけで、追送の準備
は少しもしていなかったらしい……』
635日本@名無史さん:03/03/23 13:34
>>634 準備不足じゃなくて、満州軍全軍でいえる慢性的弾薬の不足なのだが・
636嶽原:03/03/23 13:40
>>632『>捏造なんて誰もしてないよ』
 『捏造』という指摘ではなかったですね。『改竄している』という指摘でした。
 当方の書き込みを名指しで『改竄』と指摘する方が居られましたので、その根拠
を、その方に、お尋ねしているのです。
 もしも根拠の無い書き込みならば、この「嶽原は資料を改竄している、という指
摘(>>603)」こそが、問題のある誹謗中傷となります。
『603 :日本@名無史さん :03/03/21 07:46
貴方の論は敢えて乃木名将論の為に資料の読み方を改竄しているとしか思えません』
637嶽原:03/03/23 13:46
>>635
 陸軍省が追送の宣誓をしたからこそ、それを想定して計画を立てると
いうものでしょう。
 無理ならば、出来ないと言うべきだったと思います。それならば早期
陥落せよ、などという無理押しも控えられたかも知れません。
638嶽原:03/03/23 13:52
>>632『>もともとの資料は何? 』
 貴方が、03日早朝に『嶽原は資料を改竄している』と書き込んだ本人
なのですか?
639日本@名無史さん:03/03/23 13:56
>>634
誤字にいちいち突っ込むのはあれだけど「性交」はないだろうw
食ってたモン吹いちまったぞ!
640嶽原:03/03/23 13:57
>>634の佐藤氏の記述紹介、あまりに情けない誤字があったので訂正。
『しかるに攻城砲兵の展開を終らんとするに際しても、少しも追送して来ない。
以下に催促しても平気なものであった』
 「以下に」→「如何に」
『第一回総攻撃は非常に散々な目にあったが、しかし今一押し頑強に攻撃したら或
いは性交したかも知れなかったのに、』
 「性交」→「成功」
641嶽原:03/03/23 13:58
>>639
 ああっ、ごめんなさい!
642日本@名無史さん:03/03/23 14:22
>>638 それでもともとの資料はなんなんですか?
643日本@名無史さん:03/03/23 14:25
今ふと思ったけど
>>241>>591って
他正面においては敵の陣地について述べていることが多いけど
東北正面については敵については凸部ぐらいしか述べていないが、
これは引用の問題か?それとも偵察側がロシアの築城法に
まんまと引っかかったのか?
644嶽原:03/03/23 14:43
>>642
 こちらが提示した資料の出典を疑問に思われるのならば、「改竄」などと
言う前に、まず初めに「その資料は何か」と尋ねるべきでしたね。
645日本@名無史さん:03/03/23 14:51
>>643 
読み方を斜め読みしている嶽原氏に何を言ってもむださ。
646嶽原:03/03/23 14:55
>>643
 攻城砲の配備、観測所の有無、近接動作の容易さ、などを言っていますから、
「攻撃側の利点」に主眼を置いているのでしょう。

『>偵察側がロシアの築城法に引っかかったのか?』
 東北正面の主防御線が凸角であり近接容易なのは、意図的なものだという事でし
ょうか。天然の山嶺が、単にそこで折れているだけでは?
647日本@名無史さん:03/03/23 14:55
>>625
いったん確保したあとは苦労していない。
望台攻撃の前には攻撃要員が東西両堡塁にあふれた。
前に言った機関銃のほかに山砲まで持ち込んだ。
望台攻撃失敗のあとは人員を交替しながら日常的に
維持した。
648日本@名無史さん:03/03/23 15:02
>>646 それで引用元の資料は?
649嶽原:03/03/23 15:38
>>648
 疑問に思ったならば、まず初めに「その資料は何か」と尋ねるべきでしたね。
そういうのは、モラルというか、常識だと思います。
 そういう事を経ずに、いきなり根拠無く「改竄している」などと誹謗中傷言
を書き込む03月早朝の名無し書き込み氏には、心底から呆れます。

 引用元資料は「日露戦争に於ける旅順要塞の攻防(防衛研究所図書館蔵)」。
650嶽原:03/03/23 15:57
>>630
『>第1師団が第一次総攻撃の際に使用できた砲兵力は、おそらく師団直属の
  ものだけでしょう……7.5cmの野砲だか山砲だかぐらい……』

 碾盤溝に展開し終えていた野戦重砲兵連隊第一連隊(12cm榴弾砲12門)は、
第一師団に含まれています。

『軍命令(18日0800)
 …
 三、第一師団(……砲兵第17連隊、野戦重砲兵連隊第一大隊を付す)は本夜
   その左翼を以て……
 …』
651嶽原:03/03/23 16:00
>>630
『>二百三高地近辺の陣地は永久要塞ではありません。
     たとえ臼砲でもそれなりの効果をあげえた筈』

 前述佐藤氏が、著作「旅順攻囲秘話」で西方面の攻撃について述べている箇所が
あります。09月19日の情況を述べているのですが、この中で二○三高地の防御程度
にも触れています。これによると、この時期既に二○三高地の防御は強力です。

『第一師団に属した砲兵は、砲兵第17連隊および野戦重砲兵連隊第一大隊(12珊米
榴弾砲12門)の他に、新たに09珊米臼砲12門と12斤海軍砲05門を配属されたのを、
兵頭大佐が指揮……午後二時射撃を開始、主力を以て二○三高地を、その他を以て
南山坡山をば射撃した。……突撃に移ってみると、敵の掩蔽部は依然として現存し、
それから出て火線に就き全滅的射撃を浴びせ掛けるので、悉く死傷してしまった。
 よく偵察してみると、敵の陣地の掩蔽部は厚板と鉄板から成っており、銃眼は堅
固にして砲兵の火力ではとても破壊し得ないという事が知れた。』

 上記のような重砲を使った攻撃でこれですから、鍋鉄臼砲だったら、ちょっと心
許なかったと思います。
652日本@名無史さん:03/03/23 16:07
>>643 いずれにせよ得られる結論はひとつ。

日本側の偵察の不徹底。
653日本@名無史さん:03/03/23 16:29
二龍山には永久陣地がさも無いような論ですな。ww
このような杜撰な観測では第一次総攻撃で死んだ人間は浮かばれない。
貴方の論は敢えて乃木名将論の為に資料の読み方を改竄しているとしか
思えませんね。(>>241でも同じ意見が出てきてます)
 普通なら読んだときに?これはおかしいな?と思わないといけない
箇所ですよ。

「コノ正面は、全正面中にオイテ比較的最モ堅固ナルモノナラン」
なのですが?そしてさも永久陣地がないような論を展開しているのは
なぜ?

 
654嶽原:03/03/23 16:36
『第三軍が攻囲線占領後、吾輩(佐藤攻城砲兵部員)どもも、必死となって
最良の望遠鏡を以て各方面から偵察したが、その構築頗る巧みて、地形を
極めて良く利用し、目標とならぬよう最新の注意を以て設備してあるので、
我々の偵察に拠っても、たとい堅固に築設してあるものとしても前進陣地の
攻撃中遭遇したるが如き野戦築城中最堅固なりとせしもの以上とは考えられ
なかった(旅順攻囲秘話)』

 偵察は行ったが、要塞の堅固さは判明し得なかったということでしょう。
655日本@名無史さん:03/03/23 16:38
最良の望遠鏡を以って?ってとこで疑問に感じないアータはアホ・・。

656日本@名無史さん:03/03/23 17:03
>>650-651
砲兵の配備についてはこちらのミスですね。失礼しました。
ただ重砲部隊の配備は可能だったということも示していると思うのですが。
15センチ砲あたりを配備できれば多少は結果が違わないかと。
657日本@名無史さん:03/03/23 17:10
>>623>>646
違う人だろうから意見が違うのは当然だけど東北部の地形についてはどちらの
見解をとったものか。
658嶽原:03/03/23 17:39
>>656
『> 重砲部隊の配備は可能だったということも示している』
 当方も、不可能ではなかったと思います。しかし、鉄道沿いから離れた場所
ですから、かなり困難だったでしょう。

『>15センチ砲あたりを配備できれば多少は結果が違わないかと』
 佐藤氏も『もし、掩蓋を厚板で構造しその上に鉄道のレールを並べ、更にそ
の上に土を積んだならば、15珊米以上の榴弾で、しかも多量の爆弾をもってい
るものを打ち込まなければ、破壊し得ない』と述べています。09月19日の段階
で、二○三高地の陣地は、既にこの程度に強化されていたようです。

 佐藤氏も著書中で強調しているのですが、『現代に於いて攻城を行うには、
是非とも鉄道を利用しなければならない……』とのことで、重砲陣地の展開
を考慮すると、やはり東北面になるのかな、と思う次第です。
659日本@名無史さん:03/03/23 18:00
>645
> 読み方を斜め読みしている嶽原氏に何を言ってもむださ。
     ↑
   何これ? 呂律が回ってないですよ。
660日本@名無史さん:03/03/23 18:17
>>658
26トンもの重量の28センチ砲を高崎山近辺に配備できたわけですし、
2トンの重さの15センチ榴弾砲ぐらいなら配備は可能かと。
(運ぶ側はしゃれにならん位大変でしょうがね)

あと、『現代に於いて攻城を行うには、
是非とも鉄道を利用しなければならない……』
という佐藤氏の意見はどうも
固定観念っぽくていただけない気がします。

661日本@名無史さん:03/03/23 18:17
>652
> 日本側の偵察の不徹底。
 その時点において、具体的などの範囲まで可能だったのかを確
 認しようともせず、一つ覚えのように「偵察 偵察」とくりかえす。
 それが、いわゆる「愚将 乃木希典像」そのものですが、何のこ
 とはない、まさにその論者の硬直した思考の中身が、そのまま鏡
 に映しだされているだけのこと。
 何度も上塗りすることはないと思いますが、上塗りしながら自覚
 がない辺りが、硬直思考の硬直思考たるゆえん、といったところ
 でしょうか。興味深い観察対象と申せましょう。
662日本@名無史さん:03/03/23 18:31
>>661 
 その時点において、具体的などの範囲まで可能だったのかを確
 認しようともせず、一つ覚えのように「準備不足 準備不足」とくりかえす。
 それが、いわゆる「名将 乃木希典像」そのものですが、何のこ
 とはない、まさにその論者の硬直した思考の中身が、そのまま鏡
 に映しだされているだけのこと。
 何度も上塗りすることはないと思いますが、上塗りしながら自覚
 がない辺りが、硬直思考の硬直思考たるゆえん、といったところ
 でしょうか。興味深い観察対象と申せましょう
663日本@名無史さん:03/03/23 18:33
>>661
しかし>>651の佐藤の文章を見ていると
『よく偵察してみると・・・』
「はじめからせい!」という突っ込みを入れたくなるが。
まあその時の事情もあるんだろうけど。
664日本@名無史さん:03/03/23 18:55
>662
 2チャンネル名物、「焼き直し」ですか。けっこうけっこう。
 そうやって、文章の練習をしてください。
665日本@名無史さん:03/03/23 19:02
>663
> まあその時の事情もあるんだろうけど。
 その「事情」というのが、何トンもある鉄のかたまりみたようなものを、
 ほとんど全く人力だけで、泥濘の未舗装路を何キロも引っ張って進
 むくらいに、ズシッと重たいと。
666日本@名無史さん:03/03/23 19:13
>>664 2チャンネル? 2ちゃんじゃいの?
667日本@名無史さん:03/03/23 19:15
>>665
 >その「事情」というのが、何トンもある鉄のかたまりみたようなものを、
 >ほとんど全く人力だけで、泥濘の未舗装路を何キロも引っ張って進
 >むくらいに、ズシッと重たいと。

 偵察の話をしているのですが、偵察を行なうのに何トンもの鉄の
塊を泥濘の未舗装路を何キロも進む必要があるのですか?
 具体例を出していただけませんか?
668日本@名無史さん:03/03/23 19:16
>666
> 2ちゃんじゃいの?
 そうじゃいよ。
669日本@名無史さん:03/03/23 19:18
 >>661
 その時点において、具体的などの範囲まで可能だったのかを論証
 しようともせず、一つ覚えのように「愚将乃木論者 愚将乃木論者」
 とくりかえす。
 それが、いわゆる「バカ」そのものですが、何のことはない、
 まさにその論者の硬直した思考の中身が、そのまま鏡に映しだされているだけのこと。
670日本@名無史さん:03/03/23 19:53
>669
 切れのない切り返しもどきでスペースの無駄遣いをしないでくれる?

 うぅむ 我ながらつきあいが良いことだなあ(詠嘆)
671日本@名無史さん:03/03/23 19:55
>>670 667の方ですか?

偵察の話をしているのですが、偵察を行なうのに何トンもの鉄の
塊を泥濘の未舗装路を何キロも進む必要があるのですか?
具体例を出していただけませんか?
672671:03/03/23 19:56
667ではなく、665ですね。
673日本@名無史さん:03/03/23 20:25
>667
 おっと、ちょっと意味が通りにくかったようで。

 >>663に、「その時の事情」とあるものの正体が、実は容
 易ならぬものだったはずである、という、単なる例示の意
 図です。

 偵察が充分に出来なかった「事情」というのも、おそらく、
 全く単純な任務懈怠の類いではなくて、「重砲を最初から
 適切な位置に移動させておくことができなかった事情」と
 同じように、容易ならぬ困難があったからではないか、
 というくらいの意味です。
674日本@名無史さん:03/03/23 21:14
>>673
「事情」があるならあるで、それが何か考察できなければいけないと思う。
675嶽原:03/03/23 21:48
>>660
『>佐藤氏の意見はどうも固定観念っぽくていただけない気がします』

 かなり具体的に記されていましたよ。
一、「砲自体の運搬」よりも「弾薬の運搬」の方がむしろ問題である(『……
  攻城を行うには、是非鉄道を利用しなければならない……こういうと、直
  ぐに攻城砲という重い火砲を使用するからだと早合点をするであろうが、
  火砲の運搬に要する貨車数は知れたもので、攻城材料の八・九割は弾薬が
  之を占めているのである……』)事
 から始まって、
二、鉄道提理部との交渉の結果、旅順攻囲軍に提供できる輸送力は一日600トン
  程度だった(北方展開する第二軍の都合もあるので)事
三、長嶺子の卸下停車場の設備・人員・整頓の事
四、攻城砲兵廠の設備の事
五、軽便鉄道敷設の事(輜重車輌を使用しては驚くべき莫大の車輌数を要する)
六、砲台築設の事(土嚢用袋、掩蔽所用材木、砲床材などに要する材料は驚く
  べき莫大ものとなる、また)『チョット考えると何でもないようだが、仮
  に一門二百発の弾薬を詰め込むものとしても、一中隊即ち六門分では千二
  百発となる、それが大きな箱に入っているので、素人には想像し得ない程
  大きな容積となるのである』
七、観測所・電話線の築設の事

 これら(かなり端折りました)説明の上で、更に『要するに攻城砲兵の展開
とは、第一に鉄道の輸送力を基礎とし……』と改めて強調しています。

 やはり鉄道利用は、大いに考慮すべき点ではないか、と思われます。
676日本@名無史さん:03/03/23 23:19
>674
 心頭を滅却して、心眼で偵察するか何かですか?
 偵察は必ずしも山水を用いず とか?
677日本@名無史さん:03/03/24 06:11
>>676 考察してないじゃん。偵察できない理由になってない。
678日本@名無史さん:03/03/24 20:45
>>675
輸送や兵站が重要だという意味での「攻城時の鉄道重視」なら
前言は取り消します。

>>658では「鉄道のないところでは攻城は行えない」ということ
を言っているように思えて
(自動車や航空機の無い時代ある意味それは正しいのでしょうが)
鉄道からちょっとでも外れれば作戦行動が不能になってしまう
という意味に取れたわけです。
679日本@名無史さん:03/03/24 21:54
>677
 レベルを合わせてあげているだけです。

 あ いいですよ 御礼なんて。
680日本@名無史さん:03/03/24 22:00
>678
> 鉄道からちょっとでも外れれば作戦行動が不能になってしまう
> という意味に取れたわけです。
 それに近い事実は存在したのではないでしょうか?
 今の時代でも、人力だけでトン単位の石とかを移動させ
 るのは、容易なことではないですから、少なくとも「手配書
 通りに自在に配備できるのが当たり前」と考えるのが誤り
 であることは動かないですね。
 時間さえ掛ければ、不可能ではないとしても。
681嶽原:03/03/24 22:41
>>678
『>658では「鉄道のないところでは攻城は行えない」ということを言ってい
 るように思えて……鉄道からちょっとでも外れれば作戦行動が不能になって
 しまうという意味に取れたわけです』

 実際に野戦重砲兵連隊第一連隊(12cm榴弾砲12門)は碾盤溝に展開してい
るわけですから、私も「不可能」とは思いません。
 しかし、西方面へ攻城砲を配置するのは多大の労力を要する作業であったの
だろう、とは思います。西方面主攻案を採用し難いとする理由の一つとして。
682日本@名無史さん:03/03/24 23:20
嶽原は人格分裂症か・・よくわかるな・・
683日本@名無史さん:03/03/24 23:23
ロシア側としては日本軍が線路沿いに攻撃することは安易に
予想できますから、東正面の防御力を重点的に整備するのは
当然ですね。
でも日本軍は東正面を攻めました。敵を舐めていたと考える
べできすが・・
684嶽原:03/03/24 23:42
>>683
 コンドラチェンコ少将は、西方面から来ることを想定していました。どっち
を選択しても、露軍は準備しています。
 敵を舐めて東北正面を選択したわけではなく、攻城砲兵の展開に有利、砲撃
の為の観測所設置に有利、主防御線への近接に有利、などの理由を以て選択し
たわけです。
685木鼠:03/03/24 23:56
長州閥の乃木は愚将で参謀本部を前線から3キロも後方に敷陣しました。
これでは要塞攻略はできません。戦況が時々刻々と変わるのに
命令が前線に伝わるまでに大量の将兵が死にました。

砲自体の運搬より弾薬の運搬が困難で危険なのは当り前の事。
当然、時間さえ掛ければ配備可能。
686日本@名無史さん:03/03/24 23:58
>>680
「不可能」ではないことは下で嶽原氏も認めていると思います。
問題は重砲隊の主力が展開可能かということだと思います。
687日本@名無史さん:03/03/25 00:09
>>681
第三軍が東北部正面にこだわり続けたのは、
攻城砲転換の困難さもあるでしょう。
しかし攻撃当初においては極端な話
あと一ヶ月攻撃を遅らせるつもりでかかれば
重砲部隊を碾盤溝方面に集中させられないかと思うのですが。
688嶽原:03/03/25 01:56
>>687『>攻撃当初においては極端な話あと一ヶ月攻撃を遅らせるつもりでか
    かれば重砲部隊を碾盤溝方面に集中させられないかと思うのですが』

 そうゆっくりとはしていられなかったと思います。
 満州軍総参謀長が第三軍参謀長に「遅くとも08月21日までに要塞攻撃のため
の砲撃を開始するように」と要望したのは07月18日でした。
 参謀総長が第三軍司令官に「旅順攻落のためには頗る拙速を尚ぶのやむを得
ざる事情に立ち至り候」という手紙を出したのは07月26日。
 またほぼ同時期に満州軍総司令部から「旅順の攻略一日も速やかならんこと
を希望す」という電報も届きます。

 「一ヶ月攻撃を遅らせるつもりでかかれば碾盤溝方面に銃砲部隊を集中させ
られないか」との事ですが、「技術的に可能かどうか」という話でしたら、可
能だと思います。
 しかし、当時の状況を考えると、「一ヶ月攻撃を遅らせるつもりでかかる」
ということが出来ない、と思います。
689日本@名無史さん:03/03/25 07:12
>引用元資料は「日露戦争に於ける旅順要塞の攻防(防衛研究所図書館蔵)」
これは何時の時代の資料ですか?著者はだれですか?
東、東北正面の強度を抜いた書き方からして第3軍関係者っぽいけど。


690日本@名無史さん:03/03/25 07:21
>>688 
>当時の状況を考えると、「一ヶ月攻撃を遅らせるつもりでかかる」
>ということが出来ない、と思います。
 

違うね。

少なくとも7/18には満州軍司令部の意向は8/21に攻撃開始を希望
(もっとも8/20に攻撃を開始しろという意見もあったが)
7/26に第3軍より意見を出して、その同時期に
「旅順の攻略一日も速やかならんことを希望す」電報が届いたのでしょ?

つまり日付を確定されていたのが、その確定日付を撤回する譲歩を引き出す
ことに成功しております。前哨戦において予定損害に達しようとしており、
敵機関銃の拠点防御という金州での経験を考慮することなく、敵要塞の強度を
鑑みる事無く予定通り、攻撃を行なうのは舐めていたか、バカかどっちかです。


計画は必要だが、戦争というのは相手に合わせて行なうことであって、
状況にあわせて行なうものではない。これは、乃木の最も愚かな点として
よく書かれてますね。
691日本@名無史さん:03/03/25 07:29
>>684 コンドラチェンコは西北正面を旅順要塞の弱点と
考えてもいましたが?
692日本@名無史さん:03/03/25 18:24
>686
> 「不可能」ではないことは下で嶽原氏も認めていると思います。
 ??? >680でも、「不可能」などとは一言も書いていませ
 ん。

> 問題は重砲隊の主力が展開可能かということだと思います。
 その「可能性…というか、その時点における現実性の度合
 い」が問題、ということでしょう。
 それと関連して、舗装のないところで、2トンとかの重量物
 を、ほとんど人力だけ運搬するのは、それだけ取っても容
 易なことではなかったはずで、可能であっても時間…とい
 うか期間がかかりすぎて現実的でなかった可能性がある、
 という点を指摘しているだけです。

 というか、あくまで仮定の話ですが、もし、2トンとかの重量
 物を、現代日本のような調子で、短時間のうちに、任意の
 場所まで易々と移動させることが出来ることを前提とするか
 の如き所論が存在するとしたら、それは、当時の現地の事
 情に何らの配慮もなす事がない、机上の空論の疑いが濃
 い、と。

 まあ、大砲の類いを、あたかも将棋の駒のように自在に動
 かせるものだと思いこむような粗雑きわまりない人間は、
 もしいたとしても、とっくにどっか消え失せているとは思いま
 すが、忘れた頃にしゃしゃり出てくると、白けるので、念を
 入れてゴミ掃除していると それだけのことです。
693日本@名無史さん:03/03/25 18:40
>690
> 計画は必要だが、戦争というのは相手に合わせて行なうことであって、
> 状況にあわせて行なうものではない。これは、乃木の最も愚かな点として
> よく書かれてますね。
??? 奇妙な論議ですね? 敵の装備などに合わせて
 対応すべきなのは当然ですが、味方が置かれている状況
 とか、もしくは、より狭い意味で、天候の推移とかの「状況」
 も、合わせない=無視する=ことなど出来るはずがないで
 すが? 

 そちらの認識としては、「相手に合わせる」というのと「状況
 に合わせる」というので、一体、どう違うんですか?

 また、バルチック艦隊の回航という、結果として当初の予
 想よりも大幅に遅延したものの、その時点では切迫してい
 ると見られていた状況などは、「無視するのが当然の些
 末の事柄」ということですか?
694日本@名無史さん:03/03/25 20:05
>>688
第三軍の攻撃を急ぐ理由としては
1、バルチック艦隊来航以前に旅順艦隊を叩く
2、満州軍の決戦に参加する
が主な理由でしょう。
1でも二百三高地か望台の確保、2だと旅順ロシア軍の無力化が前提になってくると
思います。

旅順攻略が急がなければならなかった、急がされたのは事実ですが、
本当に急がなければならないのは旅順の攻略であって、攻撃の開始日時
ではない筈です。

695日本@名無史さん:03/03/25 20:36
>>692
それは失礼いたしました。ゴミ掃除ご苦労様ですw
では、あなたは現実的に考えて、重砲群を西部戦線に展開させるのには
どれぐらいの期間がかかるとお考えですか?

机上の空論で戯れるゴミを掃除するのが仕事であって、
そんなことには答える必要がない、とのおおせがありそうですね。
696嶽原:03/03/25 23:33
>>694
『>第三軍の攻撃を急ぐ理由としては 1、バルチック艦隊来航以前に旅順
  艦隊を叩く 2、満州軍の決戦に参加する が主な理由でしょう。』
 第三軍が攻撃を急いだ理由は「全般作戦上、速やかな攻略が望まれた」から
でした。
 攻略開始当初に、「旅順艦隊を叩く」ということを指示されたことはないと
思います。「要塞の攻略」がすなわち「旅順艦隊の消滅」を意味していたので
しょう。

『>旅順攻略が急がなければならなかった、急がされたのは事実ですが、本当
  に急がなければならないのは旅順の攻略であって、攻撃の開始日時ではな
  い筈です』
 早期の攻略を行うために、早期の攻略開始となったのでしょう。
 児玉満州軍総参謀長は、『そうごゆっくりじゃあ、また敵が防御工事を堅固
にして、容易には取れないようになるぜ。……さあ今日から始めて、横に暦日
を書きたまえ。前進陣地は幾日で取れる?取ったらどうする?息をつかずに攻
囲線を取ってしまわなくば駄目だ。そういう要領で、攻城日程をすぐ作って出
したまえ、ぐずぐずしちょっては戦には勝てないぜ』と言って「早期の攻撃開
始」を促したようです。
697日本@名無史さん:03/03/26 01:17
>694
 基本的な状況は、ほぼ、おっしゃるとおりだろうと思います。
> 1、バルチック艦隊来航以前に旅順艦隊を叩く
> 2、満州軍の決戦に参加する
 2が主眼目で、その予備的行為として、「旅順ロシア軍の無力化
 =陸の封鎖(ですよね?)」が以前から企図されていたところ、
「陸軍ではない海軍の1の目的」のための補助的な行為として、
 旅順の封鎖から一歩進んだ攻略が行われざるをえなかった…
 その一歩が巨大だった…というような認識でいかがでしょうか?

> 本当に急がなければならないのは旅順の攻略であって、攻撃の開始日時
> ではない筈です。
 う〜ん、それは、考え方としては、「あり」だろうとは思いますが、
 それならば、史実よりも何日遅延させれば、具体的などういう
 根拠に基づいて、どういう違いが生じたことが必然と考えられる
 のか? が問題になりますね?
 その辺り、具体的にいかがでしょうか?
698日本@名無史さん:03/03/26 01:33
>695
> では、あなたは現実的に考えて、重砲群を西部戦線に展開させるのには
> どれぐらいの期間がかかるとお考えですか?
 分かりません。
 ただし、28センチ砲は、専門の部員が伴同したにせよ、現地到
 着からの正味では、何週間もかからずに準備完了したらしいで
 すが、それは、鉄道から遠く離れているとはいえない位置への
 移動の話のようなので、条件が違うと思われます。
 その点、具体的にいかがでしょうか>どなたか
699日本@名無史さん:03/03/26 01:39
アリヨール
700嶽原:03/03/26 03:05
 佐藤氏は『要するに攻城砲兵の展開とは、第一に鉄道の輸送力を基礎とし、
各日における攻城材料の到着を予定し、昼夜に渡り前に掲げたような(>>675
参照)各種の作業の着手と完成と互いに要する人馬材料とを、一目瞭然看取し
得るよう、攻城砲兵展開計画案なるものを策定し、これに拠って各作業の実施
を命令し監督したのである』と述べています。
 東北面を主攻面と決定したのち、「(東北面主攻のための)攻城砲兵展開計
画案」が作成され、それに従って重砲群が東北戦線に展開されたわけで、西方
戦線に重砲群を展開させるためには、まず「(西方面主攻のための)攻城砲兵
展開計画案」が作成される必要があると思います。

『>重砲群を西部戦線に展開させるのにはどれぐらいの期間がかかる』

 机上プラン(計画案)からの練り直しになるでしょうから、想像も付かない、
としか言えません。
701日本@名無史さん:03/03/26 13:32
>>675 限られた輸送力しかなく、上の述べる目標が達成できないのは
わかっているのに、やってしまうのは馬鹿としかいいようがありません。

ブッシュが48時間で戦争を終わらせるといっても現地司令官は
3週間以上見ているのがわかってないらしい。
702日本@名無史さん:03/03/26 13:33
>机上プラン(計画案)からの練り直しになるでしょうから、想像も付かない、
>としか言えません。

9中旬から攻撃を開始してますが?先を読めない上司に同調する
ことはない。
703日本@名無史さん:03/03/26 20:49
>>696
児玉発言は基本的に旅順攻囲開始時のものと思われますが。
できればソースをお願いします。
704嶽原:03/03/27 06:04
>>703
 「血風二百三高地(船坂弘)」です。
 児玉発言は、07月18日に伊地知参謀長に直接語られたものとされています。
705日本@名無史さん:03/03/27 11:08
孫引きか
706嶽原:03/03/29 00:15
>>701『>ブッシュが48時間で戦争を終わらせるといっても』
 そんなこといってますか?
 17日午後に、攻撃開始までの猶予を48時間と言っていた事を誤解されている
のではありませんか。
707嶽原:03/03/29 00:34
>>702『>9中旬から攻撃を開始してますが?』

 09月中旬の前進陣地攻略のための攻撃の時までに西方に移動し得たのは、
ごく一部の重砲部隊だけです。それも、08月攻勢で攻略した地域へ進めた
のみです。大多数の重砲部隊は08月攻勢時の位置に留まっています。
 要するに、09月攻勢時の重砲配置は依然東北面に集中したままです。

 一部の部隊を前進させるだけでしたら、「(西方面主攻のための)攻城砲兵
展開計画案」など大げさなものも不要かも知れません。しかし逆に言えばそれ
が精一杯、といったところでしょう。
708嶽原:03/03/29 02:20
>>707の『西方面へと陣地を移動し得たのはごく一部の重砲部隊だけ』について

 「徒歩砲兵第一独立大隊(09糎臼砲12門)」が東北面の陣地(団山子辺り)
から北大王山辺りへと移動しています。

 この大移動が目立つだけで、他の野戦重砲兵連隊・徒歩砲兵第一〜第三連隊
の陣地は、ほとんど動いていません。一部が一キロ程前進している程度です。
709日本@名無史さん:03/03/29 07:34
>>707 11/26ではほんの数時間で主攻方面は変更してますよ。
710日本@名無史さん:03/03/29 07:41
>>706 世論は短期間で完勝することを願ってますし、ブッシュもそう論説しています。
世論の動向を相手に求めるのはまずい方ですがな。
711日本@名無史さん:03/03/29 14:26
>709
 28センチって射程何キロでしたっけ?

>710
 で、ブッシュ大統領に「48時間で戦争を終わらせる」という発言が存
 在したわけですか?
 もし存在しないなら、「>701には架空の虚偽情報が書いてある」こと
 になりますし、その後も訂正がないですから、文責が明示されないの
 を奇貨として、ありもしない嘘っぱちを書く、虚言癖の輩がウロチョロ
 しているということになります。

 
712日本@名無史さん:03/03/29 15:54
虚言癖の輩というのは>>704 のような船坂弘のフィクションなどがそうだな。
713日本@名無史さん:03/03/29 18:23
>712
 「事実無根である」と確認したわけですか? どうやって確認したのかな?
 ん? その辺、どうですか?
714嶽原:03/03/29 20:33
>>712『船坂弘のフィクション』

 船坂氏の著書は、「旅順攻囲秘話(佐藤)」という、当時旅順攻囲軍で攻城砲兵
司令部員であった人物の著述内容を元にしています。「そうごゆっくりじゃあ」
という児玉の発言は、「旅順攻囲秘話」にても確認済みです。
715嶽原:03/03/29 20:45
>>710
 確認ですが、『>ブッシュが48時間で戦争を終わらせるといっても(>>701)』
ブッシュがこのような事を言ったという事実は無い、という事で宜しいですね。
716嶽原:03/03/29 21:09
>>709
 695氏が提示された論点は、『重砲群を西部戦線に展開させるのにはどれぐら
いの期間がかかるか』という事でした。

 それに対し、当方嶽原が「机上プランからのやり直しになるだろうから、想
像もつかない」と応えたところ、702氏が「9中旬(ママ)から攻撃を開始」と言わ
れているので、その時には西方面への重砲移動はほとんど行われていない、と
述べたまでです。
717日本@名無史さん:03/03/30 10:18
>>713 事実であると確認できるのか? だれそれの日記を下に
書かれたとかは全くないぞ?
718日本@名無史さん:03/03/30 10:25
>>716 当たり前だ。君は前哨陣地に重砲を使うのか?
それとも?それまでの前哨戦で重砲を展開しつつ攻撃してきたのか?                              
719日本@名無史さん :03/03/30 21:48
乃木さんと伊地知参謀長の責任は重い。
伊地知も腹をきったのかな?
戦後どうしたのか教えてくれ
720k:03/03/30 21:48
★みんなの情報局★みんなのリンク集★ココ最高★
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://www.pink-angel.jp/betu/linkvp2/linkvp.html
721日本@名無史さん:03/03/30 21:55
旅順は、第1回の攻撃で陥落していたはずなのに乃木司令部の退却命令で
失敗になったと一戸が言っているそうですが?
722日本@名無史さん:03/03/30 22:00
乃木さんの弟は、千葉県で野垂れ死に扱いだったそうだけど?
伊地知は、華族になったんじゃないかな 日露の功績で

このため昭和の軍人は、誠実よりも政略で華族をねらった。
満州事変、ヴェトナム進駐
”こりゃ うまくいけば 子爵ものだぞ”とは、比島の逃亡将軍の言葉
723嶽原:03/03/31 03:12
>>718
 九月から攻撃を開始したことを以って、西方面への重砲隊展開に
要する時期を云々は出来ない、ということです。
724日本@名無史さん:03/04/02 01:16
軍港兼要塞の攻略といえば、計画に関して、日清の
威海衛を重要なモデルとしていたはずで、そのギャッ
プが効いたということがありそうですが、その辺りは
如何でしょうか?
725日本@名無史さん:03/04/06 00:36
静かですね。
726フォーク将軍:03/04/06 18:09
また前スレみたいに落ち着いて結構。
そういや「諸君!」五月号の
「曇りなき歴史常識 日本の戦争を直視する」で大阪青山短期大学講師の福井雄三氏
が第三軍司令部の擁護論を展開しとったな。
727日本@名無史さん:03/04/06 21:19
右翼雑誌を読んでマァマァ
728金正日:03/04/06 21:20
   ,rn                 
  r「l l h.                / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | 、. !j                | 
  ゝ .f         _      |  
  |  |       ,r'⌒  ⌒ヽ、.  │  http://www.saitama.gasuki.com/hangul/
  ,」  L_     f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ. │   こんなのあったニダ
 ヾー‐' |     ゞ‐=H:=‐fー)r、)  | 
  |   じ、     ゙iー'・・ー' i.トソ   | 
  \    \.     l ; r==i; ,; |'  .人_ 
   \   ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
     \  ノ ハヽ  |_/oヽ__/     /\
      \  /    /        /  |.  
        y'    /o     O  ,l    |
729日本@名無史さん:03/04/06 22:50
「諸君!」ねえ・・・。青短の講師がねえ・・・。
730嶽原:03/04/07 22:16
>>726
 あっさり(二頁くらい?)と纏めていましたね。
731嶽原:03/04/12 03:01
>>721
『>旅順は、第1回の攻撃で陥落していたはずなのに乃木司令部の退却命令で
  失敗になったと一戸が言っているそうですが?』

 一戸少将は、「あと二個連隊の新鋭兵力があれば(成功したろう)」と述べてい
ます。
 実際にはそのような兵力は無かったし、砲弾も底をついていたのですから、退却
するしかなかったと思います。しかし当時の前線指揮官には、そういう事情は判り
ません。一戸少将は、その後軍参謀長となった時に軍日誌を読んで、当時の状況を
初めて理解したそうで、「(退却した)理由は後で分かった」と言っています。
732嶽原:03/04/12 03:05
 また、司馬氏は、一戸少将が後に理解したという退却理由を「軍司令部が遠かっ
たから」の意味としていますが、これは誤った解釈だと思います。
 総攻撃中は、軍司令部は第一線からは至近といってよい団山子山辺りに置かれて
いるからです。ここは各種砲列のまさにど真ん中で、徒歩砲兵第一連隊や第三連隊
の砲列位置よりも前方に位置していました。

              ▲鳳凰山
 海軍陸戦重砲隊
  12カ×2         ★
7.5カ×14・12カ×4   攻城砲兵司令部

        野戦重砲兵連隊 徒歩砲兵第一連隊
         12榴×16    12カ×24 徒歩砲兵第三連隊
                 15榴×16   10.5カ×04
           徒歩砲兵第一独立大隊 ★  12カ×6
                09臼×12 軍司令部 09臼×12

                     徒歩砲兵第三連隊
                       15臼×24
                           徒歩砲兵第二連隊
                             15臼×48
733日本@名無史さん:03/04/12 15:31
>732
 う〜〜〜む。。。
734日本@名無史さん:03/04/14 01:06
旅順攻略は、先行する日清戦争で、近代的な要塞とはほどとおく、
装備も士気も低劣だった威海衛の攻略を、そのままモデルとして
しまったことが根本的な問題である

すなわち、国軍得意の「完全な情報収集不足」

…ということでよろしいでしょうか。
735日本@名無史さん:03/04/14 07:41
>734 金州攻略は?
736嶽原:03/04/14 07:57
>>734
 威海衛との絡みは判りませんが、「事前準備不足」であったことが難戦となった
理由だと思います。「情報収集不足」もその一例と思います。

 「明治天皇」という本(新人物往来社?だったかな?)に、旅順攻略が急遽決め
られたのは、その背景に渡欧帰国した長岡外史の発言が契機となったようだ、とい
う説(木村毅・筆)が書かれていました。
 木村氏によれば、旅順は放置し監視に留め置くというそれまでの案に対し、長岡
が「占領しなかった土地は、戦後にも戦勝国の土地とはならない。今後も旅順に露
国の艦隊根拠地を残すことになる。放置案はもってのほか」という意味の発言をし、
この発言によって「旅順攻略」という方針が決まった、との事です。
737日本@名無史さん:03/04/14 08:21
準備不足の官僚的首脳部だったからな。致命的なわけだ。
738嶽原:03/04/14 08:33
 攻略軍がどうこうという問題よりも以前、国家として戦争準備をしている
段階に於いて既に、旅順が難戦となる大きな素因があったという事でしょう。
739日本@名無史さん:03/04/14 08:37
>>736
「艦隊を沈めればそれでよい」というのは始めからなかった、
ということですね。
740日本@名無史さん:03/04/14 12:58
旅順だけが準備不足だったのか
741日本@名無史さん:03/04/14 13:04
名前だけの無能もの。
742日本@名無史さん:03/04/14 21:24
>736
> 旅順は放置し監視に留め置くというそれまでの案
 もう少し具体的にいうと、積極的な攻略はせずに、ただ、陸海の
 補給線を絶って立ち枯れにさせる、というような理解でよろしい
 でしょうか?

 もしそうであるとするなら、「意味がないから攻略の難易は無理
 をしてまで探知しようとしなかった」ということもありうるかも。
 また、肝心の部分も、非常に巧妙にカモフラージュされていたそ
 うですから、ちょっとやそっとのことでは、有効な情報を得ること
 は出来ずに終わった=同じことだったかも。
743日本@名無史さん:03/04/14 21:30
>739
> 「艦隊を沈めればそれでよい」というのは始めからなかった、ということですね。

 え??? どういう脈絡ですか???
 東洋艦隊の話なら、「何としてでも大部分を沈めて補給
 線の安全を確保しなければお先真っ暗」であることは、
 事前に分かっていて、だから、海軍が必死になっていた
 のでは? 何の話ですか???
744日本@名無史さん:03/04/14 21:32
>>742-743 どこの国の言葉だろう?
745日本@名無史さん:03/04/14 21:33
>740
 ま 国力不足のほうが問題は重篤だったといえるかな。
 で それが何か?
746日本@名無史さん:03/04/14 21:35
>741
> 名前だけの無能もの。
 いうことは9文字だけですか?
747嶽原:03/04/14 21:37
 736の本「明治天皇」は、やはり新人物往来社(別冊歴史読本)でした。
 木村氏は、長岡発言をこのように紹介しています。
『もってのほかである。兵火で占領しなかった所は平和になっても勝者の
自由にならない。いつまでも旅順にロシアの根拠地が残って、そこを基点
にゆくゆくのさばり出ても構わぬつもりか』
748日本@名無史さん:03/04/14 21:37
>744
 あ ちょうど良かった、君が何か中身のあることを書いてくれる?
749嶽原:03/04/14 21:43
 長岡外史は、戦後の事を見越して考えると「旅順を監視するにとどめる」
というのは出来ない、と主張しているわけで、「旅順攻撃」の目的は、
「艦隊の撃滅」ではなく「旅順の攻略」であった、と思われます。
750日本@名無史さん:03/04/14 21:44
ホントに評価が分かれるねぇ。
751金正日:03/04/14 21:45
   ,rn                 
  r「l l h.                / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | 、. !j                | 
  ゝ .f         _      |  
  |  |       ,r'⌒  ⌒ヽ、.  │  ttp://saitama.gasuki.com/hangul/
  ,」  L_     f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ. │   こんなのあったニダ
 ヾー‐' |     ゞ‐=H:=‐fー)r、)  | 
  |   じ、     ゙iー'・・ー' i.トソ   | 
  \    \.     l ; r==i; ,; |'  .人_ 
   \   ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
     \  ノ ハヽ  |_/oヽ__/     /\
      \  /    /        /  |.  
        y'    /o     O  ,l    |
752日本@名無史さん:03/04/14 22:00
  ,rn               
  r「l l h.         −・−・・−−・・・−・−・・−−・・・        
  | 、. !j                
  ゝ .f         _     
  |  |       ,r'⌒  ⌒ヽ、.  
  ,」  L_     f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ. 
 ヾー‐' |     ゞ ・  ・  )r、)  
  |   じ、     ゙i      i.トソ  
  \    \.     l、 ω    |'  .
   \   ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
     \  ノ ハヽ  |_/oヽ__/     /\
      \  /    /        /  |.  
        y'    /o     O  ,l    |

753日本@名無史さん:03/04/14 22:18
児玉と比較すると・・・
754日本@名無史さん:03/04/15 07:52
>>749 占領すべきだと言っているけど、その時点で監視がきつく、
堅固な要塞らしいという推測を立ててますがな。現実の敵の状況に
合わせて計画を変更するのは当然ですが?

 それであなたは旅順攻撃は準備不足と言い張ってますが、
旅順だけが準備不足だったのですか?
755嶽原:03/04/15 09:19
>>742
『積極的な攻略はせずに〜〜というような理解でよろしいでしょうか?』

 十年来で築城された堅固な要塞は、遼東半島先端に点のように残しておこ
う、これに対して兵を振り向けることはしたくない、という考えのようです。
 立ち枯れまでも期待していたかも知れませんが、北方軍の邪魔しなければ
それでいい、という程度に考えていたんでしょうね。
756日本@名無史さん:03/04/15 10:06
日本の総督も手を焼き、“匪徒刑罰令”を発布して、冷酷な弾圧政策を
とった。一八九八年から一九〇二年までの四年間のみを例にとってみれば
、この間“匪徒”の烙印を押されて処刑された台湾住民は約二万人に達する。

このような苛酷な刑罰にもかかわらず、台湾住民の武力は綿々として
一九一五年まで続いた。

757日本@名無史さん:03/04/15 10:55
乃木坂あたりで・・・♪
758>>嶽原大先生:03/04/15 11:09

嶽原大先生に教えて欲しいんだけど、
乃木が殉死したあの家には、いつ頃から乃木は住んでたの?
乃木が住む前はどんな場所だったの?
759日本@名無史さん:03/04/15 14:14
>>743
> 「艦隊を沈めればそれでよい」というのは始めからなかった、ということですね。

> え??? どういう脈絡ですか???
> 東洋艦隊の話なら、「何としてでも大部分を沈めて補給
> 線の安全を確保しなければお先真っ暗」であることは、
> 事前に分かっていて、だから、海軍が必死になっていた
> のでは? 何の話ですか???

あなたの書いていることは全部「艦隊を沈めればそれでよい」に含まれます。
「旅順艦隊さえ無力化すれば旅順要塞そのものは露軍支配下に残ってもよい」
という意味です。
長岡の起案ではそのような考えはなかったことがわかる、と言っているのです。

760日本@名無史さん:03/04/15 14:24
理由はどうあれ 多大な犠牲者を出した乃木の責任は重大。
761日本@名無史さん:03/04/15 16:37
>760
 事実関係の確認をなおざりにして、根本原因を探求することなく、
「上っ面の責任者」をやり玉に上げて、それで足れりとする。

 ああ情けなや。「みごとなまでに古き悪き日本式形式主義に蝕ま
 れつくした思考」。
 
 ま、>760さんが本気でそんなことを考えているかどうかは知らな
 いですし、興味もないですが。
762日本@名無史さん:03/04/15 16:42
あまり中高年をいじめないようにね。
763日本@名無史さん:03/04/15 17:55
現場指揮官の責任は重大なのは事実だよ
それは事実でないのか?w
764日本@名無史さん:03/04/15 18:08
一般論としては正しい
しかし ここでは原因の究明をしないとね。
765日本@名無史さん:03/04/15 18:09
原因の究明って何の原因を究明するんだよ?
766日本@名無史さん:03/04/15 18:12
それは自分で考えたら ここは学問スレだからね。
767日本@名無史さん:03/04/15 18:15
ノギは上っ面の責任者なのか

それじゃ彼には何の功績もないな。

一般的で無い方法で原因を究明するのねWWW
768日本@名無史さん:03/04/15 18:16
まぁ なんとでも
769日本@名無史さん:03/04/15 18:22
>>766
何の原因を究明するかを聞いているのに、
自分で考えたらというのは間の抜けた答えだな。
770嶽原:03/04/15 21:00
>>760『理由はどうあれ 多大な犠牲者を出した乃木の責任は重大』

 第三軍司令官の責任は、もちろんあると思います。同様に、大本営などの
上級司令部の責任も、もちろんあると思います。

 旅順戦の歴史を見ていくと、戦争開戦前の準備不足が、旅順が難戦となった
大きな要因であると思います。現地軍が派遣先でどうこうする以前の問題だと
思えるのです。
771日本@名無史さん:03/04/15 21:48
>>770 それで準備不足は旅順だけだったか?
772嶽原:03/04/15 22:03
 第一軍・第二軍の編成・行動は、必勝を期して長期間をかけて計画された
ものでした。
 第三軍は後発軍でした。その差が出たのでしょう。
773日本@名無史さん:03/04/15 22:10
長期間てどのくらい?
774嶽原:03/04/15 22:27
 旅順要塞に対する措置が開戦前に陸海軍統帥部の間で真剣に討議された形跡は
なく、旅順要塞を陸軍で攻略するか否か、という点についてすらも未定でした。

 海軍側は陸軍の援助なく海軍独力で旅順を処理しようと望んだようで、陸軍の
後援を要求しない旨をしばしば口外した大本営海軍幕僚もいたそうです。海軍側
は既に、旅順艦隊対策として以下のような三段構えの対策を講じていました。
 第一段階:旅順港外に停泊する旅順艦隊に対して開戦劈頭に奇襲する
 第二段階:貨物船を沈めて旅順港口を沈めて旅順港口を閉塞する
 第三段階:12吋、8吋艦砲による間接射撃で港内の艦艇を撃破する

 第一段階が「奇襲」であることから、海軍は機密保持のために、構想を陸軍に
初めて報せたのは12月30日になってからでした。

 陸軍側は明治35年以降、満州に対する攻勢作戦の研究を実施しており、36年11月
以降更によく研究されるようになりますが、旅順問題には触れられなかったそうで
す。研究においては旅順は封鎖・監視に留めて勢力を遼陽方面への北進に集中し旅
順攻略は必要が生じたらその際に攻略すれば良いとされていました。

 海軍側は自案の機密保持を重視して陸軍側への旅順問題への容喙を避けつつ、
また陸軍側は万一に備えた要塞攻撃腹案は持ちながらもむしろ北進軍への兵力集中
を望みつつ、開戦を迎えます。

 要すれば、開戦前の陸海軍の作戦協議では旅順要塞の陸上からの攻略については
論議もされず、予定もされていなかったのです。
775日本@名無史さん:03/04/15 22:28
>>773 そんなにいじめたるなよ。

明治36年10月まで対露政策は、守勢、消極策で研究案の範囲を出てなかったんから。
第一軍、第2軍の編成、行動が必勝を期して長期間をかけて計画されたなんて恥ずかしくて
とてもいえないよww

776日本@名無史さん:03/04/15 22:31
ちなみに明治37年1月16日に仁川から1軍を上陸させる件が
討議されている記録もあるし、とてもとても、計画されていたとは
いえないよ。

研究案=計画と思っているの香具師がここにいるがなww
777日本@名無史さん:03/04/15 22:35
>>774
主務者の研究案レベルを含めれば 明治33年頃に
2個師団で旅順攻撃という案があるよ。
研究案=計画ならかなり長期間をかけて練られているよ。

いい加減な論を展開して正確さに欠けるね、誰かの意見は。
778日本@名無史さん:03/04/15 22:44
>775

明治32年の攻城砲選定の研究もありましたが、
三国干渉の後であり、対露政策が守勢、消極政策である以上、
実験を許されるほど予算がつくはずもないのにな・・。
当時の状況をご理解いただいてない御仁が何か仰ってますな。
779嶽原:03/04/15 22:49
 戦前から計画されていた第一軍・第二軍の状況と、後発軍である第三軍の
状況とでは大きな差がある、ということです。
780日本@名無史さん:03/04/15 22:56
第2軍が戦前から計画されていた??(まぁ第2軍の運用ってことだろうけど)

明治36年の12月31日の参内の上上奏では、上陸地点と
第一軍を上陸させてから編成するということしか書いてませんが?
其の上、1/16では上陸地点に対する討議をしている最中で第2軍の
『計画』なんてほとんど、していませんwwつかできてません。

第2軍の運用が決まるのは開戦後ですが?
781嶽原:03/04/15 23:04
 開戦直前に、参謀本部は次の作戦を計画してます。

・三個師団をもって韓国を占領(第一軍)
・満州を主作戦地とし、ここに陸軍の主力を用い、露軍野戦軍主力を攻撃する
 ため遼陽に向かって前進、大弧山を上陸地点に予定し三個師団と騎兵・砲兵
 各一個旅団をもって第二軍を編成。
・ウスリー方面を支作戦地とし、一個師団をもって敵を牽制

 この時点で、まだ旅順に対してどういう作戦を採るか、全く触れられてません。
782日本@名無史さん:03/04/15 23:09
 当時、日本陸軍全体が対露攻勢作戦に対しては準備不足だったのです。
旅順攻略だけが準備不足ということではありません。また三国干渉に
よって臥薪嘗胆を強いられている最中で守勢の研究はしていても、
要塞攻略はおろか、満州平野での攻勢の計画など立ててません。

 ハードルを一つ一つクリアーしていく戦争だったのです。

決して第3軍(旅順方面)だけが準備不足ということはありません。
こういう当時の状況は師団長クラスであれば把握してなければ
ならんことですな。
783日本@名無史さん:03/04/15 23:13
>>781 あのさ、第2、第3ともに編成、運用に殆ど時間差がないんだけどww?

桑原氏の言っている旅順攻略の準備不足ということは一面にオイテは正しいよ。
だけど準備不足は日本軍全軍に言えることなの。それをなんだかね、第3軍
だけが準備不足なんていう主張がおかしいんだよな。
784日本@名無史さん:03/04/15 23:21
なんだろね ↓の意見は・・彼は結論が先にあるから
資料を歪んで見るんだろうかね?

772 :嶽原 :03/04/15 22:03
 第一軍・第二軍の編成・行動は、必勝を期して長期間をかけて計画された
ものでした。 第三軍は後発軍でした。その差が出たのでしょう。

781 :嶽原 :03/04/15 23:04
 開戦直前に、参謀本部は次の作戦を計画してます。

・三個師団をもって韓国を占領(第一軍)
・満州を主作戦地とし、ここに陸軍の主力を用い、露軍野戦軍主力を攻撃する
 ため遼陽に向かって前進、大弧山を上陸地点に予定し三個師団と騎兵・砲兵
 各一個旅団をもって第二軍を編成。
・ウスリー方面を支作戦地とし、一個師団をもって敵を牽制

785嶽原:03/04/15 23:25
>>783
 第一軍・第二軍と比較して、第三軍はより準備不足であると思えます。
 開戦直前になっても、旅順に対してどういう作戦を採るかが決まっていない
のですから。

 事前の準備不足が有ったとしてもそれを補う要素があれば、まだ良いと思い
ます。例えば敵に退却する余地があるとか、敵陣は野戦築城に過ぎないとか。
 旅順要塞本防御線は、そのような準備不足でもなんとかなるものではなく、
そのツケが隠せなかったのでしょう。
786日本@名無史さん:03/04/15 23:30
>>785 ハァ?!
準備不足は全軍にいえること、それを補うのは現地でしかない、
というのは当時の状況では安易に予測できる。

金州戦で予測できるにも関わらず、前哨戦ですでに1万の
損害を達しようとしていたときに、「東京」にて一万の損害と
予定したそのままを突き通した、乃木のアホさ加減は救われるもの
じゃないよ。

当時の対露政策の激変を感じてない将軍だったら別だがなww
だれかが述べているが、上っ面の責任者というのは言い得て妙ですね。

787日本@名無史さん:03/04/15 23:31
>>784 なるほど!嶽原氏の意見はいい加減ってことですね。
よくわかります。
788日本@名無史さん:03/04/15 23:35
>>786 予定損害数の1万というのは東京で考えられたのですか?
789嶽原:03/04/15 23:35
 現地で「攻城砲部隊が来てから」とか「第九師団が来てから」とか慎重に
対応していた第三軍に、無理押しを強要したのは、大本営ならびに満州軍総
司令部ですが。
790嶽原:03/04/15 23:47
>>783『>第2、第3ともに編成、運用に殆ど時間差がない』

 第二軍の部隊であった第一師団は、南山戦の後に、第三軍の部隊となるの
ですが。
791嶽原:03/04/15 23:54
790続き
 第十一師団も、第一師団と同様に南山戦終了後の第二軍からの引き抜きです
ね。
 また、第九師団が遼東半島に上陸したのは、07月中旬です。

 これでは「第二、第三軍の編成・運用に殆ど時間差がない」とは言えないのでは?
792日本@名無史さん:03/04/15 23:56
>>789
 上層部は無理強いをしたが妥協もしているよ。でも攻撃計画を
西方に変更しろという無理強いは第三軍は聞いてないがなww

>>790 臨機応変に対応しているよ。満州軍方面に投入予定の
第7師団もな。
793日本@名無史さん:03/04/15 23:58
>>791 言っていておかしいのに気づかない?第2軍の残りは
どう考えているの?
794日本@名無史さん:03/04/15 23:59
第2軍の残存兵力は新参の部隊が大半を占めているわけだww
795日本@名無史さん:03/04/16 00:02
>>788 その通り。東京で1万の損害で旅順を攻略するという計画
を立てている。敵を見ずに計画を立てるところがねぇ。痛い。
796嶽原:03/04/16 00:11
 第三軍へ二個師団、第四軍へ一個師団が抜かれた第二軍への補填された新参
部隊は、一個師団(第六)+一個後備旅団ですね。

 開戦以来の部隊は二個師団(第三・第四)です。

 「新参の部隊が大半を占めている」とは言えないのでは?
797日本@名無史さん:03/04/16 00:13
結局軍上層部の場当たり的浅慮が
犠牲を多く出した原因でやんすね
798日本@名無史さん:03/04/16 00:16
>>796 あのさ・・第2軍編成されて数ヶ月でかなり編成替えに
なっているだろ?第三軍なんて数ヶ月間もそのままだよww

どこの軍も泥縄さww
799嶽原:03/04/16 00:28
>>798
 金州・南山を攻略し旅順要塞を孤立化させるという目的を果たすために、
強大な兵力があらかじめ第二軍に与えられたのでしょう。

 その目的が果たせたから、後発軍へ兵力を分けたわけです。

 その兵力を分ける側と、分けられる側の間に、「編成・運用に時間差がない」
というのは、おかしいと思いますが。
800日本@名無史さん:03/04/16 06:03
>>799【その兵力を分ける側と、分けられる側の間に、「編成・運用に時間差がない」
というのは、おかしいと思いますが。】

 ヲイヲイ少なくともおまいが>>785で述べている
【第一軍・第二軍の編成・行動は、必勝を期して長期間をかけて計画された
ものでした。 第三軍は後発軍でした。その差が出たのでしょう。】

必勝を期して長期間をかけて計画されたものというのが思い込みという
のを何とかしてくれない?少なくとも
>>774 【陸軍側は明治35年以降、満州に対する攻勢作戦の研究を実施しており・・】
↑のようなことでもって第一軍や第2軍が長期間にわたって計画されたことはないよ。

さらに>777氏の仰っていた明治33年ごろに旅順攻略の研究を実施しているじゃない
ですか?



801日本@名無史さん:03/04/16 07:09
>>781の案は明治36年12月22日の部長会議での腹案ですね。
具体的な計画は37年1月になっても立てられてません。
2月28日にやっと第2軍の大連上陸に関する陸海軍会議が
行われる。
長期間にわたり計画が練られていたとは思えませんね。

日本軍全体が準備不足でもって臨機応変に対応しているのですが、
第3軍とその擁護者は準備不足を理由に言い訳しておりますな。
802日本@名無史さん:03/04/16 08:06
乃木総督も手を焼き、“匪徒刑罰令”を発布して、冷酷な弾圧政策を
とった。一八九八年から一九〇二年までの四年間のみを例にとってみれば
、この間“匪徒”の烙印を押されて処刑された台湾住民は約二万人に達する。

803嶽原:03/04/16 08:35
>>800『>少なくともおまいが>>785で述べている
【第一軍・第二軍の編成・行動は、必勝を期して長期間をかけて計画
    されたものでした。
    第三軍は後発軍でした。その差が出たのでしょう。】
必勝を期して長期間をかけて計画されたものというのが思い込みとい
    うのを何とかしてくれない?』

 『>長期間をかけて計画されたもの』というのは当方の思い込みでした。
すみません。
804嶽原:03/04/16 08:41
・三個師団をもって韓国を占領(第一軍)
・満州を主作戦地とし、ここに陸軍の主力を用い、露軍野戦軍主力を攻撃する
 ため遼陽に向かって前進、大弧山を上陸地点に予定し三個師団と騎兵・砲兵
 各一個旅団をもって第二軍を編成。
・ウスリー方面を支作戦地とし、一個師団をもって敵を牽制

 上記のような開戦直前の参謀本部の作戦計画にも載っていない旅順攻略を
受け持った軍には、他軍よりも準備不足、研究不足であったろう、と思います。
 また、旅順要塞主防御線は、そのような準備不足、研究不足の状態でどう
こうできるようなものでは無かったと思います。
805日本@名無史さん:03/04/16 11:05
第二軍も当初の予定とは離れた運用をされているが〜

806日本@名無史さん:03/04/16 18:16
>800
>必勝を期して長期間をかけて計画されたものというのが思い込みという
>のを何とかしてくれない?

 平野部における白兵戦と、それに直結する補給など関する計
 画研究と比較して、移動など全く考慮していない巨砲まで投入
 する必要があるような、当時の最先端を行く要塞攻略の計画
 研究が、比較に足りるレベルまで行われていたわけですか?

 また、「計画」に実質的な内容を与えるところの「実地訓練」に
 ついて、白兵戦なら、「本番」に通用するような内容で、ほとん
 ど日常的に行われていたはずですが、要塞攻略はどこで実地
 訓練が行われていたわけですか? どこかのお城かな?

 「計画」というと、「地図の上に線を引っ張ったり、リストを作っ
 たりする類いの机上の作業」だけしか視野にない、みごとな
 までの教条主義思想から、何とかして脱却してほしいところで
 すが、伝え聞く太平洋戦争中の指導部の連中と同じように、
 思考が硬直化していると無理なのかな。

 ま、それなら仕方ないですね。引き続き、実態を観察すると
 いたしましょうか。
807日本@名無史さん:03/04/16 19:56
>>806 ふ━━( ´_ゝ`)━━ん

『計画研究』ってなに?

>「計画」に実質的な内容を与えるところの「実地訓練」に
>ついて、白兵戦なら、「本番」に通用するような内容で、ほとん
>ど日常的に行われていた『はず』ですが

実証も伴わない意見を述べている方ですね。平時より
日本軍が満州平野での決戦を計画して演習を行なっていた
ようなことを述べるンであれば実証してください。
きっとそれは歴史的にすばらしい発見となるでしょうね。


>「計画」というと、「地図の上に線を引っ張ったり、リストを作っ
>たりする類いの机上の作業」だけしか視野にない、みごとな
>までの教条主義思想から


>>772-774で嶽原氏が述べていることですね。研究=計画
かれはまさしく教条主義思想ですもんね。噛み付く相手を
間違っているのではないでしょうか。
808日本@名無史さん:03/04/16 20:17
>807
> 実証も伴わない意見を述べている方ですね。
 いや、そちらさんとは全く別人です。はい。

>                                平時より
> 日本軍が満州平野での決戦を計画して演習を行なっていた
> ようなことを述べるンであれば実証してください。
 はあ? そうすると、日清戦争以後に行われた演習は、
 一体どういう設定だったわけですか? 南方のジャング
 ルを想定したものだったとかですか?
809日本@名無史さん:03/04/16 20:50
>>808 「はず」なんていい加減なことを述べているのは>>806ですが?
    事実関係の確認をなおざりにして、根本原因を探求することなく
    論を述べているのはだれかね?

    ジャングルなんてどこで述べているのかな?
    日清日露戦間でどんな想定のもとに演習していたという事実の
    確認をお願いしているのですが?
810日本@名無史さん:03/04/16 20:59
>806

>「計画」というと、「地図の上に線を引っ張ったり、リストを作っ
>たりする類いの机上の作業」だけしか視野にない、みごとな
>までの教条主義思想から、何とかして脱却してほしいところで
>すが、伝え聞く太平洋戦争中の指導部の連中と同じように、
>思考が硬直化していると無理なのかな。

第三軍の事ですか?確かにその批判は当たっているかもしれないですね。
811日本@名無史さん:03/04/16 21:37
>809
 中々鋭い切り込みになってきていますね。コピペの部分が。

>     日清日露戦間でどんな想定のもとに演習していたという事実の
>     確認をお願いしているのですが?
 そうですか。
812日本@名無史さん:03/04/16 21:38
>810
> 第三軍の事ですか?確かにその批判は当たっているかもしれないですね。
 自覚はないですか。はい、けっこうです。
813日本@名無史さん:03/04/16 23:02
なんか、あげ足取り合戦になってない?
814日本@名無史さん:03/04/16 23:09
>813
ひとり変なのがいるからね。
レベルを合わせてあげるとそうなっちゃうんだ。
815日本@名無史さん:03/04/16 23:19
なるほどね
816日本@名無史さん:03/04/16 23:20
>813
 さあ? 「合戦」なんてどこにもないような?

 後知恵だけでお手軽に「評価」なんぞというものを下そうと
 する、分際を弁えない増長漢がウロチョロしているので、軽
 くたしなめているだけですが?
 
 
817日本@名無史さん:03/04/16 23:25
そうムキになるなよ
818日本@名無史さん:03/04/16 23:33
割り込んで悪かったな
他逝くから続けて。
819日本@名無史さん:03/04/17 01:02
>817
 はあ??? ムキに? 何か勘違いしていませんか?
 ま、どうでもいいことですが。
820嶽原:03/04/17 02:01
>>802
『>一八九八年から一九〇二年までの四年間のみを例にとってみれば、この間
 “匪徒”の烙印を押されて処刑された台湾住民は約二万人に達する』

 第4代台湾総督(児玉源太郎・1898. 2.26〜)の時期の事ですね。
 植民地政策としては、当時は当たり前のことだったと思います。
821嶽原:03/04/17 02:05
 820訂正。
    「植民地政策賭しては、当時は〜〜」
 →訂正「当時の植民地政策としては、〜〜」

 降伏すれば助命すると騙して集め、大量処刑したんでしたっけ?
822日本@名無史さん:03/04/17 06:45
つかさ・・

>数字
>相手のレス

で返している香具師のレスをみると、事実の確認や根本原因の探求って
されてないよな。死後になった脊髄反射のようなレスだよ。
彼が読んでいる本を知りたいものだ。
823日本@名無史さん:03/04/17 07:01
>>804 ところでその開戦前の参謀本部の計画と述べていることなんだけどさ、
機密日露戦史では2月中旬から下旬に亘って予定したってなっているんだけど?
しかもそれは腹案であって計画ではないわな。

 
824日本@名無史さん:03/04/17 07:07
>>804 それと面白い記述があったよ。

3/28大本営陸軍部の海軍部に要求せる要件
1.第2軍の上陸は神速なるを要す。その理由左の如し
 A旅順陸正面の敵の防備は一刻一刻に堅固たるに至り、
  攻撃は益々困難を加う
 B遼陽方面の敵、南進の徴しあり
 C敵の破損艦逐日修理せらるべし
 
2・・・海軍の勧告によりて大孤山より大連に進めたり・・ともある。
この付近は右往左往しまくってますね。長期的に計画されている
なんてよく言ったもんですな。

上陸地点の変遷は大孤山、大連、小平島等々に変わり、その殆どが
未測量の理由にしかならなかった。

第2軍も海図だけで上陸したわけだww しっかり偵察を行った上
でだがね。こういった試行錯誤の連続だったわけで、決して
第3軍以外は準備万端というわけではないよ。

翻って第3軍だけが日清戦争当時の地図しかないという理由で偵察を
望遠鏡でしか行わなかったのは・・言い訳としては苦しい。
825日本@名無史さん:03/04/17 07:11
>>819 ↓のレス見たら狂しい香具師が一人いることがよくわかるよ。

>817
 はあ??? ムキに? 何か勘違いしていませんか?
 ま、どうでもいいことですが。
826嶽原:03/04/17 10:40
>>801『>具体的な計画は37年1月になっても立てられてません』

 「秘密日露戦史」には、『(児玉源太郎の)参謀次長の職に就任するに及び、
ここに対露作戦準備は更に一段の活気を呈するに至れり』とあります。
 実際の動きとしては、児玉中将が参謀次長となった直後の36年10月20日、児玉参
謀次長と部長らが会同し、次の二案を作戦方針として決定しています。
・第一案:一個師団を馬山に上陸させ、京城に前進する
・第二案:三個師団を仁川に上陸させ、黄州に集中する
 このころから、陸軍の基本方針〜まず韓国に出兵、露軍の南下を防ぎ補給線を確
保し、満州に進んで決戦〜は固まっていたと思います。

 その後、二国間の交渉が纏まりそうになったり不穏になったりしながら日時が過
ぎ、12月21日の「何時にても差支えなき様」という首相指令が発せられます。
 以後陸海軍は、急ピッチで作戦計画の策案に励み、12月30日の陸海軍作戦首脳会
議の時には概成していたそうです。
 この時点で陸軍は、日露戦の第一期を「韓国の軍事的占領を全くする」作戦、
第二期を「鴨緑以北満州」の作戦と定めています。

 36年10月の児玉の次長就任を契機として「作戦方針」が決定され、12月末には
「作戦計画」は概ね出来上がっていたと思います。
 これらに基づき諸々の「作戦準備」が行われていきますが、これらは「韓国占領
+北進のための準備」であり、「旅順攻囲のための準備」というのは全く無かっ
たわけです。
827嶽原:03/04/17 11:27
>>824
『>決して第3軍以外は準備万端というわけではない』
 第三軍以外が準備万端とは言ってません。第三軍が担当した攻城作戦の準備が、
他と比較してより出来ていない、という事です。
 また、近代築城である旅順主防御線を相手とする場合、その準備不足が重大な問
題となったのだと思います。

『>第3軍だけが日清戦争当時の地図しかないという理由で偵察を望遠鏡でし
  か行わなかった』
 将校による偵察も行ったし、望遠鏡も用いた、しかし判明しなかった、という事
では。「だけ」「しか」という根拠は何ですか。
 「容易に判明しないように構築されている」という事も、旅順を難攻不落な要塞
とならしめた要素の一つだと思います。
828山崎渉:03/04/17 12:55
(^^)
829日本@名無史さん:03/04/17 14:33
前スレ読んだけど、やっぱ>>819の論法はおかしいよ。
それに”どうでもいい”なんてヒッキーの慣用句じゃねーか(藁
830日本@名無史さん:03/04/17 21:22
>>827 どうでもいいけど、間違った引用はやめてね。
10/20の会議と10/21の会議の決定を混同しているし。

でも仁川の上陸地点の討議は明治37年1月16日でもやってますよ。
またその会議の方針はあくまで方針であって計画を裁可されてません。
831嶽原:03/04/18 01:44
>>830>>827 どうでもいいけど、間違った引用はやめてね』

 827のどこに、どんな間違った引用がなされているのか指摘して下さい。
832嶽原:03/04/18 02:05
>>830『>10/20の会議と10/21の会議の決定を混同している』
 これは826の内容についての指摘ですね。

 「日露戦争(児島)」によれば10月20日なのですが、10月21日という
のは何に書かれているのでしょうか。
833嶽原:03/04/18 02:57
 12月21日の「何時にても出兵差支えなき様、準備あるべし」という桂首相
からの通告が陸海相になされた事から考えると、この時点から韓国占領+北進
作戦の準備が始められたのだろうと思います。

 上陸地点の決定はなされていなくても、「北進」という作戦はあるのですか
ら、そのための準備はなされていたと思います。
834日本@名無史さん:03/04/18 06:32
10/20 ・第一案:一個師団を馬山に上陸させ、京城に前進する
・第二案:三個師団程度を鎮南浦に上陸させ、平壌、安州間を作戦目標とする
10/21 ・再会議の結果、海州湾冬季流氷あるのが確かめられたため
    仁川に上陸地を変更し集中地を黄州に改めた。


835日本@名無史さん:03/04/18 06:51
>>833 >韓国占領+北進作戦の準備が始められたのだろうと思います。

通告の結果、12/31に「韓国占領に関する作戦計画」というのが参内の上内奏なんですが・・
北進作戦の準備など始めることは出来てませんが?

> 上陸地点の決定はなされていなくても、「北進」という作戦はあるのですか
>ら、そのための準備はなされていたと思います。

・・・思いますという思い込みが次の文章ではあるという確信にいたり、当然の
様に計画されていたとするあんたの思い込みはどうしようもないですね。

というか乃木を庇う余り、当時の日本の状況と日本軍全体の不協和音が見えてこなく
なりそうですな。征韓論くらいとその後の経緯くらいご存知でしょうに。




836日本@名無史さん:03/04/18 18:24
>822
> で返している香具師のレスをみると、事実の確認や根本原因の探求って
> されてないよな。
 それはそうですよ。相手のレベルにキッチリ合わせると、ど
 うしてもそうなりますね。中身がすっぽ抜けるのも、当然の
 理であると。

> 死後になった脊髄反射のようなレスだよ。
 「なった」って「成った」? ニポンゴチョトヘンネ? 魚の活
 け作りか何かのことかな?
 それなら、そのとおりですね。何しろ、干からびた標本を後
 生大事に抱えて、書いてあるラベルを丸写しにしている人
 が相手ですからね。

> 彼が読んでいる本を知りたいものだ。
 スレの趣旨とは関係ないことを書かせないでね。
837日本@名無史さん:03/04/18 18:31
>824
> この付近は右往左往しまくってますね。長期的に計画されている
> なんてよく言ったもんですな。
 百聞は一見に如かずとか、臨機応変とかいう言葉を聞いたこと
 がありますか?

> 上陸地点の変遷は大孤山、大連、小平島等々に変わり、その殆どが
> 未測量の理由にしかならなかった。
 いわゆる「てにをは」が変ですね。「変遷は…変わり」?
 一々直していると時間と手間がかかりすぎるので、意図を斟酌
 しますに、「測量くらいしておけ」ということになりそうですが、何
 考えてるんですかね?

> 第2軍も海図だけで上陸したわけだww
 海図があるなら海図を利用するのは当たり前でしょう。何をへらへら
 笑っているのですか?

> しっかり偵察を行った上でだがね。
 物事には度合いがあるんですよ。「しっかり偵察を行った/しっかり偵
 察を行っていない」の単純二値に分ける発想は、捨てないといけない
 ですよ。

> こういった試行錯誤の連続だったわけで、決して第3軍以外は準備万端というわけではないよ。
 当たり前でしょう。

> 翻って第3軍だけが日清戦争当時の地図しかないという理由で偵察を
> 望遠鏡でしか行わなかったのは・・言い訳としては苦しい。
 そうすると、ボクちゃんに満足してもらえるには、どうすればよろしい
 かな? 遠慮なくどうぞ。
 殴り込みの前に、相手の事務所にお邪魔して、間取りをしっかり調
 べさせてもらえ、というのと似たような非常識な提案ではないなら、
 採用の見込みはありますよ。
838日本@名無史さん:03/04/18 18:36
>825
> >>819 ↓のレス見たら狂しい香具師が一人いることが
 その「狂しい香具師」って何? 「クルシイヤシ」?

> よくわかるよ。
     ↑
 はてな 一体何が「よく」わかったのかな?
839日本@名無史さん:03/04/18 18:38
>829
> 前スレ読んだけど、やっぱ>>819の論法はおかしいよ。
 え? 「前スレ」? どのメッセージのことですか?

> それに”どうでもいい”なんてヒッキーの慣用句じゃねーか(藁
 そちらさんの同類項の慣用句でしたか。それは、十八番を横
 取りして申し訳ないですね。
840日本@名無史さん:03/04/18 18:41
>835
> 北進作戦の準備など始めることは出来てませんが?

 この人物の想定する「準備」という概念は、どうやら「ほとんど全く
 現地での実際行動」を意味しているようです。
 具体的には、たとえば、「巾○○メートル・水深最大○mの○○○
 川をわたるための資材を調達する」など。数値や名称が代入されて
 いなければ、それは「準備」ではないと考える と。
 そのように、根本的に誤って理解していると解釈すると、解ける謎
 が多いようです。興味深い観察対象と申せましょう。

> ・・・思いますという思い込みが次の文章ではあるという確信にいたり、当然の
> 様に計画されていたとするあんたの思い込みはどうしようもないですね。
                   ↑
  名無しのゴンベの分際で言葉遣いが悪い。以後気を付けること

 「自らの激しい思い込み・決めつけ」に、いささかでも抵触する推論
 は「思い込み」というものである

 この人物の思考構造の断面図は、そのようになっていることが
 露呈しています。

> というか乃木を庇う余り、当時の日本の状況と日本軍全体の不協和音が見えてこなく
> なりそうですな。
 で、「当時の日本の状況と日本軍全体の不協和音」というものが、
 具体的には、どこでどう露呈した、と主張するわけですか?

> 征韓論くらいとその後の経緯くらいご存知でしょうに。
 え? 日清をはさんだ後なのに、征韓論の当時における賛否両
 論が、その時点でも、直接的かつ明確に尾を引いていた、と主
 張するわけですか? それが、どういう具体的な事象に現れて
 いると主張するわけですか?
841日本@名無史さん:03/04/18 21:06
ノギ信者はイタイ香具師ばかり
842日本@名無史さん:03/04/18 21:15
>841
> ノギ信者はイタイ香具師ばかり
 ほかに何か?
843日本@名無史さん:03/04/18 22:12
sage
844嶽原:03/04/18 22:17
>>834
 20日の案が21日に修正されたということですね。部長会議は毎日開かれたそうで
すから、この時期に作戦方針が決められていったということでしょう。

 機密日露戦史では、明治36年に至るまでの対露作戦計画を以下のように区分して
紹介しています。
『第一 明治33年における対露作戦の研究
 第二 明治35年における対露作戦計画の研究
 第三 明治36年における対露作戦計画』

 『(児玉源太郎の)参謀次長の職に就任するに及び、ここに対露作戦準備は更に
一段の活気を呈するに至れり(「秘密日露戦史」)』
 36年10月の児玉の次長就任は、それまでの「作戦計画の研究」が「作戦計画」
へと変わっていった契機になったと思われます。
845嶽原:03/04/18 22:21
>>835『>通告の結果、12/31に「韓国占領に関する作戦計画」というのが参内
     の上内奏なんですが・・』

 通告の結果、陸軍は、作戦計画を策案し、30日に開かれた陸海軍作戦首脳会議に
「韓国の軍事的占領を全くする作戦」とともに「鴨緑江以北満州の作戦」も持ち込
んでいます。
 開戦劈頭の海軍奇襲案に妥協したため、「鴨緑江以北満州の作戦」は開戦初頭の
動きとしては行わなくなりましたが、別に放棄したわけでもないでしょう。「韓国の軍事的占領を全くする作戦」が実現したのちは、当然北進となります。
実際そうなりました。

 しかしこの時点で陸軍側は、旅順攻略戦の準備はまだ行っていませんね。海軍側
が「三段構えの旅順艦隊対策」を掲げて、陸軍の援助なく独力で旅順を処理しよう
と望んでいたくらいです。
 陸軍側が旅順について準備をはじめたのは、03月の海軍艦艇港内間接射撃の頃に、
結局は旅順要塞の攻略が必要になるとの見極めをつけてからといわれています。
846嶽原:03/04/18 22:24
 11月当時の部長会議の状況が、「旅順攻囲秘話」に書かれていました。
『当時我が対露作戦計画案としては、状況が種々に想定せられて頗る困難であった
…制海権が殆ど全く露国艦隊に在りとしても…もしも我が艦隊が朝鮮西南海の制海
権を掌握し得るならば…更に進んで大同江、大弧山に上陸せしめ得べき場合……。
 そうして我が軍が朝鮮を北進し鴨緑江を渡河せんとする場合には、敵の頑強なる
抵抗に遭遇すべきを予期されたので、之に対する牽制を兼ね、適当の時期に於いて
大弧山へも我が軍を上陸せしむる計画であった。
 斯くの如くに遼陽の会戦を準備し、ここに於いて敵に殲滅的打撃を与うるの計画
であった。
 然るに旅順をどうするかの問題には少しも触れていなかったので、吾輩がその時
旅順攻城の避くべからざるに至るべきを力説した……』

 36年11月当時、部長会議で鴨緑江渡河・遼陽の会戦などの北進作戦は計画されて
いたのに比べ、旅順をどうするかについては少しも触れられていなかったわけです。
847日本@名無史さん:03/04/18 23:00
>836-840
本当に脊髄反射だw
こいつの意見を見てると乃木を批判するカキコがあると
重箱の隅をつつくようなあら探しをするくせに
自分自身の意見はないんだよな。

日露戦争についての参考文献すら出せないのかね。
848日本@名無史さん:03/04/18 23:02
>847
> 日露戦争についての参考文献すら出せないのかね。
 任せる。
849日本@名無史さん:03/04/18 23:07
>847
 あ ついでだけど

> こいつの意見を見てると乃木を批判するカキコがあると
 こいつとは何だね? 言葉遣いが汚い。何度もいわせない
 でね。分かる?

 で、どこかに「意見」なんか書いたっけ?
850日本@名無史さん:03/04/18 23:18
>847
まあ脊髄反射だから、意見がないのは当然か
君もちゃんと美しい日本語を使おうね。
あ、レスはいらんよ。
しても放置しとくし、じゃあね。
851日本@名無史さん:03/04/18 23:40
>>848-850 ww
852日本@名無史さん:03/04/19 00:02
ヤシはやっぱ病気だよ。
853日本@名無史さん:03/04/19 00:16
何いっても無駄だって
はよ病院逝け
854日本@名無史さん:03/04/19 00:46
元気で長生きしてね。
855日本@名無史さん:03/04/19 07:15
>>845 >「鴨緑江以北満州の作戦」は開戦初頭の動きとしては行わなくなりましたが、

 間違っているよ。認められなかったのwwしかも検討不十分でな。


 それとな、前々から言っているように10月から研究が進んで、計画が
認められるのが翌年1月、ほとんど開戦数ヶ月前しか検討されてないし、
海軍の動向次第で作戦はどんどん変わっているの。
 大局的に見て、満州での戦いも旅順での戦いも長期的に計画されて
いたわけではない。第2軍、第三軍も一つ一つのハードルを乗り越えていくやり方
だったのさ。
856嶽原:03/04/19 08:38
 36年11月当時、部長会議で鴨緑江渡河・遼陽の会戦などの北進作戦は計画さ
れていたのに比べ、旅順をどうするかについては少しも触れられておらず、陸
軍側が旅順について準備をはじめたのは、03月の海軍艦艇港内間接射撃の頃に、
結局は旅順要塞の攻略が必要になるとの見極めをつけてからといわれています。

 旅順戦の特徴として、より後方に逃げていく事が出来ない軍を相手にした事、
また相手が籠もる場所が、吶喊攻撃が通用し難い近代築城要塞であった事が
あげられると思います。

 そういう場合、事前準備が不十分ではどうしようもないと思います。青銅砲
を持たされ、希望弾薬数の半数しか渡されず、残り半数は総攻撃までに追送す
る、という口先だけの宣誓をされ……現地軍の対応云々以前の問題です。
857日本@名無史さん:03/04/19 08:59
>>856 希望弾約数?
858日本@名無史さん:03/04/19 09:26
>>856 希望弾約数の計算は第3軍が行ったのですか?
859嶽原:03/04/19 18:27
 第三軍隷下の攻城砲兵司令部員が計算し、陸軍省の当局に要請しています。
『独逸の攻城輜重が砲一門に一千発の携行弾薬を有するので、まさか旅順が
独逸軍の攻撃せんとする仏国要塞ほどに堅牢無比のものではなかろうから、
その八割すなわち八百発もあれば充分であろうと考え』たそうです。

 ところが『陸軍省の当局者は非常に驚いて……吾輩の攻城計画は一体に全て
が余りに大げさすぎるとの批判の声が甚だしかった』とのことで、弾薬数が
減らされます。
 陸軍当局者は『四百発差し当たり交付する事とし、その残余の弾薬は攻城着
手の時期までに必ず大連まで追送するとの誓約を吾輩に与え』ますが、その
誓約は果たされません。

 その結果、『攻城砲兵の展開を終わらんとするに際しても少しも追送してこ
ない。如何に催促しても平気なものであった。攻城砲兵の展開を終わってもま
だ到着しない。とうとう追送弾薬の来ないのに第一回総攻撃に着手する事と』
なります。

 『第一回総攻撃は非常な散々な目に会ったが、しかし今一押し頑強に攻撃し
たら或いは成功したかもしれなかったのに、何分にも弾薬が尽きんとしたので
攻撃を中止すべく余儀なくされた……とにかく陸軍省当局はただ安請け合いの
気休めを言っただけで、追送の準備は少しもしていなかったらしい』

 安請け合いなどせずに無いなら無いとしておけば、史実とは別の攻城策が
考えられたかも知れません。
860日本@名無史さん:03/04/19 19:42
>850
 わざわざ下らないことを書いてスレを無駄にしないでね。
861日本@名無史さん:03/04/19 19:44
>856
 うっ 「青銅砲」も数のうち・・・・・ですか。
 いわゆる「員数合わせ」の元祖 ですね。
862日本@名無史さん:03/04/19 20:26
>860
 わざわざ下らないことを書いてスレを無駄にしないでね。
863日本@名無史さん:03/04/19 21:36
>862
 お ちょうど良かった。ゴミ掃除を手伝ってくれるとは奇特
 なことです。オリジナルは無理なら、コピペでかまわない
 から、目に付いたところで入れておいてください。

 さあ、ちゃんと自動resがつくかな?
864日本@名無史さん:03/04/19 22:29
ワロタ
865日本@名無史さん:03/04/19 23:07
>859

なるほど参謀本部が手を抜いていた旅順攻略の計画を第三軍がしていた
わけですね。第三軍の苦労が目に浮かぶようです。しかもその計画は
ないがしろにされていた訳ですから、第三軍の非はほとんど無いと考え
られますね。
866山崎渉:03/04/20 01:43
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
867日本@名無史さん:03/04/20 05:57
現場の司令官に責任無しか
ハハ ノンキダネ
868日本@名無史さん:03/04/20 07:25
>>844 >第三軍隷下の攻城砲兵司令部員が計算し、陸軍省の当局に要請しています。

 ソース希望
869日本@名無史さん:03/04/20 07:58
>>845 >鴨緑江以北満州の作戦」は開戦初頭の動きとしては行わなくなりましたが、

だから当時で動いてもないことをこの時点で準備しているわけなかろうが・・。
それを>>833では「通告の時に韓国占領+北進作戦の準備が始められたのだろうと
思います。」としている。軍部独走が独走してたのかい?

また明治33年に研究していた旅順攻略案も放棄していたわけではありません。
その論法だと攻城砲の選定など着々準備はしているとい主張もできるよ。


>>846 
>36年11月当時、部長会議で鴨緑江渡河・遼陽の会戦などの北進作戦は
>計画されていたのに比べ、旅順をどうするかについては少しも触れられていなかった
>わけです。

その当時明治36年10月以前は首相、参謀長ともに守勢、消極論を取っていたので
計画、準備などはできるはずもありません。
何もないところからロシア側の意図を探り、まず、満州での決戦を考えるのが先決でしょう。
要塞を無理に攻略するというのが後回しになったというのは仕方がないと思いますが?

870日本@名無史さん:03/04/20 08:19

>837
> >この付近は右往左往しまくってますね。長期的に計画されている
> >なんてよく言ったもんですな。

> 百聞は一見に如かずとか、臨機応変とかいう言葉を聞いたこと
> がありますか?

 この文意がよくわかりません。
また、臨機応変というのは行き当たりバッタリということですね。
そして、第3軍は東京にて決めた計画に沿って確固たる意思でもって
第一回総攻撃に望み、失敗しました。決して臨機応変ではありません。

871日本@名無史さん:03/04/20 08:20
>>840 

>この人物の想定する「準備」という概念は、どうやら「ほとんど全く
>現地での実際行動」を意味しているようです。
>具体的には、たとえば、「巾○○メートル・水深最大○mの○○○
>川をわたるための資材を調達する」など。数値や名称が代入されて
>いなければ、それは「準備」ではないと考える と。
>そのように、根本的に誤って理解していると解釈すると、解ける謎
>が多いようです。興味深い観察対象と申せましょう。

じゅんび 1 【準備】

(名)スル
用意すること。支度すること。
「―に余念がない」「昼食を―して待つ」

 
準備するという行動はある目的に向って物資を蓄積したり、予算を
取ったりすることであり、現地での実際行動なのですが?

あなたの仰る準備というのはどういうことでしょうかね?
ぜひ拙劣な私に教えて頂きたい
872嶽原:03/04/20 08:31
>>868『ソース希望』

>>832にて当方がソース提示を希望しても応えられないのに、要求だけはする
のですね。
『(832)>10月21日というのは何に書かれているのでしょうか』
873日本@名無史さん:03/04/20 09:20
>>872 機密日露戦史だよ。

それでそちらのソースは?
874日本@名無史さん:03/04/20 11:51
>>869 だいたい、日露交渉で日本側妥協案が12月の段階で韓国の軍事的専有なのに
満州まで攻める計画が認可されるわけがあるまい。
875日本@名無史さん :03/04/20 17:11
 乃木の軍人としての戦功はほとんど無いに等しい。
旅順攻略ですら、当初から海軍側より203高地攻略案を出されたのに陸海の確執故に黙殺。
一戸兵衛少将の部隊が要塞背後突入に成功した絶好の機会には退却命令を出した。
砲兵を使わず歩兵で突入させ6万の将兵の命を奪うといったおよそ戦略というのを考えない将軍であった。
致命的なのは部下の意見を聞かない性格だったことだ。
結局児玉源太郎の活躍で203高地を確保、旅順は陥落する。

 軍人というのが戦争の専門家であるとすれば、なぜこんな馬鹿な戦争指導したのか、
いま考えても薄気味悪いほどの無能さである。

司馬遼太郎(1968)週刊読売7/21号より抜粋
876日本@名無史さん:03/04/20 18:17
>870
> また、臨機応変というのは行き当たりバッタリということですね。
 違います。
 
設問1:「臨機応変」と、「行き当たりバッタリ」の差異について論ぜよ。

設問2:上陸地点について、事前の計画書に書いてあるとおりの
位置ではなかった、という客観的な事実が存在すると仮定する。
その事実だけで、「臨機応変」に判断した結果なのか、あるいは
「行き当たりバッタリ」で判断した結果なのか、判定が可能か?

「たのしいこくご」の試験問題を作っているような感じですね。ど
ういう解答があるか見てみましょう。

----------------指導要領-------------------------
合格解答がないかぎり、「臨機応変」と「行き当たりバッタリ」の
差異が正しく認識できていないと判定する。

解答がないばあいは、「正解がどこかに明記されているマルペ
ケ式ではない論述式なんて、私には無理です」と、消極的な意
味で表明していると判定する。

877日本@名無史さん:03/04/20 18:44
ちょうどよかった。
>837
> >この付近は右往左往しまくってますね。長期的に計画されている
> >なんてよく言ったもんですな。

> 百聞は一見に如かずとか、臨機応変とかいう言葉を聞いたこと
> がありますか?

 この百聞は一見に如かずとか臨機応変という言葉をここで
なぜ用いたか教えてくれ。
878日本@名無史さん:03/04/20 18:47
>>876 事実の確認をしてない方ですか?どんな本を読んでいるの?
君のレベルに合わせてあげるから教えてくれ。
879日本@名無史さん:03/04/20 19:52
端から見てると面白いけど ヤシの相手をする人は大変だね。



880嶽原:03/04/21 01:10
>>873『>ソースは?』

「旅順攻囲秘話」です。
881嶽原:03/04/21 03:28
>>869
『>明治36年10月以前は首相、参謀長ともに守勢、消極論を取っていた』

 「参謀長」というのは誰の事でしょうか。
 「参謀総長」か、「参謀次長」かの間違いではありませんか。
882嶽原:03/04/21 03:33
>>869
『>明治36年10月以前は首相、参謀長ともに守勢、消極論を取っていたの
  で計画、準備などはできるはずもありません』

 「秘密日露戦史」には、このような記述があります。
『(大山)参謀総長は桂総理に対し強硬の意見を力説し、事態もし兵力に訴え
 るに至るも、今日なればお引き受け申すとの決意を言明せられ……』

 参謀総長は強硬論者のようですね。桂首相に強硬意見を力説するほどの。
883嶽原:03/04/21 03:46
 882補足。

『(大山)参謀総長は桂総理に対し強硬の意見を力説し、事態もし兵力に訴え
 るに至るも、今日なればお引き受け申すとの決意を言明せられ……』

 というのは、明治36年06月08日(参謀本部首脳部会議)から若干日が過ぎた
頃の話として、大島陸軍中将談話として書かれていました。
884嶽原:03/04/21 03:51
>>869
『>明治33年に研究していた旅順攻略案も放棄していたわけではありません』

 明治33年頃に、旅順戦が「研究されていた」というのは判りました。
  『明治33年における対露作戦  の研究
   明治35年における対露作戦計画の研究
   明治36年における対露作戦計画   (秘密日露戦史)』

 「作戦の研究」で、「作戦計画の研究」にすらなっていない頃の話ですね。

 その後時代が進んだ36年11月頃、「作戦計画の研究」から「作戦計画」と
なった頃の部長会議では、旅順をどうするかについては少しも触れられていな
かったわけです。

 「開戦当初における対露作戦計画」にも、旅順の事は書いてませんね。
『一、三師団を以て敵に先立ち韓国を占領……
 二、満州を以て主作戦地となし……
 三、ウスリーをもって支作戦地となし……』

 統帥部が開戦当初までに予定し得た作戦範囲は上記であり、旅順については
監視するべきか攻略するべきか、考慮されていなかったわけです。
885日本@名無史さん:03/04/21 07:13
>>881-883 参謀総長、次長ともにですね守勢、消極論を採用しています。
その強硬論はどんなものかご存知ですか?満州での作戦を意図している
もののように述べているように思えますが。
886嶽原:03/04/21 21:22
>>885

 つまり、>>869『>明治36年10月以前は首相、参謀長ともに守勢、消極
論を取っていた』という文中の「参謀長」というのは、「参謀総長」「次長」
両者の事を示しているということですか?
887日本@名無史さん:03/04/21 22:12
>>886 そうだが?それで君の述べている強硬論の内容が知りたい。
あと旅順攻囲秘話の中で第三軍が自分たちで計算したと仰ってましたが、
参謀本部は計算してなかったのでしょうかね。
888bloom:03/04/21 22:13
889嶽原:03/04/22 08:45
>>885『> 参謀総長、次長ともにですね守勢、消極論を採用しています』

 田村次長が消極論者であったことは判りますが、大山総長はどうでしょう。

 「秘密日露戦史」中の大島陸軍中将談話( 明治36年06月08日(参謀本部首脳
部会議)から若干日が過ぎた頃の話)から見ると、大山参謀総長は強硬論者の
ように思えます。

『(大山)参謀総長は桂総理に対し強硬の意見を力説し、事態もし兵力に訴え
 るに至るも、今日なればお引き受け申すとの決意を言明せられ……』
890日本@名無史さん:03/04/22 11:24
その強硬論はどんなものかご存知ですか?満州での作戦を意図している
もののように述べているように思えますが。
891日本@名無史さん:03/04/22 12:11
盲目的乃木信者は逝ってよし!!
892嶽原:03/04/22 20:42
>>885『> 参謀総長、次長ともにですね守勢、消極論を採用しています』

 守勢、消極論者であった事を示す事例は、どのようなものでしょうか。
893嶽原:03/04/22 21:45
>>890『>その強硬論はどんなものか』

 「日露戦争(児島)」には、06月08日の参謀本部部長会議における、総務・
第一・第二部長がそれぞれ意見書を用意していたと書かれていますね。そのう
ち井口総務部長の意見を代表として紹介しています。
 それによれば、意見書の趣意として、『趣意は、今ならロシヤを満州・韓国
から撃攘して日本の安全を確保できる、現状維持はロシヤの韓国さらに日本の
一部の占領を許すだけだ、という点』だとされています。

 『ロシアを満州・韓国から撃攘して』という箇所を見ると、満州での作戦を
も意図している強硬論であると思えます。
894日本@名無史さん:03/04/22 22:31
>>892-893 当時の日本政府は韓国に対する軍事的占有権を確保することが
譲歩ラインとして限界でした。というのは海軍の力があまりにも頼りなく、
韓国までの補給戦が維持できないと考えていたからです。
 6/8の参謀本部部長会議にて福島、井口、落合、杉川、大沢、大島の
各部長が一致して強硬論を唱えたのに対して田村は始終一言もはっせず、
大山総長が「今日は参謀総長としての意見ではなく一個の老人の資格で
申すがよく考えてもらいたい・・」という前置きで開戦を急ぐことの
不利を論じ各部長の意見を制しています。
 この背景には国費の51%を軍事力に投じてもて陸軍第一国のロシアには
勝てないという背景があったからです。
ただ、大山としては桂に韓国の軍事的専有という譲歩の決断を即すべく
申し上げたと考えております。
つまり韓国での戦いなどは海軍の動向次第という日本の現状があったのです。
そういった事情がある以上、研究が進まないのもこの時点では当然でした。
895日本@名無史さん:03/04/22 22:38
この辺りの微温的対応を無視して強硬論強硬論と吠える方が
居ますが、実際はロシアと韓国にて剣を交えることを覚悟
したわけであり、満州での戦を想定してたわけではありません。
これは同年12月の内奏の韓国占領に関する作戦計画しか
認められてないのでも明らかです。
896日本@名無史さん:03/04/22 22:41
>>892-893 あと旅順攻囲秘話の中で第三軍が自分たちで計算したと仰ってましたが、
参謀本部は計算してなかったのでしょうかね?
乃木の知人への5/5の手紙では第2軍の後方守備でロシア軍と戦えるのか?
という意図の手紙も出しておりますな。実際乃木は5月の時点ではなにも
動いてないのでは?
897日本@名無史さん:03/04/22 22:57
ノギ信者ってノギを敬慕するあまり神話を造るからだめぽ
898嶽原:03/04/22 23:13
>>894
『大山総長が……「今日は参謀総長としての意見ではなく一個の老人の資格で
 申すがよく考えてもらいたい・・」という前置きで開戦を急ぐことの不利
 を論じ各部長の意見を制しています』

 大島第四部長(当時)は、大山総長が微温的対応を示した真意を、『総長の
地位上、斯くの如き国家の重大問題に対し、初の時期に於いては軽々しく決意
を吐露するを避けられたるならん』と推測していますね。

 児島氏は、決意を公言することがロシヤに開戦の口実を与えることになりか
ねない等の為、信頼する部長たちにさえあえて消極姿勢を示したのだろうと書
いています。

 「微温的対応」は、「決意の秘匿」ゆえの事というように思えます。
899日本@名無史さん:03/04/22 23:15
>>898 当時の日本政府の意思を理解していたら、大山の心境が
若手を制するのは当然だと思うが?その決意だが、あくまでも
韓国での軍事的占有を目的とするものであり、満州での戦争を
意図するという貴方の根拠はどこから来ているのか?

その後の日本政府の譲歩ラインも児島には書かれてますが?
900嶽原:03/04/22 23:31
 06月08日の参謀本部部長会議における、井口総務部長の意見書の、
『今ならロシヤを満州・韓国から撃攘して日本の安全を確保できる、現
状維持はロシヤの韓国さらに日本の一部の占領を許すだけだ、という』
趣意からは、「日本の安全を確保」するためには「満州・韓国からロシ
ヤを撃攘」しなければならない、という考えが読みとれます。さらには
現状維持では「ロシヤの韓国さらに日本の一部の占領を許す」だけ、と
いうことも述べていますね。

 韓国での軍事的占有を目的とするが、戦争となる場合は韓国だけでな
く満州からもロシヤを撃攘夷しなくてはならない、という事では。
901嶽原:03/04/22 23:34
900訂正。「撃攘夷」→「撃攘」
902日本@名無史さん:03/04/23 08:04
だからそれは井口の意見書であって、大山の意見ではないよ。
大山、田村としては抑えにかかっているんだけどね。

当時の日本政府の妥協案など全体を見ていけば大山、田村の
行動も納得いくのですが・・貴方の意見では太平洋戦争前の
永野のようですな。

というか井口の意見がなぜそのまま大山の意見になるの?
頭おかしくない?
903嶽原:03/04/23 08:45
>>902『>井口の意見書であって、大山の意見ではない』

 そうですよ。
 しかし、第四部長は、大山総長の微温的態度のゆえんを後に知り、「我らと
同意見なり」と安堵しています。
 大山総長と部長等の意見とは、近いものであったと思われます。
904日本@名無史さん:03/04/23 13:32
それで参謀本部の会議は強硬論で結論したのか?
905日本@名無史さん:03/04/23 19:47
不思議。
906日本@名無史さん:03/04/23 21:04
>902
> 頭おかしくない?
     ↑
 語るに落ちるって知ってますか?
907日本@名無史さん:03/04/23 21:27
>906 嶽原は妄想家で乃木の為なら神話を作ることをためらわない。
戦前の大山は強硬論だったという論理もその一つですな。
頭がおかしいと思うよ。
908嶽原:03/04/23 22:28
>>907『>妄想家で神話を作ることをためらわない』

 「妄想、神話を作る」という事でしたら、例えば、無い記述を有るものだと
捏造強弁する行為は、そう言うに相応しいですね。
 以前、当方との対論者が、「戦袍日記に植木戦での戦利品が書いてある」と
いうように、無い記述を有るものだと捏造強弁した事がありますよ。
909嶽原:03/04/23 22:28
>>907『>戦前の大山は強硬論だったという論理もその一つ』

 大山総長は、強硬論を述べた井口総務部長の意見書に対してはかばかしい
返事をせずに井口を憤慨させながらも、同時期に桂首相には強硬の意見を力
説している事を、根拠として述べております。
910日本@名無史さん:03/04/23 22:47
おもしろうて やがて悲しい 乃木厨かな
911日本@名無史さん:03/04/23 22:52
>>908-910 それで大山は強硬論者だとしようじゃないか・・。
満州の作戦もその参謀会議で決められたのか?
912日本@名無史さん:03/04/23 23:00
>>908 対論者って? 君の事をいま言っているんだよ。
さも井口の意見を大山の意見といてとりあげてますね。
別人の意見を当人の意見とするのはおかしいですね。
913日本@名無史さん:03/04/23 23:07
乃木って精神論バカの先駆けみたいなもんだな
夫婦そろって発狂して自殺するなんて理解不能

こんな半分クスリやってるようなキチガイに
教育された昭和天皇も哀れだな
914日本@名無史さん:03/04/23 23:18
自分の脳内でドラッグつくるヤシは始末が悪い罠。
915日本@名無史さん:03/04/24 01:09
>907
 物事に関する客観的な観察力が欠落している、という欠陥が
 如実に露呈していますね。
916日本@名無史さん:03/04/24 01:11
>911
> それで大山は強硬論者だとしようじゃないか・・。
 誤りは、明確かつ素直に訂正すればよろしいでしょう。
 それが大事なことですよ。
917嶽原:03/04/24 05:25
>>912
『>対論者って?』
 「妄想家で神話つくりをためらわない」という揶揄に相応しい、過去の一例
を紹介したまでです。

『> さも井口の意見を大山の意見といてとりあげてますね。別人の意見を当人
  の意見とするのはおかしい』
 井口の意見を大山の意見とする、などとは述べていませんよ。
 第四部長が、大山総長の微温的態度のゆえんを後に知って「我らと同意見な
り」と安堵していることから、大山総長と部長等の意見とは、近いものであっ
たと思う、と述べているのです。
918日本@名無史さん:03/04/24 06:17
>>917 だからその強硬の意見を教えてくれ。ずぅっと回答が
ないのですが?>>898-900の流れを見ると満州まで攻めていくという
事を大山は考えていたのですか?
919日本@名無史さん:03/04/24 06:30
882 :嶽原 :03/04/21 03:33
>>869
>『>明治36年10月以前は首相、参謀長ともに守勢、消極論を取っていたの
>  で計画、準備などはできるはずもありません』

>「秘密日露戦史」には、このような記述があります。
>『(大山)参謀総長は桂総理に対し強硬の意見を力説し、事態もし兵力に訴え
>るに至るも、今日なればお引き受け申すとの決意を言明せられ……』

>参謀総長は強硬論者のようですね。桂首相に強硬意見を力説するほどの。


ここからその話になっているのだが、明治36年10月以前、大山は


満 州 ま で 攻 め あ が る 強 硬 論 になっていたのか?????
920_:03/04/24 06:43
921日本@名無史さん:03/04/24 07:12
旅順攻囲秘話の中で第三軍が自分たちで計算したと仰ってましたが、
参謀本部は計算してなかったのでしょうかね?これもはっきり
させとこうか。
922bloom:03/04/24 07:17
923嶽原:03/04/24 08:46
>>918『>だからその強硬の意見を教えてくれ』

 大山総長の考え自体は知りません。当時の首脳の真意など、そう簡単に判明する
ものではないと思います。周囲から推測していく事になるでしょう。
 
 大山総長が「露国は大国で御座いますからなあ」と是非を言明しなかった井口総
務部長の意見書の一部には、『露人を満州以外に駆逐し』という記述があります。

 で、部長等は当初は、総長の微温的態度に憤慨するわけですが、若干日の後に大
山総長が桂首相に対して強硬の意見を力説したことを知り、部長の一人は「我らと
同意見なること明となりたし」と安堵しているわけです。
924日本@名無史さん:03/04/24 09:08
それでその参謀会議は満州攻勢で結論したのか?
925日本@名無史さん:03/04/24 12:06
嶽原の論は憶測だから信用できないな。

桑原も憶測が多いがw
926日本@名無史さん:03/04/24 16:17
>924 満州攻略なぞ決めてるわけなかろう。
日本史学んでたらそんな事言うもんか
927日本@名無史さん:03/04/24 18:06
糞スレや 乃木厨どもが 恥の跡
928日本@名無史さん:03/04/24 18:20
ワロタ
929日本@名無史さん:03/04/24 18:50
>927
 自らが噴き出したものをところ構わずなすりつけないように。
930嶽原:03/04/24 21:15
>>924
 もちろん決定していませんよ。大山総長は、部下らに対しては、微温的態度を示
して退席しました。
 しかし翻って桂首相には、強硬の意見を述べています。この大山総長の行動を後
日知り、強硬意見書を述べた部長等は、「我らと同意見」と述べているのです。

 『総長の地位上、斯くの如き国家の重大問題に対し、初の時期に置いては軽々
しく決意を吐露するを避けられた(大島第四部長の談話)』のであり、部下に対し
示した態度は「決意の秘匿」故の態度であるわけです。
931日本@名無史さん:03/04/24 21:27
さてそろそろ、6/8の参謀会議での結論を出そうか。

6/17日に総長および軍令部長の上内閣に提出せんとした。
この内容は「目今の時局を以って従来帝国と対手国との間に蟠茂
せる問題を解決し満州の経営を露国に委ねし、韓国を我に
収めんとする所謂満韓交換に外ならず」
この案を総長は多少修正の上成案とし、朝鮮問題解決に関する
意見と題し、内閣に提出し、同時にこれを上聞して聖断の資に
供し奉った。

つまり・・日本としては朝鮮を確保できれば良いということ。
この結果その後の日ロ交渉の妥協点はこの方針に沿ったことになる
のはご存知の通り。

嶽原氏の憶測は自己都合による妄想ですが・・結論ありきだから
仕方ありませんな。
932日本@名無史さん:03/04/24 21:40
>923 「露人を満州以外に駆逐し・・満州を開放し
て各国の互市場となし、もって玄に各国の利害関係を
生ぜしめ満州をして何れの国も毒手を触るる能わざる
の中立地たらしめ・・・」

でね・・この目的のためにで数字云々が出てくるんだが、
これは井口の意見であって大山の同意するところではない。
933嶽原:03/04/24 21:41
>>931『>所謂満韓交換』
 平和裡に交渉が成立すれば、それでいいでしょうね。
 交渉ならず開戦となった際に、『露人を満州以外に駆逐し』という事を
考えているわけでしょう。

 いずれにしろ、開戦前に考えられていた戦場は韓国・満州地域であり、
旅順を攻略するか監視に留めるか、といった事は考えられていなかった
わけです。
934日本@名無史さん:03/04/24 21:55
松川第一部長の3/7時点の意見。

「仮に露兵をして韓国内に一度足を踏み込ましむるも
之を撃攘し得てご希望に添う如くせば同様可ならん」

基本的に日本政府は「本土防衛できればよい」という
風潮の中、三国干渉による朝鮮の制覇の挫折という負い目は
この時点でも垣間見ることができますね。
大島部長の強硬論というのは基本的に本土防衛より朝鮮に
おける防衛を訴えたにすぎません。この意見に関しては
大山も同意して、上奏しているのはその後の外交交渉からでも
推測できることですね。

決して・・満州を攻める等この時点で大山は同意していないのは
ほぼ確実です。しかし嶽原氏は結論ありきなので誤った
結論を主張してますね。彼の意見は全般的にそうなんでしょう。
935日本@名無史さん:03/04/24 22:11
>933 
>いずれにしろ、開戦前に考えられていた戦場は韓国・満州地域であり、
>旅順を攻略するか監視に留めるか、といった事は考えられていなかった
>わけです。
明治33年に第一案に旅順がくるほどには考えられてますが?

そしてその想定も1月19日に計画が容認されるくらい・慌しかった
の。旅順要塞だけが決して準備不足というわけではありません。
当時の日本は急激に抜本的に政略の変化を求められていたのです。

その後3月上旬より参謀本部5部を中心とした大本営作戦部が
攻囲軍に関する作戦計画を策定していた。その時点で5部の
必要砲弾数の計算が出てきます。
つまり旅順攻囲秘話にでてくる、第三軍立案となっているのは
このあたりの策定を基にしていたにすぎず、自分たちはあまり
考えてなかったのではと思えます。
これは5月に乃木が友人に宛てた手紙の中に第二軍の後方警備と
いう事を書いているにも推測できるとおりです。

936嶽原:03/04/24 22:11
>>931『>6/8の参謀会議での結論』

 機密日露戦史の83Pを読んで下さい。「ここに注目すべきは、この部長会議
に於いて各部局の所見を纏めて主戦論の理由を確定した一事である」とあります。
 06月08日の部長会議での結論は、「軍部として開戦を顧慮して我に勝算ある
理由を決定した」です。

『参謀本部の同会議に於いて決定した確定案、次の通りであった。
 ……今仔細に彼我の国情を比較せば、我に成算あり。即ち参謀本部の認むる
 成算左の如し。
 一〜八
 以上八箇条は悉く我に有優にして……これ即ち参謀本部主戦論を採用せんと
 する所以なり。』
937日本@名無史さん:03/04/24 22:27
>>936 基本的に日本政府は「本土防衛できればよい」という
風潮の中、三国干渉による朝鮮の制覇の挫折という負い目は
この時点でも垣間見ることができますね。
大島部長の強硬論というのは基本的に本土防衛より朝鮮に
おける防衛を訴えたにすぎません。この意見に関しては
大山も同意して、上奏しているのはその後の外交交渉からでも
推測できることですね。
938日本@名無史さん:03/04/24 22:32
>>936 そもそもあなたは守勢、消極論という韓国での戦いの想定を
強硬論という言葉で取り違えてますが?

攻勢、積極論として満州まで視野を含めた作戦計画が活発に
なるのは36年10月からというのは貴方の意見でもあるのですよ?
その前に大山が満州攻勢、積極論になるはずがないのは
貴方の意見からでも推測できますが?

矛盾だらけでオモシロイから突っ込まなかったけどww
939嶽原:03/04/24 22:33
>>934
 06月08日の井口総務部長の戦争構想では、満州が戦場になることを考えて
います。03月07日の陸相と第一部長との会話を踏まえてのものでしょうね。
 日本軍はぜひともハルビンを占領することが必要であるが、「此地以北に
前進することは、我が為に害ありて益なし」、ここを占領してロシア軍が反
撃してくれば撃退する構えを取り日本軍からは出撃しない、こんな状態が続
けばロシアもあきらめて和平を申し込んで来るに違いない、というものです。

 韓国に一兵たりとも侵入させないという目的を達成するために、上記のよ
うな構想となったのでしょう。
940日本@名無史さん:03/04/24 22:38
>939 井口の「露人を満州以外に駆逐し・・満州を開放し
て各国の互市場となし、もって玄に各国の利害関係を
生ぜしめ満州をして何れの国も毒手を触るる能わざる
の中立地たらしめ・・・」

というのでは戦後 満州まで攻めあがっても得られる権益
は極めて少なく、償金も出ないと・・大山は拒否してますでしょ。
井口と松川の意見は方向性としては一致してますが、妥協点が
全然違います。

それでもって大山が井口の意見と同等とはとてもとても
考えられません。
941嶽原:03/04/24 22:50
>>940
 戦後の権益の話ではありません。
 ハルビンは満州北部を横断して浦塩に至る東清鉄道から、旅順に向かう南部
支線が分岐しているという、交通の要衝であり、ここを占領しておきロシア軍
が反撃してくれば撃退する構えを取り日本軍からは出撃しない、という話です。
942日本@名無史さん:03/04/24 22:55
>>941 
そもそもその目的が大山に拒否されている以上、
手段は当然否定されますが?何を馬鹿なことをいっているの?
943日本@名無史さん:03/04/24 22:56
嶽原は手段のために目的を選ばないんだなww
944日本@名無史さん:03/04/24 22:59
>>936 機密日露戦史 P49を読んでください。
山県、大山の二元老また主戦論を主唱しなかったのは・・と
かかれてますが?

それでも大山は強硬論と主張するのですか?
945日本@名無史さん:03/04/24 23:01
もうダメポ ノギ信者イタイッポ
946嶽原:03/04/24 23:39
>>935『>明治33年に第一案に旅順がくるほどには考えられてますが?』

 過去、33年に研究されていたということですね。
 で、それは開戦前の作戦には取り入れられなかったわけです。
947嶽原:03/04/25 00:26
>>944
 85Pには、『要するに、以上の時期に於いては陸軍軍部中老組の熱誠に動かされ、
陸軍軍部の巨頭連は、漸くにして決意する傾向を呈するに至った』とありますね。

 井口総務部長を始めとする部長達の強硬論に対し「軽々しく決意を吐露する」
わけにはいかなかったという事で、大山総長自身は、桂首相に強硬の意見を述べて
いるのです。
948嶽原:03/04/25 00:47
>>942『>そもそもその目的が大山に拒否されている』
 交通の要衝であるハルビンを占領し此処より以北には行かない、というのは、
大山が拒否したという戦後の権益を目的としたものではありませんよ。

 より以北に敵が逃げていっても追って行かないという、進撃の限界点を述べたも
のです。『この地以北に前進することは、我が為に害ありて益なし』というように。

 大山総長は、この点について異論を唱えていますか?
949日本@名無史さん:03/04/25 01:15
ボケ老人は自分がボケていることに気がつかない
乃木厨もこれに同じ
950日本@名無史さん:03/04/25 06:01
段々、おかしくなっているぅ。
951日本@名無史さん:03/04/25 08:05
計画〜作戦実行までに至る時間は3〜4ヶ月ってのは
どこの軍でも同じくらいだが?
952日本@名無史さん:03/04/25 08:09
嶽原は自論の結論があって、それにまつわる原因を
集めるから歴史探究者の姿勢としては失格ですね。

桂首相は海軍大臣の意向もあったので韓国での戦場想定
すら認められませんでしたが?そこをやっと大山は
韓国での戦場想定を認めさせたというのが貴方の言う
強硬論ww

しかし、それは日露戦での満州での攻勢、積極作戦とは
違い、守勢、消極的というのは歴史の定説だと思って
ましたが?
953日本@名無史さん:03/04/25 08:56
>>952嶽原は神話捏造者 無粋な指摘はするものでない
954堕天使:03/04/26 00:20
955馬鹿島:03/04/26 16:16
なんと言われようが名将だ
956日本@名無史さん:03/04/26 17:00
うん、そういうことにしないと先に進まないもんね
957日本@名無史さん:03/04/26 18:32
>955
 コンドラチェンコですか。確かにそうだったらしいですね。

>956
 先に進める? 何をどう進めるのか知らないですが、
 慌てることなど何もないでしょう。
958日本@名無史さん:03/04/26 19:46
あっ 出た。
959馬鹿島卜全:03/04/26 21:18
乃木は名将だ
961日本@名無史さん:03/04/26 21:41
迷将だ
962日本@名無史さん:03/04/26 21:47
はぁ? 他に何か(爆笑
963馬鹿島卜全:03/04/26 22:10
203高地なんて観測地点としてすら役に立たないのに、11月末に
攻撃を振り向けて大損害を出した乃木の決断は名将に値する。
964日本@名無史さん:03/04/27 00:36
乃木は、前に出ないほうが良かったと思う、

965日本@名無史さん:03/05/03 01:01
ノウゲイ!
966ぼぼしごろ:03/05/03 01:28
 乃木は鮮人です。だからあんなに戦が下手だったのです。
967日本@名無史さん:03/05/07 02:53
ノゲイ!
968日本@名無史さん:03/05/07 18:31
乃木は国賊
969やまがた:03/05/07 18:34
乃木は明治大帝が信頼し昭和天皇の教育をたくした人物ぞ!!!
970やまがた:03/05/07 18:35
こめひとつぶのこすな!
作ってくれた百姓のくろうをおもえ

乃木 田舎の電車でご飯粒をすてたこどもに
971やまがた:03/05/07 18:36
勉強よりも、こころだ
乃木の遺言
972はぁ?:03/05/07 19:02
>>968
>乃木は国賊

他になにか?
973日本@名無史さん:03/05/09 01:54
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974日本@名無史さん:03/05/09 22:29
新スレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052486923/l50
気合いを入れてどうぞ。
975日本@名無史さん:03/05/10 20:11
>>974
乙!!
976日本@名無史さん:03/05/13 02:48
.
977日本@名無史さん:03/05/13 08:56
乃木は痔ろうだったとか、さぞ馬に乗ったとき辛かったろうな、自分の経験に照らして
みて・・そう思うな。
978日本@名無史さん:03/05/18 22:47
乃木名将だ。
979日本@名無史さん:03/05/18 23:46
迷将だ。
980日本@名無史さん:03/05/19 10:25
.
981日本@名無史さん
名城やきそばだ。