2chの興廃この1スレにあり各員一層保守せよ

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1日本@名無史さん
保守しなさい
2日本@名無史さん:03/02/12 13:45
sine
3鈴木貫太郎:03/02/12 15:17
>>1
ことわる
4日本@名無史さん:03/02/14 23:25
下がりまーす。オーライ、オーライ。
5日本@名無史さん:03/02/23 03:17
突然ですが、このスレもらいます。
6日本@名無史さん:03/02/23 03:21
}}}}}}}}}}}}}}}}}}
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1042100765/

見知らぬ老婆が自宅にやって来て、自分には二十歳に近い長男を筆頭に八人の子女がいるが誰一人働こうとしない。
仕方がないので私一人が毎日紙屑拾い襤褸拾いまでして生計をたてている。
およそ、この世の中で私ほど苦労した者はいないだろう。
と語りはじめたら虚心に聞けるのだろうか?

奉公にでても目的のないまま仕事を辞める。16歳。
親戚の養女なっても半年で自宅に帰る。17歳。
無職のまま祖先伝来の土地家屋を切り売りして土蔵で暮らす。36歳。
どこかの経営者がこの履歴書を読んで、この女性を採用しようと考えるだろうか?
出口なおは自身の親としての責任と社会への義務をどのように考えているのだろうか?
社会人経験のない未成年でも抱く疑問について、安丸氏は教団資料そのままに出口なおの生活は苦難の連続であると述べておられる。氏がこの女性の前半生に何の疑義も抱かないのは何故だろう。
7日本@名無史さん:03/02/23 03:21
・紙屑拾い襤褸拾いまでして、あらゆる辛苦を嘗め尽くさねばならなかった。
・およそ、この世の中で私ほど苦労した者はいないだろう。
以上二点、教団が強調し全ての関連文献に必ず記載している教祖の御言葉だが、この教団関係者に羞恥心はないのだろうか?
紙屑拾い襤褸拾いまでして
現実にこれらの職業を生業としている人たちが存在しているのに、これらの職業を見下ろしているかのような視点はどういうことなのだろうか。
およそ、この世の中で
何故彼女は苦労せねばならなかったのかという本質的な疑問は一先ず擱いといて、これは教祖として正しい姿勢なのだろうか。
自分以外の人間の苦労などたいしたことではないと信者に語りかける姿を想像してほしい。
この宗教のこうした姿勢にも安丸氏は何の疑問も抱かなかったようだ。大本教は教祖の苦難の生活意識からうまれたらしい。

氏は、国による宗教弾圧には関心をもたれるのだが、逮捕された幹部の供述調書や釈放後幹部たちが信者に行なった詭弁には関心をもたれなかった。
氏の、これら一連の調査研究は『出口なお』のあとがき(?)で自身が述べておられる、教団関係者である親戚(の知人?)と関係があるのだろうか。
氏は知己に教団関係者がいてるので関心をもったと書かれているが、普通こういう本は「提灯記事」と呼ぶのではないだろうかと思う。
8日本@名無史さん:03/02/23 03:23
中村翁 『大本教の解剖』 日本精神医学会 大正9年発行
林日通 『大本教の心霊学的批判』 文原堂 大正9年発行
服部静夫『大本教の批判』 親光社      大正9年発行
これらの書籍の出版時期から異なる見解を導きだすことも可能でしょう。
だが私は、真実はこの批判を目的とした本にあると思います。
ある組織や対象を論じるのに、反対の立場にあるものは真実を伝えないから一切採用せず、内部資料のみを用いて考察するという手法を私は用いません。

『大本史料集成』に明治26年放火の嫌疑で教祖は座敷牢に入れられたとの記述があります。
安丸氏は出口なおの苦難の生活体験や生活意識というものに独特の解釈を行なっています。
おそらく氏ならば自己の生命財産を脅かされても甘んじて受け入れるのでしょう。
もしかしたら、全くの他人が焼け出されても出口なおの行為は全肯定すべきであると主張するのかもしれません。
こういう人物を批評する資格は私にはありませんが友人にする気はありません。

>安丸自身の「言葉と行動」を明確に。
教団の言うことは全て正しい。と、氏は研究者としての立場を放擲しているね。
9日本@名無史さん:03/02/23 03:25
以上がある方の安丸良夫『出口なお』に関する見解です。

以下僕なりに読んだ上での反論と感想を書きたいと思います。
10日本@名無史さん:03/02/23 03:30
の方は、御自身の大本教、出口なおへの不信感を出発として、それに対して積極的な批判をしない安丸氏が
その教団に与する者であり、研究者としてあるまじき姿だという論理を展開されているようである。

>見知らぬ老婆が自宅にやって来て、自分には二十歳に近い長男を筆頭に八人の子女がいるが誰一人働こうとしない。
>仕方がないので私一人が毎日紙屑拾い襤褸拾いまでして生計をたてている。
>およそ、この世の中で私ほど苦労した者はいないだろう。
>と語りはじめたら虚心に聞けるのだろうか?
私は大本教の信者でもないし、むしろ民間宗教や新興宗教を敬遠する人間で、私自身虚心に聞ける自信はないが、
それとは別にして、それを信じた信者達の存在はどう解釈するのだろうか。
その者達が愚かだったとして結論付けるのは容易いが、教団として成立するまでの人数をひきつけた事実は
何らかの意味をもったものとして考慮されるべきであろう。
11日本@名無史さん:03/02/23 03:31
>奉公にでても目的のないまま仕事を辞める。16歳。
>無職のまま祖先伝来の土地家屋を切り売りして土蔵で暮らす。36歳。
>出口なおは自身の親としての責任と社会への義務をどのように考えているのだろうか?
本書で安丸氏は「年季奉公人の出替り期」に「奉公をやめ」「自宅で母をたすけることにしたのだろう」と推測している。
それを否定して目的のないままとした根拠はなんだろうか。
また切り売りしてというが、元々資産家だった出口家に婿入りした夫である大工の政五郎がなおに無断で土地や田畑を売って
浪費していることから零落が始まるようである。
最も、すべてを失う前になおがより努力すべきとみるかもしれないが、この夫婦は両者ともよそから出口家に入った者であるため
地域との地縁血縁関係に基づく貸借関係は容易に振りほどけなかったであろうことと夫政五郎の大工業が不振になっていった事から、
その零落は遅かれ早かれ避けられなかったとも推測されるのではないか。
付言すれば総て売り払い借家に移ってからなおは夫に代わり生計を立てるため自ら饅頭販売をはじめたという
12日本@名無史さん:03/02/23 03:31
>氏がこの女性の前半生に何の疑義も抱かないのは何故だろう。
一家の没落と父親の愛情欠落、幼い頃からの奉公、上手くいかない結婚と出口家の没落といった抑圧に満ちたなおの生き方が、
安丸氏の言を借りれば「日本の民衆が歴史の中で育ててきた一つの生の様式であり、ことに多くの女性たちのそれ」というような
当時の下層社会に類型化され、多くの苦労を有した生き方といえるからではないのか。

>紙屑拾い襤褸拾いまでして
>現実にこれらの職業を生業としている人たちが存在しているのに、これらの職業を見下ろしているかのような視点はどういうことなのだろうか。
この方は差別問題に特別の関心がおありのようだが、そもそもそういった職業が当時「最下等(資料では等外)」の職業として認識されていた事は
本書中旧綾部町役場の資料でも示されており、なおのそうした認識を責めるのは筋違いではなかろうか。

>自分以外の人間の苦労などたいしたことではないと信者に語りかける姿を想像してほしい。
>この宗教のこうした姿勢にも安丸氏は何の疑問も抱かなかったようだ。
先にも述べたが、ではそうした語りかけに応じた信者達はどう解釈するのであろうか。
信者達がその語りかけにうなずけたとみるのが当時の底辺社会のあり方を
13日本@名無史さん:03/02/23 03:32
>氏の、これら一連の調査研究は『出口なお』のあとがき(?)で自身が述べておられる、教団関係者である親戚(の知人?)と関係があるのだろうか。
>氏は知己に教団関係者がいてるので関心をもったと書かれているが、普通こういう本は「提灯記事」と呼ぶのではないだろうかと思う。
本書では上田正昭氏が著者たちに教団史編纂のアルバイトを依頼したことから深い関係が生じたというが、
この上田氏がその教団関係者である親戚(の知人?)なのだろうか。後学のために何からそれを知ったのか御教示いただけるとありがたい。
また、仮にそうだとしても民衆思想研究を全般的に行なう安丸氏がそうしたことから大本教に関心を持ち、論じる事がなぜ提灯記事になるのか。
提灯記事であれば、なぜなおと王仁三郎の意見相違を指摘するのだろう。また選書版あとがきに示されるように信者からの批判を受けるだろうか。
このあたりが私には理解できない。

>『大本史料集成』に明治26年放火の嫌疑で教祖は座敷牢に入れられたとの記述があります。
>おそらく氏ならば自己の生命財産を脅かされても甘んじて受け入れるのでしょう。
ここもよくわからない。『大本史料集成』は残念ながら未見なのでわからないのだが、少なくとも本書では
なおの放火を認める発言から隣人が警察に通報したため、警察としてはなおは犯人ではないと思いつつも一応留置する。
その後犯人が逮捕されたので娘婿になおを引き取るよう要請するが、引き取ってもらえずやむなく座敷牢に入れたとなっている。
資料に矛盾があるのか、この方に誤解があるのか、私の早合点か定かでないが生命財産を脅かすとは、放火により脅かされるという事だろうか。
なお自身が放火した事実がないのであれば、安丸氏が自己の生命云々は飛躍だろう。
14日本@名無史さん:03/02/23 03:32
>ある組織や対象を論じるのに、反対の立場にあるものは真実を伝えないから一切採用せず、内部資料のみを用いて考察するという手法を私は用いません。
反対の立場にあるものは真実を伝えない、とは誰の見解か。安丸氏がそういったわけではなかろう。この方は何を根拠にそう思われたのだろうか。
ある人物の思想を論じるには、その本人の書いたものが一次資料となるのは当然至極の事である。
安丸氏は本書で内部資料を用いた事に関しては客観的事実もなおにとっての視角を通じて探るべきとしている。
勿論こういった当人による談話というのは自己を正当化する傾向が大いにあるので盲信するのは危険である。
このあたりは史料として日記等を用いるときにも留意される事であろう。
が、本書を評伝として成立させないほど、その資料に出口なおの生涯や思想を大いに捻じ曲げる誤謬が含まれるとも思えない。
もしあるのであれば是非御指摘いただきたい。

>中村翁 『大本教の解剖』 日本精神医学会 大正9年発行
>林日通 『大本教の心霊学的批判』 文原堂 大正9年発行
>服部静夫『大本教の批判』 親光社      大正9年発行
また残念ながら、これらの本を手に入れることはできなかった。
だが、タイトルと出版元から推測するにこれは宗教としての大本教批判ではないのだろうか。
大本教そのものを批判したとしても、社会底辺の生活者としてのなおが宗教者となっていく過程、
およびその主張に潜む基底意識を探ろうとする安丸氏の態度まで批判できる内容なのだろうか。
よければこれらがどのような目的、手法で批判しているかを御教示いただけるとありがたい。
15日本@名無史さん:03/02/23 03:36
>教団の言うことは全て正しい。と、氏は研究者としての立場を放擲しているね。
これは内部資料に依拠したからそう見るのだろうか、教団や出口なおを非難しないからそう捉えるのだろうか。
前者は既述の通りであろうし、後者に関しては安丸氏の教団そのものに対する態度はともかく、本書を通して見られる安丸氏の研究態度
は別段非難されるものではないと考える。本書にはこの方の指摘するようななおの半生に関する指摘は無いが、清吉に関する「筆先」に
なお自身の願望が反映されていた事や王仁三郎による「筆先」の加工については多少とも言及があり、安丸氏は決して内部資料を全く盲信し、
信者と同様な態度で本書を書いているわけではないことは明白である。

最後に私自身の所見を述べたい。本書は民衆意識やそれと宗教のかかわりの分析を出口なお個人の生き方を通して試みた書と評価する。
が、敢えて疑問を呈するならそういった絶対的に類型化されうる民衆意識がそもそも存在するのか、またそれが認識可能かという根源的な不信が残る。
それは決して安丸氏が資料を盲信しているため、といった理由ではなく、民衆といえども様々な階層や利害が存在し多様な価値観をもちえたため、
民衆意識をある形式で弁別する事は容易でないと思われるからである。
ただ、民衆宗教の思想に限定すれば他の宗教との類似点からその意識を探る事はある程度可能であろう。
その意味で本書は十分に意義をもった書であり決して拙くも、提灯記事でもないと思われる。
16日本@名無史さん:03/02/23 03:59
>>10
書き出しは「この方は、」
>>12
底辺社会のあり方を「素直に捉えているのではないか。」

に訂正してください。また、メモ帳をそのまま貼り付けた為、
大変見苦しくなりました。申し訳ありません。
それから、スレを勝手に使わせてもらってすみませんでした。
保全ということで御容赦ください。
17日本@名無史さん:03/02/23 22:51
18日本@名無史さん:03/02/23 23:24
>>17
何の意味があるのかも示さずに、人の文をリンクするのは見苦しいよ。

それがどうした?と反応して欲しいのかもしれないが…
19ななし:03/03/10 19:30
一体何のスレこれ?
20日本@名無史さん:03/03/10 19:32
濡れもわかりませんなぁ。
21日本@名無史さん
なんで「大本」の話になってるんだ?
そもそも何のスレ?